2018/11/24

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」74回目、佃・亀印食堂。

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今月16日の朝刊に掲載の74回目は、佃の食堂だ。例によって、すでに東京新聞のサイトに載っている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018111602000185.html

かつての佃島は、江戸開府の頃からどんどん変わってきたようだが、近年の「世界有数のビックプロジェクト」とかいう、もしかすると天下の愚策かもしれない、俗称「ウォーターフロント開発」は、その姿を決定的に変えた。

Dscn9917広かった空を圧迫しながら、高層建築物がニョキニョキ突っ立ち怪物のように押し寄せてくる中に、亀印食堂とその一角は、ここにかつてどんな暮らしがあったかを伝えている。といっても、肩ひじ張ることなく、何気なくゆったり静かに佇んでいるのだ。

おれは1971年秋に転職してから、この界隈によく行くようになった。このあたり、つまり佃島や月島のあたりには、大きな倉庫と工場があって、クライアントの冷凍冷蔵倉庫や冷凍工場などもあったからだ。この地域は倉庫と工場以外は、「屋敷」のようなものはあまりなく、たいがいが木造の小さな家か長屋だった。

といった話は、おいといて。

近年になってからも、なんだかんだ行く機会があったが、行くたびにたいがいここでヤキソバやオムライスなどをつまみに飲んでいた。飲むばかりで、マジメに食べたことはなかった。昔の木造のゆったりした造りの店内は渋く、ほんと、落ち着くのだ。

今回は、看板のうどん、それも最高額の鍋焼うどん800円を食べた。見た目から、まったく気取ってない、普通の鍋焼うどん。冷たい風が吹いている日で、あったかいのが、すごいうまく感じた。

ここから住吉神社は近い。5分も歩かない。江戸の名残の堀が残る住吉神社の裏にも、ニョキニョキの怪物が迫っていた。

鳥居のほうにまわり、隅田川の岸に立って、かつて佃の渡しがあったところを眺めたが、もちろん、そこがそうだったという説明書きなりを見なくては、ただのコンクリートの岸壁だ。

佃大橋が完成したのは1964年の東京オリンピックの直前で、それまであった佃の渡しはなくなった。

おれが上京したのは、1962年だから、まだ渡しがあったのだが、乗ってみようかという気になったことはない。その頃は、永代橋を通る都電を利用して月島のほうへ行くことがあった。そんなときは、当時は隅田川のニオイがひどくて、クサイのやキタナイのはそれほどキライじゃないおれでも、とても渡し船に乗ってみようという気にはならなかったのだ。

とにかく、亀印食堂へ行ったら、あたりを散歩する。いや、あたりを歩いてから亀印食堂へ行くのか。どっちでもいい。

四方田犬彦の『月島物語』を読んでは、月島や佃が「労働者の町」だった頃を思い出したり。そうそう、『月島物語』によれば、吉本隆明の育った家は、亀印食堂のすぐ近くだったようだ。どうでもよいことだから、よく調べたことはない。

亀印食堂が、なんで「うどん食堂」なのか、いつも気にながら、いつも聞くのを忘れてしまう。今回も、聞き忘れてしまった。

そんなことより、いつも店の前の鉢植えが何気なくよくて、ひかれる。看板も暖簾も鉢植えも一体になって、何気なくいいのだ。この「何気なく」がいいのだな。ここでの食事も何気なくいい。

何気なく生き、何気なく仕事をし、何気なく歩き、何気なく飲み何気なく食べる。いいじゃないか。

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2018/11/17

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」73回目、両国・下総屋食堂。

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これは先月19日の朝刊に掲載のものだ。きのうの本紙朝刊で今月の分が掲載されたから、一カ月遅れということになる。こういうときは、「のんびり行こうゼ」と、いってみる。もちろん、すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018101902000208.html

めったにないことだが、上の配膳の写真、どれぐらいの人が気がついたか。ダンチューなどには、こういう写真が載ることは、ゼッタイにない。

かれい煮は、一般的には、皮の色が黒っぽい茶の「背」を上に出して盛り付けられることが多いはずだ。魚屋などに生で並んでいるときも、そうだ。ところが、これは、白い「腹」を出して盛られていたのだ。

こういうことは初めてじゃないが、メディアに載せる写真として撮るのは、初めてだった。いったん、箸でひっくりかえそうかと思った。ま、「正しい」フォトグラファーやライターや編集者だったら、そうするだろう。

が、やめた。だいたい、なんでこんなことに気が付いたのだ、おれは業界標準の「正しい」ライターになったのか、掲載用の写真を撮るのでなかったら、気にしないでただちに食べ始めるところではないか。

ってことで、そうしたのだ。食べるにも、ひっくり返さず、この向きのまま突っついた。

そのままのリアリティとやらにこだわったわけじゃない。かりに「正統」があるとしても、これも「あり」なのだ、それでいいじゃないか。それに、おれは、正しいみなさんが、とかく「雑」とか「いいかげん」とか見下していることが、けっこう好きなのだ。

しかし、掲載になってみると、やはり、気になった。この写真を見て、なんだ、かれいの盛り付けも知らない食堂か、ライターも編集者も気がつかなかったのか、なーんて人がいないともかぎらない。親切なクレーマーは、新聞社に投稿するかもしれない。ゼッタイ自分は正しいと思い、それを疑わない人は、けっこういる。自分の「正しい」とちがうことに遭遇したとき、まずは自分を疑う、ということはしない。

賢明な読者ばかりだったのか、それともそんなことは、やっぽり普通は気にしないのか、ナニゴトもなかった。

かりに、背を上に盛るのが圧倒的多数だとしても、それは様式のことだ。その、どうしてかできあがった「あるべき様式」からはずれているにすぎないからといって、ただちにマチガイでワルイということにしてはいけないのだ。

たいがいの料理写真は、それぞれの「あるべき姿」をめざして撮影されている。それは、イチオウ「うまそう」でなければならないが、見なれたものが「うまそう」になる確率がヒジョーに高いのではないか。それに「あるべき姿」なんて、普遍的なものじゃない。信じるほうがおかしい。

などなど、このかれい煮の盛り方ひとつから、ああでもないこうでもない、いろいろなことが考えられるのだが、さらに、この写真のかぼちゃ煮も、盛りつけ写真としては、なかなかお目にかかることがないだろう。

が、しかし、このかれい煮もかぼちゃ煮もうまいのだ。おれは、すくなくとも感心しながら、食べた。

おれは、過去に口にした味覚をちゃんと覚えているほうではないが、下総屋食堂の「ごはん」が、とにかくうまい。その味覚と、おかずの味つけが、すごくあっている。と、このとき、あらためて思った。ハーモニーってのかな、トーンってのかな、あるいは波長、そういうものがありますね、それがうまくあっている。音楽みたいだねえ。だから、もしかすると、この「ごはん」あっての、このおかずなのかもしれない。

それに、その味覚は、建物やおかずの見た目ほどは、古い感じがしない。

個人経営の大衆食堂では、こういうことがときどきあって、チェーン店や、調理学校やお店でいわゆる「修業」した人が作るものにはない不思議だな。「修業」などで、あるていど整った方法(様式)の何かを得れば、何かを失うという関係がありうるのだ。

下総屋食堂は、戦前の建物のまま営業している。この連載で、戦前の建物で営業している食堂は2店目だ。1店目は、池袋のなみき食堂だ。

下総屋がある両国は、激しい空襲にあったところだから、「戦災をくぐり抜けた奇跡の大衆食堂」といわれたりするが、オーバーではない。

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2018/10/15

画家のノート『四月と十月』39号、「理解フノー」連載21回目。

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今月は10月だから、美術同人誌『四月と十月』39号が発行になった。同人ではないおれの連載「理解フノー」は21回目で、「言葉を使う」のタイトル。

呼吸をするように言葉を使っているけど、それだけに、馴れきってしまい、使う言葉については考えることがあっても、言葉を使うってどういうことかについては考えない。けっこう惰性なのだな。ってことにブチあたることがあって、「本当に言葉を使って考えているのか」と考えてしまった。ってことを書いた。

今号から連載陣に中原蒼二さんが加わった。「料理」というテーマで、今回は「包丁論 一」だ。中原さんは料理人ではないが、包丁を使って魚をおろしたりするのは得意だ。見たこともある。立ち飲みの「ヒグラシ文庫」の店主であり、最近、『わが日常茶飯 立ち飲み屋「ヒグラシ文庫」店主の馳走帳』(星羊社)を著している。

連載は、全部で15本になった。蝦名則さんの「美術の本」は見開きだが、ほかは一人1ページだから、本文60ぺーじのうち、16ページを占める。同人のみなさんの作品(必ずしも完成品ということではなく)と文が、一人一見開きずつ載る「アトリエから」というページは、今回は20人だから40ページ。

毎回のことだが、同人のみなさんの文章が、よいのだなあ。うまいっ。感心しちゃうのだ。

それにひきかえ、ライター稼業のおれは…とは考えないのだが、自分の文章にはライター稼業の悪癖が出てきたなと気づくことはある。

前号から連載陣に、ライター稼業の、岡崎武志さんが「彫刻」のテーマで、木村衣有子さんが「玩具」のテーマで加わった。

それでチョイと気が付いたことがあったのだが、今回で、少し見えてきた気がする。

同人のみなさんの文章には、既視感のようなものや類型がない。ライター稼業をしていると、どうも既視感のようなものや類型が出やすくなるのではないか。という仮説。

でも、中原さんの文章にも類型が見られるし、「東京風景」を連載の鈴木伸子さんはライター稼業の人だけど既視感のようなものも類型も見られない。

これはオモシロイな、と思った。

おれなんか出版業界と業界的な付き合いはしてないほうだが、知らず知らずに、クセのようなものがつく。いや、知らず知らずだから、「クセ」というのか。それを「悪癖」と見るかどうかは、文化的な価値観も関わるから、それぞれのことであり、なんともいえない。

とにかく、これまでおれは「私」で書いてきたが、今回から「おれ」にした。今回は一か所でしか使ってない。ほかのひとにとってはどうでもよいことだろうし、たぶんほとんどのひとは気づかないにちがいない。

最近、同人も連載陣も新しい方が加わり、『四月と十月』、どこへ行くのだろう。ひょっこりひょうたん島か。

そうそう、今回の同人の方の文の中に、おれにとっては貴重なオコトバがあった。

瓜生美雪さんの文は、「気持ちをうすく閉じ込める」のタイトルで、これにも気持がひっかかったが、後半「コラージュは楽しい」という話をして、最後にこう書いている。

「大事なことは、仕上げる時に、自分が普段出せない奥のほうの感情が入っていればそれでいい」

下の写真は、瓜生さんのページ。

表紙作品は、同人の扉野良人さん。

四月と十月のサイトはこちら。
http://4-10.sub.jp/

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2018/09/29

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」72回目、小岩・サンゴ亭。

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ここに掲載するのが新聞発行日から一か月遅れぐらいになる状態が続いていたが、今月は、まだ月内だ。もちろん、すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018092102000196.html

日替り定食のさば焼きを食べた。いつも焼魚や煮魚を食べたあとは、そのうまさの不思議を考えることになるのだが、このときもまたそうであった。とにかく、うまい。

という話は長くなるから、おいておこう。

やっぱり小岩はいい町だ。こじんまりとした食堂が、入口をからりと開けはなった姿は、見るだけで、なんだか気分がよくなる。それに、こじんまりとした小上がりがあるのだ。これがまた、いい。

今回は、ちょうど、スペクテイター42号「新しい食堂」を見たあとに行った。「新しい食堂」には、「食堂幸福論」というページがあって、三つの話が物干竿之介さんの画入りで載っている。その一つが「小上がり」のタイトルなのだ。

これは、春日武彦の『幸福論 精神科医の見た心のバランス』(講談社現代新書)に所収の「さまざまな幸福 宮崎市の大衆食堂」をもとにしている。

おれはこの本も話も知らなかったのだが、編集の赤田祐一さんが、そこのところを画像ファイルにして送ってくれた。読んだら、しみじみ味わい深い「幸福」の情景だった。簡単には言いたくないが、ほんと、名文だなあと、しばしぼんやりした。名文て、文章表現のテクニックのことだけじゃなく、そこにある視線や思考も大事だね。

この本で著者が、「世間一般では「これこそ幸福の見本である」とはみなさないだろうけれど、わたしとしてはそこにまぎれもなく幸福の尻尾というか断片を感じ取ったケースを、以下に1ダースばかり列挙してみることにしたい」とあげた一つに、宮崎市の大衆食堂でのことがあるのだ。

講演で宮崎市へ行き、一人でひっそりホテルに泊り、夜になって散歩がてら食事に出かけたときのことだ。

中心街から外れた場所らしい暗くて閑散とした街並のなかに、「一軒の大衆食堂がぽつんと明かりを灯していた」のを見つけ入った。

「野菜炒め定食を注文してからふと見ると、壁際に不思議なコーナーがあった」

そのコーナーというのが、木箱のうえに畳一枚を置いて小上がりに仕立てたものだった。座布団と卓袱台が置いてあり、「すなわち昔ながらの茶の間を切り取った光景が、まるで舞台装置のようにして床から七〇センチの高さに再現されていたのである」

そこにすでに先客が一人いて、新聞を広げビールを飲みながら餃子の皿を前にしていた。「完全に茶の間のミニチュア版なのである」

その客が帰ったあとだ。「するとテーブル席にいた別のおじさんが人の好さそうな顔つきで、「じゃあ、今度はわたしがくつろがせてもらいますかね」と言いながら、ビール瓶を片手にひょいと畳へ揚がり込んだ。そのあたりの呼吸が、あまりにも自然かつ楽しそうなので、わたしは思わず幸福な気分に浸されたのである」

こういうかんじの気分、おなじ場面ではなくても、あるねえ。このあとの春日武彦のまとめ方も、大衆食堂あるあるで、ほんといいんだなあ。そこは、省略。

サンゴ亭の小上がりは、木箱の上ではないが、寸法は変則的の四人は座るのが難しそうな座卓が二台あるだけの、ささやかな空間だ。その空間をテーブル席ではなく、小上がりにしているところが、いいじゃないか。

そこにはちょうど、一人の客がいて、注文の品が出てくるまで、新聞を広げテレビを見ながらくつろぐ景色があった。

それは、貧しい景色と見る人もいるかも知れないが、おれは、生活することを肯定したくなる、春日武彦の文を借りれば、「何だか、「世の中、捨てたもんでもないな」といった気分になってくる」のだった。

ま、大衆食堂では、こういう気分になるのはめずらしくないが、今回は、「食堂幸福論」の「小上がり」を見たあとでもあり、小上がりの幸福論的に書いてみた。お膳のすみにちょこんとある、ささやかな小鉢まで、小上がりのように幸せ気分を運ぶのだった。

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2018/09/24

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」71回目、十条・三忠食堂。

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はあ、もう9月も下旬。またまた遅れてしまった。ボケているからねえ。8月17日の朝刊に載ったものを紹介する。いつものように、すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018081702000209.html

この連載が始まったのは、2012年の10月からで、毎月第三金曜日の掲載。つまり、今月は、先週の21日に掲載になっているのだが、これで6年が過ぎたというわけだ。

連載が始まったとき、おれはまだ60歳代だった。今月の誕生日で75歳で「後期高齢者」入り。「後期高齢者」って、生産性のない「邪魔者マーク」みたいだ。ボケるのも仕方ないが、忘れるのは確かにラクだ、忘れることは「悪」じゃない。ゴメンね。しかし、以前のようには食べられなくなったのは、情けねえ~。

と、いきなり愚痴はやめよう。

2012年の1回目は、十条の天将だった。十条の食堂は、それ以来だ。三忠食堂と天将は、2分も離れていないだろう。天将は中休みがあるが、こちらはない。だから池袋あたりで14時過ぎに時間が空くと、こちらに立ち寄る。先週も1度行ったばかり。

夜は入ったことはないが、その時間、いつも必ず飲んでいる客がいる。グループや一人で。

入口は、間口は広いとはいえないし、入りにくい佇まいといえるだろう。ところが、なかは、明るく広く、ゆったりしている。

メニューのブルー系の文字がめずらしい。連日の猛暑で、ぐったりしていたが、なんとなく爽やか~。冷たい刺身がいいかなと思い、まぐろ刺身定食を選んだ。ここは、あじフライも、なかなかよい。いつもあじフライとマカロニサラダでビールやサワーを飲むから、チョイと目先を変えてみたということもある。

最近、このブログでは、「新しい食堂」のことが多いが、こちらは「旧い食堂」ということになるか。「旧いが新しい」という言い方もある。

「旧い食堂」は、80年代前半あたりをピークに減り続けている。ごく最近の統計はわからないが、しばらくは減っているのは小規模零細経営の店だった。食堂全体の定員数は、ほとんど変わっていない。大規模チェーン店化が進行していたのだ。

とかく、大衆食堂はファミリーレストランやファストフード店の影響で減ったような見方がある。でも、競合ということでは、最も影響が大きかったのは80年代中頃から強大な市場になっていくコンビニの弁当やおにぎり、そしてファストフード店、ファミレスの影響は立地や客層のちがいもあり、あまり大きくなかったというのがおれの実感だ。

別の角度からでは、後継者問題。後継者がいなくて消えていった食堂も多い。これは食堂だけではなく、個人商店など中小零細の生業店に共通することで、産業政策や地域政策の影響が大きい。それにからんで、再開発での、立ち退きや廃業はけっこうあった。

それから、カルチャーの問題がある。とにかく、自分たちの普通の日常を大切にするカルチャー、それぞれの普通の生活を肯定するところからスタートするカルチャーが、ヨワイことがあげられる。それがひいては普通の日常を支える普通の仕事を低くみる傾向に連動している。これは職業の優劣観とも関係しているようだ。

優秀モデルだけを追いかける、普通はイケナイという強迫観念のカルチャーの存在。

なかなか根深い問題なのだが、ところが、このカルチャーは、ここのところ変化が見られる。「新しい食堂」は、その一つのあらわれといえるだろ。

「旧い食堂」と「新しい食堂」の大きなちがいは、店主の「自由」に対する志向だ。「新しい食堂」の店主たちは、自由を大切にする意識が強い。それは料理文化にまで影響を与えている。

だからといって「旧い食堂」の料理が陳腐化して消えていくわけではない、ようするに、「近代日本食のスタンダードとは何か」が、豊かになっていくのだ。

などと、三忠食堂で、生ビールなんぞを飲みながら思考するのだった。

この連載、来月から7年目に突入なのだが、続くのか? 大衆食堂はまだまだたくさんあるが、おれが続くのか?ってこと。

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2018/08/13

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」69回目、森下町・はやふね食堂。

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先月20日に掲載の「はやふね食堂」、すでに東京新聞のサイトでご覧にいただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018072002000197.html

ここは4月6日に発売の『dancyu』5月号の「美味下町」という特集でも取材して書いた。

詳しくはこちらを見ていただきたいのだが→2018/04/13「『dancyu』5月号「美味下町」ではやふね食堂を取材した。」にも書いたように、森下町より「深川」のほうが通りがよいだろうし、深川は大正から昭和の初期には、都内で最も「飯屋」や「食堂」が集まるところになっていた。

というのも深川は江戸の物語を宿す町だけど、近代化の流入する労働者でふくらんだ町なのだ。町工場も多く、1945年3月10日の東京大空襲の最初の爆弾は深川に落とされ、激しい爆撃を受け焼け野原になった。

はやふね食堂のご主人は、1944(昭和19)年生まれで、おれより1歳若いのだが、家族で疎開をしていて無事だった。そして、焼け跡にもどった一家の、ご主人のおかあさんが焼き芋やかき氷を売ることから始めた。ご主人は、目の前の深川小学校を卒業し、成人すると食堂を手伝うようになり跡を継いだ。

というわけで、東京新聞でのはやふね食堂の掲載は、「終戦」と「戦後」をからめて載せたいと思い、このように書き出した。

「 深川小学校の校門のすぐ前にある。かつては深川区だった。1945年3月10日の東京大空襲では最初の爆弾が深川に落とされ、一帯は焼け野原になった。47年、深川区は城東区と合併し江東区になった。焼け跡からの復興、はやふね食堂は焼き芋やかき氷を売ることから始まった。戦前から労働者が多い町だったが、戦後も木賃宿街が形成され、労働者のための食堂が並んだ。その中で今でも続いている一軒だ。」

当時はサツマイモが主食がわりにもなっていた時代であり、この連載で以前に掲載し、去る6月6日発売の『dancyu』7月号の「本気の昼めし」特集でも取材して書いた「動坂食堂」も、焼き芋を売ることから始まっている。

はやふね食堂も動坂食堂も、焼き芋から惣菜も売るようになり、食堂になったのだ。つまり家庭の手料理から始まった。

はやふね食堂は、そのままを続け、この土地のありふれたおかずでめしを食べる、メニューには定食も丼物もない。この、おかずもみそ汁もうまいんだな。

「漬物は40年の糠(ぬか)床が醸す味。その歳月以上に使い込んだアルマイトのおぼんまで、味わい深い」と書いたが、アルマイトのおぼんは、40数年前におかみさんが嫁に来た時には、すでにあったそうだ。そのアルマイトのおぼんと40年の糠味噌が入った樽が重なった写真を撮ってあったので、ここに載せておく。dancyuなどでは、けっして見られない。

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2018/07/24

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」68回目、高円寺・天平。

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先月6月15日掲載のものだ。もちろん、すでに東京新聞のサイトでご覧にいただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018061502000181.html

天平は、「高円寺定食物語」で取材し、このブログでも、2018/04/28「「高円寺定食物語」の天平。」にも書いているから、そちらをご覧ください。

この連載に書くため、というより、高円寺に行ったついでに天平のおやじさんは元気にしているかなと寄ってみて、この連載に載せることを思いついたのだった。

載せられるときに載せておかないと、という思いもあったし、「高円寺定食物語」では、「定食」がテーマだったので、さば味噌煮定食だったが、ロケハンで食べたオムライスが印象に残っていたからだ。

「玉子焼きの包みがはちきれそうなほどふくらんでいる」と書いたが、わずかに小さな破れがあるほどパンパンにふくらんだオムライスは、ひとつの熟練とうまさを示しているのではないかと思い、そのことを書いておきたかった。

オムライスといっても、近年は「フワトロ」なるものが人気だったり、いろいろだ。いろいろナントカ風があってよいが、おれが食べてきたオムライスは、このはちきれそうにふくらんでいるのが、見た目も魅力的であり、味もよかったという気がしている。

かかっているソースについて、メンドウなことはよいのだが、単なるケチャップのみではなく、自家製のソースだったり、市販のケチャップに何かをまぜるなど、それぞれの工夫も多いようだ。

作り方も、すべてを詳しく見てないが、天平のばあいは、ふたつの火を使い、ひとつでめしを炒め、ひとつで玉子を焼いていた。

とにかく、玉子焼きのおかげもあってか、オムライスは、なぜか祝祭気分が盛り上がる。

それはそうと、また天平へ行こう。

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2018/06/30

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」67回目、桜新町・きさらぎ亭。

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しだいに一か月遅れの掲載になってしまった。これは5月18日の朝刊の分だ。

もちろん、すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018051802000190.html

おれの知り合いには世田谷区の住民が多いが、そのほとんどが、このきさらぎ亭を知っているし評判もよい。

昨年の秋だったか、もう年末だったかもしれない、立ち退きのため惜しまれながら閉店したのだが、同じ通りのすぐ近くで再開した。

以前は建物は古くても、料理の方は、おしゃれとはちがうが、労働者が作業着からスーツになったようなちがいがあった。それは、桜新町が山の手でありながら、それほど気取った街ではないということにも通じているようでもあった。あるていど「時代」というものを意識した経営感覚と、店主のモダンなセンスによるものだろう。場所、時代、店主がからみあって成り立っている大衆食堂らしい変化が感じられた。

移転して、その方向性が、よりハッキリしたとおもう。どんな人が店主なのかとおもっていたが、お会いしたら働き盛りの女性で、対応は明快だし、いまどきのビジネスパーソンとしても成功しそうな感じの方で、なるほどねと納得がいった。

最近、ちょいと長めの論考原稿を仕上げた。それにかかっていたのでブログの更新が滞ったともいえるか。

いま食堂界はチョイとした大きな変化があらわれていて、これがなかなかおもしろい。そのことを歴史的にも考察したのだが、このきさらぎ亭も変化のあらわれだろう。

この変化にはいくつかの要因があるのだが、そのことにふれると長くなるから、今日は、とりあえず、今月中に先月分を掲載したというアリバイでおわりにする。

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2018/05/11

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」66回目、池袋・うな達。

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昨日が今月掲載分の締め切りで、そういえば、先月掲載分をここに紹介してなかったのに気が付いた。近頃は、新聞の朝刊に掲載になると、昼頃にはWEBサイトにもアップされ、それを東京新聞の二つのツイッターがツイートするから、それをリツイートし、あとは忘れてしまうことが多くなった。気をつけよう。

こちら、東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018042002000181.html

店名の通り、もとはうなぎ料理だが、居酒屋大衆食堂化している。曜日によって違うランチをやっていて、とくに金曜日のカレーライスが人気なのだ。「大人気」といってもオーバーではない。

1015すでにメディアにも何度か登場し、小野員裕さんも取材しているし、おれがロケハンに行った日もテレビの取材が入っていた。

盛りがよいうえに430円という安さもあってだろうか、11時半の開店には行列ができていて、開店してからは、お店の人は大忙しとなる。

とくにカレー鍋の前の店主は、鍋をかきまわしたり盛ったり、一つの鍋があくと作ってある次の鍋を前に置き、とにかく身体を動かし続けだ。

カウンターと座敷あわせて40人ほど入る店内は、全員が同じカレーライスを食べている。しかもみな馴れた注文の仕方で、「なみ」「なみ、あかぬき」「ちゅう、あか」とか叫ぶ。

こんなカレーライスの景色は初めてだ。

1011作業服やスーツや制服姿の男女が入り混じり、気取らず楽しそう食べている風景が、とてもよい。学校給食でも思い出すのかな。

しかし、カレーライスというのは、おもしろい食べ物だと、あらためて思った。

ここのカレーは、昔の黄色いカレーのバリエーションといえるが、甘さと辛さの混ざり具合は、かなり独自のものだ。辛いのが苦手の店主が作り上げたのだそうで、甘い、いや、やっぱり辛い、いや甘い…甘さも複雑、辛さも複雑、あわせてさらに複雑、という感じが続く。

夜の居酒屋タイムも混雑するらしい。こんど行ってみたい。

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おれが食べたのは「並」だが、たっぷり大盛りぐらいあった。

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2018/04/23

画家のノート『四月と十月』38号、「理解フノー」連載20回目。

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もう下旬になってしまった、今月は4月なので、美術同人誌『四月と十月』38号が発行になっている。

表紙の作品は、松林誠さんが担当、「『四月と十月』全面を覆うカバーのようなイメージです」とのこと。デザインは毎度の内藤昇さんだ。

おれは同人ではないが「理解フノー」という連載を持っていて、今回は20回目で「「バブル」の頃③ 崩壊」を書いた。

「バブルの頃」は、最初の予告通り、3回で終わりだが、まだまだ書けそうだ。でも、これで最後にする。

昨年末、たまたま出先で見たテレビに、あのバブルを象徴する「戦後最大の経済事件」といわれるイトマン事件の立役者、許永中が出演していて驚いた。あの事件以来、初めてのマスコミ登場だとか、現在は韓国にいるとのこと。刑務所暮らしは7年ぐらいだったらしい。

イトマン事件の全貌はあきらかになっていないが、とにかく絵画を担保に巨額の金が動いた。そのことについても、今回はふれた。おれも当時は、某銀行を舞台にしたアヤシイ金の動きの末端にからんでいたので、もっと書けることがあるのだが、これぐらいでやめておいたほうがよいだろう。

書き出しは「最近会った四〇代後半の経営者が「銀行がね、金を借りてくれっていうんですよ、バブルの頃と同じですね」といった」ことから始まる。

「バブル景気は崩壊したが」「バブルは手を変え品を変え、どこかに出現する。膨らむ「夢」を語りながら」というのが〆だ。

この連載では、いつも写真を一枚つけなくてはならない。写真と文字でコラージュの真似事みたいなことをしてみた。千円札を手に持って宙に浮かして撮影、「夢~」の文字を組み合わせ、トリミングした。

ふわふわしたバブルな夢物語はどこへゆく。昨今のバブルは、どういう結末になるのか。繰り返されるループから抜け出す創造力はあるか。

今号から同人に、「家族」が加わった。

内沼文蒔・晋太郎・カンナ(息子・父・母)の家族の「共同制作」だ。2017年生まれの文蒔が絵を担当、晋太郎が文、カンナが制作補助を担当、「アトリエから」に作品が載っている。子供の成長と共に、どうなっていくか、楽しみだ。

新連載も2本スタート。岡崎武志さんの「彫刻」、1回目は「上野・西郷隆盛」。木村衣有子さんの「玩具」、1回目は「東京の郷土玩具・今戸焼」。

連載は、全部で14本になった。

『四月と十月』のサイトはこちら。
http://4-10.sub.jp/

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