2006/10/06

ありふれたものを美味しく食べる

「食育」だろうが「栄養」だろうが、けっきょく「ありふれたものを美味しく食べる」ということをヌキにしては成り立たない。

ってことで、かつて、そのことについて書いた中からチョイ忘れたくないなというものを拾って、右サイドバーのカテゴリーに「ありふれたものをうまく」をつくってまとめた。

ここに03/07/16「ロワゾーさんのお言葉」というのがあって思い出したが、ベルナール・ロワゾーさんは、昨年だか一昨年だったか、自殺したのだった。報道では、自分がオーナーシェフをつとめるレストラン<ラ・コート・ドール>が、例のミシュランで三ツ星だったのが落ちそうというウワサが流れたのを苦にして、ということだったと記憶している。

だが、いい言葉を残してくれた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/16

ロワゾーさんのお言葉

「ありふれたものを美味しく食べる」には思想があり技術がある。「食べることは生きること」この言葉は、おどろくべきことに、そして当然のことなのだが、フランスの有名な三ツ星レストラン<ラ・コート・ドール>のオーナーシェフ、ベルナール・ロワゾーさんが口にしているのだ。『NHK未来への教室 SUPER TEACHRS 明日への船出』(NHK出版)に載っている。

彼は、こう言う。「私にとって『食べる』という行為は、生きていることを実感する、一番美しい瞬間です」

彼は、また子供達にむかってこう言う。「私だって、君たちのお母さんに負けない、おいしい料理をつくりたいと思っているが、それは不可能だ! だって、誰にとってもお母さんの味が世界一なのだから!」

「ふつう民間」の料理を見下してきた日本の料理人からは、こういう言葉は聞かれない。日本の料理人には、ロワゾーさんのように、「家庭料理こそが食の原点」という思想がなかった。それはまた「ありふれたものを美味しく食べる」思想の欠如につながっている。

しかし現実の生活では、「ふつう民間」では、「ありふれたものを美味しく食べる」ことが必要とされていた。「家庭料理こそが食の原点」だった。でもそれは、現実的にそうだったのであって、確固とした思想だったわけではない。

それは、むしろ「貧しい食事」と卑下され、「ふつう民間」の料理を見下す思想のもとで、「恥ずかしいもの」という劣等意識をもたされてきた。

だから、70年代以後バブルの時代に、多少の金銭的ユトリの「中流意識」の家庭が競ってそれを捨て、きらびやかなウンチクにまみれたハリボテのグルメに走ったとしても当然といえば当然だったのだ。

日本は、あるいは日本の料理人はフランス料理から多くを学んだはずだが、この根本だけは学ばなかった。そして、こんにちのグルメは、「家庭料理こそが食の原点」「ありふれたものを美味しく食べる」という基本を欠いた、ある種、奇形な存在となった。

それは、日本料理の奇形な存在と深くかかわっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/14

ありふれたものを美味しく食べる……温サラダ

1990年江原恵さんは、『辰巳浜子―家庭料理を究める』を書いた。リブロポートの「シリーズ民間日本学者」のなかの一冊で、編集部からの依頼だった。

NHKテレビの料理番組「きょうの料理」は1957年に始まる。初期の主な出演者といえば江上トミ、赤堀全子、飯田深雪、河野貞子、土井勝、辻嘉一、といった顔ぶれだが、そういうプロに混じって辰巳浜子さんがいた。

彼女は、夫が大会社の役員とはいえ、サラリーマンの主婦で「ふつう民間」の料理のひとだった。ついでにいえば、1977年に亡くなっている。1960年『手塩にかけた私の料理』1969年『娘に伝える私の味』1973年『料理歳時記』と、シロウトらしいペースでの出版で名著を残した。

江原恵さんの『辰巳浜子』のイチバンの面白さは、その3冊の名著を比較して、辰巳浜子さんがテレビに出演し有名になりプロの料理人との交流がふえるにしたがい、その影響を受けて彼女が、あるいは彼女の料理や料理に関する著述が、どう変化したかに触れているところだ。「家庭料理と料理屋料理―辰巳浜子の遺した課題」である。

ま、それはともかく、辰巳浜子さんは、暑い夏に子供達のために「煮サラダ」をつくった。ちかごろでは「温サラダ」といわれる。野菜の蒸し煮で、おれもときどきつくる。江原恵さんもつくっていた。

江原恵さんの調理法は「玉葱、トマト、人参、じゃがいも、ピーマンまたはさやいんげん、それにチージとバター、塩、胡椒という、ありふれた野菜の蒸し煮である。厚地の深鍋に下から右に書いた順序で、さやいんげんかピーマンを一番上に重ね、塩胡椒を適当にふりかける。その上に小さなさいの目に切ったチーズを散らし、バターをおき蓋をかぶせて密閉する。ガスは初めからとろ火にする」

もちろん野菜はテキトウに切る。おれの場合は「玉葱、トマト、人参、じゃがいも」のほかの材料が違う。キャベツを使う。ほかに辰巳浜子さんのようにベーコンを使うことが多いが、使い方が違う。ようするにイロイロにやりようがある。ありふれたものを美味く食べることを体験するには、じつによい。

うーむ、食べたくなったなあ、これがビールのつまみにもよいのだ。夏は、けっこう身体がよわっているから、温サラダはなかなかよい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/10

ありふれたものを美味しく 2

たとえば、かの有名なフランスの料理学校コルドン・ブルーの東京校のサイトでは、このようにフランス料理を説明する。

「フランス料理は地方料理の集大成といわれるように、フランスの各地方は、それぞれが特色豊かで、独自の伝統的な郷土料理がたくさんあります。初級コースでは、基礎コースで習得した基本技術をもとに、より高度な調理法、複数のテクニックの組み合わせなどを、フランスの地方料理のレシピを通 じて学んでいきます。日本人でも耳にしたことのある、アルザスのシュークルート、トゥールーズのカスレ、マルセイユのブイヤベース、などが登場します。地方料理をはぐくんできたフランス各地方の文化を訪ね、フランスのガストロノミー文化の奥深さを垣間見ることができます。」

「フランス料理は地方料理の集大成」であると。地方料理を通じて学ぶのであると。フランス料理においては伝統は郷土料理にある。もちろんその郷土料理は家庭料理でもある。他の国においても、このように明快に定義しているとは限らないが、実体としてそうなのだ。

がしかし、わが日本料理はちがう。「日本料理」は地方料理の集大成ではない。前に日記で書いたように日本料理の伝統は懐石各派や四條流などの「流派料理」にある。しかも日本料理は、郷土料理やその母体である家庭料理を「シロウト料理」と言って見下してきた。日本料理は自分たちの庖丁の冴えを自慢することはあっても、このコルドン・ブルーのように、地方料理や地方文化に敬意を払ったことはない。

日本料理は「中央」「上層」の料理であり、そこで食べさせてもらってきた料理人の料理なのだ。それは「中央」「上層」ならではの特別の選び抜かれた材料、素晴らしいシュンの材料に頼ったものであり、その料理は「ありふれたものを美味しく食べる」料理とは、美味学の根本も技術も異なっていた。その料理屋料理、料理人料理に美味学を求めても、日本料理つまり家庭料理に未来があるわけではないと、江原恵さんは主張した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/09

ありふれたものを美味しく

7月2日に書いた1983年江原恵さんの『台所の美味学』は、「ありふれたものを美味しく食べる」がテーマだ。「台所の美味学」は「料理屋の美味学」「料理人の美味学」に対している。「料理屋の美味学」や「料理人の美味学」は台所の範にならないし、そういうものを範にしていては、日本料理つまり家庭料理は成り立たないというのが江原さんの主張だった。

「料理屋の美味学」や「料理人の美味学」は、よく聞かれるお題目「シュンの選び抜かれた新鮮な素材」に美味学の根本がある。しかし家庭の日常においては、それは不可能だ。ありふれたものを使って料理する。家庭の日常どころか、日常の外食店の料理においても、そうであるはずだ。

であるかぎり、「ありふれたものを美味しく食べる」が「台所の美味学」の根本にならなくてはならない。

が、しかし、80年代の「一億総グルメ」は、江原さんの主張とはまったく逆に、「料理屋の美味学」や「料理人の美味学」を範にし崇拝する方向へむかった。そして江原さんは86年『料理の消えた台所』88年『家庭料理をおいしくしたい』というぐあいだったが、ときすでに遅し。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/07/08

快食

ま、「快食」とは「あるものをうまく食べる」ということだね。

二つの面があって、「あるものをよりうまく食べられるように料理する」ということ、もうひとつは、できた「ある料理をうまく食べる」ということで、前者は「料理」あるいは「台所」の問題、後者は「食事」あるいは「食卓」の問題なのさ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/02/09

今日は「やよい食堂」の第4夜を掲載したから、こちらは簡単に。

で、74年に江原恵さんと会ったおれは、すぐ意気投合して、「じゃあ、やりましょう」となったわけだ。なにしろ、おれには「熟慮」という言葉がない。かっこうよくいえば「走りながら考える」ということのようだが、とにかく面白そうだなと思うと、すぐ動くのだ。

なにをって、そのときは「ありふれたものをうまく料理しよう」というセンの料理教室をやろうということだった。「サケの缶詰だって、うまく料理に利用できますよね」おれはサケの缶詰が気になっていたものだからいうと、「そうさ、そういうものをうまく食べるのが料理なのだ」と江原さん。いつも酔っての話だから、そんなアンバイだったと思う。

「で、どうやって、その料理教室をやるのですか?」「それは、やはりバスかなんか改造して、それで全国をまわるのさ」「おお、すばらしい!」江原さんは、なにしろ放浪癖に近いものがある。おれも一ヶ所にじっとしていられないほうだ。

さっそく熟慮せずに、そのセンの料理教室をやる企画書をつくり、おれが担当する大手食品メーカーにプレゼン。「ばーか、おまえは何を考えているんだ」と課長に一蹴されて終わり。

しかし、それから10年近くたったころ、江原さんと「生活料理研究所」をつくり渋谷の東急百貨店本店前のビルに「しる一」という店まで出すことになるのだった。まったく人生は、どういう展開になるかわからん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2003/02/08

だし入り味噌

「料亭の味」なる「だし入り味噌」がある。はじめて「だし入り味噌」が店頭に並んだとき、ついにここまできたかと思った。「料亭の味」が出たときは、買って使ってみたが、こんなまずいものは売れないだろうと思った。だが、いま、それは店頭で堂々の居場所をしめている。料理屋料理のイメージは、こんなぐあいに、君臨している。

グルメの時代が動きだしていた。山本益博さんが、その名を残す食べ歩きの名著で「料理評論家」として誕生しようとしていた。1982年の『日本食生活文化史』の「家庭料理」で大塚力さんは書いた、「日々のわが家の料理などまったく無造作に祖父の代からの方法でつくられているかのようである。しかし、このような家庭料理のなかから、現に国際的と称し自慢するテンプラ、スキヤキ、文字焼の類、それに釜飯やその他の鍋料理が登場してきたのである。これらはもともと家庭で発達したものを商売人が抽出したものであるから、飲食店といっても家庭料理の延長であるという面がみられる」

だけど、それはもう、いまさら、料理屋料理に隷属させられてきた家庭の耳には届かなかっただろう。しかし、わざわざ、このようなことを書かなくてはならない事態であったのも確かだった。かろうじて「女の義務」において継承されてきた家庭料理は、プロと男の料理の前に、自信どころか、まったくやる気を失っていた。グルメの時代の始まりで、その細々とした命脈が完全に絶たれようとしていた。1970年代後半に始まった「男子厨房に入ろう会」などの男たちの料理への「目覚め」は、家庭料理を力づけるどころか、さらに料理屋料理を権威づける方向へ向かった。

6日に引用の昭和5年刊行『日本料理通』で著者の楽満斎太郎さんは、こう述べていたのだが……「日常は料理とも言われぬ位の粗末なものを喰っているという間違った観念が頭の中にあって、日常の惣菜などは料理でなくて惣菜だと考えることが、つい料理という言葉に貫禄をつけてしまって」……その状況をつくりだした自らの日本料理の責任を自覚してない限界はあるにしも……。

いまじゃラーメン屋も料理屋顔で、「だし入り味噌」が「料亭の味」顔で、みんな家庭料理の上にふんぞりかえっている。

江原恵さんの『家庭料理をおいしくしたい』が刊行されたのはバブルグルメの最中の1988年。家庭の台所も大衆食堂も衰退のなかにあった。


| | コメント (0) | トラックバック (0)