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2020/11/26

またもや、いまさらながら残念、坪内祐三。

2020/10/02
いまさらながら残念、坪内祐三。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/10/post-67393b.html

を書いてから、坪内祐三のことが気になっていた。

図書館の坪内祐三の棚には何冊かの本がある。パラパラ見ていたら、『右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない』(幻戯書房)に、おれの脳ミソが反応したので借りてきた。

第1章 戦後論壇の巨人たち
第2章 文藝春秋をつくった人びと
第3章 滝田樗陰のいた時代
第4章 ラディカル・マイノリティの系譜
第5章 「戦後」の終わり

脳ミソに引っかかったのは「戦後論壇の巨人たち」だった。

もくじに並んだ名前。

福田恆存、田中美知太郎、小林秀雄、林達夫、大宅壮一、三島由紀夫、小泉信三、花田清輝、唐木順三、竹山道雄、中野好夫、橋川文三、河上徹太郎、中野重治、鮎川信夫、竹内好、桑原武夫、宮崎市定、葦津珍彦、清水幾太郎、羽仁五郎、臼井吉見、山本七平、丸山眞男

懐かしい人たち。おれが高校生の頃(1959年以後)から1970年代に、『中央公論』『文藝春秋』『世界』などなどの雑誌で読むことが多かった人たち。何人かは本も読んだし、いまも持っている本もある。

こういった人たちについて書くだけでも、なかなかすごいじゃないか、書ける人がいたのかと思った。

「巨人」かどうか、おれは判断できないけど、その存在が大きかったのは確かだし、「言論」の世界は面白かった。

いまどきの「言論」はツマラナイね。そう思うようになったのは、1980年代になってからだ。

浅田彰がもてはやされ、とくに『朝日ジャーナル』が「若者たちの神々」の連載を始めた頃から、「言論」や「言論」を扱う雑誌などはツマラナイものになった。「言論」な雑誌も読まなくなったし、新聞にも興味が失せていった。

おれが「若者たち」に含まれない年齢になっていたこともあるかもしれない。

1983年、おれは40歳になっていた。1958年生まれの坪内祐三は25歳で、浅田彰は1957年生まれ。

「若者たちの神々」は、ネットで調べたら、1984年から1985年にかけての連載だったようだ。1回目の登場は浅田彰、2回目は糸井重里、3回目は藤原新也…。

「神々」と「巨人たち」を比べるのは乱暴とは思うが、80年代を通して「言論」の世界は変貌した。

『右であれ左であれ、…』の各章の始めには、「この章について」という著者による「解説」のような文がある。

「戦後論壇の巨人たち」は、戦後五十年を迎えた1995(平成7)年の翌年の7月号から始まった『諸君!』の連載をまとめた。

「連載期間は二年。つまり二十四回だ。/私はまず二十四人をリストアップして行った。/生きている人ははずそう。亡くなった人だけにしよう(だから連載開始時はまだ丸山眞男はリストアップされていなかった」

「何を以て「論壇人」と見なすかは意見の分かれる所だが、例えば私は中野重治、中野好夫といった文学者のダブル中野も「論壇人」であると考える(ただし、この連載中、同誌編集部の某男子編集者――のちに編集長となる――から酒場で何故山本健吉が入らないんですかとしつこく問い掛けられた時は心の中でこのアホと思った)」

司馬遼太郎についてこういっている。

「当時の私は司馬遼太郎のことをあまり高く評価していなかったのだ。今もその評価にはあまり変わりはないが、彼をはずしてしまったのはやはりバランスに欠けたかと思っている」

著者の選択の基準がなんとなく見えてくる。

本書は、2018年1月の発行だ。

「連載終了から十九年数ヵ月。つまり約二十年。その間に亡くなっていった人も数多い」と、この人たちをあげている。

藤原弘達、江藤淳、山本夏彦、林健太郎、小田実、加藤周一、梅棹忠夫、谷沢栄一、吉本隆明、山口昌男、大西巨人、鶴見俊輔、阿川弘之、渡辺昇一。

そして最後にこう書く。

 この国には知識人がもう殆ど残っていない。
 しかも、まったく補填されていない。
 その状況を考えると私は恐ろしくなってしまう。
 かつての左翼と右翼という対立に変わって今、サヨとウヨという言葉がある。サヨであれウヨであれ、そんなことはもはやどうでもよい。
 事態はもっと深刻なことになっているのだ。
 三十年後、いや二十年後、この国は存在しているのだろうか。

ここから、著者の考える「国」や「知識人」を読むこともできるが、なんと悲観的で絶望的な。

まあ、しかし、「活字文化」の時代から主流を担ってきた新聞社や大手中堅の出版社のメディアのアリサマを見れば、うなずけないことはない。

「戦後論壇の巨人たち」は、簡単な仕事ではない。これからこの種の仕事をやれる人は出てくるのだろうか。

「戦後」なるものや「55年体制」といわれるものが終わろうとしている時代に、坪内祐三が生きていて、この仕事を残してくれて、うれしい。おれはよろこんで読んだ。

おれのようなものがよろこんだところでどうもならんが。

坪内祐三には、もっと生きて、この仕事を続けてほしかった。ってことで、またもや残念がっている。

おれのようなものが残念がったところでどうにもならんが。

第4章の「鶴見俊輔氏に聞く――アメリカ左翼知識人の孤独でフェアな表象」は、著者も書いている通り、鶴見俊輔と著者の話が微妙にかみあっていなくて面白く、声を出して笑った。

「あとがき」で、ツイッターをしてないが、眺めることはあって、「そしてとても悲しい気持ちになる」という。

「何故なら、ツイッターの言葉には文脈がないからです。しかも、その文脈のない言葉が、次々とリツイート(拡散)されて行く。」と。

そして、こう述べる。

「本や雑誌に載せる文章には文脈が必要です。いや、文脈こそが命だと言っても過言ではないでしょう。/そういう媒体(雑誌)が次々と消えて行く。これは言葉の危機です。」

ツイッターについては、その通りだと思うが、かといって雑誌の文章は文脈を大事にしているかというと必ずしもそうではないと、おれは思う。

自らの思想を突きつめてこそ、文脈ができ、文脈で考え、文脈で言葉を選び、文章ができあがる。

だけど、思想を問うことすらしないで、言葉を使うことが多くなった。「思想」を嫌ったり避けたりする人も少ない。

それはネットの世界のように、スピードがものをいう言葉の消費が多くなったこともあるだろう。「知識」や「言論」はファッション化し、情報価値の尺度で測られ、「新しい」ことが価値になった。

より「わかりやすく」、より「心地よく」、消費される言葉。

「文章の質」などが話題になっても、文芸的なテクニックのレベルであって、思想が問い詰められることはない。最初から思想が希薄なのだ。

その思想の希薄さは、雑誌の文章でもよく目にする。「飲食」の分野などは、そういうもので満ち満ちている。

と、おれは思っている。

坪内祐三は、この本でも、何度か自分は「保守」だといっている。「保守」は「革新」と対や天秤で語られるが、坪内祐三の「保守」は、それより、「ブルジョワ自由主義」の良質な部分を継いでいるように感じる。自由、公平、人として「まっとう」。

そういう「思想」がメディアからも失われていく時代。「私はギリギリで間に合いました。つまり雑誌で自分の考えを述べることが可能でした」と「あとがき」に書き残して、坪内祐三は死んでしまった。

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