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2020/12/10

「いのち」という言葉。

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言葉というのは、やっかいだ。日本語のせいがあるかもしれない。

「いのち」は、「命」とも書くし「生命」と書いて「いのち」と読むこともある。あるいは「イノチ」という表記もある。

おれのばあい、こんなぐあいに、何かに書いているし、「ザ大衆食」のサイトにも掲げている。

http://entetsu.c.ooco.jp/hon/labo.htm

″生活は「生命をつなぐ活動」、料理は「生命をつなぐ技術」、食事は「生命をつなぐ祭事」/食事の前に、ご唱和くだせえ。  「生命」は「いのち」とお読みくだせえ。″

なぜ「生命」と書いて「いのち」と読むのか、または「いのち」という言葉に「生命」という漢字をあてたのかというと、「いのち」や「命」という言葉は「生きる」や「生命体(生きもの)」から遊離しやすいと思ったことがあるからだ。

遊離すると、神秘的あるいは神的な観念のほうへ傾斜しやすい。

「命」は「みこと」とも読んで、「須佐之男命」となったりするしな。

2020/12/06
『スペクテイター』最新号「土のがっこう」。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/12/post-c65d23.html

にも書いたように、おれは90年前後ぐらいから、いまでいう「オーガニック」や「マクロビオティック」などに関わるようになったが、そのとき、「いのち」という言葉のやっかいさやあやうさが気になったのだった。

この「土のがっこう」の紹介に載せた図解には、「いのちは循環している」というタイトルがついている。このばあいの「いのち」は、ほぼ「生命」と見てよいだろう。

「動物や植物の死骸は、地中で微生物に分解され、それによってつくられた無機物が植物の栄養となる」

とあるからだ。

簡単にいえば「生物と無機物のあいだの循環」ということになるし、これがまあ自然の営みであり人間はその中で生きているということでもあるが。

循環しているはずの「いのち」の実像は、はっきりしない。

そのあたりに、「いのち」が、神秘性をおび、神的や霊的な存在、「魂?」のような、そういう抽象へと転化していく要因や必然があるのではないか。

そうなると、「いのち」は、「生きる」や「生き物」を離れた存在になっていく。「生活」からも離れる。

たとえば、「転生」といった概念。「いのち」は生まれかわる。これもまたいろいろのようだが、楠木正成の生まれかわりという人にも会ったし、楠木正成の何番目かの息子の生まれかわりという人もいた。

シャーリーマクレーンの信者のような人もいたな。昨今の「スピリチュアル」で「マクロビ」で、というあたりになるか。かなりファッション的ではあるけれど。それなりの「市場」を形成している。

いまおれは癌治療をしているが、そのあたりのいわゆる「代替療法」や「自由診療」にも、見られる。

「いのち」は神秘。

それで、おれは、「命」は「生」つまり「生きる」や「生きもの」や「生活」にある、それらを離れて「いのち」は存在しない、という意味をこめて、「生命」を「いのち」と読み、「いのち」に「生命」という漢字をあてることが多い。

その「循環」の一端は、「食べる」ことや「食べ物」に見ることができる。だけど、「食べる」ことや「食べ物」から、その「循環」が見えているとは限らない。

「食文化」も関係するし、そこにまた「いのち」がやどったりする。ややこしくて、あやうい。心臓の鼓動に手をあててみたり。

「いのち」が神秘的だと、「死」まで神秘的になったりする。

生まれたら、向かうのは、誰でも同じ死であるはずなのだが、言葉が、ややこしくする。

近頃は、「命」は、「命か経済か」と、「経済」と並べられたりして。神秘性が利用されている。

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