2018/07/06

鰯(いわし)の立場。

1005

一か月前の6月6日に発売の『dancyu』7月号は「本気の昼めし」という特集で、おれは都内の動坂食堂を取材して書いた。

『dancyu』は、いわゆる「グルメ」な雑誌であり、ということは、とにかくモノの味覚が中心であり、それによった話が中心になっている。だけどおれのばあい、あまりモノの味覚を中心にした話は書いてこなかった。それは、テーマにもよるが、「食堂」が対象になることが多かったためでもあるのだな。

この号の動坂食堂ではちがった。「イワシの天ぷら」を全面に押し出し、おれにしてはモノと味覚によったことを書いている。

それは、鰯の立場が、その字のように、あまりにも弱いからであり、冷遇されていることが多いとおもっていたからだ。

書き出しから、「イワシの天ぷらが好きだ」とやった。ほんとうに好きなのだ。好きなんだが、大衆食堂でも、食べられるところは少ない。大衆酒場や居酒屋というところへ行くと、まだある感じだが、でもこれほど安い大衆魚なんだから、もっとあってよいはずだとおもうほど、メニューにあるところは少ない。

イワシの刺身は、天ぷらに比べるとあるようだ。おれがたまにいく回転寿しには、イワシは必ずある。おれは、真っ先にイワシとアジをにぎってもらう。

動坂食堂の「イワシの天ぷら定食」について、書き出しからもっと引用しちゃおう。

 イワシの天ぷらが好きだ。特に定食となると、淡白な米の飯とは対照的な味わいの、イワシ天の個性がものをいう。だけど、その個性は実に微妙で、鮮度に左右されやすい。つくるのも食べるのも、イワシの脂の劣化との競争なのだ。
 動坂食堂のイワシ天は素晴らしい。腹の辺に大葉がからみ、骨はとってあるのだが、活きのよい仕事ぶりをしめすかのように、スックと立ちそうなほど、まっすぐカラッと揚がっている。油の鮮度もよく、いつ食べてもうまい。
 とにかく熱々のうちに食べる。冷めて味が落ちないうちに食べたい。心がはやり、テーブルにおかれると同時に、最初の一尾を、つゆを使わずに大葉が付いている側から頬張る。サクサクサク、大葉の爽快感とイワシの旨味が口中に広がる。はあ~これだよなあ~、と一息ついて、残りの2尾はつゆをちょっとつけ、ごはんと交互に口に運ぶ。味噌汁も丁度よいあんばいだ。

というぐあいだ。これで全原稿量の半分ぐらいを使っているのだから、おれとしては異例だ。

本当は、「腹の辺に大葉がからみ」という揚げ方に、とくに特徴があるのだが、字数の関係でふれられなかったから、ここに書いておこう。。

イワシの天ぷらに大葉は付き物といってよいぐらいだが、たいがい、イワシの身に巻くか、衣に巻いて揚げる。ところが、動坂食堂のものは、たぶん、イワシと大葉を別々に揚げ鍋に入れ、鍋の中でからめるのだろう、イワシと大葉は衣で接続しているだけなのだ。だから、大葉の側から食べると、大葉が香りがサクサクッと口中に広がる。イワシもサクサクだ。

イワシの立場は弱い。肥しや養殖魚のエサだったのであり、だいたい「雑魚」「下魚」といわれる青魚の中でも、サンマのように話題になることもなく、最も弱い立場にあった。

そこには、安物をバカにしたり、安物を食べたり身につけたりする人をバカにする、根強い文化もからんでいる。「高級」がエラそうにしているのだ。

そして、これが旨さのもとでもあり、大きな弱点でもある、皮下脂肪の劣化が早いのだ。そして、その脂は、なんという物質だかすぐ思い出せないが、もともと若干の臭みと雑味というかエグみを含んでいて、それが「下品」と嫌われたりしていた。そして、脂の劣化で、その臭みやエグみが、どんどん増すのだ。

それから、とうぜん、イワシを揚げると、その脂が天ぷら油に溶けだして、油まで臭くなる。

ま、そういうこともあって、扱いにくいクセのあるやつなのだなあ。

だけど、そこが可愛いのよ。

おれは、若干の臭みやエグみは、けっこう好きだ。下品といわれようが、悪趣味といわれようが、けっこう。そういう偏見こそモンダイだとおもっている。

イワシの個性は、それなりの旨さだ。

が、しかし、自分で料理に使うときは、やはりけっこう気にする。イワシの生姜煮や梅煮にしても、骨を残すわけで、生ゴミにすると、そこから昨今の密閉性の高い家中に、臭いが広がる。やせ我慢で、うーん、イワシは臭いまで旨いねえ、と言っていても限界がある。だから、イワシを食べるのは、ゴミ出しの前の晩にしている。

イワシを叩いて、ダンゴにして味噌汁(ツミレ汁ね)にすれば、あとかたもなく腹におさまるのだが、そのばあいでも、内臓ははずすわけで、これがまたキョーレツな臭いのもとになる。

まだ、この臭いに馴れきるほど、おれはイワシを愛していないのだろうかと、おれは悩む。

谷崎潤一郎というやつは、とんでもないやつだ。イワシの天敵だ。やつは、イワシだけを「下魚」といって下等なものにしたわけじゃなく、東京の人間が食べるものを「見るからに侘しい、ヒネクレた、哀れな食ひ物」としたのであり、そこにイワシやサンマも含まれる。

かれは東京生まれ育ちで、関東大震災のあと、関西へ移住し、芦屋あたりに住んだ。

ま、別に東京の食べ物を擁護したいとは思わないが、食べ物について偏見を持った人間というのは、みっともないとおもう。それが仮に「美学」だとしたら、クソクラエだ。

今日は、これぐらいにしておこう。

そうそう、滝田ゆうの『寺島町奇譚』には、一家がツミレ汁を作って食べる場面があるけど、とても旨そうでシアワセそうで平和な、いい景色で、好きだねえ。その暮らしが戦争で焼け野原になる。庶民の暮らしや食べ物を見下す文化と差別や戦争は無関係ではない。

そうそう、それで、『dancyu』の動坂食堂のページだが、おれが原稿を書く段階でのレイアウトでは、イワシの天ぷら定食の写真が右上で、右下は客がたくさんいる店内の写真だった。

出来上がったのを見たら、店内の写真は特集の大扉に使われ、その写真があったところにはミックスフライの写真がおさまっているのだった。こういうのは、ショーガネエことだし、ドーセ文章より写真が大事だからねとおもってはいても、原稿書くときは、写真とのバランスを考えながら書いて、それでコンプリートされるイメージで書いているから、ギャーなんだこれ、ページのクオリティが落ちているじゃないか、と、少しはおもって、スグ忘れた。

そうやって、フリーの仕事も人生も流れて行くのです。それが、たのしいのです。

1001

1004

1005_2

|

2018/05/21

長寿健康自然志向系飲食の扱い方。

1001

1006_2

2018/03/30「座・高円寺の広報紙、フリーマガジン「座・高円寺」19号の特集は「高円寺定食物語」。」に載っている食堂をボチボチ紹介している。

今回は、「こうじ料理・酵素玄米のお店」を謳っている、「つる来」という食堂だ。
http://tsuruki-kouji.com/

大雑把には、マクロビ系オーガニック系ということになるだろうか、とりあえず「長寿健康自然志向系」ということにしておく。

おれは、1980年代の中ごろから、この分野で熱心な人たちと付き合いはじめ、有機栽培系の生産者が活躍していた山奥の産地で暮らしたこともあり、1990年頃は、当時は「マクロビ」という言葉は使われていなかったが、そういう食事を数か月ばかり続けた。正確には、「自然農法」に取り組む家族の家に、なかば「下宿」して仕事をしていたので、そういう食事を頂戴していたのだ。そのあと東京で1年ほど玄米食と続けたことがある。

その後は、以前と同じように、普通の食事をしている。

近年になってからは、このマーケットが注目されるようになり、調査を請け負ったりした。前にもこのブログに書いたことがあるが、この方面に多少の知識はある。だけど、お店を取材をして書くのは初めてだった。

こういう飲食や飲食店をめぐっては、いろいろな話があるし、また実態も様々なので、実態把握も伝え方や表現が難しい。

とりあえず、今回は、一般的な食堂と一緒に載ることでもあるし、つる来のような飲食店こそが「いい飲食店」という印象が増大する方向へ加担することは避けたかった。

というのも、飲食や料理に正統性や優越性を求める結果、「長寿健康自然志向系」は正しく優れていて、それを扱う人たちは研究熱心で志や意識が高く正しく優れているという印象が増すことで、一方では一般的な普通の食事やそれを提供する仕事に関わる人たちが低く評価されたり見下される位置に立たされることがあるからだ。

以前、何かのテレビのそういう番組を見ていた食堂の人と客が「おれたちはどうせ邪道の人間だからね」と自虐的冗談をとばしているのを聞いたこともあるが、似たようなことに何度か遭遇した。

とかく、メディアサイドで仕事をしている人間は、いい気になりやすい。そこから生まれた表現は抑圧的になりやすいし、単なる同調や、ともすると屈折や反発を招きかねない。より正確な認識と理解のさまたげになる。

それからもう一つは、「つる来」が提供する玄米食は「長岡式酵素玄米」というものだが、これを「宗教」と見ている人たちもいるようで、それは「長岡式酵素玄米」そのものについては正確な認識ではないだろうということだ。

だいたい「宗教」だからと否定することそのものがおかしい。「政治的」「思想的」「宗教的」だからと否定する妙な風潮があるのも問題だろうけど、それはともかく。

「長岡式酵素玄米」は炊いた玄米の発酵に特徴があり、つる来は、ようするに、おかずも含め発酵を活用している店なのだ。そこで、「長岡式酵素玄米」について説明したあと、このように書いた。

「「発酵食品」というとカタイ感じだが、納豆、みそ、しょうゆ、かつお節など、昔からなじみ深い。ただ、工場生産によって発酵の仕組みも変わった。そこで、手ずからの発酵料理に関心が集まっているようだ。「自然派健康志向の定食」といってしまうと、これまでは「健康度外視定食」のようだが、そういうことではない。健康や幸福についての考え方が様々になったのだ。お互い認め合い、おいしさたくさんあったほうが楽しい。というのは、筆者の考えなのだが」

おれはもともと、飲食に正統性や優越性は求めていない。また、つる来の店主も、正統性や優越性を主張しているわけではないし、押しつけがましさはない。自分の健康な生き方への関心に従っているだけなのだ。

ところで、飲食店の商売は立地に左右されやすい。

「こういう定食は、都内でもまだめずらしい。それが高円寺にある。つる来は早稲田通りにあって、駅から少し離れているからか、価格の面でやりにくいこともあるようだ。ある意味、「安い高円寺」でのチャレンジともいえるか。遠方、名古屋などからのお客さんもいるそうだし、高円寺の定食の魅力がふくらむ可能性も感じる」

優劣より、事実を全体的な視点で歴史や社会(地域)に位置付ける。それは、ライターの仕事で、肝心なことかな。

当ブログ関連
2018/04/28
「高円寺定食物語」の天平。
2018/04/05
「高円寺定食物語」の伊久乃食堂。

1014

|

2018/04/28

「高円寺定食物語」の天平。

1001

1003

2018/03/30「座・高円寺の広報紙、フリーマガジン「座・高円寺」19号の特集は「高円寺定食物語」。」に載っている食堂を、ボチボチ紹介していきたい。

ということで、前回は伊久乃食堂を紹介し、日にちがあいてしまったが、今回は天平だ。

1019「戦後の大衆食堂の源流に位置する「民生食堂」の、その当時の看板と建物のまま営業しているのは、おそらく、ここしかないだろう」「天平は、民生食堂がスタートした1951年の開業だ」

現在の建物や看板は開業から5年後ぐらいに建て替えたもの。よほど手入れがよかったのか、もとの材料もよかったのか、木造の窓枠まで当時のまま残っている。腰板が、板ではなくタイル張りというのも貴重だ。しかし、消えることが決まっている。

店主はおれよりふたつ年上の1941(昭和16)年生まれ。1960年から、ここで働いている。一年ちょっと前、妻に先立たれ、ひとりで続けてきた。元気だが、食堂の仕事は大変だから疲れる。

後継者は、いない。そういえば、伊久乃食堂も、後継者はいない。そういう、高齢者がやっている食堂が多くなった。先日ここに紹介した、『dancyu』5月号「美味下町」特集のはやふね食堂も、おれと同年輩の夫妻がやっているが、後継者はいない。あそこも、ここも、指を折ってみると、けっこうある。

小さいころ戦後の生活を体験し、復興期から高度成長期、その後の大衆の食生活や大衆食堂があるまちを記憶している人たちが、まちから消えて行く。

追い打ちをかけるように、天平は前の道路の拡張工事で建物の取り壊しが決まった。

ま、「座・高円寺」をご覧ください。民生食堂と定食の歴史についても、ふれている。

当ブログ関連
2018/04/05
「高円寺定食物語」の伊久乃食堂。

1018

1030

1027

1024

|

2018/04/13

『dancyu』5月号「美味下町」ではやふね食堂を取材した。

1006

1007

去る6日発売の『dancyu』5月号は「美味下町」という特集で、おれは森下の「はやふね食堂」を取材して書いている。森下は、もとは深川区だから深川と言ったほうが通りがよいかも。

1991年ごろ初めて行った食堂で、おれの最初の著書95年発行の『大衆食堂の研究』には、はやふね食堂について「昭和の初めのころには、 当時の東京市内の飯屋の一五パーセントは深川にあったのだそうな 。だけど戦争をさかいに、 田舎の世田谷区や杉並区の方に移住するひとも多く、激減。で、 伝統あるこの地で、食堂といえば、ここだね。」と書いてある。

森下3丁目といえば「ドヤ」というイメージは80年代ごろから次第に薄れていったけど、戦前から屈指のドヤ街だった。はやふね食堂の裏はドヤが並び、この界隈には、ほかに3軒ほど食堂があったらしい。いまはその面影もない。住宅と小さな町工場が入り混じってひしめきあっている。

すぐ前に深川小学校があり、はやふねのご主人は昭和19年早生まれで、昭和18年遅生まれのおれとは同学年になるのだけど、ここで生まれた。深川一帯が空襲で焼け野原になったときは、長野へ疎開していて難は逃れた。

その焼け野原にもどってきた一家の母が、焼き芋やかき氷を売る店を始めた。それが食堂へ「進化」した。

築地が近いので魚は築地へ買い出しに行く。「野菜は?」と聞いたら、「引き売りと、近所のスーパー」と。「え、このへんまだ引き売りが来るんですか」と聞くと、「トラックでね」。昔の「引き売り」という言葉をそのまま使っているが、そのトラックは、朝のうちに葛西方面の農家で直接仕入れ、売ってまわるのだそうだ。いかにも東京の東の下町らしい話だ。

深川で生きた母の手料理が引きつがれている食堂。「特別の食材は使っていないし特別のことはしてないと言う」だけど「ありふれたものをおいしくつくる熟練の味」がある。

この前の見開きページを、山本益博さんが書いている。門前仲町の「ふく庵」の天ぷらだ。山本さんは「私は特価品には興味はなく、いつも心がけていることは特上品の批評である」と、いかにも彼らしいことを述べている。

で、そのページをめくると、「特価品」ではないが「特上品」でもない普通の食事のはやふね食堂になるというわけで、下町の懐の深さを感じますね。

写真は、「料理写真界のキムタク」こと木村拓さん。

また今号の写真には、久しぶりに、久家靖秀さんが登場。浅草の「鮨一新」を撮影している。

ま、手にとって見て下さい。

最後の写真は、はやふね食堂の40年の糠床。

1002

1003

1032

|

2018/04/05

「高円寺定食物語」の伊久乃食堂。

2018/03/30「座・高円寺の広報紙、フリーマガジン「座・高円寺」19号の特集は「高円寺定食物語」。」に載っている食堂を、ボチボチ紹介していきたい。

といっても、ただいま絶賛配布中なので、詳しくはそちらを見ていただくとして、ここでは写真を中心にチラ見ていどだが。

まずは、伊久乃食堂。

1002

この場所で始めたのが62年前というから、1956年のこと。おれは13歳だから、中学生。あのころの日本は、どんなだったか、どのていど知っています?といっても、ひとの記憶はアヤフヤ。しかし、そのままの姿で続いていることもある。

「一日の始まりに、大きなガスコンロの上に昔の厚くて重い木のふたの羽根釜をのせ、めしを炊く。」

1023

伊久乃のメニューは、すごくシンプルで合理的だ。開業当初のものから、フライ類を減らしたものらしい。揚げ物を使う定食は、かつ定食600円とかつ丼700円のみ。

「定食15品、丼2品、単品7品、それにビールだけ。豚肉、野菜、魚、豆腐を主材に、過不足ない限界までしぼったような定食中心のメニューだ。/一番高額の定食が鮭焼680円、安いのは450円のもやし炒め。」

1019

「ニラ玉子とじは、タマネギとニラを煮て玉子でとじるのだ。」「見た目は頼りないニラ玉子とじ、だしもきいてよいおかずだった。」480円。

1024_2

伊久乃食堂があるあづま通りには、ほかにも伊久乃と同じぐらい古い「福助」、それから「やなぎや」などの食堂もある。この通りには、古い鮮魚店もある。おれは、昔の鮮魚店が続いている町は暮らしやすいところ、という偏見を持っている。

1018

|

2018/03/30

座・高円寺の広報紙、フリーマガジン「座・高円寺」19号の特集は「高円寺定食物語」。

1001

2018/03/08「座・高円寺の「座」。」に書いた、「座・高円寺」19号が出来上がって届いた。

「高円寺定食物語」という特集、文はおれが担当した。

戦後民生食堂が誕生した当時のままの看板と建物の「天平」は、道路拡張のため年内に取り壊しになる。取材が出来てよかった。大衆中華、大衆洋食のほかに、酵素玄米と麹料理の食堂、今風の惣菜店の定食、鮮魚店の定食など個性それぞれ、定食と食堂や人から高円寺の面白さや特徴を探った。

タブロイド判(1ページのサイズが新聞1ページの半分)だから、見開きだと新聞1ページ分の迫力。有山達也さんのアートディレクション、齋藤圭吾さんの写真で、思いっきりグラフィックだ。どうか手にとって見て下さい。

発行=NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺
編集委員=有山達也、岩淵恵子(アリヤマデザインストア)、齋藤圭吾、NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺

1002

1003

1005

1004

1006

1007

|

2018/01/05

『ユリイカ』1月臨時増刊号、遠藤賢司と大衆めし――「カレーライス」から

1071

去る12月26日に発売になった、『ユリイカ』1月臨時増刊号「総特集=遠藤賢司」に、「遠藤賢司と大衆めし――「カレーライス」から」を寄稿した。

年末のある忘年会で、「エンテツがユリイカなんてイメージじゃないなあ」といわれた。ほんと、そうだよな。

エンケンこと遠藤賢司は、去る10月25日に亡くなった。享年70は、おれより若い。

そこで、追悼特集。

エンケンを追悼するにふさわしいみなさんがズラリ並んでいるなかに、おれだけお門違い場違いでスミマセンという感じで、加わっている。

「詩と批評」を謳う『ユリイカ』は、まったく縁のない存在だった。どこの世界のハイカルチャー。

編集者からトツゼン、「遠藤賢司と大衆めし」ということで論考をお願いしたいと依頼があり、エッセイならともかく音楽についても遠藤賢司についても論考を書けるほどの知識がないと返事をしたら、いや「堅めのエッセイ」であればといわれ、引き受けた。

だいたい、近ごろの出版の傾向としては、この分野はこの人に頼んでおけばアンシンという実績のあるライターに発注する「安全パイ主義」や「テリトリー主義」が普通だ。編集者もライターも、あるいは読者も、そういうある種の権威主義のサークルのなかで、ご安泰あんど閉塞。自由に羽ばたいてアブナイことに会うかもしれない危険はおかさない。

そういうなかで、大胆にも、まるで畑違いのおれに声をかけてくる編集さんにも興味があった。

けっきょく、20枚以上といわれ、書いたのは25枚。今年一番のボリュームで、一番難しかった原稿。論考風エッセイかエッセイ風論考か。

エンケンの代表曲「カレーライス」がらみだが、音楽的な話はナシ。

やってみると、視点が変わる効果か、これまで考えたこともなかった、いろいろなことが見えてくるもので、もう少し時間があったら、国会図書館まで行って調べたい資料があったのだが、残念ながら余裕がなかった。

「大衆食の射程のひろさ、深さに感嘆した」というような感想をいただいている。エンケンのうたが、その広さと深さをとらえていたということでもあるだろう。

■アルバム
不滅の遠藤賢司

■再録エッセイ
「ほんとだよ/猫が眠ってる」復刻によせて / 遠藤賢司

■インタビュー
土から這い出す純音楽 / 鈴木慶一(聞き手=湯浅学)
ふたりのエンケン / 浦沢直樹(聞き手=細馬宏通)

■歌の生まれるとき
遠藤賢司のライク ア ロォリング ストーン! / あがた森魚
マーチンD-35 / 岡林信康
昨日よりも育ち、昨日よりも若く、これぞ不滅の若さ / 中川五郎
歌と出会う / 友部正人
純音楽に全身全霊をささげた不滅の男 / 山本恭司

■純音楽の道
エンケンと話したかったこと / 田中泯
エンケンのこと / 夢枕獏
サイナラ、エンケン。 / 篠原勝之
純音楽家の美しさ / 山崎哲
ほんとだよ──言音一致の純音楽家 遠藤賢司 / 佐野史郎
エンケンの思い出 / 原マスミ

■対談
森羅万象変幻自在のエンケン / 湯浅学×岸野雄一

■遠藤賢司の旅
銀河鉄道の夜汽車のブルース / 遠藤ミチロウ
エンケンさんとあまちゃんと / 大友良英
ギター1本勝負! / 奈良美智
いきてるよ / 山崎春美
遠藤賢司さんとの思い出 / 戸川純
エンケンさんからもらったもの / 曽我部恵一

■歴史のはじまり、そして……
早すぎた芸術家、遠藤賢司 / 東谷護
「ほんとだよ」からはじまった純音楽の旅 / 北中正和
「日本(ニュー)ロック史」の形成とエンケン / 輪島裕介
一九八八年の遠藤賢司 / 南田勝也

■彼はいつでも最高なのさ
エンケンさんちょっとイイ話(第1回) / 根本敬
浅草キッドと東京ワッショイ / 水道橋博士
透きとおって、音になる / いしいしんじ
僕とエンケンさん / 森信行
裸の王様 / 湯川潮音

■君も猫もみんな好きだよ
んの彼方に / 細馬宏通
遠藤賢司は最初から遠藤賢司であった──茨城県県北地域で育まれたものと、彼のなかに流れ続けたもの / 大石始
遠藤賢司と大衆めし――「カレーライス」から / 遠藤哲夫
遺されたブックリスト / 本山謙二

■資料
遠藤賢司略年譜 / 柿谷浩一

青土社のサイトは、こちら。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3114

|

2017/10/09

スペクテイター40号「カレー・カルチャー」。

003

最近発売の『スペクテイターspectator』40号「カレー・カルチャー」(発行=エディトリアル・デパートメント、発売=幻冬社)は、充実した内容で、息をつめて読んだのちためいきが出るほどよかった。

飲食や食べ物をテーマにした雑誌や本がハンランするなかで、ひさしぶりに、いい本と出合った気分だ。

おれも「カレーショップは現代の大衆食堂である」という一文を寄稿しているわけだけど、そのことを抜きに、絶賛したい。だけど、全体の構成のなかで、おれの文章もじつにおさまりがよい働きをしている。

やはり編集力というものが、ちがうのだ。

おれのテーマを担当した編集者は、赤田祐一さんだ。以前、赤田さんが編集長の「dankaiパンチ」に何度か寄稿したことがあるが、直接赤田さんと仕事をやるのは初めてだった。

なにしろ有名な編集者だから、どんな方かと興味津々だったが、確かに、最初の打ち合わせのときから、これまで会ったことのある編集者とちがった。

という話はともかく、おれがこの本を「いい本」というワケは、俯瞰的視野と多角的視点で構成され、「私語り」の語りの形式や言葉でなく、つまり編集者や著者の嗜好や価値観や世界観ではなく、いま「カレー・カルチャー」はこんなアンバイなんだよと対象に肉薄していることだ。しかも、表現が、漫画も盛りこみ、多様。

まさにスペクテイターの見方。スペクテイターならではの、これこそサブカルチャー、というオリジナリティがある。

そうなのだ、ちかごろの飲食や食べ物をテーマにした本や雑誌がツマラナイのは、編集や著者のオリジナリティがなく(オリジナリティは編集手法と表現手法ぐらい)、いつも既視感が漂っていて、ああまたね、だからなのだ。お互いに「ああまたね」のアンシン感で成り立っている。おれが書いたものも、そんな風に読まれているのだろうなあとおもうと、あまり気持のよいものではない。

この本は、食べ物と人、食べ物と人と人の関わりを掘り下げていて、カレー好きでなくても、現代と現代の生き方を知るおもしろさがある。とくに、「分断」がいわれる社会で、それを深めたり固定化するのではなく(たいがいの飲食や食べ物の本は、たこつぼの視野とたこつぼの視点で、こちらに巻き込まれている)、多文化が混ざりあいおもしろいことを生み出していく力を感じる(カレーがまさにそう)。

閉塞から抜け出し、解放的で可能性豊かな人生を考えるのによい。なんだか、カレーは食べたくなるし、カレーを作りたくなるし、カレーを食べたときのように得体のしれないエナジーが身体の芯からわいてくるのだ。

もくじを見よう。

なぜカレーについてこれほど熱くなるのか? ←コラム
カレーの歴史をたどる ←年表
インド&カレーのAtoZ

大阪スパイスカレー誕生秘話 南インド料理こそ「真」のインド料理? ←文・森好宏(宮城県仙台「あちゃーる」店主)漫画:UJT

カレーの国のエクソダス ←取材・撮影・文:三田正明

   タバ・クニタチ(東京都国立市)
   店主・須田竜
   食堂のおっちゃんになりたいんです

   虎子食堂・カレー屋まーくん(東京都渋谷)
   店主・まーくん
   混ぜるな危険!
   当店のカレーはまぜないでください

   妄想カレー ネグラ(東京都杉並区)
   店主・大澤思郎&近藤麻衣子
   カレーは作るのが楽しい人が
   作ればいいと思うんで

潜入「カレー事情聴取」 ←漫画:清本一毅
漂流社、カレー屋はじめました ←漫画:川崎昌平

個性派カレー店主たちは、どんなことを考えているのか? ←取材・撮影・文:編集部(赤田)

   beet eat(東京都世田谷区)
   店主・竹林久仁子
   「ジビエカレーを提案するということ」

   JAY(山形市)
   店主・由利三
   「私はインド料理に生かされているだけ」

   愛のカレー研究所(秋田市)
   店主・村上祐子
   「結局カレーは人に喜んでもらうための手段の一つに過ぎないんです」

博士のカレー ←漫画:関根美有

デリー発、イミズスタン行き 富山カレートリップ ←取材・文:ワダヨシ+和田侑子

カレーショップは現代の大衆食堂である ←文:遠藤哲夫

レトルトカレーは何を食べたらいいか? ←語り手:カレーの島田 聞き手:パリッコ 構成:編集部

いじょう。

赤田さんからの最初の依頼は「カレーショップは現代の大衆食堂である」ではなく、「カレーショップは現代の大衆食堂か?」で、「か?」がついていた。そのまま原稿を書いて送り、見出しはこのようになった。

「論考」にしてくれといわれ、このテーマで論考とは、ずいぶんややこしい難しい注文だなあとおもった。

だけど、このライターにこういう企画やテーマをぶつけてみたら、どんなことを書いてくれるのだろうか、とか、なにか出てくるんではないかという、スリリングな期待での原稿依頼というのは、ほとんどないなかで、これはなかなかおもしろい編集者だし、おもしろい仕事だとおもった。

たいがい、食べ物や店や人や場所などの素材があって、書いている。しかも、このライターならアンシンという、無難でラクな選択ばかりが多いなかだ。取材や書く緊張はあっても、素材あってのことだねで、最初から頼りになる素材が選ばれている。

そういうことにならされた脳ミソは、しばらく悩んだ。しかも、論考で、エッセイに逃げることができない。とはいえ、最後はエッセイ風で締めたのだけどね。

とにかく、テーマがテーマだから、料理論や味覚論から離れ、ぶっかけめし論をやりたくなるのもガマンし、さまざまな資料を用いて、大衆と大衆食といわれるカレーの成立期を食堂史のなかに位置づけることをした。

8000字の原稿。

赤田さんと何度かメールのやりとりがあって、その内容も濃く、ひさしぶりに充実した仕事だった。

しかし、考えてみると、中堅クラスから上の出版社では、こういう仕事はできないし、だいいち赤田さんのような編集者がいる場所もないのだからねえ。

この本、1000円は安い。気取らない着飾らない表現で、ぐいぐい対象に迫る、その力強さとカレーカルチャーの真実にふれてほしい。

登場する方が、求道家のような方から、音楽論のようなカレーと人生、あるいは「食堂のおっちゃんになりたいんです」の須田竜さんなど、みなさんスリリングなカレー人生で、人間宇宙はおもしろいなあ、もっと自由に解放的やろうという気になるのだった。

005


|

2017/09/19

毎日新聞「昨日読んだ文庫」。

Photo

9月17日(日曜日)、毎日新聞書評欄の「昨日読んだ文庫」に寄稿したものが掲載になった。絵は、舟橋全二さんです。

「私に料理の構造と機能を気づかせ、忘れられない衝撃と展望をもたらした2冊は中公文庫の現役で、鮮度も衰えていない」と登場するのは、玉村豊男『料理の四面体』と梅棹忠夫『文明の生態史観』だ。

どちらも、1980年代初頭に読んだのだが、『料理の四面体』は鎌倉書房の単行本、『文明の生態史観』は中公叢書だった。それから何度も読んでいる。

『料理の四面体』については、拙著でも『大衆めし 激動の戦後史』など、機会があるたびにプッシュしているが、『文明の生態史観』についてふれるのは、今回が初めてだ。

『ぶっかけめしの悦楽』『汁かけめし快食學』は、『文明の生態史観』に書かれている系譜論と機能論の影響を強く受けていて、その両方の見方をからみあわせながら書いている。

『文明の生態史観』が中公叢書から出たのは1967年で、『料理の四面体』が鎌倉書房から出たのは1980年10月、どちらを先に読んだか覚えていないが、ほとんど同時期に読んだはずだ。

生態史観は1974年9月に中公文庫入りして、いまでも現役だ。すごいなあ、もう古典ですね。四面体のほうは、一時はどうなるかとおもうほど変転があってのち、2010年2月に中公文庫入りした。

料理からみれば、この2冊は、これからのほうが鮮度がよくなるとおもう。

というのも、日本の料理は、もう「和・洋・中」の観念では把握しきれないほどになっていることがある。それから、目的、要素、方法、手段などの組み合わせ(デザイン)で、生活や料理を考える流れが広がっているからだ。

料理や食べ物に関しては、系譜論にもとづく「うまいもの話」「いいもの話」や「職人論」あるいは「属人論」などが、あいかわらず惰性的に続くだろしにぎやかではあるけれど、もっと根本的なところで、系譜論をのりこえる流れも育ってきている。

しかし一方では、系譜論は、いまの日本で、いちばんやっかいな問題を生んでもいる。

『料理の四面体』と『文明の生態史観』が続いている背景には、そういうことがあるだろう。

『文明の生態史観』に収録されている「生態史観からみた日本」には、このようなことが書いている。

(日本の知識人諸氏は)「ほかの国のことが話題になっていても、それ自身としてはあまり興味をおぼえない。自分との比較、あるいは自分自身が直接の話題になったときだけ、心がうごく。あるいはまた、なにごとをいうにも自分を話題の中心にすえないではいられない、ということでしょうか。なんというナルシシズムかと、おどろくのであります」

昨日の「たこつぼ」問題とも関係することだ。系譜論にとりこまれると「たこつぼ」に落ちやすい。

当ブログ関連
2017/09/08
「書評のメルマガ」の『料理の四面体』。

|

2017/09/11

おしゃれが野暮か、野暮がおしゃれか。

001001

002001

おれのような野暮なジジイにはあまり縁がないんだけど、「ユナイテッドアローズ グリーンレーベルリクラッシン」というショップがありますね。東日本JRの駅ビルあたりで店舗展開をしているようです。

そこが発行する「THINK LOCAL」というガイドマップは、店舗がある地域ごとに編集されています。

ユナイテッドアローズのサイトを見ると、「THINK LOCAL」には岡本仁さんが関係しているようですね。見本誌としていただいた静岡版にも、岡本仁さんがコラムを寄稿しています。

ルミネ大宮店にも、グリーンレーベルクラッシンがありまして、大宮版が出来たのですが、なんと、このおしゃれな店のおしゃれなガイドマップに野暮なおれが寄稿しています。

おれは「酒がうまくなる歩き方」というタイトルで、登場する酒場は20年間偏愛し続けている大宮東口駅前の「いづみや」なんですが、酒場の紹介より飲む前のオススメ散歩コースを中心に書いています。

氷川神社周辺の地形を散歩しながら、古代から現代までをめぐり、「人の一生は短いが、多くの人たちの摩訶不思議な長い歴史の一部を生きていると実感する」スポットを紹介しています。

氷川神社周辺のことについては、スソアキコさんの古墳部歩きで得たことが、大いに役に立ちました。

それから、大宮公園の北側にある、街が盆栽公園みたいな盆栽町と、そこにある「さいたま市立漫画会館」と隣接する「さいたま市盆栽美術館」ですが、おれは行かずに馬鹿にしていたのだけど、行ってみたら、すごーく面白いのです。一見の価値があります。

初めて「さいたま市立漫画会館」へ行ったときは、「ここがあの!」とビックリしました。施設名に「北沢楽天記念」とかなんとか入れておいたほうがよかったのに。

明治後期から昭和戦前の庶民の歴史資料を調べるとき、必ず見ることになる漫画雑誌があります。『時事漫画』や『東京パック』ですが、ここに描きまくっているのが北沢楽天で、漫画も面白いけど、内容の資料価値が高く、おれは国会図書館や埼玉県の図書館で何枚もコピーして持っていました。

北沢楽天は「日本の近代漫画の先駆者」といわれていますが、とにかく、昭和の初めの日本が戦争に突っ走りだしたころの、財閥の専横や庶民の苦しみといったものまで、あの時代よくこんな漫画を描けたなあとおもうぐらい、すごい風刺の漫画を描いたりしています。モボモガ風俗の漫画も面白いし、関東大震災前後の世相などじつにわかりやすい。とにかく、明治後期から昭和戦前の世相や風俗を知る上で欠かせない資料なんですよ。

その北沢楽天が大宮出身で、そのアトリエが漫画会館だとは知らなかった。初めて行ったとき驚きました。原画の展示はもちろん、楽天が描いていた漫画雑誌の現物が自由に閲覧できるんですよ。たぶん入館者が少ないからだろうけど、写真も自由に撮影できる。国会図書館まで行っていたおれはトウダイモトクラシの大馬鹿者だったとおもいながら、写真を撮りました。

北沢楽天を映画化、主役予定の俳優がこのあいだヤク問題で暗礁にぶつかり、どうなるかとおもっていたら、イッセー尾形に交替して撮影も終わっているようですね。こちら埼玉新聞のニュースにあります。
http://www.saitama-np.co.jp/news/2017/05/14/09.html

北沢楽天に力が入ってしまった。

「THINK LOCAL」大宮には、いづみやのほかに、石田エリさんのコラムでは、72時間ドキュメントに登場してメチャクチャ混むようになってしまった「伯爵邸」や、南銀のアヤシイ横丁にある「三悟晶」や、浦和の浦和レッズのたまり場である「力」がアルディージャの大宮へ殴りこみをかけるように出店した「力」など、ちっともおしゃれじゃないけど人気で、いつも混雑している店が登場している。

「おしゃれが野暮か、野暮がおしゃれか」というかんじで、近頃は面白い。もう「おしゃれか野暮か」じゃない。ナニゴトも「二項対立軸」で見ていてはダメですね。ガラガラ変わっている価値観の多様化の流れがみえなくなりますね。まあ、まだ、どっちが「上か下か」「善か悪か」「右か左か真ん中か」みたいな見方が多いのだけど。

と、紹介しても、これ、ルミネ大宮の店でしか配布してません。東京人は東京にいれば何でも手に入るとおもったら大まちがいです。ああ、こんなにいいもの、こんなにいいおれのコラムを読めないなんてかわいそう。

楽天の漫画の写真も載せておきます。ぜひ、漫画会館で現物をご覧ください。楽天のことは、もっとたくさんの方に知ってほしいです。

016002_2

019001_2

|

より以前の記事一覧