2021/05/11

つぎつぎと労作、力作、傑作。

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去る5月5日、伊那の黒猫から、ドーンとお宝が届いた、近日中に紹介すると書いたばかりだが、パソコンの調子が悪いこともあってグズグズしているうちに、昨日、さらに「日本のレコード2」が届いた。

おれのほうは元旦に届いたレターパックの中身すらまだ紹介していないのに、あいかわらず、すごい馬力だ。

そして、あいかわらず、どれも面白い。

5月5日に届いたものは、全国に散在する34名の方々の作品が袋詰めの「季刊黒猫」(上の写真上段)、毎日なにかを鑑賞している黒猫店主・田口史人さんが見たりふれたり考えたり感じたりしたことなどを綴る「観々日」2020年度下半期、お馴染み円盤のレコブック・シリーズの「アリスは不思議な飛行船」、そして新規の「日本のレコード」だった。

レコブック・シリーズ、田口さんの円盤寄席で買ったものも含めて10冊近くになると思うが、元旦にいただいたのは「青春を売った男達 小椋佳と井上陽水の七〇年代」だった。そして、70年代といえば、はずせないのが今回のアリス。どちらもタイトルからひきつけられるし、内容も裏切らない。

「日本のレコード」については、「「レコードと暮らし」(夏葉社)やレコブック・シリーズのベスト版であり、それらの間口を広げるというか、一度入口をふっ壊してみるというか、そんなものになる」らしい。前回1回目は、50年代はじめのビニール盤からスタートしている。今回は、子門真人「およげ!たいやきくん」(キャニオン一九七五年)など子供たちをターゲットにしたレコードだ。週刊で思いつくままに書き、本にするとき、年代順にまとめるようだ。

いずれも、「盤」から入って、盤の周辺の人びと(歌手やレーコド会社の人たちもちろん、求めたり買ったり聴いたりの人たち)を綴り、時代というか、「存在」に迫り検証していく。その洞察も鮮やかで、うなってしまう。

音楽(あるいは歌手や奏者など)とレコードの関係における70年代の前半と後半の変わりようは、料理と料理本の関係に似ていると思った。ようするに、在るものをレコードにしたり、在るものを料理本にしたりではなく、ある種のスターシステムのような「ギミック」が支配的になった。80年代は、その手法が確立していく過程とみることができそうだ。どの分野も、そうかもしれない。それだけで世の中が成り立っているわけではないんだが。産業や経済優先の結果としては。

60年代後半から70年代の検証は重要だね。

ってことで、ここまで入力するのに時間がかかったので、これぐらいで。

田口さん、人生の蓄積があってこそできることを、のりにのってエネルギッシュにやっている感じだけど、身体には気を付けてほしいね。無理していると、必ずドカーンとくるから。

当ブログ関連
2021/01/02
元旦のレターパック。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2021/01/post-4bbaf2.html

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2021/05/10

腐敗するタイトル。

5時頃から約5キロ60分歩き、朝飯くって薬1錠のんだ。

夜は9時までに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。

 

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2021/05/09

復調傾向のタイトル。

パソコンの調子、WEBで調べて、いくつか思い当たるアヤシイところをイジったら、いくらかよくなった。

まだ、カンジンの、入力作業は、以前にもどっていないのだが。それでも、いくらかマシになったので、空白だった昨日と一昨日の「日課」を投稿しておこう。

一昨日。

5時頃から約5キロ60分歩き。朝飯くって薬1錠のんだ。

冷え込みはなかったが、芝川や見沼代用水西縁から靄が漂い、あたりはうっすらぼけていた。

夜は8時半までに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。

10時頃には眠くてたまらず寝たが、たぶん2時ごろからだろう、右足のつっぱるような痛みがあった。

昨日。

5時頃から約5キロ60分歩き。朝飯くって薬1錠のんだ。

芝川の上を、サギが二羽、とんでくだる。下から見たところアオサギのようなのだが。

昼近く、右足のつっぱりが時々痛くなったり、腰も痛むが、かまわず大宮の図書館へ。

大宮駅などは、まんぼう関係なしの混雑。が、酒提供ができないため、休業の貼り紙の店が多い。たいがいの貼り紙は、11日までになっていたが。いづみやもシャッターが下りたまま。

夜、9時頃までに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。

痛みは、あまりなくよく眠れた。

そのせいか、今日は目が覚めたのが遅く、5時半頃から約5キロ60分歩いた。

朝飯くって薬1錠のんだ。

と、なんとか、入力できた。もうこのパソコンもトシだから。おれの体調も、今日はよい。ま、だましだまし、だね。ダメなパソコンにいらつかないようにしよう。

8時半までに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。

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2021/05/06

眠いタイトル。

眠い、もう起きていられない。なのに、パソコンがサクサクいかない。せめてこれだけでも。

5時頃から約5キロ60分ほど歩いた。

朝飯くって薬1錠のんだ。

9時までに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。

 

 

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2021/05/05

なんでこうなるタイトル。

ほんとにもう、このパソコンどうなってんだ。ステージ4どころか末期のようで、パソコンに向かっているとおれの病状まで悪化しそう。

昨夜は半端な睡眠だったような気もするが、目が覚めたら歩く気十分だったので、5時頃から約4キロ50分ほどかけて歩いた。

先日水を引き入れていた田んぼのうち二枚が田植えを終えていた。

8時半までに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。

右足のだるさつっぱりはない。軽い腰の痛み。

うれしいことがあった。伊那の黒猫の田口史人さんから、ドーンとお宝が届いた。今年の元旦にもいただいているのに。ありがとうございます。

近日中に紹介するけど、一つだけ。「日本のレコード」の最初に載っている、ブルーノ・ワルター指揮、ニューヨーク・ウィルハーモニー交響楽団演奏、ウエストミンスター合唱団による「ベートヴェン交響曲第九番ニ単調」(コロンビア 1957年)は、当時、親に買ってもらってもっていた。

んで、あの14歳の頃まで、いろいろ思い出した。

当ブログ関連
2021/01/02
元旦のレターパック。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2021/01/post-4bbaf2.html

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2021/05/04

痛むタイトル。

朝5時半頃から約5キロ60分弱歩いたのはマズかったかもしれない。昨日1週間ぶりに4キロ50分ぐらい歩いても問題なかったので、5キロにしたのだが。

腰が痛いのと右足がだるく重い状態が一日続いている。気分は調子よくても、動作によって痛むし椅子に座っているのがツライ。それにしては、昼に焼きそばなんぞ作ったりしているのだが。

両足の付け根、大腿骨のてっぺんに転移癌があるので、そのせいなのか、薬の副作用なのか、単なる筋肉痛なのか、まったくわからない。

ってわけで、朝飯くって薬1錠のみ。夕飯は8時半までに食べ就寝前の薬1種4錠のんだ。

今夜はうまく眠れますように。

あいかわらずパソコンの調子も悪いから、いつくたばってもいいようにバックアップをとった。

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「平凡で普通の暮らしへの信頼」と「適宜料理」。

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昨日の投稿「料理と情報と文化」で言及した「現代化」によって損なわれたものといえば、「平凡で普通の暮らしへの信頼」だろうと思われる。

「食」の分野でも、「いいもの」「いい店」「いい仕事」がもてはやされ、平凡や普通は、とるにたらない存在にされてきた。

新型コロナ感染拡大にともない「エッセンシャルワーカー」なる言葉で、大多数の平凡で普通の暮らしを支える平凡で普通の暮らしの労働者を持ち上げたりする傾向はあるが、その言葉ばかりがムナシク響く。

やはり、自分自身で、失われた「平凡で普通の暮らしへの信頼」を取り戻そう。

それは日々の食べることからだ。

ってんで、今日の昼には、あるもので焼きそばをつくった。

適宜あるものを、適宜きりきざんで、適宜炒めて、適宜薄目に味をつけ、食べるときに適宜各自で味を調える。

それで、世の中には、完全なレシピに従わない「適宜料理」が存在することに思い至った。

たいがいが、平凡で普通の料理のはずだ。

ここから、「平凡で普通の暮らしへの信頼」を取り戻していこう。

と、狭いウッドデッキで平凡で普通のピクニック気分を出し、平凡で普通の発泡酒を飲んだ。陽ざしが強くて、「うめえ~」「うめえ~」だった。発泡酒が。いや、焼きそばも。

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2021/05/03

復活するタイトル。

先週の火曜日から休んでいた早朝歩き、発熱のダメージが残っている感じだったが、5時半から約4キロ50分歩いた。

乱れ広がる薄い雲に覆われた空、北の方角にわずか見えていた青空が、歩くにしたがい勢力を増す。

見沼田んぼのなかの連なった4枚ほどの田んぼが耕され、水が流れこんでいた。水は、少し高い位置を流れる見沼代用水西縁から水門をゆるめ、田んぼのわきの水路に取りこみ、田んぼを満たしながら東端の水路に落ち、かつては田畑だった東大宮操車場の下をくぐり芝川に注ぐようになっているらしい。江戸期に造られた、わずかな傾斜を利用しての構造。

その近くの下手の橋の上では、中学生らしい撮り鉄がカメラをかまえていた。

夕飯を8時半まですまし、就寝前の薬1種4錠のんだ。

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料理と情報と文化。

ある料理に含まれる情報と文化というのが気になって、手元にある資料をパラパラ見ていたら、『情報と文化』(情報文化研究フォーラム・編/松岡正剛+戸田ツトム・構成、NTTado1986)に、このような文章があって、おどろいた。

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 一九六八年、ブラジルとメキシコの五〇年代から六〇年代にわたる"現代化"を広範に調査研究してきたジョセブ・カールは、現代人の特徴として次のような興味ぶかい一〇項目があげうることことを報告した。
 ここで"現代化"の研究とは、交通や機械やファッションによる都市のコミュニケーションの変質にともなう住民の意識選好度の変化を検討することである。ここにはよい意味でもひどい意味でも、いわゆる現代人のアイデンティティがよくあらわれていよう。
①…………将来の計画を立てようとする行動性
②…………役割にもとづく生活機会の階層化への努力
③…………低次の地域的階層化
④…………職業の優先と成功への意図の露出
⑤…………親族との弱い結びつき
⑥…………個人主義と自己経歴の追求
⑦…………部外者に対する不信感
⑧…………マスメディアへの過度の依存
⑨…………都市主義への傾斜
⑩…………大企業と官僚性への屈従と労働の容認
 いささか強調しすぎている点やサラリーマン型にかたよっている点が目につくが、ここにあげられた特徴は二〇年ちかくたった今日なお充分に通用するものだろう。
 ブラジルやメキシコの現代にあてはまるばかりではない。「低次の地域的階層化」といい、「個人主義と自己経歴の追求」といい、また「マスメディアへの過度の依存」といい、日本の今日や明日にもあてはまる。

(『情報と文化』情報文化研究フォーラム・編/松岡正剛+戸田ツトム・構成、NTTado1986 P238)

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「日本の今日や明日にもあてはまる」といっているのだけど、この当時から30数年がすぎも、まったくこの通りで、そのまま突き進んでいる。

この本の最後は、「すこし遅きに失するような気もするが、情報とシステムをめぐる議論はこれからこそ本格化をめざさなければならなくなっている」と結んでいるが、もう完全に、遅きに失したような気がする。

料理も、こうした“現代化”の中にあった。

そして、毎日、食って生きているのだ。

 

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2021/05/01

「よし、今日はブルジョワしちゃお」

今朝の「今日はメーデー」の投稿で、「プロレタリアート」という言葉を、ずいぶんひさしぶりに使った。

それで、「よし、今日はブルジョワしちゃお」を、思い出した。

これは、林真理子『食べるたびに、哀しくって…』(角川文庫1987年)の「カツ丼」のところに出てくるし、拙著『ぶっかけめしの悦楽』にも『汁かけめし快食學』にも引用した話だが、「よし、今日はブルジョワしちゃお」は、略してしまっていた。

原文は、こんなぐあいなのだ。

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 大学の正門前に、「増田屋」というありふれた名前のソバ屋があった。ここは私と友人の行きつけの店だったが、昭和四十七、八年当時、カツ丼は三百八十円だったと記憶している。“上”は500円だった。
 「よし、今日はブルジョワしちゃお」
 とみなで声をかけなければ、まずカツ丼など注文しない。それよりも私たちが好んだのは、「タヌキ丼」というやつだ。これは“揚げ玉”をたっぷりと卵でとじている。二百四十円でおみおつけもついてお腹いっぱいになった。こちらの方がはるかに実質的だ。
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「昭和四十七、八年」というと、72、3年ごろだ。林真理子は、おれより11歳下の1954年生まれ。

その時代、その年代には、大学生の間で普通の会話だったとしても不思議はない。

「ブルっちゃお」という言い方もあった。

こういう「階級」を背景にした言葉が、無色透明な消費社会的言語に置き換えられていくのは、70年代の後半からだろう。

「プロレタリアート」「労働者」「大衆」などの言葉も廃れ、「貧乏くさい話」や「抗う姿勢」などは退けられ、「ビジネスマン(近年はビジネスパーソン)」「シティ・ボーイ/ガール」「市民」「生活者」といった言葉が興隆し、飼いならされていった。

いま、この感じの「よし、ブルジョワしちゃお」は、どういうふうに表現されているのだろうか。

といったことを考えながら、まんぼう下だしなあ、「よし、今日はブルジョワしちゃお」と、今シーズン4回目になる猫の額ウッド・デッキで焼肉をした。ちっともブルっていない焼肉だが。快食であった。

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