2017/10/04

東京新聞「大衆食堂ランチ」59回目、横浜・埼玉屋食堂(カレーライス)。

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毎月第三金曜日連載、東京新聞の『エンテツさんの大衆食堂ランチ』の先月分は9月15日の掲載だった。すでに東京新聞のWebサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017091502000161.html

本文は、この連載のなかでも最も食べ物から離れた内容といえるかも知れない。あるいは、大衆食堂というものを、単純明快に示しているともいえる。

編集さんがつけたタイトルは『安い・うまい・早い』で、やはり、このコラムの性格からすると食べ物でなくてはならないし、それが当然だろう。たいがいの読者は、食堂の紹介というと、食べ物はどうか、という関心の持ち方をする。

それはまあ、食べ物がマズければどうしようもないだろうが、長年土地に根をはった食堂がまずかろうはずはない。ということが一般論としていえる。

そこをさらに「うまさ」の細かな違いなどをチェックするということが、ないわけではないが、それが店の特徴になるとはかぎらない。また、細かくチェックしながら食べ歩き較べる対象にするのは、大衆食堂に対して筋違いという感じもある。

とにかく、店の持つ「物語性」が大きな特徴になることがある、今回はそこを、いままでになくクローズアップした。

店の場所が、三大寄せ場の一つといわれる寿町の近くであること、そういう立地ならではだろう、店内には日本全国ブロックごとの地図が貼ってあり、『久しぶりに故郷に帰ってみたくなりましたか?故郷に印をつけてみよう~』と、フェルトペンがさがっていることなど。大衆食堂のひとつの原風景を見るおもいがした。

本文に書いたように、おれはその写真を撮ってきたので、新聞には載せられなかったが、ここに載せておこう。

それから、横浜にありながら店名に「埼玉」がついている。これは出身地を店名にする、大衆食堂の一つの傾向だったといえるが、店内の地図と合わせて、「地縁」と「ふるさと感」な店だともいえる。そういう意味では、大衆食堂は「保守」なのだ。

そして、お店の方は、あかるくほがらかで、遠く故郷を離れて暮らしている人たちに「ふるさと」のプラスイメージを感じさせてくれるに違いないとおもわれた。

「埼玉屋」や「埼玉家」がつく店は、けっこうある。たいがい飲食関係だ。ション横、東十条、浅草橋の酒場がすぐ思いうかぶ。

山谷には埼玉屋という食堂があった。山谷の埼玉屋は木賃宿の埼玉屋の一角で営業していたのだが、このあたりで最も高いクラスの食堂だった。たしか2000円ぐらいの定食があった。1990年頃だけど。

山谷のドヤ暮らしの職人は、職種によって日当がだいぶ違った。それぞれの収入に応じて食べるものが違うという社会は、山谷にもあてはまるのだ。山谷で2000円の定食が最高クラスだとしたら、いろは商店街の店でトレーに盛っためしに魚の煮たのか焼いたのを一切れのっけてもらった食事で200円から300円だった。

山谷は、すっかり様変わりして、埼玉屋は立派なビルのビジネスホテルになり、いろは商店街にあふれていた職人はわずかになった。

ところで、埼玉屋食堂でカレーライスを頼んだのは、たまたまカレーライスがらみの論考原稿を仕上げたばかりだったからだ。「スパイスカレー」がリードするカレーライスがブームで、この流れはなかなか興味深いのだが、『近頃はカレーがブームだが、話題になるのは1000円以上するスパイシーなカレーばかり』であるからして、昔から大衆食堂の定番だったカレーライスを忘れるんじゃねえよ、カレーライスは大衆食堂から広がったといえるぐらいなんだよ、というココロなのだ。

じつは、埼玉屋食堂は、メニューが豊富で、どれも安くてうまい。いろいろ食べて飲んで、勘定のとき告げられた金額が、想定外に安くて聞き直したほどだった。

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2017/10/03

『画家のノート 四月と十月』37号と「理解フノー」。

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美術同人誌『四月と十月』37号(2017年10月号)が届いた。おれの連載「理解フノー」は、19回目で、お題は「バブルの頃② 見栄」だ。

「バブルの頃」は、前回の「錯覚」に続いて2回目、次回「崩壊」まで3回連続の予定で書いている。

「今回はバブルの頃の上っ面を、流行現象を中心にふりかえってみたい」として、手元にある3冊の本を取り上げた。

「いずれも当時よく売れた本だ。『見栄講座 ミーハーのための戦略と展開』は、小学館から一九八三年十一月発行、ホイチョイプロダクション作品で馬場康男=作・松田充信=絵。『金魂巻(きんこんかん)』は、主婦の友社から一九八四年七月の発行。渡辺和博とタラコプロダクションの作品で、「現代人気職業三十一の金持ビンボー人の表層と力と構造」というものだ。この本から「まる金」「まるビ」という言い方がはやった。もう一冊は、バブルの最中に「オヤジギャル」などの流行語を生んだ中尊寺ゆつこによるコミック『お嬢だん』で、双葉社から一九八九年七月の発行。『お嬢だん』以外は、「バブル景気」以前の発行だが、まるでバブル期の流行現象を見とおしていたかのような内容だ」

引用が長くなって、あまり解説風のものが書けなかったが、じつは、読めば、1980年前後から、日本人の間とくに「中」から上のクラス(あるいは「上昇志向」のクラス)に広く共有されていった、「語りの形式」と「言葉」が見えてくるのだ。

バブルの頃は、調子にのると人(日本人}はこうなる、という事例集のようなものだったが、そこにある語りの形式と言葉は、バブル前からあったのであり、バブル崩壊後も続いている。

そして、「失われた20年」なんてことがいわれているが、いつだって、いい調子の有頂天の人たちはいる。「みんな一緒によくなったり悪くなったりしようね」という構造は70年代で終わっているわけで、そこには、80年代から共通する語りと言葉が見られる。

おれが、その「語りの形式と言葉」に興味が湧いたのは、ツイッターやフェイスブックのおかげだった。ツイッターとフェイスブックでは、そのあらわれかたが異なるが、語りの形式と言葉が「共有」される構造は同じようだ。と気がついた。もちろん、そういうことに気づくヒントをあたえてくれた人がいる。

ってことで、タイトルは「見栄」にしたが、日本人の「見栄」にはいろいろなことが含まれている。本文の引用にも「ハク」という言葉が出てくる。ハクをつけるの「ハク」だ。見栄やハクの背後には、自己愛とはちがう「自分愛」がある。

3人寄れば、誰がイチバン偉いかを気にする。調子にのればのるほど、それが気になる。こういう傾向は、けっこうマンエンしている。そして、いらざる「質」の「向上」にこだわり、クリエイティブな仕事が上げ底のように持ち上げられ、ルーティンの仕事や労働者は見下され、石を投げれば大学院卒にあたるといわれるほど高学歴化した。

「見栄」は、80年代以後の「高度」消費社会をつくり上げてきたエネルギーなのだ。

それはそうと、今号の表紙は、作村裕介さん。画家であり左官である彼が描いた鏝絵、ではなく、仕事で履き潰した靴下の、力強い絵だ。

作村さんは、「表紙の作品について」に、こう書いている。

鏝で描こうと「いざ鏝を握り壁に向き合っても何も出てこない。僕は左官の技巧的なものよりも、肉体労働に魅了されているんだ」「身体が擦り切れる様な肉体労働が「生きてる」感じがする」

かっこいい。こういう語りと言葉が載る『四月と十月』も、かっこいい。

新連載が、一気に4つ。佐々木秀夫さんの「美術と復興」、佐野由佳さんの「建築家」、ハルカナカムラさんの「お風呂」、加賀谷真二さんの「野球」。

同人のみなさんの「アトリエから」はもちろん、ますます充実で、読みごたえがある。

四月と十月の詳細はこちら。
http://4-10.sub.jp/

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2017/09/13

東京新聞「大衆食堂ランチ」58回目、明大前・相州屋(かつ煮定食)。

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先月第三金曜日に掲載のものだ。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017081802000196.html

そこにも書いたが、明大前はなかなか行く機会がない。上京してしばらくは、京王線のつつじヶ丘と代田橋に住んでいたので、毎日、この駅を通過していたのだが、井の頭線の乗り換え以外では降りたことがない。

改札の外へ出たのは、たぶん3回目ぐらいだろう。井の頭線が小田急線と交差する下北沢と比べると、かなり地味な存在だ。そのナゼ?ということが、今回もっとも気になったことだった。地理的構造が関係あるのだろうか。

そのかわり、北口の駅舎と前の小さな駅前広場は、むかしの京王線沿線の郊外駅の雰囲気をよく残している。ノスタルジックな気分がわいたので、その写真を撮ってこようと思ったが、食堂へ行くのを先にしたら、帰りは雨になってしまったので、撮りそこねた。

下北沢のような「若者の街」とはちがうが、若者の多い街だ。でも、チャライかんじはない。もしかして明治大学の「校風」の関係もあるのだろうか。

下北沢や渋谷の若者のイメージで「若者文化」をみてはいかんなとおもったが、しかし、彼らもシモキタやシブヤの街へ行けば、それなりにシモキタやシブヤの若者なのかもしれない。街が人間を印象付けるということもあるだろう。とくに消費的な「シティな街」においては、その雰囲気にのまれるか雰囲気にあわせて、人間の中の何かが表出しやすいのではないか。ま、「流行に敏感な人」とおだてられたりして、その気になることもある。そのばあい「素顔」はどこにあるのだろう。

相州屋がある商店街は、そういう「シティな街」ではない。「昔ながら」のようであるが、どんどん新しい店が進出している。

相州屋、店内の造作は、目立たぬところでデザインされしっかりしている。天井から壁板にかけてだが、ただの素っ気ないハコではない。このナゼ?も気になった。

かつ煮定食については、本紙に書いたとおりだが、これをメニューに見るとおもわず頼んでしまう。この連載では、たしかこれで3回目ではないかとおもう。

1971年ごろ初めて「わかれ」を食べたときの記憶が、けっこう強く残っているのだ。あのとき、お店のおばんさんに、「なぜ、わかれ、なのか」とたずねたとき、「白いごはんが好きで、カツ丼ではいやだという人もいますからね」というような返事があって、そのことがショックで尾を引いているようだ。

『汁かけめし快食學』に書いたことも、このショックのおかげかもしれない。つまり、日本のめしの賞味の仕方として、「複合融合型」と「単品単一型」があるということだ。

かつ煮定食においては、その両方をたのしめる。つまり、「単品単一型」で少しか半分かたべたのち、残っているものをそっくり丼めしにかければ「複合融合型」もたのしめるのだな。

ひとつ心残りのことがあった。おれが食べているあいだに、若い客が数人入っては食べて出て行ったのだが、一人をのぞいて今月の「サービスメニュー」とある670円の「オム・ハヤシ」を食べていた。

これが、盛りがよいのはもちろんだが、ハヤシととろとろのオムレツが、一つの皿のライスの山の両側に盛り分けられていて、見た目もすごくうまそうだったし、食べている人はみなうまそうに食べていた。

これ、拙速に「かつ煮定食」を注文してから、壁に貼ってあるメニューを見つけたのだった。

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2017/07/30

東京新聞「大衆食堂ランチ」57回目、赤羽・暖母(ダンボ)。

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この店には、おどろいた。

外観、店内とも、かつての「純喫茶」仕様なのだが、メニューの豊富さは洋食堂としても居酒屋としても十分であり、しかも安くてボリュームもある。もちろん、味も、安定のうまさ。

もともと居酒屋と食堂のあいだはアイマイだし、蕎麦屋が食堂兼居酒屋化した例はけっこうあるが、純喫茶がここまでハイブリット化している例は、あまりないと思う。

純喫茶を軸に考えれば、喫茶にスパゲティのミートソースとナポリタン、サンドウィッチあたりの軽食までは、わりと普通のメニューだろう。そこに、ごはんものとして、ピラフ(焼き飯)ぐらいなら加わりやすい。

さらにカレーライスとなると、業務用を利用するのでなければ、仕込みの段取りが必要になる。厨房の構造も関係する。

とかく「進化」というと「純化」ばかりが高く評価されやすいが、この店のように雑多化ハイブリット化での進化もあるのだな。

たくさんのメニューにハヤシライスを見つけ、懐かしさもあって、これにした。かつて大衆食堂では定番のメニューだったが、かなり姿を消している。ファミレスあたりには、最初からないだろう。

ハヤシライスはカレーライスと同じぐらい人気があったのに、廃れるのが早かった。それは家庭に普及しにくかったということがあるだろう。「ハヤシライスの素」を使っても、なかなかうまくできない、というか、「わが家の味」までにはいたらず、「食堂の味」にゆずらざるをえなかった。それは、基本となるディミグラスソースが、日本の料理文化では難しかったからではないかと推測する。

ハヤシライスこそは、「昭和の味」のままといえるかもしれない。昭和の大衆食堂で定番だった、カレーライスとラーメンとハヤシライスの、平成になってからの「運命」を考えると、なんだかおもしろい。

このハヤシライスを食べて、ここのカレーライス食べてみたくなった。どちらも、味噌汁付だ。

以前この店の前は2度ほど通ったことがあるが、そのとき、「喫茶店」という印象を持ち思い込んだままだった。赤羽駅から、「朝から飲める街」を通りぬけた先にあるため、めったに前を通ることもない。そのままになっていた。

赤羽に住んでいる野暮な人から、「ダンボ、どうかね」と言われなかったら、そのままだったかもしれない。

赤羽だからね、酒の値段もリーズナブルで、昼から飲んでいる人もいる。脇では、所帯じみたおばちゃんたちが、コーヒーを何度もおかわりしながらおしゃべりに夢中だ。

東京新聞には、7月21日に掲載になった。すでに東京新聞のサイトでもご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017072102000196.html

店の外側は、いたるところメニューで一杯。

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シャンデリアもある店内は、かつての「純喫茶」仕様で、とても落ち着く。

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2017/06/29

東京新聞「大衆食堂ランチ」56回目、中野・食堂 伊賀。

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今月の第三金曜日16日が掲載日だった。すでに東京新聞のサイトでもご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017061602000151.html

中野は、やどやゲストハウスがある関係で、よく行っているところだし、この伊賀は、やどやからも近いのだが、駅からすると南口五差路交差点の向こう側になるので、足が向く機会がなかった。

中野は南口と北口があるが、北口のほうが大規模な開発と再開発が進み注目を浴びてきた。飲食店も多い。

南口も近年、タワーマンションができたりして、少しずつ様子が変わっている。

しかし、今風に変化が激しいのは、北口は早稲田通りまで、南口は五差路交差点までぐらい、駅から数分の範囲内だ。その外側は、かなり趣きが変わり、成り行きの街になっている。こういう事情は、都内のどの駅の周辺でも似通っている。

かつての「大陸侵攻」の軍事戦略にしてもそうだが、どうも日本のプランニングというのは「点と線」で、「面展開」の計画がないまま進む。これは、どういうことなのだろうと思うのだが、それはともかく。

伊賀がある古い店舗付きアパートが残っているのも、この位置にあったからだろう。

このような佇まいを見て、「実直そう」と見るか「なんだか怖そう」と二の足をふむかは、いい出会いがあるかどうかの人生の分かれ道。

古いが荒んではいない、入口周辺の手書きのメニューも上手ではないが誠実を感じる。そんなこともあり、見るからに「実直そう」と思った。

客席のテーブルまわりは、きれいになっているが、カウンターから厨房は、これまでの三指に入りそうなほど、最低限の片づけのあとが見られるだけだった。

だけど、不思議に不安にならない。不潔な感じがしないのだ。それは、店主の表情が、まさに実直がにじみ出ており、爽やかだったからかも知れない。修行をつんだ、穏やかな坊さんから感じるような、安心感があった。

おれと一学年ちがい。おれのほうが上だった。まもなく開業して半世紀になる。このアパートで40数年。

こういう人に会うと、グチャグチャゴチャゴチャした人生のおれは、ただただ「偉いなあ」「素晴らしいなあ」と思う。

そういうことを話すと、店主は、「そうですかねえ、自分の人生なんかふりかえったこともありません。もう毎日夢中でやってきました」「国民年金じゃたいしたことないからね、いまでも同じように店をやっています」というようなことを言った。

インターネットなど関係なし、電話は黒い電話機のまま。日々をキチンと働いて生きて、子供も育てた。少しも偉そうにしない。自慢もしない。こういう人や人生が評価されない文化ではダメだな。

昼時はすぎていたが、若いあんちゃんが入ってきた。馴染みの客らしい、店主と言葉をかわしながら、豚肉天ぷら定食を選んだ。それが気になっていたのだと言った。壁に貼ってある、そのメニューの紙は比較的新しい。

豚肉天ぷらがある大衆食堂はめずらしい。小さいハコだが、メニューが多い。

いつもいうことだが、こういう、同じ場所で長く続いている食堂がまずいはずはない。味にも安定感がある。

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2017/06/03

東京新聞「大衆食堂ランチ」55回目、小岩・ラーメン餃子三平。

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もう6月になってしまった。ブログの更新もせずにでれでれ過ごしているうちに月日はミサイルの速さで去り気がつけば棺桶の中、ってなことになるか。ミサイルの速さってどれぐらいか知らないけど、矢よりは速そう。

先月の第三金曜日19日は、東京新聞に連載の「大衆食堂ランチ」の掲載日だった。今回は、小岩の「ラーメン餃子三平」だ。こちら東京新聞のサイトで本文をご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017051902000166.html

この店は、この一年間ぐらい、最もよく行っている店だ。つい先日28日も行ったばかり。というのも、小岩の野暮酒場で飲んだあと野暮一同で行くからだ。

ここは大ハコだから、野暮が10人ほどまとまって入っても座れるということもあるが、店内の猥雑感がいい。「ラーメン餃子」を謳うが、安い中華のメニューが充実している、それにボールが安い。帰りの電車ギリギリまで過ごす。

小岩は、都内で一番おもしろい街だと思う。最近、タワーマンションが一棟建ったが、そんなことではビクともしない猥雑な生命力がある。

秋葉原から総武線に乗ると、隣の新小岩までは再開発による「新郊外化」が進んでいるのがわかるが、小岩はその流れから独立している。前回、2017/05/20「東京新聞「大衆食堂ランチ」54回目、葛飾区・ときわ食堂金町。」に書いたように、「国境の町」の情緒がある。ま、外国人も多く、エスニック系料理では都内屈指の人気店もある街なのだが。

とにかく、猥雑な生命力たるや、小岩駅北口そばにあるヨーカドーすらワイワイザツザツに飲みこんでしまう街なのだ。

010その小岩の象徴的存在、南口そばの横丁「地蔵通り」に、「ラーメン餃子三平」はある。この通りで最も猥雑な生命感にあわふれている店だと思う。

「植むら」「阿波屋」「くるま」など、いい居酒屋が揃っている。最近は立ち飲みもできたし、業務スーパーもできたし、いい味を出しているおやじが店先に立つ古い店舗型風俗営業店もある。短い狭い通りに、さまざまな業種や業態が密集している。

書くのに力が入ってしまった。小岩へ行って三平で飲み食いしていると、こじゃれた大都市に吸い上げられそうな生命力がよみがえるのだな。

小岩には、古い、いわゆる和食メニューもある大衆食堂が何軒かあったが、みな無くなってしまった。

そういえば、以前、もう10年ぐらいになるかなあ、それらの大衆食堂があった頃、小岩からバスを乗り換え池袋までというのをやった。都バス一日券を買って、小岩から錦糸町、錦糸町から浅草、浅草から池袋というぐあいだ。

とにかく、小岩は、安く飲めるし、たのしくおもしろい街だ。

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2017/05/20

東京新聞「大衆食堂ランチ」54回目、葛飾区・ときわ食堂金町。

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今月の掲載は昨日だったのだが、まだ先月の分もここにアップしてなかったと気づき、とりあえず先月21日の朝刊に掲載の分を。

東京新聞のサイトは、すでに掲載していて本文をご覧いただける。たいがい当日のうちにアップされているようだ。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017042102000180.html

ときわ食堂は今回で6店目。

葛飾区には、ときわ食堂が多いような気がする。金町は常磐線沿線であり、この沿線からは以前、亀有のときわ食堂を取り上げている。亀有には、ときわ食堂とは関係ない常磐仙食堂もあり、「常磐仙」は「じょうばんせん」と読むが、ここも以前取り上げている。

葛飾区の北域を走る常磐線には、綾瀬、亀有、金町と大きな町が続いている。それぞれ個性があっておもしろい。綾瀬の駅北側は足立区であり、亀有の北側はいくらか葛飾があって足立と隣接している、金町はそっくり葛飾だが常磐線の次の駅は江戸川を渡り千葉県松戸になる、という地理も関係しているようだ。

金町に野暮な女がいて、小岩に野暮な男がいて、彼らは、小岩も総武線の次の駅は江戸川を渡り千葉県市川になるから、金町も小岩も「国境の町」だと言った。なるほど独特の情緒がある。

ふりかえって見ると、成増の食堂を取り上げたときも、ちょっと独特な空気を感じ、「成増は池袋から東武東上線準急で10分ほどだが、都心とも郊外とも違う独自のカラーを感じる町だ」と書いている。

成増の次は埼玉県和光になる。川は渡らないが、「国境の町」だ。成増も小岩も金町も、独立の「地方都市」という感じがするのだ。

ほかの「国境の町」も気になるのだが、それはともかく、ときわ食堂金町は、おそらく東京の最東北に位置するときわ食堂になるのではないかと思う。

ま、本文を読んでください。

008001ときわ食堂の前には自転車が一台とまっていた。前にちょろっと書いたと思うが、大衆食堂の前の自転車は、なんだか意味がありそうだ。地元に愛されている「安心」のしるしとして見ることができるかもしれない。

しかし、大衆食堂と自転車の関係には、もっとナニカありそうだと思ったのは、最近、昭和の初めの頃の、大衆食堂の原型ともいえる東京都の公衆食堂に関する資料を調べていたときだ。

それは当時の新聞記者が公衆食堂で食べて書いたものだが、「「自転車に気をつけて下さい」の掲示が自転車に乗ってくる階級の多い事を如実に示している」と書いているのだ。いうまもでなく、当時は、いまよりはっきりした階級社会だった。ゆとりある知識階級の記者が、このような階級的現象に眼をとめるぐらい、階級社会だった。いまはどうだろう。

大衆食堂と自転車の関係は、大衆食堂の勃興の頃からだった。

この連載の食堂の外観写真にも、けっこう自転車が写っている。

気になっている。

それはそうと、野暮な人たちが言っていた「国境の町」という表現は、この金町では使わず、昨日掲載の小岩の「ラーメン餃子三平」で、小岩を「国境の町」として書かせてもらった。

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2017/04/10

『画家のノート 四月と十月』36号と「理解フノー」。

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美術同人誌『画家のノート 四月と十月』36号(つまり今年の4月号)が届いた。

表紙の作品は同人の加藤歩さん。加藤歩さんは、作家紹介を見ても、とくに「肩書」はない。「1976年熊本生まれ。旅人と詩人の雑誌『八月の水』に詩を寄稿。宮城県仙台市在住」とあるだけだ。

001詩人なのかと思ったが、「表紙の作品について」を読むと、表紙のお手玉の写真は、ご自分でお手玉を作って撮影したらしい。ま、「肩書」による属性なんて、どうでもよいのだ。

「…について」には、「てんやのおもち」というわらべうたの話がある。お手玉遊びの一種らしいのだが、「これをやるとこどもたちはいつも笑いころげ、「もう一回!」と目をきらきらさせていう」と、その情景が浮かぶような文だ。

おれが高校を卒業して上京する前の新潟の田舎では、周囲で女の子たちがお手玉をする風景が普通にあったが、「てんやのおもち」のことは知らない。

いつもの同人のみなさまの「アトリエから」を見ながら、近況などを知る。あいかわらず大いに活躍しておられる。

しかし、今号で見る同人のみなさまは、なんだかミョーに落ち着いた感じで、「優雅」とはちがうが、「好きなことをやって充足している私の生活」的な趣きがただよい、アグレッシブにしてパンキッシュな何かを感じさせる趣きがあまり感じられない。なんとなく、そこはかとなく、おだやかな平和な水の中で暮らしているような、落ち着きがただよう。

ま、そうそういつも、もだえたり切実なことに向かい合っていては、若くてもくたびれはてちゃうからなあ。でも。あるいは、おれが「切実」を求めてすぎているのかも知れない。

従来の連載に加え、ふたつ、新しい連載が始まった。小坂章子さんの「珈琲」と、本誌の中頁デザインを担当している青木隼人さんの「ギター」だ。

おれの連載「理解フノー」は、18回目で「「バブル」の頃① 錯覚」だ。「①」とある通り、続くのだ。全3回の予定だが、はたしてどうなるか。半年に1回で3回連続なんて、その間にいろいろあって気が変わりそう。だいたい生きている保証もない。

生きている保障もないといえば。

最後の見開きは、同人のみなさまによる「雑報」なのだが、扉野良人さんが「扉野良人と砂金一平さん」の題で書いていることに驚いた。胸のへんが痛んだ。

2月12日、市川市で「古書スクラム」という古書店やっていた砂金一平さんが亡くなられたというのだ。41歳の若さ。

扉野さんは、こう書いている。

「一度も会ったことなく、この夏、下鴨古本祭りで会う約束をしていた。一平さんのFBを遡ると十月三十日に、「なんの関係(「関係」に傍点)もない二冊を読了!」と、プリーモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終わらない』とエンテツさんの『理解フノー』を挙げていた。一平さんは「人間という生物とそれらがつくり出した世界については理解フノー」だと自分の内と外を見渡している。関係(「関係」に傍点)はある。ここにいるわけを、レーヴィもエンテツさんも一平さんも追い求めている。未来の友人に会いたかった。」

砂金一平さんは、ツイッターでも同様の内容をインスタグラムの書影と共にツイートしていて、おれはRTしていたのだった。

古書肆スクラム。(砂金)‏ @move_on_bench
なんの関係もない二冊を読了。関係はないけれど、人間という生物とそれらがつくり出した世界については理解フノーである。「アウシュビッツは終わらない」は人類必読の書。 https://www.instagram.com/p/BMKl2rkgpa-/
8:36 - 2016年10月30日
https://twitter.com/move_on_bench/status/792510367754809344

砂金さんのツイッターは、12月4日で終わっている。その日のツイート。

古書肆スクラム。(砂金)‏ @move_on_bench
体調がイマイチ。というか、こんなものなのかもしれないけれど、あゝ辛い。すべてがやっとの生活だけど、やっと暮らせているだけ、まだましか。弱音は吐くけど、負けてはいない。そういうメッセージ。
11:50 - 2016年12月4日
https://twitter.com/move_on_bench/status/805242836874498048

おれも砂金さんに会いたかった。合掌。

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2017/03/31

東京新聞「大衆食堂ランチ」53回目、石神井公園・ほかり食堂。

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毎月第三金曜日の新聞掲載後こちらのブログにアップするのが遅れている東京新聞の「大衆食堂ランチ」、今日3月31日までに3月分をアップすれば、遅れを取り戻すことができる。と思いながら今日になった。

だけど、出かけなくてはならないので余裕がない。写真をアップしておいて、明日以後書き足すとしよう。カタチだけの当月処理、今日は年度末でもあるな。

本文は、すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017031702000194.html

とにかく、この商店街には、数十メートルのあいだに2軒、昭和の風情の食堂が並んでいるのだから、いまや、珍しい風景といえるだろう。

しかも客に、地元の高校生らしい制服姿の男女が2人がいるのに遭遇した。ああ、いい青春。この景色もめったにないことで、当連載では初めてだ。

ってことで、あとは明日以降、ここに追記します。

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2017/03/26

東京新聞「大衆食堂ランチ」52回目、王子・山田屋。

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2月の第3金曜日17日は東京新聞の連載「大衆食堂ランチ」の掲載日だった。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017021702000188.html

大衆酒場ファンのあいだで人気の山田屋は、朝8時に開店し、13時から16時までの休憩をはさんで夜21時まで営業する、酒場でもあるが食堂でもあるのだ。この早朝営業や店の造りに、「昭和の東京は、いたるところ労働者の街だった」名残りをよく残している。

2014年12月19日の「大衆食堂ランチ」では新丸子の「三ちゃん食堂」を取り上げたが、そこでは「東京の四方に比較的大きな箱と豊富なメニューの人気店があるのは偶然か?」と書いている。「北は大宮の「いづみや」、東は町屋の「ときわ」、南は「丸大ホール」、そして西は、この食堂だ」というわけだ。

北は「いづみや」をあげているが、都内で見れば、この山田屋になる。

これらの食堂は、工場と労働者が多かった地域にあって、働く人びとの生活の物語を豊富なメニューと広い空間や早朝営業に蓄えてきた。

1980年代ぐらいからこちら、働く生活と食生活の関係は、必ずしも良好な関係とはいえない。労働者とその生活は、少しないがしろにされてきたといってよいだろう。

それは、2016/12/15「「大衆」は葬り去られなかった。日本経済新聞の記事を読む。」で指摘されているように「『大衆』は一度、葬りさられた」歴史と関係がある。

でも、「大衆」は葬り去られなかったのであり、山田屋などの存在はその証でもあるだろう。

それでは大衆の未来、これからはどうなるのだろうか。気になるところだが、それはともかく「銀だら」のことだ。

銀だらの煮付けは、かつての大衆食堂では定番といってよいほど、安くてうまい気楽なおかずだったが、いまではめったにお目にかからない高額品になった。

そのへんの事情は、ぼうずコンニャクさんの「市場魚貝類図鑑」にある。日本人の「近年の脂嗜好から、高騰」したとのこと。
http://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%82%AE%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A9

肉に限らず、嗜好が脂に傾斜しているのだ。まぐろのトロ人気も同じことだろう。はたして「脂嗜好」を「洋風化」といえるのか。近代日本食の流れを読まずに、「和風」「洋風」の観念に固執していては実態を見誤るだろう。

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