2018/04/19

土浦+水俣から高円寺、「食」と「開発」と「復興」。

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どんどん日にちがすぎていく。とりあえず、濃い内容の出会いがあった、先週の13日と14日のことを、ちょっとだけメモ。

13日は、土浦へ。18時20分に土浦駅で待ち合わせだったが、ついでに40年ぶりかの土浦をぶらぶらしてみようと早く出かけ、13時半に土浦に着いた。けっこう歩いて一杯やって、待ち合わせ時間に『原発事故と「食」』を出版したばかりの五十嵐泰正さんと合流、『小さくて強い農業をつくる』(晶文社)の著者で久松農園の代表、久松達央さん「主催」の飲み会に参加した。会場は、笹揶、もちろん初めての居酒屋だが、いい居酒屋だった。

おれはひょんなことから五十嵐さんに付いて行ったもので、少し前に久松さんが熊本の水俣を訪ね、そこで知り合った方が久松農園に来園し、この飲み会になったらしいということぐらいしか知らなかった。

水俣からは、水俣食べる通信の諸橋賢一さんと福田農場の福田浩樹さん。久松農園の方のほかに、茨城の有機栽培の農業者、酒蔵の杜氏、茨城の地酒の販売に力を入れている酒屋のサトウさん、都内からコンサルタントやフードコーディネーターの方、などなど13名ほどの多彩な顔ぶれ。

久松さんと五十嵐さんをのぞいて、初対面の方ばかり。いろいろなことを、たくさん話し合い、たくさん飲んだ。

水俣は、あの水俣病から、いまは3代目が中心の時代だとか。水俣病の事件の最中には、生まれてなかった世代だ。「まだ(自分としては)水俣をこえられてない、まず水俣をこえたい」という諸橋さんから、現在の水俣や水俣に移住した自分の生き方について聞きながら、考えることが多かった。原爆事故のあとの道のりは、水俣と比べても、まだ始まったばかりだ。

振り返ってみると、おれが有機栽培や「自然農法」などの方たちと関わりを持ったのは、1980年代の後半の熊本でだった。福田農場の福田さんと話しているうちに、当時のことが思い出された。当時は、かなり特殊な存在だった「有機」は、やがて「オーガニック」といわれ流行現象を担うようになった。言葉も変わったが、農業全体が変化の最中にある。ま、「多様化」といわれたりもするが。その変化についていけてないのが、アンガイ、情報の中心にいるとカンチガイしている都会の消費者であり中央の風をふかしているメディアと、その周辺の人間たちなのだなという感じがした。

久松さんのおかげで、楽しく有意義な時間をすごせた。久松さん、ありがとうございました。

帰りの電車のことがあるので、22時ごろ早退。こんどは久松さんの農園を訪ね、土浦に泊って、土浦の夜をたっぷり過ごしたい。昼間ぶらぶらしたが、土浦のような規模の旧い町は、なかなか面白い。それに、また熊本や水俣にも行きたくなった。

家に帰りついたのは24時過ぎで、翌日14日は、14時30分から高円寺だった。

「車座ディスカッション:震災からの復興とオリンピック後の東京のコミュニティづくりを考える-『復興に抗する』の執筆者と共に-」というトークイベント。

当ブログ2018/04/11「『原発事故と「食」』と『復興に抗する』。」に書いたように、『原発事故と「食」』と『復興に抗する』は、ほぼ同時期に発売になった。

このふたつの本については、車座ディスカッションで、『復興に抗する』の「第四章 「風評被害」の加害者たち」を執筆した原山浩介さんが、いま読んでいるところだがと『原発事故と「食」』を参加者に見せ、「著者の五十嵐さんとはスタンスは違うけど、結論は同じようで、ようするに、こういうことが(ふりかえって)書けるようになったということでしょう」というようなことを言っいたのが、すべてだろうと思う。

ふりかえり、もう一度、おきたことあったことの自分のことだけではなく全体を見直し、自分の考えや行いはどうだったか検討し、これからをどう生きるか、これからのコミュニティづくりを考える。

ディスカッション参加予定者(*印は『復興に抗する』執筆者)は、こなぐあいだった。中田英樹*(社会理論・動態研究所所員)/髙村竜平*(秋田大学准教授)/猪瀬浩平*(NPO法人のらんど代表理事)/友澤悠季*(長崎大学准教授)/原山浩介*(国立歴史民俗博物館准教授)

越川道夫(映画監督。震災後の福島を舞台にした「二十六夜待ち」などの作品がある)/冨原祐子(会社員。2012年4月から岩手県陸前高田市でのボランティア活動を開始。2014年9月には同地へ移住して一般社団法人で働くかたわら、「けんか七夕」の運営にも携わった)/柳島かなた(農文協東北支部職員。2014年から東北支部に所属、農村で農家や農協・役場の人々に書籍販売営業の立場で話を聞き、共感したり、反発したり、励まされたりしている)
狩野俊(「本が育てる街・高円寺」代表。「資本主義から知本主義へ」を合い言葉に、本で人々を繋ぐ新しいコミュニティづくりを高円寺で実践している)/永滝稔(『復興に抗する』の版元である有志舎の編集者)

トークが始まってからわかったのだが、このトークは「本が育てる街・高円寺」も共催で、代表のコクテイルの狩野俊さんが、出席し発言していた。「本が育てる街・高円寺」のことは知らなかった。この活動は、いわゆる「本好き」の趣味のコミュニティとは違うようで、興味が湧いた。

『復興に抗する』は、カバー写真に、友澤悠季さん撮影の陸前高田の復興事業を象徴する、「かさ上げ工事のための土砂を運ぶベルトコンベア」を使用している。その写真を採用するにいたるトークは、生々しく、「第一章 ここはここのやり方しかない 陸前高田市「広田湾問題」をめぐる人びとの記憶」(執筆者、友澤悠季)の理解を深めた。

記憶と記録。

トークは16時半ごろ終わり、コクテイルに移動して、懇親会になった。20人ぐらいの参加だったか。トークのときから、猪瀬浩平さん以外は初対面の方ばかりだった。前日と違うのは、ほとんど「学術系」の方たちだったこと。ただ、フィールドワークの経験が豊富で、本書もそうだが、そこに何があったか、そこに生きる人びとのことを掘り起こしている。というわけで、「コミュニティ」といわれたりする「地域」について、いろいろ考えることが多かった。

面白かったのは、水俣へ行っても、誰の紹介で歩くかによって地域の見え方は違ってくること、震災にしても原発災害にしても、そもそも地域は多様な文脈で成り立っているのだから、どこからどうアプローチするかによって、まったく違って見えることだ。

「反原発」も「原発推進」も地域では単純ではない。「左派」や「右派」といった中央の観念的な分類では、見えないこともある。『復興に抗する』には、そのへんの事情がよく描かれている。

地域に入っていく場合、言葉の使い方ひとつで、地域の人たちに判断され、対応が変わってしまう。といった話は、おれも経験していることで『理解フノー』の「「文芸的」問題」にも書いたりしたが、地域とは、なかなか一筋縄ではいかない。なのに、単純に短絡して考えるのが、「中央」なのだ。それで「知った」気になる。

と、大いに飲みながら、コクテイルでは、若い農村社会学者と、「食文化」と「料理文化」、「消費文化」と「生活文化」などについて、けっこう話し込み、前夜の疲れの残りもあり泥酔ヨロヨロ帰宅だった。

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2018/04/11

『原発事故と「食」』と『復興に抗する』。

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この2冊は少し前後し同じころに発売になった。『原発事故と「食」』(五十嵐泰正、中公文庫)は2月18日の発行、『復興に抗する』(中田英樹/高村竜平・編、有志舎)は2月10日の発行だ。

おれは両方一緒に買ったが、『復興に抗する』は編者も含め5人の方による共著で本文326ページのボリュームということもあって、厚さからしてとっつきやすい『原発事故と「食」』を先に読了し、このブログでああだこうだ書いていた。その間に、『復興に抗する』も読み進めていたのだが、この2冊を読んで、すいぶん展望が開けた気分になっている。

ま、「気分」だけで、十分理解してないかも知れないのだが、展望が開けた気分ってのは、いいもんだし大事だな。

ようするに、福島をめぐっては、『原発事故と「食」』の帯に「今なお問題をこじらせるものは何か」とある通り、遠くから眺めているだけでも辟易するありさまになっている。そのあたりが、この2冊によって、自分なりの整理がついてきた感じなのだ。

しかし、『復興に抗する』ってタイトル、ちょっと誤解されやすいんじゃないかな。おれはタイトルだけ見たとき、復興に抗う人たちの話しかと思ってしまったもの。

サブタイトルには「地域開発の経験と東日本大震災後の日本」とあるのだが、これ、帯にある「私たちは、どのように「開発」や「復興」を生きるのか?」のほうが、内容に沿っている。その帯には「「復興」の名のもとに、戦後日本のなかで繰り返しあらわれる開発主義と、それでもその場所で今日も明日も生き続けようとする人びとの姿を描き出す」という文もある。そういう本なのだ。

『原発事故と「食」』は、序章と終章を除く全4章のうち、3章のなかばまでは、主に「風評」被害と続く「悪い風化」のなかで福島の生産と販売のこれからが中心的な課題になっている。消費者がどうすべきかは、直接的にはふれられていない。

これは本書が「福島県産品のおかれた現状と打開策」を、原発事故がもたらした他の課題から切り離して追求しているからで、「消費者」としてどうすべきだろう?という思いが残るか、もっと積極的に、どうすればいいんだ、と思う読者もいるのではないかと思う。

一方、『復興に抗する』では、「福島県産品のおかれた現状と打開策」が課題ではない。

そして、第4章「「風評被害」の加害者たち」の「3 同調と「信仰」の共同体の克服へ」では、「汚染とそれによる健康被害をめぐって、とりわけ「消費者」の立場に身を置いたとき、最も汚染の深刻な現場に対して、どのような連帯の方法があるだろうか。これは、なにも原発事故に固有の問題ではない。過去の公害においても存在した、古くて新しい問いである」と述べている。

「環境をめぐってそこで仕事をする生産者と消費者が一体性をもって対応する可能性である」と、ホットスポットになった柏での五十嵐さんたちの「安全・安心の柏産柏消」円卓会議の例なども記されている。

消費者は、「風評被害」の加害者になりやすい。過去の公害や食品をめぐるさまざまなジケンでも、そうだった。福島と水俣の「共通点」をめぐっては、いろいろ議論があって、ここでも石のぶつけあいのようになっているが、カンジンなことは、水俣もそうだしカイワレや牛でも鶏でもあったが、消費社会における消費者は「風評被害」の加害者になりやすいということだ。

なぜそうなってしまうのか。これは「科学的知識」だけの問題ではないだろう。

『原発事故と「食」』では、五十嵐さんは柏の「円卓会議」の活動について、「しっかりと測定を行い、放射能問題に真摯に取り組む地元農業者の姿勢を示すことで、この機にこそ、都市農業地域の柏でかねてより重視されていた生産者と消費者の関係構築が進むのではないか」と話している。

この2冊を読んで思ったのは、「環境をめぐってそこで仕事をする生産者と消費者が一体性をもって対応する可能性」の追求は、まだいろいろあるのじゃないかということだ。

『原発事故と「食」』と『復興に抗する』には、具体例として福島の生産者たちが登場する。汚染された「その場所」で、「放射能問題に真摯に取り組む地元農業者」たちが登場するが、そのようすは、まだ、かなり不十分にしか知られていないし理解もされてない。もともと生産者と消費者の乖離が激しい状況が続いている中で。

そこだ、モンダイは。

と、思ったのだった。

当ブログ関連
2018/04/02
「食」をめぐる「不安」や「不信」の構図。
2018/04/01
「福島」から遠く離れて。
2018/03/16
共生。われわれはみな〈社会的〉に食べている。
2018/03/11
3月11日だから、五十嵐泰正著『原発事故と「食」』(中公新書)を読んで考えた。
2018/02/18
「右と左」。

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2018/04/05

「高円寺定食物語」の伊久乃食堂。

2018/03/30「座・高円寺の広報紙、フリーマガジン「座・高円寺」19号の特集は「高円寺定食物語」。」に載っている食堂を、ボチボチ紹介していきたい。

といっても、ただいま絶賛配布中なので、詳しくはそちらを見ていただくとして、ここでは写真を中心にチラ見ていどだが。

まずは、伊久乃食堂。

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この場所で始めたのが62年前というから、1956年のこと。おれは13歳だから、中学生。あのころの日本は、どんなだったか、どのていど知っています?といっても、ひとの記憶はアヤフヤ。しかし、そのままの姿で続いていることもある。

「一日の始まりに、大きなガスコンロの上に昔の厚くて重い木のふたの羽根釜をのせ、めしを炊く。」

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伊久乃のメニューは、すごくシンプルで合理的だ。開業当初のものから、フライ類を減らしたものらしい。揚げ物を使う定食は、かつ定食600円とかつ丼700円のみ。

「定食15品、丼2品、単品7品、それにビールだけ。豚肉、野菜、魚、豆腐を主材に、過不足ない限界までしぼったような定食中心のメニューだ。/一番高額の定食が鮭焼680円、安いのは450円のもやし炒め。」

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「ニラ玉子とじは、タマネギとニラを煮て玉子でとじるのだ。」「見た目は頼りないニラ玉子とじ、だしもきいてよいおかずだった。」480円。

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伊久乃食堂があるあづま通りには、ほかにも伊久乃と同じぐらい古い「福助」、それから「やなぎや」などの食堂もある。この通りには、古い鮮魚店もある。おれは、昔の鮮魚店が続いている町は暮らしやすいところ、という偏見を持っている。

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2018/04/04

地元で「新しい骨董」ボトルキープ。

129541757_1540536346073034_262130_2もう先月になってしまった。30日に、地元の昭和酒場コタツに「新しい骨董」ボトルキープをする飲みをしたのだった。

地元民のチエさんと三平さん、それにサチとおれの4名。おれ以外は勤めの帰りだから、18時半から19時ぐらいまでのあいだにバラバラ集まった。

まずはキンミヤのボトルをとるが、久しぶりなので、話が炸裂。チエさんのハイテンションに引きずられ、あの話この話。

考えてみると、ここ東大宮に引っ越して今年で10年になるが、最初に知り合った地元民がチエさんだった。

三平さんと会うのは今回が初めてだったが、ツイッターではフォローしあっていたし、ちょこっとだがチエさんから話を聞いていたので初めての感じがしない。

とにかく、東日本大震災では三平さんは住んでいた宮城で被災し、骨を何ヶ所か折る重傷を負い、死線をさまよったのち生還した。親戚の方は亡くなったそうだ。

あのときは、チエさんには三平さんという人がいるのを知らなかったから、地震発生の直後からツイッターでチエさんが不可解なツイートと動きをしているので、ナニゴトカと思っていた。ツイートしていることは「狂乱」という感じであり、とにかく交通手段のないなか、北へ向かっているということはわかった。そして、何日かして、重体だった誰かが死地はこえたことがツイートでわかり、とにかくよかったと思った。

話は自然に、震災や原発事故をめぐることになった。知り合い関係には移住した人たちが、けっこういる。放射能問題だけではなく、震災や原発事故から、これからの人生を考え直して移住した人もいる。埼玉には、被災地から避難してきていたが、そのまま定住する人もいる。

おれの知り合いでは、東京から南相馬に移住した直後に原発事故にあい、とりあえず彼の新潟の実家へ避難、その後南相馬にもどったのだが、まもなく突然亡くなった。ほかにも家族と西へ移住した後に亡くなった知人もいる。直線の因果関係は不明でも、大災害は、思わぬ負荷をあちこちにばらまく。それを個人で背負わなくてはならない。

負荷にも大小があって、とかく大きな負荷ばかり話題になりやすいが、大災害がおよぼす影響は、小さなトゲが一人一人の小指の先に刺さったような状態でも続いていることがある。大災害にかぎらず、とかく難儀が多い。

大上段にかまえることなく、そういうことを話し合いながら、トゲをとったりもみほぐしたりする場が、なかなかない。

今回は「新しい骨董」のボトルキープをしようと集まったのだが、そんなことがいいキッカケになったりするのだ。

いいねえ、このボトルキープ。「新しい骨董」のボトルは、誰でも飲めるけど、空けた人は必ず新しいボトルを入れてつなげること。それが新しい可能性につながる。

当ブログ関連
2018/03/22
「新しい骨董」ボトルキープ100本記念飲み会@浦和ねぎ。

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2018/04/02

「食」をめぐる「不安」や「不信」の構図。

タイトルは大きく出たが、きのうの続きのメモだ。

五十嵐泰正『原発事故と「食」』は、第4章「最後に残る課題」で、「差別」についてふれている。

そこに、「福島在住のライター林智裕は、「フクシマの農家は人殺しの加害者だ」「子供を避難させないお前は人殺しだ」などの言葉を、身近な人たちが実際に浴びてきたことを明かしている」とある。

このように「人殺し」よばわりする例は、おれもツイッターで見ているし、しかもおれの知人も、そういうツイートをしていた。かれは、家族と共に西の方へ移住したが、かれが「人殺し」よばわりするのは、東電原発事故以前からのことで、それは喫煙者に向けられていた。

たばこを「毒」といい、たばこを吸って煙をばらまくやつは「人殺し」だと言っていた。ツイートもしていた。そして、東電原発事故のあとは、放射能は「毒」で、それをふりまく福島の農家は「人殺し」となった。

当時、「ゼロリスク志向」ということが言われたが、かれはそういう言葉でくくられるようなことを、東電原発事故以前から盛んに言っていたのだ。かれは、問われたら「反原発」だったかも知れないが、「反原発」を口にしたことはない。政治的には、まったく無関心だった。

円堂都司昭『戦後サブカル年代記』の第3章「一九九〇年代」には、「『買ってはいけない』が再生産した過去」という見出しの節がある。

「週刊金曜日」が一九九六年十二月から連載した「買ってはいけない」をムックにまとめ一九九九年に発売した。記憶にある人も多いだろう。反論本も出て、よく売れた。

『戦後サブカル年代記』の著者は、反論本への反論として「週刊金曜日」編集長(当時)の松尾信之が述べていたことを引用している。

「 水俣病、森永ヒ素ミルク事件なども忘れるわけにはいきません。当時よりも化学物質が氾濫し、複雑な製造過程となっているいま、少しの危険性でも見つけたら消費者やマスコミが警鐘を鳴らし、問題点と解決策を提起することが大切だと思います。杞憂で終わればそれでよし、メーカーが率先して改善してくれればもっとよし。」

「少しの危険性も見つけたら」と、これは「ゼロリスク志向」といえるだろう。

この引用のあと著者は、こう書いている。

以下引用………

 水俣病の昔から公害などの問題では、該当企業が製造工程や商品は悪影響を与えていないと自社に有利なデータや説明を提示するが、後に被害の原因だったと判明するケースが繰り返されてきた。こうした経緯から「杞憂で終わればそれでよし」の発想になるのだが、O157をめぐってカイワレ大根がそうだった通り、「杞憂」の流布が供給者に被害を及ぼすこともある。「終わればそれでよし」とはいかない。

…………引用おわり。

ツイッターでは「杞憂で終わればそれでよし」と同様のツイートも見られたが、これは「ゼロリスク志向」と表裏の関係と言ってよい。

『買ってはいけない』は、一九八三年発行の郡司篤孝『怖い食品1000種』の系譜と見てさしつかえなく、つまり、『買ってはいけない』は過去を再生産したのだった。

『戦後サブカル年代記』ではふれてないが、『買ってはいけない』『怖い食品1000種』の系統としては、船瀬俊介の一連の著作の影響力も忘れてはならない。

「安全派/危険派」は、東電原発事故前から、様々に存在した。その背後には「不安」や「不信」の累積がある。

以前何度か書いたが、食をめぐっての「自然志向」や「職人手作り志向」に典型的にあわられていると思うが、近代との付き合い方がうまくいってないこともある。近代的なシステムに対する不信や不安が根強い。

もともと完璧ではないシステムのなかで生きるためにどうしたらよいか、どう安心や信頼関係を保つかということに、なかなか議論が進まないのだな。

おれが食品のマーケティングに関わった1970年代初頭から、「チクロ」問題から食品添加物問題がくすぶり続け、政府や企業の責任回避の後手後手の対応もあり、食品に対する不安や不信は再生産され拡大するばかりだった。

原発事故と「食」をめぐるあれやこれやは、そういう流れと深い関係があると思う。

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2018/04/01

「福島」から遠く離れて。

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2018/03/24「鬼子母神通りみちくさ市で「地下アイドル」世界を垣間見る。」に、「今回、おれは、いま考えていることにドンピシャの古本を買った。なんというよいタイミング。その本については、明日書こう。五十嵐泰正さんの『原発事故と「食」』(中公新書)に深く関係する内容なのだ。」と書いたままにしていた。

その本は、みちくさ市の本部の古書現世の棚で見つけた、『戦後サブカル年代記』(円堂都司昭、青土社2015年9月14日発行)なのだ。目次を見ただけで、これは面白いし資料価値も高いと思って買った。厚い割には、値段も1200円という、即物的評価の高さもあった。

本文328ページのほかに、主要参考文献のリスト、関連年表が充実している。

この本には、「日本人が愛した「終末」と「再生」」というサブタイトルがついている。チョイとシニカルな感じがするが、斜に構えているわけじゃない。

「終末」は「スクラップ」を、「再生」は「ビルド」を、意味しているのだが、敗戦後の焼け跡と復興から、2010年代のこの本が発行されるまでの「スクラップ&ビルド」の繰り返しを、時代の反映としてのサブカルを振り返り、評を加えながらまとめている。大変な作業であり労作だ。

1945年の広島・長崎へ原爆の投下と終戦から、「戦後史をふり返れば、似たモチーフが時代を超えて何度も登場したし、私たちは「終末(スクラップ)」と「再生の(ビルド)」のある種のループに閉じ込められているかのようだ」「日本人はいまだにループの外部を上手に思考することができず、過去を反復しようとしてしまう」と、著者は最後の方でまとめのように述べる。

序章が、「一九四五年以後 終末から再生へ」から始まる。その最初の項は「聖火と原爆」であり、「一九六四年東京オリンピック」「原子力的な日光と『ゴジラ』」と節が進み、次が「終わらない「戦後」」だ。

そこで、おれは大発見でもしたかのように、「あっ」と思ったのだ。こう書かれてある。

以下引用………

『ゴジラ』公開の翌年の一九五五年には黒澤明監督『生きものの記録』が公開されていた。同作は、第五福竜丸事件、米ソ二大国の核開発競争といった世相から発想した内容であり、鋳物工場の経営者が、原水爆の放射能から逃れるためブラジルに移住しようといい出す。だが、家族に反対され、狂気に陥るストーリーだった。原爆を落とした相手をどう思うかとは別の話として、核の恐怖をどの程度に見積もるのか、戦後十年ですでに国民の間に埋められない意識の溝が生じていることをとらえた映画だった。

…………引用おわり。

『原発事故と「食」』の五十嵐さんは、まえがきで、「2011年以来の「(事故後の放射線リスクに対する)安全派/危険派」「生産者/消費者」「福島県民(とその支援者)・県外の人」という構図で、ツイッターなどを舞台に一部の人々が相変わらず石を投げ合っている。そんないつまで続く論争を横目に、大多数の人たちが被災地への関心を失ってゆく状況は、健全な姿ではないだろう」と述べている。

「安全派/危険派」については、「戦後十年ですでに国民の間に埋められない意識の溝が生じていること」を、おれは知らなかったといってよい。というか、忘却の彼方だった。これも「風化」といえるか。それで「あっ」と気が付いたのだ。

この構図は、何度も繰り返されている。食品をめぐっても、化学肥料や農薬あるいは食品添加物などについては日常的だし、大きなことでは、水俣があり、O157カイワレがあり鳥インフルや、近年では中国産の冷凍食品をめぐっても、いろいろあった。

「終末」と「再生」のほかに、「関心を失ってゆく状況」つまり「風化」があった。「風化」があって、閉じられた「ループ」が完成しているという感じもある。

「健全な姿ではないだろう」という問題意識は、『原発事故と「食」』のキモだと思う。

健全な姿を求めて。だけど、「風化」は、避けられない。

『原発事故と「食」』の第2章「風化というもう一つの難題」では、風化の実態にふれ、「伝えかた」を検討している。そこに「危険/安全の軸をズラす」ということがある。

これは、けっこう大事なことだと思う。

「ズラす」というのは、「危険/安全」から目をそらさせるような印象があり、なんだか詐欺的な手口のように聞こえそうで、あまりよい表現には思えないが、関心の本当のところを探るということになるだろうか。被写体に対し自分の位置をズラすように、自ら別の見方をしてみることだろう。それは閉じられたループを抜け出す一歩になりそうだ。

しかし、昨今の「福島」と「放射線」をめぐる言説状況は、「福島」や「放射線」に近い人たちばかりの話が中心になっている感じで、われこそは「福島」や「放射線」の実態に近い、を競っているようで、それがさらに風化を進めている感じもある。すでに「当事者」や「当事者に近い人たち」が中心の閉じられたループの中の話という感じだ。

「福島」に執着し、過去何度も繰り返されてきたスクラップ&ビルドから教訓をくみ取ろうという視野が感じられない。つまりは、何度も似たような体験をしている人たちはほったらかしに、「福島」への関心を「軸」にしている。風化を避けるには、その「軸」を「ズラす」ことだろう。

2016/12/20「「他人事」からの出発。」には、「当事者意識を持つことが、他人事意識の解決になるのか。風化や他人事意識は避けられないことを前提にした考えや方法があってもよいはずだ。」と書いた。一年以上が過ぎ、ますますその必要を感じている。

「当事者」に近い人たちだけが着けるテーブルではなく、誰でもが着けるテーブルの模索。「健全な姿」とは、それだろう。

もうちょっと引いたところから、あるいは巨視的に他人事的に考える必要があるんじゃないかな。と、おれは考えているわけなのだ。

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2018/03/24

鬼子母神通りみちくさ市で「地下アイドル」世界を垣間見る。

前のエントリーの最後に書いたように、去る18日の日曜日は、わめぞ一味が企画運営する鬼子母神通りみちくさ市へ行った。

今回は41回目で、今年2回目の開催だ。1回目は1月27日だったのだが、都合が悪く行けなかった。今年初参加だ。

参加といっても、おれは、古本フリマをながめ、みちくさ市連続トークをのぞき、最後に打上げで飲むだけ。

とくに連続トークを楽しみに行った。

というのも、前回から「談話室たまりあ ~ステージ上の「私事」と「仕事」~」という通しタイトルが始まっているのだが、「たま」とは姫乃たまさんのことで、「りあ」とは小泉りあさんという、おれにとってはイメージだけでほとんど認識のない「アイドル」だの「地下アイドル」だのという世界の人なのだ。

きっと会場は、むさくるしい古本好きの連中じゃなく、アイドルにあこがれアイドルをめざすカワイイお姫様たちばかりなのだろう、と、期待して行った。

ところが、10分ほど遅れて会場の扉を開けると、なんと、会場はむさくるしい若い男たちばかりなのだ。

どういうことなのだ!

とにかく始まっていたトークをきく。今回は、「チーム活動と個人活動」がテーマで、アイドルでもグループで活動するスタイルとソロで活動するスタイルがあり、その長所や短所などを話し合うということなのだ。

なにしろ「アイドル」だろうが「地下アイドル」だろうが、歌とダンスをするチョイとかわいい女の子ぐらいの知識しかないおれだが、話をきくうちに、歌とダンスはショーの部分で、それが大事なのはもちろんだが、「アイドル」が「アイドル」たるゆえんは、ある種の「恋愛ごっこ」といっても性的な意味ではなく、ファンと「あったかい関係」をどう築くかが商売の要らしいことが見えてきた。

自分を、愛されるキャラクターとして商品化する。歌もダンスも、表情から話の内容も話し方まで、その一環なのだ。アニメの作品の中のそれではなく、生身ですぐそばにいて言葉もかわせ握手もできたり、一緒に写真に写ることもできるアイドル。

連続トークは昨年までは、「作品と商品のあいだ」がテーマだったが、今回は生身の人間と商品のあいだという感じで、ようするに「商品化」の問題なのだな、と、おれは考えながらきいた。

しかし、客つまりファンもまた生身の人間だから、めんどうがある。「出禁」という言葉が使われていた。つまりアイドルとファンの関係を維持するために「出禁」も必要になる。そして「いいDNA」を自分のまわりに育てていく。これは自身の商品化と密接に重要なことらしい。

おれはスナックのママと客の関係を思い浮かべたりしたが、アイドルのほうが、ビジネスとしてはもっと洗練されていて、システム化あるいはパッケージ化されている。それは、トークが終わってから目撃することになった。

トークは、いつもより短い時間で終わったのだが、それからが本当の、アイドルとファンの時間だった。会場にいた男性は、たまちゃんとりあちゃんの前に並ぶ。

アイドル側からは「物販」の時間なのだが、インスタントカメラでの撮影がある。ファンはアイドルにポーズをとってもらい撮影したり、アイドルと並んで写真に撮ってもらったりする。1枚500円。言葉をかわし握手したりする。自分を愛されるキャラクターとして商品化した結果は、この売り上げにシビアに反映するわけなのだ。

おれのように初めて見る者にとっては、興味津々の景色だった。

「いいDNA」のファンばかりだったのか、見ていてとても微笑ましいものがあった。

しかし、これ、大変な能力がいるビジネスだ。表現の能力だけではなく、他者との距離や関係をきちんと考えて、こなさなくてはならない。

彼女たちは、広報や宣伝の仕事についたら、いい成果をだすのではないかと思ったりした。

おれもときどきやっている、モノカキたちのエラそうなトークとまったくちがう。

だいたい、あれだ、ナントカという雑誌に書いています、とか、ナントカという新聞で連載しています、なんていうのを「肩書」のように使うようになったら、メディアによりかかり人間としては堕落している証拠だな。彼女たちは、若いのに、自らをメディア化し、自立している。

とにかく、次回のトークも都合つけて行きたい。

18時からは、いつものように、サン浜名で打ち上げがあった。それまで時間があったので、東十条の「天将」で一杯やって時間をつぶしてから参加した。

今回は、おれの前の人とおれの隣に座った人とおれも口をはさんで、「改憲」「反日」をめぐって、けっこう激しい議論になった。もちろん決着はつかないのだけど、もみあいを避けるよりは、はるかによいし、だいたい面白い。人間は、いろいろだ。

小さなもめごとから、大きなもめごとまで、もみあいが次のステージを生む、というのは、利害が対立する国やグループ間などで普通に行われているし、「市民」レベルでも当然だろう。

もめごとといえば、おれたち3人がああだこうだ言っていると、突然、おれの隣の人の隣の女性が泣き出したのだ。それも、みごとな泣きっぷりで、泣きじゃくりながら何かを言っては「わーん」という感じで泣く。以前、知り合いに飲むと泣きだす「泣き上戸」がいたのだが、それと同じような泣き方なのだ。

そのうち、彼女の向こうの隣の男性が、こずいたのかどうかしたのか、彼女は「いつも暴力、もういや、わーん」そのうち「もう我慢ならない、わーん、警察よぶ、わーん」という感じになり、携帯を持ってうずくまり、ボソボソボソ、本当に警察に電話をしていたらしい。

そのころには、もうおれもだいぶ酔っていてよく思い出せない。パトカーが来たらしいが、何事もなく、済んだようだ。ま、長屋のいさかいみたいなものか。

山田参助さんが来ていて、帰りも一緒に東池袋駅まで行った。前にも何度か会っているが、いつも遅く、おれは酔っている時間にあらわれているのではないかと思う。

せっかく会えたのに酔っていて、自分でもわけのわからないことを話しているなと思いながら、それでも、これだけはききたいと思っていたことをきいたのは、覚えている。いや、どうきいたかは思い出せないが、「あれよ星屑」は、自分の近親者の体験談などがもとにあるのか、ということだったと思う。そうではないということだった。それで、なぜか、やっぱり、よかった、と思ったのだった。という記憶はある。

みちくさ市、わめぞ、いつも何かあって、面白い。「多様性」というのは、頭ではわかっていても、本当に人間っていろいろだなということを骨身にまで実感し認識する機会というのは、あまりない。とくに認識が欠けやすい。

たいがい、なんとなくおさまりのよいイメージの範囲に、知らず知らずのうちにセルフコントロールしている。わめぞのみちくさ市へ行くと、そのことに気づく。

今回、おれは、いま考えていることにドンピシャの古本を買った。なんというよいタイミング。その本については、明日書こう。五十嵐泰正さんの『原発事故と「食」』(中公新書)に深く関係する内容なのだ。

当ブログ関連。
2017/11/22
鬼子母神通りみちくさ市、ノイズとカオスとDIY。

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2018/03/22

「新しい骨董」ボトルキープ100本記念飲み会@浦和ねぎ。

先週17日(土曜日)、「新しい骨董」の人たちが来て浦和で飲み会をやるというので、主催のくまさんから誘いがあり参加した。前にも同じような誘いがあったのだが、都合がつかず初めての参加だった。

会場は、浦和のねぎ。正式には、「串焼亭ねぎ」浦和店だ。ねぎのほかの店には入ったことがあるが、ここは初めて。深谷市から始まった店なので「ねぎ」という、と、くまさんに聞いた。なるほど。

「新しい骨董」というのは、以前に書いたことがあると思うが、世間的にはアーチストグループってことになるんだろう、メンバーは山下陽光、下道基行、影山裕樹の3人。影山下道と、漢字の尻とりでつながる。それぞれ福岡、名古屋、都内に住んでいる。それぞれ「職業」も違う。

その3人が浦和に来て飲むことになったのは、行ってから知ったのだが、浦和ねぎでキンミヤのボトル7合瓶を続けて100本キープすると2升5合瓶をもらえるというサービスがあって、「新しい骨董」で100本を突破したからだった。

19時スタートに間に合うように着くと、その2升5合瓶が出てきた。初めて見た。すごい迫力だ。

「新しい骨董」のボトルキープは、誰が飲んでもよい、ただし、飲み空けたら必ず次のボトルを入れておく、という仕組みで、浦和周辺で続いている。ときどき遊びに行く北浦和の居酒屋ちどりでは、46本目になっているそうだ。

「新しい骨董」の活動は、ほかにもあって、「裏輪飲み」というやつだ。これは100円ショップで300円で売っているマグネット付きの四角いプラスチックのカゴを裏返しにして、ところかまわず街中のシャッターなどマグネットが効くところに留め、その上にアルコールやツマミを置いて囲んで飲むというもの。

どちらも、2016年のさいたまトリエンナーレを契機に、さいたま市の浦和区を拠点に始まったらしいのだが、じわじわ広がっている。

この仕組み、とりあえず安く飲めるという、参加ハードルが低いのがいいし、まったく知らなかった人たちがつながっていきながら、普通に生活していると縁がなくなっている地域の中間的なコミュニティが形成されていくところが、すごく面白い。

それぞれの店と客というつながりをこえて、人びとが交差する。そこに、いろいろな「遊び」が生まれ、またそこで知らなかった人がつながっていく、という感じなのだ。

それぞれの店と客の関係を超えた、面白い動きが生まれている。

それは「共考」「共生」の場としても機能し、辛気臭い「地縁」とはちがう、生き生きとした人間関係が育つ。と、最近、五十嵐泰正さんの『原発事故と「食」』(中公新書)を読んで、「共考」「共生」は、やはり地域コミュニティが基本だよなあと思っていたこともあり、今回とくに強く感じた。

とにかく、30人ほどが集まって、盛大な飲み会になった。大ボトルには参加者全員が寄せ書きをした。会期はいつからか忘れたが、場所は広島現代美術館かな?での「新しい骨董」展に、これも出品する予定とか。

途中で山下さんに「インタビュー」されて、まだあまり酔っていなかったけど、酔ったようにいい加減な話をしていたのではないかと思う。

おれはもともと「昔はよかった話」にはあまり興味がなく、いまが、昔と比べてよいかどうかの問題ではなく、とにかく、いまが面白いと思っている。それは、「新しい骨董」のように、面白いことをしようという人たちが、たくさんいるからだろう。

少なくとも、「自分の人生を歩こう」という、おれはこれを勝手に「インディーズ精神」「インディーズ文化」と呼んでいるのだけど、そういう人たちの活動は、アノ「昭和」よりはるかに自由で活発になって、あちこちに存在している。それはレベルもいろいろだけど、お互いの生き方を認めあい尊重する流れは大きくなってきた。

たとえば、昔は映画館がもっとたくさんあって、もっとみんなが映画を楽しんでいた、というけど、昔は、それぐらいしか楽しみがなかったのであり、それも国民的には「正月映画」なるものが存在したほどで、メディアの「送り手」と「受け手」は、はっきり分かれていた。

そういう意味では、「私つくる人」「私みる人」というアートの関係も、変わった。誰でも表現者になれるし誰でも表現者なのだ。

ま、価値観の押しつけと盲従はなくならないのだけど、そういう人たちとは違う動きの広がりがあるわけだ。

それが面白くてたまらん。「新しい骨董」など刺激的に面白い。

ということで、23時まで、しっかり飲んで、ああだこうだしゃべり、楽しく過ごした。最後に店の前で記念写真を撮った。いい感じだった。

そうそう、これまで北浦和や浦和で遊んでいても、ここ東大宮の人とは会ったことがなかったが、初めて一人いた。東大宮での「新しい骨董」ボトルキープは、二つの酒場であったようだが、継続されていないらしい。これからだ。

この17日の翌日18日は、みちくさ市へ行った。一昨年のみちくさ市で、「新しい骨董」の人たちと初めて会ったのだった。

今回のみちくさ市も、これまた、すごい面白かった。まさに「共考」「共生」の場であり、素晴らしい。初めての「地下アイドル」。改憲議論もあったし、パトカーの出動まであった。そのことは、また明日。

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2018/03/16

共生。われわれはみな〈社会的〉に食べている。

思いつくままに、前のエントリー五十嵐泰正著『原発事故と「食」』(中公新書)がらみのことなんだが。

五十嵐さんとおれは、2013年2月3日 に、『みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』刊行記念イベントとして、「どうすれば『みんなで決める』ことができるのか?」「『いいモノ』食ってりゃ幸せか? 我々はみな<社会的>に食べている」という公開の対談をしている。

その内容は、こちら『SYNODOS-シノドス-』に掲載になっていて、ごらんいただける。
https://synodos.jp/society/3222

「社会的に食べている」は、なかなか実感としてわきにくいだろうと思う。想像がわきにくいというか。それは「当事者」と「部外者」の感覚のちがいにもなりやすく、それが分断の根になったりする。

「分断」というのも、なかなかわかりにくい。本書=『原発事故と「食」』は、「分断された言説空間」とか「社会的分断」という表現を用いている。

世間には、さまざまな「対立」や「ギャップ」や「差異」や「因縁」や「偏見」や「優劣観」や、とにかく「分断」の根になりかねないことがたくさんある。

五十嵐さんは社会学者だが、おれは一介のフリーライターで、なんについても素人だから、そのあたりをごく気楽に考えると、「分断」なんか気にせずに、本書にもあるが、とにかく何事につけても「共考」「共生」でいきましょうよ、という姿勢が日ごろから大事なんじゃないかと思っている。

今日も先ほどスーパーへ行って来た。そこでフト考えた。

スーパーというシステムは、なるべく属人性を排しながら成り立ってきているので、「共考」「共生」という感覚がわきにくい。従業員とも売場主任とも店長とも口をきいたことがない。誰がそうなのかもわからない。

それが個人商店だと、立ち話でもして、「今年のカツオは高いねえ」「獲れねえんだよ。このカツオはさ、千葉産でいくらか安いかな」「すると勝浦かな、地震の前だったら小名浜に揚がったやつかも知れないね」「そうなんだよ、こっちはどっちだっていいんだけどね」といった話しを店主とかわして(実際、先日そういう立ち話をしたのだが)、それが「共考」「共生」を実感するベースになったりする。こういう話をしていると、ああ自分たちも原発事故の「当事者」なんだと思う。

が、しかし、今日スーパーの店頭で考えたことは、そういうことではなかった。

スーパーというのは、たくさんの消費者と「共生」しているはずだけど、とくに客の方は「共考」「共生」の関係にあるという認識は薄い。それは先に述べたスーパーのシステムの問題でもあるが、ひとり一人が資本主義社会やそのシステムについてあんがい知らないということも関係するだろう。

資本主義やスーパーを主体的に理解しようという機会も、あまりない。生まれたときから資本主義とそのシステムのなかで生きていながら。

大きなシステムで動いているわりには、そのシステムについては、わりと無関心なのだ。それで、なにかコトがあると、クレームをつけたり、ひたすら不信感をつのらせたりする。

だけど、スーパーも人間が動かしている。「なるべく属人性を排しながら」のシステムというのは、カンジンなところは人が握っている。たとえば、バイヤーがいる。いまどきの金融取り引きはAIだのと言っているが、鮮度が大事な食品は、そうはいかない。そのうちにどうなるかはわからないが、かなり自動化がすすんだとしても、バイヤーはなかなかなくならないだろう。

スーパーを含めた流通業者は、とかく「利」だけで動いているように見える。実際、そうなのであり、コンマ以下のパーセントが利潤に影響を与える商売だから、それはもう細かい。だけど、同時に、たいがい消費者と生産者とのあいだにあって、「共存共栄」を追求する姿勢もある。それがなくては商売が成り立たないからだ。

ところが、生産者と消費者は、スーパーと売買取り引きだけの関係になりやすい。消費者は、スーパーなんか生産者のあいだに入ってピンハネしているだけだろうと思っているし、生産者も消費者のあいだに入ってピンハネしているだけと思っている。

実際、スーパーのバイヤーが生産者に憎まれるほど嫌われている例を、けっこう目の当たりにした。この場合の生産者は農業者だが。

で、今日スーパーで思いついたことは。

やっと、その話だ。

『原発事故と「食」』は、「復興」のためのマーケティング的アプローチについて述べているが、そのマーケティングの対象は主に消費者であったり、生産者の「個別の商品の市場特性をふまえたマーケテイング」であり、流通業者はあまり意識されてないのではないかという気がした。スーパーは視野の外側という感じもある。

それはたぶん、消費者が動けば、スーパーも福島産を扱うようになる、という考えなのだろう。

それは真理だろうけど一面であり、スーパーは消費者の反応に敏感ではあるが、最も実利的であると同時に共存共栄の理念を共有しうる太いパイプであることにかわりない。そして、スーパーは人間が動かしているのであり、バイヤーがその気になると、大きく動くことも事実だ。

声をかけていかないかぎり振り向いてはくれない。

なにはともあれ、それはマーケティング的にはチャネル政策の課題になるだろうけど、根本的には自分が生きている資本主義社会とそのシステムに主体的に関わる課題ではないか。

なーんてことを考えながらスーパーで値引きシールのついた商品を探して買ってきたのだった。

このあいだ、何度も高円寺に通っていたとき、JR高円寺駅の改札出口で福島物産展をやっていた。たぶん1週間ぐらいやっていたと思う。野菜が中心で、たくさんの人が買っていた。

本書に書いてある原発事故の風化により、「何となく悪いイメージ」が固定化しそうな中で、人通りの多いところで福島の幟旗を掲げ人だかりをつくることは、「何となく悪いイメージ」の払拭になるような気がした。ま、それは手間のかかることではあるが。

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2018/03/11

3月11日だから、五十嵐泰正著『原発事故と「食」』(中公新書)を読んで考えた。

「大上段に振りかぶった脱原発論でも複雑な科学論議でもなく、安易に「福島の声」を代弁するのでもなく、まずは生活者・消費者として、2011年3月から自分が何かに悩み、憤り、悲しい思いをしてきたのかを振り返ってみること。そのときどきに下した一つひとつの小さな決断が、どういう意味を持っていたのか、あらためて考えてみること。/原子力発電を、肯定するのであれ否定するのであれ、いまこの社会に必要なのは、一人ひとりのこうした省察と、日常的な場でそれを話しあってみることだと、私は強く感じる。結果として出てくる答えは、読者の数だけさまざまであろうが、この本で提示したデータや論点が、その思考の一助となることを願っている」

著者の五十嵐さんは、本書の最後の終章「そして、原発事故の経験をどう捉えなおすか」を、こう締めて終わっている。ちなみに、終章の前は第4章「最後に残る課題」だ。

今日は、2011年3月11日から7年目だ。あれからを振り返るには最適の日だ。だからまあ、まだもっとよく読んでから書くべきかなと思いながら、とりあえず、これだけは今日中に書いておこうか、ということなのだ。

東電原発事故後の食をめぐる混乱は、いまも続いていて、その全貌はつかみにくい。本書の著者は社会学者であり、その混乱をもろに被った千葉県柏市の住民だ。

柏市は都市近郊農業が盛んなところだが、突如「ホットスポットの町」になり、「買い控え」被害にさらされた。生産者と消費者のあいだには不安や不信が広がり、分断が深刻化しつつあったなかで、その克服のために「「安全・安心の柏産柏消」円卓会議」が生まれ成果をあげた。その活動は『みんなで決めた「安心」のかたち』(亜紀書房)にまとまっているが、著者は同じ五十嵐さんで、その活動のリーダーとして活躍した。

その「当事者」としての経験が、本書を書く動機にあると読めるし、またその経験があってこその本書だとも読める。序章「分断された言説空間」は、「ホットスポットとなった柏での経験」から始まる。

その経験のポイントは二つある。

一つは、原発事故以後の問題群を【科学的なリスク判断】【原発事故の責任追及】【一次産業を含めた復興】【エネルギー政策】の4つに分け、それぞれを「切り離し」議論し対策する考えだ。これらは相互に絡みあっているのだが、あえてわける。そして、「「風評」の払拭という【一次産業を含めた復興】についての議論に集中しよう」ということなのだ。

二つめは、マーケティング的アプローチだ。つまり実際に日々、生産したり売ったり買ったりの関係のなかでの解決を図ることだ。売り上げの回復こそが「復興」なのだ。市場の事情と動きは、ものによって異なる、一様ではない。そこを把握し個別に対策し成果をあげるためにもマーケティング的アプローチは有効だ。

国会にならえば、国政レベルのことは何でも討議できる予算委員会ではなく、個別の委員会の一つ、というのが本書の役割だろう。もつれた糸をもつれたまま議論していても、議論で食べている人はいいかもしれないが、実際に日々ものを作ったり売ったり買ったりで成り立っている生活は、不安が増すばかりで見通しが立たない。

とはいえ、柏と福島では、かなり状況がちがう。著者は、そのちがいと類似性を詳細に検討し、ときには個別の食品について対策の提案もする。著者は、柏の経験を生かして福島で復興の活動をしているグループのアドバイザーもしているから、どの話も具体的だ。そのデータは多岐にわたり豊富で、データの整理は学者らしく、さまざまな方法論やモデルを活用している。それだけでも、さまざまな問題解決に有用な知見がたくさんある。

福島県の具体例は、「地域創生」というテーマから見ても、なかなか興味深い。考えてみれば、「復興」は「創生」でもあるのだ。地方の産業は大きな課題を抱えているが、その問題が福島では先鋭的にあらわれている、と見れば、本書の「切り離し」とマーケティング的アプローチは、書かれている以上に多くの教訓やヒントに満ちている。

本文210ページのうち126ページまで、序章「分断された言説空間」、第1章「市場で何が起こっていたのか」、第2章「風化というもう一つの難題」は、マーケティング的アプローチの具体的な話が大部分を占める。

第3章「社会的分断とリスクコミュニケーション」から、様子がちがってくる。つまり「マーケティング的解決から取り残されるもの」に踏みこむのだ。これは「市場」というより「人間」レベル、「社会」と「個人」そして「個人」と「個人」の関係になるだろう。

「リスクコミュニケーション」という言葉は、一般的にはなじみのない言葉だが、よく読むと、ようするにリスクをめぐっても、人としての普通のコミュニーケションを大切にすればよい、ということのようだ。著者は、リスクコミュニケーションの重要性を提唱してきた社会心理学者・木下冨雄のリスコミに関する定義を引用しながら、「ポイントは、「共考」して、「問題解決に導く」という点だ」と指摘する。

共に考える。この姿勢は、コミュニケーションのイロハのイだろう。だけど、それが簡単でない。他者を自分の知見や価値観などに従わせるのがコミュニケーションだという勘違いはざらにある。ちょっと疑問や批判を出しただけで「敵」にされる「友/敵」関係が、けっこうはびこっている。

おれの考えになるが、こういう抑圧的なコミュニケーションは、「食」をめぐっては、とくに頑強な積み重ねがあり、まっとうなコミュニケーションが難しい土壌があるところへ、放射線リスクの問題だった。

「共考」によって信頼関係を築く。それが混乱と分断を固定化させないためにも、混乱と分断をのりこえるためにも必要だ。著者は、チェルノブイリ事故の深刻な影響を受けたノルウェーまで取材し、説得力のある事例を展開する。説得力はあるが、日本のコミュニケーションの実体は、そこからあまりにもかけ離れていることも、実感する。

「どのような意見であっても間違いと決めつけない」「最後まで、きちんと話を聞く」ということが、日本ではどんなに難しいか。「異なる他者への寛容性」など、とっても難しい、絶望的に難しい。だいたい、合理的でない選択についても、ちゃんと耳を傾けなくてはならないのだ。だけど、そこをこえなくてはならないのだなあ。未来のためには。

というわけで、福島については、「いたずらに福島に関わることのハードルを上げるのではなく、さまざまな立場や考えかたの人に広く開かれた復興の道を歩んでほしい」と、著者はいう。

だけどね、ハードルを上げてエラそうにしている人たちが、「食」の分野では少ないのだなあ。それこそマーケティングやブランディングも関わって、ハードルを高くするほどよろしいかのような、そして、そこにハードルをこえられるものとこえられないものの分断も、そろそろ固定化しつつあるようにも見える。

なにはともあれ、日ごろ自ら関わっているコミュニケーションも含めて、2011年3月11日を境に経験した、迷いや屈託や傲慢や無関心や興奮やというレベルから、自分のあれこれを捉えなおすことなのだ。そうして、自ら一つひとつを確認しながら積み重ねるしかない。本書は、その手助けになる。

第4章「最後に残る課題」、終章「そして、原発事故後の経験をどう捉えなおすか」では、著者の「真情」らしいことが控えめだがあらわれる。その「真情」は、著者が柏で当事者としての味わった苦悩や切なさだったのだろうと想像がつく。それは、放射能リスクをめぐって「分断」を真のあたりにした、一人の真摯な社会学者の身が裂かれるような思いだったのではないか、と。

その分断が、福島をめぐって、もっと大規模かつ深刻に表出した。だから、著者はじっとしていられなかったのだろう。

本書は、これほどしちめんどくせえことはない混乱している分野で、議論の場を買って出たようなものだ。よほどのことだ。だけど、無視する人はいるだろう。疑問や批判は、いろいろ出るだろう。

おれの一つの懸念は、本書は「右」でも「左」でもない「中立」の書として読まれる可能性があるし、すでにそういう向きの感想もある。だけど、「右」でも「左」でもない、ではなく、「右」も「左」も包括しうる姿勢であるところに、本書の意義があるのではないかと思う。

差別は排除するが、それ以外は、不合理があっても排除はしない。耳を傾ける。

「食」についていえば、それぞれの選択を無条件に尊重する。「無条件」という言葉を著者は使っていないが。

寛容の試練は、著者だけではなく、共に負うものなのだ。難儀だけどね。

そう何度もあってはならない経験を無駄にしないためにも。いまを生きる一人の人間として、そう思うわけだ。

当ブログ関連
2018/03/06
ものごとは多面的。
2018/02/18
「右と左」。

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