2017/09/16

玉ねぎペースト。

商品名では「炒め玉ねぎ」と表示されていることが多い玉ねぎペーストのことだ。

少しまえ、ある編集者と打ち合わせをしているときに、「いまのカレーブームのカレーは、以前のカレーとはだいぶちがいますよね、いつごろ変ったのでしょうか」と聞かれた。

「おれの記憶では、札幌のスープカレーが全国レベルで話題になったころではないかとおもう」といったあとに、ナンシー関のばあいはこんなことをいっていますよと、「小さなスナック」(ナンシー関、リリー・フランキー)で読んだことを話した。

そこには、こうある。

リリー あと俺、玉ネギをみじん切りにして、1時間半ぐらいかけて炒める。

ナンシー そのみじん玉ネギっていうのも、常識になったのってある時期以降ですよね。S&BカレーのCMで「玉ネギさん、玉ネギさん、小さく小さくみじん切り」てのが流れてから、ある意味日本のカレーは変わった。私はレトルトで売ってる玉ネギを使っているけど。

この話は、「CREA」02年3月号が初出だ。スープカレーが話題になりはじめたころと重なる。

ナンシー関ってすごいなあとおもうのは、こういうカレーのことでも、観察と洞察ができていて、カレーの核心部分にストレートに切りこんでいることだ。

拙著「汁かけめし快食學」にも書いたが、玉ねぎ炒めがないのが日本で普及したカレーで、「伝来」のカレーとは決定的にちがう。玉ねぎを炒めてコクを出す調理法は日本になかったもので、カレーライスは普及したが、この調理法は普及してなかった。

おれのばあいは、ナンシー関のように、レトルトのペーストを買って使っている。最近は、インスタントのルーを使うことはほとんどない。ペーストとカレー粉と、クミンやらなんやらいろいろな香辛料やセロリーやトマトなどを使い、いろいろな味のカレーをつくる。これが、変化がいろいろたのしめて、すごくおもしろい。

カレーがブームになったのもわかる気がする。自分でつくっているうちにのめりこんで、店営業まで始めたひともいるのだから。

そして、こうしてつくるほど、やっぱり、カレーライスは汁かけめしだよ、とおもうのだった。

それはそうと、「汁かけめし快食學」には、「三層のカレーライス」について書いている。

古い第一層は、調理法と味覚に統一性がない。

第二層は、1950年代中頃からで、インスタントのルーが広がり、ジャガイモ・ニンジン・玉ネギ・肉の定番スタイルが定着する。ここまでは、「黄色いカレーライス」の時代。

そして、第三層なんだが、1964年の東京オリンピックあたりから広がる、「多様化」や「高級化」これは「欧風化」ともいえそうだが、黄色くないカレーライスの普及だ。

となると、今世紀初頭からの変化は四層目ということになる。コーヒーのように「サードウェーブ」といえたほうがカッコイイのに、とおもって、あれこれリクツを考えてみると、第三層は、調理法の変化とはいえない。使っている具材の高級化や多様化ではないか。調理法からすれば、いまの変化を、「サードウェーブ」とみてもいいのではないかな。なーんて、おもったのだった。

ちかごろのカレーブームをけん引している「スパイスカレー」の話を聞くと、玉ねぎ炒め抜きのものも多いようだ。ようするに汁かけめしカレーライスとしては、コクをどうつくるかなのだな。

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2014/07/25

『ぶっかけめしの悦楽』の第6章まで掲載。

ザ大衆食のサイトに掲載中の『ぶっかけめしの悦楽』は、今日、第5章と第6章をアップした。…クリック地獄

これで約半分は、作業を終えた。

第5章 デクノボウの黄色いカレーライス
(1)「福住」のカレーライス
(2)デクノボウの台所
(3)三層のカレーライス

第6章 懐石料理の大家は言った
(1)かけめしと料理をめぐる二人の男
(2)史上初? 正しい汁かけ御飯の定義
(3)暴かれた茶漬とかけめしの不倫関係

この二つの章は、この本の核心部分で、『大衆めし 激動の戦後史』と最も関係のあるところだ。

第5章では、「台所でくりかえし再現されないかぎり、料理は伝わってひろがったことにならない。料理はつくられなければ存在しないし、たべればなくなってしまうからだ。料理の普及とは、台所での再生であり生成のくりかえしの連続でありひろがりである。/そしてカレーライスを語るとき、忘れてはならない人間といえば、そのくりかえしの現場のおふくろであろう。おふくろは、ながいあいだ台所の全知全能だった。おふくろは台所を意味し、おふくろの味は台所の味を意味した。/おふくろをぬきに、どんな食品も料理も普及しなかった。どんなに有名な料理人が本に書いたところで、軍隊が何万人で押しかけても、おふくろつまり台所でダメなものはダメであり、そこがどうであるかだった。」

しかし、たいがいのカレーライスの歴史では、そのおふくろは無視されるかデクノボウ扱いだ。なぜ、そんなことになったのか、そこには、『大衆めし 激動の戦後史』の日本料理の「二重構造」や「家事労働と料理と女と男」などに書いたことが関係するし、この問題の根は深い。

ってわけで、「デクノボウのおふくろの存在を考えよう。/とにかく「おふくろの味」というかぎり、台所の感覚であり意思であり精神であるボクタチのおふくろのオリジナリティがあるはずだ。でなければ、ボクタチは、わざわざ「おふくろの味」とはいわない。/そこには本場も本家もない。もちろんホンモノもニセモノもない。インドやフランスのおふくろが本場で本家でホンモノで、日本のおふくろは場ちがいもので分家の手ぬきのニセモノのスカ、なんてことはない。/おふくろは、そういう、ひとつのオリジナリティを意味していたはずだ。/だが、ほとんどのカレーライスの歴史では、黄色いカレーライスをつくったおふくろつまり日本の台所は、いつも感覚や意思や精神のないデクノボウあつかいである。西洋料理である軍隊の料理である男の料理であるカレーライスを、まねし、手ぬきし、自堕落なものにしたデクノボウ。/デクノボウだろうが、感覚や意思や精神がある。それがデクノボウなりに、料理にどうはたらいてきたかが料理の歴史ではないのか。」と。

デクノボウのおふくろの存在を考えることは、「生活料理」を考えることでもあるのだ。

当ブログ関連
2014/07/16
『ぶっかけめしの悦楽』の第4章まで掲載。
2014/07/14
「幻の奇書」といわれる『ぶっかけめしの悦楽』(四谷ラウンド、1999年)のWeb公開を始めた。

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2014/07/16

『ぶっかけめしの悦楽』の第4章まで掲載。

ザ大衆食のサイトに、『ぶっかけめしの悦楽』をスキャンしてPDF版で掲載する作業は、コツコツ続いている。おれは、単純で地味なコツコツ仕事が性にあっているのだな。

今日は以下の章を掲載した。これで約3分の1まで終わった。ということは、あと3分の2、残っている。


第3章 不完全なカレーライス

(1)かけめしの記憶があった
(2)無視されたかけめし

第4章 仰天のかけめしパワーを究める

(1)ヨロンどんぶりのこと
(2)目玉焼定食と目玉焼丼のこと
(3)複合融合型のこと
(4)濃厚な牛肉丼のこと
(5)大根おろしめしのこと
(6)田舎流かけめしのこと
(7)猫めしの快感と悲哀のこと


いやあ、ますます面白くなってきた。この本は、けっこう面白いなと、あらためておもう。この作業を始めてよかった。

第4章は、具体的なぶっかけめしの数々をあげながら、「ボクタチの美味追求には、二つの型がある」「かけめしの美味追求は――複合融合型。定食の美味追求は――単品単一型」「三大めし文化」などに言及しながら、カレーライスの本質にせまっている。

こちら…クリック地獄

当ブログ関連
2014/07/14
「幻の奇書」といわれる『ぶっかけめしの悦楽』(四谷ラウンド、1999年)のWeb公開を始めた。

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2014/07/14

「幻の奇書」といわれる『ぶっかけめしの悦楽』(四谷ラウンド、1999年)のWeb公開を始めた。

きのう、第2章までアップした。古いスキャナとソフトなので、けっこう手間がかかるが、なるべくはやく作業を完了させたい。

こちら…クリック地獄

昨年10月発売の『大衆めし 激動の戦後史』(ちくま新書)は、おれの本としては順調に売れているようだが、この本は、内容的には、『大衆食堂の研究』や『大衆食堂パラダイス!』より、『ぶっかけめしの悦楽』や、それに大幅加筆した『汁かけめし快食學』との関係が深い。

というのも、『ぶっかけめしの悦楽』と『汁かけめし快食學』は、『大衆めし 激動の戦後史』にも書いた江原恵さんの『庖丁文化論』や「生活料理」に関する著述を、汁かけめしとカレーライスに落とし込んで書いてみようと意図したものだからだ。

どこかに書いたと思うが、そもそもおれがこういう本を書くキッカケは、『大衆めし 激動の戦後史』に書いたように江原さんと生活料理研究所を開設し、その一環で、江原さんの『カレーライスの話』(三一新書、1983年)をプロデュースしたからで、1991年ごろだったかな?編集さんから、内容が一部古くなったので改訂版を出したいのだが、こんどは江原さんを監修にして、おれに書いてもらえないかという話しがあったからだ。

それは当初「汁かけめしとカレーライス」という感じで構想されていたが、その間に、おれが気になっている大衆食堂の話を編集さんにしたことから、編集さんが興味を持ち、そちらを先にしようということになった。それで生まれたのが『大衆食堂の研究』(三一書房、1995年)だった。

その後「汁かけめしとカレーライス」の原稿を仕上げ、初校が出るころになって、版元で「お家騒動」が勃発、宙に浮いてしまった。それを『ぶっかけめしの悦楽』として出版にこぎつけてくれたのが、四谷ラウンドの田中清行さんとフリー編集者の堀内恭さんだった。

とにかく、『大衆めし 激動の戦後史』は、どちらも絶版の『ぶっかけめしの悦楽』『汁かけめし快食學』と、内容的に深い関係にある。

今回、Webで公開しようと思ったのは、『ラーメンと愛国』『フード左翼とフード右翼』の速水健朗さんとトークをやることになって、そこで速水さんから、『ぶっかけめしの悦楽』からヒントを得たこと、「カレーライスは日本の汁かけご飯の延長として考えるべき」という論が展開してあり自分の中でパラダイムシフトが起こった、『ラーメンと愛国』を書く際に参考にした、などの話があって、おれも当ブログで紹介したし、ツイッターなどで知った方から、どのていど本気かはわからないが「読んでみたい」といわれる機会が増えたからだ。

それと、先日、2014/06/18「「とんちゃん日記」の『大衆食堂パラダイス!』『大衆食堂の研究』の紹介に、おどろきうれし緊張した。」に書いたように、いまでも『大衆食堂の研究』を新鮮に読んでくださり、Webに公開してあるHTML版を紹介してくれる方がいるからだ。

Webに載せておけば、読んでくれるひともいるだろう。『ぶっかけめしの悦楽』は、いまでも、いや、いまだから、ますますおもしろい。

01001「ニッポン人なら、忘れるな!深く食べろ!」「味噌汁ぶっかけめしから/丼物・カレーライスまで、/戦国期に始まる痛快味のドラマ。時代が動くとき、/汁かけめしを食いながら上昇する/アクティブな民衆がいた。/そしていま時代が動くとき、/かけめし再発見」と、腰巻にある。

『ぶっかけめしの悦楽』は1999年11月の発売。東陽片岡さんの表紙イラストがはまりすぎで、異臭フンプン、女性は手が出せない、なーんていわれたが、おれは2001年2月に始めた「ザ大衆食」のサイトに、こんなことを書いている。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/siryo/bukkakemeshi_etsuraku.htm
………………………………………

うん、たしかにクサイ本だ。東陽片岡さんの表紙もクサイが、中身もすごくクサイぞ。だが大衆というのは、生なましくて猥雑でクサイのだ。アジもサンマもサバもクサイし、納豆だって焼酎だってクサイぞ。もちろんおれだってクサイぞ。ま、バターだって、ワインだってクサイのだが。

とにかく、だから、大衆食の本はクサイのが自然なのだ。いろいろ知的な方面からは絶賛をあびて、椎名誠さんが『本の雑誌』で“異端の傑作本”と評したり、『読売新聞』からは“「うまいものは、うまい」という、今どきのグルメが持たないまっとうな「思想」がある”というお言葉をいただいたり、こういう本とは関係なさそうな『日経ビジネス』も“日本の食文化の特徴をとらえた会心作だ”ときたもんだ。北海道新聞、西日本新聞、週刊文春、日刊ゲンダイ、サライからエロ本といわれるレモンクラブなどなどなど、ドえらく話題がはずんだ。

しかし、ちかごろの焼酎クサイ大衆は本を読まないし、本を読む大衆は歯の浮くようなキレイゴトが好きでクサイと逃げるし。アハハハ、「下品だ」と怒ったひともいるな。ブッ、屁一発かけちゃお。

明治以後の高尚趣味の文化のなかで卑下され失われた食文化の歴史を発掘し、その流れにカレーライスと丼物を位置づけた名著である、とでも評価してほしいなあ。

いろいろ話題になったが、そのわりには売れなかったことでも有名。→→→絶賛の紹介書評集

…………………………

あははははは、愉快、ユカイ。で、絶賛の紹介書評集のページでは、こんなことを書いている。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/gebukkake.htm

…………………………
『ぶっかけめしの悦楽』は、発売以来、新聞や雑誌でけっこう話題になった。しかし、そのわりには売れんぞ。ま、みんな貧乏人だからしかたないか。

明治以後の「高尚趣味」の偏見と横暴のなかで失われた汁かけめしの歴史を発掘し、その流れにカレーライスを位置づけた。料理とは何か、料理の歴史とは何かの、本質にふれることがふんだんに下品にのべられている。
…………………………

「上品」になろうなんていう「向上心」は皆無なおれ、下品に開き直っている。キレイゴトとは寝ない、うっかり読むとケガをする下品さ。がはははは。『大衆めし 激動の戦後史』は、これまでのおれの本にはないほど女性読者がいるのだが、どうか女性読者も恐れず、『ぶっかけめしの悦楽』をごらんになっていただきたい。いや、うわべだけの連中が恐れるだけですから。

この書評や紹介を、あらためて読むと、この本は、まさにいまの本だなあと思う評がある。読売新聞の「記者が読む」欄の「酊」さんという評者は、知るひとぞ知る方で、めったにほめないそうなのだが。ここにも転載しておこう。料理と思想、「排除」や「差別」は、ますますコンニチ的課題だ。

…………………………
読売新聞 1999年11月21日 記者が選ぶ

海苔(のり)をモンゴルで食べて「黒い紙なんか食うな。山羊(やぎ)じゃないんだ」と諭された。ドミニカでカップラーメンを食ったら「スプーンを使わないのは下品」と、たしなめられた。"カルチャー食(ショック)"は、しかし国内でも体験する。新婚時代、みそ汁を飯にかけたら蔑(さげす)みの視線に遭い、深く傷ついたものだ。<ニッポン人なら、忘れるな! 深く食べろ!>という帯の惹句(じゃっく)に、積年の恨みを晴らせそうだと直感した。<熱く、かけめしを思いおこそう>で始まる奇書のテーマは、<インドを御本家とする疑惑にみちたカレーライス伝来説>を根底から覆すことにある。成否は読者の評価に俟(ま)つとして「うまいものは、うまい」という、今どきのグルメが持たないまっとうな「思想」がある。飯に汁をかけて食う行為が、異なる者に対する「排除」や「差別」と対極にあることにまで思い至った。留飲が下がったので今回はチト褒めすぎたか。(酊)

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2010/12/02

『汁かけめし快食學』は画期的だねえ。

ひさしぶりに「味噌汁ぶっかけめし」について書く原稿を頼まれて、『汁かけめし快食學』を読み返した。自分が書いた本なのに、自分で、いやあ、これこそ「名著」というにふさわしいと思ってしまった。ま、日本の料理や味覚、料理史や食事史を語るなら、やっぱ、この本を読まねば、ダメだね。

ちゃんと、「料理とは」といったことや「料理と味覚」「食事の様式」など、基本的なところを、シッカリ押さえている。時代や社会の変化と食文化と味覚の関係への目配りもできている。これを読めば、「丼」チェーン店が、なぜイマ支持されるかの必然も明らか。もちろん、「汁かけめし」については、もうバッチリ。とかとか。

だけど、前にも書いたような気がするが、この本は、チョイと複雑な書き方をしているもんで、そのう、嫌われるところもあるだろう。某氏は、「戦略的書き方」なんて評したけど、それほどのものじゃない。国営放送やマスコミが流す言説にまどわされず、「真実」を探究する興味があれば、ふつうに理解できるはずだとおもう。ある一面、この本は、江原恵さんの『庖丁文化論』や、江原さんの主張である「生活料理学」の、ブレイクダウン解説のようなところもあるのだな。

それはともかく、「ひさしぶりに「味噌汁ぶっかけめし」について書く原稿を頼まれて」と書いたが、ふりかえってみると、汁かけめしについて、テレビやラジオの出演はあったし、週刊朝日の「猫飯特集」や新潟日報の「卵かけご飯」特集で、能書きコメントをしたことはあるが、味噌汁ぶっかけめしをテーマに書くチャンスは、これまでなかったのだ。まったく無視された数年間、わったしはいつも無視されても耐えています。

これほど丼物やカレーライスなどを好んで食べながら、それほどまで「汁かけめし」に無関心であり、おれの『汁かけめし快食學』は信用されていないということだろうな。そりゃまあ、そうかなと、この日本のアリサマを見れば、おもう。でも、もちろん、ありがたいことに、ちゃんと理解してくれている読者もいる。

ま、とにかく雑誌に、「味噌汁ぶっかけめし」について書くチャンスが、初めてまわってきたのだから、ハテ、うまく書けるかなあ。掲載誌は、締め切りまでに原稿を書き上げ、無事に校正がすんだら、告知します。

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2006/11/01

まだまだ、『汁かけめし快食學』オッ声 16

それで、きのうヤフーのブログ検索で「遠藤哲夫」を調べたとき、最近の10月26日に『汁かけめし快食學』を紹介している方がいて、おおっ、そういえばこのブログでやっていた「『汁かけめし快食學』オッ声」を最近はやってなかったなあと思いついた。んで、16回目をここに。

衰退する出版界読書界を象徴するかのように、権威筋身内でほめあってやっと線香花火のように売れる最近の、塩山芳明著南陀楼綾繁編『出版業界最底辺日記』、南陀楼綾繁著『路上派遊書日記』、向井透史著『早稲田古本屋街』のサルがよろこぶ三大オナニー本とちがい、『汁かけめし快食學』は、専門家に無視されても権威にまどわされることなく真摯に本とむかいあい自分を信じ真実を愛する読者に、このように読まれ続けているのだった。ああ、これこそ、偉大な書物の姿ではないか。しかし、この本は、スタートダッシュの短期間に売れなかったゆえ商品価値がないものとして、やがて絶版になる運命にあるのだろうが……細々ゆっくり、サルより人間によろこばれる本を、よろしく~。

06年10月26日
奄美諸島史の憂鬱 気になる汁かけめしと鶏飯
http://amamiislands.blog52.fc2.com/blog-entry-121.html
そう、奄美の汁かけめしといえば鶏飯だ。そういや、中野にあった琉球酒館の女将が、鶏飯をつくって食べさせてくれると言っていたが、ガンになり、店をただんで、どこへ行ったのか……。ま、とにかく、鶏飯伝統の地で、この本が読まれているなんて、うれしいねえ。

06年8月14日
お暇なら読んでね 汁かけめし快食學 遠藤哲夫
http://ameblo.jp/kanmani/entry-10015518246.html
「書評?読書日記?それとも書評?でもね、本なんて、100冊買って1冊あたりがあればいい方」と、ほんとだねえ、サルがよろこぶ本ばかりだ。書評なんていうと、観念的なサルがよろこびそうな能書きが多いし。そこへいくと、この書評ブログは、ぶっかけめしみたいに、気どらないで楽しくて、いいねえ。そこで『汁かけめし快食學』については、「汁かけ飯といいますか、ぶっかけ飯について熱く語っている1冊です。その情熱たるや、半端ありません。著者が日本で初めてぶっかけ飯に関する著書である!といいきるほどに深い深い洞察が記されている1冊です。何しろ、歴史的、民俗学的、文化的、文明的、文学的にぶっかけ飯を語っているのですから。その熱意たるや、もはや理解不能です(笑 」と。いやあ、あははは、うれしいねえ、おれは熱意だけで生きている人間なのさ。熱意のもとは酒。

06年6月7日
非@食べ歩き 汁かけめし快食學
http://guruman.blog62.fc2.com/blog-entry-58.html
「非@食べ歩き」さんについては、以前、ここで紹介しましたね。

06年3月11日
Surfin' Rabbit Station 番組Information
暮らしのサイケ日記「慌しくも読書に勤しむ日々の巻」(サイケ)
http://blog.goo.ne.jp/humansnet/e/89d289b237e5053b314d6bd6dbf7a672
「カレーライスを例に、食文化としての広まり方を考察しないでそのルーツだけを取りざたすることの無意味さを説く章にはハゲしく頷く。これ何にしてもそのとおりで、ルーツよりも伝播や浸透の仕方をキチン把握しないと文化というのは見紛えるものだと思うのです。これ以前番組用にハゲしくロックンロールについて考察した時の実感」と。うーむ、なるほど、ロックンロールの歴史についても、そのようなことが。しかし、あいかわらずルーツだ元祖だと騒ぐ歴史がハヤルのは、やはりサルが多いせいだろうか。

以上、見逃していて、まだほかにもあるかも知れないけど、あったら、トラックバックなりコメントでお知らせください。

そうそう、あと、ときどきコメントをいただく、pfaelzerweinさんのブログ「Wein, Weib und Gesang」の9月23日に「こねこねクネクネ」のタイトルの話、これは汁かけめしにも関係があって、おもしろい。
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/17b1d5ee2e3b61d3d8d878d2fa258ee4

『汁かけめし快食學』を読んだあとなら、ときには人間からサルになって、『出版業界最底辺日記』『路上派遊書日記』『早稲田古本屋街』をオナニーするのもよいでしょう。

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2006/09/01

アサリ大根鍋ぶっかけ

きのう、どうしてもアサリの味噌汁が食べたくなり、近くのD級スーパーで愛知県産パック入りを買って来て食べた。やはり、どうしても食べたいものを食べると大満足だったが、食べながら、そういえば最近、もう昨年から一年以上か、「アサリ大根鍋ぶっかけ」をやってないなあ、うれはうまいんだよなあ、と思い出した。

「アサリ大根鍋ぶっかけ」は正式の名前ではない。「アサリ鍋」とかテキトウに呼んでいる。そのことを『ぶっかけめしの悦楽』のあとがき「かけめしはこれからだ」には書いたが、『汁かけめし快食學』では省略したので、ここに転載しよう。

以下………

 六月、この本の出版の打ち合せで、四谷ラウンドの社長の田中清行さんに、編集の堀内恭さんとお会いしたとき、「おすすめのかけめしは?」ときかれた。
 ちょうど安いアサリがでまわっている時期だったので、すぐさまアサリ鍋の汁をかけるやつとこたえた。
 卓上のコンロにかつお節かなんかのだし汁のナベ、アサリ、たっぷりのダイコンの千切りを用意する。
 煮立っただし汁に、アサリとダイコンの千切りをたべる分量ずつ入れ、サッと熱を通して汁ごとめしにかけ七味をふりながらたべる。あるいはアサリとダイコンだけたべながらイッパイやって、あとで汁をめしにかけてたべる。
 これは、たしか似たようなものがめしにかけることはしなかったかもしれないが、池波正太郎さんの『剣客商売』のどこかに出てきたような記憶がある。けっこうやっている隠れファンがいるのではないか。
 うちでは、アサリをむきみにしてやるめんどうはしない。殻ごと入れ、バカっと口があいたところでとって身をとりだしながらたべる。この作業がまた楽しい。
 「塩あじはどうするの」ときかれたので「アサリに塩あじがあるからいらない」とこたえた。最初はそうしたほうがアサリのダシあじと塩あじの加減がわかってよいからだ。不足があれば、たべるときに醤油をもちいる。
 だし汁に醤油と味琳を入れたものを用意してもよいのだが、最初から濃い汁でやるとクセになるので、はじめは味つけをできるだけおさえ、季節や体調により調節するようにするわけだ。
 お二人にはさっそくやってみてもらって満足していただいた。

………以上

うーむ、この秋には、これをやるぞ。これで、やっぱ、清酒かね。燗酒かね。うーむ、ヨダレ。

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2006/08/12

マダガスカルは「汁かけめし天国」だと

先月1か月、仕事兼アソビでマダガスカルへ行っていた知人から手紙があって、「マレー半島系の黒人たちが住んでいて米が主食。まさに、汁かけめし天国でしたよ」と書いてある。うれしいね。なんとなく見過ごされがちな汁かけめしだが、あっちこっちにフツウにあるのだ。『汁かけめし快食學』を読んで、もっともっと見直してほしいね。さて、朝酒でもやりながら、豆腐の残り汁をめしにかけて食べるか。でろでろでろ。

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2006/03/05

春れろのめ ザ大衆食を更新 週刊朝日猫飯特集

ひさしぶりに「ザ大衆食」を更新。
「ゲロッ、週刊朝日、表紙は紀子さま。
猫めし特集に、おれとゲロめしが、卵かけごはんや猫ひろし&小泉武夫と揃い踏み。」
という長いタイトルで、このあいだの週刊朝日の記事を写真で紹介……クリック地獄

夏をのりきる「卵かけごはん」リンク特集を掲載したのは、昨年の7月10日だが、まだ「卵かけごはん」がブームというかなんというか、専門醤油の「おたまはん」は生産が追いつかない状態らしい。

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2006/02/15

週刊朝日に「ゲロ飯」が

いやあ、おどろいた。って、おどろいちゃいけないか。

きのう?発売の「週刊朝日」だよ。紀子さまが表紙だよ。そのカラー特集が「猫飯究極奥義」だ。そこで、な、なんと、おれが「ゲロ飯」くっている。ほんとにやってくれた週刊朝日!

とりあえず、報告。読んでね。

関連
1月21日「ゲロめしの行方は」
12月22日「はたして、ゲロめしの写真は?」

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