2019/10/04

おれも見沼田んぼのほとりで考えている。

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猪瀬浩平さんの著書『分解者たち 見沼たんぼのほとりを生きる』(生活書院、2019年3月)には、以前このブログにも書いたし四月と十月文庫『理解フノー』にも登場する「ダンゴムシ論」の根っこになることが書かれている。

「理解フノー」に書いたころは「ダンゴムシ=分解者」について十分に理解してなかった。そこのところが見えてきて、興味深いのだけど、なかなか重い内容が含まれているから、おれのような雑な人間には十分受け止めきれた自信がない。とりあえず5月2日に、概要だけ、ツイッターで紹介した。…と、2019/07/18「スリリングな読書と分解脳。」に書いてから日にちが過ぎた。

まだ十分受け止めきれた自信はないのだけど、書くことによって理解がすすむということもあるから、書き始めることにした。

見沼たんぼは、埼玉県の川口市から、面積の大部分はさいたま市に広がる農的緑地空間で、「東京の豊島区とほぼ同面積である」。

おれは、さいたま市の北のはずれ東大宮、見沼たんぼの北限域のすぐ近くに10年前に引っ越してきた。よく利用するスーパーの行きかえりには、そのほとりを歩いている。毎日のように見沼たんぼのほとりで考えているのだ。

そこに見えている芝川や見沼代用水西縁に沿って見沼たんぼを歩いて下ると、実際に歩いたことがあるが、1時間半弱ぐらいで、猪瀬さんが事務局長をしている「見沼田んぼ福祉農園」に着く。おれが猪瀬さんと初めて会ったのは、2013年11月25日、この農園でだった。

猪瀬さんは、明治学院大学の教員をやりながら、福祉農園のほかにも、NPO法人のらんど代表理事、見沼・風の学校事務局長などをしている。

猪瀬さんが、そのように見沼たんぼと深い関りをもち、「見沼たんぼのほとりを生きる」ようになったのは、猪瀬さんの6歳上のお兄さんが自閉症だったことに関係する。

この本は、自閉症のお兄さんと家族のことが芯になっているけど、「障害者と家族の物語」と「見沼たんぼの物語」がからみあいながら、「これまで」と「これから」を分解し紡ぎ直しているところに特徴がある。

その紡ぎだされたものが、序章「東京の<果て>で」の見出しに、「「とるに足らない」とされたものたちの思想にむけて」とある「思想」なのだ。

「私たちが、如何に雑多な存在と共に生きていけるのか、そのための思想を素描するのが、この本の目的である」

「「首都圏の底<見沼田んぼ>」は、1960年代あたりを境に、膨張する「「東京」の侵略」(©アクロス選書1987)によって「「とるに足らない」とされたものたち」の吹き溜まりになっていく。

その「ものたち」とは、「障害者」のような「者」でもあり「在日」といわれるような「者」でもあったり、廃棄物のような「物」や微生物のような「物」でもあるのだけど、猪瀬さんは、その者/物たちが見沼たんぼのほとりを生きる姿を描き、そこに「分解」と「分解者」をみる。

この「分解」という言葉と概念が、一般的な生活の中では、あまりなじみがないもので、おれの脳ミソでは咀嚼と消化に時間がかかっている。その「咀嚼」と「消化」も、分解の過程ではあるのだが。

「生きる」いとなみである、生産―流通―消費―分解―生産…というつながりの中の「生産―流通―消費」については、よく語られてきた。その中心には、いつの間にか、産業の思想がはびこり、そのもとで暮らすことに違和感を感じなくなっている。産業の思想は、より優れた(豊かな?)生産―流通―消費を基準に、さまざまな「とるに足らない」ものを排出した。そうして、「分解」も「分解者」も語られることなく、忘れ去られてきた。

JR東大宮駅の開業は、オリンピックがあった1964年の3月なのだが、その頃から、おれがいま毎日見ている見沼たんぼは、農村共同体的な風景から「東京の<果て>」へと姿を変えていったことになる。

猪瀬さんは、「私が見沼たんぼに惹きつけられるのは、首都圏/東京という歪に肥大化した身体の肛門から排出されたものたち」の存在があるからだと書く。「排出されたものたちが、思わぬ形で出会い、ぶつかり、交わる、すれ違う。そこでものとものとが交わり、熱が生まれる」

猪瀬さんがこの本で語る「分解」と「分解者」というのは、このことなのだ。

障害者たちは、見沼たんぼに引きこもっているのではなく、どんどん出かける。猪瀬さんもお兄さんと出歩く。「共に生きる」ためだ。いや、「共に生きる」ことを拒否し排出するものたちに向かって、「共に生きる」ことを理解させるためでもある。そういうときに、まわりの、自分たちを見る目や自分たちを見て話す言葉によって、「障害者」の兄といることを感じる。障害者は歪に肥大化した東京が広がる過程で「障害者」にされたのだ。

排出する側は、「とるに足らない」ものたちを「邪魔」や「障害」とする、排除の思想を持っている。そこにトラブルが生まれる。近頃、とくに排出された存在ではないはずの、子供をバギーカーに乗せて電車に乗ると、「邪魔」や「障害」とする排除の思想が働きトラブルになるニュースを目にすることがある。

子育てが、トラブルを起こす「闘争」の側面を持つようになったのは、子育てする人たちの問題ではない。「マナーがー」という見当違いの叩き方をする人たちもいるが、とにかく、そこにトラブルつまり闘争が発生する。

いま「トラブル」「闘争」と書いたが、それは片側からだけの見方なのであり、本書の第二部の「地域と闘争」の「闘争」には「ふれあい」というルビがあり、その扉には、横田弘『障害者殺しの思想』から「障害者と健全者の関わり合い、それは、絶えることのない日常的な闘争によって、初めて前進することができるのではないだろうか」という言葉が引用されているが、その「闘争」に「ふれあい」というルビがふられている。

この「闘争」つまり「ふれあい」も、「分解」なのだ。

ちょっとのはみ出しも許さないカタイ構造や、カタイ被膜で分断された構造を、分解し、「共に生きる」関係をつくりあげていくのは、容易なことではない。難儀なことだ。それを引き受けられるか、どう引き受けたらよいのか。とくに身近に障害者がいない身としては、考え込まざるを得ない。

「共生」「共食」「共考」といい、多様性を寛容を持って受け入れる、なーんていうが、実際はとても難しい。そもそも、「共」に、障害者や「とるに足らぬとされたものたち」は含まれているか、その顔が見えているか。

第三部「どこか遠くへ 今ここで」では、テーマはつながっているが、場所は見沼たんぼから離れる。

「やまゆり園で起きた凄惨な殺傷事件に、私は当惑した」と猪瀬さんは書く。

「容疑者は饒舌に語った。事件を解説する人、解釈する人も、饒舌に語った。(略)様々な言葉が、待っていたかのように溢れ出した」「私が当惑するのは、殺された人が語らない人であることにされている点だ(エンテツ注=「であることにされている」に傍点)。当然、殺された人は語ることができない。問題はそこではない。彼ら、彼女らは、殺される以前から「語ることができない人にされていた」」

そして「重度障害者の彼らには語るに足る人生があったと考えない空気が世間に存在していた」と指摘する。

この指摘は、おれのように「ライター」なんぞの肩書で、メディアがらみの仕事をしているものは、少なからぬ責任を持っていると思う。語るに足る、キャッチーな人や場所やモノなどばかりを、ネタにすることが多いからだ。それが、片方では、語るに足る人生がないかのような存在を生んだり、語らない人であることにされている人たちを生む、強い抑圧になっていることが少なくない。

かつて宮本常一は『忘れられた日本人』で、自ら語ることができない無字社会の日本人を発掘したわけだけど、猪瀬さんは本書で、別の意味で自らを語ることが難しい立場に排出され、忘れ去られようとしている人びとを描いているといえそうだ。

それだけじゃなく、「如何に雑多な存在と共に生きていけるのか」の思想を問うているし、読む者は問われている。

「分解」や「分解者」は、「食べる」と深い関係にあるのだけど、そのレベルのことになると、本書のあと7月に青土社から発行の藤原辰史『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』を一緒に読んで、ますますおもしろくなっている。

藤原辰史さんは、3月に農文協から『食べるとはどういうことか 世界の見方が変わる三つの質問』という本を出していて、これが、食べることの入門書として画期的にすばらしい。分解と分解者の存在意義が一目でわかるイラストまであるのだ。それを見たとき、おお、そうか、分解の思想は、難しく考えずに、ここからスタートすればよいのだと思った。

三つの質問の中の一つが、「「食べる」とはどこまで「食べる」なのか?」だ。

イラストは、子供が食べ、糞尿をしている。子供のまわりを、糞尿が自然から生物へ、生物から食べ物になり、また食べ、という循環のイラストが囲んでいる。その、子供のお尻の下の糞尿のところに「スタート!!」の描き文字があるのだ。

食べるというと、例によって生産―流通―消費であり、排泄から先は「とるに足らない」あるいは見たくもない考える必要もないような生活をしているのだが、じつは、食べるのスタートは糞尿であり、その分解から食べるは始まる、という見方ができる。

肛門も膀胱もある人間として生きるなら、肛門や膀胱の「先」も考えるのは当然だろう。食べれば「出る」のだ。そして分解があるから、全体の「生きる」がまわっていく。もし分解がなかったら、糞尿に埋もれて死んでしまう。分解には、もちろん、分解者がいる。

おれたちは、「出す」ことを前提に、食べている。食べなければ死ぬように、出さなければ死ぬ。食べることが生きることなら、出すことも生きることなのだ。食べ物と糞尿は、等価。まさか、このことは、忘れてないよな。口が現在なら肛門は未来だ。排泄は、未来に連動している。その先に未来がある。未来は、遠くにあるわけじゃない。おれのケツの下にあるのだ。便所の便器の先。とるに足らないとされたものたちが存在するところ。

そんなことを、見沼たんぼのほとりで考えているのだが、「分解」と「分解者」の話は、まだまだ続く。今日は、ここまで。

当ブログ関連
2019/07/18
「スリリングな読書と分解脳。」

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2019/08/31

地味で話題になりにくい、燃料と台所のこと。

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前のエントリーの早川でのことだが、かつて燃料店だったのではないかと思われる建物があった。青木食堂やうおよしがある、もはや商店街らしいカタチは失われた通りにあった。前回2006年4月25日に行ったときには、気にもとめなかったのか、青木食堂とうおよしの写真はあったが、ここの写真は撮ってなかった。

だから、どういう状態だったか、記憶の手掛かりがないのだが、たしか、店は開いていて、ほそぼそと何かを売っていたような気がする。

とにかく、今回は、立ち止まって、しっかり見て写真を撮った。

コンクリートの壁の、ESSOのロゴと灯油の文字の看板は、かなり古い。このようなカタチで灯油が売られていたのは、家庭の台所の火が、薪や炭から灯油に替わるころで、かつまだガソリンスタンドが普及する前のはずだから、1950年前半頃のものだろうか。

塩の専売もしていたようで、それを示すホウロウの小さなサインも軒下にあった。1945年の敗戦後は、しばらく薪も炭も販売店は登録制だったはずで、塩の専売も含め、この地域の食生活の要の位置にあったにちがいない。

建物も、屋根のそりぐあいまで、なかなか凝った造りだ。

燃料と料理の関係は、生活と密接にも関わらず、一般的には関心が低い。『大衆めし 激動の戦後史』に収録の「生活料理と「野菜炒め」考」では、戦後のおれの生活体験も交えて、野菜炒めを例に燃料と料理の関係を書いた。もちろん、あまり興味を持たれてないようだ。

二つばかりのテレビ番組から、おれを「野菜炒め研究家」と誤認識したらしく、おいしい野菜炒めが食べられる店だのおいしいつくり方だのの問い合わせがあった。いかにも、いまどきの偏った関心の示し方で、エンターテイメントな面白いネタになる料理と味覚、それも外食店のことばかり、生活の中の家庭の台所や燃料など地味だから眼中にない。

と、考えてみると、おれもまあ、ふだん何気なく過ごしていると、同じような状態だということに気づく。そういうビョーキが、かなりマンエンしている。と、気づくだけでもヨシとしよう。

戦後の薪や炭を使っていた頃、おれのうちが利用していた燃料店が、町のどこにあったか、もう思い出せないのだ。炭は炭俵で配達された。「薪」は、柴木と、いわゆる薪であり、これは父がリヤカーを引いて買いに行っていた記憶がある。柴木は長いから鉈で切り、薪は太いから鉈やまさかりで割って、かまどの近くの軒下に積み重ねた。その手伝いをさせられたことは覚えている。柴木はうちから見える近くの山でも採れたが、炭は奥の山で焼いていた。

ということを思い出そうとしているうちに、燃料店の歴史を知りたくなってネットで調べたのだが、「燃料店」レベルで、ちゃんとまとまったものがない。ますます気になる。

検索していたら、「江戸時代の資源・エネルギー」というPDFがあった。
https://www.enecho.meti.go.jp/category/others/tyousakouhou/kyouikuhukyu/modeling/pdf_cshs/04.pdf

学習指導要綱らしきもので、中学2年を対象学年とした社会教科だ。

………………………………………………

消費社会から循環型社会への転換が求められる現在、具体的な循環型社会への転換方法を考え、互いに自分の意見をまとめ、他者へ伝え、相手を納得させていく事により問題意識を高めていく。

32単元における視点●展開例の趣旨鎖国状態であった江戸時代の庶民の生活を知ることで、当時の人々が循環型社会を形成し、資源・エネルギーを自給自足していた社会を確認する。衣食住全ての分野でリサイクルが基本となっていた当時の状況を確認し、現在と比較することでこれから先、我々が出来ることを考えていく。●単元における展開例の位置づけ歴史的視点を持ちながら、現在の社会への置き換えを行うことで、資源・エネルギー問題を自分のこととして考える力を養っていく。

………………………………………………

とかいうもので、江戸時代が、モデルになる「循環型社会」だったかのように書かれている。

へえ~。

そういう炭と薪の生活が、それは井戸水や汲み取り便所と共にあったのだが、都会地はともかく、当時は人口も多かった田舎町では普通だった。普通の家庭の台所では、江戸時代が続いていたのだ。

あのまま続いていたら、周辺の山はハゲ山になり、燃料のために木を伐りすぎて文明が滅びたともいわれるギリシャ文明の末路みたいになったかもしれない。

いまの消費社会は、かなり歪んでいるから何らかの転換が必要だとは思うが、それが江戸時代をモデルにした「循環型」とは、どうなんだろう。

それに、猪瀬浩平『分解者たち 見沼たんぼのほとりを生きる』(写真=森田友希、生活書院2019年3月)と藤原辰史『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社2019年7月)を読んだあとのおれは、そうは簡単に「循環型」になびかない。

早川で出あった、昔の燃料店らしい建物から、あれこれ考えるのだった。

身近な燃料と台所は、文明と密接な関係があるわけだ。というか、文明そのものだね。そのことを忘れさせる消費社会に生きている。

当ブログ関連
2018/11/12
大革命。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2018/11/post-743c.html

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2019/07/18

スリリングな読書と分解脳。

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最近、スリリングな読書を楽しんでいる。

始まりは4月18日だった。見沼たんぼ福祉農園ほかで、主には飲みながら何かとお付き合いさせてもらっている猪瀬浩平さんの新著『分解者たち 見沼たんぼのほとりを生きる』(写真=森田友希、生活書院)を、大宮ジュンク堂で買い、近くのいづみや本店でビールを飲みながら読みだしたら止まらなくなり、とはいえ読み続けるわけにもいかず、家に帰ってパソコンに向かいメールを開けたら、『現代思想』の編集さんから初めてのメールで、「食の考現学」について原稿の依頼があった。

んで、何日かしたころ、以前から何かとおれのことを気にかけてくださっているようだが諸般の事情で仕事にはなっていない編集さんから、『フードスタディーズ・ガイドブック』(ナカニシヤ出版)という本に『大衆食堂の研究』が載っていますよ、というメールがあったので、早速またもや大宮ジュンク堂へ行って買い、またもやいづみや本店でビールを飲みながら『大衆食堂の研究』の評のところだけ読んだ。

その後、まずは『分解者たち 見沼たんぼのほとりを生きる』を一回読み切った。以前に、このブログにも書いたし四月と十月文庫『理解フノー』にも登場する「ダンゴムシ論」の根っこになることが書かれている。「理解フノー」の段階では「分解者=ダンゴムシ」について十分に理解してなかったところが見えて、興味深いのだけど、なかなか重い内容が含まれているから、おれのような雑な人間には十分受け止めきれた自信がない。とりあえず5月2日に、概要だけ、ツイッターで紹介した。

『フードスタディーズ・ガイドブック』のほうは、パラパラ見たら、いま読むと、これから書かなくてはならない「食の考現学」の原稿が影響を受けそうだから、原稿を書き終えてから読むことにした。原稿の締め切りは6月5日だった。それから読んだ。

『大衆食堂の研究』の評者は、藤原辰史さんだ。この方のことは、昨年夏ごろだったかな、『[決定版]ナチスのキッチン 「食べること」の環境史』(共和国)で知った。なんだか、すごいパワーの人があらわれたなあ、「食」に関する著者にこんな人はいなかったよ、と、ビックリボーゼンとした。いったい何者ゾと思ったのだが、そのままだった。そのうち、『トラクターの世界史』(中公新書)や『給食の歴史』など、気になるタイトルの本が並んだが、おれにはナチスのキッチンで十分だと思っていた。

しかし、『大衆食堂の研究』の評が、すごくおもしろい。とにかく、「食の話」というと「食べ物」に偏りがちだけど、藤原さんは、そうではない。

全体を見渡し、視野が広いし学識が厚いだけでなく、この人の専門は何かというぐらい、縦横無尽に越境する視線がおもしろいのだ。京都大学の教員で専門は「歴史学」のようだが、かなりジャンル横断的かつ上下縦断的に、四方八方目配りも学知も豊富で、軽やかに越境しながら真実に迫っていく。そう、そこが、スリリングなのね。越境は、スリリングだ。ハエを追いかけていたら蚊になり蚊を追いかけていたら鷲になり鷲を追いかけていたらワニになりワニを追いかけていたらバラになり…てなぐあいに世界や人間どもが見えてくる、という感じかな。

『大衆食堂の研究』について、最初の方で、こんなふうに書いている。「文章のなかに散りばめられている罵詈雑言も強烈であり、著者自身もジャンクな本でよいと考えている節があるが、そう読むだけではもったいない。そう読んでも十分に楽しめる本なのだけれども、本書の到達した食の理論から目をそらすことになる」

こうして、大衆食堂の研究に書かれた「生簀文化論」や「「ロクデナシ」の食い方」や「大衆食堂は家庭的ではない」「食の自立性」「味覚の民主化」などが料理される。

で、藤原さんの新著の『食べるとはどういうことか 世界の見方が変わる三つの質問』(農文協2019年3月)が、気になった。「食べるとはどういうことか」と、真正面からの切り込みだ。ナチスのキッチンのタイトルにも、「食べること」とある。

おれは、このブログでも何度か「食べ物」と「食べること」の話の混乱についてふれてきたが、ようするに、「食べ物」の話ばかりに偏っていて、「食べること」については、あまり考えられていないのだ。

「食の話」というと、おいしい楽しい食べ物の話が好まれる風潮、それをまた押す風潮(なぜなら、食べる飲むの商売と直結する人が多いからね)。「食べること」が好きな人は「食べること」を考えるより、話題になる食べ物に群がる、という風潮が、あれやこれやのメディアと周辺にマンエンし続けている。

その兆候は、すでに『大衆食堂の研究』を書いていた1993年頃にあった。おれは、「あとがき」でこう書いている。「この本でくそまじめに食生活を考えてほしい、といったら笑われるだろうか。/でもおれはくそまじめにくうことを考えていた」

考えることはスリリングだけど、そんなスリルより、誰かさんが押す食べ物や「みんな」が話題にする食べ物を期待している人たちが大勢だ。ワタシ押す人、ボク群がる人。その立場は入れ替わりながら、消費のコンテンツは花盛りだが、「考える種」は育たない。

しかし、真正面から「食べるとはどういうことか」だから、この本は買った。

京大のフジワラ先生と12歳から18歳の8名の中高生による「ゼミ」をまとめたものだ。ほかの厚くて細かい字のアカデミックな言葉の本と比べると、この本はおれのようなジジイにとっては文字も大きくなんと読みやすくわかりやすいことか。ってのは、どうでもよいことで、フジワラ先生は、生徒たちに三つの質問を発し討議する。

1、いままで食べたなかで一番おいしかったものは?
2、「食べる」とはどこまで「食べる」なのか?
3、「食べること」はこれからどうなるか?

1番目は、うまいってなんだ、ってことに関わる質問ともいえる。

あいだにフジワラ先生の解説やコラムが入ったりするのだが、「対話 『食の哲学』という本をみんなで書くとしたら?」なーんてのもあって、みんなで『食の哲学』の目次までつくっちゃうのだ。

これまで、食に関心を持ったらまず読む本のオススメの決定打がなかったが、これからはこれだ。

討議のあと、フジワラ先生は、今日の議論には答えはない、「答えを探すことが目的ではなくて、みんなに「考える種をまく」というのが今日の目的だった」という。そして、「あたりまえのことを問い続けるスリリングさ」ということで、哲学ってのは無味乾燥でメンドウなものでなく、「スリリングな知的エンターテイメントなんだ」という。

なるほどね~、おれももっと見習おう。あと「身体感覚を伴う問いの大切さ」についてふれているが、おれはもともと大学で学知なるものを身につけていないこともあって、体験や体感をもとに考えるのだが、近頃は、SNSの普及もあって、とくに「身体感覚を伴う問いの大切さ」について痛感している。

『分解者たち 見沼たんぼのほとりを生きる』と『フードスタディーズ・ガイドブック』と『食べるとはどういうことか 世界の見方が変わる三つの質問』については、もっとよく読みこなしてから、このブログに紹介するツモリだ。

ところが、まだあった。

『現代思想』7月号が出来あがって、発売日は6月28日だったのだが、その前夜、編集さんが届けてくれるというので大宮で会った。ま、もちろん、いづみやへも行ったのだけどね。そのとき、フジワラ先生の新著も持って来てくださったのだ。そのタイトルが、『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』だ。

これは『現代思想』に連載のものに加筆してまとめたものだ。いただいて、パラパラ見て、おお、またもや超越境の書ではないか、それに「生産者・消費者・分解者」など、猪瀬さんの『分解者たち』と深くリンクする内容のようだ。どうやら、「分解」は、近代の桎梏を超える(分解する)何かのようで気になる、と思ったまま、トシのせいもあるだろう、越境するスリルが続くとくたびれるから、少し休もうとほってあるのだ。

いやいや、しかし、近頃めったにないオベンキョウをしている。そして、おれの脳は、ゆるやかに分解している、か。

『現代思想』の件については、すでに雑誌も出来あがり、このブログで紹介済みだ。
2019/07/02
『現代思想』7月号に「おれの「食の考現学」」を書いた。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/07/post-624cb2.html

『フードスタディーズ・ガイドブック』の件についても、すでにこのブログに書いている。
2019/05/13
自分の本が載っているからではない、食の「知」のための一歩、『フードスタディーズ・ガイドブック』。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/05/post-0aa567.html

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2019/05/14

仕事と家族と食の70年。

『スペクテイター』42号「新しい食堂」では、冒頭で、編集部の青野利光さんが「食事をする側とそれを提供する側の食に対する意識が、今まさに変容のときを迎えているのではないか」と述べている。これは、この文の前に、「皆さんの話を聞いて感じたのは」とある通り、この特集に登場する店主さんたちの話を聞いて、ということなのだが、飲食店のステージだけに限らず、食事と料理をめぐっては「意識」の変容が、その傾向も含め、よく見えるようになってきた。

『大衆めし 激動の戦後史』は、60年代後半からの、全国自動車道路交通網やコールドチェーンなどのインフラに属する基盤の拡充と食品工業の成長が食文化の変動に与えた影響を見ている。食をめぐる戦後の「下部構造」の激変が、このころにあった。

そのころはまだ、「上部構造」のほうは、家族中心の食事観と「和洋中」の概念が堅固のなかで、「コメ」か「パン」かの闘争があったり、従来の食事観や料理観が問われる「激動」が起きていた。

そのうえに、80年代以後から少しずつ目に見えて広がってきたのが、食をめぐる「意識」の変化だ。

その「意識」の変化には、「新しい食堂」でも少しふれられているが、「幸福観」の変化が関係していそうだとおれは思っていたのだが、さらにその「幸福観」には「仕事や家族の形」の変化が深く関係しているのではないかと気付いたのは最近だ。

『TASCマンスリー』5月号に載っている「仕事を家族の70年」を読んでのことだ。

立命館大学産業社会学部教授の筒井淳也さんが書いておられるのだが、「戦後の仕事と家族ということで言いますと、2015年の時点で戦後70年ですから、当然、その間に仕事や家族の形も大きく変わりました。戦後の歴史を見る場合、私は主に三つの段階で捉えています」と、その三つの段階について述べている。

幸福観や食事観のことについてはふれていないし、仕事や家族に関する「意識」の変化より、産業社会学的に見た「形」の変化や「仕組み」のことが中心であり、最後は「少子化」「未婚化」「介護」「子育て」などの政策の話になっている。

なかなか説得力のある内容なのだが、おれはそれに「食」をからませて考えてみた。

「仕事と家族の形」が、食事や幸福に関する「意識」と密接な関係にあることは、まちがいないだろう。

ってことで、この「仕事と家族と食の70年」というタイトルを思いついたわけなのだ。

おれが「新しい食堂」に寄稿した文章のなかで、「八〇年代、日常の大きな変化」と「“もう一つの場所”のために」の見出しのところは、まさに「仕事と家族の形」が関係している。

「八〇年代、日常の大きな変化」のところでは、「食堂が根をはった日常が大きく動いたのは、一九八〇年代だ。それまでは、たいがい収入差はあっても、成長する工業社会のもとで工場のサイレンに合わせるかのように同じリズム同じ方向を維持し、終身雇用年功序列の同じ出世双六ゲームを競っていた。日常もわりとわかりやすかった。「サザエさん」や「ちびまるこちゃん」の世界だ。」と書いている。

とくに「サザエさん」の家族は、国民的幸福モデルだったのであり、価値観レベルでは依然として「主流」といえるだろう。それだけに、現実とのギャップは激しくなっている。

筒井淳也さんは、第三段階を一九九〇年代以降としている。

とにかく、仕事と家族の形は、経済と政策に押され変わってきた、それが幸福と食をめぐる意識の変化に及んでいる。

現在の食にまつわる「活況」は、このあたりのことが底流にあると見ておかないといけないだろう。いま「食」に関する意識は、かつてなかった「個」と「仕事」と「家族」のもみあいのなかにある。

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2019/05/10

昨日の補足。『クレヨンで描いた おいしい魚図鑑』。

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加藤休ミさんの作品に『クレヨンで描いた おいしい魚図鑑』(晶文社2018年1月)がある。これが、なかなか面白い。食文化を考えるヒントにもなる。

「魚図鑑」というと、普通は生物学的な図鑑だが、これは、「おいしい」がついているところが大いにちがう。表紙の絵は、ツナ缶の中身であり、本文では「ビンナガマグロ」のところに、この絵が載っている。

そして「ビンナガマグロ」のところには、漢字表記や学名などのほかに、こんな説明がある。

「ビンナガマグロはスズキ目サバ科マグロ属に分類される魚の総称です(世界の熱帯・温帯海域に生息)。だけど日本では、ツナといえばマグロの油漬け缶詰。この、ちびっ子からお年寄りまで愛されるツナ、じつは魚図鑑の世界でもこれほど形の変わる魚はほかに見当たりません。(以下省略するが、コンビニのツナサンドなど朝昼夜の飲食の場のツナの活躍が紹介されている)」

本の後のほうには、普通の図鑑の絵のような魚も載っているが、この本はもう「魚食文化図鑑」とでもいえそうなものだ。そして、普段の普通の生活に即している。言い方を変えれば、生活感がある。

ここには、きのうの話にも出ている「さんまの塩焼き」の絵も載っている。きのうの話のさんま焼きは、『今日のごはん』(偕成社2012年9月)のもので、これは食事の膳にめしや味噌汁などと描かれている。そのさんまも、この絵のようなもので、ありふれた安い普通のさんまがモデルになっている。加藤さんは自分で焼いて描いている。

魚の姿を知らない人が増えているといわれるが、さんま、あじ、いわし、さば、たい、いか、えびなどなど、魚屋の店頭で見られるものある。だけど、それらは「食品」として流通しているもので、死骸であり、生きている状態のそれらを見たことがある人は、かなり少ないだろう。

おれも、そんなにたくさん見ているわけではないが、生きているときは鱗が輝き、食品の状態とはかなり見た目の印象がちがう。その「生物」を見て「うまそう」と思うとしたら、見る人の食文化が大いに関係しているといってよいのではないか。

四月と十月文庫『理解フノー』には、「ウマソ~」という掌編があり、おれが親しくしていた山奥の民宿の「熊獲り名人」のおやじが、山で熊に出あい、鉄砲は持っていなかったが、「ウマソ~」と追いかけ落ちていた木の枝で叩き殺してしまう話が載っている。その熊獲りの生活ぶりも少し書いたが、生きている熊を見て「ウマソ~」と追いかけるのは、その日頃の熊を獲り食べる生活をぬきには考えられない。

生きている魚の場合、どうだろうか。まだ話を聞いたことがないが、「ウマソ~」と海中の魚を追いかけることがあるのだろうか。水族館の魚を見て「ウマソ~」と思う人は、どれぐらいいるのだろう。鯨の場合など、どうなのだろう。どこでどう「ウマソ~」になるのだろうか。そのあたりは、それぞれの食文化と大いに関係がありそうだし、料理文化にも関係するだろう。どこかで「ウマソ~」になる/なった。

自分は、ある食品を、いつどうして「うまそう」と思うようになったか、なかなか面白いと思う。

料理で「うまそう」をふきこむように、絵にすることでまた「うまそう」をふきこむことができる。その素材が、ありふれたものであっても、普通の缶詰であっても、料理をする人しだい、絵を描く人しだいなのだ。この一冊、ほかにも、加藤さんの食べ物や食事(あるいは生活)を、ありふれたクレヨンで描くクレヨン画からは、「うまそう」に描かれているからこそ、そういう食文化も読み取れる。

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2018/11/11

「食べる」を「まじめに考え、もっと楽しむ」。

きのうのテキストにある「まじめに考え、もっと楽しむ」は、西江雅之著『食べる 増補新版』(青土社、2013年)の帯にあるオコトバだ。

とてもよい、すごくよい、と思った。

「まじめに考える」と「楽しむ」は、相いれないような扱いを受けていることがめずらしくない。そして、「食べる」となると、考えることを停止し、しかし脳ミソのなかにためんこんだ知識を総動員してウンチクを傾けたりしながら、テレビタレントのように、誰が見ても「楽しそう」な、大根役者のような教条的な表情とことばを放出する。「オイシイ~」

それもまあいいだろう、おれのしったことじゃない。だけど、もしそのとき「うまい」と思ったら、「うまい」ってなんだ、ワタシの生理か心理か文化かぐらいは、ヒマなときに考えてみるのも悪くない。「うまい」には、たぶんに食文化が関係している。

でも、「食文化とは」となると、なかなか複雑で説明しにくい。実際のところ、説明せよといわれると困ってしまう。生理や心理や社会など、雑多にいろいろな次元のことが関係し、『世界の食文化 16 フランス』(農山漁村文化協会、2008年)を著した北山晴一は「複雑性の罠」といったぐらい、ややこしいのが「食」の分野だ。

だからあまり考えずに、ワタシはうまいものや食べ物について詳しいのヨってな顔をして、これはサイコー、日本一だ、世界一だ、とでも、少しばかり文学的に気どりながら断言しちゃえば、あら不思議それを信じちゃう人も少なくない。世間とは、そういうもので、たいがいのグルメ本とか食べ物の話は、そうして成り立っている。

「食文化とは」についてふれている、適切な本は何冊かあって、先駆者といっていい石毛直道などは、詳しく述べている。彼の食談義はおもしろいのだけど、彼は文化人類学者であり、文化人類学は、「文化」×「人類」だから、その眺めは広大で、いざ学問的立場で食文化を語るとなると、すごく広大なのだ。おれのようなシロートは、もっと整理してくれるとありがたいんだがなあ~と、わが脳ナシ頭をうらむことがたびたび。

ところが、この『食べる 増補新版』は、食文化論の急所を、身近なことにブレイクダウンし「七つの要素」をあげて説明している。

本書の構成は、三つにわかれていて、その「Ⅰ」と「Ⅱ」の一部が「食文化とは」に直接関係する内容だと判断できる。

「Ⅰ」は、「「食べられるもの」と「食べ物」」 「「文化」としての「食べ物」」 「コミュニケーションとしての「食べ物」」 「「食べ物」と「伝統」」の四つにわかれている。

「Ⅱ」は、九つの話があるが、「「ことば」を食べる時代」が、とくに大事だと思った。

小見出しレベルをあげると、こんなぐあいだ。

「人間にとって大切なもの」 「「食べられるもの」と「食べ物」」 「「食べ物」と文化」 「文化とは何か」 「五つのポイント」 「「どのようにか」という文化」 「「どのようにか」食べる」 「七つの要素」 「「昔」ということの曖昧さ」 「「伝統」が意味するもの」 「伝統を「創る」」 「伝統は構成要素の束」 「伝統は「未来」である」 「「食べ物」の話題の変化」「「美味しい」とは何か」「亡食の時代」「「ことば」を食べる」「「ことば」先行型商品の問題」 「「実」にこだわる」

ってことで、「七つの要素」は、①ことば、②人物特徴 ③身体の動き ④環境 ⑤感情・情動 ⑥空間と時間 ⑦人物の社会背景 をあげ、一つひとつ説明している。

具体例では違和感のある記述もあるが、基本的なところは豊富な経験と学識をもとにまとめられているから、とてもありがたい。

せっかく毎日「食べる」のだし、人によっては大いに食べ歩いているだろう、その体験を体験でおわらせることなく、かつ自分本位の認識と理解におわらせることなく、あるていど「客観的な尺度」で考えてみたい。すると、ますます「食べる」が楽しくなるというわけだ。

それに、コイツ、ずいぶんひとりよがりのおかしなことをいっている、ということが自分のことも含めて見えてきて、大いにリテラシーに役立つのだな。

「ことば」を食べる時代」だからこそ、食べるを楽しむために、「まじめに考えて」が不可欠になっている。「食べる」世界は、広大だ。まだまだその広大さに気が付いていない。小さな世界に閉じこもり、食べることでエラそうにするのは、やめにしようぜww

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2018/10/27

2001年9月11日、戦争と平和と食。

安倍首相は、来年10月から消費税を10%に上げると宣言した。その消費税がスタートしたのは、平成元年の4月1日からだった。

世間はすっかり消費税に飼い馴らされたかんじだが、どうなのだろう。いまでは1万円の食費に800円の税が1000円になる。かりにそれだけ収入が増えるとしても、かりに消費税が全額福祉に還元されるとしても、「食べる」ということに税が課せられる異常を、異常とする人の声はあまり聞かれない。

平成13年、2001年9月11日、いわゆる「アメリカ同時多発テロ事件」が発生。その前日の10日、農水省が千葉県内で飼育されていた牛にBSE発症疑いがあることを発表した。後にBSE発症が確定。

どちらも、テレビで繰り返される映像から、多くの人たちが大きな衝撃を受けた。マスコミや言論は、例によって騒ぎたてるだけ。

いいもの食ってりゃ、しあわせか。

その年の暮、菅啓次郎さんの一文がある。これは、あまり一般の人の目にはふれない企業PR誌に載った短文だ。

「9月11日、世界が変わった。こうなると、食についての幸福なおしゃべりは、いかにも些細なことと思える。それよりも無用な殺戮を生み出す「世界」の構図を本質的に見抜き、行動に移したらどうなの? そんな声には、ぼくも賛成だ。だが、かといって食についての考察を放棄する必要はないだろう。爆弾とともにピーナッツバターを投下する巨大国家の姿に、狂気が潜んでいる。家庭の食卓には、そのまま、世界のすべてが響いている」

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2018/10/25

おれの平成食文化誌。

「食物誌」じゃなくて「食文化誌」ね。

「平成」は、来年30年でおわる。

ってことで、平成30年を、おれの平成食文化誌風に、ぼんやりふりかえったりしている。

平成元年は1989年だから、そこから30年さかのぼると、1959年で昭和34年だ。昭和34年の春、おれは高校に入学した。高度経済成長の真っ最中。

高度経済成長は1970年代中頃には「安定成長」っていわれるやつになるのだけど、まだ労働者や大衆は健在で、「大衆文化」ってやつを担っていた。「大衆文学」なんていう言葉もあったなあ。

食文化は、この大衆を抜きには語れなかったねえ。「大衆食」という言葉は、たしか1960年代後半ぐらいからだったと思うけど、大衆も大衆食も大衆食堂もイケイケだったね。大衆の中心は、東京だって、労働者だった。

「食文化」という言葉は、1970年前半頃から広がり始めたけど、あまり一般的ではなかった。それに、大勢としては、大衆の食なんか「文化」とみなされていなかったね。

「食は文化だ」とか「食を文化としてみる」なーんていう言い方が、インテリさんのあいだで広まっていったけど、それがどういうことかなんて、たいがいわかっていなかった。ただ、そういう言い方が、いかにも、当時ハヤリだった「学際的」で、かっこよかった、という感じの「食文化」だった。

吉田健一の『私の食物誌』を読むことで、「食文化」になったような。

そう、「文化」という語は、西江雅之さんが数年前に書いているけど、「これは現在の日本のほとんどすべての人びとの頭にこびりついている意味での文化です」「そこでは、特定の時代(すなわち現在)、地球上の特定に地域(すなわち日本)、特定の人びと(すなわち日本の人びと)にとって「憧れの対象」になるものが文化であるとされるのです」

「文化というのは素晴らしいもの、高級なもの、そしてある程度は高価なもので、多くの人びとが憧れているものでなけれならないという先入観に、人びとがすっかり囚われているからです。さらに、現在では、その素晴らしさというものは、先進国、ほとんどの場合は欧米の国々の人びとの評価に合わせてみて恥ずかしくないものでなければならないという、一種の劣等感に支えられたものでもあるのです」

民芸品や工芸品のような食、ミシュランの星がもらえるような料理、平凡社の『太陽』という雑誌(いまは『別冊 太陽』だけだけど)に載るような「文士」や「文化人」の食事や料理、そういうものに対する憧憬、そういうものが「文化」だとする状態が、いまでも続いているのだが。

「生活」や「必要」から遠ざかるほど「よい」とされる文化があるのだ。いま「生活」や「必要」を主に支えているのは、コモディティであり量産品だが、そういうものをつくったり売ったりするのも、そういうものがある生活も、文化とはみなさない文化がある。おしゃれなセレクトショップみたいなの、そこに並べられるようなものが「文化」であるらしいのだ。

そういう流れに対して、主に文化人類学者が主張し始めた「食文化」は、ちがった。

おれがその流れと、江原恵が唱えた「生活料理(生活の中の料理)」と出会ったのは、本に書いたり、あちこちで書いてきたが、1970年代中頃だった。

それから、おれは、「生活料理」の食文化の立場で、憧憬の文化なんかクソクラエでやってきた。

憧憬の文化と、それからは文化とみなされない労働者の食生活を支えていた日本の工業社会は、1970年代後半に行き詰まった。これは先進国の資本主義の行き詰まりとも関係するが、それはメンドウだからおいておこう。

1980年代は、ポスト・インダストリー、ポスト・モダン、「情報社会」と内需拡大であけた。

東京の工場は姿を消していき、大衆は、作業服を着た労働者から、ビジネススーツを着た労働者が中心になった。

1984年『さらば、大衆』1985年『「分衆」の誕生』。大衆は葬り去られ、「消費市民」と化し、消費市場に迎えられた。内需拡大策の結果であり、日本の生産力や技術力の成長と共に大衆も成長したわけじゃない。少し金回りよくなって(ローンも手軽になったし)、着ているものが替った、というていどのこと。

大衆食堂の軒数は頂点に達した。そして「大衆」と「大衆食堂」のたそがれ。「大衆」も「大衆食堂」も「いかがわしい」存在にされた。

内需拡大策に加え金融政策のおかげで超景気「バブル」到来。始まりは1986年ってことになっているね。

この年の11月、「B級グルメ」を先導する文春文庫ヴィジュアル版『スーパーガイド 東京B級グルメ』が発売になった。

こうして、平成が始まった。

平成が始まるまでの30年間、食文化に対する大きなインパクトは「技術革新」、つまり工業と技術の発達による生産・流通・販売・サービスの変容だった。「中流意識」と「豊かさ」は、それに依拠していた。

平成の食文化の変容は、もっと複雑に、いろいろな大きなインパクトが関わっている。

ま、平成が始まるところで、今日はおわり。

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2017/09/09

火と料理。

拙著『大衆めし 激動の戦後史』の第6章「生活料理と「野菜炒め」考」では、野菜炒めと台所とくに火の条件との関係で野菜炒めを見ている。

これは、きのうふれた『料理の四面体』からの影響があるが、ほかにも、まったく火の条件を無視した「料理の歴史」のようなものに対する批判もこめられている。

日本の料理や食べ物に関する話は、事実の積み重ねから離れた「非科学的」な偏りが多い。そのことの混乱は、いまではけっこう大きな問題をはらんでいる。こういうことについて、料理や食べ物に関して編集したり書いたりしている人は、少なくない責任があるわけだけど、あらたまる方向へ向かっているかんじがしない。

それでも、『料理の四面体』が2010年になってだが、中公文庫から復刊になったのは、あらたまる方向を期待してよいキザシかもしれない。だけど、その中公文庫にしたって、ほかのアヤシイものがはるかに多いのだから、どうなるのだろう。

とにかく、火と料理について、あらためて考えてみた。

いまさら気がついたのだが、おれは、薪と炭の料理の時代からIHまで、体験しているのだった。これは、日常的なことでは、おれたちの年代が最後かもしれない。

おれが小さい子供のころは、薪と炭で料理をしていた。その火の番をするのが手伝いで、かまどやいろりのそばにいて、親が教えてくれたように火力のコントロールをするのだ。

そのときは気がつかなかったが、火力のコントロールは、料理の本質に関わる重要なことだった。

しばらくして石油コンロや電熱器が入り、それは短いあいだ部分的で、やがて中学生のころには全面的にガスになった。ガスが長く続き、9年前に引っ越して、それからはIHと電子レンジの台所で料理をしている。

薪と炭の料理は、縄文時代からの延長線、というより継続だった。これは、薪や炭と空気のあたえかたで火力を調節する。炎のぐあいを見ながら、薪や炭を補充したり、空気を送ったり、こまめに手をうごかさなくてはならない。

ガスになると、ガスと空気の調整は、それほどこまめに手を動かす必要はない。ことによったら、火事になるのを気をつけさえすれば、そばを離れることができる。

だけど、炎が見える火だから、薪や炭の延長といえる。目で炎を見て、手を動かして、火力をコントロールするのだ。

これ、縄文時代からの継続と延長だ。おれが小さいころは、縄文人とかなり近かったのだ。

ところが、IHと電子レンジは、「炎」がない。もっといえば、「火」による加熱ではない。

言い方をかえれば、縄文時代から抜け出したのだ。

しかし、いまだに、IHや電子レンジを「化け物」のようにいう料理の「専門家」がいる。とかく「科学的現象」が理解できないと「化け物」に見えるということもあるようだ。それに、「電磁波」なるものを放射能なみに危険視する人たちもいる。

「炎」が見えないのだから、気持ちはわからんではないが、IHや電子レンジで、料理は、やっと料理の仕組みが理解され、料理が科学として広く認知されるような気がする。そう願いたい。

「秘伝」だの「愛情」だの、あと「誠実」だの「丁寧」だの「真摯」だの、料理を精神や道徳やさまざまな観念の檻にとじこめてきた言論や思想などから、解放されるのだ。

ヤッホー。

という気分なのだが、はたしてどうだろう。とくに職人的な手作業にこだわって、いまや工作機械産業やAIまで遅れをとってしまった日本のことだから、19世紀ぐらいのままの言論と思想の大勢に流されて、ああ、どうなるのだろう。

「火」は文明をもたらした、といわれている。しかし、宗教行事に「炎」の演出がつきまとうように「炎」は「神秘性」と相性がよい。

炎を使う料理は、とかく神秘的に扱われやすく、神秘的なウンチクをかたむけるほどありがたがられた。ありがたがられ「芸術」扱いにされることも多かった。この構造は、陶磁器などのやきものにも通じるが。

「炎」に興奮しても、IHのガラス面に鍋がのっているだけでは、なんの感動もないからなあ。でも、それで加熱が成り立つのだから、感動ものだ。

真実は、見えないところにある。とかね。

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2016/02/01

開高健『鯨の舌』から、味の言葉。

きのうの話の、山本容朗さんが編集の『日々これ好食』(鎌倉書房、1979年)には、開高健『鯨の舌』も収録されている。

開高健というと、味覚の表現が豊かで、それも、世界の認識や真実に迫ろうという姿勢が、おもしろく楽しいし、ためになる。この話のばあいも、そうなのだ。

『鯨の舌』は、おでんと鯨の話だが、大阪生まれ大阪育ちの氏のことなので、とくに道頓堀にあるおでんやの「たこ梅」と、鯨のコロやサエズリのことが中心になっている。

とにかく、例によって、多彩な言葉を「まさぐり」ながら動員して味覚を探索しているのだが、「味」の言葉が多い。

「たこ梅」特製のコンニャクについて、「淡白な滋味」に感動するのだが、そのコンニャクを刺身や天ぷらにすると、「《無味の味》とでもいうか禅味があって、私は好きである」とか。

禅味なら、なんとなく想像つくが、サエズリについては、こうだ。

「サエズリの味を文字に変えるのはたいそうむつかしく、ほとんど不可能を感じさせられる――すべての"味"や"香り"がそうであるが――」と書いたのち、「奇味。怪味。魔味。珍味。」とあげる。

そして「いろいろと風変わりでしかもうまいものを表現する言葉をまさぐりたいが、子供のときから鯨をいろいろな料理で食べ慣れてきた私には珍しさよりも親密さがあって、もし一串のなかで香ばしくて淡白な脂のあるコマ切れに出会うと、滋味、潤味という言葉を選びたくのである」といったぐあいに続けるのだ。

味覚には、多様で豊かで雑多な快楽があるはずだが、とくに近頃は、あんがいツマラナイ話が多い。なんていうのか、書く人が自分の感覚の心地よさに酔っているような、味覚自慢のような、とにかく言葉をつくしているようでも、なんだかふわふわしていて薄っぺらで、味覚を掘り起こしてくれるような話が少ない。

「私は「いい味」を知っている」式の話は、ともすると説教臭くもあり、辛気臭くて、解放感がない。だから、味覚が、ちっとも楽しくない。

味覚というのは、世界の真実を認識し理解をするための大切な感覚なのに、いつのまにか、卓抜した感覚や能力を称賛したり誇るためのネタになった感じがある。満たされない自己の何かを満たすための踏み台になるネタを、味覚に求めている人が少なくないということでもあるのだろうか。

もっとも、いまどきは、「世界」だの「真実」だのというのもダサイ感じで、そんなことより、自分の心地よさが大事という感じではある。

開高健の味覚の話は、食べる歓びや、未知の世界へ、どーんと解放してくれるような、おもしろさがある。

以前このブログでもふれた、昨年亡くなられた文化人類学者の西江雅之さんの食の話がおもしろいのも、世界や人間の多様性を認識しながら、かつ興味深く追いかけていたからではないかとおもう。

味覚は、広い世界、深い真実へ向かってこそ、おもしろく楽しい。

おれは、聴覚と視覚が失われた、ヘレンケラーのような人の味覚を想像してみた。味覚は、世界や真実の窓口であり、それらを認識する重要な手掛かりなのだ。それを、ふわふわと消費していて、いいものだろうか。

日本の文化は、日本料理など典型的だけど、系譜主義と純血純粋主義の影響を強く残している。そこにある狭量な価値観は、少なからず味覚にもつきまとっている。

はあ、もっと解放された味覚で、大らかに食を楽しみたい。

そういう意味では、おれが最も好むのは「痛快味」なのだ。でも、これ、しゃくだけど、まさに系譜主義と純血純粋主義の権化みたいな、辻嘉一の本から知った言葉なのだ。辻さんは、「快味」という言葉も、ときどき使っていたとおもう。ま、ニンゲンは、矛盾に満ちた動物であるってこと。

いままで最も傑作だった味の表現は、大宮いづみやの名代もつ煮込み(170円だったかな?)を「ルサンチマンの味」と書いたひとがいて、これですね。脱帽。

「ルサンチマン」って、「悪」「負」「タブー」のイメージだけど、それはルサンチマンの標的になりやすい立場にあるエスタブリッシュの希望なのではないだろうか。そんな思想をうのみすることはない。

ルサンチマンを抱え安酒場で飲んで癒されているものが、せっかく頂戴したルサンチマンを簡単に放棄すべきではないだろう。ルサンチマンの味は、ルサンチマンを植えつけられたうえ、さらにそのルサンチマンを否定される状況からの解放であろう。ある種、痛快味でもある。いや、このうえない野暮味かな。

なーんて、考えた、『鯨の舌』だった。

当ブログ関連
2007/11/18
大宮いづみやで「ルサンチマンの味」を知る

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