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2019/12/02

5年ぶりの北九州。

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あわただしい年末スケジュールのなか、元旦の新聞記事のため、北九州(福岡市ではなく北九州市)へ行ってきた。2007年7月と8月、2008年9月、そして2014年10月のあと5年ぶり。

28日の朝、羽田を発ち北九州空港で27歳の男に拉致され19時過ぎに解放、一人になってまずは旦過市場の「赤壁」で角打ち、のち6月に亡くなったヒグラシ文庫の中原蒼二さんを偲びながら角打ちをしようと小倉駅北側の「井出商店」へ行ったが、井出商店があるはずと思っていた場所はコインパーキングに、というのは、おれが場所を間違えていたからと帰宅して調べてわかったことなのだが、なにしろスマホを持っていないからね、そのときは駐車場になってしまったのか残念だなあと暗い駐車場で佇み、南側に引き返し「無料案内所」の看板が多い一角、5年前は80歳だった女将がにぎる寿司屋へ行ったところが、10人ほどのカウンターだけの店内は満席、それならば「武蔵」で一杯やってから再度行けばよかろうと魚町銀天街へ、「武蔵」のカウンターで21時半ごろまで、いい加減に酔って寿司屋に戻ると女将が電気ストーブのそばでビール瓶とビールが入ったグラスを前に居眠りしている、おれのことをすぐには思い出せない模様、5年前に初めて行ったときは何人か一緒だった、彼女は「明日また一人でおいで」というから義理がたいおれは翌日一人で行ったが、80歳の女と71歳のおれとのあいだにはナニゴトもなかった、ちょっと寝ぼけていた女将は「換気扇がきれいだとほめた人だね、換気扇がきれいだとほめられたのは初めてだから覚えているよ」と目覚める、それからは話が止まらない、もうくたびれて何かつくるのは面倒だけど酒ならあるよってことでビールをさしつさされつってことになりまして、85歳の女と76歳の男の話ははずむ、24時近くなって彼女もときどき目をこするしおれも何しろ久しぶりに朝から動きっぱなしだったから眠くなり帰ろうとするが帰してくれない、ま、話も面白かったのであるが、けっきょく24時半ごろまで、帰り「丸和前ラーメン」の前を通ったのでラーメン食おうと思ったが、若い連中がドンチャカ満席、ホテルにもどってベッドに転がりこみ気が付いたら朝。

10時すぎにホテルをチェックアウト、5年前に午前3時ごろまで飲んだ「白頭山」がある一角へ、ここに残っている貴重な文化財「名画座」薔薇ピンク館は無事にあったし並びのストリップ劇場も無事だったが、立ち飲み屋などが並び小倉駅南口にぬける通路でもあった戦後的風情の大丸ビルは再開発され壁となり立ちはだかっていた、「白頭山」24時間営業だが11時から取材なので飲む時間がないガマン、5年前ここで飲んだときは確か3軒目だったかで深夜おれのほかは若い女ばかりだったと思う、その中にたまーに東京などで何度か飲む機会があった女が一人取材で来ていて一緒にいた、彼女は駅の北側のホテルおれは南側のホテルだからJRのガード下を北側へ抜ける午前3時ごろで人っ子一人いない通路を行く彼女と「バイバイ、また」と別れた、どうせまた飲む機会があるだろうと思っていたのだが次はなく彼女は急逝、ということを「白頭山」の前で思い出したりして、11時から取材、終わって飛行機の時間まで「平尾酒店」で角打ちをやりながらインタビュー攻めにあう、約1時間半もの角打ちは長すぎだが夕方まで客は来ないからという酒店の80歳のおばさんがイスを出してくれた。

羽田に着いたのが18時すぎ、品川に出て東京を南北に縦断し飛行機に乗っているのと同じぐらいの時間がかかって帰宅、一番疲れたのが羽田からだった、東京の過剰さの異常を身にしみて感じた。

北九州、人口流出にストップがかからないようだが、湯水のように金がかかる東京のようになりながら「発展」するのも考えもの、北九州なりの道はどこか、というあたりのことにも関係する今回の仕事だった。

行ったついでに2、3泊してウロウロしたかったが、余裕がなく帰って来た。短い滞在でも、産業と市場の支配が強い首都圏を離れ、「食べる」と街と人の生き方をいろいろ考えてみるいい機会になった。北九州は街も人も気取ってなくていい、一人の若い人が「北九の人は「雑」だけど、最近はそれがよいように思うようになった」というようなことを言った。一人ひとりが人間として活きている、味わい深い街の個性は、そこからたえず再生産されている。

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