2019/05/14

仕事と家族と食の70年。

『スペクテイター』42号「新しい食堂」では、冒頭で、編集部の青野利光さんが「食事をする側とそれを提供する側の食に対する意識が、今まさに変容のときを迎えているのではないか」と述べている。これは、この文の前に、「皆さんの話を聞いて感じたのは」とある通り、この特集に登場する店主さんたちの話を聞いて、ということなのだが、飲食店のステージだけに限らず、食事と料理をめぐっては「意識」の変容が、その傾向も含め、よく見えるようになってきた。

『大衆めし 激動の戦後史』は、60年代後半からの、全国自動車道路交通網やコールドチェーンなどのインフラに属する基盤の拡充と食品工業の成長が食文化の変動に与えた影響を見ている。食をめぐる戦後の「下部構造」の激変が、このころにあった。

そのころはまだ、「上部構造」のほうは、家族中心の食事観と「和洋中」の概念が堅固のなかで、「コメ」か「パン」かの闘争があったり、従来の食事観や料理観が問われる「激動」が起きていた。

そのうえに、80年代以後から少しずつ目に見えて広がってきたのが、食をめぐる「意識」の変化だ。

その「意識」の変化には、「新しい食堂」でも少しふれられているが、「幸福観」の変化が関係していそうだとおれは思っていたのだが、さらにその「幸福観」には「仕事や家族の形」の変化が深く関係しているのではないかと気付いたのは最近だ。

『TASCマンスリー』5月号に載っている「仕事を家族の70年」を読んでのことだ。

立命館大学産業社会学部教授の筒井淳也さんが書いておられるのだが、「戦後の仕事と家族ということで言いますと、2015年の時点で戦後70年ですから、当然、その間に仕事や家族の形も大きく変わりました。戦後の歴史を見る場合、私は主に三つの段階で捉えています」と、その三つの段階について述べている。

幸福観や食事観のことについてはふれていないし、仕事や家族に関する「意識」の変化より、産業社会学的に見た「形」の変化や「仕組み」のことが中心であり、最後は「少子化」「未婚化」「介護」「子育て」などの政策の話になっている。

なかなか説得力のある内容なのだが、おれはそれに「食」をからませて考えてみた。

「仕事と家族の形」が、食事や幸福に関する「意識」と密接な関係にあることは、まちがいないだろう。

ってことで、この「仕事と家族と食の70年」というタイトルを思いついたわけなのだ。

おれが「新しい食堂」に寄稿した文章のなかで、「八〇年代、日常の大きな変化」と「“もう一つの場所”のために」の見出しのところは、まさに「仕事と家族の形」が関係している。

「八〇年代、日常の大きな変化」のところでは、「食堂が根をはった日常が大きく動いたのは、一九八〇年代だ。それまでは、たいがい収入差はあっても、成長する工業社会のもとで工場のサイレンに合わせるかのように同じリズム同じ方向を維持し、終身雇用年功序列の同じ出世双六ゲームを競っていた。日常もわりとわかりやすかった。「サザエさん」や「ちびまるこちゃん」の世界だ。」と書いている。

とくに「サザエさん」の家族は、国民的幸福モデルだったのであり、価値観レベルでは依然として「主流」といえるだろう。それだけに、現実とのギャップは激しくなっている。

筒井淳也さんは、第三段階を一九九〇年代以降としている。

とにかく、仕事と家族の形は、経済と政策に押され変わってきた、それが幸福と食をめぐる意識の変化に及んでいる。

現在の食にまつわる「活況」は、このあたりのことが底流にあると見ておかないといけないだろう。いま「食」に関する意識は、かつてなかった「個」と「仕事」と「家族」のもみあいのなかにある。

|

2019/05/10

昨日の補足。『クレヨンで描いた おいしい魚図鑑』。

Dscn0387

加藤休ミさんの作品に『クレヨンで描いた おいしい魚図鑑』(晶文社2018年1月)がある。これが、なかなか面白い。食文化を考えるヒントにもなる。

「魚図鑑」というと、普通は生物学的な図鑑だが、これは、「おいしい」がついているところが大いにちがう。表紙の絵は、ツナ缶の中身であり、本文では「ビンナガマグロ」のところに、この絵が載っている。

そして「ビンナガマグロ」のところには、漢字表記や学名などのほかに、こんな説明がある。

「ビンナガマグロはスズキ目サバ科マグロ属に分類される魚の総称です(世界の熱帯・温帯海域に生息)。だけど日本では、ツナといえばマグロの油漬け缶詰。この、ちびっ子からお年寄りまで愛されるツナ、じつは魚図鑑の世界でもこれほど形の変わる魚はほかに見当たりません。(以下省略するが、コンビニのツナサンドなど朝昼夜の飲食の場のツナの活躍が紹介されている)」

本の後のほうには、普通の図鑑の絵のような魚も載っているが、この本はもう「魚食文化図鑑」とでもいえそうなものだ。そして、普段の普通の生活に即している。言い方を変えれば、生活感がある。

ここには、きのうの話にも出ている「さんまの塩焼き」の絵も載っている。きのうの話のさんま焼きは、『今日のごはん』(偕成社2012年9月)のもので、これは食事の膳にめしや味噌汁などと描かれている。そのさんまも、この絵のようなもので、ありふれた安い普通のさんまがモデルになっている。加藤さんは自分で焼いて描いている。

魚の姿を知らない人が増えているといわれるが、さんま、あじ、いわし、さば、たい、いか、えびなどなど、魚屋の店頭で見られるものある。だけど、それらは「食品」として流通しているもので、死骸であり、生きている状態のそれらを見たことがある人は、かなり少ないだろう。

おれも、そんなにたくさん見ているわけではないが、生きているときは鱗が輝き、食品の状態とはかなり見た目の印象がちがう。その「生物」を見て「うまそう」と思うとしたら、見る人の食文化が大いに関係しているといってよいのではないか。

四月と十月文庫『理解フノー』には、「ウマソ~」という掌編があり、おれが親しくしていた山奥の民宿の「熊獲り名人」のおやじが、山で熊に出あい、鉄砲は持っていなかったが、「ウマソ~」と追いかけ落ちていた木の枝で叩き殺してしまう話が載っている。その熊獲りの生活ぶりも少し書いたが、生きている熊を見て「ウマソ~」と追いかけるのは、その日頃の熊を獲り食べる生活をぬきには考えられない。

生きている魚の場合、どうだろうか。まだ話を聞いたことがないが、「ウマソ~」と海中の魚を追いかけることがあるのだろうか。水族館の魚を見て「ウマソ~」と思う人は、どれぐらいいるのだろう。鯨の場合など、どうなのだろう。どこでどう「ウマソ~」になるのだろうか。そのあたりは、それぞれの食文化と大いに関係がありそうだし、料理文化にも関係するだろう。どこかで「ウマソ~」になる/なった。

自分は、ある食品を、いつどうして「うまそう」と思うようになったか、なかなか面白いと思う。

料理で「うまそう」をふきこむように、絵にすることでまた「うまそう」をふきこむことができる。その素材が、ありふれたものであっても、普通の缶詰であっても、料理をする人しだい、絵を描く人しだいなのだ。この一冊、ほかにも、加藤さんの食べ物や食事(あるいは生活)を、ありふれたクレヨンで描くクレヨン画からは、「うまそう」に描かれているからこそ、そういう食文化も読み取れる。

Dscn0386

Dscn0031

 

 

 

|

2018/11/11

「食べる」を「まじめに考え、もっと楽しむ」。

きのうのテキストにある「まじめに考え、もっと楽しむ」は、西江雅之著『食べる 増補新版』(青土社、2013年)の帯にあるオコトバだ。

とてもよい、すごくよい、と思った。

「まじめに考える」と「楽しむ」は、相いれないような扱いを受けていることがめずらしくない。そして、「食べる」となると、考えることを停止し、しかし脳ミソのなかにためんこんだ知識を総動員してウンチクを傾けたりしながら、テレビタレントのように、誰が見ても「楽しそう」な、大根役者のような教条的な表情とことばを放出する。「オイシイ~」

それもまあいいだろう、おれのしったことじゃない。だけど、もしそのとき「うまい」と思ったら、「うまい」ってなんだ、ワタシの生理か心理か文化かぐらいは、ヒマなときに考えてみるのも悪くない。「うまい」には、たぶんに食文化が関係している。

でも、「食文化とは」となると、なかなか複雑で説明しにくい。実際のところ、説明せよといわれると困ってしまう。生理や心理や社会など、雑多にいろいろな次元のことが関係し、『世界の食文化 16 フランス』(農山漁村文化協会、2008年)を著した北山晴一は「複雑性の罠」といったぐらい、ややこしいのが「食」の分野だ。

だからあまり考えずに、ワタシはうまいものや食べ物について詳しいのヨってな顔をして、これはサイコー、日本一だ、世界一だ、とでも、少しばかり文学的に気どりながら断言しちゃえば、あら不思議それを信じちゃう人も少なくない。世間とは、そういうもので、たいがいのグルメ本とか食べ物の話は、そうして成り立っている。

「食文化とは」についてふれている、適切な本は何冊かあって、先駆者といっていい石毛直道などは、詳しく述べている。彼の食談義はおもしろいのだけど、彼は文化人類学者であり、文化人類学は、「文化」×「人類」だから、その眺めは広大で、いざ学問的立場で食文化を語るとなると、すごく広大なのだ。おれのようなシロートは、もっと整理してくれるとありがたいんだがなあ~と、わが脳ナシ頭をうらむことがたびたび。

ところが、この『食べる 増補新版』は、食文化論の急所を、身近なことにブレイクダウンし「七つの要素」をあげて説明している。

本書の構成は、三つにわかれていて、その「Ⅰ」と「Ⅱ」の一部が「食文化とは」に直接関係する内容だと判断できる。

「Ⅰ」は、「「食べられるもの」と「食べ物」」 「「文化」としての「食べ物」」 「コミュニケーションとしての「食べ物」」 「「食べ物」と「伝統」」の四つにわかれている。

「Ⅱ」は、九つの話があるが、「「ことば」を食べる時代」が、とくに大事だと思った。

小見出しレベルをあげると、こんなぐあいだ。

「人間にとって大切なもの」 「「食べられるもの」と「食べ物」」 「「食べ物」と文化」 「文化とは何か」 「五つのポイント」 「「どのようにか」という文化」 「「どのようにか」食べる」 「七つの要素」 「「昔」ということの曖昧さ」 「「伝統」が意味するもの」 「伝統を「創る」」 「伝統は構成要素の束」 「伝統は「未来」である」 「「食べ物」の話題の変化」「「美味しい」とは何か」「亡食の時代」「「ことば」を食べる」「「ことば」先行型商品の問題」 「「実」にこだわる」

ってことで、「七つの要素」は、①ことば、②人物特徴 ③身体の動き ④環境 ⑤感情・情動 ⑥空間と時間 ⑦人物の社会背景 をあげ、一つひとつ説明している。

具体例では違和感のある記述もあるが、基本的なところは豊富な経験と学識をもとにまとめられているから、とてもありがたい。

せっかく毎日「食べる」のだし、人によっては大いに食べ歩いているだろう、その体験を体験でおわらせることなく、かつ自分本位の認識と理解におわらせることなく、あるていど「客観的な尺度」で考えてみたい。すると、ますます「食べる」が楽しくなるというわけだ。

それに、コイツ、ずいぶんひとりよがりのおかしなことをいっている、ということが自分のことも含めて見えてきて、大いにリテラシーに役立つのだな。

「ことば」を食べる時代」だからこそ、食べるを楽しむために、「まじめに考えて」が不可欠になっている。「食べる」世界は、広大だ。まだまだその広大さに気が付いていない。小さな世界に閉じこもり、食べることでエラそうにするのは、やめにしようぜww

|

2018/10/27

2001年9月11日、戦争と平和と食。

安倍首相は、来年10月から消費税を10%に上げると宣言した。その消費税がスタートしたのは、平成元年の4月1日からだった。

世間はすっかり消費税に飼い馴らされたかんじだが、どうなのだろう。いまでは1万円の食費に800円の税が1000円になる。かりにそれだけ収入が増えるとしても、かりに消費税が全額福祉に還元されるとしても、「食べる」ということに税が課せられる異常を、異常とする人の声はあまり聞かれない。

平成13年、2001年9月11日、いわゆる「アメリカ同時多発テロ事件」が発生。その前日の10日、農水省が千葉県内で飼育されていた牛にBSE発症疑いがあることを発表した。後にBSE発症が確定。

どちらも、テレビで繰り返される映像から、多くの人たちが大きな衝撃を受けた。マスコミや言論は、例によって騒ぎたてるだけ。

いいもの食ってりゃ、しあわせか。

その年の暮、菅啓次郎さんの一文がある。これは、あまり一般の人の目にはふれない企業PR誌に載った短文だ。

「9月11日、世界が変わった。こうなると、食についての幸福なおしゃべりは、いかにも些細なことと思える。それよりも無用な殺戮を生み出す「世界」の構図を本質的に見抜き、行動に移したらどうなの? そんな声には、ぼくも賛成だ。だが、かといって食についての考察を放棄する必要はないだろう。爆弾とともにピーナッツバターを投下する巨大国家の姿に、狂気が潜んでいる。家庭の食卓には、そのまま、世界のすべてが響いている」

|

2018/10/25

おれの平成食文化誌。

「食物誌」じゃなくて「食文化誌」ね。

「平成」は、来年30年でおわる。

ってことで、平成30年を、おれの平成食文化誌風に、ぼんやりふりかえったりしている。

平成元年は1989年だから、そこから30年さかのぼると、1959年で昭和34年だ。昭和34年の春、おれは高校に入学した。高度経済成長の真っ最中。

高度経済成長は1970年代中頃には「安定成長」っていわれるやつになるのだけど、まだ労働者や大衆は健在で、「大衆文化」ってやつを担っていた。「大衆文学」なんていう言葉もあったなあ。

食文化は、この大衆を抜きには語れなかったねえ。「大衆食」という言葉は、たしか1960年代後半ぐらいからだったと思うけど、大衆も大衆食も大衆食堂もイケイケだったね。大衆の中心は、東京だって、労働者だった。

「食文化」という言葉は、1970年前半頃から広がり始めたけど、あまり一般的ではなかった。それに、大勢としては、大衆の食なんか「文化」とみなされていなかったね。

「食は文化だ」とか「食を文化としてみる」なーんていう言い方が、インテリさんのあいだで広まっていったけど、それがどういうことかなんて、たいがいわかっていなかった。ただ、そういう言い方が、いかにも、当時ハヤリだった「学際的」で、かっこよかった、という感じの「食文化」だった。

吉田健一の『私の食物誌』を読むことで、「食文化」になったような。

そう、「文化」という語は、西江雅之さんが数年前に書いているけど、「これは現在の日本のほとんどすべての人びとの頭にこびりついている意味での文化です」「そこでは、特定の時代(すなわち現在)、地球上の特定に地域(すなわち日本)、特定の人びと(すなわち日本の人びと)にとって「憧れの対象」になるものが文化であるとされるのです」

「文化というのは素晴らしいもの、高級なもの、そしてある程度は高価なもので、多くの人びとが憧れているものでなけれならないという先入観に、人びとがすっかり囚われているからです。さらに、現在では、その素晴らしさというものは、先進国、ほとんどの場合は欧米の国々の人びとの評価に合わせてみて恥ずかしくないものでなければならないという、一種の劣等感に支えられたものでもあるのです」

民芸品や工芸品のような食、ミシュランの星がもらえるような料理、平凡社の『太陽』という雑誌(いまは『別冊 太陽』だけだけど)に載るような「文士」や「文化人」の食事や料理、そういうものに対する憧憬、そういうものが「文化」だとする状態が、いまでも続いているのだが。

「生活」や「必要」から遠ざかるほど「よい」とされる文化があるのだ。いま「生活」や「必要」を主に支えているのは、コモディティであり量産品だが、そういうものをつくったり売ったりするのも、そういうものがある生活も、文化とはみなさない文化がある。おしゃれなセレクトショップみたいなの、そこに並べられるようなものが「文化」であるらしいのだ。

そういう流れに対して、主に文化人類学者が主張し始めた「食文化」は、ちがった。

おれがその流れと、江原恵が唱えた「生活料理(生活の中の料理)」と出会ったのは、本に書いたり、あちこちで書いてきたが、1970年代中頃だった。

それから、おれは、「生活料理」の食文化の立場で、憧憬の文化なんかクソクラエでやってきた。

憧憬の文化と、それからは文化とみなされない労働者の食生活を支えていた日本の工業社会は、1970年代後半に行き詰まった。これは先進国の資本主義の行き詰まりとも関係するが、それはメンドウだからおいておこう。

1980年代は、ポスト・インダストリー、ポスト・モダン、「情報社会」と内需拡大であけた。

東京の工場は姿を消していき、大衆は、作業服を着た労働者から、ビジネススーツを着た労働者が中心になった。

1984年『さらば、大衆』1985年『「分衆」の誕生』。大衆は葬り去られ、「消費市民」と化し、消費市場に迎えられた。内需拡大策の結果であり、日本の生産力や技術力の成長と共に大衆も成長したわけじゃない。少し金回りよくなって(ローンも手軽になったし)、着ているものが替った、というていどのこと。

大衆食堂の軒数は頂点に達した。そして「大衆」と「大衆食堂」のたそがれ。「大衆」も「大衆食堂」も「いかがわしい」存在にされた。

内需拡大策に加え金融政策のおかげで超景気「バブル」到来。始まりは1986年ってことになっているね。

この年の11月、「B級グルメ」を先導する文春文庫ヴィジュアル版『スーパーガイド 東京B級グルメ』が発売になった。

こうして、平成が始まった。

平成が始まるまでの30年間、食文化に対する大きなインパクトは「技術革新」、つまり工業と技術の発達による生産・流通・販売・サービスの変容だった。「中流意識」と「豊かさ」は、それに依拠していた。

平成の食文化の変容は、もっと複雑に、いろいろな大きなインパクトが関わっている。

ま、平成が始まるところで、今日はおわり。

|

2017/09/09

火と料理。

拙著『大衆めし 激動の戦後史』の第6章「生活料理と「野菜炒め」考」では、野菜炒めと台所とくに火の条件との関係で野菜炒めを見ている。

これは、きのうふれた『料理の四面体』からの影響があるが、ほかにも、まったく火の条件を無視した「料理の歴史」のようなものに対する批判もこめられている。

日本の料理や食べ物に関する話は、事実の積み重ねから離れた「非科学的」な偏りが多い。そのことの混乱は、いまではけっこう大きな問題をはらんでいる。こういうことについて、料理や食べ物に関して編集したり書いたりしている人は、少なくない責任があるわけだけど、あらたまる方向へ向かっているかんじがしない。

それでも、『料理の四面体』が2010年になってだが、中公文庫から復刊になったのは、あらたまる方向を期待してよいキザシかもしれない。だけど、その中公文庫にしたって、ほかのアヤシイものがはるかに多いのだから、どうなるのだろう。

とにかく、火と料理について、あらためて考えてみた。

いまさら気がついたのだが、おれは、薪と炭の料理の時代からIHまで、体験しているのだった。これは、日常的なことでは、おれたちの年代が最後かもしれない。

おれが小さい子供のころは、薪と炭で料理をしていた。その火の番をするのが手伝いで、かまどやいろりのそばにいて、親が教えてくれたように火力のコントロールをするのだ。

そのときは気がつかなかったが、火力のコントロールは、料理の本質に関わる重要なことだった。

しばらくして石油コンロや電熱器が入り、それは短いあいだ部分的で、やがて中学生のころには全面的にガスになった。ガスが長く続き、9年前に引っ越して、それからはIHと電子レンジの台所で料理をしている。

薪と炭の料理は、縄文時代からの延長線、というより継続だった。これは、薪や炭と空気のあたえかたで火力を調節する。炎のぐあいを見ながら、薪や炭を補充したり、空気を送ったり、こまめに手をうごかさなくてはならない。

ガスになると、ガスと空気の調整は、それほどこまめに手を動かす必要はない。ことによったら、火事になるのを気をつけさえすれば、そばを離れることができる。

だけど、炎が見える火だから、薪や炭の延長といえる。目で炎を見て、手を動かして、火力をコントロールするのだ。

これ、縄文時代からの継続と延長だ。おれが小さいころは、縄文人とかなり近かったのだ。

ところが、IHと電子レンジは、「炎」がない。もっといえば、「火」による加熱ではない。

言い方をかえれば、縄文時代から抜け出したのだ。

しかし、いまだに、IHや電子レンジを「化け物」のようにいう料理の「専門家」がいる。とかく「科学的現象」が理解できないと「化け物」に見えるということもあるようだ。それに、「電磁波」なるものを放射能なみに危険視する人たちもいる。

「炎」が見えないのだから、気持ちはわからんではないが、IHや電子レンジで、料理は、やっと料理の仕組みが理解され、料理が科学として広く認知されるような気がする。そう願いたい。

「秘伝」だの「愛情」だの、あと「誠実」だの「丁寧」だの「真摯」だの、料理を精神や道徳やさまざまな観念の檻にとじこめてきた言論や思想などから、解放されるのだ。

ヤッホー。

という気分なのだが、はたしてどうだろう。とくに職人的な手作業にこだわって、いまや工作機械産業やAIまで遅れをとってしまった日本のことだから、19世紀ぐらいのままの言論と思想の大勢に流されて、ああ、どうなるのだろう。

「火」は文明をもたらした、といわれている。しかし、宗教行事に「炎」の演出がつきまとうように「炎」は「神秘性」と相性がよい。

炎を使う料理は、とかく神秘的に扱われやすく、神秘的なウンチクをかたむけるほどありがたがられた。ありがたがられ「芸術」扱いにされることも多かった。この構造は、陶磁器などのやきものにも通じるが。

「炎」に興奮しても、IHのガラス面に鍋がのっているだけでは、なんの感動もないからなあ。でも、それで加熱が成り立つのだから、感動ものだ。

真実は、見えないところにある。とかね。

|

2016/02/01

開高健『鯨の舌』から、味の言葉。

きのうの話の、山本容朗さんが編集の『日々これ好食』(鎌倉書房、1979年)には、開高健『鯨の舌』も収録されている。

開高健というと、味覚の表現が豊かで、それも、世界の認識や真実に迫ろうという姿勢が、おもしろく楽しいし、ためになる。この話のばあいも、そうなのだ。

『鯨の舌』は、おでんと鯨の話だが、大阪生まれ大阪育ちの氏のことなので、とくに道頓堀にあるおでんやの「たこ梅」と、鯨のコロやサエズリのことが中心になっている。

とにかく、例によって、多彩な言葉を「まさぐり」ながら動員して味覚を探索しているのだが、「味」の言葉が多い。

「たこ梅」特製のコンニャクについて、「淡白な滋味」に感動するのだが、そのコンニャクを刺身や天ぷらにすると、「《無味の味》とでもいうか禅味があって、私は好きである」とか。

禅味なら、なんとなく想像つくが、サエズリについては、こうだ。

「サエズリの味を文字に変えるのはたいそうむつかしく、ほとんど不可能を感じさせられる――すべての"味"や"香り"がそうであるが――」と書いたのち、「奇味。怪味。魔味。珍味。」とあげる。

そして「いろいろと風変わりでしかもうまいものを表現する言葉をまさぐりたいが、子供のときから鯨をいろいろな料理で食べ慣れてきた私には珍しさよりも親密さがあって、もし一串のなかで香ばしくて淡白な脂のあるコマ切れに出会うと、滋味、潤味という言葉を選びたくのである」といったぐあいに続けるのだ。

味覚には、多様で豊かで雑多な快楽があるはずだが、とくに近頃は、あんがいツマラナイ話が多い。なんていうのか、書く人が自分の感覚の心地よさに酔っているような、味覚自慢のような、とにかく言葉をつくしているようでも、なんだかふわふわしていて薄っぺらで、味覚を掘り起こしてくれるような話が少ない。

「私は「いい味」を知っている」式の話は、ともすると説教臭くもあり、辛気臭くて、解放感がない。だから、味覚が、ちっとも楽しくない。

味覚というのは、世界の真実を認識し理解をするための大切な感覚なのに、いつのまにか、卓抜した感覚や能力を称賛したり誇るためのネタになった感じがある。満たされない自己の何かを満たすための踏み台になるネタを、味覚に求めている人が少なくないということでもあるのだろうか。

もっとも、いまどきは、「世界」だの「真実」だのというのもダサイ感じで、そんなことより、自分の心地よさが大事という感じではある。

開高健の味覚の話は、食べる歓びや、未知の世界へ、どーんと解放してくれるような、おもしろさがある。

以前このブログでもふれた、昨年亡くなられた文化人類学者の西江雅之さんの食の話がおもしろいのも、世界や人間の多様性を認識しながら、かつ興味深く追いかけていたからではないかとおもう。

味覚は、広い世界、深い真実へ向かってこそ、おもしろく楽しい。

おれは、聴覚と視覚が失われた、ヘレンケラーのような人の味覚を想像してみた。味覚は、世界や真実の窓口であり、それらを認識する重要な手掛かりなのだ。それを、ふわふわと消費していて、いいものだろうか。

日本の文化は、日本料理など典型的だけど、系譜主義と純血純粋主義の影響を強く残している。そこにある狭量な価値観は、少なからず味覚にもつきまとっている。

はあ、もっと解放された味覚で、大らかに食を楽しみたい。

そういう意味では、おれが最も好むのは「痛快味」なのだ。でも、これ、しゃくだけど、まさに系譜主義と純血純粋主義の権化みたいな、辻嘉一の本から知った言葉なのだ。辻さんは、「快味」という言葉も、ときどき使っていたとおもう。ま、ニンゲンは、矛盾に満ちた動物であるってこと。

いままで最も傑作だった味の表現は、大宮いづみやの名代もつ煮込み(170円だったかな?)を「ルサンチマンの味」と書いたひとがいて、これですね。脱帽。

「ルサンチマン」って、「悪」「負」「タブー」のイメージだけど、それはルサンチマンの標的になりやすい立場にあるエスタブリッシュの希望なのではないだろうか。そんな思想をうのみすることはない。

ルサンチマンを抱え安酒場で飲んで癒されているものが、せっかく頂戴したルサンチマンを簡単に放棄すべきではないだろう。ルサンチマンの味は、ルサンチマンを植えつけられたうえ、さらにそのルサンチマンを否定される状況からの解放であろう。ある種、痛快味でもある。いや、このうえない野暮味かな。

なーんて、考えた、『鯨の舌』だった。

当ブログ関連
2007/11/18
大宮いづみやで「ルサンチマンの味」を知る

|

2015/06/18

残念! 西江雅之さん、死去の報。

西江雅之氏死去=文化人類学者、言語学者
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150618-00000079-jij-soci
時事通信 6月18日(木)15時33分配信

 西江 雅之氏(にしえ・まさゆき=文化人類学者、言語学者)14日午前2時06分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内の病院で死去、77歳。東京都出身。自宅は三鷹市。葬儀は近親者のみで済ませた。後日しのぶ会を開く予定。
 早稲田大大学院を修了後、米カリフォルニア大学大学院で言語学を学んだ。早稲田大や東京大、東京外語大などで教えたほか、アジア・アフリカ図書館館長などを歴任。現地生活に溶け込んで文化や言語研究を進めたことから「はだしの学者」「歩く文化人類学者」と呼ばれた。
 23歳で日本初のスワヒリ語辞典を編さんしたことでも知られ、「ヒトかサルかと問われても」「アフリカのことば」など著書多数。 


まだ、77歳。残念だ。
西江さんのオコトバは、以前このブログで引用させてもらっている。
2011/02/19
きのうの続き。味覚と食べ物と食べる。
2005/08/05
マスヒロ本、そして西江雅之

もっとたくさん引用したかった。こんな中途半端な引用で申し訳なかった。
書かれていることも刺激的で、食文化に関する、とてつもない体験と深い洞察には、かなり影響を受けた。
著作から感じる人柄が、とても魅力的だった。

|

2013/05/09

どうして「趣味の審判官、味覚の真実の判定者だと」信じ込むのか。

「客観」や「中立」は自然に存在するものではない、一人ひとりが、これまで生きているうちに、家族や学校や友達や、さまざまな関係のなかで、自分のなかに棲み付いた主観や偏見を見つけ、向かい合うことで、客観や中立に近付くことを続ける以外ない。

ということを、本の原稿を書いていると、あらためて思う。だから、書くための資料より、自分の主観や偏見と向かいあうための資料を、多く読むことが必要になる。

『imago[イマーゴ]』1993年9月号は、「食の心理学」特集だ。そこに管啓次郎さんの「舌はいつだって混成の途上にある」という寄稿がある。

引用が長くなるが、備忘メモの必要もあって、ここに。この文の前に、いわゆる「南北問題」に帰結するような料理をめぐる話しがあって、この文章になる。以下……

「さまざまな料理について語ること」は、それ自体、きわめてローカルな態度だ。いろんな土地、いろんな文化グループの料理をひとところに集め、並列し、必要な金銭と交換にそのどれでも好きなだけ楽しむことができるように準備した北半球の大都市では、実際に入手可能な味の多様性に対応して、料理をめぐることばもまたとめどなく成長し、はなやぐ。東京で、ロスアンジェルスで、人はタイ料理/エチオピア料理/ニカラグア料理を同列に語り、それらのレストランの優劣を論じることができる。混沌とした味覚の熱帯は、北の大都市が独占しているのだ。こうした大都市に住みながら、人は味覚の「世界」を手に入れたと思いはじめる。自分たちをみずから任命した趣味の審判者、味覚の真実の判定者だと信じこんで、そこに誇りと自信となぐさめを見出す。だが、そんな都市の住民であるぼくらもまた、じつは「世界都市」という自分たちのたったひとつの棲息環境、みずから宣言した代表権によってグローバルを表象するローカルな一都市に、透明な鎖でつながれている存在にすぎない。いろんな料理を努力も抵抗もなく味わうことができるということ自体が、あるきわめてローカルな拘束なのだ。このパラドクシカルな限定を忘れて他の土地、他の舌について饒舌に語るとき、ぼくらはまったくうとましいやつらになってしまう。

……以上。

料理の分野に限らず、いまや、このパラドクシカルな限定を忘れて、他の土地や自分が「専門」とする他の何かについて、饒舌に語ることが多くなったように思う。「こうした大都市に住みながら」、人は何かの「世界」を手に入れたと思いはじめる。ときには、チヤホヤされて、その気になりながら、みずから自分を審判者や判定者に仕立てる。自分が、何かの代表であり中心にいると、カンチガイしてしまう。自分は、ほんのわずかなきわめてローカルな拘束のなかにいることを、忘れてしまう。

けっこう見かけるし、自分もアブナイ。だから、その危険をおかす危険を、よくわかっていなくてはならないってことだ。

管さんは、「しかしこれから、そんなうとましさの危険をおかして、ぼくが知る範囲での料理とその周辺のことばの密林に分け入ってゆかなくてはならない」と、分け入るのでありますが。このように、刺激的なことを、おっしゃる。

「料理が語られるのは、ある文化と別の文化との「あいだ」においてのみのことだ」「そしてこれらの「あいだ」で語られる料理をめぐることばは、大体つぎの三つに分類できると思う。報告/教育/空想だ」

それにしても、管さんのおっしゃることは、いつも、示唆や刺激にとんでいる。

以前も引用があるエントリーを検索してみた。
2008/01/22
「アラバマのグリッツ」にカレーライスの歴史を考える。
2008/01/17
再び「旅する舌のつぶやき」。
2008/01/16
旅する舌のつぶやき。

|

2008/01/22

「アラバマのグリッツ」にカレーライスの歴史を考える。

たいがいの本当(真実)は、ごみくずにまみれたようにある。ごみくずをかきわけながらさがすものだ。いっぽう、偽や嘘は、人びとがすぐとびつきやすいように、わかりやすく本当らしさを強調する。たとえばメッキの銀や金。それは、詐欺師の手口であり、「振り込め詐欺」などは、どうしてこんなことでひとは簡単にだまされるのかと、ついつい被害者を腹立たしく思うほど、単純な構造だ。そのわかりやすさに、ひとはだまされる。その意味で、「わかりやすい」ことを鵜呑みにするのは、間違いをおかすリスクをともなっている。そのうえ「たのしい」ときたならば、危険このうえない。たいがいの大衆的なテレビ番組や本や雑誌の記事は、「わかりやすく」「たのしく」だ。

カレーライスの歴史をはじめ、日本で書かれた料理の歴史の多くは、そのような詐欺師の手口に似ている。そもそも「料理とは」や「料理の歴史とは」を考えさせない。そんなことを考えてもらっては、その手口が成り立たなくなる。「料理とは」や「料理の歴史とは」といったゴミをとりのぞき、「わかりやすい」「たのしい」内容で、最初からインド元祖イギリス経由で伝来、軍隊と料理書から広がったという結論になっている。ニセモノの宝石を見せて、これがホンモノですと売りつける手口のように、ほかに考える材料をあたえない。そのテの本を読んでも、「料理とは」や「料理の歴史とは」について理解は深まらないまま、これが本当のダイヤモンドですといわれ、またそう思い込んでしまう、わかりすさがある。

だけど、カレーライスの歴史だけが単独で、料理や料理の歴史からはずれて存在しているのだろうか。そこんところはどうなのだ、えっどうなんだ、と椎名誠調でいいたくなる。

料理は、どう獲得されるのか、どう獲得されてきたのかの歴史とカレーライスの歴史は無関係ではないだろう。

ひとつ、料理は言葉より以前から存在した。もちろん本ができる以前からだ。
ひとつ、料理は食べたら消える、カタチを残さない。
ひとつ、料理は、ある味覚を得るための技術である。
ひとつ、料理は生活(生きる)のための技術である。
ひとつ、料理の普及とは、その技術の「習慣化」である。

などなどについて、こういう料理の歴史をどう考えるべきかは、拙著『汁かけめし快食學』に書いた。本などなくても、軍隊なんかなくても料理はつくられ、普及するものは普及した。そうして人間は新しい料理と味覚を獲得して生きてきた。カレーライスを含め、たいがいの料理の歴史は、技術レベルのことではなく、風俗レベルそれも出版風俗レベルのことで混乱している。それは、「料理とは」を考えてないからだ。さらにいえば、「料理」という言葉が、foodフードとcookクックの両方の意味を含んでいる混乱もある。

技術としての料理によって、新しい味覚が獲得される。

さてそれで、2008/01/17「再び「旅する舌のつぶやき」」の続き。「獲得された嗜好(アクワイアード・テイスト)」その一回目は、「アラバマのグリッツ」だ。

「グリッツ」というのは、挽き割りトウモロコシのお粥のことだ。ここでは、アメリカ南部アラバマ州のそれだ。著者の管啓次郎さんは書く。

「南部にはグリッツという挽き割りトウモロコシのお粥がある。朝食は、毎朝これ。お皿によそい、バターを載せ、それが滲むように溶けてきたら、塩胡椒で味をつける。それだけのときもあれば、ソーセージかベーコンや卵を添えるときもある。」

自分で塩胡椒して味をつけるというのもオモシロイ。ラーメンにも胡椒をふったりラー油や酢をふったりすることがあるが、あれは料理を完成させる行為なのだ。というのも料理とは、ある味覚を獲得するためのものだからだ。

「365日のうち、300日は食べただろう。味? 別にいうほどのことはない。グリッツの味だ。そしてそれには慣れることができる。」

「はじめて口にしたとき、失望に近い重みが胸をみたした。でも毎日食べていると、ある日、離陸に似た現象が起きる。舌が馴染んでくるのか、うまいと思うようになるのだ。穀物だけに、癖はない。米ほどではないが、粘りがあり、おなかに残る。塩味は、砂糖の甘みよりも、ずっと飽きない(牛乳で煮たオートミールに砂糖を入れて食べる習慣には、ぼくはさいわい無縁だ)。そのうちおかわりするようになる。そのうち、それがなければさびしくなる。」

もし、これが旅行者のことだったらどうだろう。あるいは、何軒くいたおした、なんてことを自慢するていどの舌なら。たぶん、とても食えた料理じゃない、星一つもあげられない。ということでオシマイなのではないだろうか。

こういうことは、わが国内でも、たとえば「獣(けもの)くさい」料理などではあるようだ。九州へ行ってトンコツスープのラーメン屋に入ると、あの獣くさいニオイだけでダメというひともいる。そしてモツ煮などのモツ料理は、獣くさいところを洗いおとすようにして仕上げた、獣料理なのに獣くさくないほど「うまい」といわれることが、おおいようだ。それは、はたして獣料理を獲得したことになるのだろうか? でも、少なくとも、そのようにして獣は食物になっているといえる。そのことに理解がおよばないと、いつも単純にマルとバツをつけておわる。

「アラバマ州にはきっかり1年住んだ。以後、二度と深南部を訪れていない。アメリカのほかの地方では、グリッツは明らかに南部の地方食とみなされ、人気もなく、食べようという人も少ない。アメリカ社会の全体では、南部はいまもどことなく軽蔑されている。でもぼくは、ときどきスーパーマーケットの棚で箱入りのグリッツを買って、お湯を加えて軽く煮立て、たっぷりとお皿に盛るのだった。この味を、ぼくは「獲得」していた。誰にも話したことはないが、ぼくはずっと、南部もグリッツも大好きなのだ。」

ある料理は、ある味覚をつくりだすように成り立っている。それと食べるひとの嗜好は必ずしも一致しない。そのばあい、ほかに手段がないなら、その味覚に馴染んで獲得する。そして手段があれば、馴染んだ嗜好にあわせて新しい味覚を獲得することになるだろう。前者と後者では、まるでちがう料理になることもある。そのように料理は普及する。

「国民食」といわれるほど普及した黄色いカレーライスは、後者の手段、つまりカレー粉という新しい調味料を汁かけめしの料理によって獲得した味覚だというのが『汁かけめし快食學』の主張なのだ。インドのカレー料理とはもちろんちがうし、イギリス料理の構造でもないし味覚でもない。日本の料理の方法であり味覚なのだ。だからそれを食べても、インドやイギリスを好きになることはなかった。「おふくろの味」といわれた。

そのカレーライスを土壌にして、インド風のカレーライスやイギリスあるいはヨーロッパ風といわれる、日本の個性とはちがう個性のカレーライスを「レストランの味」として獲得した。それはまだ、「普及」ということでは、ほんのここ数十年のことなのだ。


もう正月がおわりそうなことに気づき、年賀状をやめてから例年化している「エンテツ年頭消息 2008年正月号」をあわててつくり、きのうから少しずつ発送している。宛名書きに一言そえて。ぼちぼち、はて何日間かかって発送がおわるのだろうか。とにかく今月中に発送を完了せねば。いちおう「正月号」だからな。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧