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2019/03/31

4月13日(土)、トークの告知。

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きょねん9月発売のスペクテイター「新しい食堂」が縁で実現したトーク。これはもう、めったにない強力な顔ぶれだ。

登壇者は、「ウナカメ」というより「元カルマ」といったほうが通じるような丸山伊太朗さん、それに按田餃子の按田優子さん、そしてヒグラシ文庫の中原蒼二さん。

司会は、不肖エンテツがやらせてもらいます。うれしいけど、この顔ぶれには、チョイと緊張しますな。

とくに、これからの新しい飲食店を志す若い人たちのためのトークになるはずです。

場所も、新しい食堂である、鎌倉の「まちの社員食堂」。

ヒグラシ文庫は、8年前の大震災がきっかけで中原さんが発起され、4月に開業した。このトークは、8周年記念の企画として行われる。中原さんの尽力のおかげです。

「新しい食堂」に寄稿したおれの「結局、食堂って何?」では、中原さんの著書『わが日常茶飯 立ち飲み屋「ヒグラシ文庫」店主の馳走帳」を参照しながら、このように紹介している。

「ヒグラシ文庫は中原の大震災の日の体験が開業の動機になっている。「2011年3月11日の東日本大震災という天災と、その後の人災は、多くの人に本当の意味で大きな影響を与えた、と思う」と書く中原は、「家と仕事先だけではなく、もう一つの場所が必要だ。それを自分で作ろう」と開業を思い立った。ヒグラシ文庫のキャッチフレーズは、「店は狭い、でも遠くへつながっている」。うまいねえ、いいねえ。」

このトークも8年目の「新しい復興」ですね。

詳細は、ヒグラシ文庫のフェイスブック、こちら。
https://www.facebook.com/events/366947217235181/

入場は、当日先着順となります。
・ネット・電話で予約や申し込みはできません。
・開場13:30 開始14:00 ※12時半から整理券を配ります。
・30名以降は可能なかぎり、立ち見でご対応いたします。
・建物の構造上、立ち見では登壇者が見えない場所もございますが入場料は1000円均一です。ご了承ください。

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2019/03/29

今年初の大宮いづみや本店。

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昨日、大宮で時間が半端になったのでいづみや本店に寄った。今年始めてだ。18時半すぎから19時15分ぐらいまでいた。

19時頃までは半分ほどの入りだったが、19時をすぎるとドンドン客が入ってきた。

おばさんたちは、シフトの関係なのか、初めての顔のほうが多かったからそれだけじゃないだろう、ほどよく若返った感じだ。「ほどよく」というのは、いづみやの場合、あまり若すぎてもよくない。ほどほどの「老い」が必要だ。

だけど、前の人たちは、しだいに仕事がキツイ感じになっていた。客が混んでくると「必死」な「一所懸命」という感じが漂った。おれも75歳だから身体がきつくなると余裕がなくなるのはわかる。

昨日のおばさんたちは、「老い」を持ちながらも、余裕で客をさばいていた。

それはそうと、客層もだいぶ変わった。若返ったし女性も増えたが、悪くはない。いづみやでのくつろぎを楽しんでいそうな人たちばかりだった。

そのせいかどうかわからないが、ホッピーを飲んでいる人がほとんどいなかった。その場の感じでは、レモンサワーに押されていたようだ。それにいづみやの場合は、赤星が安くて人気ということがあるかもしれない。

しかしスーパーのホッピー売り場も、一時ほどは棚を占めていない。ブームは去ったということかな。

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2019/03/26

食堂のおばさんの「石けり」遊び。

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ある食堂で糠床の話になった。食堂のおれと同じ齢のおばさん、客が四人。糠床をだめにしないで長持ちさせるのはけっこう難しい。この食堂の糠床は四十年ほどは過ぎている。

女の客の一人が「かんます」と言った。「かんまわす」だったかもしれない。「糠床を、かんま(わ)す」という感じだ。

すると食堂のおばさんが、「おや、あなた、どこのひと、わたしは「かんます」で育ったんだよ」と言った。女の客は、北区の隅田川沿いで育った。食堂のおばさんは墨田区の京島の育ちで、そこからチョイと南へ下ったところにある食堂へ嫁いだのだった。

いわゆる「下町」のことだ。そのあたりじゃ「かきまわす」という「東京言葉」は使わないで「かんま(わ)す」だというのだ。

という話をしていたら、おばさんは京島の子供時代を思い出して、「石けり」の話を始めた。

おばさんは食堂の客席を担当している。厨房と客席のあいだに、食事の上げ下げをするカウンターがあって、その端に小さな三段の引き出しがついた小箱があり、そばに鉛筆と小さなメモ帳と古い文鎮や昔の重い栓抜きがある。

そこがおばさんのホームポジションで、客が来ると、鉛筆とメモ帳を持って注文を書き取り厨房の主人に通す。注文を通したメモは、文鎮の下に置かれる。食べ終わった客は、おばさんに勘定をする。勘定が終わったメモは、ホームポジションの足元にある糠床の上のアルミのお盆に載せられる。

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アルミのお盆は見るからに古く、おばさんが四十年ほど前に嫁に来た時には、すでに使い込まれていた。おばさんはアルミ盆と糠床を引き継いだ。

おばさんは、手のひらにのる小さなメモ帳に子供の頃の「石けり」遊びの図を書きながら、話がとまらない。

おれも子供の頃は、生まれ故郷の田舎町で石けり遊びをした。いくつかやり方があって、ほんとんど忘れていたが、おばさんの図を見ながら少しずつ思い出していた。

だけど、おばさんの図は、どんどんいろいろな線が書き込まれ複雑になっていく。一番上に横線が引かれ「上り」とある以外は、おれの知らない世界になった。都会の子供は、ずいぶん複雑なルールの石けりをやっていたのだなと思った。

「ゴムとびもやったね」「やった、やった」

「男の子も女の子も、大きい子も小さい子も、一緒に遊んだよ。たいがいの家は子供が何人かいて、いつも一緒だったからね、男の子も女の子も一緒に遊んだよ」とおばさんは言った。

ところで、「かんま(わ)す」について、おれの田舎でもそんな風に言っていた記憶があるので、ネット検索してみたら、仙台、福島、長野、栃木、群馬、埼玉などの方言に登場し、新潟でも使われていた。東京の東北地域と、その延長線上の地域が関係しているのかもしれない。味覚も関係あるかな。

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2019/03/23

スペクテイター43号「わび・さび」を見たあとは、地球の景色が違って見える。

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先日、スペクテイター編集部の赤田祐一さんから、最新2月発行の43号「わび・さび」をいただいた。

ちょうど、ある写真家と、いま最も刺激的で面白いのはスペクテイターだと盛り上がったあとだった。

いやあ、今回もまた、刺激的で面白い。というぐらいでは足りない。

巻頭の「Dear Readers」で、編集部の青野利光さんが「わび・さび――このたった四文字のことばの奥に広がる宇宙を巡る旅へと皆さんをお連れしたいと思います」「旅から戻る頃には月面旅行を終えた宇宙飛行士のように、これまで見てきた地球の景色がまるで違ってみえる。そんな不思議な気分が味わえるに違いありません」と書いているのだが、ほんとうに、その通りだった。

「わび・さび」については、とくに懐石料理以後の日本料理と大いに関係があるので、それなりに、その文献の類に目を通してきたつもりだが、またそれだけに、本書を読んだら興奮の連続で、読んでまた読んで、ウームと考え、気になる景色を見に行ってきたりして、また読んで、というぐあいで、なんともはやすごい読書体験をした。いや、まだ読書体験中なのだが。

何度も、その手があったか! と思った。

最初の、赤田祐一さんによる評論「〝わび・さび〟はどこからやってくるか?」にしてそうだが、「〝わび・さび〟といって自分が連想させられるのは、水木しげるの描く漫画である」と始まるのだ。そして、水木しげると水木作品を手掛かりに、〝わび・さび〟に接近してゆく。

「〝わび・さび〟は、「見つける」ものというより「見つかってしまう」ものであり、知識や理屈ではなく、むしろそこからはずれてしまうということのようだ」(「はずれてしまう」に傍点)

「天才もアホも、美人もブスも、金持ちも貧乏人も、人間であるかぎり不完全さから逃れることはできない。そのダメな部分を削って捨てようとするのではなく、ダメをどう快感に転じていくか、〝わび・さび〟とは自然の中でそのような回路を見つけ出す作業だと思う」

この「〝わび・さび〟はどこからやってくるか?」は見開きページなのだが、下の欄外に「わび・さびの直観的理解」として二つの図表がついている。

一つは「交点」であり、「わび」と「さび」の二つの輪があり、それが交わる中間が〝わび・さび〟であると。

もう一つは、BETH KEMPTON『WABI SABI』(2018・piatkus)からの「座標」だ。「複雑」と「簡素」のあいだに、「派手」「いき」「渋い」「わび・さび」「地味」がある。

これだけでも、〝わび・さび〟に関する、さまざまなインスピレーションがわき、日本料理や懐石料理、それに、おれが「生活料理」や「大衆めし」といっていることがらについて検討すべきことや、検討しなおさなくてはならないことが浮かんでくるのだった。

編集部は、さまざまな角度から、とくに「現在進行中の事象である」ものとして、〝わび・さび〟を探っていく。編集部の知る写真家、スタイリスト、イラストレーターに依頼し「わたしが感じた〝わび・さび〟」を撮り下ろしてもらった作品を、ページのあちこちに散りばめながら。あるいは、「いろいろな人が語る〝わび・さび〟」や「〝わび・さび〟を感じる瞬間」などを書物に探ったり。

〝わび・さび〟の歴史を漫画でまとめたり、「〝わび・さび〟を知る上で欠かせないキー・パーソンを十名に絞り込み」その略歴と東陽片岡さんによる肖像画。ここに東陽片岡さんのイラストが登場するのも、おれにとっては「その手があったか!」の一つだった。

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〝わび・さび〟といったら千利休ってわけで、漫画で「利休伝説」。

とにかく、サブカル的手法も縦横無尽に駆使して、楽しい、面白い。〝わび・さび〟は感覚のことだから、「とは何か」の理屈で正解を求めようとするより、漫画や写真なども使って、ああだこうだ、ああでもないこうでもないと探りながら、〝わび・さび〟の感覚に慣れていくのもよいのだな。

なんといっても焦眉は、二つのインタビューだ。

一つは、「サンフランシスコ郊外に‶わび・さび〟をさがして」ってことで、カリフォルニア在住の『わびさびを読み解く』の著者レナード・コレンの話を聞きに。

一つは、原研哉登場で「「人工」と「自然」の波打ち際にあるもの」。おれは、「シンプリシティ」と「エンプティネス」をめぐる話が、最も面白かったし参考になった。

「現代の〝わび・さび〟は、どこにある?」と中矢昌行は、「聖林公司の〝わび・さび〟」を撮っている。

続いて、まいど充実している「ブックガイド」は、桜井通開による10冊。ここに谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』があって、おどろいたが、読んで、なるほどなあ。

そして、最後は、つげ忠男の「懺悔の宿」。

以上が特集〝わび・さび〟で、これからまだしばらくは、この余韻というよりナマの刺激が続きそうだ。

こちらに案内があります。

http://www.spectatorweb.com/

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特集とは別に、「追悼 細川廣次」というページが付いている。 赤田祐一さんが「カウンターカルチャーの先行者 細川廣次氏をいたむ」という文を寄せ、細川廣次による「ビートニクたちが求めた悟り」と「八切止夫の裏返し日本史「原日本人」の許されざるルーツ探求」と「細川廣次インタビュー」が再録されている。この追悼が載るのもすごいが、これもたいした読み応えだ。

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2019/03/20

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」77回目、佐竹・武井。

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先月の第3金曜日、15日に掲載の分だ。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019021502000192.html

Dscn9971 武井のある場所は、住所表示では台東区の「台東」だが、最近は御徒町地域に含まれることが多いようだ。かつては、というのは80年代ぐらいまでか、このあたりは「佐竹」で通じた。70年代が絶好調だったのではないかと記憶するが、賑わっていた「佐竹商店街」が、このあたりの地名を代表していたのだろう。都電が廃止されるまでは、清洲橋通りに「竹町」という停留所があって、土地のひとは、その「竹町」を、このあたりの呼び名にしていたらしい。伊東四朗が竹町の出身といういわれかたをする「竹町」はこのあたりのことだ。

 おれの記憶では、そういうこと。

とにかく、都電が廃止されても、まだ賑やかだった70年代、JR御徒町駅から徒歩10分ぐらいの佐竹商店街を通りぬけ清洲橋通りを渡り、「おかず横丁」とよばれるようになった鳥越の商店街をぶらぶらし浅草橋駅へ出るというのが、おれの仕事をかねた散歩コースだった。

90年代の後半、つまり『大衆食堂の研究』を出したあと、佐竹商店街へ行ったのだが、あまりのさびれように驚いた。繁栄の象徴だった、東京では珍しいアーケードが、かえって仇になった感じで、暗い大きな廃屋になりかかっている印象だった。

2000年に、佐竹商店街の北側の入り口そばに都営地下鉄大江戸線新御徒町駅が開業し、2005年にはつくばエクスプレスが開業し乗り換え駅になった。そのおかげだろう、人通りが多くなり、まだかつてほどではないが、アーケードに人通りと明るさと活気がもどった。

いわゆる「下町商店街」の昔が偲ばれる商店と、ベーカリーなど新しくできた商店が混在しているのも面白い。

武井は、佐竹商店街ではあるけど、アーケードを南側へぬけたばかりのところにある。じつは、『大衆食堂の研究』を書いたころ、ここにあるのを気づいていなかった。ちょっとした視線の関係だと思うが、アーケードを南側へぬけると、すぐ左側が清洲橋通りでそちらへ向かったからだろう。武井は、アーケードを抜けた位置から、すぐ右前にあるのだ。モノゴトは、少しの視線のズレで、見えたり見えなかったりする。

食堂でドライカレーを食べたのは、ずいぶん久しぶりだ。おれがこれを初めてつくったのは中学3年か高校生のころだが、いまでも一年に何回かは家でつくる。割と好きなんだが、食堂に入ると、おかずとめしになることが多い。それに、ドライカレーがメニューにあるかないか、よく確かめたことがない。

武井のメニューは、シンプルでわかりやすい。壁面の二枚の板に書かれてあり、一目で、全メニューがわかる。そこにドライカレーがあった、すぐ、懐かしさもあってこれにした。

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おれが食べだすと、あとから体格のよい若い男が入ってきて、ドライカレーとハムエッグを注文した。その声をきいて、そういえば、ドライカレーに目玉焼きをのせて混ぜながら食べるとうまいんだよな~と思い出した。

ドライカレーは、焼きめしのカレー味のようなものだから、めし粒についたカレー粉の粒粒が、熱に解け切らずに残留し、それが舌にあたったときのピリッとした味わいがよい。これと目玉焼きの味がミックスされるとうまさが広がる。

こんど食堂ではドライカレーがあるかどうかメニューをよく見ることにしよう。あったら注文し、一緒に目玉焼きかハムエッグを注文しよう。

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2019/03/15

「おかず」の世界観…地味でも、ひとりでも、幸せになれます!

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料理にも世界観がある。

いわゆる「日本料理」に世界観があるように「おかず」にも世界観がある。

ただ「おかず」の世界観は無名の無数の人たちによって成り立っているから、「どんな」といわれても、なかなかとらえどこがないと思っていた。

ま、じつは、あまり真剣に考えたわけじゃないのだが。

ところが、最近「おかず」について考えているうちにひらめいた。

というのも、ある高名な雑誌の編集者から、生活のなかにある料理というところをもっと現実的に見つめたいと思うが、「欲望を満たすゴチソウ料理のほうが、どうしても華があり」、編集はそちらに傾いてしまうという話を聞いたからだ。

それは、いまどきの世間の余裕ある「読者階級」の関心や思想の反映でもあるだろうけど、おれは、そういえば日々の暮らしのおかずには楽しみはあっても「華」がないかもなあ、たとえ「華」があっても料理そのものというより「食事」の興奮だろう、大衆食堂のおかずは地味だしねえと思ったのだった。

その瞬間、頭のなかに「津村記久子」がひらめいた。地味といえば津村記久子、ってわけじゃないが。

津村記久子の作品のなにかに、「おかず」の世界観に近いものがあったような気がして、本を引っ張り出してみたら、簡単に見つかった。

津村記久子の『二度寝とは、遠くにありて想うもの』(講談社)の帯にあったのだ。

「地味でも、ひとりでも、幸せになれます!」と。

これは編集者がつくったコピーかもしれないが、そのまま「おかず」の世界観ではないか。

だいたい、これまで津村記久子の作品を読んだところでは、その世界観は「おかず」に近いし。

しかし、「地味でも、ひとりでも、幸せになれます!」を、そのまま「おかず」の世界観をあらわすキャッチフレーズに使うわけにはいかない、困ったなあ、と思っているのが、今日なのだ。

思案しながら、当ブログで、『二度寝とは、遠くにありて想うもの』にふれたエントリーを検索してみたら、過去4回あった。「津村記久子」への言及は、もっと多い。津村記久子に惚れているからね。

「おかず」の世界観に最も関係ありそうなことは、このエントリーでふれていた。

2015/10/05
「数値化したらプラスになる物事だけを良しとする傾向。」

これは、2019/03/01「「下手味」と「下手糞」。」にも関係あるね。


ほか「二度寝」関連。

2015/06/21
「生活の底」と「労働の底」。

2015/06/22
津村記久子が気になっている。

2015/08/02
「川の東京学」メモ 大衆食堂から見たなくなったもの。

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2019/03/14

おかずをパンにはさんで食べる。

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おかずをパンにはさんで食べるということは普通にやられている。ただ「洋風」のおかずが多いようだ。「サンドイッチ」という呼び名が「洋風」だからだろうか。

やきそばは、コッペにはさんで「やきそばサンド」になるが、あれは「何風」なのだ。

林真理子の『食べるたびに、哀しくって…』には、たしか、ひそかにあこがれていたか尊敬していた美人の女性が、納豆を食パンにはさんで食べるのを見て失望した、というような話があった。

「和風」の納豆をパンにはんさで食べるのは、おれは昔、そうだねえ高校のころからやっているが、うまい。バターをぬったトーストにはさんだり、マヨネーズをちょっとたらすのもいいね。いろいろなものを一緒にあわせられる。

なんでもパンにはさんで食べられる。切干大根の煮物だって、糠漬けだって。

ただ、ごはんを食べるために作られたおかずは、パンにはさむには味付けが濃すぎることが多いから、ほかに野菜などを合わせて塩味加減を調節する工夫が必要だ。

糠漬けと生野菜にオリーブオイルをたらしたりするのもいいね。

とにかく、「和風」「洋風」なんか関係ない。たいがいのおかずは、ごはんでもパンでも一緒に食べられる。そこがまたおかずのよさだ。さば味噌煮サンドなんか、缶詰でもいいが、いい酒のつまみにもなる。タレまでパンにつけて食べる。

もっと自由にやって、普通からの逸脱を楽しむのもいい。そこからまた何か開ける。

てなことを話していた。

おかずの世界は、作るのも食べるのも、自由で広い。それを生かし切っているだろうか。へんな観念にとらわれていないか。

サンドイッチ食べながら味噌汁飲むのもいいさ。

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2019/03/10

おかず、普通と普通からの逸脱が普通である状態。

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ここのところ「おかず」と「普通」について考えざるを得ないことになって、あれこれ考えている。「考えざるを得ない」状況が生まれるってのは、つまりは仕事だからなのだが、いいことだ。

「おかず」と「普通」は深い関係にあるのだけど、それをめぐる環境は2008年のリーマンショックあたりから変化し、「おかず」や「普通」はそれまで以上に話題になるようになったが、その概念も内容も変わってきた。同時に、その変化を認識しないでトンチンカンをいう言説も増えた。

とにかく、「おかず」といえば、無数の無名の人びとによって続いている生活料理であり、大衆食堂でおなじみのものだ。それが近年どう変貌しながら続いてきたかを眺めると、「これから」についてもあるていど展望できそうだ。

では、「普通」は、どうなるのだろう。これがなかなかメンドウなことになっている。

普通と普通からの逸脱が普通であるという認識が普通ではないからだ。ってわけで、普通と普通からの逸脱が普通であるという状態を、どう展望できるかなのだが、これがね。認識の問題もあるが、普通からの逸脱そのものが難しくなっている。

というモンダイを考えていたら、いいタイミングで「リスク論再考」を目にした。TASCマンスリー3月号に、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授の美馬達哉が寄稿しているものだ。

とくに東電原発事故以来、なにかと「リスク」という言葉が使われるようになったが、リスクに対する考え方や議論は、どれだけ深まったのだろうか。食についてのリスク論も「健康」や「不安」とセットでにぎやかだし、「福島」と「風評」をネタにした人たちの論争ともいえないような言葉の投げ合いも相変わらずだ。

「リスク論再考」は、これまでの「リスク論」と「リスク社会論」について、簡潔に整理し、おれにとってはすごく納得のいく方向を示している。

「リスクが、日常生活、人間の心理学、社会構想のあり方までに共通する問題設定であることわかっていただけましたか」と書いたあと、最後を、こう結んでいるのだ。

「リスクについて語り、リスクを問題化する傾向が強まっていることは間違いありません。ただ、このリスク社会の現状はどこかへ向かおうとするポジティブな意思のあらわれではなさそうに思えます。むしろ、未来への不安に対する防衛反応の一種ではないかと思えてならないのです。リスクというのは未来に起きる出来事のうちで良くないことだけを意味しているからです。
 こうした傾向が出てきた背景に、われわれのもつ未来イメージの変化――ユートピアの終焉のような――があるとすれば、今求められているのは、よりよい未来への構想力だと思います。リスクに関するガバナンスをどうするかということよりも、未来への不安にどう対処するか、おそらくそのためにはリスクに囚われない発想への転換こそが必要でしょう。」

今日は東京下町大空襲から74年、明日は8年目の3月11日なのだが。

よりよい未来の構想より、「リスクに関するガバナンスをどうするか」だけの話ばかりが目立つのは、どういうわけだ。けっきょくリスクを弄んでいるにすぎないのではないか。弄んで自分のストレスを解消しているだけなんじゃないか。なーんて思っちゃうんだよなあ。

普通の幸せのために、おかずから、普通と普通からの逸脱が普通である未来を構想する、なんてのもアリなのだ。人びとの平和な日常と共にあるおかずが、どんなにありがたいことか。

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2019/03/01

「下手味」と「下手糞」。

きょうもあまり時間がなくなった。もう23時をすぎている。

「下手」という言葉がある。「下手味」とか「下手糞」というやつだ。「下手糞」は、「ゲテクソ」じゃなくて「ヘタクソ」と読まれる。

いまでは、だいたい見下されたり軽蔑されたりする対象だ。

というぐあいの傾向が強まったのは、1980年代以後のことじゃないかなと思う。

1990年代になっても、「下手味」や「下手糞」などの「下手」を上手にさばく評論や批評がなかったわけじゃないが、しだいにそのひとが亡くなったこともあって姿を消してしまった。

いまどきの世間は、インターネットのおかげもあって「批評」や「評論」らしいものがあふれているが(それ自体はよいと思うけど)、この「下手」を上手にさばくひとを、ほとんど目にしなくなった。

ま、おれもひとのことをいえるほどじゃないが、たいがい、「上手」を素材に、「批評」や「評論」らしいことをして、うまくやっている気になっている。「下手」は、無視するか見下す対象でしかない。イチオウ名のあるメディアにおいてもだ。

「下手」を上手にさばいてこそ上手だと思うが。

かつては、「下手」をうまくさばく批評や評論があった。そういうことを書けるひとがいた。

ところで、「下手」「上手」って、なに? 規準はあるの?

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