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2020/07/30

QOLとコロナ禍と癌。

「QOL(quality of life)」という言葉が「生活の質」や「人生の質」だということぐらいは知っていたが、使ったことはなかった。どーせ、消費社会が生んだ、消費な言葉だろうとおもっていた。

「大きな家に住むようになってQOLが上がった」「うまいものを食べて、QOL爆上げ」とか、湘南だ代官山だ青山だといった、たいがい、より「上質」な「高級(高額)」なイメージの消費に対して使われる場面が多く、クダラネエ~とおもっていた。

ところが、癌の治療にあたって、この言葉が使われた。

4月21日、それまでの検査結果にしたがって、主治医と治療法を話しあっているときに、主治医がその言葉を口にしたのだ。

一瞬、「えっ、キューオーエル?」と脳ミソが宙を泳いだが、すぐ見当がついたていどには、この言葉の記憶があった。

いくつか考えられる治療法から、患部の状態や、おれの年齢や体力の現状などから、前に書いたように「通院による注射と薬で、じっくり時間をかけてやる治療法ってことになった」のだが、その選択の基準は何かというと、当面「QOL」を低下させないで持続することなのだ。

日常生活に差支えがあるような痛みや苦しみを押さえながら、処置をほどこす。

そんな感じで、とくに明快な絶対的な基準があるわけじゃない。

どの治療法でも完治の可能性が低く、手術や放射線や抗癌剤の治療で身体をイジリ、別の苦しみを引き受けるよりは、QOLから見ても穏当な治療法、という判断だった。

なにしろ、当時は肉体的な痛みや苦しみがひどく、睡眠不足が続き精神的にヤバイ状態だったから、それから解放されるならなんでもいいという気分だったこともある。

おかげで「QOL」に関心を持つようになってわかったのは、この言葉はもともと医療と深く関わりながら発展した考えであり、根本は「人間の尊厳」「個人の尊厳」にあることだ。

「尊厳」という言葉は、最近「ALS嘱託殺人事件」で「尊厳死」だの「安楽死」だのといった言葉が飛び交っているが、けっこう解釈が難しい。

だけど、とにかく、人間が生きていく上での最高の価値観なのだと、もっと意識する必要を感じている。なにしろ、「ヒトとしてどうか」より、仕事や業界での位置や稼ぎや名声だからね、近年は。QOLも産業と消費にとりこまれそうで危うい感じだ。

殺人はもとより、差別や優劣、パワハラもセクハラも、誹謗中傷、痴漢、マウンティングなどなど、とどのつまり「人間の尊厳」や「個人の尊厳」の問題なのだ。

あらゆるさまざまな権利が、「人間の尊厳」や「個人の尊厳」を基本に成り立っている。

その割には、個別の事件や事案については、ああだこうだいうが、尊厳については、あまり話題にならない。そういう尊厳に対する希薄な意識の状態が、さまざまな事件や事案に接続している面があるとおもうのだが。

おれが通院している病院の案内には、「患者さまの権利」というのが大きく10項目あって、印刷物にもなっているし、待合室のテレビ画面に、しょっちゅうしつこいほど流れている。

その一つに「人間としての尊厳を保ち、医療が受けられる権利」ってのがある。たいがいの病院で、似たようなことを謳っているはずだ。

いま、コロナ禍が騒がれているなか、とくに緊急事態宣言以来、それが解除されても、その「禍」のほとんどは、QOLに関わることだ。

なかには、コロナ禍以前からあった、たとえば飢餓や貧困や格差や差別などQOLに関わることが、コロナ禍のなかで、ますます深刻になっている例が少なくない。

おれが住んでいる埼玉県を含めた7都府県に緊急事態宣言が出されたのは4月7日だった。ステージ4の癌告知と治療が始まったのは、いま述べたように21日で、コロナに感染すると重症化リスクが高いから十分注意するようにいわれた。コロナと癌、2つのQOL低下リスクの中、という感じなのだが、やることは割とシンプルだった。毎日規則正しく3食たべ、薬を飲む。

出かけなくてはならない仕事を断るのは痛手だったが、妻のおかげもあってQOLの低下はまぬがれている。といっても、QOLは「経済」で決まるものではないし、身体が不自由であっても、それなりのQOLが成り立つ。尊厳が守られていれば。

コロナ禍に対する対処は、国レベルから個人レベルまで、どうだろうか、尊厳やQOLを基本に考えられているだろうか。

大きな話より、個々人の暮らしのレベルで、コロナ禍のなかのQOLはどうなのか、最近すごく気になっている。人びとは、緊急事態宣言で家にいるあいだ、なにをどう食べていたのだろう。「日常」と「非日常」の関係は、どうだったのだろう。

先日、斎藤環さんがツイッターで、「人間には Dignity of Risk (リスクを負う尊厳)というものがある。敷衍すれば感染回避を規範として絶対化すべきではないということだ。ゼロリスクがありえなくても人は車を運転するし飛行機に乗る。同じ意味で、最大限の配慮をしつつ外出し移動し監視されずに活動することは、全ての人の権利だ」とツイートしていて、「おっ」とおもった。そこまで考えたことがなかった。

QOLは、消費による幸福のレベルではなく、尊厳が暮らしのすみずみまで広く行われることによる幸福のレベル、と考えられるとおもうけど、尊厳もQOLも難しい、と、あらためておもった。

昨日、大宮へ行って、『現代思想』8月号「コロナと暮らし」を買ってきた。いま、おれの関心のまんまのタイトルだ。

でも、どーせ、おれのような学識のないもには、難しい内容なんだろうなとおもいながら、でも、いま「コロナと暮らし」を考えないでどうする、『現代思想』ごときから逃げるな、という気持もあり、それに、なにより、最近読んでブログに書いたばかりの『「家庭料理」という戦場 暮らしはデザインできるか?』の著者、久保明教さんと猪瀬浩平さんの「往復書簡」が載っているとあっては、読まずにいられない、欲しくなる。

往復書簡のタイトルは「忘却することの痕跡 コロナ時代を記述する人類学」だ。うーん、これは手ごわいタイトルだとおもいながら読み始めた。

ところが、最初の猪瀬さんの書簡が、『100日後に死ぬワニ』の話から入って、「他人事」のこと、自分が体調不良のなかで感じた不安、猪瀬さんの周囲の緊急事態宣言を理解できない知的障害がある人のことなど、そうか、そうだ、そんなことがあったのか、久保さんの返信には、「「普通」と「そうでないもの」」のあいだのことなど、ちょいとややこしい言い回しにかえって刺激され、誘いこまれるように読んでいる。

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2020/07/28

鈴木常吉さんの訃報。

昨日、常さんが亡くなったらしいという電話をもらい、驚いてツイッターを見たら、「鈴木常吉Suzuki Tsunekichi STAFF」のアカウントに「報告」があった。

【報告】かねてより食道がんの病気療養中でした鈴木常吉は令和2年7月6日に自宅より天国へ旅立ちました。
あまりに突然だったことと、社会状況が大変であったこともあり、
お知らせが遅れましたこと心よりお詫び申し上げます。
家族葬を滞りなく相済ませ、鈴木も今はSTAY HOMEいたしております。(続く)

生前様々な方より賜りましたご厚誼、また音楽を愛して下さった皆様へ厚く御礼申し上げます。
お世話になりました。
今後とも変わらぬご厚情をいただけますと幸いです。
snsでのご報告になりましたこと、お赦し下さいませ。
ありがとうございました。
ご連絡はこちらのDMにて対応させていただきます。
午後0:55 · 2020年7月27日

相互フォローしている常さんのアカウントを見たら、7月2日のリツイートが最後で止まっていた。あまりこまめにツイッターをチェックしてなかったので、気が付かなかった。

声がでない。なんだかじっとしていられなくて、とりあえず散歩に出て、一歩きしたら少し落ち着いた。

昨年6月、常さんが歌う「さびしい時には」を作詞した中原蒼二さんが癌で亡くなり、その知らせを常さんとメールでやりとりした。

その少し前に、北浦和の居酒屋ちどりへ常さんのワンマンライブに行き、中原さんがもう長くないことを話し、亡くなったら知らせると約束していた。常さんは、いつものように飲み、歌い、酔っ払い、元気そのものだった。

それから約1年ほどで、こんどは常さんが、しかも癌でなくなったのだ。

中原さん69歳、常さん65歳。

2人ともおれより若いのに。

ほんとうに、さびしいよ~。

昨日は常さんのCDを聴いていた。もちろん、「さびしい時には」も。

ユーチューブの「さびしい時には」
https://www.youtube.com/watch?v=XQUHKpPuzZg

この歌のキッカケになる妙な出会いがあったのは、09年のことだったか。あるいは10年だったかもしれない。

そのときのことは、
2019/07/01「中原蒼二さんが亡くなった。」に書いた。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/07/post-0006a0.html

常さんのライブに初めて行ったのは、2000年頃だったのではないかとおもう。荻窪か西荻窪のライブハウスで、鈴木翁二さんほか何人かのミュージシャンが出演した。

ワンマンは、 ネット上での「さびしい時には」の出会いがあったあと、当時浦和にあった「クークーバード」でだった。その時、リアルで初めて挨拶をかわした。

クークーバードが北浦和に移転し、オーナーが実家の家業を継ぐため交代し「居酒屋ちどり」に名をあらためたが、そのあいだにも常さんのライブが何度もあり、なるべく都合つけては行った。

津村記久子の作品を読むようになってから、常さんのうたと津村記久子の小説は、なんだか共通するものがあるような気がしていた。

小さな、ささいなことを、じわじわっとうたいあげる、というか。派手さはなく、じわっとくるクライマックスだ。

常さんは、『大衆食堂パラダイス』や『大衆めし 激動の戦後史』を買ってくれていて、感想をいってくれた。

「大衆食堂のせがれがいるから教えてやったら、読んで面白がっていたよ」てなこともいった。その「せがれ」とはAZUMIさんのことで、彼も居酒屋ちどりでライブをやるので、聴きに行くようになった。

常さんは、千住のほうの肉屋のせがれで、時々、実家の話をした。

ライブを追っかけるほど熱心なファンではなかったし、そんなに付き合いがあったわけじゃないが、いろいろ思いだされる。

さびしい、かなしい。

ま、おれもステージ4だから、ほんの少し遅れをとっているだけだ。でも、遅れをとっているだけで、さびしい、かなしい思いをしなくてはならないなんて、理不尽のような気もするなあ。てのは、生きている者の身勝手だね。

常さんは、たしか「自宅入院」する前だったか、ツイッターで「死にたくないなあ」とつぶやいていたことがあった。ごめんよ、常さん、中原さん、おれより先に逝かせてしまって。

どうか安らかにおやすみください。

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2020/07/25

久保明教『「家庭料理」という戦場 暮らしはデザインできるか?』(コトニ社)を読んでいる。

大宮のジュンク堂に在庫がなくて、取り寄せもできないといわれ、出版社に直接注文した。届いたのは今月の10日ごろだった。

面白いがおれにとっては難しい、というか、おれにとっては難しいのに面白い、ってわけで、ゆきつもどりつしながら、イチオウ読み終えているのだが、「読んだ」という実感がなく、まだ「読んでいる」という感じが続いている。

「たしかに、様々な要素と新たな関係をむすぶことを通じてそれらの諸関係を外側から捉える認識は生じる。だが、それは私=観察者が内在するネットワークの運動が産出する一時的な把握に他ならない。新たな関係をたどることで競合する外在的認識が浮上し、それらの齟齬が新たな要素との関係を導く」とか、「このように、本書の記述は、客観的観察や主観的経験に基づくものではなく、関係論的に構成されている」

といった文章に、おれはたびたび立ち止まって、「うーむ、いまいち、わからん」となってしまうのだった。

それでもたじろがず読み通したのは、面白いからにちがいない。

……………………
家庭料理をめぐる諸関係の変遷をたどることによって異なる認識が共立し、それらの対立や摩擦を伴う相互作用が新たな諸関係の組み替えを喚起していく。その運動の只中において、自らの感覚や思考や営為を捉え直し、再構成してもらう踏み台となるために本書は書かれている。
 では記述をはじめよう。
……………………
と、はじまる。

ま、常識的に分類すれば「学術書」というものだろうから、おれのようなものにとっては難しいのが当然なんだが、本のタイトルに惹かれ気になっていたし、さらに知り合いの文化人類学の先生から「エンテツさんの本の言及があります」とのメールをいただいたこともあり、とにかく買ってみたのだった。

書かれていることは一九六〇年代からの「家庭料理」の変遷にはちがいないが、歴史の記述とは違う。「家庭料理」のレシピの変遷でもないし、近年よく「ジェンダー」がらみで論じられる「家庭料理」でもない。「家庭料理をめぐる諸関係の変遷をたどる」のだ。「諸関係」を見逃すな。

本文は三章にわかれていて、章ごとに「実食!小林カツ代×栗原はるみレシピ対決五番勝負」ってものがあって、著者と仲間で実際に作り食べ、コメントを述べるということをやっている。

第一章は「わがままなワンタンと/ハッシュドブラウンポテト」、第二章は「カレーライスでもいい。/ただしそれはインスタントではない」、第三章が「なぜガーリックは/にんにくではないのか?」。なかなかキャッチーな見出しに興味がそそられる。

で、読むと、たちまち「世界は私の外部にあり、私の認識の対象であり、考察を通じて介入する客体とされる」といった言い回しに直面し、おれはボーゼンとする。

「うーん」と天を仰ぎ、あれこれ考え、あ、そうかそうかそういうことかな、と、読み進む。それはまあ読書の楽しみってやつで、つまり、この本は読書の楽しみが多い。

「本書では家庭料理という構築する構築物(あるいは常にその構築性を忘却されることによって成り立つ構築物)を、とりわけ現時点におけるその動態を捉えるために三つの時期を設定する。私たちが現在イメージする家庭料理の基本的な姿が形成され、ある意味でその近代化が完成した一九六〇~七〇年代の「モダン」な家庭料理、その基本的な形態に対するポストモダニズム的懐疑が提起され改変が試みられた一九八〇~九〇年代の「ポストモダン」な家庭料理、ポストモダニズム的改変の常態化を前提として規範的な家庭料理のあり方が無効化されていく二〇〇〇~二〇一〇年代のいわば「ノンモダン」な家庭料理である。この三つの時期における家庭料理をめぐる様々な言説や実践を精査し、それらの間で生じてきた齟齬や矛盾や変容を追跡することによって、境界条件としての暮らしの変容に光をあてることが試みられる」

このあたりが、本書のキモらしい。

「境界条件としての暮らしの変容」には、「「分析する私」」と「「暮らす私」」が関係しているようだが、おれは十分な理解ができないでいる。

年代順の記述ではなく、一章は「ポストモダン」で、二章が「モダン」、三章が「ノンモダン」であるところも、キモでありミソだ。つまり、ポストモダニズム的改変の立役者、小林カツ代×栗原はるみの戦いが、「実食!」も含め、本書では大きな比重を占めている。

小林カツ代と栗原はるみのポストモダニズム的改変の違い、あるいは「静かな戦い」…。そこから見える「モダン」「ポストモダン」「ノンモダン」の「家庭料理」をめぐる「戦い」。

近代化が完成した一九六〇~七〇年代の「モダン」な「家庭料理」は、ポストモダン的解体と再構築をへて、クックパッドが象徴するような、大勢の読者が参加し矛盾をはらみながら共立する混とんとアナーキーな「ノンモダン」の「戦場」にいたる。

いや、著者は「混沌」だの「アナーキー」だのとはいってない。おれが、三章を読んで「アナーキーだなあ」と感じただけだ。おれの「アナーキー」は否定的な意味ではなく、さらなる解体の期待でもあるのだが。

おれは、なるべく「家庭料理」という言葉を使わないようにしてきた。それでも使わざるを得ないことが多かった。それほど、その「抑圧」が強かった。七〇年代からの「日本型食生活」キャンペーンで「抑圧」は頂点に達し、本書が指摘するポストモダン的解体と再構築のなかでも、「ノンモダン」を通じても、その輪郭はグチャグチャになりながら「芯」はしぶとい。2000年代には、食育基本法による「感謝」や「一汁三菜」の押しもあったし。といった「客観的観察や主観的経験」による記述については、本書が担うところではない。

著者は、「暮らしは常に変わり続ける。「家庭料理」という言葉からイメージされるものも、激しい変化のなかでつかのまの安定した像を結んでいるだけのものにすぎない」という。そうだそうだ。

そこにある不安定な関係はなくすことはできない、なくそうとすると新たな矛盾を生む。つまり「デザイン」できない、「デザイン」されざる営みなのだ。だけど、人びとは安定をのぞみ、舗装道路のような「デザイン」された道を選ぼうとする。そこにつけこむメディアや様々な言説やレシピ。

八〇年代以降は「つかのまの安定」もアヤシイとおもわれるし、おれにいわせれば「与えられた」「押しつけがましい」イメージである「家庭料理」からの解放こそ課題だ。自由で自律的な(「家庭」という言葉が不要の)料理に向かって、「生活料理」という言葉を使ってきた。「生活」あるいは「暮らし」という不安定を生きる料理。

今日の料理の条件は、明日も同じではない。暮らしは同じことの繰り返しのようだけど、例えば寝て起きた自分の身体は同じではないし、まわりの労働など人の動きも日々変わる。天候は毎日違う。つねに変化している。株価のように。

いつも不安定なのだ。だから「安定」ではなく、不安定を生きる必要で十分な料理が生き残る。それをあらかじめデザインすることはできない、「諸関係」の結果、そうなるだけなのだ。と、おれは考える。

「さて、私は明日なにを食べるのだろうか?」で本書の本文は終わる。

「家庭料理」とは、なんだ。

明日、おれはなにをどう食べるんだ。

さっぱり本の紹介になっていない。紹介を書くつもりじゃなく、書けるほど理解してないし、少し自分の頭を整理しておきたかったのだ。

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2020/07/15

癌治療4回目。

きのう14日は、28日ごとの通院治療日だった。

3月31日から診察と検査が始まり、結果が出たあと、1回目の治療は4月21日だった。それから約3か月が過ぎた。

朝食のち薬を飲んで出かけた。小糠雨ってのかな、梅雨独特の雨だった。

9時ごろ着いた病院の入口には、3人ほどの係の人がいて、いつもの検温と手の殺菌消毒……とおもっていたが、各自勝手に感染防止せよとばかり、殺菌剤が入っているボトルが置いてあるだけだった。6月30日をもって検温は止めるとの張り紙。7月になってから、埼玉も東京も感染者が増えているのに、間の悪いことだ。

もうすっかりなれた採血と採尿を終え、診察室の前で待つ。約1時間。これが普通だ。

検査結果を見ながら、主治医とおしゃべり。

前回の治療日の検査では、肝臓の数値が異常に高かった結果、癌対処の薬は注射だけにして、服用は、それまでのもの(癌対処と鎮痛剤)は全部取りやめ、新たに肝臓対処のみに絞って様子を見ることになった。

結果は上々。ほんと、おれは気持よいぐらい薬が効く。

肝臓は順調に回復、が、当初の数値まではもう少し。

癌の数値は、注射だけでも、基準値1以下になった。つまり、コンマ以下。

4以下が基準値で、治療を初める前は150ぐらいあって、主治医もビックリのとんでもない高い数値だった。それが最初の28日目で4.19になり、次の28日目では1.29になっていた。それが、さらに下がった。

もう痛みはまったくないし、なんの違和感もない、「病気なんかないみたいですよ」というと、主治医は「薬で押さえているだけですからね」と、さらっという。

毎回主治医は、数値はよくなっていても治っているのとは違うんですよ、それがステージ4なのですよ、それを忘れなさんな、というかんじで「薬で押さえているだけですからね」を繰り返すのだ。

そうではあるけれども、目に見えて治療効果はあるわけで、主治医もおれも気分よく、次の手は、どうするかの話になる。

前回やる予定で中止にした、転移を抑制する注射をすることにしましょう。

ああ、その注射は、今回だけですか、続けるのですか、これまでの注射液に加えるのですか。

続けるのですよ、別にもう一本増やして別の場所にうつのです、ワクチンみたいなものです。

そうですか。

(といって、あとで気がついたのだが、「ワクチンみたいなものです」といわれても、おれはワクチンをしたことがないし、あまり詳しくないから、どんなものか見当がつかないはずなのだが、聞きなれた言葉で説明されるとわかったような気になるのだな。)

それから、飲み薬の方は、もう1か月同じように続けて、肝臓の数値が最初にもどるか様子をみて、服用の癌の薬を復活することにしましょう。注射だけでも十分のようだけど、念を入れてね。どこも痛くないようだった、痛み止めは、このままいりませんね。

わかりました、もう痛いとこないです。あの肝臓の数値が上がったのは、癌のほうの薬じゃなくて、痛み止めのせいじゃないですかねえ。

そうかもしれませんね。でも、どちらも肝臓に副作用が出る可能性があるし、たいがいの薬は肝臓に負担がかかりますからね、様子みながらやることです。

などなど。

前からいわれていたが、3か月ごとに治療効果を観察するための、CTスキャンなどの精密検査を、次の治療日の1週間前にやることに決める。8月のアタマは、一週間おきに2回の通院だ。

こんなだったのに、こんなになっていると思いますよ、と、手で大きさを示しながら、最初の診察で患部のあまりの大きさに「大きい~」と声をあげた主治医は、患部が小さくなっていることが、すごくたのしみなようであった。

処置室へ行って、注射。

従来通りの、うったあと4日間ほど腫れと痛みの副作用がある注射を腹部の皮下に。もう一本新たに加わったのは、腕の皮下に、こちらは痛みなどはないが、顎の骨が崩壊する副作用が出ることがあるというオソロシイ注射だ。ま、前に書いたように、歯科口腔外科の検査を受け、大丈夫ってことでの処置だから、気にしてはいない。

腹部の皮下注射は、時計回りで場所を変えながらうつのだけど、前回は場所のせいか、腫れが横12センチ縦5センチ高さ2センチぐらいまでになって痛みも酷かった。でも4日目から、ちゃんとひく。今回は、どうなるか。

ところで、この転移抑制の注射料金が高いので、おどろいた。比較的新しい薬だということもあるらしい。新しい、効く、高い、という関係だね。

これまで1回の治療費は三千五百円ぐらいだったが、いっきに四千数百円プラスで八千円台に。本人1割負担の後期高齢者医療制度で、これ。

これから毎月この額になるのだ。そこまで金を出して生きのびる価値があるのか。ぐへっ。


2020/07/01
激動の半年の最終日、病院で血液検査。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/07/post-6a16e5.html

2020/06/19
癌治療三回目。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/06/post-1a8761.html

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2020/07/11

これからの台所をおもしろくするには。

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「カウンター・カルチャー」と食文化を考えている。

2020/07/09「サラダ。」に書いた津村喬の『ひとり暮らし料理の技術』を読み返しているうちに、いろいろなことが気になってきた。

この本は、1980年頃の、カウンター・カルチャー系のさまざまな思想潮流の影響がみられる。「身土不二」といった食養思想、その源流ともいえる東洋思想やインド思想を背景にした「気」や「ヨガ」あるいは「医食同源」など、多種多様なカルチャーがゴチャゴチャに絡み合いながら津村流に料理されていて、まさにあの当時のカウンター系のカルチャーの幕の内弁当のようでもあるのだ。

ただ、カウンター・カルチャーというと、「ヒッピー・カルチャー」がはずせないとおもうが、その影響はあまり色濃くは出ていないし、言及は少ない。本書のテーマからはあまり必要なことでもなかったとおもわれるし、津村の父は中国共産党と関係の深かったといわれる高野実であり、この本にも書かれているが、高野実が病気療養のため広州に滞在したとき付き添ったりもしていることなどもあってか、日本も含めた東洋の思想の比重が大きくなったのかもしれない。

それはどうでもよいのだが、やっぱりカウンター・カルチャーからヒッピーは、はずせないわけで、『スペクテイター』44号「ヒッピーの教科書」特集と、45号「日本のヒッピー・ムーヴメント」特集を読み直している。

この2冊はスペクテイター編集部の赤田祐一さんにいただいたのだが、まだこのブログで紹介してなかったようだ。

「ヒッピーの教科書」は、まさに入門教科書で、アメリカの源流からヒッピー誕生の歴史をまとめている。特徴的なのは、「ヒッピー前史」として、1945-1962年の「ビートゼネレーション」から説き起こしていることだ。ケルアックやギンズバーグ、ジョニス・ジョップリンなど、一般的にも知られている人びとも登場する。

そういえば、作者の名前を思い出せないが(もしかするとエド・マクベインだったか)、割と売れているアメリカの作家の推理小説に、ギンズバーグの詩が話題になる場面があって、そんなに広く読まれていたのかとおどろいたことがある。

「日本のヒッピー・ムーヴメント」のほうは、その歴史から関連人名辞典、用語の基礎知識、ムーヴメントを担った人びとの物語やインタヴューなどで構成されている。やはり、必須の入門書だ。

「ヒッピーの教科書」は、とくに食文化との関係はクローズアップされていないが、ヒッピー・カルチャーは70年代以降の日本の「自然食(オーガニック)」あるいは「マクロビオティックス」など、もっと直接的には「玄米食」など、こういった分野にさまざまな影響をおよぼしている。だけど、それらがファッションにまでなった割には、ヒッピー・カルチャーについては、影がうすくなるばかりだ。カルチャーの影響とは、そういう「知らず知らず」が少なくない。だからまた、こういう「教科書」を読んで、自分たちのカルチャーの足元を知ることが大切だとおもう。

「日本のヒッピー・ムーヴメント」には、西荻窪にあった「ほびっと村」の「たべものや」の中心人物、川内たみさんがインタヴューで登場している。当時の「タウン情報誌」などにも登場して知られていた店だが、この記事を読んで初めて「ほびっと村」と「たべものや」の関係や、「たべものや」を詳しく知ることができた。

80年前後から、いわゆる「無国籍料理(のちのエスニック料理など)」が勃興するのだけど、その担い手は、ヒッピー・カルチャーに染まっているか、いなくても何かしらの影響は見られた。たとえば、『スペクテイター』42号「新しい食堂」特集に登場する、「ウナカメ」の丸山伊太朗さんなど。

おれが1962年に上京してから、80年代前半は、ヒッピー・カルチャーの隆盛期だった。おれの周囲には、たえずそのあたりの人たちがいたが、おれは染まる「余裕」もない生活だったし、70年代は、ヒッピーと正反対のアメリカ風のマネジメントやマーケティングの手法で仕事をしていた。それでも当時は、カウンター・カルチャーのシャワーを浴びずに過ごすことは難しかった。

カウンター・カルチャーがあらゆる場面でニュースになっていたといってよく、当時の「若者文化」などは、それを抜きに語れないだろう。

70年代中頃、おれは江原恵と知りあって、彼の著作の支持者にカウンター・カルチャー系の人が多いことから、接触が多くなったし、「無国籍料理」の関係者とも付き合いがふえた。江原恵は、80年頃、津村喬とも交流があった。

そのあたりから、80年代の、「ヒッピー抜き」の、どちらかといえばサブ・カルチャーからメイン・カルチャー化しつつある、「オーガニック」や「マクロビオティックス」系との付き合いが深くなり、ついには90年頃、その渦中に飲みこまれそうなところまでいった。

その話は置いといて、「日本のヒッピー・ムーヴメント」には、「コミュ―ンは僕らの学校だった」という神崎夢現の寄稿があって、こう述べている。

「コミューン運動を、過激な左翼運動の末路と言い切ることは簡単かもしれないが、エコロジーやヘルス・ケア&フィットネスなど、時代を先取り、形を変えて我々の様々な生活に影響を与えていることは否定できない」

このあと「しかし、都市に生きる人々からは表情が失われ、人間性だけは、以前より増して奪われている。この状況を破る鍵はどこにあるのだろうか?」という文が続いているのだが。

とにかく、ほかにも、いまでは普通になった「シェア」「フリーマーケット」「ワークショップ」など、そうそう人差し指と中指の「Vサイン」、ヒッピー・ムーヴメントゆかりのものがけっこうある。先鋭化した左翼政治運動だけが大きな事件としてマスコミをにぎわしたこともあって突出して語られ、偏見もあるが、生活や文化の面では、左翼政治運動の衰退と反比例するように広がった。

70年代から始まる「ポスト近代」の80年代は、カウンター・カルチャーを含むサブ・カルチャーが現代資本主義のマーケティングに編成されていく過程でもあり、その結果、神崎夢現が指摘するような状況が生まれたといえるだろう。

だけど、立ち止まって、いまの暮らしを「ヒトとしてどうか?」と考えてみると、ヒッピー・カルチャーのなかに、「鍵」となる手がかりが見えてくる気がしている。とくに、この2冊の『スペクテイター』と津村喬の『ひとり暮らし料理の技術』を読み返したあとは。

近年(95年以降の「ロスト近代」)は、「ベジ志向」といってよいか、それから「発酵」や「南インド料理」などの「ブーム」が顕著だし。もちろん、ただトレンドを追うマーケティングとしてカバーしている人たちも多いからこそ「ブーム」なのだろうけど、そこまでいたった土台には、ヒッピー・カルチャーが存在するのは間違いない。

エコロジーなどは、もはや、「エコ」などといわれ、最近の「レジ袋有料化」のように、亜流や曲解が生まれるほど定着している。そこにカウンター・カルチャーやヒッピー・ムーヴメントを見る人は、ほとんどいなくなったといってよいほど一般化した。

「食文化」も、そんなふうなぐあいなんだが、やっぱり、こうまで「雑種化」がすすむ日本の食文化は、かなりおもしろい。この「雑種性」は、不安的で複雑化する現代を生き抜く日本の食文化の可能性であり、その可能性は、カウンター・カルチャーやヒッピー・カルチャーにある。なーんてことで、台所をおもしろくできないかなあとおもっている。

台所の可能性、台所からの可能性、の追求だ。「家庭料理」だの「男」だの「女」だのは、のり超えての可能性。

そりゃそうと、「日本のヒッピー・ムーヴメント」の「ヒッピー用語の基礎知識」には、「はらっぱまつり」があって、「正式名称は”武蔵野はらっぱ祭り”。東京・小金井市にある都立武蔵野公園の通称”くじら山”地区で、三十年前から毎年秋に市民有志によって行われ続けている」との解説ついている。泉昌之か久住昌之の作品に、この祭りが登場する漫画があったとおもうのだが、おもいだせない。

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2020/07/10

高額療養費支給申請。

おれは75歳以上が組み込まれる後期高齢者医療制度の支配下にある。

この制度、よく調べたことはないのだが、送られてくる文書を見ると、発信人は「埼玉県後期高齢者医療広域連合」であり、その「長」なのだ。

国民健康保険だったときは、「さいたま市長」だった。「保険料」ではなく「保険税」だったし、市役所の担当課は保険年金課国保係だ。後期高齢者のほうはというと、「保険料」であり、保険年金課福祉医療係。このちがい。

そのあたり詳しいことは知らないが、埼玉県後期高齢者医療広域連合から、おれが4月に払った医療費が「高額療養費」に該当するからと、「後期高齢者医療高額療養費支給申請書」が送られてきた。やたら漢字で長い。

通知の文章が「高額療養費に該当されている方に送付しました」と、じつに客観的な事実だけなので、おもしろいな~とおもった。

ま、事務文書だからね。それにしても「高額療養費が支払われます」とか「支給されます」といった文言はない。該当するから申請書は送る、あとは勝手にせよ。申請書出せば、支給する。ああ、そうですか。

あまり申請をやる気が盛り上がらない文章なのだが、しかし、いくらでもいい払った金が戻ってくるということだから、やりますやります書きます書きます、早速申請書類を整えて送った。

4月の医療費は、CTスキャンやMRIを含む精密検査があったうえ、入院と簡単な手術もあったから、4万数千円ぐらい払っているとおもう。一割負担で、これだからね。

ただでさえ仕事がない売れない貧乏ライターなのに、この病気とコロナ禍でますます苦境。収入は途絶え、わずかな貯えもさみしくなるばかり。

世間には、癌をネタに何か書いて稼いでいる人もいるようだから、おれも真似てみようかとおもったが、もう癌なんか珍しくないし、もともとネームバリューがあって成り立っていることだ。おれのような無名者では、はなから出版社が相手にしてくれない。

しかも、おれの日常は「闘病」というほど激しく険しいものではなく、いたって普段通りの平凡。家事をやりながら、決められた薬を決められたように飲み、28日ごとに病院へ行き検査をし診察を受け注射を打ってもらうを、淡々と繰り返しているだけだ。

残念ながら、人びとが野次馬根性や嗜虐的な心をふるわせてよろこびそうな感動ポルノ的なネタなどない。

ステージ4なのになあ。みかけは、ちょっと元気すぎて、深刻さにも欠ける。

とにかく、いくら支給されるのか、振り込まれてみないとわからないのだが、どうせ治療費に消える自転車操業、フトコロはさみしくなるばかり。人生最後の坂を転がり落ちる。ゴロゴロゴロ……。

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2020/07/09

サラダ。

”「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日”

280万部ごえのベストセラーになった俵万智の第1歌集『サラダ記念日』で歌われたおかげで、7月6日は「サラダの日」といわれるほどになったらしい。

この本は、1987年5月の発行だった。

いまでは、サラダは、コンビニでも欠かせない主力商品だけど、その位置を占めたのは1980年代のことだ。

そのころおれは、大手コンビニチェーンの関東地区本部のマーケティングに関わる仕事をしていたのだが、80年代半ばぐらいから、商品としてのサラダが急成長した記憶がある。

その「サラダ」は、昔からあるポテトサラダやマカロニサラダのイメージではなく、生野菜を中心としたもので、「サラダ」といえば生野菜のイメージが一般的になっていくのだが。

サラダ市場が急成長した一つの要因は、20代の若い男たちが、「健康」や「おしゃれ」を意識して、食べるようになったことがあげられる。

この歌は、そういう背景があってのことだし、また、この歌のおかげで、サラダは日常の普通の景色になり、「文化」としての位置を固めたともいえる。

それまでサラダは、主には添え物であり、家庭でも外食でも「洋食」の皿に一緒に盛られているていどだった。あるいは小鉢ぐらいの扱いだった。サラダが別盛りの一皿になるような、いわゆる「西洋料理」は、一般庶民にとっては日常ではなかった。

若い男がサラダをムシャムシャ食べだしたころ、流行に鈍感な中高年の男の中には、そんなものは女の食うもんだろ、という感覚があった。こういうおれも、そんなものは女の食うもんだろ、とまではおもわないまでも、違和感をかんじてはいた。馴染みがない風景だったのだ。

いや、当の若い男でも、おれのチームにもいたが、ちょっとテレながら「身体にいいから」といいわけじみたことをいいながら、コンビニで買ったサラダボールをオフイスのデスクで食べていた。

サラダ単独を一つの器でムシャムシャ食べたり、サラダに「この味がいいね」なんてことは、この頃からなのだ。

その背景には、いろいろなことがからんでいるのだが、70年代からの「ポスト近代」の流れとしてみることができそうだ。

先月17日、津村喬が亡くなった。

彼の著作のなかで最も売れたし、影響力もあった、『ひとり暮らし料理の技術』は、1977年12月に風濤社から刊行され、その後、風濤社は倒産し、1980年7月野草社から発行された。

「サラダ変幻」という項で、著者は、こう述べている。

「福沢諭吉以来、健康食といえば牛肉ということで近代化が進んで来たが、高度成長に限界のみえてきた七〇年代には、ローカロリーのアルカリ食といったことがむしろ価値ある食物になってきた。サラダ文化というのもここから生まれた」

この視点は、単なる観念的な健康志向によるサラダのとらえかたと違い、なかなかおもしろい。

津村は、当時のレッテル貼りにしたがえば、「反体制」「左翼」「毛沢東主義」あるいは「カウンターカルチャー」といったことになるようだ。

実際に、著書でも、「食の自主管理」「〈根拠地〉としての台所」といったぐあいに、反体制活動家が好んで使った「自主管理」「根拠地」といった言葉が登場し、「ひからびた都会のジャングルの中で、本当の意味で自律的に自活していこうとすることは、ひとつの闘いだ。ひとりひとり、ゲリラ的に、自分の責任ではじめるしかないことだ」と、自炊をよびかけている。

食文化戦線においてゲリラ戦を展開する、チェ・ゲバラや毛沢東といったかんじが……なんておもうのは、おれのような年代だけか。津村は、おれより5歳若い1948年生まれ、いわゆる「団塊の世代」だ。

だけど、レッテル貼りして片づけられるほど、薄っぺらな内容ではない。

といった話をしていると長くなるからやめよう。

以前、書評のメルマガで「食の本つまみぐい」を連載していたときにこの本を紹介した。
http://entetsu.c.ooco.jp/siryo/syohyou_mailmaga389.htm

「食文化史的にみると、料理を生活の技術とする視点からの著述は歴史が浅く、1974年に『庖丁文化論』を出版した江原恵さん以後」は、と、この本などを上げている。

「自分の食生活を自分でうちたてていく見通しも努力もなしに、この都会が与えてくれるままの食物を受け入れるままになっていくとしたら、それはおそろしいことだ。食べるということは生活の基本であり、当然に文化の機軸だ」は、いまも変わらない、まっとうな考えだろう。

「自主管理」があってこそ、外食もいいものになるのだ、ともいっている。

津村の訃報にふれて、この本を本棚から取り出して見た。書評を書いたときには自分の未熟さから見落としていたことが少なくないことに気づいた。

現代の日本の食文化は、サラダ一つとっても、複雑な層をなしている。その深層を考えるときに、はずせない本だ。とりわけ、生活の視点からは。

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2020/07/07

ノンアルビールとプラシーボ効果。

主治医に酒は飲まないようにいわれたのは、ステージ4の告知と同時に初回の治療を受けた4月21日だった。

その前は、検査のための通院や入院があったけど、テキトーに飲んでいた。最後に飲んだのはいつだったか。毎日休まず休肝日なんぞあたえずに飲み続け、癌の疑いで検査になってからは、少し「自粛」していた。

酒をのんではいけないのは、ステージ4だからではなく、治療のための飲み薬の副作用の関係なのだ。実際のところ、酒を飲んでいない状態でも肝機能が低下し、そのための治療薬を飲んでいる状態だから、禁酒は正解だったのだ。

とにかく、ノンアルビールを初めて飲んだ。なかなかよいので、よく飲むようになった。

おもしろいことに、ノンアルビールには、プラシーボ効果があることに気づいた。酔った気分になれるのだ。

プシュッ、ゴクゴクッ、プハーッ、なーんてやっているうちに、酔いがまわる。

正確には、「酔った気分」なのだろうが、ビールを飲んだときと同じ酔い心地。

まさに、ノンアルビールは、「情報的飲料」の極致だ。ここまで「効く」とは、おどろいた。

これこそ、プラシーボ効果に違いない。

5月16日には、「「外出自粛」でヒマだから「ステージ4記念撮影をやろう」ってことになり、「絶望しながらノンアルコールビールを飲む」という設定で撮った。いやいや、ノンアルは「情報的飲料」の極致だから、プラシーボ効果大で効くこと、これで酔っぱらえるわけです。絶望どころか、希望ですよ。あはははは」と、ツイートし画像もアップした。(下の画像。67キロあった体重が60になった)

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そのころ、毎月送られてくる『TASCマンスリー』5月号に、「エビデンスが重要視される時代の医師の役割とは何か」という寄稿があって読んだ。書いているのは、「医療人類学者」という珍しい肩書きの磯野真穂、新進活躍中の方だ。

タイトルからすると「医師」向けのようだが、医師でなくてもおもしろい。

とくに2011年3月11日の東電原発事故以来、放射能汚染をめぐって盛んに使われながら広がり、近頃は横行しすぎといってよいぐらいの「エビデンス」だが、これで万全なのか。近年「自然療法」「民間療法」「代替療法」などの言い方をされる、ようするに「標準医療」以外の医療というと問題になる「プラシーボ効果」にふれている。

一般的に、おれがいま通院している病院で受けているような「標準医療」は、エビデンスにもとづいて行われている。そして、標準医療の側から「代替療法を批判する言葉としての「プラシーボ効果」」が存在する。そこにある矛盾から、著者はときおこす。

そして、「閉鎖系のコトバ、開放系のコトバ」について展開する。これがおもしろい。

読んでいるうちに、いまおれたちが暮らす世界は、「閉鎖系のコトバ」の世界なのか「開放系のコトバ」の世界なのか、そのゴチャゴチャについて、考えざるを得なくなる。

著者は、「エビデンスが生み出される空間は、多くの人とテクノロジーが関わって人工的に作り出された、自然を装った閉鎖系の世界」であり、「他方、私たちがじっさいに生きる世界は、それとは対照的な開放系の世界である」という。

さあ、そこだ。「近代的」「科学的」といわれる正体は何か、ということにも関係するだろう。あるいは、いま、表現には、「閉鎖系のコトバ」から「開放系のコトバ」へ導く力はあるか?とか、考えたくなる。おれたちがじっさいに生きる世界は、むしろ人工的に作り出されたものだから、開放系のコトバが必要になっているのでないか、などなど。

だけど、この話しは長くなるからカット。

「プラシーボ効果」といえば、「暗示」の効果だ。

うどん粉だって胃薬だといって飲ませれば効く、なーんていう話を聞いたことがある。仮に、そういうことがあったとしても、飲ませる側と飲む側のあいだに、「信頼」や「共感」の関係があって成り立つことではないのか。

標準医療の現場でも、医師と患者のあいだの「信頼」や「共感」によって、薬の効きぐあいが違ってくるということがあるらしい。おれはいま、主治医もおどろくぐらい薬の効きがよいのだが、それは主治医とのオシャベリ(診察する/されるではなく「オシャベリ」な関係ね)で醸成される「信頼」と「共感」が関係していないとはいえない。

少し話がズレるかもしれないが、飲食店での飲食にしても、店を選ぶときには、「イメージ」を気にする。それが、味覚も左右する例は、たくさんある。そこに「暗示」や「信頼」や「共感」が介在することは、日常的に実感できるのではないか。

たいしたことない内容のへたな文章でも、イメージのよいデザインで包むと、いい感じになったりという例もあるな。

都知事だって、エビデンスよりイメージで選ばれる。イメージで都知事を選んだ都民を非難はできないだろう。エビデンスつまり科学的根拠のある政策だけでは、「信頼」や「共感」は成立しない。

「プラシーボ効果」は、ヒトのフシギやイイカゲンと向かいあうことでもあるようだ。

ところで、おれが気になっているのは、このことだ。

酒を飲んだことがなくて、酔ったことがないひとは、ノンアルビールで酔えるのだろうか。「暗示」は、体験や情報がなくても可能なのか。

最近、ノンアルビールばかり飲んでいたら、もっと強いノンアルが飲みたくなった。ノンアルウィスキーとか。これは、どういうことだろう。

とにかく、ノンアルビールのおかげで、スーパーで酒の陳列を見ても、とくに何も感じなくなった。自分とは関係ない商品でしかない。かつて「酒飲み妖怪」といわれたおれが……。ほんと。

 

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2020/07/06

過剰の中の飢餓感。

近年はやりのSNSなるもの、おれが手を出したのは、ツイッターは東日本大震災直前の2011年の2月、フェイスブックはもう少しあとだ。

もともとモノグサだから、面白半分の利用であり、情報蒐集や情報発信やコミュニケーション(人脈づくり)など、いわゆる「目的」といったものはない。ヒマまかせ気分まかせで、放置しだすと、それがあるのも忘れ、覗くこともないアリサマだった。

今年になってから、3月なんぞは、一度つぶやいただけだ。

しかし、癌告知されてから、毎日「規則正しく」ツイートするようになった。

生活が変わったこともあり、というのも、ほぼ決まった時間に朝昼晩のめしを食べ薬を飲まなくてはならない「規則正しい生活」になった、その生活ぶりを簡単に記録しておくのもいいかなとおもった。

毎日、「朝飯くって薬2種3錠のんだ」といったぐあいに、「飯くった」「薬のんだ」のツイートをするようにした。

おかげで日に最低3度はツイッターを覗くようになったが、タイムラインを全部見るのはメンドウだ、たまたま開いたところをチラチラ見て、ツイートするだけ。

フェイスブック(FB)のほうは、すっかりご無沙汰だ。だいたいFBを利用している友達は、ブログのように長い文章を書くやつが多いし、構造上画像が占拠するスペースも大きく、開いた瞬間には一人分のテキストや画像しか目に入らないことがほとんどで、ようするにタイムラインを見るのにスクロールの手間と時間や俊敏さが必要だ。おれのようなモノグサと老化が進行しているものには相性が悪い。

パソコンに長時間むかっているのがシンドクなってきたから、インターネットとの付き合いを少なくするため、フェイスブックかツイッターかどちらかにしようと思い、軽くいけるツイッターを選んだ。

いまでは、ツイッターときどきブログというぐあい。

ひさしぶりに毎日3度はツイッターを開くようになって気がついた。ここ数年のうちに、人びとのツイートの様子がずいぶん変わった。

フォローしているアカウントによっても違いがあるかもしれないが、ヒマつぶしやアソビ、あるいは生活のついでといった、つまり「余裕」というのかな、それがある人やツイート(リツイートも含め)が少なくなった。

そう、テキトーな「遊び」や「余裕」や「生活のついで」が、少なくなっているのだ。

ニコチン中毒者のチェーンスモーキングのようにツイートを連打するなど、ある種の「情報過敏症」とか「情報神経症」といった感じの人も見かける。チョイと一息つきながらのほうがいいんじゃないかなあと、おせっかいな気持がわくこともある。

仕事がらみはもちろん、趣味であっても、ターゲットを意識した意図的なツイート、フォロワーや「いいね」などの数をねらったつぶやき、それも、あきらかに「ツイッターの上手な使い方」のようなものを参考にしているテクニックとわかるものが多くなった。文の書き方も。

「ツリ」や「フック」など、広告屋のようなえげつない手口も、けっこう普通になっている。つまり、お互いに承知してやっているし、それをうまくさばくのも、ツイッター世間の上手なわたり方であり、何らかの「得」を稼ぐ方法なのだ。そのあたりがヘタだと、ツイッターには向いてない人、という評価をされたりする。

すべてのメディアと情報は消費の対象になっているのであり、ツイッター世間もその方向で、洗練され成熟している、ってことになるか。まるで「全社員営業」「全社員マーケッター」という感じでもある。ただ、「社」のためではない(「社」の業務としてやっている人もいるが)、「自分」のためだ。「自分愛」の消費とも連動している。

より効果的にテーマやジャンルをしぼることで、ある分野のマーケット・リーダー的存在になることをめざす。ツイッター世間、インターネット世間、出版世間、映像世間…での成功をめざしてお手軽なメディアミックス・マーケティング。

まだあまり開拓されてない新鮮な情報が転がっている、よりニッチなテーマやジャンルへ、今日も。

ものすごい処理できないほどの情報過多の中で情報の飢餓感を満たそうとする、終わりのない循環が続いている。

「インスタ映え」が急上昇したとき、撮影のためだけに飲食店へ行き撮影し、モノは残す行為が批判の対象になったが、街や店やモノやヒトなどの情報の仕入れも循環に欠かせない。そして経済がまわる。

大勢に価値を認められたい、大勢が価値を認めているものに遅れをとりたくない、どうだ行ってきたぞ、ハズしたくない、こんなネタはどうだ、どうだおれのセンス、注目してくれ、忘れないでくれ、おれにも一言いわせてくれ、さまざまな飢餓感や強迫観念が渦を巻き拡散する巨大な情報宇宙の彼方には何があるのだろう。

なんだかSFの世界みたいだ。

カタチを残さないがゆえに無限消費循環が可能な飲食や旅は、かっこうなネタになる。もう草刈り場だ。そのうちにペンペン草も生えなくなりそう。

当ブログ関連
2020/06/26
そして誰もが「評論家」になった。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/06/post-b07119.html

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2020/07/01

激動の半年の最終日、病院で血液検査。

昨日で2020年の前半が終わった。世界、日本、おれ、あらゆるレベルで大きな変動があった。

新型コロナ感染拡大で世界中が大ゆれ、為政者どもには大番狂わせだったであろうが、おれにとってはどうでもいい東京オリンピックは延期に追い込まれ、おれはステージ4の癌を告知されるという事態が発生した。

月並みの言い方を並べれば、元旦には想像もつかなかった事態、青天の霹靂、富士山の爆発とゴジラの襲来、泣きっ面に蜂、下痢と反吐を一緒にかぶったような……。

その最後の6月30日は、朝から病院だった。

28日ごとの通院治療日の3回目だった6月16日の血液検査で、肝臓に激しく異常に高い数値が見られた。薬の副作用だ。対処として、注射以外の服用は肝機能用のものだけにして、2週間様子をみることになった。その2週間目が昨日の30日だった。

朝、既定の薬を飲んでから出かけ、病院に9時ごろ着いた。診察の予約は10時だが、その前に血液検査のための採血がある。

その受付に行ったときから激混みだった。これまでは15分待ちぐらいだったが、40分ぐらい待たされて採血。さらに診療まで1時間近く待った。「緊急事態宣言」とやらが解除され「外出自粛要請」とやらがチャラになったおかげだろうか。

検査の結果は上々で、主治医がよろこんでうれしそうにするほどだった(主治医は割と表情が豊かだ)。おれは薬が効く身体らしい。心根も身体も素直にできているからねえ。

主治医は、「(パソコンの数値を見ながら)いい感じですよ。でも、疲労感がひどかったんじゃないですか」という。

おれは、「あとになって考えると、たしかに疲労感があったけど、そのときはちょっと疲れるな~ぐらいで、あまり気にならなかったんですよ。ドンカンですから」

あははは~、てなオシャベリをかわす。

肝臓は、まだ基準値にもどっていないが半分以下になった(もともと高め)。癌のほうはすでに前回で基準値(4)以下の「1」に近い数値になっていたが、服用をやめても変わらず低い数値をキープ。ってわけで、もう2週間、肝臓の薬を飲み、癌対処の薬は服用は必要なしにし、28日ごとの注射だけでいくことになった。

こうして、壊れかけた身体で、気分はよく、今日から今年の後半に入った。

ところが、壊れかけの世の中のほうは、混迷の度を深めている。

新型コロナウィルスの感染拡大について、政府は対策を放棄した状態だ。つまり、政府の「緊急事態宣言」と東京都の「東京アラーム」の「解除」後は、記者会見でアアダコウダ取りつくろってはいるが、「呼びかけ」「お願い」といった責任をとらずにすむ言葉を並べ、対策なしの成り行き任せ、自己責任の押し付けばかり。

もともと長年にわたり、「公共」の課題を「自己責任」に転化することしかしてこなかった政府首脳や都知事には、壊れかけの「公共」に対処する能力はないわけで。また、必要とされている能力は、コトが起きてから急には間に合わない。

政府は良薬になりえず、世間をリードしているような態度をとってきた高い知識や文化を持っているらしい人たちも良薬になりえず、名高いメデイアや大都市には、堂々と人間の尊厳や権利を冒す悪質な連中がはびこっている。

東京都では、感染拡大を把握するのに、「夜の街」というカテゴリーをつくり、それを「市中」から除外する差別をすることで、「市中感染」は拡大していない、というデタラメなリクツまで創造している。そういう悪知恵にだけ頭がまわるのだなあ。どんな「街」でも、市中は市中だろう。

こういう事態を「壊れかけ」とも感じない、感じていても「日和見」か、メディアの周辺などでいくらかの権力や権威にすがりついて生き延びようとする知的な人たちの群れ。日本はうまいぐあいに切り抜けているという、根拠のないリクツにあぐらをかいてもいる。ま、歪んだ「自己愛」とでもいうか。

たいした権力も権利も行使できず「自己責任」を負わされて最前線に放り出されたかっこうのおれたち、人びとは、「攻め」と「守り」の難しい選択を迫られ、まさに生殺しの壊れかけ。かといって怒りを爆発させることもなく(怒りを爆発させることがイケナイことのようにいう人もいる)、壊れかけの社会を徒手空拳で、はて、どう、しぶとく生きていくことになるのだろうか。

これまでのあらゆる「復興」のように、泣きをみている人たちの上にフタをするような、シャンシャン手拍子だけが聞こえてくるようだ。

気取るな、力強くめしを食え!

当ブログ関連
2020/06/19
癌治療三回目。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/06/post-1a8761.html

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