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2020/05/05

中断していた本の原稿に取りかかる。

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先月21日(火曜日)に一回目の治療をしてから、ちょうど2週間。4週おきの通院治療だから、つぎは2週間後という真ん中だ。

21日のあと、5日間ぐらいは患部の痛みや注射の副作用による痛みもあり、ゴロゴロ安静に過ごしていた。1週間たったあたりから、症状はどんどん緩和し、姿勢によって患部に少し違和感が残るていどで、パソコンに向かうのも苦痛でなくなり、よく眠れるようになったし食欲も以前のような感じになった。体重も60キロ前後で下げ止まっているようだ。

ステージ4は治癒の見込みがないらしいのだが、なんだか治った気分。

そのように身体が普通に動き食欲も出て普通に食べられるようになってみると、3月になって痛みが激しくなる前から身体の動きを重く感じたり、あまり食べられなくなったことなどを、なんでも「老化」のせいにして過ごしていたが、ありゃ癌のせいだったかとふりかえるのだった。

とにかく、3月20日すぎに痛みが厳しくなり中断していた原稿に取りかかることにした。ボチボチすすんでいる。

さいたま市の図書館から、2月24日と30日に資料を借りていたのだが、コロナ騒動のおかげで3月2日から3月15日まで休館となってしまった。その後さらに延長、4月7日には「緊急事態宣言」なるものが出され、昨日その宣言が5月末まで延長されることになって、図書館の開館はいつになるのやら。

思い出したが、2月24日も30日も、大宮駅や街中でマスクをしている人は4割ぐらいだった、それも花粉症の人も少なくなかったと思われる。

3月上旬に返却予定の本が、まだ手元にある。おかげで、原稿を中断しているあいだに忘れてしまったことを、パラパラ読み返しては思い出すことができる。

しかし、図書館が開かないと、禁帯出の資料から必要なものを探すこともできない。ほとんどの図書館が休館だから、困っている人も多いようだ。

とにかく、こんなときは、のんびり気長にかまえているより仕方がない。セカセカせずに、じっくり考えられるから、それがいいこともある。

この間に、昨年6月発行で直後に担当の編集さんからいただいた、田中祐理子『病む、生きる、身体の歴史 近代病理学の哲学』青土社を読み終えた。読み始めてしばらくは、読んではつまずきながらだったが、最近の「コロナ禍」の環境で、自分の病気もあり、じつにタイムリーな内容、一気に完読できた。

10章「自生するものについて―アメリカ、二〇世紀をめぐる試論」は、毎日のようにニュースになる「PCR」の開発の話で、「バイオテクノロジー」の物語でもある。アメリカの「新しい科学」って、なんとなく胡散臭いイメージを持っていたが、それを生む思想や精神は、なかなか興味深いものがあると知った。

この10章は、三部構成のうちの「Ⅲ」に属し、「生をとらえる・もとめる」というタイトルがついている。この本を読み終えて、おれの「書く」という作業は、「生をとらえる・もとめる」作業でもあるのだな、と思った。

それから、人はみな「壊れかけ」を生きているのだと知った。生きている社会も「壊れかけ」であり、身体も社会も絶えずメンテナンスが必要なのだ。「生をとらえる・もとめる」作業は「メンテナンス」と関係がある。これは、藤原辰史さんが『分解の哲学』青土社で述べている「メンテナンス」とも関係があると思う。といったぐあいに、いろいろつながり、なかなか面白い。

「食べること」も、「生をとらえる・もとめる」ことにほかならないだろう。

それにしても、「新型コロナウイルス」をめぐる対応には「ウイルス悪い、人間正しい」という思想の危うさもあるような気がする。微生物をめぐっては「発酵正しい、人間正しい」ってのもあるようで、これも危うい感じだ。「生きているものをとらえる難しさ」なのか。

『病む、生きる、身体の歴史 近代病理学の哲学』のもくじは、こちら。学術書なので、おれにとって難解のところも少なくなかったが、いまのタイミングだからこそ理解できることが多かった。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3301

『現代思想』青土社の最新5月号は、緊急特集「感染/パンデミック」で、そのものスバリだ。目下つまみぐい中。田中祐理子の寄稿もある。

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