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2020/03/04

メイクシフト。

2020/01/26「理解フノー二十二回「二十年」に関連して。」http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/01/post-6a4065.html でふれた、「胃袋からみる食と人びとの日常」の湯澤規子さんの著書が気になっていたのだが、こんどの本の原稿にも関係がありそうなので、先日、新型肺炎休館になる前の大宮図書館で2冊借りて読んでいる。

『胃袋の近代 食と人びとの日常史』(名古屋大学出版会、2018年6月)と『7袋のポテトチップス 食べるを語る、胃袋の戦後史』(晶文社、2019年3月)だ。

「「胃袋」は「食べる」という行為、さらには「生きる」感覚に直結している」ってことで、「胃袋」をキーワードにした、なかなかの野心作だ。とくに前者は、大衆食堂の背景や成り立ちに関わることや、「生活料理」の裏付けにもなることが、豊富な資料で語られている。

いま、その内容についてはふれないが、読んでいるうちにいくつか気になったことがあって調べている。

というのも、おれの最初の出版1995年の『大衆食堂の研究』の頃は、「日常」は、まだそれほど注目されていなかった。

「生きる」と「食べる」と「食べ物」は、日常で切り離しがたく一体であるのに、「食べ物」だけをネタとして切り離し、「趣味」な「気分」を満足させる出版が盛んだった。いまでもそちらが中央の中心で、あっちの食べ物こっちの飲食店と、盛んであるのだけど。『大衆食堂の研究』は、そういう傾向への「逆襲」でもあった。

近頃は、湯澤さんの本に限らず、「日常」を舞台にしたテーマが、とくに研究方面で増えているのは明らかだ。それって、いつごろぐらいからかなあと調べてみたら、どうやら今世紀になってからの傾向らしいとわかった。そのことについては、こんどの本に盛り込もう。

最初のリンク先に書いてある「食をめぐる言説空間は、かなり様変わりするにちがいない」は、「日常」をめぐって動いているといえる。そうそう、今年の1月にコトニ社から発行の久保明教著『「家庭料理」という戦場』に、おれの本の言及があると聞いている。まだ入手してないのだが、この本もタイトルからして「日常」が舞台のようだ。

それはともかく、『胃袋の近代 食と人びとの日常史』に、「メイクシフト・ヒストリーとしての日常史」という項があって、「生きものはすべて、何かを食べて生きている。長い生涯を全うするためというだけでなく、今、この瞬間の空腹を満たし、その場をしのぎ、なんとかやりくりして生き延びるために食べる。このような「その場しのぎ」、「やりくり」という行為は、メイクシフトという概念でとらえることができる」と述べているのだ。

ここでおれは、ぶたやまかあさんの「やり過ごしごはん」を思い出した。「その場しのぎ」「やりくり」というと経済的に逼迫した状態の暮らしを想像しやすいが、忙しくなるばかりの日常においては、広く存在する暮らしだ。雑誌などに登場する、余裕あるおいしい暮らしを楽しんでいます風のものは、本当は少数の選民にすぎない。

この3月11日で東日本大震災から9年。まだ10年たたないうちに、日常が損なわれる災害に見舞われた人びとは少なくなく、さらに「新型肺炎」で、またもや全国的に「日常」は不安定になり、いろいろな「やりくり」に追われている。先日も書いたが、もともと日本の日常システムは脆弱なのだ。

こんなときぐらい「普通」の「日常」を、よく考えておきたいものだ。そして、うまい物いい物談義が、どんなに暮らしに対する認識を歪めてきたかも、よく考えおきたいものだ。

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