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2019/09/23

「生きること」と「食べること」。

「近年ますます「食べる」と「生きる」が関連づけられて語られるようになった」と、きのう書いたけど、それはここ10年ばかりの大きな変化だと思う。とはいえ、まだごく一部の傾向にすぎない。

「食べる」と「生きる」を一つの言葉にすると「食生活」ということになると思うのだが、どうも「食生活」というと言い方そのものが、なんだか財布の中の一円玉を数えるように地味なイメージなのだ。

そもそも「生活」について、「考える人」たちのあいだでも、あまり深く考えられてこなかった。ということについては、考えることが商売の学者のあいだでも言われてきたことだ。日本の学術業界の中心は、生活のような形而下のことは学問の対象として考えてこなかった、なんだか高尚そうな形而上のことばかりを追いかけていたということらしい。

『現代思想』7月号「考現学とはなにか」特集に寄稿した「おれの「食の考現学」」では、1972年に発足した「生活学会」について、江原恵がらみで書いた。「生活料理学」を提唱した江原恵は「食生活学」も提唱していたのだ。

生活学会は、考現学の今和次郎が提唱し初代会長となり発足したが、川添登など中心的な役割を果たしていた人たちを失ったあと低迷し、それから少し盛り返したようだが、どのみちかなりマイナーな存在だ。

しかし、江原恵が「生活料理」を提唱した1975年前後からすると、学会はともかく、近年は料理が生活的に語られるようになったといえる。インターネットとSNSの普及、長く続く生活困難の現実や「生きにくさ」など、いくつかの要因が考えられる。

「料理」という言葉は、「食」や「食べる」より、かなり概念が絞られるが、「食」も「食べる」も、「そのフィールドはとてもつもなく広く、見えにくい」と「おれの「食の考現学」」に書いた。「「食」に関するコンテンツは花盛りだが、「生活」や「文化」と「消費」のあいだの混乱も多い」

「食べる」についていえば、あいかわらず、消費的な情報や知識が氾濫している。メディアに絡んでいる商売人も素人も、そちらに流されがちだ。

「もしかしたら他の読者はもっと押しつけがましくてもわかりやすくて、ほらここで笑ってくださいね、ってものが好きなのかなあ。そういえば私も新人の頃「クサいの描けばうけるよ」って言われて、わざと話をクサくしたこと、あった。で、ちゃんと、アンケートそこだけ上がった。ああ、そうか、それが現実かあ」

これは、業田良家『自虐の詩』上(竹書房文庫ギャグザベスト、2004年初版16刷)の巻末「解説インタビュー」で内田春菊が語っていることだ。

こんなにも感動的な名作な『自虐の詩』が、「もっとドカッと売れるって信じて」いたのにそうでなかった。なぜだ、「読み方はその本人に主導権があるべきだと思うのよ」と言ってから気がついた。

食べるについても、同じようなことが続いている。

食べること生きることは、本人に主導権があるべきだと思うのだが。

氾濫する押しつけがましくわかりやすく消費されやすい価値観については、ケッとか言ってすましておけばよいのに。

現実は複雑であり、自分もその複雑な一つを構成しているにもかかわらず、単純化された正と反、二択の話をふっかけられると、それにノリよくのっかってしまうことが多いのですね。

それはもう、なんでオレオレ詐欺にひっかかったりするんだバカヤローと思っても、実際に被害にあった人の話を聞くと、とても巧みな話し方で、うーむ、これならひっかかるのも無理ないかと思わざるを得ないような状況とも似ている。

ま、食べることについて書いている人たちの一般受けしているキャッチーな「手口」を研究してみるのも悪くないかもしれない。たのしく有意義な読書のためにも。

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