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2019/02/24

「荒野」の先。

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いまさらながら月日がたつのは早い。1月27日の投稿を最後に、このブログをサボっていたら、一か月がすぎようとしている。もう今週で2月も終わる。ちょっと、それはないだろうといいたい気分だ。

いろいろあって、いざ書くとなると、ドバーッとあふれだす言葉の海におぼれそうだ。このひと月、本の企画のことで、あれこれ調べ考え悩んでいたら、いろいろ発見があって、どんどん脇道へ。ま、脇道だと思っていたら本筋だったということもあるのだが。

なにしろ、資料をひっくり返していると、思わぬものが出てくる。何十年かぶりでサルトルを読んでしまった。捨てたと思っていたサルトル全集29巻『言葉』があったのだ。そこで、それなら『嘔吐』もあるはずだ、ついでに読んじゃえと思って探すが見つからない。見つからないとさらに見つけたくなる。そんなことで時間をつぶしたのち、うっすら、捨てたような気もする。

『言葉』の内容なんかすっかり忘れていたが、読みだすと少しは思い出すもんだな。しかも、これ「Ⅰ 読むこと」「Ⅱ 書くこと」が収録されていて、79年8月重版のもので、おれが将来落ちぶれてライターの端くれのような仕事をするなんて、考えてもみなかったころ読んだものだ。いまライターの端くれをしたり、誇りある仕事をしていると思っているらしい「文筆業」や「出版業」の人たちと少しばかり付き合うようになって、あらためて読んでみると、サルトルのヘン加減を楽しみながら、なかなかオベンキョウになった。

いつだったか、この2月の最初のころだったかな、毎月頂いている『TASC MONTHLY』2月号が届いた。これに、「書物が書物になる」のタイトルだが、あとのほうの「書物」の「書」に「×」印がのっかっている、つまり「書物が物になる」あるいは「書物が×物になる」という寄稿があって、書いているのは大澤聡だ。

これが、めっぽうおもしろい。おれがときどき考えては、このブログに書いていた「荒野」に関わることだし、「書物が物になる」事態は、いま絶好調で、日々目の前に見えている。しかも、当の著者や出版の関係者は、売れる書物が荒野を生んでいるとは、考えてもいないことが多いようだ。もちろん、「ユーザー」になりながら、そのことを自覚せずに「読者」だと思っている「ユーザー」も、だ。

サルトルの『言葉』を読んでから、またこれを読んだら、おもしろさが増して何度も読んでしまった。オソロシイ事態だ。

きょうは、「書物が×物になる」について、ここに書く時間がなくなった。めしの仕度をしなくてはならない。

とにかく、このテキストの最後を、大澤聡は、こう結んでいる。

「そして、すっかり物と化した書物の死骸が散乱するふきっさらしの荒野がひろがる。さて。そのとき、友人を待つ「1時間」が文庫本に配分される世界は回復するのだろうか?」

おれが「荒野」という言葉を使って「荒野」を言い出したのは、いつごろかなと検索してみたら、2005/07/24「最終荒野へ向かう東京の光明?」のあたりからのようだ。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2005/07/post_4811.html

おれは「書物」についてはふれてないが、別の日に「グルメ本」がらみで、同じようなことを書いている。飲食の分野の「書物」は、荒野化の先端をいっているのだ。

とにかく、広がる荒野は、「書物」もほってはおかない。では、どうすればよいのだろうか。

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