2019/10/05

読書と食事は似ているようだ。

今年は新年早々に入れ歯を壊してしまい、前歯の上下それぞれ数本だけになった。新たに入れ歯をつくるには、金がかかるが、もう「後期高齢者」といわれるトシであり、そういう新たな投資をするだけの肉体的な価値がないような気がしてそのままにしている。ほんとうのところは、金がないだけだけど。

したがって、入れ歯にせよ奥歯がない状態にかなり慣れてはきたが、前歯だけでは、「噛む」のはなんとかなっても、「咀嚼」はかなりぐあいが悪い。時間がかかるし、時間をかけても前歯だけでは咀嚼は不十分のままで、面倒だから飲み込んでしまう。

身体の仕組みのことは、よく知らないのだが、現象として、大便の回数が増えた。つまり、よく咀嚼しないと、消化吸収も短時間に不十分のまま、肛門に至るらしいのだ。うんこがゆるいわけじゃないが、食べ物が、さっさと身体の中を通過してしまい、血肉になる割合が少なくなっている感じだ。

それから、米よりパンや麺類の小麦食品を食べる割合が増えている感じがする。記録はとってないが。自然に食べやすいものを選ぶようになっているのかもしれない。

そんなことを気にしていたら、読書と食事は似ているような気がした。

食べたものが食べ物であれ知識であれ、咀嚼が大事だということだ。咀嚼が悪いと消化吸収も悪くなるし、食べやすいものばかりを食べていると、偏りが生じる。

たくさん本を読んでいる人が、その内容をよく把握あるいは理解しているかというと必ずしもそうではない。これは咀嚼が不十分だな~と思われるものが、書評として載っているのを、けっこう見かける。書評などを商売にしているひとは、急いでたくさん読まなくてはならないのだろうか。自分の咀嚼や消化の能力をこえて読むということもありうる。表現だけは巧みでも、まるで下痢便のようなレヴューが、インターネットや新聞雑誌などに載る。ま、インターネットの素人の投稿に下痢便のようなものが増えるのは、全体の投稿数からみれば自然のことだろうが。新聞雑誌の場合は、イチオウ編集者もいるわけだし、どういうことなのかわからない。

これも統計はないのだが、全体的に読解力のレベルが下がっているのではないだろうかと思うことがある。それは咀嚼力の問題でもあるだろう。

食べ物の場合の咀嚼力は、奥歯が決定的に大事だと、奥歯の入れ歯が無くなって気がついた。読書の場合の奥歯に相当するものはなんだろう。

少なくとも読解力の向上をリードするような作家や書評家は、少ないような気がする。亡くなった、あのひとやあのひとやあのひと…のような書評は見かけない。出版界のメインストリームも言論界のメインストリームも貧弱だ。編集者は、どう考えているのだろうと思うが、いまどきの出版社は人材を育てる余裕はないだろうしなあ。とにかく売りやすい食べられやすいものへと傾くのも仕方ないか。

知識は豊富でも、なんだか論理が稚拙で短絡しているのだな。無邪気ともいえるし、乳離れしてない。オッパイの飲みすぎか、離乳食の食べすぎか。

というわけで、おれは食べ物は食べやすいものを食べていても、読書のほうは離乳食は避け、食べ応え噛み応えのあるものをジックリ咀嚼しながら読むよう心掛けている。

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2019/10/04

おれも見沼田んぼのほとりで考えている。

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猪瀬浩平さんの著書『分解者たち 見沼たんぼのほとりを生きる』(生活書院、2019年3月)には、以前このブログにも書いたし四月と十月文庫『理解フノー』にも登場する「ダンゴムシ論」の根っこになることが書かれている。

「理解フノー」に書いたころは「ダンゴムシ=分解者」について十分に理解してなかった。そこのところが見えてきて、興味深いのだけど、なかなか重い内容が含まれているから、おれのような雑な人間には十分受け止めきれた自信がない。とりあえず5月2日に、概要だけ、ツイッターで紹介した。…と、2019/07/18「スリリングな読書と分解脳。」に書いてから日にちが過ぎた。

まだ十分受け止めきれた自信はないのだけど、書くことによって理解がすすむということもあるから、書き始めることにした。

見沼たんぼは、埼玉県の川口市から、面積の大部分はさいたま市に広がる農的緑地空間で、「東京の豊島区とほぼ同面積である」。

おれは、さいたま市の北のはずれ東大宮、見沼たんぼの北限域のすぐ近くに10年前に引っ越してきた。よく利用するスーパーの行きかえりには、そのほとりを歩いている。毎日のように見沼たんぼのほとりで考えているのだ。

そこに見えている芝川や見沼代用水西縁に沿って見沼たんぼを歩いて下ると、実際に歩いたことがあるが、1時間半弱ぐらいで、猪瀬さんが事務局長をしている「見沼田んぼ福祉農園」に着く。おれが猪瀬さんと初めて会ったのは、2013年11月25日、この農園でだった。

猪瀬さんは、明治学院大学の教員をやりながら、福祉農園のほかにも、NPO法人のらんど代表理事、見沼・風の学校事務局長などをしている。

猪瀬さんが、そのように見沼たんぼと深い関りをもち、「見沼たんぼのほとりを生きる」ようになったのは、猪瀬さんの6歳上のお兄さんが自閉症だったことに関係する。

この本は、自閉症のお兄さんと家族のことが芯になっているけど、「障害者と家族の物語」と「見沼たんぼの物語」がからみあいながら、「これまで」と「これから」を分解し紡ぎ直しているところに特徴がある。

その紡ぎだされたものが、序章「東京の<果て>で」の見出しに、「「とるに足らない」とされたものたちの思想にむけて」とある「思想」なのだ。

「私たちが、如何に雑多な存在と共に生きていけるのか、そのための思想を素描するのが、この本の目的である」

「「首都圏の底<見沼田んぼ>」は、1960年代あたりを境に、膨張する「「東京」の侵略」(©アクロス選書1987)によって「「とるに足らない」とされたものたち」の吹き溜まりになっていく。

その「ものたち」とは、「障害者」のような「者」でもあり「在日」といわれるような「者」でもあったり、廃棄物のような「物」や微生物のような「物」でもあるのだけど、猪瀬さんは、その者/物たちが見沼たんぼのほとりを生きる姿を描き、そこに「分解」と「分解者」をみる。

この「分解」という言葉と概念が、一般的な生活の中では、あまりなじみがないもので、おれの脳ミソでは咀嚼と消化に時間がかかっている。その「咀嚼」と「消化」も、分解の過程ではあるのだが。

「生きる」いとなみである、生産―流通―消費―分解―生産…というつながりの中の「生産―流通―消費」については、よく語られてきた。その中心には、いつの間にか、産業の思想がはびこり、そのもとで暮らすことに違和感を感じなくなっている。産業の思想は、より優れた(豊かな?)生産―流通―消費を基準に、さまざまな「とるに足らない」ものを排出した。そうして、「分解」も「分解者」も語られることなく、忘れ去られてきた。

JR東大宮駅の開業は、オリンピックがあった1964年の3月なのだが、その頃から、おれがいま毎日見ている見沼たんぼは、農村共同体的な風景から「東京の<果て>」へと姿を変えていったことになる。

猪瀬さんは、「私が見沼たんぼに惹きつけられるのは、首都圏/東京という歪に肥大化した身体の肛門から排出されたものたち」の存在があるからだと書く。「排出されたものたちが、思わぬ形で出会い、ぶつかり、交わる、すれ違う。そこでものとものとが交わり、熱が生まれる」

猪瀬さんがこの本で語る「分解」と「分解者」というのは、このことなのだ。

障害者たちは、見沼たんぼに引きこもっているのではなく、どんどん出かける。猪瀬さんもお兄さんと出歩く。「共に生きる」ためだ。いや、「共に生きる」ことを拒否し排出するものたちに向かって、「共に生きる」ことを理解させるためでもある。そういうときに、まわりの、自分たちを見る目や自分たちを見て話す言葉によって、「障害者」の兄といることを感じる。障害者は歪に肥大化した東京が広がる過程で「障害者」にされたのだ。

排出する側は、「とるに足らない」ものたちを「邪魔」や「障害」とする、排除の思想を持っている。そこにトラブルが生まれる。近頃、とくに排出された存在ではないはずの、子供をバギーカーに乗せて電車に乗ると、「邪魔」や「障害」とする排除の思想が働きトラブルになるニュースを目にすることがある。

子育てが、トラブルを起こす「闘争」の側面を持つようになったのは、子育てする人たちの問題ではない。「マナーがー」という見当違いの叩き方をする人たちもいるが、とにかく、そこにトラブルつまり闘争が発生する。

いま「トラブル」「闘争」と書いたが、それは片側からだけの見方なのであり、本書の第二部の「地域と闘争」の「闘争」には「ふれあい」というルビがあり、その扉には、横田弘『障害者殺しの思想』から「障害者と健全者の関わり合い、それは、絶えることのない日常的な闘争によって、初めて前進することができるのではないだろうか」という言葉が引用されているが、その「闘争」に「ふれあい」というルビがふられている。

この「闘争」つまり「ふれあい」も、「分解」なのだ。

ちょっとのはみ出しも許さないカタイ構造や、カタイ被膜で分断された構造を、分解し、「共に生きる」関係をつくりあげていくのは、容易なことではない。難儀なことだ。それを引き受けられるか、どう引き受けたらよいのか。とくに身近に障害者がいない身としては、考え込まざるを得ない。

「共生」「共食」「共考」といい、多様性を寛容を持って受け入れる、なーんていうが、実際はとても難しい。そもそも、「共」に、障害者や「とるに足らぬとされたものたち」は含まれているか、その顔が見えているか。

第三部「どこか遠くへ 今ここで」では、テーマはつながっているが、場所は見沼たんぼから離れる。

「やまゆり園で起きた凄惨な殺傷事件に、私は当惑した」と猪瀬さんは書く。

「容疑者は饒舌に語った。事件を解説する人、解釈する人も、饒舌に語った。(略)様々な言葉が、待っていたかのように溢れ出した」「私が当惑するのは、殺された人が語らない人であることにされている点だ(エンテツ注=「であることにされている」に傍点)。当然、殺された人は語ることができない。問題はそこではない。彼ら、彼女らは、殺される以前から「語ることができない人にされていた」」

そして「重度障害者の彼らには語るに足る人生があったと考えない空気が世間に存在していた」と指摘する。

この指摘は、おれのように「ライター」なんぞの肩書で、メディアがらみの仕事をしているものは、少なからぬ責任を持っていると思う。語るに足る、キャッチーな人や場所やモノなどばかりを、ネタにすることが多いからだ。それが、片方では、語るに足る人生がないかのような存在を生んだり、語らない人であることにされている人たちを生む、強い抑圧になっていることが少なくない。

かつて宮本常一は『忘れられた日本人』で、自ら語ることができない無字社会の日本人を発掘したわけだけど、猪瀬さんは本書で、別の意味で自らを語ることが難しい立場に排出され、忘れ去られようとしている人びとを描いているといえそうだ。

それだけじゃなく、「如何に雑多な存在と共に生きていけるのか」の思想を問うているし、読む者は問われている。

「分解」や「分解者」は、「食べる」と深い関係にあるのだけど、そのレベルのことになると、本書のあと7月に青土社から発行の藤原辰史『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』を一緒に読んで、ますますおもしろくなっている。

藤原辰史さんは、3月に農文協から『食べるとはどういうことか 世界の見方が変わる三つの質問』という本を出していて、これが、食べることの入門書として画期的にすばらしい。分解と分解者の存在意義が一目でわかるイラストまであるのだ。それを見たとき、おお、そうか、分解の思想は、難しく考えずに、ここからスタートすればよいのだと思った。

三つの質問の中の一つが、「「食べる」とはどこまで「食べる」なのか?」だ。

イラストは、子供が食べ、糞尿をしている。子供のまわりを、糞尿が自然から生物へ、生物から食べ物になり、また食べ、という循環のイラストが囲んでいる。その、子供のお尻の下の糞尿のところに「スタート!!」の描き文字があるのだ。

食べるというと、例によって生産―流通―消費であり、排泄から先は「とるに足らない」あるいは見たくもない考える必要もないような生活をしているのだが、じつは、食べるのスタートは糞尿であり、その分解から食べるは始まる、という見方ができる。

肛門も膀胱もある人間として生きるなら、肛門や膀胱の「先」も考えるのは当然だろう。食べれば「出る」のだ。そして分解があるから、全体の「生きる」がまわっていく。もし分解がなかったら、糞尿に埋もれて死んでしまう。分解には、もちろん、分解者がいる。

おれたちは、「出す」ことを前提に、食べている。食べなければ死ぬように、出さなければ死ぬ。食べることが生きることなら、出すことも生きることなのだ。食べ物と糞尿は、等価。まさか、このことは、忘れてないよな。口が現在なら肛門は未来だ。排泄は、未来に連動している。その先に未来がある。未来は、遠くにあるわけじゃない。おれのケツの下にあるのだ。便所の便器の先。とるに足らないとされたものたちが存在するところ。

そんなことを、見沼たんぼのほとりで考えているのだが、「分解」と「分解者」の話は、まだまだ続く。今日は、ここまで。

当ブログ関連
2019/07/18
「スリリングな読書と分解脳。」

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2019/09/30

明日から消費税10パーセント。

今日で、おれが76歳になった9月が終わる。

明日は10月1日、消費税が8%から10%になる。

消費税、ふりかえってみよう。

最初の導入は、1989年4月1日で、3%だった。バブル真っ最中。1989年って、平成元年だ。消費税は、平成とバブルがもたらした疫病神か。いやいや。

1986年11月、文春ヴィジュアル文庫『スーパーガイド 東京B級グルメ』発売。1988年3月、文春ヴィジュアル文庫『東京・横浜 B級グルメの冒険』発売。1989年4月、文春ヴィジュアル文庫『B級グルメの基礎知識』発売。

1991年、バブル崩壊。内閣府基準では、3月から。

1997年4月から、消費税5%。3%の8年後。

2014年4月から、消費税8%。5%の7年後。

そして今回、8%の4年後。ま、政府・与党は、前回10%にしたかったのだけど、強行できなかった。その後、消費者をうまく飼いならした、ということになるか。

8%になったときも、個人飲食店の閉店があった。閉店というのは、「倒産」とちがって、「自主的」であるから、社会問題になりにくい。今回も、ニュースで報じられているが、10%への報道的通過儀礼という感じだ。

ここに、「B級グルメ本」をのせたのは、いわゆるバブル崩壊後、斑模様のバブルはあったわけで、その一角を「飲食ネタ」が占めていたし、B級グルメは、ますます肥大化した。

いやいや、一角どころか、消費が経済をリードするようになった時代、あそこにこういううまいものがある、あそこにこういう面白い店/いい店があるなどの、消費的な飲食ネタが、バブル崩壊後のバブルを担ってきたともいえるのであり、それは、「B級グルメ」の下支えがあったからだと思う。

飲食ネタバブル。

よく知らないが、日経新聞が「ニンジンの皮もおいしく! 増税に勝つ食べ切り術」なる記事を打ったらしい。「消費増税を前に、無駄なく、賢く食材を使い切る工夫を共有しよう」と。いつか、何度も、見た景色だねえ。

そして、飲食ネタバブルは、終わらない。飲食ネタは、消費経済のために役立っています。消費者を飼いならすのに、とても有効なのだ。ということは、消費税の歴史が示すところではないか。

ほら、今日も、飲食ネタは、楽しそうでしょう。共に楽しみましょう。消費税増税の憂鬱など、どこ吹く風。

飲食ネタは、セツナイ、カナシイ。

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2019/09/23

「生きること」と「食べること」。

「近年ますます「食べる」と「生きる」が関連づけられて語られるようになった」と、きのう書いたけど、それはここ10年ばかりの大きな変化だと思う。とはいえ、まだごく一部の傾向にすぎない。

「食べる」と「生きる」を一つの言葉にすると「食生活」ということになると思うのだが、どうも「食生活」というと言い方そのものが、なんだか財布の中の一円玉を数えるように地味なイメージなのだ。

そもそも「生活」について、「考える人」たちのあいだでも、あまり深く考えられてこなかった。ということについては、考えることが商売の学者のあいだでも言われてきたことだ。日本の学術業界の中心は、生活のような形而下のことは学問の対象として考えてこなかった、なんだか高尚そうな形而上のことばかりを追いかけていたということらしい。

『現代思想』7月号「考現学とはなにか」特集に寄稿した「おれの「食の考現学」」では、1972年に発足した「生活学会」について、江原恵がらみで書いた。「生活料理学」を提唱した江原恵は「食生活学」も提唱していたのだ。

生活学会は、考現学の今和次郎が提唱し初代会長となり発足したが、川添登など中心的な役割を果たしていた人たちを失ったあと低迷し、それから少し盛り返したようだが、どのみちかなりマイナーな存在だ。

しかし、江原恵が「生活料理」を提唱した1975年前後からすると、学会はともかく、近年は料理が生活的に語られるようになったといえる。インターネットとSNSの普及、長く続く生活困難の現実や「生きにくさ」など、いくつかの要因が考えられる。

「料理」という言葉は、「食」や「食べる」より、かなり概念が絞られるが、「食」も「食べる」も、「そのフィールドはとてもつもなく広く、見えにくい」と「おれの「食の考現学」」に書いた。「「食」に関するコンテンツは花盛りだが、「生活」や「文化」と「消費」のあいだの混乱も多い」

「食べる」についていえば、あいかわらず、消費的な情報や知識が氾濫している。メディアに絡んでいる商売人も素人も、そちらに流されがちだ。

「もしかしたら他の読者はもっと押しつけがましくてもわかりやすくて、ほらここで笑ってくださいね、ってものが好きなのかなあ。そういえば私も新人の頃「クサいの描けばうけるよ」って言われて、わざと話をクサくしたこと、あった。で、ちゃんと、アンケートそこだけ上がった。ああ、そうか、それが現実かあ」

これは、業田良家『自虐の詩』上(竹書房文庫ギャグザベスト、2004年初版16刷)の巻末「解説インタビュー」で内田春菊が語っていることだ。

こんなにも感動的な名作な『自虐の詩』が、「もっとドカッと売れるって信じて」いたのにそうでなかった。なぜだ、「読み方はその本人に主導権があるべきだと思うのよ」と言ってから気がついた。

食べるについても、同じようなことが続いている。

食べること生きることは、本人に主導権があるべきだと思うのだが。

氾濫する押しつけがましくわかりやすく消費されやすい価値観については、ケッとか言ってすましておけばよいのに。

現実は複雑であり、自分もその複雑な一つを構成しているにもかかわらず、単純化された正と反、二択の話をふっかけられると、それにノリよくのっかってしまうことが多いのですね。

それはもう、なんでオレオレ詐欺にひっかかったりするんだバカヤローと思っても、実際に被害にあった人の話を聞くと、とても巧みな話し方で、うーむ、これならひっかかるのも無理ないかと思わざるを得ないような状況とも似ている。

ま、食べることについて書いている人たちの一般受けしているキャッチーな「手口」を研究してみるのも悪くないかもしれない。たのしく有意義な読書のためにも。

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2019/09/22

『たすかる料理』按田優子の推薦図書。

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「按田餃子」の按田優子さんによる『たすかる料理』(リトルモア、初版1月で2月には2刷り)は、かなりおもしろい。その画期性は、おれの『大衆食堂の研究』のはるか上をいくね。いわゆる「料理本」のたぐいになるだろうけど、単なる実用書でもない、生きること食べることに関する、なかなか教養深い書で、こういう傾向のものがなかったわけではないが、やっぱりなかったといえる。

『たすかる料理』(リトルモア)の最後には、「ふろく」として「按田優子の推薦図書」が載っている。このブログでその紹介をするつもりだったのに、すっかり忘れていたことを、按田さんと会って思い出した。

推薦図書は、「食べ物と体のヒントになる本」として、按田さんの紹介文付きで10冊あげられているのだが、そのラインナップがおもしろいのだ。

順番にあげてみよう。

『冷蔵庫いらずんのレシピ』按田優子著、ワニブックス
『ビダハン「言語本能」を超える文化と世界観』ダニエル・L・エヴェレット著、屋代通子訳、みすず書房
『雲南の照葉樹のもとで』佐々木高明編著、日本放送出版協会
『横井庄一のサバイバル極意書 もっと困れ』横井庄一著、小学館
『闘魂レシピ』アントニオ猪木著、飛鳥新社
『健康自主管理のための栄養学』三石巌著、阿部出版
『オナラは老化の警報機』荘淑旂著、祥伝社
『秘伝 発酵食づくり』林弘子著、晶文社
『内臓のはたらきと子どものこころ(みんなの保育大学)』三木成夫著、築地書館
『男前ぼうろとシンデレラビスコンティ』按田優子著、農山村漁村文化協会

最初と最後が按田さんの書で、この紹介文を読むことで、按田さんの生きる思想を知ることができる仕立てになっている。もちろん、その生きる思想は、食べる思想でもあるのだが。

この10冊のうち、按田さんの本を除き、書名すら知らなかった。『雲南の照葉樹のもとで』の編著者佐々木高明の本は、なにしろ「照葉樹林文化論」がにぎやかだったこともあり、何冊か読んだことがあるぐらいだ。

「食の本」は、ごまんとあって、いろいろな選び方があるけど、こういうラインナップになるのは、珍しいと思う。

「生きることは食べること」「食べることは生きること」など、近年ますます「食べる」と「生きる」が関連づけられて語られるようになったけど、その二つがシックリ包括されている感じの著述や実践は少ない。

按田さんは、著述でも実践でもシックリいっている、数少ない人といえるだろう。しかも、「按田餃子」のビジネスとしても成功しているのだから、ま、ビジネスとしての成功は、そこに現代の「流れ」を見るべきだろうけど、早すぎもせず遅すぎもせず、それにのれたのは、このラインナップに見られる、視野の広さと思想の柔軟性によるのかもしれない。

って、ことで、では、按田さんは、これらの本についてどういう紹介の仕方をしているかについては、面倒なので書かない。これからの「生きる」と「食べる」に関心がある人は、ぜひ読んでみてください。

当ブログ「按田優子」関連
2014/06/22
ku:nel クウネルの「料理上手の台所」、いいねえ。
2018/08/31
スペクテイター42号「新しい食堂」。
2019/04/16
充実泥酔。ありがとうございました、ヒグラシ文庫8周年トーク。
2019/04/30
ヒグラシ文庫8周年トーク・イベントのテープ起こしです。

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2019/09/20

社会問題にならない社会問題、新しいステップの分社化、89歳ママの様子を見に。

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昨日は、ひさしぶりに、仕事ではなく、飲みに都内へ行った。

いろいろあったことも大事にはならずにおさまる流れにあり、事業の現況とこれからについて話を聞いた。株式会社をもう一つ設立し、ひとつの事業をそちらに移管、さらに営業形態を変え別事業も拡張ということで、なかなか力強いですなあ。いまどきは、なにごとにも拘泥しないで、自ら変態し、ファンキー&フレキシブルに展開しなくてはな。

いろいろあった一つに、豚コレラみたいにある生物がからむ騒動があった。これはすでに実態としてはアチコチで騒動が広がっていて、社会問題のはずなのに、社会問題化されてないということがあって、ほんと、いまの日本というか日本人はフシギだ。豚コレラも、そうだけど、豚も日本人も大丈夫か。

一部のマスコミは事態をキャッチしているらしいし、ちょっとだけニュースになったのだが、なかなか社会問題化するのが難しいようだ。被害の当事者や関わる人たちが、口を開かない。被害を口にすると、自分が大きな火の粉をかぶることになりかねない。という、昨今の日本においては、普通になってしまった、問題を明るみにすることによって被害者がさらに被害を受けるという、これはまあ、なんと言いますか、黒でも騒がず白とみなし、あるいは白を黒だと言い、近頃の日本ではもう不条理が空気みたいなものだからね。

と、おれも、いろいろ「忖度」して、煮え切らない書き方をしている。豚コレラ問題も、なんだかモヤモヤしているけど、あれは東京の人間から見たら、タニンゴトに近い感覚なんだろうなあ。東京の人間が騒がないと、社会問題にならない。千葉県人や埼玉県人が騒いだぐらいじゃな。

だけど、これは、「美しい東京」のど真ん中で起きている、その美しいイメージをぶち壊しにしかねない、だから社会問題化しないようにしたいという気づかいもあるようだ。上品で美しい気づかいだ。死人が出るようなことじゃないし、このままダンマリで収束させるつもりなのだろうか。収束させられるのか。

てなことを「国際問題」と共に語り合いながら飲んだのであった。

そして、目的の酒場へ。このために行ったのだ。しかも、両手に花で。

89歳のママが、この夏は一度も店を開けなかった、心臓が悪いからどうしているのかと心配していたら、先日またのれんが出た。じゃあ会いに行こう、と。

体調が悪くて入院し、暑い夏は休んでいたとか。酒はやめたし、医者の言う通りにしていたら、少しやせたという。たしかにやせて、前みたいに動くのがしんどそうでないし、かえって健康そうになった。

89歳は、昭和5年、1930年生まれだ。戦中戦後をどうやって生きてきたか、もう何度か聞いた話もあるが、いつも新しい話が加わる。貴重な体験談で、いつも録音しておきたいなと思いながら、やらないで、ただ聞くだけで帰って来る。どうもおれは、プロのライターになり切れてない。なり切るつもりもないが。

今日になって、脳ミソをしぼって思い出したわずかなことを、ノートにメモした。

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2019/09/17

発売中『dancyu』10月号で、辰巳のアジフライ。

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去る6日に発売になった『dancyu』10月号は「揚げもの」特集で、おれは茅場町の老舗割烹「辰巳」の、昼のアジフライ定食を取材して書いている。

このブログを見ている人は記憶があるかもしれないが、おれはかつて、「アジフライは正三角形に近いほど旨い」という冗談仮説を検証すべく、「アジフライ無限的研究」と称するアソビをやっていた。

今回の『dancyu』からの依頼は、そういうことにまったく関係なく、締め切り切羽詰まってからのもので、お盆休みの最中でいつもの一軍クラスのライターさんの都合がつかなかったから大部屋ライターのおれがピンチヒッターに立った、という感じであった。

そもそもおれが「大衆食堂」とはクラスが違う「割烹」の取材だなんて、「邪道だろ」ということがあるかもしれないが、そういうことなら、白身魚に価値を置く割烹が、大衆魚の青魚のアジを、しかもフライで出すなんて、アリか?ということにもなるだろう。そういうギャップを越境するのは、なかなかおもしろいことだし、実際に、この取材はおもしろかった。

とにかく、かつて「アジフライ無限的研究」と称して、あちこちのアジフライを食べたが、「割烹に足が向いたことはない」と書き出し、次のように続けた。

「昼の定食とはいえ、割烹といえば和食、揚げものは天ぷらだろう。おそるおそる店主に尋ねた。店主は笑い、「邪道だろ、ですよね」。実際に30年ほど前、お客さんの要望で始めた頃は、そん感じだった。評判がよく今ではアジと帆立のフライだけ夜も出している」

そのアジフライは、やはり割烹なりの考え方でつくられているのだが、それは本誌を読んでもらいたい。

本誌には掲載されてない、店舗の全景の写真をここに載せておこう。中休み中なので、のれんは下がっていない。

昭和24年築の建物を、昭和26年に辰巳の初代が買い、手を入れながら使い続けている。本文の文字数が400字弱しかないので書けなかったが、初代は、明治生まれの女性が素人で始めたのだ。そういうこともあってだろう、いまの三代目は外で6年ほど修業したとはいえ「和食=日本料理」の伝統や格式、そのハッタリにしばられている感じがない。

素人から始まった都内の有名割烹は、開高健や池波正太郎などグルメな文士が褒め上げていた店などがあるように、有名料亭で修業したかどうかで料理が決まるわけではない。それはまあ、どの雑誌に書いているかでその書き手の文章が決まるわけではないのと同じなのだ。ただ、選択に自信のない人たちが、「有名かどうか」を気にするだけだし、そういう人はけっこういるし、そういう人を相手に仕事をしている人たちもいる。

辰巳は、そういうのとはチョイと違う割烹なのだが、それは「兜町」という立地が無関係ではない。辰巳の住所は茅場町だが、道路一本へだてて兜町だし、周囲のビルには証券会社の看板が並ぶ。

この地域は、おれも70年代には最低月イチは飲んでいたが、「株屋さんが多い」ことで、かなり特殊な地域なのだ。

「舌が肥えている人が多い」とか「口がおごっている人が多い」とかいわれることもあったが、それより、今回の取材でわかったことは、飲食に対する金の使い方が違うってことになるようだ。

「うなぎ」と「天ぷら」と「やきとり」がないと飲食商売は成り立たない地域。うなぎは「のぼる」、天ぷらは「あげる」、とりは「とぶ」…株にからんだゲンかつぎだ。金融という現代的なビジネスだが、根っこは賭博だから、どんなに計算しつくしても、食べ物にまでゲンかつぎがおよぶ。

客が金を使ってくれれば、店もそれなりにいいものを仕入れられる。老舗の割烹ともなれば市場の仲買いとの付き合いも長く、同じ仕入れ金でもいいものが手に入る。

それやこれやひっくるめて、この地域の食文化が成り立っている。ってことになるか。

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夜のおまかせセット4200円の献立は、「お通し」「造り」「煮もの」「天ぷら」「酢のもの」とある。これが、いわゆる「和食=日本料理」の標準献立ってことになるだろう。

もちろんアラカルトもあって、ポテトサラダもあるし、居酒屋使いもできる。大衆食堂で飲むようなわけにはいかないが、株屋さんたちに囲まれて、割烹料理を食べて飲んでみるのもいいかもね。

こういう飲食店は、「中クラス」ということになり、なかなか商売が難しいのだけど、食文化とくに料理文化の、けっこう大事なところを担っている。店主はたいがい料理長であり、裁量権の幅が、割と自由になるからだ。本人しだいで、料理法やメニューの工夫の可能性がある。

大衆食堂の場合、自由であっても、経済的に幅が限定されざるを得ない。格式ある料亭になると、格式や序列などにしばられて自由が制限される。

最後の写真は、入り口に何気なく飾られた祭り提灯。店内の壁には、押絵羽子板。店主は、地元っ子だ。

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2019/09/15

東京新聞連載「エンテツさんの大衆食堂ランチ」83回目、高円寺・タブチ。

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ボーとしていても月日は過ぎる、それが年を取るほど速くなるというが、その通りだ。加速度的。この勢いは止められない。気が付いたら、人間の海で溺れ死んでいるのだろうか。

もう9月15日だ、まもなくおれは76歳になる。先月30日、池内紀(いけうち・おさむ)が亡くなった。その活躍ぶりからしても、おれより一回り以上は年上と思っていたのに、まだ79歳だった。75を過ぎたら、四捨五入してもしなくても80代とかわらない感じになる。感覚的に、年齢差がなくなっていくのだ。

どんどん死んでいく人たち。おもしろいぐらい死んでいく。おれより6歳も若い中原蒼二さんも死んじゃったしなあ。ようするに人間も生物だから死ぬのだ。死ぬまで食って排泄するのだ。

東京新聞、先月16日の朝刊に掲載のものだ。すでにWEBサイトでご覧いただける。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2019081602000174.html

おれの周囲では、高円寺のタブチは有名店だ。おれの知り合いには、貧乏ぐらしをしていたか、している連中が多いからかもしれない。

看板からするとカレーとラーメンが売りのようだが、定食を食べている人たちも多い。

おれにとって、ここのカレー、とくに辛口は、特別だ。というのも、1962年に上京して、初めて、家庭や大衆食堂の黄色いカレーではないカレーを食べたときの、その味覚が、タブチの辛口カレーに「同じ」と言いたいぐらい似ているからだ。

味覚の記憶なんてあまりあてにならないが、色合いは、目に焼き付いている。なにしろ、黄色くない、黒に近い深い焦げ茶色のカレーを見たのも食べたのも初めてだった。

当時は、まだ黒ビールを飲んだことがなく、かなり歳月がすぎてから、初めて黒ビールを飲んだとき、あれっ、これは、あの黒っぽいカレーと似ているなと思った。その記憶が残っていた。

おれが、このカレーを食べたのは、飯田橋にあった「カレーの南海」というチェーン店でだった。

タブチのカレーは黄色いカレーと同じようにじゃがいもなどがゴロッと入っているが、記憶では、カレーの南海のカレーはじゃがいもは入っていなかったような気がする。それは、それまで食べてきた黄色いカレーより、「もっと洋風」な感じがした。

インド風だかネパール風だか、あるいはいまどきのスパイシーなカレーとか、そちらから見れば、タブチのカレーは「日本の昔のカレー」寄りになるのかも知れない。

が、これは「タブチ風カレー」なのであり、カレーの面白さと可能性は、「各人風」「各店風」が一緒に存在していることだろう。そういう「カレー環境」こそ「文化」や「社会」と言えるものではないか、と、近頃、そういう思いが、ますます深まるのであった。

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2019/08/31

地味で話題になりにくい、燃料と台所のこと。

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前のエントリーの早川でのことだが、かつて燃料店だったのではないかと思われる建物があった。青木食堂やうおよしがある、もはや商店街らしいカタチは失われた通りにあった。前回2006年4月25日に行ったときには、気にもとめなかったのか、青木食堂とうおよしの写真はあったが、ここの写真は撮ってなかった。

だから、どういう状態だったか、記憶の手掛かりがないのだが、たしか、店は開いていて、ほそぼそと何かを売っていたような気がする。

とにかく、今回は、立ち止まって、しっかり見て写真を撮った。

コンクリートの壁の、ESSOのロゴと灯油の文字の看板は、かなり古い。このようなカタチで灯油が売られていたのは、家庭の台所の火が、薪や炭から灯油に替わるころで、かつまだガソリンスタンドが普及する前のはずだから、1950年前半頃のものだろうか。

塩の専売もしていたようで、それを示すホウロウの小さなサインも軒下にあった。1945年の敗戦後は、しばらく薪も炭も販売店は登録制だったはずで、塩の専売も含め、この地域の食生活の要の位置にあったにちがいない。

建物も、屋根のそりぐあいまで、なかなか凝った造りだ。

燃料と料理の関係は、生活と密接にも関わらず、一般的には関心が低い。『大衆めし 激動の戦後史』に収録の「生活料理と「野菜炒め」考」では、戦後のおれの生活体験も交えて、野菜炒めを例に燃料と料理の関係を書いた。もちろん、あまり興味を持たれてないようだ。

二つばかりのテレビ番組から、おれを「野菜炒め研究家」と誤認識したらしく、おいしい野菜炒めが食べられる店だのおいしいつくり方だのの問い合わせがあった。いかにも、いまどきの偏った関心の示し方で、エンターテイメントな面白いネタになる料理と味覚、それも外食店のことばかり、生活の中の家庭の台所や燃料など地味だから眼中にない。

と、考えてみると、おれもまあ、ふだん何気なく過ごしていると、同じような状態だということに気づく。そういうビョーキが、かなりマンエンしている。と、気づくだけでもヨシとしよう。

戦後の薪や炭を使っていた頃、おれのうちが利用していた燃料店が、町のどこにあったか、もう思い出せないのだ。炭は炭俵で配達された。「薪」は、柴木と、いわゆる薪であり、これは父がリヤカーを引いて買いに行っていた記憶がある。柴木は長いから鉈で切り、薪は太いから鉈やまさかりで割って、かまどの近くの軒下に積み重ねた。その手伝いをさせられたことは覚えている。柴木はうちから見える近くの山でも採れたが、炭は奥の山で焼いていた。

ということを思い出そうとしているうちに、燃料店の歴史を知りたくなってネットで調べたのだが、「燃料店」レベルで、ちゃんとまとまったものがない。ますます気になる。

検索していたら、「江戸時代の資源・エネルギー」というPDFがあった。
https://www.enecho.meti.go.jp/category/others/tyousakouhou/kyouikuhukyu/modeling/pdf_cshs/04.pdf

学習指導要綱らしきもので、中学2年を対象学年とした社会教科だ。

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消費社会から循環型社会への転換が求められる現在、具体的な循環型社会への転換方法を考え、互いに自分の意見をまとめ、他者へ伝え、相手を納得させていく事により問題意識を高めていく。

32単元における視点●展開例の趣旨鎖国状態であった江戸時代の庶民の生活を知ることで、当時の人々が循環型社会を形成し、資源・エネルギーを自給自足していた社会を確認する。衣食住全ての分野でリサイクルが基本となっていた当時の状況を確認し、現在と比較することでこれから先、我々が出来ることを考えていく。●単元における展開例の位置づけ歴史的視点を持ちながら、現在の社会への置き換えを行うことで、資源・エネルギー問題を自分のこととして考える力を養っていく。

………………………………………………

とかいうもので、江戸時代が、モデルになる「循環型社会」だったかのように書かれている。

へえ~。

そういう炭と薪の生活が、それは井戸水や汲み取り便所と共にあったのだが、都会地はともかく、当時は人口も多かった田舎町では普通だった。普通の家庭の台所では、江戸時代が続いていたのだ。

あのまま続いていたら、周辺の山はハゲ山になり、燃料のために木を伐りすぎて文明が滅びたともいわれるギリシャ文明の末路みたいになったかもしれない。

いまの消費社会は、かなり歪んでいるから何らかの転換が必要だとは思うが、それが江戸時代をモデルにした「循環型」とは、どうなんだろう。

それに、猪瀬浩平『分解者たち 見沼たんぼのほとりを生きる』(写真=森田友希、生活書院2019年3月)と藤原辰史『分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社2019年7月)を読んだあとのおれは、そうは簡単に「循環型」になびかない。

早川で出あった、昔の燃料店らしい建物から、あれこれ考えるのだった。

身近な燃料と台所は、文明と密接な関係があるわけだ。というか、文明そのものだね。そのことを忘れさせる消費社会に生きている。

当ブログ関連
2018/11/12
大革命。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2018/11/post-743c.html

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2019/08/29

根府川、早川-小田原漁港。

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東海道線根府川駅は、近頃「ホームから海が見える」ということで売り出しているようだ。熱海や伊豆方面に行くとき、車窓から見える景色が印象に残っているから、じゃあ行ってみるかと出かけた。

ここ東大宮からは熱海行の直通があるので、乗り換えなしで行ける。10時16分発の電車に乗り、約2時間、飲み食いしているうちに着いた。

出かける前から、根府川からの帰りは、一つ手前の早川で降りて小田原漁港へも行ってみるつもりだった。小田原漁港へは、以前に行ったことがあり、早川駅から漁港までの途中にあった食堂や魚屋も健在かどうか気になる。

あいにくの曇天で、海は曇り空に溶け込んでしまったような、少し残念な眺めだった。めったに海を見ない埼玉県人としては、単純に「青い海」を期待しているのだ。

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根府川駅のある場所は、平地がなく、駅舎は崖の中腹にある。周辺には、休憩できる飲食店もない。そこから海岸線まで降りてみようかと思ったが、地図で確かめると、かなり遠回りしなくてはならない。この天気では、そこまでやることはないだろう、早川へ行けば海岸線を歩ける。1時間も滞在しないで、上り電車で一駅引き返した。

この前早川駅に降り立ったのは、2006年4月25日だった。と、このブログを調べてわかった。前日に牧野伊三夫さんに誘われ、横須賀での「風呂会」に参加し(そこで初めて瀬尾幸子さんに紹介された)、銭湯のちよく飲み泥酔し、おれだけ当時北鎌倉にあった牧野さん宅に泊まり、翌朝まっすぐ帰宅するつもりが、途中で気分が変わり、早川の小田原漁港のあと熱海まで行って温泉に入り帰宅するということをやった。
2006/04/26
横須賀風呂会泥酔鎌倉泊熱海よれよれ中野の夜
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2006/04/post_546b.html

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早川駅は、そのときとまったく同じ佇まいだった。食堂、名前を忘れていたが「青木食堂」も、10年以上の歳月を感じさせな佇まいで、健在だった。その筋向いの魚屋「うおよし」も、そのまま、あった。

うおよしの店頭のアジが、前回は午前中だったから、全身の鱗が金色に光っている状態でたくさんあったが、今回は午後のせいかその量は少なく、それでもゼイゴにそって金色の光が残っていた。それだけでも、東大宮の近所のスーパーのアジでは見られない輝きだ。

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青木食堂に入った。今回気がついたが、ここは洋食中心で、魚料理が食べたいと思っても刺身定食しかないのだった。すじ向かいのうおよしには、焼魚で食べたらうまそうな魚が並んでいるのに、たぶん食堂の客は近隣や漁港関係の人たちばかりで、となれば、魚より洋食なのだろう。

あまり腹も空いていないから、2人で刺身定食2人前はいらない、刺身定食一人前に刺身単品一人前にし、ビールを頼んだ。

刺身は、定食も単品も同じものだった。アジとマグロで、さすがに、アジは新鮮すぎるほど新鮮だった。

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腹ごなしに、漁港と周辺を歩いた。朝早く出かけたであろう、釣り客を乗せた船が帰港する時間のようで、けっこうにぎわっていた。

漁港の周辺には、蒲鉾づくりの店や、ひものづくりの店があり販売もしている。アジやイワシなどを店頭で干している店もある。

ここ埼玉にはない漁港の空気をたっぷり吸って帰って来た。

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