2018/08/20

テクノロジーとエネルギー。

きのうふれた『談 100号記念選集』をパラパラ見ていたら、石毛直道と樺山紘一の対談「ガストロノマドロジー事始め」ってのがあった。

ずいぶん大層なタイトルだが、談の編集長は、こういう学術風のタイトルの付け方が好きなのだな。もっとも『談』という雑誌が、学術ミーハーな雑誌なのだが。

「ガストロノマドロジー」って、なんだ、と思って読んでいくと、ようやっと半分もすぎたあたりであった。石毛さんが、こういっている。

「美食の歴史でガストロノマド、いわゆる美食遍歴というのがありますが、ヨーロッパのレストランの中でもイン(inn)やタバ-ン(tavern)など旅行に関わりのある食事の場所がたくさんあったわけですね」

ということで、どうやら「ガストロノマドロジー」ってのは「美食遍歴学」ってことで、もっと平たくいえば「世界美食ツアー学」てな感じ、といったらよいのかな。

樺山さんは「今は食材の方がツアーしてくるのですが」といっている。

この対談ツアーは、古代から現代、洋の東西にわたっているが、この初出は1996年2月発行の『談』53号だから、読んでいると、この20年間の移り変わりを実感する。

とくに世界的に見ても、いわゆる「エスニック料理」の台頭が、その地域の経済発展と共に盛んになったわけだけども、この対談の段階では、まだフランス料理と中国料理が軸になっている。

でも、変わっていないこともあるわけで、日本料理に関する、こんな話しなんか。

石毛 (略)それから素材のおいしさをそのまま出すこと。もちろん日本料理も人工だけども、その人工性をなるべく表に出さないようにする。その意味で、日本料理は反文化的な料理のわけです。

樺山 前文化的というか。

石毛 でもそれはぜいたくな料理なんです。

(略)

石毛 結局、日本の料理というのは野蛮なんですよ。その野蛮さを洗練化した。(略)

なかなかおもしろいのだなあ。「野蛮さを洗練化した」

この場合の洗練化とは様式化とイコールだと見てよいだろう。野蛮さを捨てないで洗練化する。おれは野暮を捨てないで洗練させたいと思っているのだが。

樺山さんが、魯山人の美について「あれは苦行的、閉鎖的な美の体系でしょう。通でないとわからない食味だとか料理術だとか、閉じ込められた集団の中でもって食の美があるというのは、むしろ明治以降の東京には合いやすい考え方ですね」といっているのが、おもしろい。

これは、「東京」というより、東京の中央の文化といえるだろうなあ。エラそうで閉鎖的で抑圧的である、それは日本の中央文化の特徴で、そういう「美の体系」は、出版業界あたりでは「文学」と共に、なかなか威力を持っているんじゃないですかね。ま、だいぶ衰弱がすすんでいるようではあるけれど。

そりゃそうと、「食とセックス」ってことで、こんなことをいっている。

樺山 そうですね。(日本人は)実質はおとなしい食生活、おとなしい性生活をやっているんだと思いますね。聞けば日本人はラブホテルで若いカップルでもシャワーを浴びてからセックスをするという。ヨーロッパ人は違う。やはり臭いが残っていないと、食欲がわかないということですかね。(略)

石毛 その代わりというか、一方で日本人の性に対するテクノロジーというのは、向うの連中から言わせたらものすごいものがある。

樺山 こちらテクノロジー、あちらエネルギーという気がしますね。

石毛 それは的確な言い方だと思いますね。だいたい日本人全体がそうなんですよ。

樺山 身も蓋もないけれども、こちらはエネルギーがないからテクノロジーでやっている。食だってそうですよ。彼らは基本的にたくさん食べますよね。というか、たくさん食べることに出発点がある。

石毛 たくさん食べて、そしてセックスもと。常にパラレルになっている。

といった話をしながら、対談は終わりに近づいていく。

石毛 (略)食と同様、性につても、今までの延長線上ではなく、もしちゃんとやるつもりなら、やはりフィールドワークをしなければならない。(略)ある程度の体験をもっていないと、筆力がついていかない。

樺山 そうですね。しかしこれはよっぽど若くして始めないとだめですね。

石毛 耳年増の性の話なんていうのはね。

樺山 もういくつも聞いたけど聞き飽きました。

石毛 年齢の問題があって、もう私の歳ではちょっと無理ですね。

樺山 気がつくのが遅かった。

石毛 先に性からやればよかった(笑)。

これでオワリ。なんですか、これ。
ま、学術的な話だからといって気取ることはないけどね。
おやじの愚痴で終わる「ガストロノマドロジー事始め」でした。

石毛直道 1937年生まれ。
樺山紘一 1941年生まれ。
おれ    1943年生まれ。

若者よ、気取るな、発情したまま丼飯を食らえ。

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2018/08/19

東日本震災以後の理性的な「思考停止」。

おれがツイッターを始めたのは2011年の2月のことで、3月11日の東日本大震災のちょっと前だった。大震災のあと、いろいろな分断や亀裂が生まれたり表面化して、自分と異なる考えなどに一撃を加えるのに「思考停止」という言葉がよく使われるのをツイッターで目にした。

相手に「思考停止」と言ってしまえば自分の勝ち、てな感じで、お互いに相手を「思考停止」と言いあっている「思考停止」を眺めていると、では「思考停止」じゃない人はどこにいるのだろうと思ってしまうのだが、「思考停止」という言葉がこうも使われるようになったのは、ツイッターが普及したからなのか大震災が何かしらのキッカケになっているのか、よくわからない。

とにかく、自分は思考停止ではないと思っている人が大勢をしめているらしいのだ。

そもそも「思考停止」って、なんだ、どんなことを指しているのか、ということでインターネットで探ってみると、まあ、みなさん勝手にいろいろ言っている。ようするに、「思考停止」を説明しながら、自分は思考停止ではないということを主張したいだけとも読み取れる。

よく考えてみると、「思考停止=悪」という考えこそ、思考停止ではないのかなあと思ってしまうね。

なんだか思弁的な言葉を使い思弁的なことを言っていれば、思考停止してないかのようなポーズもある。

そして、思考というと、やたら「理性的」なふりなのだ。つまり、「思考=理性」みたいな思考停止も見られる。

考えるときは理性的に。そうなのか。いいのか、それで。

自分は思考停止ではない、だから正しい、みたいなの、けっこうコワイ。まんじゅうコワイじゃなく、ほんとうにコワイ。

「思考停止」というレッテルを貼りながら、反証可能性、反論可能性を否定する、そして自分は絶対神に近づく。おお、神様仏様。ま、単なる狭量なだけじゃねえかという感じだけどね。エラそうな、カッコつけたゲンロンが多いってこと。

大衆食堂のめしを食っていれば、「思考停止」になりません。というのは30%ぐらいは嘘だけど。

ってことで、本日は、『談』91号(2011年7月号)に掲載の「理性主義を超えて……思考停止からの出発」という文章を読んでいる。「思考停止からの出発」ですぞ。

談編集部による『理性の限界』の著者高橋昌一郎へのインタビューだ。『談』100号記念選集に収録されている。

「理性主義、理性信仰がますます強固になっているという感覚、それに対する朧げながらの不安、危機感が、一般にもかなり共有されている」「それがまさに三・一一大震災によって現実化し、理性・科学に対する信頼が大きく揺らぐことになりました。ここで改めて、理性主義の限界について考えてみたいと思うのです」と、インタビューは始まる。

インタビューのなかで、高橋さんは、「私は「科学と民主主義」が無意味だと言っているわけではない。そのどちらも人類が導いた最高の成果なのですが、全幅の信頼を置くような対象ではないことを実感すべきだと申し上げているわけです」と。

それはそうだとしても、現在の日本の「科学と民主主義」の実態は、あまりにもお粗末だというのが、これまた大震災後に現実化している。

だから、大衆食堂ぐらいの思考が、丁度よいというか必要といえるのだな。

ようするに、絶えず人間(自分)の限界を知っておくこと。人間(自分)を過信することから「思考停止」は始まる。ってことか。

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2018/08/18

ぶらっと通俗的な温泉散歩。

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きのうのこと。朝8時半ごろ、思い立って、どこかへ行こうということになった。といっても、いつものように、手軽に楽しめる大衆食堂のような日帰り小旅だ。スペシャルでなくていい、ベストでなくていい、緑が多く涼しく爽やかで、温泉に入って何か食べられる食堂があれば、いい気分になれる。とても普通で通俗的な願いだし、通俗がいいのですね。

そういうときはたいがいここから行きやすい、日光の戦場ヶ原から湯元のあたりへ行くのだが、まだ混雑にちがいない。ネットで調べて、同じ方面だが少し違う、湯西川温泉へ行くことにした。

その駅は何度か通ったことがあるが、トンネルの中にホームがあって、トンネルの先はすぐ五十里ダム湖の鉄橋になっていることを知っていた。忘れていたが、一度は降りてみたい駅だった。

湯西川温泉は、そこからバスに乗って奥へ行くのだが、いまから出かけてそこまで日帰りは余裕がない。ところが、湯西川温泉駅のそばに日帰り温泉浴場があるとわかった、道の駅もあるから、温泉に入って何か食べることもできる。

電車を調べたら、10時18分東大宮発の下りに乗るのが都合がよいとわかった。栗橋で東武線に乗り換え、さらに下今市で乗り換え東武線から野岩鉄道を経由して、12時44分に湯西川温泉駅に着くのだ。

10時18分より10分ほど前の電車に乗った。これがよかった。栗橋の乗り換えで20分ほど余裕があったので、早速駅の売店でにぎりめしと缶ビールを買って、ベンチに腰掛けプシュッとやる。まあ、これが通俗的な楽しみの一つのわけで。

電車は、まだ混んでいたが、うまいぐあいに座れた。車窓の眺めは、関東平野。実りが一杯の田畑のあいだに、太陽光発電のパネルが、ずいぶん設置されている。

途中はとばそう。湯西川温泉駅のホームに降り立ったら、「寒い!」。ここは標高600メートル弱。それにきのうは、連日の真夏日が途切れ、下界でもいくらか涼しかったからか。

地上に出るには、エレベーターがあったが、散歩に来たのだから歩いて階段をのぼる。トンネルのホームから階段をのぼって地上に出る駅は、以前に上越線土合駅を何度か利用した。東京から谷川岳に登るために土合駅を利用すると、この階段がキツイ。たしか何百段かあるのだ。10年ちょっと前にも行ったが、もうあそこは登れないと思いながら、あの階段の何分の一しかないのに、息を切らして地上に出る。

出ると、なんと、駅舎に接続して道の駅があるのだ。二階が温泉浴場になっている。これはいい。地上は、さすがに寒い感じはないが、肌が冷たいぐらいの涼しさ。

少し歩いて汗をかいて風呂に入ろう。いい空気の中を歩きたい、前はダム湖が広がっているし、遊歩道があるだろう。と思ったがない。それどころか道の駅の前の道路は、どちらに向かってもすぐトンネルになっている。

ここは、もぐらが狭い空き地に頭を出したようなぐあいなのだ。

それでもと思って、クルマの通りが多い道路を横断し、ダムに近づいてみようとするが、無理だった。見えているダムを渡る橋の途中まで行けたらいいのになあと思いながら、湯西川温泉駅ホームのトンネルを出るとすぐある鉄橋を上から写真に撮る。まあ、これでもいいいではないか。芸術にはベストがなく、いつだってベターであるように、風景にもベストはない、ベターを楽しむのさ。味覚もそうだね、ベストは幻想。なーんて。ダム湖は、上流で雨が降ったようで、濁った水が流れ込んでいた。

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クルマやバイクが途切れない歩道のない道路は、通俗的ではないから歩く気はしない。じゃ、風呂に入ろう。道の駅の売店を通俗的に冷やかして、2階の温泉へ。入湯料510円。ダムが見える側に広い畳の休憩室があり、若者たちがゴロゴロしている。いいねえ、畳でゴロゴロなんて、通俗的で素晴らしいが、なかなかやれなくなったな。

室内に大きな湯船、外の湯船は半分ぐらい。白濁は少々で硫黄のにおいも少々。いい湯だ。これがいいんだな、あとのビールが楽しみだ。畳で少しだけゴロゴロ。ゴロゴロしているのは若者ばかり。ここは飲食禁止なのだ。

下におりて、食堂へ。カレーライス以外は、うどんそばメニュー。ま、高めですね、仕方ないか、これ通俗というものだ。冷したぬきそば700円とビール。ビールが缶ビールのレギュラーしかない、300円。ちょっと通俗的すぎやしないかと思ったが、もちろん飲んだ。風呂上がりの一杯の通俗的なよろこびを、300円で捨てるわけにはいかない。うまいねえ。

冷したぬきそばのツユが、あまじょっぱく濃くて、栃木の山奥に来たなあと、通俗的に実感しながら、残りツユに浮かぶ天玉をもったいないからすすろうとするが、ツユが濃くてすすりきれず、通俗的に未練を残した。

食べ終わったら、1時間に一本の電車が10分後に出る、電車に乗ってどこかで途中下車しようと思ったが、行きたいところが咄嗟に浮かばない、とりあえず下今市まで買って乗った。乗ってからすぐ龍王峡についた、そうだ龍王峡はまだ行ったことがない、ここで途中下車と思ったが、下今市まで切符を買ってしまった、通俗的にもったいない。しかも、乗った電車が東武日光行きなのだ、下今市から上りにならないで日光へ下る、ほとんどの客は上りの人たちで降りてしまった。おれたちは、成り行きまかせで、通俗の観光地日光へ。

東武日光駅に着いたら、駅の売店やらがオシャレに、通俗度が高くなっている。大勢の外国人観光客がうろうろ。なんのあてもない、何度も歩いたことがある、日光の街を歩いて見るか。駅前広場から通りに出たら、景色が変わっている。なんだ、なんだ、この映画のセットのような景色は、すごい通俗的だぞ。

道路は両側の歩道が拡張され、セットバックして建て替えられたらしい建物は、みんなピッカピカの江戸風というのかな、軽いあれです。電線などは埋設してあるから、眺めのよいこと、正面には男体山がデーンと。ほんと、映画のセットのような通俗的な景色。

その道を、金谷ホテルがある方へ向かって、ぶらぶら歩く。夕方だから駅へ向かって向こうから来る人のほうが多い。いろいろな人種がいる。おれたちは、変わる街並と人並みの中を歩きながら、以前に入ったことがある、まったく江戸風化してない餃子とラーメンの店を見つけ、よろこぶ。

金谷ホテルまで半分以上は歩いたあたりで、とくにそこへ行きたいわけじゃないから、引き返す。連れが通俗的な土産物屋で通俗的な土産物を買うというので、上の食堂で生ビールでも飲んで待とうと思ったが、中生700円の値段を見てやめて、通りのベンチに腰掛け、行き交う人たちを眺める。このあたり、東武日光駅の売店以外、缶ビールを普通の値段で売っているところがない。おれは普通の通俗がいいのに。

帰りは、来る時と同じ東武線ではツマラナイ、通俗的なJRに乗って宇都宮へ出て宇都宮線で帰るのだ。JR日光駅は、昔のままの建物だ。始発だから空いていると思って座った座席は、発車近くにドカドカドカと入ってきた外国人客で埋まった。イタリア語、ポルトガル語ほかがとびかう。

宇都宮線に乗ると、普通の通勤客の景色になった。普通乗車券のみでデレデレダラダラ、湯西川温泉駅でもぐらがちょこっと地上に顔を出したようにして遊んで帰ってきたのだが、大衆食堂でめしを食べたあとのように気分がよいのだった。

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2018/08/16

お盆休みに驚いたこと。

うちの近くのよく買い物をするスーパーは、おれはCクラスに分類している。標準より少し品質が落ちる低価格帯が中心の品ぞろえで、おそらく客単価も標準より低いだろうと思われる、中の下クラスというわけなのだ。

この地域に引っ越してきて、今年で10年になるが、最近数年で外国人の客が目立つようになった。人種も、かなりいろいろで、東アジア、東南アジア、インドやネパール、中東、アフリカ、中南米、北米、ヨーロッパ、いやあ、こうやってあげてみると地球上のあらゆる地域の人々がいるではないか。

その増える外国人の存在がきわだったのが、お盆休みの、今週の月曜から昨日ぐらいだった。

日本人の数がガクンと減った店内で、お盆などはないからだろう外国人が目立った。ともすると半分ぐらいは外国人だったのではないかという感じがするときもあった。ふだんはあまり見かけない、家族連れも目立った。子供たちは、みな小さい。

こんなにいるのかと驚いた。

少し前だが、何度か見かける、東欧の人ではないかと思われる女性と3,4歳ぐらいの娘が買い物をしていた。その娘が、陳列棚を指差しては「キモい」「キモい」といって、ケラケラ笑うのだ。母親のほうは「キモい」がわからないらしく、「キモい?ペラペラペラ」と話しかける(ペラペラペラは、東欧の言葉らしい)、娘はますます「キモい、キモい」を連発してはケラケラ笑うのだった。娘は、たぶん子供たちの遊びの中で、その言葉を覚えたのだろう。覚えたばかりで、使ってみたかったのだろう。

2月頃の寒いの日のことだった。近くの公園の遊歩道を、白人の小柄な男性(ラテン系のような体格)が赤ちゃんを乳母車にのせて散歩していた。その乳母車もクラシックなものだったが、散歩する男性のファッションが紺色の上等と思われるオーバーコートに皮靴をはいて、紳士然としているのだ。そして、赤ちゃんの顔をにこやかに微笑みながら見つめ、ゆっくり散歩しているのである。枯れた木立の遊歩道、なんか映画にでもありそうな、ヨーロッパな景色だなあと思った。

かと思えば、一昨日ぐらいだったか。そういう光景とは逆で、マッチョな体格のTシャツを着た白人おとうさんが、ママチャリの後のチャイルドシートに小さな子供をのせ、ビューンと勢いよくかっとばしていった。

近くには小学校があって、下校時には、肌の色や顔かたちや髪の毛が見なれた「日本人」とは違う子たちが、見なれた日本人の子たちと、楽しそうにおしゃべりしながら帰る姿は日常だ。前は、ブラウンの肌に縮れた髪の子が、日本語を話していると、なんだか違和感があったが、今はもうそういう感じはない。

なかなか興味深い変化だ。

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2018/08/15

「終戦記念日」に『瀬島龍三 参謀の昭和史』を読む。

今日は「終戦記念日」だ。「敗戦記念日」ともいう。どちらを用いるかで、そこに「思想」をみる人たちもいる。実態としては、敗戦し終戦になった。負けていなかったと強弁する人たちもいるが、日本の歴史上初めて、外国軍隊の占領下におかれたという事実は、消えるわけではない。

ってことはともかく、これまで終戦記念日だからといって、とくに何か書くほどのこともなかったが、今年は何故か、なんだか、あの敗戦が何かを呼び掛けてくる。

それは安倍政権が強力に進める改憲論議のせいかも知れない。改憲論者が、現憲法を占領軍の「押しつけ」をいうほど、あの敗戦と占領の事実が大きくふくらむ。

四月と十月文庫『理解フノー』にも書いたが、あの戦争で、父の弟が南の海で戦死し、母の弟二人は南方の激戦地から復員したものの、戦地で罹ったマラリアのため病死した。

それはともかく、先日、浦和の古本屋で保阪正康の『瀬島龍三 参謀の昭和史』(文春文庫)を買ったので、読んでいる。

瀬島龍三は、昭和16年の日米開戦ときも、18年の敗戦のときも、大本営の参謀として重要な役割を担った男だ。シベリア抑留から帰国したのち、伊藤忠の「参謀」として存在感を強め、イマの日本の流れのポイントになった中曽根内閣の「参謀」として臨調で腕をふるった。これほど日本の歴史の要所で何かしらの力を行使できる立場で関わった人物は、いないだろう。

保阪正康の本を読むのは初めてだが、調査や取材が徹底している、そしてあの戦争を構造的にあきらかにしていく手腕が、なかなかすごい。

瀬島龍三を主人公のモデルにした山崎豊子の『不毛地帯』は、あれは小説だから作り話だね、ということはわかっているつもりだったが、さほど真実の姿に近づいていたわけではないことを自覚する。

いま第二章の「大本営参謀としての肖像」を読んでいるところだが、父の弟や母の弟たちが戦死や戦病死した「対南方作戦」が立案され実行されていく場面は、瀬島龍三とあの戦争の虚像をはがしていく迫力がある。

ってことで、今日はあわただしいので、ここまで。

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2018/08/14

右「か」左「か」。おれの分銅。

四月と十月文庫『理解フノー』に、「右と左」を書いている。「右」は「右翼」の「右」であり、「左」は「左翼」の「左」で、そこに「右党」と「左党」をからめた。

さらに、恫喝の現場をチラッと書き、保革逆転がありうるかと騒がれた1974年7月7日投票の第10回参議院選挙に関わったおれの仕事にふれている。それは全国区で自民党から立候補し200万票以上を獲得して当選した宮田輝事務所の仕事のことで、短い文なのであまり詳しくはないが(といっても、あまり詳しく書く気はしないのだが)、最後にこう結んでいる。

「熱い夏だった。この夏に保革逆転を許さなかった自民と、逆転できなかった「革新」の「差」は大きく、いまでも続いているようだ。」

当時は「保守か、革新か」という言われ方をしていた。この選挙結果は、たとえば、近代日本総合年表(岩波書店)に、「自民62、社会28、公明14、共産13、民社5、7議席差の保革伯仲」とあるように、保守は自民62で革新は社会28+公明14+共産13=55というぐあいで、民社は除外されている。民社は、「反共」が党是というか、とにかく「反共」大事で、自民党を除く野党共闘には参加しなかったし、自民党と共同歩調をとることもあったからだろう。こういうのを「中立」というのだろうか。

やがて民社は解党、その流れはややこしいことになっている。公明は自民と連立を組んだ。

いまはもう「保守か、革新か」という言い方を見ることもない。だけど「右翼」「左翼」や「右派」「左派」という言い方はある。かつてはなくて、よく目にするようになったのは、「リベラル」だ。これは「リベラル・左派」とまとめられることもあるようだ。

しかし、そんな単純なくくりでは実態の把握はできない。これらの言い方は実態を反映していないし、ご都合主義的に使われているだけだ。

そのご都合主義は、「ワタクシ、右よ」「ワタクシ、左よ」というより、「アンタ、右だからダメ」とか「アンタ、左だからダメ」とか、「ワタクシ、右でも左でもない中立よ」とか「右でも左でもない普通の日本人です」といったぐあいに使われることが多いようだ。

「右でも左でもない普通の日本人です」は、いわゆる「ネトウヨ」とかいう人たちが好んで用いているらしいのだが、それはともかく「普通の日本人」だから正しいとか、「右でも左でもない中立」だから正しいみたい言い方は、チョイと論理的にもおかしいし幼稚すぎるだろう。

だけど、こういう傾向は、よく見かけるのだな。激しく対立していると、「極論は、いけない」とか「感情的なのは、いけない」とか「情緒的なのは、いけない」とか。

それ以前に自分自身の考えはどうなのだ、どうしたいんだ、と思ってしまうね。

ほんらいは、まず、自身がどんな社会や国家や政治をのぞむかの考えがあるはずだろう。その「どんな社会や国家や政治をのぞむか」という話は出ないで、「右でもない左でもない」とかワタクシは冷静で客観的で正しいというポーズの言葉が踊る。

けっこうメディアで活躍していたり、たくさん本を読んで知識もありそうな人が、そういうことだから、ずいぶん単純なアタマなのだなあとボーゼンとすることが少なくない。

ということに関係しそうなのだが、最近インターネットで、「天秤」の図が入った、「○○か、××か」という記事を見た。

ページが見つからないので何の話だったか忘れたが、二項対立にして、どちらを選ぶかとか、どちらが正しいかという話題は、よくある。以前には、「野球か、サッカーか」なんてのがあって煽られたりした。

昔からよくあるのは、「量か質か」というやつで、これはもう「量か質か」という問題の立て方そのものがどうかしているのだけど、よくある。見た目は、そういう場面がよくあるからだろう。皮相的であり、「矛盾」について知らないのか理解が足りないのか。

その「天秤」の図は、天秤ばかりの図だったのだが、片方に皿に「○○」がのり、片方の皿に「××」がのっていた。

「天秤にかける」ということについて、いかにもイメージしそうな図なのだが、オカシイ。天秤ばかりというのは、片方の皿に量る対象をのせ、片方の皿には分銅をのせて量る。

それでないと、「○○」と「××」は比較できないはずなのだ。

だけど、口車では、比較の仕方を誤ったまま、さも正しそうにしているリクツが少なくない。

「○○か、××か」なんていう二項対立の考え方は、ほとんどそうだ。

「文化的資産」や「文化的地位」がひとより「上」と思っている人たちに、けっこういるのは、どういうことだろう。

「分銅」について考えてないのか。

「右か、左か」「右でもない、左でもない」なんてことじゃない。自分が、どうしたいかなのだ。「おれの分銅」を持つことだ。

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2018/08/12

喉に刺さった魚の骨。

酒場のカウンターで隣に座ったのが、イキのいい看護師だった。会うのは二回目だが、このとき、彼女は病院の看護師で、最近は救急を担当していると知った。

彼女の話によると、いちばん多い「患者」が、魚の骨が喉に刺さった老人と子供だという。

土用の日には、うなぎの骨が喉に刺さった老人や子供が10人近く来たと聞いておどろいた。

おれはうなぎの食べ方が足りないせいか、うなぎの骨が喉にささることも知らなかったが、「土用」ということで、そんなにうなぎを食う人がいて、そんなに骨が喉に刺さるものなのか。

彼女がいうには、うなぎの骨は刺さりやすいらしい。

いちばん多いのはあじの骨だという。それはわかる、おれも子供の頃、何度かあじの骨が喉に刺さり、するとごはんをかまずに飲めといわれたり、それでとれないと、父がピンセットか何かでとってくれた。

小学校に上がる前のことで、白熱灯の下で、おれは口をあけ、父がとってくれたのだ。そういうことが何度かあったが、たいがいあじの骨だったという記憶がある。小学生以後は、魚の骨が喉に刺さった記憶はない。

魚の骨が喉に刺さった人は、救急車で来るのだろうか。

ほとんど家族が運転のクルマかタクシーだそうだ。ま、そうだろうな。

たかが魚の骨が喉に刺さったぐらいで、と、思ったが、彼女はたかがじゃないという。小さなトゲだってイヤなものでしょ。

ちゃんとレントゲンをとって処置するのだそうだ。

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2018/08/11

奇妙な情熱にかられている人による、奇妙な情熱にかられている人たちの本。

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昨日のエントリーで「奇妙な情熱にかられている人間」という言い方をしたが、おれの周囲で奇妙な情熱にかられている人間たちの第一人者というと、南陀楼綾繁さんになるだろう。

彼の近著の2冊、昨年11月にビレッジプレスから発行の『編む人 ちいさな本から生まれたもの』と、最近の『蒐(あつ)める人 情熱と執着のゆくえ』(皓星社)は、まさに奇妙な情熱にかられている人・南陀楼綾繁による、奇妙な情熱にかられている人たちのインタビュー集として、秀逸だ。

『編む人』を頂戴したあと、年が変わって1月に、下北沢のB&Bで牧野伊三夫さんとおれのトークがあったとき、南陀楼さんとビレッジプレスの五十嵐さんが来てくれた。

トークのあと、短い立ち話でおれは、南陀楼さんと五十嵐さんにごく簡単に感想をいった。酔っていたけど、シラフでも同じ。

「変態の人の本だね、変態だよ」てなことをいったのだ。

南陀楼さんは、たしか、「エンテツさんからすれば、そうかもなあ」って、やや困惑の表情だった。

混雑していてゆっくり話ができなかったので、それだけのやりとりで終わった。あとで考えると、おれは、「変態」は賛辞のつもりで使ったのだが、どうも南陀楼さんにはそこのところが伝わっていないのではないかという気がした。

ま、それでも別にかまわないが、先日、中原蒼二さんの『わが日常茶飯 立ち飲み屋「ヒグラシ文庫」店主の馳走帳』(星羊社)の出版記念パーティーで会ったので、普通に褒め直しておいた。

おれは、「野暮」だの「変態」だのを、プラスやポジティブの方向性で使うのだが、なかなか伝わりにくい。苦労します。

で、同じ変態傾向でも「奇妙な情熱にかられている」度からすると、最近の『蒐める人』は、その度合いがはるかに高く、「奇人変人」といっても差し支えない人たちばかりが登場する。

だいたい「好事家」とか「蒐集家」といった人たちは、時間や金はほとんど好きなことに費やす、ほぼ「奇人変人」のたぐいだからね。

どちらも、登場する人たちは「本」に関係する人たちばかりだ。

だが、業界内の自分や自分の作品の立ち位置とかに執着するのではなく、本の先を見つめているし、見つめている眼差しが人間として素晴らしい。

だから、あまり本の世界に興味がないおれが読んでも、いろいろな人生やニンゲンの話として読めて、しかも、とにかく南陀楼さんはインタビューの名手だから、核心的なところをうまく聞きだしてまとめている。

で、おれは、春日武彦さんの『奇妙な情熱にかられて ミニチュア・境界線・贋物・蒐集』(集英社新書)を思い出し、本棚にあるはずのそれを探しているところなのだ。

編集だの蒐集だのは、おれの最も苦手とするところだが、その変態性については高く評価しているのだ。近ごろの変態性のない編集だの蒐集だのは、じつにツマラナイけどね。だからこそまた、この2冊は輝く。とはいえ、仮におれがもっと若くても、この人たちのような生き方はしないだろうけど。

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2018/08/10

汚れ系とルーズ系。

去る8月1日、面白い顔合わせで飲んだ。おれのほかに3人、むさくるしい男ばかり。一人は初対面だが、おれは彼の親友とは知り合いで、いつか会いたいと思っていた。

ほかの二人は、それぞれには会ったり飲んだりしているが、3人顔を合わせるのは、かなりひさしぶりだ。かつては、よく飲んだりしていたのだが、近ごろはこのブログにも名前が登場しない、仲違いしたのかと思っている人もいるらしい。

もっとも近ごろは、どこで誰と飲んだなどは、あまり書かないようにしている。

それはともかく、場所は、神田小路。このメンツにはふさわしい場所だ。

何か用があってのことではなく、ただ成り行きで一杯やろうということになったのだから、こういう飲み会は、なかなかよい。

おれのほかの3人は、おれからいわせれば、かなり「奇妙な情熱にかられている人間」だ。それも、支配的なモノカルチャーの傾向とは反対に、「下層」や「汚れ」の方に情熱が向いている。ま、キレイなことには手を染められない、猥雑系ですね。

というわけで、気取った人たちが眉をひそめそうな健全な話に興じているうちに、時間が過ぎた。

昨日のことに関連するが、この4人、あまり売り上げにも利益にも貢献しない「生産性」の低い人間だ。なかでも、おれが年齢的にも最も生産性が低い。

それにしても、おれはここのところ「汚れカルチャー」から離れていたなと反省した。東京新聞の連載なんかやったり、たまにだがdancyuなんかにも書いたりしているから、知らず知らずのうちにそうなったのかな。旧活字文化系のメディアは、あいかわらずのモノカルチャーだから、飲みこまれやすい。気をつけよう。

今朝寝床の中で思い出したこと。

かつて「ルーズなシステム」がいわれたことがあった。「ルーズ」というと、善/悪二分法が主流の日本ではたいがい「悪」な扱いだが、ルーズなシステムとは「フレアー・スカート」のシステムであり、対極は「タイト・スカート」つまり「タイトなシステム」だ。善悪で片づけることではない。

それなのに、タイトな考えは、排除的になるから、ルーズは排除の対象でしかない。ルーズ=生産性低い=悪=排除、というわけだ。こういうモノカルチャーに対抗するには、もっとルーズに、もっと汚れ文化を、ということですね。

昨日の例の大衆酒場は、ルーズなシステムで動いているのであり、大衆食堂もルーズなシステムのところが多い。それが魅力にもなる。

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2018/08/09

生産性の仕組みと仕組みの生産性。

先月の7月18日に発売の「新潮45」8月号(新潮社)に寄稿の、自民党衆議院議員・杉田水脈議員の文章が問題になり、「炎上」の騒ぎになっていた。まだ波及的に続いているようでもある。

おれはその記事を読んでいないのだが、「LGBTのカップルのために税金を使うことについて賛同が得られるものでしょうか…彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」ということだったらしい。

とにかく、それで「生産性」と「差別」の関係にまで、ざわざわ「炎上」騒ぎになった。

まあ、そのこともあるが、そもそも杉田水脈あたりに書かせた新潮社も哀れだし、出版業界の衰退と泥船状態をあらわしているなあ、またもや、2018/07/13「「芥川賞候補作盗作疑惑騒動」ってやつ。」に書いたような現象も見られ、いやはや状態だった。

それはとにかく、「生産性」が話題になったおかげで、ずいぶん考え方の違いがあるのは、当然なのかもしれないが、興味あることだった。そして、違いはあるけど、杉田の主張に対し批判的であれ同調的であれ、大勢は、80年頃までの工業社会での価値基準による「生産性」だということが面白かった。

このあいだ、「生産性」を考える場面に遭遇した。

おれがときどき行く大衆酒場でのことだ。そこは大きなフロアーを、高齢のおばさんたちが受け持っている。そのおばさんたちが個性それぞれだし、いまどきの「効率第一」のシステムで動いているのではなく、彼女たちが人気でもある。

マイペースだけどせっせとやっており、注文を取りに来るのが遅いことがあったりしても、ゆるい雰囲気を、大方の客はよしとして楽しんでいる。しかし、彼女たちも年々だんだん弱ってきて、おばんさんでも、いくらか若いスタッフもいるようになった。

このあいだ行ったとき、いつものように、おばさんたちはせっせと動いていた。客席は8割方埋まっていたが、おばさんたちはいつもと同じペースで動いていた。客が呼んでいるのに気がつかなかったり、「はいよ」と応えてそのままになったり。おばさんたちはヨロヨロよりは少しましな感じで、せっせと動いていた。それで、それなりにスムーズの回転をしていて、客席もいつものようになごんでいた。

それが、目立って乱れた。のろのろでもスムーズだった動きが、乱れだしたのだ。そのうち、叱る女性の声が聞こえた。のろのろばさんに向かって「叱る」というより、短く鋭く「ののしる」感じだった。この酒場で、そういう声を聞くのは初めてのことだった。にぎやかで気がつかない客が多かったが、おれはその近くにいたのでわかった。

彼女は初めて見る、その時間頃から勤務につくらしい、いくらか若い中年の女性で、フロアーを仕切る立場の人のようだった。身体の動き、話し方からして違う。ほかの前からいるおばさんたちより、20歳以上は若そうに見えた。多くの酒場ではそうであろう、キビキビした動きだった。

もちろんこれまでも、そういう立場の人はいたようだが、「ナントカ長」という感じの「上」を感じさせることはなく、みな一つのフラットでのろのろなシステムで動いていたのだ。そういう光景は、初めてだった。

この「上」を感じさせるいくらか若い女性があらわれてから、ほかのおばさんたちがキンチョーしているのが、はっきり伝わった。

おばさんたちは、彼女のほうに気を使って、のろのろがおどおどな動きになり、スムーズな動きが乱れた。そのために、より注文が通りにくくなったように見えた。すると、そのより若い女性が、ささっと動くのだった。でも、酒場は大きくて、絶対に一人ではカバーできない。

そこでおれは、「生産性の仕組みと仕組みの生産性」ということを思い出したのだった。

個人として生産性の高い人ばかりを集めれば、全体の生産性は高まるか。その生産性は、どのくらいの期間で計算するのが妥当なのか。

個人の生産性の合計としての全体の生産性を計算していたのでは、仕組み=システムの生産性を考える能力は育たない。

子育てだって、同じことがいえる。

ま、子供を産むのを「生産性」で考える頭はどうかしているということはおいといても。

生むのも育てるのも自己責任の「生産性」なら、もうシステム(仕組み)の成長はない。

そもそも人間は社会的に生きているのだからなあ。

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