2017/06/10

『dancyu』7月号「酒場はここだ。」に北浦和・居酒屋ちどり。

020001

去る6日は『dancyu』7月号の発売日だった。特集は「酒場はここだ。」ということで、昨年の1月号「いい店って、なんだ?」の酒場編のようなものだ。

001a001_2おれは、ときどき行っている北浦和の「居酒屋ちどり」を書いた。

編集さんからは、「「酒をのんでええ気持ちになれればそこは酒場」という、広いポリシーで臨みたいと思っておりまして、居酒屋に限る必要はありません」というメールをいただいた。

そこで、店名に「居酒屋」がついているが、一般的な居酒屋とはチョイと違うし、まだ店に立って1年ほどの28歳の店主が何から何までやっている素人くさい酒場で、これまでのdancyuの範疇では取り上げられるのは難しいだろうが、ココこそおれにとっての「いい酒場だ」ということで押したら通ったのだ。やったね、の気分。

取材は、ライブのある日ということで、ちょうどうまいぐあいに、以前一緒にトークライブをやったことがある原田茶飯事さんの誕生日ワンマンがある日になった。

写真は、大森克己さん。

いい写真。

取材が終わった頃、編集長の江部拓弥さんと副編集長の神吉佳奈子さんがあらわれた。平河町の会社からわざわざ来て下さった。お二人は、この号が最後になる。

狭いちどりは一杯なので、駅近くの居酒屋で終電ギリギリ駆け込みセーフまで、にぎやかに飲んだ。

そして、江部編集長最後の本号が出来上がった。

居酒屋ちどりのタイトルは、「歌に酔う」だ。

おれは、まいど述べているように、「作家」クラスをめざす気はなく、脇役端役の小銭稼ぎのフリーライターだが、このページが、江部編集長を送る花の一輪にでもなれたら幸いだ。

江部さんの前は、町田成一さんが編集長だった。おれは町田編集長時代の2011年2月号で初めてdancyuの仕事をした。編集部に知人がいるわけでなく、突然メールをいただき、その号で終わりかと思ったら、ぼちぼち仕事をいただいた。

とくに積極的に絡むこともなく、とくに親しくするわけでもなく過ぎ、編集長が江部さんにかわったのは、2012年の末か13年の初めごろだったろう。デザイン一新でデザイナーさんはかわったし、いろいろウワサもあって、それまでの写真の人も文の人も変化があった。

おれは相変わらず、とくに積極的に絡むこともなく、とくに親しくするわけでもなく、流れに身をまかせていた。あいかわらず、ぼちぼち仕事をいただいた。そんな感じで、江部編集長の4年数か月が過ぎた。

雑誌は、誰が編集長をやっても、難しい時代だ。新聞や雑誌の仕事など、泥船に乗っているようなものだと言えるだろう。

江部編集長、お疲れさまでした。まだ先がありますが。

019001_2と、「送辞」のようになってしまったが、この特集、さまざまな意外な人、意外な酒場が登場し、おもしろい。

従来の飲み物と食べ物と人物の「物」イズムにとらわれた話と、一つ一つが違い、人の数ほど「酒場観」があるのだなあとあらためて思った。デザインもタイトルごとに違う。

雑多がいい、おもしろい。

|

2017/06/07

「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」

一昨日5日発売の『みんなの 神田 神保町 御茶ノ水』(京阪神エルマガジン社)で、「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」の文を担当した。

001001_2もとはといえば、宮澤賢治の「東京」ノートに「公衆食堂(須田町)」というタイトルの短いスケッチがあって、これがいつごろのどこの食堂か、ということがインターネットで話題になっていたことに始まる。

おれもブログにそのことを書いたまま忘れていたのだが、それを、編集さんが見つけたのがキッカケ。

そのことについては、ここに書いた。
2017/04/15「批評」と「品定め」「目利き」。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2017/04/post-11b8.html

「公衆食堂(須田町)」については、最も可能性の高い公衆食堂を突き止めた。

インターネット上では、このスケッチが何時なのか日付の記載がないことから、よく食堂の話に出てくる現在の「じゅらく」の前身「須田町食堂」とする話もあったのだけど、研究者のあいだではスケッチが書かれた年月が推定できたため、そこではないという結論までは出ていた。

そのあたりは、「宮澤賢治が歩いた東京」の講演をしている、大妻女子大学の杉浦静教授を取材し確認した。杉浦教授の講演資料にも、「公衆食堂(須田町)」は1921年7月頃とあるのだが、須田町食堂は、まだ出来ていない。

そこのところを、もう一歩突っ込んで、探ってみた結果、有力な公衆食堂が見つかった。それがどこか、なぜそこの可能性が高いのか、それは本文を読んで欲しい。

003001それはともかく、この企画は、「公衆食堂(須田町)」がどこかを探るのが目的ではない。神田の食堂を、「東京」ノートに書かれたスケッチをネタに紹介しようというものだ。

おれは賢治の気分。

ならよいのだが、しかし、そうはすんなりいかない。賢治は飲食についてなぜか多くは書いていない。それに菜食主義で脚気にまでなっている。

だいたいこの種の企画では、飲み物や食べ物のうまさや店の雰囲気などを、ああだこうだ音の半音のちがいを聴き分けるようなオシャベリをするのがアタリマエで、そういうオシャベリを得意そうにしている作家や有名人を引っ張り出すものなのだ。そういう安全パイの安直な企画がほとんど。

清く正しく美しく聖人化された宮澤賢治は、ナチュラルだの自然だの天然だのというイメージの飲食には都合よいが、俗世間な神田あたりには向いていない。

でも、そこが、おもしろかった。飲食のステージは、大きくて広いのだ。

食に関心がなさそうなおかしな賢治と付き合って、考えることも多かった。宮澤賢治とその作品についても考えることが多かったし、飲食についても、別の角度から考えられた。

関係なさそうな関係に関係をみる。そこに、新しい可能性が生まれるんだよね。

ま、書くのは苦労して、自分でもどういうカテゴリーの文なのかわからないアンバイになったが、ありきたりからの脱出ジャンルということにしておこう。

こういう企画をグイグイ押す編集の半井裕子さんに脱帽。ほかの企画も、とてもおもしろい。

写真は、本野克佳さん。

取材した店は、ランチョン、栄屋ミルクホール、かんだ食堂。ご協力ありがとうございました。

杉浦教授の話はとても参考になったし、宮澤賢治について、あれこれ考えることが増えた。ありがとうございました。

004

005

|

2017/04/09

『dancyu』5月号で春巻サクサク。

002

去る6日発売の『dancyu』5月号は、表紙肩に「春にして焼鳥を想う。春だから春巻と春雨が恋しいの?」のフレーズがある。第一特集が焼鳥で、第二特集が春巻と春雨なのだ。

おれは表参道の「青山蓬莱」と新小岩の「東京はるまき」を取材して書いた。

『dancyu』で書くのは、昨年の11月号以来だが、その11月号では東大前菱田屋の焼売を取材したのであった。

中華の点心というと、餃子、焼売、春巻に「三大」がついてもおかしくないほど人気だと思う。しかも大衆食といって差し支えないだろう三品だ。

011しかし、おれ的には、春巻は餃子と焼売にかなり水をあけられている。中華料理店に入って餃子と焼売と春巻があれば、餃子と焼売のどちらかか両方を頼み春巻が一緒のことはない。ま、人数がいるときは、春巻もね、となるのだが。

だから、編集さんに、「東京はるまき」という春巻専門店しかもテイクアウト専門店があると聞いて驚いた。「成り立つの?」というのが、最初の正直の感想だった。

「青山蓬莱」には、2度ほど、昨年秋にも行ったことがあるが、春巻は食べたことがない。

そんな調子で取材に向かった。

いやあ、原稿に書いたけど、これまでの春巻に対する自分の態度を反省した。

今回は、広告文のような書き方になっている。チョイとへんなところもあり、まだ修業が足りない。でもまあ、この春巻を食べに行ってみたくなるでしょう。

おれはときどき小岩の野暮酒場へ飲みに行くので、こんどは新小岩で途中下車しても、みやげに買うつもりだ。

それはそうと、餃子、焼売、春巻とも、「包む」料理であることが面白い。生春巻は別だが、家庭で作るとなると、それなりに手間がいる。なので外食やテイクアウトが頼りになるということがあるようだ。

でも、「包む」料理は楽しい。春巻の簡単なやり方も知ったので、こんどはウチでやってみる。

本誌を読んでくださいね。あまり知られてない春巻や春雨に関する知識やレシピの紹介もある。

当ブログ関連
2016/10/12
『dancyu』11月号で駒場東大前「菱田屋」の焼売。

029

|

2016/10/16

ホッピー文化研究会編『ホッピー文化論』ハーベスト社の帯文を書いた。

001

002

8月30日に発行になった本書の帯文を書いた。

書いたのだが、出来上がりを見たら、原稿と句読点の位置が変わっていて、ヘンなぐあいになっていた。読んでわからなくはないのだが、やっぱりヘンだ。元は、こう。

「おれが初めてホッピーを飲んだのは1962年だった。そのころ実質的な酒だったホッピーは、「ブーム」を経て東京の都市伝説と化したのか。ホッピー好きの6人の研究者がホッピーを「いじる」とこうなる。ホッピーはいじるネタとして面白い!?」

短い文章だから間違うことはないだろうと思い、校正はいつになるのと催促もしなかったのだが、やはり、文章の長短にかかわらず、著者校はちゃんとやらなくてはならないというキョークン。

専門分野も所属もちがう6人の酒好きの若手の研究者が、それぞれの視点とテーマで書いている。

不満や疑問が残る点は少なくないが、それだけ思考が広がるということでもある。

ある種のサブカル的な楽しさでホッピーを「いじる」面白さがある。

学者・研究者というのは、こういう見方をするのかという面白さもある。

情報社会・消費社会では、ハヤル大衆商品は、ネタとしていじられやすくいじりやすいという特徴を持っている、その意味では、こういう本が出る現代を考えるネタにもなる。

何かを見つけようと思って読めば、とてもおもしろい。

ようするに、読み方しだいで、いろいろな楽しみがある。これを読んで、さらにホッピーをいじってみるのが、いちばん正しい読み方かもしれない。

関西方面などホッピーが馴染みでないところでは、東京って、おかしなものがハヤルところだなあという発見にもなるかも知れない。

きのうふれた、闇市研究成果報告会の発表をした研究会メンバーも、最後のまとめで橋本健二さんが、「このメンバーに共通しているのは、ただ一点で、闇市あとの盛り場で酒を飲むのが好きということで、そこからこの研究会がスタートしている」といったのだが、本書も似ているようだ。

一人の人間が一つの価値観でまとめたものとはちがう面白さがある、こういう単純な動機によるコラボあんどシャッフルは、長く続く閉塞の囲みから垣根を越える動きとして、さらに活発になるような気がする。

『理解フノー』も、おれと田口さんと編集のコラボあんどシャッフルといえる。

|

2016/10/12

『dancyu』11月号で駒場東大前「菱田屋」の焼売。

011001

去る6日に発売の『dancyu』11月号のメイン特集は「居酒屋が呼んでいる」だけど、サブ特集が「焼売」で、おれは駒場東大前の菱田屋さんを取材して書いている。

菱田屋は現在の場所で100年の大衆食堂。正確には、その前から、当時の正式の名称は「東大」ではなかったと思うけど、校内でどんなカタチかわからないが営業していた。

大衆食堂というと、「昭和」や「すがれた風情」が、得体の知れない興味本位と共に語られがちだが、実際は、ゆっくりながらも時代と共に生きているのであり、なかには、この菱田屋のように代替わりしながら、建物やメニューや料理をリニューアルあんどリファインし、新しい時代を創造するように生き続けているところもある。

その生き残り方や生き続け方は、やはり、場所や経営者によって、じつに様々だ。

よく「進化」という言葉が使われたりして、菱田屋についても、そのようにいわれたりするが、大衆食堂における「進化」は一様でなく、「進化とは」を考える好対象のような気がしている。

菱田屋、野方食堂、巣鴨のときわ食堂、浅草のときわ食堂、町屋のときわ食堂、歌舞伎町のつるかめ食堂、もり川食堂、動坂食堂……そして、チェーン展開の大戸屋など、それから、大宮いづみやも一見変わらないようでもゆるやかに進化している。それぞれ、進化の方向性やスピードなどが違うのだ。それは立地も関係するようだ。

とにかく、菱田屋の場合、14年前に建替え、おれより2歳若い1945年生まれの4代目と5代目が一緒に厨房に立つ。

店舗からメニュー、料理やサービスについての考え方まで、未来と変化を感じさせる。

5代目は、焼売についても、シンプルで明快な「料理論」を持っているのだが、それは飲食店だから出来るというものではなく、家庭でも可能であり、家で焼売を作ってみたくなった。

というぐあいに、5代目の「料理論」に興味を持ったのだが、そのあたりのことは、文章ではふれられなかった。

それから5代目は、最初は寿司を志し、途中でやめ、「文琳」で5年間勤めている。そのあたりの「事情」も、日本料理の体質がからむ興味深いことだったが、テーマとは直接関係ないので、書いてない。

考えてみると、いつも料理的にカンジンなことより、ダンチュー的にカンジンなことに沿うように書くのが「フリーライター」の役目なので、そうなるのだな。これは、雑誌や読者の「進化」の方向性のモンダイでもあるだろう。

「焼売」「シュウマイ」「シウマイ」についての「談議」も載っている。

046

012001


|

2016/09/13

『栄養と料理』10月号の特集に初寄稿。

001

002


告知が遅れてしまったが、先週は6日から発売中の『dancyu』10月号の「ウマい町」で栃木県佐野のいもフライをルポしているのだけど、9日発売の『栄養と料理』10月号にも寄稿している。

『栄養と料理』には初登場なのだが、いきなり、「お酒好きのための健康術」という特集の冒頭で、「酒がうまければそれでよし!?」ってことで「酒と私と健康と…」を書いている。おれが飲んでいる写真もデカデカと。

これまでは、栄養だの健康だのハナクソクラエって感じだったのに、こんなことになってしまったのは、某氏の(単に酒を楽しく飲むという)仕掛によるもので、マジかよ冗談だろっと思っているうちに、ほんとうにこんなことを書くことになり、書いてしまった。

『dancyu』と『栄養と料理』は、方向性が逆というか、異なる点が多い。

だいたい『dancyu』は、いわゆるグルメ系で、「反健康」とまではいかなくても、とにかくウマイモノ一途だ。今回の佐野のいもフライだって、栄養学的には、あまり健康的のモノとはいえないだろう。

一方、『栄養と料理』は、清く正しく健全で健康な食生活(こうやって書いてみると、おれにはまったく縁がないことがわかるのだが)をモデルにしている。

今回のように一度に両方の仕事に関わって見ると、なかなか面白いことが見えてくる。けっきょく、「食」というのは「健康」と「不健康」を両方食べるようになっているのだ。

そもそも生存というのが、生きるために食べながら死に向かっているのだからね。この世はパラドキシカルな構造で動いているのだ。

だから、『dancyu』と『栄養と料理』は、じつは、背中合わせで一つの食の姿になる。それでも「食」の全体像からは遠いと思うが。ところが、割りとどちらからしか見てないことが多い。

たとえば、「食」というと「味」と「技術」や「職人」や「雰囲気」といったことになりやすく、さまざまな数値や身体・生理などは無視して「文化」のほうへ傾斜しやすい。一方、栄養や料理というと、教条的に数値や知識を追い「正しい生活」に傾斜しやすい。

だけど、人間は、そんなに都合のよい存在ではない。ま、つまり、どちらも「人間の生存」ということに深く関わりながら、そこのところには踏み込んでないわけだ。といったことなどが、今回シミジミ感じた。

とにかく、『栄養と料理』は、雑誌業界では『dancyu』などと比べると地味な存在だけど、本来の意味での編集力つまり表現以前の力量が問われる雑誌だ。

女子栄養大学出版部の発行で、いろいろ制約が多いのに、なかなか巧みで攻めな編集をしていると思う。だからまあ、おれのようなものが書くことにもなったのだろう。

ちなみに、女子栄養大学は、いまではごく普通に使われている料理の計量カップ・スプーンを考案した香川綾さんとご主人が設立の学校です。ご夫妻で日本の栄養学の基礎を立ち上げた。栄養学は、功罪いろいろだけど、この功績は大きい。『暮しの手帖』の功績より注目されてよいと思うんだが、そのへんは、ま、なんですね、『栄養と料理』より『dancyu』や『暮しの手帖』の方が洗練されていてカッコイイと思う、薄っぺらな困った文化の根深さ、といえるか。

おれの文章は「健康術」にはなっていないけど、「反面教師」ぐらいにはなるかも知れない。

そうそう、おれはこの原稿を書くために、20年ぶりに健康診断ってやつを受けた。肝機能関係の数値は、20年前と比べてどうだったか、それは本誌を見ればわかります。

どうか書店で手に取って見てください。

扉の写真は、歌舞伎町のつるかめ食堂。撮影は、島﨑信一さん。

当ブログ関連
2016/06/15
『栄養と料理』がおもしろい。

003

|

2016/09/05

明日6日発売の『dancyu』10月号で、「ウマい町」を書いています。

004001

003001『dancyu』10月号は、特集が「肉」で、見ていると肉が食べたくなってしまう。

でもおれは、目次のすぐ後の「ウマい町」で、栃木県佐野の「いもフライ」を書いている。

「佐野市なら、厄よけ大師にアウトレットとラーメンだろうか。いもフライは「名物」といっても、じゃがいもを揚げただけでしょ、疑念を抱えて関東平野の北端の田園地帯を走る両毛線に乗った。着いて、見て、食べて、すみません、自分の料簡が狭かったと反省した」という書き出し。

佐野の風土と歴史ならではの「いもフライ」は、なかなか個性的で面白い。

ま、ご覧なってください。

006001

005001

|

2016/05/03

「グルメ」の憂鬱。

資料を探していたら、社会保険研究所から発行の月刊誌『年金時代』2011年4月号が出てきた。すっかり忘れていたが、この号の「随筆」のコーナーに寄稿していたのだった。タイトルは「『グルメ』の憂鬱」。

たしか、この校正のころ、東日本大震災が起きたのだ。本誌の巻末には、「三月一一日に発生した東北地方太平洋沖地震に被災された方々にお見舞いを申し上げますとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします」と、編集部一同からのお見舞いの文章もある。震災の名称が、「東日本大震災」に決まる前だ。

あれから5年が過ぎたが、被災と被災者をめぐって、あいかわらず思慮に欠ける発言が多々見られる。それは、どういうことなのだろうと思う。

食をめぐるさまざまなことがらと関係ありそうだし、日ごろ、食について思慮に欠ける態度でいる結果と関係あるのではないかと思いながら、では、食について思慮深いとはどういうことか、となると、なかなか単純ではない。

とくにこの文章でもふれている、「単品グルメ」といえるような風俗は、近頃は、「パフェ」だのなんだのと細分化しながら、男も女も巻き込んで、ますます「グルメ」は有頂天にはしゃいでいるように見えるのだが、「思慮深さ」のほうはどうなのか、気になるところだ。

とにかく、この掲載誌は、あまり目にする機会がないものだし、自分でも忘れていたぐらいなので、ここに全文を掲載しておく。

以下、段落ごとに一行あけて載せる。

 私は「フリーライター」という肩書きを使っている。すると、「グルメに詳しいライター」とか「B級グルメライター」といわれることがある。いちいち訂正するのも面倒なので、そのままにしているのだが、じつに悩ましく、当惑している。

 十数年前、私は、「大衆食の会」なる、ときどき大衆食堂で飲みくいするだけの「会」とはいえないようなものを始めた。十年前ぐらいからは、Webサイト「ザ大衆食」を主宰している。その「大衆食」が、「B級グルメ」に間違われることが多い。そもそも、B級グルメのほとんどは、大衆食を「グルメの文脈」で語り直したものだから、ありうることではある。

 それにしても、いまの日本は(と大きくでるが)、食べ物の話になると、グルメの文脈でなくては気がすまないらしい傾向が、はびこっている。もう一つ、「健康の文脈」でないと気がすまないらしい傾向も濃厚であるが。とりわけB級グルメの分野は、「単品グルメ」といってよいほど、ラーメンやカレーライスに始まり、いかにうまく「食べる」かより、「うまい店うまいモノ」への傾斜が激しい。そして、このB級グルメに関しては、とりわけ男子が、とても姦しい。「姦しい」は、男を三つにしたほうがよいぐらいである。

 今年が明けて早々に発売になった『d a n c y u』二月号は、味噌汁の特集だった。私は「味噌汁ぶっかけめし」について寄稿していたので、掲載誌が届いた。改めて「男の料理」を考えた。この「ダンチュー」という耳馴れない言葉を遡ると、1970年代後半に発足した「男子厨房に入ろう会」に至る。その後、『週刊ポスト』で連載「男の料理」がスタートし、人気を得て長く続いた。『d a n c y u』の創刊は、「一億総グルメ」といわれた時代、別の言い方ではバブル期になるが、二〇年前の一九九一年である。つまり、男厨会は「男の料理ブーム」の端初の頃に始まった。

 ワザワザ男子厨房に入ろうと、男子が徒党を組んで名乗った背景には、「男子(そして君子)厨房に入るべからず」が大勢だった事情がある。それともう一つ、「男は味をあげつらわず」という言葉があって、この二つは一対をなして、重みを持っていた。ま、「男の本懐」は家事なんぞではなく国事にあるというか。そういう、いわば事大主義的な風潮に抵抗もしくは斜に構えるように、趣味や道楽として「食通」が存在した。

 「女の料理」というハヤリ言葉がないのは、女の料理は趣味や道楽ではなく、普通の生活の中の料理だったからだろう。それは、いうまでもなく、働く男をも支えてきた。大衆食は、そういう、働き生きる生活の中にある、「生活の文脈」のものだった。

 いまや食通変じてグルメが大手をふっている。男の料理は、生活の文脈をどれだけ自らのものにしてきたか知らないが、とにかく男子は、食べ物の仔細なことで、しかも大衆食の外食を舞台に、じつに姦しくなった。こうなると、なんだか、「男は味をあげつらわず」が、素晴らしく思えてしまうのである。

 男は、黙って、台所に立ちたい。

|

2016/04/27

発売中の『散歩の達人』5月号「食堂100軒」で、大宮の「いづみや本店」を紹介。

003

先週末に発売になった『散歩の達人』5月号は、「20周年記念企画」の第二弾ってことで、食堂特集をやっている。先月号の第一弾は酒場だったし、次号の第三弾は喫茶というぐあいの、20周年記念の連続三特集なのだ。

001「エンテツこと遠藤哲夫が立ち寄る食堂酒場」として、大宮東口の「いづみや本店」が、見開き2ページで載っている。

おれの文章は600字弱といったところ。ほんのちょっとだけ、クサイ表現を盛った。

企画書では1ページだったから、写真がよくて、見開きになったにちがいない。金井塚太郎さんの写真が、いづみやの情景を、うまく撮っていて、すごくいい。

おれが一人で立ち寄る時間帯は、平日の午後2時から5時ぐらいのあいだが多い。その5時ごろの取材だったのだが、近頃のいづみやは、いつ行っても客が多い。そして時間帯によって、客層が変わる。この時間帯は、おれ同様の「高齢者」が最も多い時間帯だ。ま、平日の昼間ヒマしているのは、この年代が多いのだから、当然だろう。

いつも、その高齢者御同輩に埋もれるようにして、なにかの定食か丼物やチャーハンで、ビールを一本あける。そのままの様子が、写真になった。

この写真の、おれの埋もれぐあいもいい。先日、数人で酒を飲んだとき、「一歩前へ出る」や「もう一歩高いステージへ」より「埋もれている」のが好きである、目立ちたくない、もう一歩の押しがない、そういう人間だっている、というような話をしていて、それは「裏日本」育ちのせいかと、おなじ「裏日本人」のSさんと盛りあがった。そんなことで盛りあがっても、よいことはないのだが、控えめのタチというものだ。

散達から声がかかったのは、ひさしぶりだ。

『散歩の達人』の初仕事は、1997年4月号の第二特集「大衆食堂の逆襲」だった。編集協力とコラムの寄稿だった。このときの肩書は、「フリーのプランナー・ライター」になっている。肩書に中途半端に「ライター」を入れ始めたころのようだ。

今回の肩書は、「著述家」になっているが、いつものように、肩書やプロフィールなどは編集さんにまかせている。「著述家」は、『dancyu』2016年1月号「いい店って、なんだ?」特集のときに、dancyuの編集さんが初めて使ったのではないかと思う。名刺は「フリーライター」なのだが、なかなかその通りにはいかない。

それはともかく、『散歩の達人』の仕事を、ザ大衆食のサイトからテキトウに拾ってみると、こんなぐあいだ。

1997年11月、12月号横丁特集で、「横丁が消える日」「王子さくら新道・柳小路」。

2001年3月、4月号浅草特集で、コラム「浅草天丼怪食術」。

2002年8月、散歩の達人ブックス『東京定食屋ブック』で、企画協力と原稿。

2004年7月、散歩の達人ムック『東京夕暮れスタイル』で、コラム「ビールと焼そばで考えた」。

2004年11月、12月号にコラム「とん汁青春論」。

2006年9月、10月号「掘り出し本に一本!」で、『明治西洋料理起源』の紹介。

ほかにもあるかも知れないが、散達から声がかかったのは、10年ぶりぐらいのことにちがいない。

ザ大衆食のサイト、2005年6月20日に、

『大衆食堂の研究』1995年発刊から10年
大衆食堂の逆襲
『散歩の達人』1997年4月号
http://homepage2.nifty.com/entetsu/siryo/santatsu_gyakusyu.htm

を書いている。さらに10年たって、これを読んでみたら、この20年間の、大衆食堂や散達をめぐる「変化」が見えて来るようで、おもしろい。

「いづみや」も、最近は、20代の客が増えている。かれらは、「昭和」や「レトロ」にひたりたいわけじゃないし、そこに惹かれているわけでない。

|

2016/04/21

解説を書いた獅子文六『食味歳時記』中公文庫復刊が今日から発売。

001001

2016/04/08「4月21日発売。獅子文六『食味歳時記』中公文庫が復刊、解説を書きました。」に書いたように、今日から書店に並び始めるようだ。

中公文庫(中央公論新社)@chuko_bunkoの公式ツイッターでは、このような告知があった。

獅子文六『食味歳時記』が復刊。明治の横浜に生まれて以来の食味遍歴を背景に、ユーモア作家が残した味覚随筆の名品です。「ウマいものはウマい」と気取らず「食う」著者のスタイルは、現代日本のグルメ指向とは一線を画して、新鮮にして痛快です。解説はエンテツこと遠藤哲夫さん。
https://twitter.com/chuko_bunko/status/722967159425519617

解説は4000字(7ページ分)ほど書いたが、要約すると、このツイートのようなアンバイになる。
amazonで予約していた方は、すでに昨日のうちに入手していたようで、「解説も痛快」というコメントをいただいた。

本が出来あがったのは、先週の15日金曜日で、今週の月曜日18日に大手町の読売新聞ビルにある中央公論新社へ行き、担当の編集さんと初めて会い、本をいただき、「みますや」で一杯やった。

おれが中公文庫の、しかも獅子文六の解説を書くなんて、ある書店の方は「意外ですね」といい、あるフリーの編集者は「えっ」と絶句したほど、予想外のことだ。まるでカラーのちがう世界と思われても当然だろう。もちろん知り合いはいない、解説の話は1月26日にいただいた突然のメールから始まったのだ。

ライターは本の売り上げで評価されるものではないというタテマエがあったにせよ、おれのような売れないライターに解説を頼むなんて、かなりの冒険にちがいない。いまどき、そんな冒険をする編集さんがいるのか、どんなひとだろうと興味津々で会いに行って飲んだのだ。

じつに愉快な酒だった。「なるほど」と思うことが多々あった。

獅子文六のこの本は、とにかく面白いし、飲食に関心のあるひとは必読の名著だ。資料的価値も高く、おれは『汁かけめし快食學』などで引用している。

前にも書いたように、いま獅子文六が再び注目されていて、とくに火付け役になったちくま文庫から、新たに数冊出ている。明治生まれの文士なのに、いま読んでも古臭くなく、新鮮だ。ほかの小説やエッセイなども、あわせて読んでいただけるとうれしい。

|

より以前の記事一覧