2012/09/16

六日町行、きのうの続き。万盛庵で酔っ払って帰宅。

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書こうとしたら、記憶の中で大阪屋での話と万盛庵での話が混ざってしまって分けられない。とにかく、100歳の大阪屋のかあちゃんをショートステイ先のホームにお見舞いしたあと、あっこちゃんの運転するクルマで田中町にある万盛庵へ行った。

六日町の古い商店街がある中心部は、三国街道に沿って発達したのであり、最も上手(南)が上町で「かんまち」と呼んでいた。その隣が江戸期からの旦那衆が多い、長い間役場などがあった仲町、そして北の端が田中町だ。

仲町と田中町の境目あたりから西に曲がる広い通りは、三国街道に比べたら歴史は新しいが、上越線六日町駅の駅前通りで旭町、大阪屋がある。おれが住んでいた伊勢町は、仲町の西の裏側、旭町の北の裏側にあたる。

万盛庵のことは「まんせ」と呼ぶ人が多い。まんせに向かう途中でクボシュンの家の前を通ったので、もしかすると一緒に飲めるかと思い、クルマから降りて家の戸を開けて声をかけてみた。シュンスケはいたが、膝から下が包帯で倍以上の太さになった右足を引きずりながらあらわれた。元気はいいが、とても酒は飲めない。よく見ると顔にも怪我の跡がある。あとであっこちゃんに聞いたら、バイクで転んだらしい。口は達者でも、もうバイクをブイブイふかすトシじゃねえよな。

まんせに着いたのは16時ごろだったと思うが、もちろんこの時間に客はいないが、店は一日中開いているのだ。とうちゃんもかあちゃんのえっちゃんも息子もみんないた。

店内の一隅に、タカノツメのすだれが下がっていた。

暑かった。六日町は盆地で、夏は昔から蒸し暑い。さっそく生ビールをもらう。あっこちゃんは飲めないのでソフトドリンク。大きなテーブルに3人で座って、おしゃべり。えっちゃんは何かのアレルギーだそうで、目はショボショボ鼻はグスグスだったが、そのうちとうちゃんが注いでくれた酒を飲みだす。

来年の10月には70歳になる中学の同期会がある。えっちゃんもあっこちゃんもクボシュンも、その幹事なのだ。先日も、幹事の集まりがあって、やっと場所が決まったらしい。60歳の時も大勢が集まったが、大勢が集まれるのは、これが最後だろうという思いがある。地元に住んで幹事をやる人も大変だ。

同期会は、本来5年に一度で、60歳、65歳つぎは70歳でということだったが、きょねん誰が言い出したか70歳までガマンできない死ぬかも知れないってことで、急遽10月に開催された。おれも参加したが、急だったにもかかわらず60人ぐらい集まった。その時の幹事に、キイチがいた。

去年の同期会の幹事と来年の同期会の幹事の引継ぎが、今年になってからあった。キイチも出席していた。その数日後、キイチは夜中に酒に酔って飲み屋から帰る途中、用水のように岸をコンクリートで固められた小川に落ちて、朝になって凍死体で発見された。おれもその知らせを電話で聞いたときには驚いたが、幹事の人たちは数日前に会合を持ったばかりだった。といったことで、キイチの話になる。

高校進学が5割を切っていたころの中卒だし、それぞれのその後は、おれは高校を卒業して町を出て、しかも親も家業に失敗して家を手放して町を出たぐらいだから、あまり付き合いもなく知らないことが多い。えっちゃんが高校を中退していたのも知らなかった。あっこちゃんは、一度町を離れ、またもどったのだということも知らなかった。

それに高校卒業まで町で過ごしていても、町のことは上っ面しか知らない。地元が長い彼女たちは、詳しい。もっとも、彼女たちが知らないで、おれが知っていることもあるのだが。話していると、女子たちの付き合い方や町に対する関心の持ち方と、男子とは違うところもあるようだ。そんなあれこれが気がつくぐらい、あれこれおしゃべりした。たったこれだけでも、書き切れないほどの、それぞれの人生。

50年食堂を続けて身体のぐあいが悪く閉店する夫妻、100歳のかあちゃんに会ったあと、来年は70になる面々の人生語り。みんないくつまで生きるか知らんが、ま、ようするに人生に意味なんかなく、それぞれの「生きる」があるだけだな。時代も意味がない。やっぱ、気取るな力強くめしを食え!だな。と、なんだか大いに充実した気分で酒がすすんだ。

025おれは生ビールを飲んだあと、まいどのように地元の酒、高千代、鶴齢、八海山を順次飲むには時間が早すぎるので、「万盛庵」のラベルの焼酎を注いではウーロン茶で割ったりしながら飲んだ。

養殖ではないアユを久しぶりに食べた。身のしまりが、まったく違う。ほかに、とうちゃんお得意の漬物や、いろいろ。そして、この時期ならではの、もうそろそろ終りの、カグラナンバン肉詰めを食べた。まんせのこれは、肉詰めを煮た汁でソースを作ってかけるところが特徴なのだ。丸ナスの漬物も出たが、チョイと歯の都合が悪くて食べられない。いずれにせよ、カグラナンバンとナスの漬物で、ああ今年の「ふるさと」の夏も終りだなあ。

03420時近くなって、そろそろポン酒を飲んで泥酔してもよいだろうと、高千代、鶴齢、八海山を飲む。歩いて駅まで10分かからないところを、あっこちゃんにクルマで送ってもらって別れたときには、かなり酔いがまわっていた。「ふるさと」にも酔っていた。

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2012/09/15

六日町へ行って、今月閉店の大阪屋食堂と100歳のかあちゃん。

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きのう、六日町へ行って来た。10時過ぎに家を出て六日町に着いたのが12時45分ごろだった。大阪屋のあっこちゃんに電話して、駅で落ち合って、すぐ駅前にある大阪屋へ行った。

「大阪屋のあっこちゃん」という言い方は、小さいときからで、大阪屋食堂の大阪屋は、食堂を始める前から屋号だったのだ。あっこちゃんはおれと同じ齢で、とっくに大阪屋の家を出て独立しているので、「大阪屋のあっこちゃん」というのは昔の呼び方だ。小さいときから「ちゃん」をつけて呼び合っていると、いまさら「さん」とも言いにくい。それに昔は苗字より屋号のほうが通用していた。

おれの家は、「かんろく新宅」と呼ばれていた。つまり父親が本家「かんろくどん」の次男坊で分家したので「かんろく新宅」であり、「かんろく」は確か「寛六」と書いたのではなかったかと思う。いまではおれのうちも本家も没落して無い。

「ナントカどん」という呼び方は、百姓だけだったようだ。ナントカは先代の名前で、たとえば無くなったおれの生家の近所は、みな百姓で「くにきちどん」「とらまつどん」であり、短く「くにきっとん」「とらまっとん」とか呼んでいた。父の場合、分家してしばらくしてからミシン屋を家業としていたので、しだいに「ミシン屋」と呼ばれるようになった。なのでおれは、大阪屋のあっこちゃんたちからは、「ミシン屋のてっちゃん」と呼ばれていたし、いまもそうなのだ。

それはともかく、13時すぎに大阪屋へ行ってみると、大混雑で店内で待っているお客さんもいた。あっこちゃんのお兄さんでご主人の「勇ちゃん」は、顔を合わせるなり、「閉店のことがフェイスブックに載った日から忙しくなって、普段の3倍ぐらい」と、大汗かいていた。「普段からこれぐらい入っていたら、閉店しなくてもよいのだけど」。つまり家族の身体のぐあいが悪くても、誰かを雇って店は続けられるということのようだ。いかにも閉店が悔しく残念そうな印象だった。

020おれとあっこちゃんはチャーシューメンを頼んだ。これが大阪屋の「名物」で、これを目当てに来る人が多かったらしい。おれは、それを知らなかったので、これまでカツ丼とラーメンしか食べたことがなかった。麺の量も多いが、チャーシューが大きくて、1センチ近くありそうな厚さなのだ。濃い目の味で、食べ応え十分。なるほど、人気なのもうなずける。しかし、近頃は食が細くなっているので、食べ切るのが大変だ。

お客さんが一段落したあたりで、カウンターごしにご主人とあれこれ話す。片づけをしながら奥さんも話しに加わる。勇ちゃんはおれより2歳上のだけだが、小さいころの昔の記憶は、2歳ちがいが大きく、いろいろなことを思い出した。あっこちゃんの話と合わせると、いろいろ昔の記憶がもどった。まったく思い出せないこともあった。

とにかく、大阪屋は駅前だけど、昔の駅前通りは、まだ田んぼがあったのだ。おれが高校を卒業して町を出るまで。そのあと、地元選出の田中角栄の「日本列島改造論」もあたりして、大きく変わった。

021おれが『大衆食堂パラダイス!』に書いた、高校生の頃よく大判焼きを食べた大阪屋は、まだ食堂ではなくて、大判焼きを焼いてるそばで食べられるようテーブルを一つとイスを置いたりしたのが「原型」のようだ。それ以前、戦後まもなくは、かあちゃんがポンせんべいを焼いたり、端切れを売ったり、駄菓子屋をやったりだったらしい。勇ちゃんは、東京の甘物屋で修業して帰り、甘物を始めたけど、田舎町のことで、そんなに流行らない。そこで、かあちゃんと、当時人気が出ていたラーメンを教えてもらいに行ってきて、ラーメンを始めた。そのころから「食堂」らしくなった。ということのようだ。

建物は、平成の始めごろ建て替え、店内を広くしたが建物の敷地は変わっていない。おれはカウンターの一番端に座って話していたのだが、勇ちゃんが「そこが大判焼きを焼いていたところ」と指差した。おれのちょうど背中のところで、その角だけ空間になっていて窓があった。かつては、窓越しに、かあちゃんが大判焼きを焼く姿が見えたのだ。一挙に懐かしさがこみあげた。

駅前通りや町のこと、変化の様子、個人店の難しさ、いろいろ話した。忘れていたこと、知らなかったことも多い。勇ちゃんは、チョイと引っ込んで、戦前のものと思われる、上町の手書き地図のコピーを持って来た。「ナントカ屋」「ナントカどん」、忘れていた記憶が、あれこれよみがえった。

022001奥さんが、いまでは珍しくなった、昔の黄色いマクワウリを切って出してくれた。冷蔵庫はなく、井戸水で冷やした時代、夏はこのウリだった。ほんのりした甘味、サクッとした歯ざわり。懐かしい。気がつけば、おれはチャーシュー一切れと麺を少々残したまま話に夢中になっていた。

お店の休憩時間でもあり、100歳の「かあちゃん」に会いに行くことにした。かあちゃんは、この一週間は、店も忙しいことであり、介護老人ホームの泊サービス(ショートステイ)のため、そちらにいるのだ。あっこちゃんはクルマで来ていて、乗せてもらう。

かあちゃんは、転んでから両足のぐあいが悪くなり、車椅子の生活。テーブルに向かって、菓子を食べ茶を飲んでおり、ベッドに寝込んでいるものと思い込んでいたおれは、元気そうでおどろいた。認知のぐあいは、その日の調子によるそうだが、あっこちゃんの顔を見て、最初は「どこんしょだ」と言ったが、すぐわかったようだ。

だけど、おれのことは思い出せない。なにしろ50年のブランクもあることだし。「せっかく来てもらったのに思い出せなくて申し訳ない」と何度も言う。肌はきれいで、言葉もしっかりしている、腕から手も年寄り臭さがなくしっかりしている。大判焼きを焼いていたかあちゃんだ。

そのあとは、万盛庵へ。16時ごろだったか。えっちゃんとあっこちゃんと3人で、20時半まで、ゆっくりおしゃべりしながら、酒を飲む。こんなに六日町のことや、同期生たちのことを話すのは、高校を卒業して町を離れて以来のことではないかと思う。

あっこちゃんがクルマで駅まで送ってくれて、20時50分ごろの上越線に乗って越後湯沢で新幹線に乗り換え帰って来た。万盛庵でのことは、また明日。

最後の写真は、往きに、上越線大沢駅あたりの車窓から撮影。最も高値がつくといわれる魚沼コシヒカリの田んぼが、刈り入れ直前といった様子。

このあたりからの景色が好きだ。中央奥に巻機連山、右の方は谷川連山に連なり、左の方は尾根伝いに下がると金城山から坂戸山に至る。おれが高校を卒業まで、よく足を踏み入れた山々が一望できる。そして、この地域の、つまりおれの成長と深く関わっている、「コスモロジー」について、いつも考えさせられる。

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2012/09/04

故郷六日町の大阪屋食堂が今月で閉店。

『大衆食堂パラダイス!』にも登場する、おれの故郷、南魚沼市六日町の大阪屋食堂が今月で閉店する。一昨日、フェイスブックで知った。

去る7月、2012/07/04「祝・故郷の大阪屋のかあちゃんが100歳!」に、おれが高校のときお世話になった大阪屋のかあちゃんが100歳を迎えたことを書いたばかりでもあり、突然の閉店ニュースにおどろいた。

考えれば、かあちゃんの息子さんである、いまのご主人は、たしかおれより6歳ほど年上のはずであり、そろそろ引退なのかと思いながら、おれと同じ齢のご主人の妹にメールをして確かめた。

すると「もう限界」という返事があった。「高齢化」する個人経営・家族経営が抱える困難が、言葉少なに語られており、その悲痛が伝わった。

ほかにもおれの身近に増えているのだが、介護と介護しながら生活するための営業の負担で、家族の身体が壊れていく。そうなりながらも「限界」までがんばらなくてはならない。介護は美しい物語になるが、生活の現実は残酷だ。

それはともかく半世紀以上つづく地元人気店の閉店だから、田舎町とはいえ、大混雑しているらしい。

とにかく、近いうちに訪ね、100歳のかあちゃんにも会っておこう、と思っている。

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2012/07/04

祝・故郷の大阪屋のかあちゃんが100歳!

故郷の新潟県六日町から、うれしいメールが届いた。

『大衆食堂パラダイス!』にも登場する、おれが高校生のときにお世話になった大衆食堂の大阪屋のかあちゃんが、先月百歳になったそうだ。「白寿」というらしい。いやあ、めでたい。

親戚や近所の人たちに祝ってもらったそうだ。それに通っているデイ・サービスの先生方にも祝ってもらい、メッセージを一杯書いてもらったそうだ。そのメッセージに、大阪屋の歴史の綴りをコピーした物が添えられていたそうだ。それが、おれが書いた物からのコピーだったそうだ。というのも、介護士さんの中におれのファンの方がいて、その方が作ったものだそうだ。

書いた物がそんなふうに使われるなんて、しみじみうれしい。
知らせてくれた、あっこちゃん、ありがとう。

大阪屋のかあちゃん、もっと長生きしてね。
長生きして大阪屋の繁盛を見守ってね。
大阪屋も、かあちゃんのように長生きしてほしい。

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2012/05/13

故郷の南魚沼市六日町で温泉、山菜、酒、級友、ふるさと三昧。

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5月は、全国高千代ファンの集い「高千代五月まつり」があるのだが、最近は、ちょうど都合が悪く参加できないでいる。今年も、20日の日曜日に開催との案内をもらったが、都合が悪い。うーむ、しかし、この季節、故郷の山菜で故郷の酒蔵の酒を飲むのは、他に代えがたい魅力だ。考えているうちに、どうしても行きたくなって、昨日行ってきた。トツジョ思い立って行ったのだが、出たとこ偶然だらけで、めったに会わない中学同期の連中と飲むやら、じつに楽しく充実した日帰り小旅となった。

めざすは、まいどおなじみの、老舗の大衆食堂的蕎麦屋の萬盛庵だ。ここのとうちゃんは、自他ともに「山菜きのこ採りの名人」を認める。

前日、六日町中学同期のクボシュンさんに電話した。彼は最近は夜中の勤務をやっているので、15時ぐらいには帰って寝なくてはならないが、昼めしでも一緒に食べようということになった。10時少し前に東大宮を発ち、新幹線を利用、11時45分六日町着。クボシュンさんが駅に出迎えてくれた。東大宮も風が冷たく寒かったが、六日町は、当然もっと寒かった。しかし、雨の予報が、暗い雲のあいだに明るい白い雲や青空も混じり、どうやら晴れに向かっているような空だった。

Dscn0696_2駅から近いが、クボシュンさんのクルマで、まずは「さわだ食堂」へ。ここは、おれが故郷にいるあいだはなかったので知らなかったが、フェイスブックの「南魚沼!六日町!」に載っていたのを見つけ、気になっていった。40年ほど前にできた食堂らしい。いずれ、目下リニューアル作業中のザ大衆食のサイトに載せるとしよう。

とにかく、まずは、この町この季節ならではの、木の芽を食べる。アケビの芽のことだ。店主に玉子を落とすか訊かれたが、ナマの味と思い、抜きにしてもらう。これで、ビールを飲む。シャキッとした歯触り、やわらかな緑のような甘味に苦味がピリッと効いて。うーむ、これぞ、この町の春の味覚だ。

クボシュンさんはカツ丼、おれはオムライスを頼む。食べてアレコレ話しているうちに、上の原温泉に行って温泉に入ることになった。上の原は町からはずれ、西の山の中腹の高原といった雰囲気のところだ。池があって春には桜が咲く、昔から町の人の行楽地であり、高校卒業するまでは、時々遊びに行った。高校卒業して以来、初めてだ。スキー場ができ、温泉が湧き、あたりは大きく変わったが、町中よりは、風景に昔の面影を残していた。龍気という温泉旅館で、風呂に入る。はあ、温泉は、いいねえ。

まだ雪が残っている周囲の山々が見える龍気の前の畑には、この季節この地域独特の菜がなっていた(一番上の写真)。クボシュンさんは「大月菜」といったが、おれには、みな同じ菜に見えて、区別がつかない。大崎菜、長岡菜など、いろいろあるが、やさしい甘味があるやわらかい春の味覚だ。

上の原の帰り、六日町高校の前のケンチャンことケンイチくんの家の前を通った。中学の同期であり、高校の山岳部でも、彼は3年になってから入部したのだが、一緒だった。ちょっと会ってみたくなって、いるかどうかわからないが、クルマから降ろしてもらい、帰って夜の勤務に備えて寝るクボシュンさんと別れる。クボシュンさん、ありがとう。

Dscn0716ケンチャンは在宅だった。家は建て替えたが、彼は生まれたときから、ここに住んでいる。家に寄らせてもらうのは初めて、奥さんと会うのも初めて。あとで萬盛庵で聞いたのだが、同期のトコチャンの妹さんだそうだ。そういえば、どことなく似ていた、気性の明るく楽しいところまで。これまたひさしぶりの、この季節の味覚、チマキと先ほど畑で見たばかりの菜の漬物をいただく。

あれこれ話しているうちに、ちと思い出の場所を散策したくなり、辞す。ふらふら歩き、写真を撮ったりする。

Dscn072617時すぎ、萬盛庵に。ここに来ると、故郷に帰った、という気になる。町中の雰囲気は、かなり変わったが、萬盛庵の中は、人柄まで、昔の空気のままという感じがするからだろうか。テーブルに座って生ビールを頼むと、早速、木の芽が出てきた。生玉子落とし。別の小鉢のぬたは、食べたけど、なんだかわからない。女将のエッチャンに聞くと、ウルイとトリノアシだという。昔から食べていた山菜だという。ウルイを持って来て見せてもらったが、まったく覚えがない。人の記憶はあてにならないというが、そんなことがあるのだなあ。

Dscn0728おれが入った時は、にぎやかに飲んだり食べたりしていた、町内の会社の御一行さんという感じのみなさんが、持ち帰りのチャーハンなどを作ってもらって帰った。何度か電話が鳴り、出前の注文が入る声がする。おれは、土地の酒蔵の酒、高千代、鶴齢、八海山を飲むべく、まずはラーメンを食べて整える。ウドのキンピラが出てきて、高千代辛口の燗をもらう。

意外な展開になったのは、帰りの列車の時間が近づいてきた、20時少し前だ。仕事が一段落した萬盛庵のとうちゃんとエッチャンも一緒に飲み始めていた。ちょうど話が、昨年10月1日の同期会の幹事をやり、今年の冬の寒いとき、酔って側溝にはまって凍死したキイチくんのことになっていた。おれの背中で店の戸が開く音がして、エッチャンが、「チャーボー」と言った。振り向くと、同期のチャーボーと、もう一人は、やはり同期のミノルくんだ。お互いに、「やあ、なんで、ここに」と言いながら、握手を交わす。なんと、同期会では会っているが、こういう場所では初めてだ。もう、それからは、にぎやかなこと。

中学時代はよくおれのウチにも来て一緒に遊ぶことが多かったが、高校からは別になり最近の同期会以外は会う機会もなかったミノルは、横浜に住んでいるが、やはり、この時期になると山菜が食べたくなるらしい。前夜から家族と六日町の町内の温泉旅館に泊まって、今夜はチャーボーに電話して一杯やっての流れ。木の芽をほおばりながら、「これこれ、これだけは、こっちに来なくては食えない、これが食べたくて来るんださ」。同感、同感。

チャーボーとミノルが店に入ってきたとき続いて入ってきた若い男性が、おれの前に座っていたのだが、彼が、先ほど話題になっていたキイチの娘婿とわかる。そういえば、キイチとは、ここで何度か会ったことがあるが。そうかそうかと、また一段と同期の連中の話になる。すると別のテーブルにいた若い男性が、やはり同期のマツゴロウの息子だという。

チャーボーは地元で医者をやっているが、「死ぬときはこっちで死にたいだろう」と言う。そんな気になる夜だった。とにかく、なんだかんだ、にぎやかに盛り上がる。いったい、今夜は、どういうことだ。なんの引き合わせか。ふるさとの食堂の味と人のつながりのなかで、酔いは深まる。

が、泊まるわけにはいかない、帰らなければならない。20時50分ごろ六日町発の列車に乗らなければならない。フキノトウとコゴメとウドを、たっぷりみやげにもらい、エッチャンに電車の中に忘れないようにと念を押され、萬盛庵をあとにした。

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2011/10/07

泥酔一直線、第一夜。1日、六日町中学校第12回同期会。

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30日のあと更新が止まっているのは、泥酔のためだ。10月1日、3日、4日、そして昨日の6日と、激呑み泥酔記憶喪失帰宅。はあ、なんで酒ってうまいんだろう。懲りないんだろう。今日も、もう夜だというのに、きのうの酒かおとといの酒か、その前の酒かわからないアルコホルが、胃や肉体に滞留している感じです。

とにかく、まず1日土曜日の六日町中学校第12回同期会。

Dscn0517会場の六日町のホテル坂戸城で15時半からの受付だった。なので各駅停車でのんびり酒を呑みながら行くことにした。秋の風景を車窓に見ながらカップ酒なんぞを呑むのはいいものです。

大宮で高崎行き、高崎で水上行き、水上で長岡行きに乗り継ぐ。最初の予定では、東大宮何時だったかなの電車に乗ると、水上で1時間ほど余裕があるから駅前の食堂でも一杯やれる目算だった。ところが出がけに急ぎの野暮用の電話があって、乗る予定の電車をはずしてしまい、東大宮発10時8分になった。これだと、乗り継ぎはちょうどよすぎて水上で食堂に入っている間がない。

高崎までは電車がそこそこ混むから呑むのは遠慮して、高崎で缶ビールとカップ酒を買って乗り換え。車窓の景色は高崎から先はドンドン変わる。稲刈りの終わった田んぼも、赤城の山も妙義の山も次第に姿を消し、列車は利根川に沿って山あいへ。上越国境の山がそびえる水上駅で乗り換えの時に、ビールをもう一本。ホームで呑む。キリッと冷たい山間の秋の空気の中で呑むビールが、またうまいんですなあ。

六日町に着いたのは14時40分ごろだったと思う。ラーメンを食べて腹ごしらえをして臨んだほうがよいだろう。とにかく、酒豪揃いの同期だし、呑めばあまり食わなくなる。駅前の大阪屋は閉まっていた。万盛庵へ。

Dscn0520万盛庵のラーメン、うまい。大衆食堂のラーメンの味だ。そして、この器は、おれが高校を卒業して町を出る前からのものだ。どんぶりのふちの柄が、長年の摩耗で、ところどころかすれている。食べるまえの写真は無いが、食べ終わって見たら、万盛庵のラーメンの味覚の歴史をひしひしと感じ撮影した。ラーメンは食べれば無くなるが、器は残るのだな。

とうちゃんがイトウリとミョウガの漬物を出してくれた。これが、うまい。酒が呑みたくなる。だけど、ここはガマンだ。だいいち、呑み始めたら同期会へ行くのが面倒になるに決まっている。

Dscn052215時半すぎ万盛庵を出て、街中をぷらぷら歩いて、ホテル坂戸城へ向かう。ホテル坂戸城は、魚野川に架かる坂戸橋を渡った東側、坂戸山の登山口近くにある。魚野川を見ると、3、4歳の頃、弟のオムツを洗う父と、そのそばにいる自分の姿を思い出す、小学生になってカジカを突いた場所をながめる。護岸の工事で川の様子は変わっているが、川面を見れば思い出すことはある。

同期会は、記念写真を撮ったあと、17時から宴会になった。乾杯が終わると、あとは勝手に動きまわり、さしつさされつ。なにしろ飲み放題だ。ビール、焼酎、ウィスキー、もちろん清酒、もうチャンポンもすごいもの。

宴会は2時間半ぐらいで終わったと思うが、そのあとは二次会。近くの飲み屋へ移動して、また呑むのだ。そして、おれは、途中で完全に記憶を無くした。気がついたら、朝。ホテル坂戸城で一室で、まわりには、ほかの同期生たちもいた。

温泉に入ってから、朝めし。もう呑む元気もなく、帰りは越後湯沢から新幹線。でも、新幹線の中で、呑んだけど。やっぱり、そのう、秋の空気は酒がうまいね。

とりあえず、こんなところで。

同期会は5年ごとの開催で、60歳の還暦同期会のあと、3年前の65歳の時あって、おれは忙しくて出席できなかった。だから本当は、あと2年後の70歳の時になるのだが、もういつ死ぬかわからない、それまで待てないという声もあって、急遽今回の開催になった。急にしては、60名も集まった。次は70歳だ。みな「元気で会おうね」といいながら別れていった。

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2010/05/09

南魚沼市六日町の万盛庵本店のばあちゃん亡くなる。

享年96。

万盛庵のまんちゃんのブログを見たら、「目黒ミヨノ 6日8:50 永眠いたしました。」と。
http://mansean.exblog.jp/13260002/

006_2何度も書いているが、万盛庵は、おれの故郷、六日町の大衆食堂的老舗蕎麦屋だ。大正年間の創業だったかな? おもえば、おれはガキのころから高校を卒業するまで、このばあちゃんが店を仕切っていたころの、へぎそばやラーメンを食べていたのだ。

その息子さんに、おれの同級生が嫁いでいたとは知らず。そして、まんちゃんがその息子とは知らず、おれはまんちゃんとネットつながりで知り合った。縁は不思議なものだ。

ばあちゃんが、まだ割とシッカリしていたころ、といっても80歳後半だったか。
おれの顔を見て、「(町を)出て行ったしょも、残っているしょも、容易じゃね」と言った。
経験に裏打ちされた含蓄のある言葉だと思った。

ご冥福をお祈り申し上げます。

衰えていく老人を抱えながらの飲食店経営も容易じゃなかったと思う。みんな、えらいなあ。とうちゃんも、かあちゃんも、身体大事に店を続けてください。画像は、一昨年の9月。

とうちゃんは、自他共に認める「山菜採り名人」、まんちゃんは自他共に認める「釣り名人(渓流、フライフィッシング)」。

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2009/04/13

清酒に親しむは、よきかな。春、山菜の季節、酒蔵を訪ねるは、よきかな。

Takatiyo014月19日、にちようび。毎年恒例、おれの故郷、南魚沼市の小さな酒蔵「高千代酒造」の蔵開きがあります。入場料千円で、蔵の見学や新酒の利き酒、そして土地の料理を食べながらタップリ呑めます。もちろん、蔵の方との、よい交流になるでしょう。

そして高千代でタップリ呑んだあとは、六日町の万盛庵本店へ行って、ほかの地元の酒、ま、八海山は有名だからよいとして、青木酒造の鶴齢(かくれい)を呑んでみるのもよいでしょう。それぞれ特徴があります。万盛庵には、うまいつまみや蕎麦など、いろいろあります。とうちゃんは、自他ともに認める、山菜採り名人。せがれのまんちゃんは、自他ともに認める釣り名人。

万盛庵で、ゆっくり呑んでも、日帰りできる。

きょうはドジがあって忙しいもので、あとで、案内を書き足します。おれは行けないのだが。

とりあえず、こちら、高千代酒造の蔵開き案内をご覧ください。
http://www.takachiyo.co.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=14

……と書いて、ここからは追記だが、東京方面から行くなら、午後1:00「湯沢駅東口 高橋屋商店様前 発」の無料送迎バスに間にあうように行くのがよい。以前のダイヤなら、新幹線を使わなくても、上野発の普通を乗り継いでノンビリ安上がりに行って、この時間に間に合うのが一本だけあった。いまでも、あるだろう。高崎か前橋と、水上でと、2回乗換えがあるが、この時期、車窓からの景色が気持よい。ビールやカップ酒を呑みながら、ゆっくり行くのもよいものだ。ああ、行きたくなるねえ。

そして帰りは、3:55「髙千代 発」の六日町行きの無料送迎バスに乗る。六日町に着いたら、町内に温泉があるので、あまり酔っていなければ一風呂浴びるのもよいだろう。でなければ、万盛庵に直行する。万盛庵は、休憩時間なしで営業しているから、いつでも呑める。日帰りなら、六日町発9時半すぎごろの越後湯沢方面行きの列車が最後になる。ま、それだけ時間があれば、タップリ呑める。余裕があったら温泉旅館に、素泊まりか朝食付きで泊るのもよし。町内の温泉は、どこも湯量豊富で、かけ流しのはずだ。

去年は行けなくて、一昨年のことになる。美酒を呑み過ぎて、当夜の六日町からの帰り、越後湯沢を乗り過ごしてしまい、山間の暗闇の駅のホームで寝ているというドジをやった。その顛末は、こちら。
2007/04/16「二日酔いの頭で原稿を書きます 追記」
2007/04/18「大雑把にだらしなく飲んだ結果そして予定」

ま、とにかく、とくに酒蔵を訪ねたことのない方は、この機会にぜひ。アホウなアソウの給付金が、こんなとき役に立つかも。大部分が交通費で、JRに吸い上げられるのが、シャクだけど。下の画像は、高千代です。高千代の酒粕を使った粕汁、ふきのとうやかじかの天ぷら、ぜんまいなどの煮物といった、地元の日常定番料理で呑みます。

高千代も、鶴齢も、東京なら王子の山田屋で呑めます。JRに吸い上げられるのがシャクなら、ここで呑むのもテだな。

Takatiyo02
Takatiyo03

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2006/05/22

それぞれの南魚沼市リンク集

故郷で酒を飲んでくると、二日酔いと共に里心をひきずるのか、ブログで南魚沼市のことなど書いているのを見たりしたんで、ついでに、比較的新しい最近一ヵ月ばかりの中からテキトウに選んでリンク。

■まずは、知り合い系から

雑誌『談』編集長によるBlog 高千代酒造さん主催「五月まつり」に参加する…クリック地獄

たまみほ日記 六日町の山菜男…クリック地獄

万盛庵通信…クリック地獄

おれはここで生きている 高千代五月祭り(ガクさんのブログ)…クリック地獄

■ブログを検索

ありうおぬま言葉(ありさんが大好きな魚沼のことを語る)……クリック地獄

六日町温泉から…クリック地獄

無名講師日記…クリック地獄

グダグダな感じで…♪ 新潟快晴 …クリック地獄

徒然ブログ 「山のぼり」 (坂戸山登山の話、いい景色)
クリック地獄

こしひかり人の南魚沼通信 南魚沼市電子パンフレット…クリック地獄

ビール現場主義 ビールの現場から~新潟県南魚沼市「八海山泉ビール」①…クリック地獄

マラソンに行こう マラソン情報館 第20回記念 浦佐耐久山岳マラソン大会・健康歩こう大会…クリック地獄

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高千代酒造 全国ファンの集い五月まつり

気がついたら家に帰っていた。

前にもこういうことがあって書いたとおもうが、最近は飲んでいる最中に飲みすぎて疲れを感じると、家に帰ってしまうクセがついたようだ。まことにお行儀のよいクセともいえるが、泊まって酒と山菜と温泉三昧をやるつもりで出かけたのに、気がついたら家に帰っていたとなるとソンをした気分だ。

ま、とにかく、きのうは高千代酒造の五月まつり、全国から南魚沼市は塩沢地区長崎にある高千代酒造にファンが集まった。おれはここ数年欠かさず出席しているが、年々盛況になる。詳しいことは、一緒に行って一足先に帰った佐藤真さんが、すでに「雑誌『談』編集長のブログ」に書いているから、そちらをご覧くださいよ。…クリック地獄

今年は大雪の影響で例年より半月遅れぐらいで田植えなどが進行し、山菜もイマが絶好調、この時期でないと食べられない山菜が食べられた。

おれは佐藤さんたちが4時半ごろかな?帰ったあとも会場で飲み続け、さらに地震で店と自宅を失いながらも再建、その再建中に火災で全焼、さらに再建中に水害という、三悪にめげず再建をはたした「味の家 魚野川」の覚張(がくはり)さんと六日町の万盛庵へ。さらに飲む。ここで、ホテル宮又に泊まっていた方も加わり飲んでいたが、しだいに記憶喪失、覚張さんがいつ帰ったか覚えていない。とにかくラーメンを食べてうまかったことは覚えている。

で、アア飲みつつ疲れた、と、帰って来てしまったのだなあ。シマッタことしたなあ。宿の予約を先にしておけばよいのだが、いつも成り行きだから、こうなってしまうのだなあ。それに、これは覚えているぞ、前は六日町駅を9時20分ごろの電車に乗らないと帰ってこれなかったのが、いまは9時54分に乗れば、12時ごろには家に着いてしまうのだ。

ま、とにかく、そういうわけだ。残念なことをした、せっかく電車賃かけて行ったのに温泉にも入らず……酔ったら家に帰るクセを直さなくてはいけないな。

とにかく、いま南魚沼は、山菜絶好調、田植えあとの景色もいいねえ。高千代の酒、もちろんうまい! しかし、しまったなあ、いまごろはゆっくり温泉につかって、夜はまた万盛庵で山菜でイッパイやるつもりだったのに。でも、酒も貰ったりでタップリあるし、こごめも貰ってきたし、今日はこれでイッパイやろう。でもウゲゲゲと、まだ酔っているが。

万盛庵じゃ今週の水曜日、明後日、「春ノ山菜ト生ビイル・地酒ヲ楽シム会」ヲ挙行スル」ようだ。まんちゃんの万盛庵通信みて万盛庵へ行こう。行きたいなあ。……クリック地獄

高千代酒造のサイトを見て高千代を飲もう……クリック地獄

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ああ、疲れた。

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