2008/11/17

日常にかえる。

2008/11/05「知識はあれど想像力は、ナシ。」から2008/11/07「安直で惰性な「こだわり」の舞台あるいは舞台裏。」2008/11/11「「ゆるゆる大陸」「脱星印脱印籠語」とか。」2008/11/12「真摯な姿。」2008/11/13「「公正を期する」こと。表現と、それ以前の判断や思考。」2008/11/15「虚実皮膜の間で「行きつけの店のある生活」。」2008/11/16「虚実皮膜の間、表現以前、神様になりたいのか人間でいたいのか。」とグダグダ転がってきた話だが、もとはといえば、伊丹十三さんの『ヨーロッパ退屈日記』の「想像力」から始まった。

2008/11/05のその引用をふりかえると、伊丹十三さんは、「これ以上安易で、投げやりな想像があるのでしょうか」という例をあげたのち、こう書いた。
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 現在の映画が、撮影所製のだんどり芝居の域を抜け出て「実在性」を取り戻そうとするなら、わたくしの場合、その推進の軸となるものは「日常性」においてないと思います。
 そしてまた、作家の想像力が一番あらわな形で出る場、というのも日常性の創造をおいてないと思うのです。

…………………………………………………………………………

もちろん「作家」は「表現者」そして「人間」と置き換えてもよいだろう。日常性を豊かにできるかどうかは想像力のモンダイなのだ。だけど、いわゆる「うまいもの好き」「酒好き」の食べ歩き飲み歩きのたぐいを読んでも、たいがいはそこに豊かな日常を想像することが難しい。「うまいものを求めて」歩きまわる著者の姿に、その書くことに、望ましい生活の姿を想像するのは困難であることが少なくないのではないだろか。俺は、アサマシイ、イジマシイと思うこともある。

ともあれ、大言壮語印籠語紋切り型の「うまいもの好き」より、想像力を磨く日常にかえろう。

で、2003年7月発行、河出書房新社の『文藝別冊 山口瞳』に木村衣有子さんが書いた「行きつけの店のある生活」だ。そこで冒頭、木村さんが引用するのは、山口瞳さんのこの文章。

「寿司屋とソバ屋と、酒場(私の場合は赤提灯だが)と喫茶店、これを一軒ずつ知っていれば、あとはもういらない。駅のそばに、気楽に無駄話ができる喫茶店があるというのは、とても嬉しいことだ。いや、もし、そういうものがなかったとするならば、その町に住んでいるとは言えない。私はそんなふうに考えている」(『行きつけの店』「国立 ロージナ茶房の日替わりコーヒー」より)

こうした「行きつけ」は、人によりさまざまだろう。もしかすると、いまでは、洒落たイタリア料理店やスタバやドトールであるひとがいるかも知れない。あるいは、魚屋や豆腐屋だったりとか。

俺が、大衆食堂を書くスタンスも、「名店を厳選」というものではなく、それがそこにあるかぎり、そこに必ず、その食堂を「行きつけ」にしているひとがいる、その存在の豊かさ、そこにある飲食の姿や生活の姿やまちの姿を知り、そしてできたら伝えたいからだ。それは生活を豊かにする想像力の源泉になるだろう。自分は「うまいもの好き」だから「うまいもの好き」が行く「名店」にはいかなくてはならないと、情報にふりまわされ強迫観念に追われるように食べ歩き飲み歩きするのは、想像力の貧困以外のなにものでもない。

それはともかく、木村さんは自著デビュー作『京都カフェ案内』と山口瞳さんの『行きつけの店』や『居酒屋兆治』との「関係」を語ったのち、こう書く。


 山口瞳が「店」について書いた文章に私は惹きつけられる。『居酒屋兆治』では、モツ焼き屋の観察記を、熱もあり冷たさもある物語に昇華している。『行きつけの店』は、単に食べもの屋を羅列したガイドブックではない。どうしてそう書くのか、書けるのか。
 生活、という言葉を山口瞳はよく使う(四、五〇年くらい前までは「生活」という言葉がいまよりも衿を正して使われていたのだと思われるが)。彼はたびたび、「行きつけの店のある生活」について書いている。それは、タイトルにも「生活」がついているはじめての小説『江分利満氏の優雅な生活』から、ずっと続いている。


で、最後のほうで、木村さんは、こう書く。前にも引用したが、大事なところだと思う。


 10軒の店について知っていることよりも、好きな店が1軒あって、そこにいつでも行ける生活があることの方が贅沢だ。山口瞳は、小説家である以前に、まっとうな生活者なのだ。生活について、日常について、彼は匂わしたりはぐらかしたりせず、そのままを書く。私はその文章をとても信用して、慕っている。


このあたりのことは、現在の木村さんが『ミーツ・リージョナル』に連載の「大阪のぞき」を読むと、なるほど、と思うが、そこに至るには「障壁」もあり単純ではなかったようだ。そのことは、また後日の話として、『文藝別冊 山口瞳』の中野朗さんによる「作家になるまでの山口瞳」によれば、『江分利満氏の優雅な生活』の題字は、当時は伊丹一三だった伊丹十三さんであり、またなにかに書いてあったと思うが、山口瞳さんは伊丹十三さんの仲人かなにかでもあり親交が深かった。

食べ歩き飲み歩きするにしても、日常を豊かにする視点を持ちたい。

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2008/11/16

虚実皮膜の間、表現以前、神様になりたいのか人間でいたいのか。

下北沢「スローコメディファクトリー」をオープンしたばかりの須田泰成さんからのメール「スロコメ通信」に、「虚実皮膜系のビジネス・サバイバル本。中丸謙一朗さんとの「大物講座」(講談社)も、よろしくお願いいたします」とあって、笑った。この「大物講座」は、まだ買ってないのだが、「虚実皮膜系のビジネス・サバイバル本」ってのが気に入った。

「虚実皮膜」って言葉は、近頃このブログでもよく使う。国語的権威である『広辞苑』第五版は、その語について、こう説明している。

まず「虚実」について。
「①無いことと有ること。空虚と充実。②うそとまこと。③防備の有無。種々の策略を用いること。」
そして「虚実皮膜」について。
「(近松門左衛門の語。「難波土産」に見える。「皮膜」はヒニクとも読む)芸は実と虚との皮膜の間にあるということ。事実と虚構との中間に芸術の真実があるとする論。」

とくに情報社会といわれる近年は、「芸」や「芸術」は、まだ旧来のように床の間に飾っておがむように鑑賞する「特別」のものと思っているひとも少なくないが、日々のウンコのようなコミュニケーション活動のあらゆる場面に見られる「表現」だとみてよい。と、俺は思っている。なにしろ、嫌でも、誰かが「表現」したものが目に入るし、またそれが無くては、たとえばテレビやパソコンゲームや本などが無くては、すぐ死んでしまいそうな人たちも少なくないようだ。

須田さんのように「コメディライター&プロデューサー」という肩書、俺も近頃は「ライター」かつては「プランナー」という肩書、中原蒼二さんも「プロデューサー」という肩書、そういやこのあいだ逮捕された「大物」音楽プロデューサーのジケンは、まさに「虚実皮膜の間」を思わせるものがあるが、もっともアヤシイ虚実皮膜系なのだ。

うまくいってアタリマエ、成功しても誰かがあとでシャシャリ出てきて、そいつが自分の手柄にするためにこちらは悪者役にされたり、失敗すればペテン師サギ師よばわり。そんなことを気にしちゃやってらんない、虚実皮膜の間をジッと見据え、「種々の策略を用い」「人生は冗談死ぬのはジョーク」ってな感じで生きている。ま、須田さんや中原さんは、どう思っているかわからんが。生きているかぎりは人間みな嘘をついているのさ、ってなことをいったのは、太宰治だったか坂口安吾だったか、それともほかの誰かか、あるいは俺が思いついたのか。

きのうのエントリーがらみ。山口瞳さんは「ここで公正を期するために、また、嘘(うそ)を書くのが厭(いや)なので言っておく」と書いている。その「嘘を書くのが厭」ってのは、もちろん書くレベルのことだろう。だけど「嘘」にも、「事実」レベルのこともあれば「真実」レベルのこともある。さまざまなレベルを考え出すと、「生活」レベルもあれば「国家」レベルもある。そもそも「国家」なんてのは存在自体が「嘘」じゃないかという話もある。大きな嘘ほど、人びとは騙されやすい、ともいわれるな。

山口瞳さんは、『酒食生活』の「金沢 つる幸(こう)の鰯(いわし)の摘入(つみ)れ」、これは『行きつけの店』に収録されていたものだが、そこで「それから、食べさせてくれるものに親切味があった。これも曖昧な言い方だが、そうとしか言いようがない。絶大の安心感があった」と、その味覚を語っている。なるほど「親切味」という言い方は「味」の表現としては曖昧だが、でも読むと、著者が何を伝えたかったのかは、わかる。

山口瞳さんが「曖昧な言い方」を避けようとしているのは、「嘘を書くのが厭」に通じるところがあるようだが、書く表現以前に、対象に迫ろう、実態や物事から出発して表現を構成しようという姿勢もうかがえる。

「こだわり」や「珠玉」「厳選」「絶品」「名店」などの曖昧な言い方である「印籠語」も、実態や物事から出発して表現を構成しようと対象に迫った苦労なり思考があれば、それなりに自ずと文章に内容がともなうと思う。

だけど、たいがいそういう言葉を無造作につかうひとは、自分が裁きを下す「味覚の神様」とカンチガイしているからか、対象に迫ることもしてなければ、よく考えていない。根拠が曖昧なまま「印籠語」を用い、内容のなさを文章の技巧や、「うまいもの好き」「全国何か所食べ歩いた」といった「権威づけ」のハッタリ言語で、自分の「正しさ」を主張し逃げようとしているようにみえる。

俺は、「嘘を書くのが厭」とか「嘘も方便」とか、そういうレベルのことは、あまり真剣に考えたことがない。強いていえば、この世は、虚虚実実なのだ。だけど、だから、2008/04/15「そこに、なにが、どのようにあるか。なぜ、それが、そこにそのようにあるのか」のように、たびたび書いているが、「そこに、なにが、どのようにあるか。なぜ、それが、そこにそのようにあるのか」見て考え、自分の伝えたいことを文章にしているだけなのだな。

食べればなくなる料理。それでいて人間の生命にかかわる。これほど虚実皮膜の間にあるモノはない。それをまた虚実のカタマリのような人間の味覚が判断する。なんとまあデタラメのことだろう。そこが、おもしろい。そのことに気づいていない、「うまいもの好き」食べ歩き飲み歩きなんて、飲食や料理のオイシイところを知らないにひとしい。

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2008/11/15

虚実皮膜の間で「行きつけの店のある生活」。

2008/11/13「「公正を期する」こと。表現と、それ以前の判断や思考。」で山口瞳さんの文章を引用した。すると、それを見た木村衣有子さんからファックスが入った。「私が今の仕事をはじめる前に『行きつけの店』なる本を熱心に読んだものでした。という話を5年前に書いたのを思い出し、よろしければ読んでいただきたく……」と。それは2003年7月発行、河出書房新社の『文藝別冊 山口瞳』に木村さんが寄稿したエッセイ「行きつけの店のある生活」だった。

俺は、おどろいた。というのも、引用した山口瞳さんの文章から、木村さんが『ミーツ・リージョナル』に連載の「大阪のぞき」を思い浮かべ、そのことを続けて後日書こうを思っていたからだ。

きのう。電話で木村さんと話しているうちに、木村さんが『文藝別冊 山口瞳』を貸してくれるとことになり、ま、それは飲む口実でもあるのだが、18時に、京浜東北線の北浦和駅で待ち合わせた。「志げる」へ行くためだ。

「志げる」は、オヤジたちで混んでいたが、二人がけのテーブルが一台だけ空いていた。湯豆腐、オッパイ炒め、レバ刺しなどを頼み飲みだす。生ビールのち燗酒。二合とっくりをたしか3本あけたあたりで21時過ぎ、出て、並びのバー「ワン・ステップ」へ。また生ビールを一杯やってから、ウイスキー。モルトウイスキーのメニューを「村上春樹的だね」とのたまいながら、別々の銘柄を二杯ずつ、水割りとソーダ割り。23時30分ごろか、それに近い時間に出て北浦和駅ホームで都内に帰る木村さんと別れる。文藝別冊を受けとり、それをネタにああだこうだ、某出版社のPR誌のツマラナイこと某氏がヘンにツマラナイ人間になったことなどネタにああだこうだオシャベリ。

てなことだったが、木村さんのその文章には、木村さんのデビュー作『京都カフェ案内』は山口瞳さんの『行きつけの店』を「参考文献」にしたとある。で、「10軒の店について知っていることよりも、好きな店が1軒あって、そこにいつでも行ける生活があることの方が贅沢だ。山口瞳は、小説家である以前に、まっとうな生活者なのだ」と書いた木村さんは、まだ20歳代だった。いま、いいトシこいた男が、あちこち食べ歩き飲み歩きして、その店の数を誇り、あの店へ行ったことがないようじゃホンモノの味を知らない、どこそこは名店だ、どこそこのなんとかは「絶品」だ、あの料理人は「名人」だなんて得意になっているのと大ちがいだ。ま、木村さんの「行きつけの店のある生活」については後日くわしくふれる。

じつは、2008/11/13の山口瞳さんの文章からの引用は、ちょうどよいところで終わらせたが、まだ続くのだ。もう一度、引用の最初のところだが、こうある。

 初孫が冷してあった。二級酒の小瓶(こびん)というのは、市販されていない酒であることを意味している。暑いので上衣(うわぎ)を脱いだ。
「上衣を脱いで、腕まくりをして、手掴(てづか)みで食べるのがうちのフランス料理です」
 佐藤さんが言った。彼は、こうも言った。
「料理というのは男が生命(いのち)をかけてもいいようなものです」
 その言葉は、おそらく、私が紀行文を書くことを知っていて、そのためのサービスだったのだろう。


この話は、ここで終わらない。山口瞳さんは、佐藤さんが、なぜそのようなことを言ったのかを考えている。あまり好きではない初孫を飲み、出てくるフランス料理を食べながら。そして、こう結ぶのだ。


「こんなところにこんなフランス料理の店があるのは不思議でしょう。私も不思議に思っているんです」
 と佐藤常務が言ったのは、これもサービス用か。たしかに、本当に不思議だ。生命をかけてもいいというのは、この土地に、この店にという意味だったと気づかされる。相当に頑固(がんこ)な人だ。


山口瞳さんは、「料理というのは男が生命(いのち)をかけてもいいようなものです」という佐藤さんの言葉を、「私が紀行文を書くことを知っていて、そのためのサービスだったのだろう」と思いながらも、その意味をこう考えた。

取材のときだけではなく、料理人は料理のほかに言葉や表情や態度で店の雰囲気や食べる雰囲気をサービスする。たとえば、「今朝、築地で仕入れてきました」といえば、客はよろこぶ。それはそれでよいのだが、「あの店は、毎日築地で仕入れるから」「うまい」「よい店だ」「名店」だ、てなことになると話は、ちがってくる。それに、これまであげた「印籠語」などは、雰囲気づくりとしては陳腐であり、すでに書いたように、そういう言葉を無造作につかう食品販売や飲食サービスあるいは食の話は、安直で惰性な腐敗の味わいがする。

ようするに、自分の頭の中にある「印籠語」の観念から出発するのではなく、そこにある物事や言葉から出発することじゃないかと思うのだが、なかなかそうはいかない。自分は何軒も食べ歩いている、うまい味を知っている、といった意識が先にたったりしがちだ。「まっとうな生活者」の感覚というのは、とくにメディアに関わる人間にとっては、簡単なことではないようだし、だからまた山口瞳さんはベンキョウになる。

チトきょうは忙しいので、大雑把にこれぐらいで。

関連
2008/11/11
「ゆるゆる大陸」「脱星印脱印籠語」とか。

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2008/11/13

「公正を期する」こと。表現と、それ以前の判断や思考。

ときたま居酒屋などで隣に座った男の客から、東京の居酒屋のランキング、たとえば「名店の上位5店は…」「3指に入る名店はどこそこ」といった話や、あるいは東北地方のどこそこのなになにのナントカという居酒屋は名店でありどうのこうの、といった話などを聞かされる。そういうときは、まずは相手のいうことに逆らうことなく俺はテキトウに聞いている。たいがい、そういう話には、正確さも深みもなく、その人が「敬愛」しているらしい著名な居酒屋めぐりの著書の受け売りやそのバリエーションあたりが、せいぜいなのだ。「ファン心理」の「思い込み」に本気になって逆らうほどバカバカしいことはない。だけど、テキトウに聞いていると、相手はこちらも同好の仲間と思ってかエスカレートする。で、うっとうしくなると、俺はそういう話を聞きにココに来ているわけじゃないとピシャッと言ってしまう。

たまーに、食べ歩き飲み歩きといった分野で、俺よりはるかに活躍している売れているライターさんと飲むこともある。彼らが、いい店があるからと連れて行ってくれて、どうですここはいいでしょう、どうですここの刺身は、とか言われると、それほどじゃないナと思っても、やはり逆らわない。ま、そういう話をしたくて飲んでいるわけじゃないから、相手をいい気分にさせておいても、自分はソンはない。それに、俺が付き合うひとには、自分の考えを押し付けて来る人はほとんどいない。だから、いいのだ。

「人気店」「繁盛店」というのは、「名店」より実態がわかりやすい。モンダイは、そういう店の味の話になったとき、有名なライターのAさんとBさんと、たとえば、どこそこのラーメンの話になったとき「コッテリ」とか「アッサリ」や「サッパリ」とかの基準が、かなりちがうなと思うことがある。しょっちゅう会って、そういう話をしていると、そこにあるていど共通の認識はできそうだが、たまにで、しかも地域がとんでいる店の話になると、お互いにそのへんがうまく噛み合っていないなと意識しながら話している感じもある。んで、とにかくあそこは「名店だよ」あれは「絶品だよ」「そうだ」「そうだ」ってなところで、一杯機嫌で盛り上がっておわる。この場合、「名店」だの「絶品」だの印籠語は、酒の景気づけ酒のつまみで、本気でそう思っているかどうかは別だ。お互いにそのていどのことはわかっている。

「人気店」「繁盛店」あるいは「名店」といわれる店には、「何度いっても、うまい」といわれる店がある。「あそこは、いついってもうまいよね」「あきないよね」、多数がそういう。それは、もしかすると「無難な味」という可能性がある。…って言おうものなら、ツバをとばして反論をくらいそうな気配もある。しかし、そうかも知れないと考えてみる余裕は欲しい。「うまい」といわれる味には、無難な味もあれば、一年に何度かなら「うまい」と思って食べられるかもしれないが、しょっちゅう食べたいとは思わない「うまさ」や、あきがきそうだけどいまは「うまい」という「うまさ」などさまざまだ。自分が、どんなとき、どんな味を好むかを知っていることは大事だなと思うことがある。

そして、書くとなると、さまざまな判断のうえに、どう書くかというモンダイがある。

以前から、山口瞳さんの文章は、とてもベンキョウになると思っている。このあいだ読んだ、この文章などは、まさに。文章以前の人間性や判断の仕方も、ベンキョウになる。『酒食生活』(角川春樹事務所、グルメ文庫)の「庄内のフランス料理」から。


 初孫が冷してあった。二級酒の小瓶(こびん)というのは、市販されていない酒であることを意味している。暑いので上衣(うわぎ)を脱いだ。
「上衣を脱いで、腕まくりをして、手掴(てづか)みで食べるのがうちのフランス料理です」
 佐藤さんが言った。彼は、こうも言った。
「料理というのは男が生命(いのち)をかけてもいいようなものです」
 その言葉は、おそらく、私が紀行文を書くことを知っていて、そのためのサービスだったのだろう。
 ここで公正を期するために、また、嘘(うそ)を書くのが厭(いや)なので言っておく。
 初孫は私の口に合わない。ノド越しのときの味が、私の好(す)かない味である。総じて庄内の酒は私には合わない。葡萄(ぶどう)には葡萄酒用の葡萄と生食(せいしょく)用の葡萄とがあるが、日本酒も同じであって庄内米(まい)はコメとしてはうまいが酒用としてはどうだろうかというのが私の率直な感想である。後でお目にかかることになった杜氏(とうじ)も、庄内米では酸味が出ないと言っておられた。
 さらに公正を期するために『四季の味』編集長の森須滋郎(もりすじろう)さんの文章を紹介しておこう。
「一(ひ)と口、舌の上で転がしてみると、昨夜の"越乃寒梅(こしのかんばい)"よりも、さらに淡泊だ。冷たいのが快くて、一と息にグーッと飲むと、まるで谷清水(たにしみず)でも飲んだような清冽(せいれつ)さだった。食前酒らしくない飲み方だが、食欲は大いにそそられる」(新潮社刊『食べてびっくり』のうち「感激!庄内のフランス料理」より)
 これは間違いなく私の飲んだのと同じ酒であり、秋もそう思うのだけれど、問題はノド越しのあたりのことになる。
 そうは言っても、私は、かなり早いピッチで初孫を飲んだようだ。

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2008/11/12

真摯な姿。

こんなニュースがあった。
asahi.comニュース国際ヨーロッパ記事
http://www.asahi.com/international/update/1108/TKY200811080150.html

「体がついていかない」と三つ星返上 仏レストラン2008年11月9日8時25分

 【パリ=国末憲人】ミシュランガイドで最高の三つ星に格付けされ、日本の雑誌でもしばしば紹介されるフランス北西部カンカルのレストラン「メゾン・ド・ブリクール」のシェフが突然「肉体的にやっていけない」と三つ星を返上し、近く閉店する方針を明らかにした。関係者に衝撃を与えている。

 オリビエ・ロランジェ氏(53)。8日付フィガロ紙によると、5日にミシュラン社を訪れ、同ガイドのナレ編集長に星返上を告げた。「もはや毎日昼と夜、調理台に立てない。肉体的についていけない」と説明。編集長は驚きながらも受け入れたという。

 店は12月15日に閉店。今後は、近くの村に開いてきた気軽なビストロ(定食屋)の経営に力を入れるが、ミシュランの評価は望まないという。

 テレビに出たり世界に支店を展開したりする他の有名シェフと異なり、ロランジェ氏は一貫して故郷にとどまって地道に料理に打ち込んだ。その真摯(しんし)な姿がかえって共感を呼び、近年は世界中から食通が来訪。日本のガイドや雑誌でも取り上げられ、日本人にも人気の店となっていた。


オリビエ・ロランジェさんは真摯な姿勢を貫いている、ということなのだろう。そして彼が真摯だとしたら、いったいそこに押しかけた人たち、あるいはミシュランやミシュランの真似事をして食べ歩き、星印をつけたり印籠語を言い放っていい気になっている人たちは、どういうことになるのだろうか。ましてや、自分の自己顕示のために「食」や「料理」を利用するような人たちは……ワルってこと?

飲食店を評価して歩くことは、やってはいけない悪いこととは思わない。だけど、やり方があると思う。自分は、こういう考えや基準で店を評価するということを明確にし、評価して欲しい飲食店を募集し、エントリーした飲食店だけを評価して歩く。それなら、ある種の競技であり、お互いの切磋琢磨につながるということもあるだろう。B1グランプリなどは、形態はちがうが、エントリーを前提としていて、そういう効果を上げている。それに、エントリーする飲食店の数や性質により、評価する側も人気度などが評価されることになり、現状の、一方的にメディア側の人たち、ライターなどによって「裁かれる」状態より公平だと思う。

オリビエ・ロランジェさんが力を入れようというビストロ(定食屋)は、たまさか来る食べ歩きの人たちではなく、地域とのつながりで成り立つ、まちの食堂だ。そういう飲食店は、もちろん日本にも、大衆食堂や酒場などたくさんあって、日本一になりたいとか、有名店有名料理人になりたいとかといったことではなく、ちがう考えでやっているところが少なくない。そこへ頼まれもしないのに押しかけて、たくさん食べ歩いている俺は料理を知っているのだ天下のうまいもの好きだ味覚の大家だ厳選された正しい人間だ、ってな顔して評価を下すようなことは、まったく筋違いのカンチガイ傲慢だろう。オリビエ・ロランジェさんのように真摯になりたい。

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言水制作室、美篶堂、食堂アンチヘブリンガン、天狗、アートな酒の日。

きのうのこと。

水道橋から歩き、神田神保町の言水制作室に17時過ぎ。言水ヘリオさんとひさしぶりに会う。最近知ったというか気がついたというか、言水さんが発行していた展覧会情報誌『etc.』は今年一年休刊していたのだった。でもトウゼンながら言水さんは忙しくアレコレの美術イベントに関わっていたらしい。そしていま、神保町や神田エリアを舞台に「美術+雑貨×古本≒リトルエキスポ」の事務局役で、言水制作室は作家グッズ売場になっている。

神保町界隈には、ちかごろ、オシャレかわいい系の雑貨店や飲食店が増えて、野暮ったい「古本のまち」が変化しているのだとか。その旧新変化の流れを、そのまま流れにまかせて大げさな「企画」というほどのこともなく開催となったのが、「美術+雑貨×古本≒リトルエキスポ」らしい。書店やギャラリーや雑貨店や飲食店を会場にして、作家の作品の展示販売。水道橋駅周辺から御茶ノ水駅周辺まで、会場になった20か所ほどをまわって歩くうちに(一日では、まわり切れないだろうが)、ふだんは通らない小路に入ったり、神保町周辺の古い理解フノーの店を発見したり、といった楽しみもあるという仕組みのようだ。

帰りがけ、福田尚代さんの『初期回文集』をいただく。福田さんの「回文」については、このブログにも書いたとおもうが、何号か前の『四月と十月』の「仕事場訪問」だったかな?で読んで、興味を持っていたので、すごく得した気分で、言水制作室をあとにする。

んで、そのリトルエキスポの会場の一つである、御茶ノ水の堀沿いにある美篶堂(みすずどう)へ向かう。ここでは、得地直美さんの第4回個展『レンガの喫茶バー』が開催中なのだ。得地さんは、木村衣有子さんの『わたしの文房具』(KKベストセラーズ)に登場する。木村さんが京都時代からの友人のイラストレーター。ってことで、18時半に、木村さんと待ち合わせた。

「対象をじっと見て描いているのだろうと思わせる絵だ。浮ついていない。なのに勢いがあるという、珍しい画風である」「たいていは色鉛筆で描いている。色づかいがとても上手」と『わたしの文房具』で木村さんが書いた得地さんの絵をみる。なるほど。「レンガの喫茶バー」には、欲しいイイイッと思った作品が何点かあったが、一点25,000円なので買えない。木村さんに紹介された得地さんは、いまは東京で、印刷会社に勤めながら描いているのだとか。

16日(日)までだから日にちはないけど、おすすめ。こちらに、案内があります。…クリック地獄

美篶堂の店主、上島明子さんにもチョイと話を聞く。もとは製本屋さん?ということだけど、その技術を生かしたユニークな展開をしているようだ。おもしろい。

さてそれで、ここで木村さんと待ち合わせたのは、やはりリトルエキスポに参加の「四月と十月展」会場の「食堂アンチヘブリンガン」へ行くためなのだ。堀沿いにお茶の水駅へ出て橋を渡り、線路沿いに水道橋に近いところまで歩く。途中、木村さんに、きのうのエントリーのなかで、石黒謙吾さんと石黒由紀子さんの「石黒」が「黒岩」と間違っているといわれる。いけねえ(帰ってきて、すぐ直した。石黒さん、すみません)。木村さんは京都時代に石黒さんに会ったことがあるのだそうだ。てな話をしながらアンチヘブリンガン。

なるほど、なかなか感じのよい店だ。そんなにこった造りではないが、落ち着いて楽しく飲食できる雰囲気がある。そのなかに、自然に以前からそこにあったという感じで「四月と十月」のみなさんの作品がある。

とにかく生ビール。料理の注文は木村さんにまかせる。生ビールが、うまいっ。開店して2年と聞いたような気がするが、もう何十年もここでやっているような感じだ、料理の味も落ち着いている。くつろぐ。

と、「わめぞ」といっていいのか、NEGIさんがあらわれる。職場のひとが一緒、あとから職場の近所の紅茶専門の喫茶のマスターも。なんとなく一緒になりつつ、なんとなく別々になりつつ、酒と会話がすすむ。生ビールのあと、赤ワインを飲んでいたが、どうしても清酒が飲みたい。とゼイタクをいったら、マスターがコレならあると、大吟醸を。大吟醸よりフツウの酒がよいなどとゼイタクをいいながら、それを飲む。いい気分。

でも、やはり、ちょいともう1軒行こうかと、木村さんと出る。10時を過ぎているから、あまり時間がない。水道橋駅近くの「天狗」に入って、新政の燗。ふ~っ。

23時ちょうどごろ出る。二人とも、いい酒だったが、なんとなく飲み足りないなあという気分で、水道橋駅で別れ、上野駅で終電一本前の23時27分発の電車で帰った。お行儀のよいアートな酒の夜だった。

言水制作室…クリック地獄
リトルエキスポは、17日まで。

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2008/11/11

「ゆるゆる大陸」「脱星印脱印籠語」とか。

テレビがないから見たことはないのだが、「情熱大陸」という人気番組があるらしい。左サイドバーにあるイラスト「アステア・エンテツ犬」を描いた内澤旬子さんも出演し、一気に有名になったようだ。

その番組の内容はしらないのだけど、俺は、あまり情熱ほとばしる、コレに情熱を燃やしているんだぜ、てな感じのものは、どうも性に合わない。それは、なんとなく「こだわり」や「私はうまいもの好きよ」「俺は酒好きだぜ」とかにも通じるところがあって、かっこ悪い。

「情熱」は、うっとうしい。「情熱」は身体の芯のあたりに包み込んでおくものだ。と、先夜、須田泰成さんや石黒謙吾さんと会って、あらためておもった。須田さんのコメディに対する情熱、石黒さんの駄洒落に対する情熱は、かなりの高温だとおもうが、それをけっしてあらわにしない。なんとなく「ゆる~い」感じが、それを包み込んでいる。

ま、とにかく「情熱大陸」ってのがあるなら、「ゆるゆる大陸」ってのがあってもよいじゃないかとおもったわけだ。世間では「ゆるキャラ」なんてのがもてはやされているようだが、もしかするとあらわな「情熱」はシンドイという気分が一方にはあるのかもしれない。とにかく、さしあたり、俺が「ゆるゆる大陸」という番組をつくるとなったら、まずは須田さんと石黒さんに出演をお願いするだろうとおもった。

話は少しずれる。きのうのエントリーにリンクがある須田さんの「スロコメ日記」だが、11月7日のタイトルは「衝撃のセゾン・デュポン」。そこで、須田さんは、こう書く。


ベルギービールは生きている。
そのことをズシーンと思い知らせてくれるのが、
この セゾン・デュポン。

注いでみると、まず、泡の力強さにビックリ。
じわっと、ふくらみのある泡が、むくむくと立ち上がります。
飲んでみると、
ホップの爽やかさに一日の疲れを癒され、
次に、その奥に感じられるコクに魅了され、
さらに、鼻孔の奥に充満する乳酸のような香りを感じながら、
「人生って、案外いいもんだ・・・」と、思わずにはいられない。


なんて豊かな表現だろう。須田さんは、「絶品」「逸品」「名品」「至高」「究極」「こだわり」……といった言葉(俺はこれからそれを「印籠語」と呼びたいのだが)をつかってない。そして、セゾン・デュポンの素晴らしさを伝えていて、飲んでみたくなる。また、読んだひとの想像力を掘り起こしてくれる。

印籠語は、「この逸品、この名店が目に入らぬか」と印籠をかざす感じである。その背後には、星印何個のランキングがある感じでもある。ニンゲンが何人か集まると、誰がイチバン頭がよいかとか、エライかとか、優劣をつけたがる頭がある感じである。仮に、星印ランキングはよいとしても、星印ランキングするやつの頭がモンダイだ。たいがい、その頭は「観念」で成り立っている。なので、そこになにがどのようにあるか、なぜそれがそこにあるのか、といったことについて頭を働かせることなく、ある「印籠語」の観念で仕切られてしまう。そこからは、この須田さんのような豊かな文章は生まれないだろう。それはたま、「食」に対する態度のモンダイでもある。

ワレワレは、ニンゲンの実在を、体重で星印ランキングするようなまちがいをおかしやすい。実際、学校教育過程では、そのように育てられている。ニンゲンの価値や文化は体重で決められるようなものではない、ということは誰しもわかっていることなのに、とくに「食」については、それ似たアヤマチをおかしやすい。

おとといのスロコメで、たしか石黒由紀子さんにだったとおもうが、『雲のうえ』5号の食堂の掲載店はどうやって選んだのか聞かれた。たしか「説明がむずかしい」とこたえたら「企業秘密ですか」と聞かれ「いや、そうじゃなくて」と、そのリンカクだけでも説明しようとしたが、酔っていることもあって、うまく説明できなかったとおもう。

簡単にいってしまえば、俺は、星印ランキングではなく、KJ法的グルーピングをやって選んでいる。そのとき、トウゼン、『雲のうえ』の性格や、特集のねらい、それから発行部数などが考慮されているのは、いうまでもない。ま、そのことは、追々くわしくしていくことにしよう。

とにかく、食べ物や飲食店に対する新鮮な感性や想像力を腐らせるものとして、「星印ランキング」や「印籠語」や、うまいものに対するあらわな「情熱」などがありやしないかとおもう。

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2008/11/10

須田泰成さん、下北沢「スロー コメディ ファクトリー」オープン。

Suda009きのう。

須田さんが、大日本生ゲノムの事務所を下北沢に移し、事務所にカフェを併設、カフェあんどオフィスの「スロー コメディ ファクトリー」をオープンした。そのパーティー。須田さんと中山ゆーじんさんが翻訳し2001年博報堂から発行の『ファンキービジネス』を元ネタに、ン百万稼いだらしい中原蒼二さんを紹介したいとおもいお誘いした。大田尻家の家長と、「プロデューサー」という肩書のニンゲンは、信用ならないウサンクサイひとが多いが、この二人はちがうと話していた二人を引き合わせておけば、きっとそのうち何かおもしろいことになるだろうというハラもある。

まだ大勢さんが来ないうちに須田さんとゆっくり話をとおもって、中原さんとは17時に現地で待ち合わせた。下北沢駅で素直に南口に出て踏み切りを渡るコースを行けばよかったのだが、踏み切りを渡るのはメンドウと北口に出たのがいけなかった。近いところまで行ったのだが、どうしてもスロコメがみつからない。電話をして聞きたいが、携帯は持ってないし、公衆電話もない。けっきょく公衆電話を求めて駅のほうまでもどる。公衆電話がないのまで須田さんのせいにしたいとおもいながら、小雨が降ってきたなかを歩いて、スロコメの近くまで行ったとき、むこうから世をはかなむ風情の紳士が、ややうなだれながらトボトボ来る。見れば、中原さんだ。中原さんも見つけられないで、うろうろしたらしい。しかも、見えているスロコメの前を素通りしている。ま、とにかく、なんとか無事に着いて、地図も場所もわかりにくいと、メチャクチャ須田さんのせいにする。 

そのように遅れているうちに先客がカウンター席を占めてしまった。渋谷道玄坂「清香園」の社長、李康則さんと春風亭柳好さんら。昨年の忘年会以来か。

中原さんとソファーに座る。冷えたVEDETTの生が、なんとなく前夜の飲み疲れが残っている身体にうまい。須田さんはカウンターのなかの厨房で忙しそうに料理をつくっているので、中原さんと「前夜の反省」などしながら、ボチボチ飲む。須田さんの料理がうまい。スパン料理?

7時ごろか、中原さんは先に退席。しばらくして、ドドドといろいろな人たちがあらわれる。えーと、経堂はすずらん通りのバーのマダム、田中さん。先日はゆっくり話をできなかったが、聞けば、今年の2月に脱OLでバーを始めた。「なぜ」と聞くと「お酒が好きだから」。えーと、それから、くわじまゆきおさん。やはり須田さんの忘年会などで会っているはずだが、初対面のように名刺交換。世田谷方面のひとが多い中で、このひとは成増で、もっとも俺の埼玉に近い、なんてこともあってか、アレコレ話がはずむ。

李さんも加わって、なんだか盛り上がる。李さんがバッグのなかに持っていた、東海林さだお『東海林さだおの大宴会』(朝日文庫)をいただく、かわりに俺はバッグのなかにあった『四月と十月』最新号をさしあげる物々交換も成立。李さんとゆっくり話すのも久しぶりだった。なにしろ商売柄もあって交友関係の広い方なので話がオモシロイ。なんと、北九州のビッグな会社の社長とも懇意で、招かれて工場見学もしているのだ。

李さん退場のあと、ダジャレスト石黒謙吾さん夫妻がすわる。奥さんの石黒由紀子さんとは初対面。あれこれ。と、やっているうちに、いつのまにか来たのかマチコ女王様が、厨房で動いている。俺は生ビールから焼酎に変えグビグビ。

えーと、あとNHKエデュケーショナルの「からだであそぼ」の方や、アンカフェ制作委員会の方、放送作家の小林哲也さん、それから帰るころ、逆井さんと親しい大里学さんなど、ご挨拶。

ま、たぶん、そうはたくさん飲まなかったが、ワイワイやっているうちに、けっこう酔った。いつものことだが、これから盛り上がるってころ、埼玉の空の下にもどらなくてはならない、10時すぎ退場。

画像。2008/10/25「太田尻民芸展。」に掲載した、太田尻智子さん作の造形品は、須田さんが買って、ここのウインドーを飾っているのだ。「スロコメちゃん」?

俺が関係する、中野の「ゲストハウスやどや」も、今年、事務所にカフェを併設したカフェやどやを開業した。この種の形態は、これから「まちのプラットホーム」としておもしろいとおもう。カフェやどやは、世界中からお客さんが来る「まちのプラットホーム」だ。

街角コミュニケーションを担ってきた大衆食堂など個人商店が減り、大衆酒場は単なる飲み歩き道楽の消費のステージとなって、「まちのプラットホーム」が失せていくなかで、スローな生のコミュニケーションができる、こういう場が増えるにちがいないし、そのことでまちに新たなつながりができ、まちの可能性が開けるような気がする。もしかすると、小田原方面に、「角打ちオフィス」ができるか? 

「スロー コメディ ファクトリー」のことは須田さんが書く「スロコメ日記」に…クリック地獄

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三茶・味とめ、角文研東京支部公開飲み会。

Ajitome003(追記)下記の記事を書いたのは朝だが、いま12時半過ぎ、デジカメを見たら「味とめ」の画像があった。撮影した記憶がない。上は、2階の窓を開けて撮ったものらしいが、昨夜は寒かったのに、なんでそんなことをしたのだろう。下の画像は、「味とめ」の前だから、閉会して出たところらしい。撮影時間が9時50分すぎ。ウへ~、味とめで6時間も飲んでいたってことか。そして10時頃三軒茶屋から地下鉄に乗って渋谷へ出て帰ったのだな。(追記、おわり)

えーと、まずは、おととい。

世田谷区三軒茶屋「味とめ」に16時チョイ前に着く。店に入るとオバサンが「おや5時からじゃなかったの」「正式には5時からだけどね」。まもなく中原蒼二さん、そして木村衣有子さん。

17時ごろ森田康史さん夫妻があらわれたところで2階大広間へ移動。2階は初めて、1階よりは片づいていてマットウのほう。参加者が続々登場。初対面のひと、順不同。古池祥さん、栗原弓枝さん、田平衛史さん、常盤喜三郎さん、田中皇彦さん、近藤ちはるさん。再会のひと、順不動。大野浩介さん、サノタローさん、オオクラテツヒロさん、松尾智子さん。15名か。

「角文研東京支部公開飲み会」と称する。「角文研」とは「北九州角打ち文化研究会」のこと。東京支部長は中原さん、副支部長は森田さん、部員は古池さんだけ。半数以上が北九州と地縁やら、なんやら縁が。半数以上が、なにやら、いわゆる青山とか恵比寿あたりの、いわゆるクリエイター系。が、主な傾向。

右サイドバーの2008/09/27「「糠漬文化人」あるいは「糠漬アーチスト」そして「おかん文化人」など。」にコメントの大野さんは、9月に北九州でお会いしたので、北九州からの参加と思っていたが、なんと1週間ほど前に、東京に転勤になったのだった。鎚絵の東京営業所長。おおっ。

おおっ、といえば、某大手洋酒メーカーの「グルメ開発チーム」のスーパーバイザーにしてワインアドバイザーのひと。サノさんと湘南方面で新会社設立に蠢動す。この会社の設立は楽しみだ。

オオクラテツヒロさんの「グリンの冒険」と「ハコシキ」は、ますます上昇中。

いわしコースをメインに、とにかくガンガン飲む。生ビールのち、中原さんが、キンミヤ一升瓶を横において、チュウハイづくり。俺は、翌日もあるので、ゆっくり飲むといっていたのだが、急ピッチ。にぎやかに飲んで、話のなかみはほとんど覚えていないが、楽しかった。

近藤さんと木村さんは、途中退席。

あとで聞いたところ3合ほど残っていた中原さんの一升瓶をあけたのち、4本もあけたのだそうだ。9時すぎごろには、もう飲めない状態。三軒茶屋で、みなと別れたあたりから記憶がアイマイ。渋谷駅のホームで「エンテツさん」と声をかけられ、見たら栗原さんと田平さんがいて握手して別れたのは覚えている。
Ajitome004

もう書くのがメンドウなので、とりあえずこれぐらいで。
というのも、昨晩も下北沢で飲んで、チトまだ頭がドヨヨヨ~ン状態。
下北沢で、須田泰成さんの新展開は、またのちほど報告。


オオクラさんの「ハコシキ」と「グリンの冒険」は、こちらで見られますよ。
ハコシキ…クリック地獄
グリンの冒険…クリック地獄

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2008/11/07

安直で惰性な「こだわり」の舞台あるいは舞台裏。

2008/11/05「知識はあれど想像力は、ナシ。」の関連。

知人が俺に、コレを読んで欲しくてと渡した「ベルク通信」、当ブログでも何度か書いた、あの新宿駅でJR大家に追い出しをくらっているベルクの通信、その記事は「こだわりブルース」のタイトル。ベルクの例の本の店長さんが書いている。

一部を略しながら紹介すると、こんなぐあい。……

 ベルク本への反応の一つとして、「こだわり」という言葉がますます氾濫したことがあげられます。これまで以上に店の形容語句になり、おホメの言葉になり、挨拶にすらなった。…… それがこそばゆいんですね。「こだわり」って本来あまりいい意味ではない。…… 度を越してとらわれるのがこだわるということ。…… いいこととは言い難い。少なくとも自慢するようなことじゃないでしょう。食への「こだわり」だってそうです。要はおいしけりゃいい。お客様のお口に合えばラッキーなんです。その時はじめて苦労(こだわり)も報われる。でもその苦労をお見せしないのがプロ、というか粋ってもんじゃないですか!

……と書く店長さんだが。……

ところで本って、自費出版でない限り著者のものでなく、執筆も編集部と著者の共同作業になります。私は著者として初心者でありながら優秀な編集者に恵まれ、彼の敷いたレールにのっかって何とか書き上げることができましたが、彼は食への「こだわり」の当事者ではないだけに(うちのお客様ではありますが)何の照れもない。「こだわり」は素晴らしいことだという前提でレールを敷いてくれたりするのです。すると、私にはそのレール自体をひっくり返す勇気はありませんので、その前提に辛うじて抵抗するような書き方をする訳です。「なるべくこだわりたくはないのだが」といった風に。

……チト編集者に気をつかいながら書いている感じだが、つまりは、よくあること。出版社の編集者が「こだわり」路線を敷いている。

ついでに。誰かさんに聞いた話だけどね。なるべく物事を正確に書くために、「名店」だの「逸品」だの「究極」だのといった、中身がアイマイな形容語句を使わないようにして飲食店や食べ物のことなど書こうものなら、たちまち編集者に「名店」だの「逸品」だのに直されることは、よくある。よくあるから、ちゃんと、そのへんの「編集意図」をあらかじめ「理解」して、「聖地」だの「至玉」だの「絶品」だの「厳選」だのという言葉をキラキラちりばめながら書くライターが、「よい文章を書く頭のよいライター」として重宝される。とか。

もちろん、これは、編集者やライターだけのモンダイではなく、そういう中身がアイマイなハッタリのような紋切り型表現をよろこぶ、粋でもなんでもない読者が、少なからずいるのであり、ウリを考えた「よい本」は、それを意識している。ということの反映、なのかも知れない。でも、安直な惰性であることには、ちがいない。ような気がする。

とにかく店長さんは続ける。……

それがあの本を多少まどろっこしくしていますが、ある意味それは編集者と私とのバトルの跡であって、読みようによってはスリリングかも知れないし、当事者の感覚だけで閉じられていないところでもあるのです。著者としては必ずしもスッキリしてないのですが、一読の価値ある本になったと思います。

……ま、そういうわけで、売れればヨシというのは、なんの商売でも仕方のないことなのだ。

ただし、「少なくとも自慢するようなことじゃないでしょう」「苦労をお見せしないのがプロ、というか粋ってもんじゃないですか!」という精神が失われ、これみよがしに「こだわり」を使い、自ら「こだわり」を自慢したりウリにする傾向が大勢となると、その背後にある、想像力の貧困を考えざるをえない。と思うのだな。

Kodawari_711画像。たったこれだけの量の文章なのに、2か所も「こだわり」を使っている。「こだわり」なんてのは、大量生産のセブンイレブンの食パンの言葉ですよ。ま、セブンイレブンの食パンだから悪いということはないのだけど、安直簡単便利生活の象徴のごとく揶揄されるセブンイレンブンの、大量生産の言葉ってことです。たしかに、そのように、安直簡単便利に、大量の出版物に使われている。その状況に対して、無自覚すぎるように思う。そこからどう脱却するかという課題があるんじゃあんまいか。

とにかく、俺は、そういう中身がアイマイで大げさな形容語句のたぐいは、なるべく使いたくない。たいがい恥知らずの俺だが、そういう言葉を使うことは恥ずかしいと思うていどの恥は知っている。そして、そういう言葉を無造作に使う人は、オリコウとは思えない。


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2008/11/06

「四月と十月」10月最新号。

Sigeru_ton_mono003

きのうスソさんの帽子展でもらった『四月と十月』の最新号、ほんと、読みごたえ見ごたえがある。

だけど、この号から、ここに、俺が連載の1人として登場しているのが、フシギだ。アレッ、俺が、どうしてここにいるのだろう、いいのか? の気分。ニンゲン、どこに転がっていくか、わからん。とくに俺のような、ぶらぶらニンゲンは。

そのことは、自分から説明するより、中原蒼二さんのブログ「吹ク風ト、流ルル水ト。」の11月4日のエントリー『四月と十月』をご覧いただいたほうがよい。…クリック地獄

そこにも書かれている。『四月と十月』は、美術系同人誌といってよいと思うし、「同人誌」といえば、たいがいは、一般の商業出版からは、まだ注目されてないか、発表の場所のない人たちが、ビンボウ臭く「自費出版」のように発行するものだけど、この雑誌はちがう。広告界や出版界などの「一流」とか「大手」といわれるところで活躍し、実績を残し、いくらでも発表の場は引く手あまた、実際に忙しくてしようがない人たちがズラリ揃っている。しかも編集発行人の牧野伊三夫さんはじめ、40歳代の脂がのった人たちが中心。

その中にだね、俺、トシだけはくっていて、枯れて朽ちそう、ビンボウ臭い「自費出版」でもするしか発表の場がないのに、カネがなくてそれもできないほど、売れない男、新人なみに世に知られていない、たいした実績も残していない男が、いるんだなあ。

ちがうだろ、なにか間違っているんじゃないか、お前は場末の饐えた臭いのうす汚い酒場に、女にもカネにも見放され、うす汚れた姿で座っているのがお似合いじゃないか。と、自分でも思うのだが……ま、でも、これまでも、こういうことは何度もあった。ほんとうは、気にしてない。うふふふ、じつは、「場違い」こそ、ぶらぶらな俺の居場所なのだ。

で、俺がここにいることになったのは、大胆にも、そんな「場違い」をつくってしまう牧野伊三夫さんのおかげなのだが、中原さんは、俺の文について、こう書いている。

 今号から遠藤哲夫さんの連載が始まった。この人は美術関連ではなく(イヤ、
 おれが知らないだけでそういう関係者かもしれない)、文章の本職である。
 美術関連の方々がなにげなく、静かで良い文章を書かれる中で、エンテツさ
 んは本職としてやりにくいかもしれない。
 しかし、さすがである。熊狩りの猟犬になり損ねた小犬の話しであるが、おれ
 は読んで笑いながら少し泣いた。

もちろん、俺は美術関連ではない。

それに、中原さんの俺に対する贔屓目があるだろうけど、それはさておき、たしかに、「やりにくい」と思わなくはなかった。それは、自惚れすることない、まっとうな判断力がある証拠だと思いたい。これまでの、とくに「アトリエから」に書かれた同人のみなさんの文章を読んだら、「やりにくい」と思うのがフツウだろう。

ま、そこで、いくらか考えて書いた。タイトルを10数本考えて、「ウマソ~」の一本を選び。書き方は、何十通り考えたか。それは「ゼッタイいいもの、負けないもの、うならせるもの」というより、どうせなら、いろいろな試みを盛り込んでみたいと思ったからだ。

文章原稿に、写真原稿を一点用意することになっていた。これもアレコレ加工してみて、10点ほど作ってみた。その中から、ここに掲載の写真を、最初に送ったのだが、考え直し、けっきょく、まったく加工しないものに差し替えてもらった。写真の説明は本文にも書かなかったが、見れば豚の頭とわかるだろう。

俺の話は、いいや。今号のメモ。

この号から、古墳部で一緒だったことのある、セキユリヲさんが同人として参加している。
宇田敦子さんの「自炊」は、スゴイおもしろい。ひとは、なぜ、「自炊」するのか。
教頭先生、田口順二さんの絵日記、8月26日の「夏休み(日曜日)ぐらいは休みたい」に笑った。
久家靖秀さん、広告もあるが、『久家靖秀写真集 庭と園』(フォイル)を刊行。それにからんで、

 「庭」とは旅の途中に遭遇する突然の風景。
 「園」とは約束された場所を訪問することで出会える景観。
 
 建築と境界の間に「配列される」空間が庭園であり、
 知覚と言語化の「交叉上に」写真が生成する。
 
 「中間の中間は存在しない」のか?

と、書く。なるほど。中間の中間は、存在しても把握が困難なのかも知れない。

有山達也さん、原田郁子さんに絵を描かせている。読んでると、俺も絵が描けそうな気がしてくる。
言水ヘリオさん、彼の持論中の持論らしいところを書いている。「生活の中の料理」と大いに関係あることなので、これは後日別に話題にしたい。
仕事場訪問は、牧野さんが書いている。登場するは、吉増麻里子さん。知らなかったひと。激しく興味をそそる。「絵を書くためには、もちろん知識が必要です。でも、それが先行するのは私は好きではありません」
牧野さんは書く。「未完成だが大きな展望を秘めた吉増さんの作品群に、僕はそうはなりたくないと思いながらも自分が嗜好が定まりかけた偏狭な画家に思えてきて、打ちのめされた」と。そう思えているうちは、まだよいのだが。気をつけよう。
あと、いつもの古墳部の活動(糸魚川)に山部(日光・戦場ヶ原)の活動。

「四月と十月」公式サイト…クリック地獄
四月と十月展開催中(今月17日まで)…クリック地獄


関係ないが、きょうは、来年展開のいいアイデアが浮かんだ。

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青山でスソアキコ帽子展、渋谷でアルシーヴ社。

Suso_005ヨツパライ深夜便、きのうのこと。2008/10/23「四月と十月展とスソアキコ帽子展とか。」に書いた、スソアキコ展の最終日。行けば、必ずや帽子を被ることになるだろうと、いつもはフケだらけの頭を洗って出かける。たしか13時54分東大宮発の電車に乗った。陽気もよいので原宿駅で降りて、表参道まで歩き、会場のスパイラル2階のスパイラルマーケットへ。もちろん、スソさんはいました。えーと、7月初旬の古墳部の旅以来。

例によって「孵化中」のような帽子が。ゲホゲホ、骸骨に被せた、とみえるものは、「四月と十月」古墳部長ならではの、古墳から発掘された遺骨が被る冠のイメージか。とにかく、またもや、孵化帽を被り、撮影してもらう。フフフフフ、なんだか、ふふふふふ「孵化中」の動物になったような、ビミョーな気分。解脱とは反対のような方角に脱世俗するような、ウニュウニュな。

って、あとで考えたら、よく他の作品も見ずに、スソさんに写真を撮ってもらい、楽しくオシャベリして、だけど、つぎつぎお客さんも見えるから、つぎの古墳部の旅を期待して、退散。

退散の前に、スソさんが挿画と挿絵する傳田光洋さんの著書『第三の脳』(朝日出版社)がおもしろそうなので購入。それから、俺の新連載「理解フノー」が載っている『四月と十月』最新号、まだ手元に届いていないので、たぶん旧住所のほうへ送られたのだろうけど、メール便だから転送されずにもどるはずと、かわりに一冊いただく。

青山通りを渋谷に向かって歩くうち、青山学院前で、そういえばアルシーヴ社は、この裏側の実践女子学園のそばじゃないかと思い出し、寄ってみよう、青学の角を曲がり、そちらへ向かう。

うまいぐあいに、佐藤真さんと、斉藤夕子さんがいて、オシャベリ。この春お手伝いさせてもらった、「まちづくり」がらみのことなど。いい情報を教えてもらった。ほんと、アルシーヴ社へ行くと、なにかしらオベンキョウになる。と、うまいぐあいに、高橋律夫さんが帰社か出社。彼とは、先日電話で話したばかりだが、顔を見るのは、何年ぶりか。2,3年ぶりか。ぎゃははははは、むかしはみな若かったのに、50になったり、60になったり。あいつの消息、こいつの消息、50にならないうちに死んだやつもいたな。とかとか。

16時過ぎに出て、渋谷駅。うまいぐあいに宇都宮線直通の電車が来た。ところが、大宮に着いたところで、なんと、俺が降りる東大宮駅と、先の蓮田駅のあいだで人身事故で電車がストップ。んじゃ、しょうがねえなあ、いづみやで飲もうと改札を出ようとすると、なにやら救出だかなんだかは終わり、「まもなく発車」という。ならばと電車にもどるが、「まもなく発車」「もう少しお待ちください」で30分経過。そのアナウンスの「態度」が気に入らない。

とにかくJRは腹立たしい。いつだって腹立たしいJRだが、いつもそう思っていると、酔っているときに駅員にボーリョクをふるっちゃいそうだから、なるべく、そうは思わないようにしている。が、JRって、なにもの?

でも、スソさんとオシャベリし、アルシーヴ社でオシャベリし、楽しかった。

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2008/11/05

知識はあれど想像力は、ナシ。

いわゆる「グルメ」系の文章には、「こだわり」や「厳選」という言葉が、ゴミの投げ捨てのように使われている。そんなものがありがたみがあるのかと思うのだが、十年一日のごとく続いていて、けっこう「本好き」「本読み」で知識が豊富なひと、あるいは物書きとしてアチコチに書いているようなひとでも、いとも無造作に使っている例が、めずらしくないようだ。いや、むしろ、そういう言葉を使うのが、「常識」であるかのようだ。

伊丹十三さんの『ヨーロッパ退屈日記』に「想像力」という見出しの話がある。「さてニコラ・バタイユの演出を見ていつも思うのだけど、演出、とは結局想像力ですね」ということなのだが、俺はニコラ・バタイユの演出を見たこともないのだけど、文章も写真も絵も、ま、会話にせよ、なんにせよ、ニンゲンは想像力の動物だと思っている。

想像力で生きている。ウンコをするためには、めしをくうためほどの想像力はいらないような気がするが、それでも、温水シャワーのようなものがケツの穴めがけて噴射するような便器をつくってしまうのは、やはり想像力のなせるワザと思わざるをえない。

と、いきなり話がズレそうだ。

伊丹十三さんは、そこで「例をあげれば判りやすいと思うのですが」と、とある映画の「若い夫婦が初めて観客に紹介されるシーン」をあげる。「およそ「この二人は若い夫婦ですよ」といって作者が観客に示すやり方は一万とおりもあるでしょう。ところがこの映画で作者がその一万とおりの中からえらんだのはこんな方法です。

 すなわち、若妻がエプロンを掛けて台所で働いています。そこへ外から帰ってきた夫が現われ二人は接吻(せっぷん)する、というのです」

そのことについて、伊丹十三さんは、こう書く。

「これは一体どういうことでしょう。むろんこの責任の大半は脚本にあるわけですが、これ以上安易で、投げやりな想像があるのでしょうか」

いま、「こだわり」や「厳選」という言葉を、いとも無造作に使う表現は、まさに、「これ以上安易で、投げやりな想像があるのでしょうか」ってなことじゃないかと思う。

が、伊丹十三さんのスゴイところは、最後にこう書くところなんだなあ。

…………………………………………………………………………

 現在の映画が、撮影所製のだんどり芝居の域を抜け出て「実在性」を取り戻そうとするなら、わたくしの場合、その推進の軸となるものは「日常性」においてないと思います。
 そしてまた、作家の想像力が一番あらわな形で出る場、というのも日常性の創造をおいてないと思うのです。

…………………………………………………………………………

たとえば、大衆食や大衆食堂、日常性を書くことは、じつに想像力がいる。非日常や特別、特殊なことは、それだけでネタになるから、マニアックな薀蓄を傾けていれば、たいして想像力は問われない。

なのに日常性を「こだわり」だの「厳選」という言葉で片づけてしまっていては、「安易で、投げやりな想像」しか残らないことになる。そういうものが売れて読まれていく世間では、日常の生活から、ますます想像が失われ、「だんどり生活の域」で日々が過ぎていくことになるのではあるまいか。そして、そういう生活に疑問を持たないから、また「こだわり」や「厳選」が無造作に使われる悪循環のようだ。

一万とおりの中から一つを選ぶ表現とまでいかなくても、十とおりやそこらは簡単に想像つくはずだと思うが……。なんかやたら、安直な紋切り型や教条がはびこって、想像力は墓場送りになりそうだ。

「想像力」なんていうと、また難しいことを専門的にマニアックに語るひとがいる。難しいことはない。玄関にホコリがなければ、誰かが掃除をしているからホコリがないのであって、掃除をしなければ玄関とは限らずホコリはたまるものであり、誰かが掃除をしているからホコリがないのだ、ということが理解できるていどの想像が、あるかないかのような気がする。

とりあえず「こだわり」や「厳選」という言葉を使わないことであり、そういう言葉を使って書いているひとの文章や姿勢は、疑ってかかったほうがよいようだ。

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2008/11/04

新宿で新会社のインボウ。パンクあんどファンクな蠢動。

まだ現場を見てないので書いてないが、最近おれの周辺で一つ、新しい事業の展開が始まった。そして、また一つ、きのう。

新宿の石の家16時。少し早かったが、すでにサノさんがおられた。初対面のあいさつ。すぐに中原さんも登場。まずは生ビールでカンパイ。サノさんが準備した、新会社設立の趣意書を拝見しながら話を聞き、あれこれ話す。NPC(非営利型株式会社)という形態にするとのこと。ようするに、株式配当がないことを、あらかじめ定款に盛り込んだ株式会社組織といえば、わかりやすいか。

ま、とにかく、詳しくは、早ければ今月中に登記が終わる予定なので、設立が決まってから、大いに宣伝もかねて紹介することにしよう。

この新しい二つの動きは、俺が過去やって来たことや考えに深く関わりがあるだけでなく、地理的にもコラボレーションが期待できる。なんだか、ますますおもしろくなりそう。閉塞状態が長いニッポンだが、閉塞を破るようなパンクあんどファンクな動きも、しだいに増えている感じだ。少なくとも、俺の周辺では増えている。こうした動きが、たくさん生まれながら、そのすべてが「成功」するわけじゃないから、とにかく「失敗」があっても、たくさん生まれて、つながっていくことだ。うーん、おもしろくなりそうだなあ。やはり、なんだね、いつも、チャレンジですよ。

小金を持ったまま閉塞の中でモンモンとしているみなさん、その小金を、俺に吐き出しなさい、おもしろい動きの仲間に入れてあげます。なーんてね。前期高齢者入りした俺、アナログじじいと罵られても、「前期高齢」も「アナログ」もてめらの観念の妄想じゃないか、クソクラエなのだ。

「ユニークになれ」「法人化せよ」「つながれ!」ですよ。

で、昨夜は、そんなことで、けっきょく、新会社設立のインボウをツマミに、俺は生ビール3杯に、チュウハイ5,6杯かな?覚えていない、なにしろあの石の家で1人5千円になるほど飲んだのだから、もうベロベロいい気分で泥酔帰宅だった。

こうしちゃいられない。

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2008/11/02

ミーツ12月号は「旨い旅」。気になる見沼区東大宮、鉄砲屋やホルモンや。

Higasioomiya_teppouきのう、11月1日発売の「ミーツ・リージョナル」12月号を郵送で頂戴した。転居先は連絡してあったが間に合わなかったのか、旧住所からの転送だった。まだゆっくり見てないが、ようするに「旨い旅」だ。藤本男さんらZAZENBOYSならぬJ-BOYSが、東京まで遠征して食べまくっている。

木村衣有子さんの連載「大阪のぞき」は「カフェ ヴィーナーローゼ」。もうイチイチほめあげるのもメンドウだ。絶好調。今回は、後半「さくい」という言葉から終わりにもっていく話の転がし方に、うなった。

ってことで、話は、連載「江弘毅の街語り」だ。タイトルは「なぜ若い奴らは飲まなくなったか」。江さんは、「酒を飲むという行為」について、街的に考察を深めているのだが、最後に、こう述べている。

「酒を飲むという行為は、その行為にふさわしい「場所」が用意されているから可能なのであって、そこは立ち呑みにしろ北新地のクラブにしろそれが酒場という店である。だからその店が開いてないと、本来酒は飲めなかった。それは自分が街や店や人とつながっていることでもあって、24時間開いているスーパーやコンビニで、チューインガムや歯磨き粉を選ぶこととは別物である」

つまりは、腹が減ったらコンビニでも吉牛でもマクドでもある、着るものならユニクロがあるでよ、それで何かモンダイがある?という気分になるほど「消費」な環境に飼いならされると、酒を飲むならコンビニで買って飲めばいいじゃない、それで何かモンダイがある?という気分になりやすい。が、それは、およそ「酒を飲むという行為」とは次元がちがうのだ。ということなのだな。

ま、俺のばあい、泥酔状態の帰宅途中で、記憶がないままコンビニに立ち寄り、とにかく酒を買ってしまう。「酒」が欲しい、泥酔していても酒が欲しい。朝起きて冷蔵庫を開けると、そこに記憶のない缶ビールが燦然と輝いている。それを二日酔いの重いまぶたの眼で見たときのうれしさよ。なーんていう「アル中レベル」に近いのだが、それでもやはり「外で酒を飲むという行為」については、江さんのいうとおりだとおもう。

いま俺は、初めての土地に越してきたばかりで、周辺をブラブラするユトリもない。が、ここから駅まで10分弱のあいだ、いろいろコースを変えて歩いてみると、それなりに気になるところがある。それは「酒場」なのだ。

すこし正確に書くと、今年の春、初めて土地を見に東大宮に来た。そのとき、イチオウ、駅の、買う土地がある反対側もぶらぶらした。午後2時ごろだったとおもうが、なんと、昼間から飲める、間口一間ほどで奥に長い小さな酒場を見つけたのだ。それで俺は、ずいぶん気分がよくなった。ここは、俺が馴染みやすい街だなという「好印象」を持った。

いやさ、俺が「アル中レベル」だからのことじゃなくて、やはり大人の男が街と交わりアッハンウッフンするとなると酒場なんだよ。そこが「街の入り口」というか。新しい土地、しかもそこに家を構えて住み着くとなると、やはり自分にあった酒場があるかないかは、けっこうポイントになると、あらためておもった。昼間から飲めるイカガワシイ酒場がある!それだけでも高得点だ。俺は、まちがいなく、この街に親しめると確信するのだった。

で、いま書いている時間がないから、これだけ書くと、東大宮駅の俺が住んでいる側、西口を出てすぐそばに「鉄砲屋」という気になる酒場があるのだな。駅のホームからも見えるから、ホームに立つときは、自然に肉体がそちらのほうへ移動し、ホームから写真を撮ってしまった。昼間だから、まだ開店前。

この角のミニ猥雑な三軒連なりは、横から裏の方をみると、いわゆる仮設のようなバラックなのだ。そして鉄砲屋の外のメニューを見ると、「ホルモン系に強いぜ」という主張が、ビンビン伝わる。

で、ホルモンといえば、ウチから駅へ行く途中の国道沿いに、「ホルモンセンター」という店と「モツ焼センター」という店がある。「ホルモンセンター」は、どうやらホルモンの卸やら小売の店のようだ。「モツ焼センター」は、「ホルモンセンター」から数十メートルの筋向いにあって、店頭で焼いて売っている。間口が三間ぐらいあるだろうか、けっこう大きい。買って帰るひと、そこで食べるひと、いつもひとの姿がある。そんなぐあいに、ちょっと目に入るだけでも、俺好みの酒場がありそうな街の気配が漂っている。

てなことで、これから、ゆっくりゆっくり、江さんのいう「酒を飲むという行為」を、この街で実践していきたい。
いじょう、きょうは、決意表明で、おわり。

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2008/11/01

天の清青、地上のアタフタ。

Top_081101まだ何かと生活のリズムが整っていない。ちょっとしたものでも、あるべきところが定まっていなくて、右往左往したり。きのうとおととい、2日続け出かけたが、都心までの往復時間は変らないにしても、電車や経路が変ったせいか、グッタリ疲れて、ブログの更新をする気力もなく、パソコンの前に座るのもメンドウで、寝てしまう。

いろいろオモシロイことがあった。とくにおととい、進行中のロクデナシ作戦の打ち合わせで聞いた、近頃の株価乱高下騒動の渦中にある株屋さんの話は、これはもう経済問題じゃなく人間モンダイ喜劇だねとみなで笑ったほどだった。けっきょく、バブルの頃をさかいに、株価を判断する基準というか「姿勢」が変ったのだなあ。それまでだって、株価が企業活動の実態を反映していたかといえばアヤシイものだったけど、それでも実態を示すデータは参考になりえた。あるていど、現場や実際に触れ、実態を考えることをしようという「姿勢」もあった。といえる。

だけどいわゆる「情報社会」とやらで、深く情報システムにからげとられてしまい、実態より情報システムを通して得る情報だけで判断する「姿勢」が強くなった。というより、取り引きのスピードもあったりで、ほかに方法がなくなってきた。実態は、どうなんだろうと思っても、どう判断してよいかわからなくなってしまう。アナリストなどの情報を頼るしかない。しだいに情報システムのなかで判断する習性がついてしまう。うまくいっているときは、とくにだ。

そういう習性は、状況が変ったからといって、すぐ改まるわけではない。そのうえ、今回のように海の向こうがからんだりすると実態など霞の向こうだ。材料すら乏しい。情報の中身もよくわからないまま、一喜一憂アタフタしなくてはならない。ってことで、さまざまな問い合わせが株屋さんのところにある。とんでもないウワサまで、冷静に考えれば、そんなことありえないだろうというウワサにアタフタしている。その様を聞いて、あまりにも滑稽で笑いはしたが、イチマツの悲しさが漂う秋の空だった。

株の売買だけに限らず、いまや「コミュニケーション」に占める電子情報システムの割り合いはスゴイものがある。パソコンを持たないひとでも携帯メールで、さまざまな売買や、日常の「会話」を行っている。そこでは、メールやブログに書かれたことなどだけから素早く判断し、実態はどうであるか考えるユトリすらない。ともすると中身などよくわからないうちに、セカセカ見て自分の気分でセカセカ判断してしまう。そこにとんでもないカンチガイがあっても、それが「土台」になって次のステップになる。その繰り返しが重なると、もはや何が実態かなど判断するのも困難になる。さらにカネの取り引きがからむ……。イヤハヤ、なのだ。いまの株価の乱高下は、電子情報システムのなかで一喜一憂、乱高下する不確かな人間の気分の反映なのかも知れない。

だけど、ま、そういう状況になれて、冷静に判断しようという「姿勢」のひとも増えるわけで、情報システムそのものが悪いとはいえない。やはり、ニンゲンの問題なのだな。このドサクサで一儲けしようという悪賢いやつらもいて、こいつらがイチバン冷静なのかもしれない。となると、どんなときでも、ふてぶてしく悪賢くという「姿勢」がよいのだろうか。

それはともかく、こうしてパソコンを打っている頭上の窓からは、青空が見えている、11月1日なのだ。近頃は、それこそ情報の煽りで、まだ11月なのに、もう「師走」という感じのほど、あわただしい。あわただしくても、実際の姿や実態を見失わないようにしたいものだ。空は、いつも晴れているわけじゃない。

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2008/10/29

大衆食研究「カップ麺の主食」。

前と前の前のエントリー、アンビテンデンツ問題の続きを書くつもりだったが、ネタ元の「中央公論」1987年10月号「新・都鄙問答のすすめ」野田正彰が、行方不明になってしまった。これは、その数ページだけを切り取ってホッチキスでとめた薄いものだから、どこかにまぎれやすく、しばらく行方不明だったものが、今回の引っ越しの整理で見つかり、そして今日まだ続いている資料の整理のなかで、どこかに入り込んだものらしい。あるいは、捨てられてしまったか、すぐに見えるところにはない。

探しているうちに、そのかわりといってはなんだが、まったく忘れていた、見ても、こんなことを書いていたのかとおもうようなものが出てきた。長くなるので詳しいことは省略するが、1993年11月に俺がワープロで作成しコピーして配っていたものらしい。俺の連絡先が知り合いの某出版社の某編集者気付になっている。

おどろいたことに、そのタイトルが「大衆食研究」なのだ。俺は、「大衆食」という言葉を、そのように使い出したのは、『大衆食堂の研究』の刊行にあたって、それまでの「大衆食堂で会おう会」を「大衆食の会」にしたときだと思い込んでいた。どこかでもそのように書いたか話したかしたとおもうが、もっと前から、こんなぐあいに使っていたのだなあ。

とにかく、その中から、自分でオモシロイとおもった短い文章を以下に転載する。似たような話を何かに書いたような気もするのだが、タイトルは「カップ麺の主食」。

 A子は、手取り十数万円の給料で都心のJR目黒駅近くのマンションに住んでいた。家賃は八万円。彼女は、テレビドラマでみたようなマンションに住みたくて上京し、中小企業に就職したのだ。だからそのマンションのために、すべてをガマンした。おかげで、カップ麺について詳しくなった。昼食と夕食の「主食」はカップ麺だった。発売された、ほとんどのカップ麺を食べたという。しかし、ついにそんな生活に見切りをつけ、「都落ち」して安い家賃のところへ越した。二十歳そこそこで、肌がガサガサになっていた。
 おなじ会社のB子は、三十歳になろとしていた。ずっと家賃四万円台の、古いモルタルアパート住まいだった。それで、給料は増えているのに、以前ほど貯金ができなくなっていた。年々、男に誘われる回数が減っている証拠だった。若いころは、いまでもそうだが彼女は美人のほうだったし、毎日のように男たちから食事の誘いをうけた。昼食も夕食も。男が払ってくれた分を、彼女は貯金した。ほかの「主食」はカップ麺だった。
 これも大衆食なのだろうか。

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2008/10/28

シンドイしんどい「ゲーム感覚」のグルメとアンビテンデンツ。

きのうのつづき。

「ゲーム感覚のグルメ」なる表現がマスコミで使われたのは、いつごろだったか。とにかくラーメンやカレーライスといった「B級グルメ」が騒々しい90年代後半以降のことだったとおもう。

この「ゲーム感覚」って言葉の意味なり意図は、かならずしも明快ではなかった気がするが、流行のパソコンゲームをやるような感覚がイメージされていたようではある。

それは、野田正彰さんが「新・都鄙問答のすすめ」で書いていることにちかい、っていうか、こういうことだろうとおもう。

そこでは「ゲームの勝利の快感に条件づけられ、快感を味わうために常に競争に没頭するようになる」

勝利するとは限らないが、勝利の快感に条件づけられた脳糞は競争に没頭し、競争そのものに快感するようになる。飲食店に「勝負」をしに行き「何軒くいたおした」といったことを口にする、「至高」「究極」といった高水準の得点を快感する。グルメ同士の競争、「勝負」。『美味しんぼ』などは、そういう先陣をきっていたのだが、「カレー勝負」だの「ナントカ勝負」だの、ゲーム感覚モロだしストリップではなかったか。

そんなゲーム感覚のグルメ脳になった背景は、意外に、野田さんが指摘する戦後の日本社会と密接だ。たしかにラーメンやカレーの食べ歩き、その他の単品グルメ、立ち飲みや居酒屋飲み歩きツアーにしても、やけに日本的な現象のようだ。

「新・都鄙問答のすすめ」では、日本の近代化は、コンプレックスを熱源としていたが、「敗戦によって決定的に打ちのめされ、次には生き残ることが精一杯の社会状況になった」と。「しかし朝鮮戦争の特需を契機に、死活の意識はなくなり、追いつき追いこせという経済戦争の社会に変った」

「そこではコンプレックスのような熱源によって動くのではなく、ゲームの勝利の快感に条件づけられ、快感を味わうために常に競争に没頭するようになる」

と、「アンビテンデンツを落差のエネルギーとして動く社会」を解剖してみせてくれる。野田さんは食やグルメには触れてないのだが、「グルメ現象」や「B級グルメ現象」に、そっくりあてはまりそうだ。そもそも、「グルメ」なるものが社会現象になるのは、この「新・都鄙問答のすすめ」の3年ほど前からである。

「こうしてモデルとすべき社会を喪って、アンビテンデンツをエネルギーとする複雑な状況に私たちは投げ込まれている」

「複雑な状況」は「迷走」といってよいだろう。消費の迷走、生活の喪失。これほど、ラーメンやカレーやおでんや、イタリアン、さぬきうどん、スィーツ、あるいは立ち飲みや居酒屋や、そのほか細分化された仔細な「至高」「究極」は話題になるのに、モデルとすべき食については、「うまいもの好き」に没頭な人たち、あるいはなにやら食の「研究家」や「評論家」という人たちの口から、話題になる注目に値する提唱はない。

メディアを見ると「うまいもの好き」であふれているようだが、そこからはモデルとすべき食は見えてこない。そして、一方で、食の不安や安全がいわれ、栄養と健康に偏向した食育基本法なんてものが生まれ、官製の現実的ではないモデルが押し付けられる状況だ。

「今、東京は、社会の変化を経済の視点からのみ語るエコノミストの花盛りである。彼らの論評には、どんな人生を生きようとするのか、どんな社会を作ろうとするのか、問いかけがない」と野田さんは指摘しているが、食の分野にもあてはまる。

残念ながら、食の分野では、この「エコノミスト」に匹敵するような人物すらいない。ただただ東京を日本を世界を食べ歩いたというだけの「ゲーム感覚」グルメが「ライター」や「研究家」や「評論家」の肩書だったりするが、せいぜい「消費のリーダー」、ようするにグルメや栄養や健康に偏向した食の語りばかりで、「彼らの論評には、どんな人生を生きようとするのか、どんな社会を作ろうとするのか、問いかけがない」

拙著『汁かけめし快食學』や『大衆食堂の研究』などは、そういう問いかけをしているが、いま「食」に関心がある人たちにとっては余計なことらしい。

一方で食は、日々大騒ぎの大きな「社会問題」になっているのにねえ、出口は見えない。快食快便というわけにいかず、迷走便秘の日々だ。ビチビチビチ糞すら出ない。ブリッ。

いったい未来への想像へ結びつかない「食べる」という行為は、なんなんだろうか。まさに、消費、なのだ。ひたすら、追い立てられるように、消費する。そして脳糞は能書きとデータでぶくぶく膨らむ。

野田さんは、そんなアンバイの東京や大都市に対して「地方は大都市に何を呈示できるか」を語っているけど、きょうは、ここまで。

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2008/10/27

いつまで続く「アンビテンデンツ」。

1987年、バブルの真っ最中、野田正彰さんは、中央公論10月号に「新・都鄙問答のすすめ」を寄稿している。じつは、これ、おれの「ネタ論」なのだ。ネタばらしをしておこう。「グルメ批判」も「食育批判」も、あるいは「旅人文化」やら「まちづくり」なるものに首を突っ込むのも、あるいは「東京荒野論」の、根っこは、この「アンビテンデンツ」モンダイなのだ。

リード文には、こうある。

「アンビテンデンツ――自らは本当には望まない生き方を、洗練し、効率よく人々に提供する矛盾した感情傾向。これをエネルギーとして動く社会をつくり上げてきた私たちは今これに頼らない別の生き方を、地方の視点で考えてみよう」

この一文に劇的刺激を受けた俺は、なんでも体験にもとづいて考える「流儀」にしたがい、ついに熊本の奥地まで行ってしまうことになるのだが、それはともかく、アンビテンデンツについて、野田さんは具体例をあげる。

たとえば「金融に携わる人は、情報によって金が飛びかい、生産と遊離した金融が膨大な利益を生むことにおぞましい思いを抱いている。抱きながら、報酬やゲームの魅力に惹かれて仕事を続ける。サービス業に係わる人も同じである。こんなに遠くに出かけ、こんなホテルに泊り、食事をし、これほどまでに専門化されたサービスを受けて、客は本当に幸せなのか。ひとり安らぎを感じ、情の通った対人関係をもち、自然と調和した時間にひたるのに比べ、豊かになっているのかどうか疑問をもっている」

「産業化されたサービスに応じて、人の生活や遊びがあるようである。もはや、生活や遊びを手伝うサービスではなくなっている」

「挙げていけばきりがない。結局、物もサービスも過剰な社会は、働く人々にアンビテンデンツを強いている」「自らは本当に望まない生き方を、より洗練し、効率を上げて人々に提供する。過剰な流通、情報、サービス業に携わることによって、人は自分の時間を失い、そこから得た経済報酬を、かつて望んだ自分らしい生活の充実にあてるよりも、すでにサービス産業によってセットにされた消費生活のいくつかを選びとるために使うにすぎない。このような生活を心の底では否定しつつ、なお一層社会的に押し進めるために働き続ける。いつの間に、これほどアンビテンデンツを落差のエネルギーとして動く社会になってしまったのだろうか」

いまや、「趣味」といふものまで、細分化され、ここに組み込まれてしまった。食べ歩き飲み歩きのグルメな食など、この坩堝にあって、過剰な情報にふりまわされながら、なんともあわただしい。そして、なんでも過剰のようでいて、なにか大切なことが欠落というか不足している。ふだんの食生活は不安と混沌、ごくアタリマエの生活のためのカンジンなことが欠けている。

テナところで、きょうは、オシマイ。

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2008/10/26

さすがに疲れた。

きょうは朝おきたにはおきたがグッタリしている。きのうの飲みは、17時に大宮いづみや第二支店で始まった。まだ引っ越し疲れがナントナク残っているうえに前夜の太田尻家飲みもあって、ウチを出るときから肉体がデレッとしていた。

ま、飲めば元気になるさ。ってことで、とにかく飲む。そもそも顔ぶれが、コン、タノ、シノという野暮な男たちだから、飲むしかない。中生二杯飲んで、チュウハイ、それからホッピーだったとおもうが、しだいに元気を通り越してボーッとしてしまい、ホッピーの中3杯目で、そのホッピーが、ふだんは飲まない黒と気がつく始末。

最初は山の話、山岳部とワンゲル部はどこがちがうか、山岳部ってふだんは何をやっていたのかどんなトレーニングをしていたのか、山岳競技ってどうやってやるのかとか、そんな話から始まったとおもうが、あとはあまり覚えていない。むかしの山岳部って、体育会系のなかでも最右翼の体育会系という結論だったな。ま、確かに俺は肉体派単純バカで、文化的知能派とはいえんな。アナログ人間なんじゃなくて、体育会系バカなのですよ、デジタル小リコウな紳士にはなれんのですね。それでばかにされ嫌われるなら仕方ないわけで。文句あるか!てなもんだ。

とにかく、かなり酔ったようだが、時間的にはまだ8時すぎぐらいで、んじゃ、北浦和の志げるへ行こうということになる。1階は混んでいて、2階。何を食べたか飲んだか覚えていない。とにかく、誰かがオッパイ炒めを頼んだけど売り切れだったな。何かの朝鮮漬け、これが汗が噴出すほど辛くて一瞬酔いがさめたのか、覚えている。誰かが俺の愛人と結婚する話をしていたような気がするが、事態をよく把握できてない。北浦和駅のホームで、彼らは上り電車に乗ってバイバイしたのは覚えている。そんなところか。どうせどうでもよい話をして騒いでいただけだろう。

そうそう、2007/12/07「頭は冷めているが、腹は煮えくりかえっている。」に書いた新宿駅のベルクだが、来年3月に退去の最後通告みたいなものがJR大家側から届いた、JR大家側は、どうしても退去させたいのだな、という話をしていた。

シノさんに、漫画『駅前の歩き方』をもらった。そうそう、この野暮な男のなかに、開成高校出のエリートがいるということがわかったのだった。だからって、どうってことないけど。そうそう、元相撲部もいたのがわかった。考えてみると、俺は、あまり、ひとの過去には興味ないから、けっこう一緒に飲んでいるのに、そういう過去の話を聞いたことがなかった。

こうやって書いていると少しずつ思い出しそうだが、思い出したところで、どうでもよいことばかりだろう。アイヌやサンカや近代国家とは、といった高度にややこしい話もしていたな。どうでもよいことだ。

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2008/10/25

きのうの続き。銭湯は大衆酒場にしてほしい。

Kyoudou_sento02引っ越してから、都心へ行くのは初めてだ。以前の最寄駅は京浜東北線の北浦和駅で、電車の本数が多かったが、こんどは、ローカルな宇都宮線の東大宮駅で、時間帯によっては、1時間に4、5本になってしまう。イチオウ電車の時間を確かめて出かけた方がよい。駅までの徒歩は前より短くなったし、電車に乗ってしまえば停車駅は少ないから、都心までの時間はかわらない。新宿まで約1時間。電車賃が、380円から570円に。

小田急線に乗換え、経堂の太田尻民芸展の会場へ。古い木造の二階建て民家だった。近頃のギャラリーというと、外観からコジャレたカワイイ汚い欲望のオーラに満ちているが、ここはそうではない。古い木造の造りが、そのままむき出し。あまり手を加えない最低限リノベーションといったところか。

一階は会場の一間だけ。10畳ちょいの広さで、前は飲食店だったらしく、奥にその残骸が残っている。倉庫か車庫のようなガランとした空間の真ん中に、夜店や朝市の感じで、板を置き、敷物をかぶせ、その上に太田尻智子さんの作品が置いたり、天井からつるしてある。時流のカワイイ薄汚い知性とは対極の独特の個性。照明を薄暗くすれば、お化け屋敷になりかねない。

3、4歳の子どもが、やや興奮気味によろこんでいる。ガキだからカワイイの好きというのは誤解で、成長するにしたがい子供心はカワイイものという誤解を身につけるのだろう。いつまでも、ありのままにむかう子供心を持っているならば、とくにカワイイの好きに偏執することなく、太田尻作品のようなものに興味を持つはずだ。ということは、カワイイの好きは大人になった証拠か?大人の薄汚れた素晴らしい知性を持つほど、カワイイのが好きになる。そういうことかもな、とか、酒を飲み作品をみながら考える。

ザキノ夫妻の家は出来上がり9月の末に引っ越したばかり、会場の近くだとか。俺のほうは家を建てる話もなかったころから進んでいて、もしかするとこっちが早く引っ越しになるんじゃないかとおもっていたが。ザキノ夫妻は、西荻のアケタで、不破大輔さんのベースソロを聴いたとかで、今度一緒に行くことにする。

須田さんの事務所は下北沢への移転が終わり、1か月ぐらいのうちに飲食営業のスペースも始まるとか。またアレコレ新しいプランが期待できそうだ。

Kyoudou_sento01

20時に会場は閉めバー大田尻家へ移動。すずらん通り、経堂駅と大田尻家のあいだにあった、銭湯「塩原湯」に閉店の貼り紙。見ると「八十年に渡り営業を続けてまいりましたが、重油の高値、家屋の老朽化などの影響もあり、このたび六月三十日をもって廃業することになりました」とある。

このあいだ、わめぞ月の湯古本市のとき、洗い場に座布団を置き、酒などを飲むことをしたのだけど、岡崎武志さんと飲みながら、銭湯の廃業のあとは、こんなぐあいに洗い場や脱衣所に座布団を置いて酒場にして欲しいねと話していた。浴槽の上に板を張れば、高座になって、寄席にもなると岡崎さん。いいリノベーションなのにと思い出す。

「リノベーション」というと大げさに考えすぎる面もあって、それはカネがかかりすぎることにもなる。利用の仕方のソフトを優先しながら、ということが必要かな。

大田尻家での宴会のたいがいは、すでに書いた。なんだか話は銀杏BOYZとパンクのことになり、太田尻民芸展の会場の二階をデザイン事務所にしているアレックスさんがパンク好きだったりで、あれこれ盛り上がり、いつものことながら、これからというところで、帰らなくてはならない時間に。

まちがえて北浦和へ行かないようにとキンチョーしていた。帰り着いて、ユラユラしながら、前のエントリーをアップ、ばたんと寝る。

楽しいねえ、太田尻家。二年前に結婚して千葉のほうへ引っ越したひとも来たり、いい人間のつながりができている。

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太田尻民芸展。

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大田尻家のツマ、大田尻智子さんの「太田尻民芸展」は、きょう、オープン。いやあははは、いいですねえ。この入り口のウインドウの作品は、2時間もたたないうちに売れました。これは、たしか、あと1か月のうちぐらいに、下北沢にオープンのバー?だかなにかに飾られるのですよね、たしか。これ、前のガラスがないと転がってしまうだなあ。唇のカタチと色がイヤラシクよい。ほんとうは、ケツ=尻も、いいんだけど、うまく撮れなかったから略。

俺だって、カネさえあったら買いたいものが、ほかにも、あった。いやはははは、楽しかった。満足。

飲み会も楽しかった。久しぶりに会った人たち。顔は覚えているけど名前が思い出せないひともいた。また名前を聞いたけど、もう忘れてしまった人もいる。

飲んだ酒。ビール各種、ポン酒各種、あのうまい焼酎なんだっけ、シャンパンも飲んだな。

思いがけなく銀杏BOYZの話で盛り上がったのには、オドロキ。いるんだなあ。パンクあんどファンクにやろうぜい。って、飲むだけか。いいじゃないか。

そして、ダ埼玉の空の下まで帰る電車がなくなるので、10時45分に大田尻家を出たのだった。外まで見送ってくれた、ワカちゃん、おぼえているよ~。最後にビールのロング缶を途中で飲めとくれたのは、えーと、銀杏やパンクの話をした名前ド忘れ、思い出せない。ま、いっか、ありがとう、そのまま飲まずに無事に持ち帰った。最終電車だったよん。みんな、また会おう。

ぐへへへ、1時過ぎ。ねむい。

太田尻家民芸展。世田谷区経堂で。
2008/10/11
経堂の大田尻家の太田尻智子さんの個展。
Ootajiri_mingei2


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2008/10/23

四月と十月展とスソアキコ帽子展とか。

グズグズ雨の一日だったが、突発性きもいメールがあったりして気分は上々だった。なにがどこがキモイのか、ある最近の小説か写真に関係していそうなのだが、どちらも「見過ぎ」といわれるほど見てないので、あとでいろいろ考えても、けっきょくわからずじまい。だからキモイのかも知れないが、キモイは奥が深くてオモシロイ。たまーに、そういう突発性メールがくるのが、またオモシロイ。ある種、感覚や思考の飛躍か。

感覚や思考の飛躍、といえば、食欲と性欲の秋にならぶ、ゲージツの秋。ってことで、案内をもらいながら、引っ越し騒ぎで紹介できなかった、縁が深いみなさんの展覧会が二つ。

第4回 四月と十月展
出品者 稲村さおり 宇田敦子 大熊健郎 川原真由美 鈴木安一郎 瀬沼俊隆 田口順二 牧野伊三夫 若菜晃子
10月27日げつようび~11月17日げつようび
会場 食堂アンチヘブリンガン
営業時間11:45~14:00 18:00~22:30 土日休み
東京都千代田区猿楽町2-7-11 ハマダビルヂング
電話 03-5280-6678
*「会場が食堂であるため飲食代がかかります。おいしいです!」とのこと。

「美術+雑貨×古本≒リトルエキスポ」での「四月と十月」の展覧会、というタイトル。「美術+雑貨×古本」なんて、ふふん、いまどきの乙女チックなカワイイ消費の時流に納まりすぎって感じで、ふふん、と思わなくはないが、だとすると、出品者の顔ぶれからは、チト想像つきがたく、うーむ、どんなアンバイになるのか、ナニワトモアレ興味津々。それに、なにわともあれ、食堂アンチヘブリンガンへは一度は行ってみたいと思っていたので、この際、ちょうどよい。必ずや、参上。

そういえば、年2回刊行の『画家のノート 四月と十月』は、来年10周年だそうだ。今年の10月号は、この展覧会のオープンの日27日に発行と聞いている。この号から、俺のキモイ連載「理解フノー」が始まる。たぶん会場にあると思うので、手にとってご覧ください。

それから、四月と十月古墳部長にして帽子デザイナーのスソアキコさんの展覧会もあるのだ。
スソアキコ『Head ornament』
10月27日げつようび~11月5日すいようび
11:00~20:00 最終日は19:30
会場 スパイラルマーケット
東京都港区南青山5-6-23 スパイラル2F
電話 03-3498-5792

帽子展というのは、以前にスソさんの帽子展に行って、初めて体験したが、とても楽しい。今回も、たぶんそうだと思うが、被ってみられるのだ。それが、スソさんのデザインは、見たときは、え~っ、こんなんを被るのか!と言いたくなるようなものだが、これが、被ってみると意外に格好がついて、しかも気分が変わる。ほんと。スソさんが言っていたが、外で被らなくても、ウチの中で被っているだけでも気分が変ってよいのだな。魔法の帽子。できたら、ボケない帽子をつくって欲しい。ハゲやインポにならない帽子とかも。酒がいくらでも飲めるという帽子も欲しい。古墳部としては、スソさんの帽子を被ると縄文時代へ行けるってのもいいか。スソさんの楽しい帽子を被りに、必ずや、参上しまする。

もう一つ、スソさんは、すでに始まっているが、10月31日まで、博多で帽子展をやっている。
「スソアキコの帽険5 孵化する頭」
10月1日~10月31日きんようび
11:00~19:00 水曜定休日
会場 TIME & STYLE WESTEND
福岡県福岡市中央区大名1-6-21
電話 092-733-3911

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ヴィジュアルな表現に長いヘタクソな文章。

雑誌のあいつぐ「休刊」の一方で、Webを利用したプロモーションが盛んだ。出版社もWebサイトを開設し、コミュニケーションツールとして大いに利用しながら、雑誌などで目減りした広告費も稼ごうということらしい。そこでは、雑誌づくりとおなじように、飲食系の話題が必需品のようにある。ま、誰でも関心があることだから組しやすいのだな。

って、前置きが長くなったが、ようするに、そういうWebサイトは、けっこうヴィジュアルな表現を追求しているツモリらしいのだが、簡単に言ってしまえば、写真の使い方がお粗末。ヘタクソな長い文章に、この写真の使い方はねえだろうと言いたくなるようなものがある。もっと写真を中心にして文章の短い方が、「うまそう」で「楽しそう」なのにと思ったりする。

雑誌などで活躍してきたプロのカメラマンが写真を撮影していても、写真が可愛そうなぐらい見栄えのしないデザイン、しかもヘタクソな文章がえらそうにしている。そうだ、文章がよいならまだ救われるが、ヘタクソな文章がえらそうにしているのがモンダイなのだ。

俺がヘタクソな文章を話題にするなんて、目クソ鼻クソを笑うような話かも知れないが、ホント、ひどいのがあるよ。だいたい、飲食系の文章というのは、ただでさえ「自分語り」「私語り」の自慢話が少なくない。対象に迫ってない。書いている本人が、いい気になっている。そういう自己陶酔のようなヘタクソな文章が長々とあるなかに、シッカリ対象に迫ったツボを押さえた写真が小さく使われている。ま、大きければよいということではないが、画像のデジタル処理のモンダイもあるのか、せっかくの写真が台無しという感じ。これじゃ、ド素人のブログと、たいして変らない。やっぱり、いいビジュアルに、いい文章となると雑誌なのだろうか。

もっと写真と文章のバランスを考えたアートディレクションをしてほしいよ。

しかし、飲食系の文章を書くひとってのは、どうしてこうも自分が「うまいもの好き」の「酒好き」の「街歩きの達人」の「もの知り」「好人物」「いい趣味人間」であることを吹聴したがるのだろうか。そんなことは他人の評価にまかせることで、自分は真摯に対象に迫ればよいのだと思うが。そうでもないのかな。と、売れないライター稼業の俺は考えたのだった。

とりあえず、今夜というか、昨夜話題になったことを、忘れないうちに書きましたです。

ああ、もう朝の4時だよ。

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2008/10/22

やさしい、ていねい、洒脱もいいが、乱暴にも馴染んでほしい。

基本的に俺は育ちが悪い。むかしは、「百姓の次男坊の家系」といえば、それだけで貧しく育ちが悪いことを意味していたが、俺はまさにそれだ。

で、よーするに行儀も悪ければ、口も悪い。と、開き直っている。「やさしさ」なんてのは臆病のあらわれで、「ていねい」なんてひとの顔色をうかがっているだけ、なんて思っている。そもそも俺は心理カウンセラーなんかじゃねえんだから、イチイチ相手のココロの様子など気にしちゃいられない、とも思う。

てなことで、なんかあると、スグ思ったことを、まんま口に出してしまう。いや、まんまぐらいならよいのだが、イザとなると、なにしろ「奥ゆかしさ」や、サッと切り上げる「洒脱」なんざ知らないから、トコトン言ってしまう。そのうえ、これは育ちの悪さに関係なく、育ちの悪さを起因とする飛躍的ねじくれ性格なのか、辛らつすぎるクセがあるらしく、ミモフタモなくなるぐらい言ってしまう。

一方、自分はガキのころから、いろいろ言われて育っているから、悪口だろうがなんだろうが、何をどんなふうにいわれても平気だ。これぐらいなんだい、という思いがある。荒っぽいコミュニケーション人生ですね。

そのように無反省にコンニチまできた。すると、なんだか、いまどきは、やさしすぎるし、ていねいすぎやしまいかと思うことが、たびたびだ。そして、ちょっとのことで、ひとの言ったことを気にする。なんとも気詰まりだ。

若いヤンキーみたいな男が、仕事の最中に、ちょっと荒っぽい言い方をしたぐらいで、なんだその言い方は年配者に対する態度か、テナことになる。幸か不幸か、俺のまわりには、俺という年配者に対して口の効きかたも知らない若いやつらがいるせいか、なにもそんなことで目くじら立てることはねえだろうと思うようなことまで、イチイチ気にしている。

ま、いいや、もう書くのがめんどうだ、タイトルにあるように、荒っぽい会話に馴染むということがあってもよいんじゃないかと思う。心理カウンセラーと心理病者の会話みたいなのがフツウじゃ、かないません。なんか、「心地よいファシズム」に飼いならされた、ちょっとのミスやアヤマチもゆるさない「世相」を感じるのだ。

荒っぽい会話を楽しもう。そうだ、こんど、荒っぽい会話な飲み会というのをやるか。

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2008/10/20

どうなる東京、どうする東京。なるようにしかならんだろう。

もう書きあきたので最近は書いてないが「東京荒野論」そして、もう東京はモデルにならない、モデルにするのはやめたほうがよいという話だが、雑誌『談』編集長によるBlog2008年10月11日「東京が大荷物になる時代が、もうそこまで来ている。」、2008年10月14日「大増税か福祉の切り捨てか。労働人口減少が、究極の選択を迫る?!」、2008年10月15日「人間は単なる量か。人口論という陥穽。」は、おもしろい。笑えるほど深刻でおもしろい。

だいたい、これほど一極集中化した、しかも消費だけの大都市が、大荷物ガンにならないわけないんだが。とにかく、そこにも書いてあるように、「少なくとも、大規模再開発は即刻中止する必要がある。ストックを活かしたリノベーション型の都市更新以外には選択肢はないといってよい」ってのは確かだとおもう。ついでに、先のないグルメばか騒ぎもやめたほうがよい。

が、しかし、いまや東京は、消費の能力だけは立派でありオシャベリに時間をつぶすのは得意だが、みずから変わることはイチバン苦手のものたちが「主流」をなしているのだ。なるようにしかならんだろう。

もう一つ、東京は「首都圏」を持っている。つまり周辺を呑み込み「東京化」することで、まだまだ「東京荒野」は生き延びる余地がある。みずから変わるのがイチバン苦手のものたちは、メディアをにぎり大中小さまざまな権力と権威を持って、まちがいなくそこへ向かう。かくて都心を含め大規模再開発は続く。東京の「侵略」は続くだろう。なるようにしかならないのだな。

東京のマネはしないほうがよい。千葉も埼玉も、ださくていいじゃないか。東京にあこがれ東京にないよいものを捨てることはないのだ。
もちろん、この場合の「東京」とは、消費文化の見本市あるいは殿堂、近代に本郷周辺から始まった山の手「中流風」文化のことだ。

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またまた大宮いづみやで飲んだくれ。

きのう。吸うさんが大宮のほうまで用があって来るから、いづみやで飲もうということになった。18時、いづみやの本店。生ビールを飲み始めたところで、吸うさんあらわれる。3月ごろ以来らしい。とりとめなく、おだをあげる。1年に1回ぐらい、笛太鼓の音がする祭りがあるのはいいことだ。という結論。上中里駅そばの、俺がお気に入りの神社は、平塚神社。生ビールのちポン酒燗、梅割り。

飲んだくれていても引っ越しができる体制にあるので、飲んだくれているが、やはり荷物かたづけの少しはやっているわけで、疲労が蓄積している感じがあり、めずらしく閉店の22時まで飲む元気がなく、酔いがまわり、21時半ごろ切り上げ、帰るとそのまま服も着替えずに寝てしまった。

ここに10年住んで、引っ越しするのだが、10年が早く過ぎた感じはない。ま、のろのろでもないが、「はやい」という感慨はない。年取ると時の過ぎるのを早く感じるといわれるが、そういわれるとそうかも知れないと思うこともあるが、たとえば、好きな女がいて、なかなか会えないといった、待ち遠しいことがあると、時の過ぎるのは遅く感じるものではないだろうか。それは生きがいにもなりよろこばしいことだろうが、そうではなく、生きているのがめんどうになったりすると、一日は長いし一年も長く感じるのかも知れない、これはあまりよろこばしいことではないだろうな。どのみち時空間なんてのは人間が考え出したものだから、いいかげんなのだ。人生なんて、ラララララ~なのさ。

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2008/10/19

「生活目線」の可能性。生活の中の日常性と非日常性。

ときどき考えていることではあるけど、最近の二つの記事から、このタイトルを思いついた。めでたいことに、全国紙を頂点とする活字文化は、難しい局面にあるらしい。難しいというか、転換点にあるというか、どうでもよいが、遠く大昔の貴族社会あたりから続いていたらしい「生活遊離」の活字文化の栄華が、やっと、平穏ではなくなった。といえるのだろうか。

かつて経済学者?の竹内宏さんが、「経済は生きている。街角から考える発想を」てなことを何かに書いていた。そのテの主張はたくさんあったのだけど、たいがいのニンゲンは「自分にあった=努力しないですむ楽な」選択をしたのち、自分の正しさの根拠をかき集めて主張するわけで、「街角派」の旗をふって「まち歩き」をしても、頭の中は「生活遊離」の活字文化のままの目線で眺め書くということはめずらしくなかった。つまりは、「書斎」をかついで街角に出ただけなのだ。それは、ある種の文化的な「上から目線」といえないことはない。困ったことにご本人は、街を歩いたり大衆酒場や食堂などに入れば、「庶民文化派」のツモリだったりするのだが、それこそ「生活遊離」の特徴といえそうだ。

こういう傾向は、もちろん、食の分野で最も顕著で、ほぼ趣味道楽のような「文学目線」の食談義が、まだ依然としてまかり通っている。そこでは、なぜか、文学的によいことオモシロイことが、食的にもよいということになってきたのだなあ。そして、そういうことが、もはや衰退しつつある中で、まだ、とくに「生活目線」より「政治目線」「文学目線」「趣味道楽目線」などが得意で楽な男たちにとっては「価値ある」状態は続いている。まだまだ続く。

だけど、マスコミかミニコミかに関係なく、これからは「生活目線」をモンダイにしなくてはならなくなるだろう。ミニコミだから「正しい」なんてこともなくなる。てか、もう、そんな一時代前の「マス」「ミニ」の尺度は通用しない。

それはまた、これまでの「生活」のとらえかたで「生活目線」を語るのがよいことなのかにも関係する。ってことで、タイトルの「生活の中の日常性と非日常性」になったのだが、いま書いていられない。

とりあえず、ちょっと興味がある、この二つの記事の一部をメモしておく。


yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081018-00000010-maip-soci
女性誌 サバイバルあの手この手 王道は「読者目線」
10月18日12時54分配信 毎日新聞

一方で、部数を急増させている女性誌もある。キャバクラ嬢を対象にした「小悪魔ageha」(インフォレスト)は「06年の創刊時5万部だった部数は、今35万部」(中條寿子編集長)という。

 はやりの化粧法や髪形を紹介するだけではなく、100人以上の読者モデル「age嬢」が登場して「毎日タクシーを降りて店に入るときが憂うつ」などと本音を語る。

 中條編集長は「世の中、芦屋に生まれて母親からブランドバッグのバーキンをもらうような子ばかりじゃない。自分の力で生きようとする女の子のために作っている」と話す。編集部員には「上から目線」で取材しないことを厳しく課している。読者との距離感を作らないためだ。

 雑誌危機の時代を生き残る秘けつは、当たり前のことではあるが、「読者目線」(久保研究員)に尽きるのかもしれない。


名古屋タイムス
http://www.meitai.net/archives/20081016/2008101610.html
高校生の時、取材受け「勲章もらった気分」に 
林香里・東大大学院情報学環准教授

社会の規範や思想が変わる中でどのようなジャーナリズムが考えられるかがわたしの大きな研究テーマです。外国人が入国し、女性問題も時代とともに変化。新聞研究者は絶滅危惧(きぐ)種ですが、ジャーナリズムの果たす役割は今後も重要でしょう。
 ジャーナリズムは地域の情報を大事にするとこからは始まると思う。政治権力、首相の話ばかりがジャーナリズムではなく、生活の窓口として地域情報を伝える媒体を地域の人は大事に支えるべきです。生活を大切にすることとジャーナリズムに興味を持つことは同じだと思います。情報はただだと思いがちですが言論、文化を意識して支えるためにはお金はいることを意識していかないと駄目。教育、環境に対する意識のように、国民1人1人の問題でしょう。

 プロフィル 林香里(はやし・かおり)63年名古屋市生まれ。87年南山大学外国語学部卒。88―91年ロイター通信東京支局勤務。93―96年ドイツのエアランゲン・ニュールンベルク大学留学。95―97年東京大学大学院博士課程。01年同大学院から論文博士号(社会情報学)。01―04年ドイツのデュッセルドルフ大学講師などを経て04年東大社会情報研究所助教授。同年4月から現職。

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2008/10/18

カラオケぴょんぴょん見て朝帰り。

きのう。若い人妻と19時半大宮駅待ち合わせ。19時ごろ着いて、街をぶらぶらしようと東出口へむかうと、彼女も早く着いてバッタリ。そのままいづみやへ。本店と第二支店をハシゴすることにして、まずは本店。ほぼ満席。生ビールに、ポテトサラダ、ハムカツ、アジフライといった定番コース。つぎ第二支店。こちらもほぼ満席。梅割り、ポン酒冷や、黒糖焼酎と刺激的な酒痛コース。22時閉店で出され、まだ早い、もう1軒と、歓楽街のほうへ流れる。すごい人ごみ、いまやここは関東一の歓楽街か。途中で、もっともピンクなピンクの通りに入る。池袋北口や歌舞伎町から消された客引きが健在で、両脇に並んで、にぎやか。男1人なら通りぬけるのが難しそうなほど。と、そのあいだに、なんだかよさげな居酒屋が、なんだかよさげ。ここにしようと入ってみる。これが、よかった。

またビールを頼む。俺が便所に入っているあいだに、彼女はカウンターに座っていた若い男の客にアプローチ。ほんと、若い男が好きだなあ。しかし、なんだね、あちらは刺身の盛り合わせなど俺たちより高い肴をとっているのに、栃尾の油揚げの焼いたのをふた切ればかりあげて、話しかけるきっかけにしたのだそうだ。彼女は村上春樹が好きなんだという。春樹ファンだとは知らなかった。あれこれ春樹の小説、あれはノーベル賞を貰わないほうがいいんだよ、「偉大なる大衆作家である、ってことでいい」という結論。とやっているうちに都心まで帰る電車がなくなったという。そういえば上り電車のほうが早く終わるのだ。彼女はカラオケだという。

酔っているせいか、そのカラオケがなかなか見つからない、うろうろしやっと1軒みつけるが深夜なのに大勢さん並んでいる。でも2人だけならすぐOKで、うたい放題のみ放題で部屋に。もう俺はヨレヨレ状態。飲み放題も飲めない。ソファに寝転がる。彼女は元気にうたっている。それが、なぜかソファの上で、ぴょんぴょんはねながらうたっているんだなあ。なぜ、ソファの上でぴょんぴょんはねながらうたうのか考えてみたりしたが、寝てしまう。ときどき目をあけると、まだぴょんぴょんやっている。寝込んでしまい電話で起こされたら5時15分、彼女はぴょんぴょんはねていたソファで寝転がっていた。出ないと延長をとられるという。出てみたら、酒を飲んでいたあたりとは反対の、かなり歩いたあたりだった、どうしてここまで来たのか思い出せない。大宮駅で埼京線に乗る彼女とわかれる。

帰って崩れ落ちるように寝る。昼ごろ起きる。酒痛が残る。

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2008/10/17

あいでんてぃてぃな30代の終わりのない結末。

選ぶということは捨てるということであり、捨てるということは選ぶことであり、捨てないということは選ばないことでもある。なーんて調子で、どんどん捨てまくっている。引っ越し業者に見積もりをしてもらったら、持って行くものより捨てるものが多く量もあり、捨てるためのトラックのほうが大きく料金もかかることになった。とにかく、本や資料も捨てまくっている。そしてまた、「発掘品」だ。おーあいでんてぃてぃな30代を振り返る数少ない生き残り資料。

30歳になったばかりの1973年後半に江原恵さんと出会い、その著書『庖丁文化論』を読んだりして、ますます「日本料理とは何か」と考え深げにしていたころ、同時に「アイデンティティって何さ」状態にあった。いわゆる「CI(コーポレート・アイデンティティ)」なるものに、プランナー稼業として取り組むことになったからだ。

2003/02/20「漢字とひらがなとカタカナ」に少し書いたが、71年に『DECOMAS(デコマス)―経営戦略としてのデザイン統合』という本がでて、この「デコマス」がのちにCIといわれるようになるのだが、その本には、「CI(コーポレート・アイデンティティ)」という言葉は、チョロとしか出てこない。でも、それが、仕事になってしまった。

いまじゃ、アイデンティティなんて言葉は、ガキでもつかっているが、当時は、まだほんの一部のビジネス界で話題になっていたていどだった。

ま、そういうわけで、日本料理モンダイとアイデンティティもんだいが、俺の肉体のなかで絡んでもつれアハンウフン状態になった。そのまま突っ込み突き進んでいるうちに30代の終わりに、ここに射精するに至った。

すでに何度か書いているが、江原生活料理研究所は、1980年10月の開設で83年まで活動した。その間、82年に「経営理念研究センター準備会」なるものをつくり、PRもかねて『企業と理念』という冊子を発行した。83年1月の創刊、季刊で、その年の12月4号で終わった。

ちょうど俺は40になったころだった。この二つのプロジェクトは、俺の役回りとしてはプロデューサー役が主で、一部プランナー業務をするという立場だった。ま、ようするにカネをにぎっていたのだ。そして、あいでんてぃてぃな俺の30代は、この二つのプロジェクトで、花火大会最後の大スターマインのように、思い切り噴火し爆発して果てた。

うまいことに、「日本料理とは何か」と「アイデンティティって何さ」は、おおいに関係がある。日本人の深い部分で、絡み合っている。俺としては、日本料理モンダイとアイデンティティもんだいについて、体験的かつ実践的に、そして理論的には少々、あるていど確信と核心になる結論というか方向性を得た。それだけを握って、それまでの仕事の舞台を捨て、すたこらさっさ不倫で貧しい新しい分野の混沌な展開を選択したのだが、そのことは、いいや。この発掘品だ。

経営理念研究センター準備会は、2008/09/27「玉城素さん、9月14日に亡くなっていた。」に書いた、玉城素さんとやった仕事だ。玉城さんは、俺のために取締役を解任されたあとだった。そして、玉城さんのおかげで、早稲田大学商学部教授の鳥羽欽一郎さんに、代表になってもらうことができた。

Siryo_rineken02鳥羽さんは、商学部長だったときに入試をめぐってだったかスキャンダルがあり、その責任をとるカタチで教授に退いていた。よく売れた『もう一つの韓国』(1976年)の著書があるなど、玉城さんとは韓国つながりが濃い、「経営史研究」の権威だった。ってことで、早大の経営史研究室の資料だけではなく、ウエイティングドクターで助手をしていた浅野俊光さんにも協力してもらえることになった。

『企業と理念』の取材や原稿作成は、ほとんど、玉城さんと浅野さんにやってもらった。おれは1号の「編集室より」を書いただけ。あとは、主にアンケート調査をまとめていた。

この経営理念研究センター準備会が受けた仕事に、都内に本社がある某私鉄大手の社是改訂コンサルティング業務があった。たしか83年の4月ごろ受注し、84年の6月に作業レベルは終わった。これはプランニングが関係する作業なので、俺はプランナーとプロジェクトの責任者という立場だった。全作業を、玉城さんと浅野さんと共にやった。ボトムアップ型の意見集約をやり、KJ法でまとめることをしたのだが、これだけ大規模なKJ法のまとめは初めてだった。

Siryo_rineken01俺は終わるころには、もうこの分野はアキタということでもないが、たいしたおもしろいチャレンジはないし説教くさい辛気くさいという感じで、チョイと別のことがやりたくなっていた。以前から仕事の付き合いがあった某大手ゼネコンから社史の編纂の話があって引き受けたが、そっくり玉城さんにわたし、玉城さんは浅野さんと作業をすすめた。

浅野さんは、30歳後半になっていたであろう、やっと念願の大学の先生に就職できたのに、数年もしないうちに病気で急逝された。1991年ごろだったと記憶している。つまり、『企業と理念』と社是改訂作業に関わった、玉城さんと浅野さんは、すでにこの世の人ではない。黙祷。

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2008/10/16

誰にも話せない、だけど、どうしても誰かに話したい。ってことがある。

Maneg_3またまた引っ越し整理の中での「発掘」。忘れていたわけではないが、どうするか決めかねて、とりあえず、そのままにしてあった。

「マージャー」のタイトルで、A4サイズ146枚、原稿用紙にしたら600数十枚の「長編」だ。これが宅急便で俺の手元に届いたのは、6年ほど前の夏だった。

ワープロの手紙がそえられていた。そこで彼は、こう書き出している。……

これは小説か?
はっきりしていることは、この作業に集中しなかったら、半年はもたなかったことだ。

……彼は自分が手塩にかけて育て大きくし、業界一にした会社を売ったあとだった。この文章は、その売買のニュースが新聞の活字になったところで終わる。

手紙では「その結果目の前で繰り広げられることは、熱愛中の女を他の男に取られて、その上彼らの結婚式に出ているようなものだ」と書いている。この比喩は、文学的にはどうかなと思うが、彼は、その苦しみのなかで、「発狂」しそうな状態だった。

「「人間一生に一冊は小説が書ける」というが、そんなたわごとを引っ張り出しても慰めにならないほど、集中力が切れそうな半年だった。あと半年残されているが、どうなることやら。しかしここからはどこで切れるか自分でも予測がつかない」

「ともかくこの文章を先ずあなたに送る。これは小説か?あなたの答えを待つ以外ない」

こうして綴られた文章は、やや慟哭を感じさせる手紙とはちがって、冷静だった。もっとも、彼は、手紙からもわかることだが、冷静でいるために、これを書いたのだ。

ニッポンそしてアメリカとシンガポールや香港を舞台にした、いわゆるM&A劇の、ウラオモテ、それをめぐるニンゲンのアリサマが、彼がその業界に飛び込んでからのことも含め、書いてある。ま、事実は小説より「奇」で、その「奇」があからさまだから、これは小説とはいえない、かも知れない。

俺が、この文章を読んで、彼にいったのは、しごく簡単なことだった。たいがいのひとは、それをやらない。とくに買収された社員に「薄情」「裏切り」のレッテルをはられるのがイヤであり、「責任」という自分の面子や体面にこだわるからだ。もちろん、少しでもカネが欲しい執着もある。

彼は、おれが簡単に結論だけいったことを、すぐ理解した。そして、そのようにした。それで、全部がうまくいったかどうかはわからないが、少なくとも彼は、目の前で熱愛中の女が強姦されるのを手出しできないで見ているようなことにもならず、熱愛の関係と思っていた女が、いとも簡単に新しい男になびくようなことを見なくてすんだ。もちろん、そういうアリサマをじっと見つめるというテもあるが、彼は、それに耐えられる状態になかった。あまりにも「愛情」が深すぎたからだ。溺愛は、ともすると「執着」や「偏執」に陥りやすい。何割かを捨ててこそ、バランスが成り立つのに、それができなくなることがある。

とにかく彼は、この文章の扱いを、おれにまかせたままになっている。そのまま、どこかに出そうが、ちょっと俺が手を加えようが…。もしかしたら、インターネットに公開してもよいのかな。

それにしても、午前3時すぎだが、深夜に、こういう「手記」を見ると、宇宙の一隅でうごめくニンゲンとは、奇怪な動物だと思う。それでも、めしを食べなくてはならない。俺もな、その一人さ。

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2008/10/15

アジフライの無限的研究 その6。小説「アジフライ」でも書こうか。

引っ越し準備の肉体重労働と酒疲れが重なってか、おととい、きのうとかなりへばっていたうえ、アレコレあって、ゆっくりパソコンの前でくつろぐ?ことができなかった。が、きょうは、朝から快調だ。なにしろ、あとは引っ越しの当日まで飲んだくれていても引っ越しができる体制ができたし。

ということに関係なく、ひさしぶりに、アジフライだ。調べたら、たぶんまちがいないと思うが、前回は、2007/11/30「アジフライに関する無限的研究 その5」…クリック地獄、だった。

この間に、画像を送ってくださった方もいたのに、ほったらかし。どうもすみませんでした。

いやあ、じつは、小説「アジフライ」つうのを思い立ち、はて、夏目漱石風に書くか、それとも森鴎外風か、いやいや、やはり椎名誠風か東海林さだお風か、うーん田辺聖子風も悪くないぞ、だけど女流なら川上弘美風が意外によいかも、松本清張風もいいなあ、いやいや、やはりヘミングウェイ風か村上春樹風か、そうじゃねえな、んノノノーベル賞作家のアノ人、名前を思い出せない風か、ちがうなエロ小説家のエロ野エロ男風がよいか、あれこれ毎夜悩んで、そのわが深い悩みの深淵に沈んだこの身の可愛さに酒を飲み、夜毎アジフライが空を飛ぶ夢を見ていたのだが……。

4月1日には、イデさんから、東京にもどってきた辺境の詩人と「渋谷井頭線ガード脇赤提灯にて一献しました旨いけど1尾半割(400円位だったかな?)の鰺フライ 酎は金宮 その近くの酒場でのマカロニサラダは暗くて撮れませんでした 何れも拙行きつけ 何れまた宜しく」とのメールが、アジフライの添付画像とあった。皿が、なんだか、渋谷井頭線ガード脇赤提灯ぽい。
Ajihurai_ide_inogasira

8月10日には、飲み仲コンマさんから、門仲「魚三」のアジフライと、浦和「かつ広」のアジフライ。かつ広の、この手で二つに割ったような変形について、「アタシ的にはナシなんですが、弁当箱の都合で、こう切らないといけないのでしょう」とのコメント。
Ajihurai_monnakauosan
Ajihurai_urawakatuhiro

そして、きのうのエントリーに書いた、7月27日は、川崎の大衆食堂「丸大ホール」と大井競馬場のアジフライをやったのだった。
Ajihurai_marudai
Aihurai_ooikeiba

小説は、ともかくとして、アジフライと個性のモンダイは、なかなかオモシロイと気づいてはいるが、書いても一銭にもならないしノーベル賞も貰えないから書かない。

以前から気にかけてもらっている若手の女編集者から、近況うかがいと飲みの相談メールがあったので、「あいかわらず私を使おうという大胆な編集者は少なく、元気に酒ばかり飲んでいます」と返事したら、「大胆な編集者になれるよう、頑張ります」と、また返信があった。アジフライは、その言葉だけでもうれしく落雷じゃない落涙、孤独の涙の雫を酒におよがすのだった。およげ涙くん。

牧野さんから電話があった。体調を心配していたのだが、元気そうだった。12月に集英社から本が出る予定だそうだ。初めての著書だといわれ、まさか、と思ったが、意外やそうなのだ。うれしや、めでたや。もう少しハッキリしたら、このブログで紹介します。おれの連載「理解フノー」が始まる「四月と十月」10月号は、25日発行予定が遅れて27日になるとのこと。しかし、牧野さん、かなり忙しいようだ。身体、気をつけてほしい。飲みすぎるな!と、強くいえる立場じゃないしなあ。だいたい、こんど引っ越したら牧野さんとこまで乗換えなしでいける、飲もう、という話で電話を切ったのだ。そういえば、俺を連載に起用する牧野さん、かなり大胆である。

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2008/10/14

夏の思い出。馬券と乱雲。

Bakenデレデレと酒を飲みながら、引っ越しの準備がすすんでいる。きょうの「発見」は、馬券。7月27日に大井競馬場で、博打ごっこ飲みをした。そのとき、ピンときた馬券を買った。

博打とはいえない、3レースと5レースで、ケチケチ買い、単勝300円ずつ。どちらも当った、あわせて3000円ぐらいだった。競馬新聞を見て買ったのだが、3レースの「ファウンテンジョイ」は、なぜピンときたのか思い出せない。5レースの「オナチョロ」は、名前で買った。思い出して、笑った。ほらね、「オナ」「チョロ」ですよ。

おれは紳士だから、こういう下品をあからさまに書きたくないのだが、わからん方への親切のために書くと、「オナニー」「チョロ」ですよ。あとは、想像してちょうだい。それで、「チョロ」ていど、買ったのだ。

Kumo_ooikeiba_2あの日は、荒れ模様の天気だったが、けっきょく降らないで、馬場もレースも荒れなかった。だけど、雲の姿は、どんどん変って、ちょっと大都会に似つかわしく思えたところを撮影した。

雲といえば、この夏は、長野県の白馬で、好きな雲の姿を撮影できた。そもそも、たなびく層雲系より、むらむら乱雲系が好きなのだが、このときは、その乱れぐあいが、素晴らしかった。しかも、そこに、赤い花が。おおっ、これは、もう、女、ですね。しかも乱雲に似合う花。鈴木漁生さんが「青春の墓場」などの漫画にかいた、「負を背負っても、たくましく生きる人びと」

たとえ人殺しに落ちぶれても
私は同情なんかまっぴらだった

そして、気がついたら、当り馬券の換金期限の60日は、すぎているのだった。

オナチョロがうらめしや 夏の雲

Kumo_hakuba

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2008/10/13

旅の手帖11月号わたしのひとり旅、「ひとり旅に持って行きたい文庫本」。

10日発行の掲載誌が届いていたのだった。「散歩の達人」から「旅の手帖」に異動になったH岩さんから頼まれた簡単な文章「ひとり旅に持って行きたい文庫本」。

こういうときは、もしかすると編集者は、東海林さだおさんの本や大衆食系を期待しているのだろうかと「考慮」してみるのだが、じつは、日常的にも、そういう本はあまり読んでいない。気に入った、あるいは気になる、おなじ本を何度も読む「習性」だ。

ここ一年ばかり、「旅」というと持って歩いているのが、村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)か宮沢章夫『茫然とする技術』(筑摩文庫)か、この本、景山民夫『普通の生活』なのだ。それで最近もっとも頻度が高い『普通の生活』にした。そのワケは書いたが、それは説明しやすい、わかりやすいワケを書いたのであって、芯はほかにあるのだな。それを書くと長くなるので書かない。

俺は「旅人文化振興会発起人」という肩書を始めてつかった。

掲載者は7名ほど、H岩さん本人と、ほかに会ったことがあるひとが、チラチラ。一度だけ浅草でガツンと飲んだことがある吉田類さんは、開高健編『それでも飲まずにいられない』。「わめぞ」で大活躍の早稲田古本街「古書現世」の若旦那向井透史さんは、つげ義春『無能の人・日の戯れ』(新潮文庫)、ペンギン写真家ほかもろもろで活躍の高野ひろしさんは、小林信彦『唐獅子株式会社』(新潮文庫)。H岩さんは、村上龍『昭和歌謡大全集』。件数は少ないけど、それぞれ、なぜその本なのかのワケがオモシロイ。書店で手にとってごらんください。

前に『普通の生活』から引用している。
2008/04/09
「手づくり観光」と「B級グルメ」とまちづくり。

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新宿で肉宴、よれよれ酒疲労。

きのう。まだ前夜の酒疲れが残ったまま新宿へ。肉姫さんの誘いで「肉宴」があるのだ。途中でソルマックを飲んで行こうとおもっていたのに、ボーとして忘れ、18時半待ち合わせの老舗焼肉店に、チョイ早めに着く。サキさんあらわれ、続いて、肉姫さんと木村衣有子さん。肉姫さんと木村さんは、これから焼肉を食べるというのに、もう打ち合わせをやりながら腹に入れてきたのだとか。あな、おそろしや。前途豪飲豪食をおもわせる始まりに備え、やはりソルマックを飲んでおくべく、先に店に入ってもらい、近くの薬局へ行く。これが、よいタイミングだった。というのも、俺が薬局からもどると、もう待ち列ができ、店内は一杯。

木村さんと会いたがっていた肉好き酒好きのタケカメさんに声をかけておいたのだが、法事があって、やはり時間に間に合わず、ワレワレだけで先に食べ始める。ま、そう遅れずにタケカメさん到着。とにかく、どんどん食べ、どんどん飲む。

サキさんは、そんなに肉が好きというわけでもなく、とりわけ焼肉は、それほど好きじゃないという。そのワケを、二人で語りあう。ようするに、焼肉というのは、なんだかアワタダシイ、落ち着いて飲めない食えない。そういやそうだ。焼肉は、もしかすると「生き急ぎ」タイプの食べ物か。女たちは、そういうことは気にならないのか、シャベル口も、肉を食べる口も、酒を飲む口も休まず、がんがんやっている。

疲れているから控えめに飲もうと思っていたが、生ビール飲んだらうまく、木村さんに「エンテツさん、飲むピッチ早いね」といわれ、おおっ、俺だけ素早くジョッキの半分以上があいていると気づく始末。えーい、ままよと、生ビールのちマッコリ。

えーと、サキさんに、リンゴと「みずのこぶ塩漬」という秋田県産のめずらしい山菜をいただく。木村さんには、岩手・青森・秋田の「大人のための北東北エリアマガジン」という『rakra ラ・クラ』10月号の特集が「まちの名物食堂」だからと、いただく。先日のブログにZAZENBOYSのことが書いてあったからとCDもいただく。

どんどん食べ、もう腹はよいとなった。区役所通り入り口のアボチョイへ。いろいろなビールを飲む。なんの話をしていたか、ほとんど覚えていないが、あまり話しに参加する余地がなかったのか、しゃべる元気もなくなっていたか、けっこう黙々と飲んでいたような気がする。アルコールの靄がかかったような脳みそ、それぞれの青春それぞれの結婚それぞれの漫画や音楽? ぐちゃぐちゃ話が入り乱れるなか、タケカメさんがばかに元気だった記憶がある。ま、「精進おとし」か。帰り、靖国通りでタケカメさんはタクシーで去り、新宿駅近くで肉姫さんと別れ、サキさんと木村さんと電車、池袋の駅でサキさんと木村さんが降り、降りた木村さんにむかって投げキスをしたら、木村さんが返してくれた。なんだか小説や映画になりそうな夜だなと思った。あたりで、記憶を失う。さまざまな人生の交差を感じる飲食がある。会いと別れの飲食だな。

とにかく、疲れた。

エルマガ、今年で最後、休刊。

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2008/10/12

わめぞ月の湯古本まつりと秋田能代の喜一郎、泥酔。そして内澤旬子「おやじがき」。

きのうは、わめぞの「第2回月の湯古本まつり」だった。以前に書いているように「わめぞ」にはチョイと思い入れがあり勝手に協賛のこころ。また、春の第1回のときには、「酒とつまみ」編集発行人の大竹聡さんと、月の湯の風呂場でトークショーをやっている。メディアでの露出もふえ有名になった「わめぞ」だが、今回はどんなアンバイか気になるから、ビールを飲むだけでもよいとおもい、行った。月の湯とは、文京区目白台にある銭湯で、その脱衣場や風呂場をつかい古本市をやるのだ。

池袋から初めての地下鉄副都心線に乗り一つめ雑司が谷駅で降り10分ばかり歩く。暑くて汗ばむ陽気。会場に着き男湯のほうから入る。すぐ旅猫雑貨の金子女史、風呂場で武藤さんが酒を売っているという。古本見ないで、男湯風呂場へ。タイルの床の上に座布団を置いた「カフェ」というか「茶屋」というか。おっ、退屈男さんがいる、おっ、岡崎武志さんも、なにやら女子たちと。とにかく、のどが渇いていた。まず缶ビール、武藤女史に300円渡し受けとり、岡崎さんに挨拶し隣に座ろうとするやいなや、イキナリ岡崎さんに「すばらしい家じゃないですか」テナことをいわれる。えっ、まさかのまさか、岡崎さんがこのブログを見ていたなんて、おそれ多い。「いや、岡崎さんの書庫ほどの大きさもない家です」とかいいながら座り。その話。あの家におれがいる姿が想像つかない、もしかして外にテントを張って寝るのでは、いやあもしかすると家出離婚のウワサもあります、とかにぎやかに。初対面の女史のみなさんは、晶文社、ジュンク堂大宮店、名古屋からの本屋さんの方。全国各地から、わめぞは盛況。えーと、古書ほうろうの宮地夫妻、ふぉっくす舎のネギさん、などご挨拶。

缶ビール、もう一つあけたところで、イチオウ古本市なので、男湯と女湯の脱衣所と女風呂場に展開の古本市をみる。すぐ読まない本は買わない主義だが、知っているひとの出店もあるから敬意を表して買ってもよいかとおもい見るうちに、けっこう買ってしまった。だけど、漫画屋の塩山芳明さんの「嫌記箱」店。おれですら、これで売れそうな本をそろえたつもりだろうかと思ったほど、なにも感じない品揃え。これは売上げ最下位だろうと判じ、おっ、時計を見ると17時近い。

17時半に池袋駅で待ち合わせがあるのだ。急いでもどろうとすると、T野女史が入ってきた。顔を合わせるのは正月に飲んで以来だとおもうが、2、3日前に飲み相談のメールのやりとりをしたばかり、なので久しぶりの気もせず。一緒の友人の編集女史を紹介され、挨拶もそこそこに外へ出る。と、刃研ぎ堂さんと彼の同居女史が。女史が貴重な話をする。つまり、彼女は日光出身なのだが、給食がカーレライスのときは、いつも麦飯だったというのだ。しかも、ほかにも、そういうところがあるらしいと。麦飯カレーライス!学校給食でもあったのか、これは大事な話、よく調べる必要がある。

雑司が谷駅から池袋駅北口。17時半待ち合わせは、「おつまみ横丁」絶好調の瀬尾幸子さんとササキ女史。前日夕方、瀬尾女史から誘いの電話があった。秋田県能代の喜久水酒造の若旦那が東武デパートで試飲販売している。この若旦那が、瀬尾女史やおれと薄い縁があるだのが、その話は略。というわけで、若旦那、喜一郎さんと初対面。

Kikusuisyuzou_kiitiro喜一郎さんが、親の喜三郎さんに、タンク一つやるから自分で好きな酒をつくってみろといわれて始め、5年目で売れるものができたという、その名も「喜一郎の酒」を試飲。「喜三郎の酒」というのもあるのだ。本醸造は「三本線能代」。みな試飲。「喜一郎の酒」は、一口でいえば「やさしい」。4号瓶を一本買い求める。ほかの出店各社の酒も試飲し、話を聞く。しかし、ササキ女史は、ほんと詳しい。ほんの少しずつ飲んでいるだけだが、なんだかよい気分になる。

喜一郎さんとはあとでまた会って飲むことにして、19時ごろ、ひとまずササキ女史がおすすめの、豊島区役所そばの小料理屋へ。飲み始める前に、いつものように、大量に飲んでも具合悪くならないように、ササキ女史が持っているクスリを飲む。あな、おそろしや。

初めての酒を選びながら飲む。冷や、燗、どれも、なかなかよい。とりとめのない話。21時ごろ出て、さて喜一郎さんを待つ酒場は、どこがよいか。わかりやすいこともあり、鳥定へ。もう、あとはガンガン飲み、おしゃべり。「おつまみ横丁」の写真の鵜澤昭彦さん初対面も加わり、店じまいをして駆けつけた喜一郎さん。能代は行ったことないところだが、話を聞いているうちに行ってみたくなる。焼酎湯割りのおかわりを重ね、酔いも深まり、23時45分ごろか、お先に失礼。

Utisawa_oyajigakiきのう「わめぞ」で知った。これは、オススメだ。←左サイドバーの「アステア・エンテツ犬」を描いた、内澤旬子さんの「おやじがき」が本になり出版される。おれは以前に内澤さんが自家手製本で出したものを持っている。うーん、4、5年前か、谷根千あたりのどこかのカフェで内澤さんが個展をやったときに買ったのだ。3巻のうち1は売り切れで、2と3を買った。内澤さんの作品のなかで、おれがイチバン好きなんだな。

内澤さん、新聞見てないもので、最近まで知らなかった、朝日新聞の連載小説の挿絵を描いていて、おれの知らない世間では、「大画伯」「巨匠」といわれるひとになっているのだそうだ。ま、どうでもよい、この『おやじがき』、ホント、おれのようなカレセンになる前の、とかく加齢臭のように嫌われがちの「おやじ」たちにそそがれる内澤さんの「愛」にあふれる目線が、よい。彼女のイラストと文章なんだけど、たとえば、これはこのまま収録されるかどうか知らないが、おやじの出た腹と「ぷりぷり」のケツを描いて書いた「ぷりぷり」という題の文章は、こんなアンバイだ。

「スラックスはオフタイムおやじの必須アイテム。これねー、ずっとはき続けてほしいんです。チノパンなんぞはかないで。おばさんと違っておやじってどんなに腹が出ても不思議とケツがたれない。ぷりっぷりしてます。これを隠しちゃいけません。ミョーにえっちなところがチャームポイントです。」

周囲の冷たい眼を浴びがちなメタボ腹のおやじ、もう彼女なんかできないとあきらめているかも知れないオタク腹の青少年たちに、生きる勇気と希望をあたえるにちがいない。ほんと「おやじ愛」だよ。そして、これは、もしかすると、そんな「おやじがき」のような亭主、ナンダロウアヤシゲさんに対する内澤さんの愛なのかも知れない。

『おやじがき』(「絶滅危惧種中年男性図鑑」のサブタイトル)、イラスト・文=内澤旬子、にんげん出版から定価1300円+税で、11月下旬発売。

午後になっても、まだ酒が残っている。
なのに、あと数時間後に、また飲み始めなくてはならない。シアワセ。

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2008/10/11

経堂の大田尻家の太田尻智子さんの個展。

チト忙しい。とりあえず、このお知らせ。

思わず屁がでるほど楽しい太田尻智子さんの個展です。
Ootajiri_t

このようなメールが届きました。

今回は「太田尻民芸」と題して、日々コツコツと作った立体の展示します。
日々コツコツという感じが民芸っぽいかな?なんて思いまして、
「わたくし = 太田尻」の「民芸品?」てことはぁ→「太田尻民芸」です。

期間:10/24(金)~10/30(木)
時間:昼2時~夜8時
場所:so+ba (東京都世田谷区経堂5-29-20)

詳細はこちらへ

http://www.ne.jp/asahi/ootajiri/ke/mingei/

Google地図でのso+baの場所

クリック天国

太田尻家
http://www.ne.jp/asahi/ootajiri/ke/


画像のTシャツは太田尻家で買った太田尻智子作であります。

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2008/10/09

祇園精舎の鐘の声にダンドリ手続きの響きあり。

はあ、なんてまあ、きのうから、きょう。ドタバタやっているうちに、もう21時すぎだ。

だんどりと手続きのことばかり。メールと電話と郵便局と役所と郵便局。10件以上あったイロイロのうち、飲みだんどりが3つ、仕事の話は、たった1つ! ああ、これが俺の人生なのか。飲みだんどりなんぞ、電話とメール両方だから、相手日時場所がこんがらがり、しかもだ、そのあいだに、世間には、たいしてカネもないのに株をやっているやつがいて、もう心配でシンパイで、いてもたってもいられないらしく、電話をかけてきやがる。

知らねえよ。恐慌だのなんだのというが、恐慌きたしているのはてめえの頭だろ、むかしとイマは大違いなのだ。情報システムが悪いほうに機能することもあるが、よい方にも機能するんだから、いいじゃないか、ジタバタするな。カクゴもないのに、株なんかに手をだして、俺に出資したほうが、よほど確実なのに。

とか、ま、とにかく、ごちゃごちゃあるのを片付けて、大宮駅で、乗換えのためにボンヤリしていると、どこかで、「祇園精舎の鐘の声」が。「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」ってことだが、鐘の声に諸行無常の響きがあるんじゃなくて、作者は諸行無常の響きに聞こえるということなんだよな。すでに自分の頭の中にできている「諸行無常」という観念に、鐘の声をあてはめているのだ。

だいたい鐘の響きが「諸行無常」といっているはずないもん。作者がそのように聞こえた、そういう心情であるということなんだよな。ところが、こういうふうに文章になって広がると、鐘の音に、そういう意味が与えられてしまう。んで、どこかのどーってことない寺の鐘の音をきいても、ああ諸行無常だなあ、と思ってしまう。柿くえば、鐘と法隆寺を連想し、諸行無常になってしまう。

いや、これは、ダンコ、性欲の響きだ、なんていう人はいない。そのようにして、本来なんの意味もないものに意味があたえられて、しかも誰かさんの観念が民族共通の心情のように語られてしまうこともある。そういうことって、日本人の味覚の話には、すごく多い。これは、ひとつの「私語り」「自分語り」であって、あたかも対象のことを語っているようでいて、じつは自分の心情や観念を語っているのだな。

なんてことを、大宮駅のホームでは、鐘の声は聞こえず、暑くてビール飲みてえええと思いながら、考えたのだった。

9月に事務処理上必要から、住民登録を引っ越し先に移した。ところが、ちょうど国民健康保険の保険証の切り替えどきで、9月末で持っていた保険証の期限が切れた。新しい保険証は、住民登録を移した先に送られたらしいが、そこはまだ誰も住んでいない、ポストは使えない。新しい保険証は宙に浮き、役所の担当のところへもどったハズなのだ。というわけで、いま、おれは保険証がない。ところが、何かの手続きというと、身分を証明するものが必要になることがある。おれは運転免許証も持っていないから、保険証だけが、唯一なのだ。だけどね、保険証を再発行してもらうには、また、まだ誰も住んでいない家に郵送してもらうのでなければ、窓口で俺の身分を証明する、保険証を出さなくては、すぐには受けとれない。だけど、それがないから、俺は、役所の窓口へ行ったのだ。それで、役所の窓口でひともんちゃくになって、疲れて、ああ、役人のツラを見ると諸行無常を感じるのだった。いえ、役人個人が悪いわけじゃありませんね、と、書いておかないと、このブログを見ている飲み仲間の役人もいるからな。おまえも、おまえも、おまえも、おまえら地方公務員も国家公務員も、みな悪い、ペッ。

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2008/10/08

虚実皮膜の間。スナック。

Snack「スナック」といっても、「小さなスナック」という歌のような、けがれない清らかな美しいオシッコのようなカワイイ女がいるイメージのそれとはちがう、「スナック・バ-」のことだ。

100点満点の「正」だけの人たちにいわしむれば、その佇まいも、そこで働く女たちも、そこへ行く男たちも「いかがわしい」ということになるのだろうか。だけど「負」を抱えた「ニンゲンらしさの真実」は、こちらにあるように思う。とりわけ地方の町のスナックは、生々しい真実の吹き溜まりのような感じがある。

この夏、ある町へ行ったら(この画像の町ではないが)、前回行ったよりスナックが増えていた。景気がよいからではなく、景気が悪いからだという話を聞いた。「負」の行き着くところが、スナックなのだ。

「スナック」というスナック・バーは、風営法の関係で広まったように記憶している。いつごろだったか、法改正で、飲み屋の深夜営業が厳しくなった。たとえば東京都のばあい、朝までやっていた飲み屋が、24時ぐらいで閉店しなくてはいけないことになった。かなり厳しかった。それで、主たる営業が軽食の提供ということならば、深夜営業もできるという抜け道を自ら開拓した人たちがいる。「食うため」「生きるため」だ。それから、とくに、「スナック」というスナック・バーが広がったように記憶している。

単に「バー」とはいえない、「クラブ」でもなく、もちろん「レストラン」でも「スナック」でもない、そして既存の「健全」なスナックを侵食して広がり根を張った「スナック」には、「食うため」「生きるため」に人間が必要とする、あるいは逃れられない、さまざまが蓄積されているように思う。

新宿・歌舞伎町のスナックには、よく行った。スナックのねーちゃんと、閉店のあとに、ほかの店へ行ったり、焼肉屋へ行ったりした。それだけで、何もなかったけどね。

まもなく午前2時になる。ヨツパライ深夜便。
スナックのねーちゃん、どうしてるかなあ。
「食うため」「生きるため」って、美しいことじゃないか。


関連
2008/09/21
「負の遺産」とかいうが、それは「正の遺産」と一体なのだ。

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2008/10/07

なんて奇怪な平和の中のアヤシイ日本料理なんだろう。

Asahigura_sijyouおれも、この件については、かなりしつこい。また書く。何度でも書く、トコトン書く。それに、たぶん、前に書いていることを知らないひともいるだろう。

狭い部屋に、たいした本もないのに見つからなかった、というか、見つける気がなかった、このアサヒグラフが出てきた。

『アサヒグラフ』1999年2月26日号における、「四條司家」特集のことについては、まだブログが始まる前の「発作なメシゴト日記」の2003/01/31「四條流」で、「一昨日の「アサヒグラフ」のことだが記憶で書いていたので、現物を探して見つけた。詳しく紹介しよう」と書いている。当時は、テキストのみのレンタル日記だったので、画像の掲載はない。

おまけに一日に千字までの制限があったから、何日にもわたって書き、さらに「四條流」と「日本料理」と称するものに深く関係する、700年代後半ごろの平安朝の朝廷を舞台にした「内膳司」という、いわば「料理支配」のような部署のボスをめぐる高橋氏と安曇氏の権力抗争まで書いた。それは「料理」とは、まったく関係ない争いだったが、勝ったものたちの系譜が「日本料理」の「伝統」を称するようになった。権威主義的権力主義的な格好をし、刀のように庖丁をふりまわす根っこには、そういう料理の内実がともなわない争いの歴史も関係しているようにおもう。この「伝統」には、料理は生活という考えはない。

それらのエントリーは、ザ大衆食「日本料理のおべんきょう 日本料理の謎」に、リンクをまとめてある。…クリック地獄
また、「発作のメシゴト日記」は→右サイドバーのカテゴリーに、まとめてある。

いつのまにか、カンジンなアサヒグラフ本誌の姿が見つからなくなったのだが、引っ越し荷物の整理中に無事に発見された。表紙の画像だけ掲載しておく。どーです、これですよ「日本料理」ちゅうのは。コスプレですな。ここに「日本料理道庖丁道の精華」と称する奇怪な「日本料理」の正体が姿を見せている。まさに「私語り」「自分語り」の歴史だ。だけど、もちろん、崇め奉り、ひれふす人たちもいるらしい。そこは、ま、人間社会のオモシロイところだ。おれは、そういう歴史が、日本の食文化や料理文化の歴史をゆがめ、汁かけめしやカレーライスの歴史をゆがめていると確信しているし根拠もあるから、ゾウにトゲていどかも知れないが、トコトンやるのだ。

この記事ついては、発売当時、興味ある書き込みをしている掲示板があった。備忘のため、ここに関係する部分だけを転載させてもらう。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/keijiban102.htm

………………………………………………

[45] 四条家発見! 琵琶 さん 1999年02月20日(土) 23時11分

昨日、図書館の雑誌コーナーに、『アサヒグラフ』二月二十六日号が
置いてあるのをみたのですが、その特集が、二条のお母さんの家、
四条家についてでした。
贅沢な魚介類などを素材に使った料理は、お昼時には目の毒(?)でした。
最近このホームページを拝見したりなどして気づいたことは、歴史上の人物の
母方の家のことについては、案外文献などで記されることは少ないんじゃ
ないかな、ということです。
もちろん、生母が誰か自体わかってない人人もいるのでしょうけど、
一人の人物を、母方から見ると、また新発見があったりして、
結構面白いなと・・・(^^)。

[46] 小太郎 さん 1999年02月21日(日) 00時22分

四条家と料理の四条流については、去年ちょっと調べようとしたんですが、 きちんとした文献がなくて、何だか中途半端に終わってしまいました。
アサヒグラフ、さっそく見てみます。

[47] 小太郎 さん 1999年02月21日(日) 21時49分

『アサヒグラフ』、買ってみました。
う~む、表紙にでかでかと「四條司家 日本料理道 包丁道の精華」。
すごいです。
「四條司家41代当主」四條隆彦氏の写真、ちょっとこわいです。

以前、少し調べたときは、四條家は明治に入ってから相伝の文書を譲渡 して料理の世界から離れ、文書を譲り受けた側が四條司家を名乗っているといった話を何かで読んだ覚えがあります。(ウロ覚えですが。)
それで、何で四條家の人が四條司家の当主なんだろうと思ったのですが、 隆彦氏が書かれた文章の中に、「四條家の人間が包丁儀式を執り行うこ とが跡絶えていたのを私が再興した」とあるので、また関係ができたと いうことなのでしょうか。よくわかりませんが。

[50] 琵琶 さん 1999年02月24日(水) 06時11分

私も『アサヒグラフ』買ったんですけど、「一月の祝い膳」の「一の膳」の
汁(練りふぐと芥子柚子の入ったもの)を見て、「!」。
素材は違うんですが、丸餅と「頭芋」の入った白味噌仕立ての、京都方面の
お雑煮そっくりで(^^)、これがルーツなのかなー、としみじみしてしまいました。

[51] 小太郎 さん 1999年02月24日(水) 12時45分

そうですか、あれが京都の「お雑煮」のイメージなんですね。全国各地の お雑煮比べみたいなのはテレビや雑誌でよくやりますから、一応そういう 知識はあったのですが、改めて言われてみると、ちょっとびっくりです。

ところで私は「アサヒグラフ」の記事は相当しつこく読んでいるのですが、 隆彦氏の父や祖父に爵位が書かれていないのをちょっと変に思いました。
四条家には幕末に「七卿落」のひとりである四条隆謌(たかうた)という 人が出て、戊申の役で相当に活躍し、その功によって侯爵を授けられてい るので、普通だったら侯爵家であることを書くはずなんですね。
で、怪しいと思って調べたら、角田文衛氏の『平家後抄』に、「隆謌は 後妻・春子の産んだ九男の隆愛(たかちか)を偏愛し、これに侯爵家を嗣 がしめた。そして長男で、『戊申の役』に軍功のあった隆平(たかとし) に別家(分家ではない)を樹てしめ、将来に禍根を遺した。隆平は、奈良 県令、元老院議官などを歴任し、その功によって、明治三十一年、男爵を 授けられた。」とありました。
「四条司家第41代当主」隆彦氏は、この隆平の曾孫にあたるので、 「公侯伯子男」の一番下の男爵家だから、かっこ悪くて書かなかったのか な、という感じがします。
それにしても鎌倉時代に後深草院二条の祖父の隆親がやったのと同じよう なことを明治になってもやっているんですね。面白いです。

………………………………………………

いじょ。

また、おれの「発作なメシゴト日記」での、これに関する話は、2002/12/13「日本料理は敗北した」か? から始まっている。それだけ、以下にそっくり、転載する。

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「日本料理は敗北した」と江原恵さんは、その著書『庖丁文化論』で述べた。1974年のことである。「外からは、西洋料理や中華料理のチャレンジに負け、内にあっては、味覚のシュンを失うという決定的な事実がそれを証明している」

当時、日本料理に対し疑問と危機感を抱いて江原さんと会ったおれは、たしかにそうだ、と思った。でも、まだ、カレーライスがあるラーメンがあるカツ丼があるサバ味噌煮定食だってあるじゃないか、とも思った。

つづいて江原さんは書く。「それでは、日本料理の未来史はどうあるべきか。……結論的にひとことでいうなら、特殊な料理屋料理(とその料理人)を権威の頂点とするピラミッド型の価値体系を御破算にすることである。家庭料理を料理屋料理に隷属させる食事文化の形態をうちこわして、根本的に作り変えることである。……料理屋料理を、家庭料理の根本に還すことである。その方向以外に、日本料理を敗北から救うてだてはないだろう」

チト納得できないところもあるのだが、ま、おおむね了であり、つぎの提言には、文句なしに賛成だった。

「このへんで、料理を通人ごっこの話題にまかせっぱなしにしておく態度を改めて、われわれはもう少しまじめに問題をとりあげてもいいのではないかと提言したい。」

あれから30年たとうとしている。すでにカレーライスまでがラーメンまでが、「通人ごっこ」の、いまふうには「グルメごっこ」ということになるだろうがその、餌食になってしまった。

「グルメ」とは、食や料理を「まじめ」に考えないひとのことだったのか?

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2008/10/06

俺にだって明日はないッス。

それでまあ、前と前のエントリーの続きのようなものなんだけど。

2008/09/30「『ミーツ・リージョナル』11月号が届く。「ザ・めし」特集の10月号は、もう「品切」。」に、「まいど、担当編集者の含蓄のある文が載る、編集前記が楽しみだ。今回は、半井裕子さんが書いている。かなり、大切なことだなあと思うところを突いている。いま、忙しいから、あらためて取り上げて考えるとしよう」と書いた、そのこと。

そこで半井さんは、特集のような「自腹レストラン」は、ハードルがあるようだけど、「けど、街の店は自動販売機やマニュアルの店とは違う生身の存在で、だから、それ相応のコミュニケーションがいる、それだけのことだ」「そ、レストランは何も難しくなんてないのですよ」という。そこがカンジンなところで、そのとおりだと思う。

だけどモンダイは、きょうの酒、じゃなくて、「それだけのこと」なんだけど、それがわかってないか、なかなかできない人たちが「ブロガー」や「食べ歩きグルメ」にはいる。

なぜかな~と考えてみると。街の店は生身の存在であるにもかかわらず、「ブロガー」や「食べ歩きグルメ」は、生身のニンゲンとして、店へ行くのではない。もちろん、全部じゃないが、そういうひとがかなりいるようだ。

「私は」立ち飲み通よ~ナントカ通よ~通よ通よ粋なのよ、「私は」有能な調査員よチェック屋よ、「私は」辛口評論グルメよ~、「私は」うまいものを知っているの詳しいのよ~、「私は」「私は」……というかんじの「私語り」や「自分語り」を持参するのだ。一時はやって、いまでもいるが、店へ「勝負」しに行くのだな。

ともすると、もっとも多いのは、こういう人たちかもしれない。つまり、テレビや本や雑誌などの有名人の発言を鵜呑みにして、店の選択から店までの行き方も料理や酒類の選択も、頭のなかはすっかり、情報でマニュアル化されて臨むひとたち。

店が生身なのに、このひとたちは生身ではなく、「達人」たちがオスススメのカラーに染まっている。その態度やココロや思考法やものいいまで、生身の店に持ち込む。だから、みな同業界人のように、おなじ感じになり、「来た瞬間分かります」ということになるのではあるまいか。『ミーツ・リージョナル』のような、いかに生身のニンゲンとして街場で楽しく生きるかといったテーマは、彼らにはない。「ブログ愛」であり「自分愛」なのだ。

であるから、店に対して構えてしまって、自然なコミュニケーションが難しくなる。前々回のエントリーで引用した座談会で、店の現場のひとが、「要は店を楽しもうというスタンスかどうか」「要はコミュニケーションなのだ」というのも、そういう背景があるからだろう。

いまや、こういうことがメディアを通して増幅されているようだ。俺はコミュニケーションがへたなのか、酒場などで、こういう人たちに話しかけられるとガマンできない、すぐ露骨に嫌な顔をするか、「俺は、そういう話をしたくてこの店に来ているわけじゃないんでね」というようなことを相手の様子をみながら、ときにはソフトに、ときにはハードにいって、すぐケリをつけてしまうが、店のひとたちは、そうはいかない。

そこへ、いくと、トツゼンだけど、東海林さだおさんは楽しくてよいね~。だいたい「私語り」「自分語り」がないもの。そして、ときには、よい店は外を見ただけでわかるなんていう「私語り」「自分語り」を皮肉る。「ドーダの人々」では、「私語り」「自分語り」の会話を、切り刻み笑いとばす。

食べ歩き以前、グルメ以前、文章以前に、ニンゲンとして大事なことがあるとおもう。「よい店よい酒よい料理にこだわることなく、楽しく飲む人間をみがく」

だけど、こんなことをいっていると、ライター稼業は失業しちゃうな。かといって、東海林さだおさんにはなれないし。

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ケツの穴に向かって撃て。

前のエントリーの続きのような話だが。

先日、瀬尾幸子さんの『おつまみ横丁 もう一軒』を買った飲兵衛からのメールに、

> そういえば、前書きとか後書きとかがないのは、なぜかしら。

とあったので、このように返信した。

> 料理は、「書く」ものじゃなくて、「やる」ものだから、前書きとか後書きとかはいらないのです。
> そもそも、たいがいの前書きとか後書きとかは、
> 前書き=慇懃無礼な能書き
> 後書き=慇懃無礼な言い訳
> でありますからね、ようするに著者の慇懃無礼な自慢話だから、いらないのです。

「慇懃無礼な自慢話」は、「慇懃無礼な「私語り」「自分語り」」とおきかえてもよい。

お好み焼パセミヤのよっちゃんは、ブログ「Art de Faire」の9月18日「火曜日のこと」に、こんなことを書いている。


時折見かけるのですが、しかめっ面をして、お手並み拝見で
終始難しい顔をしておられる方を見ると
ちょっと損をされているよなぁと思います。

食べるのが好きで、飲むのが好きで、
人と一緒に過ごすのを楽しむことが出来るのは
ある意味、才能だと思っていて、
ありがたいことにうちの周りにはそういった能力に長けた方が多く、
こちらとしてもとても楽しい時間をご一緒させてもらっています。

いただいたご縁をしっかりと活かして、
これからもっといろんな食べる楽しみを提案して行けたらいいなぁ。

さきほどのエントリーの座談会の話といい、お店の人は、よほどのことがないかぎり、客に面と向かってはいえない。イチオウ「お客様」なんだから。それをいいことに調子にのって、食べる楽しみもしらない、したり顔のチェック屋ブロガーが、ますますはびこる。飲食の「場」が荒れる。

やりたいなら、組しやすい大衆レベルの飲食店じゃなくて、高額高級店を舞台にしてほしい。「辛口レビュー」なんてえらそうな口たたいていても、臆病の弱いものイジメみたいなものだ。だいたい「辛口」なんてのは、難しい芸で、誰でもやれるものじゃない。あらさがしをして弱味をあげつらねたぐらいじゃ、「辛口」にならないんだよ。

午前2時過ぎ。眠い。

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2008/10/05

ああ、かなしき「ブログ愛」「自分愛」。

先日9月30日にチョロっと書いた、「自腹レストラン」特集の『ミーツ・リージョナル』11月号に、「[覆面座談会]現場によるホンネトーク ホントはどーよ?レストラン」がある。司会・進行は寺下光彦さん、レストランの現場の出席者6人。5ページあって、なかなか突っ込んだトークで、おもしろい。

「ぶっちゃけ、ブロガーってどうなんすか!?」という見出し。司会「ところで、ブロガーってすぐに分かりますか?」C「来た瞬間分かります」で始まる。

C「究極のところを言えば、ブロガーはレストランを楽しみに来ていない。自分のブログラブ、ひいては自分ラブ。」
A「ブロガー同士が一緒に来てても別々やもんね。会話が噛み合ってない。」
司「コミュニケーションできない…?
D「だから…、ってことでしょ。」

こんな会話をして、一同笑う。この「…」は、想像つく。
こんな発言もある。

B「基本的に食事やワインとか店の雰囲気を楽しめないってお客さんはアウト。」
司「ブロガーだから嫌いなんじゃなく、ワインとか食事を楽しまない客が嫌い、と。」

D「ブログの匿名性は気に入らない。」
司「ブロガーは書いていることに責任取れへんわけですね。」
C「落書きやからね。」
E「店やってる人間はリスクを負ってるし、文章書く人でも記名じゃないですか。その責任を負わないところが嫌なんです。
司「逆に「アリ」なブロガーって?
A「ウチのお客さんはウチの記事を書く場合、「載せるで」って見せてくれる。」
D「それちゃう? 断りなく、隠し撮りみたいに撮っていく人おるもんねえ。」
A「美味しくなさそうな写真やったら嫌やん。見せてくれたらコメントできるし。」
C「ヘタは撮るなってこと?」
A「それを見て「料理しょぼ」と思われたらイヤ。あるブログでウチのうずらが異常に茶色で、そりゃないで、って。見る側もその記事の信憑性を疑ってほしい。」
E「そうそう。鵜呑みにしてほしくない。」

部分的に引用した。太文字は、本文中で太文字のところ。

前から大衆食堂のオヤジなどに聞いているし、先日も一年に一回ぐらいは「通う」ラーメン屋のオヤジにいわれた。ブロガーもちろん、「一見でも、なにかを見て来た客や、食べ歩きの客はすぐわかる」らしい。ま、おれだって、酒場や食堂で、そういう客に遭遇すると、話をしなくてもわかるときがある。とくに「ラーメンフリーク」と「居酒屋フリーク」は、わかりやすい。最近は、そのテの客が増えて店の雰囲気がかわってしまった酒場には行かなくなった。

たまに行く、都内のやきとり屋がある。そこはオヤジが入り口のところで、やきとりをやりながらがんばっている。そのテの客が来ると、「だめだめ」といって入れない。たしか開店が5時ごろだと思うが、50人ぐらいの客席があって、まだガラガラでおれたち男2人のほかに1人の男だけだったのに、入れないことがあった。大きなビル街が近く、焼酎を一升瓶ボトルでキープし毎日のように来る常連の多い店で、7時過ぎぐらいには一杯になる。常連のために席を確保しておくということもあるかも知れないが、ネットの掲示板を見ると、入店を断られた客は、けっこういるようだ。そういうひとが、掲示板でモンクをいったり、あるいは、笑っちゃうのは、ほかのひとにどうやったらその酒場に入れるかアドバイスを受けていることだ。

おれだって、そのオヤジに顔を覚えられているわけじゃない。ただ、そこに入るときは、チョイとした「呼吸」が必要だというのはわかっている。これは、ある種、店との無言のコミュニケーションであり、それは自分が肉体から発するオーラやエナジー、もろもろだろうと思う。そして、まさに、店のひとは、そこから「ブロガー」的「食べ歩き」的オーラやエナジーを感じ、避けることがあるのではないか。

ともあれ、この座談会で、本質を突いていて、おもしろいと思ったのは、「自分のブログラブ、ひいては自分ラブ」というところだ。これは、無名のブロガーか、有名の文章家か、に関係ないだろう。

何度もここで書いている、近代日本の背骨ともいえる、「日本的私小説的」文学(文章に書かれたものという意味で)の影響だろうとおもう。食という「気軽」な分野には、その影響はでやすく、みな気軽に書けるもんだから、たいがいのひとは書くのだけど、オヤッこのひとが食のことになるとこんなことを書くのかとおもうほど「気軽」に無責任なことを書く。その無責任は、つきつめると「私語り」「自分語り」の文学に原因がある。と、おれはみている。

ほとんどのひとは「ものを書く」とき、近代日本の文学の影響から離れては存在しない、書くことはできない。それは、いまを生きるおれたちの思考やら行動に、強い影響を及ぼす「環境」ともいえる。「日本的私小説的」文学特有の、「私語り」「自分語り」を警戒しながらでないと、「ブログ愛」「自分愛」に流れやすいのではないだろうか。

「客」の立場からすれば、店の意向をくんで書く必要はない(店の意向を気にして書く「評論家」が少なくないが)。だけど、「客」の立場は、いつも問われている。書いて、それを「露出」するとなると、広く問われることになる。客が「神様」なのは、カネを払うときだけなのだ。

とどのつまり、読まれるものを書くということは、そこに「ジャーナル」が発生する。「ジャーナル」はジャーナリストのものではなく、生きているかぎり何かを表現しているのだし、書くとなれば表現そのものだから、そこに「ジャーナル」は切り離しがたく「在る」はずのものではないか。それを見失わせる「力」が、「日本的私小説的」文学にはあって、近代日本はそれで成り立ってきた面があるようだし、その文脈にはまると、「私語り」「自分語り」の虜になるような気がする。最近おさわがせの中山ナントカという「5日大臣」の発言などにも、それは色濃くでているようにおもった。

自分が生きている風土だから、ひたすら自戒と警戒をもって接するのが第一だと、おれは自分に言い聞かせている。

グルメ以前、食べ歩き以前、文章以前、「食を楽しむ」ことについては何度も書いてきた。右欄→カテゴリーの2007/03/20「飲み人の会に登録ご希望のかた」には、「よい店よい酒よい料理にこだわることなく、楽しく飲む人間をみがく」と書いているが、それは「生きる」キホンであるし、「私語り」「自分語り」の文脈から脱出の一つの方法だろうとおもっている。

マットウな食生活のためには、「私語り」「自分語り」の克服が不可欠だ。「ブログ愛」は「書物愛」や「活字愛」に置き換えられる。「愛」は、かなしい。表現以前のことだろう。


関連
2006/07/26
「そこにいる」視線と「チェック屋」の視線

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2008/10/04

夏の思い出。ニッポンのニッポン人の朝めし。

7月3日、新潟県糸魚川の民宿にて。前夜は深夜まで正体を失うほど飲んだが、8時過ぎに起きて、めし二杯に膳のもの全部きれいに食べた。下の画像。左上はレタスサラダにかける味噌ドレッシング、卵焼きの皿の真ん中の白いのはかまぼこ、このあたりから富山県にかけてはかまぼこをよく食べる、左下の煮物は竹の子と厚揚げとくるま麩、新潟県では煮物にくるま麩はスタンダード。
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ただいま午前1時半すぎ。あまり酔ってない深夜便でした。酒が足りねえぞ~。

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2008/10/03

計量は科学、人間は「虚実皮膜の間」。か。

Hon_mng01ボチボチ引っ越しのしたくをしている。持っていくものは、これでいいのか、とおもうぐらい、少ない。もともと、文字通り「裸一貫」という状態を、何回か経ているから、少ないのだが、さらにまた捨てるのだから、とにかく少ない。

そんな中で、メシのタネ本でもあったから、捨てないできた本が一冊、出てきた。自分が「プランナー」という肩書でしてきた仕事を説明するのは、難しい。転々としていたからもあるが、内容そのものが説明しにくい仕事も少なくない。この本がタネ本だったにはちがいないが、いまおれが見ても、チンプンカンプンのところがたくさんある。

『マネジメント・リサーチ ハンドブック』マネジメント・リサーチ ハンドブック編集委員会編、丸善から1967年発行。1271ページの厚い本だ。

1972年の秋、転職した会社で、上司というか先輩というかに、「はい、これを読んどいて」と渡された。Ⅰ.マネジメント・リサーチの理論と方法、Ⅱ.マネジメント・リサーチの活用、Ⅲ.マネジメント・リサーチの情報とその処理、にわかれている。わかりやすくいえば、マネジメントに関する、調査、計画、保守・管理、の理論と方法の手引き。

あとでわかったのだが、これは当時の、その分野に関する最高水準を総合したものだった。というわけで、ずいぶん長い間「ハンドブック」として役に立った。

どんなに最高水準だったかというと、たとえば、いまではメシくえばセックスするようにアタリマエになって、新聞の記事などにも、その方法を用いた結果が載るのはウンコのように日常的になっている因子分析法。その詳細な方法まで、この本にはある。ところが、これはとんでもなく複雑な大量の計算を要する方法で、当時、その作業をやれる大型のコンピューターは日本に、たしか3台ぐらいしかなかった。

おれは、そのころ、「クラス・メディアの効果測定法の研究開発」だったかな?とかいう、ややこしいプロジェクトをやらされていたが、これは因子分析法をつかうものだった。その作業は東大新聞研のコンピューターを使ったのだけど、東大新聞研のコミュニケーション論?あたりの先生たちと共同のプロジェクトだったからだ。ときどき会って打ち合わせした、いまでは教授の当時は助手の先生が、この作業がやれるコンピューターは、日本には、ここと、ナントカとナントカと、と名前をあげて教えてくれたが、忘れた。

とにかく、それで、おれはコンピューターのほうは知らないし関係なく、プリントアウトされたデータがあればよいのだけど、その量が、すごい。B4サイズぐらいの折りたたみ連続用紙だったおもう、重ねると1メートル近い高さもあって、これがズラズラズラと細かい数字。いまのように、いきなり図表化できないから、生の数字がズラズラズラ出てくるのだ。ほんと、いまじゃ考えられない。

つまり理論はあっても、実際に作業できる環境がなかった。そんなわけで、のちに、コンピューターが普及し小型化高性能化が進むほど、この本は役に立ったのだな。だから、転々としながらも、この本だけは手放さなかったのだろう。当時の本で持っているのは、この一冊だけ。

いまみても、マネジメント(会社だけではなく社会、集団も含め)に関わることは、ほとんど網羅されている。つまり、方法的には、そんなに大きな変化はない。処理能力が進化しただけなのだ。日本の「成長」も、そんなものなのだろう。

変色した付箋のところを開いてみたら、「4.行動科学的手法」の「モラール・サーベイ」の項目で、「従業員態度調査票」の質問と回答のモデルが載っていた。この本は1990年ごろからこちら使った記憶がないから、それ以前のことだろう。

こういうマネジメント・リサーチのレベルからみると、マーケティングだ編集だイベントだ「まちづくり」だ…いろいろあるけど、どれも同じ原理に基づいている。そしてそれは、かなり計数化して「科学的」に把握できる。ということになる。いまでは、ひとのココロ(心理)まで、計量して把握することが進んでいる。

だけど、その原理の実際の現場では、人間がからんだり動かしたりしていることが、かなりある。その人間てやつについては、特定な条件下でしか、管理しきれない。なので、もろもろの条件を与えて強い管理下においたり、なるべく人間が関わらない自動化を選ぶことになる。そういうときには、また、こういうマネジメント・リサーチが有効になるのだな。

ちかごろの「強い管理」では、「ボランティア」なんて方法がハヤリのようだ。モチベーション(「愛」だの「夢」だの「仲間」だのなんかは強力だ)を与えて、嬉々としてタダ働きをさせる。でも、これには、これの落とし穴がある。つまり、それでうまくいったマネジメントが喜んでいるだけで、実際にボランティアに支払いしたばあいの収支を計算した判断をしておかないと、その事業は、かりにあるていど続いても、トツゼン行き詰まることがある。モチベーションを与えられて、嬉々としてタダ働きで支えてきたひとたちは、またほかの強いモチベーションに動かされる可能性が大きいからだ。「まちづくり」のイベントなどにもあることだね。

よく「企業の寿命30年説」があるけど、営利だろうが非営利だろうが、かりに一事業が成功し30年続いても、ちかごろのファミレスの退潮ぶりもそうだが、人間の関係するモノゴトは、30年やそこらで成功不成功を判断するのがマチガイというものだ。人間は、もっと、「人間なんてラララ」と、銀杏BOYZの峯田クンはうたうけど、ラララのレレレ、なんだなあ。だから、うたや文学や絵などが必要だし、生まれるんだろう。てめえ、そんなことぐらい、わからんのか! 「人間なんてラララ」

しかし、この本を、ひさしぶりに手にして、思う。おれも、生々しいビジネスの現場から、ライターなんていう、浮ついた稼業にダラクしたものだ。

ためいきをついて、パラッとめくったページは、「統計学的手法」の「確率分析」で、まったくわからない数式が並んでいた。

Hon_mng02

このあと、おれが酒を呑む確率は、そんな数式なんかなくたって、わかる。100パーセント。

この本が捨てられる確率は……

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2008/10/02

滋賀・長浜の中島屋食堂を掲載。

すでに当ブログで、ちょこっと紹介しているが、ザ大衆食のサイトに掲載した。この店内を、ごらんあれ。
クリック地獄

今年は食堂の掲載をさぼり続けで、これでやっと二件目。たまる一方、忘れる一方の食堂紹介、年末までに馬力をかけて、掲載する、つもり、なのだが……。

このあいだ首相になったばかりのナントカという男は、経済動向が深刻さを増しているときに、一国の総理という立場も忘れたか、選挙を意識したような街頭演説まがいの、野党に喧嘩をふっかけるような「批判」を「所信表明」でやっていながら、こんどは、「衆院解散という政局より景気対策などの政策の実現を優先したい」だって。そういうふうに、なんの見識もなく、コロコロかわるから、口もまがるのだろう。崩壊の時代というのは、こういう男が首相になり、さらに混迷を深めるものだ。ま、どのみち、なにも期待はしていないが、しかし、こういう男を支えて政権に執着している連中を、よく記憶しておこう。小泉チルドレンの落日、つぎは、この連中の番だろう。

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2008/09/30

『ミーツ・リージョナル』11月号が届く。「ザ・めし」特集の10月号は、もう「品切」。

きのう、明日10月1日発売の『ミーツ・リージョナル』11月号が届いた。特集は「週イチでも通いたい」のサブキャッチがついた「自腹レストラン」。忙しかったので、寝る前にパラパラ見る。まいど、担当編集者の含蓄のある文が載る、編集前記が楽しみだ。今回は、半井裕子さんが書いている。かなり、大切なことだなあと思うところを突いている。いま、忙しいから、あらためて取り上げて考えるとしよう。とにかく、いつものように、ミーツならではの料理の仕方で、いまどきの街場の「レストラン」を楽しませてくれる。

08nagahama_biwakoパラパラ見ていたら、「維新派、琵琶湖畔で4年ぶりに野外劇を上演!」の見出しが目にとまる。それで、先夜の中原さん宅で話題になっていた、その話を思い出した。長浜市の琵琶湖畔に水上舞台をつくって公演するのだ。そのあたりは、すでにブログにも書いたが、先日ウロウロしてきた。きょうは、ついでにレプリカ長浜城から見た琵琶湖畔の画像を掲載しておこう。湖北方面を撮影した。10月2日開幕だから、いまごろは、この景色のあたり、どこかに舞台がつくられているのだろう。

木村衣有子さんの連載「大阪のぞき」第7回は、「天王寺動物園」。いいっ、しびれるううううっ、この文章、もう、おれの好みまっしぐら。あまりおれがほめると、引くひとがいるから、これぐらいにしておこう。しかし、また一段と磨きがかかったように思う。きのう、木村さんの携帯に電話したら、妻役をやりに夫役のもとに行っていて東京ではなかった。そのときはまだ、この「ミーツ」を見てなかったから、用件だけで終わってしまった。

さらにふとんのなかでパラパラ見ていると、木村さんの前のページに、「厳しき禅道のZAZEN BOYS。」の見出し。なんだか「野狐禅」と「銀杏BOYZ」をかけたような見出しだなあと思ってみると。「ニッポン・カルチャーをこよなく愛する無骨三兄弟の日々」ってことで、「ザ・めし」特集で担当の藤本和剛編集ほか、男3人で巡礼やら座禅やらをやるもので、「野狐禅」も「銀杏BOYZ」も、 「ZAZEN BOYS」も関係ない、でもTシャツは 「ZAZEN BOYS」の、あやしい「J-BOYS」なのだ。な、なんじゃ、こりゃ。とにかく、「大衆食堂」ならぬ「大衆禅道」がある、らしい。おお、大衆の道が、ここにもあるのか。「ミーツ・スタイル」なニッポン・カルチャーの親しみ方で、なかなか楽しい。

とかね。

で、とにかくだ、「バックナンバーのご案内」のページを見たら、なんと、一か月たっていないのに、「ザ・めし」特集の10月号には、「品切」「Sold Out」マークがついている。「やったぜ!」と、また起きて、酒を呑んだ。おれは巻頭エッセイの1000字弱を書いただけだけど、「ミーツ」で、「ザ・めし」特集で、「品切」という売れ行きは、うれしい。

ということ。

だから、もう10月号はいいから(まだ書店にあるのを見つけたら、すぐさま買いですよ)、11月号を手にとってみましょう。明日発売です。

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2008/09/29

中原さん宅で「前期高齢」祝い。

0809nakahara_tera

2008/09/03「『雲のうえ』5号を送ったらエロ雑誌の返礼。介護保険被保険者証が届く。」に書いたように、今月は誕生月で65歳、ムリヤリ「前期高齢者」にさせられた。

そして、きのう、中原蒼二さん宅におよばれし、中原さんの手づくり料理で、誕生と先の短い人生を祝いかつ慰めていただいた。

0908nakahara_nisikitamagoなにしろ、「こだわりの中原さん」と言うと、嫌がるからますます言ってみたくなるのだが、「こだわりの中原さん」の手料理だ。この昔から祝い料理に欠かせない錦玉子なんざ、20年ぶりに食べたが、「あれっ、錦玉子って、こんなにうまかったかな」と思うほど、きめ細かく舌触りからまるで違う。

中原さんが、きのう28日のブログ「馬毛裏ごし器」に書いているが、「馬毛裏ごし器」で手間のかかる裏ごしをしたのだな。…クリック地獄

ビールで始め、焼酎、清酒、飲んで飲んで飲んで、「こだわりの中原さん」のマグロとイカの紅白にぎり寿司で仕上げ。

どうも、ありがとうございました。ごちそうさまでした。

0908nakahara_susi初対面のグリックスのアートディレクター、森田康史さんご夫妻がおられ、楽しくすごした。オモシロイ話があって、それをブログに書いてやろう、と思ったような記憶があるのだが、思い出せない。かなり酔った。

中原さん宅に着いたのが17時ごろ。帰りは、はて、何時だろうか。とにかく逗子からだとウチに帰り着くまで2時間かかるのだが、途中どこかの駅で森田さんご夫妻と別れ、そのあたりから完全に記憶喪失。

行きにコンビニで「『新宿でしぼりたての日本酒を飲みたい!』企画賛同のお願い」の請願署名用紙をコピーして持っていたのに、着いていきなり怒涛のごとく飲み食いするうち忘れ、持って帰ってきてしまった。

いちばん上の画像、中原宅への途中で撮影した。中原宅ではない。

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2008/09/28

見たか。『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし特集」。絶好調とな。

これは宣伝扇動の記事です。

09meets9月8日、愛媛・西条市の藤田さんを訪ねたとき、すでにアマゾンで購入されていた。九州の人も、北海道の人も、買っている。そうそう、おれの故郷の新潟・南魚沼市は高千代酒造の稲刈りに、これを買って行ってくださった兵庫の方もいるそうだ。ありがと~、うれしいね。みなさん、この方たちの熱意に続きましょうぞ。

もっと、買って。もっと、宣伝して。毒コメが出回ろうが、リーマンがどうかしようが、毎日めしくって生きなきゃなんねえんだよ、めんどくせえなあ。めんどくせえと思ったら、思わなくたって、力強くめしをくえ、ってんだ。まだ知らないひとは、このエントリーを。
2008/09/01
防災のキホンは「めし」。『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし特集」9月1日発売。

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瀬尾幸子さんから『おつまみ横丁 もう一軒』。

0809hon_seo_otumami瀬尾さんから、『おつまみ横丁 もう一軒』(池田書店)が届いた。ありがとう、ベストセラーおめでとう。

これは、いうまでもなく、もう40万部?をこえるベストセラーの『おつまみ横丁』の続だ。奥付では、明日29日の発行。でも、もう大きな書店には並んでいるだろう。

まだパラパラと見ただけだが、編集スタイルは前回と同様で、レシピを3ステップでまとめている。瀬尾さんの無駄のない「スピード感とリズム感のある料理」の特徴が、うまいぐあいに編集とマッチしている。それもベストセラーの一因だろう。

おれもつくっている似たようなメニューが、けっこうあって、なお楽しい。なるほど、瀬尾さんのばあいは、こうするのか、とか。たとえば、堂々と「油揚げ焼いただけ」なんて、ネーミングの勝利だね。でも、その「油揚げ焼いただけ」の、油揚げの切り方が、チトおれとはちがって、シャレていたりするのだな。ありふれたものでも、そうやって見ると、また楽しい。

チョイと忙しいので、とりあえず、こんなところで。みなさん書店で手にとってみてください。

瀬尾さんは、『四月と十月』の古墳部でも一緒だったりするから、当ブログにはよく登場しているが、瀬尾さんのおつまみ本について書いたいくつかをピックアップした。

この春、おつまみ本がブームということで『サンデー毎日』の記者にインタビューされた。そのとき、なかでも瀬尾さんの『おつまみ横丁』は15万部をこえてダントツ、これはブレイクするでしょうという記者の話で、とくに『おつまみ横丁』に関する話になった。それについては、以下の二つのエントリーに書いている。

2008/05/23
瀬尾幸子『おつまみ横丁』は絶好調。

2008/05/28
オシャベリな食の「船場吉兆」と台所に立つ「つまみ」。


昨年、『おつまみ横丁』が発売になる少し前だったと思うが、学習研究社から『簡単!旨いつまみ』を刊行している。これはグラフィックな大判のスタイルで、おつまみ本としては使い勝手がイマイチなのだが、瀬尾さんの料理の特徴が凝縮しているようにおもった。

2007/08/10作る楽しさ、食べる楽しさ、飲む楽しさ! 瀬尾幸子「簡単!旨いつまみ」


そして、「[書評]のメルマガ」に連載の「食の本つまみぐい」に紹介した。そのとき瀬尾さんの料理の持ち味を「スピード感とリズム感のある料理」と特徴づけ、タイトルにした。

[書評]のメルマガ vol.332 2007.10.15発行…クリック地獄


画像は、以前に下諏訪のすみれ嬢にいただいた、残暑見舞いのひょうたんと一緒に撮影した。もう残暑見舞いという時期ではないが、似合っている。そうそう、一昨年の夏だったかな? 古墳部の旅ですみれ嬢のところで宴会をやったとき、瀬尾さんも一緒だった。そんなご縁の、ひょうたんと本ですね。

ああ、酒は一年中うまいが、秋は秋で、酒がうまい季節だなあ。

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2008/09/27

玉城素さん、9月14日に亡くなっていた。

訃報ニュースを見逃していたらしい、知らなかった。
玉城さんには、お世話になったし、よく2人で飲んだ。何回、新宿でトコトン飲んだことか。飲んで、酔っ払った玉城さんのめんどうをみたことも、けっこうある。

シラフのときも、ヨッパライのときについても、エピソードの多い人だった。それに、朴元韓国大統領に招待されたり、じつにいろいろな顔を持っていて、ナニモノなのか、正体がわからんところもあって、それでますます「怪人物」におもわれたり、ウワサの多いひとだった。ま、ニンゲン、正体なんて、どうでもいいのだ。おれにとっては、おもしろい飲兵衛で、けっこうアブナイシゴトでも、おもしろがってのってきてくれる、いい飲兵衛だった。

何年前だったかな喉頭あたりのガンがみつかり、手術した。仕事にもどって、そのころ電話で話したのが最後だな。その後も、あいかわらず元気にやっているようだったが。

82歳。
悪いやつほど長生きするということだとしても、このトシでは、どちらなのか。
そのへんも玉城さんらしい死に時だったか。
はて、天国へ行ったのか、地獄へ行ったのか。
ご冥福をお祈りいたします。

玉城さんのことは、一度、玉城さんと出会ったころのことも、2005/11/20「「粘膜」の再発見」に書いている。…クリック地獄

それから、おれが初めてチゲ鍋を食べたときのことを2006/10/03「キムチ鍋・チゲ」に書いている。新宿西口の小さな朝鮮料理屋だったのだが「そこへ初めて連れて行ってくれたのは、パク大統領に招待されたことがある半島情報通で知られる某氏だった。それから一緒に、いつも飲んだくれては、何度も行った。そういや、思い出したついでに書いておこう、あのころ某氏とは、新宿東口の百果園の数軒先あたりにあった「麦」という、ばあさんがやっているうらぶれたバーにもよく行ったな。…」この「某氏」は玉城さんのことだ…クリック地獄

彼は、TBSブリタニカの編集長もやっていたことがあって、一時、おれの上司に着任し、おれに編集を仕込もうとしていたのだが、そんなものになる気がないおれに手を焼き、「きみは編集者やライターには向いてない」と、うれしい引導を渡してくれたひとでもある。そして、彼を取締役から解任したのは、おれだった。だけど、そのあとおれと彼は組んで「大仕事」をした。おたがい、あまり世間的な「常識」に拘らない、楽しいつきあいと仕事ができた。

玉城さんについては、まだ書いてないことが、タップリある。新宿二丁目の飲み屋での乱闘とか。おれとアナーキストとして著名な玉川信明さんを引き合わせたのも玉城さんだし。そういえば、玉川さんも、もう鬼籍のひとだな。あのころの彼らは、いまのおれより若かったのだなあ。ま、、なんでも、思想的・政治的・道徳的にしかみれない短絡頑迷な連中が多いなかでは、あまり書かないほうが無難だな。

みんな死んでいく。めしくってセックスして、そのあいだに、そのために、いろいろなことをやって、いいことも悪いこともやって、んで、死ぬのだ。ごくろうさん。

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「糠漬文化人」あるいは「糠漬アーチスト」そして「おかん文化人」など。

Kitakyu_3_takadasake2北九州の「市民プロデューサー講座」9月6日土曜日は、「街じゅうアートin北九州2008」が始まる日で、いつもなら講座に参加する大勢が、そちらのオープニングセレモニーに関係していた。そのなかのお一人、大野浩介さんだが、途中たしか高田酒店で角打ちをしているころに駆けつけた。そして、おれの手に「床漬」を渡すと、また忙しく街じゅうアートのほうへ去った。

その床漬は、大野さんチに100年伝わる糠床で、キャベツ4分の1カットを漬けたものだった。

「床漬」とは「糠漬」のことだが、北九州では独特の文化を形成している。そのことを『雲のうえ』5号「はたらく食堂」に書いた。若松区の駅前食堂で、120年続く糠床の床漬に感動したからだが、それをおぼていて、持ってきてくださったらしい。とにかく、うれしかった。

Kitakyu_4_nukaduke持って帰って、そっと、おれだけで食べたいものだったが、そうはいかない。糠から出したら日持ちはしないから、はやくうまいうちに食べなくてはいけない。というわけで、そのあとすぐ、打上げで行った小倉の居酒屋で切ってもらい、みなで食べた。そのうまさ。みなは、おれが土産にもらったものだということなんか関係ないように、うまいうまいと競って食べる。たちまち鉢の底が見えてくる。おれも負けないように食べていたら、写真を撮るのも忘れ、このアリサマになって、あわてて撮影したのだった。

床漬は、北九州の文化だ。つまり「糠漬文化人」あるいは「糠漬アーチスト」と呼んでいよい人たちがいるはずなのだ。全国的「糠漬」にしても、そうだろう。

だけど、「糠みそクサイ」イコール「生活クサイ」といったことは、これまでの文化だの芸術だのからは、いちばん遠いところにおかれた。

そして、文化だの芸術だのは「糠みそクサイ」イコール「生活クサイ」ことを軽蔑し、「糠みそクサイ」イコール「生活クサイ」ことは、文化だの芸術だのとみなされなかった。糠みそくさくない、生活くさくない、書斎やアトリエや街や自然から、文化や芸術は生まれるのであると。
そして、ともすると「糠みそクサイ」イコール「生活クサイ」連中は、ダサイ「愚民」あつかいされた。
そして、糠みそに手を突っ込んだこともない、文を書いたり絵を描いたりのたぐいをやる連中が、えらそうにしていた。
そして、食や生活を、あるいは街や自然を、趣味や道楽の対象としてしかみないのが、文化や芸術であるかのような風潮も蔓延している。
そして、いまでも、料理を「芸術」だなんていうのは、そういうことに関係があるだろう。
そして、糠みそくさくないイコール生活くさくないものが、「おしゃれ」だの「かわいい」だのということになる。

でもね、そういうものは力強くは生きられない。「糠漬文化人」あるいは「糠漬アーチスト」を含む「おかん文化人」のたくましさが、実際は、これまでも文化や芸術、それに関わる人たちを生み育ててきた。北九州の百年床を食べ考えると、そのことをしみじみおもう。「街じゅうアートin北九州2008」なんてことができる北九州の底力も、この力強い「おかん文化」と関係あるのかもしれない。

ところで、そういう床漬を食べて活躍の、大野さんの名刺の会社名は「株式会社 鎚絵」である。なんとまあ、ユニークな。ちょっと、このサイトの表現では、なにをどうする仕事なのかわかりにくいのだけど、ごらんください。
http://www.tsuchie.jp/
ようするに「鎚」というのは、鍛冶屋の鎚のことで、鍛冶技術を造形技術として、いろいろな分野に展開していこうということなのではないかと思われる。

とにかく、遅くなったけど、大野さん、おいしい床漬、ありがとうございました。大半は、北九州の方が、おいしいといって食べてくださいました。

高田酒店のおばんも「おかん文化人」だった。

Kitakyu_3_takadasake

「これは、糠漬くさいところがよいですね、最高の作品です」とか「すごく生活くさい文化ですね、すばらしい」といった褒め言葉が、もっと通用するようになるとよいのに。

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2008/09/26

悪魔に酒はアタリマエかもしれないが「愛」や「夢」や「おもちゃ」もいる。

きょうは、ひさしぶりに「大悪魔作戦」の日だった。2008/02/29「うたは大事。うたのオベンキョウ」に書いたが、「作戦」とはいえ「プラン」によるものではなく、「関係性」だけのもので、もちろんそこからなにかプランが生まれるかもしれないが、キホンは儲かるかどうか損得ぬきの「関係性」つまり「愛」や「夢」だから、お互いの目先のカネ稼ぎスケジュール優先で細々と続いているわけだな。

ってことで、きょうは朝から日中、新宿にいた。朝の9時半ごろに飲んだ生ビール、うまかった。ついでに忙しくてなかなか会えないタケカメ嬢から、請願用の署名集めを頼まれ用紙をもらう。これがなかなかおもしろいチャレンジで、その署名のタイトルは「『新宿でしぼりたての日本酒を飲みたい!』企画賛同のお願い」というやつだ。

ご存知のように東京にも蔵元はあるが、都心にはない。だけど「蔵元で飲むつくりたての日本酒はおいしい」のだ。そこで「「蔵元自体が消費マーケットである都会に出てくる」という方法があるのではないか」ということなのだ。

「醸し人・村上滋隆は、国酒である日本酒を新宿でていねいに醸造し、しぼりたてをフレッシュなまま飲むことができるようにしたい…… というロマンを持っています。
 趣旨に賛同していただければ幸いです。」

都会のビルのなかで酒を醸造することは、近年どこだったか忘れたがすでにやっている。アボットチョイスのオーナーである柿添さんが以前に、ご自分のブログ(KQZ on authentic)にそのことについて書いておられたと記憶しているが、今回のこの件についても最近、あまり詳しくないが、書かれている。そのあたりが「震源地」らしい。アボットチョイスは毛唐の酒や食べ物を提供しているが、柿添さんは、かなり日本酒(清酒)好きで造詣も深い。

ネットで検索すると村上滋隆さんは、神楽坂に開設を考えておられるようだ。それ以上のことはおれは知らない。とにかく、なかなかおもしろい「愛」と「夢」のある企画なので、署名を集めるのを引き受けて用紙をもらった。これは請願署名で、蔵元開設に請願が必要とは知らなかった。

タケカメ嬢とはほかに「デトロイト・メタル・シティ」のこと。なかなかおもしろかった。「愛」「夢」というとかわいい系に流れやすいし、そちらに憧れやすいが、悪魔系ヘビメタだって「愛」や「夢」に支えられている。「ノー・ミュージック、ノー・ドリーム」。好みはそれぞれだろうが、どんな系統でも、音楽は、すばらしい、ってこってすね。

ところで「大悪魔作戦」のほうは、関係者だけ知っておけばよいことだが、イチオウ書いておく。前回の、新宿下層労働者キモ男がいる近くの焼肉屋だったのだが、そういえば、キモ男は田舎に帰ってしまったのだ。田舎の清らかな水ときれいな空気があわなくて、また戻ってくるのじゃないかなあと思っているのだが、ま、そのことはいいや。今回の「大悪魔作戦」は、なんでか、とくに「おもちゃの研究」になってしまった。

おもちゃというと、おれは日常的には、ほとんど縁がない。もちろん大人には「おとなのおもちゃ」ってのがあるのだが、それだって縁がなかった。ちなみに、きょうの「おもちゃの研究」では、「おとなのおもちゃ」というのは、正しくは(なにが「正しくは」か知らないが)「ジョーク玩具」というのだそうだ。べんきょうになった、知らないことは、まだまだ多い。「大悪魔作戦」、細々だが、回を重ねるにしたがい、広がりと深みと味わいのある「関係性」が築かれていくようだ。来年あたりは、ここから何かプランが生まれるか。生まれると、いいなあ。「ジョーク玩具」も、おもしろくなったりして。そうだ、紀伊国屋書店にならぶような、「ジョーク玩具」の本をつくるってのは、どうだろうか。ぐふふふふ。

きのうやり残した仕事もあって、15時過ぎにはおわり、まっすぐ帰ってきた。あれこれ片付けていたら、めしもくわずに、まもなく23時だ。

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2008/09/25

滋賀県長浜の「まちづくり」を「観光」したこと。中島屋食堂。

Nagahama_hokkoku前に書いたが、北九州の9月6日の「市民プロデューサー講座」に行く途中、4日に滋賀県長浜に寄った。なにやら「まちづくり」関係者のあいだで話題になっているから、ついでに見ておこうというわけだ。

いま「開発途上」の様子で、なかなか面白かった。そのことを書こうと思いながら、ああ、日にちはすぎて、もう9月も終わり。と、今日も、なにやら、まもなく22時過ぎなのだけど、今日中のことが片づいていない。ま、でもマジメに酒も飲まずで見通しもついたから、チョイとブログでも。

とにかく、画像を掲載しておこう。

大雑把に見た感じだと、建造物を中心にした「まちづくり」は、こんなアンバイだ。

レンガ風デザインを取り入れた「近代レトロ風」に建て替えられた駅周辺。駅の西側は琵琶湖に長浜城と竹生島など、ま、昔からの型の観光地だ。

Nagahama_02daitsujiいま話題の「まぢづくり」は、駅東側の、東に向かう駅前通りの北側の地域。駅前通りと交差し、北へのびる北国街道(最初の画像)、その東側に並行する長浜御坊表参道通り(二番目の画像)が囲む地域が中心だ。

駅前通りと平行して北側には、大手門通りというアーケード商店街がある。これが北国街道と長浜御坊表参道通りを結んでいるのだけど、そこが商業地の中心だったところらしい。そして、いま観光地の中心にかわりつつあるといったアンバイなのだな。

Nagahama_03ramenけっこう広い範囲に古い建物があるのだが、それを生かした「まちづくり」で、大手門通りと北国街道が交差するあたりは、「黒壁スクエア」と命名され、テーマパーク化が進んでいる。

三番目の画像の長浜ラーメンは、その一角にあって、古い建物が整備され「ロマネスク五号館」と名づけられ、貸し出されている。このあたりは、こういう建物が多い。また、建物の概観は小樽や門司とちがうが、ガラス館やオルゴール館といったような、比較的新しいテーマパーク的な観光まちづくりが標準的に装備するような「定番アイテム」が揃っている。「まちづくり」イコール「不動産の活性化」ということだろう。

Nagahama_04yokotyoが、しかし、まだ、フツウの商店や住居として機能している古い建物が大半を占め、その暮らしの落ち着きに味がある。長浜御坊表参道通りは、東京でいえば、柴又帝釈天前の通りに例えられそうだが、それより規模が大きい。そして、通りは柴又帝釈天前の通りほどは観光ムンムンではなく、むかしながらの時計屋や「田宮」の看板のある模型屋や、仕立て屋などがあって、模型屋では通りの「和」の雰囲気とはちがう「洋」の懐メロの音を鳴らしていた。一歩路地を入れば、朝顔のつるをはわした格子戸のある家など静かなたたずまいや、傘や、箒や、帽子などの店もあるのだった。

おっと、このへんで。

Nagaham_06nakajimaおれが入ったのは、この中島屋食堂だった。ここは、駅前通りにあって、しかも「まちづくり」が活発な北側ではなく、むかしのやや寂れた商店街がしのばれる南側なのだ。家屋にしても北側ほどの「風格」はないが、窓枠にいたるまで古い木造には、気どらない働く庶民の生活が磨きあげたような、あたたかい輝きがあった。いや実際、その窓枠には、ためいきをついた。めしの味わいも、そのようなものだった。

この食堂のことは、いずれ、ザ大衆食のサイトに掲載する、つもりだ。いい食堂だった。

画像は、人が少ないけど、避けて撮影しているだけで、平日にもかかわらず、観光バスが乗り付けたり、お決まりガハハおばちゃんグループ、若いグループや、1人ブラブラなど、けっこう多彩な観光客がいた。

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素顔のままに。酒は愛か涙かトックリか。

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2008/09/20
「東京・八重洲でアヤシイ社長たち。泥酔。」
の続き。

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2008/09/23

「めし」への思い。「ザ・めし」の人びと。

おまえは今回の「事故米」「汚染米」騒動について、ブログに書かないのかといわれた。書かない。もうウンザリだ。あんたたち「頭のよい人たち」の稼ぎ場にしたまえ。

食料自給率モンダイ、この前のギョーザ騒動、その前のBSE、あれこれ書いた。でも「頭のよい人たち」にはかなわない。それに、みんな「頭のよい人たち」にしか耳を傾けない。おれなんか、ただの下層の便利屋自由文筆労働者、フリーライターだもんね。

書けば繰り返しになるだけだ。食を「栄養」と「グルメ」に矮小化したすえに「食育」。そうだ、ザ大衆食「食育基本法と食育問題のおべんきょう 食育ナンダロアヤシゲ」…クリック地獄から、カンジンなところだけ抜粋しておこう。

…………………………………………

そもそも関係者が「食の乱れ」と騒ぎ立てる問題は、食育の欠落が原因なのか。安全性にせよ、自給率の低下にせよ、食事や料理にゆとりのない生活にせよ、ほとんどは政府と与党の政策によるものである。個別の政策で解決を図るべきことがたくさんある。消費者をダラク者あつかいして、食育でカタをつけようなんて、スジ違いではないか。
  ああ、書いてしまった。これじゃ、食育ネタで声がかからなくなる、稼げなくなる。
  しかし、そうなのだ。国益優先で生活後回し政策を重ねた結果を、消費者のダラクといい、消費者の精神や知能の問題にすりかえたところに、いまの「食育」があるのだ。

けっきょく過去と同じレベルの蒸し返しなのだなあ、と思う。私が、食に特別な関わりを持つようになったのは、一九七一年秋のことだ。ある企画会社に就職し、大手食品メーカーのマーケティングの下請け仕事をやるようになった。そのころすでに問題だったテーマや議論のレベルから一歩も踏み出していない。まったく進歩がない。あいかわらずピントはずれである。

そして消費者は、働くため生きるため、現実的な食を選択するだけである。ダラクといわれようと。「食育」では安全性や自給率の解決にならない。「食育」をまっとうにやるつもりなら、生産者の独善をやめ、消費者の生存の権利として位置づけ深めるべきである。

…………………………………………こんなところか。

なかでも「そもそも関係者が「食の乱れ」と騒ぎ立てる問題は、食育の欠落が原因なのか。安全性にせよ、自給率の低下にせよ、食事や料理にゆとりのない生活にせよ、ほとんどは政府と与党の政策によるものである。個別の政策で解決を図るべきことがたくさんある。消費者をダラク者あつかいして、食育でカタをつけようなんて、スジ違いではないか」ってところと「「食育」をまっとうにやるつもりなら、生産者の独善をやめ、消費者の生存の権利として位置づけ深めるべきである」ってことだろうな。

今回のモンダイについていえば、なんでも消費者のダラクの責任にして、「食育」の御旗を掲げ、「個別の政策で解決を図るべきこと」をやってこなかった、「消費者の生存の権利」を追求してこなかった、その「食育」の旗振り大明神の「栄養士利権」が仕切るらしい「学校給食」に、「事故米」「汚染米」が使用されていたというのは、皮肉というしかない。

もしかして「栄養ボケ」や「グルメぼけ」が「事故米」「汚染米」そして農水省を許してきた、といってみたくなる。

とにかく、今回のジケンは、かなり不可解のことが多い。実被害者が出たギョーザ騒動は、解決のメドもたっていないし、誰も責任はとっていない。そして、今回は、実被害者は出ていないが、なんやら「マスコミ主導」の大騒動。いつもなら「原因究明と解決こそが私の責任」などと開き直るはずの大臣もさっさと辞め(更迭?)、あとは例によって、「頭のよい人たち」やマスコミの独断場ですね。かくてまた「想像的事実」がはびこる。

そんなことなんだけど、しかし、フツウのひとはマットウに『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし」特集を楽しんでいることを考えると、食の未来は、そんなに暗くはないとおもう。ようするに「フツウのめしくう生活」の基本を見失わないことがカンジンなのであり、そういうひとたちは、ちゃんといるのである。と、話を、ここにつなぐのだな。

ブログから、いくつか反応をひろった。ていねいに全部を検索してないから、ほかにもあるだろうけど、ここに見られるのは、「究極のめし」といったグルメのことではなく、日々の「うまいめしをかきこむ喜び」を楽しみにしているひとがいるということだ。

グルメもいいだろう、コンビニ弁当もいいだろう、あやしい学校給食もあるだろう、だけど、スタンダードな「在り方」は「ザ・めし」特集に、うまくまとまっているようである。というふうに見られるのではないかな。「うまいめしをかきこむ喜び」があるフツウの生活を大切にしよう。

気どるな!力強くめしをくえ! ということですね。


「それでも明日はくる」9月18日「見て楽しむ読んで楽しむ食わねども」
http://makoto55.jugem.cc/?eid=1372
面白かったのが「めし喰らい大研究」

「おしゃれ日記」9月14日「ごはん」
http://blog.livedoor.jp/akiradoor/archives/2008-09.html#20080914
ご飯はうまい!

「リリィの羽」9月8日「Meets Regional という才能。」
http://ameblo.jp/nighthare/entry-10136999191.html
ちなみに『ザ・めし』のサブタイトルとして「忘れるな、うまいめしをかきこむ喜びを。」とあります。
ああもう、なんか素敵だ。

「株式会社カナヤマ」9月5日「めしカッ食らう秋の始まり」
http://t-kanayama.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post_3243.html
み〜んなうまそうなんだけど、関西の店だから食いに行けんのよね。札幌にもこんな「街の雑誌」ができんもんかねえ〜。

「なんかぼやいてます」9月2日「食い気に執念深い女」
http://ameblo.jp/nekotorayan/entry-10134698626.html
もう表紙買いしました。

「アロマセラピーサロンNap timeブログ~take a nap~」9月1日「Meets」
http://ameblo.jp/naptime-blog/entry-10134076812.html
ご飯だらけなのでご飯好きの人はぜひ!

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2008/09/22

よーするに「下々が「それぞれ自分の生活をデザインする」こと」だな。

ブログというのは、やりにくいことがある。きのうの続きを書こうと思っていて、なんとなく中原蒼二さんのブログ「吹ク風ト、流ルル水ト。」を見たら、「2008.09.22 Monday 秋雨、降り続く…」に、おれが書きたいとおもっていたような結論が書いてあるのだ。やれやれ。…クリック地獄

2008.09.22 Monday 秋雨、降り続く…

 『神田神保町とヘイ・オン・ワイ―古書とまちづくりの比較社会学』を読む。
 「本によるまちづくり」は可能か否か、という助平ごころがあるのです。
 ただし、おれはこの頃「まちづくり」とか「まちおこし」という言葉が最初に出てくると、そ
 れだけで、あぁーまたかという気分になってしまう。
 お上が主導する「都市計画」が惨憺たる有様なのだから、下々が「それぞれ自分の生
 活をデザインする」ことを繋ぎ、集積して、それがコミュニティになり、町になるといった
 ありかたを、試行錯誤してみてもいいのではないか、この頃、おれは本気でそう思って
 いる。


よーするに、そういうことなのだな。そもそも「まち」は「つくる」ものじゃなくて「在る」ものなのだ。ま、つまり、もし「つくる」ことがあるとしたら、ファンキーにやれる自由、つながる自由をどれだけつくれるかであって、なにやら「芸術」だの「文化」だのに関わる人たちの美学だか価値観だか知らないが、そういうもので場所や街頭を演出することじゃないとおもうわけだ。もちろん、それはあってもよいのだけど、それが「まちづくり」なんてのはオカシイとおもう。まちは、そこに生まれたくなかったひとや、そこでそんな暮らしをしたくなかったひとも含め、「在る」ものではないか。

とくに、「芸術」や「文化」のひとたちというのは、「演出」についてはプロだから、「演出」をこえて「干渉」のようであり、うっとうしい。もっと、それぞれが自分の生活をデザインする延長に「場所」が位置づく関係をつみあげることだとおもうし、そこに芸術なり文化なりが役立つ方向があるようにおもうのだが、それだと、コンニチの「芸術」や「文化」や「伝統」の「まちづくり」にならんわけだな。

散歩ですら「試行錯誤」を避け、ガイドブック片手に「効率よく」行われようとするイジョーな時代だ。自分の「趣味」ではなく、自分の「生活」をデザインする力が基礎にならなくては、積み木崩しみたいな「まちづくり」が続くだろうとおもう。

ついでに。「神田神保町」は、「本屋」「本商売」が多いまちだったかもしれないが、「本のまち」ではなかったとおもう。「大学」あるいは「学術」のまちだったのであり、それの付属あるいは寄生として「本屋」「本商売」が生きてこられた。だから、都心から大学が去るにしたがい衰退した。本が根付いた生活があるまちではなかった。本が根付いた生活を提案する力を持ったまちでもなかった。それはまた、生活ではなく、「大学」あるいは「学術」といったものを中心になりたっていた出版文化と密接だった。一部の人たちから揶揄をこめらていわれることがあった「朝日・岩波文化」なるものとも無関係ではなかったような気もする。おれは、そうおもっている。

詳しくは知らないが、その意味では、都心を離れ高遠の地に「本の家」を始めたのは、とてもファンクでおもしろいとおもう。

一人ひとりがファンキーにやることなのだ。そして、つながることなのだ。

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2008/09/21

「負の遺産」とかいうが、それは「正の遺産」と一体なのだ。

右のコメント欄に藤本男さんが書いていて、メールもいただいているが、おかげさまで『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし特集」は絶好調とのことだ。「飲みにいって快哉をあげたい」ほどらしい。おれも飲みたいよ~。大阪まで飲みに行くか。でも、まだまだ、もっともっと、多くのひとに読んでほしい「ザ・めし」なのだ。

09kitakyu_kokuraekiところで、最初の画像は北九州市の小倉駅だ。頭上のレールはモノレールだが、この位置の左手、つまり小倉駅を背にして、すぐ右手は、いわゆる歓楽街あるいはピンクゾーンといわれるところだ。それも、歌舞伎町のように何階建てものビルが並ぶところではなく、低い、それこそ昭和30年代風の小さな営業店が多い。まさに昭和の歓楽街といったほうがよいだろう。

09kitakyu_kokura_nomiyoko二番目の画像が、最初の画像を撮影しているデッキの左手下、駅前大通りに面してある、その一角への一つの入り口だ。いかがわしさムンムンの雑居ビル、「大丸ビル名店街」の看板。なるほどな~、世間には、いろいろな名店があるのさ。

この1階の通路は立ち飲みが多い。撮影したのは14時ごろだけど、もちろん、飲んでいるひとがいる。たいがいは、そんなに安くはない。そんなに安くはないが、こういうところでないと落ち着いて飲めない、こういうところのほうが落ち着いて飲めるというひともいる。

入り口の中央に、「小倉駅西地区再開発準備組合事務所」という看板がある。そういうことらしい。

三番目の画像は、二番目の画像の通路をぬけて、反対側から撮影した。右手前、見よ「名画座」ここにあり。成人映画専門館であるが、ヤマザキ監督が得意とする?バラ族専門館でもある。テレビやビデオの時代に、劇場映画を愛してきたのは誰か。その先にストリップ劇場。ナマの舞台を愛してきたのは誰か。その先に「大丸ビル名店街」の裏側が見えている。ここならではの名店街であるには、ちがいない。ま、こんなアンバイの一角なのだ。

09kitakyu_kokura_pinku2_2いま、「まちづくり」「再開発」というと、こういう景色は「負の遺産」として始末されるのが前提になっている。

そのことに異論を唱えるつもりはない。では、そのときの「正の遺産」とは、なんなのだということを問いたいのだ。この北九州のことではなくて、ちかごろ気になる傾向として、こういう、「一般的」に印象がよくないことにおいてわかりやすい景色を「負の遺産」として排除することで、あたかも自分たちの「芸術」や「文化」や「伝統」などの「まちづくり」が「正の遺産」を継承しているかのような主張をモンダイにしたいのだな。

おっと忙しい。続きは、あとで。

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2008/09/20

東京・八重洲でアヤシイ社長たち。泥酔。

0919yaesu_rojiああ、雨の八重洲裏通り。

きのうは会社プレイの日だ。台風接近中、荒れ模様が似合う連中だからいいだろう。今後の動静を握るといわれているフィクサー、某社の社長らと飲むのだ。ヤクザな連中のはずなのに、ネクタイ、上着着用だという。政治家もそうだが、悪いやつらほど、かっこうつけたがる。10数年ぶりに夏用スーツを着ようとしたら、体重は変らないのに腹が出てパンツのファスナーが閉まらない。たくましかった胸毛が10センチほどある厚い胸板や盛り上がっていた肩の筋肉が落ちて腹にたまりやがった。いつものチノパンに、白ワイシャツにネクタイ、上着で出かける。

東京は八重洲の飲み屋、17時半の待ち合わせ。今夜の風雲をつげるような、アヤシイ黒い雲が空を覆っていたが、まだ雨は降っていなかった。

0919yaesu_hukube_1飲み屋のおやじにまで「社長」とよばれる男、坊主頭で見るからにアヤシイ。色白の腰ぎんちゃくのような男も、やや長めではあるが、これも坊主頭。ダークの、高そうなスーツを着ている。悪いことをしているのだろう。社長の命令とあらば、ケツの穴まで差し出しそうだし、なんでもやりそうな男だ。ナントカという兵法学者のファンだそうで、戦略室長なんていうエラソウな肩書。

ちょうど、出張所から支社に格上げになったばかりというハワイ支社長という男もいて、この男だけはアロハシャツを着ている。売人のような感じであり、実態はそうなのかもしれない。スラリとしたピンクのシャツを着た30ぐらいの女は、旅行旅館部門の部長とのことだ。東南アジア系の顔で清純そうだが、ものおじしないかなりふてぶてしい態度で食べまくる。まっとうな旅行旅館ではなく密入国や出国あるいはウラ金融などをあつかっているのではないかとおもわれる。いずれも油断ならない。

遅れて、某役所に出向中という係長が来た。みるからに小役人の風情だが、こういうやつにかぎって弱そうなマジメなふりして、アクドイことを平気でやる。いったい、この会社が役所に出向させるなんて、どういう癒着関係なのか、じつにアヤシイ。最後に、社長秘書という女があらわれた。これまた、いかにも、社長のためなら、相手が見たくないといっても服を脱ぎそうな女で、仕事はできそうだが敵にまわすとこわそうな女、アヤシイ。社長を影であやつるサドマゾ女のようにおもえる。

マグロのヒレの付け根の肉の蒸し焼き。刺し盛りなど、めずらしく豪華な肴。おれは生ビール二杯のち、ボトルでとった焼酎。取り引きの話は順調にすすみ、トウゼン飲み代は社長が払うものとおもっていたのに、割り勘! そんなのありか。

にもかかわらず、もう1軒というので、もう1軒。八重洲あたりのビジネスなファッションの若い男女で混雑のモンテローザ系。やつらはこういうところで飲んでいるのか。サブマネージャーみたいな店員の態度が悪くむかつき喧嘩になりそうだったが、社長たちがいたので、ちょっとクレームつけただけで、こらえる。

0919yaesu_hukube_4まだまだ、もう1軒、「ふくべ」。一年前ぐらいに牧野さんと入って以来だ。この時間帯のほうが空いているのかもしれない。閉店まで。かなり雨足が強くなっていたが、酔いも深い。東京駅で、アヤシイ社長らはまだどこかへ行くという。社長秘書が一緒だから、カラオケで乱交でもやるのだろう。あの男たちは、みな社長秘書に頭があがらなさそうだった。旅行旅館部門の部長女は従わず、おれと改札をとおる。もしかしておれとホテルへでも行く気かと期待したがさにあらず、部長女はおれとは別の電車に乗るため別れる。そのあたりで記憶喪失帰宅。

取り引きの証拠を残すため、ふくべで社長と社長秘書を撮影したら、いい雰囲気なので、おそるおそるブログに画像を載せてもよいか訊ねるとよいという返事だった。うーむ、よくできている。まるで舞台で芝居をしているみたいだ。アヤシイ。社長はなかなかの役者だ。楽しかった。八重洲あたりじゃ、これがフツウだろうが、ひさしぶりにネクタイで酒を飲んだ。悪くない。

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2008/09/19

北九州・小倉、深夜の屋台、丸和前ラーメンのにぎわい。

09kitakyu_maruwamaeすでに書いたように9月6日の土曜日は北九州市で市民プロデューサー講座「エンテツと街を歩こう」だった。前夜、正体を失うほど飲んだが、なんらモンダイはなく、内容的に無事だったかどうかはともかく、無事に歩きまわり、4時半ごろには鉄なべでぎょうざとビールをやり、そのあと角打ち二軒はしごし、そのまま小倉の居酒屋で宴会的講座に入った。

25時過ぎ、つまり7日の午前1時過ぎまで飲み、宿泊していたホテルの近くだったから中原さんと歩いてホテルまでもどり、そこでおれは部屋に入らず、1人で人影のなくなった旦過市場をぬけ、丸和前ラーメンを食べに行った。

画像の撮影時間では、午前1時半ごろだ。土曜の夜とはいえ、なんというにぎわい。

テーブル席は一杯で、テキトウに丸いすに座ってラーメンを頼むと、手の上に折りたたんだタオルをのせてくれる。できあがったラーメンは、その上にのせられる。酒のあとに、そうやってすするラーメンがうめえんだな。

この時間、小倉のほかの地域を歩いたことがないのでわからないが、ここがイチバンにぎやかなのではないか。丸和前ラーメンも、たしか4時まで営業のはずだ。

「丸和前」というのは、この画像を撮影している背中あたり、そこは旦過市場の小倉駅に近いほうの入り口になるのだけど、その角に「丸和」という24時間営業のスーパーがあるからだ。

こんな時間にここがにぎわう、小倉の地理的環境は、なかなかおもしろいものがあるようにおもった。「まちづくり」ということも、こういうところから考えるとおもしろい。そのことは、そのうちボチボチ書いていこう。

と、忘れないうちに書いておく。

北九州でも、小倉には小倉の、戸畑には戸畑の、若松には若松の…在り方があり、それはまた、トウゼン愛媛の西条の在り方ともちがう。そんなことは、こうして書けばアタリメエだろというものだが、「まちづくり」だの「都市計画」だの「都市再開発」だのってことになると、そういうちがう在り方が無視され、どこでも似たようなことをやるのだから、いとオカシイ。

それは、味覚は一人ひとりのものといいながら、一律におなじものさしで評価したり管理したりするごとし。

しかし、この丸和前ラーメンのラーメンは、飲んだあとにはピッタリだね。

丸和前ラーメンは、『雲のうえ』5号でも取材したし、以前にも書いている。
2007/09/08「もっと屋台、もっと屋台的に」

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2008/09/18

藤田家族の有機菜園だより。

さらにまた、きのうの続き。

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藤田さんのブログにも載っているが、藤田家族では「藤田家族の有機菜園だより」というのを発行している。手書き、手づくりだ。おれが頂戴してきたのは、2008年8月~9月 vol.23。

トップ記事の見出しは「記録的な少雨の夏に畑は乾燥極まる」。画像で読めるだろう、本文には「茄子、ピーマン、オクラなども大きくならず、畑によっては樹そのものが枯死するものも出ています。水やりには限度があり、出荷も野菜セットに注力してなんとか量を確保しています。ま、いつかは降ってくれるでしょうが、それまで我慢比べ!?」

おれも畑で枯れた樹をみてきた。月刊経済誌『グローバルヴィジョン』10月号に藤田さんの寄稿がある。そのコピーも頂戴してきたのだが、「農のある暮らし」で「自然とたたかう」という見出し。

朝4時台に家を出て田畑の仕事、もどってきて野菜セットづくり、また田畑にもどり「日没後の暗闘での水やりを終え帰宅すると8時近い。子どもたちもバレーボールの練習で同じ頃に戻り、家族みんなで遅めの晩ごはん」といった感じで、日記風に暮らしぶりを綴っている。

そこにも少雨のことが書いてある。「午前中、野菜セットづくり。ほんの2~3週間前までは出荷し切れないほどたくさんの実をつけた茄子やトマト類が、急に勢いを失い、セットの数が多い今日は胃が痛くなりそうな分配の作業」「畑の野菜にとっても試練である」「うちの菜園では基本的に畑の水やりはしない。昨年も一昨年も暑い夏ではあったが、台風も近づき、それなりの雨量があった。研修先でも灌水は皆無に近かったのだが、今年のような乾いた夏が繰り返されるようだと厳しい」「「夏には夏野菜を」とたっぷり作付けたはずが、乾燥で品薄となり心苦しい。しかも暑さで傷まないよう冷蔵の宅配便で送るのだから、「自然にさからわず」「省エネで」という有機農業も、わかってはいるけど、自然とたたかう面が大きいことを痛感する」

なかなか発芽しないニンジンに水をやった。「しかし、逆に水を得て次々と芽を出す草を見ると、連日の骨折りが徒労に終わらないかと心配になる」

そんななかで、手書きでつくられる、「藤田家族の有機菜園だより」だ。

「秋冬野菜'08-'09気持ちだけオーナー 大募集」の記事。「ある野菜の生育のようすを気にかけてくださるだけの気持ちだけオーナー。援農不要、会費不要、名のりを上げるだけでOKです。野菜セットのお客様か、一度だけでも畑を見に来て下さる方が対象。初収穫時に1パック無料贈呈します。大根、人参、キャベツ、レタス、白菜など多種あり。詳しくはお問い合わせください」とある。近くに住んでいたら、気持ちだけオーナーも援農もやりたいところだ。

裏面には、ブログにも載る「畑のめぐみをそのままに 藤田家族の食卓から」や、「稲刈り援農募集!お子さん連れもどうぞ!!」などの記事。

西条市は、二毛作ができる温暖な気候で、たいがいのものはなんでも作れるのだそうだ。だけど、なんでもできるということは、なにか特徴のあるものが打ち出しにくい。そういう悩みは、この春の食とまちづくりの取材でも、ほかの地域で聞いた。いま情報社会では、なにか柱になる一本を持たないと、やりにくいという面があるのだな。

それは、個別の農家にとっても、同じことがいえるようだ。藤田家族も近隣消費の野菜セットが基本ではあるけど、就農から3年すぎて、なにかあるていどまとめて出荷ができる特徴あるものを待ちたいと藤田さんはいっていた。経営の安定のためにも、そうなのだろう。

当面まあまあ成り立つのだが、先を考えるとこれだけではイケナイという、似たようなモンダイは、あり方はちがっても、たいがいのところにある。存在のための、なかなか難しいモンダイなのだな。

西条市あたりは、藤田家族のような家族経営や、兼業経営の、少量多品種生産が、アンガイあっているのかもしれないし、これからはとくに、土地と歴史によって、かなりやり方が異なってくるだろうし、ちがわなくてはいけないような気がするのだが…。兼業も、あり方がさまざまで、地域内の企業に従事するのが一般的だったし、自営的なものでは観光農園みたいなのはよくあるけど、近頃は飲食店やケーキ屋や豆腐屋など自衛的ともいえる自営的兼業というか…。

まずは、西条市や周辺にお知り合いがいたら、藤田家族のことを教えてあげてください。
そうそう、西条市には、藤田さんのような新規就農の方が、40数世帯ほど?いるような話だったとおもう。

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2008/09/17

百姓になって3年、毎日出荷の休日なし愛媛・西条市「有機菜園 藤田家族」。

きのうの続き。

藤田家族の住まいは、伊予西条駅から3キロばかりの西条市飯岡にある。もとは農家の一軒家を借りている。

「有機菜園 藤田家族」の様子を、おれが聞いた話と、『土と健康』2008年3月号(日本有機農業研究会)に藤田さんが寄稿した「毎日出荷の休日なし農家」から、まとめてみよう。

飯岡は、市の中心部で18歳まで暮らした藤田さんにとっては、隣の小学校区。「大阪・泉州生まれの妻と神奈川・三浦半島で生まれ育った子ども二人にとっては未知の土地。その市街から3キロほどの緩やかな丘陵地に約8反の田んぼを預かり、自給用の米と露地野菜をあれこれ少しずつ作ってはあちこちに売る暮らしがなんとか定着してきた」。

「就農後すぐに始めた野菜セットは友人・知人の多い首都圏や関西が約半分を占めるが、菜園全体の出荷量の約7割は市内(人口約12万)で消費・購買されている」。

遠く離れた大消費地依存の経営とはちがう姿がみられる。有機栽培経営にとっては望ましいことだろう。有機栽培ものは、たしかにうまいけど、それをうまいうちに食べてもらうには、近隣消費が望ましい関係がある。有機栽培も追及しないで「地産地消」だけ謳うのは片手落ちだろう。

ただし、近隣消費に対応するには「土日祝日なし、雨雪台風関係なし、声が掛れば即出動の出荷体制である」。実際、藤田さんは市内配達で忙しそうだった。

「県内でも珍しく人口が増えており、マンションや郊外型店舗も新設が続く西条は、土の匂いのしない大都市とも、人の気配のない過疎地とも違う。「野菜はみんな家の畑で作ってる。有機だからって高く買う客がいるのか」。逆に「有機農業なら、もっと山奥がいいのでは」……。そんな問いは外からも、そして自分の中にもあった」

市の中心部の商店街は、かなりの衰退ぶりだったが、そこ以外、全体的には、そんなに「落剥」の気配はなく、落ち着いた暮らしやすそうな印象だった。

「しかし、始めてみればお客さんはいた。生産者の顔が見える、新鮮な、"安心・安全"な野菜や食べ物が求められる土壌は、先輩たちが作ってくれていたのだと思う。もちろん販路開拓は簡単ではない。売り先が1軒増えるのは、本当に何かの偶然やありがたい出会いから。作れば売れるというほど現実は易しくない。だけれど種は播かなきゃ芽は出ない、始めなければ始まらない。3度目の温床づくりで落ち葉を踏み込みながら、そんなことをまた思っている」

とりあえず、きょうは、こんなところで。
って、ほとんど藤田さんが書いた引用でおわった。
ちょっと忙しいものでね。

08_hujita_hatake「藤田家族」の畑。白い建物は小学校。小学校の左手の家の周辺の畑は違うが、小学校のところまであたりと、左手の画像からはみだしている奥までが藤田さんの耕作地。この夏、熱暑と降水不足に悩まされ、枯れてしまったものや、草とりが追いつかず草が野蛮にのびた畝もある。きのうのエントリーで藤田さんが写っている画像は、草が野蛮に伸び放置プレイ状態の畝の中に、もともと植えてあったゴーヤが実をつけ、熟れて種まではらんでいるのをみつけ、藤田さんがなんでかよろこんでいるの絵なのだ。藤田家族の畑は、ほかに2か所だったかな?

08_hujita_yama_2その畑を撮影したあたりから、畑と反対側を望んだ景色。西条市は四国山脈と瀬戸内海のあいだにあるのだけど、藤田家族の菜園は山側に近い、そして海に近い西条市街地にむかってくだる、緩やかな傾斜地にある。ハスの畑は藤田さんではなく、そのむこうに国道があって、国道のむこうの旧道らしきに家が連なっている。そのあたりに藤田さんの借家があり、そこと国道のあいだにも、藤田家族の畑がある。

08_hujita_sosui畑横の道路の疎水。きのうのエントリーからリンクがあるザ大衆食のページに書いたが、西条市は湧水が豊富なまちで、飲めるきれいな水が、あちこちで湧いている。疎水にも、飲めそうなほどきれいで豊富な水が、音をたてて流れている。でも、畑には、降水が必要なのであり、豊かに流れる水をながめながら、天をにらみ「雨が降ってくれないかなあ」と胃が痛む思いをするらしい。

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2008/09/16

愛媛・西条市。百姓になって3年の「有機菜園 藤田家族」。

08_hujita_san東京の実力ある出版社で編集者をしていた藤田敏さんが百姓になったことは、以前に書いた。9月8日、北九州で仕事を終えたあと、その地、愛媛県西条市の藤田家族を訪ねた。

その朝、ホテルを出るときも、小倉駅に着いてからも、行き先は決まっていなかった。とにかくまっすぐは帰らないということだけはハッキリしていた。そうだ、藤田さんのところへ行くのはどうだろうかとおもい、切符売場で時刻表を調べた。すると、9時半ごろの新幹線に乗れば、岡山乗換えで、13時10分ごろに予讃線伊予西条駅に着くのがわかった。なーんだ、意外に簡単だ。

藤田さんに電話をすると、晴れて百姓の野良仕事日和だったが、朝のためもあってかつかまった。「いまから行くけど、よいか?」、押しかけ訪問だ。

そして、藤田さんと、たぶん4年か5年ぶりぐらいに再会した。

…という話を書きたいのだが、チトあわただしい。
とりあえず、ザ大衆食のサイトに「四国は愛媛県・西条市 加茂川の河川敷で「いもたき」」を掲載してある。そちらをご覧ください。「いもたき」会場のようす、そのとき初めてたべた乾麺の中華めん、西条の特徴などの画像もある。…クリック地獄

着いた当日、トツゼンの訪問にも関わらず、市役所の就農や援農を支援する、藤田さんがお世話になっている若い仲間のみなさんも一緒に、河原で「いもたき」をやりながら飲みかつ歓談する機会をもうけてもらった。藤田さんやみなさんの話は、とても勉強になった。

むかしからの農家や、脱サラして農業に就いた、おれの知り合いのなかで、藤田さんのところが、イチバン気候的風土的にめぐまれているようにおもえた。だけど、それはそれで悩みの種にもなるのだな。ただ、自家用中心に田舎ぐらし農業をやりたいというひとにとっては、その条件は、いいだけかもしれない。となれば「楽農都市」建設も夢ではないかもしれない。

自家用とはちがい、田畑8反を経営する、面積的には立派な農家の「藤田家族」。3年がすぎ、これからが正念場のようだが、たのしみだ。

奥さんにも、2人のお子さんのうちの1人にも、初めて会った。
藤田さんは、土に鍛えられた手をしていたが、どことなく、身体から都会の編集者の空気が漂っていた。あるいは、これからの農業者には、そういうひとも必要なような気がする。農業も、ファンキーな経営者が必要なのだ。

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藤田さんのブログ「38歳からの百姓志願~実践編」には、すでに「エンテツさん、西条上陸! 」のエントリーがある。…クリック地獄

続きは、ここに書き足すか、あらたにエントリーをたてるかします。

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2008/09/15

北九州の気になるカラーのフシギ、不思議。

Kitakyu_iro05長浜のことも書きたいし、西条のことも書きたい、六日町の万盛庵で食べたものも書きたい、あれも書きたいこれも書きたい。だから、北九州のことは、とりあえず打ち止めにしたく、きのうのエントリーに、「北九州市には、フツウの生活が胸張って呼吸している地域がたくさんあるようにおもう」と加筆し、もう加筆も修正もしないことにした。

だけど、北九州について、前から、どうしても気になることがあるので、これだけは備忘の意味もあって書いておく。

北九州の建物の壁面の色だ。目立つ。気になる。コレ、なんといったらよいか、それは確かに、パーセントでいえば、ほかの都市のどこでもあるような色の建物が多いのだけど、その占める割合は、ほかの都市とくらべたらあきらかに低い。かわって、けっこう、ど派手な濃いいカラーが目立つ。それが大きな建物だけじゃなく、きのうのエントリーにあるような銭湯まで。

Kitakyu_iro01若戸大橋をクルマでわたると、海側は工場地帯で、山側に広がる街の景観がパノラマ状に見られるのだが、その建物の色が、ほかの都市のように単調でない。そして、単調な中に、ときたま目立つ色がある、なんてものじゃないのだ。どうして、こんなに色をつかうの、こういう色づかいは街中にあまりないよな~、おもしれ~。なのだ。

とりあえず歩いている最中に拾った画像を載せておく。

なぜなのだ。北九州は、やはり、アートなまちなのか?

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最後の画像、ラブホじゃない、マンションだよ。

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2008/09/14

エンテツと街を歩こうin北九州。アートな若戸大橋の楽しみ方…フツウの生活のありがたさ。

Kitakyu_3_tosen1「アートな若戸大橋の楽しみ方」だが、まえがき、能書きのようなものが長すぎた。今回で最後にしよう。

自分も関わっていることだが、ちかごろ「文化」だの「芸術」だのというまちや連中が増えているけど、うっとうしい。ロクなものでないとおもうことが、たびたびある。

それにくらべたら、今回、たまたまフラフラすることになった、若戸大橋のたもとになる戸畑駅の北側と洞海湾をはさんで向かい合う若松側周辺は、ゆったりとした時間が流れるところで、いま「文化」だの「芸術」だのといわれるものから、まことに縁遠い。かつての石炭や鉄の時代の繁栄とコンニチの落剥が話題になるらしい地域だけど、ここには別の「アート」(「文化」だの「芸術」だのをまとめてこういってしまうが)な暮らしがあるのじゃあんまいかとおもって、あえて、「アートな若戸大橋の楽しみ方」とした。

よーするに、「文化」だ「芸術」だのと騒ぐのは、「クリエイティブ・クラス」といった連中が「クラス」といわれるほど増えてしまった、ひとつのセツナイ情報社会あんど消費社会のアリサマでもあるのだけど、「アート」だのといって、やたら人を集めたり、衆目を集めたりしなくてはならない。そこでは演出という干渉が、日常のことになっている。まちを歩けば、クリエイターやアーチストといったひとたちが一役買った演出という干渉が、あふれている。イベントが多い、イベント性の高い街である。

ウルサイんだよ、ほっといてくれ、てめえらが好きでやっていることを、「まちづくり」だのなんだとのといって、街の空間を占領し、おれたちに押し付けないでくれ、「アート」でもなんでもない、単なる騒音や落書きとおなじだ。と、いいたくなるほどだ。

コワイのは、そういいながら、日々の、そういう喧騒に巻き込まれ、自分を見失うことだろう。そんな不安もある。だからね、そんないまどきの「アート」なまちづくりとは縁がなさそうな街を歩くと、失われたものごとを見つけ、とても癒される。そこにある「フツウの生活のありがたさ」をしみじみ感じる。

Kitakyu_3_tosen2_2そもそも地元の人には「ポンポン船」と時代がかった呼び方で親しまれている、若戸の渡船だが、まったく装飾性イベント性のない生活の実用である。100円払って、これに乗れば、にぎやかな街を埋めつくす文化的野望や芸術的野望から自由になれる。そこに自転車をかかえて乗っている人びとは、ワレワレのように写真を撮ることもなく、ただじっと船の外を眺めている。日常の中で、なにもせず、静かにじっと景色をながめる時間、これも「アート」に追い立てられるあわただしい生活が失ったことではないだろうか。

Kitakyu_3_turi見よ、堤防の突端で、居眠りな感じで、のんびり釣りをするひと。独創的な時間の過ごし方だ。彼こそナマのアーチストではないかとおもう。ナマの暮らしで、こんな時間をつくりだすアーチストは、すばらしい。

Kitakyu_iro04あるいは、銭湯「中将湯」も、すばらしい街角アートフルなカラーだけど、その向こうには若戸大橋が見え、そして、銭湯の先隣の建物の前ではオヤジがイスに腰掛けている。銭湯のあとの、夕涼みだろうか。彼は、それが生活の日課であるのか、そうでないにしても、すでに数え切れないほど、そこでそのように時間をすごしてきたにちがいない。その間に、道路や建物のようすも変わったであろうが、彼は、そこに座り続けてきたと想像できる姿だ。それが彼にとって「まちで生きる」ことであり、欠かせない一つのようにおもえた。釣り人も夕涼み人も、派手なパフォーマンスをしているわけじゃないし、アーチストではないかもしれないが、まちがいなく、わがまちのアートな存在なのだ。

Kitakyu_3_tetunabe渡船に乗る前に立ち寄った戸畑の「海岸食堂」のおばさんも、そこで下着姿でめしをくっていた赤銅色のオヤジも、「話芸は芸術」なんていっている連中より、はるかに巧みな即席の会話をする。若松の有名な、ぎょうざの「鉄なべ」。ぎょうざを焼く鉄なべごと出てくる、そのぎょうざがすごくうまいのはもちろん、働く重み、生きる重みまで味わえる。そもそも一日に、何個だったか、千数百個だったかな? 客席のそばで、小さくちぎった粉の練り玉を棒でのばしては、それでアンを包み、ぎょうざをつくる作業の繰り返し。そういう日々を生きてきた、ぎょうざアーチストおばちゃんは、ぎょうざを焼きながら、働くひとに厳しい言葉を放ったりしながら、カメラをかまえるおれに何回かポーズをとってくれた。プリントを送る約束をしてきた。いい交流。

働く重み、生きる重み、だからこその、釣りや夕涼みの味わいがある、食べる楽しみがある。そんな暮らしが、2008/09/11「エンテツと街を歩こうin北九州。アートな若戸大橋の楽しみ方…力強さのヒミツ。」に書いたように、実用の大橋の姿である若戸大橋のたもとにある。大橋も渡船も暮らしも、そのように共に在って、続いている。

過剰な演出の少ない、フツウの生活の景色を味わいながら、それを大切にし、自分の姿を見失わないように生きたい、なーんて、おもうのだった。そして大橋が見える角打ちで、いい心地になるのだった。

こんな散歩ができる街があるって、いいとおもう。
消費にまみれた文化や芸術のアカを洗い落とすと、じつにすがすがしい風呂上りのような気分になれる。
イベントやイベント性にあまりふりまわされない、フツウの生活のよさが、もっと評価される文化や芸術がほしい。
北九州市には、フツウの生活が胸張って呼吸している地域がたくさんあるようにおもう。

コツコツ働く暮らしをわきにおいて、「文化」だ「芸術」だという連中がのさばるようになった社会やまちは衰退しても仕方ないかな。生きる重みも働く重みも見据えられないような、自分たちがはしゃぐだけの文化だの芸術のまちづくりや食には、未来はないさ。

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2008/09/12エンテツと街を歩こうin北九州。アートな若戸大橋の楽しみ方…共に在る輝きを見よ。

2008/09/11
エンテツと街を歩こうin北九州。アートな若戸大橋の楽しみ方…力強さのヒミツ。

2008/09/10
エンテツと街を歩こう in 北九州。

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2008/09/13

稲刈り近い南魚沼は六日町、万盛庵泥酔、ホテル宮又温泉泊。

Muikamachi_tanboまだ北九州の話は終わってないのだが。きのう、故郷の南魚沼は六日町の万盛庵で中学同期有志の飲み会。前日クボシュンさんからも電話があった。やることあるし疲れている感じだし、日帰りしようかどうしようか決められないまま行く。長いトンネルをぬけると、魚沼コシヒカリのたんぼが、稲刈り間近という感じで色づいていた。そういえば、明日の日曜日は、高千代酒造の酒造用自家栽培米の稲刈りだそうだ。

Muikamachi_miyamata_2六日町に着いたら、やっぱり飲んでから帰る元気がない。ホテル宮又に宿をとる。朝食付き4500円。宮又と万盛庵は1分ぐらいの距離だから、万盛庵で飲んで泊まるに絶好。大きなホテルなら部屋と食堂を行き来するようなもんだから、おれにとっては、万盛庵は宮又の「食堂部」のようなものでもある。それに宮又の、外観にも漂う、「質実」がいい。なにもかも過剰な時代に、温泉があればよいという感じの湯量だけは贅沢に流れっぱなしの風呂場もそうだけど、山奥の湯治場のような雰囲気と、これこそ「実質というサービスです」といった感じの、装飾やひとの演出や干渉が少ない「素なほったらかし」がいい。80歳代なかごろだろうニタリのばあさん女将が元気なのも、なにより。

Muikamachi_mansei_217時半ごろから飲み始める。生ビール。朝から腹も空いていたので、ラーメンも頼む。すぐコバとイサオがあらわれる。考えたら、六日町は、きょねん11月12日の飲み会以来だ。今年は、高千代酒造の蔵開きやファンの集いにも都合が悪くて行けなかった。ひさしぶりの面々は、シュンスケ、トシミ、モリオが加わり、もちろんエッチャンも。

まいどのことながら、とにかく、よく食べ、よく飲み、よくしゃべった。おれは生ビール3杯のち、高千代辛口をコップで4杯までは覚えている。宮又にもどってから温泉に入ったことも覚えている。

泥酔したが、しっかり食べながら飲んだせいか、悪酔いは残らなかった。きょう朝、目が覚め、坂戸山に登ろうとおもっていたが、障子窓を開けると外は雨だった。部屋から拝み写真を撮り(下の画像)、温泉につかって帰ってきた。

Muikamachi_sakado

なんとなく肉体が疲れている感じだ。この10日間のあいだ、動きまわり飲みまくりすぎか? トシかねえ。とにかく、このブログは頭で書いているんじゃなくて、指が勝手に動いてキーを叩いているものだから、疲れすぎると、なかなか指が動かず書けない。

万盛庵のセガレのブログ「万盛庵通信」…クリック地獄

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2008/09/12

エンテツと街を歩こうin北九州。アートな若戸大橋の楽しみ方…共に在る輝きを見よ。

Kitakyu_iro03恋愛小説より恋愛が先にあった。だけど恋愛小説ができると、人びとは恋愛小説のような恋愛を願うようになった。さらに恋愛小説がゴキブリのように増えると、いったいどのゴキブリが正しくおいしいのかを論じる評論が盛んになり、人びとは評論にみちびかれ恋愛小説を選び、その恋愛小説のような恋愛を願うようになった。そのようにして、恋愛小説より先にあったはずの恋愛は忘れられ、メディアがふりまく恋愛小説や評論に恋愛がふりまわされることになった。いまや恋愛は、メディアのハウツーに導かれるほどになってしまった。いったい、あの「場所」にあるはずの、自分の肉体で感じるべき「恋」や「愛」は、どこへ行ってしまったのか。

Kitakyu_2_totiというたとえを出して、これは味覚についても、たいがいのことについて言えることなんだけど、もう一度、「場所」にかえる観光のススメが第二話なのだ。

もちろん「場所」だってメディアではある。こうして写真をみれば、それがよくわかる。つまり写真というメディアの以前に「場所」というメディアが存在していることを、写真というメディアは教えてくれる。視覚的ではない文章は、たいがい、たとえば恋愛小説のように、「場所」から人びとをひきはなしてしまう。

Kitakyu_2_ebisuもっとも存在の原初的なメディアである「場所」にかえろう。とくに活字メディアやテレビなどによって、脳に注入された諸々から自由になり「場所」にかえろう。若戸大橋の一部がある景色を眺めながらね。

で、わが尊敬する原口剛さんは、バイトのコンビニでの商品の棚出し棚入れ作業が素早いだけじゃなく、『こころのたねとして』(ココルーム文庫)に、こう書いている。

「場所というメディアに特有の性質は、共に在ることを可能にし、また共に在るという地点から出発するしかない、というところにある」

そんなわけで、鉄の若戸大橋と共に在る「場所」を画像にしてみると、ようするに生活の場においては、たいがい共に在るのだ。人びとはもちろん、新も旧も、工業文明も非工業文明も、メディアによって観念的に敵対関係や二者択一関係のように語られている、なにもかもが、共に在る。だから、観念的な価値観や「まちづくり標語」や「まちづくり憲章」といった尺度を用いずに、「共に在るという地点から出発するしかない」というところにたつことだ。共に在る在り方を、そこから見つけられるはずだし、そうしたいとおもう。

まずは、よいか悪いかではなく、生活の場に共に在る、その輝きを考えてみようという話しなのだが、じつは、これから出かけなくてはならないから、画像だけアップしときます。

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2008/09/11

エンテツと街を歩こうin北九州。アートな若戸大橋の楽しみ方…力強さのヒミツ。

Kitakyu09_hasi_tobaeki戸畑駅のホームからは、街並みの中に若戸大橋が見える。やや高い位置のそこからは、見方によっては、大橋は街並みの上をまたいでいるようでもある。街並みの上をまたいでいるように見える橋というと、自動車道などの道路がフツウだとおもうが、そのほとんどどはつり橋ではない。だけど、大橋は洞海湾をまたぐつり橋であり、つり橋ならではの美しさがある。しかし、その美しい姿は、いくつかの建物にさえぎられ、部分しか見えない。そこがオモシロイとおもうのだが、全貌が見えない橋は、観光的あるいは芸術的な橋の景色としては失格なのか、写真や絵ではあまり見かけない。

一年前の8月。その日の朝、戸畑駅北側のすぐそば、駅のホームから見える「まんなおし食堂」で、5日間ほど続いた『雲のうえ』5号食堂特集の最後の取材を終えたおれは、そのままJR線で山口県下関へ向かって北九州を離れるため、戸畑駅のホームに立ち、その景色を初めて見た。ちょっと「感動した」というと大げさだが、ま、そういうことだ、胸がときめいた。

それは大橋の景観というより、大橋がある景色であり、街の中の大橋、暮らしの中の大橋なのだ。ホラこれが若戸大橋だヨというかんじの観光写真のような類いとは、かなりちがう。はるかに日常的で身近な景色といえる。何気なくそこに見える、何気ない景色。だから見過ごされやすいかもしれないが、ちょっとほかでは見られない、ここにしかない、変化に富んだオモシロイ景色のような気がした。

下関へ向かう電車の中で思い返すと、7月と8月は、若戸大橋の若松区側と戸畑区側の橋のたもとの街をウロウロ歩き回ったが、狭い路地の向こうに、あるいは静かな佇まいの神社の頭上に、また市場やラーメン屋の前から、いつも大橋の一部が見えていた。それはあるところでは、胸から腹だったり、乳首のへんだけだったり、あるところでは、脚のスネのへんだったり、そんなアンバイなのだ。

「ほお~」とか「はあ~」とか感嘆するわけでもなく、これほど「しみじみ」生活感の漂う景色の中の長大橋は、ほかにはないのではないだろうか。なんとなく、若戸大橋って、大きいけど、生活の中の橋なんだなあとおもった。そして、『雲のうえ』5号食堂特集の原稿は、この景色の中から書き始めるだろうとおもった。(実際そのとおりになった)

高い展望台のようなところからしか見られない、静的な橋の景色より、何かが呼吸しているような、この街の中の大橋、生活の中の大橋の景色に未練が残った。そして、はからずも、一年がすぎ、再び戸畑駅のホームに立った。

9月6日の市民プロデューサー講座に招かれ、前日の5日に、天気が悪かった京都を早めにたち、新幹線で小倉駅に着いたおれは、コインロッカーに荷物をあずけ、すぐさま戸畑駅へ行く電車に乗った。降りてホームに立つと、その景色があった。もちろん大橋もあった。「まんなおし食堂」も、その右隣の、「えだや食堂」もあった。

一年すぎて見かけは、なにも変ってないようだった。だけど、「えだや食堂」に寄ってみると、たしか70歳ぐらいの、身体を悪くしなければよいがと心配なほど働いていた女主人は、身体をこわし、引退して姿はなかった。でも、かわりに、以前ここで働いていたという、たくましそうなおばさんが店を守っていた。大橋が見える暮らしも、少しずつ変っているし、また変りつつたくましく続いていることをかんじた。

えだや食堂の角から北へ真っ直ぐの大通りの先には、やや見上げる位置に大橋がある。その下、大通りの突き当たりには、大橋が架かる洞海湾の渡船がある。つまり大橋は自動車専用であり、徒歩や自転車で通勤通学のひとたちのために、大橋ができてからも渡船が活躍してきた。それもあってか、周囲は工場地帯だし、大通りには飲食店が多い。

渡船場にむかう途中の左側に、「八福」というラーメン屋がある。評判の店なので、そこで食べてみたいとおもって入った。15時15分前ごろという昼時をすぎたハンパな時間帯にもかかわらず、15名ぐらいで一杯の店内は、ほぼ満席だった。相席のテーブルにすわり、チャンポンを頼む。相席の男の客は、近所の勤め人らしい。チャンポンの大盛りとにぎりめしを食べていた。このあたりの働く食堂、働く人たちの「定番」のスタイルといえるか。

相席の客が去ると、すぐ馴染みらしいおばさんが入ってすわった。彼女は、冷し中華を注文した。日焼けしてたくましい肉体の、労働者風。彼女が冷し中華を食べているころ、客の山は越え、なかで料理していた主人が出て来て、客席の食器などを片しながら、おばさんに「チャンポンはどうするの」と聞いた。おばさんは、グハハハと笑って「食べる」。どうやら、彼女は、二人前それも一つはチャンポンを食べることが多いらしい。うへへへ、こいつはまいったね。

Kitakyu_hatihuku_cyanponおばさんの力強さに煽られ、キャベツがタップリ入ったチャンポンも食べ、たくましい男になった気分で八福を出た。大橋が見える。そのとき、大橋の骨太と、骨太に見える、その色が気になった。若戸大橋は、ちかごろ多い、白っぽい瀟洒なかんじすらするつり橋とは、ずいぶん趣がちがう。

Kitakyu09_hasi_hatihukuまず色が赤茶色系、そうか、あれは労働者の赤銅色に日焼けした肉体の色かとおもう。その色と骨太な鉄骨は、鉄の街の象徴なのかも知れないが、洞海湾を臨んで、たくましく働き生きてきたひとたちの象徴なのかもしれない。この街の暮らしには、白っぽい瀟洒なかんじのつり橋より、この大橋の姿こそ美しい、それが日々の生きる力になる「アート」なのだろう。

何気ない生活にとけこんだ何気ない大橋の姿を、働く暮らしを支える何気なくうまく安い八福と一緒に撮影した。暮らしに生きる「実利美」の景色といえようか。八福はラーメン350円、チャンポン400円、おにぎり50円。チャンポンは細い蒸し麺の戸畑独特のチャンポンだ。

とりあえず、第一話、ここまで。
文章も、少し修正があるかもしれない。

画像は、上から順に。戸畑駅ホームから大橋のある景色。八福と大橋。キャベツがタップリの八福のチャンポン。下、八福と反対側の小道を入ると「藤の家」という古い旅館がある、その路地から見た大橋の「オッパイ」あるいは「屹立チンポ」なアート。

Kitakyu09_hasi_hujinoya

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2008/09/10

大竹聡と『酒とつまみ』11号と『西の旅』秋号。

Nisitabi_saketuma11北九州の報告じゃないが、きょう届いた2冊の雑誌は、いずれも大竹聡さんがらみなので、緊急宣伝させてもらう。どーせ季刊を謳いながら年刊の『酒とつまみ』11号。その大竹聡編集長は、ホッピーマラソンや酩酊マラソンをやっているだけじゃない。ナント、四国特集の『西の旅』19号(京阪神エルマガジン社)で、「遍路でさらば、煩悩よ」とありえない遍路さんをやっているのだ。

先月、大阪のエルマガ社で編集のナガタ嬢に会ったとき、うれしそ~な顔で「大竹さんに遍路さんで四国を歩いてもらいました」といっていたが、そのうれしそ~な顔のワケがわかった。うれしいはずだ、四国八十八カ所霊場めぐりのうち1泊2日だけだが、大竹さんは炎天下「禁酒」で歩きづめ。ナガタ嬢はサドの女王か。でも、もっと禁酒のまま歩かせてやったほうが、大竹さんの通風のためにもよかったかもしれない。でも、酒を飲ませないと『酒とつまみ』はできないのだな。しかし、飲みすぎて、年に1回しか出ないというアリサマでもあるし。うーむ。

それにしても、四国特集なのに、おれが行ってきたばかりの西条市は、かろうじて石鎚山が載っているだけ。西条だって楽しみ方はある。北九州の報告が終わったら、西条についてもタップリ書くから、『西の旅』を買って西条へ行こう。

『酒とつまみ』、酔客万来は「酒と安部譲二と男と女」。まだ読んでない。「つまみ塾」の瀬尾幸子さんの写真が、カワイイ美人になっている。本が売れると人相もよくなるのだろうか、いやいや、前からカワイイ美人でしたが。35万部をこえるベストセラーとなった『おつまみ横丁』は、9月に第2弾が出る予定と書いてある。大竹さんの「山手線一周ガード下酩酊マラソン」に、「この話、「大衆食堂の詩人」といわれる遠藤哲夫さんからつい最近聞いたばかりの話なのだった」という話があるのだが、おれはそんな話をしたの、どーせ酔っていたのだろう、覚えていない。でも、たいがい酔っているときのほうが、正しい話をしている。

とにかく、『酒とつまみ』と『西の旅』は、買わなくてよいから、おれが登場している、いまいちばん熱い街雑誌『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし特集」を買ってね。四国の人も北海道の人も九州の人も買っているよ。ありがとう、さんきゅー、もっと買って、もっと宣伝して。

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エンテツと街を歩こう in 北九州。

Kitakyu_kouza02「市民プロデューサー講座」は北九州市の関連団体、ヒューマンメディア財団が主催している。仕組みの詳細は知らないが、『雲のうえ』を生んだプロデューサー中原蒼二さんが、コーディネーターのようなプロデューサーのようなことをしているらしい。

各地で「まちづくり」なるものが盛んだけど、「まちづくり」は「メディアづくり」という側面が欠かせない。と、おれはおもう。つまり街の魅力をどう発見しとらえ、どうメディアに表現し伝えていくか、それがわりとキモになる。

そういう「専門家」もいるのだけど、とかく、詳しい専門家まかせで、一般市民は、あまり考えたこともなく無関心か、それを「客観的」に「批評」するだけという関係が、けっこうある。

あるいは、こういう事例が多いのだが、いわゆる「関係者」だけの「まちづくり」で予算がつかわれておわる、予算消化のような「まちづくり」が、たくさんあるのだ。たとえば、予算がついて、さまざまな印刷物はつくられるけど話題にもならず捨てられる。あるいは街角に「まちづくり推進協議会」や「まちづくり憲章」のような標語を書いたモノを建てるだけで、補助金が出て何かをしたことになる。そういう残骸は、いたるところに見受けられる。

そうではなく、市民が自らプロデューサーとして、その「まちづくり」に関わる。それは自分のやれることからやればよいのだけど、どこから手を着け、何をどうしたらよいかわからないひとも少なくない。

今回の「市民プロデューサー講座」の企画は、そうした現実に応えるものといえるだろう。

とにかく、中原蒼二さんがメールで呼びかけた文章は、こういうものだった。

タイトル
「いつもと違う、風と光を感じ取る、それをミニコミとして情報発信する、というワークショップ」

内容
「今回のプロデューサー講座は「エンテツさんと街を歩こう(仮)」というのをやります。 これは大文字の「観光」だけではなくて(それはそれで頑張るとして「観光協会」とか)、ふだん見慣れた街の見慣れた光景のなかに、少し角度を変え、あるいは視点を変えることによって、今まで気づかなかった見落としていた自分たちの街の「宝物&資産」を見出そうという試みです。そうです。もう気づかれた方は多いと思いますが、乱暴にも簡単にいってしまうと『雲のうえ』の基本的な取材&編集方針に近いものです。ただし、『雲のうえ』にはそれなりのフレーム(ミッションとか規模とか)がありますが、今回はそれよりも身近なもの、本当に自分の生活に隣接・密接しているもののなかに新たな価値をみいだしてみようではないか、ということです。エンテツさんと一緒に街歩きをしながら、彼は何を見て、何を掬い上げ、何に価値を見出し、写真を撮り、どんな文体でそれらを情報発信するのかを、よくみる・感じることができる、あまり機会のないワークショップになると思います。(以下略)」

このポイントは、タイトルにあるように「いつもと違う、風と光を感じ取る、それをミニコミとして情報発信する」ことにある。感じ取るだけではなく、それを表現し実際にメディアをつくるのだ。「メディアをつくる」といっても大げさなことではなく、このブログだって、そういうものであり、実際に、講座に参加した方は、紙メディアにするための原稿をつくるのだけど、おれはこのブログに表現し、それを参加者に見てもらう。

とにかく中原さんの文章を読んでおれは、昨年末から今年にかけて関わって寄稿もした、東京は北区のまちづくり公社の『街よ! 元気になれ』の冊子(街の魅力「新北区紀行」~観光のススメ~)を思い浮かべた。なので、その冊子を一冊、持って行った。

Kitakyu_kouza016日土曜日午後1時から、小倉駅北側のビルにあるヒューマンメディア財団の会議室で始まった。

まず、歩くコースを大雑把に決める。戸畑区と若松区を結ぶ、洞海湾に架かる若戸大橋の両側のたもとのへんを歩く。その具体的なコースを決める。その段階ですでに、若松区に職場があるのに、そのへんのことは知らない、小倉のことは知っているけど、そのあたりは知らない、昨年そのあたりを歩いたおれより知らない。そういうひとが少なくないことが判明した。とくに北九州市は、戸畑市、若松市、小倉市、門司市、八幡市など、いくつかの市が合併したこともあって、ただでさえ自宅と通勤先のあいだ以外のことは疎くなりやすいのに、自分の関係する区以外のことになると知らないことが多い。もう、この会議室にいるうちに、これはおもしろいことになるぞ、という期待が高まった。

中原さんとおれがちょっと話をし、持って行った『街よ!元気になれ』も見てもらい、あとでコピーをとって配布することにし、午後2時すぎ出発した。

総勢12名だったかな? 最年少大学生。この日から「街じゅうアートin北九州2008」が始まり、そのオープニングセレモニーが、ちょうどこの時間帯にぶつかっていた。いつも講座に参加のひとたちは、そちらでも活躍しているから、講座の参加者は少なくてこの人数だというのだが、むしろこれぐらいの人数のほうがよかった。

Kitakyu_kouza03小倉駅から電車で戸畑駅。戸畑駅から歩き始める。歩きの出発点になる戸畑駅の北側すぐには『雲のうえ』5号に登場の「まんなおし食堂」と「えだや食堂」がある。えだや食堂の女主人は、働きすぎではないかと心配だったが、やはり身体を壊されて引退、以前ここで働いていたおばさんが店を守っていた。渡船場へ向かう大通りを歩いて、蛭子神社、若戸の渡船場前を通り、海岸沿いに海岸食堂、若戸の渡船場にもどり渡船(渡船の料金は50円から100円になっていた)、洞海湾沿いに北へ小道を行く、小路に入り蛭子神社、小路を行き丸仁市場に裏側から入る、丸窓の天ぷら(すり身を揚げたもの)を買って食べる予定だったが着いたのが16時過ぎ売り切れ店じまい中、すきっ腹をかかえ明治町銀天街、料亭「金鍋」、山田食堂の前を通ってぎょうざの「鉄なべ」ここで食べかつ飲む。レトロ観光開発中の洞海湾沿いのバンドを歩き渡船で戸畑にもどる。角打ち田中酒店、高田酒店、「角打ちは街の学校だ」店主と楽しく会話しながら、得るものが多い。戸畑駅から小倉、打上げの居酒屋(名前忘れた)。途中から参加のひともあり、最後に駆けつけたひとは、この打上げ会場に午前1時ごろだった。プロデューサーというのは、人脈や人間関係が大事だから飲み会参加だけでも大切なのだ。

さて、それで、おれの発表だが、このあと今日中か明日のエントリーになる。「アートな若戸大橋の楽しみ方」というタイトルを考えている。

最後に、おれがマジメにシゴトをしている様子がわかる画像を、参加者のミカ嬢が撮影し送ってくれた。ありがとう。
Kitakyu_kouza04


ヒューマンメディア財団
http://www.human-media.or.jp/
北区まちづくり公社
http://www.matikita.com/

中原蒼二さんのブログ
http://ho-bo.jugem.jp/

当ブログ関連
2008/03/15
北区の『街よ! 元気になれ』。
2008/04/09
「手づくり観光」と「B級グルメ」とまちづくり。
2008/08/26
頭は北九州モードのなかで。北九州市の渡船。

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2008/09/09

北九州、の前の滋賀・長浜、の後の愛媛・西条。

どーも、みなさま、お世話になりました。ありがとうございました。
と、イキナリ書いても、わからないひとがほとんだろうけど、北九州市の「市民プロデューサー講座」ってのに招かれて行って来た。いろいろな人とであい、いろいろお世話になったので、まずは帰還の報告をかねてお礼。

市民プロデューサー講座については、ここに書くという約束のこともあって、明日から詳しく書く。講座に参加の方は、明日からマジメに見てください。

まずざっと、この一週間近くの備忘メモ。

09naghama_toraya講座は先週6日土曜日で、おれは5日金曜日の夜にホテルに入っていればよい日程だったのだけど、どうせいくなら途中下車やまわり道のクセで、4日の朝9時ごろウチを出た。ちかごろ滋賀県長浜の「まちづくり」のウワサを聞くので、どんなアンバイなのかと新幹線の米原で乗り換え長浜へ。なーるほど、小樽や門司が、いわゆる近代赤レンガ遺産を活用した「レトロ・テーマ・パーク化」としたら、こちらは、飛騨高山、ちかごろの京都・祇園、関東だと小規模ながら川越の小江戸といった、「何風」というべきか「木造土蔵風レトロ」とでもいうのか、そんなアンバイの古い街並みを生かした「テーマ・パーク化」が着々とすすんでいる。

詳しくは後日。おれとしては、そこで、おもわぬ収穫。そそられる食堂。こちらは「テーマ・パーク化」とは関係ない、そのまんまの姿。入らずにはいられない、入る。食べて出て、ちょっと歩いたら、また一軒。うーむ、腹が一杯だから無理だ、写真だけでも。それが画像の「とらや食堂」。「小さな食堂・大きく感謝」

長浜では琵琶湖畔の民宿にでも泊まって、暮れゆく琵琶湖を眺め、琵琶湖周航の歌を口ずさんだり屁を放ったりしながら、ゆくえの知れぬ恋の道かなと孤独を慰めるつもりだった。だけど、たいがいのところは見てしまい、琵琶湖畔に行ってみれば、水は泊まりたいほどキレイでもなく、ハテどうしようかと思っているうちに雲行きが悪くなる。「そうだ、京都へ行こう」ついでに夜の祇園のそぞろ歩きなんて、カネがなくてもいいじゃないのと電車に乗る。米原までもどったころ雨が降り始め、京都に着いたら土砂降り。ついてねえなあ、土砂降りに流される恋の道かなと、あまり濡れずに行ける1960年代から愛顧の店で、昔からコンニチまでの、ここの料理の味の変遷を思い出しながら、生ビールをあおる。

5日朝も雲行き悪いから、一気に北九州へ。北九州は晴。アチコチうろうろ。夕方、中原蒼二さんとホテルで落ち合う。18時過ぎ、一緒に小倉駅北側の角打ち。北九州市きっての才媛というウワサの嬢あらわれ、生ビールで乾杯のち、焼酎一升瓶を買う。これがいけなかったというか、よかったというか。

09kitakyu_sudo翌日の仕事があるから、あまり飲みすぎるわけにはいかない。講座の事務局である、北九州市で最も忙しい女2人のうちの1人というウワサの吉武あゆみさんが夜10時になったら、ワレワレの飲みすぎをチェックする電話をかけてくるから、それで切り上げる。イチオウそういうことで始まった。

ところが、おれはまだ会ったことがない、角打ち文化研究会の会長、須藤輝勝さんに中原さんが電話すると、来られるという。その須藤さんがあらわれてからなのか、その前なのか、そのへんの記憶が、すでにさだかでない。トツジョ、「四月と十月」同人で古墳部、美術家にして中学校教頭先生の田口順二さんがあらわれた。これには驚いた。まったくの偶然遭遇らしいのだが、田口さんは、このブログを見ていて、中原さんとおれが一緒なら、この酒屋の角打ちに来るのではないかという、カン働きはあったらしい。すごいカンというか、ワレワレの行動パターンが単純すぎるというか。

とにかく、それで、田口さんも須藤さんも入り乱れての酒宴になったうえ、吉武さんは忙しく携帯の電池が切れるほどだったそうで、電話はなく、心ゆくまでの飲んだ。おれは先に1人でホテルにもどったらしい。気がついたら翌朝、ホテルのベッドの上で、ふとんもかけず、パンツいっちょうで寝ていた。とにかく、思いがけず、須藤さんや田口さんにあえて、うれしかった。初対面の須藤さんとは、記念撮影もし、何度も握手をした。

09kitakyu_wakato6日土曜日、明日から詳しく書く。泥酔記憶喪失の深酒にも関わらず、目覚めはよく、かなり歩き、そして深夜まで飲み、快調にすごした。

7日日曜日、ようするに前夜も、講座の参加者と午前1時過ぎまで飲んだ。この日からは自前の泊まりでありフリー。午後2時に中原さんと吉武さんと、北九州市で最も忙しい女2人のうちの1人というウワサの染織家、築城則子さんに会う予定だったが、落ち合うすし屋の都合で17時に変更。時間が空いたので、下関へ。ウロウロウロ。小倉にもどり旦過市場、赤壁で角打ちとおもったが、日曜日で休み。

旦過市場のなかに「大学堂」なる、去年はなかった、フリースペースができて、牧野伊三夫さんの「雲のうえ原画展」をやっているではないか。そこで店番の人とオシャベリしているうちに、待ち合わせの17時。築城さんとは昨年も会っているが、初めて名刺交換。ここに北九州市で最も忙しいというウワサの女2人が揃ったのであるが、そして、やがて忙しい女2人は忙しく先に去り、中原さんと2人残る。疲れて21時半ごろにはホテルにもどって寝たような気がする。

8日月曜日、朝~。6時半ごろ目が覚め、また眠ると何時になるかわからないので起きてしまう。あとどうしようか決まっていない。チェックアウト、小倉駅へ行き、ロッカーに荷物を預け、「そうだ、今浪うどんを食べよう、あそこなら朝からやっている」。モノレールに乗る。今浪うどんのご主人と一年ぶりの再会、握手。うどん、満足。またモノレールでもどりながら、「そうだ、西条へ行こう」とおもう。このブログにも何度か登場の、東京の会社員をやめて百姓になった、愛媛は西条の藤田家族さんのところへ行くアイデアが浮かぶ。

09saijyo_imotaki小倉駅に着いて、時刻表を調べる。藤田さんチに電話する。天気がいい朝に百姓のウチに、トツゼン電話して、「いまから行ってよいか」。新幹線岡山経由、瀬戸大橋線に乗り換え、伊予西条駅へ。13時半ごろ藤田家族宅に着く。畑を見せてもらう。藤田さんの「食と農」の仲間たちと一杯やって、西条に泊まることにして、駅にもどりホテルをとる。そして画像のように、川原で「いもたき」をやった。いやあ、西条市民、平日、月曜日の夜というのに、こんなアンバイに川原で、「いもたき」をやるのだ。いいねえ。そのことや西条の詳しいことは、後日書く。トツゼンの押しかけ訪問なのに、藤田さん、西条市のみなさん、お世話になりました、ありがとうございました。

ああ、きょう9日火曜日。もっと、ついでだから高知も徳島も行きたいという誘惑を断ち、17時ごろウチに帰り着いた。

いじょ。

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2008/09/03

『雲のうえ』5号を送ったらエロ雑誌の返礼。介護保険被保険者証が届く。

Ta_01_2(来週まで更新はありません)

過日、都内の大衆酒場でぐうぜん出会った、そして大衆酒場で、しかも昼酒時間帯にぐうぜん出会う以外、最近は会うことがない男がいる。彼は、塩山芳明腐れ縁一派というか、エロ漫画業界人。『雲のうえ』5号を見損ねているが見たいという。塩山や、その腐れ縁一派の南陀楼綾繁のような日本的私小説的フマジメなやつらがいうことなら知らん顔しているのだが、彼のばあい、チトちがう。脳の血管が切れたかつまったかして三途の川のあたりからもどり、再発したら死ぬ状態で、なおかつ昼間から酒を飲んでいる。そのうえバクチが好きで借金の山、えーと、このあいだ幾ら借金が残っているか聞いたが忘れた、それでもなおかつバクチをやる。口先だけ一丁前のこというが、日本的私小説的フマジメで、やることはヘタレな趣味のケツの穴なめあいな塩山や南陀楼とはチトちがう。なにがちがうって、ま、塩山や南陀楼のように小賢しくない、おれに近いマジメバカだ。だから、この広い東京の空の下、大衆酒場の昼酒時間帯にあったりするのだろう。そこで、もはや入手困難な『雲のうえ』5号「食堂特集」を送った。すると、豪華なエロ雑誌が送られてきた。同封の手紙には、この雑誌は塩山芳明編集で、南陀楼綾繁と山崎邦紀が映画評と書評を書いているとあった。うれしいことに、毎年小倉競馬へ行くから、そのときに掲載の食堂に寄ってみたいともあった。さすがだ、『雲のうえ』を差し上げた甲斐があった。ところで、そのエロ雑誌は「家庭内姦系の漫画&ヌード!!」を謳う『本当にあった禁断愛』だ。編集人、塩山芳明。発行人が、おおっ、多田在良。投稿をもとに漫画や記事を仕立てる「実録」風だ。近親愛、まさに愛の極地にして極致か。ああ、愛と性と生の哀歓、ここに極まれり。いまこの近親憎悪と不毛な愛の荒野の時代に美しく咲くのは、近親愛も含め、婚外の愛、禁断の愛なのだ。これこそ真の愛。と、兵庫のおじさんなら絶賛するだろう。そこへいくと南陀楼綾繁と山崎邦紀のプロフィールのロレロレ。南陀楼綾繁のばあい、「1967年島根県生まれ。『本とコンピュータ』の編集を経て現在フリー。本、映画、音楽を縦断する雑学派。著書に『路上派遊書日記』(右文書院)他。」だって。ゲレゲレゲレ、このエロ雑誌を見る連中の前で「本、映画、音楽を縦断する雑学派」、大きくでたなあ。そういや『路上派遊書日記』の2冊目は、どうなったんだ。あの本、出るんでしょうかねえって、そんなことおれは聞かれるが知らねえよ。日本的私小説的フマジメなやつだから常識がちょっとちがう、ひとのことなど顧みず放り出したまま別のことやる、そこがオモシロイのだ。黙って許してやれ。誰かに許されて立つチンポ、じゃない、立つ男もいる。嫌なら一緒に仕事をしなきゃいいだけさ。山崎邦紀のプロフィールのばあい、「印刷業界誌記者、タウン誌編集、エロ劇画誌編集、性風俗ライターを経て、ピンク映画脚本・監督、ゲイピンク映画監督。60歳。」だ。この「60歳」、泣けるねえ。「60歳」、還暦の男の、これが一生ですというプロフィールだ。もし、この、「監督」というのがなかったら、と考えた。この「監督」がない「60歳」を想像してみよう。なんでもいい「監督」というのはスゴイのだ。「監督」になれて、よかったね。ああ、おれのばあい、65歳になるというのに、なんの監督にもなれない。そうなのだ、今月で65歳になるというので、さいたま市から届いたのが、介護保険被保険者証とシルバーカードなのだ。シルバーカードってのがね、裏に住所や氏名や生年月日、血液型、緊急連絡先などを書いて、角の穴にヒモを通して首からぶらさげるのですよ。つまり認知症で徘徊したときも役に立つ、ってやつなんですね。ああ、おれはこの保険証とカードを手にして、生と愛を奪われ、急に老けこんだ気がした。これはなんというのかね、生きる希望を失わせるね。そりゃまあ、どんなに元気にしていても、死ぬときは死ぬのだが。これは、ハイ棺おけ行き手続き、第一カテゴリーです、というかんじだ。そこへいくと、まだまだ60歳すぎても禁断愛でがんばっているジジイたちが活躍するエロ雑誌『本当にあった禁断愛』は、希望だね。エロ雑誌をバカにしちゃいけないよ、老人たちに夢と希望、生きがいを与えるのだ。とくにこれは、塩山芳明や南陀楼綾繁や山崎邦紀といった、救い難い奇才が関わっていることだし。この『本当にあった禁断愛』は、たしかコンビニでも売っていると思うが、公費で全国の老人施設や老人福祉センターなどに置くべきだろう。さすれば、老人たちは腹上死あるいは腹下死するまで、希望と夢と元気に生きるにちがいない。それは老人医療の負担の軽減につながる。と、兵庫のおじさんなら主張するだろう。ともかく、よしっ、おれは、シルバーカードを首からぶら下げて、禁断の婚外愛に燃えるぞ。愛を叫ぼう。愛してるよ~。
Ta_03
ってことで、ひさしぶりに、ハッタリ塩山と南陀楼に、監督山崎の、3バカのリンクだ。
塩山芳明総指揮の漫画屋のサイト…クリック地獄
南陀楼綾繁のブログ…クリック地獄
山崎邦紀…クリック地獄
忘れるところだった、画像で読める見出しは、塩山編集の仕事だとおもう。内容が希薄な評論めいた文をサイトに書きなぐっては本にするズボラをしているより、こういう見出しを集めて本にしたほうが、はるかにオモシロイ。やっぱ、それなりの編集者なのだな。と、ほめて?おこう。
Ta_02
(文章の都合上、ご高名なみなさんの敬称は略し、呼び捨てにさせていただきました)

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2008/09/02

「お好み焼型」と「たこ焼型」。

2008/08/29「大阪・庄内、お好み焼「パセミヤ」。」に、「「お好み焼」は、広く深い食べ物なのだと、あらためて感じ入った」と書いてから、あらためて気になっている。実際に、お好み焼は「広く深い」。どんどん焼、フライ、ちぢみ…ちがう名前だけど、おなじような料理が各地にあるし。

に対して、たこ焼は、「狭くて深い」といえるだろう。タイトで深いのだ。なにしろ、あの丸い型だけでも、タイトだ。となれば、お好み焼は、「ルーズで深い」といえる。

こういうふうにパターン分けして、そこにいろいろなことをあてはめてみる。たとえば、「お好み焼型」の料理と「たこ焼型」の料理。「お好み焼型」の人間と「たこ焼型」の人間。「お好み焼型」の情報と「たこ焼型」の情報。「お好み焼型」のブログと「たこ焼型」のブログ。…とか。

拙著『汁かけめし快食學』の解説を書いていただいた、日本コナモン協会会長の熊谷真菜さんは、卒論の「たこやき」が本になったのだけど、なぜ「お好み焼」ではなく、「たこやき」だったのか。また、2008/08/28「大阪、ダイビル140Bの「140B」」に登場の江弘毅さんの著書は『「街的」ということ――お好み焼き屋は街の学校だ 』であるのだけど、たこ焼屋は街の学校になりえないのか、とか、考えていたら、いろいろ連鎖的に妄想がわいた。

江さんが、「お好み焼き屋は街の学校だ」と書いたのには、それなりの必然があるのだけど、 かりに、一般的に考えてみるなら、たこ焼屋を学校にするか、お好み焼き屋を学校にするかで、ずいぶんちがいがでるような気がする。やはり街の学校としては、考えれば考えるほど、たこ焼屋は不向きではないかという気がしてくる。

もしかすると、江さん嫌いの方などは、あんがい、たこ焼屋を学校にしているのかもしれない。そういえば、江さんを嫌いなわけじゃないが、『「街的」ということ――お好み焼き屋は街の学校だ 』はよくわからないといっているひとが知り合いにいるけど、たこ焼型のような気がする。ねえ、あんた。

「お好み焼型」と「たこ焼型」は、情報社会においては、対立の関係ではない。だけど、情報社会以前の見方や思考をひきずっていると、対立の関係にみられるかもしれない。世間には、そういうことがよくある。ブログやなんかの、うすっぺらな表層的な「評論」めいたこと(とくに、いまどきの政治?政局?について書いていること)に、こういうことをあてはめてみると、けっこう笑える。げはははっは。

と、やっているうちに、けっこういろいろ片づいた。

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2008/09/01

そうだ、旅に出よう。めしを食おう。

Tabibito_t1「旅人文化振興会」という、あえてダッサイ名前の「旅人文化」だが、ドンドンなにやらやっている。「旅人文化」のキャラクターやスローガンが決まり、Tシャツや缶バッジをつくった。「やどやゲストハウス」も、人気の「たぬきキャラ」をつかったTシャツに加え、てぬぐいをつくった。いずれも、先日、原宿であった、なんやらのイベントで販売した。

Tabibito_t2旅人文化振興会と「やどやゲストハウス」の事務所をかね、中野に7月オープンした「カフェやどや」も、大忙し。正式に飲食の営業許可もおりて、ますます忙しくなるようだ。通販事業も始める予定あり。

バックパッカーたちのアイドル若女将で大活躍のまりりんは、先日『ファンキー・ビジネス』(博報堂)を読んでいた。「やどやゲストハウス」も「カフェやどや」も「旅人文化」も、とにかくファンキーだ。「本読み」「本好き」は、そうは思わないかもしれないが、たいがいのことは、現実のほうが先にすすんでいるし、興味深い真実が存在する。

ファンキーユー、「ユニークになれ」「法人化せよ」「つながれ!」。

法人化する意義は大きい。法人化して存在するためには、必ずヴィジョンが必要だ。そのことによって、この資本主義社会に、バーチャルにではなく、オシャベリではなく、現実に存在を確かにしうる。「やどやゲストハウス」も「カフェやどや」も、コアの法人は、もうある。旅人文化振興会は「やどや」とは別組織であり、別に法人化する構想でスタートしている。ますます楽しくなって、ますます忙しい。そして、ますます展望が開けるなら、ファンキー・ビジネスの未来は明るい。小さくまとまるのではなく、「大」をめざすわけでもなく、小さく始めて、ファンキーにダイナミックに動く。ぎゃほほほほほ。

Tabibito_tenuguiしかし、このタヌキのてぬぐいを見ていたら、これでフンドシをつくりたくなった。このキャラは、なぜかガイジンに人気らしいのだが、これでフンドシつくったら、さらに売れるのではあるまいか。おれだって、ほしいぞ。そうだ、このフンドシをつくったら、「旅人音頭」というのをつくって、フンドシ盆踊りをやろう。いや「盆踊り」じゃ世界中でやれないから、名前は「旅人音頭ファンキーダンス」にしよう。ああ、プランは、妄想から生まれる。

そうだ、旅に出よう。旅に出るのだ。まず今週は北九州でシゴトのついでに旅するのだ。のつもりで、アレコレ片付けて、ガツンガツンへろへろ。喧嘩も、いいだろう。みんな「俺一人」から始まるのだ。その一人ひとりが、集まって「団子」になるのではなく、「つながる」のだ。こじんまり「団子」のようなカタマリになるのと、「つながる」のとでは大いにちがう。ガツンガツンつながろう。そのためには、やっぱ、めしを食わなきゃな。酒も飲まなきゃな。俺会社、俺事業、俺仕事、俺まち、俺めし、俺酒…一人から始めて、つながるのだ。

であるから、ファンキーユーには、「ユニークになれ」「法人化せよ」「つながれ!」に加え、「旅に出よう」「めしを食おう」「酒を飲もう」がいるのだ。おれのばあい。

めし、なら、「ミーツ」10月号「ザ・めし」特集を見ろよ。

旅人文化のTシャツ、缶バッジ、たぬきのてぬぐい、中野の「カフェやどや」で販売しています。
←左サイドバーのリンク、YADOYA Guesthouse、旅人文化ブログなんでも版、をご覧ください。
「カフェやどや」では、これから、いろいろなイベントが予定されている。つながれ!

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防災のキホンは「めし」。『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし特集」9月1日発売。

Meets_honsi1

特集巻頭エッセイで「茶碗や丼の「街メシ」に、「俺メシ」を獲得する。」と題して書いた。編集者からの依頼は、「街に出て力強くメシを食うこと」について書いて欲しいとのことだったので、とくに関西にこだわることなく書いた。でも、大阪の街を歩き食堂でめしを食べたときの空気を身体に蓄えて、書いた。

扉ページの右は特集タイトル、左に、その文章と、取材した、店名からして、これぞ大阪の大衆食堂というかんじが漂う「成金屋食堂」でおれがめしを食べている写真など。いま、もっとも熱い街雑誌で、「俺メシのあるところ、俺の街だ」と熱く語った。ただし、傷だらけの俺の原稿ゆえ、一カ所文字の間違え凡ミスがある。ま、大勢に影響ない。素直に読んでいる人は気づかないかもしれない。

グッとくる会ってみたい娘がいる食堂や、よくこれだけ「メシ」ネタを集めたものだ。オシャレなバランスもよく、街と人とメシが息づいているパワフルな誌面だ。めしを食うことが、より楽しくなるだろう。全国のめし食うみなさんに見て欲しい。

木村衣有子さんの連載「大阪のぞき」は「海遊館」。どうかお見逃しなきよう。東京の「大」書店でも、買えます。埼玉なら大宮のジュンク堂にありますよ。宣伝も、よろしく頼みますよ。

京阪神エルマガジン社「Meets Regional」…クリック地獄

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2008/08/30

めし、メシ、めしっ!!!『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし特集」が届いた。

Meets_honsi2いやはや、おどろいた、特集タイトルが「ザ・めし」のことだもんなあ。それにしても、よくぞこれだけ、めしとめし屋を集めた。もちろん米屋だってある。

たとえば「毎日卵かけご飯宣言」は、「昼の定食も」「飲みのメシにも」「家でも」「週末旅も」といったぐあいだ。そんなトコトン突っ込み調子が最後まで。「昼定真っ当店」「気になり米を徹底調査 米ニュース」、おかずチョイスの「京阪神 めしテリアへようこそ」、「白めし史上主義宣言」と謳う「街で、家で、白めしの120%堪能法」の「セコ喰い」が愉快だ。さらに「丼(貪)欲に行こう」「街なか郷土めし行脚」。おっと、最初のグラビアにあたるページの「米っ娘、ええ顔24時」を忘れちゃいけない、めしなんかいい、この娘たちに会いに行きたい。とにかく、「ザ・めし」の看板に偽りなし、メシ・パワー全開。

本誌編集の橋本由嗣さんは、「「めし」は毎日の生きる活力で楽しみ。だから日々、何を食べるかは永遠のテーマだ」「「あの人に会って、あの人の作ったご飯を食べたい」と一度行っただけで感じさせてくれることが、日々の幸せへの近道なのだ」と編集前記に書く。「うまいめし」や「めし食うこと」の本質をとらえた言葉だとおもう。

これだけ「めし」についてまとめたものは、雑誌・本を通してないだろう。トコトン関西めしガイドでありながら、めしと街で生きること、めしと幸せを熱く語っている。全国のめし食うひとたちに読んでほしい一冊。

おれが書いた「緊急寄稿」については、↑上のエントリー「お知らせ 9月1日発売『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし特集」」をご覧ください。

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2008/08/29

大阪・庄内、お好み焼「パセミヤ」。

Oosaka_pasemiya_menu近づいてきた北九州行きは、このひとがいなかったらの『雲のうえ』は生まれなかった、あの『雲のうえ』をプロデュースした中原蒼二さんのプロデュースで、おもしろい試みをやる。この件については、9月10日ごろに、当ブログで、なんらかの報告があると思うので、ごらんいただきたい。きょう、そのプランの概要もメールで届き、これはオモシロソ~と、頭のなかは、ますます北九州モード。だけど、もうすぐ9月1日で、『ミーツ・リージョナル』10月号が発売になるから、大阪モードが盛り返し、ミックス状態。

きのうのエントリー「大阪、ダイビル140Bの「140B」」で書いた江弘毅さんは、『「街的」ということ――お好み焼き屋は街の学校だ 』(講談社現代新書) の著者だ。おれの大阪のことも北九州のことも「街的」が大いに関係するのだが、きょうは「お好み焼き屋」のことを書く。街の学校だぞ。

8月6日は大阪に取材で泊まり。すでに書いたように、夜は鶴橋で焼肉宴会。泥酔明けの7日、これまたすでに書いたように、十三で立ち飲み。あまり飲みすぎず、食べ過ぎずにいたのは、ここ、お好み焼「パセミヤ」へ行くためだった。

パセミヤは、大阪市ではなく、大阪府豊中市庄内西町2-23-23 グルメシティ庄内店一階専門店街内にある。十三から阪急宝塚線で二つ目の庄内駅が最寄だ。

お好み焼「パセミヤ」のWebページ…クリック地獄
パセミヤの二代目若旦那、よっちゃんのブログ「Art de Faire」…クリック地獄

を見ていると、おしゃれで、グルメで、住所には「グルメシティ庄内店一階専門店」なんてあるし、おれなんぞは近寄りがたいイメージだ。しかし、「パセミヤ」のWebページには、「おかん 大阪のお好み焼き屋には絶対欠かせません」とコメントがついて、おかんの写真があるのだが、どう見ても、下町のおかんだ。とにかく行ってみよう、なんの、おしゃれグルメな店だとしても、おれは恐れはしない。

てな、ことでもなく。よっちゃんは当ブログの読者で、しかも江原恵さんの著作をよく読んで理解も深い方だ。それに以前、入谷コピー文庫から出た、おれの『現代日本料理「野菜炒め」考』を一冊、どなたにでもわけますと、このブログで告知したとき、すぐさま応募くださって、差し上げた。さらにそのお礼にと、名だたる清酒「秋鹿」の高級酒を送ってくださった。どう考えても、おれにはまったくソンのない方なのだ。恐れる理由がひとつもない。

Oosaka_pasemiya_syonai庄内は、初めてだ。駅のそばから始まるアーケードの商店街は、大阪の各地にある、東京の北区あたりの、下町風商店街とあまりかわりない。ただし、アーケードにぶらさがる看板に「楽しくて、庄内」とあるあたり、やっぱ大阪だよなあと思う。東京の根っからの下町人種にもダジャレ好きは少なくないが、商店街の宣伝という舞台で、こうはやらないだろう。なーんてニヤニヤしながら、この通りをズンズン行くと、すぐ右に入る路地というか、そこがグルメシティ庄内店一階専門店街だ。こぎれないな二子玉川風ショッピングセンターのなかの、こぎれいなパセミヤを想像していたおれは、ふつうの家並みの街場な暖簾がさがる間口一間ほどのパセミヤの前に立って、じつはアンシンした。やはり、もし、やはり、アートフルなイマ風なおしゃれな店だったらどうしようとキンチョーしていたのだ。

13時半ごろ、店に着いた。
いや~、ほんと、こじんまりとした、家族でやっている、着飾らない、生活感街場感ただよう、いいお店なんですよ。
商店街の雰囲気がそのまま続いているような、長靴や下駄履きでもよさそうな、おかんな店です。

Oosaka_pasemiya_yaki01で、話は、とばす。お好み焼って、昨年の北九州でも食べたし、いろいろなところで食べたけど、おなじ、というものがひとつもない。ぜんぶ、表情も中身も、ちがう。そして、このパセミヤも、またこれまでに味わったことのないテイストのお好み焼だった。

注文は、豚・イカ玉にネギ増量タップリだった。自分が座ったテーブルの鉄板で焼いてもらうのだが、ほっこらとした焼加減、外はかたく焼きあがっているのに、口に含むとホロッと崩れてくるかんじに仕上がる。

たとえば参考だが。下の画像は『雲のうえ』5号にも載った北九州の、お好み焼の人気店「山田食堂」のネギ焼だ。ここは、全部ではないかもしれないが、ほっこりではなくて、押し付けるように焼く。押し付けるための、ステンで出来た丸い道具もあるぐらいだ。

Kitakyu_ymada_okonomiま、お好み焼に詳しいひとはたくさんいるから、あまり能書きは書かないにしよう。ただ、ずいぶんいろいろ「お好み」があるということであり、「お好み」の意を、具の選択だけではなく、その焼加減などすべてを含めて考えるならば、「お好み焼」は、広く深い食べ物なのだと、あらためて感じ入った。そして、ソースも含めて、そのあがりによって、酒類との相性もさまざまに可能なのだなあ。

ま、とにかく、パセミヤへ行って食べてみてください。よっちゃんは、そのブログからも、大変な研究熱心であることは、わかるし、おれみたいにズボラな人間でも、これはじつに繊細なお好み焼だということがわかる。

ともあれ、よっちゃんは江原恵さんの著作を、よく読んでいることはブログでも知っていた。話は、自然に、江原さんのことや著作のことになった。江原さんの本を読んでいるひとには、ときどき出合うことがあるが、たいがいサブカル系的関心の「本読み」の方であり、料理の現場の方は少ない。江原さんの本は、実際はクロウトじゃないとわかりにくい内容があるから、料理の現場の方と話すと、そのへんの話ができて楽しい。いろいろメニュー外のものをいただきながら、赤ワインなども飲み、いい酔い加減のなかで、またたくまに帰らなくてはならない時間になった。もっと話していたかったなあ、と、やや後ろ髪をひかれる思いで、パセミヤをあとにした。

よっちゃんのブログに「エンテツさんとの語らい」と、その日のことが書いてある。…クリック地獄

どうもありがとう、よっちゃん。また会いましょう。

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2008/08/28

おれの顔写真を間違えた「ゲンダイ」。

Kenkyu_gendai身辺整理の都合があって片付けをしていると、こんなものが出てきた。1995年9月8日の日刊ゲンダイだ。「話題の新刊・著者インタビュー」のコーナーに、おれが登場したのだが、なんと、ちがうひとの顔写真が載った。

『大衆食堂の研究』の発行日は、本の奥付には7月31日とあるけど、実際は7月中ごろに店頭に並んだ。ゲンダイからいつ連絡をもらったか記憶にないが、たしか8月の末に、インタビューを受けた。新宿駅中央口の、いまではなくなった「談話室 滝沢」でのことだった。インタビュアーは、フリーのライターの方だった。写真は、滝沢の店内の片隅か、滝沢の入るビルの階段あたりで撮影したと思う。

知らされていた掲載日、そのころ住んでいた最寄の、京浜東北線与野駅の売店で買った。広げると、ちがうひとの顔写真。えっ、これ、おれじゃないぞ、誰? 

すぐ、ゲンダイの電話でしか話したことのない編集デスクの方に連絡した。電話口で、先方は大変恐縮し、平謝りだった。だけど、こちらはそんなに大げさな問題とは思っていない。ちがうひとの写真が載ったから、おれの写真がちがうひとの記事に載る可能性があるのでは、と思った。

どこでどう間違えたのか、編集デスクのひとはおれと会ったことがないから、入稿前におれの顔写真をチェックすることはできない。ま、こういうまちがいは、意図的な扇動記事とちがい、罪はない。笑ってすませられる、ギャグだ。

それにしても、この顔写真は、どなたなのか。
このひとにも、生きていれば、あれから13年の歳月が流れたのだな。

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大阪、ダイビル140Bの「140B」。

8月6日の大阪。思いがけず、「編集集団140B」を訪ねる機会にめぐまれた。昼間、取材の移動の最中に、藤本編集さんが、連絡をとって訪問の段取りをしてくれたのだ。

江弘毅さんと140Bといえば、いま右サイドバーの最近のトラックバックにある、「エンテツさんの「街的」 (編集集団140Bブログ) 」だ。

これは、2006/07/19「「地下鉄のザジ」の街的飛躍そしてパーソナルヒストリー」にいただいたトラックバックで、その上のトラックバック「「ちょいワルおやじ」の〈消費〉生活のどこがおもろいねん (140B劇場-浅草・岸和田往復書簡) 」も江さんの関係の方による。

簡単に書いてしまえば、江さんといえば、おれの印象は「岸和田だんじり」と「街的」。とりわけ、その街的に、おれはヒジョーに共感したというか、刺激を受けたのだった。そして、江さんたちが率いる140Bは、なにやら熱いオーラを放ち、関西をこえて活躍の、気鋭の編集集団だ。

17時に肥後橋駅で藤本編集さんと待ち合わせた。土砂降りだった。

140Bの法人名は、株式会社140Bであり、ダイビル140Bの部屋に事務所があるのだ。

東京駅前の、かつての旧丸ビルのようなデザインの、高い天井の廊下を歩き、入り口も旧丸ビルのようだった。ドアを開ける。さあ、140Bだ。

と、細かく書いていられない。入って右手の壁に、学校の教室の黒板のように長い白板があって、いっぱい何か書いてある。メモのように書きなぐられ、消さないままの古いものもある。ここに140Bの「企業秘密」があるようだったが、写真を撮るのを忘れた。

江さんは、その白板の前の長机で来客と打ち合わせのようで、代表取締役出版責任者の肩書の中島淳さんと初対面の挨拶。と、細かく書いていると長くなるな。それに、いま午前2時過ぎで、やや眠い。

打ち合わせがおわった江さん、さらに140Bのブログで「島民」「島民」と活躍の名前からして迫力のある若手の大迫力さんが加わり、話はにぎやかに。そうそう、江さんの肩書は、取締役編集責任者。

Oosaka_140b_me「ななじゅうまる」「月刊島民」など、最近の作品を見せていただく。中島さんは、タイトルにこだわり、執念を燃やしているそうで、なるほど~。70歳を意識した「ななじゅうまる」、「商い」と「飽きない」をひっかけた「あきない」…。江さんの、酒場で本を読んでいるやつ、本を読むようなやつがいる酒場は嫌いだ、の話は、すでに書いた。大迫さんは、とにかく「月刊島民」だった。話がトツジョ千葉コンプレックスなどに跳んだり、にぎやかで楽しい時間は素早くすぎてしまった。

江さんがだんじりの話を始めると3時間ぐらい黙って聞いてなくてはいけない、というようなウワサを耳にしていたのでカクゴしていたが、お互い予定もあることだし、そうはならなかった。でも、いつか聞いてみたいものだ。

トツゼンの訪問なのに、忙しいなかお付き合いいただき、140Bの空気をタップリ吸えた。

自由闊達、ヴィジョン、熱いものを、身体にはちきれんばかりに蓄えたひとたち。知的であっても生活感や街場の感覚を失わない。いま、のりにのっている。それは、まさに、最初に部屋に入ったときに目に飛び込んできた、白板の姿だった。

そうそう、江さんたちと話している最中に、ドアから誰か入ってきた。おれからは背中になるのだが、その気配を察し、ふりむくと女子がひとり、外から帰ってきたところのようだった。どうもその顔や雰囲気が気になったのだが、あとで考えると、どうやら青山裕都子さんだったのではないかと思われる。アコガレの青山さん、挨拶できなかった。

眠い、とりあえず、このへんで。
あとで、書き足す。かも知れない。

「月刊島民」の「島」とは、大阪のエスタブリッシュメント・エリアといえる中之島のことだ。おれも、そこに「島」を意識したことはなかったが、おそらく「島」を意識しているひとは、極少だったにちがいない。そのエスタブリッシュメントも、街的な編集集団の手にかかると、街的な「島民」になるのだな。

Oosaka_140b_bいま中之島地域は、140Bの入るダイビルがある地域も含め、都市再開発がガンガン進んでいる。画像の渋い建物が、ダイビルだが、この左側は、川をはさんで中之島だ。大正年間に建てられた、東京の旧丸ビルとおなじ設計者によるダイビルも、その都市再開発の波にのみこまれそうだ。でも、建物や街路は変っても、街的は、したたかに生き続けるだろう。そういう力強さを140Bに感じた。

ほんとに、おわり。
シゴトしすぎて、神経が冴えているせいか? あまり酔ってない。つもり。

見よ!「編集集団140B]ブログ」…クリック地獄

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2008/08/26

頭は北九州モードのなかで。北九州市の渡船。

Kitakyusyu_tosen19月も今週でオワリということに気づいた。ということは、来週は北九州へ行くのだ。ということは、どうせいくなら、チョイはやめに行き、チョイ遅くもどり、アチコチまわりたいと思い、となると片付けておかなければならないこともあり、うーむ、むむむ、コツコツコツやりながら、頭の中は北九州モード。

というわけで、こういうときにでもなければやれない、昨年の夏、『雲のうえ』5号の特集「はたらく食堂」のときの、ロケハンやホンバン取材のとき食べた食堂などを、とりあえず一覧だけつくり、ザ大衆食のサイトに掲載した。…クリック地獄

ま、リストなので、用がないひとは見てもツマラナイと思うが、用があるひとは、タダで楽できる有難いリストだ。これだけ整理するのが、けっこう大変で、思わぬ手間に、けっこう真剣になってしまった。

もともと資料の整理が悪いうえ、8月のホンバン取材のときデジカメで撮影したデータは、今年早々のパソコンクラッシュで、バックアップもとってなかったので、全部消えている。なくなって清々したと思っていたが、デジカメのデータを見ると、行ったところ移動のコースと順序を知る手がかりになるのだな。ま、でも、いいのだ、なんとかできた。

と、やっているうちに、とんでもないことになった。というのも、「ザ大衆食」のサイトのレイアウトやデザインを変えたくなって、あちこち変えだしたのだ。トップページのほかに、「ヨッ大衆食堂」「ホッ快食散歩」をかなりいじった。

やれやれ。

そのあいだに、来週いつでも出かけられるようにと、コツコツコツ仕事をいろいろ片づけ、かなり可能性が出てきた。

と、そのあいだに、大阪の「ミーツ」藤本男さんから電話やメールがあって、おれが校正で直し赤を入れたところが、直らないまま刷りあがったと。なーんだ、校正やった意味ないじゃないか。ま、でも、おれは、そういうことは、つまり大勢に影響ないミスは、ほとんどすぐ忘れる。一字や一文にイノチをかけちゃいない。イノチをかけるならオンナにだ。じっさい、忘れて、頭は北九州モードだ。いいよいいよ、ガンガンやろう。みんな、失敗しながら成長しているのだ。おれのように、失敗しても成長しないやつも、ときにはいるが。みんな、どーせ、消えちゃう、忘れちゃうのだ。

えーと、あと、「四月と十月」の校正も送った。これは、ちゃんと直るだろう。

ま、とにかく、頭は北九州モードなので、北九州の画像だ。この洞海湾に架かる若戸大橋、若松区と戸畑区を結んでいるのだが、この橋は自動車専用道路だから徒歩や自転車は渡れない。なので、市営の渡船が活躍してきた。これが50円。洞海湾の両岸と奥と海側を渡船から眺める、これがいいんだなあ。いいんだよ。

2008/08/23「どうなるのだ、どうするのだ、下北沢の都市再開発を考える「シモキタ・ヴォイス」。」に書いた、「まもるべき街」とは何か、だけど、けっきょく「まちの宝」は何かだね。自分の損得だけじゃなく、自分の趣味や好きなことだけじゃなく、「まちの宝」を考えておかないと。

儲けだの、趣味的生活だのといっているうちに、大事なまちが失われてしまうのさ。いまの東京のような大都会は、「まちに生きる」より「業界や市場と趣味に生きる」だからね、もう小さな趣味まで誰かの市場になっていく。「まちの宝」もクソもねえのさ。自分が儲かるなら宝、自分が好きなら宝、そういうのがウロウロしているだけ。それじゃ、生きるためのみんなの「まち」は、どうなるんじゃ。

そうなのだ、「まちに生きる」ってことについて、考えておきたい。「生活」だよ、「生活」にとって、どう大切であるかだ。カネや趣味、自分が好きなことしかみられなくなってゆくなかで。ま、できたら北九州まで行って、50円の渡船に乗って考えてみてよ。

上は自動車がビューンと走る橋、その下を50円の渡船でゆく。それだけでも「風流」な「観光」ではございませんか。

あっ、なに書いているか、わからなくなったから、やめる。
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2008/08/24

いまどきの「庶民」。

おれがよく酒を買う、近くのボックスストアの酒の品揃えが最近かなり変化している。

乙類つまり本格焼酎の銘柄の種類と陳列面積が少なくなった。そして安い甲類の、1.8リットル入りの箱パックと2リットル以上入りのペットボトルの陳列が増えた。清酒も同様で、銘柄数が減り、かつ1.8リットル入りの箱パックへシフトしている。あと増えているのは、ワンカップの焼酎と清酒の陳列(これは、おそらく、財布の手持ち現金をにらんでの、小口単価でしか買わない人がふえているのだろう)。顕著なのは缶ビールで、いわゆる缶ビールの陳列面積は極端に減り、発泡酒と第三のビールがそれに変っている。

説明するまでもなく、マスコミの見出しなら、「生活防衛」というやつの実態だろう。

2008/08/01「法人化せよ!やら、居酒屋ほろ酔い考現学。」にも書いたが、今回の「不況」の飲食店経営の厳しさは、低価格帯の「家酒」に対抗しうる決め手がないため、客単価や売上の低下どころか「客離れ」が心配されることだ。

それはともかく、これまでの飲み方を、厳しくなる財布事情にあわせて、「率」のよいほうへ変える動きが顕著だとみてよいだろう。

で、おれが、まず店頭で考えたのは、そのように何らかの対応をしているのが、いまどきの「庶民」で、一方には、そんなことを心配する必要のないひとたちもいるということだ。

これまで「格差」がいわれてきたが、でもアイマイなところがあった。たとえば、「庶民」的生活レベルと、そうではない、「優雅」とまではいかなくても「市民」的生活レベルの「差」がアイマイだったような気がする。しかし、そろそろハッキリしてくるようだ。それは、ビールを買う余裕がどれぐらいあるかで、簡単にわけられるほど、明快になるかもしれない。

そうなったら、おれはやはり「庶民」より「市民」がいいなあ、と、酒類販売の棚の少ないエリートのような面積しかない缶ビールの前で思ったのだが、そのとき、おれはいま述べたような酒における「生活防衛的」な策を、ほとんど考えてなかったのに気づいた。

それは、そのように「レベル」を下げる必要がないほど、すでにふだんから安酒を買っていたからで、つまり、あと残されている策は、飲む量を減らすしかないのだ。

そのことに気づき、ガクゼンとしトツゼン気分は萎れたチンポみたいになり、オランダ産アジ開き4尾入り、これがまだ値上がりしてなくて、300円ぐらいなのを買って、萎れたチンポをぶらさげて帰ってきたのだった。

そして、ここ数日のレシートのたぐいを見ていて、なんと、クソヤロウ、21日に新宿はション横の「鳥園」で飲んだホッピー、最初のセットが600円! 中が300円もしているではないか。ああ、そんなことが気になる、クヤシイおれって、やっぱ「庶民」的生活レベルか。ああ、酒の値段や飲む量など気にせず飲める、「市民」になりたいなあ。できたら、「国産」なのに高いアジの開きも食べたい。

そうだ、インターネットをやめれば、そのぶんが浮く。いまだって、インターネットやっているのは、そんなに日々の労働に追われていない、ま、プロバイダーに払うカネの余裕とパソコンに向かう時間の余裕のある「ネット市民」たちだからなあ。しかし、おれは「ネット市民」やめたら、完全に「庶民」になっちまうなあ。やだよ~「庶民」なんて、ネットも酒もやれる「市民」がいいよ~。ぐわわわわわわ~。おわり。

マスコミは「生活防衛」という言葉をつかい、国民生活の方向性を、そこへ収斂あるいは閉塞させようとするが、本当は、こんなときにこそ「生活向上」を謳うべきなのだ。「向上こそ、最大の防衛」。みんなでめざそうグルメな市民生活。

と書いても、大多数の庶民は、インターネットなんかやってないのだな。発表になっているインターネット普及のデータは、プロバイダーのダブリや、業務でだけしか使ってないひとも含めて、大多数の庶民がやっているような数字だけど。

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2008/08/23

どうなるのだ、どうするのだ、下北沢の都市再開発を考える「シモキタ・ヴォイス」。

以前、2006年7月3日東京・世田谷区下北沢で開催された「カルチュラル・タイフーン 2006 下北沢」の「都市を紡ぐ」のセッションにパネラーで参加した。その後、下北沢再開発に関する情報はさまざまで「錯綜」している一方、下北沢駅の地下化工事は着々とすすんでいる。

いったいどうなるのかと思っていたら、「都市を紡ぐ」のセッションで一緒だった、下北沢の都市再開発計画の見直しを求める「Save the 下北沢」という運動の中心メンバーのかたから、

来週8月29日(金)から31日(日)までの3日間、
下北沢の都市再開発について多角的に考える「シモキタ・ヴォイス」というシンポジウム&ライブイベントを行います。
とのニュースが届いた。

メールには「2006年10月、再開発の要となる幹線道路(補助54号線)の事業認可が東京都によって下されました。その後、開発を進める世田谷区は用地買収を進めようとしていますがいまだ買収は難航しています」とある。

「都市を紡ぐ」のセッションのときもそうだったが、この運動は、単純な反対運動とちがい、下北沢の都市再開発について「多角的に考える」ことをしている。

「計画の見直しを求める運動は、立ち上がりから5年近くが経ち、その間に様々な政治的局面を経験し、また様々な議論もしてきました。「街の個性をまもれ」という主張が届く範囲についてや、「セキュリティー」の論理とどのように向き合うべきなのかといった問題、さらに「まもるべき街」とは何かといったことについてなど、今回のシンポジウムでも改めて議論がなされると思います」

そうなのだ、カンジンなことは「まもるべき街」とは何か、なのだ。大衆食堂があるような街を守ろう、大衆食堂があるような街をつくろう。

下北沢の都市再開発問題を考えておくことは、アチコチでこれからも発生する都市再開発問題を考えるうえでも大切になると思う。「こういういい街や店がなくなるのはサミシイ」なーんて、あとから寝言をいうぐらいなら、いまのうちに考えよう。

というわけで、「ぜひとも皆様、来週末は下北沢へお運びください」「またHP、メーリングリスト等でご紹介いただけますと幸いです」とのことだ。おれは参加できるかどうかわからないのだけど、よろしく~。

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シモキタ・ヴォイス08

 都市再開発に揺れる東京都世田谷区・下北沢。
 昨年、道路予定地にかかっている劇場「ザ・スズナリ」が呼びかけ、運動関係者・学者・文化人・演劇・音楽関係者などが多数参加して都市再開発について多角的に語り合う「シモキタ・ヴォイス」というイベントが行われました。延べ1500人が参加し、スクラップ&ビルドではない、持続可能な街づくりを目指す下北沢の声を広くアピールしました。

 今年は道路計画の見直しを求める地元商業者のグループ「下北沢商業者協議会」が主催し、8月29日(金)から3日間にわたりシンポジウムや音楽イベントを行います。

 計画の見直しを求める運動の関係者をはじめ、都市計画学者の福川裕一さん、社会学者の北田暁大さん、批評家の仲俣暁生さんなど、多くの方が参加します。ぜひとも皆様お誘いあわせのうえ、下北沢にお越しください。

【SHIMOKITA VOICE08 特設サイト】
http://www.shimokita-sk.org/sv2008/

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当ブログ関連
2006/07/03「「若者文化」を商品化した「若者の街」の後の祭り」

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2008/08/22

新潟日報コラム「甘口辛口」の掲載紙が揃った。

新潟日報に10回連載のコラム「甘口辛口」の掲載紙が届き全部そろった。10のタイトル、掲載日と、文章の一部を転載しておく。


8月4日 「おふくろの味」の謎
リクツをいえば、「おふくろの味」という味はない。なぜそんなアイマイな表現で、もっとも自分たちの身近な食や料理を語るようになったかについても、私は興味がある。

8月5日 生活のなかの料理
豆腐はありふれた食材であるが、品質と値段はさまざまだ。何度も食べるのだから、豆腐の味によって、薬味や調味料などを作りかえ、やっこ料理を何種類つくれるかは、うまい豆腐屋や豆腐料理屋を何軒知っているかより、日々のおいしい生活には大切だと思う。

8月6日 家庭料理こそが食の原点
働いて生き、生きて働く日々の食事を輝かしいものにしてきたのは、家庭料理や郷土料理とよばれるものなのだ。

8月7日 生活と味覚
とくに戸畑区には、独特の細い蒸しめんを使用したチャンポンがある。
それは製鉄と共にあった町の生活のおいしい物語でもある。
そんな味覚が、たくさんあるはずだし、もっと見つけたい。

8月11日 広い世界と狭い知識
付き合いの長いアサツキに、こんな食べ方があるとは知らなかったし、そもそも、もりそばには刻みネギとワサビが「正しい」と思い込んでいた。
60代なかば、なおかつ身近なもので、こんな初体験があると、味覚の世界の広さと、自分の知識の狭さに、あらためて気づく。

8月12日 隣は何を食べるひとぞ
ときどき、子どものころ遊んだ近所の同年代の連中は、どんな味のものを食べていたのか考えるが、まったくわかならい。
味覚は個人に属するものだからこそ、多様でおもしろく探究のしがいがある。

8月13日 「そんなもの」が目玉に
日常の身近な食には、それなりのよさがある。どこにでもあるようなものでも、土地ならではの物語がある。その魅力を発見することだろう。

8月14日 祖父母の代は霧の中
食に「上品」「下品」をあてはめる悪癖をやめなくては、食の実態も未来も見えてこない。

8月18日 ココロの問題
なんでも他人のココロの問題にするより、自ら政策的見通しを持つことがカンジンだと思う。

8月19日 快食
庶民が、ちょっと夢の経済大国を体験したぐらいで「美食家」を気どることはないと思う。かといって、「粗食」や「清貧」に耐えることもない


当ブログ関連
2008/08/09
新潟日報コラム「甘口辛口」。
2008/07/25
文章のオベンキョウをしてみるかと思うこともある。北九州から電話。

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人身事故、豪雨の新宿、酩酊。

きのう。新宿でキヨタ嬢と19時待ち合わせのため、夕方、はやめに出かける。北浦和駅についたら、京浜東北線のさいたま新都心駅で人身事故が発生しとまっている。はやめにウチを出てよかった。運転再開までホームで待つ。電光の「遅延速報」のようなものを見ていると、京浜東北線だけではなく、京急線、東急東横線、有楽町線、副都心線、西部池袋線だったかな?とにかく6つぐらいの線で「人身事故」が発生し遅延している。なんという日だろう。

赤羽で埼京線に乗り換えるころ、ホームのなかにまで雨が吹き込む土砂降り。なんという日だ。それでも、はやめにウチを出ていたので、5分前ぐらいに待ち合わせ場所につく。キヨタ嬢あらわれ、なるべく雨に濡れないコースを歩き、ション横の鳥園。雨のせいだろう、空いていて、この時間なのに、少ないボックス席に座れた。

キヨタ嬢は、この夏、職種はかわらないが、会社をかわった。30歳チョイで転職何回か。貸しておいた資料を返してもらい、新しい会社のことも含め、あれこれ、とりとめのない話。前の会社で担当した最後の企画が反応よく、うれしいらしい。やれば、ドンドン力がついていくトシだから、いいねえ。生ビール2杯のちホッピー、中3。

キヨタ嬢は、以前に駒澤大学前のバーへ一緒に行ったとき、マチコ女王様と会っている。マチュカバーへ行ってみたいというので、ゴールデン街へ。雨はやんでいた。女王様の出勤日ではない。おれも木曜日は初めてなので、初めてのひと。白ビールのち、バーボンをロック。けっこう酔った。時間は素早くすぎ、気がつけば、埼玉の空の下へ帰らなくてはならない時間。

三丁目で地下鉄に乗るタキヨ嬢と別れたあたりから記憶を喪失。
いい散歩をしたような、いい酒だった。

「四月と十月」10月号の校正が届いていた。忘れていたが、おれの原稿は、連載なのだ。「理解フノー」が連載タイトルで、今回は、その1「ウマソ~」なのだ。それを見て、いまごろ、キンチョーした。

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2008/08/21

「生活を豊かにする」ということ。

ケラリーノ・サンドロヴィッチさんのブログ「日々是嫌日」の2008年08月12日「オリンピックに関わらない生活。」に、近年の自分の「稽古以外は台本のことばかり考えている生活」のことが書いてあって、最後にこうある。……「ただ、生活のことを考えずに生活し過ぎました。それはもう、明らかに。ということは以前も書いたと思う。 生活をしなければならない。金云々ではなく、生活をもっと豊かにすれば、豊かな芝居が作れるはずだ。わかんないけど。」

生活を豊かにする、って、たしかに何をやっているにしても大切だとは思うけど、どういうことかなあ。と考える。

おれのばあい。さしあたり、朝起きたら一杯の酒を呑みながら、今日は何を食べるか考えることだろうか。朝酒やりながら、好きな女と今度はいつ会えるかとか考えるのも、豊かな気分になれそうだが、しかし、さしあたりそんなことを考えても相手をしてくれる女がいるわけじゃないから現実的ではなく、やはり食う飲むのことになるか。

食べるものが決まれば、買い物も決まる。でも、食べるものが決まらなくても、買い物に出れば食べるものは決まるから、となると、今日は何時ごろ買い物に出るかなあ、どこへ買い物に行くかとか、あるいは出かける日は、今日はあそこへ行くから、ヨシッあそこで飲もうとか、あそこで食べようとか、そういうことをウダウダ考えるあたりから「生活をもっと豊かにする」ことは始まるのだろうか。あと、毎日、決まった時間に、好きなコースを散歩できるなんて、ずいぶん豊かなことのような気がする。

先日行った王子の大衆酒場「山田屋」は、「常連席」というのがある。

それは、自然に決まってきたのだけど、向かい合って、片側に10人以上は座れる長いテーブルだ。毎日来て、座る場所まで決まっているひとたちがいる。それを知らない、ほかの客がそこに座ろうとすると、店の人が「そこは毎日来る人がいるからあけといて」というぐらいのものだ。

その常連席を見ながら呑むというのが、みごとな「生活劇」を見ているようでおもしろいのだが、たいがいの常連は、あまり長くは呑んでいない。その飲み方が、またカッコイイ。

山田屋は、生ビールなどいくつかの飲み物以外は、自分でケースから出して席に持ってくるようになっている。常連は、決まった出入り口から入り(出入り口が二カ所ある)、決まったコースを歩いてケースのところへ行き、決まった飲み物を取り出し席に着く、そのとき周りの常連とそれなりの日々の挨拶をかわし、そのタイミングで店の人がそばに来て、注文を聞き、といったぐあいの一連の動きがあり、たいがいは言葉少なに無言劇のようにすすむ。そこに、ある種の「生活のリズム」や「生活の表情」が見られる。

彼らは、きっと朝起きたときから、あるいは、前夜、ここを出たときから、そのときを楽しみに生きているかんじで、それを見ていると、とても「豊かな芝居」を見ている思いがする。

というようなことを考えた。

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2008/08/20

学力より精力。大阪・鶴橋の焼肉。

Oosaka_turuhasi8月6日の夜は、京阪神エルマガジン社『ミーツ・リージョナル』の「ザ・めし」担当の藤本男をはじめ、若い編集者たちと、鶴橋の焼肉屋で宴会になった。彼らがイチオシ、とくに肉に目のない肉姫がイチオシの店だ。

ここが、エルマガ社のある肥後橋から地下鉄で鶴橋に出て、鶴橋からタクシーに乗り、あまり繁華ではない、はずれの場末の街の雰囲気の路地にある。店の名前、よく覚えていない。「万」がついたような気がする。写真を撮ったけど、まだ酔ってないのにブレているから店名がわからない。最近、このデジカメは、狂っている。しょっちゅう落としているせいだろうか。この画像をみると、「鶴芳ミート」の前、ということになるようだ。

とにかく確かに、うまかった。鶴橋駅からタクシー2台に分乗したのだが、おれが乗ったほうではないタクシーの運ちゃんは、行き先の店の名前をつげると、あそこは焼肉屋じゃなくてモツ焼き屋だといったそうだが、メインは臓物系で、これがうまい。初めて食べる部位もあった。

ああ、思い出すとツバがあふれる。その日は、肌に湿気がまとわりつくような暑さで、夕方には激しい雨も降ったのだが、焼肉をモリモリ食べて精力をつけたいというか、失った精力を回復したい気分に、またこの焼肉がよかった。

藤本男が焼く、炭火に脂がおちて、ぼうぼうと炎があがるなかで、肉を手早くひっくりかえす。おれの横にピタリ座った肉姫が、食べごろをとって、おれの小皿に入れてくれる。おれはひたすら食べ、生ビールのあとマッコリをがぶがぶ飲む。その間に、女子たちは、鋭い会話をかわす。藤本男と肉姫は、同期だそうで、まだ20歳代と知る。

で、まあ勘定して、安くておどろいた。こんな焼肉屋が東京にあったら通う。

そのとき話題になったが、大阪でも、焼肉屋が特定地域をこえて広がったのは、1970年代以後のことのようだ。東京のばあいでもそうで、ただ東京のばあい、駅周辺の闇市あとが特定地域のようなもので焼肉屋が必ずといってよいほどあったから、どこにでもあったような印象があるだけだ。

東陽片岡さんの漫画には、主人公がうなぎ屋でうなぎを食べながら、ガキのころ親に連れられていくのは焼肉屋ばかりで、すしやうなぎは20歳すぎてからだとつぶやく場面があったと記憶する。そこは焼肉屋が生活の中にある地域だったのだろう。

ほかの地域へ行けば、たとえば立石あたりなら、それが、ガキのころ親に連れられていくのはすしやばかりで、焼肉屋などは20歳すぎてからというぐあいに、60年代ぐらいまでは、都市のなかでも地域によって特徴のある食べ物があったということだな。それは主に、中国人や朝鮮半島人の存在によって特徴づけられていた面もあるだろう。

なんにせよ、焼肉をモリモリ食べていると、「学力より精力」というオコトバが浮かぶ。このオコトバは、東陽片岡さんがなにかの漫画のなかで使っていたフレーズだ。

異議なし!


それにしても、この焼肉屋、また行きたい。もちろん、ユッケやレバ刺し、生系もうまくて安かった。
とにかく大阪まで行かなくてもよいから、「学力より精力」と焼肉が食べたくなる残暑だ。

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2008/08/19

王子「山田屋」泥酔。

きのう。16時、王子駅で中原蒼二さんと待ち合わせ。山田屋へ。実際は、二人とも16時前に王子に着いたので、山田屋は開店5分前で、まだ電気もついていなかったが、入れてもらう。

生ビールでカンパーイ。うめっ。

酔わないうちにと仕事の打ち合わせ。あれこれそれこれ。とりあえず、また北九州へ行くことに。なにをやるか、来月、このブログにご注目ください。「雲のうえ」の取材じゃありません。でも、おもしろいことをやります。

大事な部分の話は終り、あとはガンガン飲むだけ。17時をすぎると続々客が入ってくる。

女の高齢者の客がふえた。おなじテーブルにも、そういうのが1人。おれと同じぐらいの年と思われる。が、ご本人は、おれをかなり年下と見ているらしい。やたら話かけてくる。店の主のような顔して、地元で40年をくりかえす。が、この店では、そんなに古くないと思われる。最近、定年退職してから通いだしたらしい。テキトウに相手をしてやるが、こういう場所での飲み方マナーをしらない、こういうバアサンが増えると店の雰囲気がかわる。(追記)そうそう、思い出した。このバアサン、あんまりシツコイので、おれが「おれたちはホモだから女には興味がない」というと、本気にしたらしく、引いたかんじで、それからは少しおとなしくなった。

と、むこうの常連席に見たことのある顔がすわる。見たことあるが思い出せない。しばらくして、近寄ってきて挨拶される。それで思い出した、なーんと、罵詈雑言芸エロ漫画屋、塩山芳明さんの同業友人の多田さんではないか。彼と、その前に会ったのは、鶯谷の信濃路で、昼酒を飲んでいたときだった。ロクでもないところで、ロクでもない時間に会う。信濃路も山田屋も、おれのブログを見て来るようになったのだという。ちかごろは、通勤途上ということもあって、おれよりよく寄っているらしい。ま、とにかくめずらしいので、3人であれこれ飲む。

けっきょく、生ビール2杯、ここに来ると飲める高千代の普通酒辛口を3杯飲んだあたりで、かなり酔いもまわりくたびれる。

出がけに急ぎの仕事が入り、それを片付けなくてはならないのが気になっていたので、とりあえず多田さんは残し、中原さんと山田屋を出る。せっかく王子まで来たのだからと、もう一軒、と、串之介だったかな?何回か行っているが、店の名前を覚えない。チュウハイとホッピーなんぞを飲んで、完全に出来上がり。

王子駅ホームで中原さんと別れる。

ここまでは、比較的よく覚えているな。だけど、あとは泥酔記憶喪失。

今朝、いま6時すぎ。おきて昨夜できなかった急ぎの仕事を片付け、メールで送る。

多田さんに、どこか、たしか飲み屋だったと思うが、場所を聞かれ、あとでこのブログかザ大衆食のサイトに掲載の記事を知らせるような約束をしたような記憶があるのだが、どこの話だろう。思い出せない。多田さん、どうしても知りたかったら、なんの話だったか、連絡ください。多田さんも覚えていたらのことだけど。(追記)そういえば、「雲のうえ」5号を1冊送る約束をしたことを思い出した。そのことか。

ちかごろ飲んで約束しても、覚えてないことがあるようだ。

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2008/08/18

木村衣有子「大阪のぞき」WEB版 第四回「demokura」に襟を正す。

木村衣有子さんの「大阪のぞき」は、 京阪神エルマガジン社発行の『ミーツ・リージョナル』と、京阪神エルマガジン社Webサイトの両方に連載されている。

きのう、15日に掲載されたWEB版の第四回「demokura」を見て、「衝撃」を受けた。というと大げさだが、「襟を正し」、とりあえず3回ほど読み直した。まだ何回か読み返すことになると思っているが、あまりにもショックが大きくて、酒飲んで寝たのだけど、そのことをずっと考えながら寝ていたようだ。朝早く目が覚めてしまい、また考えちゃうから、ちょっと忘れないうちにメモしておく。

木村さんは、一見、「女の子」が好きそうなテーマを、「女の子」が好きそうな文章(それは、また日本で最も古い体質といえそうな「男文化」が支配する活字文化や出版文化に巣くう男たちが「女の子」に期待するイメージでもあるようだが)で、書いているようにみえる。

だけど木村さんは、「確たる」といえるかどうかはともかくとして、いまどきのそういう文章を書いて満足している「女の子」とちがって、「ヴィジョン」があって文章を書いている。ということを、何度も一緒に酒を飲み、小旅行をしたことがありながら、そういう話は、まったくしたことがなく、木村さんの書いているものから、そう感じていた。

そのことがより鮮明、そしてなんだか、これまでやや試行錯誤がありながら、一つふっきれた、飛躍したものを、この「demokura」の文章に感じた。それは、おそらく、いま、「ものを書く」ということにおいて、一番大切な何かを、木村さんは、つかんだというべきか、覚醒したというべきか、そういう「新境地」を感じさせる。「確たるヴィジョン」に一歩近づいたようにも感じる。


おれは、ときどきここに、からかうように書く「日本的私小説的」文学風土が「嫌い」だ。「嫌い」というのは感情的であり、肌に合わないということもあるけど、それだけじゃない。それは好んだわけでもないのに、この列島に生まれてしまい、好んだわけでもないのに、この列島の言葉を使うがゆえに自分につきまとう風土なのだ。

モンダイは、その風土を自ら克服するかどうかだろうけど、それは、大げさにいえば、近代をひきずりながら現代を生きるか、近代を超克しながら現代を生きるかということでもある。おれはまあイチオウ、あまりマジメに取り組んでいるわけじゃないけど、問題意識をもって克服しようと、たまーに考える。と、思っている。

簡単にいってしまえば、「日本的私小説的」文学風土というのは、けっきょく「私語り」「自分語り」になる。日本の「私小説」といわれるものが、すべてそういうわけじゃないけど、たいがい多く流通している文章というのは、文章の最後に、こんなことを書く私は、「とてもカワイイでしょ」とか「とてもよい趣味しているでしょ」とか「とてもオリコウでしょ」とか「とても人生やモノゴトがわかっているでしょ」とか「とても個性的でしょ」とか「とてもダメでドジな人間でしょ」とか、あるいは「とても文章が上手でしょ」とか「とても文学がわかっているでしょ」とか、そういう「私」をつけたすとナットクのいく文章なのだ。

自意識の「過剰」も少なくないが、なんてのかな、自意識と外界とのバランスが悪い。ようするに外界とのバランスをどうとるかの「ヴィジョン」がない。

そんなことを、たまーに考えているおれは、この木村さんの「demokura」の文章に、「現代」をみた思いがした。そこで「襟を正した」わけだ。

おれは、2008/04/15「そこに、なにが、どのようにあるか。なぜ、それが、そこにそのようにあるのか。」なんて書いているけど、とくに努力しているわけじゃなく、やはり、これではいかんかなあと、「襟を正した」わけだ。でも、スグ忘れて、酒を飲むだろうけど。こうやってメモしておけば、ちったあ自戒に役立つか。

とりあえず、そういうこと。
朝7時ちょいすぎに、こんなことを書いて、きょうは始まる。

飲食店ガイドも、このように書けるとよいなあ。

京阪神エルマガジン社 大阪のぞき 第四回 demokura …クリック地獄

ライト日記 …クリック地獄

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2008/08/17

自然農法の福岡正信氏死去

冥福を祈る。

 
自然農法の福岡正信氏死去 マグサイサイ賞を受賞

 自然農法の提唱、実践で知られる福岡正信氏が16日午前10時15分、老衰のため愛媛県伊予市大平201ノ2の自宅で死去した。95歳。愛媛県出身。(略)

 岐阜高等農林学校(現岐阜大応用生物科学部)卒業後、横浜税関、高知県農業試験場などを経て、故郷へ帰り「不耕起、無農薬、無肥料、無除草」の自然農法を実践。樹木などの種子を粘土に混ぜる「粘土団子」で緑化に尽力した。1988年にインドの最高栄誉賞と、「アジアのノーベル賞」といわれるフィリピンのマグサイサイ賞(社会奉仕部門)を受賞した。

2008/08/17 10:49 共同通信
http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008081701000171.html


当ブログ関連
2006/03/17
誤解 自然農法と有機栽培

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『続・大阪味覚地図』で「東京=中央」を読む。

Hon_oosakamikaku
ああ、24時をまわり、ヨツパライ深夜便になってしまった。

まだシラフだったころ、一度、このタイトルで書き始めた。するとトツゼン、なにかが遠くで爆発したような、ズシンという音がした。なんの音だ、なにが爆発したのだ。と、思っていると、また連続して、その音がする。なんだ花火か、夕方雨が降ったのに花火やるのかよ。と、思っていると、トツゼン激しい落雷の音で電気が消える。あらららら、真っ暗。書いていた途中のブログまで消えてしまったよ。

まったく、夕方一度雷雨があって去ったから、もうないと思っていたのに、もっと激しいのが来て、二度も停電した。

じつは、「書評のメルマガ」が発行になっていて、2008/08/08「大阪続きで、書評のメルマガも「続・大阪味覚地図」。」に書いたように、今回は創元社編集部編『続・大阪味覚地図』創元社1965年1月だ。…クリック地獄

これが、ちょうどおれが大阪へ一年近く長期出張していたころの本ということもあって、あらためて読むと、けっこうおもしろい。いろいろ気になるから、付箋しながら読んで、気になるから、続けて、1970年版『大阪味覚地図・北』も、付箋をしながら読んでいる。

たまたま、「書評のメルマガ」の連載では、前々回に、「添田知道編『新訂 東京の味』保育社カラーブックス1968年」を取り上げている。…クリック地獄

その比較でも、いろいろ気になることがあって、おもしろい。

これは、料理や飲食店に関する評価や評論のことだけではなく、ほかのことに関する評価や評論にも関係あるのではないかと、そのことについて書いていたのに、落雷停電のおかげで、消えてしまった。

いまはもう書く気がしない。

という、報告であります。

ミーツ10月号の校正は、ザル目で凡ミスも発見、無事?に終わった。もうあと半月もない9月1日に発行。
それまで、このブログは、大阪ネタでいくか。

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2008/08/15

知らんよ。腹減るからめしをくう。それだけ。

きのう悩んだ豚さんの文章、きょう送ってから、考えなおし、やはり文章はぬきの画像だけでいくことにして、トリミング加工して送った。

いつも夏バテもなく元気そうだが、どうしてなのか聞かれる。
知らんよ、そんなこと。
とくに夏だからといって食欲が衰えるということはない。
朝から腹は減るし、腹が減ったらめしをくう。それだけ。
あと、酒を飲みたくなったら、酒を飲む。

たぶん「貧乏力=気にならない力」だろう。
でも、いつか、くたばるのだ。

牧野伊三夫編集長の「四月と十月」10月号の原稿を書いた。「画家のノート」である美術系同人誌だが、ここで何度も書いているように、みな「その筋」では高い評価を受けているひとたちが、「物書き」顔負けの文章を書いている。そこへ、書くのだから、怖気づく。なーんてことはなく、いつもの調子で思いついた話を、例によって、本日の締め切りに、余裕を持って間に合うように書いた。

こういうことを書いてよいのだろうか、こんなふうに書かなくてはいけないのだろうか、というようなことはあまり、というか、まったく考えない。何もあまり考えない。パソコンに向かって、このブログを書くように、考えていたいくつかのタイトルから、これでいくかというのを選び、最初の言葉を打ち、そこから転がるように、書こうと思ったことを書きたいように書くだけだ。ただ、このブログとちがい、文字数が決まっているから、それなりにメンドウはある。

しかし、これまでの「四月と十月」とは、まったく「傾向」のちがうものが載るのだから、はて、それが吉とでるか凶とでるか。おれとしては、なかなか、オモシロイ。とにかく、発行は、まだ先だ。そして、楽しみである。

美術に関係あるかどうかは知らないけど、「人間が食う」ということについての深い「理解フノー」のところを、直接そんなことを感じさせるような表現は使わずに、おもしろい体験を書いた。つもり。

「人間が食う」「生きる」ということは、あらゆる芸術の根底に関わることなのだ。なーんて、ね。知らんよ、そんなこと。

とりあえず、明日中に、ミーツの校正を終えなくてはならない。

「四月と十月」オフィシャルサイト…クリック地獄
おれは古墳部に参加したり親しくさせてもらっているけど、同人ではありません。

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2008/08/14

ブタさんで悩んだ。

Sigeru_ton_mono

きょうは、細かいことがいろいろあった。
細かいことをい