2020/02/09

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」87回目、浅草・まえ田食堂。

20191220

昨年、という書き方をするが、12月20日に掲載のものだ。すでに東京新聞のサイトでもご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019122002000166.html

じつは、この掲載紙を手にしたとき、「「年季」が入った味わい」の見出しに、考え込んでしまったのだ。

見出しは、いつもデスクの方がつけてくれるのだが、これは、おれが本文中に書いた「いまでは珍しくなった黄色いカレーライスに近く、やはり「年季」としか言いようのない味わい深さが」というところから引っぱったものだろうけど、この見出しだけ見ると「断定的」で、ギクッとする。

それでしばし考え込んでしまい、あれこれ調べたり読んだりしているうちに、ズルズル時が過ぎゆくままに。

「黄色いカレーライス」というと、いわゆる「おふくろの味」という気分でごまかすことができるし、むしろその方が安直にウケがよいともいえる。だけど、このカレーは、「黄色いカレーライス」から何層にも層をなし、というか、それをベースにさまざまな位相が溶け込んでいる。それが、それなりにうまくまとまっていて、これはこれなりの普通のうまさで、もはや「おふくろの味」というには抵抗がある、かといって、近頃のスパイスカレーや南インド風?カレーなど「専門料理」の味でもなく、あるいは「家庭料理」の味ともいえるが、そう言い切るにはやはり抵抗がある、ってわけで、「年季」と「味わい深さ」で書いてしまった。悩ましい。

とにかく、この見出しにギクッとして、オベンキョウをしたおかげで、表現の技術のほうはともかく、料理と味覚の世界は、「おふくろの味」や「家庭料理」という言い方を使うのは、とても難しい事態になっていると思った。それは、いわゆる「多様化」以前の、きわめて大雑把なくくりが通用した頃の観念なのだ。

実際のところ、いまでは、多様化と同時に多層化・多重化もすすんでいて、人間の思考も味覚も、ずいぶん複雑になっているのだな。

「家庭」も「家庭料理」も死語にはなってはいないが、かつての惰性で使っていると現実と噛み合わない点が多々生じる。

ということを書いていると一冊の本が書けそうだから、やめよう。

まえ田食堂へは、以前に木馬亭の浪曲へ行っていた頃から何度も入っているが、今回は12月10日に行った。

国際観光都市浅草は相変わらずの大にぎわいで、まえ田食堂に入ると、2人連れの着物姿の若い女がいた。浅草で人気のレンタル着物の外国人だった。浅草寺境内には、そういう外国人がたくさんいた。

伝聞によれば、最近は浅草の外国人観光客は「新型肺炎」の影響があってのことらしい「激減」とも聞く。あの頃は、そんな気配もなかった。で、いつごろから騒動になったのか、ネットで検索してみたら、12月8日に中国武漢市での新型コロナウイルスによる肺炎の発生がニュースになっていた。おれはまったく知らなかったね。

まえ田食堂がある「奥山おまいりまち」の通りは、近年の浅草国際観光都市化政策でエセ江戸風にリニューアルされ、人通りも増えたが、おれが木馬座へ行っていた頃は、浪曲の定席がある木馬亭と大衆演劇の木馬館の客のほかは、といっても、木馬亭はいつもスカスカだったけど(最近は浪曲が人気でにぎわっているらしい)、とにかく人通りはさみしかった。

でも、まえ田食堂には、地元や浅草寺参り(月あるいは週に決まって参拝の人がいる)や芸人の常連さんたちがついていた。そこのところは、いまも変わらないようで、今回も地元の若い男性が小さな子供を連れてビールを飲んでいたし、浅草寺参りの常連さんの姿もあった。

まさに、明治末期開業の「年季」の入った食堂の強さか。そこへいくと「観光」も「観光客」も、人間の気分のようにあてにならない。そして、まえ田食堂は、どこかの観光地のように観光客相手のスレッカラシのボッタクリではなく、日常に根をおろして続いてきた大衆食堂らしい商売なのだ。

まえ田食堂の並びには「君塚食堂」もあり、以前、登場いただいている。

Cimg4846

Cimg4838

Cimg4848

Cimg4849

 

|

2019/12/30

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」86回目、上野・カレー専門店クラウンエース上野店。

20191115

今年もドン詰まり。この連載、12月まで終わっているが、ここでの紹介は、やっと11月15日の分だ。すでに東京新聞のWEBサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019111502000176.html

これまで、WEBサイト版には外観の画像がなかったのだが、この回から載るようになった。大衆食堂は外観の個性も味わいのうちだと思うので、よかった。

この店は、上野駅中央改札口前広場の前、見えるところにある。アメ横は京浜東北線と山手線の高架下だが、こちらは上野東京ラインの高架下だ。

Dscn0806

少し前、フェイスブックに、いまはない上野百貨店とテナントだった聚楽台の画像を載せたところ、高知の友達が懐かしがり、上京したばかりの学生には聚楽台はチョイと高そうなので、「アメ横の財布に優しいカレー屋に行ってました」とコメントがあった。「名前を忘れましたが、学生や肉体労働風の外国人の方で賑わっていました」とも。

それならおれもよく利用してきたここしかないだろうと思い、コメントで画像を返信したら、やっぱりそうだった。

今年の春にもここでカツカレーを食べたのだが、その後、夏に店内の大改装が行われた。それまでの変則コの字型のカウンターだけの営業から、真ん中にデーンと立ち食いテーブルが置かれ、片側の壁際に腰かけ付きのカウンター、片隅に4人掛けのテーブル席といったアンバイになり、セルフサービスとなった。

競争は激しいし家賃は安くない場所での営業だから、仕方のない成り行きだろう。

カレーのメニューと味に変わりはない。

資本力にものをいわせ、新メニューを開発しながら付加価値を付けて利益を稼ぎ回転させる店もあれば、この店のように味と量と値段をできるだけ維持しながら、地味に長く愛される店もある。前者は「資本と産業貢献型飲食店」といえそうだし、後者は「生活貢献型飲食店」といえそうだ。前者にも生活貢献はあるが、あくまでも手段としてだろう。

壁には昔の上野駅の外観やホームの写真が飾ってあって、「上野愛」を感じた。

上野の「街の味わい」には、こういう小規模店が欠かせない。先日発売の五十嵐泰正さんの『上野新論』を読んで、あらためてそう思った。

Dscn0805

Dscn0803001

|

2019/12/12

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」85回目、谷在家・みたけ食堂。

20191018

まだ10月18日の分もここに掲載しないうちに、今年のオワリが駆け足で近づいてくる。10月と12月、たった2か月のことなのに、この新聞が出た頃と今では、いろいろずいぶん違うような気がする。おれの生活は、あいかわずなのだが。

とにかく、慌てて急いで掲載しよう。

足立区谷在家のみたけ食堂だ。日暮里・舎人ライナーができるまでは、行きにくいところだった。いまでは、西日暮里から10分ぐらいで最寄り駅の西新井大師西に着いて、歩いて5分とかからない。しかも高所を走るモノレールに乗って、日頃見慣れない景色を見ながらであり、チョイと小旅気分。

なんだかすごく気持のよい食堂だった。旅先で、土地の大衆食堂とよい出合いがあるとうれしいものだが、そんな気分だった。といっても、特別のことはない、環状7号沿いにある普通の大衆食堂であり、そこでメンチカツとキンピラで丼めしを食べただけなのだが。

入口に「みたけ食堂からのご案内」というポスターがあって、利用の仕方が印刷されていた。「①カウンター左のおぼんを取って下さい。(ご飯の大きさは選べます)②お好みのおかずを取って下さい。③お会計は食後です」とあった。

Dscn0772

Dscn0772001

おお、セルフサービスのカフェテリア式を導入したのかと思ったが、会計が後払いであるから、好きなおかずを自分でとる食堂とあまり変わるところはない。レイアウトも、カフェテリアのように機械的=実務的ではないし、お茶も、気持ちのよいご主人が席まで持って来てくれる。

幹線道路沿いで、数台の駐車場があり、クルマの客が次々と出入りする。作業着姿のドライバーもいれば、営業マンらしい男たち、移動の途中らしい中年の夫妻、近所の親子など…。

ここは、都心から見れば、足立区の荒川の外側だ。いわゆる「下町」とも違う。埼玉県と隣接しているし、いまでは住宅が増えて「東京の侵略」が続いているが、かつては農村であり、のちに都心で疎まれたものを引き受ける土地になり、工場や倉庫が多かった。そのせいかどうか、人間がせかせかしたところがない。

ゆっくり自分のめしをかみしめながら食べた。うまい食事だった。「食べ物」の質だけではなく、「食事」の質について考えていると、いろいろ見えてくることがある。そうそう、年季の入ったブリキのようなアルマイトのようなお盆が渋く、どうしてもこれを写真のメインにしたくなるのだった。

すでに、東京新聞のサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019101802000178.html

Dscn0774

Dscn0780

Dscn0768

|

2019/10/29

画家のノート『四月と十月』41号、「理解フノー」連載22回目。

Dscn0789

紹介が遅れたが、発行人・牧野伊三夫の画家のノート『四月と十月』41号が発売になっている。

前号は、40号(創刊20年)であり、記念特集として「同人たちのアトリエ訪問記」を組んだ変則的な編集だった。おれは同人の加藤休ミさんと松本将治さんを取材し、「理解フノー」の連載は休載。

というわけで、一年ぶりに、もとの編集になった。同人のみなさんの「アトリエから」も一年ぶりだから、それを読んでいるとなんだか懐かしい。一年のあいだには、いろいろあるなあと思う。

子供が一人から二人になった人、子供が成長し育児や年寄りの世話に追われる人、家族の一人がケガをしたため家業に時間を奪われる人など、時間的な制約が大きくなる中で「制作」のある生活を模索する姿があるかと思えば、倉敷や奄美大島に移住し新しい生活を楽しんでいる様子もある。

平均的にみると、以前より安定度が増加した感じで、それはよいことなんだろうけど、おれにとっては刺激が弱くなった感じがしないでもない。

という中で、表紙の絵を担当した靴職人の高橋収さんが「どうやら最近パンクが気になるらしい」とか、福田紀子さんが「自分が世界をどんなふうに感じて、捉えていて、それがまたどんな世界を創っているかを、また感じて、捉えて……をくりかえす」といったことを書いて、そんな感じの絵があって、ふーん、いいじゃないかと思うのだった。

そうそう作村裕介さんは、左官の親方業をやりながら、あいかわらずモンモンとしているようで、おもしろい。

この一年間で、大きなジケンといえば、昨年の39号で「包丁論」の連載が始まり40号が2回目だった中原蒼二さんが、40号発行のあとの6月20日に亡くなったことだ。今号の「雑報」で、中原さんと35年間の親交があった牧野さんが「さようなら、中原蒼二さん」を書いている。

「生活」つまり「生きる」と、その結果としての「死ぬ」が、やけに生々しく感じられる号だ。

中原蒼二さんの死を伝える水族館劇場のフェイスブックのページには、「存在するものは儚く、みえないものは生きのびる」という文言あった。

おれの連載「理解フノー」は、22回目で「二〇年」のタイトルで書いた。この20年のあいだに、食をめぐる動向とくに「食文化」の動向は、これまでになかった大きな転換期にあると感じていたのだが、自分のまわりでそれを象徴的に実感することがあったので、それについて書いた。

当ブログ関連
2019/07/01
中原蒼二さんが亡くなった。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/07/post-0006a0.html
2019/05/09
画家のノート『四月と十月』40号、「理解フノー」連載は特集記事に変更。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/05/post-e515c5.html

|

2019/10/23

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」84回目、駒込・伏見家。

20190920

またもや遅れてしまったが、先月20日朝刊に掲載のものだ。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019092002000218.html

染井銀座商店街の伏見家への最寄り駅は3つある。地下鉄南北線西ヶ原駅とJR京浜東北線上中里駅とJR山手線駒込駅だ。

おれは、さいたま市に住んでいるので、所要時間の少ない上中里駅を利用することが多い。駅から平塚神社の境内をぬけ、本郷通りを渡り、古河庭園の裏側の細い道を下る。木立の多い人通りが少ない静かな道をフラフラ行くのだが、このコースのよいところは、地形がわかることだ。平塚神社は武蔵野台地の突端にあるし、古河庭園も台地の上で、その裏の道はゆるい下り坂になっている。その坂を下り終えるあたりに、染井銀座商店街があり伏見家があるというわけだ。

染井銀座は、かつては台地の谷底の川だったところにあるのだ。「川の東京学」的には、荒川水系一級河川石神井川の下流域に位置する谷田川ということになるようで、昭和の初めごろ暗渠になり、街が形成された。ということらしい。

谷田川の暗渠は、染井銀座と隣接する霜降銀座をのせ、駒込駅近くを通り、田端銀座商店街へつながる。田端銀座をぬけると、動坂下の動坂食堂の近くを通り、千駄木谷中界隈にいたる。

台地側では豪邸や神社などは台地の上にあり、いわゆる「庶民的」な街と商店街は谷底にあり、いい大衆食堂は台地の中腹から谷底に残っている。という川の東京学的仮説は、それなりに根拠がありそうだ。

とにかく、染井銀座も霜降銀座も田端銀座も、生活感あふれる、いい商店街だ。いわゆる「ファッション性」は低めだし地味ではあるけど、消費力より生活力が感じられる。

「伏見家でめしを食べよう」というときは、あえて駒込駅から霜降銀座を抜け染井銀座に入る。この二つの商店街はつながっていて、そこに漂う、音や匂いや気配などを肉体で感じるのは、食欲のためにもいい。

霜降銀座は、昔の建物まま営業している店が多い。青果、精肉、鮮魚、日用品などが中心だ。染井銀座も同じような店が並んでいるけど、3階か4階の建物が増えている感じだ。イマ風の店もポツポツできている。でも、昔ながらの時計店が複数あるのは珍しいのではないだろうか。

伏見家の隣も時計店だ。「銘技堂」という、どんな時計も修理してくれる「時計職人」という言葉が生きていそうな店名だ。

伏見家は、サクッとした簡素な佇まいだ。見たままの、いい食堂だ。

Dscn0681

偶然だが、ちょうど10年前、2009年10月に撮影の画像があった。外に貼ってあるメニューを見比べてみよう。

10年前→肉野菜炒め定食620円、あじフライ定食620円、さば塩焼定食650円、さんまあみ焼定食700円、白身魚フライ定食720円、チキンかつ定食720円、盛り合わせ定食750円、茄子とひき肉の味噌炒め定食750円、しょうが焼定食770円、焼肉定食770円、メンチかつ定食770円、ハンバーグ定食800円、ロースかつ定食850円。

020

今回→野菜炒め定食640円、あじフライ定食640円、鮭塩焼定食670円、さば塩焼定食670円、ハムエッグ定食670円、チキンかつ定食740円、クリームコロッケ定食750円、スタミナ定食770円、白身魚フライ定食、茄子と豚肉しょうが焼定食770円、焼肉定食790円、ロース肉しょうが焼定食790円、メンチかつ定食790円、デミグラ・ハンバーグ定食(片目焼付)820円、ミックスフライ定食850円、ロースかつ定食870円

Dscn0678

20円の値上がりは、2014年4月から消費税8%の影響か。今回は、10月1日から10%の前なので、どうなっているかわからない。8%のとき、こきざみに10%にしようという政府の悪い魂胆を読み込んで値段を変えたところもあった。

暑さが厳しい日だった。おれは店内のメニューにあった、照り焼きおろしハンバーグ定食820円にした。ボリュームだけでなく、ソースの味と照り焼きの加減もよかった。外観からは、そういう感じではないが、いい味わいだった。

10年前にはなかったメニューにビーフカレー750円がある。それに、10年前には、ただの「ハンバーグ定食」だったが、今回は「デミグラ・ハンバーグ定食」だ。

「牛」の充実は輸入牛の影響か、商店街の客筋が若返っている感じもあるし、それとも料理をする大将の関心や好みのあらわれか。10年前と比べ、メニュー全体も脂系が強調されている感じだ。

そうそう、この連載は、この84回で、7年を経過した。

Dscn0687

 

|

2019/09/15

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」83回目、高円寺・タブチ。

20190816

ボーとしていても月日は過ぎる、それが年を取るほど速くなるというが、その通りだ。加速度的。この勢いは止められない。気が付いたら、人間の海で溺れ死んでいるのだろうか。

もう9月15日だ、まもなくおれは76歳になる。先月30日、池内紀(いけうち・おさむ)が亡くなった。その活躍ぶりからしても、おれより一回り以上は年上と思っていたのに、まだ79歳だった。75を過ぎたら、四捨五入してもしなくても80代とかわらない感じになる。感覚的に、年齢差がなくなっていくのだ。

どんどん死んでいく人たち。おもしろいぐらい死んでいく。おれより6歳も若い中原蒼二さんも死んじゃったしなあ。ようするに人間も生物だから死ぬのだ。死ぬまで食って排泄するのだ。

東京新聞、先月16日の朝刊に掲載のものだ。すでにWEBサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019081602000174.html

おれの周囲では、高円寺のタブチは有名店だ。おれの知り合いには、貧乏ぐらしをしていたか、している連中が多いからかもしれない。

看板からするとカレーとラーメンが売りのようだが、定食を食べている人たちも多い。

おれにとって、ここのカレー、とくに辛口は、特別だ。というのも、1962年に上京して、初めて、家庭や大衆食堂の黄色いカレーではないカレーを食べたときの、その味覚が、タブチの辛口カレーに「同じ」と言いたいぐらい似ているからだ。

味覚の記憶なんてあまりあてにならないが、色合いは、目に焼き付いている。なにしろ、黄色くない、黒に近い深い焦げ茶色のカレーを見たのも食べたのも初めてだった。

当時は、まだ黒ビールを飲んだことがなく、かなり歳月がすぎてから、初めて黒ビールを飲んだとき、あれっ、これは、あの黒っぽいカレーと似ているなと思った。その記憶が残っていた。

おれが、このカレーを食べたのは、飯田橋にあった「カレーの南海」というチェーン店でだった。

タブチのカレーは黄色いカレーと同じようにじゃがいもなどがゴロッと入っているが、記憶では、カレーの南海のカレーはじゃがいもは入っていなかったような気がする。それは、それまで食べてきた黄色いカレーより、「もっと洋風」な感じがした。

インド風だかネパール風だか、あるいはいまどきのスパイシーなカレーとか、そちらから見れば、タブチのカレーは「日本の昔のカレー」寄りになるのかも知れない。

が、これは「タブチ風カレー」なのであり、カレーの面白さと可能性は、「各人風」「各店風」が一緒に存在していることだろう。そういう「カレー環境」こそ「文化」や「社会」と言えるものではないか、と、近頃、そういう思いが、ますます深まるのであった。

Dscn0579

Dscn0582

|

2019/08/21

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」82回目、立川市・ふじみ食堂

20190719

先月19日掲載の分。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019071902000187.html

今回は、この連載では初めての「ロードサイド型」の食堂だ。それに、立川市の食堂も初めてだし、さらにJR立川駅から多摩モノレール(は乗ったことがあるけど)柴崎体育館駅に降りるのも初めてだ。まったく土地勘のない郊外。

ここを教えてくれた知人は、以前日野市に住んでいて、ときどきクルマで新奥多摩街道を走ったときに寄っていたそうだが、徒歩だとけっこう歩く。もともと「ロードサイド型」というのは、クルマの客が中心の立地であり店舗だから、当然のことだ。

「ロードサイド型」というのは、あまり一般的な用語ではなく、マーケティング屋などが使っていた呼称だと思う。だいたい「立地」をさしていた。

一般的には「ドライブイン」と呼ばれる業態があって、その定義があるわけではないが、ロードサイドでも、店舗の間口が広く、敷地も広く、大型のトラックやバスなども駐車できるスペースがあるイメージだ。

ふじみ食堂のばあい、駐車スペースが乗用車10台分ぐらいが線引きしてあって、大型トラックやバスは止まれない。なので、「ロードサイド型」の食堂と書いた。

しかも、この食堂の周辺だけは、大きなマンションや団地それにスーパーなど建ち並び、駅からの途中の荒っぽい景色と比べ、整った住宅地の「町」のカタチを成しているのだ。近隣の客も多いのだろう、メニューは酒とつまみも充実していた。中華と洋食が中心の食堂で、ガッチリ食べたい客が多いのか、800円台のセットメニューが豊富だった。こざっぱりとした味付けで、ラーメンも食べてみたくなったが、簡単には行けない。

というわけで、駐車場完備以外は、とくに「ロードサイド型」の特徴はない。1965年頃の開店だから、モータリゼーション真っ盛りが進行中であり、鉄とコンクリートの「都市化」のため、東京郊外の幹線道路は建築関係のトラックなどが横行していた時期だ。まもなく「ニューファミリー」市場が成長し、ドライブがレジャーの憧れのアイテムになる。人びとの移動も鉄道からクルマへシフト、郊外の「都市化」がすすみ人口が増える。そういう波の中で、さまざまな「ロードサイド・ビジネス」が成長した。

ふじみ食堂までの新奥多摩街道沿いには、大小さまざまなロードサイド・ビジネスが見られ雑然とした荒っぽい景色をつくっていたが、「マッサージ店」まであって驚いた。

Dscn0466

Dscn0455

Dscn0453

|

2019/07/14

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」81回目、綾瀬・味安。

20190621

先月21日に掲載のものだ。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019062102000188.html

味安へは、2017年4月に野暮な人に連れられて行った。なかなかよかったので、いつかこの連載で紹介したいと思っていた。綾瀬には、ときわ食堂もある。ここもなかなかよいわけで、こういうときは、どちらを先にするか迷うが、まずは駅から遠い方からというリクツをつけて、こちらが先になった。

 綾瀬駅から10分少々歩く距離だ。2車線だがクルマの通りの多い街道沿いにあって駐車場も備えているから、「ロードサイド型」といえなくはないが、間口はとくに広くはない。

しかし、なかに入ると、外からはうかがいしれない、入れ込みの座敷の広い店内で、たくましく飲み食いする人びとの熱気があふれているし、その人たちがお目当てにしているらしいとり唐揚げが、たくましい食欲にこたえるようにデカイ、うまい。

本文にも書いたが、これだけ広い入れ込みの座敷の食堂は、いまでは珍しい。座敷に腰をおろしあぐらを組んだり膝を崩したりすると、なんだかチマチマした抑圧から解放されたくつろいだ気分になるのだろう、周囲の目など気にすることなく、みんな素のままのエネルギーを発散させている。ああ、いいねえ、これだよコレ。

と、一人だからカウンターに座って、とり唐揚げ定食食べたいけど、近頃トシのせいか食が細っているから食べられるかなあと思案したのは一瞬で、空間にあふれる食欲に押されるように注文してしまっていた。

となりにおれより少し若い70歳ぐらいの男性が座った。お店の方の対応からすると常連さんのようだった。かれも、とり唐揚げ定食を頼んだ。かれは、定食が出てくると、まず、小鉢のひじき煮を丼めしにかけて、軽くまぜながら食べ始めた。手慣れたものだった。

なるほど~。そういえば、家じゃ、めしに納豆とひじきやきんぴらをのっけているのにと、思い出した。とり唐揚げに限らず、刺身や焼魚なども盛りがよいし、それに付いてくる、このひじき煮と漬物の小鉢が、けっこう量がある。おれは食べあぐね、しまいには丼めしが空になったあとも残ってしまい、これだけをせっせと食べていたのだ。バランスの悪いこと。70年以上も生きて、まだまだおれはダメだなあ。

それはともかく、綾瀬は、なかなかザラッとした猥雑味があって興味深い街だと、あらためて思った。以前は、たまに飲みに行ったのだが、よく感じとっていなかったようだ。綾瀬は足立区の南の端で、葛飾区と隣接しているわけだけど、足立の独自性が色濃いように思う。とにかく、おもしろい。だけど、もう足しげく通う元気がない。

そうそう味安さんに確認したいことがあって店へ電話をしたら、「本部へ」といわれ電話番号を教えてくれた。「本部」があるとは意外だったが、小さいながらもほかの飲食店や中古車センターなども手掛ける、地場の企業グループなのだ。地場の味わいが出ている。

当ブログ関連
2017/04/16
30年前のままの駅前酒場@綾瀬の短冊メニュー。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2017/04/30-2672.html

Dscn0445001

Dscn0434001

 

|

2019/06/19

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」80回目、高円寺・富士川食堂。

20190517

先月5月17日に掲載のものだ。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019051702000180.html

高円寺は安い大衆的な飲食店が多い街だ。飲食店に限らず、小さな店が共存共栄としのぎの削りあいを生きているようで、いろいろ安く、若い人が暮しやすいとも言われている。だけど、この連載で高円寺の大衆食堂を紹介するのは初めてだ。

昨年、座・高円寺が発行するフリーマガジン「座・高円寺」19号の特集「高円寺定食物語」で文を担当した。取材する食堂の選択やロケハンから関わった。そのときは、富士川食堂は、候補に入っていながら、最終的にはほかの7店が選ばれた。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2018/03/19-cf7a.html

そのあたりはメディアの公共性と個性の打ち出し方のかねあいがある。

Dscn0379 この連載の視点である、「食生活の視点」からすれば、富士川食堂は、はずせない。高円寺駅周辺には、ほかにもはずせない食堂があるが、まずは、ここかなという感じだ。すでにメディア露出も多い。

高円寺へ行ったときには、中休みがないという利便性もあって、けっこう利用している。

今回、初めて「盛合わせ天ぷら定食」を食べた。皿に盛られた天ぷらの、上からは見えないが、一番下にサツマイモの天ぷらがあった。偶然一番下になったのかもしれないが、これが、ポテトチップのように薄い、見事な薄さで、しかも、もちろん、ちゃんとサツマイモの味がするわけで、これがあるかないかで「盛合わせの印象」は、ずいぶん変わるような気がした。

それと、ふた切れのキュウリの糠漬けが、いい味だった。

どちらも「小さい」が定食の中に占める役割は、小さくはないと思い、「けっこう薄い小さい「小役」も力を発揮するものだ」と書いた。ところが、新聞社のほうとしては、「小役」は表記にはなく「子役」になるということで、「子役」に変えられた。「子役」じゃなくて「小役」であるところに意味があるのになあと、担当デスクの方とも話したのだが、ま、おれはナニゴトにもこだわらないほうなので、「子役」でヨシとした。

とにかく、とかく、盛合わせ天ぷらのエビやキスあるいはカボチャやナスのような「大物」が耳目を集めやすいが、「盛合わせ」の豊かさは、それだけで語られるものではない。なんだか「社会」や「コミュニティ」と似ている。小さな商店が集まった高円寺の魅力も、似たようなことがいえる。社会は盛合わせなのだ。  

この日は、暑くて、食堂のおやじは今日は天ぷらがよく出ると言っていた。おれの隣では、若い、髪の毛のスタイルをなんて呼ぶのか、細かく分けて編んでピンでとめた若者が、ビシッと背筋をのばして食事をしていた。その向こうでは、高齢のおやじがカウンターに両肘をついてだらしなく食っていた。しばらくして若い夫妻が入ってきた。みな馴染み客のようで、食堂のおやじの愛想がよかった。おやじは、腰を痛めていて(この商売の職業病みたいなものだが)、それをかばうように動いていた。

Dscn0376

 

|

2019/05/16

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」79回目、南浦和・むくむく食堂。

20190419-001

先月4月19日の掲載は、若い店主の「新しい食堂」の登場だ。去年の6月に、京浜東北線と武蔵野線の乗り換え駅である南浦和に開業した、むくむく食堂だ。

本文はすでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019041902000177.html

この連載で「新しい食堂」の登場は初めてだし、平成が終わる直前だったこともあり、ここ30年の食堂の動向と「新しい食堂」の特徴について簡単にふれたので、むくむく食堂そのものについてはあまり詳しく書けなかった。

だけど、ローカル愛にあふれ、「食べる側と提供する側は単なる「店」と「客」ではなく、この場所で交わる人間関係を大切に、いろいろな人といろいろなことを共有しながら、いい生活文化を育て、共に成長していこうという意識を持っている」といった特徴は、店の外観から店内のこまごまとしたところまで見られる。

こういう食堂がまずいはずはない。そして、「うまい/まずい」や「サービスのよさ」などだけで判断する食堂でもないのだ。

Dscn0224

南浦和は川口と浦和にはさまれ地味な存在だが、新旧が混在しながら新陳代謝も激しく発展している街だ。むくむく食堂がある通りは、南浦和でも古いほうの商店街だったけど、「シャッター街」を通り越し、古い商店は消えていき住宅街化している。

店主は、この商店街で生まれ育ち、食堂を始める前は、実家で衣料品や雑貨などを扱う小商いをしていた。むくむく食堂は、閉店した居酒屋を居抜きで借りて始めた。

夜はまだ行ったことがないが、定食はありながらも居酒屋メニューへシフトしているようだ。昼定食は1000円均一で3種にしぼり、喫茶メニューも充実している。

「単なる「店」と「客」」ではない関係は、これからますます存在価値を高めると思うが、なにより、これまで単なる「客」であった「消費者」の「学習」も必要になる関係だと思う。

「自分はそこで何を楽しもうとしているのか」という主体が問われる。それは、東京を中心とする主流では惰性的に続いている、値段と味や接客などを比較し選択し評価しているだけの、受け身だが「ご主人様」「神様」気取りの消費者とは違う生き方なのだ。「新しい食堂」の出現は、そういう「これから」を示唆している。

むくむく食堂のツイッターもご覧になってください。
https://twitter.com/mukumuku1945

Dscn0224001

Dscn0230

|

より以前の記事一覧