2016/09/16

中公文庫の9月新刊に獅子文六『私の食べ歩き』と赤瀬川原平『少年と空腹 貧乏食の自叙伝』。

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中公文庫の編集さんからご恵贈の本2冊。ありがとうございました。

今月下旬発行(本の奥付では25日になっている)の獅子文六『私の食べ歩き』と赤瀬川原平『少年と空腹 貧乏食の自叙伝』だ。

帯の文を見て、中公文庫がやってくれた!と思った。

帯の文からして、パワーが違う。

『私の食べ歩き』の帯には、こうだ。

 味覚の批評家なぞという
 最も不幸な批評家になるのは、
 まっぴらご免である。

『少年と空腹』は、こう。

 おかしく、
 切なく、
 懐かしい―――
 グルメの対極をゆく、
 食味随筆の奇書。

そして、獅子文六『私の食べ歩き』の解説は、ナルホドこういう手があったか!の高崎俊夫さん。赤瀬川原平『少年と空腹 貧乏食の自叙伝』の解説は、これはもうトウゼン!の久住昌之さんだ。

この四月に改版が発行されて解説はおれが書いた獅子文六『食味歳時記』に、この二冊が加わって、なんだか、「気取るな!力強くめしを食え!」のパワーがアップした感じだ。

中公文庫、まだまだやってくれそうだ、目が離せないし、大いに応援したい。

読み始めたばかりだから、後日、このブログで詳しい紹介をします。

当ブログ関連
2016/04/21
解説を書いた獅子文六『食味歳時記』中公文庫復刊が今日から発売。

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2016/09/01

リトルプレス『北海道と京都と その界隈』。

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北海道の森末忍さんから、『北海道と京都と その界隈』をいただいた。

発行は、札幌の「畠山尚デザイン制作室」であり、森末さんと畠山さんが2人で始めたものらしい。

今年の4月号が創刊で、「その界隈スタッフより」には、「京都好きの北海道人と北海道移住者が、実はデザインする人と編集する人でした。そのまかない飯の持ち寄りみたいな感じで出来上がったリトルプレスが、この「北海道と京都と その界隈」です」「京都と北海道の自分たちの周りにあるネタが中心ですが、少々それ以外も「その界隈」ということで少々混じります」とある。

森末忍さんは、「ディレクター•プランナー•編集者」という肩書だけど、北海道の弟子屈町で「器とその周辺 山椒」という、工房?ギャラリー?ショップ?よくわからない、とにかく八面六臂の活躍をしている方だ。

森末さんとは、インターネットの縁だけで、まだお会いしたことがない。たぶん、そのうち、大宮のいづみやで飲むことになるだろう。

リトルプレスにもいろいろあるが、「何となく本能にまかせて作り始めてしまいました」と森末さんがいうように、いかにもな、狙っている感じやクサイ戦略が臭うことなく、好きに大らかやっているなあという感じが、とてもよい。

この版型は何というのだろう。A3の変形のようなサイズも、大らかでいい。北海道だぞ~、でも京都だぞ~、という感じもある。創刊号の最初の見開きは、「冷やすと、美味しい北海道。」「温めると、美味しい京都。」と広告クリエイティブのような誌面になっている。これも、大らかだ。とにかく、どのページもコセコセしてない。

そのつぎの見開きは、バーンと「すごい人に会いに行く」で、京都の「酒器 今宵堂」の上原連さんと梨恵さんが登場している。

今宵堂は、いろいろなメディアで紹介されている有名店だが、このインタビューは、いままで目にした今宵堂の紹介のなかでも、もっとも今宵堂らしさがわかるし、納得のいくものだった。

とくに、たぶんインタビューの結果を原稿にまとめた森末さんの結びが、効いている。長くなるけど、引用しよう。これで、話の内容も想像つくのではないか。

「楽しくお話を伺った我々は、一緒に鞍馬口の力餅食堂にお昼を食べに行きました。そこには京都の日常があって、真面目に働く人がいて、力強く食事する人がいる。この日常の延長線上に、今宵堂の酒器があるんですね。商いに対する考え方、お客さんとの関係、京都での暮らし方、全てがあの酒器につながっているんですね。/我々はその時、京都の、おふたりの日常に同化できていることが、とても幸せでした。今宵堂の酒器が、さらに好きになった瞬間でした」

ついでだけど、力餅食堂は、京都大阪あたりに何店舗もある、たぶん暖簾分けで増えた古い大衆食堂だ。誌面の今宵堂のおふたりが写っているのも、力餅食堂の前。

「すごい人に会いに行く」のつぎの見開きは、「朝餉 朝めし 朝 ごはん」。弟子屈での朝食が、器と料理と文章で並ぶ。大きな誌面だからできるのだろう、広告デザインとエディトリアルデザインがうまいぐあいに同居しているようなアンバイだ。

この料理と器のセンスが、なかなかのもの。そのわけは、次号、6月号の、「リトルプレス三昧」のコーナーを見るとわかる。このコーナー6月号では、「画家なのかプロデューサーなのか、牧野伊三夫さんの視線」ということで、牧野伊三夫さんの仕事と界隈の話なのだが、そこに、森末さんの奥さんは、船田キミエさんのお弟子さんだったことが書いてあるのだ。

森末さんが牧野さんの存在を知ったのは、『雲のうえ』創刊と同時期に刊行された『酒のさかな』。この本は現在ちくま文庫になっているが、高橋みどりさんが船田キミエさんのレシピを記したもので、牧野さんは、挿絵を描いている。というつながり。

「そこに立つもの」、写真家・酒井広司さんのことばの記録、というのが、すごくよい。ここに載っている写真は、北海道のどうってことない、気にもしないで通り過ぎてしまう、ただの民家や、ただのガソリンスタンドだ。そこに、酒井さんの言葉が散らばっている。

誰が見てもフォトジェニックな対象を写したものや、評判のよい話題にできそうなキャッチーなネタを探し出して書くことは、ごく普通にやられている。

だけど、どうってことないものに、何かを見つける、これは、簡単ではない。普通の普段の暮らしの中にある「大衆食」なんぞを対象にしているおれなんぞが、毎度チャレンジしては悩むところでもあるのだけど、酒井さんの言葉は、大いに刺激になった。

「この北海道という土地が醸し出す、なんかわからないものを、写真という形に表すこと、それが僕の中では写真をやるっていうことになるんじゃないかな」

ほか、「妄想の寺町」「北海道ドライブイン紀行」など、路上観察的にも面白い内容が載っている。

ところで、2号目、6月号の「リトルプレス三昧」の「画家なのかプロデューサーなのか、牧野伊三夫さんの視線」では、牧野さんが関わる、美術同人誌『四月と十月』、北九州市のPR誌『雲のうえ』、飛騨産業のPR誌『飛騨』を写真で紹介しているけど、本文のほうは、これらの紹介ではなく「マキノマジック」の紹介と分析?にあてられている。

そこには、おれの名前も出てくるのだが、「マキノマジック」、面白い。

ということで、大ざっぱな紹介になったけど、『北海道と京都と その界隈』を、ご覧なってください。このサイズで16ページ、500円です。同人も募集していますよ。

こちらに誌面の詳しい紹介などがあります。
https://www.facebook.com/sonokaiwai/

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2016/08/01

「トワイライト・カテゴリー」と食。

008昨日のエントリーで「トワイライト」という言葉が出てきたが、かつてインテリ業界のようなところで「トワイライト・カテゴリー」なるものが流行った。それは流行りで終わらず、時代の変化をとらえる中心的な動きへとなっていくのだが。

いま調べたら、林知己夫さんや坂本賢三さんたちの『あいまいさを科学する トワイライト・カテゴリーへの招待』(ブルーバックス)が1984年だから、そのころの流行りだったか。

おれの記憶では、もうちょっと前から、デカルト主義が「要素還元主義」として批判あるいは検討されたり、いわゆる西洋的な近代合理主義の原理に対して批判的な言説が増え、インドや東洋的な哲学や思想らしきことがヨガや東洋医学といったことで流行りになったり、そういうあれやこれやが、この本で一つの山場を迎えた、という感じの記憶が残っている。

この「トワイライト・カテゴリー」ってのは、昨日のエントリーに書いた、こちら側と向こう側の「橋」とも考えられる。橋は、どちら側でもないし、どちら側でもある、あいまいな存在だ。

当時、おれのすぐ近くというか、一時は経営管理下にあった『談』という雑誌が、このへんのテーマをトコトン扱っていたから、おれは「耳学問」的にあれこれ知ることができた。

『談』は、このあいだ100記念先週号を出したが、[TASC](たばこ総合研究センター)から現在も発行されていて、当時から編集に関わっていたアルシーヴ社の佐藤真さんが編集長をしている。最初は[TASC]の会員向けだったが、インテリ業界の一部で注目され、書店売りがされるようになった。

当時は、「1/fゆらぎ」だの「複雑系」だの、それから「ダブルバインド」など、いろいろな言葉が躍った。おれが一時はまってヤバかった「ホリスティック」だの、ハヤリというのは、ミソもクソも一緒にしながら大きな流れになっていくのだが。

その中で、一つの大きな分野として「からだ、こころ、いのち」がある。この分野は、まだまだアイマイのことが多いし、わからないことのほうが多いのだが、これは、背中あわせに「農」や「食」あるいは「味覚」と深い関係がある。それから、2002年の健康増進法前後から、ますますにぎやかになっている「健康」は、ストレートに関係がある。

『談」では「からだ、こころ、いのち」に関するテーマをたくさん扱っていたが、これが1997年に三冊にまとめられ河出書房新社から発行になった。『談』に掲載の論考から選択され三分冊にまとまっているのだが、一冊目は『パラドックスとしての身体 免疫・病い・健康』、二冊目『複雑性としての身体 脳・快楽・五感』、三冊目『〈構造〉としての身体 進化・生理・セックス』となっている。四冊目に、これらを解読するための『からだブックナビゲーション 身体を知るための5000冊』がある。

「シリーズ身体の発見」とあるが、ウソではない。味覚についてあれやこれやオシャベリしているわりには、その味覚を感じる身体の発見は、新しいことなのだ。そういう興味津々の言説が、いま読んでも極めて新鮮で、あれこれのコンニチ的現象、つまり複雑な動きへの対応は、このあたりから考える必要がありそうだと思う。

ほんのわずかな例をあげれば、『パラドックスとしての身体 免疫・病い・健康』には、波平恵美子さんの「豊かさとしての病」がある。これは、健康増進法がはらむ「優生思想」や、最近起きた津久井の障害者施設の惨殺事件の底流にあることの根本を考えさせるし、警告していたように読める。

からだと私を、どう相対化できるか、どう相対化するのか。あるものを食べて「うまい」と感じた「私」は、どういう「からだ」の人間なのか。ものを食べて、ものや店や、それを作るひとだけを評価するのがアタリマエになっているけど、味覚は相手側と自分側を映し出しているはずなのだ。

というところで用が出来てしまった。この続きは、またそのうち。

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2014/11/14
『談 100号記念選集』

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2016/07/31

「川の東京学」メモ、川本三郎『遠い声』から。

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「詩小説」を謳う川本三郎の掌編集『遠い声』(発行・スイッチ書籍出版部、1992年)は、不思議な味わいの書だけど、東京の川(河)や橋がよく出てくる。

205ページに48の掌編が詰まっていて、その最初の「救済の風景」の書き出しから、「知らない町に行きたかった。まだ一度も行ったことのない町に行きたかった。それもできれば川沿いの町を選びたかった」で始まる。

そして「その町は東京の西を流れる大きな川の河口にあった」と。

この川は多摩川だけど、ほかの掌編に登場の川は、ほとんど「東東京」の川だ。

「救済の風景」の次は、「朝、川へ」だ。このようにタイトルに川や橋がある作品は、「橋」「河を渡ってマジック・アワーへ」「橋からの眺め」というぐあいだが、「救済の風景」のようにタイトルに川や橋がなくても、それらが登場する。

腰帯に、著者が「スイッチ」92年1月号に書いた、こういう文がある。

「ふと路地を曲がった途端に全然いままでと違った風景が出てくるというような、生活の延長にある日常的なファンタジーという意味で、幻影に惹かれるんです」

川や橋は、さまざまなファンタジーをもたらす「装置」のようだ。

「川」をはさんで「こちら側」と「向こう側」があり、その橋渡しとして、「橋」がある。この関係がファンタジーを生み、だけど、リアルと反対の位置にあるファンタジーではなく、それはファンタジーだけどリアルな体験なのだということは、たしかにある。

このあたりのことが、もっとも鮮明に書かれているのが、「河を渡ってマジック・アワーへ」だと思う。

「河を渡ってマジック・アワーへ」では、「電車を二つ乗り換え、東(この「東」に傍点がある)東京から千葉の方に延びている私鉄に乗った。河を見たくなるときはいつもこの電車に乗る」。

この電車は京成成田線だろうけど、「千葉県に入るまで、隅田川、荒川、中川、江戸川と四つの河を渡る。ふだん西東京に住んでいる人間には、河を四つも渡ることはとても新鮮な体験になる。電車が鉄橋を渡るたびにこの都市にはこんなにたくさんの河があったのかと驚く」

そういえば、川の東京学で山本周五郎の「青べか物語」を散歩するために浦安駅で待ち合わせたとき、電車から降りてきた、杉並の中央線のほうに住んでいる瀬尾さんがまず言ったことは、「鉄橋をたくさん渡るんでおどろいた」だった。

「驚き」はファンタジーでもありリアルでもある。どうやら「詩」はこのあたりで生まれるのかなと思うのだが、川と橋があることで、思いがけない風景や驚きと出あえる。

それはともかく、川本さんが乗った電車は、「運河のような隅田川を越える。鉄橋を渡る時の音が耳に心地よかった。「橋」というのは不思議だ。どんな小さな「橋」でもそれを渡ると、違った世界、別の場所に入ったような気がする。"向こう側"に入っていくような気がする」

そして著者は、荒川を渡って最初の小さな駅で降り、商店街をぬけ、荒川の高い土手を駆け上がる。

「視野が一気に開けた。広い河川敷の向こうに荒川のゆったりとした流れがあり、その先にいま電車で通り過ぎて来た町の光が夕暮れのなかで輝き始めていた。河に沿って走る高速道路の照明灯が白い光を放っていた。「風景」というより「パノラマ」だった」

見たことがある。こういう景色、目に浮かぶ。

「荒川の土手から対岸の東京を見ながらいまがその「マジック・アワー」かもしれないと思った」

「マジック・アワー」とは、川本さんが雑誌で知ったカメラマンたちの呼び方で、夕暮れ時、太陽が沈んでしまったあと、残照でまだかすかに明るい時間のことをさす、「短い特別の時間」のことだ。

「トワイライト・タイム」「トワイライト・ゾーン」という言い方もある。夜から昼、昼から夜へと、リアルが別のリアルに変わる時間や空間、どちらでもあってどちらでもない、どちらでもないがどちらでもある。まさにファンタージなのかも知れないが、そこにまた別の真実が見えたりする。

「こちら側」と「向こう側」は、仏教的な用語だと、「此岸」「彼岸」ということになるか。

男と女のあいだには深くて暗い川があったり、2人を隔てる天の川もある。あるいは、スピリチュアルなどにはまってしまった人のことを自分は正常と思っている人は、「向こう岸の人」などと言ったりする。これらは、橋がない状態のようだ。

人と人のあいだに川をつくりたがる人もいれば、橋をかけようとする人もいる。

山﨑邦紀さん脚本監督の作品、たくさんは見てないが、彼のピンク映画には、川や土手や鉄橋が印象深く映像化されている。とくに、題名を忘れたがボーイズラブ系の映画では、利根川の栗橋あたりの映像が印象的で、シッカリ記憶に残っている。

ほかにも、鉄橋を渡る電車のなかで映画が終わる場面があって、それを見たときに、山﨑さんに、なぜ川や土手や橋なのか聞いたら、たしか「此岸と彼岸ですよ」と言われたように記憶している。ある種の隠喩でもあるか。「あちらからこちら、こちらからあちら」というようなことだったと思う。ボーイズラブの人たちのほうが、此岸と彼岸を意識することが多いのかもしれない、その分、世間をいろいろに見ているのかもしれない。

川の東京学、いろいろ刺激的で、おもしろい。

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2016/07/16
川の東京学メモ 「下町はこわかった」。

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2016/06/15

『栄養と料理』がおもしろい。

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気がついたら、3月号から6月号まで毎号いただいている『栄養と料理』がおもしろい。前にも書いたが、いろいろ制約があるだろうなかで、したたかで自由自在なつくりを感じる。

「栄養」や「健康」なんて、ウサンクサイうえに辛気臭くて説教臭い押しつけがましい、ケッ、という傾向のあるおれだが、楽しくまるめこまれそうだ。

かといって、もちろんエンターテーメントではない。地味な生活のことだ。そこを、たとえば、最新6月号は、特集が「認知症に向き合うヒント」だが、ともすれば、重くどよよ~んとなりがちなテーマを、じつに軽やかに深く掘り下げる。

「認知症を知ることは、人間とは何かを知ること」という、これは広告ページのタイトルなんだけど、この雑誌全体が、「栄養と料理」を知ることは、人間とは何かを知ること、という姿勢でつくられているのを感じる。

「認知症の人の食事のとらえ方」を読んでいると、人間というのは、こういう「動物」かとおもう。人間である自分自身のことをよく知らない。いつまでたっても。

認知症の人が「食べない理由」が8つまとまっているのだが、それは、裏を返せば人間が食べる理由へとつながる。たとえば理由の7つ目は、「空腹なのかどうかわからない」とある。そんなことがあるのか。あるのだ。

ならば、いまの自分はどうして空腹を覚えたのだろう、どうして食べられるようになったのだろう、アタリマエに食べていると考えたことがない。考えてみて、なるほどなあとおもう。

そして、「介護疲れで倒れないための らくらくパワーチャージごはん」には、おれが汁かけめしの仲間と見るどんぶりやワンプレートのレシピが、どかーんと載っている。これは、介護疲れにならずとも、日々のパワーチャージごはんとして、やってみたくなる。

というぐあいなのだが、今回、とくに食文化的にヒジョーに興味を持ったのは、「減塩時代の食文化を考える」ってことで「『漬物』はどこへ行く?」という読み物特集を組んでいることだ。これは、なかなかしたたかな編集だ。

『栄養と料理』は、ここのところ「減塩キャンペーン」のようなことを続けている。「フードライター白央篤司の減塩日記」という連載もある。

そして「減塩キャンペーン」の一方で、「『漬物』はどこへ行く?」という特集を組む、このバランス感覚。しかも、この筆者のバランスが、こころにくい。

松本仲子「本来の「漬物」はすでに消滅しています」。熊倉功夫「突破口を探し続けることが重要」、これは漬物の伝統を守るためにということ。一方、政安静子「残るも消えるも、時代の必然」。小川聖子「漬物のあり方そのものが変容」。

減塩げんえんとウルサイんだよ、とおもっているおれも、ついつい読みふけり、漬物と塩と日本の食文化の関係について考えてしまうのだった。

おっと、じつは、そのことではなく、おもしろい連載のことを書こうとしたのだった。

それは、「レシピの変遷シリーズ●「栄養と料理カード」をたどる」というもの。

このカードをご存知の方が、どれぐらいいるだろうか。かつて人気だったカード式レシピの付録。

「栄養と料理カード」とは「『栄養と料理』創刊2号から付録としてついた小さな1枚のカード。材料の分量や料理の手順、火加減、加熱時間、コツなど納得のいくまで試作が重ねられ、カードという使いやすい形で掲載されました。ふりかえるとレシピの変遷が見えてきます。」

女子栄養大学香川昇三・綾記念展示室学芸員の三保谷智子さんが執筆されているのだが、これがおもしろい。

3月号が「カツレツ」、4月号が「卵焼き」、5月号が「ポテトサラダ」、そして6月号が「チャーハン」。どーです、読んでみたくなるでしょう。

もちろんレシピの歴史は必ずしも実際の台所の料理の実態を反映しているわけではないけど、時代と志向や嗜好などの移り変わりが見える。それに、レシピからは、産業と生活の両方が見えてくる。

今回のチャーハンでいえば、1936(昭和11)年12月号では「1人分でごはん350g」だけど、1971年(昭和46)年1月号では「1人分でごはん250グラム」になっている。これが意味するところは大きく多い、いろいろなことが浮かぶ。現在から未来まで。

と、まあ、なかなか読みごたえがあるのだが、さらに6月号では、おっ、とおどろくことがあった。

連載の「食の仕事人」が42回目なんだけど、「政治をもっと身近に!」「食べることで政治を知ろう」と活動している団体「食べる政治」が登場しているのだ。

食べることは政治と直結しているのは確かだ。そして、たいがいその政治を避けるように、よく「飲食の場では政治の話は禁止ね」というかんじが日本的なのだけど、これは良記事。

「食べる政治」のサイトは、こちら。食べ歩き談議や美食談議にうつつをぬかしているだけじゃなく、「食べることで政治を知ろう」。
http://taberuseiji.com/

おれの『大衆めし 激動の戦後史』も、食べることで政治を知るのに役立つよ。民主主義は食べることから、ってことさ。

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2016/02/27
『栄養と料理』で栄養と料理を考えてみる。

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2016/05/31

「つくる!」「なごむー」「たべる!!」大田垣晴子『きょうのごはん』。

001「食生活」については、カタクルシイ話やキマジメな話が少なくない。

だいたい、「生きること」に関わる話というと、ある種のカタクルシさやキマジメさがついてまわる。アバウトやテキトーは、不真面目や手抜きや野暮として非難されかねない。そして、かたくるしくキマジメな戦意がのさばる。おれのようなズボラで大ざっぱな人間は、まことに生きにくい。

これは、日本人のあいだに深層的によこたわっている、茶道や武士道などの「道」の精神というか思想、そして近代のごく日本的な自然主義文学の影響だろうと、おれは決めつけている。とくに日本の食文化をめぐるアレコレを見ていると、そう思う。

しかし、それは権威的権力的に主流であったりするが、世の中いろいろなのだ。そうでなくては、ツマラナイ。

先日、古本で買った大田垣晴子の『きょうのごはん』(メディアファクトリー、2005年)はおもしろい。いい感じだ。

著者独特の画文集だが、腰巻から引用すると、構成はこのようになっている。

「煮る、焼く、漬ける、保存などなど、毎日の食卓に酒のつまみにぴったりなメニューが描かれた『料理道場』。セイコが実際に友人をもてなしたフルコースレシピの『MENU ムニュ オオタガキセイコ特製レシピ』。食にまつわるあれこれを描いた『クイイジっぱり』。家族ごはん4コママンガの『キュウちゃん』」。

日常のひとりめしから「おもてなしごはん」、あるいは外食や旅先の食事などが舞台になる。著者は酒が好きらしく酒のつまみも充実している。

自己流のところもある。自己流を否定しない。

料理は、たいがい「自己流」なものだ。いわゆるプロが示す「基本」「基礎」といわれるものでも、それぞれの系統や系列にしたがって自己流であるし、豊かな文化というのは無数にある自己流のもみあいのなかで育っていくものだろう。

「クイイジっぱり」の「ご飯とみそ汁」では、「わたしは『作るのが好き』でも『片づけ』がヘタ。片づけることを『手間』に思うんです」という。

たいがい料理上手や生活上手を語る人たちというのは、準備から片づけまでカンペキを誇る。細々としたところまで、じつにカンペキでありケッペキなのだ。どこから見ても、清く、正しく、美しい。

その「カンペキ主義」と「ケッペキ主義」が、とてもカタクルシイ。食生活、いや「生活」というのは、そういうものでナケレバナラナイ、というような、ヒジョーに高度で教条的な意識を感じる。

「ご飯とみそ汁」では、だしをとる話で、「何が『手間』と感じるかは人それぞれでしょうが」という。たぶん、人間というのは、「手間」と感じたことを、省略したり要領よくこなしたり、そこに合理的な精神を働かせたりする。そこに文化の違いや個性もあるだろう。「手間」は、その感じ方からして、一様ではない。いまハヤリの「丁寧」も、そういうものだろう。

そのだしをとる画文では、「大ざっぱなだしのできあがり」が描かれている。「大ざっぱ」を否定しない。

全体を通して、「大ざっぱ」が生き生きとしている。作ること、食べることが、かたくるしくならず、のびのびしている。

でも、作るときや食べるときの細かいところも、ちゃんと描かれている。それは、著者が実際にやって気づいたところであって、カンペキを期すための説教ではない。

「あとがき」に、「わたしの『ごはん』の三大テーマ」として、「つくる!」「なごむー」「たべる!!」とある。これもいい。

生活は、昼夜のように、向こうからやってくるものだ。どうせやってくるものならば、どう迎えるか。ってことでもあるのだな。大田垣流、なかなか楽しくおもしろい。

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2016/04/28
「食べる」「つくる」「考える」。

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2016/02/27

『栄養と料理』で栄養と料理を考えてみる。

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『栄養と料理』3月号(女子栄養大学出版部)をいただいてから2週間以上がすぎてしまった。はあ、どうしていつも、なんだかんだ、いろいろ重なるのだろう。とはいえ、いろいろ重なると、重なったからこそ見えてくることもある。今回は、とくに、以前読んだことのある、味覚がらみの資料を集中的に読めたのが、よかった。

味覚や料理に関する本ばかり読んだが、栄養の話は、ほとんど出てこない。というのも、たとえば丸元淑生の『いま、家庭料理をとりもどすには』や『悪い食事とよい食事』などは、味覚や料理の話としてはツマラナイから、最初からはずしてあるからだ。ツマラナイというのはいいすぎで、一度読めば、二度と読む必要がないというほうが正確か。

とにかく、栄養と料理は、けっこう矛盾している関係なのだ。栄養は、料理の片面だけ、あるいは一部だけでしかない。食文化からみれば、料理は食文化のことだけど、栄養そのものは生理であって、食文化ではない。

ただ、栄養に、どういう態度や考えでのぞむかは、文化のことで、これは食文化だけではなく、健康に関する文化や、人生哲学のようなものまで関係する。それは栄養は生理のことだから、生命のことでもあるからだ。つまり、自分の生命=肉体とどう向き合うかは、それぞれの生き方のことが深く関係する。

ところが、いわゆる栄養の専門家のような人たちは、簡単にいえば、人間はみな健康のために生きている、健康のために生きなくてはならない、と、考えているようなのだ。

その態度が、じつに「説教臭く」て、あまりよい印象がない。それに、栄養にからんで、「癌にならないための食事」とか、エセ科学っぽいアヤシイ話も多く、ウサンクサイ印象が蓄積している。おれのなかに蓄積しているだけかもしれないが。

そのイメージが『栄養と料理』にまでかぶって、この雑誌は、昔のクセで、ときたま本屋でパラパラ立ち読みをすることはあっても、買ったことはない。

昔のクセというのは、1970年代は、仕事柄、会社のカネで毎号見ていた。商品開発やメニュー開発や販売促進では、イチオウ目を通しておかなくてはならない雑誌だった。

あのころは『三訂日本食品標準成分表』の時代で、これは仕事で必須だったから、一部は丸暗記するぐらい覚えていた。

ところが、『三訂日本食品標準成分表』は、1963年の改訂版だが、つぎの四訂版が出たのは1982年で、その間、三訂を信じているほうもオカシイのだが、でも、みんなこれを基準に仕事をしていたのだ。で、四訂が出て見たら、三訂とくらべ、100g当たりの成分が大幅にちがっている食品が、けっこうあったのだ。

そりゃまあ20年近くも改訂されてないのだから、とうぜんのことなのだが、おれは、それでアタマにきて、それから、一切、この成分表は見なくなった。こんなアテにならないものを根拠に、ああでもない、こうでもないやってきた自分がバカバカしく、ついでに栄養の専門家たちにも、興味を失った。

そもそも、食物の成分などは、たとえば野菜などは、とれたてとスーパーに売っているようなものとは、ちがう。おなじ魚でも、とれた海によってちがう。

ま、そういう話は、よい。

『栄養と料理』だけど、この雑誌は、健康オタクの一般(女性)誌と栄養業界誌と女子栄養大学PR誌がまざりあったような内容と作りで、この3月号は、おもっていたより、おもしろく読んでしまった。

もくじのつぎの見開き、久間昌史さんの写真と文がよかった。「食を魅せる くまの眼」ってことだけど、写真家の文章というのは、なかなかよいものが多いね。ニンゲンやモノを観察する態度のちがいだろうか。

「「台所遺産」を見に行こう」が、おれもアチコチの遺跡を見に行っているので、興味深かった。

特集「やっぱり気になる!?女のコレステロール」は、更年期を迎える女性に対象をしぼっているので、単なる善悪論でなく、話が具体的で説得力があった。

おれの周辺には、更年期を迎えるか突入しているひとが多いので、おもわずマジメに読んでしまった。説教臭くもなく、押しつけがましくもなく、ようするに「自分の体と向かい合っていくことがとてもたいせつなんですね」ってことで、おわる。では、どう向かい合うかは、栄養学のことではないからだろう。だけど、そのへんがまあ、どうなのか、難しいところを避けて、けっきょく「自己責任」か、という感じでもある。

体の悪いひとは、栄養は切実な問題であるように、日々の仕事や暮らしも健康なひとにはない切実なことを抱えている。コレステロール対策に「運動」があるけど、もともとそれだけ運動できるヒマがあるなら体を悪くしない、というひとも少なくないだろう。

どう自分の体と向かい合っていくか、あるいは、うまいものが食べたいという欲求と、どう向かい合って行くかがないと、やっぱり栄養オタクや健康オタクための話になってしまうような気がする。ってことで、内澤旬子さんの『身体のいいなり』を思い出した。

それはともかく、詳しくは知らないが『栄養と料理』にとって、栄養オタクとか健康オタクは、コアの読者かもしれないが、なんの雑誌でも、課題はコアの読者の外側をどう開拓できるかだろう。

この雑誌をいただいたころは、『ku:nel』のリニューアルをめぐって、一部の人たちがナンダカンダ騒いでいた。どちらかといえばコアな読者だった人たちばかりのような感じだったが。ファンの深情けという感じもあった。

だけど、この『栄養と料理』は、そういう、ギョーカイ人が注目するような、カルチャー誌とかライフスタイル誌とはちがう。そういえば「食はエンターテイメント」の『dancyu』とは対極にある雑誌だ。いまどきの、オシャレな「上質」といわれるデザインの雑誌ではないし、そういう系統のファンなど見向きもしない雑誌だろう。

だけどおれは、もう「本好き」とかいう人たちが好む、ある種のテイストに食傷気味だから、この雑誌の、ちょっとダサイぐらいの大味のデザインに、なぜかホッとするものがある。メイン・ターゲットが50代女性ということだが、おれもトシのせいか、本文の文字がデカイのもよい。ヤボでノビノビした感じは、よいものだ。

それはともかく。栄養と料理という矛盾あるテーマを一緒に謳うなら、やはり、サヴァラン様の『美味礼讃』に立ちかえるのがよいとおもう。この本は、たいがい、文学的な箴言ばかりもてはやされているが、もとのタイトルは『味覚の生理学』であり、生理と栄養と料理と美味の関係などを語っているのだし。「精力」のつく料理の話もあるしね。

なのに、栄養の専門家たちときたら、栄養があるものはうまい、和食は栄養学の理にかなっているとか、食は生命なり、などなど、そういうことをいっていればコトがすむとおもっているのか、なんだか論理は乱暴だし深みがない、だいたいツマラナイ。いったい、サヴァラン様の『美味礼讃』を、どのように読んでいるのだろうかとおもう。

テナことを考えたのだった。

とにかく、健康に関心があるからとか、体が悪いからとかだけではなく、健康な人間でも老化するわけで、つまり肉体の生理は変化するわけで、それと共に味覚も変わるわけで、日々の味覚の愉しみが、どう生理や栄養と関係するかぐらいは、普通に知っておいてよいことが、もっとあるとおもう。十年一日のごとく「体によいから」「体に悪いから」栄養学じゃダメだろう。

とりあえず、本屋で『栄養と料理』を手に取ってみよう。たばこは吸わない方がよい、酒はほどほどに、といったステレオタイプで非文化的な文言を無視して見れば、それなりにナルホドとおもうことがある。でも、栄養学者ってのは……。

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2016/02/01

開高健『鯨の舌』から、味の言葉。

きのうの話の、山本容朗さんが編集の『日々これ好食』(鎌倉書房、1979年)には、開高健『鯨の舌』も収録されている。

開高健というと、味覚の表現が豊かで、それも、世界の認識や真実に迫ろうという姿勢が、おもしろく楽しいし、ためになる。この話のばあいも、そうなのだ。

『鯨の舌』は、おでんと鯨の話だが、大阪生まれ大阪育ちの氏のことなので、とくに道頓堀にあるおでんやの「たこ梅」と、鯨のコロやサエズリのことが中心になっている。

とにかく、例によって、多彩な言葉を「まさぐり」ながら動員して味覚を探索しているのだが、「味」の言葉が多い。

「たこ梅」特製のコンニャクについて、「淡白な滋味」に感動するのだが、そのコンニャクを刺身や天ぷらにすると、「《無味の味》とでもいうか禅味があって、私は好きである」とか。

禅味なら、なんとなく想像つくが、サエズリについては、こうだ。

「サエズリの味を文字に変えるのはたいそうむつかしく、ほとんど不可能を感じさせられる――すべての"味"や"香り"がそうであるが――」と書いたのち、「奇味。怪味。魔味。珍味。」とあげる。

そして「いろいろと風変わりでしかもうまいものを表現する言葉をまさぐりたいが、子供のときから鯨をいろいろな料理で食べ慣れてきた私には珍しさよりも親密さがあって、もし一串のなかで香ばしくて淡白な脂のあるコマ切れに出会うと、滋味、潤味という言葉を選びたくのである」といったぐあいに続けるのだ。

味覚には、多様で豊かで雑多な快楽があるはずだが、とくに近頃は、あんがいツマラナイ話が多い。なんていうのか、書く人が自分の感覚の心地よさに酔っているような、味覚自慢のような、とにかく言葉をつくしているようでも、なんだかふわふわしていて薄っぺらで、味覚を掘り起こしてくれるような話が少ない。

「私は「いい味」を知っている」式の話は、ともすると説教臭くもあり、辛気臭くて、解放感がない。だから、味覚が、ちっとも楽しくない。

味覚というのは、世界の真実を認識し理解をするための大切な感覚なのに、いつのまにか、卓抜した感覚や能力を称賛したり誇るためのネタになった感じがある。満たされない自己の何かを満たすための踏み台になるネタを、味覚に求めている人が少なくないということでもあるのだろうか。

もっとも、いまどきは、「世界」だの「真実」だのというのもダサイ感じで、そんなことより、自分の心地よさが大事という感じではある。

開高健の味覚の話は、食べる歓びや、未知の世界へ、どーんと解放してくれるような、おもしろさがある。

以前このブログでもふれた、昨年亡くなられた文化人類学者の西江雅之さんの食の話がおもしろいのも、世界や人間の多様性を認識しながら、かつ興味深く追いかけていたからではないかとおもう。

味覚は、広い世界、深い真実へ向かってこそ、おもしろく楽しい。

おれは、聴覚と視覚が失われた、ヘレンケラーのような人の味覚を想像してみた。味覚は、世界や真実の窓口であり、それらを認識する重要な手掛かりなのだ。それを、ふわふわと消費していて、いいものだろうか。

日本の文化は、日本料理など典型的だけど、系譜主義と純血純粋主義の影響を強く残している。そこにある狭量な価値観は、少なからず味覚にもつきまとっている。

はあ、もっと解放された味覚で、大らかに食を楽しみたい。

そういう意味では、おれが最も好むのは「痛快味」なのだ。でも、これ、しゃくだけど、まさに系譜主義と純血純粋主義の権化みたいな、辻嘉一の本から知った言葉なのだ。辻さんは、「快味」という言葉も、ときどき使っていたとおもう。ま、ニンゲンは、矛盾に満ちた動物であるってこと。

いままで最も傑作だった味の表現は、大宮いづみやの名代もつ煮込み(170円だったかな?)を「ルサンチマンの味」と書いたひとがいて、これですね。脱帽。

「ルサンチマン」って、「悪」「負」「タブー」のイメージだけど、それはルサンチマンの標的になりやすい立場にあるエスタブリッシュの希望なのではないだろうか。そんな思想をうのみすることはない。

ルサンチマンを抱え安酒場で飲んで癒されているものが、せっかく頂戴したルサンチマンを簡単に放棄すべきではないだろう。ルサンチマンの味は、ルサンチマンを植えつけられたうえ、さらにそのルサンチマンを否定される状況からの解放であろう。ある種、痛快味でもある。いや、このうえない野暮味かな。

なーんて、考えた、『鯨の舌』だった。

当ブログ関連
2007/11/18
大宮いづみやで「ルサンチマンの味」を知る

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2016/01/31

戸板康二「米の飯」から。

山本容朗さんが編集の『日々これ好食』(鎌倉書房、1979年)は、飲食に関する作家の作品から「二編の小説と四十八の随筆」を選んでいる。

そのなかの戸板康二「米の飯」に、こういう文がある。以下引用………

 ライスカレーをはじめ、上にものをかけて食べる米の食べ方を、ぼくは一番、身になる食べ方のような気がしている。ぼくは高級レストランで食べるビーフシチューを飯にかけたい誘惑に、しばしば襲われる。
 三田通りにむかしあった洋食屋の加藤では、「カツのっかり」というのが名物であった。カツを飯にのせて持って来るのである。ナイフを入れてあって、ソースを上からかけると、カツの間からそれが飯に沁みていった。
 ハヤシライスにしても、のっかりにしても、カレー同様、飯をじかに自分の身につける気のする食べ物である。むろん、その米が、よく炊けていたら申し分はない。

………引用終わり。

引用しながら、ヨダレが出てきた。加藤の「のっかり」については、池田弥三郎『私の食物誌』にも、「のっかり」の一文があり、拙著『汁かけめし快食學』でも引用している。

体験的には、カレーやハヤシライスやのっかりは、「上にものをかけて食べる米の食べ方」である。「ぶっかけめし」「汁かけめし」のはずだが、こういう体験は、なかなか「歴史」にならない。ってことについては、その何故も含めて、『汁かけめし快食學』でも書いた。

それはともかく、「身になる食べ方」「飯をじかに自分の身につける気のする食べ物」という表現が、いいねえ。

戸板康二は、1915年生まれ。この文でも「米というものが、何ものよりも尊くおもわれたあのいやな時代」「「天道様と米の飯はどこへもついてまわる」という諺が、遠いところへ行っていた暗黒の時代、もうあんな時代は二度と願い下げにしたいものである」と述べているが、戦争の飢餓を体験している。「身になる」は、だからこその表現かもしれないが、食うことの根源のような気がする。

「暗黒の時代」は願い下げにして、身になる食べ方をしたい。もしかすると、「身になる食べ方」を大切にすることは、「暗黒の時代」の再来をふせぐことにつながるのかもしれない。

なにより、こういう体験を大切にし、シッカリ語り継ぎ、「歴史」にすることだろうね。ふわふわした味覚の話ばかりしてないで、「身になる食べ方」から「身になる歴史」をつくる。なんてね。

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2015/09/29

「川の東京学」メモ 米と麦、深川飯。

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農文協発行の「日本の食生活全集」は、大正から昭和の初めヒトケタぐらいまでの食生活の聞き書きを、都道府県ごとにまとめたものだけど、⑬『聞き書き 東京の食事』の後にあるまとめ解説「東京の食とその背景」には、聞き取り調査地の地域区分図があって、それを見ると、なかなかうまいこと地域分けをしていると思う。

この地図は、調査地の一つである四谷番衆町(現新宿区)が、まだ豊多摩郡だったころのものだ。豊多摩郡ほか、荏原郡・北豊島郡・南足立郡・南葛飾郡は、昭和7(1932)年に東京市に編入された。

地域区分と調査地は、以下のようになっている。とくに「東京湾岸」の設定が面白い。全体の区分は自然条件と生産が基準になっているのだが、まだ東京湾岸では漁業やのり養殖が行われていたからだ。現在は、埋立てにより、これより海側に「東京湾岸」地域があるわけだが、それはともかく。

「東京湾岸」からは本所(現墨田区)・深川(現江東区)・大崎(現品川区)・大森(現大田区)。その北を「東部水田」とし水元(現葛飾区)・日本橋人形町(現中央区)・浅草駒形(現台東区)。

東京湾岸の西北方面は「北部畑作」で四谷(現新宿区)と久留米(現東久留米)。南西方面「多摩川下流畑作」は喜多見(現世田谷区)。その西を「多摩川上流水田」とし七生(現日野市)。その西を北部畑作の延長が囲み、その西側が「奥多摩山間」で氷川(現奥多摩町)。さらに「島部」があり岡田(現大島町)である。

東部水田、東京湾岸、多摩川流域は、「川の東京学」的にみれば、連なる地域として見ることができ、戦前から戦後になって工場が増え続け、いわゆる「下町」的な特徴を持っているといえる。

聞き書きのまとめは、必ずしも区分には従っていない。そこがまた興味深い。

最初の章「市域の四季と食事」は、「東京湾岸」の深川、「東部水田」の駒形、人形町、そして「東京湾岸」の大崎の順。

次の章は「下町の食」であり、「東京湾岸」の本所。次の章が「山の手の食」で「北部畑作」の四谷。次が「大森海岸の食」で大森。次から、「水郷・葛飾の食」で水元、「武蔵野台地の食」は「北部畑作」の久留米と「多摩川下流畑作」の喜多見、「多摩川上流の食」は「多摩川上流水田」の七生、「奥多摩山間の食」は「奥多摩山間」の氷川、「島〈伊豆大島〉の食」は「島部」の岡田、となっている。

このなかで、「俸給生活者」の家庭は、「山の手の食」に登場する「北部畑作」の四谷の家庭のみで、ほかは、職人や商人の家庭と第一次産業従事の家庭で、いずれも一般労働者というより、使用人がいる親方や旦那衆だ。

これは、この全集の特徴であり、だいたい中くらいから中上クラスの家庭がほとんどなのだが、といっても、「俸給生活者」以外は家族みんなが忙しく働いて、家業が成り立っている。

この時代は、「大衆」が流行語になり、「大衆食堂」の呼称が生まれる時代と重なる。その大衆食堂は「白飯」つまり米のめしをウリにしていたことは、すでに拙著などでも書いた。日常は麦飯の地域が圧倒的で、白飯は「あこがれ食」だった。本書のまとめにも、主食糧は、米、麦、イモ類とある。

調査地のなかで、米の白飯を毎日食べているのは、人形町と駒形と本所の家庭と、四谷の俸給生活者の家庭だけで、ほかは、米7:麦3から米3:麦7の割合の麦めしが日常だ。

本所は、両国で浪曲寄席を営む家庭で、こんな記述がある。「夏のごはんは、消化がよくからだによいということで、麦飯になることが多い。お弁当に麦が入っていると、子どもたちはきまりが悪いというので、目立たないように押し麦を使う。しかしそれでもあまり喜ばないので、麦の少ないところを詰めて持たせる」

当時の町場における麦飯の「立場」がしのばれる。

一方、麦飯が常食の水元の家庭だが、自作農であり、「ごはんは、麦を入れると腐りやすいので、夏だけは白米飯である」とある。

まとめ解説に、「東部水田地帯、多摩川上流水田地帯、多摩川下流畑作地帯など、米の自給が可能な地帯でも、幕府の米本位の財政政策により、農民の米食規制は昭和初期まで色濃く残され」とある、これだと農民の自己規制のようだが、そういう米節約の習慣もあったのだろう。一方、聞き書きのほうには、現金収入のために米は優先的に出荷する結果、日常は麦飯だったともある。

とにかく、食や料理は、政権が替わったぐらいでは変化するわけではなく、この時代まで江戸が残り、台頭する俸給生活者と共に、米食が普及する。ここには、ほとんど登場しないが、この時代に、その俸給生活者の家庭に広まったものに、ちゃぶ台がある。

というわけで、大衆食堂と共に、白飯とちゃぶ台の普及から、「近代化」を見ることができるかもしれない。この「近代化」は、戦争と敗戦があって、国の体制は大きく変わったにも関わらず、戦後へと続き、昭和30年代にピークに達する、とも見ることができるだろう。

ところで、深川の左官職人の親方の家庭には、こういう記述がある。「あさり、しじみ、はまぐりなどの貝売りは、年中、毎日のようにやってくる。彼らはたいてい浦安あたりから小名木川のポンポン蒸気に乗って高橋まで来る。あさりやばか貝のむき身に、ねぎのきざみを入れて味噌で煮た汁を、ごはんにかけて食べる深川飯は、冬から春にかけての手軽なごはんである」

まさに、浦安フィールドワークをした「川の東京学」の世界だ。あのときは、この記述に気づいていなかった。

そして、面白いことに、同じ東京湾岸で、深川のすぐ北の本所の家庭では、深川飯というと「あさりと油揚げを具にした醤油味の炊き込みごはんである」

拙著にも書いたが、深川飯は、大きく分けるとこの2種類になる。あるいは、汁をめしにかけて食べることを嫌う家庭では、炊き込みにした可能性があるかも。それは、もしかすると、深川と本所の微妙な違いと関係があるのかもしれない。

当ブログ関連
2015/04/09
4日の「川の東京学」浦安フィールドワークは、大いに楽しく有意義だった。

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