2017/07/03

『Meets Regional ミーツ・リージョナル』をふりかえる。

前のエントリーで「『dancyu』をふりかえる。」をやったら、これをやりたくなった。

またもや、「ふりかえる」ほど大げさなものではなく、仕事のリストだ。

1960年代中頃、大阪に一年間住んで仕事をしたが、それ以外は、遊びやあわただしい出張業務以外は、とくに関西方面とは縁がなかった。

京阪神エルマガジン社ともミーツとも、まったく縁がなかったのだが、編集の藤本和剛さんから突然メールをいただいて、初めて仕事をした。

それから、離れているわりには、別冊(いわゆるムック)も含め、何かと仕事をさせてもらった。

一昨年、「ザ大衆食」のサイトに、「京阪神エルマガジン社『Meets Regional ミーツ・リージョナル』の仕事、まとめ。」のページをつくったのだが、写真を載せ、途中で放置状態になっている。…クリック地獄

以下。クリック地獄は、当ブログ関連です。

初登場、2008年10月号「ザ・めし」特集。特集巻頭エッセイで「茶碗や丼の「街メシ」に、「俺メシ」を獲得する。」と題して書いた。…クリック地獄
訪問した食堂は、大阪市西区の[成金屋食堂]

2009年4月10日発行、ミーツ・リージョナル別冊東京版『東京ひとりめし』…「遠藤哲夫の[信濃路]偏愛話。」…クリック地獄

2009年7月1日発行、ミーツ・リージョナル別冊『酒場の本』…「エンテツのめし屋酒のススメ」。…クリック地獄
訪問した店は、大阪・千日前[お食事処しみず]、大阪・心斎橋筋[心斎橋 明治軒]、神戸・元町[金時食堂]、神戸・相生町[お食事処たからや]、京都・四条寺町[山の家]

2010年7月号「酒」特集…「特別企画<珠玉の酒エッセイ集>」に寄稿。タイトルは、「もっと飲ませろ!」…クリック地獄

2010年12月号「居酒屋」特集…「居酒屋に人が集まる本当の理由シリーズ」に寄稿。タイトルは「新説・居酒屋は“駄菓子屋”だった。」…クリック地獄

2011年3月号「天満」特集…「エンテツ・衣有子の天満のぞき」。…クリック地獄
本誌で「大阪のぞき」を連載(のち2010年4月に単行本になった)の木村さんと一緒に天満を飲み歩き、木村さんは「『わざわざ」の似合わない街に/わざわざ飲みに来た私」を、おれは「市場のなかの街、/街のなかの市場」を書いた。訪問した店は、[お好み焼 千草][肴や][まるしん]。

2011年9月29日発行、ミーツ・リージョナル別冊『関西ご当地めし!』…「私的、B級グルメ 普段のめし、ありふれたものを、おいしく。」を寄稿。…クリック地獄

2012年1月号「ザ・汁」特集…「エンテツの汁かけ論」を寄稿。…クリック地獄

2012年9月号「天王寺」特集…「エンテツの名酒場はしご道。」…クリック地獄
訪問した店は、[種よし][母や][お食事処 でごいち][肴家]。

2015年6月号「大正区」特集…「駅前めし酒場と、エンテツさん。」…クリック地獄
訪問した店は、[海鮮屋台 ゆうだん丸][畑分店][お食事処 三ちゃん][焼とり居酒屋 遊]。

2017年6月5日発行、ミーツ・リージョナル別冊東京版「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」で「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」を書いた。…クリック地獄
訪問した店は、神田神保町[ランチョン]、神田多町[栄屋ミルクホール]、外神田[かんだ食堂]

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2017/06/30

『dancyu』をふりかえる。

「ふりかえる」というのは大げさだ。

前にも書いたように、『dancyu』の編集長は、この6月6日発売の7月号を最後に交替する。7月号までは、江部拓弥さんが編集長だった。

編集長の交替を期に、チョイと『dancyu』でした仕事のリストをつくってみようと思ったにすぎない。ついでに、当ブログの関連するエントリーにリンクもはろうかと思っている。

おれが初めて『dancyu』の仕事をしたのは、江部編集長の前の町田成一編集長の時代だ。

おれは、いわゆる「グルメ」とは一線を画している、まさか『dancyu』から依頼があるとは思っていなかった。

編集部にも、発行会社であるプレジデント社にも、なんのコネも知り合いもない。トツゼン、杉渕水津さんという編集さんにメールをいただいた。

2011年2月号は味噌汁特集で、味噌汁ぶっかけめしの話を入れたいという趣旨だった。おれの汁かけめしの本を読んでのことだったが、おれが『dancyu』でいいのかなあと思った。でも、頼まれたらホイホイやるのがフリーライターというものだ。

その単発で終わると思っていたら、たまーに声がかかった。おれは大部屋俳優みたいなものだから、自分からネタ出しやアプローチをするようなこともなく、声がかかったら出動する。とくに親しくなるわけでもなく、仕事はキチンとこなし、淡々とした関係できた。

2008年にリーマンショックがあって、日本経済全体が落ち込んだ。出版もだが、飲食業は、大きな打撃を受けた。そういう背景もあってだろう、『dancyu』で取り上げる店が、平均客単価の低い方も含めるようになった。というわけで、おれにも声がかかることがあったのだろうと思う。

しかし、細々とした関係であり、これからは、わからない。おれもトシだしね。これまでのリストをつくっておくには、いい機会だ。

以下。読者のみなさんに少しでもたのしんでいただけたのなら幸いだ。

2011年2月号 「味噌汁」特集……みんなの「味噌汁ぶっかけめし」…クリック地獄

2011年12月号 「ポテサラ」特集……新橋立ち呑み…クリック地獄

2012年5月号 「肉」特集……サラリーマンのための肉食案内…クリック地獄

2012年6月号 「1000円グルメ」特集……メンチか海老フライか…クリック地獄

2012年8月号 「カレー」特集……栄屋ミルクホールのカレーライス…クリック地獄

ここまでは、町田編集長の時代。
以下は、江部編集長の時代。

2013年4月号 「うどん」特集……うどん食堂本日開店!…クリック地獄

2013年7月号 「居酒屋」特集……千住・大はし…クリック地獄

2014年11月号 「東京」特集……東京の味ってどんな味…クリック地獄

2015年2月号 「日本酒」特集……あの人、この盃 呑みたくなる酒器…クリック地獄

2015年5月号 「中華」特集……新宿・岐阜屋…クリック地獄

2016年1月号 いい店って、なんだ?……歌舞伎町・つるかめ食堂…クリック地獄

2016年2月号 「ラーメン」特集……笹塚・福寿…クリック地獄

2016年10月号 ウマい町No.46……栃木 佐野いもフライ…クリック地獄

2016年11月号 第二特集「焼売」……駒場東大前・菱田屋…クリック地獄

2017年5月号 第二特集「春巻」……表参道・青山蓬莱、新小岩・東京はるまき…クリック地獄

2017年7月号 「酒場」特集……北浦和・居酒屋ちどり…クリック地獄

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2017/06/10

『dancyu』7月号「酒場はここだ。」に北浦和・居酒屋ちどり。

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去る6日は『dancyu』7月号の発売日だった。特集は「酒場はここだ。」ということで、昨年の1月号「いい店って、なんだ?」の酒場編のようなものだ。

001a001_2おれは、ときどき行っている北浦和の「居酒屋ちどり」を書いた。

編集さんからは、「「酒をのんでええ気持ちになれればそこは酒場」という、広いポリシーで臨みたいと思っておりまして、居酒屋に限る必要はありません」というメールをいただいた。

そこで、店名に「居酒屋」がついているが、一般的な居酒屋とはチョイと違うし、まだ店に立って1年ほどの28歳の店主が何から何までやっている素人くさい酒場で、これまでのdancyuの範疇では取り上げられるのは難しいだろうが、ココこそおれにとっての「いい酒場だ」ということで押したら通ったのだ。やったね、の気分。

取材は、ライブのある日ということで、ちょうどうまいぐあいに、以前一緒にトークライブをやったことがある原田茶飯事さんの誕生日ワンマンがある日になった。

写真は、大森克己さん。

いい写真。

取材が終わった頃、編集長の江部拓弥さんと副編集長の神吉佳奈子さんがあらわれた。平河町の会社からわざわざ来て下さった。お二人は、この号が最後になる。

狭いちどりは一杯なので、駅近くの居酒屋で終電ギリギリ駆け込みセーフまで、にぎやかに飲んだ。

そして、江部編集長最後の本号が出来上がった。

居酒屋ちどりのタイトルは、「歌に酔う」だ。

おれは、まいど述べているように、「作家」クラスをめざす気はなく、脇役端役の小銭稼ぎのフリーライターだが、このページが、江部編集長を送る花の一輪にでもなれたら幸いだ。

江部さんの前は、町田成一さんが編集長だった。おれは町田編集長時代の2011年2月号で初めてdancyuの仕事をした。編集部に知人がいるわけでなく、突然メールをいただき、その号で終わりかと思ったら、ぼちぼち仕事をいただいた。

とくに積極的に絡むこともなく、とくに親しくするわけでもなく過ぎ、編集長が江部さんにかわったのは、2012年の末か13年の初めごろだったろう。デザイン一新でデザイナーさんはかわったし、いろいろウワサもあって、それまでの写真の人も文の人も変化があった。

おれは相変わらず、とくに積極的に絡むこともなく、とくに親しくするわけでもなく、流れに身をまかせていた。あいかわらず、ぼちぼち仕事をいただいた。そんな感じで、江部編集長の4年数か月が過ぎた。

雑誌は、誰が編集長をやっても、難しい時代だ。新聞や雑誌の仕事など、泥船に乗っているようなものだと言えるだろう。

江部編集長、お疲れさまでした。まだ先がありますが。

019001_2と、「送辞」のようになってしまったが、この特集、さまざまな意外な人、意外な酒場が登場し、おもしろい。

従来の飲み物と食べ物と人物の「物」イズムにとらわれた話と、一つ一つが違い、人の数ほど「酒場観」があるのだなあとあらためて思った。デザインもタイトルごとに違う。

雑多がいい、おもしろい。

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2017/06/07

「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」

一昨日5日発売の『みんなの 神田 神保町 御茶ノ水』(京阪神エルマガジン社)で、「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」の文を担当した。

001001_2もとはといえば、宮澤賢治の「東京」ノートに「公衆食堂(須田町)」というタイトルの短いスケッチがあって、これがいつごろのどこの食堂か、ということがインターネットで話題になっていたことに始まる。

おれもブログにそのことを書いたまま忘れていたのだが、それを、編集さんが見つけたのがキッカケ。

そのことについては、ここに書いた。
2017/04/15「批評」と「品定め」「目利き」。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2017/04/post-11b8.html

「公衆食堂(須田町)」については、最も可能性の高い公衆食堂を突き止めた。

インターネット上では、このスケッチが何時なのか日付の記載がないことから、よく食堂の話に出てくる現在の「じゅらく」の前身「須田町食堂」とする話もあったのだけど、研究者のあいだではスケッチが書かれた年月が推定できたため、そこではないという結論までは出ていた。

そのあたりは、「宮澤賢治が歩いた東京」の講演をしている、大妻女子大学の杉浦静教授を取材し確認した。杉浦教授の講演資料にも、「公衆食堂(須田町)」は1921年7月頃とあるのだが、須田町食堂は、まだ出来ていない。

そこのところを、もう一歩突っ込んで、探ってみた結果、有力な公衆食堂が見つかった。それがどこか、なぜそこの可能性が高いのか、それは本文を読んで欲しい。

003001それはともかく、この企画は、「公衆食堂(須田町)」がどこかを探るのが目的ではない。神田の食堂を、「東京」ノートに書かれたスケッチをネタに紹介しようというものだ。

おれは賢治の気分。

ならよいのだが、しかし、そうはすんなりいかない。賢治は飲食についてなぜか多くは書いていない。それに菜食主義で脚気にまでなっている。

だいたいこの種の企画では、飲み物や食べ物のうまさや店の雰囲気などを、ああだこうだ音の半音のちがいを聴き分けるようなオシャベリをするのがアタリマエで、そういうオシャベリを得意そうにしている作家や有名人を引っ張り出すものなのだ。そういう安全パイの安直な企画がほとんど。

清く正しく美しく聖人化された宮澤賢治は、ナチュラルだの自然だの天然だのというイメージの飲食には都合よいが、俗世間な神田あたりには向いていない。

でも、そこが、おもしろかった。飲食のステージは、大きくて広いのだ。

食に関心がなさそうなおかしな賢治と付き合って、考えることも多かった。宮澤賢治とその作品についても考えることが多かったし、飲食についても、別の角度から考えられた。

関係なさそうな関係に関係をみる。そこに、新しい可能性が生まれるんだよね。

ま、書くのは苦労して、自分でもどういうカテゴリーの文なのかわからないアンバイになったが、ありきたりからの脱出ジャンルということにしておこう。

こういう企画をグイグイ押す編集の半井裕子さんに脱帽。ほかの企画も、とてもおもしろい。

写真は、本野克佳さん。

取材した店は、ランチョン、栄屋ミルクホール、かんだ食堂。ご協力ありがとうございました。

杉浦教授の話はとても参考になったし、宮澤賢治について、あれこれ考えることが増えた。ありがとうございました。

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2017/04/09

『dancyu』5月号で春巻サクサク。

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去る6日発売の『dancyu』5月号は、表紙肩に「春にして焼鳥を想う。春だから春巻と春雨が恋しいの?」のフレーズがある。第一特集が焼鳥で、第二特集が春巻と春雨なのだ。

おれは表参道の「青山蓬莱」と新小岩の「東京はるまき」を取材して書いた。

『dancyu』で書くのは、昨年の11月号以来だが、その11月号では東大前菱田屋の焼売を取材したのであった。

中華の点心というと、餃子、焼売、春巻に「三大」がついてもおかしくないほど人気だと思う。しかも大衆食といって差し支えないだろう三品だ。

011しかし、おれ的には、春巻は餃子と焼売にかなり水をあけられている。中華料理店に入って餃子と焼売と春巻があれば、餃子と焼売のどちらかか両方を頼み春巻が一緒のことはない。ま、人数がいるときは、春巻もね、となるのだが。

だから、編集さんに、「東京はるまき」という春巻専門店しかもテイクアウト専門店があると聞いて驚いた。「成り立つの?」というのが、最初の正直の感想だった。

「青山蓬莱」には、2度ほど、昨年秋にも行ったことがあるが、春巻は食べたことがない。

そんな調子で取材に向かった。

いやあ、原稿に書いたけど、これまでの春巻に対する自分の態度を反省した。

今回は、広告文のような書き方になっている。チョイとへんなところもあり、まだ修業が足りない。でもまあ、この春巻を食べに行ってみたくなるでしょう。

おれはときどき小岩の野暮酒場へ飲みに行くので、こんどは新小岩で途中下車しても、みやげに買うつもりだ。

それはそうと、餃子、焼売、春巻とも、「包む」料理であることが面白い。生春巻は別だが、家庭で作るとなると、それなりに手間がいる。なので外食やテイクアウトが頼りになるということがあるようだ。

でも、「包む」料理は楽しい。春巻の簡単なやり方も知ったので、こんどはウチでやってみる。

本誌を読んでくださいね。あまり知られてない春巻や春雨に関する知識やレシピの紹介もある。

当ブログ関連
2016/10/12
『dancyu』11月号で駒場東大前「菱田屋」の焼売。

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2016/10/16

ホッピー文化研究会編『ホッピー文化論』ハーベスト社の帯文を書いた。

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8月30日に発行になった本書の帯文を書いた。

書いたのだが、出来上がりを見たら、原稿と句読点の位置が変わっていて、ヘンなぐあいになっていた。読んでわからなくはないのだが、やっぱりヘンだ。元は、こう。

「おれが初めてホッピーを飲んだのは1962年だった。そのころ実質的な酒だったホッピーは、「ブーム」を経て東京の都市伝説と化したのか。ホッピー好きの6人の研究者がホッピーを「いじる」とこうなる。ホッピーはいじるネタとして面白い!?」

短い文章だから間違うことはないだろうと思い、校正はいつになるのと催促もしなかったのだが、やはり、文章の長短にかかわらず、著者校はちゃんとやらなくてはならないというキョークン。

専門分野も所属もちがう6人の酒好きの若手の研究者が、それぞれの視点とテーマで書いている。

不満や疑問が残る点は少なくないが、それだけ思考が広がるということでもある。

ある種のサブカル的な楽しさでホッピーを「いじる」面白さがある。

学者・研究者というのは、こういう見方をするのかという面白さもある。

情報社会・消費社会では、ハヤル大衆商品は、ネタとしていじられやすくいじりやすいという特徴を持っている、その意味では、こういう本が出る現代を考えるネタにもなる。

何かを見つけようと思って読めば、とてもおもしろい。

ようするに、読み方しだいで、いろいろな楽しみがある。これを読んで、さらにホッピーをいじってみるのが、いちばん正しい読み方かもしれない。

関西方面などホッピーが馴染みでないところでは、東京って、おかしなものがハヤルところだなあという発見にもなるかも知れない。

きのうふれた、闇市研究成果報告会の発表をした研究会メンバーも、最後のまとめで橋本健二さんが、「このメンバーに共通しているのは、ただ一点で、闇市あとの盛り場で酒を飲むのが好きということで、そこからこの研究会がスタートしている」といったのだが、本書も似ているようだ。

一人の人間が一つの価値観でまとめたものとはちがう面白さがある、こういう単純な動機によるコラボあんどシャッフルは、長く続く閉塞の囲みから垣根を越える動きとして、さらに活発になるような気がする。

『理解フノー』も、おれと田口さんと編集のコラボあんどシャッフルといえる。

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2016/10/12

『dancyu』11月号で駒場東大前「菱田屋」の焼売。

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去る6日に発売の『dancyu』11月号のメイン特集は「居酒屋が呼んでいる」だけど、サブ特集が「焼売」で、おれは駒場東大前の菱田屋さんを取材して書いている。

菱田屋は現在の場所で100年の大衆食堂。正確には、その前から、当時の正式の名称は「東大」ではなかったと思うけど、校内でどんなカタチかわからないが営業していた。

大衆食堂というと、「昭和」や「すがれた風情」が、得体の知れない興味本位と共に語られがちだが、実際は、ゆっくりながらも時代と共に生きているのであり、なかには、この菱田屋のように代替わりしながら、建物やメニューや料理をリニューアルあんどリファインし、新しい時代を創造するように生き続けているところもある。

その生き残り方や生き続け方は、やはり、場所や経営者によって、じつに様々だ。

よく「進化」という言葉が使われたりして、菱田屋についても、そのようにいわれたりするが、大衆食堂における「進化」は一様でなく、「進化とは」を考える好対象のような気がしている。

菱田屋、野方食堂、巣鴨のときわ食堂、浅草のときわ食堂、町屋のときわ食堂、歌舞伎町のつるかめ食堂、もり川食堂、動坂食堂……そして、チェーン展開の大戸屋など、それから、大宮いづみやも一見変わらないようでもゆるやかに進化している。それぞれ、進化の方向性やスピードなどが違うのだ。それは立地も関係するようだ。

とにかく、菱田屋の場合、14年前に建替え、おれより2歳若い1945年生まれの4代目と5代目が一緒に厨房に立つ。

店舗からメニュー、料理やサービスについての考え方まで、未来と変化を感じさせる。

5代目は、焼売についても、シンプルで明快な「料理論」を持っているのだが、それは飲食店だから出来るというものではなく、家庭でも可能であり、家で焼売を作ってみたくなった。

というぐあいに、5代目の「料理論」に興味を持ったのだが、そのあたりのことは、文章ではふれられなかった。

それから5代目は、最初は寿司を志し、途中でやめ、「文琳」で5年間勤めている。そのあたりの「事情」も、日本料理の体質がからむ興味深いことだったが、テーマとは直接関係ないので、書いてない。

考えてみると、いつも料理的にカンジンなことより、ダンチュー的にカンジンなことに沿うように書くのが「フリーライター」の役目なので、そうなるのだな。これは、雑誌や読者の「進化」の方向性のモンダイでもあるだろう。

「焼売」「シュウマイ」「シウマイ」についての「談議」も載っている。

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2016/09/13

『栄養と料理』10月号の特集に初寄稿。

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告知が遅れてしまったが、先週は6日から発売中の『dancyu』10月号の「ウマい町」で栃木県佐野のいもフライをルポしているのだけど、9日発売の『栄養と料理』10月号にも寄稿している。

『栄養と料理』には初登場なのだが、いきなり、「お酒好きのための健康術」という特集の冒頭で、「酒がうまければそれでよし!?」ってことで「酒と私と健康と…」を書いている。おれが飲んでいる写真もデカデカと。

これまでは、栄養だの健康だのハナクソクラエって感じだったのに、こんなことになってしまったのは、某氏の(単に酒を楽しく飲むという)仕掛によるもので、マジかよ冗談だろっと思っているうちに、ほんとうにこんなことを書くことになり、書いてしまった。

『dancyu』と『栄養と料理』は、方向性が逆というか、異なる点が多い。

だいたい『dancyu』は、いわゆるグルメ系で、「反健康」とまではいかなくても、とにかくウマイモノ一途だ。今回の佐野のいもフライだって、栄養学的には、あまり健康的のモノとはいえないだろう。

一方、『栄養と料理』は、清く正しく健全で健康な食生活(こうやって書いてみると、おれにはまったく縁がないことがわかるのだが)をモデルにしている。

今回のように一度に両方の仕事に関わって見ると、なかなか面白いことが見えてくる。けっきょく、「食」というのは「健康」と「不健康」を両方食べるようになっているのだ。

そもそも生存というのが、生きるために食べながら死に向かっているのだからね。この世はパラドキシカルな構造で動いているのだ。

だから、『dancyu』と『栄養と料理』は、じつは、背中合わせで一つの食の姿になる。それでも「食」の全体像からは遠いと思うが。ところが、割りとどちらからしか見てないことが多い。

たとえば、「食」というと「味」と「技術」や「職人」や「雰囲気」といったことになりやすく、さまざまな数値や身体・生理などは無視して「文化」のほうへ傾斜しやすい。一方、栄養や料理というと、教条的に数値や知識を追い「正しい生活」に傾斜しやすい。

だけど、人間は、そんなに都合のよい存在ではない。ま、つまり、どちらも「人間の生存」ということに深く関わりながら、そこのところには踏み込んでないわけだ。といったことなどが、今回シミジミ感じた。

とにかく、『栄養と料理』は、雑誌業界では『dancyu』などと比べると地味な存在だけど、本来の意味での編集力つまり表現以前の力量が問われる雑誌だ。

女子栄養大学出版部の発行で、いろいろ制約が多いのに、なかなか巧みで攻めな編集をしていると思う。だからまあ、おれのようなものが書くことにもなったのだろう。

ちなみに、女子栄養大学は、いまではごく普通に使われている料理の計量カップ・スプーンを考案した香川綾さんとご主人が設立の学校です。ご夫妻で日本の栄養学の基礎を立ち上げた。栄養学は、功罪いろいろだけど、この功績は大きい。『暮しの手帖』の功績より注目されてよいと思うんだが、そのへんは、ま、なんですね、『栄養と料理』より『dancyu』や『暮しの手帖』の方が洗練されていてカッコイイと思う、薄っぺらな困った文化の根深さ、といえるか。

おれの文章は「健康術」にはなっていないけど、「反面教師」ぐらいにはなるかも知れない。

そうそう、おれはこの原稿を書くために、20年ぶりに健康診断ってやつを受けた。肝機能関係の数値は、20年前と比べてどうだったか、それは本誌を見ればわかります。

どうか書店で手に取って見てください。

扉の写真は、歌舞伎町のつるかめ食堂。撮影は、島﨑信一さん。

当ブログ関連
2016/06/15
『栄養と料理』がおもしろい。

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2016/09/05

明日6日発売の『dancyu』10月号で、「ウマい町」を書いています。

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003001『dancyu』10月号は、特集が「肉」で、見ていると肉が食べたくなってしまう。

でもおれは、目次のすぐ後の「ウマい町」で、栃木県佐野の「いもフライ」を書いている。

「佐野市なら、厄よけ大師にアウトレットとラーメンだろうか。いもフライは「名物」といっても、じゃがいもを揚げただけでしょ、疑念を抱えて関東平野の北端の田園地帯を走る両毛線に乗った。着いて、見て、食べて、すみません、自分の料簡が狭かったと反省した」という書き出し。

佐野の風土と歴史ならではの「いもフライ」は、なかなか個性的で面白い。

ま、ご覧なってください。

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2016/05/03

「グルメ」の憂鬱。

資料を探していたら、社会保険研究所から発行の月刊誌『年金時代』2011年4月号が出てきた。すっかり忘れていたが、この号の「随筆」のコーナーに寄稿していたのだった。タイトルは「『グルメ』の憂鬱」。

たしか、この校正のころ、東日本大震災が起きたのだ。本誌の巻末には、「三月一一日に発生した東北地方太平洋沖地震に被災された方々にお見舞いを申し上げますとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします」と、編集部一同からのお見舞いの文章もある。震災の名称が、「東日本大震災」に決まる前だ。

あれから5年が過ぎたが、被災と被災者をめぐって、あいかわらず思慮に欠ける発言が多々見られる。それは、どういうことなのだろうと思う。

食をめぐるさまざまなことがらと関係ありそうだし、日ごろ、食について思慮に欠ける態度でいる結果と関係あるのではないかと思いながら、では、食について思慮深いとはどういうことか、となると、なかなか単純ではない。

とくにこの文章でもふれている、「単品グルメ」といえるような風俗は、近頃は、「パフェ」だのなんだのと細分化しながら、男も女も巻き込んで、ますます「グルメ」は有頂天にはしゃいでいるように見えるのだが、「思慮深さ」のほうはどうなのか、気になるところだ。

とにかく、この掲載誌は、あまり目にする機会がないものだし、自分でも忘れていたぐらいなので、ここに全文を掲載しておく。

以下、段落ごとに一行あけて載せる。

 私は「フリーライター」という肩書きを使っている。すると、「グルメに詳しいライター」とか「B級グルメライター」といわれることがある。いちいち訂正するのも面倒なので、そのままにしているのだが、じつに悩ましく、当惑している。

 十数年前、私は、「大衆食の会」なる、ときどき大衆食堂で飲みくいするだけの「会」とはいえないようなものを始めた。十年前ぐらいからは、Webサイト「ザ大衆食」を主宰している。その「大衆食」が、「B級グルメ」に間違われることが多い。そもそも、B級グルメのほとんどは、大衆食を「グルメの文脈」で語り直したものだから、ありうることではある。

 それにしても、いまの日本は(と大きくでるが)、食べ物の話になると、グルメの文脈でなくては気がすまないらしい傾向が、はびこっている。もう一つ、「健康の文脈」でないと気がすまないらしい傾向も濃厚であるが。とりわけB級グルメの分野は、「単品グルメ」といってよいほど、ラーメンやカレーライスに始まり、いかにうまく「食べる」かより、「うまい店うまいモノ」への傾斜が激しい。そして、このB級グルメに関しては、とりわけ男子が、とても姦しい。「姦しい」は、男を三つにしたほうがよいぐらいである。

 今年が明けて早々に発売になった『d a n c y u』二月号は、味噌汁の特集だった。私は「味噌汁ぶっかけめし」について寄稿していたので、掲載誌が届いた。改めて「男の料理」を考えた。この「ダンチュー」という耳馴れない言葉を遡ると、1970年代後半に発足した「男子厨房に入ろう会」に至る。その後、『週刊ポスト』で連載「男の料理」がスタートし、人気を得て長く続いた。『d a n c y u』の創刊は、「一億総グルメ」といわれた時代、別の言い方ではバブル期になるが、二〇年前の一九九一年である。つまり、男厨会は「男の料理ブーム」の端初の頃に始まった。

 ワザワザ男子厨房に入ろうと、男子が徒党を組んで名乗った背景には、「男子(そして君子)厨房に入るべからず」が大勢だった事情がある。それともう一つ、「男は味をあげつらわず」という言葉があって、この二つは一対をなして、重みを持っていた。ま、「男の本懐」は家事なんぞではなく国事にあるというか。そういう、いわば事大主義的な風潮に抵抗もしくは斜に構えるように、趣味や道楽として「食通」が存在した。

 「女の料理」というハヤリ言葉がないのは、女の料理は趣味や道楽ではなく、普通の生活の中の料理だったからだろう。それは、いうまでもなく、働く男をも支えてきた。大衆食は、そういう、働き生きる生活の中にある、「生活の文脈」のものだった。

 いまや食通変じてグルメが大手をふっている。男の料理は、生活の文脈をどれだけ自らのものにしてきたか知らないが、とにかく男子は、食べ物の仔細なことで、しかも大衆食の外食を舞台に、じつに姦しくなった。こうなると、なんだか、「男は味をあげつらわず」が、素晴らしく思えてしまうのである。

 男は、黙って、台所に立ちたい。

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