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2019/01/04

津村記久子とナンシー関の元旦。

新年おめでとうございます。正月早々いい日和が続いていますねえ。
今日から活動開始です。
仕事があるかなあ。仕事、くださいね。

うふふふふ、今年は「ていねい」にいくツモリです。
丁寧に、ていねいに、テイネイに、ね。
丁寧にいくには、やっぱり「です、ます」調ですね。
なんだか世間は「です、ます」で書いていれば「ていねい」ってことになるようなんですね。整形手術や化粧で見た目をごまかすように。
ちがうか。

さてそれで、きょねんの暮れの29日に、大宮のジュンク堂へ行き本を何冊か買いました。その中の一冊が、ミシマ社京都オフィスが発行する「コーヒーと一冊」シリーズの『大阪的 江弘毅 津村記久子』です。これ、前から気になっていたし、年末に飲んだHさんがおもしろいというもので、買っちゃいました。

そして元旦に読みました。

涙の1000円出費でしたが、おもしろかった。やっぱり津村記久子はカネを出したぶん以上の価値がある。

「1 大阪から来ました」を津村記久子、つぎ「2 どこで書くか、大阪弁を使うか問題」は江弘毅×津村記久子の対談、「3 大阪語に「正しさ」なんてない」を江弘毅、最後の「4 世の中の場所は全部ローカルだ」が江弘毅×津村記久子の対談、というぐあい。

ナルホド、そうきたか、と思うところあり。津村記久子のココがいいんだよねえ、と同意するところあり。いやいや、それはちょっと、という突っ込みどころもあり。とにかくおもしろい。

ところで、これまで津村記久子の何冊かを読んでも気が付かなかったのだが(エッセイはあまり読んでなかったからか)、「1 大阪から来ました」を読んでいて、あれっ、この目線、この言い回しなど、なんだかナンシー関に似ているなあと感じたのだ。

ナンシー関の文庫本は少しずつ揃え、おれのお気に入り枕元本になっている。その一冊を取り出して読んでみると、やはり似ている感じだ。

ナンシー関に脱線しながら江弘毅×津村記久子の対談「4 世の中の場所は全部ローカルだ」を読み進めたら、終わりのほうで、江さんが「津村さんね、また少年みたいな質問をしますよ。作家さんでうまいな、ええなーって思うのって誰かいますか」と聞いている。

そこで津村記久子が答えているのだけど、あれこれ言ったあと、「あと、一番えらい、というかほんま別格にあるのはナンシー関ですね」と言っているのだ。

ほほう、やっぱりねえ。ええじゃないか、ええじゃないか。

ってことで、ナンシー関の『何をいまさら』(角川文庫)も読んじゃって、そこにまたナンシー関が「慧眼」としか言いようのないことを書いている。コーフンした。

とにかく、ことしは元旦から、津村記久子とナンシー関で、グーンとパワーがついた感じなのだ。

もう「です、ます」なんか、どーでもいい。

「丁寧」といえば、
2018/12/29「「生活」の始まり。」に、「美しい暮し」や「丁寧な暮らし」にふれ、「近ごろは「丁寧」が印籠語のように使われるが」と書いた。

いつごろから「丁寧」がハヤリになったのか考えてみたら、おれの感じでは「暮らしの手帖」の編集長をしていたことがある松浦弥太郎が震源のような気がして調べてみた。

2008年に『今日もていねいに』をPHP研究所から出していて、2012年にはPHP文庫になっているのだ。

これでブームが決まり、ってことじゃないだろうが、一つの震源と見てよいのではないか。このあたりから、さらに東日本大震災をへて「丁寧」が流行していったと見てよさそうだ。

だいたい流行なんてのはウサンクサイものだが、「です、ます」のように「丁寧」な化粧をしたような言い回しは、とてもウサンクサイのですね。「です、ます」でハヤリにのろうとしている連中には、とくに気を付けましょう。

「生活」や「暮らし」の本質は「丁寧」にあるわけじゃない。津村記久子もナンシー関も、そのへんは、シッカリおさえている。だいたいさ、丁寧の基準て、なんなのさ。

丁寧だからいいってもんじゃないだろ。

おっと、こんなことを書いていると仕事がなくなるか。丁寧にいきましょう。丁寧に、です、ね。

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