2017/09/27

系譜論のオベンキョウ、「日本的」や「ほんとうの日本」。

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先日の「系譜論のオベンキョウ、『美味しんぼ』。」は、書いていたら長くなったので途中でやめてしまった。

「途中でやめる」は、山下陽光さんのブランドだけど、いいネーミングだ。なによりエラそうでなく、権威主義的なひびきがないのがいい。

『美味しんぼ』15巻には、「究極VS至高」のタイトルがついている。「究極」も「至高」も、はやりましたなあ。

「東西新聞文化部の記者である山岡士郎と栗田ゆう子は、同社創立100周年記念事業として「究極のメニュー」作りに取り組むことになった。しかし、ライバル紙の帝都新聞が、美食倶楽部を主宰する海原雄山の監修により「至高のメニュー」という企画を立ち上げたため、両者を比較する「究極」対「至高」の料理対決が始まる」

と、あまりあてにならないウィキペディアにはあるが、この巻がその対決の始まりなのだ。

1988年7月の発行で、究極VS至高(前編)(中編)(後編)のほかに、第4話「家族の食卓」、第5話「ふるさとの唄」、第6話「下町の温(ぬく)もり」があって、あと「不思議なからあげ」「大海老正月」「究極の裏メニュー」という構成だ。

「家族」「ふるさと」「下町」が、ここに揃って登場というのが、面白い。

1980年代中頃から、この3つは「失われたほんとうの日本」へのノスタルジーの受け皿として、三種の神器のようにセットになって機能するようになった。流行作家らしく、その動きを敏感に反映したものだろう。

同じ頃「江戸・東京論ブーム」が到来し、いまに続く「内向き」に拍車がかかった。この動きとB級グルメのつながりについては、だいぶ前に書いた。

2005/03/27
「「江戸東京論」ブームと「B級グルメ」ブーム」

「江戸・東京論ブーム」と「家族」「ふるさと」「下町」も、密接な関係がある。

この三点セットには、いろいろなことがからんでいる。たとえば「人情」「職人」「手仕事」、昔ながらの「折り目正しい暮らし」などなど。

そうして、「家族」「ふるさと」「下町」は、内向きのナショナルなイメージを引きうけてきた。

これは、日本的なものや本物の日本の系譜の「再発見」、つまりは70年代初頭からの「ディスカバー・ジャパン・キャンペーン」の到達点でもあり、新しい段階への突入、と、いまになると見えてくる。

深川育ちが紆余曲折の人生があってのち深川鍋を食べ、深川に生まれてよかった、ありがたく思う。その「深川」は「日本」と互換可能だ。

「本物がある日本」に連なる系譜だけが高く評価される。ようするに系譜論は一元論でもある。

日本にあったはずの本物が見つからなかったら、水でも何でも海外に「本物」を求め、それを日本で味わいながら、「本物の日本が失われた」ことを嘆く。そういう「ナショナリズム」でもある。

昨今のドメスティック志向の圧力は、1980年代中頃から、半端でなく複雑怪奇に積み重なっている。

ところで、『美味しんぼ』15巻の最後は、「究極の裏メニュー」だ。本物がさんざんエラそうにしたあと、本物の足元にもおよばない読者を哀れに思ったのか、「貧乏グルメ大会」が設定される。

参加者のそれぞれのメニューの試食が終わったあと、栗田ゆう子の言葉として、こんなふうなまとめがある。

「みすぼらしくて恥ずかしいようなメニューだけど、だからこそ一層、思い入れがあって大事なメニューなのね……」

そういう言い方はないだろう。

だけど、系譜論には、存在するものそれぞれのはたらきを評価し位置づける視点も方法もない。

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2017/09/25

系譜論のオベンキョウ、『美味しんぼ』。

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料理や飲み食いの本はたくさんあって、まとめてなんと呼べばよいか、「食エッセイ」とか「グルメ本」とかいうことになるか。とりあえず「お店ガイド」のたぐいをのぞき、それに栄養や健康が主なものは含めないでおきたいので、「食文化エッセイ」あたりが妥当かもしれない。どのみちハッキリ区別がつかないことだから、ここでは「飲み食い本」ということにしておこう。

そういう類の本は、とくに1980年代からこちら「バブル」といってよいほど出版され、90年代の不況後は、売りやすい売れるアイテムとして、どんどんつくられ、そのぶん参入もしやすく敷居は下がり、ありていにいえばレベルは下がり、おれのようなものでもほんの少しだが、本を出すまでになった。

そういう分野で、もっとも多いのが、「うまいもの話」と「珍しいもの話」で、これはもう昔から美味珍味を追求する「食通」という人たちがガンバってきた分野で、どこそこのナニナニはうまい、ナニナニはどこそこにかぎる、どこそこにはこんなにめずらしいものがある、といったたぐいだ。

ドコソコとナニナニ、そこに「名人話」「職人仕事話」が加わり、人気な分野なもんだから、たくさんの本が出ている。

ほんと、そういう話が好きな人が多い。

これらの本は、惰性的につくられてきて、「食文化」という学問分野も確立してないこともあって、人気な売れた本が影響力を持ち、それらを「お手本」に新たな著者が自分なりの「視点」や「切り口」で参入する状態が続いている。

その「お手本」というのは、ほとんど、といってよいほど、系譜論からの見方なのだ。

ようするに系譜論が好きな人が多いのだ。系譜論を意識していなくても、素材、本物、手仕事技(人物)、郷土(ドコソコ)、ルーツや系図などなど、系譜論に属する話が好まれる。

その系譜論を具体的に見ていきたいと思うのだが、そのために、まず2冊の本がよいだろう。かなりの影響を及ぼしている本で、ひとつは『美味しんぼ』で、ひとつは吉田健一の『私の食物誌』だ。

不勉強なので、この2冊に対する批評や批判的検討については、あまりしらない。

『美味しんぼ』については、関川夏央が『知識的大衆諸君、これもマンガだ』(文藝春秋、1991年1月)で、「浪費される言葉、空転する工夫 雁屋哲・花咲アキラ『美味しんぼ』」という一項を設けている。

この本は、『諸君!』に1988年1月号から連載のものを母型に手を加えたものだそうだが、『美味しんぼ』の項は、1989年5月が初出で、関川が読んだのは18巻までだ。

「比較的抵抗なく読みおおせたが、ところどころでひっかかった。全篇が、料理材料収集の苦心、料理の工夫と味の形容でほぼ埋め尽くされ、自然素材の礼讃およびマスセールスを動機とする促成大量生産、化学調味料などの使用への嫌悪、というより告発が要所要所のアクセントになっている」

この漫画は「究極」と「至高」のメニューをめぐって、北大路魯山人をモデルにした父と、父をにくむ息子が対決するカタチをとっている。

「読むのにさしたる抵抗のない理由は、ほとんどすべてこの父子対立構図の安定感によっている。また、長く読むうちやがて退屈を誘うのは、グルメを制するにグルメをもってするというやり口のせいである。作者には「エセのグルメ」を「ホンモノのグルメ」が完膚なきまでに打ち砕いて正統を樹てるもくろみがあるのだろうが、料理ごときエセもホンモノもどうでもいいという考えのしみこんだやからには、両者に正邪も曲直もない、ただいたずらな時間と金の浪費のように見えないこともない」

関川は、かつて『水のように笑う』で、「パチンコ屋で出る台をひとに教えられる程度の技術を誇る人間は結局なにものにもなれない」と、グルメ・ブームをリードするたぐいの人たちにかましたが、ここでも関川らしいアイロニーをちりばめている。

「ストーリーテラーの味の形容に対する過剰なこだわりに較べて、このマンガでは絵画上の工夫や冒険はまったく見られない。いかに素材や料理をそれらしく見せるかのみに作画担当者は執心する。すなわちナニガナニシテコウナッタという情報マンガの分を守っている。分を守っているからこそ安定しているのだが、守りすぎているから「うまみ」も「こく」もない」

「自然食品をうんぬんしても、そのコストについては語らず、結局は社会が悪い、悪い社会はどうしようもないから財力を貯えて自然食品を買い続けるという態度は、少なくとも流通不安を呼ばない。この作品もまた八〇年代の明朗なニヒリズムの産物に違いなく、ニヒリズムを雑知識で武装して足れりとする傾きは、現代の日本社会をみごとに体現しているといえる」

関川夏央の引用が長くなった。おれは、マンガの批評ではなく、このマンガに系譜論を見ようとしているのだが、s関川が指摘している、「自然素材の礼讃」や「エセのグルメ」と「ホンモノのグルメ」、「ナニガナニシテコウナッタ」のことは、系譜論と大いに関係があるのだ。

梅棹忠夫『文明の生態史観』(中公文庫)が指摘する系譜論というのは、「素材の由来の問題」であり、ナニガナニシテコウナッタの「要素の系図」や「血統」の問題として文化をとりあげることだ。

系譜論と異なる機能論的な見方では、「素材の由来の問題とは全然関係がない」「それぞれの文化要素が、どのようにくみあわさり、どのようにはたらいているか、ということである」。これは玉村豊男の『料理の四面体』では、料理の構造ということになる。

実際を成り立たせている文化の構造と機能にはふれないまま、自然素材を礼賛し、それを「生かす」仕事を礼賛し、ニセモノとホンモノの違いは、素材の優劣と、それを生かす仕事になるという、無限循環のような話が、『美味しんぼ』では繰り返される。そのパターンが、関川のいう「安定」のもとになっている。

卵の黄身の味噌漬けをつくるのに、味噌の大豆の品種から選び(ドコソコのナニナニ)、もちろん「決定的なのは卵なのだ」。その「初卵」を手に入れるのに、どうするか。「鶏を飼っている人間が、一羽一羽をずっと注意深く見守っていなければ出来ない」

構造や機能を考えない脳は、方法を掘り下げられない、仕事への「態度」や「心」の持ち方が問題になる。完璧な仕事、愛情、丁寧、折り目の正しさ、すべて、最終的に「人」の問題に還元されるのだが、そもそもそこまでして「究極」や「至高」を求めなくてはならないのか。

そこによこたわる不合理や不条理は、追究されることなく、またもや、「本物」に還る。

「料理の技法を云々する以前に、どれだけ本物の材料を求めることが出来るか、それを極限まで追究していって得た物を、後世の者に残し伝えることこそが、「究極のメニュー」なり、「至高のメニュー」なりを作る目的であるはずだ!」と、魯山人をモデルとする人物は、正論風のハッタリをかます。

このあと、「本質を追究せず」「人の心を感動させることは出来ぬ」「人の心を感動させるのは唯一、人の心をもってのみ出来ることなのだ」。もうこうなると料理や飲み食いの話ではなく、道徳や精神のことへと飛躍している。

こういう話が繰り返されると、あたかも、このマンガは「本質を追究」しているようだし、「人の心」を持っているかのようにみえてくる。それほど本気にせず、テキトウに楽しんで読んでいるつもりでも、気がつけば系譜論にとらわれ、ほかの視点について考えなくなる。そもそも「人の心」を持っているはずのものが、人に対してこのように居丈高になっていいものか、と考えることもしなくなる。

なにより、作者がその位置にいるようにみえる。たいがい、系譜論で文化を語る人は、自分は「わかっている人」つまり文化の系譜の上位に位置している、文化的に「上」のクラスという思い込みのようなものがみられる。

系譜論を全面的に否定する必要はないし、歴史をたどる手掛かりにはなるが、系譜論で文化をとらえている人には、ある種の独善が多く見られ、そこがやっかいなのだ。とくに日本のばあいは、儒教的な善悪、上下、長幼などの序列、ま、封建思想ってやつがうだうだとぐろをまいているので、やっかいだ。

書くのがメンドウになったので、ここまで。

ザ大衆食のサイト関連
関川夏央さんのお言葉…クリック地獄

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2017/09/19
毎日新聞「昨日読んだ文庫」。

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2017/04/06

四方田犬彦『月島物語』。

四方田犬彦の本を読んだのは初めてだ。

鬼子母神通りみちくさ市の古本フリマで、タイトルの「月島」にひかれた。パラ見をしたらなんとなく面白そう、値段もたしか300円ぐらいだったので買った。

『dancyu』2014年11月号特集「東京旅行」で、おれは「東京の味って、どんな味?」の文を担当した。取材した店は、麻布十番の「総本家 更科堀井」、浅草の「浅草田圃 草津亭」、東大前の「呑喜」、そして月島の「岸田屋」だった。

「東京の味って、どんな味?」といったところで、この場合、テーマというより、お店を展開し紹介する切り口だから、あまり突っ込んだ内容の原稿にはできないのだが、取材のときは、けっこういろいろ聞いている。

それで、いちばん気になっていたのが、月島の岸田屋だった。ほかの店は、「東京の味」とくくることはできても、「土地」というより「専門料理店」としてのそれになっているが、岸田屋だけが、料理法からして、土地の味といえるようだったからだ。

その特集の岸田屋では、欄外に「1892(明治25)年の月島1号埋立地完成の頃から現在地」「「東京三大煮込み」の一つで有名、その陰に隠れがちだが、魚の煮付など土地に根付いた旨い味がある」と書いている。

では、その「土地」とはどんな「土地」なのか、それは、この本が、すごくうまくまとめている。

月島は佃島に隣接する埋立地だ。「埋立地は語る」では、江戸時代の佃島と隣接する石川島の成り立ち、そして明治になって東京湾の浚渫と埋立が計画され工事が着手され、竣工し「月島」の名が生まれ人が住むようになった経過が書かれている。

月島には、工場と、そこで働く労働者用の住宅が建ち、全国から労働者が流入し、発展した。江戸開府のころ家康の命で摂津の佃から集団入植した佃島とちがい、他所者の島だ。その流れは、著者が住みついたころ、大きく変わりつつあった。「ウォーターフロント」ってやつだ。

著者は、意図したわけではなくイキサツがあって、月島の築60年の三軒長屋に、1988年から94年まで住んだ。その間、雑誌『すばる』1989年1月号から90年7月号に連載されたものを元にまとめ、92年に集英社から発行になった。偶然にも、月島の誕生から100年目のことだ。バブルの最中。

「埋立地は語る」に、こういう話がある。月島の名がついてからは「制度的には」一号地、二号地という区分は「消滅している今日ですら、わたしは古くからの住民が「うちは一号地だから」とか「二号地の方はね」といった口調で、昔ながらの名称をふと用いてしまう場にしばしば出喰わしている」

おれは岸田屋の取材で実際に、三代目の店主である年配の女将さんが「うちは一号地だからね」というのに出喰わした。それで、先に引用の欄外の文章になった。

「うちは一号地だから」には、いろいろなニュアンスがこめられている。と、著者は具体的には書いてないが、おれはこの本を読んで、いろいろな「意味」が蓄積しているのだなあと思った。

佃島と月島の共同体文化の比較は面白い。著者がかつて暮らしたことのある東京の山の手地域のそれがからんで、さらに面白い。ストレンジャー四方田ならではというべきか、さすが比較文化の学者というべきか。

定住者と他所者、共同体意識の農村的と都会的とか、下町ではない月島を「下町」にしてしまう何か、なんでだろう。月島は、東京大空襲で焼けなかったために古い建物が残り、それもあって、「下町ブーム」と共に「下町」の記号を与えられてしまうのだが。

うしろに四方田と川田順造の対談「月島、そして深川」が収録されている。『男はつらいよ』について四方田は、満州からの引揚者である山田洋次の場合「本当の日本人は定住して、農村的な共同体の中で生きているはずだという考え方が前提になっているような気がします。だから、あれは下町というよりも、むしろ、彼が夢に描いた農村だと思うんですよね」

たしかに、あれは「農村的」だよなあ、『男はつらいよ』は、70年代初頭から始まる「ディスカバージャパン」キャンペーンの先駆けとして始まり増幅関係になったと位置付けてみるのも悪くないと思った。農村的共同体の性格は、まだまだ都会でも支配的であるような気がする。個人主義が、成長しにくい。

おれが初めて月島へ行ったのは1972年に間違いない。60年代後半まで佃の渡しがあったところに開通した佃大橋をタクシーで渡り、佃島ではなく月島にある当時の大洋漁業の冷凍工場を併設した冷凍倉庫へ行ったのだ。それから同じ仕事で何度か佃大橋を往復した。この本の「もんじゃ焼と肉フライ」に書かれている、「もんじゃ焼」が子供の駄菓子から大人の世界に変わり始めたころだ。おれは、駄菓子屋のもんじゃ焼も目撃している。

長屋からウォーターフロントのタワーマンションまで、月島は、近代100年の集合住宅の実験場でもあった。著者は、その大きな構造から内部の細部まで観察しているが、「衣裳の部屋」では、忘れそうなことを気づかせてくれる。いまは中途半端な2畳の部屋。かつては表玄関の台所。時代劇ドラマでもときどき見かけるが、長屋では玄関の三和土と同じ空間に台所があったのだ。それは共同の井戸を使用していたことによる。井戸から水道に変わったことで、空間の構造も変わった。

とかとか。「水の領分」では、盛んだった東京の水運と共に生きてきた「水上生活者はいったいどこへ行ってしまったのだろう」。きだみのると月島、吉本隆明の月島も面白かったが、とにかく、住民たちのエピソードなどで語られる「島」と「陸」の関係や、「共同体」と「個人主義」の関係など、ここに住んでみなくては書けないことが多く、興味深く読めた。

そして住んでみた著者は、「この町が日本のモダニズムの政治―社会―文化的な結節点」であるという。

これは、近代に成長した大衆食堂にも共通することがありそう、と思うのだった。

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2016/09/16

中公文庫の9月新刊に獅子文六『私の食べ歩き』と赤瀬川原平『少年と空腹 貧乏食の自叙伝』。

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中公文庫の編集さんからご恵贈の本2冊。ありがとうございました。

今月下旬発行(本の奥付では25日になっている)の獅子文六『私の食べ歩き』と赤瀬川原平『少年と空腹 貧乏食の自叙伝』だ。

帯の文を見て、中公文庫がやってくれた!と思った。

帯の文からして、パワーが違う。

『私の食べ歩き』の帯には、こうだ。

 味覚の批評家なぞという
 最も不幸な批評家になるのは、
 まっぴらご免である。

『少年と空腹』は、こう。

 おかしく、
 切なく、
 懐かしい―――
 グルメの対極をゆく、
 食味随筆の奇書。

そして、獅子文六『私の食べ歩き』の解説は、ナルホドこういう手があったか!の高崎俊夫さん。赤瀬川原平『少年と空腹 貧乏食の自叙伝』の解説は、これはもうトウゼン!の久住昌之さんだ。

この四月に改版が発行されて解説はおれが書いた獅子文六『食味歳時記』に、この二冊が加わって、なんだか、「気取るな!力強くめしを食え!」のパワーがアップした感じだ。

中公文庫、まだまだやってくれそうだ、目が離せないし、大いに応援したい。

読み始めたばかりだから、後日、このブログで詳しい紹介をします。

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2016/04/21
解説を書いた獅子文六『食味歳時記』中公文庫復刊が今日から発売。

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2016/09/01

リトルプレス『北海道と京都と その界隈』。

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北海道の森末忍さんから、『北海道と京都と その界隈』をいただいた。

発行は、札幌の「畠山尚デザイン制作室」であり、森末さんと畠山さんが2人で始めたものらしい。

今年の4月号が創刊で、「その界隈スタッフより」には、「京都好きの北海道人と北海道移住者が、実はデザインする人と編集する人でした。そのまかない飯の持ち寄りみたいな感じで出来上がったリトルプレスが、この「北海道と京都と その界隈」です」「京都と北海道の自分たちの周りにあるネタが中心ですが、少々それ以外も「その界隈」ということで少々混じります」とある。

森末忍さんは、「ディレクター•プランナー•編集者」という肩書だけど、北海道の弟子屈町で「器とその周辺 山椒」という、工房?ギャラリー?ショップ?よくわからない、とにかく八面六臂の活躍をしている方だ。

森末さんとは、インターネットの縁だけで、まだお会いしたことがない。たぶん、そのうち、大宮のいづみやで飲むことになるだろう。

リトルプレスにもいろいろあるが、「何となく本能にまかせて作り始めてしまいました」と森末さんがいうように、いかにもな、狙っている感じやクサイ戦略が臭うことなく、好きに大らかやっているなあという感じが、とてもよい。

この版型は何というのだろう。A3の変形のようなサイズも、大らかでいい。北海道だぞ~、でも京都だぞ~、という感じもある。創刊号の最初の見開きは、「冷やすと、美味しい北海道。」「温めると、美味しい京都。」と広告クリエイティブのような誌面になっている。これも、大らかだ。とにかく、どのページもコセコセしてない。

そのつぎの見開きは、バーンと「すごい人に会いに行く」で、京都の「酒器 今宵堂」の上原連さんと梨恵さんが登場している。

今宵堂は、いろいろなメディアで紹介されている有名店だが、このインタビューは、いままで目にした今宵堂の紹介のなかでも、もっとも今宵堂らしさがわかるし、納得のいくものだった。

とくに、たぶんインタビューの結果を原稿にまとめた森末さんの結びが、効いている。長くなるけど、引用しよう。これで、話の内容も想像つくのではないか。

「楽しくお話を伺った我々は、一緒に鞍馬口の力餅食堂にお昼を食べに行きました。そこには京都の日常があって、真面目に働く人がいて、力強く食事する人がいる。この日常の延長線上に、今宵堂の酒器があるんですね。商いに対する考え方、お客さんとの関係、京都での暮らし方、全てがあの酒器につながっているんですね。/我々はその時、京都の、おふたりの日常に同化できていることが、とても幸せでした。今宵堂の酒器が、さらに好きになった瞬間でした」

ついでだけど、力餅食堂は、京都大阪あたりに何店舗もある、たぶん暖簾分けで増えた古い大衆食堂だ。誌面の今宵堂のおふたりが写っているのも、力餅食堂の前。

「すごい人に会いに行く」のつぎの見開きは、「朝餉 朝めし 朝 ごはん」。弟子屈での朝食が、器と料理と文章で並ぶ。大きな誌面だからできるのだろう、広告デザインとエディトリアルデザインがうまいぐあいに同居しているようなアンバイだ。

この料理と器のセンスが、なかなかのもの。そのわけは、次号、6月号の、「リトルプレス三昧」のコーナーを見るとわかる。このコーナー6月号では、「画家なのかプロデューサーなのか、牧野伊三夫さんの視線」ということで、牧野伊三夫さんの仕事と界隈の話なのだが、そこに、森末さんの奥さんは、船田キミエさんのお弟子さんだったことが書いてあるのだ。

森末さんが牧野さんの存在を知ったのは、『雲のうえ』創刊と同時期に刊行された『酒のさかな』。この本は現在ちくま文庫になっているが、高橋みどりさんが船田キミエさんのレシピを記したもので、牧野さんは、挿絵を描いている。というつながり。

「そこに立つもの」、写真家・酒井広司さんのことばの記録、というのが、すごくよい。ここに載っている写真は、北海道のどうってことない、気にもしないで通り過ぎてしまう、ただの民家や、ただのガソリンスタンドだ。そこに、酒井さんの言葉が散らばっている。

誰が見てもフォトジェニックな対象を写したものや、評判のよい話題にできそうなキャッチーなネタを探し出して書くことは、ごく普通にやられている。

だけど、どうってことないものに、何かを見つける、これは、簡単ではない。普通の普段の暮らしの中にある「大衆食」なんぞを対象にしているおれなんぞが、毎度チャレンジしては悩むところでもあるのだけど、酒井さんの言葉は、大いに刺激になった。

「この北海道という土地が醸し出す、なんかわからないものを、写真という形に表すこと、それが僕の中では写真をやるっていうことになるんじゃないかな」

ほか、「妄想の寺町」「北海道ドライブイン紀行」など、路上観察的にも面白い内容が載っている。

ところで、2号目、6月号の「リトルプレス三昧」の「画家なのかプロデューサーなのか、牧野伊三夫さんの視線」では、牧野さんが関わる、美術同人誌『四月と十月』、北九州市のPR誌『雲のうえ』、飛騨産業のPR誌『飛騨』を写真で紹介しているけど、本文のほうは、これらの紹介ではなく「マキノマジック」の紹介と分析?にあてられている。

そこには、おれの名前も出てくるのだが、「マキノマジック」、面白い。

ということで、大ざっぱな紹介になったけど、『北海道と京都と その界隈』を、ご覧なってください。このサイズで16ページ、500円です。同人も募集していますよ。

こちらに誌面の詳しい紹介などがあります。
https://www.facebook.com/sonokaiwai/

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2016/08/01

「トワイライト・カテゴリー」と食。

008昨日のエントリーで「トワイライト」という言葉が出てきたが、かつてインテリ業界のようなところで「トワイライト・カテゴリー」なるものが流行った。それは流行りで終わらず、時代の変化をとらえる中心的な動きへとなっていくのだが。

いま調べたら、林知己夫さんや坂本賢三さんたちの『あいまいさを科学する トワイライト・カテゴリーへの招待』(ブルーバックス)が1984年だから、そのころの流行りだったか。

おれの記憶では、もうちょっと前から、デカルト主義が「要素還元主義」として批判あるいは検討されたり、いわゆる西洋的な近代合理主義の原理に対して批判的な言説が増え、インドや東洋的な哲学や思想らしきことがヨガや東洋医学といったことで流行りになったり、そういうあれやこれやが、この本で一つの山場を迎えた、という感じの記憶が残っている。

この「トワイライト・カテゴリー」ってのは、昨日のエントリーに書いた、こちら側と向こう側の「橋」とも考えられる。橋は、どちら側でもないし、どちら側でもある、あいまいな存在だ。

当時、おれのすぐ近くというか、一時は経営管理下にあった『談』という雑誌が、このへんのテーマをトコトン扱っていたから、おれは「耳学問」的にあれこれ知ることができた。

『談』は、このあいだ100記念先週号を出したが、[TASC](たばこ総合研究センター)から現在も発行されていて、当時から編集に関わっていたアルシーヴ社の佐藤真さんが編集長をしている。最初は[TASC]の会員向けだったが、インテリ業界の一部で注目され、書店売りがされるようになった。

当時は、「1/fゆらぎ」だの「複雑系」だの、それから「ダブルバインド」など、いろいろな言葉が躍った。おれが一時はまってヤバかった「ホリスティック」だの、ハヤリというのは、ミソもクソも一緒にしながら大きな流れになっていくのだが。

その中で、一つの大きな分野として「からだ、こころ、いのち」がある。この分野は、まだまだアイマイのことが多いし、わからないことのほうが多いのだが、これは、背中あわせに「農」や「食」あるいは「味覚」と深い関係がある。それから、2002年の健康増進法前後から、ますますにぎやかになっている「健康」は、ストレートに関係がある。

『談」では「からだ、こころ、いのち」に関するテーマをたくさん扱っていたが、これが1997年に三冊にまとめられ河出書房新社から発行になった。『談』に掲載の論考から選択され三分冊にまとまっているのだが、一冊目は『パラドックスとしての身体 免疫・病い・健康』、二冊目『複雑性としての身体 脳・快楽・五感』、三冊目『〈構造〉としての身体 進化・生理・セックス』となっている。四冊目に、これらを解読するための『からだブックナビゲーション 身体を知るための5000冊』がある。

「シリーズ身体の発見」とあるが、ウソではない。味覚についてあれやこれやオシャベリしているわりには、その味覚を感じる身体の発見は、新しいことなのだ。そういう興味津々の言説が、いま読んでも極めて新鮮で、あれこれのコンニチ的現象、つまり複雑な動きへの対応は、このあたりから考える必要がありそうだと思う。

ほんのわずかな例をあげれば、『パラドックスとしての身体 免疫・病い・健康』には、波平恵美子さんの「豊かさとしての病」がある。これは、健康増進法がはらむ「優生思想」や、最近起きた津久井の障害者施設の惨殺事件の底流にあることの根本を考えさせるし、警告していたように読める。

からだと私を、どう相対化できるか、どう相対化するのか。あるものを食べて「うまい」と感じた「私」は、どういう「からだ」の人間なのか。ものを食べて、ものや店や、それを作るひとだけを評価するのがアタリマエになっているけど、味覚は相手側と自分側を映し出しているはずなのだ。

というところで用が出来てしまった。この続きは、またそのうち。

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2014/11/14
『談 100号記念選集』

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2016/07/31

「川の東京学」メモ、川本三郎『遠い声』から。

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「詩小説」を謳う川本三郎の掌編集『遠い声』(発行・スイッチ書籍出版部、1992年)は、不思議な味わいの書だけど、東京の川(河)や橋がよく出てくる。

205ページに48の掌編が詰まっていて、その最初の「救済の風景」の書き出しから、「知らない町に行きたかった。まだ一度も行ったことのない町に行きたかった。それもできれば川沿いの町を選びたかった」で始まる。

そして「その町は東京の西を流れる大きな川の河口にあった」と。

この川は多摩川だけど、ほかの掌編に登場の川は、ほとんど「東東京」の川だ。

「救済の風景」の次は、「朝、川へ」だ。このようにタイトルに川や橋がある作品は、「橋」「河を渡ってマジック・アワーへ」「橋からの眺め」というぐあいだが、「救済の風景」のようにタイトルに川や橋がなくても、それらが登場する。

腰帯に、著者が「スイッチ」92年1月号に書いた、こういう文がある。

「ふと路地を曲がった途端に全然いままでと違った風景が出てくるというような、生活の延長にある日常的なファンタジーという意味で、幻影に惹かれるんです」

川や橋は、さまざまなファンタジーをもたらす「装置」のようだ。

「川」をはさんで「こちら側」と「向こう側」があり、その橋渡しとして、「橋」がある。この関係がファンタジーを生み、だけど、リアルと反対の位置にあるファンタジーではなく、それはファンタジーだけどリアルな体験なのだということは、たしかにある。

このあたりのことが、もっとも鮮明に書かれているのが、「河を渡ってマジック・アワーへ」だと思う。

「河を渡ってマジック・アワーへ」では、「電車を二つ乗り換え、東(この「東」に傍点がある)東京から千葉の方に延びている私鉄に乗った。河を見たくなるときはいつもこの電車に乗る」。

この電車は京成成田線だろうけど、「千葉県に入るまで、隅田川、荒川、中川、江戸川と四つの河を渡る。ふだん西東京に住んでいる人間には、河を四つも渡ることはとても新鮮な体験になる。電車が鉄橋を渡るたびにこの都市にはこんなにたくさんの河があったのかと驚く」

そういえば、川の東京学で山本周五郎の「青べか物語」を散歩するために浦安駅で待ち合わせたとき、電車から降りてきた、杉並の中央線のほうに住んでいる瀬尾さんがまず言ったことは、「鉄橋をたくさん渡るんでおどろいた」だった。

「驚き」はファンタジーでもありリアルでもある。どうやら「詩」はこのあたりで生まれるのかなと思うのだが、川と橋があることで、思いがけない風景や驚きと出あえる。

それはともかく、川本さんが乗った電車は、「運河のような隅田川を越える。鉄橋を渡る時の音が耳に心地よかった。「橋」というのは不思議だ。どんな小さな「橋」でもそれを渡ると、違った世界、別の場所に入ったような気がする。"向こう側"に入っていくような気がする」

そして著者は、荒川を渡って最初の小さな駅で降り、商店街をぬけ、荒川の高い土手を駆け上がる。

「視野が一気に開けた。広い河川敷の向こうに荒川のゆったりとした流れがあり、その先にいま電車で通り過ぎて来た町の光が夕暮れのなかで輝き始めていた。河に沿って走る高速道路の照明灯が白い光を放っていた。「風景」というより「パノラマ」だった」

見たことがある。こういう景色、目に浮かぶ。

「荒川の土手から対岸の東京を見ながらいまがその「マジック・アワー」かもしれないと思った」

「マジック・アワー」とは、川本さんが雑誌で知ったカメラマンたちの呼び方で、夕暮れ時、太陽が沈んでしまったあと、残照でまだかすかに明るい時間のことをさす、「短い特別の時間」のことだ。

「トワイライト・タイム」「トワイライト・ゾーン」という言い方もある。夜から昼、昼から夜へと、リアルが別のリアルに変わる時間や空間、どちらでもあってどちらでもない、どちらでもないがどちらでもある。まさにファンタージなのかも知れないが、そこにまた別の真実が見えたりする。

「こちら側」と「向こう側」は、仏教的な用語だと、「此岸」「彼岸」ということになるか。

男と女のあいだには深くて暗い川があったり、2人を隔てる天の川もある。あるいは、スピリチュアルなどにはまってしまった人のことを自分は正常と思っている人は、「向こう岸の人」などと言ったりする。これらは、橋がない状態のようだ。

人と人のあいだに川をつくりたがる人もいれば、橋をかけようとする人もいる。

山﨑邦紀さん脚本監督の作品、たくさんは見てないが、彼のピンク映画には、川や土手や鉄橋が印象深く映像化されている。とくに、題名を忘れたがボーイズラブ系の映画では、利根川の栗橋あたりの映像が印象的で、シッカリ記憶に残っている。

ほかにも、鉄橋を渡る電車のなかで映画が終わる場面があって、それを見たときに、山﨑さんに、なぜ川や土手や橋なのか聞いたら、たしか「此岸と彼岸ですよ」と言われたように記憶している。ある種の隠喩でもあるか。「あちらからこちら、こちらからあちら」というようなことだったと思う。ボーイズラブの人たちのほうが、此岸と彼岸を意識することが多いのかもしれない、その分、世間をいろいろに見ているのかもしれない。

川の東京学、いろいろ刺激的で、おもしろい。

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2016/07/16
川の東京学メモ 「下町はこわかった」。

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2016/06/15

『栄養と料理』がおもしろい。

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気がついたら、3月号から6月号まで毎号いただいている『栄養と料理』がおもしろい。前にも書いたが、いろいろ制約があるだろうなかで、したたかで自由自在なつくりを感じる。

「栄養」や「健康」なんて、ウサンクサイうえに辛気臭くて説教臭い押しつけがましい、ケッ、という傾向のあるおれだが、楽しくまるめこまれそうだ。

かといって、もちろんエンターテーメントではない。地味な生活のことだ。そこを、たとえば、最新6月号は、特集が「認知症に向き合うヒント」だが、ともすれば、重くどよよ~んとなりがちなテーマを、じつに軽やかに深く掘り下げる。

「認知症を知ることは、人間とは何かを知ること」という、これは広告ページのタイトルなんだけど、この雑誌全体が、「栄養と料理」を知ることは、人間とは何かを知ること、という姿勢でつくられているのを感じる。

「認知症の人の食事のとらえ方」を読んでいると、人間というのは、こういう「動物」かとおもう。人間である自分自身のことをよく知らない。いつまでたっても。

認知症の人が「食べない理由」が8つまとまっているのだが、それは、裏を返せば人間が食べる理由へとつながる。たとえば理由の7つ目は、「空腹なのかどうかわからない」とある。そんなことがあるのか。あるのだ。

ならば、いまの自分はどうして空腹を覚えたのだろう、どうして食べられるようになったのだろう、アタリマエに食べていると考えたことがない。考えてみて、なるほどなあとおもう。

そして、「介護疲れで倒れないための らくらくパワーチャージごはん」には、おれが汁かけめしの仲間と見るどんぶりやワンプレートのレシピが、どかーんと載っている。これは、介護疲れにならずとも、日々のパワーチャージごはんとして、やってみたくなる。

というぐあいなのだが、今回、とくに食文化的にヒジョーに興味を持ったのは、「減塩時代の食文化を考える」ってことで「『漬物』はどこへ行く?」という読み物特集を組んでいることだ。これは、なかなかしたたかな編集だ。

『栄養と料理』は、ここのところ「減塩キャンペーン」のようなことを続けている。「フードライター白央篤司の減塩日記」という連載もある。

そして「減塩キャンペーン」の一方で、「『漬物』はどこへ行く?」という特集を組む、このバランス感覚。しかも、この筆者のバランスが、こころにくい。

松本仲子「本来の「漬物」はすでに消滅しています」。熊倉功夫「突破口を探し続けることが重要」、これは漬物の伝統を守るためにということ。一方、政安静子「残るも消えるも、時代の必然」。小川聖子「漬物のあり方そのものが変容」。

減塩げんえんとウルサイんだよ、とおもっているおれも、ついつい読みふけり、漬物と塩と日本の食文化の関係について考えてしまうのだった。

おっと、じつは、そのことではなく、おもしろい連載のことを書こうとしたのだった。

それは、「レシピの変遷シリーズ●「栄養と料理カード」をたどる」というもの。

このカードをご存知の方が、どれぐらいいるだろうか。かつて人気だったカード式レシピの付録。

「栄養と料理カード」とは「『栄養と料理』創刊2号から付録としてついた小さな1枚のカード。材料の分量や料理の手順、火加減、加熱時間、コツなど納得のいくまで試作が重ねられ、カードという使いやすい形で掲載されました。ふりかえるとレシピの変遷が見えてきます。」

女子栄養大学香川昇三・綾記念展示室学芸員の三保谷智子さんが執筆されているのだが、これがおもしろい。

3月号が「カツレツ」、4月号が「卵焼き」、5月号が「ポテトサラダ」、そして6月号が「チャーハン」。どーです、読んでみたくなるでしょう。

もちろんレシピの歴史は必ずしも実際の台所の料理の実態を反映しているわけではないけど、時代と志向や嗜好などの移り変わりが見える。それに、レシピからは、産業と生活の両方が見えてくる。

今回のチャーハンでいえば、1936(昭和11)年12月号では「1人分でごはん350g」だけど、1971年(昭和46)年1月号では「1人分でごはん250グラム」になっている。これが意味するところは大きく多い、いろいろなことが浮かぶ。現在から未来まで。

と、まあ、なかなか読みごたえがあるのだが、さらに6月号では、おっ、とおどろくことがあった。

連載の「食の仕事人」が42回目なんだけど、「政治をもっと身近に!」「食べることで政治を知ろう」と活動している団体「食べる政治」が登場しているのだ。

食べることは政治と直結しているのは確かだ。そして、たいがいその政治を避けるように、よく「飲食の場では政治の話は禁止ね」というかんじが日本的なのだけど、これは良記事。

「食べる政治」のサイトは、こちら。食べ歩き談議や美食談議にうつつをぬかしているだけじゃなく、「食べることで政治を知ろう」。
http://taberuseiji.com/

おれの『大衆めし 激動の戦後史』も、食べることで政治を知るのに役立つよ。民主主義は食べることから、ってことさ。

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2016/02/27
『栄養と料理』で栄養と料理を考えてみる。

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2016/05/31

「つくる!」「なごむー」「たべる!!」大田垣晴子『きょうのごはん』。

001「食生活」については、カタクルシイ話やキマジメな話が少なくない。

だいたい、「生きること」に関わる話というと、ある種のカタクルシさやキマジメさがついてまわる。アバウトやテキトーは、不真面目や手抜きや野暮として非難されかねない。そして、かたくるしくキマジメな戦意がのさばる。おれのようなズボラで大ざっぱな人間は、まことに生きにくい。

これは、日本人のあいだに深層的によこたわっている、茶道や武士道などの「道」の精神というか思想、そして近代のごく日本的な自然主義文学の影響だろうと、おれは決めつけている。とくに日本の食文化をめぐるアレコレを見ていると、そう思う。

しかし、それは権威的権力的に主流であったりするが、世の中いろいろなのだ。そうでなくては、ツマラナイ。

先日、古本で買った大田垣晴子の『きょうのごはん』(メディアファクトリー、2005年)はおもしろい。いい感じだ。

著者独特の画文集だが、腰巻から引用すると、構成はこのようになっている。

「煮る、焼く、漬ける、保存などなど、毎日の食卓に酒のつまみにぴったりなメニューが描かれた『料理道場』。セイコが実際に友人をもてなしたフルコースレシピの『MENU ムニュ オオタガキセイコ特製レシピ』。食にまつわるあれこれを描いた『クイイジっぱり』。家族ごはん4コママンガの『キュウちゃん』」。

日常のひとりめしから「おもてなしごはん」、あるいは外食や旅先の食事などが舞台になる。著者は酒が好きらしく酒のつまみも充実している。

自己流のところもある。自己流を否定しない。

料理は、たいがい「自己流」なものだ。いわゆるプロが示す「基本」「基礎」といわれるものでも、それぞれの系統や系列にしたがって自己流であるし、豊かな文化というのは無数にある自己流のもみあいのなかで育っていくものだろう。

「クイイジっぱり」の「ご飯とみそ汁」では、「わたしは『作るのが好き』でも『片づけ』がヘタ。片づけることを『手間』に思うんです」という。

たいがい料理上手や生活上手を語る人たちというのは、準備から片づけまでカンペキを誇る。細々としたところまで、じつにカンペキでありケッペキなのだ。どこから見ても、清く、正しく、美しい。

その「カンペキ主義」と「ケッペキ主義」が、とてもカタクルシイ。食生活、いや「生活」というのは、そういうものでナケレバナラナイ、というような、ヒジョーに高度で教条的な意識を感じる。

「ご飯とみそ汁」では、だしをとる話で、「何が『手間』と感じるかは人それぞれでしょうが」という。たぶん、人間というのは、「手間」と感じたことを、省略したり要領よくこなしたり、そこに合理的な精神を働かせたりする。そこに文化の違いや個性もあるだろう。「手間」は、その感じ方からして、一様ではない。いまハヤリの「丁寧」も、そういうものだろう。

そのだしをとる画文では、「大ざっぱなだしのできあがり」が描かれている。「大ざっぱ」を否定しない。

全体を通して、「大ざっぱ」が生き生きとしている。作ること、食べることが、かたくるしくならず、のびのびしている。

でも、作るときや食べるときの細かいところも、ちゃんと描かれている。それは、著者が実際にやって気づいたところであって、カンペキを期すための説教ではない。

「あとがき」に、「わたしの『ごはん』の三大テーマ」として、「つくる!」「なごむー」「たべる!!」とある。これもいい。

生活は、昼夜のように、向こうからやってくるものだ。どうせやってくるものならば、どう迎えるか。ってことでもあるのだな。大田垣流、なかなか楽しくおもしろい。

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2016/04/28
「食べる」「つくる」「考える」。

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2016/02/27

『栄養と料理』で栄養と料理を考えてみる。

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『栄養と料理』3月号(女子栄養大学出版部)をいただいてから2週間以上がすぎてしまった。はあ、どうしていつも、なんだかんだ、いろいろ重なるのだろう。とはいえ、いろいろ重なると、重なったからこそ見えてくることもある。今回は、とくに、以前読んだことのある、味覚がらみの資料を集中的に読めたのが、よかった。

味覚や料理に関する本ばかり読んだが、栄養の話は、ほとんど出てこない。というのも、たとえば丸元淑生の『いま、家庭料理をとりもどすには』や『悪い食事とよい食事』などは、味覚や料理の話としてはツマラナイから、最初からはずしてあるからだ。ツマラナイというのはいいすぎで、一度読めば、二度と読む必要がないというほうが正確か。

とにかく、栄養と料理は、けっこう矛盾している関係なのだ。栄養は、料理の片面だけ、あるいは一部だけでしかない。食文化からみれば、料理は食文化のことだけど、栄養そのものは生理であって、食文化ではない。

ただ、栄養に、どういう態度や考えでのぞむかは、文化のことで、これは食文化だけではなく、健康に関する文化や、人生哲学のようなものまで関係する。それは栄養は生理のことだから、生命のことでもあるからだ。つまり、自分の生命=肉体とどう向き合うかは、それぞれの生き方のことが深く関係する。

ところが、いわゆる栄養の専門家のような人たちは、簡単にいえば、人間はみな健康のために生きている、健康のために生きなくてはならない、と、考えているようなのだ。

その態度が、じつに「説教臭く」て、あまりよい印象がない。それに、栄養にからんで、「癌にならないための食事」とか、エセ科学っぽいアヤシイ話も多く、ウサンクサイ印象が蓄積している。おれのなかに蓄積しているだけかもしれないが。

そのイメージが『栄養と料理』にまでかぶって、この雑誌は、昔のクセで、ときたま本屋でパラパラ立ち読みをすることはあっても、買ったことはない。

昔のクセというのは、1970年代は、仕事柄、会社のカネで毎号見ていた。商品開発やメニュー開発や販売促進では、イチオウ目を通しておかなくてはならない雑誌だった。

あのころは『三訂日本食品標準成分表』の時代で、これは仕事で必須だったから、一部は丸暗記するぐらい覚えていた。

ところが、『三訂日本食品標準成分表』は、1963年の改訂版だが、つぎの四訂版が出たのは1982年で、その間、三訂を信じているほうもオカシイのだが、でも、みんなこれを基準に仕事をしていたのだ。で、四訂が出て見たら、三訂とくらべ、100g当たりの成分が大幅にちがっている食品が、けっこうあったのだ。

そりゃまあ20年近くも改訂されてないのだから、とうぜんのことなのだが、おれは、それでアタマにきて、それから、一切、この成分表は見なくなった。こんなアテにならないものを根拠に、ああでもない、こうでもないやってきた自分がバカバカしく、ついでに栄養の専門家たちにも、興味を失った。

そもそも、食物の成分などは、たとえば野菜などは、とれたてとスーパーに売っているようなものとは、ちがう。おなじ魚でも、とれた海によってちがう。

ま、そういう話は、よい。

『栄養と料理』だけど、この雑誌は、健康オタクの一般(女性)誌と栄養業界誌と女子栄養大学PR誌がまざりあったような内容と作りで、この3月号は、おもっていたより、おもしろく読んでしまった。

もくじのつぎの見開き、久間昌史さんの写真と文がよかった。「食を魅せる くまの眼」ってことだけど、写真家の文章というのは、なかなかよいものが多いね。ニンゲンやモノを観察する態度のちがいだろうか。

「「台所遺産」を見に行こう」が、おれもアチコチの遺跡を見に行っているので、興味深かった。

特集「やっぱり気になる!?女のコレステロール」は、更年期を迎える女性に対象をしぼっているので、単なる善悪論でなく、話が具体的で説得力があった。

おれの周辺には、更年期を迎えるか突入しているひとが多いので、おもわずマジメに読んでしまった。説教臭くもなく、押しつけがましくもなく、ようするに「自分の体と向かい合っていくことがとてもたいせつなんですね」ってことで、おわる。では、どう向かい合うかは、栄養学のことではないからだろう。だけど、そのへんがまあ、どうなのか、難しいところを避けて、けっきょく「自己責任」か、という感じでもある。

体の悪いひとは、栄養は切実な問題であるように、日々の仕事や暮らしも健康なひとにはない切実なことを抱えている。コレステロール対策に「運動」があるけど、もともとそれだけ運動できるヒマがあるなら体を悪くしない、というひとも少なくないだろう。

どう自分の体と向かい合っていくか、あるいは、うまいものが食べたいという欲求と、どう向かい合って行くかがないと、やっぱり栄養オタクや健康オタクための話になってしまうような気がする。ってことで、内澤旬子さんの『身体のいいなり』を思い出した。

それはともかく、詳しくは知らないが『栄養と料理』にとって、栄養オタクとか健康オタクは、コアの読者かもしれないが、なんの雑誌でも、課題はコアの読者の外側をどう開拓できるかだろう。

この雑誌をいただいたころは、『ku:nel』のリニューアルをめぐって、一部の人たちがナンダカンダ騒いでいた。どちらかといえばコアな読者だった人たちばかりのような感じだったが。ファンの深情けという感じもあった。

だけど、この『栄養と料理』は、そういう、ギョーカイ人が注目するような、カルチャー誌とかライフスタイル誌とはちがう。そういえば「食はエンターテイメント」の『dancyu』とは対極にある雑誌だ。いまどきの、オシャレな「上質」といわれるデザインの雑誌ではないし、そういう系統のファンなど見向きもしない雑誌だろう。

だけどおれは、もう「本好き」とかいう人たちが好む、ある種のテイストに食傷気味だから、この雑誌の、ちょっとダサイぐらいの大味のデザインに、なぜかホッとするものがある。メイン・ターゲットが50代女性ということだが、おれもトシのせいか、本文の文字がデカイのもよい。ヤボでノビノビした感じは、よいものだ。

それはともかく。栄養と料理という矛盾あるテーマを一緒に謳うなら、やはり、サヴァラン様の『美味礼讃』に立ちかえるのがよいとおもう。この本は、たいがい、文学的な箴言ばかりもてはやされているが、もとのタイトルは『味覚の生理学』であり、生理と栄養と料理と美味の関係などを語っているのだし。「精力」のつく料理の話もあるしね。

なのに、栄養の専門家たちときたら、栄養があるものはうまい、和食は栄養学の理にかなっているとか、食は生命なり、などなど、そういうことをいっていればコトがすむとおもっているのか、なんだか論理は乱暴だし深みがない、だいたいツマラナイ。いったい、サヴァラン様の『美味礼讃』を、どのように読んでいるのだろうかとおもう。

テナことを考えたのだった。

とにかく、健康に関心があるからとか、体が悪いからとかだけではなく、健康な人間でも老化するわけで、つまり肉体の生理は変化するわけで、それと共に味覚も変わるわけで、日々の味覚の愉しみが、どう生理や栄養と関係するかぐらいは、普通に知っておいてよいことが、もっとあるとおもう。十年一日のごとく「体によいから」「体に悪いから」栄養学じゃダメだろう。

とりあえず、本屋で『栄養と料理』を手に取ってみよう。たばこは吸わない方がよい、酒はほどほどに、といったステレオタイプで非文化的な文言を無視して見れば、それなりにナルホドとおもうことがある。でも、栄養学者ってのは……。

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