2020/05/27

画家のノート『四月と十月』42号、「理解フノー」連載23回目「気分」。

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4月発行の42号が届いたときは、新型コロナウイルスの感染拡大が勢いよく進行中だった。

4月7日に新型コロナ特措法にもとづく緊急事態宣言の発令がされた。この段階では、7都府県(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、大阪府、兵庫県、福岡県)を対象に5月6日までの1か月間だった。それが期間は同じだけど、全国に拡大されることになったのは16日夜に開かれた政府対策本部でのこと。

『四月と十月』は、昨年4月に20周年40号の特別企画を組み、同人のみなさんは今年4月からの「美術同人誌『四月と十月』創刊20周年記念全国巡回展」に向けて準備をしてきた。

この42号が届いたときには、その案内のチラシが同封されていたが、「ご存知の通りコロナウィルス流行のため無事に開催できるか危ぶまれており、今後は状況をみて各会場と相談のうえすすめていく状況です」という文章も一緒だった。

その後、20日すぎに、4月東京、5月大阪、6月名古屋の開催の延期が決まった。7月以降については、6月初めの様子で決めることになった。

詳しくはこちら、四月と十月のサイトを→http://4-10.sub.jp/

本誌表紙は、長野県安曇野のスミレ研究所・所長、金井三和さん。右手を負傷という災難の中での作品だ。

同人のみなさんの作品と文も、あいかわらず興味深く楽しい。なかでも、靴職人の高橋収さんの作品と文が、ここのところおれの頭から離れない「分解」と関係が深いもので、おもしろかった。

タイトルは「さなぎ」。

革と布と針金で作った大きなさなぎの写真に、文の書き出しがこうだ。「数年前からさなぎに興味を持ち始めた。きっかけは何かの番組で「イモ虫が蝶になる時さなぎの中で一度ドロドロの液体になる」と聞いたからだ」と。

このドロドロのことは、このあいだ読んだ藤原辰史『分解の哲学』(青土社)にも、ファーブル昆虫記の話と共に興味深い展開があり、また諸星大二郎『暗黒神話』にも連想させる話があり、そのことが思い出された。

ところで、おれの連載「理解フノー」は23回目で「気分」のタイトルだ。

原稿の締め切りが2月上旬だったから、新型コロナウイルスについては、まだそれほど問題意識も緊張感もなかったが、その後の展開は、ここに書いた「気分」が広く日本を覆った感じで、いまでもいろいろなことがドンドン「気分」に流れているように見える。

なにしろ「気分」で緊急事態宣言にいたり「気分」で解除して、それに国民も「気分」で従っているのだから、なんだか感染や死亡は欧米より少なくすんでいるようだが、データすら杜撰で、どんな対策が効果的だったのか、誰も判断がつきかねて、ああだこうだああでもないこうでもない、「ニッポン不思議」という事態が生まれている。

それは、今回のことばかりでない。そのことがずーっと気になっていて、とくに東日本大震災と東電原発事故以来の「気分」の動きが気になり考えていた、そのことを書いた。

それは、なぜ、このように言葉や論理が機能しなくなったのだろう、これはもしかすると、その中枢を担ってきた「文学」の問題なのではないかということだった。

このことを原稿を書いたあとも探っているのだが、いま、意外なところにたどりついて、ボーゼンとしている。

というのも、日本語が持つ構造、それは「文学」が育て、また日本語が「文学」を育ててきたという関係もあるのだろうが、とにかく、日本語というのは論理が苦手らしいのだ。あの「源氏物語」、あの「枕草子」、あの「徒然草」…、などからして。知らねえよ、そんなもの。

ボーゼンせざるを得ないではないか。おれがいまこうして考えている言葉や論理からして、アヤシイ、ってことになるではないか。日本語自体のモンダイなら、どうしたらいいのだ。もう日本語をやめるのか?いまからほかの言葉を覚えるのか、大変だ、嫌だ。

とにかく、「理解フノー」に書いた「気分」については、このブログの2020/03/01「ただよう「気分」と「言葉」。」でふれているので、その一部をここに転載しておく。以下。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/03/post-4ba878.html

しかも、こうしたなか、「27日のニューヨーク株式市場はダウ平均株価は大きく値下がりし、値下がり幅は1190ドル余りと、1日としては過去最大を記録」「ダウ平均株価の値下がりは、これで6日連続」「これほどの値下がり局面はリーマンショック直後の2008年10月以来だ」というニュースが流れた。株価の動きは単純ではないから、判断が難しいが、きわめて不安定な状況にあることは確かだ。

こういう時は、どういう人たちが何にどんな関心を持っているか、あるいは、持っていないかがよくあらわれるし、その思考の具合もよく見える。

同じようなことが、2008年のリーマン・ショックと、2011年3月11日の東日本大震災と続く東電原発事故のあとにも、あらわれた。そして、平成30年をふりかえる様々な記事を見ても、リーマン・ショックは3.11ほど取り沙汰されてないように、今回も、アメリカにおけるリーマン・ショック以来の株価の下げ幅より、もっぱら新型肺炎がクローズアップされている。

何が起きているのだろう。

先月25日に、『四月と十月』に連載の「理解フノー」の校正を終えた。こんどの4月に発行の分だ。

今回のタイトルは「気分」であり、初めてトイレットパーパーの買いだめ騒動が起きた1973年のオイルショックと、2011年3月11日以後を念頭において書いたものだ。

とくに3月11日以後だが、こうしたことが何故おきるのか、というような面妖なことが、メディアを舞台に続いていたし、そこでは、かつてのオイルショックの頃の「活字文化」をけん引してきて、いまでも中央メディア界隈で小さくない権威を維持しているように思われる「文学」なるものが、まったく機能していないし、コトは歪むばかりなのがナゾだった。

そこを考え続けていたら、少し見えてきたことがあった。もともと、日本の「文学」は歪みやすい脆弱性を抱えていたということになるか。

詳しくふれている時間がないので、「気分」の原稿からつまんでおこう。

とにかく歪んだ状況について、「日常の認識や思考のもとになる言葉や論理など、文学の問題ではないのかという気がしてきた」「そこで思い出した文言。「文学と食い物にはなにか一脈通ずるものがあるとみえて、日本では双方とも「気分」で味わう傾向が強いようである」っての。直木賞作家から「金儲けの神様」に転じた邱永漢の『食は広州に在り』にある」

この『食は広州に在り』は、オイルショック後の1975年に中公文庫になり、おれは当時それを読んだ。

「半世紀前が今も目の前。文学を味わう人たちというと知的存在と思うが。「気分」を「趣味」や「観念」などに置き換えることも可能で、そう読むと「気分」のことがわかりやすい。とにかく、邱永漢もいうように「あまりあてにならない代物だ」。文学も食い物も認識と深い関りがあるのに、「気分」に左右される。さらにメディアの権威にあぐらをかいている「気分」が「正しい」「現実的」なんてことで」

文学も食い物も認識と深い関りがあるのに、「気分」に走っている。公共も論理もへったくれもない状況は蔓延し、問題解決なんかどうでもよく、井戸端会議的オシャベリを文化的文学的な言い回しでやって、何者かになったような「いい気分」でいられる文学が盛りなのだ。

というと言いすぎのようだが、いわゆる「世俗的成功」とみられている中央メディアあたりに存在する文学は、本好き文学好きの「趣味」な仲間に囲まれて「外界=現代の資本主義や資本主義文化」の動きが視野に入っていないように見える。自分のこと=出版業界における自分の位置、出版業界ばかりに関心が高く、出版や文学は自然や社会の何を解決しようとしているのかの問題意識は低い。

そういうことに思い当たり、「気分」を書いたのだが、それ以後の新型肺炎をめぐる動きを見ても、あいかわらず、「文学」と「食い物」は「気分」なのだなあという「気分」は深まるばかり。

しかし、おかげで、みんな何を信じていいのかわからない状況が生まれ、その混とんと、アナーキーとまではいかないが、ややアナーキーな状況は、おれは嫌いじゃない。

不安定ではあるが、だからこその、中央メディアの権威に「意味づけ」を求めない、自らの意味づけは自らするという人たちも増えているかどうかは定かではないが、その発言はそれなりに価値を発揮するようになってきたからだ。

「活字文化」と中核の「文学」が権威として、さまざまなことに「意味づけ」をして、その「意味づけ」をありがたがる存在によって権威は維持されてきた、その構図は、やっと終焉を迎えるか……というのはおれの期待であって、中央の新聞雑誌などに巣くう旧弊な権威は旧弊な土壌でしぶとく生きようとする。彼らは、ほかの見方や方法を知らないからねえ。

「理解フノー」の「気分」の最後のほうでは、「サテ、本一冊買う難儀も取りざたされる日本の資本主義、どうしたらいいか」と書いた。とらえどこがないほど大きく見える資本主義とその文化は、本一冊買う、じゃがいもを買う、トイレットペーパーを買う、といった日常の小さなことに凝縮されている。それを認識できるかどうか、そこに文学が機能しているかどうか。

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2020/05/23

実質最終回 東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」90回目、荻窪・やしろ食堂荻窪店。

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3月20日に掲載の分だ。2012年10月に始まった連載は、これが実質最終回になった。
すでに東京新聞のWEBサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2020032002000194.html

この掲載日には、まだ続くつもりでいたが、体調は悪くなっていたし、食欲は急激に衰えていた。ちょっとぐあいの悪いところに思い当たることもあったが、たいがいは「老化」のせいだろうと思っていた。それが27日に医者に診てもらってから、急転、休載までのいきさつは、当ブログ2020/04/01「東京新聞「エンテツさんの大衆食堂ランチ」は休載。」に書いた通り。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/04/post-f88b3b.html

シンドイ身体で、やしろ食堂荻窪店を訪ねたのは3月12日のことだった。すでに2月14日に「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」が設置され、イベントの中止や延期など、感染防止対策のいろいろな動きが「自主的」に始まっていたが、飲食店などの営業は変わることなく荻窪駅周辺もにぎわっていた。

ただ、マスクをしている人は増えていたし、おれもマスクをして出かけた。それに、営業している店は、やしろ食堂のばあいもそうだったが、入口の戸を開け放ったり、換気に注意していた。

やしろ食堂は、かつて東京の西側に勢力を張っていたチェーン店だけど、残っている店は少ない。2015年12月に方南町店を紹介している。東高円寺店については、校正が出たあたりだったと思うが、突然の閉店で差し替えになった。高円寺店は、最近は行ってないが、よく利用した。

荻窪店は、荻窪の人気店だ。やしろ食堂への助走にぴったりの、駅北口の教会通り商店街を歩いてすぐだ。

14時ごろになっていたが、客足が途絶えない。若い一人客が多い中、近所の中年夫妻が「一品料理とビールでもいいかな」と聞き、くつろいでいた。

この頃は、ごはん茶碗一杯も食べるのがやっとだったというのに、入り口のボードの「かつ煮定820円」を見て、頼んでしまった。好物なのだ、しかたない。

しかし、いまだかつて出合ったことのないボリュームにおどろいた。かつが二枚、皿の底にびっしり並んでいるのだ。

でも、食べた。かなり無理した。無理しても食べたいうまさだった。

書き出しの「新型コロナウイルスで落ち着かない日々、だからこそ食堂めしをシッカリ食べて力をつけておこう」は、すでに感染警戒から客足が食堂などから遠のく気配がある状況を意識していたが、体調不良の自分に言い聞かせるためでもあった。

とにかく、やしろ食堂荻窪店を紹介できてよかった。ほんと、最後を飾るにふさわしい、いい食堂だ。

しかし、コロナ禍の中で、やしろ食堂もほかの食堂も、みなさんどうしているのだろう。したたかに生きのびてほしい。

「おれの急速の老化からすると、この連載を今年一年続けられるかどうか自信がない」と、3月19日のブログに書いている。それは「老化」ではなく癌のせいだったといまではわかっていることだが。今年は、連載が始まった10月まで続け、紹介したいと思いながらとっておいた食堂を載せて終わりにしようと思っていた。

チョイと早くなったが、7年と半年の連載、これにて、終わり。

本にしないかという話は、いくつかいただいた。いまどきうれしいことだが、本にするつもりで書いてきてないし、お断りしてきた。勝手をいってすみません、お許しください。

ありがとうございました。

過去掲載分は、こちらからご覧いただけます。

http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/cat23482706/index.html

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2020/04/16

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」89回目、押上・いこい食堂。

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2020/04/01「東京新聞「エンテツさんの大衆食堂ランチ」は休載。」に書いたように、今月から休みをいただくことになった連載だが、このブログには未掲載の2月と3月の分が残っている。

今日は、2月21日朝刊の、いこい食堂だ。すでに、東京新聞のWEBサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2020022102000178.html

いこい食堂は、2007年12月に初めて取材で訪ねた。その頃のことは、ザ大衆食のサイトに載せてある。
http://entetsu.c.ooco.jp/s2/sumida_ikoi.htm

2000年代の前半、墨田中学校へ仕事でよく行っていた。いつも押上駅の押上側を利用していたから、押上食堂があるのを見つけ、何度か利用したし、この連載にも登場している。

押上食堂があった一角は、東京スカイツリーが出来てからの「観光地化」の荒波をかぶったかっこうで、そのブロックごと姿を変え、押上食堂も閉店、いまではその片鱗すら見つけることが難しい。

いこい食堂は業平側にあるので、存在を知らなかった。たまたま2007年の春に、前を通る機会があった。

東京スカイツリーが出来て、押上駅周辺は大きく変わったが、おれが墨田中学校へ行くようになった頃は、まだそこに出来ることは決まっていなかったと思う。だけど、六本木などの都心に便利ということもあって、工場地帯だった街は住宅地に変貌しつつあった。

最初の頃は、家賃の安い土地柄として、都心に通う外国人労働者の姿も多く見られた。六本木あたりの派手な夜の低層を支える、アフリカ系?労働者が多いといわれていた。

しだいに工場は大小のマンションに建て替えられ新住民が増え、外国人低層労働者は押上より奥へ移動し、そして東京スカイツリーが出来て、押上駅周辺だけは「観光地」へと変わった。

労働者の食堂だった押上食堂もいこい食堂も、そういう変化の中を生きてきた。

いこい食堂の「名物」は、種類豊富な500円定食だ。初めて行ったときから、いまでも続いているのだが、いつから始めたのかを聞いてなかった。とにかく、いこい食堂の主人が食堂を始めた1960年頃は「工場しかなかったよ」という、労働者の街の歴史を語っているかのような500円定食だ。

かつては工場労働者、いまでは「オフィス」と呼ばれるところで働くスーツ姿の労働者の胃袋を満たしている食堂なのだ。工場地帯だろうと観光地だろうと、そこで働く労働者がいなくては成り立たないし、その胃袋が日常無理なく満たされなくては、世間はまわっていかない。

今回訪ねたのは、2月7日だった。新型コロナウイルスが大きなニュースになりつつあったが、日本のニュースの中心は豪華クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」での感染あり、「他人事」というほどではないが、流れはなんとなく開催が近づいている東京オリンピックに向かって動いていて、それほど緊迫感はなく、東京スカイツリーは通常通りの営業をしていたし、外国人観光客の姿も多かった。

いこい食堂では、1時半すぎても、店内はにぎやかだった。若いスーツ姿の男たちのグループが食事をし、おれのような老人がカウンターでポツリポツリ一人めしを食べているなかに、一人旅らしい外国人観光客がパラパラいた。

カウンターには、かつてはなかった、ローマ字のメニューがあった。

2月21日の掲載紙の新型コロナウイルス関連は、やはり「ダイヤモンド・プリンセス」ばかりがクローズアップされていた。世間は、大きなイベントの中止や縮小など一部で警戒が強まりながらも、圧倒的に通常運転の気分だった。

3月11日、「WHO=世界保健機関のテドロス事務局長は、「新型コロナウイルスはパンデミックと言える」と述べて世界的な大流行になっているとの認識を示した」。3月14日現在、日本で新型ウイルスの感染が確認された人は1400人を超え、死者は29人となっていた。3月15日、安倍首相は首相官邸における記者会見で、「この感染拡大を乗り越えて、オリンピックを無事予定通り開催したいと考えています」と述べた。じつに楽観的だったといえるだろう。それは、多くの国民の気分だったかもしれない。東京オリンピック2020の延期が決まったのは、3月24日だった。

半世紀以上の歴史があるいこい食堂も、かつて経験したことのない荒波の中に違いない。大衆食堂は、敗戦の焼け跡から、力強く立ち上がったのだが、現在の状況は「焼け跡」より始末の悪い面をはらんでいる、ともいえる。

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当ブログ関連
2020/04/01
東京新聞「エンテツさんの大衆食堂ランチ」は休載。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/04/post-f88b3b.html

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2020/03/19

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」88回目、赤羽・自由軒。

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だいぶ遅れてしまった。今年の一回目、1月17日(金)の朝刊に掲載の分だ。

もちろん、すでに東京新聞WEBサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2020011702000179.html

赤羽の自由軒は、おれ好みの一軒で、けっこう行っているし、赤羽在住の知り合いからは「あそこ、載せないの」といわれて、「優先順位があるから」なーんてテキトウなことをいって先送りしていたのは、ほかに先に載せたい食堂があるからではなく、おれ好みなので後回しにとっておきたいという気分だったからだ。

だけど、おれの急速の老化からすると、この連載を今年一年続けられるかどうか自信がない。そこで、今年の一回目にした。

おれ好みを、本文にこう書いた。「常連さんが描いたという額装のない絵がたくさん、カレンダーが数点も、壁を埋めている。その光景は、地域の人たちの「たまり場」「休憩所」といった感じで、妙にくつろぐ。このように地元に生きる姿そのままの食堂は、本当に少なくなった」

と、これではまだその雰囲気は伝わらない気がしているけど、カレンダーにしても常連が持ち込んだもので、ほかにも誰の好みかわからないものがいろいろあり、美的なものは一つもないのだが、エントランスからしてキチンと商売の空間に仕立てるのではなく、成り行きでこんなぐあいに店と街と客が混じりあって生きてきましたという感じが濃厚に漂う空間なのだ。赤羽の街の猥雑感がしみ込んでいるような。

そして、中華洋食中心の料理のほうは、なかなか普通にうまい。食べ終わると、底に店名が入っている器を使っている。

どういう人が料理をつくっているのか、いつも気になるのだけど、厨房は上の階にあって、料理運搬用の小さなエレベーターが運んでいるから、姿は見えない。その「謎」さ加減もいい。

「謎」といえば、以前に掲載の赤羽の「暖母」も「謎」だ。赤羽の面白さは「謎」だね。

とりあえず、そういうことで。

近頃は、長年誇ってきた「快食、快便、快眠」のペースが維持できなくなり、やはり長年67キロ前後で安定していた体重が減っている。身体的なしんどさを感じる日々、本当にこの連載をいつまで続けられるのだろうという感じだ。

何をやるのも面倒で、ブログなんかどーでもいいの気分だけど、次の本の原稿だけは、なかなか面白いこともあって、コツコツ進めている。でも、すぐ疲れるからね~、文章は次々浮かんでも、パソコンに向かう体力が追いつかない感じだ。

やれやれ。

食うのも、書くのも、体力勝負だ。

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2020/02/09

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」87回目、浅草・まえ田食堂。

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昨年、という書き方をするが、12月20日に掲載のものだ。すでに東京新聞のサイトでもご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019122002000166.html

じつは、この掲載紙を手にしたとき、「「年季」が入った味わい」の見出しに、考え込んでしまったのだ。

見出しは、いつもデスクの方がつけてくれるのだが、これは、おれが本文中に書いた「いまでは珍しくなった黄色いカレーライスに近く、やはり「年季」としか言いようのない味わい深さが」というところから引っぱったものだろうけど、この見出しだけ見ると「断定的」で、ギクッとする。

それでしばし考え込んでしまい、あれこれ調べたり読んだりしているうちに、ズルズル時が過ぎゆくままに。

「黄色いカレーライス」というと、いわゆる「おふくろの味」という気分でごまかすことができるし、むしろその方が安直にウケがよいともいえる。だけど、このカレーは、「黄色いカレーライス」から何層にも層をなし、というか、それをベースにさまざまな位相が溶け込んでいる。それが、それなりにうまくまとまっていて、これはこれなりの普通のうまさで、もはや「おふくろの味」というには抵抗がある、かといって、近頃のスパイスカレーや南インド風?カレーなど「専門料理」の味でもなく、あるいは「家庭料理」の味ともいえるが、そう言い切るにはやはり抵抗がある、ってわけで、「年季」と「味わい深さ」で書いてしまった。悩ましい。

とにかく、この見出しにギクッとして、オベンキョウをしたおかげで、表現の技術のほうはともかく、料理と味覚の世界は、「おふくろの味」や「家庭料理」という言い方を使うのは、とても難しい事態になっていると思った。それは、いわゆる「多様化」以前の、きわめて大雑把なくくりが通用した頃の観念なのだ。

実際のところ、いまでは、多様化と同時に多層化・多重化もすすんでいて、人間の思考も味覚も、ずいぶん複雑になっているのだな。

「家庭」も「家庭料理」も死語にはなってはいないが、かつての惰性で使っていると現実と噛み合わない点が多々生じる。

ということを書いていると一冊の本が書けそうだから、やめよう。

まえ田食堂へは、以前に木馬亭の浪曲へ行っていた頃から何度も入っているが、今回は12月10日に行った。

国際観光都市浅草は相変わらずの大にぎわいで、まえ田食堂に入ると、2人連れの着物姿の若い女がいた。浅草で人気のレンタル着物の外国人だった。浅草寺境内には、そういう外国人がたくさんいた。

伝聞によれば、最近は浅草の外国人観光客は「新型肺炎」の影響があってのことらしい「激減」とも聞く。あの頃は、そんな気配もなかった。で、いつごろから騒動になったのか、ネットで検索してみたら、12月8日に中国武漢市での新型コロナウイルスによる肺炎の発生がニュースになっていた。おれはまったく知らなかったね。

まえ田食堂がある「奥山おまいりまち」の通りは、近年の浅草国際観光都市化政策でエセ江戸風にリニューアルされ、人通りも増えたが、おれが木馬座へ行っていた頃は、浪曲の定席がある木馬亭と大衆演劇の木馬館の客のほかは、といっても、木馬亭はいつもスカスカだったけど(最近は浪曲が人気でにぎわっているらしい)、とにかく人通りはさみしかった。

でも、まえ田食堂には、地元や浅草寺参り(月あるいは週に決まって参拝の人がいる)や芸人の常連さんたちがついていた。そこのところは、いまも変わらないようで、今回も地元の若い男性が小さな子供を連れてビールを飲んでいたし、浅草寺参りの常連さんの姿もあった。

まさに、明治末期開業の「年季」の入った食堂の強さか。そこへいくと「観光」も「観光客」も、人間の気分のようにあてにならない。そして、まえ田食堂は、どこかの観光地のように観光客相手のスレッカラシのボッタクリではなく、日常に根をおろして続いてきた大衆食堂らしい商売なのだ。

まえ田食堂の並びには「君塚食堂」もあり、以前、登場いただいている。

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2019/12/30

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」86回目、上野・カレー専門店クラウンエース上野店。

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今年もドン詰まり。この連載、12月まで終わっているが、ここでの紹介は、やっと11月15日の分だ。すでに東京新聞のWEBサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019111502000176.html

これまで、WEBサイト版には外観の画像がなかったのだが、この回から載るようになった。大衆食堂は外観の個性も味わいのうちだと思うので、よかった。

この店は、上野駅中央改札口前広場の前、見えるところにある。アメ横は京浜東北線と山手線の高架下だが、こちらは上野東京ラインの高架下だ。

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少し前、フェイスブックに、いまはない上野百貨店とテナントだった聚楽台の画像を載せたところ、高知の友達が懐かしがり、上京したばかりの学生には聚楽台はチョイと高そうなので、「アメ横の財布に優しいカレー屋に行ってました」とコメントがあった。「名前を忘れましたが、学生や肉体労働風の外国人の方で賑わっていました」とも。

それならおれもよく利用してきたここしかないだろうと思い、コメントで画像を返信したら、やっぱりそうだった。

今年の春にもここでカツカレーを食べたのだが、その後、夏に店内の大改装が行われた。それまでの変則コの字型のカウンターだけの営業から、真ん中にデーンと立ち食いテーブルが置かれ、片側の壁際に腰かけ付きのカウンター、片隅に4人掛けのテーブル席といったアンバイになり、セルフサービスとなった。

競争は激しいし家賃は安くない場所での営業だから、仕方のない成り行きだろう。

カレーのメニューと味に変わりはない。

資本力にものをいわせ、新メニューを開発しながら付加価値を付けて利益を稼ぎ回転させる店もあれば、この店のように味と量と値段をできるだけ維持しながら、地味に長く愛される店もある。前者は「資本と産業貢献型飲食店」といえそうだし、後者は「生活貢献型飲食店」といえそうだ。前者にも生活貢献はあるが、あくまでも手段としてだろう。

壁には昔の上野駅の外観やホームの写真が飾ってあって、「上野愛」を感じた。

上野の「街の味わい」には、こういう小規模店が欠かせない。先日発売の五十嵐泰正さんの『上野新論』を読んで、あらためてそう思った。

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2019/12/12

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」85回目、谷在家・みたけ食堂。

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まだ10月18日の分もここに掲載しないうちに、今年のオワリが駆け足で近づいてくる。10月と12月、たった2か月のことなのに、この新聞が出た頃と今では、いろいろずいぶん違うような気がする。おれの生活は、あいかわずなのだが。

とにかく、慌てて急いで掲載しよう。

足立区谷在家のみたけ食堂だ。日暮里・舎人ライナーができるまでは、行きにくいところだった。いまでは、西日暮里から10分ぐらいで最寄り駅の西新井大師西に着いて、歩いて5分とかからない。しかも高所を走るモノレールに乗って、日頃見慣れない景色を見ながらであり、チョイと小旅気分。

なんだかすごく気持のよい食堂だった。旅先で、土地の大衆食堂とよい出合いがあるとうれしいものだが、そんな気分だった。といっても、特別のことはない、環状7号沿いにある普通の大衆食堂であり、そこでメンチカツとキンピラで丼めしを食べただけなのだが。

入口に「みたけ食堂からのご案内」というポスターがあって、利用の仕方が印刷されていた。「①カウンター左のおぼんを取って下さい。(ご飯の大きさは選べます)②お好みのおかずを取って下さい。③お会計は食後です」とあった。

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おお、セルフサービスのカフェテリア式を導入したのかと思ったが、会計が後払いであるから、好きなおかずを自分でとる食堂とあまり変わるところはない。レイアウトも、カフェテリアのように機械的=実務的ではないし、お茶も、気持ちのよいご主人が席まで持って来てくれる。

幹線道路沿いで、数台の駐車場があり、クルマの客が次々と出入りする。作業着姿のドライバーもいれば、営業マンらしい男たち、移動の途中らしい中年の夫妻、近所の親子など…。

ここは、都心から見れば、足立区の荒川の外側だ。いわゆる「下町」とも違う。埼玉県と隣接しているし、いまでは住宅が増えて「東京の侵略」が続いているが、かつては農村であり、のちに都心で疎まれたものを引き受ける土地になり、工場や倉庫が多かった。そのせいかどうか、人間がせかせかしたところがない。

ゆっくり自分のめしをかみしめながら食べた。うまい食事だった。「食べ物」の質だけではなく、「食事」の質について考えていると、いろいろ見えてくることがある。そうそう、年季の入ったブリキのようなアルマイトのようなお盆が渋く、どうしてもこれを写真のメインにしたくなるのだった。

すでに、東京新聞のサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019101802000178.html

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2019/10/29

画家のノート『四月と十月』41号、「理解フノー」連載22回目。

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紹介が遅れたが、発行人・牧野伊三夫の画家のノート『四月と十月』41号が発売になっている。

前号は、40号(創刊20年)であり、記念特集として「同人たちのアトリエ訪問記」を組んだ変則的な編集だった。おれは同人の加藤休ミさんと松本将治さんを取材し、「理解フノー」の連載は休載。

というわけで、一年ぶりに、もとの編集になった。同人のみなさんの「アトリエから」も一年ぶりだから、それを読んでいるとなんだか懐かしい。一年のあいだには、いろいろあるなあと思う。

子供が一人から二人になった人、子供が成長し育児や年寄りの世話に追われる人、家族の一人がケガをしたため家業に時間を奪われる人など、時間的な制約が大きくなる中で「制作」のある生活を模索する姿があるかと思えば、倉敷や奄美大島に移住し新しい生活を楽しんでいる様子もある。

平均的にみると、以前より安定度が増加した感じで、それはよいことなんだろうけど、おれにとっては刺激が弱くなった感じがしないでもない。

という中で、表紙の絵を担当した靴職人の高橋収さんが「どうやら最近パンクが気になるらしい」とか、福田紀子さんが「自分が世界をどんなふうに感じて、捉えていて、それがまたどんな世界を創っているかを、また感じて、捉えて……をくりかえす」といったことを書いて、そんな感じの絵があって、ふーん、いいじゃないかと思うのだった。

そうそう作村裕介さんは、左官の親方業をやりながら、あいかわらずモンモンとしているようで、おもしろい。

この一年間で、大きなジケンといえば、昨年の39号で「包丁論」の連載が始まり40号が2回目だった中原蒼二さんが、40号発行のあとの6月20日に亡くなったことだ。今号の「雑報」で、中原さんと35年間の親交があった牧野さんが「さようなら、中原蒼二さん」を書いている。

「生活」つまり「生きる」と、その結果としての「死ぬ」が、やけに生々しく感じられる号だ。

中原蒼二さんの死を伝える水族館劇場のフェイスブックのページには、「存在するものは儚く、みえないものは生きのびる」という文言あった。

おれの連載「理解フノー」は、22回目で「二〇年」のタイトルで書いた。この20年のあいだに、食をめぐる動向とくに「食文化」の動向は、これまでになかった大きな転換期にあると感じていたのだが、自分のまわりでそれを象徴的に実感することがあったので、それについて書いた。

当ブログ関連
2019/07/01
中原蒼二さんが亡くなった。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/07/post-0006a0.html
2019/05/09
画家のノート『四月と十月』40号、「理解フノー」連載は特集記事に変更。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/05/post-e515c5.html

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2019/10/23

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」84回目、駒込・伏見家。

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またもや遅れてしまったが、先月20日朝刊に掲載のものだ。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019092002000218.html

染井銀座商店街の伏見家への最寄り駅は3つある。地下鉄南北線西ヶ原駅とJR京浜東北線上中里駅とJR山手線駒込駅だ。

おれは、さいたま市に住んでいるので、所要時間の少ない上中里駅を利用することが多い。駅から平塚神社の境内をぬけ、本郷通りを渡り、古河庭園の裏側の細い道を下る。木立の多い人通りが少ない静かな道をフラフラ行くのだが、このコースのよいところは、地形がわかることだ。平塚神社は武蔵野台地の突端にあるし、古河庭園も台地の上で、その裏の道はゆるい下り坂になっている。その坂を下り終えるあたりに、染井銀座商店街があり伏見家があるというわけだ。

染井銀座は、かつては台地の谷底の川だったところにあるのだ。「川の東京学」的には、荒川水系一級河川石神井川の下流域に位置する谷田川ということになるようで、昭和の初めごろ暗渠になり、街が形成された。ということらしい。

谷田川の暗渠は、染井銀座と隣接する霜降銀座をのせ、駒込駅近くを通り、田端銀座商店街へつながる。田端銀座をぬけると、動坂下の動坂食堂の近くを通り、千駄木谷中界隈にいたる。

台地側では豪邸や神社などは台地の上にあり、いわゆる「庶民的」な街と商店街は谷底にあり、いい大衆食堂は台地の中腹から谷底に残っている。という川の東京学的仮説は、それなりに根拠がありそうだ。

とにかく、染井銀座も霜降銀座も田端銀座も、生活感あふれる、いい商店街だ。いわゆる「ファッション性」は低めだし地味ではあるけど、消費力より生活力が感じられる。

「伏見家でめしを食べよう」というときは、あえて駒込駅から霜降銀座を抜け染井銀座に入る。この二つの商店街はつながっていて、そこに漂う、音や匂いや気配などを肉体で感じるのは、食欲のためにもいい。

霜降銀座は、昔の建物まま営業している店が多い。青果、精肉、鮮魚、日用品などが中心だ。染井銀座も同じような店が並んでいるけど、3階か4階の建物が増えている感じだ。イマ風の店もポツポツできている。でも、昔ながらの時計店が複数あるのは珍しいのではないだろうか。

伏見家の隣も時計店だ。「銘技堂」という、どんな時計も修理してくれる「時計職人」という言葉が生きていそうな店名だ。

伏見家は、サクッとした簡素な佇まいだ。見たままの、いい食堂だ。

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偶然だが、ちょうど10年前、2009年10月に撮影の画像があった。外に貼ってあるメニューを見比べてみよう。

10年前→肉野菜炒め定食620円、あじフライ定食620円、さば塩焼定食650円、さんまあみ焼定食700円、白身魚フライ定食720円、チキンかつ定食720円、盛り合わせ定食750円、茄子とひき肉の味噌炒め定食750円、しょうが焼定食770円、焼肉定食770円、メンチかつ定食770円、ハンバーグ定食800円、ロースかつ定食850円。

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今回→野菜炒め定食640円、あじフライ定食640円、鮭塩焼定食670円、さば塩焼定食670円、ハムエッグ定食670円、チキンかつ定食740円、クリームコロッケ定食750円、スタミナ定食770円、白身魚フライ定食、茄子と豚肉しょうが焼定食770円、焼肉定食790円、ロース肉しょうが焼定食790円、メンチかつ定食790円、デミグラ・ハンバーグ定食(片目焼付)820円、ミックスフライ定食850円、ロースかつ定食870円

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20円の値上がりは、2014年4月から消費税8%の影響か。今回は、10月1日から10%の前なので、どうなっているかわからない。8%のとき、こきざみに10%にしようという政府の悪い魂胆を読み込んで値段を変えたところもあった。

暑さが厳しい日だった。おれは店内のメニューにあった、照り焼きおろしハンバーグ定食820円にした。ボリュームだけでなく、ソースの味と照り焼きの加減もよかった。外観からは、そういう感じではないが、いい味わいだった。

10年前にはなかったメニューにビーフカレー750円がある。それに、10年前には、ただの「ハンバーグ定食」だったが、今回は「デミグラ・ハンバーグ定食」だ。

「牛」の充実は輸入牛の影響か、商店街の客筋が若返っている感じもあるし、それとも料理をする大将の関心や好みのあらわれか。10年前と比べ、メニュー全体も脂系が強調されている感じだ。

そうそう、この連載は、この84回で、7年を経過した。

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2019/09/15

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」83回目、高円寺・タブチ。

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ボーとしていても月日は過ぎる、それが年を取るほど速くなるというが、その通りだ。加速度的。この勢いは止められない。気が付いたら、人間の海で溺れ死んでいるのだろうか。

もう9月15日だ、まもなくおれは76歳になる。先月30日、池内紀(いけうち・おさむ)が亡くなった。その活躍ぶりからしても、おれより一回り以上は年上と思っていたのに、まだ79歳だった。75を過ぎたら、四捨五入してもしなくても80代とかわらない感じになる。感覚的に、年齢差がなくなっていくのだ。

どんどん死んでいく人たち。おもしろいぐらい死んでいく。おれより6歳も若い中原蒼二さんも死んじゃったしなあ。ようするに人間も生物だから死ぬのだ。死ぬまで食って排泄するのだ。

東京新聞、先月16日の朝刊に掲載のものだ。すでにWEBサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019081602000174.html

おれの周囲では、高円寺のタブチは有名店だ。おれの知り合いには、貧乏ぐらしをしていたか、している連中が多いからかもしれない。

看板からするとカレーとラーメンが売りのようだが、定食を食べている人たちも多い。

おれにとって、ここのカレー、とくに辛口は、特別だ。というのも、1962年に上京して、初めて、家庭や大衆食堂の黄色いカレーではないカレーを食べたときの、その味覚が、タブチの辛口カレーに「同じ」と言いたいぐらい似ているからだ。

味覚の記憶なんてあまりあてにならないが、色合いは、目に焼き付いている。なにしろ、黄色くない、黒に近い深い焦げ茶色のカレーを見たのも食べたのも初めてだった。

当時は、まだ黒ビールを飲んだことがなく、かなり歳月がすぎてから、初めて黒ビールを飲んだとき、あれっ、これは、あの黒っぽいカレーと似ているなと思った。その記憶が残っていた。

おれが、このカレーを食べたのは、飯田橋にあった「カレーの南海」というチェーン店でだった。

タブチのカレーは黄色いカレーと同じようにじゃがいもなどがゴロッと入っているが、記憶では、カレーの南海のカレーはじゃがいもは入っていなかったような気がする。それは、それまで食べてきた黄色いカレーより、「もっと洋風」な感じがした。

インド風だかネパール風だか、あるいはいまどきのスパイシーなカレーとか、そちらから見れば、タブチのカレーは「日本の昔のカレー」寄りになるのかも知れない。

が、これは「タブチ風カレー」なのであり、カレーの面白さと可能性は、「各人風」「各店風」が一緒に存在していることだろう。そういう「カレー環境」こそ「文化」や「社会」と言えるものではないか、と、近頃、そういう思いが、ますます深まるのであった。

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