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2020/06/24

25年の節目と時代区分で、コーフン。

今年は1995年7月の『大衆食堂の研究』発刊から25年という節目だ。

「節目」などはあまり気にしたことがなかった。だけど、デレデレ生きてきた歳月をふりかえってみようかというとき、「節目」で整理する方法は便利だし有意義だということに、いまさらながら気づいた。

25年という節目は1世紀=100年が基準値だろう。「四半世紀」が25年、「半世紀」が50年という区切りの付け方だ。ほかにもいろいろな節目がある。元旦だって一年単位の節目だし、何かという10年単位も多い。10年単位でも、年号か西暦かで異なる。おれは今年「喜寿」といわれる77歳になるが、これも一つの節目だ。

どの節目でみるかによって、モノゴトが違う角度からみえるようだ。それは、関連するモノゴトの局面がタイムラグをもってあらわれることも関係する。たとえば、産業と文化と政治のあいだにはズレがあるし、需要と供給にはズレが生じやすいし、それらと識者の言説や国の政策もズレる。節目の単位は、地図の縮尺のようなものだけど、縮尺より主観的だし、どの単位を選ぶかで見え方が変わるのだ。

結婚25年は「銀婚」といわれる。私事になるが、結婚記念日など気にかけていたことはないし、だいたい覚えていないのだが、相方はよく覚えていて、今年は銀婚だという。5年後の30年目は「ダイヤ婚」だそうだ。ところが、おれがステージ4の癌を告知されて、5年後に何割かあるはずの生存率に残れるかどうかわからないから、記念の写真をとっておこうというので、セルフタイマーで撮影した。

そんなことをしていたら、そうだ、今年は『大衆食堂の研究』発刊から25年だ、と気づいたのだ。

さらに、25年を単位にしてみると、95年の前は1970年、その前は1945年で敗戦の年になることにも気づいた。

つまり、『大衆食堂の研究』は、敗戦から半世紀、50年後の発刊だった。執筆当時は、そのことをまったく意識していなかった。戦後の大衆食堂は、敗戦の焼け跡から立ち上がったというのに。

この区分を基準に「食」を考えてみると、いろいろな見方ができる。

すぐ気づいたのが「米」政策を軸にみることだ。

戦後最初の25年、45年から60年代は、食管法と米作・米飯拡大による「米飯主食体制」の確立といえるだろう。

70年から一転、減反と自主流通米とブランド米の拡大で食管法は実態を失っていく。

95年から新食糧法のもとでの米作と米飯であり、つまり「完全自由化」で「米飯主食体制の崩壊」てなぐあいになるだろう。

おれが食品のマーケティングに関わるようになったのは、1971年の秋からだが、その頃からの50年は、戦後の25年でやっと確立したかに見えた「米飯主食体制」が、ゆらぎ崩れる過程だった、とみることも可能だ。

「米飯主食体制」の確立は、工業化の進展つまり化学肥料と農薬と工作機械の生産と普及によって支えられた。また「米飯主食」は同時に発展する工業と都市の人びとの胃袋を支えた、というみかたもできるだろう。

70年前後は、工業生産の需給関係が供給過剰に変わる転換点でもあった。ほかにも要因があるが、減反政策は、その必然ともいえる。

戦後日本の資本主義の中心的な産業は生産と製造で、これを軸に急成長した。いわゆる工業化社会ってやつで、工場が集まる都市と労働者の人口が急増した。

その工業社会の産業構造が激動するのが、70年からの25年だ。73年、第一次石油ショックで高度経済成長が終わり「不確実性の中の成熟化」という、わけのわからんことになった。1967年の資本自由化は、大きな変化をもたらした。とくに70年代の食品流通と外食の分野だ。

マクドナルドやセブンイレブンなど、外食や小売の分野でチェーン化を促し、小売や外食が「産業」として成長する。一方で、従来型の生業は苦境に立つ。76年には、第三次産業の人口が50%をこえた。

80年前後から、日本の資本主義は、落ち着きのない構造的な変化の中にいる。ま、日本に限らず資本主義は、大きな曲がり角に立ったのだが、日本では80年からの潮流を「ナショナリズムの台頭、自信と不安の交錯」とよんだりする。

80年代前半、「出口の見えない時代」ということがいわれ始め、いわゆる「閉塞感」が漂い始めた。「閉塞」が盛んにいわれるようになったのは、80年代後半のバブルの頃なのだが、イケイケ浮かれまくっていた人たちは、まったく覚えがないようだ。

「マイコン革命」がいわれ、コンピュータ産業や情報産業が台頭する一方、為替の大きな変動(円高)もあり、国の政策は70年代の輸出から内需拡大へ大きく切り替わる。消費主義台頭の先頭を切っていたのが「グルメ」とファッション。生産から消費へ、製造からサービスや通信へ。サービスの中心に金融や証券がドッカリ座る、不動産と組んでバブルをもたらした。

「産業構造の転換」や「第4次産業」などが叫ばれたが、出口は見えない。ただ「重厚長大」から「軽薄短小」へ、「護送船団方式」は終わったというばかり。そこに都合よく新自由主義がはびこり、あらたなグローバル化が勢いよく進んだ。70年からの25年は、そんなだった。

「失われたン十年」という見方は1995年を起点にしているが、実際は、80年前後から出口が見つからない状態が続いているし、政治面では、1982年の中曽根内閣からの「行革」という新自由主義の導入以来、小泉、安倍と受け継がれているし、消費税の導入も89年で、70年からの25年は大きな変化に突入したままの状態。

つまり、70年からの50年は出口の見えない閉塞のなかにいるのだが、95年までと95年以後は、かなり異なる面がある。

以前、対談をしたことがある速水健朗さんは、『1995年』(ちくま書房2013年)で、この年が敗戦から50年にあたるとしながら、「1995年とは、それ以前に起こっていた日本社会の変化を強く認識する機会となった転機の年なのである」として注視し検討している。読み直してみたら、なかなかおもしろい。

おれは1943年生まれだから、わずかだけど戦後の記憶があり、高度経済成長期にガキから成長し就職し結婚し70年を迎え、70年代からはマーケティングといういやでも「時代の変化」の現場にいて大波小波を生き、95年に至った。

ということを考えているうちに、いま取り掛かっている本のこともあり、自分の体験を整理する意味でも、ほかに戦後を25年単位で区分する考え方はないものか探してみたら、あったのだ。

なんと、なんと、これが、なかなかおもしろい。

橋本務(『ロスト近代』弘文堂2012などの著者)は、45-60年代を「近代」、70年代ー1995年を「ポスト近代」、96年以降を「ロスト近代」と区分している。

橋本務は、大澤真幸が『不可能の時代』(岩波新書2008年)で論じた時代区分にふれている。それは、45-60年代後半を「理想の時代」、70年代前半から90年代中頃を「虚構の時代」、90年代中頃からを「不可能性の時代」と名付けているという。「理想の時代」や「虚構の時代」は、見田宗介が『社会学入門』(岩波新書2006年)で述べていて、それを下敷きにバージョンアップしたものとのことだが、大澤と見田の時代区分は少し違う。とにかく、橋本は大澤と見田の先行理論を参考にしている。

ってことで、「近代」「ポスト近代」「ロスト近代」に、先にあげた米飯主食体制確立から完全崩壊や、ほかの「食」の動きをからめて考えていると、病気を忘れそうなほどコーフンしてくるのであります。

たとえば、近年の「(スパイス)カレー」や「発酵」のブームなどは、ロスト近代の視点からみると、単なる「カレー」や「発酵」ではなくなる。といったぐあいで。あるいは、米を基軸にみると、「近代」は「米食あこがれの時代」、「ポスト近代」は「ポスト米食」、「ロスト近代」は「ロスト米食」と置き換えることができそうだ。

橋本は、「もう、消費社会は終わったのではないか。そう考えた時、この時代状況を表わすものとして、私は「ロスト近代」と言う言葉で呼ぶのが適当ではないかと思ったのです」と述べている。

いま世界の資本主義は、新型コロナウイルスでゆれまくっている。「ロスト近代」は、どうなるのだ。いま、これからこそが、「ロスト近代」なのかもしれない。

コーフンが連鎖し止まらない。これは、癌にいいのか悪いのか。いいにちがいない。

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