2021/01/08

モニターの向こう。

津村記久子のエッセイだったと思うが、風邪を引いて近所の開業医へ行った話があった。

若い女医がパソコンの画面を見ながら対応し、ほとんど患者の方を見ないで診察した。というようなことが書いてあって、著者の納得いかない気持をただよわせていた。と記憶している。

たしかに、いまおれが通院して診療を受けるときも、主治医とおれが向かいあうのは、最初と最後ぐらいだ。

呼ばれてドアを開けて入ると、主治医は左側の壁に向かって大きな机に座っている。机の上には大きなモニターがある。

主治医は、こちらを向いて「どうですか調子は」とかいう。おれは「もう絶好調です」とかいいながら、イスに腰をおろす。このときは、ほぼ正面から顔を合わせる。

そのあとは、主治医はモニターの方をむき、データで送られてきた診療前に採血採尿した検査結果を見たり指さしたり、前のMRIやCTの画像を出したりいじったりしながら話す。おれも横から、その画面をのぞき込みながら話す。主治医もおれも、お互い目を横にはしらせてチラッと顔を見たりはするが、見えるのは横顔であり、向かいあうことはない。

話は、けっこうはずむけど。

そして、その日の結論らしいものが出たところで、最後は向かいあって、対策や処置の確認などをする。

そんな感じなのだ。

昔の医者は、患者と物理的に向き合っている時間が長かった。聴診器をあてたり、手をとって脈をはかったり、口をあけさせて中を覗いたり、瞼をあげたりさげたり、腹をさすったり押したり、組んだ足の膝をトンカチみたいなもので叩いたり…。すいぶん昔のことだが。

いまでは、たいがい機械的に処理され、モニターに映しだされる。手術後の寝たきりのときなどは、身体にいろいろな器具やコードなどがからみついて、枕元のモニター(あるいは病状によっては看護室のモニターなど)では、いろいろな数字が動いている。

1980年代ぐらいから、近代医学に対する批判が高まり、90年代には「医療の高度化」も進み、「医者の目は、患者さんに向けられていません、視線はもっぱらモニターに向けられています」「患者さんの病気は、患者さん個人にはなく、モニターの上にあるのです」なんてことがいわれるようになった。

そういう傾向に対して、「病気を診るのではなく、人間を診るということに尽きるのではないでしょうか。まず患者さんを一個の人間として診るところからすべては始まると思います」といった考えが医学の関係者のあいだでも議論されるようになった。

なかなか難しい問題だ。そもそも「病気」の定義からして。

「医学のまなざし」をめぐる議論が、代替医療のことなども含め、まだ続いている。

「まなざし」という言葉は、よく知らないが、ミシェル・フーコーの『臨床医学の誕生』のキーワードらしい。「医学のまなざしをめぐって」という議論もあった。

「まなざし」という言葉は、医学系にかぎらず、けっこう学術系の人たちが多く使うようになって、いまではチョイとなんだか人にやさしい丁寧で深い考えがありそうな言葉として通用しているように見える。

それはともかく、「人間」「身体」「生命」といったことに対する、さまざまな考え方(主に近代的な考え方が)が問われたのだが(「ポストモダン」や「ニューアカ」ブームもあって)、ことは「医」だけではないはずだ。

「人間」「身体」「生命」のことは、「食」も関係が深い。「医食同源」なんて言葉はある。ところが、こちらのほうは、「医」ほどは、議論になってこなかった。

いま、チェーン店では続々とモニターの導入が進んでいる。カウンターやテーブルの上で、モニターを見て注文し、会計も自動のところが増えつつある。

「食べることへのまなざし」なんて議論があってもいいんじゃないかなあ。食べ物のことばかりじゃなくてさ。

とにかく、「モニターの向こう」が気になる。

| |

2020/12/17

ブリコラージュな「やきめし」。

1236001

今年は「分解」という言葉を抱えて、考えたり考えなかったりしていることが多かった、といえるようだ。

なんとかこの言葉を噛み砕いて自分のものにできないか。

このブログには、こんなことも書いている。

2020/10/19
料理や食事と、エンジニアリングやブリコラージュ。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/10/post-197393.html

んで、大衆食堂の画像を整理していたら、十条の天将の「やきめし」が目にとまった。

この「やきめし」、これはブリコラージュではないか。

やきめしの楽しさはブリコラージュにあるとひらめいた。

あまりものをテキトウにぶちこんで作る「やきめし」、うまいんだな、これが。おれが父親に最初に教わった料理が「やきめし」だった。

ひらめいた脳ミソに「パッチワーク」という言葉も浮かんだ。そうだ、パッチワークはブリコラージュ、やきめしはパッチワークでありブリコラージュだ!

そうそう、藤原辰史『分解の哲学』には、「金繕い」の話があったな。あれも、同じ類ではないか。

と考えているうちに、だんだんだんだん、見えてきた。

料理は、食材や熱や欲望などいろいろな関係を繕うものであり、その料理を食べて人間は身体や気持を繕い、料理を一緒に「食べる」ことで人との間を繕い……てなぐあいに、「繕う」という言葉を置いてみると、食事と料理をめぐるブリコラージュが、「分解」が、見えてきた。

ような気がしている。

「料理」について、大きなカンチガイがある。

それは、エンジニアリング力で提供される「いいもの」を消費する、近年の「消費社会」の中で、拡大してきた。

一方で、やせほそるブリコラージュ力。つまり、「家庭料理」という言葉で語られるところのいろいろ。

この「やきめし」を見ながら、そう思った。

| |

2020/12/06

『スペクテイター』最新号「土のがっこう」。

Cimg5244_20201206195701

Cimg5245

今日のニュースに「東京の不動産投資額が世界首位 コロナで海外資金流入」という大きな見出しがあった。うれしくない、誇れないニュースだ。

土地を不動産価値でしか数えられなくなった日本、その首都の姿。こんな時代だから、まず「土地」を、地球と人類の歴史的資産であり文化的資産である「土」として、見てみよう。その資産を食いつぶしながらの「経済」の姿も、見えるだろう。

「土」を日々生きる視野に入れるのだ。

『スペクテイター』最新号「土のがっこう」は、人が生きていく上で、ということは、食べていく上で、必須のことが詰まっている。これまでこういうテキストがなかったのが不思議なぐらいだが、それが現実だった。

2020/11/19
都市的風景と農的風景の断絶、『スペクテイター』最新号「土のがっこう」。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/11/post-2cfd79.html

に、顔を出してから、なかなか本題に入れなかった。でも、この間にブログに書いていたことは、「土」と学校に関係あることだった。昨日と一昨日に書いた、学校のことは、偶然にテープ起こしが見つかったからだが、自分は小学校や中学校で、どんな教科書を使いどんな授業を受けていたのだろうと考えていた。あまり思い出せない。

自分が卒業したあとの学校世界のことは、ほとんどわからないが、2000年頃に東京都の小中学校で授業を取材する機会があって、いくらかは見えたこともあった。だけど、どんな教科書を使いどんな授業をやっているかは、ほとんど知らない。知らないでも、生きていける。たいがいの大人たちは、そうではないだろうか。

土の中、を知ることは、「生きる」や「価値」を知ることでもあるのだな。とはいえ、「土」がどうして存在するかについての知識もおぼつかない。

「太陽」と「空気」と「雨(水)」と「土」がなければ、人間もあらゆる生物も生きていけない。といわれるが、中でも、「土」が特別なのは、「土」は自然にあったものではなく、マグマが冷えて固まった「岩石」が太陽と空気と雨それに微生物や苔などの作用でできてきた。気が遠くなるほどの時間がかかって「土」ができてきた。とても薄い「土」の層。磁器の釉のようなものか。「土」は、太陽や空気や雨のように人間の生理と直接関わるわけじゃない。あいだに「農」や「農耕」や「食」などの文化が介在する。そして、だから、人間の扱い方(文化)によっては、失われるのもはやい。その循環のどこかが損なわれると、「土」はどんどん失われる。

いま、そのことが問われている。

「1時間め 基調講演 ようこそ!土の世界へ」では、土壌学者の福田直さんが、「土壌教育」の必要性を強調しながら、「学習指導要領でとりあげられた”土”という言葉は、学習指導要領が改訂されるたびに、けずられてきました」と語っている。

おれが子供の頃ですら、まだ多分に農業社会的だったけど、「土」については、学校でちゃんと学んだ記憶はない。では、いったい、何を学習していたのだ。

学校教育も実生活の舞台も、どんどん「土」から離れていった。おれも、東京に出てからは、どんどん「土」から離れていった。

少しばかり「土」と縁ができて日々の「視野」に入ってきたのは、80年前後ぐらいからだ。ある旧財閥系の園芸会社の仕事を請け負ったことで、「土づくり」や「種苗生産」といったことに接する機会があったし、自分でも実際に小さい畑を耕し肥料を施し、じゃがいもやサヤエンドウを育てたりした。

「脱工業化」や「エコロジー」な時代背景もあり、だんだん「土」や「自然」へ傾斜していった。高校のときから登山をやっていたから「自然」とは親しかったようだけど、そういう「自然」と「土」の「自然」は、チョイと違う。いや、かなり違う。

「毎日うんこと泥をこねくりまわしていますよ」

あんぱんの皮のように日焼けした顔をほころばせながら、そういうショウさんのことを、「土のがっこう」を読みながら懐かしく思い出した。

ショウさんは、土壌浄化法による下水処理施設の工事(この仕事でうんこと泥をこねくりまわしているのだ)と自然農を営んでいた。おれが初めてあったのは、1989年か90年頃で、自然農法は始めたばかりの頃だった。

おれはショウさんの家に「下宿」して仕事をしていた。周囲には、「無農薬有機栽培」なんて謳わなくても、先祖代々それが当たり前の農林業家などがいて、何人もの人たちと交流があった。

その一人がクリさん。「自然は、わたしたちがやったことに必ず応えてくれます。自然に聞きながらやるんですよ。無理はいけないし、自然に逆らうおかしなことはいけない」といった。彼は、農林業を学ぶための国立大学と大学院6年間以外は、ずっとその土地で生きている。彼の林や田畑は、見ただけでわかると誰もがいったし、素人のおれでもわかった。当時、無農薬有機栽培の野菜は農協が引き取ってくれず、販売ルートで困ることが多かったのだが、彼の野菜は仲買人が競って買い求め市場でも高値がついた。

「土」「農」「有機栽培」「無農薬」「減農薬」「自然農法」「慣行農業」…などについて学ぶことが多かったが、なにより、生き方やモノゴトの見方について、いろいろ学んだ。以前、このブログでも時々書いている。

ま、とにかく「土」も「土いじり」も面白いね。けっこう興奮するし。「土」のぬくもりは、癒しになるし。

いまは小さな庭の水やりていどで、「土いじり」ってほどはやってないが、近所には畑がけっこうあって、毎日「土」を見ている。あの、ふかふかした「土」の顔は、見ているだけで気持が和む。

まずは、「土」を知り、「土」に親しむ。

もくじだけ紹介しておこう。

最初の扉に、「土」の文字が、どのような意味と歴史で成り立っているか解説がある。知らなかった。これだけでも得した気分。

◆イントロダクション

土のせかいは、おもしろい 文/編集部 イラスト/河井克夫

◆基調講演 ようこそ! 土の世界へ

講師/福田直 インタビュー構成/編集部 イラストレーション/相馬章宏

◆学習まんが 土ってなんだろう?

作画/河井克夫 原作/福田直 構成/編集部

「土と日本人」
「土と人類」
「土壌侵食って何?」
「土と教育」
「土と有機農業」
「2008年以降」

◆ロング・インタビュー 土からのメッセージ

取材・構成/編集部

橋本力男「堆肥づくりは 感性の扉」

小泉英政「土から見えたものは」

◆土と仕事

土に救われた僕
文/モリテツヤ

土いじりを仕事にするまで
文/高谷裕一郎

土から教わる、おいしい哲学
文/齊藤はるか

野菜ジュースと堆肥
文/コウ ノリ

一〇〇〇の用途のある粘土
文/川内たみ

◆土と生活

《わたし》は土に還れるか? ──離れ小島でメンドリと暮らす
文/よしのももこ イラスト/ブックン

◆「恵みの土」
マンガ/まどの一哉

◆土の図書館

「土のまわり編」文/桜井通開
「土のいじん編」文/横戸茂

http://www.spectatorweb.com/


当ブログ関連いくつか

2017/08/14
有効微生物群(EM)の初期の資料。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2017/08/post-3440.html

2009/02/12
みんなで農業、いのちと〝農〟の論理。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2009/02/post-bc2c.html

2008/09/17
百姓になって3年、毎日出荷の休日なし愛媛・西条市「有機菜園 藤田家族」。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2008/09/3-2810.html

Cimg5246

| |

2020/12/05

学校給食と食文化。

011115_masukokyusyoku1

030129_masukotyu_kyusyoku

昨日のことから、取材で訪ねた学校の給食の画像があるはずだと探したら、二枚だけ見つかった。

一枚目は2001年11月15日の撮影、2枚目は2003年1月29日の撮影。

昔の画像は、パソコンクラッシュで、失ったものが多いのだが、よく残っていた。

東京都の小中高の授業の取材で、いろいろなところへ行った。校長やいろいろな先生にあった、学校管理の役所と化した教育委員会のエライ人にもあったな。八丈島へも行った。面白かった。

取材の時間によっては、給食をいただくことがあった。

給食をいただかなくても、厨房や少しずつ普及していた「食堂」などを見させてもらうこともあった。これは、取材とは関係なく、「個人的興味」でお願いした。

都区内の学校ほど食堂が整っていた記憶がある。ま、「財政事情」の違いにより、都区内でもいろいろだけど。すごい立派な食堂の小学校もあったなあ。

画像の一枚目は、たぶん、大田区立の小学校だと思う。

すべて校内の厨房で作っていて、このパンも「自家製」だと説明された記憶がある。

二枚目の画像は、よく覚えている。多摩地方のある市立の中学校だ。

セントラルキッチン方式での給食だった。

育ち盛りの中学生が、この量で満足するのだろかと思って、一緒に食べた校長に聞いた。

そういう質問をすると、たいがい同じ答えがかえってくる。

「カロリーは足りているはずだが…」

よく噛むかどうかで、満腹感は違ってくるのだ。これは病院の食事でも、同じことを言われる。

給食の苦労は、なんといっても、予算内であげることだ。どこでも、その苦労話になった。

この頃は、一食200円台ではなかったかと思う。おそらく材料費あるいは「原価」相当分だけだろう。

「食文化」というと、とかく、それなりの金額で提供する料理や食事、ある種の職人的・文学的・芸術的な香りのする方面を中心に語られがちだ。

それは必ずしも「食文化」ではなく、もっと別の狭い視野での「文化」のことではないかと思うことが多い。これが「科学」なら「エセ科学」とでもいわれるようなものでも、「文化」は上手な写真や文章でごまかしがきくらしく、「エセ文化」といわれることはなく「食文化」として通用していることがたくさんある。

食文化がどこに存在するかというと、こういう給食を含めた、例えば、こういう給食と、先にあげた一般的にメディアなどで注目され「食文化」といわれているような料理や食事のあいだにあるはずなのだ。

もっと大きな視野でみれば、「食」から見た、自然と人間の接点にある文化的な営み。

自然と人間の接点というと、「土」と「台所」になる。ここで自然と人間の営みが、文化的に交差する。

自然とじゃがいものあいだには「土」がとりもつ文化があり、そして「台所」の文化がじゃがいもとポテトサラダのあいだをとりもつ。

高級店の食べ物は、そこだけで、給食などとは無関係に存在しているわけではない。文化的には、同じ「土壌」のものなのだ。

だけど、そういう視点で書くひとやメディアは、どれぐらい存在するのだろう。ショーバイにならんし。「食文化」は歪む。紙メディアだろうとインターネットだろうと「稼げるネタ」としての「食文化」。それは多幸症的消費文化の一翼としての「食」の表層として見ることができる。

なーんてことで、先日来、このブログにお題目だけ登場している、『スペクテイター』最新号「土のがっこう」と、つながりそうだ。

「科学」や「科学的」という言葉を、日常雑に使うようになった。「文化」や「文化的」という言葉も同じ。「芸術」なんて言葉は「クソ」と同じように使われる。『スペクテイター』の「土のがっこう」は、それらを問い直しているようでもある。

かな?かなかな。

| |

2020/11/27

『dancyu』と「男の料理」。

Cimg5300

たまーに『dancyu』に書いたこともあってか、毎号送られてくるので恐縮している。

今月6日発行の12月号は「創刊30周年記念大特集「おいしい店」100軒」であり、予告によれば12月発行の1月号も30周年特集だそうだ。

30周年記念特集を組むにあたり、編集部では「30周年記念アンケート」を行い、おれにも回答の依頼があったのだが、辞退させてもらった。体調があまりよくなく、モノグサなうえに考えるのも面倒な気分だったこともある。毎号お送りいただきながら付き合いの悪いことで、こういうことだから、出版社との関係もドンドン切れていく。もともと「業界人」の自覚が低いし。

それはともかく、この特集に、「創刊30年分の座談会」というのがあって、創刊の頃を語っている。座談会のメンバー4人の中に、創刊当時からの編集部員が2人いて、5代目編集長の里見美香さん(現在も編集部員で、おれも一緒に仕事をしたことがある)と6代目編集長の町田成一さんだ。他の2人は現在の編集長の植野広生さん(創刊当時はライターとして執筆)と1997年に発行元のプレジデント社入社の藤岡郷子さん(2度ほどだったかな?一緒に仕事をした)。

「創刊号が発売されたのは1990年の12月6日。当時はバブル真っ盛りで、男性の趣味の雑誌をつくろうというのが、そもそも発端だったと聞きました」と里見さん。

そうそう、幹部ビジネスマン相手の『プレジデント』を発行する出版社が、読者の余暇利用をねらって出したというような話を聞いたことがあると、おれは当時を思い出した。

どこかに書いたと思うが、1977年11月に「男子厨房に入ろう会」というのが発足し、その略称が「だんちゅう会」だった。それとの直接の関係は知らないし、座談会でもその会のことは語られてない。

「だんちゅう会」については、発足当時、食品メーカーのPR誌の編集をしていた知り合いが取材して、割とカタイ会社の管理職が多いというような話を聞いた覚えがある。

「だんちゅう会」の発足のあと翌年か翌々年に、「男子厨房に入ろう」を押し進めるように、『週刊ポスト』の「男の料理」の連載が始まった。巻末カラーグラビア。それが大当たりして続いた。

「だんちゅう会」は、料理店の料理人に料理の「作り方(レシピ含み)」を教わることをしていたし、『週刊ポスト』の「男の料理」も同じようなことをし、かつ作家の手料理なども紹介していた。ようするに単なるお店紹介ではなく、男が趣味の時間を使って作る料理、ということをタテマエにしていたといえる。

『dancyu』も、そういうセンだったと思う。座談会で藤岡さんは「創刊から読み返していたんですが、創刊3~4年はだいたいお店で料理を習って、店紹介がその後にちょぼちょぼと続く感じ」といっている。

『dancyu』には何回か登場し、この特集にも登場するある店を取材したことがあるが、昔は取材の時には「謝礼」をもらった、と、お店の方がいっていた。金額も聞いたけど、悪くない額だった。それが当然といえば当然だろうけど、いつごろからか「立場」が変わってしまった。

70年代後半、高度経済成長後の日本は「レジャー(余暇利用)」がブームになり様々な展開を見せていたが、『週刊ポスト』は、そこへ「男の料理」を持ち込んで広げた。キャッチーな言葉だった。発行部数からしても、別冊や単行本も売れたことからも、その影響は大きかったと思うが、では、どれぐらいの男たちが実際に台所に立ったかというと、こころもとない。ましてや「男の料理」という概念は問題ないかといえば問題大いにありそうだし、実態は別の動きをしていて、それとのギャップが大きいと思う。

ま、出版やメディアの表層と実態はギャップがあるものなので、そこをぬきに議論をすすめるとおかしなことになるのは、「男の料理」も同じ。読んで見てオシャベリして楽しんでオワリ、というのが料理や飲食に関しては珍しくない。

以前に、書評のメルマガで「食の本つまみぐい」を連載していたとき、津村喬の『ひとり暮らし料理の技術』(野草社1980年7月)を紹介した。この本の最初の出版は「男子厨房に入ろう会」の発足と同じ1977年だが、「男の料理」ではなく「ひとり暮らし」としたところに、真実性がある。趣味ではなく生活のことだった。

けっこう話題になり売れたのは、著者は、いわゆる「団塊世代」で、かつ当時の同じ世代の「カウンターカルチャー」系の若者から支持があったことが関係していると思われる。この本の読者は、余裕の趣味のために読んで楽しんでオワリというのとは傾向が違い、生活実践の思想と技術として、活用した可能性が大きい。

「戦後民主主義」の標本のように見られる「団塊世代」、それから「カウンターカルチャー」系にしても、料理や台所に立つということについては、簡単ではなかったはずだ。日々の料理や台所は「女」が担うものという「習慣」は根強く、戦前そのままの思想が70年代でも主流だった。

だからこそ「男の料理」がキャッチーであり、話題になったともいえる。

「男」が自然に台所に立ち料理をするようになるのは、学校の家庭科教育が「男」も「女」も「人として」同じように扱うようになってからといえるのではないか。

そこへ学校教育が向かったのは、いつからだろう?調べてみたことはないが、「男女共同社会」が政策として推進される2000年頃からか。いまの30代前半以下ぐらいの「男」と話すと、変化を実感する。

『dancyu』30周年、出版も大変な時代だった。おれの考えとはいろいろ異なる雑誌だけど、よく続いたし、もっと続いてもらいたい。

この30年の間に、生活と料理をめぐる環境も言説も、かなり変わった。まだ変わっている最中だ。どこへ行くのだろう。

「男」でも「女」でもなく「人として生きる」ところに料理は存在してきた。いつ「男の料理」なんていう言葉が死語になるのだろうか。

ザ大衆食のサイト
書評のメルマガ08年12月18日発行 vol.389
■食の本つまみぐい
(30)自分で食べるものは自分でつくる食の「自主管理」を主張
 津村喬『ひとり暮らし料理の技術』野草社、1980年7月
http://entetsu.c.ooco.jp/siryo/syohyou_mailmaga389.htm

当ブログ
2017/06/30
『dancyu』をふりかえる。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2017/06/dancyu-e433.html

| |

2020/10/19

料理や食事と、エンジニアリングやブリコラージュ。

食をめぐって自分が考えてきたこと、つぎつぎに出現するさまざまな言説などが、頭の中で整理がつかない状態で、癌に突入した。

その治療の考え方と方法が、なかなかおもしろくて、刺激を受け、頭の中の整理が、糸口をつかんだていどには進んだ。

そのことについて、ちょっとだけ備忘のメモをしておきたい。

ひとつは、「ぶっかけめし」について、とくに今世紀になってから、くっきり見えてきたことがあって、『ぶっかけめしの悦楽』や『汁かけめし快食學』のレベルから、もっと掘り下げる必要があると思っていた。

ひとつは、藤原辰史の『ナチスのキッチン』や『分解の哲学』に述べられている核心を、食生活や食文化のレベルでおれなりに納得がいく理解をしたいということがあった。

もうひとつは、久保明教の『「家庭料理」という戦場』が提起していることを、やはり、学問の業界に身を置いていないおれなりに突き詰めてみたいということがあった。これには、山尾美香が『きょうも料理』でしている仕事もからむところがあって、それは「ようするに家庭料理ってなんだ」ということなのだ。

おれは、すでに何度か述べているように、「家庭料理」という言葉に違和感を持ちながら使ってきた。どうも、この言葉が、日本では、といったほうがよいか、料理をわかりずらくしてきた、つまり楽しみにくくしてきたのではないかという疑いがある。

それやこれや考えていたのだが、おれの癌の治療を当事者あるいは傍観者として見ているうちに、あの、例の、「エンジニアリング」と「ブリコラージュ」という言葉が浮かんだ。

主治医と、治療の考え方や方法、CTやMRI検査の結果の検討など、いろいろ話しているうちに、ああ、身体のことや病気のことや治療のことなどは、エンジニアリングとブリコラージュの思想や方法が関与しているのだなと思ったのだ。

それは矛盾の関係でありながら、相互補完の関係というか、そのあたりはまだ書けるほど理解はしてないが、どっちが正しいかという問題ではないのは確かだろう。

食事や料理についても、身体と深い関係にあることだし、エンジニアリングとブリコラージュの思想や方法から見ることが可能のように思えてきた。

このブログで前に、「ロスト近代」がなんじゃらかんじゃら書いていたが、そのときの25年単位でいくと、ここ25年のあいだに、ブリコラージュな料理や食事が広がり、それなりの位置を占めるようになった。

「和洋中」という、エンジニアリングな近代を背負った食事と料理が大勢を占めていた中で、80年代から少しずつ「エスニック料理」や「インド料理(エスニック料理に含まれるけど)」などが広がり、いまではスーパーの売り場まで変える状況で、単なる流行現象といえないほどになった。このことがブリコラージュな食事や料理の広がりと大いに関係がありそうだ。

そこには、ちゃんと「ぶっかけめし」も位置しているのだが、おれは江原恵の見方を継承し、美味追求の二つの型、つまり「複合融合型」と「単品単一型」にわけ、ぶっかけめしを複合融合型としたのだけど、そこにブリコラージュの思想や方法を見ていなかった。というか、見る知識も能力もなかった。

単品単一型はエンジニアリング的であり、複合融合型はブリコラージュ的である、と型にはめることはできない。そこに、どんな関係があるか、なのだ。

ひとつの思い付きだが、当然のことだろうけど、「マーケティング料理」になるほどエンジニアリングの思想と方法が幅をきかす。「マーケティング料理」とは「商売料理」を「ロスト近代風?」に言い換えてみただけだが。マーケティングは思想も方法も、エンジニアリングの申し子のようなものだ。

マーケティングされてない料理というのがあると思う。たいがいの「家庭料理」は、そのはずだ。大衆食堂の料理にも多い。

ここで気になるのは、「レシピ」ってやつだ。レシピは、エンジニアリングの思想と方法の第一歩なのではないか。つくる人の試行錯誤や繕いを、できるだけ取り除いて成り立つ。

レシピにしたがってつくられたものを、そのまま食べる、これは「単品単一型」にはありがちだし、食べ方をはずすと行儀が悪いだのなんだのってことにもなる。

ところが、「複合融合型」は、食べる人がごちゃごちゃ混ぜたりしながら食べるのが普通だ。仮にレシピに従ってつくられても、食べ方はブリコラージュ的といえるのではないか、それにつくる人も、それを前提にしているのではないか。

なーんてことを、あれこれ考えている。

おもしろい。

誰かが何かについていった言葉を、うろ覚えで借りて言葉を変えれば、料理とは、料理とはなにかをめぐる思考の移動なのだ。

2020/06/24
25年の節目と時代区分で、コーフン。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/06/post-bf6cef.html

 

 

| |

2020/08/24

「食べること」 ヨシカさんの場合。

2020/08/21「カフェ「食事・喫茶 ハナタカ」の場合。」http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/08/post-31d8b4.html では、「食事と喫茶 ハタナカ」について、客の一人である加藤のぞみさんはどう考えているかを紹介したが、店主のヨシカさんは食事について、どんなことをいっているか、どう考えているかについて書くのを忘れてしまったので、書いておく。

たとえばだが。

「ハタナカ」を開店する前に勤めていた会社で、ヨシカさんは孤独だったけど、篠宮さんという会社で一人だけ役職つきの女性と食事に行くようになる。その篠宮さんがあるとき、ヨシカさんが担当している地域に「雑誌に載っていた良さそうな洋食屋があるのだが、どういう感じか?」と訊ねる。

するとヨシカさんは「端的に、脂っこいけどしんどいときにいいですよ」と答える。

そして、篠宮さんは「実際に疲れている時に一人でそこに行ってみて、すごく良かったから、今度給料日に行こうよ」とヨシカさんにいう。

また「ポースケ」の当日の食事会に出す食事は、ステーキにハッシュドブラウンポテト、バターとグレープのジャムを添えたトースト、オレンジジュースか牛乳、ワインかコーヒーか紅茶、である。

ヨシカさんは、こういう考えで選んだ。

「ただひたすらがつがつ食べられそうなものを選んだのだった。食べて、端的に、明日の活力になりそうなイメージのものがいいと思った」「善良な小市民である自分たちは、それを食べて明日も生きるのだ」

客たちは、がつがつ、平らげた。

とかく、こういう食事や大衆食堂の食事などは、「男めし」などといわれたりした。おれも「男めし」という言葉を使ったことがあると思う。

だけど、働き、食べ、生きる生活に男も女もない。

その生活から食べ物だけを取り出して、品定めのようなことをしている習性の中では、食べ物に「男」や「女」といった属性を与えたくなるかもしれないが。

ヨシカさんは、そんな考えは持っていない。

「食べる」ことは「食べ物」だけじゃない。食べるワタシがいる、ワタシの生活がある。しんどいときには、それなりに良い食べ物がある。

働く生活には、それなりの良い食べ物があるし、「がつがつ食べる」ことも良いし、美しい。

ま、大衆食堂の食事なども、そういうことだ。

「食べる」ことから「食べ物」だけを取り出して、「飲食店」という実験室で味見をするように食べ比較し品定めをすることは広く行われていて、それがアタリマエのような雰囲気もあるけど、それは、メディアをめぐる消費の世間のことで、実態としては、今日も生き明日も生きる日々の暮らしでは、さまざまな「食べる」が存在する。

| |

2020/08/22

『ポースケ』 藤原辰史「縁食論」の場合。

ネット検索していたら、このブログでここ2日ほど続けて触れている津村記久子『ポースケ』について、藤原辰史さんの評を見つけた。

藤原辰史さんは、ミシマ社の「みんなのミシマガジン」で「縁食論」ってのを書いていて、その1回目が「飲みこまされる言葉と飲みこめる食べもの――『ポースケ』に寄せて」なのだ。今年の1月16日から前編、後編に分けて掲載されている。
https://www.mishimaga.com/books/en-shoku/001889.html

「津村記久子の『ポースケ』(2013年)という小説は、人間が主役ではない、と思った。主役はきっと小説の舞台、つまり、奈良の商店街のカフェ「食事・喫茶 ハタナカ」ではないか、というのが私の読後感である」と始まる。

「この小説の語り手がそれぞれの個性際立つ人間を描きながらも、それと同じぐらい細やかに表現しているのが、このカフェのふところの深さである」

「ふところが深いカフェ、というのはちょっと変な言い方かもしれないが、この作品にはあっているような気がする。社会に適応しづらい人間たちの存在を認めて、居させるそのふところの深さ、という感じだろうか。とにかく、食べるものではなく、食べる場所、もっといえば、その場所をめぐる人間たちの浅かったり深かったりする交流や接触が描かれている。このこと自体、子ども食堂が多くの子どもや大人の居場所を提供している昨今、興味がそそられる。そうした背景から、わたしは、『ポースケ』について一度じっくり取り組んでみたい、と前から思っていたのだった」

後編の最後で、こうまとめている。

「永続を目的とする人間集団は、それがいきすぎると生贄なり、排除される人間が必要となるが、ヨシカのカフェは、包摂と排除を意識しなくてもよい。カフェの原理は、無理に飲み込ませないこと。自然に飲み込んでもらうこと。自分が属する人間集団に無理やり何かを飲み込まされつづけている人びとが、じっくりと、やんわりと飲みものばかりでなく食べものまでも飲み込むことができる場所なのである。そして、食べものの嚥下に慣れたその喉に、たまたま飲み込みやすい言葉が通るアヴェレージが結構高い場所こそが、「食事・喫茶 ハタナカ」であり、縁食の場所なのだ。おそらく、そんなおいしい言葉しか、品定めの視線に網羅された社会を変えることはできない」

この指摘に、うなった。

ってことだけ、今日は書いておきたかったのだ。

「品定めの視線に網羅された社会を変える」には、という視点で、もう一度『ポースケ』を読み直してみよう。

| |

2020/08/21

カフェ「食事・喫茶 ハナタカ」の場合。

「何か口に入れるものを傍に置きながら、誰かの薄い気配を感じつつ、一人で何も考えずにじっとできる、という状況は、意識的に作り出さないと存在しにくいものなのかもしれない」「かつ、もし店にいる時に災害があったら、それなりに助け合えるような客層であること、そういうふうに呼びかけられる店の人間がいること。人は難しい。一人になりたいといつも思っているけど、完全に放っておかれるとかまわれたいと思う」

近鉄奈良駅から連なるアーケード商店街のはずれのほうにある「食事・喫茶 ハタナカ」の店主、ヨシカさんこと畑中芳夏さんは、そんなふうに考えている。

大阪出身で大阪の大学を卒業し、食品メーカーに総合職として就職した。成績のよい営業社員だったが、27歳のとき、偶然のキッカケもあって、辞めた。

大学4年間にカフェでアルバイトをしていたから、やるならカフェだと思っていた。

大学1年のときからの友人である長瀬由紀子さんの住まいが奈良にある。古くてボロの家だが広いので、ヨシカさんは、そこに数か月居候しながら、気に入っている奈良に出店する場所を探し、開店にこぎつけた。

ヨシカは、34歳になった。なんとか続けている。この先どうなるかは常にわからないのだが、これからも続けていくつもりだ。

「ハタナカ」は、どんなカフェだろうか。

たとえば、一人暮らしで会社員の加藤のぞみさんは、週に一度ぐらい「ハタナカ」で食事をする。

妙に頼りがいのある店主だと思っている。

「最初は、大きめのスコーンやパンケーキと、ポットの紅茶を提供してくれるということで店に入ったのだが、このところは、食事目当てで店にやって来ている」

そんなによく食べるわけではないのぞみさんにとって、「一食八〇〇円は安い値段ではないのだが、週に一度ぐらい、自炊をするのも外で何を食べるか考えるのもいやになった時に、ハタナカで夕食を食べている。小鉢はそこそこ凝っているものの、取り立てて健康指向でもおしゃれでもなく、どちらかというと男の人や子供のほうが喜びそうなメニューには、いつも懐かしいニュアンスの単純なおいしさがあったので」通っている。

「店主がこれと思った作り方をきっちりこなしているのだろう」と、のぞみさんは考えている。

「ハタナカ」は、「新しい食堂」なのだ。

昨日書いた、津村記久子の『ポースケ』を読み終えて、これは一つの食堂物語だなと思ったし、東京新聞の連載「大衆食堂ランチ」にも登場してもらったことのある、南浦和のむくむく食堂が思い浮かんだ。

『ポースケ』は、9編の連作からなっている。

1作目の「ポースケ?」は、「ハタナカ」の日常が舞台で、店主のヨシカがいて、とりまく従業員と客が、つぎつぎ登場する。

「ハタナカ」の店内には本棚があって、客や従業員が、好きな本や手作りのものなどを置いている。本は、名前とメールアドレスを知らせれば借りることもできる。ヨシカは、ふとしたことから、「ポースケ」というバザーのような文化祭のようなことを店でやろうと思い立つ。

「ポースケ」とは、店で話題になったノルウェーの復活祭のことらしいのだが、そこからの連想だ。

以下、「ハンガリーの女王」「苺の逃避行」「歩いて二分」「コップと意思力」「亜矢子を助けたい」「我が家の危機管理」というぐあいに、客か従業員が主人公や語り手になって話が展開する。

それぞれ、仕事や家庭や学校で、ややこしいことや面倒や屈託を抱えている。心身にダメージを受けて、2分の徒歩通勤もやっとの竹井さんは、「ハタナカ」のパートさんだ。

ささいなこと、小さなこと、ふとしたことが、つぎつぎに起きるし、そこでの言葉のやりとりが、思わぬことにつながっていく。たいがいの人の生活は、そういうものだろう。そういう中で、なにがあろうと、食べているのだ。

そして、8作目の「ヨシカ」は、ヨシカさんの独白のようなもの。

最後の9作目「ポースケ」は、祭りの当日だ。

最初の「ポースケ?」に登場した人々が、何かを持ち寄り、誰かを連れてきたり、みんなでワショイ、ポースケ。締めくくりの食事会、ヨシカさんは「ただひたすらがつがつ食べられそうなものを選んだのだった。食べて、端的に、明日の活力になりそうなイメージのものがいいと思った」。食事会の参加者は、「みんながつがつ、元気に食べていた」。

そして祭りが終わり、それぞれ帰っていく。

一日休んで次の日の開店まであと5分。

ふとしたことから、電車に乗り勤めることにした竹井さん。

まもなく「ハタナカ」を辞める竹井さんが、「厨房から外に出て、ドアの札をひっくり返す音が聞こえた」

「それまでと似ていて、けれども非なる、かけがえのない一日が始まる音だった」

そんな音が、どんな生活にも、どんな「食べること」にもあるはずだ。

食堂を舞台にした、生きること、働くこと、食べることが、ぎっしり詰まっている。

というか、「食べる」を語るというのは、こういうことじゃないかと思う。

「それまでと似ていて、けれども非なる、かけがえのない一日」と共にある日々の「食べ物」と「食事」を考えたい。

と、『ポースケ』を読み終えて思うのだった。

当ブログ関連
2018/08/31 スペクテイター42号「新しい食堂」。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2018/08/post-8f99.html

| |

2020/08/16

「食べることを食のマウンティングから切り離したい」

津村記久子の新刊『サキの忘れ物』(新潮社)を買ったのは7月3日だった。

この本が出ていることを知り合いから教えてもらって、早速買いに行ったのだが、おれが新刊の文学作品を急いで買うのは津村記久子のものだけだ。

好きなだけ本を買う経済的余裕がないこともあるが、とにかく津村記久子のファンである、といえるぐらいにはお気に入りなのだ。

といっても、新刊をこまめにチェックしているわけではないし、一冊も漏らさず揃えようという根性もない。

『サキの忘れ物』については、そのうち書くかもしれないが、『サキの忘れ物』を読んだら、第何次かの津村記久子マーイブームが勃発し、手持ちのものを再度再再度読んだあげく、昨日は図書館へ行ったついでに、『ポースケ』(中央公論新社、2013年12月)『とにかくうちに帰ります』(新潮社、2012年2月)『やりたいことは二度寝だけ』(講談社、2012年6月)を借りてきた。

『ポースケ』から読み始めているところだ。

今日は、そのことではない。

津村記久子でWEBを見ていたら、重要かつ面白い発言があった。

京都大学新聞のサイトに、「食べることを見つめなおす 藤原辰史さんと津村記久子さんがトーク(2015.11.16)」という記事があって、「人文科学研究所准教授の藤原辰史さんと芥川賞作家の津村記久子さんが「働くことと食べること」というテーマのもとで語り合った」というものだ。

そこで、津村記久子は、このようなことを言っているのだ。

「2人は、食べることに人間が余計な物語を付与することへの違和感を共有するという。津村さんは、「優位性を誇示する馬乗り」を意味する霊長類学用語「マウンティング」をもじって、料理に別の物語を持ち込むことが「食のマウンティングにつながっている」と表現。「食べることを食のマウンティングから切り離したい」と話した。藤原さんは「食育において、お母さんが和食を作り継承していくといったように食が家族の物語と結び付けられていることは気持ちが悪い」と語った。」

もう、ほんと、よく見かけるし、近頃ますますひどくなっている感じだ。書店の店頭をにぎわす「飲食本」と「嫌韓嫌中ヘイト本は、見た目は違うけど、「売れる」から出発した企画の本質は同じで、表裏ではないかという気がしている。

そういう「飲食本」には、私語りも含め、「料理に別の物語」を持ち込んだものが多い。売りやすい「飲食の衣」を着たエッセイという体裁で。

そうでなくても、メディアに関わっていると、上位や優位からモノゴトを語りやすく、それがマウンティングとなってあわられることも少なくない。なにしろ「食」は「格差」を含んでいることであるし。

「食べることを食のマウンティングから切り離したい」

ほんと、ほんと。

2人は「「食べることは楽しければいい。こうあるべきだという論から食べることを解放したい」と締めくくった」そうだ。

ほんと、ほんと。

今日は、このことだけを、忘れないうちに、急いで書いておきたかったのだ。

| |

より以前の記事一覧