2017/10/09

スペクテイター40号「カレー・カルチャー」。

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最近発売の『スペクテイターspectator』40号「カレー・カルチャー」(発行=エディトリアル・デパートメント、発売=幻冬社)は、充実した内容で、息をつめて読んだのちためいきが出るほどよかった。

飲食や食べ物をテーマにした雑誌や本がハンランするなかで、ひさしぶりに、いい本と出合った気分だ。

おれも「カレーショップは現代の大衆食堂である」という一文を寄稿しているわけだけど、そのことを抜きに、絶賛したい。だけど、全体の構成のなかで、おれの文章もじつにおさまりがよい働きをしている。

やはり編集力というものが、ちがうのだ。

おれのテーマを担当した編集者は、赤田祐一さんだ。以前、赤田さんが編集長の「dankaiパンチ」に何度か寄稿したことがあるが、直接赤田さんと仕事をやるのは初めてだった。

なにしろ有名な編集者だから、どんな方かと興味津々だったが、確かに、最初の打ち合わせのときから、これまで会ったことのある編集者とちがった。

という話はともかく、おれがこの本を「いい本」というワケは、俯瞰的視野と多角的視点で構成され、「私語り」の語りの形式や言葉でなく、つまり編集者や著者の嗜好や価値観や世界観ではなく、いま「カレー・カルチャー」はこんなアンバイなんだよと対象に肉薄していることだ。しかも、表現が、漫画も盛りこみ、多様。

まさにスペクテイターの見方。スペクテイターならではの、これこそサブカルチャー、というオリジナリティがある。

そうなのだ、ちかごろの飲食や食べ物をテーマにした本や雑誌がツマラナイのは、編集や著者のオリジナリティがなく(オリジナリティは編集手法と表現手法ぐらい)、いつも既視感が漂っていて、ああまたね、だからなのだ。お互いに「ああまたね」のアンシン感で成り立っている。おれが書いたものも、そんな風に読まれているのだろうなあとおもうと、あまり気持のよいものではない。

この本は、食べ物と人、食べ物と人と人の関わりを掘り下げていて、カレー好きでなくても、現代と現代の生き方を知るおもしろさがある。とくに、「分断」がいわれる社会で、それを深めたり固定化するのではなく(たいがいの飲食や食べ物の本は、たこつぼの視野とたこつぼの視点で、こちらに巻き込まれている)、多文化が混ざりあいおもしろいことを生み出していく力を感じる(カレーがまさにそう)。

閉塞から抜け出し、解放的で可能性豊かな人生を考えるのによい。なんだか、カレーは食べたくなるし、カレーを作りたくなるし、カレーを食べたときのように得体のしれないエナジーが身体の芯からわいてくるのだ。

もくじを見よう。

なぜカレーについてこれほど熱くなるのか? ←コラム
カレーの歴史をたどる ←年表
インド&カレーのAtoZ

大阪スパイスカレー誕生秘話 南インド料理こそ「真」のインド料理? ←文・森好宏(宮城県仙台「あちゃーる」店主)漫画:UJT

カレーの国のエクソダス ←取材・撮影・文:三田正明

   タバ・クニタチ(東京都国立市)
   店主・須田竜
   食堂のおっちゃんになりたいんです

   虎子食堂・カレー屋まーくん(東京都渋谷)
   店主・まーくん
   混ぜるな危険!
   当店のカレーはまぜないでください

   妄想カレー ネグラ(東京都杉並区)
   店主・大澤思郎&近藤麻衣子
   カレーは作るのが楽しい人が
   作ればいいと思うんで

潜入「カレー事情聴取」 ←漫画:清本一毅
漂流社、カレー屋はじめました ←漫画:川崎昌平

個性派カレー店主たちは、どんなことを考えているのか? ←取材・撮影・文:編集部(赤田)

   beet eat(東京都世田谷区)
   店主・竹林久仁子
   「ジビエカレーを提案するということ」

   JAY(山形市)
   店主・由利三
   「私はインド料理に生かされているだけ」

   愛のカレー研究所(秋田市)
   店主・村上祐子
   「結局カレーは人に喜んでもらうための手段の一つに過ぎないんです」

博士のカレー ←漫画:関根美有

デリー発、イミズスタン行き 富山カレートリップ ←取材・文:ワダヨシ+和田侑子

カレーショップは現代の大衆食堂である ←文:遠藤哲夫

レトルトカレーは何を食べたらいいか? ←語り手:カレーの島田 聞き手:パリッコ 構成:編集部

いじょう。

赤田さんからの最初の依頼は「カレーショップは現代の大衆食堂である」ではなく、「カレーショップは現代の大衆食堂か?」で、「か?」がついていた。そのまま原稿を書いて送り、見出しはこのようになった。

「論考」にしてくれといわれ、このテーマで論考とは、ずいぶんややこしい難しい注文だなあとおもった。

だけど、このライターにこういう企画やテーマをぶつけてみたら、どんなことを書いてくれるのだろうか、とか、なにか出てくるんではないかという、スリリングな期待での原稿依頼というのは、ほとんどないなかで、これはなかなかおもしろい編集者だし、おもしろい仕事だとおもった。

たいがい、食べ物や店や人や場所などの素材があって、書いている。しかも、このライターならアンシンという、無難でラクな選択ばかりが多いなかだ。取材や書く緊張はあっても、素材あってのことだねで、最初から頼りになる素材が選ばれている。

そういうことにならされた脳ミソは、しばらく悩んだ。しかも、論考で、エッセイに逃げることができない。とはいえ、最後はエッセイ風で締めたのだけどね。

とにかく、テーマがテーマだから、料理論や味覚論から離れ、ぶっかけめし論をやりたくなるのもガマンし、さまざまな資料を用いて、大衆と大衆食といわれるカレーの成立期を食堂史のなかに位置づけることをした。

8000字の原稿。

赤田さんと何度かメールのやりとりがあって、その内容も濃く、ひさしぶりに充実した仕事だった。

しかし、考えてみると、中堅クラスから上の出版社では、こういう仕事はできないし、だいいち赤田さんのような編集者がいる場所もないのだからねえ。

この本、1000円は安い。気取らない着飾らない表現で、ぐいぐい対象に迫る、その力強さとカレーカルチャーの真実にふれてほしい。

登場する方が、求道家のような方から、音楽論のようなカレーと人生、あるいは「食堂のおっちゃんになりたいんです」の須田竜さんなど、みなさんスリリングなカレー人生で、人間宇宙はおもしろいなあ、もっと自由に解放的やろうという気になるのだった。

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2017/09/19

毎日新聞「昨日読んだ文庫」。

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9月17日(日曜日)、毎日新聞書評欄の「昨日読んだ文庫」に寄稿したものが掲載になった。絵は、舟橋全二さんです。

「私に料理の構造と機能を気づかせ、忘れられない衝撃と展望をもたらした2冊は中公文庫の現役で、鮮度も衰えていない」と登場するのは、玉村豊男『料理の四面体』と梅棹忠夫『文明の生態史観』だ。

どちらも、1980年代初頭に読んだのだが、『料理の四面体』は鎌倉書房の単行本、『文明の生態史観』は中公叢書だった。それから何度も読んでいる。

『料理の四面体』については、拙著でも『大衆めし 激動の戦後史』など、機会があるたびにプッシュしているが、『文明の生態史観』についてふれるのは、今回が初めてだ。

『ぶっかけめしの悦楽』『汁かけめし快食學』は、『文明の生態史観』に書かれている系譜論と機能論の影響を強く受けていて、その両方の見方をからみあわせながら書いている。

『文明の生態史観』が中公叢書から出たのは1967年で、『料理の四面体』が鎌倉書房から出たのは1980年10月、どちらを先に読んだか覚えていないが、ほとんど同時期に読んだはずだ。

生態史観は1974年9月に中公文庫入りして、いまでも現役だ。すごいなあ、もう古典ですね。四面体のほうは、一時はどうなるかとおもうほど変転があってのち、2010年2月に中公文庫入りした。

料理からみれば、この2冊は、これからのほうが鮮度がよくなるとおもう。

というのも、日本の料理は、もう「和・洋・中」の観念では把握しきれないほどになっていることがある。それから、目的、要素、方法、手段などの組み合わせ(デザイン)で、生活や料理を考える流れが広がっているからだ。

料理や食べ物に関しては、系譜論にもとづく「うまいもの話」「いいもの話」や「職人論」あるいは「属人論」などが、あいかわらず惰性的に続くだろしにぎやかではあるけれど、もっと根本的なところで、系譜論をのりこえる流れも育ってきている。

しかし一方では、系譜論は、いまの日本で、いちばんやっかいな問題を生んでもいる。

『料理の四面体』と『文明の生態史観』が続いている背景には、そういうことがあるだろう。

『文明の生態史観』に収録されている「生態史観からみた日本」には、このようなことが書いている。

(日本の知識人諸氏は)「ほかの国のことが話題になっていても、それ自身としてはあまり興味をおぼえない。自分との比較、あるいは自分自身が直接の話題になったときだけ、心がうごく。あるいはまた、なにごとをいうにも自分を話題の中心にすえないではいられない、ということでしょうか。なんというナルシシズムかと、おどろくのであります」

昨日の「たこつぼ」問題とも関係することだ。系譜論にとりこまれると「たこつぼ」に落ちやすい。

当ブログ関連
2017/09/08
「書評のメルマガ」の『料理の四面体』。

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2017/09/11

おしゃれが野暮か、野暮がおしゃれか。

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おれのような野暮なジジイにはあまり縁がないんだけど、「ユナイテッドアローズ グリーンレーベルリクラッシン」というショップがありますね。東日本JRの駅ビルあたりで店舗展開をしているようです。

そこが発行する「THINK LOCAL」というガイドマップは、店舗がある地域ごとに編集されています。

ユナイテッドアローズのサイトを見ると、「THINK LOCAL」には岡本仁さんが関係しているようですね。見本誌としていただいた静岡版にも、岡本仁さんがコラムを寄稿しています。

ルミネ大宮店にも、グリーンレーベルクラッシンがありまして、大宮版が出来たのですが、なんと、このおしゃれな店のおしゃれなガイドマップに野暮なおれが寄稿しています。

おれは「酒がうまくなる歩き方」というタイトルで、登場する酒場は20年間偏愛し続けている大宮東口駅前の「いづみや」なんですが、酒場の紹介より飲む前のオススメ散歩コースを中心に書いています。

氷川神社周辺の地形を散歩しながら、古代から現代までをめぐり、「人の一生は短いが、多くの人たちの摩訶不思議な長い歴史の一部を生きていると実感する」スポットを紹介しています。

氷川神社周辺のことについては、スソアキコさんの古墳部歩きで得たことが、大いに役に立ちました。

それから、大宮公園の北側にある、街が盆栽公園みたいな盆栽町と、そこにある「さいたま市立漫画会館」と隣接する「さいたま市盆栽美術館」ですが、おれは行かずに馬鹿にしていたのだけど、行ってみたら、すごーく面白いのです。一見の価値があります。

初めて「さいたま市立漫画会館」へ行ったときは、「ここがあの!」とビックリしました。施設名に「北沢楽天記念」とかなんとか入れておいたほうがよかったのに。

明治後期から昭和戦前の庶民の歴史資料を調べるとき、必ず見ることになる漫画雑誌があります。『時事漫画』や『東京パック』ですが、ここに描きまくっているのが北沢楽天で、漫画も面白いけど、内容の資料価値が高く、おれは国会図書館や埼玉県の図書館で何枚もコピーして持っていました。

北沢楽天は「日本の近代漫画の先駆者」といわれていますが、とにかく、昭和の初めの日本が戦争に突っ走りだしたころの、財閥の専横や庶民の苦しみといったものまで、あの時代よくこんな漫画を描けたなあとおもうぐらい、すごい風刺の漫画を描いたりしています。モボモガ風俗の漫画も面白いし、関東大震災前後の世相などじつにわかりやすい。とにかく、明治後期から昭和戦前の世相や風俗を知る上で欠かせない資料なんですよ。

その北沢楽天が大宮出身で、そのアトリエが漫画会館だとは知らなかった。初めて行ったとき驚きました。原画の展示はもちろん、楽天が描いていた漫画雑誌の現物が自由に閲覧できるんですよ。たぶん入館者が少ないからだろうけど、写真も自由に撮影できる。国会図書館まで行っていたおれはトウダイモトクラシの大馬鹿者だったとおもいながら、写真を撮りました。

北沢楽天を映画化、主役予定の俳優がこのあいだヤク問題で暗礁にぶつかり、どうなるかとおもっていたら、イッセー尾形に交替して撮影も終わっているようですね。こちら埼玉新聞のニュースにあります。
http://www.saitama-np.co.jp/news/2017/05/14/09.html

北沢楽天に力が入ってしまった。

「THINK LOCAL」大宮には、いづみやのほかに、石田エリさんのコラムでは、72時間ドキュメントに登場してメチャクチャ混むようになってしまった「伯爵邸」や、南銀のアヤシイ横丁にある「三悟晶」や、浦和の浦和レッズのたまり場である「力」がアルディージャの大宮へ殴りこみをかけるように出店した「力」など、ちっともおしゃれじゃないけど人気で、いつも混雑している店が登場している。

「おしゃれが野暮か、野暮がおしゃれか」というかんじで、近頃は面白い。もう「おしゃれか野暮か」じゃない。ナニゴトも「二項対立軸」で見ていてはダメですね。ガラガラ変わっている価値観の多様化の流れがみえなくなりますね。まあ、まだ、どっちが「上か下か」「善か悪か」「右か左か真ん中か」みたいな見方が多いのだけど。

と、紹介しても、これ、ルミネ大宮の店でしか配布してません。東京人は東京にいれば何でも手に入るとおもったら大まちがいです。ああ、こんなにいいもの、こんなにいいおれのコラムを読めないなんてかわいそう。

楽天の漫画の写真も載せておきます。ぜひ、漫画会館で現物をご覧ください。楽天のことは、もっとたくさんの方に知ってほしいです。

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2017/08/29

「ホンとの出会い」

少し前のことだが、学校教育関係者の「機関誌」のようなものにエッセイを寄稿した。以前にも寄稿したことがあって、そのときは「食」がらみのテーマをいただいて書いた。

メールで依頼があって書いたのだが、担当の方とはお会いしたことはないし、とくに知り合いがいるわけでなし、学校教育の役所のようにカタクルシイ雑誌だから、おれのような下世話なものに書かせるなんて二度とないだろうとおもっていたのだが、また依頼があった。

今度は「ホンとの出会い」というテーマだ。前回のように、とくに学校や教育を意識する必要はない、ようするにカタクルシイ誌面のなかの息抜きのようなエッセイということなのだ。ただし、「ですます」で書かなくてはならない。

普通には目にすることがない雑誌なので、ここに全文転載しておく。「ですます」で書くと、なんだか小学生の作文みたいで、笑える。


 おかしな言い方かもしれませんが、私が「本を読む」という目的で本を読み始めたのは、新潟県の田舎町の中学1年のときでした。

 中学生になって、部活はしていなかったし、趣味らしい趣味はなく、毎日ヒマを持てあましていました。学校の帰り道に町の公民館があったのですが、小さな普通の民家のような木造二階建ての一階の通りに面したところはガラス窓で中が見えました。そこは「図書室」で本棚に本が並んでいました。通りがかりに見ているうちに、本棚の本が、なんだか「すごそう」に思えました。

 ある日、フラッと入って見ました。外から見えた本棚は、私の背丈以上あり、大きな厚い重そうな本がギッシリ並んでいました。そこで「すごい」と思ったのが始まりでした。
 
 こういう景色は初めてでした。町の本屋さんだって、こんなに大きな厚い本は並んでいません。たぶん小学校にも中学校にも図書室があったと思うけど覚えがありません。いま考えると、ほかにはたいして本がない貧弱な図書室だったから、この本棚に迫力をかんじたのかもしれません。

 そこは「全集」が並んだ棚で、いちばん上に全何巻かの『富士に立つ影』や『大菩薩峠』などがズラリ並び、それから、吉川英治全集があり、世界文学全集や日本文学全集がありました。

 少し興奮していたにちがいない私は、「よーし、これを全部読んでやる!」と決意しました。

 まず、『富士に立つ影』を取り出しました。重い、こんなに重い本は持ったことがない。借りる気になりました。まるで重いから読んでみようと思ったようですが、たしかにそうだったかもしれません。内容なんか気にしませんでした。

 読み始めたらおもしろい。『富士に立つ影』を読んで、次に隣の『大菩薩峠』に手を出しました。これが、みごとに挫折。最初はおもしろかったのですが、しだいに先を読もうという気がしなくなり、新たに借りる気もおきない。そこで世界文学全集を征服することにしました。

 この全集で『モンテクリスト伯』を読んだときは、高校生になっていたかもしれません。高校では山岳部の部活で忙しい毎日でしたが、本を読むのは習慣というか惰性になっていました。

 とにかく、この本で初めて、作者を選んで読むようになったといえます。それまでは、なんとなく棚に並んだ順番に読んでいたわけです。あるいは、読んだことのない作者のものから読むというかんじでした。

 『モンテクリスト伯』のあと、この作者が気になり『三銃士』を読みました。すると、全集にはなかった『二十年後』が読みたくなり、『二十年後』を読み終ると『鉄仮面』が読みたくなり、これらは文庫本を買って読みました。さらに後年この三部作が『ダルタニャン物語』としてまとまって出版されるとこれも読みました。アレクサンドル・デュマ・ペールのおかげで、大作の物語を読むおもしろさにハマったといってよいぐらいです。

 『大菩薩峠』は20代後半に再挑戦し読み切り、吉川英治全集もたくさん読んでいました。30代になっても、厚さで選ぶ、文庫本なら何冊かになるものを読む、「重厚長大主義」は相変わらずでした。厚さが基準なのでジャンルは問いません。マルクスの『資本論』にも挑んだことがあるのですが、3分の1ぐらいで挫折しました。『富豪と大富豪』(早川書房)が厚くて重いうえに、読みこなすのが難儀だったので記憶に残っています。

 「長い」から読む、「厚い」から読む。バカですね。とはいえ、大作・長編・全集を読んでいると関連する小説や歴史や風俗や思想など、その周辺も気になり、テキトウに読んでいました。

 物量作戦のような話しで、あまりスジの通った読書とはいえないでしょうが、老眼が進行し体力も低下したいまでは、若いうちにそういう読書をしておいてよかったと思っています。本を読むにも体力が必要ですし、大作・長編ならではの醍醐味を味わうとなるとなおさらですからね。

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2017/07/03

『Meets Regional ミーツ・リージョナル』をふりかえる。

前のエントリーで「『dancyu』をふりかえる。」をやったら、これをやりたくなった。

またもや、「ふりかえる」ほど大げさなものではなく、仕事のリストだ。

1960年代中頃、大阪に一年間住んで仕事をしたが、それ以外は、遊びやあわただしい出張業務以外は、とくに関西方面とは縁がなかった。

京阪神エルマガジン社ともミーツとも、まったく縁がなかったのだが、編集の藤本和剛さんから突然メールをいただいて、初めて仕事をした。

それから、離れているわりには、別冊(いわゆるムック)も含め、何かと仕事をさせてもらった。

一昨年、「ザ大衆食」のサイトに、「京阪神エルマガジン社『Meets Regional ミーツ・リージョナル』の仕事、まとめ。」のページをつくったのだが、写真を載せ、途中で放置状態になっている。…クリック地獄

以下。クリック地獄は、当ブログ関連です。

初登場、2008年10月号「ザ・めし」特集。特集巻頭エッセイで「茶碗や丼の「街メシ」に、「俺メシ」を獲得する。」と題して書いた。…クリック地獄
訪問した食堂は、大阪市西区の[成金屋食堂]

2009年4月10日発行、ミーツ・リージョナル別冊東京版『東京ひとりめし』…「遠藤哲夫の[信濃路]偏愛話。」…クリック地獄

2009年7月1日発行、ミーツ・リージョナル別冊『酒場の本』…「エンテツのめし屋酒のススメ」。…クリック地獄
訪問した店は、大阪・千日前[お食事処しみず]、大阪・心斎橋筋[心斎橋 明治軒]、神戸・元町[金時食堂]、神戸・相生町[お食事処たからや]、京都・四条寺町[山の家]

2010年7月号「酒」特集…「特別企画<珠玉の酒エッセイ集>」に寄稿。タイトルは、「もっと飲ませろ!」…クリック地獄

2010年12月号「居酒屋」特集…「居酒屋に人が集まる本当の理由シリーズ」に寄稿。タイトルは「新説・居酒屋は“駄菓子屋”だった。」…クリック地獄

2011年3月号「天満」特集…「エンテツ・衣有子の天満のぞき」。…クリック地獄
本誌で「大阪のぞき」を連載(のち2010年4月に単行本になった)の木村さんと一緒に天満を飲み歩き、木村さんは「『わざわざ」の似合わない街に/わざわざ飲みに来た私」を、おれは「市場のなかの街、/街のなかの市場」を書いた。訪問した店は、[お好み焼 千草][肴や][まるしん]。

2011年9月29日発行、ミーツ・リージョナル別冊『関西ご当地めし!』…「私的、B級グルメ 普段のめし、ありふれたものを、おいしく。」を寄稿。…クリック地獄

2012年1月号「ザ・汁」特集…「エンテツの汁かけ論」を寄稿。…クリック地獄

2012年9月号「天王寺」特集…「エンテツの名酒場はしご道。」…クリック地獄
訪問した店は、[種よし][母や][お食事処 でごいち][肴家]。

2015年6月号「大正区」特集…「駅前めし酒場と、エンテツさん。」…クリック地獄
訪問した店は、[海鮮屋台 ゆうだん丸][畑分店][お食事処 三ちゃん][焼とり居酒屋 遊]。

2017年6月5日発行、ミーツ・リージョナル別冊東京版「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」で「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」を書いた。…クリック地獄
訪問した店は、神田神保町[ランチョン]、神田多町[栄屋ミルクホール]、外神田[かんだ食堂]

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2017/06/30

『dancyu』をふりかえる。

「ふりかえる」というのは大げさだ。

前にも書いたように、『dancyu』の編集長は、この6月6日発売の7月号を最後に交替する。7月号までは、江部拓弥さんが編集長だった。

編集長の交替を期に、チョイと『dancyu』でした仕事のリストをつくってみようと思ったにすぎない。ついでに、当ブログの関連するエントリーにリンクもはろうかと思っている。

おれが初めて『dancyu』の仕事をしたのは、江部編集長の前の町田成一編集長の時代だ。

おれは、いわゆる「グルメ」とは一線を画している、まさか『dancyu』から依頼があるとは思っていなかった。

編集部にも、発行会社であるプレジデント社にも、なんのコネも知り合いもない。トツゼン、杉渕水津さんという編集さんにメールをいただいた。

2011年2月号は味噌汁特集で、味噌汁ぶっかけめしの話を入れたいという趣旨だった。おれの汁かけめしの本を読んでのことだったが、おれが『dancyu』でいいのかなあと思った。でも、頼まれたらホイホイやるのがフリーライターというものだ。

その単発で終わると思っていたら、たまーに声がかかった。おれは大部屋俳優みたいなものだから、自分からネタ出しやアプローチをするようなこともなく、声がかかったら出動する。とくに親しくなるわけでもなく、仕事はキチンとこなし、淡々とした関係できた。

2008年にリーマンショックがあって、日本経済全体が落ち込んだ。出版もだが、飲食業は、大きな打撃を受けた。そういう背景もあってだろう、『dancyu』で取り上げる店が、平均客単価の低い方も含めるようになった。というわけで、おれにも声がかかることがあったのだろうと思う。

しかし、細々とした関係であり、これからは、わからない。おれもトシだしね。これまでのリストをつくっておくには、いい機会だ。

以下。読者のみなさんに少しでもたのしんでいただけたのなら幸いだ。

2011年2月号 「味噌汁」特集……みんなの「味噌汁ぶっかけめし」…クリック地獄

2011年12月号 「ポテサラ」特集……新橋立ち呑み…クリック地獄

2012年5月号 「肉」特集……サラリーマンのための肉食案内…クリック地獄

2012年6月号 「1000円グルメ」特集……メンチか海老フライか…クリック地獄

2012年8月号 「カレー」特集……栄屋ミルクホールのカレーライス…クリック地獄

ここまでは、町田編集長の時代。
以下は、江部編集長の時代。

2013年4月号 「うどん」特集……うどん食堂本日開店!…クリック地獄

2013年7月号 「居酒屋」特集……千住・大はし…クリック地獄

2014年11月号 「東京」特集……東京の味ってどんな味…クリック地獄

2015年2月号 「日本酒」特集……あの人、この盃 呑みたくなる酒器…クリック地獄

2015年5月号 「中華」特集……新宿・岐阜屋…クリック地獄

2016年1月号 いい店って、なんだ?……歌舞伎町・つるかめ食堂…クリック地獄

2016年2月号 「ラーメン」特集……笹塚・福寿…クリック地獄

2016年10月号 ウマい町No.46……栃木 佐野いもフライ…クリック地獄

2016年11月号 第二特集「焼売」……駒場東大前・菱田屋…クリック地獄

2017年5月号 第二特集「春巻」……表参道・青山蓬莱、新小岩・東京はるまき…クリック地獄

2017年7月号 「酒場」特集……北浦和・居酒屋ちどり…クリック地獄

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2017/06/10

『dancyu』7月号「酒場はここだ。」に北浦和・居酒屋ちどり。

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去る6日は『dancyu』7月号の発売日だった。特集は「酒場はここだ。」ということで、昨年の1月号「いい店って、なんだ?」の酒場編のようなものだ。

001a001_2おれは、ときどき行っている北浦和の「居酒屋ちどり」を書いた。

編集さんからは、「「酒をのんでええ気持ちになれればそこは酒場」という、広いポリシーで臨みたいと思っておりまして、居酒屋に限る必要はありません」というメールをいただいた。

そこで、店名に「居酒屋」がついているが、一般的な居酒屋とはチョイと違うし、まだ店に立って1年ほどの28歳の店主が何から何までやっている素人くさい酒場で、これまでのdancyuの範疇では取り上げられるのは難しいだろうが、ココこそおれにとっての「いい酒場だ」ということで押したら通ったのだ。やったね、の気分。

取材は、ライブのある日ということで、ちょうどうまいぐあいに、以前一緒にトークライブをやったことがある原田茶飯事さんの誕生日ワンマンがある日になった。

写真は、大森克己さん。

いい写真。

取材が終わった頃、編集長の江部拓弥さんと副編集長の神吉佳奈子さんがあらわれた。平河町の会社からわざわざ来て下さった。お二人は、この号が最後になる。

狭いちどりは一杯なので、駅近くの居酒屋で終電ギリギリ駆け込みセーフまで、にぎやかに飲んだ。

そして、江部編集長最後の本号が出来上がった。

居酒屋ちどりのタイトルは、「歌に酔う」だ。

おれは、まいど述べているように、「作家」クラスをめざす気はなく、脇役端役の小銭稼ぎのフリーライターだが、このページが、江部編集長を送る花の一輪にでもなれたら幸いだ。

江部さんの前は、町田成一さんが編集長だった。おれは町田編集長時代の2011年2月号で初めてdancyuの仕事をした。編集部に知人がいるわけでなく、突然メールをいただき、その号で終わりかと思ったら、ぼちぼち仕事をいただいた。

とくに積極的に絡むこともなく、とくに親しくするわけでもなく過ぎ、編集長が江部さんにかわったのは、2012年の末か13年の初めごろだったろう。デザイン一新でデザイナーさんはかわったし、いろいろウワサもあって、それまでの写真の人も文の人も変化があった。

おれは相変わらず、とくに積極的に絡むこともなく、とくに親しくするわけでもなく、流れに身をまかせていた。あいかわらず、ぼちぼち仕事をいただいた。そんな感じで、江部編集長の4年数か月が過ぎた。

雑誌は、誰が編集長をやっても、難しい時代だ。新聞や雑誌の仕事など、泥船に乗っているようなものだと言えるだろう。

江部編集長、お疲れさまでした。まだ先がありますが。

019001_2と、「送辞」のようになってしまったが、この特集、さまざまな意外な人、意外な酒場が登場し、おもしろい。

従来の飲み物と食べ物と人物の「物」イズムにとらわれた話と、一つ一つが違い、人の数ほど「酒場観」があるのだなあとあらためて思った。デザインもタイトルごとに違う。

雑多がいい、おもしろい。

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2017/06/07

「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」

一昨日5日発売の『みんなの 神田 神保町 御茶ノ水』(京阪神エルマガジン社)で、「宮澤賢治の「東京」ノートと神田の食堂。」の文を担当した。

001001_2もとはといえば、宮澤賢治の「東京」ノートに「公衆食堂(須田町)」というタイトルの短いスケッチがあって、これがいつごろのどこの食堂か、ということがインターネットで話題になっていたことに始まる。

おれもブログにそのことを書いたまま忘れていたのだが、それを、編集さんが見つけたのがキッカケ。

そのことについては、ここに書いた。
2017/04/15「批評」と「品定め」「目利き」。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2017/04/post-11b8.html

「公衆食堂(須田町)」については、最も可能性の高い公衆食堂を突き止めた。

インターネット上では、このスケッチが何時なのか日付の記載がないことから、よく食堂の話に出てくる現在の「じゅらく」の前身「須田町食堂」とする話もあったのだけど、研究者のあいだではスケッチが書かれた年月が推定できたため、そこではないという結論までは出ていた。

そのあたりは、「宮澤賢治が歩いた東京」の講演をしている、大妻女子大学の杉浦静教授を取材し確認した。杉浦教授の講演資料にも、「公衆食堂(須田町)」は1921年7月頃とあるのだが、須田町食堂は、まだ出来ていない。

そこのところを、もう一歩突っ込んで、探ってみた結果、有力な公衆食堂が見つかった。それがどこか、なぜそこの可能性が高いのか、それは本文を読んで欲しい。

003001それはともかく、この企画は、「公衆食堂(須田町)」がどこかを探るのが目的ではない。神田の食堂を、「東京」ノートに書かれたスケッチをネタに紹介しようというものだ。

おれは賢治の気分。

ならよいのだが、しかし、そうはすんなりいかない。賢治は飲食についてなぜか多くは書いていない。それに菜食主義で脚気にまでなっている。

だいたいこの種の企画では、飲み物や食べ物のうまさや店の雰囲気などを、ああだこうだ音の半音のちがいを聴き分けるようなオシャベリをするのがアタリマエで、そういうオシャベリを得意そうにしている作家や有名人を引っ張り出すものなのだ。そういう安全パイの安直な企画がほとんど。

清く正しく美しく聖人化された宮澤賢治は、ナチュラルだの自然だの天然だのというイメージの飲食には都合よいが、俗世間な神田あたりには向いていない。

でも、そこが、おもしろかった。飲食のステージは、大きくて広いのだ。

食に関心がなさそうなおかしな賢治と付き合って、考えることも多かった。宮澤賢治とその作品についても考えることが多かったし、飲食についても、別の角度から考えられた。

関係なさそうな関係に関係をみる。そこに、新しい可能性が生まれるんだよね。

ま、書くのは苦労して、自分でもどういうカテゴリーの文なのかわからないアンバイになったが、ありきたりからの脱出ジャンルということにしておこう。

こういう企画をグイグイ押す編集の半井裕子さんに脱帽。ほかの企画も、とてもおもしろい。

写真は、本野克佳さん。

取材した店は、ランチョン、栄屋ミルクホール、かんだ食堂。ご協力ありがとうございました。

杉浦教授の話はとても参考になったし、宮澤賢治について、あれこれ考えることが増えた。ありがとうございました。

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2017/04/09

『dancyu』5月号で春巻サクサク。

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去る6日発売の『dancyu』5月号は、表紙肩に「春にして焼鳥を想う。春だから春巻と春雨が恋しいの?」のフレーズがある。第一特集が焼鳥で、第二特集が春巻と春雨なのだ。

おれは表参道の「青山蓬莱」と新小岩の「東京はるまき」を取材して書いた。

『dancyu』で書くのは、昨年の11月号以来だが、その11月号では東大前菱田屋の焼売を取材したのであった。

中華の点心というと、餃子、焼売、春巻に「三大」がついてもおかしくないほど人気だと思う。しかも大衆食といって差し支えないだろう三品だ。

011しかし、おれ的には、春巻は餃子と焼売にかなり水をあけられている。中華料理店に入って餃子と焼売と春巻があれば、餃子と焼売のどちらかか両方を頼み春巻が一緒のことはない。ま、人数がいるときは、春巻もね、となるのだが。

だから、編集さんに、「東京はるまき」という春巻専門店しかもテイクアウト専門店があると聞いて驚いた。「成り立つの?」というのが、最初の正直の感想だった。

「青山蓬莱」には、2度ほど、昨年秋にも行ったことがあるが、春巻は食べたことがない。

そんな調子で取材に向かった。

いやあ、原稿に書いたけど、これまでの春巻に対する自分の態度を反省した。

今回は、広告文のような書き方になっている。チョイとへんなところもあり、まだ修業が足りない。でもまあ、この春巻を食べに行ってみたくなるでしょう。

おれはときどき小岩の野暮酒場へ飲みに行くので、こんどは新小岩で途中下車しても、みやげに買うつもりだ。

それはそうと、餃子、焼売、春巻とも、「包む」料理であることが面白い。生春巻は別だが、家庭で作るとなると、それなりに手間がいる。なので外食やテイクアウトが頼りになるということがあるようだ。

でも、「包む」料理は楽しい。春巻の簡単なやり方も知ったので、こんどはウチでやってみる。

本誌を読んでくださいね。あまり知られてない春巻や春雨に関する知識やレシピの紹介もある。

当ブログ関連
2016/10/12
『dancyu』11月号で駒場東大前「菱田屋」の焼売。

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2016/10/16

ホッピー文化研究会編『ホッピー文化論』ハーベスト社の帯文を書いた。

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8月30日に発行になった本書の帯文を書いた。

書いたのだが、出来上がりを見たら、原稿と句読点の位置が変わっていて、ヘンなぐあいになっていた。読んでわからなくはないのだが、やっぱりヘンだ。元は、こう。

「おれが初めてホッピーを飲んだのは1962年だった。そのころ実質的な酒だったホッピーは、「ブーム」を経て東京の都市伝説と化したのか。ホッピー好きの6人の研究者がホッピーを「いじる」とこうなる。ホッピーはいじるネタとして面白い!?」

短い文章だから間違うことはないだろうと思い、校正はいつになるのと催促もしなかったのだが、やはり、文章の長短にかかわらず、著者校はちゃんとやらなくてはならないというキョークン。

専門分野も所属もちがう6人の酒好きの若手の研究者が、それぞれの視点とテーマで書いている。

不満や疑問が残る点は少なくないが、それだけ思考が広がるということでもある。

ある種のサブカル的な楽しさでホッピーを「いじる」面白さがある。

学者・研究者というのは、こういう見方をするのかという面白さもある。

情報社会・消費社会では、ハヤル大衆商品は、ネタとしていじられやすくいじりやすいという特徴を持っている、その意味では、こういう本が出る現代を考えるネタにもなる。

何かを見つけようと思って読めば、とてもおもしろい。

ようするに、読み方しだいで、いろいろな楽しみがある。これを読んで、さらにホッピーをいじってみるのが、いちばん正しい読み方かもしれない。

関西方面などホッピーが馴染みでないところでは、東京って、おかしなものがハヤルところだなあという発見にもなるかも知れない。

きのうふれた、闇市研究成果報告会の発表をした研究会メンバーも、最後のまとめで橋本健二さんが、「このメンバーに共通しているのは、ただ一点で、闇市あとの盛り場で酒を飲むのが好きということで、そこからこの研究会がスタートしている」といったのだが、本書も似ているようだ。

一人の人間が一つの価値観でまとめたものとはちがう面白さがある、こういう単純な動機によるコラボあんどシャッフルは、長く続く閉塞の囲みから垣根を越える動きとして、さらに活発になるような気がする。

『理解フノー』も、おれと田口さんと編集のコラボあんどシャッフルといえる。

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