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2019/05/15

ドリス・デイと京マチ子が亡くなったのニュース。

彼女たちが、まだ生きていたのに驚いた。ドリス・デイも京マチ子も、おれが中学生の頃には、すでにセックスの相手にならない、はるか年長の50すぎの女と思っていた。

京マチ子というと思い出すのは、ガキの頃両親に連れられて見た「羅生門」で、あれでおれは女の色気に目覚めたのだ。あとになって「女の色気」といっても、「熟れた女」のそれだったと気づいた。ドリス・デイは最初から、白人女のせいか、当時はたぶん「年増」という言葉は知らなかったと思うが、そういう印象だった。

ということだから、おれよりはるか年上であり、いつしか彼女たちは、とっくの昔の人になり、フェイドアウトしていった。

「羅生門」の京マチ子で女の色気に目覚めたおれにしては、その後、小学校高学年から中学生あるいは高校生の頃は、おれのセックスの対象になりそうなのは、香川京子とイングリット・バーグマンとデボラ・カーだなと思っていた。そう、そのおかげで、京マチ子とドリス・デイはかすんだのかもしれない。

と、75歳になったいま、ドリス・デイと京マチ子が亡くなったニュースで思い出したのだった。

ドリス・デイを始めて知ったのは「二人でお茶を」だ。ドーナツ盤のレコードも買った。それから「知りすぎていた男」は何度か見たな。その主題歌?だった「ケ・セラ・セラ」も、ドーナツ盤のレコードを買って何度もかけていたら、いつしかおふくろが家事をしながら口ずさんでいたっけ。

「羅生門」の京マチ子は、とにかく生唾ゴックンだった。三船敏郎より京マチ子だった。

ごめんね、なのに、香川京子とイングリット・バーグマンとデボラ・カーに気が移ってしまって。そもそもあなたたちを「セックスの相手」として見ていたことが間違いだったのです。

こんなおれのことは気にしないで、安らかにお眠りください。

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