2013/05/10

とりとめのない歩行 東大宮往来者。

去年から、別にブログを立ち上げようと思っていたのだが、新しいブログを立ち上げてしまった。

こんなことしている場合じゃないけど、そんなときにかぎって、エイッヤッとやりたくなって、やってしまうものだな。しかし、今度は、FC2を使ったのだが、使いこなせば、よさそうなんだが、ほとんど全貌がわからないまま、テキトウに設定をして始めた。

これまで当ブログのカテゴリーに、「見沼区・宇都宮線・東大宮(店)」と「見沼区・宇都宮線・東大宮(散歩)」を設けて、東大宮界隈をいろいろ書こうと思っていたけど、ここではほかのことが優先しがちで、うまくいかない。なのに、地元のことだから、しょっちゅうふらふらして、ネタも写真もたまるのに、ほっておくうちに、あちこちで聞いたネタは忘れてしまう。そのうち、めんどくせえ、ってことで、そのまま。

近頃は、ツイッターやフェイスブックが中心になりつつある人が多いようだけど、どちらも、のんびりしたところに欠けるようになった。

余裕がないというか。とりとめのないつぶやきを楽しむより、目的や目標の追求、それもあらかじめ絞られたテーマにそったプロモーションのような機能というか。それは、その必要があって、大いに有用という人も多いだろうし、それについて、とやかくはない。しかし、けっきょく、マスコミや大手広告代理店のミニ判じゃないの。マスコミや大手広告代理店がやるなら悪だが、自分が小さくやる分にはよいとか、同じクラスタならよいという感じで、それはチョイと違う感じがする。

小さいからよい、面白いじゃなく、なんだかはみだしているから面白い、こんなのは誰も面白がらないだろうなあということを、ツイッターやフェイスブックだから楽しむ。そんな余裕が、だんだん無くなっている感じだ。なにかにつけ、なにかの得点稼ぎ。それも、成功という階段につなげるための。

ま、世間が世知辛いから、仕方ないのだろうが。ニッチにしがみつきながら、マスにのることを目指しているような動きもあり。自分が好きに出来るメディアで、これでは、どうもな、という感じもある。

こういうおれも、近頃は、もっぱら告知などのプロモーションが多くなっているような気がして、ますますツマラナイ。ツマラナイことは、あまりやりたくないから、ばかしか書いてなかったフェイスブックでも、近頃はほとんど投稿してない。ツイッターは、酔ってるときが多いが、おれは酔うと、割とまっとうなことを言いやすいので、オモシロクナイ。

それに、おれは、あまりひとのことには、興味がない。この場合の、ひとは、個人のことだが、誰がこういった、誰がこんなことしている、そんなことは、どうだっていいじゃないか、大雑把にいこうよ、なのだ。これでは、ますます、ツイッターなど縁がなくなる。でも、ツイッターは続けるだろうけど。

とにかく、見られることも、何かの成果も期待することなく、ま、何かになったらなったでよいが、とりとめのない歩行をやるには、ブログがよい。これまでも、そうやってきたのだ。そんな気がしている。

ってことで、「東大宮往来者」、サブに「とりとめのない歩行 さいたま市見沼区東大宮と東大宮から」とのたもうて、はじまり、はじまり。
http://entetsuhigashioomiya.blog.fc2.com/


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2011/11/24

見沼代用水を遡り深沢七郎ラブミー農場を遠望す。

先日、ツイッターで深沢七郎のラブミー農場が話題になった。そもそも、おれが「ラブミー農場」を、なぜか「ララミー牧場」と間違えたのだが、なんでまあ、酔っていたとはいえ、ラブミー農場がララミー牧場になったのか。って、こうやって書いていると、確かに似通っていて混乱しやすいと思いませんか?思いませんね。

それで思い出したのだが、去る9月のある日、ウチの近所を流れる、見沼代用水を遡って歩いたのだ。その写真を、ちょっとだけ掲載しよう。

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ここは親水公園という名がついている。この下に見沼代用水が流れていて、つまりこの部分は暗渠であり、その上に親水公園をつくり、下の用水から水を汲み上げて流しているという、ややこしい関係にある。この水は夏期から残暑の頃には、こうして流れているが、ほかの季節には汲み上げをしないから乾いている。
写真を撮っている背中のほうは下流で、水路は露出し見沼たんぼに至る。この先は、産業道路を越えて少し行くと、暗渠は終わり水路が露出している。下の写真であり、両側は住宅街だ。
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用水の両側は道が続いている。向かって右側はクルマが通れるところが多いようだが、左側は人と自転車の通行のみだ。そちらを歩く。
残暑の厳しい日で、途中、木陰で野菜売りのトラックが店を出していた。店主は運転席でドアを開けて寝ていた。のんびりした景色だ。このあたりは上尾市になる。
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さらに行くと、右側に尾山台団地が見えた。まだ田んぼが少し残っている。田んぼを潰して宅地にしたのだろう、同じ規格の建売住宅らしい家並もあった。
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しだいに用水の両側の家は少なくなる。
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と、足元に、こんな表示があった。「ここは上尾市瓦葺」「大宮市西緑終点へ2km」いま歩いて来た方角だが、「西緑終点」が、どこをさすのかわからない。まだ調べてない。それより、「行田市利根大堰へ33km」に驚いた。そんなに続いているのか。このまま行けば利根川に出るのだ。こうやって、荒れていた関東平野に用水を引いて田畑を開発し、そして、惜しげもなく潰してきたわけだ。
そのとき、もしかしたら、この用水は、かつて1960年代、深沢七郎が「百姓志願」をして始めた、菖蒲町のラブミー農場の近くを通っているのではないかと思った。なぜか、深沢七郎に近づいたような気がして、とても気分がよかった。いつか、そこまで歩きたいものだと思った。あとで調べたら、まさに、この用水はラブミー農場の近くを通っているのだった。
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行く手を、国道16号が城壁のように遮っていた。用水を離れ少し右へ行くと、16号の下をくぐる歩道のトンネルがあった。抜けると景色がガラッと変わり、田んぼが広がっていた。先には蓮田のまちが見えた。
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2009/01/09「東大宮-蓮田、東北本線「都鄙臨界地帯」と麦味噌。」にも写真を載せて書いたが、やはり16号あたりは「都鄙臨界地帯」なのだ。…クリック地獄

この日は、ここで引き返し、別の道を通り、尾山台団地の中を抜け、東大宮西口に出た。駅前の鉄砲屋でやきとりにポテトサラダで生ビールを飲んだ。暑い中1時間半ほど歩いたあとだから、とりわけうまかった。

関連
2011/06/22「深沢七郎。」

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2011/11/23

初めての、大宮盆栽美術館。

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ここ東大宮から一つ大宮寄りの土呂駅から歩いて5分ばかりのところに「さいたま市大宮盆栽美術館」ってのがある。きょねんの開館の前に、なにやらお家騒動のようなことが報道で話題になり、知っているひともいるだろう。

「世界で初めての公立の「盆栽美術館」」を謳うが、そりゃまあ、こんな美術館は、めったにあるものじゃない。どこにでもあるが、ここが世界一とは違うのである。

それはともかく、盆栽については、以前に関わる仕事があって、いろいろオベンキョウをして、興味はあった。なので、ぜひ行ってみたいと思っていた。

きのうは、気持のよい快晴だった。

Dscn0676盆栽は、見ていて飽きない。これは、めったにない美術だろう。なんといっても、でかく成長するはずの木を、盆の上で、なるべく大きくならないように育て、しかもただ育てるだけではなく、岩や水流なども含め、自然の姿を、そこに与える。これは、まったく矛盾している。自然の姿がよいなら、自然の中で、それを求め楽しめばよいのに。その景色を、盆の上に、見立て、つくりだすのだ。模倣であるが、単なる模倣ではなく、箱庭のように小さくおさめる。そこに、衒学的な解釈による様式がある。和歌の本歌どりのような。

いやあ、そのこだわり、執念は、すごいものがある。作品によっては、表現の美しさ以上に、作者のドロドロした毒気にあてられそうなものもあり、人間てなあ、何て欲の深い動物なんだろうと思ったり。するが、またなかには、のびのびとしたものや、いまどきの「カワイイ」という感じのものもある。

とにかく、こだわりであり執念であり、愛着が、これほどこもっているものはないように思う。おそらく日々成長する木に対して、一日たりとも放っておけない気が抜けないだろう。見立ての様式より、かなりこまめに気をつかわなくては、こうはならないはずのものをつくる作者を思い、ため息が出るのだった。日本の旦那芸の極致ではないだろうか。おれのような貧乏ガサツな男には、とてもできない。

と、ため息をつきながら退出し、腹が減ったしラーメンが食べたかったが、とにかく土呂は店が少ないまちで、やっとここでいいかと喜多方ラーメンを見つけ、食べた。のち、見沼たんぼ、市民の森などをフラフラし、ウチまで歩いてしまった。

盆栽はいいのだが、この美術館は、これからどうなるのか、という懸念も若干なきにしもあらず。

さいたま市盆栽美術館
http://www.bonsai-art-museum.jp/

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2011/09/13

畑直販、山田農園の「やさいはんず」。

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すでに何度か紹介している、ウチから東大宮駅へ行く途中の畑、山田農園では新しい動きがあった。

というのも、見沼区東大宮2-42の東北原公園に隣接する畑の一角に、洒落た売店をつくって、オープンしたのだ。その名も「やさいはんず」。名前も、写真には写っていないがロゴも、センスがよい。

写真は8月末の撮影。たまたまカメラを持っていなくて、営業中の写真が、まだ撮れてない。デッキの部分に野菜や、小さな鉢植えを飾って営業している。その風景も、なかなかよいのだ。

Kaiwai001aこれまでは、戸板のようなものを置いて売っていた。それはそれの風情があったが、「新売店」はなかなかよい感じだ。ここでお茶でも飲みながら、くつろぎたくなる。おれなんかは、ビール呑みたいねえと思ってしまいます。

生産者と消費者の「顔の見える」関係がいわれながら、首都圏では、難しい。すぐ近くに畑があっても、接する機会は少ないし、消費者のほうは特に有難い存在としては意識してない面もあるようだ。

実際、おれなんかも、こんなに近所にありながら、なかなか利用するチャンスがない。意識的にならないと、ついつい商店の買い物と一緒にすまして、たまたま通りがかったときに、必要なものがあれば買うという調子であった。

それでも、じゃがいもやさやえんどうなどを買ったりしたが、やはり「とれたて」はうまい。食べたときは、こういう畑が近所にあってよかったと思う。そんなわけで、これから、もっと意識的に利用しようと思うのだった。消費者とは気まぐれなものだけど、お互い根気よく付き合いたいものだ。

都鄙臨界地帯の東大宮は、いわゆる「郊外」へ変貌しながら、あちこちに直販の幟を立てた畑があるし、少し歩けば田んぼも広がる。近年「食と農」の問題が、あれこれ取り沙汰されているし、TPPなる動きもある。なんにせよ、身近なところから、もっと食と農を考えたい。

関連
2011/05/15
東大宮、山田農園のさやえんどう。

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2011/05/15

東大宮、山田農園のさやえんどう。

Dscn0094a近所の農園のさやえんどうを買って食べた。

ウチから東大宮駅へ行く途中に東北原公園がある。その隣、といっても、三方向の隣だから、ほぼ囲むように農地がある。桜の季節の前から菜の花が咲く。山田農園と呼ぶらしい。

その一か所の畑で、毎年いまごろから、収穫したものを売っている。畑の道路際に、台を置いて、とれたての野菜を並べ、女のひとが座っている。

以前に一度、じゃがいもを買ったことがあった。また何か買いたいと思っていたが、いつもその前を通るとは限らないし、いつも売っているとは限らない。

きのう、スーパーで買物した帰り、たまたまそこを通ったら、売っていた。しかも、売っている女のひとは、じゃがいもを買った時のおばさんではなく、高校生ぐらいの感じなのである。畑仕事用だろう、着古した服装が、いちだんと素朴で純情な感じで、オヤジの心をくすぐる。

ってことじゃない。いや、そうか。とにかく、台の上には、プラスチックの小さなザルに盛り分けて、さやえんどうが売っていた。見れば、さやえんどうとわかる。だけど、オヤジは、女子高生と口をきいてみたくて、「あっ、これ、さやえんどうだよね」なーんて言っちゃうのだった。すると当然「そうです」という返事ですよね。

ひと盛り100円の値札が出ていた。オヤジは緊張しながら、指差して「ください」。すると、女子高生は、立ち上がろうとして、なぜか転んだのである。おや、もしや、おれが、そんなに素敵なオヤジなので、あわてたのか。

彼女は転んで素早く起き上がると、後ろの方へ走る。どうやら、入れる袋を取りに行ったらしいと察したおれは、「袋は入りません、これに入れて」と、手にしていたスーパーの袋を差し出した。

彼女は、戻ってきて、馴れない手つきで入れる。それを見ているおれの心は・・・。おれは、このまま帰るのが惜しい気がして、「これから何がとれるの」ときいた。彼女は、指折り数えながら「じゃがいも、とまと、なす…」というぐあいに、この100円のさやえんどう買うにしても、たっぷり楽しみ、妄想し、帰ってきた。

そして夜、晩飯のしたくのとき、袋を開けると、さやえんどうの香りが、これは夏の香ですね。ふわ~~っと、漂うのだった。おおっ、やはりとれたてはちがう。うまそう。

さやえんどうのスジを取りながら考えた。子どものころは、そのスジ取りの手伝いをさせられるのがイヤだったものだが、いまでは、けっこう楽しんでやっている。しかし、それにしても、あの高校生と思い込んでいた女のひとは、ほんとうに高校生なのか。もしかすると、日よけのつばの広い帽子でわからなかったが、もっと年上の嫁さんかもしれない、という疑惑がわいた。

さやえんどうは、半分は、みそ汁、半分は、炒め物にした。新鮮なさやえんどうの味覚は、どう考えても、さわやかな初夏の、女子高生だった。

テーブルの反対側の同居のツマに、何気なく「あのさ、このさやえんどう、あの畑で売っていたんだよ、高校生が売っていた」と言うと。ツマは「このあいだも高校生が売っていたよ」と言った。やっぱり女子高生なのだ。おれは、顔に出さないようにニンマリ。勢いよく、さやえんどうを食べた。

ほんと、オヤジってのは、しょうがないですな。でも、こういう畑が近くにあるのは、うれしい。

写真のさやえんどうは、洗う前だから、よごれがついたまま。下の公園の写真は、4月に撮影したもので、奥の向こうに菜の花が見える。その畑で、売っている。右側も山田農園。左側にも、見えないが菜の花が咲く、山田農園の畑がある。

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2011/04/29

GWは、東大宮がオススメです。

そりゃまあ、いろいろ行くところがあるでしょうが、まだ行き先の決まっていない人には、東大宮がオススメです。

東大宮のおもしろさや魅力は、「昭和」もない「平成」もない、「都会」でもない「田舎」でもない、ただ「まち」であるということなんですね。こういう「まち」は、いくつかあるような気がするけど、東大宮は、その特徴がきわだっていて、とてもおもしろい。「まち」考現学的価値が高いと思います。

まず、この「まち」には、まちをシンボライズするような、施設も建物も構造物も、文化も歴史もない。見方によっては、「なにもないまち」「中途半端なまち」ということになるだろう。

そこなのだ、おもしろいのは。ここには、「個」が集まって「まち」を成す、が息づいている。ようするに、駅と道路はつくられたが、あとは大きなビルやマンションが建つわけでなく、それぞれが好き勝手にやっている。だから、「まち」としては昭和も平成もないが、すごい昭和な店もあれば、平成な店もある。駅から歩いて10分圏内に、なし畑やぶどう畑もある。

メディアから飛び出したような、コギレイなオシャレだけで個性もなければ生活臭のない店や人とはちがい、味わい深い個性が、万華鏡のようにキラキラ輝いているのではなく、のんべんだらりんと混在しているまち。誰も「地域の発展」や「ブランド」や「イメージ」なんか考えていそうにない、とても得がたいのんびりな雰囲気が漂っている。

過剰な自意識の集合のような祝祭やアートや文化がでしゃばったりしない、普通の勤労者のまちなんだな。いつも、とても日常的なまちである。

ところが、このまちは、なかなか「グルメ」なまちで、いまやラーメン激戦地なのだ。インド料理アジア料理も競い、居酒屋ときたら低価格帯から中価格帯にひしめきあっているのが甲乙つけがたい。焼肉屋、韓国家庭料理、中華も個性的な店だねえ。とんかつ屋もうなぎ屋も、なかなかよい。そうそう、東大宮といえば、ホルモンセンターもある、ホルモン系をはずすわけにいかんな。うまいパン屋も菓子ケーキ屋もあるねえ。寿司屋も何軒か、おやきの店もあるな。「エコ見沼」の無農薬有機栽培などの店も人気だ。とにかく大賑わいはなくても、個人や小規模経営の路面店が元気だ。

そして、東西の駅前広場に面して「松屋」「すき家」「なか卯」があるほか、マクドナルドもモスバーガー、サイゼリヤ、バーミンヤン、牛角、銚子丸、はなまる、ぎょうざの満州などのチェーン店。ま、たいがいのものがある。

大学や私立の中高もあるせいか、若者も多いし、若いファミリーも多いし、老若男女のバランスがよいようだ。それから、なんといっても、東京から続く家並の「まち」が、ここ東大宮まで続いて途切れる「都鄙臨界地帯」の様子も一見の価値がある。

ま、こういう、「なんにもない」が、ひどく寂れているわけじゃない「まち」を散歩しながら、「普通のまち」について考現するのも、よいんじゃないかと。とくに東京の人は、東京に人を集めるようなことをしては、周辺から東京に集まるのがアタリマエという「まち」を考えやすい、自分中心のまちの見方が染み付いているようでもあるから、自分から周辺に足を運ぶという意識を持つことも意味があるだろう。

と、ほんとはジョーダンのつもりだったが、マジメな話になってしまった。

関連
2009/01/09
東大宮-蓮田、東北本線「都鄙臨界地帯」と麦味噌。

2010/04/17
東大宮で、『大阪のぞき』打ち上げ。鉄砲屋、昭和酒場コタツ、そしてよってってちゃぶだい。

2010/12/14
おもしろい、東大宮と蓮田と土呂の関係。

ほか、右サイドバー→カテゴリーの見沼区・宇都宮線・東大宮

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2010/12/14

おもしろい、東大宮と蓮田と土呂の関係。

長いことマーケティング屋をやっていた関係だろう、「まち」の観察が、けっこう好きだ。駅を出た瞬間、この「まち」は、どんな歴史や文化を抱えた空間なのか、「いくら」の稼ぎになるか、ま、つまりは「空間の経済力」とでもいうか、そういうのを想像するのが楽しい。以前にも書いたが、初めて東大宮に家を建てる土地を見に来て、駅の階段を下りたとき、そこに漂う70年代的空気をホオに感じた。

なーんて書くと、おれは勘が鋭いんだぜ、という感じになるが、なんのことはない、駅前のロータリーと、そこから正面にのびる道路などの物理的構造が、いかにも70年代的で、その知識さえあれば、誰でもわかることなのだ。

宇都宮線で大宮から東大宮まで来るあいだに、土呂駅がある。この駅は降りたことがないから写真もないが、電車に乗っていても見える駅前の構造は、典型的な80年代だ。そして、一つ先の蓮田駅は以前に降りたことがあるし、東大宮に越してきてからも散歩に行ったりしているが、相当古いのだとは知っていた。

いま、あまりあてにならないウィキペディアで、それぞれの開業年月日を調べると、こんなぐあいだ。

東大宮駅 1964年(昭和39年)3月20日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E9%A7%85

蓮田駅 1885年(明治18年)7月16日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E7%94%B0%E9%A7%85

土呂駅 1983年(昭和58年)10月1日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%91%82%E9%A7%85

蓮田駅と土呂駅のあいだには、1世紀の歴史が!
この3者を「モータリゼーション」と「郊外文化」というキーワードで見てみよう。すると東大宮の1964年は、その先端、始まりのころになる。

70年代的駅前というのは、ロータリーのある駅前広場があって、そこから広い道路が真っ直ぐのびているところに特徴がある。これは、駅から少し離れた、つまり土地が安いところに戸建てや集合住宅の団地を造り、そこと駅をバスやクルマで結ぶという考えの計画のあらわれだ。東大宮のばあい、以前に書いたが、尾山台団地という当時の大規模な団地があり、循環バスが運行している。

蓮田駅は、もちろん「モータリゼーション」も「郊外文化」もへったくれもない時代。明治から大正のころの駅は、たいがい、それまでの「まち」の中心だった街道筋の街から少し離れている。生活は、その街を中心にする範囲で成り立っていて、鉄道を利用して移動するような「生活圏」は、できていなかった。駅と人びとを結ぶのは、主に徒歩である。

土呂駅の80年代は、「モータリゼーション」や「郊外文化」が、ある意味、成熟をみせたころになる。駅前は、階段を下りたところのテラス部分が広がり、そこに大きな木が何本も植えられ、ミニ公園といったアンバイである。70年代型駅前がクルマ優先の機能的なロータリーが中心だとしたら、80年代型駅前は「人間優先」の「ゆとり」ともいえるか? この樹木の管理も含め、チト管理費がかかりそうな印象で、バブルな時代がしのばれる。

マイカー通勤が主流になった時代であり、バスやクルマは駅と人びとを結ぶ主要な交通手段ではなくなり、クルマ利用客を集める大規模な駐車場を装備したショッピングセンターが成長する。駅前は「郊外文化」から捨てられた、というか、その中心ではなくなる。

東大宮のような70年代的駅前には、古い昭和な商店街といえるほどのものはないが、広場に面した建物は(当時の建築法などの関係もあって)5階建てぐらいが限界であり、小規模の区画に小規模の商用事務所用ビルが建ち、駅周辺は商店街が成立する構造にはなっている。

ところが、80年代的駅前は、大中規模の区画に10階建てまでぐらいは可能であり、すぐ駅前から中高層マンションが建ち、買い物は、基本的に近隣のショッピングセンターという構造だから、駅前マンションの1階あたりに、いくらか日常用のストアが入るという感じで、商店街の形成などは考えられていない。駅そば立地の高額マンションでも売れる、資産価値として有用である、ガソリンはふんだんに使ってクルマで移動、といったバブリーな経済や考えが反映しているといえる。

つぎの画像は、東大宮駅東口。駅舎の2階から撮影した。広場の向かって右端に、細い路地がある。ときどき当ブログに登場する居酒屋、ちゃぶだいは、この通りにある。同じように、細い通りが、広場の左端にもある。駅前広場につながる、この2つの路地は、どのていど意図的に計画されたものかは知らないが、いまでは、こういう路地や横丁がある商店街が、「にぎわい」の条件と考えられるようになった。つまり、傘を差して歩くと、すれちがうときに傘がふれあうぐらいの幅の路地が、なにやらひとの心をくすぐるらしい。でも、東大宮の、この2つの路地の両側にある建物は、その特徴を生かした構造になっていない。

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つぎの画像も、東口の階段の下から見た、ロータリー。真正面に広い直線道路。

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つぎは、おれのウチがある側、西口である。構造的には、東口と同じ。

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最後は、蓮田駅西口。駅の階段下りたところは狭い、駐車スペースがやっと確保されている状態。なので、いま再開発の真っ最中、右端の建物はすでに退去して壊すばかりになっているし、背後はすでに整地がすすんでいる。駅舎も工事中で、反対側の東口も再開発の最初の段階は終わって、ロータリーができている。

ここに出現する駅前は、2000年不況型になるのだろうか? ナニワトモアレ、「モータリゼーション」と「郊外文化」の以前と以後にはさまれた、「モータリゼーション」と「郊外文化」のまち東大宮は、なかなか観察のしがいがあって、おもしろい。

関連
2009/01/09
東大宮-蓮田、東北本線「都鄙臨界地帯」と麦味噌。

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2010/11/12

東大宮操車場をひとめぐり。

あまりこんをつめて考えていても、よいアイデアが浮かぶわけでなし、心身にもよくない。

ことしも、もうおわりのようなもので、とはいえ、おわるまえにやりたいことはあるわけで、もうこんな状態ならおわりにしちゃおうかなということもあるわけで、とりあえず、アレコレ考えながら散歩でもしようかと出かけた。

ここにひっこして、見沼たんぼの東大宮操車場にかかる陸橋を、こちら側から真ん中へんまではいったことがあるが、向こう側まで渡ったことがなかった。なので、きょうはいったのだ。

まずは、この夏に撮った、こちらからの画像

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つぎは、きょう、陸橋の真ん中へんから、見沼たんぼの川でいえばくだり方面、電車でいえばのぼり大宮方面を撮影。

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そして、向こう側からの写真。陸橋の、ウチがある側には、高校と中学と小学校があり、反対側にも高校があるので、よくこの陸橋を生徒たちがランニングしている。

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陸橋を渡りきったところに「見沼田圃の散歩道⑤」という標識があった。左、東大宮親水公園、右、東大宮操車場、とある。おれは、親水公園のほうから来て、操車場のほうへ。道にそって、タップリの水の用水路。

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私立のなんたら小学校や、操車場の横を通って、川でいえば下り方面、電車でいえば上り方面にある、別の陸橋をわたって、もどるコース。その陸橋の真ん中へんから、さきほどの陸橋が見えるほうを撮ったのだが、写真では陸橋がわからない。

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その陸橋から、さらに見沼たんぼの下手を眺め、東北本線である宇都宮線の電車が走るところも撮影。左手がくだり、東大宮、右手がのぼり、土呂になる。

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この陸橋は、夜中に大宮からタクシーで帰るときに通るのだ。たいがい泥酔状態だけど。

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で、さらにウロウロして帰ってきた。けっきょく、歩いて眺めるのが楽しく、なにも考えなかった。鉄ちゃんでなくても、陸橋の上から線路や電車を眺めているとロマンだねの気分だったし。とにかく気分よく散歩できたのであった。

そうそう、田舎にもどっていた新宿下層民のキモ男、やっぱりまたもとのネグラに帰ってきた。おれも、「キモイ」なんて、いわれたことがあったな。ま、おれはともかく、キモ男はまだ若いのだから、よろしく頼むよ。

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2010/09/04

東大宮、黄色いラーメン戦争?

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ウチから東大宮駅へ行く途中にあるラーメン屋「ヒバゴン」は、過激に黄色くなる一方である。ウチは来月で、ここに越して2年になろうとしているが、最初のころは、こうまで激しくはなかった。なので、もしかすると、これは、この並びに、やはり黄色い派手なラーメン屋「ジャンクガレッジ」があることに関係するのだろうかと考えたくなる。

090228_2ジャンクガレッジは、以前に当ブログに掲載したが、このヒバゴンの前の第二産業道路を100メートルほど北(画像の左方向)へ行ったところにある。ここは、ウチが越してきてからまもなくして出来たのではなかったかと思う。そして、ジャングガレッジに行列を見たことがあるが、ヒバゴンではない。

081114_4ところが、ところで、このヒバゴンとジャンクガレッジのあいだに、これも当ブログに掲載済みの「モツ焼きセンター」がある。ここも、目立つ黄色を使っている。

さらに、ヒバゴンから第二産業道路を南へ200メートルほどのところに「でんきち」なる大型家電販売店がある。チューン店なのかどうかは知らないが、「ヤマダさんコジマさん価格より徹底値引」と挑戦的な看板を掲げる、この建物の外壁は黄色なのだ。

このあたり、1970年代的郊外型幹線道路の雰囲気が色濃く残っていて、ロードサイド型の店舗が立ち並ぶ。黄色に燃える目立つ商魂が「景観」になっていると、見ることもできる。

でも、「ヒバゴン」の、この有様は、ジャンクガレッジを意識してのことにちがいない。入口の黄色い暖簾の「闘魂」は、そのように読める。

しかし、まだ黄色い謎は、残る。というのも、ウチの近所の小学校、そして、やはり駅へ行く途中にある区役所の支所、その先の農協の建物が、そろって、打ち抜きのコンクリートの外壁に黄色をデザイン的に使用しているのだ。こちらは、商魂とは違うが、これだけ、同一地域に黄色が使用されているのは何かあるのか、と考えたくなるのだが……。頭の中が黄色くなりそう。もしかして、「攻撃型風土」?

こういう景色を見て、「おお元気があってええなあ、イケイケ、おれも元気が出るぜ」なんてひとは、コンニチ的ナチュラルカラーの時代には嫌われますね。でも、黄色だって、基本の太陽のナチュラルカラーのはずなんだけど。コンニチ的ナチュラルカラーは、ウッディーなどに偏向しているわけです。それゆえ、「コンニチ的」といえるわけですね。優しく、保守的で、攻撃型であってはいけないわけです。そして、おれは、ヒバゴンを見るたびに、「おう、ファイト、がんばれよ」と、燃える男なのである。ここでは、一回しか食べたことがないけど。

赤は「愛」に通じるが、黄は「狂」に通じることがあるから、ほどほどがよいかもな。プロ野球チームで、黄色といえば、まずは、阪神の印象だろう。だから? そのう、東大宮東口の居酒屋「ちゃぶだい」には、阪神のユニーホームがさがっているのですよ。やっぱり。

でんきち、コジマやヤマダを蹴散らせ!

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2010/02/18

味覚生活を楽しむアクセントとしての、地元のインド料理屋、東大宮「ニユーデリ」。

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東大宮には、楽しめる飲食店が、けっこうある。味覚生活を、どう楽しむかは、それぞれだけど、近くにインド料理やエスニック料理の店があると、味覚生活にアクセントをつけやすいような気がする。もちろん、インド料理やエスニック料理の店がなければ、ほかの方法で、味覚生活にアクセントをつけることをするだろう。ファッションに限らず、より味覚生活を楽しむためには、何かしら、アクセントが必要だということだ。高級なものである必要はない。ときには、たとえば缶バッジがアクセントになったりするように、チキンラーメンなどがアクセントになったりする。

ニューデリについては、すでに何度か書いている。ランチCは、サラダ、お好みのカレー一品、カバブとチキンの皿、ナンかライスで、850円。Aは、値段を忘れたが一番安い、サラダ、お好みのカレー一品、ナンかライス。Bは、やはり値段を覚えていないが中間だろう、サラダ、ナンかライス、日替わりのカレーとお好みのカレー一品。都心では、このコストパフォーマンスは無理だろう。

いつもうれしいのは、生ビールが、うまいこと。泡のきめこまかさ。注ぎ方もさることながら、サーバーの掃除がゆきとどいている感じだ。ときどき、ここの生ビールが呑みたくなる。ってことで、きのうの昼間、生ビールを2杯も呑んでしまった。

だんだん知られてきたのか、混むようになった。午後2時過ぎに行ったのに、テーブルの7割ぐらいは、カップルで埋まっていた。

ニューデリは、まちの暮らしのアクセントでもあるようだ。


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2009/12/02
地元東大宮お散歩日和。ニューデリ→市民の森→ちゃぶだい、大満足。

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