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2020/02/26

言葉は踊る。「丁寧な暮らし」「家事思想」。

去る23日、たまたまツイッターをのぞいたら、「丁寧な暮らし」が話題になっていた。

名前は忘れたが、ある学者さん?が、新聞か雑誌かに書評を載せたそうで、その告知ツイートに「丁寧な暮らし」がブームになるのは2011年の東日本大震災以後ではないかというようなことをツイートしていて、それにからんで、その件ならワタクシが聞くに値する知識をもっていると自認している感じの人たちが、あーだ、こーだ、ツイートしていた。

こんなことがいまさら話題になるなんておかしなことだが、編集長が交替した1月24日発売の『暮しの手帖』2020年2-3月号の表紙に、「丁寧な暮らしではなくても」というフレーズが掲げられていたことで、ざわめいた人たちがいたのだ。

新編集長の北川史織は、こう述べている。

リニューアル号の表紙にそう掲げたのには、ひとつの思いがありました。
「丁寧な暮らし」というフレーズがすっかり定着したいま、それは「ゆとりがあるからできること」と捉えられてしまい、自分らしい暮らしを送ることさえも、どこか遠いことと感じる人も多いのではないでしょうか。
私たち『暮しの手帖』が伝えるのは、たとえゆとりがなかったとしても、日々をよりよく、深く満足して暮らしていくための「まっとうな知恵」です。
誰かから「いいね!」がつくような、「丁寧な暮らし」を目指さなくてもいい。
不安の多いこの時代だからこそ、確かな情報を頼りにし、工夫をこらして楽しみながら、自分が本当に納得する暮らしを築いていきたい。
そう考えるすべての人に向けて、『暮しの手帖』はこれからもずっと、編集者自らが手と足を使って確かめたことをお伝えしていきます。
広告をとらず、実証主義を貫く小誌のこれからに、ぜひご注目ください。

これにざわめいた人たちというのは、割と出版業界内向きな傾向が強いように見えた。つまり、自分の中に、あこがれかコンプレックスか、『暮しの手帖』や前の前の編集長で「ていねいな暮らし」を謳った松浦弥太郎のことが、肥大幻想として存在していて、北川新編集長の挨拶が一大ジケンのように写ったようであった。

だけど、騒ぐなら、松浦弥太郎が編集長を退いたときにすべきだったはずだろう。そうでないところがいかにも、業界内向きな肥大幻想に見えたし、それに、松浦弥太郎の「ていねいな暮らし」がどういう内容だったかについて、まったくふれてないのが奇異だった。

で、おれは、このように連続ツイートをしておいた。

エンテツこと遠藤哲夫
@entetsu_yabo
·
2月23日
「丁寧な暮らし」がなんちゃら、すぐハヤリの話題にのって小賢しいことを言う前に、これを思い出しておきましょうね。 →すべてのニュースは賞味期限切れである おぐらりゅうじ /速水健朗【 第63回】松浦弥太郎クックパッド移籍に見る「ていねいな暮らし」の限界【第63回】松浦弥太郎クックパッド移籍に見る「ていねいな暮らし」の限界 | すべてのニュースは賞味期限切れである | おぐらりゅうじ/速水健朗 | cakes(ケイクス)
正真正銘の「上質な暮らし」を追求し、編集長として『暮しの手帖』を引っ張ってきた松浦弥太郎さん。そんな松浦さんですが、なんと今年4月からクックパッドに移籍し、多くの人を驚かせました。一流、本物を追求し、「ていねいな暮らし」を貫いてきた松浦さんは何故移籍を選んだのでしょうか? その背景を勝手に解き明かします!
https://cakes.mu/posts/9302

エンテツこと遠藤哲夫
@entetsu_yabo
2月23日
ブームというのは得体の知れないところがあって、メディアの権威あたりの「言説業界」あたりでは話題としてブームであっても、生活の実態としてはちっともブームでなかったってことがあるわけで、「丁寧な暮らし」もそういう言葉の消費だったという面を見逃しちゃいけないと思う。

エンテツこと遠藤哲夫
@entetsu_yabo
2月23日
先ほどの松浦弥太郎さんの「ていねいな暮らし」のことだが、そこに見られる「一流」「本物」を追求する「上質な暮らし」という志向は、近年のアメリカの「家事思想」とくに「家事は芸術」を謳い日本にも大きな影響を持ってきたマーサ・スチュワートなどのことを視野に入れておく必要があると思う。

エンテツこと遠藤哲夫
@entetsu_yabo
2月23日
実際にスチュワートは1999年に「完璧な内容で丁寧に創られ」たものを広く供給すると、会社を作っている。スチュワートの「家事思想」に対して批判も少なくないわけで、松浦弥太郎賛美と批判の構造と全て重なるわけではないが、「家事思想」とその背景に「変動」があるのは確かだろう。

エンテツこと遠藤哲夫
@entetsu_yabo
2月23日
単なる出版業界内の松浦弥太郎さんや『暮しの手帖』のことに矮小化するのではなく、昨今の「家事思想」の変動と行方を見ておきたいというのがおれの考えなのだな。

 

ようするに、23日に『暮しの手帖』や松浦弥太郎や「丁寧な暮らし」(松浦は「ていねいな暮らし」という表記だった)を話題にした人たちは、出版業界内視点だけで、「ていねいな暮らし」の社会的背景や文化的文脈や歴史的文脈などは、まったく興味がないようだった。これは、いまどきの、視野の狭い出版業界病でもあるだろう。「自分の(好きな)こと」だけ。ほんとに、狭い了見で、深掘りして、トンチンカン、しょーがねえなあ。ま、ツイッターてのはそういうところか。

それは、ともかく、おれは最近「家事思想」ということが気になっているもんで、ここでもそういう風に表現してしまったが、ネットで検索したところ「家事思想」という言葉そのものはヒットしない。

おれは、近現代の「家づくり」「家庭づくり」の思想をイメージしている。「家政思想」を管理思想とすれば、それより、実生活現場実践よりの思想というか。

モノとしての「家」だけではなく、文化としての「家」、そこには間取りがあって大小いろいろなモノが置かれたり飾られたりしている、その文化的機能。また「家庭づくり」ということでは、家族、団欒、料理、掃除、洗濯、ガーデニング、あるいはアイデンティティの構築、いろいろなことがある。それが、なぜ、どのように選ばれているか、その背景には、どんな思想があるか。

先のツイートでは、少しハッタリ気味にマーサ・スチュワートの名前をあげたが、とくに70年代からこちらの、日本の家庭を飲み込んでいく消費主義のライフスタイル論を考えるとき、アメリカの中流にはびこってきた、いいモノ志向の「家事思想」をぬきにはできない。

これ、なかなか面白い、大きな問題なのであり、松浦弥太郎や「ていねいな暮らし」は、大いに関係していると思われる。

「家事思想」が気になって、国立国会図書館蔵書目録を調べたら、「家庭」という言葉の露出が増える明治20年前後から「家事」という言葉の露出も増えている。

拾っていたら、明治27年に『一家の経済、一名、家事料理の魂胆』(須田健吉、仙台・相沢書店)というのがあって、おお、「家事料理」って、なかなか使えそうな言葉じゃないか、「自炊」よりいいかもと思った。

前のエントリーは「「惣菜料理」×「宴会料理」」だったが、「家事料理」は「惣菜料理」の中の家事料理に分類できそうだ。

「丁寧な暮らし」については、前に何度かこのブログに書いている。おれは松浦弥太郎の「「一流」「本物」を追求する「上質な暮らし」」、つまり金があればやれる上級モノ志向、そこにある選良意識や優劣観を問題視しカラカッテいるのであって、「丁寧な暮らし」そのものを否定しているわけじゃない。

2015/05/20
「丁寧な暮らし」と「幸福」。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2015/05/post-2d9c.html
2015/08/05
もっと野暮に、もっとラクチンに。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2015/08/post-9c35.html

 

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