« 2020年3月 | トップページ | 2020年5月 »

2020/04/23

癌治療一回目。

一昨日21日は、検査の結果がそろって、治療に取りかかる日だった。

午後2時の予約に間に合うように行った。前日から患部の痛みが厳しく、ほとんど眠ることも出来ず疲労困憊の体で、ヨタヨタのろのろ歩き。

ステージ4の癌だといわれる。

患部の状態と年齢と体力から、治療の選択肢はあまりなく、通院による注射と薬で、じっくり時間をかけてやる治療法ってことになった。癌の増殖を抑えるのが眼目で、「じっくり時間」をかけてということは、おれの性分にもあっている。

早速一回目の注射。初回は、腹部の2か所に皮下注射。あとは4週間に一回の通院で、一か所の注射になる。

抗癌剤ほどの副作用はないといわれたが、痛みと腫れがあり、今朝もまだ続いている。考えてみたら、「抗癌剤ほどの副作用はない」といわれても、抗癌剤など打たれたことがないからしらないのだ。

薬も、いろいろ4週間分もらった。これまで飲んでいた薬も続け、新たに加えられた薬にアルコールを飲んではいけないものがあり、ついに、禁酒。

ま、ステージ4ともなれば、生きているだけで丸儲けという感じだから、酒はガマン。といいながら、調子のよい時には、チョッピリ飲むような気もする。

次回4週間後、血液検査でどのような結果が出るかたのしみ。主治医は、数値的には、かなり改善されるはずと自信ありげだったが。

いまの状態でコロナに感染すると重症化間違いないから気を付けるようにといわれた。気を付けてといわれてもねえ……はいはい。

当ブログ関連
2020/04/01
東京新聞「エンテツさんの大衆食堂ランチ」は休載。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/04/post-f88b3b.html
2020/04/04
MRI検査、体重7キロダウン。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/04/post-ae7d9e.html
2020/04/10
検査手術入院2泊3日。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/04/post-dce43e.html

| |

2020/04/16

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」89回目、押上・いこい食堂。

2020221

2020/04/01「東京新聞「エンテツさんの大衆食堂ランチ」は休載。」に書いたように、今月から休みをいただくことになった連載だが、このブログには未掲載の2月と3月の分が残っている。

今日は、2月21日朝刊の、いこい食堂だ。すでに、東京新聞のWEBサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2020022102000178.html

いこい食堂は、2007年12月に初めて取材で訪ねた。その頃のことは、ザ大衆食のサイトに載せてある。
http://entetsu.c.ooco.jp/s2/sumida_ikoi.htm

2000年代の前半、墨田中学校へ仕事でよく行っていた。いつも押上駅の押上側を利用していたから、押上食堂があるのを見つけ、何度か利用したし、この連載にも登場している。

押上食堂があった一角は、東京スカイツリーが出来てからの「観光地化」の荒波をかぶったかっこうで、そのブロックごと姿を変え、押上食堂も閉店、いまではその片鱗すら見つけることが難しい。

いこい食堂は業平側にあるので、存在を知らなかった。たまたま2007年の春に、前を通る機会があった。

東京スカイツリーが出来て、押上駅周辺は大きく変わったが、おれが墨田中学校へ行くようになった頃は、まだそこに出来ることは決まっていなかったと思う。だけど、六本木などの都心に便利ということもあって、工場地帯だった街は住宅地に変貌しつつあった。

最初の頃は、家賃の安い土地柄として、都心に通う外国人労働者の姿も多く見られた。六本木あたりの派手な夜の低層を支える、アフリカ系?労働者が多いといわれていた。

しだいに工場は大小のマンションに建て替えられ新住民が増え、外国人低層労働者は押上より奥へ移動し、そして東京スカイツリーが出来て、押上駅周辺だけは「観光地」へと変わった。

労働者の食堂だった押上食堂もいこい食堂も、そういう変化の中を生きてきた。

いこい食堂の「名物」は、種類豊富な500円定食だ。初めて行ったときから、いまでも続いているのだが、いつから始めたのかを聞いてなかった。とにかく、いこい食堂の主人が食堂を始めた1960年頃は「工場しかなかったよ」という、労働者の街の歴史を語っているかのような500円定食だ。

かつては工場労働者、いまでは「オフィス」と呼ばれるところで働くスーツ姿の労働者の胃袋を満たしている食堂なのだ。工場地帯だろうと観光地だろうと、そこで働く労働者がいなくては成り立たないし、その胃袋が日常無理なく満たされなくては、世間はまわっていかない。

今回訪ねたのは、2月7日だった。新型コロナウイルスが大きなニュースになりつつあったが、日本のニュースの中心は豪華クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」での感染あり、「他人事」というほどではないが、流れはなんとなく開催が近づいている東京オリンピックに向かって動いていて、それほど緊迫感はなく、東京スカイツリーは通常通りの営業をしていたし、外国人観光客の姿も多かった。

いこい食堂では、1時半すぎても、店内はにぎやかだった。若いスーツ姿の男たちのグループが食事をし、おれのような老人がカウンターでポツリポツリ一人めしを食べているなかに、一人旅らしい外国人観光客がパラパラいた。

カウンターには、かつてはなかった、ローマ字のメニューがあった。

2月21日の掲載紙の新型コロナウイルス関連は、やはり「ダイヤモンド・プリンセス」ばかりがクローズアップされていた。世間は、大きなイベントの中止や縮小など一部で警戒が強まりながらも、圧倒的に通常運転の気分だった。

3月11日、「WHO=世界保健機関のテドロス事務局長は、「新型コロナウイルスはパンデミックと言える」と述べて世界的な大流行になっているとの認識を示した」。3月14日現在、日本で新型ウイルスの感染が確認された人は1400人を超え、死者は29人となっていた。3月15日、安倍首相は首相官邸における記者会見で、「この感染拡大を乗り越えて、オリンピックを無事予定通り開催したいと考えています」と述べた。じつに楽観的だったといえるだろう。それは、多くの国民の気分だったかもしれない。東京オリンピック2020の延期が決まったのは、3月24日だった。

半世紀以上の歴史があるいこい食堂も、かつて経験したことのない荒波の中に違いない。大衆食堂は、敗戦の焼け跡から、力強く立ち上がったのだが、現在の状況は「焼け跡」より始末の悪い面をはらんでいる、ともいえる。

Cimg4915

Cimg4923

当ブログ関連
2020/04/01
東京新聞「エンテツさんの大衆食堂ランチ」は休載。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/04/post-f88b3b.html

| |

2020/04/11

「塩と食のお話」で「塩にぎり」。

「塩と暮らしを結ぶ運動公式サイト」の「塩と食のお話」のコーナーに寄稿した。
タイトルは「塩にぎり」。
https://www.shiotokurashi.com/shioaji/essay/71115

原稿の依頼があったのは、3月23日で、締め切りは31日だった。

23日頃には、患部が痛くてたまらず医者へ行こうと思っていた。でも1000字ぐらいなら書けるだろうと引き受けた。ちょうど「塩分」をめぐって近頃アレコレ気になることがあり、書きたいことがあった。

すでに書いたように27日には、大宮の町医者へ行き、30日の朝、その町医者から急いで精密検査を受けたほうがよいから総合病院を紹介するという電話があり、午後に紹介状をもらいに行き、帰ってからこの原稿を仕上げて送った。

「ざっくり「塩にまつわる話」」を書いてほしいという依頼だったので、それならこれにつきるね、というものを選んだ。

「塩分」をめぐって近頃アレコレ気になることには直接ふれてないが、とにかく「塩分」を「悪役」にした話しが大手をふっている状況は、あまりいい状態とはいえない。それは、だいたい栄養学や生理学からの一方的な見解によるもので、「塩分」にかぎらず、よくあることなのだが、文化論や生活論への配慮の一片もない。ってえわけで、文化や生活の視点から書いた。

たいがいのことがそうだが、「過剰」はよくないに決まっている。だけど、「丁度よい」とか「適切」つまり「いい塩梅」「いい加減」というのは、一律の基準で仕訳けられものだろうか。

東電原発事故以来、放射能問題をめぐって「エビデンス」という言葉がはやり病のように広がったが、「エビデンス」だけでは分断が深まるばかりで、解決にならないし、とても不機嫌な状態を生み出すという「実態」が残った。

それと似たようなことが、「塩分」をめぐってもあるように感じていた。

いままた新型肺炎コロナウイルスをめぐっても、似たような状況が生まれている。

あまり話を広げてしまうと混乱しちゃうから、「塩分」のことに絞れば、「塩分」が簡単に「悪役」になってしまうのは、いわゆる「食文化」の脆弱が関係するだろう。飲食の話は、にぎやかな割には、深そうでいて浅く、文化や生活の実になっていないということが少なくない。

ここ30年ほど盛んだった「いいもの」「うまいもの」を追いかけるのが「食文化」であるかのような浮ついた動向が、一方的な「エビデンス」の横暴を許しているという見方もできる。

もっと生活の実態に根差した文化から考えたい。という思いを込めて書いたのが本稿なのだ。

| |

2020/04/10

検査手術入院2泊3日。

2020/04/01「東京新聞「エンテツさんの大衆食堂ランチ」は休載。」2020/04/04「MRI検査、体重7キロダウン。」の続き。

7日(火)8日(水)9日(木)は、検査手術入院だった。

7日、朝8時ごろ朝食をすまし、薬を飲む。10時、入退院センタ―着、入院手続き。事前に渡された、申込書や病歴病状身体の調子などを記入した書類を出し、保証金5万円を払い預かり証をもらう。

4階の病室に案内され担当看護師から、施設の使用から退院までの計画など、覚えきれないほどの説明をドッサリ受け、書類のサイン。手首に患者認識コードの腕輪をセットされる。とにかく、外来のときから、やたら書類の確認サインが多い。

着替えて、休む間もなく昼食。病院食は、どこも似たようなものだ。またもや休む間もなく、12時半から3階の手術部で麻酔科担当医の説明、全身麻酔の手術は初めて。続いて手術看護師の説明。書類をもらい確認のサイン。やれやれ終了。

病室にもどってゴロゴロうとうと。ときどき看護師が体温や血圧などを測ったり。夕方、主治医が様子を見にあらわれる。18時夕食。のち薬は、外来診察で処方してもらった薬2種類をそのまま継続。21時消灯。

8日、朝食は抜き。7時半から点滴が始まる。以後15時半まで点滴針を刺したまま、いろいろな点滴。10時半に看護師に付き添われ歩いて手術室。

ただちに手術ベッドに寝かされ、酸素マスク、あっという間に全身麻酔で、何もわからない。はっきり気がついたときには、持ち込まれていた病室のベッドに寝かされて、酸素マスク。主治医が来ていた。そのまま病室に運ばれる。身体にモニターのセット。

11時半ごろが手術終了ってことで、その後4時間は動けない、点滴が続く。看護師がしょっちゅう来て、血圧やら体温を測る。2時間ほどで酸素マスクがはずされる。あと15分で4時間というところで、どうにも小便のがまんができなくなり、看護師が尿瓶を持って来てくれてすます。

尿瓶で小便したのは、45歳のとき急性肝炎で入院した以来だ。そういえば入院もあのとき以来だな。いろいろ機械化自動化、設備や器具は変わりリッパになったが、尿瓶は変わっていない。

夕方、主治医が来て、あれこれ病状と今後の治療について話す。患部は大きいが、通院治療で改善できるから、当面さらなる入院や手術の必要はないとのこと。やれやれ、それはありがたい。次回の外来診察日(再来週)を決め、その日から治療に入ることに。

18時夕食。薬に止血剤が増えた。

9日、朝8時朝食。薬、止血剤を含め3種。退院の仕度、請求書を持った人、退院後の薬を持った人、退院後の注意などを説明する看護師、次々とあらわれ話し、書類に印鑑を押して去る、おれもサインの連続。

薬は、入院以前からの2種と、止血剤を5日分。もともと禁酒の指示はなかったのだが、術後7日間、酒はいけないことに、でもそのあとはOKというのが、うれしい。

患者認識コードの腕輪を切ってもらい自由の身に。

10時ごろ、入退院センターで預かり金5万円を返してもらい、3万円ちょっとの入院費を払い、今回の入院は終了。

患部がややこしいところにあって、しかも大きいので、これがいろいろ周囲を圧迫するし、とにかく痛い。いまのところ痛みをやわらげる薬を飲んでいるのだが、「鎮痛剤」とは違い「やわらげるだけ」だから、常に鈍痛がある状態で、姿勢や筋肉の力の入りぐあいで激しく痛むこともある。熟睡できないのがつらい。といったところか。通院治療で、どのように改善されるか、たのしみ。

| |

2020/04/04

MRI検査、体重7キロダウン。

昨日は、MRI検査ってやつだった。11時までに受付をすまし、放射線科で待機、11時半頃から検査になった。MRIは初めて。先日は、やはり初めてのCTスキャンをやった。どちらも機械的なSFの世界のようで、とくに感動はない。そのうちに、こういう機械で検査と治療の両方ができるようになるのかなあ。

体重を測ったら60.5キロだった。1月には67キロあったのだが(ここ30年~40年ぐらいずっと)、2月3月で急激に減ったことになる。出ていた腹は素直にたいらになり、身長が172センチだから、ちょうどよい感じなのだが。

今日、地元の居酒屋でランチを食べながら(ビールも飲みながら)久しぶりに新聞を読んだ。

新型コロナウイルス対応で、「緊急事態宣言」が近いことを十分におわせる紙面だった。「地ならし」というわけだな。

「緊急事態宣言は「都市封鎖」ではない」とか、「緊張感を持とう」「一人一人の行動がみんなの命を救う」とか、テレビの人気者らしい連中を使って、みんなのカクゴを迫っていた。

読みながら、むかし参加したオペレーションズ・リサーチの研修を思い出した。

この方法で得た政策を日本の「群衆」に適応するときは、入念な準備が必要ということだ。ようするに、日本人は基本的に「論理的思考」に慣れていないし、ドラスチックな変化にもなれてない、だけど権威や権力に対しては比較的従順だから、そのあたりを考慮に入れた計画が必要という議論があった。

いま、支配者やマスコミは、そういうセンで動いている感じがした。

「現金給付1世帯30万円」というアドバルーンも、そのセンのものだろう。

新型コロナウイルスに対する「不安」というのは、いろいろだろうが、ウイルスに対しても感染対策に対しても、「いまの生活が失われる不安」が最も一般的なのではないかと思う。そういう心配のあまりない人たちは、「自分の生命」と「愛する人の生命」のためなのだろうけど。

だから、「30万円」が打ち上げられ、ものをいう。

ま、コトは、それほど単純ではないのだが、「自粛要請」などで、「悪と戦う」「みんなのため」という、できるだけ単純な判断が通りやすい状況に至りつつあるようだ。そして、「当面休業」など苦渋の決断をした経営は、「いいね!」を浴びる雰囲気まで出来上がっている。休むのが当然のような。この「空気」「同調圧力」を促進する人たちも多いし、ほぼ飼いならされ「地ならし」ができて、「非常事態宣言」になる。という感じでしょうかね。

しかし、まだその先がある、ジレンマは続く。

おれの体重は、どこまで減るのだ、まだ先があるのか。

| |

2020/04/01

東京新聞「エンテツさんの大衆食堂ランチ」は休載。

3月になってから身体の不具合が顕著になり、しだいにとくに夜は痛みが激しく眠れない状態が続いた。寝不足で、身体に力は入らないし、食欲は低下、どうにもならない。ぼーとした身体と頭で、依頼のあった原稿と、次の本の原稿を書いていた。

27日(金)にアレかなと思われる専門の町医者へ行った。やっぱりアレだったようで、血液をとり、薬をもらい、一週間後の4月3日(金)の再診予約をして帰った。

帰りには、大宮いづみやで一杯。コロナ騒動にも関わらず、老若男女、昼間からけっこうなにぎわい。ま、「意識低い系」ってことでしょうかね、おれもその一人。

30日(月)の朝8時半ごろ、医者から電話があり、血液検査の結果がかなり悪いので、総合病院を紹介するから急いで精密検査を受けた方がよいといわれ、午後に紹介状を受け取りに行った。親身に親切な医者。

31日(火)、きのうか。紹介された総合病院へ行き、9時ごろ受付をすまし待つ。10時半頃から怒涛の診察と検査。担当の女医がカンドーの声をあげるほどの患部の状況、この日にできない、MRIは3日(金)、来週に2泊3日の検査入院、という段取りの予約などをすまし14時ごろ開放された。

来週には東京新聞の連載の締め切りがあるし、どのみちしばらくは無理のようだから、このさい連載打ち切り終わりしようと担当者に電話。担当者は、では休載ってことにしておくので、またよくなったら続けてくださいという。はあ、まあ、そうなるといいですね。

もらった痛み止めのおかげで、とりあえず夜も眠れて、原稿を書くのも楽になったが、来週の検査入院の結果が出ると、はて、どうなるだろうか。

| |

« 2020年3月 | トップページ | 2020年5月 »