2018/04/23

画家のノート『四月と十月』38号、「理解フノー」連載20回目。

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もう下旬になってしまった、今月は4月なので、美術同人誌『四月と十月』38号が発行になっている。

表紙の作品は、松林誠さんが担当、「『四月と十月』全面を覆うカバーのようなイメージです」とのこと。デザインは毎度の内藤昇さんだ。

おれは同人ではないが「理解フノー」という連載を持っていて、今回は20回目で「「バブル」の頃③ 崩壊」を書いた。

「バブルの頃」は、最初の予告通り、3回で終わりだが、まだまだ書けそうだ。でも、これで最後にする。

昨年末、たまたま出先で見たテレビに、あのバブルを象徴する「戦後最大の経済事件」といわれるイトマン事件の立役者、許永中が出演していて驚いた。あの事件以来、初めてのマスコミ登場だとか、現在は韓国にいるとのこと。刑務所暮らしは7年ぐらいだったらしい。

イトマン事件の全貌はあきらかになっていないが、とにかく絵画を担保に巨額の金が動いた。そのことについても、今回はふれた。おれも当時は、某銀行を舞台にしたアヤシイ金の動きの末端にからんでいたので、もっと書けることがあるのだが、これぐらいでやめておいたほうがよいだろう。

書き出しは「最近会った四〇代後半の経営者が「銀行がね、金を借りてくれっていうんですよ、バブルの頃と同じですね」といった」ことから始まる。

「バブル景気は崩壊したが」「バブルは手を変え品を変え、どこかに出現する。膨らむ「夢」を語りながら」というのが〆だ。

この連載では、いつも写真を一枚つけなくてはならない。写真と文字でコラージュの真似事みたいなことをしてみた。千円札を手に持って宙に浮かして撮影、「夢~」の文字を組み合わせ、トリミングした。

ふわふわしたバブルな夢物語はどこへゆく。昨今のバブルは、どういう結末になるのか。繰り返されるループから抜け出す創造力はあるか。

今号から同人に、「家族」が加わった。

内沼文蒔・晋太郎・カンナ(息子・父・母)の家族の「共同制作」だ。2017年生まれの文蒔が絵を担当、晋太郎が文、カンナが制作補助を担当、「アトリエから」に作品が載っている。子供の成長と共に、どうなっていくか、楽しみだ。

新連載も2本スタート。岡崎武志さんの「彫刻」、1回目は「上野・西郷隆盛」。木村衣有子さんの「玩具」、1回目は「東京の郷土玩具・今戸焼」。

連載は、全部で14本になった。

『四月と十月』のサイトはこちら。
http://4-10.sub.jp/

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2018/03/26

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」65回目、新宿・石の家。

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今日は、前のエントリーでの予告をはずして、この件だ。

毎月第三金曜日の連載、今月は16日の掲載だった。

すでに東京新聞のWebサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018031602000190.html

いつごろから始まったのか、少し前に知ったのだが、同じ東京新聞のWebサイトでも、スマホ閲覧用に編集されているらしいものもある。こちらは、写真も大きいし店の外観も載っている。
http://news.line.me/issue/oa-tokyoshimbun/7be7f59846c6?utm_source=Twitter&utm_medium=share&utm_campaign=none&share_id=NPf21190802021

今回は、新宿の石の家だ。本文にも書いたが、ここは上京した1962年の秋に初めて入ったと記憶している。

餃子のうまい店があるということで、誰かについて行ったのだと思う。それまで、この近辺に一人で行ったことがなかった。

新宿駅南口の甲州街道を御苑の方へ向かって下った、そのあたりは、夜は近づく気がしないほど、不気味な大人の町という感じで、とにかく歌舞伎町よりこわい感じの一角だった。

当時の東京の木造家屋は、どこも煤煙で汚れたような色をしていたが、この一角は、とくに薄汚れ感があり、建物も粗末なバラックに近いものがひしめいていた。夜はネオンも少なく、薄暗く、アンダーグラウンド感が半端じゃなかった。

石の家は、あたりではマシな建物で、普通の二階屋だった。一階のカウンターは、いつも一杯で、連れだって行くと二階に上げられた。民家の和室の部屋割にテーブルが置いてあって、そのどれかの部屋で、他の客と一緒に食べる。というぐあいだったと記憶している。

ふりかえって気が付いたのだが、そのときから、やきそばを食べ続けなのだ。行くと、ほぼ確実に、やきそばを食べていた。こんなに同じ店で同じものを食べているなんてことはない。タンメンもうまくてよく食べた。2、3人で行くと、やきぞば、タンメン、餃子は定番だった。

いわゆる「柄のよくない男たち」が多い街であり店である、と見られていた。甲州街道をはさんで反対側に場外馬券売り場があって、そこの男たちが、街頭や店にたむろしていたからだ。当時は、競馬を犯罪の温床のように見る向きもあり、ま、ある種の見方からすれば、まるで根拠のないことではなかったが、偏見も強かった。

とにかく、ここのやきそばは、ときどき思い出しては、食べたくなる。

ほかの一品料理もうまいのだが、いつもやきそばが優先されてきたので、あまり種類を食べてない。

焼酎が以前からキンミヤだった。それがキンミヤであると知ったのは、比較的新しいことで、いつごろだったか、1990年代始めごろだろうか。それまでは銘柄など気にせずに、ようするに普通の焼酎と思って飲んでいた。いまだって普通の焼酎には違いないはずなのだが。新宿でキンミヤは、ここ以外は知らなかった。

店舗は、前の薄汚れた木造の建物から、今のビルになる前があったような気がするのだが、あるいは前の建物をリニューアルしていたのかも知れない。とにかく、今のビルになる前があったような気がするのだが、思い出せない。そのカウンターに座ると、店の人も競馬をやっているし、競馬好きの男たちの面白い話が聞けた。

昨年末、中原さんとここで飲んだ。中原さんとは、前にもここで飲んでいる。彼も若い頃から利用しているのだ。あれこれ料理をつまみ、やっぱりやきそばになった。

今回は3月早々に行ったのだが、店内が一新されていた。2月の末にリニューアルしたのだそうだ。

ビルの外観のような、真っ白の店内、テーブルトップまで白。石の家の象徴のような昭和なオヤジ猥雑感が完全に払拭され、いまどきのオシャレなカフェのような……。が、しかし、煙草プカプカのオヤジカラー前面の男たちであふれていた。

一時、70年代だったと思う。東口のお多幸の前に出店したことがあったが、いつのまにか無くなった。

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2018/03/05

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」64回目、東池袋・サン浜名。

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毎月第三金曜日に東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」、2月16日の掲載は東池袋の「サン浜名」だった。

すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018021602000178.html

ここは、わめぞ一味が企画運営する「鬼子母神通り みちくさ市」の打ち上げで、夜は何度か行っていた。

2017/11/22「鬼子母神通りみちくさ市、ノイズとカオスとDIY。」に書いた、ジョッキのチュウハイをかぶったのも、ここ。わめぞ一味と共に、楽しい思いでのあるところ。

貸し切りの飲み会で、飲み放題を思い切り飲めた、いつも大量の料理が出てきた。ここのおやじさんは、大量に作って出すのを楽しんでいるように見えたし、みんながその豪華山盛りに歓喜する姿を、楽しそうに見ていた。

だからランチはどんなアンバイなんだろうと気になっていたのだ。

いやはや、おどろいた、こんなランチは初めてだ。

単なる「デカ盛り」とはちがう。

ただでさえ山盛りのおかずに、「二の膳」がつくのだ。その「二の膳」がこっている。リンゴの小さな一切れがついている。なぜか、うどんとおにぎりまでついている。

この「二の膳」はいつもつくのかとおやじさんに問うと、昼だけのサービスです、と、「どうだ!」という感じなのだ。やっぱり、客にたくさん食わせ、客がよろこんだりおどろいたりする姿を見るのが楽しみにちがいないのだと思った。

おかみさんには、初めて会った。とても気さくで楽しい愉快な人だった。店主夫妻とも、まったく着飾ったところがない。店内も、そう。

客は、いかにも大食いそうな男ばかりが一杯で、おれから2人目ぐらいに入った人は、ごはんが売り切れで断られていた。

サン浜名は、地下鉄東池袋駅そばの高速道路の下にあるのだが、真ん前の東池袋四丁目地域は再開発で以前の姿は空襲にあったように消えてしまった。

かつて1980年代、サンシャインシティの横にはファミリーマートの関東本部があって、仕事でよく行ったし、のちに事務所が東池袋公園の近くにあったことから、東池袋四丁目のへんは好きで、よくウロウロした。

Ikebukuro_asahi大勝軒は、そのころから行列ができる店だった。2度ほど入っただけ。ツケメンは、いまでもそうだが、あまり食う気がしない。都電東池袋四丁目駅そばに、小さな魚屋があって同じ建物で小さな食堂をやっていた。そこは何度か利用した。それから、朝日食堂があって、再開発後も営業していたのだが、どうなったんだろう。サン浜名のほぼ真ん前、東池袋4丁目の方へ入っていく路地の角には、古いインベーダーゲーム付きのテーブルのままの古い喫茶店があって、そこでよく時間をつぶした。そのへんは、まったく景色が変わった。路地だったところまで、もう「路地」とはいえず「道路」だ。

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東池袋4丁目あたりは、もとは「日の出町」であり、あまり大きくない古い住宅が密集するところで、駄菓子屋などがある日の出町商店街(日の出商店街といったかもしれない)があって、夕方そのあたりを歩いていると、銭湯帰りの人が店の人と立ち話しをしている景色も見られた。

わりといろいろなことが思い出される地域なのだ。

以前このブログにアップした、2006年撮影と思われる、東池袋4丁目の商店街と朝日食堂の写真も載せておこう。

日の出町は、巣鴨刑務所などが建つ東京と池袋の「辺境」だったが、巣鴨刑務所はサンシャインシティとなり、東池袋となり再開発で池袋に飲みこまれたようだ。

サン浜名は高速道路の下にあったおかげか、再開発されることなく、池袋に飲みこまれることなく、そのまま残っている。

小沢信男さんは、東池袋に住んでいたことがあり、よくこの近辺のことを書いていた。

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小沢信男「池袋今昔物語」と白っぽい再開発

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池袋辺境徘徊のち西川口いづみや

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2018/02/04

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」63回目、東十条・みのや。

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毎月第三金曜日に東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」、1月19日の掲載は東十条の「みのや」だった。

すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018011902000172.html

みのやは「とんかつ」が看板の店で、ほかのフライ類やハムエッグ定食もあるが、一番人気は600円のロースとんかつ定食だろう。

本文にも書いたが、1962年に上京してしばらくは、とんかつは高いのでめったに食べられなかった。大衆食堂にもあったが、あのころはメニューの安い方しか見なかったのであり、そこにとんかつを見ることはなかった。

記憶では、まだ東京オリンピック前だったと思う、代々木にカウンターだけの比較的大きなとんかつ屋があって、楕円のステンレスの皿に型抜きのめしと千切りキャベツととんかつがのった「かつライス」が安い方だった。とんかつを食べたいときは途中下車をして食べたが、ふだん食べる定食の1.5倍はしたと思う。

とんかつが日常の普通の食事になっていくのは1960年代の後半からだったような気がする。飼料の開発が進み新しい養豚の方法が普及するのはそのころだから、生産の革新がもたらした結果だろう。

とにかく、とんかつはうまく、よく身体がそれを欲した。

目黒のとんきのとんかつを食べたときにはおどろいた。あんなに身の厚いとんかつは始めてだったからだ。それに歯ごたえがあまりなく、さくさくふわふわ食べられる。とんかつと別物という感じだった。

このみのやのロースとんかつは厚くなく、かといって紙のように薄くもなく、歯ごたえがある、おれが最もよく食べてきたとんかつだ。とんきまでわざわざ行く気はしないが、みのやへはときどき行きたくなる。

ここでとんかつを食べながら、代々木にあったとんかつ屋のカウンターの活気とあのころを思い出すのも「味覚」のうちだ。

とんかつといえば、なぜか、小津安二郎の『秋刀魚の味』の1シーンも思い出す。とんかつ屋の二階の座敷で佐田啓二が妹の恋人だったかな?と、とんかつを食べながらビールを飲むシーンだ。あれだけはよく覚えているのは、とんかつとビールが、うまそうなだけではなく、田舎者には手が届かない都会のハイカラな生活に見えたからかもしれない。

そういう高級でハイカラだったとんかつが日常のものになったからといって、とくに感慨はないが、とにかく、安いとんかつはうれしい。

比較するのはおかしいが、うなぎの蒲焼などは食べたくなることはないし、実際にもう10年ぐらいは食べてないけど、とんかつだけは日常からなくなって欲しくない。アメリカ産の豚でもけっこう。

それにしても、みのやの定食はめしも多いが、ついてくる豚汁が、どんぶりに盛られていて、これでめしを食える量だ。これに漬物がついた昔の豚汁定食の価値がある。その豚汁は、注文ごとに大鍋から人数分ずつ小鍋にわけ、刻んだキャベツやネギをたっぷり入れて煮る。

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2017/12/23

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」62回目は、浦和・いこい食堂。

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12月19日の掲載だった。すでに東京新聞の東京新聞のWEBサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017121502000197.html

今回は、地元のさいたま市浦和の食堂だ。さいたま市の食堂の登場は、大宮のいづみやだけだったから、2軒目ということになる。60回をこえる連載で2軒だから、地元を優遇していることにはならないだろう。

とにかく、ひさしぶりに、ジャンクヘビー級の登場といってよい。

大衆食は、「B級グルメ」などといわれ消費主義の娯楽や趣味の対象となってきたが、もとはといえば労働食であり生活食なのだ。その原点を、店のたたずまいからメニューにいたるまで、ブレることなく真っすぐに貫いている。

浦和駅と県庁を結ぶメインストリートの県庁に近い所にある。あたりは、目下再開発の真っ最中だ。この食堂は、その大きな力に寄り切られそうになりながらも、まだ寄り切られずにいるという感じだ。

メニューについては、本文にも書いたが、ボリュームで攻めている。客たちもボリュームを攻めている。それが、潔い。

食べたのは日替わりサービス、ヤキソバと半チャーハンにみそ汁で550円だ。

小賢しい食べ歩き趣味や娯楽の連中など、寄せ付けないような威力のチャーハン。こういうチャーハンは、初めて見たが、ゴロッとしたたまご焼きなどを、ざっくり混ぜ合せただけの、有無をいわせない力を持っていた。

考えてみれば、チャーハンとはね、とか、エラそうにしているのが、おかしいのだ。そういう風潮を笑い飛ばし蹴散らし、生活は突き進む。

20代30代の男たちが(意外に多かった)、もりもり食う姿に、未来の可能性を感じた。

こういう食堂については、ごたくを述べるほど、自分の浅はかさが浮かんでくるようで、嫌になるからこれぐらいにしておこう。

ジャンクヘビー級に打ちのめされながら、いつも感じることは、大事なのは「おれはおれでちゃんと生きているぜ」ってことであり、時流だの成功だのは小さなミミッチイことなのだ。

それにしても、このコシのある細い麺の焼そばは、チョイとクセになりそうだったな。

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2017/12/12

61回目、東京新聞「大衆食堂ランチ」は浅草・君塚食堂。

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告知が遅くなってしまった、先月11月の第3金曜日、17日に掲載になったものです。

すでにこちら東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017111702000182.html

何年前だったかな、上野・浅草は国と都によるグローバル・シティ戦略とかのゾーニング政策によって、国際観光都市「下町」という役割を担わされた。

浅草をみていると、そういう政策がまちにおよぼす影響の大きさをマザマザとみる思いがする。ようするに、なんだかんだいっても、まちの発展も衰退も、国や自治体の政策しだいなのだ、ということだね。

この連載では、これまで浅草の食堂を2店紹介している。観光客でにぎわう雷門近くの「ときわ食堂」、観光のメイン浅草寺の西側のブロックで、観光より生活のにおいがただようあたりにあって、浅草に住む人や勤める人や生活的浅草詣を続ける人たちが多い「水口食堂」だ。

今回は、水口食堂と同じブロックだが、「奥山おまいりまち」という参道にあって、しかも真ん前には、浅草が大衆芸能の中心地であった名残りをとどめる、大衆演劇の木馬館と浪曲定席の木馬亭が並んである。

この通りは、近年の浅草国際観光都市化計画にしたがって、ふるい建物は姿を消し大きなホテルが建ち、君塚食堂がある長屋の建物の外壁は「伝統風」なデザインで覆われた。

ここには君塚食堂のほかに前田食堂という古い食堂がある。どちらにしようか迷うところだが、前田食堂は比較的メディア露出が多い感じなので、君塚食堂にした。もともと、こちらを利用することが多かったということもあるのだが。

この通りも観光地化が進んでいるとはいえ、観光客の多い雷門から浅草寺境内のにぎわいに比べると、その1%に満たないのではないかと思われる。

少なくとも、浅草寺境内で目立つ貸衣装らしい和服姿の外国人カップルや団体旅行客、バブリーな観光ファッションは、まったく見かけない。

君塚食堂には、英語のメニューもあって観光客の姿もみかけるが、こういうところが好きな人たちというのは、万国共通の雰囲気があるような気がする。すっかり場にとけこんでいるのだ。

近所の馴染みの勤め人らしい中年男性が、おでんとおにぎりを頼んでいた。「国際観光都市」の伝統風を背負わされた食堂に、そんなテがあるのも、いい。

おれは、以前に、ときどき木馬亭の浪曲のあとに、ここでチキンライスを食べながらビールを飲んでいた。今回は浪曲のあとではないが、またもや、それにした。チキンライスはとくにうまいわけじゃない、普通だ。それがいいのだが、グローバル化の渦中で、普通のもつ力や可能性を考えたりするには、ここでチキンライスを食べるのもいい。

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2017/10/29

60回目、東京新聞「大衆食堂ランチ」は葛西・御食事処 関甚。

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今月20日は第三金曜日で、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」の掲載日だった。

今回は60回目だ。地味に5年がすぎた。5年前、おれはまだ60歳代だったのだな。

葛西の[関甚]を訪ねた。すでに東京新聞のサイトにも掲載になっている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017102002000219.html

そこに書いたように、葛西は千葉県境の「国境の町」だ。この連載では、すでに千葉県境の常磐線金町のときわ食堂と総武線小岩の三平を訪ねている。

葛西は、おなじ「国境の町」でも、金町や小岩と情緒がちがう。金町や小岩のような猥雑感がない。だだっ広いせいかもしれない。1969年に葛西駅ができ、町が新しく計画的に造られたからかもしれない。

しかし、都心のようにチマチマセカセカした感じがないところは、金町と小岩に共通している。そして、やはり、金町や小岩のように、労働者の呼吸を感じるいい食堂がある。

チマチマしてないといえば、関甚の暖簾と「めし」の看板、なかなかのものだ。

関甚がある道沿いに、もう一軒「大六天」という食堂がある。今風マンションの一階だが、その今風を蹴散らしそうなほどのファサードの力強いi面構えが、なかなかのものだ。

まずは、「大衆食堂」の暖簾が潔く力強い、関甚に入った。

外の手書きサインボードの「キンピラゴボー」という書き方も、チマチマしてなくてイイゼ、だった。

本日の日替わり定食にあった「生サンマのさっぱり煮」というのが、どんなものか想像つかないので頼んでみた。

おばさんが運んできたとき、撮影してよいかときくと、「よい」の返事のあとに、食べにくるたびに写真を撮って家族に送る外国の人がいるんですよ、と言った。撮って、すぐメールで送るらしい、いまこんなものを食べていると。

大衆食堂で働く外国人労働者も増えているが、外国人労働者の客も増えている。大衆食堂の気安さは、外国人労働者にとってもうれしいにちがいない。

今日のチョットした安息の食事があれば、明日も生きられる、希望もつながる。もっとそのことを大切にしたいものだと、「うまいもの話」や「いいもの話」があふれる近ごろ、よく思う。万事、どうでもよいことにうるさく、大切なことには関心をしめさない。

食べていると、いかにもガテン系の仕事をしているらしい体格のいい若い男が2人、馴染み客のようだったが、どちらも2人前ぐらい頼んでいた。ほれぼれする食欲。

「うまいもの話」でも「いいもの話」でもない、この連載、いつまで続くかわからないが、そのうち[大六天]にも行きたい。

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2017/10/04

東京新聞「大衆食堂ランチ」59回目、横浜・埼玉屋食堂(カレーライス)。

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毎月第三金曜日連載、東京新聞の『エンテツさんの大衆食堂ランチ』の先月分は9月15日の掲載だった。すでに東京新聞のWebサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017091502000161.html

本文は、この連載のなかでも最も食べ物から離れた内容といえるかも知れない。あるいは、大衆食堂というものを、単純明快に示しているともいえる。

編集さんがつけたタイトルは『安い・うまい・早い』で、やはり、このコラムの性格からすると食べ物でなくてはならないし、それが当然だろう。たいがいの読者は、食堂の紹介というと、食べ物はどうか、という関心の持ち方をする。

それはまあ、食べ物がマズければどうしようもないだろうが、長年土地に根をはった食堂がまずかろうはずはない。ということが一般論としていえる。

そこをさらに「うまさ」の細かな違いなどをチェックするということが、ないわけではないが、それが店の特徴になるとはかぎらない。また、細かくチェックしながら食べ歩き較べる対象にするのは、大衆食堂に対して筋違いという感じもある。

とにかく、店の持つ「物語性」が大きな特徴になることがある、今回はそこを、いままでになくクローズアップした。

店の場所が、三大寄せ場の一つといわれる寿町の近くであること、そういう立地ならではだろう、店内には日本全国ブロックごとの地図が貼ってあり、『久しぶりに故郷に帰ってみたくなりましたか?故郷に印をつけてみよう~』と、フェルトペンがさがっていることなど。大衆食堂のひとつの原風景を見るおもいがした。

本文に書いたように、おれはその写真を撮ってきたので、新聞には載せられなかったが、ここに載せておこう。

それから、横浜にありながら店名に「埼玉」がついている。これは出身地を店名にする、大衆食堂の一つの傾向だったといえるが、店内の地図と合わせて、「地縁」と「ふるさと感」な店だともいえる。そういう意味では、大衆食堂は「保守」なのだ。

そして、お店の方は、あかるくほがらかで、遠く故郷を離れて暮らしている人たちに「ふるさと」のプラスイメージを感じさせてくれるに違いないとおもわれた。

「埼玉屋」や「埼玉家」がつく店は、けっこうある。たいがい飲食関係だ。ション横、東十条、浅草橋の酒場がすぐ思いうかぶ。

山谷には埼玉屋という食堂があった。山谷の埼玉屋は木賃宿の埼玉屋の一角で営業していたのだが、このあたりで最も高いクラスの食堂だった。たしか2000円ぐらいの定食があった。1990年頃だけど。

山谷のドヤ暮らしの職人は、職種によって日当がだいぶ違った。それぞれの収入に応じて食べるものが違うという社会は、山谷にもあてはまるのだ。山谷で2000円の定食が最高クラスだとしたら、いろは商店街の店でトレーに盛っためしに魚の煮たのか焼いたのを一切れのっけてもらった食事で200円から300円だった。

山谷は、すっかり様変わりして、埼玉屋は立派なビルのビジネスホテルになり、いろは商店街にあふれていた職人はわずかになった。

ところで、埼玉屋食堂でカレーライスを頼んだのは、たまたまカレーライスがらみの論考原稿を仕上げたばかりだったからだ。「スパイスカレー」がリードするカレーライスがブームで、この流れはなかなか興味深いのだが、『近頃はカレーがブームだが、話題になるのは1000円以上するスパイシーなカレーばかり』であるからして、昔から大衆食堂の定番だったカレーライスを忘れるんじゃねえよ、カレーライスは大衆食堂から広がったといえるぐらいなんだよ、というココロなのだ。

じつは、埼玉屋食堂は、メニューが豊富で、どれも安くてうまい。いろいろ食べて飲んで、勘定のとき告げられた金額が、想定外に安くて聞き直したほどだった。

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2017/10/03

『画家のノート 四月と十月』37号と「理解フノー」。

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美術同人誌『四月と十月』37号(2017年10月号)が届いた。おれの連載「理解フノー」は、19回目で、お題は「バブルの頃② 見栄」だ。

「バブルの頃」は、前回の「錯覚」に続いて2回目、次回「崩壊」まで3回連続の予定で書いている。

「今回はバブルの頃の上っ面を、流行現象を中心にふりかえってみたい」として、手元にある3冊の本を取り上げた。

「いずれも当時よく売れた本だ。『見栄講座 ミーハーのための戦略と展開』は、小学館から一九八三年十一月発行、ホイチョイプロダクション作品で馬場康男=作・松田充信=絵。『金魂巻(きんこんかん)』は、主婦の友社から一九八四年七月の発行。渡辺和博とタラコプロダクションの作品で、「現代人気職業三十一の金持ビンボー人の表層と力と構造」というものだ。この本から「まる金」「まるビ」という言い方がはやった。もう一冊は、バブルの最中に「オヤジギャル」などの流行語を生んだ中尊寺ゆつこによるコミック『お嬢だん』で、双葉社から一九八九年七月の発行。『お嬢だん』以外は、「バブル景気」以前の発行だが、まるでバブル期の流行現象を見とおしていたかのような内容だ」

引用が長くなって、あまり解説風のものが書けなかったが、じつは、読めば、1980年前後から、日本人の間とくに「中」から上のクラス(あるいは「上昇志向」のクラス)に広く共有されていった、「語りの形式」と「言葉」が見えてくるのだ。

バブルの頃は、調子にのると人(日本人}はこうなる、という事例集のようなものだったが、そこにある語りの形式と言葉は、バブル前からあったのであり、バブル崩壊後も続いている。

そして、「失われた20年」なんてことがいわれているが、いつだって、いい調子の有頂天の人たちはいる。「みんな一緒によくなったり悪くなったりしようね」という構造は70年代で終わっているわけで、そこには、80年代から共通する語りと言葉が見られる。

おれが、その「語りの形式と言葉」に興味が湧いたのは、ツイッターやフェイスブックのおかげだった。ツイッターとフェイスブックでは、そのあらわれかたが異なるが、語りの形式と言葉が「共有」される構造は同じようだ。と気がついた。もちろん、そういうことに気づくヒントをあたえてくれた人がいる。

ってことで、タイトルは「見栄」にしたが、日本人の「見栄」にはいろいろなことが含まれている。本文の引用にも「ハク」という言葉が出てくる。ハクをつけるの「ハク」だ。見栄やハクの背後には、自己愛とはちがう「自分愛」がある。

3人寄れば、誰がイチバン偉いかを気にする。調子にのればのるほど、それが気になる。こういう傾向は、けっこうマンエンしている。そして、いらざる「質」の「向上」にこだわり、クリエイティブな仕事が上げ底のように持ち上げられ、ルーティンの仕事や労働者は見下され、石を投げれば大学院卒にあたるといわれるほど高学歴化した。

「見栄」は、80年代以後の「高度」消費社会をつくり上げてきたエネルギーなのだ。

それはそうと、今号の表紙は、作村裕介さん。画家であり左官である彼が描いた鏝絵、ではなく、仕事で履き潰した靴下の、力強い絵だ。

作村さんは、「表紙の作品について」に、こう書いている。

鏝で描こうと「いざ鏝を握り壁に向き合っても何も出てこない。僕は左官の技巧的なものよりも、肉体労働に魅了されているんだ」「身体が擦り切れる様な肉体労働が「生きてる」感じがする」

かっこいい。こういう語りと言葉が載る『四月と十月』も、かっこいい。

新連載が、一気に4つ。佐々木秀夫さんの「美術と復興」、佐野由佳さんの「建築家」、ハルカナカムラさんの「お風呂」、加賀谷真二さんの「野球」。

同人のみなさんの「アトリエから」はもちろん、ますます充実で、読みごたえがある。

四月と十月の詳細はこちら。
http://4-10.sub.jp/

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2017/09/13

東京新聞「大衆食堂ランチ」58回目、明大前・相州屋(かつ煮定食)。

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先月第三金曜日に掲載のものだ。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017081802000196.html

そこにも書いたが、明大前はなかなか行く機会がない。上京してしばらくは、京王線のつつじヶ丘と代田橋に住んでいたので、毎日、この駅を通過していたのだが、井の頭線の乗り換え以外では降りたことがない。

改札の外へ出たのは、たぶん3回目ぐらいだろう。井の頭線が小田急線と交差する下北沢と比べると、かなり地味な存在だ。そのナゼ?ということが、今回もっとも気になったことだった。地理的構造が関係あるのだろうか。

そのかわり、北口の駅舎と前の小さな駅前広場は、むかしの京王線沿線の郊外駅の雰囲気をよく残している。ノスタルジックな気分がわいたので、その写真を撮ってこようと思ったが、食堂へ行くのを先にしたら、帰りは雨になってしまったので、撮りそこねた。

下北沢のような「若者の街」とはちがうが、若者の多い街だ。でも、チャライかんじはない。もしかして明治大学の「校風」の関係もあるのだろうか。

下北沢や渋谷の若者のイメージで「若者文化」をみてはいかんなとおもったが、しかし、彼らもシモキタやシブヤの街へ行けば、それなりにシモキタやシブヤの若者なのかもしれない。街が人間を印象付けるということもあるだろう。とくに消費的な「シティな街」においては、その雰囲気にのまれるか雰囲気にあわせて、人間の中の何かが表出しやすいのではないか。ま、「流行に敏感な人」とおだてられたりして、その気になることもある。そのばあい「素顔」はどこにあるのだろう。

相州屋がある商店街は、そういう「シティな街」ではない。「昔ながら」のようであるが、どんどん新しい店が進出している。

相州屋、店内の造作は、目立たぬところでデザインされしっかりしている。天井から壁板にかけてだが、ただの素っ気ないハコではない。このナゼ?も気になった。

かつ煮定食については、本紙に書いたとおりだが、これをメニューに見るとおもわず頼んでしまう。この連載では、たしかこれで3回目ではないかとおもう。

1971年ごろ初めて「わかれ」を食べたときの記憶が、けっこう強く残っているのだ。あのとき、お店のおばんさんに、「なぜ、わかれ、なのか」とたずねたとき、「白いごはんが好きで、カツ丼ではいやだという人もいますからね」というような返事があって、そのことがショックで尾を引いているようだ。

『汁かけめし快食學』に書いたことも、このショックのおかげかもしれない。つまり、日本のめしの賞味の仕方として、「複合融合型」と「単品単一型」があるということだ。

かつ煮定食においては、その両方をたのしめる。つまり、「単品単一型」で少しか半分かたべたのち、残っているものをそっくり丼めしにかければ「複合融合型」もたのしめるのだな。

ひとつ心残りのことがあった。おれが食べているあいだに、若い客が数人入っては食べて出て行ったのだが、一人をのぞいて今月の「サービスメニュー」とある670円の「オム・ハヤシ」を食べていた。

これが、盛りがよいのはもちろんだが、ハヤシととろとろのオムレツが、一つの皿のライスの山の両側に盛り分けられていて、見た目もすごくうまそうだったし、食べている人はみなうまそうに食べていた。

これ、拙速に「かつ煮定食」を注文してから、壁に貼ってあるメニューを見つけたのだった。

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