2021/04/13

「往復書簡」による間口の広さと奥深さ、平松洋子×姜尚美『遺したい味 わたしの東京、わたしの京都』

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「わたしの東京、わたしの京都を遺したい味で綴った本」というのが、この本の中身であり、「わたしの東京」を綴るのは平松洋子、京都を綴るのは姜尚美さんだ。

1月末発行で、その頃、姜さんからいただいた。

姜さんとは、前のエントリーで紹介した『雲のうえ』22号「うどん特集」で初めてお会いした。「うどん特集」は、姜さんとおれとで文を担当したからだ。

身体の調子もあったが、内容が濃いので、読むのに時間がかかった。

単なる「遺したい味」ではないこと、「往復書簡」という方法、「東京」と「京都」、平松洋子と姜尚美という組み合わせ、このあたりは企画レベルのことだろうが、とてもうまくいって、ふくらみがあって奥行きのある内容、「東京」と「京都」の違いはもちろんそのあいだにあることまで浮かんでくる面白さがある。

そびえたっている味、あるいは、そびえたっているように書かれた味ではなく、暮らしと絡みあっている「わたしの」「まちの味」が綴られる。

しかし、「わたし」と「くらし」と「東京」と「京都」の絡みぐあいは、ずいぶん違う。

姜さんは、京都市生まれで京都市で暮らす。平松洋子は、岡山県倉敷市生まれで、大学入学で上京したようだ。

とうぜん「味」も違えば、「味」とのふれあい方も違う。

それらのことによって生まれる、内容の濃さやふくらみは、一人のワザではできないことだ。

東京は新宿のハズレ2丁目にある「隨園別館」は、おれもかつてよく行った店だ。それが「新宿」にあることは自然だったし、行くと必ず食べたそこにしかない「合菜戴帽」も、そこにあるのが自然で、よく考えたことはなかった。そのあたりが、本書で合点がいった。

ご主人の張本さんは、こういう。

「高級な店って、つくろうと思ったら誰でもつくれちゃうと思うんです。でも、歴史の深い店は、すぐには絶対につくれない。みんな高級な方向を向きたがるけれど、うちは飾り気がなくて、ボロだけど味がよくて、歴史を感じる店になりたい」

合菜戴帽は高級な食材は使ってない。したがって、ときどき、家でもそのモドキを作って食べている。モドキであって、あの味には遠いが、うまい。

京都の「平野とうふ」では、姜さんが、こんなことを書いている。これは「ひろうす(がんもどき)」の話に続いてあるのだが。

「京都は分業制のまちです。着物でも、お菓子でも、お香でも、分業制の各段階で究められた仕事が折り重なるようにしてものが出来上がっています。それは「受注部分しか知らない」という分業ではなく、「全体を知りつつ、部分を担う」という分業のあり方です。それぞれの段階の職人が、「最終的にこうなってもああなっても大丈夫」という練度の高い余白を持たせた仕事をした結果、「なんとものういい(なんとも言えずよい)」、濃密な余白を持つものがそこに出来あがるわけです」

なるほどねえ。

「鼻息荒く商うのではなく、むしろ気配を抑えて土地の力に委ねてきた」(グリル富久屋/京都・宮川町)という言葉にも通じるようだ。

鼻息荒く自己主張する仕事がぶつかりあう東京と、京都はだいぶ違うのだが、平松洋子の「わたしの東京」は、けっして鼻息荒くない。

ただ、東京は、全体像がわかりにくくなっているし、余白がすくなくなっている、そういうことも感じる。そこに「わたしの東京」があるわけで。

平松洋子は長く住んでいる西荻窪の「しみずや」というパン屋を綴るときだけ、「わがまち」という言葉を使っている。

姜さんが、自分の暮らしがしみこんだような、分業制の網の目のようなまちを、自転車に乗ったり、あるいは闊歩し、うまそうに食べているようすが目に浮かぶ。

鼻息荒くないデザインと写真もいい。

淡交社 2021年1月30日発行。
デザイン 有山達也、岩淵恵子、中本ちはる(アリヤマデザインストア)
写真 キッチンミノル(東京) 佐伯慎亮(京都)

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2021/04/11

一年ぶりの『雲のうえ』33号に、身体がゆさぶられた。

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きのう紹介した『四月と十月』と一緒に北九州市のPR誌『雲のうえ』33号が届いた。

32号の発行が2月末で、そのあと新型コロナ感染拡大がドンドン進行。たしか最初の緊急事態宣言の最中だったと思うが、編集委員の牧野伊三夫さんと電話で話したときだったか、「雲のうえ、次号どうなります?」と聞いた。なにしろロケハンから本番まで、取材で、すごく動き回るのだから、どうするのだろうと思ったのだ。

そしたら、「これまでの読者からのおたよりでつくる」というような返事があった。

おお、その手があったか。

それが出来あがったのだ。3月末の発行。

編集委員に復活した大谷道子さんによる巧みなラジオのDJのノリのリード文に続き、読者のおたよりが紹介される。という仕掛けもよい。

「特集 皆さまからの おたよりで綴る 「雲のうえから こんにちは」」

――いきなりですが、
岩手県盛岡市在住・56歳女性からのおたよりをご紹介します。タイトルは「忘れていました」。

と、読み上げられる。いや、書き始まる。いや、読み上げられる。

「コロナ騒ぎで、北九州の皆さんも大変だと思います。私もすっかり『雲のうえ』のことを忘れていました。困った状況が続く中にあっても、『雲のうえ』をなんとか続けてほしいと願っています」

――思い出してくださって、ありがとうございます。

このように進行するのだが、本誌は創刊から15年だそうだ。

ほんとに、こんなふうに思い出してもらえるなんて、編集者冥利だろう。表紙の牧野さんによる版画では、アートディレクションを担当する有山達也さんと思われるひとが、おたよりを見ながら涙を流している。ウルウルウル。

そして、読んでいくうちに、おお、そんことが載っていたか、ああ、あそこ行きたいなあ~、と、バックナンバーを探し出し、見入ってしまい、なかなか前へ進まない。

「特別企画 北九州「あの人」はいま」では、18号「北九州市未登録文化財」に登場した、「デコチャリ」少年のイマが。

17歳だった彼は、あれから8年、25歳になり、運送会社に勤めながら、デコチャリから「祖父の持っていた古い軽トラを改造」したりして、現在は愛車2トントラックを改造中。今後の夢を尋ねると、「とりあえずいまの車をコテコテに飾りたい。車をずっと改造するのが永遠の夢……みたいな感じですね」と。

15号から32号までの「おたより」が、号をさかのぼりながら2通ぐらいずつ紹介されたのち、「ああ、懐かしの 北九州 あの店・あの人・あの場所」「『雲のうえ』読者の大意識調査 北九州って どんな街」「人に物語あり、はがきに人生あり 私と北九州」そして、「15年?いやいや100年続けよう 『雲のうえ』にお願い!」とテーマ別に展開する。

順に読んで、「人に物語あり、はがきに人生あり 私と北九州」にいたると、表紙の画のように感動に涙腺が刺激される。ウルウルウル。

「地に足を着けて、しっかり生きていきましょう。そんなことを『雲のうえ』読後に思いました」といったおたよりがもらえるなんて、(たかが)フリーペーパーのPR誌なのに、すばらしいことだと思う。

「100年続けよう」というのも、編集サイドの手前みそではなく、読者の言葉なのだ。そっくり引用させてもらおう。

「やあー、早いもので28号ですか。1号からずっと愛読していますよ。はじめて出したおたよりが掲載されたのが第3号でした。/当時47歳、あれからもう11年、子どもだった、少女だった娘たちもいまや成人して社会人。歳月を感じます。これからも50号、いや、いっそのこと100号を目指して気張ってください。チェストですよ。(福岡県遠賀町・58歳男性)

おれが文を担当したのは、2007年の5号「食堂特集」と2015年(取材は2014年)の22号「うどん特集」だった。おれにとってはめったにない、いい経験をさせてもらったし、わずかでも編集委員や読者や北九州市のみなさんと『雲のうえ』に参加できたことがうれしい。感謝。

悲しいこともあった。

最後のページに、「編集委員より感謝を込めて」では、牧野伊三夫さん、有山達也さん、大谷道子さんがお礼を述べ、そして「お知らせ」があって、前号32号が最後の仕事になった、つるやももこさんが亡くなったことを告げている。

つるやももこさんは、創刊号から編集を担当していた大谷道子さんに替わって、編集委員になった。

今号では、復活した大谷道子さんの文による、「街のうた/街で、ひとり」も復活。しなやかな視線と名調子も円熟期へ。

読者の「おたより」だけでも、楽しく味わい深い、ほんとお得な一冊です。

当ブログ関連
2020/06/13
突然、つるやももこさんの訃報。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/06/post-451eb9.html

 

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2021/04/09

小沢信男―長谷川四郎―平野甲賀―エヴァンゲリエ。

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2021/03/25
今月もおわる。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2021/03/post-041e37.html

に書いたように、3月3日に亡くなられた小沢信男さんにいただい本、『捨身なひと』(晶文社2013年12月20日発行)と『本の立ち話』(西田書店2011年3月6日発行)を読み返したら、どうしても長谷川四郎の作品が読みたくなった。

図書館で検索すると、「シベリヤ物語」や「鶴」など、小沢さんが「ドキュメンタルな小説群」とよぶものは『長谷川四郎全集』で読むしかないようだ。ついでに全部読んでやろう。

全集は書庫入りしていたから、係の方に出してもらった。一目でわかる平野甲賀のブックデザインだった。

平野甲賀は小沢さんのあと、3月22日に亡くなられた。

1巻に収録の「シベリヤ物語」を読んでいたら、「エヴァンゲリエ」という言葉が出てきた。ちょうどネットでは「エヴァンゲリオ」とか「シン・エヴァンゲリオ」とかいう言葉が飛び交っていた。

「ゲリエ」と「ゲリオ」一字違いだが、関係あるのだろうか。「ゲリオ」のほうは、まったく知らないというか、関心がなかった。

「ゲリエ」について、こんなふうに書かれている。

シベリヤに抑留中の「私」は、ある鍛冶工に「あなたは神を信じますか?」という。
彼は「もちろん信じます」
「教会へ行きますか?」
「行きます。しかし、それは古い正教の教会ではありません。あれは堕落したものです。あれは坊主がウオトカを飲む為のものです。私の行くのは普通の家です」
十字架のついていない、普通の家。そこに集まる。坊主などいない。普通の労働者が集まった人たちを指導する。
「そんな宗教があるのですか?何と云う宗教です?」

 「エヴェンゲリエ」と彼は言った。「戦争前からありましたが、アメリカから来たそうです。戦争中アメリカは要求した――政府がこの宗教の邪魔をしたら、アメリカはソビエトの援助をしない、と。それで戦争中にだんだん増えました」
 私は黙って考えた、このアメリカとは何者だろうかと。

「エヴァンゲリエ」とはなんだろう。
ネットの検索では、「ゲリオ」ばかりで、わからない。
アメリカが何者かなんか永遠にわかりそうにない。人種、宗教、思想、武器…などのごった煮だ。

それにしても、長谷川四郎、このリアリスト、このリアリズム。おれは全身をわしずかみにされた。

丁度、この数日、体調優れずごろごろしていたので、1巻は読み終え、いま2巻目の「鶴」を読んでいる。

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2021/01/02

元旦のレターパック。

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昨日、元旦の郵便は年賀状だけと思っていたが、レターパックが届いた。

差出人は伊那の田口史人さんだ。

高円寺・円盤の店主田口さんは伊那に移住し、よくわからないが、円盤&黒猫&リクロ舎の田口史人になった。

という理解でよいのだろうか。

神出鬼没八面六臂の活躍で、おれの理解をこえている。

レターパックを開けると、その活躍ぶりが、ドサッと出てきた。

新年早々、お宝の山。

30人の執筆と作品による「季刊 黒猫」2020年秋号。

ディスク4枚は、入船亭扇里の落語だ。

田口さんの、私小説らしい、『父とゆうちゃん』。

レコード語りシリーズ『青春を売った男達 小椋佳と井上陽水の七〇年代』。

そして、田口さんの初の「食」エッセイ『あんころごはん』。

『あんころごはん』の「ゲスト執筆」に、安田謙一さん、上野茂都さん、おれの名前が並んでいる。

そうそう、だいぶ前に書いた原稿だ。

「厨房が汚い食堂は料理がまずい、か?」

忘れていた。できあがったのだ。

それにしても、田口さん、あいかわらず、すごい馬力だ。

読み応え味わい、タップリつまった、「福袋」。

手紙を読むと、楽しみなことが書いてあった。

うれしい。

いい年明けをよぶパック。ありがとうございました。

伊那も行ってみたいなあ。


『あんころごはん』
黒猫・円盤店主によるはじめての「食」をテーマにした書籍
「味覚は記憶の上に築かれる。私の「美味い!」は、ここにある記憶たちによって作られた。誰にでもある食べ物の記憶たちが走馬灯のように紡がれる」
37本の食話に加えて、ゲスト執筆にて安田謙一、上野茂都、遠藤哲夫のお三方にもエッセイを寄稿していただきました。
装丁:宮一紀
挿絵:三村京子

こちらからお買い求めいただけます。
http://enban.cart.fc2.com/ca29/4406/p-r-s/

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2020/12/27

生と死とめし。

この年末、家の中が明るくなった。物理的に明るくなったのだ。

家を建て引っ越してから12年が過ぎた。蛍光ランプが寿命で暗くなったり点かなくなったりなので、新しい蛍光ランプやLEDに替えた。

室内の大半がLEDになった。明るい。

LEDの仕様を見たら、「計画寿命」が4万時間とある。24時間つけっぱなしでも4年半はもつ。普通の使用状態なら10年以上。

人間には「設計寿命」なんてものはない。生まれたときから、何かを口に入れなくては生きていけない。生と死は隣合わせ、といわれる。

毎日、食べて、何とか死を先延ばしにする。

そのことをうまくいったやつがいる。「やつ」という言葉を敬称として使っているのだが。

ブコウスキーだ。

こんなぐあい。

………
いずれにしても生き延びていくしかないのだ。死はいつも隣にいるが、何とかごまかして、しばらくはおあずけをくわせるのにこしたことはない。
………

詩人らしい、といえるか。『ブコフスキーの酔いどれ紀行』(中川五郎訳、ちくま文庫2017年)にあった(P126)。

同じようなことを、学者が近代医学の成立にふれながら生と死を語ると、こんなぐあいだ。

………
 他方では、生そのものにおける死の不断の進行が、病的プロセスとは区別されるものとして発見される。死が、唯一の絶対的瞬間であることをやめて、時間のなかに分散されるということ。死は、もはや生を外から不意に襲うものではなく、生のなかに配分されているもの、生とのあいだに内的関係を持つものとしてとらえられるようになるということだ。そしてここから、そもそも生の根底には死があるという考え、生とは死への抵抗の総体であるという考えが生まれるとともに、死は、生の真理を語るための視点として役立つものとなる。
………

学者らしい著述、といえるか。

慎改康之著『ミシェル・フーコー ――自己から抜け出すための哲学』(岩波新書2019年)、「第二章 不可視なる可視性 『臨床医学の誕生』と離脱のプロセス」の、2「近代医学の成立――近代医学の誕生」のところにある(P48)。

この本は、ミシェル・フーコーの著書を年代順に読み解きながら、そこに「自己から抜け出すための哲学」を見るという仕掛けになっているのだけど、そのことは置いておこう。

「そもそも生の根底には死があるという考え、生とは死への抵抗の総体であるという考えが生まれる」のは、近代医学の成立の過程であり、そんなにふるいことではない。

いまでも、「生とは死への抵抗の総体である」という考えは、それほど一般的のようには思えない。

ブコフスキーの「死はいつも隣にいるが、何とかごまかして、しばらくはおあずけをくわせるのにこしたことはない」は、どうだろうか。

「おあずけをくわせる」は、死への抵抗だろうと思うけど。

食べることは、「おあずけをくわせる」ことだし「死への抵抗」だ。という考えは、普通の生活ではあまり感じることも認識することもないのではないか。

死を考えることは生を考えることだ、ぐらいまではよくあったとしても、「生の根底には死がある」という考えとは違うようでもある。

だけど、「余命」や「5年後の生存率」が話題になる癌などに罹ると、生きているのは日々めしを食うのは「おあずけをくわせる」「死への抵抗」という実感も認識も、グーンと高まる。

こんなことを書くていどには。

そして、やっぱり、力強くめしを食え!だよね、と思うのだった。

それから、死の視点から、生の真理を考えるように、食の真理を考えられないものだろうかと思っている。栄養とか、健康とか、「最後の晩餐」とかじゃなくて。

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2020/12/23

今年の読書と本。

今年は「本を読んだ」という気分がある。

「必要趣味」と「自由趣味」という軸に従えば、自由趣味の読書が多かったということになるか。

つまり、必要趣味の本は、いくら読んでも、「仕事脳」がぶよぶよし、「読書」の気分ではない。ということになるようだ。

別の軸、たとえば鶴見俊輔がいうような、「文明批評として読む」と「人生の一部として読む」で比べれば、後者の小説が多かったともいえるようだ。

「多かった」といっても、絶対数ではない。おれの小さな日々のなかで、どちらかといえば読書量の少ないなかでの、「ていど」のことだ。

津村記久子の『サキの忘れ物』(新潮社)の発行が6月25日で、7月初めに買って読んだ。これが発火点だった。

面白くて、味わい深くて、しばらくほっておいた津村記久子の本を、手持ちのものから読み返した。

図書館で、『ポースケ』(中央公論新社、2013年)『とにかくうちに帰ります』(新潮社、2012年)『やりたいことは二度寝だけ』(講談社、2012年)を借りて読んだ。

9月になって、図書館で『エヴリシング・フロウズ』(文藝春秋2014年)を借りた。

朝日新聞出版から2012年11月に発行の『ウエストウイング』に登場する「やまだヒロシ」のその後を知りたい、というようなことをどこかの編集者にいわれてこの小説を書いた、というような話を何かで読んだ。もしかすると、『エヴリシング・フロウズ』のあとがきにあったのかも知れない。

とうぜん気になるから、『ウエストウイング』を図書館で借りて読んだ。『エヴリシング・フロウズ』では中3の「やまだヒロシ」は、この本では小学6年生。主要登場人物の一人、あるいは主人公を構成する一人だ。この小説は「場」が主人公のように話が展開する。

とにかく、小学6年生と中学3年生、そしたら高校3年生が気になった。『ミュージック・ブレス・ユー!!』のオケタニアザミだ。これは角川文庫版を持っているから、もう一度、4回目ぐらいになると思うが読んだ。

ついで、大学卒業間近のホリガイを読みたくなった。枕元の本棚から『君は永遠にそいつらより若い』(ちくま文庫)を引っ張り出して、これも何度目になるか、読んだ。

これで、小・中・高・大の、しかも卒業年度のシリーズになる。「シリーズ」とは謳ってないが。

喜寿で癌で先が短くなっているジジイの頭のなかだけ、「青春」がざわざわ。

「青春小説」という言葉がある。中学3年生ぐらいなら引っかかりそうだが、小学6年生は、どうだろう。でも、「青春」になりそうでもある。

図書館で『アレグリアとは仕事はできない』(筑摩書房2008年)を図書館で借りて読んだ。これは、「仕事系」だ。それでまた、手元にある「仕事系」の文庫本『ワーカーズ・ダイジェスト』(集英社文庫)『ポトスライムの舟』(講談社文庫)『カソウスキの行方』(講談社文庫)を読み返す。

同じ頃、図書館の棚の前をふらふらしていたら、四方田犬彦の『ハイスクール1968年』(新潮文庫2008年)が目に止まり、「おっ、青春だ」と借りて読んだ。これはエッセイということになるか。ちょっとはずれた。偶然読んでしまったという感じ。

同じ頃、やはり図書館の棚の前をふらふらしていたら、佐藤亜紀の『スウィングしなけりゃ意味がない』が目に止まった。

佐藤亜紀は『ミノタウロス』 (講談社2007年)を買って読んで以来、ご無沙汰している。パラッと開いて見たら、「青春だ」しかも「ジャズだ」、それもナチの支配下。借りて読んだ。ひさしぶりだが期待を裏切らない佐藤亜紀。これは手元において何度でも読みたい、角川文庫版を買って読み直した。須賀しのぶの解説。面白さとまらず、『ミノタウロス』まで引っ張り出して読み直した。

『サキの忘れ物』は、これまでの到達点、さらに「青春系」「仕事系」をこえ、いろいろな枠組みをこえ、あたらしいこれからのステージのお目見えという感じでもある短編集だ。

その一編のタイトルである「サキの忘れ物」は、新潮文庫の『サキ短編集』。読んだことがない。買ってきた。一度に読むのはもったいないから、病院の待ち時間の読書にしている。21編中4編まで読んだ。

そして、いま、初めての西加奈子を少しばかり。『円卓』(文春文庫、2013年)、小学3年生のこっこ。『漁港の肉子ちゃん』(幻冬舎文庫、2014年)、小学5年生のキクりん。

いやあ、おれとしては、よく読んでいる。

必要趣味のほうは、いろいろだが、目下の関心は、「大衆食」「モダニズム」「民藝(運動)」というあたりのつながりと断絶などを、ポテトサラダで探求することだ。

こうして、新型コロナと癌の年は暮れようとしている。

当ブログ関連
2020/08/16
「食べることを食のマウンティングから切り離したい」
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/08/post-6449ca.html

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2020/12/13

「これが、(いち、に、さん)命なんです」

西加奈子という作家、チョイと気になっていたのだが、初めて読んだ。驚いた。

前の投稿「いのち」にからんでいるところが、どえらく面白かったし。

『円卓』(文春文庫、2013年)。

両親と14歳の三つ子の姉と祖父母と公団住宅の3LDKに暮らす小学3年生の9歳の「こっこ」。彼女の夏休み前最後の学級会のテーマは、「学級で生き物を飼うかどうか」だ。

こっこは生き物が好きで飼いたいが自宅では飼えない。公団だし、家族は多いし。

学級で飼うようにしよう。こっこは提案することにした。

こっこの要求を学級の皆に呑ますためには、どう話したらよいか、賢いぽっさんが知恵を授ける。ぽっさんはこっこと同じ学級、同じ団地のこっこの住まいから声が届く棟に住んでいる。

こっこは興奮しやすい。興奮すると「うるさいぼけ。」と罵倒が始まる。冷静にいけよ。

ぽっさんの知恵は、″「生き物を飼うことで命の有難さが分かる」というような教訓めいたことを提示するのが良い″″決して個人的な嗜好からこのように言うのではないのだ、ということを、皆に分かってもらわねばならない″ということだった。

そのための効果のある話し方を、こっこは何度も練習して臨む。


こっこは何度も練習したそれを、いよいよ始めるのである。
「みんな、手のひらを胸に当ててみてください。」
 皆、こっこの言うとおり、手を胸に当てた。9歳はまだ素直だ。
「心臓が動いているのが、分るでしょう。」
 皆、うなずく。表情、雰囲気、こっことぽっさんの計画通りである。
「これが、(いち、に、さん)命なんです。」
 ぽっさんは、効果を増すために、「これが」と「命なんです」の間を、三秒空けるのが良いだろう、と言った。「なんです」の「す」も、「SU」というより「S」という感じで、空気にゆだねるように。ぽっさん熱心、なぜならぽっさんも、生き物を飼いたいのである。
「命の大切さ、私はみんなと分かち合いたいんです。」
 分かち合う、という言葉、こっこ初めはどうしても「かち割る」と言ってしまっていたほどの無知。だが今はどうだ、美しいHGP明朝Bを、お口からなんぼでも出す。
「生き物を飼うことで、命の大切さが、分ると思うんです。」

なんとまあ、うまいこと書くもんだ。西加奈子、なんていうやつだ。
いや、作家なら、これぐらい言葉について熟知していて当然か。
それにしてもなあ。うまく書くもんだ。
「命」という言葉が持つ神秘性や神々しさが及ぼす影響。個人的な嗜好ではなく、教訓めいたことの提示。

「(いち、に、さん)」
「美しいHGP明朝Bを、お口からなんぼでも出す」

うまいなあ。心憎い、という言い方は、こういうときにぴったりだ。
もしかすると、おちょくったり、皮肉ったりしていたとしても、これでは気が付かないもんなあ。

HPG明朝B、には、気を付けよう。「S」という感じの「です」「ます」調もねえ、けっこうあるけど、おかしいよなあ。

そうなんだよ、「命」という言葉は、こんな表情と雰囲気を持って語られることが多いんだよなあ。

そのように、ひたすら感心したのだけど。
こっこのプレゼンは、うまくいった、そう見えた。が、思わぬことが起き、こっこは「うるさいぼけ。」「うちは、生き物が、飼いたいのんじゃ!」を口走ってしまう。

それはともかく、この小説は、抽象や世界を知り理解していく年齢、10歳前後ぐらいの言葉の世界を、じつにうまく描いていて(8人の家族構成と他の登場人物、それから紅い円卓が、効果的)、うなりまくり。

解説は、津村記久子。それもあって、図書館から借りてきた。

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2020/12/06

『スペクテイター』最新号「土のがっこう」。

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今日のニュースに「東京の不動産投資額が世界首位 コロナで海外資金流入」という大きな見出しがあった。うれしくない、誇れないニュースだ。

土地を不動産価値でしか数えられなくなった日本、その首都の姿。こんな時代だから、まず「土地」を、地球と人類の歴史的資産であり文化的資産である「土」として、見てみよう。その資産を食いつぶしながらの「経済」の姿も、見えるだろう。

「土」を日々生きる視野に入れるのだ。

『スペクテイター』最新号「土のがっこう」は、人が生きていく上で、ということは、食べていく上で、必須のことが詰まっている。これまでこういうテキストがなかったのが不思議なぐらいだが、それが現実だった。

2020/11/19
都市的風景と農的風景の断絶、『スペクテイター』最新号「土のがっこう」。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/11/post-2cfd79.html

に、顔を出してから、なかなか本題に入れなかった。でも、この間にブログに書いていたことは、「土」と学校に関係あることだった。昨日と一昨日に書いた、学校のことは、偶然にテープ起こしが見つかったからだが、自分は小学校や中学校で、どんな教科書を使いどんな授業を受けていたのだろうと考えていた。あまり思い出せない。

自分が卒業したあとの学校世界のことは、ほとんどわからないが、2000年頃に東京都の小中学校で授業を取材する機会があって、いくらかは見えたこともあった。だけど、どんな教科書を使いどんな授業をやっているかは、ほとんど知らない。知らないでも、生きていける。たいがいの大人たちは、そうではないだろうか。

土の中、を知ることは、「生きる」や「価値」を知ることでもあるのだな。とはいえ、「土」がどうして存在するかについての知識もおぼつかない。

「太陽」と「空気」と「雨(水)」と「土」がなければ、人間もあらゆる生物も生きていけない。といわれるが、中でも、「土」が特別なのは、「土」は自然にあったものではなく、マグマが冷えて固まった「岩石」が太陽と空気と雨それに微生物や苔などの作用でできてきた。気が遠くなるほどの時間がかかって「土」ができてきた。とても薄い「土」の層。磁器の釉のようなものか。「土」は、太陽や空気や雨のように人間の生理と直接関わるわけじゃない。あいだに「農」や「農耕」や「食」などの文化が介在する。そして、だから、人間の扱い方(文化)によっては、失われるのもはやい。その循環のどこかが損なわれると、「土」はどんどん失われる。

いま、そのことが問われている。

「1時間め 基調講演 ようこそ!土の世界へ」では、土壌学者の福田直さんが、「土壌教育」の必要性を強調しながら、「学習指導要領でとりあげられた”土”という言葉は、学習指導要領が改訂されるたびに、けずられてきました」と語っている。

おれが子供の頃ですら、まだ多分に農業社会的だったけど、「土」については、学校でちゃんと学んだ記憶はない。では、いったい、何を学習していたのだ。

学校教育も実生活の舞台も、どんどん「土」から離れていった。おれも、東京に出てからは、どんどん「土」から離れていった。

少しばかり「土」と縁ができて日々の「視野」に入ってきたのは、80年前後ぐらいからだ。ある旧財閥系の園芸会社の仕事を請け負ったことで、「土づくり」や「種苗生産」といったことに接する機会があったし、自分でも実際に小さい畑を耕し肥料を施し、じゃがいもやサヤエンドウを育てたりした。

「脱工業化」や「エコロジー」な時代背景もあり、だんだん「土」や「自然」へ傾斜していった。高校のときから登山をやっていたから「自然」とは親しかったようだけど、そういう「自然」と「土」の「自然」は、チョイと違う。いや、かなり違う。

「毎日うんこと泥をこねくりまわしていますよ」

あんぱんの皮のように日焼けした顔をほころばせながら、そういうショウさんのことを、「土のがっこう」を読みながら懐かしく思い出した。

ショウさんは、土壌浄化法による下水処理施設の工事(この仕事でうんこと泥をこねくりまわしているのだ)と自然農を営んでいた。おれが初めてあったのは、1989年か90年頃で、自然農法は始めたばかりの頃だった。

おれはショウさんの家に「下宿」して仕事をしていた。周囲には、「無農薬有機栽培」なんて謳わなくても、先祖代々それが当たり前の農林業家などがいて、何人もの人たちと交流があった。

その一人がクリさん。「自然は、わたしたちがやったことに必ず応えてくれます。自然に聞きながらやるんですよ。無理はいけないし、自然に逆らうおかしなことはいけない」といった。彼は、農林業を学ぶための国立大学と大学院6年間以外は、ずっとその土地で生きている。彼の林や田畑は、見ただけでわかると誰もがいったし、素人のおれでもわかった。当時、無農薬有機栽培の野菜は農協が引き取ってくれず、販売ルートで困ることが多かったのだが、彼の野菜は仲買人が競って買い求め市場でも高値がついた。

「土」「農」「有機栽培」「無農薬」「減農薬」「自然農法」「慣行農業」…などについて学ぶことが多かったが、なにより、生き方やモノゴトの見方について、いろいろ学んだ。以前、このブログでも時々書いている。

ま、とにかく「土」も「土いじり」も面白いね。けっこう興奮するし。「土」のぬくもりは、癒しになるし。

いまは小さな庭の水やりていどで、「土いじり」ってほどはやってないが、近所には畑がけっこうあって、毎日「土」を見ている。あの、ふかふかした「土」の顔は、見ているだけで気持が和む。

まずは、「土」を知り、「土」に親しむ。

もくじだけ紹介しておこう。

最初の扉に、「土」の文字が、どのような意味と歴史で成り立っているか解説がある。知らなかった。これだけでも得した気分。

◆イントロダクション

土のせかいは、おもしろい 文/編集部 イラスト/河井克夫

◆基調講演 ようこそ! 土の世界へ

講師/福田直 インタビュー構成/編集部 イラストレーション/相馬章宏

◆学習まんが 土ってなんだろう?

作画/河井克夫 原作/福田直 構成/編集部

「土と日本人」
「土と人類」
「土壌侵食って何?」
「土と教育」
「土と有機農業」
「2008年以降」

◆ロング・インタビュー 土からのメッセージ

取材・構成/編集部

橋本力男「堆肥づくりは 感性の扉」

小泉英政「土から見えたものは」

◆土と仕事

土に救われた僕
文/モリテツヤ

土いじりを仕事にするまで
文/高谷裕一郎

土から教わる、おいしい哲学
文/齊藤はるか

野菜ジュースと堆肥
文/コウ ノリ

一〇〇〇の用途のある粘土
文/川内たみ

◆土と生活

《わたし》は土に還れるか? ──離れ小島でメンドリと暮らす
文/よしのももこ イラスト/ブックン

◆「恵みの土」
マンガ/まどの一哉

◆土の図書館

「土のまわり編」文/桜井通開
「土のいじん編」文/横戸茂

http://www.spectatorweb.com/


当ブログ関連いくつか

2017/08/14
有効微生物群(EM)の初期の資料。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2017/08/post-3440.html

2009/02/12
みんなで農業、いのちと〝農〟の論理。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2009/02/post-bc2c.html

2008/09/17
百姓になって3年、毎日出荷の休日なし愛媛・西条市「有機菜園 藤田家族」。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2008/09/3-2810.html

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2020/11/27

『dancyu』と「男の料理」。

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たまーに『dancyu』に書いたこともあってか、毎号送られてくるので恐縮している。

今月6日発行の12月号は「創刊30周年記念大特集「おいしい店」100軒」であり、予告によれば12月発行の1月号も30周年特集だそうだ。

30周年記念特集を組むにあたり、編集部では「30周年記念アンケート」を行い、おれにも回答の依頼があったのだが、辞退させてもらった。体調があまりよくなく、モノグサなうえに考えるのも面倒な気分だったこともある。毎号お送りいただきながら付き合いの悪いことで、こういうことだから、出版社との関係もドンドン切れていく。もともと「業界人」の自覚が低いし。

それはともかく、この特集に、「創刊30年分の座談会」というのがあって、創刊の頃を語っている。座談会のメンバー4人の中に、創刊当時からの編集部員が2人いて、5代目編集長の里見美香さん(現在も編集部員で、おれも一緒に仕事をしたことがある)と6代目編集長の町田成一さんだ。他の2人は現在の編集長の植野広生さん(創刊当時はライターとして執筆)と1997年に発行元のプレジデント社入社の藤岡郷子さん(2度ほどだったかな?一緒に仕事をした)。

「創刊号が発売されたのは1990年の12月6日。当時はバブル真っ盛りで、男性の趣味の雑誌をつくろうというのが、そもそも発端だったと聞きました」と里見さん。

そうそう、幹部ビジネスマン相手の『プレジデント』を発行する出版社が、読者の余暇利用をねらって出したというような話を聞いたことがあると、おれは当時を思い出した。

どこかに書いたと思うが、1977年11月に「男子厨房に入ろう会」というのが発足し、その略称が「だんちゅう会」だった。それとの直接の関係は知らないし、座談会でもその会のことは語られてない。

「だんちゅう会」については、発足当時、食品メーカーのPR誌の編集をしていた知り合いが取材して、割とカタイ会社の管理職が多いというような話を聞いた覚えがある。

「だんちゅう会」の発足のあと翌年か翌々年に、「男子厨房に入ろう」を押し進めるように、『週刊ポスト』の「男の料理」の連載が始まった。巻末カラーグラビア。それが大当たりして続いた。

「だんちゅう会」は、料理店の料理人に料理の「作り方(レシピ含み)」を教わることをしていたし、『週刊ポスト』の「男の料理」も同じようなことをし、かつ作家の手料理なども紹介していた。ようするに単なるお店紹介ではなく、男が趣味の時間を使って作る料理、ということをタテマエにしていたといえる。

『dancyu』も、そういうセンだったと思う。座談会で藤岡さんは「創刊から読み返していたんですが、創刊3~4年はだいたいお店で料理を習って、店紹介がその後にちょぼちょぼと続く感じ」といっている。

『dancyu』には何回か登場し、この特集にも登場するある店を取材したことがあるが、昔は取材の時には「謝礼」をもらった、と、お店の方がいっていた。金額も聞いたけど、悪くない額だった。それが当然といえば当然だろうけど、いつごろからか「立場」が変わってしまった。

70年代後半、高度経済成長後の日本は「レジャー(余暇利用)」がブームになり様々な展開を見せていたが、『週刊ポスト』は、そこへ「男の料理」を持ち込んで広げた。キャッチーな言葉だった。発行部数からしても、別冊や単行本も売れたことからも、その影響は大きかったと思うが、では、どれぐらいの男たちが実際に台所に立ったかというと、こころもとない。ましてや「男の料理」という概念は問題ないかといえば問題大いにありそうだし、実態は別の動きをしていて、それとのギャップが大きいと思う。

ま、出版やメディアの表層と実態はギャップがあるものなので、そこをぬきに議論をすすめるとおかしなことになるのは、「男の料理」も同じ。読んで見てオシャベリして楽しんでオワリ、というのが料理や飲食に関しては珍しくない。

以前に、書評のメルマガで「食の本つまみぐい」を連載していたとき、津村喬の『ひとり暮らし料理の技術』(野草社1980年7月)を紹介した。この本の最初の出版は「男子厨房に入ろう会」の発足と同じ1977年だが、「男の料理」ではなく「ひとり暮らし」としたところに、真実性がある。趣味ではなく生活のことだった。

けっこう話題になり売れたのは、著者は、いわゆる「団塊世代」で、かつ当時の同じ世代の「カウンターカルチャー」系の若者から支持があったことが関係していると思われる。この本の読者は、余裕の趣味のために読んで楽しんでオワリというのとは傾向が違い、生活実践の思想と技術として、活用した可能性が大きい。

「戦後民主主義」の標本のように見られる「団塊世代」、それから「カウンターカルチャー」系にしても、料理や台所に立つということについては、簡単ではなかったはずだ。日々の料理や台所は「女」が担うものという「習慣」は根強く、戦前そのままの思想が70年代でも主流だった。

だからこそ「男の料理」がキャッチーであり、話題になったともいえる。

「男」が自然に台所に立ち料理をするようになるのは、学校の家庭科教育が「男」も「女」も「人として」同じように扱うようになってからといえるのではないか。

そこへ学校教育が向かったのは、いつからだろう?調べてみたことはないが、「男女共同社会」が政策として推進される2000年頃からか。いまの30代前半以下ぐらいの「男」と話すと、変化を実感する。

『dancyu』30周年、出版も大変な時代だった。おれの考えとはいろいろ異なる雑誌だけど、よく続いたし、もっと続いてもらいたい。

この30年の間に、生活と料理をめぐる環境も言説も、かなり変わった。まだ変わっている最中だ。どこへ行くのだろう。

「男」でも「女」でもなく「人として生きる」ところに料理は存在してきた。いつ「男の料理」なんていう言葉が死語になるのだろうか。

ザ大衆食のサイト
書評のメルマガ08年12月18日発行 vol.389
■食の本つまみぐい
(30)自分で食べるものは自分でつくる食の「自主管理」を主張
 津村喬『ひとり暮らし料理の技術』野草社、1980年7月
http://entetsu.c.ooco.jp/siryo/syohyou_mailmaga389.htm

当ブログ
2017/06/30
『dancyu』をふりかえる。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2017/06/dancyu-e433.html

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2020/11/26

またもや、いまさらながら残念、坪内祐三。

2020/10/02
いまさらながら残念、坪内祐三。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/10/post-67393b.html

を書いてから、坪内祐三のことが気になっていた。

図書館の坪内祐三の棚には何冊かの本がある。パラパラ見ていたら、『右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない』(幻戯書房)に、おれの脳ミソが反応したので借りてきた。

第1章 戦後論壇の巨人たち
第2章 文藝春秋をつくった人びと
第3章 滝田樗陰のいた時代
第4章 ラディカル・マイノリティの系譜
第5章 「戦後」の終わり

脳ミソに引っかかったのは「戦後論壇の巨人たち」だった。

もくじに並んだ名前。

福田恆存、田中美知太郎、小林秀雄、林達夫、大宅壮一、三島由紀夫、小泉信三、花田清輝、唐木順三、竹山道雄、中野好夫、橋川文三、河上徹太郎、中野重治、鮎川信夫、竹内好、桑原武夫、宮崎市定、葦津珍彦、清水幾太郎、羽仁五郎、臼井吉見、山本七平、丸山眞男

懐かしい人たち。おれが高校生の頃(1959年以後)から1970年代に、『中央公論』『文藝春秋』『世界』などなどの雑誌で読むことが多かった人たち。何人かは本も読んだし、いまも持っている本もある。

こういった人たちについて書くだけでも、なかなかすごいじゃないか、書ける人がいたのかと思った。

「巨人」かどうか、おれは判断できないけど、その存在が大きかったのは確かだし、「言論」の世界は面白かった。

いまどきの「言論」はツマラナイね。そう思うようになったのは、1980年代になってからだ。

浅田彰がもてはやされ、とくに『朝日ジャーナル』が「若者たちの神々」の連載を始めた頃から、「言論」や「言論」を扱う雑誌などはツマラナイものになった。「言論」な雑誌も読まなくなったし、新聞にも興味が失せていった。

おれが「若者たち」に含まれない年齢になっていたこともあるかもしれない。

1983年、おれは40歳になっていた。1958年生まれの坪内祐三は25歳で、浅田彰は1957年生まれ。

「若者たちの神々」は、ネットで調べたら、1984年から1985年にかけての連載だったようだ。1回目の登場は浅田彰、2回目は糸井重里、3回目は藤原新也…。

「神々」と「巨人たち」を比べるのは乱暴とは思うが、80年代を通して「言論」の世界は変貌した。

『右であれ左であれ、…』の各章の始めには、「この章について」という著者による「解説」のような文がある。

「戦後論壇の巨人たち」は、戦後五十年を迎えた1995(平成7)年の翌年の7月号から始まった『諸君!』の連載をまとめた。

「連載期間は二年。つまり二十四回だ。/私はまず二十四人をリストアップして行った。/生きている人ははずそう。亡くなった人だけにしよう(だから連載開始時はまだ丸山眞男はリストアップされていなかった」

「何を以て「論壇人」と見なすかは意見の分かれる所だが、例えば私は中野重治、中野好夫といった文学者のダブル中野も「論壇人」であると考える(ただし、この連載中、同誌編集部の某男子編集者――のちに編集長となる――から酒場で何故山本健吉が入らないんですかとしつこく問い掛けられた時は心の中でこのアホと思った)」

司馬遼太郎についてこういっている。

「当時の私は司馬遼太郎のことをあまり高く評価していなかったのだ。今もその評価にはあまり変わりはないが、彼をはずしてしまったのはやはりバランスに欠けたかと思っている」

著者の選択の基準がなんとなく見えてくる。

本書は、2018年1月の発行だ。

「連載終了から十九年数ヵ月。つまり約二十年。その間に亡くなっていった人も数多い」と、この人たちをあげている。

藤原弘達、江藤淳、山本夏彦、林健太郎、小田実、加藤周一、梅棹忠夫、谷沢栄一、吉本隆明、山口昌男、大西巨人、鶴見俊輔、阿川弘之、渡辺昇一。

そして最後にこう書く。

 この国には知識人がもう殆ど残っていない。
 しかも、まったく補填されていない。
 その状況を考えると私は恐ろしくなってしまう。
 かつての左翼と右翼という対立に変わって今、サヨとウヨという言葉がある。サヨであれウヨであれ、そんなことはもはやどうでもよい。
 事態はもっと深刻なことになっているのだ。
 三十年後、いや二十年後、この国は存在しているのだろうか。

ここから、著者の考える「国」や「知識人」を読むこともできるが、なんと悲観的で絶望的な。

まあ、しかし、「活字文化」の時代から主流を担ってきた新聞社や大手中堅の出版社のメディアのアリサマを見れば、うなずけないことはない。

「戦後論壇の巨人たち」は、簡単な仕事ではない。これからこの種の仕事をやれる人は出てくるのだろうか。

「戦後」なるものや「55年体制」といわれるものが終わろうとしている時代に、坪内祐三が生きていて、この仕事を残してくれて、うれしい。おれはよろこんで読んだ。

おれのようなものがよろこんだところでどうもならんが。

坪内祐三には、もっと生きて、この仕事を続けてほしかった。ってことで、またもや残念がっている。

おれのようなものが残念がったところでどうにもならんが。

第4章の「鶴見俊輔氏に聞く――アメリカ左翼知識人の孤独でフェアな表象」は、著者も書いている通り、鶴見俊輔と著者の話が微妙にかみあっていなくて面白く、声を出して笑った。

「あとがき」で、ツイッターをしてないが、眺めることはあって、「そしてとても悲しい気持ちになる」という。

「何故なら、ツイッターの言葉には文脈がないからです。しかも、その文脈のない言葉が、次々とリツイート(拡散)されて行く。」と。

そして、こう述べる。

「本や雑誌に載せる文章には文脈が必要です。いや、文脈こそが命だと言っても過言ではないでしょう。/そういう媒体(雑誌)が次々と消えて行く。これは言葉の危機です。」

ツイッターについては、その通りだと思うが、かといって雑誌の文章は文脈を大事にしているかというと必ずしもそうではないと、おれは思う。

自らの思想を突きつめてこそ、文脈ができ、文脈で考え、文脈で言葉を選び、文章ができあがる。

だけど、思想を問うことすらしないで、言葉を使うことが多くなった。「思想」を嫌ったり避けたりする人も少ない。

それはネットの世界のように、スピードがものをいう言葉の消費が多くなったこともあるだろう。「知識」や「言論」はファッション化し、情報価値の尺度で測られ、「新しい」ことが価値になった。

より「わかりやすく」、より「心地よく」、消費される言葉。

「文章の質」などが話題になっても、文芸的なテクニックのレベルであって、思想が問い詰められることはない。最初から思想が希薄なのだ。

その思想の希薄さは、雑誌の文章でもよく目にする。「飲食」の分野などは、そういうもので満ち満ちている。

と、おれは思っている。

坪内祐三は、この本でも、何度か自分は「保守」だといっている。「保守」は「革新」と対や天秤で語られるが、坪内祐三の「保守」は、それより、「ブルジョワ自由主義」の良質な部分を継いでいるように感じる。自由、公平、人として「まっとう」。

そういう「思想」がメディアからも失われていく時代。「私はギリギリで間に合いました。つまり雑誌で自分の考えを述べることが可能でした」と「あとがき」に書き残して、坪内祐三は死んでしまった。

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