2018/08/13

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」69回目、森下町・はやふね食堂。

1201807

先月20日に掲載の「はやふね食堂」、すでに東京新聞のサイトでご覧にいただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018072002000197.html

ここは4月6日に発売の『dancyu』5月号の「美味下町」という特集でも取材して書いた。

詳しくはこちらを見ていただきたいのだが→2018/04/13「『dancyu』5月号「美味下町」ではやふね食堂を取材した。」にも書いたように、森下町より「深川」のほうが通りがよいだろうし、深川は大正から昭和の初期には、都内で最も「飯屋」や「食堂」が集まるところになっていた。

というのも深川は江戸の物語を宿す町だけど、近代化の流入する労働者でふくらんだ町なのだ。町工場も多く、1945年3月10日の東京大空襲の最初の爆弾は深川に落とされ、激しい爆撃を受け焼け野原になった。

はやふね食堂のご主人は、1944(昭和19)年生まれで、おれより1歳若いのだが、家族で疎開をしていて無事だった。そして、焼け跡にもどった一家の、ご主人のおかあさんが焼き芋やかき氷を売ることから始めた。ご主人は、目の前の深川小学校を卒業し、成人すると食堂を手伝うようになり跡を継いだ。

というわけで、東京新聞でのはやふね食堂の掲載は、「終戦」と「戦後」をからめて載せたいと思い、このように書き出した。

「 深川小学校の校門のすぐ前にある。かつては深川区だった。1945年3月10日の東京大空襲では最初の爆弾が深川に落とされ、一帯は焼け野原になった。47年、深川区は城東区と合併し江東区になった。焼け跡からの復興、はやふね食堂は焼き芋やかき氷を売ることから始まった。戦前から労働者が多い町だったが、戦後も木賃宿街が形成され、労働者のための食堂が並んだ。その中で今でも続いている一軒だ。」

当時はサツマイモが主食がわりにもなっていた時代であり、この連載で以前に掲載し、去る6月6日発売の『dancyu』7月号の「本気の昼めし」特集でも取材して書いた「動坂食堂」も、焼き芋を売ることから始まっている。

はやふね食堂も動坂食堂も、焼き芋から惣菜も売るようになり、食堂になったのだ。つまり家庭の手料理から始まった。

はやふね食堂は、そのままを続け、この土地のありふれたおかずでめしを食べる、メニューには定食も丼物もない。この、おかずもみそ汁もうまいんだな。

「漬物は40年の糠(ぬか)床が醸す味。その歳月以上に使い込んだアルマイトのおぼんまで、味わい深い」と書いたが、アルマイトのおぼんは、40数年前におかみさんが嫁に来た時には、すでにあったそうだ。そのアルマイトのおぼんと40年の糠味噌が入った樽が重なった写真を撮ってあったので、ここに載せておく。dancyuなどでは、けっして見られない。

1024


|

2018/07/24

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」68回目、高円寺・天平。

1201806

先月6月15日掲載のものだ。もちろん、すでに東京新聞のサイトでご覧にいただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018061502000181.html

天平は、「高円寺定食物語」で取材し、このブログでも、2018/04/28「「高円寺定食物語」の天平。」にも書いているから、そちらをご覧ください。

この連載に書くため、というより、高円寺に行ったついでに天平のおやじさんは元気にしているかなと寄ってみて、この連載に載せることを思いついたのだった。

載せられるときに載せておかないと、という思いもあったし、「高円寺定食物語」では、「定食」がテーマだったので、さば味噌煮定食だったが、ロケハンで食べたオムライスが印象に残っていたからだ。

「玉子焼きの包みがはちきれそうなほどふくらんでいる」と書いたが、わずかに小さな破れがあるほどパンパンにふくらんだオムライスは、ひとつの熟練とうまさを示しているのではないかと思い、そのことを書いておきたかった。

オムライスといっても、近年は「フワトロ」なるものが人気だったり、いろいろだ。いろいろナントカ風があってよいが、おれが食べてきたオムライスは、このはちきれそうにふくらんでいるのが、見た目も魅力的であり、味もよかったという気がしている。

かかっているソースについて、メンドウなことはよいのだが、単なるケチャップのみではなく、自家製のソースだったり、市販のケチャップに何かをまぜるなど、それぞれの工夫も多いようだ。

作り方も、すべてを詳しく見てないが、天平のばあいは、ふたつの火を使い、ひとつでめしを炒め、ひとつで玉子を焼いていた。

とにかく、玉子焼きのおかげもあってか、オムライスは、なぜか祝祭気分が盛り上がる。

それはそうと、また天平へ行こう。

1024


|

2018/06/30

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」67回目、桜新町・きさらぎ亭。

1201805

しだいに一か月遅れの掲載になってしまった。これは5月18日の朝刊の分だ。

もちろん、すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018051802000190.html

おれの知り合いには世田谷区の住民が多いが、そのほとんどが、このきさらぎ亭を知っているし評判もよい。

昨年の秋だったか、もう年末だったかもしれない、立ち退きのため惜しまれながら閉店したのだが、同じ通りのすぐ近くで再開した。

以前は建物は古くても、料理の方は、おしゃれとはちがうが、労働者が作業着からスーツになったようなちがいがあった。それは、桜新町が山の手でありながら、それほど気取った街ではないということにも通じているようでもあった。あるていど「時代」というものを意識した経営感覚と、店主のモダンなセンスによるものだろう。場所、時代、店主がからみあって成り立っている大衆食堂らしい変化が感じられた。

移転して、その方向性が、よりハッキリしたとおもう。どんな人が店主なのかとおもっていたが、お会いしたら働き盛りの女性で、対応は明快だし、いまどきのビジネスパーソンとしても成功しそうな感じの方で、なるほどねと納得がいった。

最近、ちょいと長めの論考原稿を仕上げた。それにかかっていたのでブログの更新が滞ったともいえるか。

いま食堂界はチョイとした大きな変化があらわれていて、これがなかなかおもしろい。そのことを歴史的にも考察したのだが、このきさらぎ亭も変化のあらわれだろう。

この変化にはいくつかの要因があるのだが、そのことにふれると長くなるから、今日は、とりあえず、今月中に先月分を掲載したというアリバイでおわりにする。

1002

1011

1005

|

2018/05/11

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」66回目、池袋・うな達。

1201804

昨日が今月掲載分の締め切りで、そういえば、先月掲載分をここに紹介してなかったのに気が付いた。近頃は、新聞の朝刊に掲載になると、昼頃にはWEBサイトにもアップされ、それを東京新聞の二つのツイッターがツイートするから、それをリツイートし、あとは忘れてしまうことが多くなった。気をつけよう。

こちら、東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018042002000181.html

店名の通り、もとはうなぎ料理だが、居酒屋大衆食堂化している。曜日によって違うランチをやっていて、とくに金曜日のカレーライスが人気なのだ。「大人気」といってもオーバーではない。

1015すでにメディアにも何度か登場し、小野員裕さんも取材しているし、おれがロケハンに行った日もテレビの取材が入っていた。

盛りがよいうえに430円という安さもあってだろうか、11時半の開店には行列ができていて、開店してからは、お店の人は大忙しとなる。

とくにカレー鍋の前の店主は、鍋をかきまわしたり盛ったり、一つの鍋があくと作ってある次の鍋を前に置き、とにかく身体を動かし続けだ。

カウンターと座敷あわせて40人ほど入る店内は、全員が同じカレーライスを食べている。しかもみな馴れた注文の仕方で、「なみ」「なみ、あかぬき」「ちゅう、あか」とか叫ぶ。

こんなカレーライスの景色は初めてだ。

1011作業服やスーツや制服姿の男女が入り混じり、気取らず楽しそう食べている風景が、とてもよい。学校給食でも思い出すのかな。

しかし、カレーライスというのは、おもしろい食べ物だと、あらためて思った。

ここのカレーは、昔の黄色いカレーのバリエーションといえるが、甘さと辛さの混ざり具合は、かなり独自のものだ。辛いのが苦手の店主が作り上げたのだそうで、甘い、いや、やっぱり辛い、いや甘い…甘さも複雑、辛さも複雑、あわせてさらに複雑、という感じが続く。

夜の居酒屋タイムも混雑するらしい。こんど行ってみたい。

1003

おれが食べたのは「並」だが、たっぷり大盛りぐらいあった。

1002


|

2018/04/23

画家のノート『四月と十月』38号、「理解フノー」連載20回目。

1001

1002

もう下旬になってしまった、今月は4月なので、美術同人誌『四月と十月』38号が発行になっている。

表紙の作品は、松林誠さんが担当、「『四月と十月』全面を覆うカバーのようなイメージです」とのこと。デザインは毎度の内藤昇さんだ。

おれは同人ではないが「理解フノー」という連載を持っていて、今回は20回目で「「バブル」の頃③ 崩壊」を書いた。

「バブルの頃」は、最初の予告通り、3回で終わりだが、まだまだ書けそうだ。でも、これで最後にする。

昨年末、たまたま出先で見たテレビに、あのバブルを象徴する「戦後最大の経済事件」といわれるイトマン事件の立役者、許永中が出演していて驚いた。あの事件以来、初めてのマスコミ登場だとか、現在は韓国にいるとのこと。刑務所暮らしは7年ぐらいだったらしい。

イトマン事件の全貌はあきらかになっていないが、とにかく絵画を担保に巨額の金が動いた。そのことについても、今回はふれた。おれも当時は、某銀行を舞台にしたアヤシイ金の動きの末端にからんでいたので、もっと書けることがあるのだが、これぐらいでやめておいたほうがよいだろう。

書き出しは「最近会った四〇代後半の経営者が「銀行がね、金を借りてくれっていうんですよ、バブルの頃と同じですね」といった」ことから始まる。

「バブル景気は崩壊したが」「バブルは手を変え品を変え、どこかに出現する。膨らむ「夢」を語りながら」というのが〆だ。

この連載では、いつも写真を一枚つけなくてはならない。写真と文字でコラージュの真似事みたいなことをしてみた。千円札を手に持って宙に浮かして撮影、「夢~」の文字を組み合わせ、トリミングした。

ふわふわしたバブルな夢物語はどこへゆく。昨今のバブルは、どういう結末になるのか。繰り返されるループから抜け出す創造力はあるか。

今号から同人に、「家族」が加わった。

内沼文蒔・晋太郎・カンナ(息子・父・母)の家族の「共同制作」だ。2017年生まれの文蒔が絵を担当、晋太郎が文、カンナが制作補助を担当、「アトリエから」に作品が載っている。子供の成長と共に、どうなっていくか、楽しみだ。

新連載も2本スタート。岡崎武志さんの「彫刻」、1回目は「上野・西郷隆盛」。木村衣有子さんの「玩具」、1回目は「東京の郷土玩具・今戸焼」。

連載は、全部で14本になった。

『四月と十月』のサイトはこちら。
http://4-10.sub.jp/

1001_2


|

2018/03/26

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」65回目、新宿・石の家。

1

今日は、前のエントリーでの予告をはずして、この件だ。

毎月第三金曜日の連載、今月は16日の掲載だった。

すでに東京新聞のWebサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018031602000190.html

いつごろから始まったのか、少し前に知ったのだが、同じ東京新聞のWebサイトでも、スマホ閲覧用に編集されているらしいものもある。こちらは、写真も大きいし店の外観も載っている。
http://news.line.me/issue/oa-tokyoshimbun/7be7f59846c6?utm_source=Twitter&utm_medium=share&utm_campaign=none&share_id=NPf21190802021

今回は、新宿の石の家だ。本文にも書いたが、ここは上京した1962年の秋に初めて入ったと記憶している。

餃子のうまい店があるということで、誰かについて行ったのだと思う。それまで、この近辺に一人で行ったことがなかった。

新宿駅南口の甲州街道を御苑の方へ向かって下った、そのあたりは、夜は近づく気がしないほど、不気味な大人の町という感じで、とにかく歌舞伎町よりこわい感じの一角だった。

当時の東京の木造家屋は、どこも煤煙で汚れたような色をしていたが、この一角は、とくに薄汚れ感があり、建物も粗末なバラックに近いものがひしめいていた。夜はネオンも少なく、薄暗く、アンダーグラウンド感が半端じゃなかった。

石の家は、あたりではマシな建物で、普通の二階屋だった。一階のカウンターは、いつも一杯で、連れだって行くと二階に上げられた。民家の和室の部屋割にテーブルが置いてあって、そのどれかの部屋で、他の客と一緒に食べる。というぐあいだったと記憶している。

ふりかえって気が付いたのだが、そのときから、やきそばを食べ続けなのだ。行くと、ほぼ確実に、やきそばを食べていた。こんなに同じ店で同じものを食べているなんてことはない。タンメンもうまくてよく食べた。2、3人で行くと、やきぞば、タンメン、餃子は定番だった。

いわゆる「柄のよくない男たち」が多い街であり店である、と見られていた。甲州街道をはさんで反対側に場外馬券売り場があって、そこの男たちが、街頭や店にたむろしていたからだ。当時は、競馬を犯罪の温床のように見る向きもあり、ま、ある種の見方からすれば、まるで根拠のないことではなかったが、偏見も強かった。

とにかく、ここのやきそばは、ときどき思い出しては、食べたくなる。

ほかの一品料理もうまいのだが、いつもやきそばが優先されてきたので、あまり種類を食べてない。

焼酎が以前からキンミヤだった。それがキンミヤであると知ったのは、比較的新しいことで、いつごろだったか、1990年代始めごろだろうか。それまでは銘柄など気にせずに、ようするに普通の焼酎と思って飲んでいた。いまだって普通の焼酎には違いないはずなのだが。新宿でキンミヤは、ここ以外は知らなかった。

店舗は、前の薄汚れた木造の建物から、今のビルになる前があったような気がするのだが、あるいは前の建物をリニューアルしていたのかも知れない。とにかく、今のビルになる前があったような気がするのだが、思い出せない。そのカウンターに座ると、店の人も競馬をやっているし、競馬好きの男たちの面白い話が聞けた。

昨年末、中原さんとここで飲んだ。中原さんとは、前にもここで飲んでいる。彼も若い頃から利用しているのだ。あれこれ料理をつまみ、やっぱりやきそばになった。

今回は3月早々に行ったのだが、店内が一新されていた。2月の末にリニューアルしたのだそうだ。

ビルの外観のような、真っ白の店内、テーブルトップまで白。石の家の象徴のような昭和なオヤジ猥雑感が完全に払拭され、いまどきのオシャレなカフェのような……。が、しかし、煙草プカプカのオヤジカラー前面の男たちであふれていた。

一時、70年代だったと思う。東口のお多幸の前に出店したことがあったが、いつのまにか無くなった。

1009

1018

|

2018/03/05

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」64回目、東池袋・サン浜名。

1201802_2

毎月第三金曜日に東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」、2月16日の掲載は東池袋の「サン浜名」だった。

すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018021602000178.html

ここは、わめぞ一味が企画運営する「鬼子母神通り みちくさ市」の打ち上げで、夜は何度か行っていた。

2017/11/22「鬼子母神通りみちくさ市、ノイズとカオスとDIY。」に書いた、ジョッキのチュウハイをかぶったのも、ここ。わめぞ一味と共に、楽しい思いでのあるところ。

貸し切りの飲み会で、飲み放題を思い切り飲めた、いつも大量の料理が出てきた。ここのおやじさんは、大量に作って出すのを楽しんでいるように見えたし、みんながその豪華山盛りに歓喜する姿を、楽しそうに見ていた。

だからランチはどんなアンバイなんだろうと気になっていたのだ。

いやはや、おどろいた、こんなランチは初めてだ。

単なる「デカ盛り」とはちがう。

ただでさえ山盛りのおかずに、「二の膳」がつくのだ。その「二の膳」がこっている。リンゴの小さな一切れがついている。なぜか、うどんとおにぎりまでついている。

この「二の膳」はいつもつくのかとおやじさんに問うと、昼だけのサービスです、と、「どうだ!」という感じなのだ。やっぱり、客にたくさん食わせ、客がよろこんだりおどろいたりする姿を見るのが楽しみにちがいないのだと思った。

おかみさんには、初めて会った。とても気さくで楽しい愉快な人だった。店主夫妻とも、まったく着飾ったところがない。店内も、そう。

客は、いかにも大食いそうな男ばかりが一杯で、おれから2人目ぐらいに入った人は、ごはんが売り切れで断られていた。

サン浜名は、地下鉄東池袋駅そばの高速道路の下にあるのだが、真ん前の東池袋四丁目地域は再開発で以前の姿は空襲にあったように消えてしまった。

かつて1980年代、サンシャインシティの横にはファミリーマートの関東本部があって、仕事でよく行ったし、のちに事務所が東池袋公園の近くにあったことから、東池袋四丁目のへんは好きで、よくウロウロした。

Ikebukuro_asahi大勝軒は、そのころから行列ができる店だった。2度ほど入っただけ。ツケメンは、いまでもそうだが、あまり食う気がしない。都電東池袋四丁目駅そばに、小さな魚屋があって同じ建物で小さな食堂をやっていた。そこは何度か利用した。それから、朝日食堂があって、再開発後も営業していたのだが、どうなったんだろう。サン浜名のほぼ真ん前、東池袋4丁目の方へ入っていく路地の角には、古いインベーダーゲーム付きのテーブルのままの古い喫茶店があって、そこでよく時間をつぶした。そのへんは、まったく景色が変わった。路地だったところまで、もう「路地」とはいえず「道路」だ。

Ikebukuro_higasisyouten_2

東池袋4丁目あたりは、もとは「日の出町」であり、あまり大きくない古い住宅が密集するところで、駄菓子屋などがある日の出町商店街(日の出商店街といったかもしれない)があって、夕方そのあたりを歩いていると、銭湯帰りの人が店の人と立ち話しをしている景色も見られた。

わりといろいろなことが思い出される地域なのだ。

以前このブログにアップした、2006年撮影と思われる、東池袋4丁目の商店街と朝日食堂の写真も載せておこう。

日の出町は、巣鴨刑務所などが建つ東京と池袋の「辺境」だったが、巣鴨刑務所はサンシャインシティとなり、東池袋となり再開発で池袋に飲みこまれたようだ。

サン浜名は高速道路の下にあったおかげか、再開発されることなく、池袋に飲みこまれることなく、そのまま残っている。

小沢信男さんは、東池袋に住んでいたことがあり、よくこの近辺のことを書いていた。

2006/09/23
小沢信男「池袋今昔物語」と白っぽい再開発

2006/11/07
池袋辺境徘徊のち西川口いづみや

1005

1008

1006

|

2018/02/04

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」63回目、東十条・みのや。

1201801

毎月第三金曜日に東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」、1月19日の掲載は東十条の「みのや」だった。

すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2018011902000172.html

みのやは「とんかつ」が看板の店で、ほかのフライ類やハムエッグ定食もあるが、一番人気は600円のロースとんかつ定食だろう。

本文にも書いたが、1962年に上京してしばらくは、とんかつは高いのでめったに食べられなかった。大衆食堂にもあったが、あのころはメニューの安い方しか見なかったのであり、そこにとんかつを見ることはなかった。

記憶では、まだ東京オリンピック前だったと思う、代々木にカウンターだけの比較的大きなとんかつ屋があって、楕円のステンレスの皿に型抜きのめしと千切りキャベツととんかつがのった「かつライス」が安い方だった。とんかつを食べたいときは途中下車をして食べたが、ふだん食べる定食の1.5倍はしたと思う。

とんかつが日常の普通の食事になっていくのは1960年代の後半からだったような気がする。飼料の開発が進み新しい養豚の方法が普及するのはそのころだから、生産の革新がもたらした結果だろう。

とにかく、とんかつはうまく、よく身体がそれを欲した。

目黒のとんきのとんかつを食べたときにはおどろいた。あんなに身の厚いとんかつは始めてだったからだ。それに歯ごたえがあまりなく、さくさくふわふわ食べられる。とんかつと別物という感じだった。

このみのやのロースとんかつは厚くなく、かといって紙のように薄くもなく、歯ごたえがある、おれが最もよく食べてきたとんかつだ。とんきまでわざわざ行く気はしないが、みのやへはときどき行きたくなる。

ここでとんかつを食べながら、代々木にあったとんかつ屋のカウンターの活気とあのころを思い出すのも「味覚」のうちだ。

とんかつといえば、なぜか、小津安二郎の『秋刀魚の味』の1シーンも思い出す。とんかつ屋の二階の座敷で佐田啓二が妹の恋人だったかな?と、とんかつを食べながらビールを飲むシーンだ。あれだけはよく覚えているのは、とんかつとビールが、うまそうなだけではなく、田舎者には手が届かない都会のハイカラな生活に見えたからかもしれない。

そういう高級でハイカラだったとんかつが日常のものになったからといって、とくに感慨はないが、とにかく、安いとんかつはうれしい。

比較するのはおかしいが、うなぎの蒲焼などは食べたくなることはないし、実際にもう10年ぐらいは食べてないけど、とんかつだけは日常からなくなって欲しくない。アメリカ産の豚でもけっこう。

それにしても、みのやの定食はめしも多いが、ついてくる豚汁が、どんぶりに盛られていて、これでめしを食える量だ。これに漬物がついた昔の豚汁定食の価値がある。その豚汁は、注文ごとに大鍋から人数分ずつ小鍋にわけ、刻んだキャベツやネギをたっぷり入れて煮る。

1004

|

2017/12/23

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」62回目は、浦和・いこい食堂。

1

12月19日の掲載だった。すでに東京新聞の東京新聞のWEBサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017121502000197.html

今回は、地元のさいたま市浦和の食堂だ。さいたま市の食堂の登場は、大宮のいづみやだけだったから、2軒目ということになる。60回をこえる連載で2軒だから、地元を優遇していることにはならないだろう。

とにかく、ひさしぶりに、ジャンクヘビー級の登場といってよい。

大衆食は、「B級グルメ」などといわれ消費主義の娯楽や趣味の対象となってきたが、もとはといえば労働食であり生活食なのだ。その原点を、店のたたずまいからメニューにいたるまで、ブレることなく真っすぐに貫いている。

浦和駅と県庁を結ぶメインストリートの県庁に近い所にある。あたりは、目下再開発の真っ最中だ。この食堂は、その大きな力に寄り切られそうになりながらも、まだ寄り切られずにいるという感じだ。

メニューについては、本文にも書いたが、ボリュームで攻めている。客たちもボリュームを攻めている。それが、潔い。

食べたのは日替わりサービス、ヤキソバと半チャーハンにみそ汁で550円だ。

小賢しい食べ歩き趣味や娯楽の連中など、寄せ付けないような威力のチャーハン。こういうチャーハンは、初めて見たが、ゴロッとしたたまご焼きなどを、ざっくり混ぜ合せただけの、有無をいわせない力を持っていた。

考えてみれば、チャーハンとはね、とか、エラそうにしているのが、おかしいのだ。そういう風潮を笑い飛ばし蹴散らし、生活は突き進む。

20代30代の男たちが(意外に多かった)、もりもり食う姿に、未来の可能性を感じた。

こういう食堂については、ごたくを述べるほど、自分の浅はかさが浮かんでくるようで、嫌になるからこれぐらいにしておこう。

ジャンクヘビー級に打ちのめされながら、いつも感じることは、大事なのは「おれはおれでちゃんと生きているぜ」ってことであり、時流だの成功だのは小さなミミッチイことなのだ。

それにしても、このコシのある細い麺の焼そばは、チョイとクセになりそうだったな。

1001

1002

1005

1014

|

2017/12/12

61回目、東京新聞「大衆食堂ランチ」は浅草・君塚食堂。

1

告知が遅くなってしまった、先月11月の第3金曜日、17日に掲載になったものです。

すでにこちら東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2017111702000182.html

何年前だったかな、上野・浅草は国と都によるグローバル・シティ戦略とかのゾーニング政策によって、国際観光都市「下町」という役割を担わされた。

浅草をみていると、そういう政策がまちにおよぼす影響の大きさをマザマザとみる思いがする。ようするに、なんだかんだいっても、まちの発展も衰退も、国や自治体の政策しだいなのだ、ということだね。

この連載では、これまで浅草の食堂を2店紹介している。観光客でにぎわう雷門近くの「ときわ食堂」、観光のメイン浅草寺の西側のブロックで、観光より生活のにおいがただようあたりにあって、浅草に住む人や勤める人や生活的浅草詣を続ける人たちが多い「水口食堂」だ。

今回は、水口食堂と同じブロックだが、「奥山おまいりまち」という参道にあって、しかも真ん前には、浅草が大衆芸能の中心地であった名残りをとどめる、大衆演劇の木馬館と浪曲定席の木馬亭が並んである。

この通りは、近年の浅草国際観光都市化計画にしたがって、ふるい建物は姿を消し大きなホテルが建ち、君塚食堂がある長屋の建物の外壁は「伝統風」なデザインで覆われた。

ここには君塚食堂のほかに前田食堂という古い食堂がある。どちらにしようか迷うところだが、前田食堂は比較的メディア露出が多い感じなので、君塚食堂にした。もともと、こちらを利用することが多かったということもあるのだが。

この通りも観光地化が進んでいるとはいえ、観光客の多い雷門から浅草寺境内のにぎわいに比べると、その1%に満たないのではないかと思われる。

少なくとも、浅草寺境内で目立つ貸衣装らしい和服姿の外国人カップルや団体旅行客、バブリーな観光ファッションは、まったく見かけない。

君塚食堂には、英語のメニューもあって観光客の姿もみかけるが、こういうところが好きな人たちというのは、万国共通の雰囲気があるような気がする。すっかり場にとけこんでいるのだ。

近所の馴染みの勤め人らしい中年男性が、おでんとおにぎりを頼んでいた。「国際観光都市」の伝統風を背負わされた食堂に、そんなテがあるのも、いい。

おれは、以前に、ときどき木馬亭の浪曲のあとに、ここでチキンライスを食べながらビールを飲んでいた。今回は浪曲のあとではないが、またもや、それにした。チキンライスはとくにうまいわけじゃない、普通だ。それがいいのだが、グローバル化の渦中で、普通のもつ力や可能性を考えたりするには、ここでチキンライスを食べるのもいい。

1013

1015

1010

|

より以前の記事一覧