2016/10/13

ぴあMOOK『東京大衆食堂100』で巻頭インタビューと「進化」。

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10月初め、きのう書いた『dancyu』11月号が出たころ、ぴあムック『東京大衆食堂100』が発売になった。これ、いま奥付を確かめたら、発行日は今月30日になっている。このへんの仕組みは、出版業界に疎いおれには、よくわからない。

とにかく、『東京大衆食堂100』の巻頭インタビューに登場している(巻頭インタビューに応じただけで、企画編集取材には関係してない)。

013001発行は「ぴあ」だけど、編集は「下請け」といわれる編集プロダクションで、その会社から連絡があって、登場することになった。社長さんやら担当の編集さんやらから、いろいろメールがあり、どれもしっかりしたやりとりにならず、なんだかドタバタな様子で、大丈夫かな~と思いながら、ま、そのへんが「編プロ」のおもしろさだろうと思いながら付き合っていた。

しかし、インタビューの場には、それまでメールでやりとりがあった人たちとはちがう女性があらわれて、この人がインタビューをまとめたのだけど、インタビューの最中から食いついてくるところが、おれ的にはツボで、これは期待できそうという感じだった。

インタビューと撮影は、三鷹のいしはら食堂で行われた。そこからの帰りの電車で、彼女は錦糸町生まれ育ちと知った。それでちょっと納得のいく点があった。

実際の仕上がりは、おれも途中で原稿チェックはしているけど、文章は少々あらっぽいながらも、基本的にはうれしいセンでまとまった。

扉の見出しにある「大衆食堂に批判はご法度」の文言が、ちょっとキツイなあと思い考えたが、おれは編集さんがつけた見出しには口をはさまない主義でもあり、けっきょくそのままにした。そこに、彼女の「熱」を感じたからだ。

それは、本文中の見出し「大衆食堂は”おもしろい”の宝庫」「味の傾向を知る基準になる料理を見つけておくと便利」の内容につながるところなのだが、このあたりの話はかなりカットされて、「ぴあ的」に都合のよい消費的な興味の対象になるところがチョイスされるのをカクゴしていたのだが、違っていた。先入観は、いかんね。

って書いても、読んでない人には、わかりませんね。

ところで、ここから、昨日の話と関連する。

このムックには、昨日の菱田屋も登場しているのだが、その見出しには、こうある。

伝統を守りつつ
新たな風が吹き込まれ
進化し続ける

このように「進化」という言葉が使われている。こういう例は、けっこう多いと思うのだが、たぶん「伝統」に対して「新しい」が継続している状態をあらわしているのだろう。

おれはインタビューで「テッパン大衆食堂の見つけ方」を話しながら、オススメの食堂を3店あげて欲しいといわれ、そのようにしている。

編集全体としては、売り上げが大事だから都心のターミナル駅などを中心にした店のセレクトになるので、おれは都心からはずれた場所で選んだ。

そのうちの一店が、野方の野方食堂だ。

そこでおれは「野方食堂は古い食堂なんだけど、代替わりして建物も新しくなった。でも実に見事に歴史を継ぎながら、新しくなっているんですよ。家族経営の雰囲気も残しているけど、昔のままでもなく、かといって個性のないチェーン店でもない。新しいスタイルの食堂の可能性を感じさせる」と話している。

これも、「歴史」に対して「新しい」であり、「進化」といえる。

だけど、この2店は、方向性が違う。それは、内装にも表れているのだけど、場所や経営や人の条件など「歴史」の継続は負荷でもあるから、人間がシステムを動かしているようでいながら、システムに従いながら変化しているのと同じ状況があらわれる。

ようするに、あるのは「変化する環境への適応」であり、それを「進化」と見るかどうかは、「見方」のことなのだ。だけど、とかく、とくに科学や技術や技能のことになると、「進化」は客観的に存在し「善」であるかのようなことになりやすい。その反対は、もちろん、「退化」だ。

だけど、ほんとうに、そうなのか。それは、「進化」の現代病と思われなくもない。

と思っていたら、ちょうどきのう、ツイッターで、こういうのを見つけた。とてもおもしろい。

「退化」は進化の一環、新たな力を得た動物たち
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/101100383/?n_cid=nbpnng_twed

「進化」って、なんだ。一義的には、「新しい」かどうか「進化」かどうかではなく、環境への適応じゃないのか。「退化」は、必ずしも「悪」ではない。

「新しい」「進化」だと評価され注目されながら、消えていったものは、いくらでもあるような気がする。消えれば、忘れられる。ようするに昨今の「人間社会」では、市場性や売り上げしだいで「進化」が評価されるということか。

と、退化する野暮は考えているのだった。

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上、野方食堂。下、菱田屋。

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2016/01/18

ふみきり@溝の口でのトーク、盛況御礼。

一昨日のふみきり@溝の口での坂崎仁紀さんとのトーク、ご参加のみなさん、ありがとうございました。

ふみきりはスタンディングが基本の店とはいえイスも用意してあり、人数によってはイスを使う予定だったけど、それでは入りきらない人数になったことから、トーク後の懇親飲みも含め約4時間立ち続けというアリサマだった。お疲れさまでした。

002最初の写真は、会場のものではなく、大宮のいづみや。なんだか、なごみますね。

おれは、東大宮から遠い溝の口へ行くのに、まずは大宮のいづみやで一杯やり、つぎに新宿あたりで一杯やり、という予定で、早めにウチを出た。近頃のいづみやは、いつも混雑していて(最近また『散歩の達人』に載った影響もあるらしい)、この日も9割方の入りで、空いていた壁と向き合うカウンターに座ったら、目の前に、このPOPがあった。

これ、どうやって作ったのだろうと、目を近づけて見るけど、わからない。とにかく、絵柄はいづみやのおばさんの感じがよく出ているし、だけど手描きでもないし、オリジナルでもないようだ。それにしても「舶来ハイボール」とは、まさに昭和的表現。

デレデレ飲んでいるうちに、気がつけば、時間がギリギリになっていた。もはや、新宿でもう一杯の余裕はない。渋谷で田園都市線に乗り換え、ふみきりに着いたのが17時。トークのスタートは17時半の予定だ。

ふみきりは、初めて行ったのだが、コの字カウンターの店。厨房ではタイショーが料理を作っていた。「タイショー」とは、以前から、ときどき当ブログに登場している、塩崎庄左衛門さん。たぶん10年以上前、タイショーと初めて会ったときは、カメラマンだった。そのころは、田口ランディさんと一緒にメキシコを旅し写真を撮り、『オラ!メヒコ』(角川文庫)という本になっていたり。いまでも、カメラマン仕事もやっているらしい。おれとは日本森林再生機構の同志だ。ようするに、一緒に酒を飲んでいるだけで、よくわからない楽しい関係なのだ。

そのタイショーが『ちょっとそばでも』の著者・坂崎さんと知り合いだった関係で、今回のトークになった。坂崎さんとは、昨年後半、鴬谷の信濃路でタイショーに引き合わされた。その後、メールでのやりとりはあったが、顔を合わせるのは、この日が2回目。

これまで東京西南方面でのトークというと、下北沢や経堂では何回もトークをやっているが、渋谷の大盛堂書店で速水健朗さんと対談、鎌倉でヒグラシ文庫の主催で瀬尾幸子さんと大竹聡さんと鼎談をやっているだけで、東急沿線では初めてだ。

ということで、今回は、いつもの野暮連な面々のほかに、横浜方面の方々が来てくださった。予告もなくあらわれた、久しぶりのエロモリタ夫妻、うれしかった。かねがねお会いしたいものだと思っていた在華坊さんが来たくださり、うれしい初対面の挨拶。

エロモリタ夫妻は、あいかわらずエロ元気で楽しい。トークが始まる前からエロ夫妻と野暮連周辺は、「野暮は正しい!」「エロは正しい!」とエロウ盛り上がり、そのままトークに突入した。

もちろん、坂崎さんのお知り合いや、立ち蕎麦ファンの方もおられた。

坂崎さんとおれとで事前に用意した、といっても、おれは写真をセレクトし坂崎さんに送っただけ、坂崎さんがまとめてDVDにしてくださった。それを映し、その前で、トークする。お客さんも立ったまま。店内一杯なので、舞台スペースというほどのものもなく、お客さんのなかに混ざりあう感じで、これが、なかなかよかった。やはり、舞台的空間と客席的空間が別なのとは、だいぶちがう。

最初の画像は、かつては、都内の「国電」の駅いたるところにあったが、いまは秋葉原駅の総武線ホームにしか残っていない「ミルクスタンド」だ。そして、話は、「初めての立ち食い」ってあたりから。

戦中の1943年生まれのおれの年代は、たいがい「立ち食いイケマセン」で育っている。田舎育ちも関係するのだろうけど、上京して、ミルクスタンドの前で立ったままパンと牛乳で腹ごしらえすることに抵抗感があった。抵抗感がありながらも、空き腹には抵抗できず、利用した。1962年頃の「国電」駅には、ミルクスタンド以外、たいしてなかった。

1959年鎌倉の生まれ育ちの坂崎さんのばあいは、『ちょっとそばでも』の「名代 富士そば」のところにも書いているように、10代ぐらいに、この渋谷店に行った記憶がある。

そこにある年代と体験の差は、立ち食いをめぐる文化の変化でもある。

蕎麦は江戸の「ファストフード」といわれたりするけど、「立ち食い」となると事情は単純ではない。立ち食いは、戦前からあったのだけど、都市の下層労働者のあいだでのことだった。そして、戦後は、都市のサラリーマンとの関係で成長した。つまり、高度経済成長期と重なる。立ち食いが「市民権」を得て、「ファッション」にまでなったのは、1970年代前半、マクドナルドの進出からだろう。

そうそう、イチオウ、このトークのテーマは「これが昭和だ東京の味だ」ということだった。立ち食い蕎麦は、戦後の昭和の食文化や東京の食文化を、とてもストレートにみることがきる。もちろん大衆食堂もそうなのだが、大衆食堂は立ち食い蕎麦店より空間的なゆとりがあったぶん、空間の物語性が占める割合が大きくなる。過剰な人情話など。

立ち食い蕎麦店は、近年はイス席が拡充するなど様子が変わってきたが、それでも基本は、金銭と時間の制限がある勤労者によって支えられている。空間に物語性があったとしても、お客の滞在時間は短いし、そこに期待される割り合いは、わずかだ。

おれは、そう思いながら、このトークにのぞんだ。

いろいろ話は転がり、最後は、「いい店おもしろい店」を画像で紹介しながら、興味深いところを話して、終わりとなった。

立ったままのトークというのは初めてだったと思うが、身体を自由に動かせるから話のリズムをとりやすい、スタンダップコメディのように、調子よく楽しく話を運べるが、トシのせいもあって疲れる。最後の方は、疲れて、メンドウになって、終わりにした。

あとは、もう懇親会がにぎやかでしたね。これが楽しみのわけです。もうドンドン飲んで、途中からよくわからない、どうやって帰ってきたかもわからない。よく帰って来れたなあ。

書くのもメンドウになったので、これぐらいで。

酔仙亭響人さんがツイッターに写真をアップしてくださった。どうもありがとうございました。

在華坊さんも、ツイッターでコメントしてくださいました。ありがとうございました。そのうち、在華坊さんと野毛を飲み歩きたいと思っています。

溝ノ口『ふみきり』で、エンテツこと遠藤哲夫さんと坂崎仁紀さんのトーク。立食いの都市下層労働者からサラリーマンへの需要変遷、北関東の粉食文化、街場の蕎麦と一味違う大衆蕎麦、関東の味とは砂糖と醤油、大衆食における出汁の意味、面白い大衆蕎麦大衆食堂の店情報、興味深い話テンコ盛りだった!
22:01 - 2016年1月16日
https://twitter.com/zaikabou/status/688345295474720768

溝ノ口『ふみきり』は居心地の良い店でした。トークのあとは、エンテツさんや、野毛をはじめあちこちの飲み屋事情に詳しい方、野毛闇市についての出版関係の方、美術館関係の方、牧野伊三夫さんのお知り合い、歓楽街の社会学に知見のある方、いろんな方とお話できて、とても楽しい時間でありました。
22:06 - 2016年1月16日
https://twitter.com/zaikabou/status/688346552553754624

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2015/01/10

発売中の『dancyu』2月号に、おれのフチが欠けた酒器が載っている。

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先月末、いや、昨年末に、掲載誌が送られてきていた『dancyu』2月号は、すでに6日に発売になっている。

特集は「日本酒クラシックス」のタイトルで、毎年恒例といってよい、日本酒特集。「家呑みを語る あの人の、この盃 呑みたくなる酒器」というページがあって、おれが愛用の酒器が、おれのコメントもついて載っている。

ほかにご登場のみなさまは、落語家の春風亭一之輔さん、文筆家の木村衣有子さん、グラフィックデザイナー、作家の太田和彦さん、フリーアナウンサーの平井理央さん、漫画家の吉田戦車さん。

おれの肩書きは、いつも「フリーライター」でよいのだが、そういうわけにもいかないらしく、編集サイドにまかせている。今回は「大衆食堂の詩人」と。

ま、ついでのおりにご覧ください。

ところで、その酒器。もう長い間、どんな清酒を飲むにも、これしか使ってない。

ずいぶん前にフチが欠けてしまった。そのまま。だいたい、皿でも欠けたぐらいでは捨てないで使っているから、特別に思い入れがあるわけじゃないけど、ほかにリッパな盃があっても使う気がしない。おれ自身、無欠を誇れるような人生でもないし。いまでは、すっかりおれの心身に馴染んでいる。

掲載のついでに、いつごろ買ったか調べたところ、1980年代の始め、美濃で買っていた。80年代は、美濃や瀬戸へ、何度か行った。江原生活料理研究所の開設や、しる一の開店、そのあとほかの飲食店の開店の手伝いなどが続き、半分は仕事。それから、バブルのころは、関西へ遊びついでに寄ったりもした。

この酒器は、織部焼だが、そのころおれは(茶をやっていたわけじゃないが、日本料理に関係するから)、わびさび茶から大名茶へ、とくに有楽、織部、遠州あたりへ興味が移っていた。それで、美濃でこれを見たとき手を出した。

80年代始めのころは、東京のデパートあたりでも、織部焼はめったに店頭に並ぶことはなかった。おれの記憶では、織部が一般に広まったのは、『美味しんぼ』がきっかけで、魯山人が一般に知られるようになってからだと思う。魯山人から織部を知ったという人も少なくないだろう。

ちなみに、中公文庫の『魯山人味道』は1980年の発行、『魯山人陶説』は1992年の発行、ビッグコミックで美味しんぼの連載が始まったのは1983年。

80年代、美濃や瀬戸の窯や町を訪ねて、最も衝撃的だったのは、瀬戸の変わりようだった。80年代始めは、まだ「瀬戸物」の町だった。町の中心部を流れる川に沿って、瀬戸物屋が軒を連ねていた。

だけど、瀬戸の窯は曲がり角だというウワサもあった。一つは、原料の鉱山が先細りのこと、一つは、発展する名古屋や豊田などの住宅地として期待が高まっていること。原料は輸入に押されてもいたが、鉱山や窯の土地は、住宅地への利用のほうが「経済効果」が高くなる動きにあった。

80年代の後半、瀬戸を訪ねたときは、軒を連ねていた瀬戸物屋は、見た目、半分以下になっていたし、とくに小さな店舗は壊滅状態で、無残なさびれぐあいだった。わずか数年のあいだの、この変貌には、びっくりした。

行くたびに焼物の話を聞いて親しくしていたオヤジの店も空き家になっていた。その前で、しばしボーゼンとしましたね。

そのオヤジは、焼き物にとりつかれ、自分で窯を持ち、とくに「利休茶碗」に近づくため苦労していた。いくつも作っては捨てを繰り返していた。そのなかの、いくらかマシという一つを、オヤジがくれるというのでもらって、飾っておけばよいものを、そういうココロのないおれは、めし茶碗に丁度よいので使い、いつもおやじのことを思い出していた。その茶碗は、十年少し前、うっかり落とし、割れてしまった。

この酒器を見ていると、そんなことまで、思い出すのであります。

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2014/12/22

自分に合った『深夜食堂』を持つ方法(後編)。

土曜日締切だったが二日酔いで仕上げられなかった原稿は、今日の昼に仕上げて送った。

忙しくているあいだに、いつのまにか、「自分に合った『深夜食堂』を持つ方法(後編) エンテツさんに聞く酒場のカウンターカルチャー」が掲載になっていた。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/campanella/20141210/274996/

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2014/12/13

自分に合った『深夜食堂』を持つ方法(前編)。

日経BP社が企画・編集しているWebメディアCAMPANELLA[カンパネラ]に、「エンテツさんに聞く酒場のカウンターカルチャー 自分に合った『深夜食堂』を持つ方法(前編)」が掲載になりました。

文は須田泰成さんです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/campanella/20141128/274387/

明日は、衆議院選挙の投票日、カウンターカルチャーの前進になる一票を!

仕事も、いよいよ今年最大の山場に差し掛かり、来週が勝負。


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2014/12/01

まだ11月だった先週のこと。

12月になってしまった。

先週、11月の最後の週は、あわただしく、しかも毎日東京へ出かけることになり、少々疲れた。やっぱり、東京は疲れる。大雑把にメモをしておこう。

27日は、夕方、新宿で『dancyu』のインタビューを受けた。1月6日発売の日本酒特集に載るのだが、いつもは取材して原稿を書いている雑誌に取材を受けるのは、取材するより疲れる。終わると、新宿の喧騒をさっさと逃れ、東大宮に着いてから飲んだ。

ムシが知らせたわけではないが、ここのところ年末スケジュールで追いまくられているから、外で飲みすぎるわけにはいかない、家で飲もうと早めに切り上げて帰った。家で飲めば、まず二日酔いの心配はない。

すると、TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」から連絡があって、翌日の夜の10時45分頃~11時45分のメインセッションのコーナーに、急遽出演することになった。この件については、前のエントリーに書いた。

28日の当日は、夜の10時15分にスタジオ入りだった。前回のミッドナイトセッションに出演から1年ぶりぐらい。ディレクターさんから台本をいただき、打ち合わせ。台本といっても流れが書いてあるだけで、ぶっつけ本番だ。それに、前回でわかっているが、チキさんは、話の流れで、どこに話が転がっていくかわからない。おれも、ほかの番組でも、そうだが、目が悪く台本がよく見えないから、司会者に反応しながら話す。出たとこ勝負、これが楽しい。

深夜にいただいたメールには、「ご飯のお供が普及、求められてきた背景、社会構造の変化や、日本経済に何があったのかなどについて」とか書いてあって、カタイ話をしなくてはならないのかと思っていたが、台本を見ると、「わいわいモード」(『荻上チキ・Session-22』には、「探究モード」とか、いくつかのモードがある)で、タイトルが「大阪の学校給食でふりかけの持ち込みが議論に!今こそ語ろう!ご飯のお供」となっている。お気楽な感じ。

スタートは、南部広美さんが、ほぼ台本通りに進む。

■大阪市立中学校の給食をめぐり、ふりかけの持ち込みを認めるかどうか、今週、橋下市長が市の教育委員会と議論しました。

■大阪市は今年春から公立学校の給食を外部業者に委託したデリバリーにしましたが、この給食に対して生徒達からは「冷たい」「おいしくない」といった声が相次いでいます。

■今年の6月の教育委員会のアンケート結果を見ても、「全部食べている」という回答は10.8%、「ほぼ全部食べている」の15.7%と合わせても26.5%足らずで、およそ4分の3にあたる生徒は給食を残しているという惨憺たる状況です。

■こうした事態を打開するための救世主として提案されたのが「ふりかけ持ち込み」という教員からの提案でした。この提案を聞いた橋下市長は「ふりかけはダメなんですか?」と驚いた様子で聞き返しました。

■実は学校給食は国の栄養摂取基準によって作られていて、1食あたりの塩分は3グラムほどにおさえられています。

■これにふりかけが加わると塩分オーバーになるという市の教育委員会を橋下市長が議論した結果、今週水曜日に橋下市長は学校判断でふりかけの持ち込みが可能になったことを明らかにしました。

■このように、給食の食べ残し対策の切り札として、ふりかけに注目が集まっているタイミングで、今夜は、ご飯のお供が持つ魅力や可能性について考えてみたいと思います。

ということだった。

チキさんも番組の中で言っていたが、この最後の2行で、ふりかけ持ち込み是か非かではなく、「ご飯のお供が持つ魅力や可能性について」考えるってことに、ガラリ変わる。これがまあこの番組の企画の柔軟性というか、面白いところ。

で、おれが紹介されたのち、「まずは、今回の大阪の給食でのふりかけ論争、遠藤さんはどう思われますか?」「結果的にふりかけの持ち込みアリだと思われますか?」と問いがあり、おれが答えたあたりから、フリートークな感じになった。

おれの言いたいことは、ようするにごはんの楽しみ方は、気分に合わせていろいろあったほうがよいし、そうやって食事を楽しんだきた。大人の都合で中途半端な給食をやり、不人気だからといって、また大人の都合でふりかけ導入というのもオカシイが、楽しみの少ないお仕着せの給食から抜け出す可能性として、いいんじゃないの、ということだった。

あと、ふりかけの歴史の話など。そして、スタジオのデスクの上にあった、ふりかけやご飯のお供の話になったり、街で取材したご飯のお供の話になったりして、前半は終了。

後半は、ご飯のお供を紹介しているブログ『おかわり JAPAN』の管理人、長船邦彦(おさふね・くにひこ)さんが、紹介するご飯のお供の現物と共に登場。おれが前回出場したときに豚汁を作ってくれたディレクターさんが、炊きたてのご飯を用意するなど、スタジオの中は、どんどん楽しく盛り上がった。

長船さんは、かっこいい青年。おれは、『おかわり JAPAN』は、充実している、どこか企画会社や制作会社が関係しているのかと思ったが、1人でやっているのだそうで、おどろいた。

北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州の8つの地方ごとに紹介され、どれもご飯に載せて食べたのだが、どれもうまかった。おれとしては、中部で、新潟の加島屋のさけ茶漬が登場したのがうれしかった。やっぱりこれだよと、ガツガツ食べた。

「ご飯のお供」は「おかず」より「格下」のイメージだが、なかなかどうして、ご飯のための豊かな文化なのだ。汁かけめしの親せき筋ともいえるだろう。

番組は、11時45分頃終了。金曜日の夜は、あまり肩が凝らない内容にしているのだそうで、「わいわいモード」は、楽しくてよかった。食べものは、話しているだけじゃなく、食べながらがよい。食べる、しゃべる、口は一つだが。

前の晩は、そこに社民党の党首が座っていたのですがね、といわれ、アレッ社民党の党首って誰だっけと考えたが思い出せなかった。

前回は、放送終了後、四谷3丁目の東陽片岡さんがやっているスナックで、朝まで飲んだり歌ったりしたのだが、今回は、翌日に大事な打ち合わせがあるので、用意していただいたクルマで帰宅。

翌日29日の土曜日の朝は、なんだかズッシリ疲れていたが、昼ごろには回復。午後3時から、有山デザインストアで、雲のうえ編集委員のみなさんと写真選びと打ち合わせ。スケジュールも、ほぼ決まった。これからが大変。

5時ごろ終わって、このまま帰るのは身体に悪いと、牧野さん、つるやさんと神田に出て一杯。つるやさんは、あとの用で離脱のち、おれたちは中野へ。まあ、一軒じゃ終わらないわけで、いやいや、飲む大義名分も、たしかあったわけだが。N合さん、S尾さん、O原くんに連絡したら、突然にもかかわらず、みなさん都合よく来られることになり、10時半ごろまで飲んだ。

そうそう、29日の土曜日、出かける前に、H田さんが脳梗塞で倒れられた連絡があった。前の週にお会いしたばかりなので、びっくり。雲のうえの打ち合わせの前、しばし脳梗塞の話になる。脳梗塞は、あとになってふりかえると必ず前兆があるのだとか。おれにはその前兆がありすぎるが、単なる酒のせいでもあるようだ。

是非ご覧あれ、『おかわり JAPAN』
http://okawari-lab.net/

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2014/10/23

泥酔野暮トーク「川の社会学」。

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小岩の野暮酒場亭主がツイッターで、「18日(土)、「エンテツの泥酔野暮トーク」開催。テーマは「川の社会学」。気鋭のスペイン語翻訳家・有馬洋平氏と、「東京」「下町」を東京の「西側目線」ではなく「東側目線」でとらえ直す意欲的試み!テキストは山本周五郎『青べか物語』。17時開店、18時スタート、投げ銭制。」と告知したトーク、予定通り18日にあった。

テキストは山本周五郎『青べか物語』とあっても、読書会ではない。このトークのアイデアは、6月ごろだったかな?野暮酒場のカウンターで有馬さんとおれが飲みながら、山本周五郎の『青べか物語』の話しをしていたときに、東京の東側土着民の有馬さんから「川の社会学」という言葉が飛び出したところから始まった。

おれと有馬さんが話していたのは、『青べか物語』の文学的評価に関することではなく、ブログ2014/06/28「山本周五郎『青べか物語』を読んでいる。」 に書いた、「このあいだある会社の内部資料を見ていたら、普通の庶民のことを書いて民俗的な資料価値も高いと、『青べか物語』があげられていた。それに、「普通の生活を対象に書くことの難しさは、普通の生活に奥行きを見る難しさでもある」とか、それを書き遺すことの大切さにもふれていた」ということに関することだった。

それはまた、有馬さんもおれも読んでいた、小倉美惠子著『オオカミの護符』(新潮社)も関係することだった。ようするに、東京の川や水のネットワークがつくってきた社会や民俗、ということになるだろう。

その場で「川の社会学」をテーマにトークをやろうということになったが、打ち合わせをするヒマがなく、ぶっつけ本番になった。プレというか公開打ち合わせのようなトークというか、その割には話がはずみ、「これから」につながる充実したものになった。

かつて東京と浦安を結んでいた通船は、江東区の高橋から出ていて、高橋は水上交通の要衝であったことなど、江戸と東京の成り立ちと川や水運の関係、川の上流と下流のつながりなどを話しながら、話はアチコチに転がった。

低地であり川が多く水運が発達したがゆえに、東京の東側が負わなくてはならなかったコンプレックスやルサンチマンやネガティブなことを、おもしろおかしく俎上にのせながら話は進んだ。

東京の東側と西側の断絶は、東京と地方との断絶と重なることを、有馬さんはスラスラ数字をあげて、東京の西側と東側の格差が東京と地方の格差に重なることを語った。

とくに近代の山の手文化の形成による、長い間の東側と西側の断絶、経済的格差や文化的な乖離は、たぶん西側のアタマには認識されてないことだろうが、想像以上に大きい。

東側は、東京である西側によって、「下町」や「人情」や「江戸情緒」の消費の対象にされ、コンプレックスやルサンンチマンやネガティブは否定される不条理、これは、地方が東京に「食糧供給基地」を押し付けられながら安く買いたたかれ、「自然」や「素朴」や「歴史時代物」などの対象として消費され、不満を言うと「地方のヒガミ」とたしなめられ否定され、地方はひたすら東京の顔色をうかがわなくてはならないのにも似ている。

つねに、高いところの「西側目線」は、だいぶ前に、「「東京」の侵略」をテーマに書き続けていた、月刊『アクロス』の三浦展さんが指摘したことだが、東側に住んでいても、西側の台地と同じぐらいの高さのマンションに住む人の意識は西側であると、チョイと杓子定規の感じもあるが、それぐらい、東京の「高」「低」が意識や文化や思想に影響を及ぼしているのは確かだろう。

001002有馬さんが、もともと武蔵だった足立は東京にならずに埼玉県だったほうが、そして、もともと下総だった葛飾は東京にならずに千葉県だったほうが幸せだったかも知れないと言い、そして、つぎから、このトークは、「いいトコに住んでいれば幸せか」ってことでやろうと言ったときは、おみごと!だった。

「いいトコに住んでいれば幸せか」は、五十嵐泰正さんとおれの「わめぞトーク」のタイトル「いいモノ食ってりゃ幸せか」の変化系といえるが、通じるところがある。

ま、トークはあちこちに転がったのだが、東京の西側がノーテンキのバカということを言いたいわけではなく、東も西もひっくるめた、「東京の幸せってなに?」ってことを考えなくてはならないし、考えるとなったら、ほとんど無視されてきた東側の「川の社会や文化や民俗」も東京の歴史として、キッチリ向かい合い東京が抱えることだ、ってあたりが結論になるかな。結論なんかない話だけど。

テナことで、ほんとうは、有馬さんは、『青べか物語』の舞台である浦安まで行って、いい資料を入手してきたのに、『青べか物語』や浦安の話にはならずに終わってしまった。

まったく思ってもみなかった、数年間は会ってない知り合いがバンドの「子分」を引き連れてきたり、「路地と人」で出会った人たちが来て、10数名も参加の予想外の盛況。それから、参加できなかったけど前日にわざわざ、浦安名物の「べかチョコ」を届けてくださったO崎さん。みなさん、ありがとうございました。

今後は、浦安を散歩したり、葛飾の水辺や元水辺を散歩したりするプログラムをやりながら、トークをデレデレと続け、いずれ東京の西側で、このトークをかましたいと思っている。これは、おもしろくなります。

写真は、地図をのぞきこみながら足立と葛飾の区境のぐにゃぐにゃ加減の由来と現状を話す有馬さんと参加者、それに「べかチョコ」。

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2014/10/16

「αシノドス」に「普通にウマい!はどうして大切か――大衆食堂からみえる食の形」

昨日発行の、荻上チキさん責任編集「知の最前線を切り開く電子マガジン」を謳う「αシノドス」vol.158に、不詳ワタクシも登場しています。

シノドスのサイトでは、シノドスについて、こう説明している。
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数多の困難に次々と直面している現代社会。しかし、それを語り解決するための言葉は圧倒的に不足しています。
わたしたちシノドスは、こうした言説の供給不足を解消し、言論のかたちを新たなものへと更新することを使命としています。「αシノドス」はそんなシノドスが提供する電子マガジンです。

◆「シノドス」と「αシノドス」は何がちがうの?
日刊メディアである「シノドス」では時事問題に応答すべく、「いま」必要な知識を供給することを目的としています。対する「αシノドス」では、「これから」注目されるであろうテーマを設定し、人文・社会科学から自然科学、そしてカルチャーまで、様々な分野から徹底的に掘り下げます。
…………………………………………

で、今回の「αシノドス」vol.158の特集は「いいモノ食いたい!?」のタイトルで「食」がテーマ。

「「αシノドス」では、「これから」注目されるであろうテーマを設定」ということで「食」であるのだけど、その掘り下げ方も、「これから」的、このような構成になっている。岸政彦さんはレギュラーの連載。

・遠藤哲夫「普通にウマい!はどうして大切か――大衆食堂からみえる食の形」
・橋本周子「美食批評はいかにしてはじまったか――食卓に込められた思想」
・水野壮、三橋亮太(食用昆虫科学研究会)「食材としての昆虫とそのリスク――野外で採集し調理する『プチジビエ』を楽しむには」
・岸政彦「もうひとつの沖縄戦後史(9)――売春街と『都市の生態系』」

橋本周子さんのプロフィールは、滋賀県立大学人間文化学部・助教。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了、博士(人間・環境学)。著書に『美食家の誕生――グリモと食のフランス革命』(名古屋大学出版会2014年、第31回渋沢・クローデル賞ルイ・ヴィトン・ジャパン特別賞受賞)。

「美食批評はいかにしてはじまったか――食卓に込められた思想」は、「食い道楽を表す「グルマン」は、時代の流れとともに、悪徳から美徳へなっていく――フランスの美食批評の源流をたどりながら、『美食家年鑑』著者のグリモの思想に迫る。」というもの。

グリモは、スティーブン・メネルの『食卓の歴史』(北代美和子訳、中央公論社1989年)の「創設者たち、グリモとブリヤ=サヴァラン」の項に、このように登場する。

「ガストロノミーのエッセイというジャンルは、実質的に、ただ二人の著述家だけによってたてられた。アレクサンドル=バルタザール=ローラン・グリモ・ド・ラ・レニエール〔1758~1838〕とジャン=アンテルム・ブリヤ=サヴァラン〔1755~1826〕である。彼ら以降に書かれたこの種の著作は、ほとんどすべてが、何らかのやり方で、この二人を引用するか、彼らに立ち返るかしている。」

ここでメネルは、フランスとイギリスにおけるその系譜をたどりながら、ガストロノミーやガストロノームについてまとめている。

だけど、橋本周子さんのように、日本人でグリモについて書く方は、めずらしいと思う。たいがいは、サヴァランのアフォリズムを、物知りげに得意そうに吹聴するていどが多い。

橋本さんは、「グルマン」から「ガストロノミー」への変化を、当時のフランス革命前後の社会から掘り下げている。そして、グリモの「美食の帝国」とは、「再定義された「グルマン」」であると。

日本の近年の「グルメ」現象と「これから」は、どういう流れにあるのかも考えさせられる、斬新で刺激的な内容だ。

「食材としての昆虫とそのリスク――野外で採集し調理する『プチジビエ』を楽しむには」は、読む前はゲテモノ趣味の話し?と思ったりしたが、とんでもない。

「昆虫混入から考える日本の安全管理システム」といったことから、「プチジビエ」である昆虫食、食べてよいもの悪いもの、その衛生管理やらアレルギーリスク、将来の食品などにまで、アカデミックに迫り、「昆虫食が、日本の四季折々の恵みの中で得られる豊かな食文化のかたちの一つになっていくことを、筆者は願ってやまない。」と啓蒙するのだ。

昆虫食ということから、あらためて、食と自然と人との関わりを考えさせられる。

ここに出てくるイナゴや蜂の子やセミは食べたことがあるが、自分で捕まえて料理したことはない。そういえば、韓国にはカイコの缶詰があったな。食に限らず「文化」というのは、自分の暮らす「文化」に閉ざされ、排他的になりがちだ、とも気づく。多文化や異文化との接し方としても読めて、おもしろい。

さてそれで、おれの「普通にウマい!はどうして大切か――大衆食堂からみえる食の形」は、リードに「「正しい食事」ってなに? グルメってなんだろう? 食育って必要? 食事を生活から眺めた時、見えてくるものがある。「大衆食堂の詩人」遠藤哲夫氏に大衆メシ、大衆食堂の魅力を伺った。(聞き手・構成/山本菜々子)」とある。

つまり、編集の山本菜々子さんがインタビューをまとめてくださったものだ。長いぞ、30枚以上はあるのではないかな。

インタビューは、『大衆めし 激動の戦後史*:「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』を下敷きにしたものだった。

この本は、「まえがき」「あとがき」にもあるように「生活料理入門」として書かれた。インタビューの内容も、「生活料理=大衆めし」の視点から、いま、これからの食事や料理を眺めたものだが、若い女性の山本さんの実感のこもったインタビューとまとめだったこともあって、パンチのきいた内容になっている。

『大衆めし 激動の戦後史』は、今月で発売から1年たったけど、このように「これから」のことであり、「生活料理」の思想は、ますます大切になるだろうね。

そうそう、インタビューは、池袋の西口からも北口からも近い最も猥雑な一角であり、終わってから、近くの「豊田屋」の前で撮影があった。山本さんは、「はじめに」で、このように書いている

「池袋の繁華街の大衆酒場がある場所で写真撮影をしたのですが、少しエロイ感じのお店がちらほらある近くでしたので、妙齢の男性に、若い地味な女がカメラを向けている図はなかなかのインパクトがあるのではとそわそわして、全然集中できませんでした。結果、「ホッピーの桃太郎」のような写真になってしまい、申し訳なく思いました。」

いやいや、ホッピーの幟旗と、どんどん様変わりしているあのへんで最もボロい感じで残っている豊田屋と一緒に写って、おれにはピッタリだった。

ありがとう、山本さん。

昨日のシノドスのツイッターでは、このように紹介されていた。

自分の収入の予算内でやりくりして、冷蔵庫の中にあるものを使って、名前のない普通に美味しい料理をつくる。そういう日常性はもっと評価されていい!大衆食堂の詩人・遠藤哲夫「普通にウマい!はどうして大切か――大衆食堂からみえる食の形」
https://twitter.com/synodos/status/522307480726949888

ご購読は、こちらから。
http://synodos.jp/a-synodos

なお、シンドスに初めて登場したのは去年のことで、去年2月3日の「わめぞトーク」、五十嵐泰正さんとの対談「『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている」を、やはり山本さんがまとめてくださった。その反応も含め、当ブログ関連は、こちら。

2013/04/22
『いいモノ』食ってりゃ幸せか?が、朝日新聞のWEBRONZAに転載になり。

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2014/09/19

エロを忘れた「俺とエロと祭と私」トーク。

003今月は、連休のつぎに飛び石連休とあって、なかには、この二つの連休をつなげ、いまごろ「夏休み」をとるやつもいて、いろいろシワ寄せがくるわで、落ち着かなかったのだが、去る13日土曜日は、経堂のさばのゆで、フランス人フォトジャーナリストのマルイユ・ダビッドさんと「俺とエロと祭と私」トークをやったのだった。

ご参加のみなさん、ありがとうございました。

ダビさんは、スライドのほかに、短くまとめた「神輿」というタイトルのビデオも用意、じつに充実した内容だった。

18時半スタート予定が、やや遅れて始まった。ダビさんは、日本語が十分ではない。でもまあ、なんとなく話は通じるもので、やっているうちに、19時過ぎ「専属通訳」のクラちゃんが到着、調子があがった。

参加者の方が、フェイスブックで、「エンテツさんが「祭がなにゆえエロか」を語り忘れて進行されたのも愉快でしたが、なにしろダビッドさんの思いの熱さが伝わってきてこちらの頭もアルコールと一緒にぐるぐる回転する楽しい夜でした」と報告されているのだが、いや、ほんと、いきなりダビさんの神輿の写真に引き込まれ、エロ話しを忘れてしまった。

ダビさんとは何回も酒を飲んでいるが、あまり仕事の話しはしたことがなかったので、ダビさんのジャーナリストとしての仕事に対する考えや姿勢についても学ぶところが多かった。

とくに、「祭り」を、生活も含めて構造的にとらえて、フランス人にもわかるように日本の文化を伝えたい、ってあたりの話には、いかにも合理と構造のフランス人らしさを感じた。

主に下谷と湯島と神田神保町の祭りの画像が中心だったが、ダビさんの目は、下谷と湯島の地域性のちがい、祭りをめぐるヒエラルキーなどをとらえていた。これからも、取材は続いて、祭りだけではなく、神輿を担ぐ人びとの生活まで、インタビューしていくのだそうだ。

ダビさんと話すと、いつもおもうのは、やはり日本人のものごとのとらえ方や考え方は、かなり主情的であるということだ。そこをかきわけかきわけ取材するのは、なかなか難儀だろうけど、日本人では把握しきれないところまで見えてくる気がする。

日本人も「祭り」のことは、ナントナクわかっているていどで、知らないことが多いと思う。「神輿をなぜ担ぐの?」というダビさんの質問には、日本人でも、なかなか正確に回答できない。

写真は、まだたくさんあるし、これからもダビさんの取材は続くので、ダビさんの日本語の学習のためにも、そのうち第二弾をやります。

トークの当日は紹介できなかったけど、ダビさんの仕事ぶりがわかるサイトは、こちら。ビデオリポートもよいですよ。
http://davidmareuil.weebly.com/

20時半すぎに終わり、懇親飲み。21時半すぎに、ダビさん、クラちゃんと太田尻家へ。帰りは、大宮着最終になってしまい、タクシー帰宅だった。

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2014/07/01

「非公式物産展〈地球の歩き方 初回オリエンテーション編!〉」のち「俺とエロと手拭と私」トーク。

一昨日、29日(日)は、予定通り、弦巻のtime spotで、この日一日だけ開催の「非公式物産展〈地球の歩き方 初回オリエンテーション編!〉」へ行ってから、経堂のさばのゆへ行った。

まだ前夜の酒が少し残っていたし、雷雨が来そうなので様子をみながらグズグズしていたら、ちょうど桜新町の駅に着いた16時過ぎごろだったかな? あたりは激しい雷雨だった。駅構内で避けている人たちにまじって小降りになるのを待ち、歩く。会場がある弦巻中学校あたりは、初めて。駅からの近道もわからないので、わかりやすい大きな道路をたどったら10数分かかった。

time spotの会場もおもしろかった。入口の看板がなければ、倉庫か工場のような外観。中は、間仕切りのないがらんどうの、二階の高さぐらいはありそうな空間、その半分はテキトウに本棚やテーブルやイスや机があり、半分ほどはしっかりした木を組んだコーナーが二つ造られている。ある種のリフォームとシェアの思想の空間か。普段は事務所だそうだが、人が集まりやすそうな、いい感じだ。

大村みよ子さんがいて、ひさしぶりの挨拶をしながら500円の会費を払い、大村さん手作りの参加証をもらう。木造の手前の空間に、非公式物産展が開催された場所の印のついた日本地図や、いろいろな地方のパンフや古い観光案内、それに昔の岩波写真文庫シリーズなどが、テキトウにある。

大村さんは、その中から、おれがこのあと経堂のさばのゆで「俺とエロと手拭と私」のトークをやると知っていて、手拭を数枚取り出してくれた。彼女は「山ガール」なので、山の手拭が多い。とくに、八甲田山の手拭が、堂々とした山容の絵、文字は映画「八甲田山」のタイトルロゴを使用して、すごくよい。ほかに、谷川岳や鳥取の大山など。

そういえば、昔は、たいがいの山小屋で手拭を売っていた、ペナントもあったね、バッチはいまでもある、といった話しをする。この企画は、こうやって、話すことが「アート」になっていくのだ。

もう一度、案内から引用。「日数や距離に差はあれど“旅”の経験の無い人はあまりいないと思います。そして、旅の動機やスタイルは以前よりもずっと多様化しているような気がします。/旅先での出来事は、話すのも聞くのも楽しいものです。/せっかくみんな面白そうな旅をしているのだから、ツイッターやブログとかでその断片を見せるだけでなく、自分の旅を話したり、誰かの旅の話しを聞いたりする場を作ると楽しいんじゃない?そこから繋がったり発展することとかあるんじゃない?と思って考えたのがこの企画です。」

おれは、2007年の夏に行って、このあいだの地震の津波で跡形もなく消えた、釜石ののんべえ横丁の写真をプリントして持って行った。その話しやらもし、「非公式物産展」って、最初はよくわからなかったけど、だんだんわかってきたとおれがいうと、大村さんは「よく私のやっていることはわかりにくいといわれるけど、わかりやすくする必要はないって思うようになった」といった。大いに共感するところがあって、その話しになったが、省略。

木造のもう一つコーナーは厨房とカウンターになっていて、ま、屋台の気分だ。そこでは、「bikiさんが韓国で食べた「マッコリと米粉で作るおいしい炭水化物」の再現」ってのをやっていた。かれは、料理を作りながら、変わるソウルの街の様子を話す。カウンターに座ってビールを飲みながら、話しに加わる人たち。別の床のコーナーでは、「自作アルコールストーブワークショップ」というのをやっていた。見るからに「山男」という感じの人たち。

それぞれが思い思いに何かをしたり、話したりしている。近所の食堂の話にもなった。

しかし、時間がない。桜新町の駅で17時15分ごろに、トークのお相手、手拭番長じゅんこさんと前回のゲストおのみささんと待ち合わせ、タクシーで経堂へ行くことになっているのだ。17時過ぎに急いで会場をあとにし、とにかく、17時半ごろ桜新町駅の地上で、浴衣美人の2人が、おれがなかなかあらわれないで、あのクソヤロウという顔をしているのと無事に合流。

10462846_10204499005817904_48835804トークは、ほぼ18時半にスタートした。じゅんこさんは、本を出されているわけではないし、トークショウなどは初めてなので、参加者の人数はあまり期待していなかったのだが、始まるころには、もう20名をこえていた。そのなかには、前回都合が悪くて来られなかったひとや、なんと、おもいがけなく、スソさんと久家さんが!

それに、若い男性の一人は、この日のために浴衣姿。ってことで、浴衣姿が3人。エロ手拭トークらしい雰囲気になった。

手拭番長じゅんこさんとは、何度か酒を飲んでいるが、手拭の話をするのは、この日が初めて。そもそも、おれはじゅんこさんが手拭で有名な会社に勤めていることも知らなかった。トークに入る前に、すでに飲みながら、おれが持って行った手拭を見せると、見ただけで、これはドコドコのメーカーの手拭とわかっちゃうのだ。

トークは、手拭の柄やデザイン、品質や歴史などのことより、暮らしのなかでの使い方使われ方を中心にすることになっていた。会場のみなさんも、ほとんどの方が手拭を持っている、つまり「ありふれたもの」だが、うまく使われているとはいえない。おれの場合も「死蔵」が多い。やはり、「ありふれたものを上手く」が必要なのだ。

まずは、まだタオルやハンカチより手拭が圧倒していた、おれの子供のころからの話から始めた。そして、話は、あっちに転がり、こっちに転がり。

おれは化粧をしないから知らなかったが、女性はクレンジングにカネがかかるらしい。じゅんこさんによると、手拭をちょちょい濡らして拭くと、きれいに落ちるのだそうだ。クレンジングを買う必要ないという。それから、手拭で肌を拭くと、肌がしっとりとなる、タオルだと、なぜかわからないが水分不足の肌の感じになってしまうとか。

1497557_10204499006737927_193049618そんなことを話しながら、じゅんこさんは手を動かし、手拭をたたんで小物入れや財布にしてみたり、テイッシュ箱のカバーにしてみたり。なるほどねえ。手拭は、長方形の布だから、これを紙のように折りたたんで、いろいろなものが作れるし、たたみ方で正方形にして、使い方も広がる。

と、おれは、10歳ごろにはやっていた、手拭二枚で覆面して遊ぶ、嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」ごっこを思い出した。やれるかどうかやってみたら、あんがい思い出すもので、やれた。60年ぶり。

手拭は、もとはといえば、晒しだ。いまでも晒しは売っているが、これに布用のペイントを使って、自分の好きな柄をつけることもできるそうだ。とにかく、使ってこそのもの。それに、いまの手拭は、ほとんど化学染料を使っているので、使わないでいるとそこから痛む。使っては洗い、使っては洗い、使って洗うほど、柔らかい感触になっていく。手拭番長じゅんこさんは、たくさんの手拭を持ってきたが、一番長く使っているのは15年。布の硬さ、柔らかさによって、使いようもいろいろ。

話しながら、いろいろアイデアが浮かんだ。新たな企画のヒントもあった。

この日、おれは、澤姫試飲会のジャンケン勝ち抜き戦で勝って手に入れたまま、使っていなかった澤姫の前掛けをしてトークに臨んだ。前掛けや、店の暖簾などは、手拭の仲間なのだ。

トークが終わったのは20時近く、それからにぎやかな懇親会になった。いろいろな人がいて、この日が誕生日の馬場さんもいたし、いろいろ、酒の量といい、じゅんこさんの話しの内容といい、チャチャの入り具合といい、ひとの混ざり具合といい、なかなかエロうよい加減のトークだった。

そして、手拭番長のほかに「酒呑番長」の異名のあるじゅんこさんは、前回のエロトークのときに、ホッピー外1本で、中9杯飲むという、「ホッピー」というより「ホッピー風味」の飲み方の記録をつくったのだが、この夜は、外1本で、中11杯を達成。生まれて初めてのトークを無事に終えた疲れとよころびもあってか、最後はご主人の肩にもたれて帰って行った。が、その翌朝、つまり昨日は、何事もなかったかのように、普通に出勤し、さらに記録を塗り替える意欲満々とか。めでたし、めでたし。

おれは、早速、手拭を洗って干した。まずは、洗って干して、取り出しやすいところに重ねておいて、どんどん使う。

じゅんこさん、おのみささん、参加のみなさん、ありがとうございました。まだまだ、おもしろいことやりましょう。

「非公式物産展」も、これからが、楽しみ。

画像は、すべて、さばのゆ亭主の須田泰成さんの撮影。

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