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2020/06/13

突然、つるやももこさんの訃報。

何度か書きかけては、書ききれないまま中断して一週間がすぎた。書こうとすると、喪失感が先に立つのだ。こんなことはめったにない。めったあったらたまらんが。とにかく今日は書いてしまおう。

先週5日金曜日、二人の知人から相次いで電話があった。つるやももこさんが前日の4日に亡くなったというのだ。

あまりに突然すぎて、信じられなかった。

たいがい、よほど親しくしているか、仕事などで絶えず連絡をかわしているのでもないかぎり、訃報は突然のことになるのだけど、どう考えても、彼女は若いし、いつあっても「健康」という言葉より「すこやか」という表現がぴったりなほど、はつらつとしていた。いつも「青春はつらつ」だなあと思っていた。病気も死も、ありえない感じだった。

知らせでは、癌だったと。

訃報を受けたときの混乱で、2月に癌がみつかったのか、入院したのか、同時だったのか、どう聞いたか覚えがないのだが、とにかく、短いあいだのことだったようだ。

彼女が編集委員をやっていた、北九州市の『雲のうえ』32号(最新号「すし特集」)は、2月28日の発行で、編集に彼女の名があるし、文も2本書いている。

これが、『雲のうえ』での最後の仕事になったにちがいない。

ももちゃんとよんでいた。

ももちゃんと初めてあったのはいつだったか思い出せない。東日本大震災の前だったと思うから、10年にはなる。最初にあったときは、『雲のうえ』編集委員をやっていた大谷道子さんが体調悪く交代したという紹介だったと思う。(大谷さんは、おれが『雲のうえ』5号「食堂特集」で文を担当したときの編集委員だった)

それから何度かあう機会があり、話しているうちに、ももちゃんの実家は、おれがいまの東大宮に引っ越す前に住んでいた北浦和の、おれが毎日のように通っていた道の途中だということがわかり、北浦和ネタで盛り上がった。こんど北浦和で飲もう、ということになったりした。

2014年5月16日と17日、八ヶ岳山麓の廃校「津金学校」で開催された「すみれ洋裁店・小口緑子の美術展」へ、ミニ古墳部活動もかねて須曽さんたちと行った。宿泊は古民家で自炊だった、それも含め思い切り楽しんだ。天気もよく、たくさん歩いた。思いがけずたくさん歩くことになったのだが、ももちゃんだけはトートバックで、ときどき肩をかけかえるたびに、みんなに「大丈夫?」といわれ「大丈夫、大丈夫」と返していた。

『雲のうえ』22号は「うどん特集」で、文は、姜尚美さんとおれが担当し、ももちゃんは編集委員だし文も書いている。2015年の発行だが、取材は前年の10月末だった。一緒に仕事をしたのは、これだけだった。『雲のうえ』の編集は、なかなか面倒が多い編集であり、仕事ぶりは大谷さんのぬかりのない緻密さに比べ、ももちゃんはチョイとハズすところがあって、それが愛嬌でもあった。ともあれ、牧野伊三夫さんと有山達也さんに、扇の要のような存在として大谷さんのあとはももちゃんがいた。

北浦和で飲んだときは、おれが知っている酒場を2軒はしごした。街を歩きながら、画材店の前で、「ここは高校生の頃よく寄った」といった。彼女は「美術系」で、大学もそうだった。ブラボー川上さんがやっていた、昭和サブカル倉庫のような酒場「狸穴」を気に入って、また行きたいといった。

そのときも、フラの道具をトートバッグに入れて肩に担いでいたし、ほかのときにもそういうことがあった。フラダンスを、かなり熱心にやっていたようだ。

ももちゃんの「パートナー」は、年齢のひらきが、おれと相方のひらきと同じぐらいなので、年の離れた夫婦ってどんなんか、という話をしていた。

その後、かつておれが住んでいた近くに一軒家をみつけ、結婚し引っ越すことにしたというメールがあった。メールの文もはずんで、楽しみにしているようだった。

しばらくして、「パートナーが体調悪くして入院」で引っ越しは延期になったというメールがあった。だけど、心配ない治ったら、とあった。おれは、ちょっと先に延びただけかと思っていた。

そのまましばらくメールもあうこともなく、年末の牧野さんの個展の会場であったから、どうした引っ越したのと聞いたら、「死んじゃったの」と目から涙があふれそうになった。

おれはウロタエアワテテ話をそらした。その時のことが忘れられない。話をそらさず、落ち着いて聞く態度がとれなかった。訃報を聞いて、まず、そのときのこと、そのときのももちゃんの表情を思い出した。

お通夜と葬儀は近親の方で行われたそうだ。

須曽さんから、瀬尾さん宅に集まってお通夜のようなことをしたというメールがあり、「これはかわいくて見せたくて送ります」と、八ヶ岳山麓へ行ったときのももちゃんの写真が添付されていた。

お通夜の写真も送られてきた。

いつあっても、かわいい、青春はつらつという感じのももちゃんがいた。

知らなかったことだが、4月にももちゃんの本が刊行されていた。『BODY JOURNEY 手あての人とセルフケア』(アノニマ・スタジオ)だ。まだ買ってないのだが、書影の帯に、「すこやかに生きるってなんだろう?」とある。

ももちゃんは、すこやかに生きることを求め、すこやかに生きた。すこやかそのものだった。少なくとも、おれの知っているももちゃんは。野心も表裏かけひきもない人だったから、いつでもどこでもそうだったと思う。

人間生まれたら死ぬ。人生は長さじゃない。いい生き方だったと思うよ、ももちゃん。

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