2019/09/17

発売中『dancyu』10月号で、辰巳のアジフライ。

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去る6日に発売になった『dancyu』10月号は「揚げもの」特集で、おれは茅場町の老舗割烹「辰巳」の、昼のアジフライ定食を取材して書いている。

このブログを見ている人は記憶があるかもしれないが、おれはかつて、「アジフライは正三角形に近いほど旨い」という冗談仮説を検証すべく、「アジフライ無限的研究」と称するアソビをやっていた。

今回の『dancyu』からの依頼は、そういうことにまったく関係なく、締め切り切羽詰まってからのもので、お盆休みの最中でいつもの一軍クラスのライターさんの都合がつかなかったから大部屋ライターのおれがピンチヒッターに立った、という感じであった。

そもそもおれが「大衆食堂」とはクラスが違う「割烹」の取材だなんて、「邪道だろ」ということがあるかもしれないが、そういうことなら、白身魚に価値を置く割烹が、大衆魚の青魚のアジを、しかもフライで出すなんて、アリか?ということにもなるだろう。そういうギャップを越境するのは、なかなかおもしろいことだし、実際に、この取材はおもしろかった。

とにかく、かつて「アジフライ無限的研究」と称して、あちこちのアジフライを食べたが、「割烹に足が向いたことはない」と書き出し、次のように続けた。

「昼の定食とはいえ、割烹といえば和食、揚げものは天ぷらだろう。おそるおそる店主に尋ねた。店主は笑い、「邪道だろ、ですよね」。実際に30年ほど前、お客さんの要望で始めた頃は、そん感じだった。評判がよく今ではアジと帆立のフライだけ夜も出している」

そのアジフライは、やはり割烹なりの考え方でつくられているのだが、それは本誌を読んでもらいたい。

本誌には掲載されてない、店舗の全景の写真をここに載せておこう。中休み中なので、のれんは下がっていない。

昭和24年築の建物を、昭和26年に辰巳の初代が買い、手を入れながら使い続けている。本文の文字数が400字弱しかないので書けなかったが、初代は、明治生まれの女性が素人で始めたのだ。そういうこともあってだろう、いまの三代目は外で6年ほど修業したとはいえ「和食=日本料理」の伝統や格式、そのハッタリにしばられている感じがない。

素人から始まった都内の有名割烹は、開高健や池波正太郎などグルメな文士が褒め上げていた店などがあるように、有名料亭で修業したかどうかで料理が決まるわけではない。それはまあ、どの雑誌に書いているかでその書き手の文章が決まるわけではないのと同じなのだ。ただ、選択に自信のない人たちが、「有名かどうか」を気にするだけだし、そういう人はけっこういるし、そういう人を相手に仕事をしている人たちもいる。

辰巳は、そういうのとはチョイと違う割烹なのだが、それは「兜町」という立地が無関係ではない。辰巳の住所は茅場町だが、道路一本へだてて兜町だし、周囲のビルには証券会社の看板が並ぶ。

この地域は、おれも70年代には最低月イチは飲んでいたが、「株屋さんが多い」ことで、かなり特殊な地域なのだ。

「舌が肥えている人が多い」とか「口がおごっている人が多い」とかいわれることもあったが、それより、今回の取材でわかったことは、飲食に対する金の使い方が違うってことになるようだ。

「うなぎ」と「天ぷら」と「やきとり」がないと飲食商売は成り立たない地域。うなぎは「のぼる」、天ぷらは「あげる」、とりは「とぶ」…株にからんだゲンかつぎだ。金融という現代的なビジネスだが、根っこは賭博だから、どんなに計算しつくしても、食べ物にまでゲンかつぎがおよぶ。

客が金を使ってくれれば、店もそれなりにいいものを仕入れられる。老舗の割烹ともなれば市場の仲買いとの付き合いも長く、同じ仕入れ金でもいいものが手に入る。

それやこれやひっくるめて、この地域の食文化が成り立っている。ってことになるか。

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夜のおまかせセット4200円の献立は、「お通し」「造り」「煮もの」「天ぷら」「酢のもの」とある。これが、いわゆる「和食=日本料理」の標準献立ってことになるだろう。

もちろんアラカルトもあって、ポテトサラダもあるし、居酒屋使いもできる。大衆食堂で飲むようなわけにはいかないが、株屋さんたちに囲まれて、割烹料理を食べて飲んでみるのもいいかもね。

こういう飲食店は、「中クラス」ということになり、なかなか商売が難しいのだけど、食文化とくに料理文化の、けっこう大事なところを担っている。店主はたいがい料理長であり、裁量権の幅が、割と自由になるからだ。本人しだいで、料理法やメニューの工夫の可能性がある。

大衆食堂の場合、自由であっても、経済的に幅が限定されざるを得ない。格式ある料亭になると、格式や序列などにしばられて自由が制限される。

最後の写真は、入り口に何気なく飾られた祭り提灯。店内の壁には、押絵羽子板。店主は、地元っ子だ。

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2019/07/02

『現代思想』7月号に「おれの「食の考現学」」を書いた。

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去る6月28日発売の『現代思想』7月号は、「考現学とはなにか」という特集だ。

『現代思想』なんて、学者や研究者が、なんだか小難しそうなことを書いているぐらいのイメージしかなく、10年に1冊ぐらいしか買ったことも読んだこともない雑誌だった。

そういう雑誌の編集さんから、突然メールで原稿の依頼があったのは、4月の中頃だった。考現学特集をやるから、「食の考現学」ということで書いてもらえないかということだった。

え~、おれ、考現学なんか関係ないよ、だいたい「学」なんか縁がないし~と思ったが、編集さんは、おれの仕事を一ファンとして読んでいるというし(社交辞令だったかもしれないが)、大衆食を食べ歩き、採集し、歴史とも関連させていく試みは考現学を思想としてとらえていく方向性ともリンクしているかと考えているとかおっしゃるし、必ずしも今和次郎に言及する必要もなく「遠藤さま流の考現学的なるものを」というし、締め切りまでは一か月以上あるし、じゃあやってみるかという気になってしまった。

最初は、よーし、どうせやるなら「食の考現学」を真正面から論考してみようじゃないかと書きだしたが、たちまち自分の知識の無さに死にそうになり降参、エッセイに切り替え、おれ流の「おれの「食の考現学」」にしたら、割とスラスラ書けた。

これで考現学とリンクしているのかどうか判断がつかないほど、考現学については知識もなく、編集さんに原稿を送ったら、よろこんでもらえた。

まるで暗闇で鼻をつままれた感じだったが、掲載誌をいただいて見たら、諸先生方にまじって、それなりにうまいこと収まっているし、諸先生方が書いたものがすごくおもしろい。そうか、考現学とは、いま、こういうものかと、ガゼン興味がわいたのだった。

何度かこのブログでもふれてきたが、「食」をめっぐては、その言説も含め、ここ十年間ぐらい大きな変化の中にあると感じている。自分の仕事をふりかえりながら、自分の仕事と「食」の「いま」を考える、いい機会になった。

おれの文章は、「はじまり」「「食」と「考現学」の出あい」「料理は生活だ」「大衆食堂のメニューを集める、考える」「主張する個と生活」になっている。

実際のところ、とくにSNSの普及で、「主張する個と生活」は、すごいおもしろいことになっているが、いつものことで計画的に割り振って書いていないから、最後に簡単にまとめ的に書いただけになってしまった。さらに最後は、アジテーションみたいになっている。

とりあえず、そういうことです。

この特集のサブタイトルは、「今和次郎から路上観察学、そして<暮らし>の時代へ」になっている。そう、<暮らし>をめぐって、これからもっといろいろあると思う。目が離せない。

詳しい目次は、こちら青土社のサイトで。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3308

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2018/08/31

スペクテイター42号「新しい食堂」。

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スペクテイター42号「新しい食堂」が発行になった。早いところでは、今日から書店に並んでいる模様。

自分の本ができたときでも、たいしてコーフンしなかったおれが、この本を手にして、すごくコーフンした。身体がふるえた、といいたいところだが、気分だけ、身体がふるえた。

こういう食堂の本が欲しかったし、こういう本が欲しかった。

おれは、「結局、食堂って何?」という論考のようなものを寄稿している。

それと、当ブログの2006年6月28日のエントリー「ありがとね」が、物干竿之介さんの構成と画によって、「食堂幸福論2 ありがとね」になっている。こんな、一昔以上前に書いて忘れていたエントリーを見つけたのは、編集の赤田祐一さんで、ほんと、このことだけじゃない、赤田さんの仕事っぷりはすごいものがある。

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その赤田祐一さんと打ち合わせで会ったのは、5月24日だった。スペクテイター40号の「カレーカルチャー」の打ち合わせで会って以来だった。一年ぶりぐらいだろう。またもや大宮まで来てもらった。

3、4時間ぐらい話したかな。ああでもない、こうでもない、ああだろう、こうだろう。まだ企画は固まりきっていなくて、最初は「日常」「日常食」という言葉がとびかっていた。それから、近ごろの食をめぐる、さまざまな動向に見られる「変化」のことなど。

「日常食の冒険」という感じから「食堂幸福論」みたいなものになり、メールのやりとりもあって、おれは「食堂考現学」のようなものを書くことになった。

そのときすでに登場する食堂は決まっていた。できあがったものを読んでみて、じつに食をめぐるイマを象徴するような食堂ばかりだと、再認識した。

しかし、おれが原稿を書いているときは、食堂の取材がどんな内容になるか、まったく見当がつかない。おれの原稿内容が、あまりにズレているとマズいなあと、最初は心配し、すぐに忘れ、とにかく28枚書いた。

ほんとうは、70年代ぐらいまでを書き込みすぎて、80年代からの動向は概括的になってしまった。結果的に、その方がよかったようだ。登場する食堂の方の話のほうが、80年代以後のイマを生きる話として、素晴らしいからだ。

いわゆるグルメな食堂めぐりとは違う。徹底取材というのは、こういうことだろう、時間をかけ、いろいろな角度から突っ込んだ取材が行われている。

「食堂は人なり」の大扉。「ウナカメ」の丸山伊太朗さん、「按田餃子」の鈴木陽介さんと按田優子さん、「マリデリ」の前田まり子さん、「なぎ食堂」の小田晶房さん、なんて魅力的な人たちなんだろう。

「ヴィーガンカフェバー Loca★Kichen」のいとうやすよさんは、「食堂開業心得帖」を自分で書いている。イラスト入りで、DYI熱が伝わる。なかなかおもしろい。

編集部の青野利光さんは、巻頭言にあたる文章に、こう書いている。

「皆さんの話を聞いて感じたのは、食事をする側とそれを提供する側の食に対する意識が、今まさに変容のときを迎えているのではないかということでした」

「あるときは美味しい料理に舌づつみを打ち、あるときは店主の言葉に耳を傾けながら、本誌が見出した新しい社会のカタチとは?
たくさんの言葉のなかに、みなさんの未来を見つけていただけたら幸いです。」

食に対する意識の変容のイマ。そこが、この本の焦点だ。

編集部の赤田祐一さんによる特集リード文のタイトルは、「"割り切れなさ"の魅力」だ。

「その「割り切れなさ」こそ、愛される店の本質であり、じつは食堂の存在理由ではないのだろうか」

「"新しい食堂"とは「新しい意識で運営されている個性豊かな飲食店」のことで、ここではそれぞれの店に親しみを込めて"食堂"と呼ばせていただきます」

「ここにとりあげたような意識の食堂が少しずつ増えていき、それがスタンダードになれば、世の中も少しずつ、不寛容なものから寛容なものへと変わっていくのではないでしょうか」

この「新しい」は、トレンドとは関係ない。「古い」を否定しているわけではない。

もちろん、食材や料理や味覚などに関する、それぞれの店主の考え方も、たっぷり聞いている。どなたも料理は「独学」だから、いわゆる「料理人」や「料理職人」たちの話とは違う。こういう話が聞きたかった。

とにかく、これからの料理、これからの食事、これからの生活、これからの生き方、これからのショーバイ、これからの仕事、これからの社会など、消費ではなく、創造を追求したい人たちには必読ですね。

ビジュアルも含め、本のつくりとしても、気取らず親しみやすく、新しい食堂の感じで、いい。

アートディレクション=峯崎ノリテルさん、デザイン=正能幸介さん。撮影=安彦幸枝さん。

そうそう、おれの文章「結局、食堂って何?」の扉には、久しぶりに東陽片岡さんのイラストがドカーンなんだけど、そのイラストの男が、頭髪がたっぷりあった頃のおれのようなのだ。

この本のことについては、明日も明後日もその次の日も、書くかもしれない。

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2018/07/06

鰯(いわし)の立場。

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一か月前の6月6日に発売の『dancyu』7月号は「本気の昼めし」という特集で、おれは都内の動坂食堂を取材して書いた。

『dancyu』は、いわゆる「グルメ」な雑誌であり、ということは、とにかくモノの味覚が中心であり、それによった話が中心になっている。だけどおれのばあい、あまりモノの味覚を中心にした話は書いてこなかった。それは、テーマにもよるが、「食堂」が対象になることが多かったためでもあるのだな。

この号の動坂食堂ではちがった。「イワシの天ぷら」を全面に押し出し、おれにしてはモノと味覚によったことを書いている。

それは、鰯の立場が、その字のように、あまりにも弱いからであり、冷遇されていることが多いとおもっていたからだ。

書き出しから、「イワシの天ぷらが好きだ」とやった。ほんとうに好きなのだ。好きなんだが、大衆食堂でも、食べられるところは少ない。大衆酒場や居酒屋というところへ行くと、まだある感じだが、でもこれほど安い大衆魚なんだから、もっとあってよいはずだとおもうほど、メニューにあるところは少ない。

イワシの刺身は、天ぷらに比べるとあるようだ。おれがたまにいく回転寿しには、イワシは必ずある。おれは、真っ先にイワシとアジをにぎってもらう。

動坂食堂の「イワシの天ぷら定食」について、書き出しからもっと引用しちゃおう。

 イワシの天ぷらが好きだ。特に定食となると、淡白な米の飯とは対照的な味わいの、イワシ天の個性がものをいう。だけど、その個性は実に微妙で、鮮度に左右されやすい。つくるのも食べるのも、イワシの脂の劣化との競争なのだ。
 動坂食堂のイワシ天は素晴らしい。腹の辺に大葉がからみ、骨はとってあるのだが、活きのよい仕事ぶりをしめすかのように、スックと立ちそうなほど、まっすぐカラッと揚がっている。油の鮮度もよく、いつ食べてもうまい。
 とにかく熱々のうちに食べる。冷めて味が落ちないうちに食べたい。心がはやり、テーブルにおかれると同時に、最初の一尾を、つゆを使わずに大葉が付いている側から頬張る。サクサクサク、大葉の爽快感とイワシの旨味が口中に広がる。はあ~これだよなあ~、と一息ついて、残りの2尾はつゆをちょっとつけ、ごはんと交互に口に運ぶ。味噌汁も丁度よいあんばいだ。

というぐあいだ。これで全原稿量の半分ぐらいを使っているのだから、おれとしては異例だ。

本当は、「腹の辺に大葉がからみ」という揚げ方に、とくに特徴があるのだが、字数の関係でふれられなかったから、ここに書いておこう。。

イワシの天ぷらに大葉は付き物といってよいぐらいだが、たいがい、イワシの身に巻くか、衣に巻いて揚げる。ところが、動坂食堂のものは、たぶん、イワシと大葉を別々に揚げ鍋に入れ、鍋の中でからめるのだろう、イワシと大葉は衣で接続しているだけなのだ。だから、大葉の側から食べると、大葉が香りがサクサクッと口中に広がる。イワシもサクサクだ。

イワシの立場は弱い。肥しや養殖魚のエサだったのであり、だいたい「雑魚」「下魚」といわれる青魚の中でも、サンマのように話題になることもなく、最も弱い立場にあった。

そこには、安物をバカにしたり、安物を食べたり身につけたりする人をバカにする、根強い文化もからんでいる。「高級」がエラそうにしているのだ。

そして、これが旨さのもとでもあり、大きな弱点でもある、皮下脂肪の劣化が早いのだ。そして、その脂は、なんという物質だかすぐ思い出せないが、もともと若干の臭みと雑味というかエグみを含んでいて、それが「下品」と嫌われたりしていた。そして、脂の劣化で、その臭みやエグみが、どんどん増すのだ。

それから、とうぜん、イワシを揚げると、その脂が天ぷら油に溶けだして、油まで臭くなる。

ま、そういうこともあって、扱いにくいクセのあるやつなのだなあ。

だけど、そこが可愛いのよ。

おれは、若干の臭みやエグみは、けっこう好きだ。下品といわれようが、悪趣味といわれようが、けっこう。そういう偏見こそモンダイだとおもっている。

イワシの個性は、それなりの旨さだ。

が、しかし、自分で料理に使うときは、やはりけっこう気にする。イワシの生姜煮や梅煮にしても、骨を残すわけで、生ゴミにすると、そこから昨今の密閉性の高い家中に、臭いが広がる。やせ我慢で、うーん、イワシは臭いまで旨いねえ、と言っていても限界がある。だから、イワシを食べるのは、ゴミ出しの前の晩にしている。

イワシを叩いて、ダンゴにして味噌汁(ツミレ汁ね)にすれば、あとかたもなく腹におさまるのだが、そのばあいでも、内臓ははずすわけで、これがまたキョーレツな臭いのもとになる。

まだ、この臭いに馴れきるほど、おれはイワシを愛していないのだろうかと、おれは悩む。

谷崎潤一郎というやつは、とんでもないやつだ。イワシの天敵だ。やつは、イワシだけを「下魚」といって下等なものにしたわけじゃなく、東京の人間が食べるものを「見るからに侘しい、ヒネクレた、哀れな食ひ物」としたのであり、そこにイワシやサンマも含まれる。

かれは東京生まれ育ちで、関東大震災のあと、関西へ移住し、芦屋あたりに住んだ。

ま、別に東京の食べ物を擁護したいとは思わないが、食べ物について偏見を持った人間というのは、みっともないとおもう。それが仮に「美学」だとしたら、クソクラエだ。

今日は、これぐらいにしておこう。

そうそう、滝田ゆうの『寺島町奇譚』には、一家がツミレ汁を作って食べる場面があるけど、とても旨そうでシアワセそうで平和な、いい景色で、好きだねえ。その暮らしが戦争で焼け野原になる。庶民の暮らしや食べ物を見下す文化と差別や戦争は無関係ではない。

そうそう、それで、『dancyu』の動坂食堂のページだが、おれが原稿を書く段階でのレイアウトでは、イワシの天ぷら定食の写真が右上で、右下は客がたくさんいる店内の写真だった。

出来上がったのを見たら、店内の写真は特集の大扉に使われ、その写真があったところにはミックスフライの写真がおさまっているのだった。こういうのは、ショーガネエことだし、ドーセ文章より写真が大事だからねとおもってはいても、原稿書くときは、写真とのバランスを考えながら書いて、それでコンプリートされるイメージで書いているから、ギャーなんだこれ、ページのクオリティが落ちているじゃないか、と、少しはおもって、スグ忘れた。

そうやって、フリーの仕事も人生も流れて行くのです。それが、たのしいのです。

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2018/05/21

長寿健康自然志向系飲食の扱い方。

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2018/03/30「座・高円寺の広報紙、フリーマガジン「座・高円寺」19号の特集は「高円寺定食物語」。」に載っている食堂をボチボチ紹介している。

今回は、「こうじ料理・酵素玄米のお店」を謳っている、「つる来」という食堂だ。
http://tsuruki-kouji.com/

大雑把には、マクロビ系オーガニック系ということになるだろうか、とりあえず「長寿健康自然志向系」ということにしておく。

おれは、1980年代の中ごろから、この分野で熱心な人たちと付き合いはじめ、有機栽培系の生産者が活躍していた山奥の産地で暮らしたこともあり、1990年頃は、当時は「マクロビ」という言葉は使われていなかったが、そういう食事を数か月ばかり続けた。正確には、「自然農法」に取り組む家族の家に、なかば「下宿」して仕事をしていたので、そういう食事を頂戴していたのだ。そのあと東京で1年ほど玄米食と続けたことがある。

その後は、以前と同じように、普通の食事をしている。

近年になってからは、このマーケットが注目されるようになり、調査を請け負ったりした。前にもこのブログに書いたことがあるが、この方面に多少の知識はある。だけど、お店を取材をして書くのは初めてだった。

こういう飲食や飲食店をめぐっては、いろいろな話があるし、また実態も様々なので、実態把握も伝え方や表現が難しい。

とりあえず、今回は、一般的な食堂と一緒に載ることでもあるし、つる来のような飲食店こそが「いい飲食店」という印象が増大する方向へ加担することは避けたかった。

というのも、飲食や料理に正統性や優越性を求める結果、「長寿健康自然志向系」は正しく優れていて、それを扱う人たちは研究熱心で志や意識が高く正しく優れているという印象が増すことで、一方では一般的な普通の食事やそれを提供する仕事に関わる人たちが低く評価されたり見下される位置に立たされることがあるからだ。

以前、何かのテレビのそういう番組を見ていた食堂の人と客が「おれたちはどうせ邪道の人間だからね」と自虐的冗談をとばしているのを聞いたこともあるが、似たようなことに何度か遭遇した。

とかく、メディアサイドで仕事をしている人間は、いい気になりやすい。そこから生まれた表現は抑圧的になりやすいし、単なる同調や、ともすると屈折や反発を招きかねない。より正確な認識と理解のさまたげになる。

それからもう一つは、「つる来」が提供する玄米食は「長岡式酵素玄米」というものだが、これを「宗教」と見ている人たちもいるようで、それは「長岡式酵素玄米」そのものについては正確な認識ではないだろうということだ。

だいたい「宗教」だからと否定することそのものがおかしい。「政治的」「思想的」「宗教的」だからと否定する妙な風潮があるのも問題だろうけど、それはともかく。

「長岡式酵素玄米」は炊いた玄米の発酵に特徴があり、つる来は、ようするに、おかずも含め発酵を活用している店なのだ。そこで、「長岡式酵素玄米」について説明したあと、このように書いた。

「「発酵食品」というとカタイ感じだが、納豆、みそ、しょうゆ、かつお節など、昔からなじみ深い。ただ、工場生産によって発酵の仕組みも変わった。そこで、手ずからの発酵料理に関心が集まっているようだ。「自然派健康志向の定食」といってしまうと、これまでは「健康度外視定食」のようだが、そういうことではない。健康や幸福についての考え方が様々になったのだ。お互い認め合い、おいしさたくさんあったほうが楽しい。というのは、筆者の考えなのだが」

おれはもともと、飲食に正統性や優越性は求めていない。また、つる来の店主も、正統性や優越性を主張しているわけではないし、押しつけがましさはない。自分の健康な生き方への関心に従っているだけなのだ。

ところで、飲食店の商売は立地に左右されやすい。

「こういう定食は、都内でもまだめずらしい。それが高円寺にある。つる来は早稲田通りにあって、駅から少し離れているからか、価格の面でやりにくいこともあるようだ。ある意味、「安い高円寺」でのチャレンジともいえるか。遠方、名古屋などからのお客さんもいるそうだし、高円寺の定食の魅力がふくらむ可能性も感じる」

優劣より、事実を全体的な視点で歴史や社会(地域)に位置付ける。それは、ライターの仕事で、肝心なことかな。

当ブログ関連
2018/04/28
「高円寺定食物語」の天平。
2018/04/05
「高円寺定食物語」の伊久乃食堂。

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2018/04/28

「高円寺定食物語」の天平。

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2018/03/30「座・高円寺の広報紙、フリーマガジン「座・高円寺」19号の特集は「高円寺定食物語」。」に載っている食堂を、ボチボチ紹介していきたい。

ということで、前回は伊久乃食堂を紹介し、日にちがあいてしまったが、今回は天平だ。

1019「戦後の大衆食堂の源流に位置する「民生食堂」の、その当時の看板と建物のまま営業しているのは、おそらく、ここしかないだろう」「天平は、民生食堂がスタートした1951年の開業だ」

現在の建物や看板は開業から5年後ぐらいに建て替えたもの。よほど手入れがよかったのか、もとの材料もよかったのか、木造の窓枠まで当時のまま残っている。腰板が、板ではなくタイル張りというのも貴重だ。しかし、消えることが決まっている。

店主はおれよりふたつ年上の1941(昭和16)年生まれ。1960年から、ここで働いている。一年ちょっと前、妻に先立たれ、ひとりで続けてきた。元気だが、食堂の仕事は大変だから疲れる。

後継者は、いない。そういえば、伊久乃食堂も、後継者はいない。そういう、高齢者がやっている食堂が多くなった。先日ここに紹介した、『dancyu』5月号「美味下町」特集のはやふね食堂も、おれと同年輩の夫妻がやっているが、後継者はいない。あそこも、ここも、指を折ってみると、けっこうある。

小さいころ戦後の生活を体験し、復興期から高度成長期、その後の大衆の食生活や大衆食堂があるまちを記憶している人たちが、まちから消えて行く。

追い打ちをかけるように、天平は前の道路の拡張工事で建物の取り壊しが決まった。

ま、「座・高円寺」をご覧ください。民生食堂と定食の歴史についても、ふれている。

当ブログ関連
2018/04/05
「高円寺定食物語」の伊久乃食堂。

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2018/04/13

『dancyu』5月号「美味下町」ではやふね食堂を取材した。

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去る6日発売の『dancyu』5月号は「美味下町」という特集で、おれは森下の「はやふね食堂」を取材して書いている。森下は、もとは深川区だから深川と言ったほうが通りがよいかも。

1991年ごろ初めて行った食堂で、おれの最初の著書95年発行の『大衆食堂の研究』には、はやふね食堂について「昭和の初めのころには、 当時の東京市内の飯屋の一五パーセントは深川にあったのだそうな 。だけど戦争をさかいに、 田舎の世田谷区や杉並区の方に移住するひとも多く、激減。で、 伝統あるこの地で、食堂といえば、ここだね。」と書いてある。

森下3丁目といえば「ドヤ」というイメージは80年代ごろから次第に薄れていったけど、戦前から屈指のドヤ街だった。はやふね食堂の裏はドヤが並び、この界隈には、ほかに3軒ほど食堂があったらしい。いまはその面影もない。住宅と小さな町工場が入り混じってひしめきあっている。

すぐ前に深川小学校があり、はやふねのご主人は昭和19年早生まれで、昭和18年遅生まれのおれとは同学年になるのだけど、ここで生まれた。深川一帯が空襲で焼け野原になったときは、長野へ疎開していて難は逃れた。

その焼け野原にもどってきた一家の母が、焼き芋やかき氷を売る店を始めた。それが食堂へ「進化」した。

築地が近いので魚は築地へ買い出しに行く。「野菜は?」と聞いたら、「引き売りと、近所のスーパー」と。「え、このへんまだ引き売りが来るんですか」と聞くと、「トラックでね」。昔の「引き売り」という言葉をそのまま使っているが、そのトラックは、朝のうちに葛西方面の農家で直接仕入れ、売ってまわるのだそうだ。いかにも東京の東の下町らしい話だ。

深川で生きた母の手料理が引きつがれている食堂。「特別の食材は使っていないし特別のことはしてないと言う」だけど「ありふれたものをおいしくつくる熟練の味」がある。

この前の見開きページを、山本益博さんが書いている。門前仲町の「ふく庵」の天ぷらだ。山本さんは「私は特価品には興味はなく、いつも心がけていることは特上品の批評である」と、いかにも彼らしいことを述べている。

で、そのページをめくると、「特価品」ではないが「特上品」でもない普通の食事のはやふね食堂になるというわけで、下町の懐の深さを感じますね。

写真は、「料理写真界のキムタク」こと木村拓さん。

また今号の写真には、久しぶりに、久家靖秀さんが登場。浅草の「鮨一新」を撮影している。

ま、手にとって見て下さい。

最後の写真は、はやふね食堂の40年の糠床。

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2018/04/05

「高円寺定食物語」の伊久乃食堂。

2018/03/30「座・高円寺の広報紙、フリーマガジン「座・高円寺」19号の特集は「高円寺定食物語」。」に載っている食堂を、ボチボチ紹介していきたい。

といっても、ただいま絶賛配布中なので、詳しくはそちらを見ていただくとして、ここでは写真を中心にチラ見ていどだが。

まずは、伊久乃食堂。

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この場所で始めたのが62年前というから、1956年のこと。おれは13歳だから、中学生。あのころの日本は、どんなだったか、どのていど知っています?といっても、ひとの記憶はアヤフヤ。しかし、そのままの姿で続いていることもある。

「一日の始まりに、大きなガスコンロの上に昔の厚くて重い木のふたの羽根釜をのせ、めしを炊く。」

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伊久乃のメニューは、すごくシンプルで合理的だ。開業当初のものから、フライ類を減らしたものらしい。揚げ物を使う定食は、かつ定食600円とかつ丼700円のみ。

「定食15品、丼2品、単品7品、それにビールだけ。豚肉、野菜、魚、豆腐を主材に、過不足ない限界までしぼったような定食中心のメニューだ。/一番高額の定食が鮭焼680円、安いのは450円のもやし炒め。」

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「ニラ玉子とじは、タマネギとニラを煮て玉子でとじるのだ。」「見た目は頼りないニラ玉子とじ、だしもきいてよいおかずだった。」480円。

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伊久乃食堂があるあづま通りには、ほかにも伊久乃と同じぐらい古い「福助」、それから「やなぎや」などの食堂もある。この通りには、古い鮮魚店もある。おれは、昔の鮮魚店が続いている町は暮らしやすいところ、という偏見を持っている。

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2018/03/30

座・高円寺の広報紙、フリーマガジン「座・高円寺」19号の特集は「高円寺定食物語」。

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2018/03/08「座・高円寺の「座」。」に書いた、「座・高円寺」19号が出来上がって届いた。

「高円寺定食物語」という特集、文はおれが担当した。

戦後民生食堂が誕生した当時のままの看板と建物の「天平」は、道路拡張のため年内に取り壊しになる。取材が出来てよかった。大衆中華、大衆洋食のほかに、酵素玄米と麹料理の食堂、今風の惣菜店の定食、鮮魚店の定食など個性それぞれ、定食と食堂や人から高円寺の面白さや特徴を探った。

タブロイド判(1ページのサイズが新聞1ページの半分)だから、見開きだと新聞1ページ分の迫力。有山達也さんのアートディレクション、齋藤圭吾さんの写真で、思いっきりグラフィックだ。どうか手にとって見て下さい。

発行=NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺
編集委員=有山達也、岩淵恵子(アリヤマデザインストア)、齋藤圭吾、NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺

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2018/01/05

『ユリイカ』1月臨時増刊号、遠藤賢司と大衆めし――「カレーライス」から

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去る12月26日に発売になった、『ユリイカ』1月臨時増刊号「総特集=遠藤賢司」に、「遠藤賢司と大衆めし――「カレーライス」から」を寄稿した。

年末のある忘年会で、「エンテツがユリイカなんてイメージじゃないなあ」といわれた。ほんと、そうだよな。

エンケンこと遠藤賢司は、去る10月25日に亡くなった。享年70は、おれより若い。

そこで、追悼特集。

エンケンを追悼するにふさわしいみなさんがズラリ並んでいるなかに、おれだけお門違い場違いでスミマセンという感じで、加わっている。

「詩と批評」を謳う『ユリイカ』は、まったく縁のない存在だった。どこの世界のハイカルチャー。

編集者からトツゼン、「遠藤賢司と大衆めし」ということで論考をお願いしたいと依頼があり、エッセイならともかく音楽についても遠藤賢司についても論考を書けるほどの知識がないと返事をしたら、いや「堅めのエッセイ」であればといわれ、引き受けた。

だいたい、近ごろの出版の傾向としては、この分野はこの人に頼んでおけばアンシンという実績のあるライターに発注する「安全パイ主義」や「テリトリー主義」が普通だ。編集者もライターも、あるいは読者も、そういうある種の権威主義のサークルのなかで、ご安泰あんど閉塞。自由に羽ばたいてアブナイことに会うかもしれない危険はおかさない。

そういうなかで、大胆にも、まるで畑違いのおれに声をかけてくる編集さんにも興味があった。

けっきょく、20枚以上といわれ、書いたのは25枚。今年一番のボリュームで、一番難しかった原稿。論考風エッセイかエッセイ風論考か。

エンケンの代表曲「カレーライス」がらみだが、音楽的な話はナシ。

やってみると、視点が変わる効果か、これまで考えたこともなかった、いろいろなことが見えてくるもので、もう少し時間があったら、国会図書館まで行って調べたい資料があったのだが、残念ながら余裕がなかった。

「大衆食の射程のひろさ、深さに感嘆した」というような感想をいただいている。エンケンのうたが、その広さと深さをとらえていたということでもあるだろう。

■アルバム
不滅の遠藤賢司

■再録エッセイ
「ほんとだよ/猫が眠ってる」復刻によせて / 遠藤賢司

■インタビュー
土から這い出す純音楽 / 鈴木慶一(聞き手=湯浅学)
ふたりのエンケン / 浦沢直樹(聞き手=細馬宏通)

■歌の生まれるとき
遠藤賢司のライク ア ロォリング ストーン! / あがた森魚
マーチンD-35 / 岡林信康
昨日よりも育ち、昨日よりも若く、これぞ不滅の若さ / 中川五郎
歌と出会う / 友部正人
純音楽に全身全霊をささげた不滅の男 / 山本恭司

■純音楽の道
エンケンと話したかったこと / 田中泯
エンケンのこと / 夢枕獏
サイナラ、エンケン。 / 篠原勝之
純音楽家の美しさ / 山崎哲
ほんとだよ──言音一致の純音楽家 遠藤賢司 / 佐野史郎
エンケンの思い出 / 原マスミ

■対談
森羅万象変幻自在のエンケン / 湯浅学×岸野雄一

■遠藤賢司の旅
銀河鉄道の夜汽車のブルース / 遠藤ミチロウ
エンケンさんとあまちゃんと / 大友良英
ギター1本勝負! / 奈良美智
いきてるよ / 山崎春美
遠藤賢司さんとの思い出 / 戸川純
エンケンさんからもらったもの / 曽我部恵一

■歴史のはじまり、そして……
早すぎた芸術家、遠藤賢司 / 東谷護
「ほんとだよ」からはじまった純音楽の旅 / 北中正和
「日本(ニュー)ロック史」の形成とエンケン / 輪島裕介
一九八八年の遠藤賢司 / 南田勝也

■彼はいつでも最高なのさ
エンケンさんちょっとイイ話(第1回) / 根本敬
浅草キッドと東京ワッショイ / 水道橋博士
透きとおって、音になる / いしいしんじ
僕とエンケンさん / 森信行
裸の王様 / 湯川潮音

■君も猫もみんな好きだよ
んの彼方に / 細馬宏通
遠藤賢司は最初から遠藤賢司であった──茨城県県北地域で育まれたものと、彼のなかに流れ続けたもの / 大石始
遠藤賢司と大衆めし――「カレーライス」から / 遠藤哲夫
遺されたブックリスト / 本山謙二

■資料
遠藤賢司略年譜 / 柿谷浩一

青土社のサイトは、こちら。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3114

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