2019/12/16

最近の「入谷コピー文庫」と堀内さんのこと。

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知る人ぞ知る「入谷コピー文庫」、創刊はいつだったかなあ、2005年のようだ。ブログの2005/09/15「入谷コピー文庫と谷よしのと女中のウダウダ」に、こう書いている。

http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2005/09/post_3212.html
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入谷コピー文庫、聞いたことないだろう。編集発行、堀内家内工業、知らんだろう。

テーマは筆者の自由で、A4サイズ10枚以上30枚以下で原稿を仕上げ、堀内家内工業に渡すと、それを15部だったか17部だったかコピー製本して配布するという仕組みだ。「30枚以下」と決めてあるのは、それ以上だと「ホッチキスの針が通りませんので」ということなのだな。

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できあがった10数部は、発行人の堀内家内工業に選ばれたものたちの手元に届く。もちろん郵送料も含め、無料だ。おれも何度か書いているし、『大衆めし 激動の戦後史』に収録の「生活料理と「野菜炒め」考」は、入谷コピー文庫が初出で、その時のタイトルは「現代日本料理●「野菜炒め」考」だ。

身銭をきってのこの堀内家の所業、堀内さんがリッチな人なら道楽にすぎないのだろうが、どうだろうか。堀内さんはおれのことを「ビンボーを背中にしょった不器用さ」というけど、彼のビンボーもおれといい勝負なのであり、いや、おれは彼の方がビンボーで不器用と思っているが(なにしろ彼は、おれよりかなり若いのに手紙と固定電話以外の通信手段がない。ブログなどは図書館のインタネットを利用して見ているようだ)、とはいえ、どっちがよりビンボーかを争ってもツマラナイのであり、ようするに二人とも不器用なビンボーであり、おれはただの貧乏人だが、こんな所業を続けている堀内さんは「編集者の鏡」であり「出版人の鏡」なのだ。いや、そういう「職業的」な存在以上に、「人間の鏡」だろう。こういう人こそ「人間の鏡」とよんでいい。

この「入谷コピー文庫」、「知る人ぞ知る」と書いたが、おれは有名人をあげて権威づけるようなことは嫌いなのであげないし、そういう不器用者であるのだが、こんなのたかがコピーをホッチキスでとめた貧乏くさい冊子じゃねえかという姿からは想像できないだろう、とんでもなく有名人のファンがいる。だから、おれのような有名人でも、たまーにしか届かない。

最近届いた2019年10月1日発行の『勝手に忌野清志郎語録』は通刊119号であり、2019年12月3日発行の『みーんなの言葉』は通刊123号だ。つまり10月1日から12月3日のあいだに、4冊も発行していて、おれが頂戴できたのは2冊。

忌野清志郎。おれは、あまり自分の好みや正しさや趣味のよさを吹聴する方ではなく、そういう不器用者であるのだが、忌野清志郎は、けっこう好きであり、ブログにもたまーにそっと静かに清志郎のことを書いていた。だから堀内さんは、これを送ってくれたのだろう。

ロックもパンクもわからねえが、忌野清志郎の言葉は響く。ついでが、清志郎とどっちこっち言えないほど好きなのが峯田和伸だ。カラオケじゃ清志郎の歌はうたったことがないが、「銀杏BOYZの青春時代」は、よくうたったね。もうトシだから、カラオケには行かないけど。

そうそう、それで、最新の123号『みーんなの言葉』は、第一章「生まれけむ」、第二章「生き切るには」、第三章「生きてこそ」であり、この章立てからも、堀内さんの優れた才能がわかるだろう。

この第二章に、おれのオコトバが選ばれていて、だから送られてきたものらしい。そのオコトバは、こうだ。

「政治に限らない、「世のため人のため」を笠に、何かの中心に立ちたい、注目されたい、自分の名や生きた証を残したいなんて野心は、ろくでもないことを残す」

これ、どこに書いたか覚えがなく、ブログを検索してみたが見つからない。もしかしたら四月と十月文庫『理解フノー』かなと思うのだが、もうトシだから、と、なんでもトシのせいにして覚えていない。とにかく、いつも思っていることには違いない。ま、何かの中心に立つことも、注目されることもないのだが、その気もない。

「身を立てる」だの、「世に出る」だのなんて、とくに明治政府が鼓舞して続いている立身出世の封建思想であり、いまどきの「新自由主義」とは相性がよいようで、「自己責任論」と共に大通りで大手をふっているが、そういう思想は、ろくでもないことを残すことは、事例がありすぎて、目も当てられない。

ところで、同じ第二章に、車谷長吉の「小説を一篇書くことは人一人を殺すぐらいの気力がいる」という言葉があって、車谷長吉ならそうであろうと思って、笑って納得した。

「いい仕事のためにイノチをかける」ような言い方は腐るほどあって、腐っているが、「人一人を殺すぐらいの気力」で仕事をする人は、そうはいないだろうし、こういう言い方は車谷長吉のことだから真実味がある。

『勝手に忌野清志郎語録』の奥付に訃報の「ご挨拶」が載っていた。「8月8日に、母、堀内一子が他界しました。88歳でした。この号が堀内家内工業3人で作った最後の号となりました」とある。お悔やみ申し上げます。

東京で暮らしていた堀内恭さん夫妻が、病の父母がいる高知の実家へ介助や介護のために通うようになり、高知で過ごすことが多くなったのは、いつからだったか。もう10年以上たっているのではないか。

最初は、母の一子さんが病の床につき、付き添っていた父も病になり、そして父の方が先に逝かれた、と記憶している。なんにせよ大変な日常が続いていたのであり、堀内さんの身体の状態も悪くなり、その様子は『勝手に忌野清志郎語録』で堀内さんが書いている「はじめに 痛みと希望」からも、ひしひし伝わってくる。

なのに、このように入谷コピー文庫を発行し続けている。

「なのに」ではなく、「だから」かもしれないが。

どのみちおれのようなズボラな怠け者には、逆立ちしてもできないことだし、ちょっとでもやる気がしないことだ。ただ、「入谷コピー文庫」と堀内さんは、希望であることは間違いない。

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2019/12/12

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」85回目、谷在家・みたけ食堂。

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まだ10月18日の分もここに掲載しないうちに、今年のオワリが駆け足で近づいてくる。10月と12月、たった2か月のことなのに、この新聞が出た頃と今では、いろいろずいぶん違うような気がする。おれの生活は、あいかわずなのだが。

とにかく、慌てて急いで掲載しよう。

足立区谷在家のみたけ食堂だ。日暮里・舎人ライナーができるまでは、行きにくいところだった。いまでは、西日暮里から10分ぐらいで最寄り駅の西新井大師西に着いて、歩いて5分とかからない。しかも高所を走るモノレールに乗って、日頃見慣れない景色を見ながらであり、チョイと小旅気分。

なんだかすごく気持のよい食堂だった。旅先で、土地の大衆食堂とよい出合いがあるとうれしいものだが、そんな気分だった。といっても、特別のことはない、環状7号沿いにある普通の大衆食堂であり、そこでメンチカツとキンピラで丼めしを食べただけなのだが。

入口に「みたけ食堂からのご案内」というポスターがあって、利用の仕方が印刷されていた。「①カウンター左のおぼんを取って下さい。(ご飯の大きさは選べます)②お好みのおかずを取って下さい。③お会計は食後です」とあった。

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おお、セルフサービスのカフェテリア式を導入したのかと思ったが、会計が後払いであるから、好きなおかずを自分でとる食堂とあまり変わるところはない。レイアウトも、カフェテリアのように機械的=実務的ではないし、お茶も、気持ちのよいご主人が席まで持って来てくれる。

幹線道路沿いで、数台の駐車場があり、クルマの客が次々と出入りする。作業着姿のドライバーもいれば、営業マンらしい男たち、移動の途中らしい中年の夫妻、近所の親子など…。

ここは、都心から見れば、足立区の荒川の外側だ。いわゆる「下町」とも違う。埼玉県と隣接しているし、いまでは住宅が増えて「東京の侵略」が続いているが、かつては農村であり、のちに都心で疎まれたものを引き受ける土地になり、工場や倉庫が多かった。そのせいかどうか、人間がせかせかしたところがない。

ゆっくり自分のめしをかみしめながら食べた。うまい食事だった。「食べ物」の質だけではなく、「食事」の質について考えていると、いろいろ見えてくることがある。そうそう、年季の入ったブリキのようなアルマイトのようなお盆が渋く、どうしてもこれを写真のメインにしたくなるのだった。

すでに、東京新聞のサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019101802000178.html

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2019/12/02

5年ぶりの北九州。

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あわただしい年末スケジュールのなか、元旦の新聞記事のため、北九州(福岡市ではなく北九州市)へ行ってきた。2007年7月と8月、2008年9月、そして2014年10月のあと5年ぶり。

28日の朝、羽田を発ち北九州空港で27歳の男に拉致され19時過ぎに解放、一人になってまずは旦過市場の「赤壁」で角打ち、のち6月に亡くなったヒグラシ文庫の中原蒼二さんを偲びながら角打ちをしようと小倉駅北側の「井出商店」へ行ったが、井出商店があるはずと思っていた場所はコインパーキングに、というのは、おれが場所を間違えていたからと帰宅して調べてわかったことなのだが、なにしろスマホを持っていないからね、そのときは駐車場になってしまったのか残念だなあと暗い駐車場で佇み、南側に引き返し「無料案内所」の看板が多い一角、5年前は80歳だった女将がにぎる寿司屋へ行ったところが、10人ほどのカウンターだけの店内は満席、それならば「武蔵」で一杯やってから再度行けばよかろうと魚町銀天街へ、「武蔵」のカウンターで21時半ごろまで、いい加減に酔って寿司屋に戻ると女将が電気ストーブのそばでビール瓶とビールが入ったグラスを前に居眠りしている、おれのことをすぐには思い出せない模様、5年前に初めて行ったときは何人か一緒だった、彼女は「明日また一人でおいで」というから義理がたいおれは翌日一人で行ったが、80歳の女と71歳のおれとのあいだにはナニゴトもなかった、ちょっと寝ぼけていた女将は「換気扇がきれいだとほめた人だね、換気扇がきれいだとほめられたのは初めてだから覚えているよ」と目覚める、それからは話が止まらない、もうくたびれて何かつくるのは面倒だけど酒ならあるよってことでビールをさしつさされつってことになりまして、85歳の女と76歳の男の話ははずむ、24時近くなって彼女もときどき目をこするしおれも何しろ久しぶりに朝から動きっぱなしだったから眠くなり帰ろうとするが帰してくれない、ま、話も面白かったのであるが、けっきょく24時半ごろまで、帰り「丸和前ラーメン」の前を通ったのでラーメン食おうと思ったが、若い連中がドンチャカ満席、ホテルにもどってベッドに転がりこみ気が付いたら朝。

10時すぎにホテルをチェックアウト、5年前に午前3時ごろまで飲んだ「白頭山」がある一角へ、ここに残っている貴重な文化財「名画座」薔薇ピンク館は無事にあったし並びのストリップ劇場も無事だったが、立ち飲み屋などが並び小倉駅南口にぬける通路でもあった戦後的風情の大丸ビルは再開発され壁となり立ちはだかっていた、「白頭山」24時間営業だが11時から取材なので飲む時間がないガマン、5年前ここで飲んだときは確か3軒目だったかで深夜おれのほかは若い女ばかりだったと思う、その中にたまーに東京などで何度か飲む機会があった女が一人取材で来ていて一緒にいた、彼女は駅の北側のホテルおれは南側のホテルだからJRのガード下を北側へ抜ける午前3時ごろで人っ子一人いない通路を行く彼女と「バイバイ、また」と別れた、どうせまた飲む機会があるだろうと思っていたのだが次はなく彼女は急逝、ということを「白頭山」の前で思い出したりして、11時から取材、終わって飛行機の時間まで「平尾酒店」で角打ちをやりながらインタビュー攻めにあう、約1時間半もの角打ちは長すぎだが夕方まで客は来ないからという酒店の80歳のおばさんがイスを出してくれた。

羽田に着いたのが18時すぎ、品川に出て東京を南北に縦断し飛行機に乗っているのと同じぐらいの時間がかかって帰宅、一番疲れたのが羽田からだった、東京の過剰さの異常を身にしみて感じた。

北九州、人口流出にストップがかからないようだが、湯水のように金がかかる東京のようになりながら「発展」するのも考えもの、北九州なりの道はどこか、というあたりのことにも関係する今回の仕事だった。

行ったついでに2、3泊してウロウロしたかったが、余裕がなく帰って来た。短い滞在でも、産業と市場の支配が強い首都圏を離れ、「食べる」と街と人の生き方をいろいろ考えてみるいい機会になった。北九州は街も人も気取ってなくていい、一人の若い人が「北九の人は「雑」だけど、最近はそれがよいように思うようになった」というようなことを言った。一人ひとりが人間として活きている、味わい深い街の個性は、そこからたえず再生産されている。

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2019/11/12

産業化と市場化、「かんだ食堂」など閉店の事情。

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前のエントリーは5日だったが、その翌日6日、リニューアル仕立ての「ヨッ大衆食堂」のコーナーに「かんだ食堂」をアップした。

そこに書いたように、かんだ食堂は、昨年の3月18日に閉店した。ビルオーナーがビルを売却したことにともなう退去閉店だ。ビルは取り壊され「再開発」される。
http://entetsu.c.ooco.jp/00_syokudou/syokudou_tokyo/akihabara_kanda_syokudou.htm

たしか、かんだ食堂は、この近くで開業し、このビルができた1959年にここに移転したはずだ。4階建てのビルも老朽化しているが、古い中小のビルは耐震構造の問題もあり、建て替えか売却かの選択をせまられている背景はある。

そうであったとしても、中小のビルオーナーの選択肢は限られているし、店子の小規模経営者の選択肢など「無い」にひとしい。

東京は、オリンピックとオリンピック後をにらんでの「再開発」が活発だ。また、いつか通った道が繰り返されいるのだが、麻薬中毒のようにやめられない。

今年1月、拙著『大衆食堂の研究』にも登場した大正7(1918)年開業の、笹塚の常盤食堂が閉店した。店主夫妻の高齢化と後継者がいないことによる。

知っている限り、年内閉店予定の大衆食堂がもう一軒ある。昭和20年代の開業、店主が高齢もあるが、直接には道路拡張のために建物が取り壊されるためだ。この道路拡張は、以前から計画としてあったものがオリンピックを理由に実施された。

小規模経営の大衆食堂は、産業化や市場化の「圏外」に位置していた。いわゆる「生業店」であり、その空間は、近代合理主義的なマネジメントやマーケティングの影響が少ない、生活的存在だった。

そういう小規模経営が街角から消え、生活的空間だったところは産業と市場に組み込まれ、近代合理主義的なマネジメントやマーケティングが支配するところとなる。これが、とくに1980年代以降の「再開発」といわれるものだった。

東京の消費者は、こういう「再開発」に、すっかり飼いならされた感じもある。街は、キレイにスタイリッシュになるし、とても便利、と、失われたこと排除されたこと、その先に何があるか、といったことについては目をつぶり、快適で愉快なことだけを見て過ごす。これも、麻薬的効果か。

いまここにあげた三つの食堂は、経営に行き詰まっていたわけではない。かんだ食堂は、大にぎわいだったし、常盤食堂などはそこより駅に近いほうにチェーン店が何軒かできても生き残ってきたし、年内閉店予定の食堂も駅から10分以上離れていても生き延びてきた。統計はないが、1980年代以降の大衆食堂の閉店は、再開発と後継者難によるものが多いと思う。

世間的には、産業化と市場化が資金力にものをいわせ圧倒しているようだし、産業や市場サイドからの情報が圧倒しているから、小さな生業店などは経営能力も低いのだからなくなって当然という見方もある。

そのように見方や考え方まで産業的市場的になり、仕事の成果に直結する能力や技術などの評価だけが問われ、あるいは仕事の実績や成功を強調したりするが、「人間としてどうか」「暮らしとしてどうか」「街は誰のものか」なーんていう問いかけは、どうなるんだろうね、いいのかね。

とはいえ、産業化や市場化は、すべてを支配できるわけではない。そこが、おもしろい。

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2019/11/05

「ザ大衆食」のサイトのリニューアルが少し進んだ。

いつごろだったか、SNSは、おれのテーマや目的とはあまり相性がよくないなと気が付き、やはり初心にかえって「ザ大衆食」のサイトを充実させようと思ったのだが、なにしろ2002年の4月から、ちゃんとしたツリーのシステム構築なんぞ考えずに、思い付きの成り行きのクリック地獄でやってきたものだから、もうゴチャゴチャしすぎてどこから手を付けてよいやら状態だった。

めんどうだから放り出したり、またやってみたり、いじっているうちに、どうやら突破口が見えてきた。とりあえず、「ザ大衆食」の中の「ヨッ大衆食堂」のページだけは、トップからリンクをたどれるようにし、それぞれの大衆食堂までにいたる中間の「もくじ」にあたるところまでは、整理がついた。と、自分では思っている。

あとは、それぞれの大衆食堂のページをつくり、もくじとリンクでつなげばよいのだ。

しかし、しばらくのあいだブログにチョチョッと書いては、サイトの方は放っておいたから、ずいぶんたくさんの大衆食堂のページをつくらなくてはならない。

おれは蒐集癖はないし、大衆食堂全国制覇!なんてことは趣味じゃないから、成り行きで入った食堂ばかりだが、それでも、「もくじ」を見てもらえばわかるが、東京新聞の連載が7年も続いたりで、なんだかんだけっこうな量になった。

これを、アーカイブスとして活用できるようにすればよいのだが、そこまでする意欲も根性もない。

ま、でも、作業はすすめやすくなったから、コツコツやるとしよう。

しかし、これ、「ヨッ大衆食堂」のコーナーだけなんだよなあ。まだほかに4つもコーナーがあるし。

生きているうちにやれるのか。

それにしても、すいぶんたくさんの大衆食堂がなくなった。でも、ほかの壊滅状態の物販の小規模経営店に比べたら、よく残っているともいえる。

こちら、ご覧ください、クリック地獄!

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2019/11/03

『台灣漬 二十四節気の保存食』(種好設計著、光瀬憲子訳、翔泳社)で暮らしを考える。

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「レシピ本」という括りにはおさまらない良書だと思う。

正直なところ、いただいたときは、「ああ、また、例のアレね」と思ったのは、帯に松浦弥太郎さんの例の言葉があって、帯の背には「台湾の丁寧な暮らし」とあったからだ。表紙も、ソレっぽいし。

が、パラパラみていくと、ちがう。それこそ、「丁寧」に読みたくなって、じっくりしみじみ浸ってしまった。

二十四節気というのは、かつて日本の暮らしの中にも色濃くあった、いわゆる旧暦に従った暮らしだ。戦後「西暦」といわれるグレゴリウス暦が、すみずみにまで一般的になっても、1960年前後までは、おれの周囲では「旧正月」を祝う風習も姿を少し変えながらもあったし、どこの家庭にもあった「日めくり」には、旧暦の日付が併記されていたし二十四節気に従った生活の言葉などが印刷されていた。

おれの体験では1950年代後半ごろまでは、節句のほかに節気に従ってチョイとしたハレの気分の食事があった。といっても、モチ米を使った餅や餅菓子の類が多かったのだが、「ハレ」は旧暦の行事食の日だったのだ。いまでも、「小寒」「大寒」「立春」など言葉としては残っているが、食の方まではどうだろうか。

それは、見方によっては「農村的暮し」だったといえる。「農村的暮し」と見ていること自体を考え直し、イマを生きる「人間として」の生き方と、食べることや食べ物との関係の中に位置付け直す必要があるのではないかと思っている。そのためにも、この本は、思想レベルから保存食のハウツーレベルまで、たくさんの示唆に富んでいる。

これを、「台湾の丁寧な暮らし」としたのは日本人の側であり、そういう概念でとらえる日本人は少なくないだろう。しかし、この本の内容自体は「丁寧な暮らし」を謳っているわけではない。伝統回帰や自然回帰でもないし、「上質主義」でもない。もちろん、松浦弥太郎さんの思想ともちがう。読後、そこにあるギャップは、なかなか興味深いなあと思ったのだが、それはさておき。

著者プロフィールを見ると、「種好設計」は、「台湾のデザイン事務所。グラフィックデザイン、WEBデザイン、プロダクトデザインなどを手掛けるほか、体験をデザインする「ストーリーテリングデザイン」を提供」とある。この、「体験をデザインする「ストーリーテリングデザイン」を提供」ってのが、大いに気になった。

おそらく、この本も、先人たちの体験を「ストーリーテリングデザイン」したものではないかと思われる。そのことによって、先人の暮しの知恵は、かつてとは環境も生活も異なるイマに生きていくことが可能になる。

たとえば、保存食について「美味しさの蓄積。/新しい発見。/そして/変化という知恵。」と述べる。

保存食というと、とかく観光地の土産物の漬物のような古色蒼然としたイメージが漂うが、そうではない。新しい生が吹き込まれ生き生きとしている。

「暮しの知恵」は、とかく「ハウツー」に矮小化されがちだけど、この本は、もっと深いというか、ハウツーの背後にある普遍のレベル、宇宙に生きる生物としての人間の暮らしから考え、ハウツーと連動している。だから現代の暮らしの中にもデザイン化されるのだ。

たとえば、「立秋」の項は、「干しブロッコリー+干しキャベツ+干しサヤインゲン+干し筍+芥子菜漬け」であり、その立秋の暮らしを語る文章には、「太陽さえあれば」のタイトルで次のような言葉がある。

「万物は水から生まれたと言われますが/一方で水は万物を腐らせるとも言われます」

干し物の「宇宙観」とでもいうか、「料理」はつきつめれば水分のコントロールに至るわけで、それは、人間も食材も宇宙の生物として存在しているということに深く関係する。

おれは、この言葉から、按田優子さんの『たすかる料理』(リトルモア)の中の言葉を思い出した。それは「おかず 乾物と漬物に助けられる」の「乾物」の項にある。

「冷蔵庫が普及していなかった昔から、農作物は、時期が来たら収穫してその後すぐに加工して保存されてきました」と書き出し、「思えば料理に使う食材の大部分は、保存状態からスタートするのです。世界中の料理に共通点があるとしたら、だいたいの料理が塩で味つけることと、スタートラインが乾物や漬物だということなのでは? と思っています」

また、たとえば、「春分」の「古干し大根」の項では、「時間がもたらすもの」というタイトルで、「大根はお酒と同じように/古くなるほど香りが増し、旨味も増します。/これこそが、時間のもたらす価値。/急いでも、できることではないのです」

時間がもたらす価値、それに空間がもたらす価値を、どうとらえるかで、生き方も暮しと料理も変わってくるのだ。

とはいえ、おれは、この本を読んで、ただちに保存食に取り組み「丁寧な暮らし」をするつもりはない。まず、民俗誌あるいは生活誌あるいは食物誌としてこれを読んだ。のびのびとした暮らしの在り方を考えた。

おれのような怠け者は考えるだけで、やろうとしない。だけど、すぐやってみたいものが一つあった。「寒露」にある「丸鯵の醤油炒め」ってやつだ。正確には、丸鰺を炒め、保存するのだ。小さな鯵が山盛り安く売っていると買って、揚げたり、南蛮漬けがせいぜいだったが、これは保存して料理に使える。

マメな人は、もっとたくさんやってみたくなることだろう。

「作り方」の説明は、日本の一般的な料理レシピのように「丁寧」ではない。作り方を読んで、想像はつくが、作り方がよくわからないものもある。それぐらいがいい、だいたい日本の料理本のレシピは細かすぎるし、それに頼る人が多すぎるのではないか。

翻訳の光瀬憲子さんは、台湾と日本の両方の文化に造詣が深くなくてはできない、いい仕事をしている。以前このブログでも他の著書を紹介したことがある、こちら。
2014/07/05
台湾にもある大衆食堂パラダイス。光瀬憲子『台湾一周!安旨食堂の旅』は快著だ!
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2014/07/post-d270.html

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2019/10/31

10月が終わる。アレコレ「遠くにつながる」。

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明日から11月。もう忘年会の予定が入っているし、11月12月は年末の束になって怒涛のごとく過ぎてゆくのだろう。何度も強調しているが、誰も気にかけてくれない、おれはもう後期高齢者なんだから、あまり巻き込まれたくないのだが、もう巻き込まれつつある。

それはそうと、10月も終わりで、ブログも書かない日のほうが多かったから、主な「お出かけ」だけメモしておこう。

10月14日は月曜日だけど休日で、吉祥寺のキチムで開催されていたスソアキコさんの「縄文のうた」展のトークがあったので行った。

吉祥寺の井之頭池周辺は遺跡だらけであり、スソさんは、お得意の詳細な地図とイラストにまとめて展示していた。あいかわらず、すごく詳細だ。前日13日は、参加者を募って、井の頭公園やその周辺を歩いて古代の気配を探すこともやったそうだ。

トークは18時半からで、なんと、原田郁子さんとなのだ。齋藤圭吾さんが「音響係」。

H岡さんとS木さんとは会場で待ち合わせをしたが、マリリンと川ちゃんも来ていた。そういえば、今年、キムチは二回目で、前回は川ちゃんのトークだったのだ。こんな「アートな」ことでもないと、吉祥寺なんか縁がない。

トーク、すごく面白かった。とにかく、スソさんは古墳部をこえて、弥生、縄文、この日は旧石器までさかのぼっていた。学術的なことではなく、自分の感覚を働かせ「古代の気配を探す」、というスタンスが楽しくていい。

井之頭池周辺は、住宅やビルで埋めつくされているけど、地表から50~70センチのところには、縄文人が生活していた地面がある。年表で見ると縄文は遠い昔だけど、じつは、すぐ足元にあるのだ。

原田郁子さんは初めてだったが、ぶっとんでいて、なかなか面白い人だった。もちろん、歌もあって、そうそう、園山俊二のギャートルズから「やつらの足音のバラード」をみんなで歌った。ほんと楽しかった。

21時半頃に終わって、H岡さんとS木さんとマリリンと、清龍で一杯やって帰って来た。

17日の木曜日は、湯島の「シンスケ」で、打ち合わせというか、ようするにご馳走になった。11月発売というけど、まだ発売日のアナウンスがないから書けないが、本の帯文を頼まれたのだ。もう一人、帯文を書く方がいて、その方と著者と出版社の方と飲んだのだな。いやあ、アンダーグラウンドやらエロやら、面白い話が飛び交い、愉快な酒だった。そのことは、本が発売になってから書こう。

翌日の18日金曜日は、雑司ヶ谷鬼子母神の御会式万灯の練り歩きの最終日だった。例年のように、わめぞ一味から誘いがあり、薬局のガレージに集まった。酒やツマミなどを買い、少し遅れて19時半ごろになったが、万灯の通過には間に合った。あいにくの雨模様だったが、例年と変わりなく盛り上がった。

万灯もわめぞも、オープンでいい。ムトウに、久しぶりにあった。今年初めてだろう。しばらく姿を見せなかったのは、何かヘソをまげるようなことでもあったのか。ま、ナニゴトもギクシャクしながらだ。

そうそう、酔っぱらって帰ろうとしたとき、山田参助さんが来ているのに気がついた。ちょうど前日、もう何度目か『あれよ星屑』を読み終えたところだった。ということを参助さんにクドクド言って、握った手を放さず、てな、ほんとジジイのクドイ酔っ払いをやり、最後は、以前参助さんが書きたいといっていた「69年」を期待していますとか言って、みんなと別れた。

14日からの週は、都内へ3回も行ったから、くたびれた。

26日土曜日は、鎌倉のヒグラシ文庫へ行った。

春のトークでお世話になり、さらにそのトークをテープ起こしてまとめ、ネットに掲載し、さらに要約し『そのヒグラシ』というヒグラシ文庫の客たちがつくる雑誌の編集をやり中原蒼二追悼号「特集 あの男」にまとめるなど、大奮闘してくださっている干場さんをねぎらいながら、かつ中原蒼二さんのよい思い出わるい思い出をサカナにしながら飲むためだった。

『そのヒグラシ』は、ヒグラシ文庫まわりだけの超ローカル誌だけど、ほんとうによくできている。あらためてこのブログで紹介するつもりだが、こういういい雑誌で、「特集 あの男」を組んでもらった中原さんは、いろいろアレコレややこしいこともあったが、果報者だ。

ヒグラシ文庫から、有高夫妻が金・土・日だけ間借り営業でやっている「立ち呑み とむず」にハシゴし、ようするに15時ごろから20時ごろまで?飲んで、しかも立ち飲みで、泥酔帰宅した。

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2019/10/23

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」84回目、駒込・伏見家。

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またもや遅れてしまったが、先月20日朝刊に掲載のものだ。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019092002000218.html

染井銀座商店街の伏見家への最寄り駅は3つある。地下鉄南北線西ヶ原駅とJR京浜東北線上中里駅とJR山手線駒込駅だ。

おれは、さいたま市に住んでいるので、所要時間の少ない上中里駅を利用することが多い。駅から平塚神社の境内をぬけ、本郷通りを渡り、古河庭園の裏側の細い道を下る。木立の多い人通りが少ない静かな道をフラフラ行くのだが、このコースのよいところは、地形がわかることだ。平塚神社は武蔵野台地の突端にあるし、古河庭園も台地の上で、その裏の道はゆるい下り坂になっている。その坂を下り終えるあたりに、染井銀座商店街があり伏見家があるというわけだ。

染井銀座は、かつては台地の谷底の川だったところにあるのだ。「川の東京学」的には、荒川水系一級河川石神井川の下流域に位置する谷田川ということになるようで、昭和の初めごろ暗渠になり、街が形成された。ということらしい。

谷田川の暗渠は、染井銀座と隣接する霜降銀座をのせ、駒込駅近くを通り、田端銀座商店街へつながる。田端銀座をぬけると、動坂下の動坂食堂の近くを通り、千駄木谷中界隈にいたる。

台地側では豪邸や神社などは台地の上にあり、いわゆる「庶民的」な街と商店街は谷底にあり、いい大衆食堂は台地の中腹から谷底に残っている。という川の東京学的仮説は、それなりに根拠がありそうだ。

とにかく、染井銀座も霜降銀座も田端銀座も、生活感あふれる、いい商店街だ。いわゆる「ファッション性」は低めだし地味ではあるけど、消費力より生活力が感じられる。

「伏見家でめしを食べよう」というときは、あえて駒込駅から霜降銀座を抜け染井銀座に入る。この二つの商店街はつながっていて、そこに漂う、音や匂いや気配などを肉体で感じるのは、食欲のためにもいい。

霜降銀座は、昔の建物まま営業している店が多い。青果、精肉、鮮魚、日用品などが中心だ。染井銀座も同じような店が並んでいるけど、3階か4階の建物が増えている感じだ。イマ風の店もポツポツできている。でも、昔ながらの時計店が複数あるのは珍しいのではないだろうか。

伏見家の隣も時計店だ。「銘技堂」という、どんな時計も修理してくれる「時計職人」という言葉が生きていそうな店名だ。

伏見家は、サクッとした簡素な佇まいだ。見たままの、いい食堂だ。

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偶然だが、ちょうど10年前、2009年10月に撮影の画像があった。外に貼ってあるメニューを見比べてみよう。

10年前→肉野菜炒め定食620円、あじフライ定食620円、さば塩焼定食650円、さんまあみ焼定食700円、白身魚フライ定食720円、チキンかつ定食720円、盛り合わせ定食750円、茄子とひき肉の味噌炒め定食750円、しょうが焼定食770円、焼肉定食770円、メンチかつ定食770円、ハンバーグ定食800円、ロースかつ定食850円。

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今回→野菜炒め定食640円、あじフライ定食640円、鮭塩焼定食670円、さば塩焼定食670円、ハムエッグ定食670円、チキンかつ定食740円、クリームコロッケ定食750円、スタミナ定食770円、白身魚フライ定食、茄子と豚肉しょうが焼定食770円、焼肉定食790円、ロース肉しょうが焼定食790円、メンチかつ定食790円、デミグラ・ハンバーグ定食(片目焼付)820円、ミックスフライ定食850円、ロースかつ定食870円

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20円の値上がりは、2014年4月から消費税8%の影響か。今回は、10月1日から10%の前なので、どうなっているかわからない。8%のとき、こきざみに10%にしようという政府の悪い魂胆を読み込んで値段を変えたところもあった。

暑さが厳しい日だった。おれは店内のメニューにあった、照り焼きおろしハンバーグ定食820円にした。ボリュームだけでなく、ソースの味と照り焼きの加減もよかった。外観からは、そういう感じではないが、いい味わいだった。

10年前にはなかったメニューにビーフカレー750円がある。それに、10年前には、ただの「ハンバーグ定食」だったが、今回は「デミグラ・ハンバーグ定食」だ。

「牛」の充実は輸入牛の影響か、商店街の客筋が若返っている感じもあるし、それとも料理をする大将の関心や好みのあらわれか。10年前と比べ、メニュー全体も脂系が強調されている感じだ。

そうそう、この連載は、この84回で、7年を経過した。

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2019/10/16

「つくる」と「できる」のあいだ。

ある著者の300ページほどの本の帯文を書くために、PDFの一校を読んだ。そこで思いついたのが、「つくる」と「できる」のあいだのことだ。

「まちづくり」という言葉があって、「まちはつくる」ものであるかのような言い方がされるけど、歴史や社会や自然などのしがらみのなかで「できる」側面も大きい。実際には、「つくる」と「できる」が絡み合って存在しているようだ。

だから、「まちづくり」といった場合、「つくる」ことばかり考えるのではなく、「つくる」と「できる」が絡み合っているところを見落とさないようにしなくてはならない。

てなこと考えていたら、料理の味についても、同じようなことがいえるなあ、いやいや、人間の所業の多くが「つくる」と「できる」のあいだにあるように思えてきた。

味については、「つくる」と「できる」がある。「できる」は「できちゃった」ということでもある。

「子づくり」「できちゃった婚」なんて言い方があるが、アレだ。ま、子供のばあいは、やらなきゃ「つくる」も「できる」もないから、「やった」「やる」であって、それを自分の都合で「つくった」とか「できちゃった」にしちゃうわけだけど。

料理の味も「つくる」のだけど、「できる」をうまく利用している。いまハヤリの発酵なんかのように、「できる」力に、「つくる」力を添える感じのものもある。

まちの場合も、「つくる」にしても、「できる」をうまく組み込めるかだろう。

「つくる」と「できる」、どっちか、ということでもない。絡み合っているところを、分解して編み直す、という考えが必要なのだな。

すると「いい意味でいい加減」がよいという方法に到達する。

そういう考えで料理をしている人もいるのだが、いま圧倒的な勢力を持っている「料理をつくる」は、とにかく「つくる」方向しか考えていないから、「いいものつくる」には微に入り細に入りキチンとやることが「正しい」になる。「究極」ってやつを目標にしている。そういう言説がヒジョーに多い。

「職人技」なんていうのは、たいがいそういうもののようだ。

そのために「できる」パワーが、潰されてしまっているということがあるようだ。

ある「いい意味でいい加減」の料理で有名になった料理人がいて、その人がやっている店に「あこがれ」で入ってくる若い人がいる。だけど、世間に流布されている「キチンといいものをつくる」という思想にかぶれているから、「いい意味でいい加減」を理解できない。「できる」パワーが生きない、潰されそうになる。

そんなことがありますね。

「つくる」と「できる」のあいだを、どうコントロールするか。

 

 

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2019/10/05

読書と食事は似ているようだ。

今年は新年早々に入れ歯を壊してしまい、前歯の上下それぞれ数本だけになった。新たに入れ歯をつくるには、金がかかるが、もう「後期高齢者」といわれるトシであり、そういう新たな投資をするだけの肉体的な価値がないような気がしてそのままにしている。ほんとうのところは、金がないだけだけど。

したがって、入れ歯にせよ奥歯がない状態にかなり慣れてはきたが、前歯だけでは、「噛む」のはなんとかなっても、「咀嚼」はかなりぐあいが悪い。時間がかかるし、時間をかけても前歯だけでは咀嚼は不十分のままで、面倒だから飲み込んでしまう。

身体の仕組みのことは、よく知らないのだが、現象として、大便の回数が増えた。つまり、よく咀嚼しないと、消化吸収も短時間に不十分のまま、肛門に至るらしいのだ。うんこがゆるいわけじゃないが、食べ物が、さっさと身体の中を通過してしまい、血肉になる割合が少なくなっている感じだ。

それから、米よりパンや麺類の小麦食品を食べる割合が増えている感じがする。記録はとってないが。自然に食べやすいものを選ぶようになっているのかもしれない。

そんなことを気にしていたら、読書と食事は似ているような気がした。

食べたものが食べ物であれ知識であれ、咀嚼が大事だということだ。咀嚼が悪いと消化吸収も悪くなるし、食べやすいものばかりを食べていると、偏りが生じる。

たくさん本を読んでいる人が、その内容をよく把握あるいは理解しているかというと必ずしもそうではない。これは咀嚼が不十分だな~と思われるものが、書評として載っているのを、けっこう見かける。書評などを商売にしているひとは、急いでたくさん読まなくてはならないのだろうか。自分の咀嚼や消化の能力をこえて読むということもありうる。表現だけは巧みでも、まるで下痢便のようなレヴューが、インターネットや新聞雑誌などに載る。ま、インターネットの素人の投稿に下痢便のようなものが増えるのは、全体の投稿数からみれば自然のことだろうが。新聞雑誌の場合は、イチオウ編集者もいるわけだし、どういうことなのかわからない。

これも統計はないのだが、全体的に読解力のレベルが下がっているのではないだろうかと思うことがある。それは咀嚼力の問題でもあるだろう。

食べ物の場合の咀嚼力は、奥歯が決定的に大事だと、奥歯の入れ歯が無くなって気がついた。読書の場合の奥歯に相当するものはなんだろう。

少なくとも読解力の向上をリードするような作家や書評家は、少ないような気がする。亡くなった、あのひとやあのひとやあのひと…のような書評は見かけない。出版界のメインストリームも言論界のメインストリームも貧弱だ。編集者は、どう考えているのだろうと思うが、いまどきの出版社は人材を育てる余裕はないだろうしなあ。とにかく売りやすい食べられやすいものへと傾くのも仕方ないか。

知識は豊富でも、なんだか論理が稚拙で短絡しているのだな。無邪気ともいえるし、乳離れしてない。オッパイの飲みすぎか、離乳食の食べすぎか。

というわけで、おれは食べ物は食べやすいものを食べていても、読書のほうは離乳食は避け、食べ応え噛み応えのあるものをジックリ咀嚼しながら読むよう心掛けている。

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