2019/01/27

川原真由美「山と地図となにか」展×若菜晃子トーク。

川原真由美「山と地図となにか」展が、今月23日から2月4日まで、吉祥寺のキチムで開かれている。
http://www.kichimu.la/file/kawahara2.htm

昨年末に川原さんからメールをもらって、ただちに予約しておいた若菜晃子さんとのトークがきのうあって、行ってきた。

吉祥寺、とおーい。距離的にも文化的にも。

きょねん初夏のころだったかな、同じキチムであった、斎藤圭吾×有山達也トークで川原さんと会って、山の話で盛り上がった。そのとき、山は好きでやっていることなので仕事にする気はないのだけど、最近山の仕事がくるようになって、それはそれでやっぱりうれしいというようなことを川原さんがいっていた。

おれは、むかしから趣味を仕事にする気はないが、それでくうほど仕事をするのでなく、楽しんで小遣いをもらう感覚ぐらいのことならいいんじゃないかなあと思いながら、まったく仕事にならないよりいいよね、なんていう話をしていた。

これ、きのうとおとといの「プロとアマ」のことにも関係ある。

トークでも、好きな登山と仕事とのかねあいのことが話題になった。

若菜晃子さんは、登山をする人ならたいがい知っている山と渓谷社で、『wandel』編集長や『山と渓谷』副編集長を経て独立、「山」をこえて、いろいろ活躍しているが、一昨年発売の『街と山のあいだ』が好評だ。

つまり若菜さんは編集者で、山を仕事にしてきた。編集も山もベテランだ。

川原さんは、2011年ごろから山に興味を持ち、山へ行くようになった。東京藝術大学美術学部デザイン科を卒業、イラストレーションやデザインそれに美大で講師もしている。

ついでだが、若菜晃子さんは、美術同人誌『四月と十月』でおれの理解フノーの連載がスタートしたとき編集を担当していて、メールでやりとりはあったが、お会いしたことはなかった。

川原さんは、そのころすでに同人であり、のちに同人は退いたが、おれは古墳巡りなどで会うことがあり、川原さんが山を始めてからは、おれも以前は山岳部やら登山に没頭していたことがあったので何かと山の話になるのだった。

トークは、「゛山と自分のあいだ゛になにが見えるか?」と題して行われた。

やはり、川原さんは、山はあまり仕事にしたくないようなことをいった。それには、仕事場と自宅が同じだから年中仕事に囲まれている、そこから抜け出す場が山だという事情もあるのだが、「山を描く」ことがある種の葛藤になる事情もある。それは、そこに見える山を、紙の上に写せばよいだけじゃすまない、ということに関わる。そのへんは「美術家」である川原さん独特の事情があるのだな。

一方、若菜さんのばあいは、自分の著作に自分で描いた山のスケッチを使っている。それは、文章を書くように描いたもので、色もつけないし、色をつけた絵を描いたことはないし、とくに「美術」をめざしたものでもない。それが、川原さんも「いい感じでおさまっている」というぐあいに仕上がっている。

若菜さんは、山へ取材に行くと、ほかの登山者に「好きなことが仕事でいいですね」といわれる。するともちろん口には出さないが、「だったらやってみろよ~」といいたくなるぐらい、時間があったら海へ行きたい、「仕事」で山また山の日々なのだった。

でも、二人とも山は好きだ。

この「好き」というのは、単なる「趣味」とは違うようだ。「趣味」と「好き」は、ビミョーに異なることがある。というのが、「山と自分のあいだ」と題したトークが浮かび上がらせた、いちばんおもしろいところだった。と、おれは思った。

なぜ山に登るのだ、そこに山があるからだ、というのはよく話になることだけど、もう一つ「山と自分のあいだ」を考えることで、見えてくることがある。川原さんは、「いろいろなことがつながっているということがわかってきた」というような言い方をしていた。

そのあたり、なかなか充実した内容だった。

「好き」を仕事にする、「趣味」を仕事にする、「プロ」と「アマ」、いろいろな言い方をするが、ようするに、すべては、「生きること」「どう生きるか」につながっている。街にいようが山にいようが。

お二人は登山という教養について語っていたようだった。

「仕事」とは違う視線を持つこと。

自分とひと、自分と自然、そのつながり。「自分と自然」というと、たしかに街より山のほうがみえやすいということはあるかもしれないが、自分の身体も自然だということを忘れやすい。

高い山やすごい山をめざす必要もない。頂上は、ひとそれぞれにある。

街を歩いている延長線上に山はある。街と山はつながっている。古墳も山。

大きくいえば、宇宙は全部つながっている、と、山の上で満天の星を見たとき、おれも思ったなあ。

川原さんの展示は、額装した「立派」なものではないけど、その気軽な感じからクソマジメさ加減が伝わってくる。なかでも、登山をするひとはよく五万分の一の地図などの、自分が歩いた登山道に色をつけるなどして眺め楽しむわけだけど、その印したところだけをトレーシングペーパーにトレースしたものが「作品」になるのは、川原さんらしい彼女しか描けないものだからだろう。おれは、これが、いちばんよかった。

とにかく、そのトレースの線が、ビミョーにふるえているような川原さん独特の、「繊細」といってしまうとツマラナイ線が、絵になっているのだった。

はあ、おれも、山行のたびに自分の歩いたところを赤鉛筆で地図になぞったのだが、その線だけを写しとって作品にするなんてねえ。おれがやったら笑われるだけだ。そのように、この作者だから作品になるということがある。

トークを聴きながら、自分が「意識して」山登りを始めたころ、それからと、四月と十月文庫『理解フノー』に書いたように登山をアキラメたときのことなどを、いろいろ思い出していた。

おれは、「山と自分のあいだ」も何も考えずに登っていた。それでも生きているし、自分の登山には満足している。

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2019/01/26

プロとアマ、きのうの続き。

きのうのプロとアマについて、ネットで検索していたら、やはり同じようなことを気にしている人がいた。

2014年06月15日のブログの投稿に、こんなタイトルで興味あることを書いている。

「プロとアマの違い。アマチュアリズムにこんなにも深遠な哲学があったとは思わなかった。」
https://plaza.rakuten.co.jp/sasoimizu/diary/201406150000/

この人もフリーライターだけど、こう思っているのだ。

……………
ぼくの中に、「プロ」という意識は、あまりない。
ほとんどないかもしれない。
もっとプロ意識をもって仕事と取り組まないとと思っていたのだが、
でも、
果たして、それは必要なことだろうかと、
今、思っているところだ。
……………

そして、「日本のラグビー界が誇る名将・大西鉄之祐さんのことを書いた「知と熱」〈文春文庫 藤島大著)」の「大西アマチュアリズム」という章から、このことばを引用し、「アマチュアリズムにこんなにも深遠な哲学があったとは思わなかった」ということなのだ。

それは、「アマチュアリズムは自由な行動で、金に対しても、政治的な圧迫に対しても、名誉に対しても、そんなものには自分を売らないという考え方です」、ということ。

おれも、「プロ意識」なんてまったくない。かといって、アマチュアリズムを信奉したいわけでもない。というのは、きのうも書いたように、プロだのアマだのというレベルのことには興味がないからだ。

そうそう、きのう「このあいだ、あることのアマチュアの方と話しているうちに、いまどきの「プロ」と「アマ」が気になった」と書き始めたのは、アマのなかにはプロに対してコンプレックスのようなものを持っている人がいるからだ。しかも、それは、ほとんど「プロ」側からの抑圧の結果なのだ。

ある傾向ばかりを称賛していれば、そこにダーク・サイドが育つ。という当然の成り行きがあるわけだ。

とにかく、おれの興味は、プロかアマかではなく、「人間としてどうか」という自分のオリジナリティとは何かであり、それは誰でも持っているもので、それがお互いに普通に自由に発揮できるといいなあ、ってことなのだ。

「プロ意識を持て」とか「プロとして、いい仕事をしろ」とかいった抑圧は日常的にあるわけだけど、そんなものはテキトウにやりすごしておく。なにそれ、ぐらいでいいわけだ。

プロ意識なんぞ持たずに、何かしらの楽しみを持ちながら、くいっぱぐれないで生きることが普通である世間が望ましい。昨今の「プロ」や「プロ意識」礼賛は、そういう普通を破壊しているのではないか。

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2019/01/25

プロとアマ。

このあいだ、あることのアマチュアの方と話しているうちに、いまどきの「プロ」と「アマ」が気になった。

おれは、「プロ」だの「アマ」だのには興味はなく、ただ「人間としてどうか」で、生きているだけなのだが。

おれの体験では、1960年代ぐらいまでは「アマチュア精神」なるものが、けっこう称揚されていたのに、いつ頃からか、プロが優れていてアマが劣っていることになり、アマはプロに隷属し、プロを憧れや目標やモデルや模範にしなければならないようなことになった。

そのいつ頃からかが気になって調べてみたら、オリンピックの黄金看板だった「アマチュアリズム」が、1974年のIOC総会でオリンピック憲章から削除されたあたりからだと思われる。

「アマチュア精神」と「アマチュアリズム」は必ずしも同一ではないようだが、「アマチュアリズム」は崩壊し、「ビジネス」と「プロ」という言葉が盛んに使われるようになった。

おれがそのころ趣味でやっていた登山の分野でも、1971年には「社団法人日本アルパイン・ガイド協会」ができていて、プロ化とビジネス化に向かっていた。

そう、あの頃から、「ビジネス」と「プロ」という言葉が、日本の世間に広がっていったのだ。

そして、日本では、1980年代から新自由主義がマンエンするにしたがい、アマはプロの市場であり予備軍というぐあいになっていった。

「囲い込み」と「囲われる」関係が、色濃くなっていった。

「好きを仕事にする」のが称揚され、プロに憧れ、プロに近づき、プロの中のプロをめざすことが、世間の機運になった。

「好きなこと」で、産業とビジネスという籠の中の鳥になっていった。それが「プロ」ではなかったか。

でも、アマは、たくさんいる。

たとえば、絵を描く、テニスやマラソンなどのスポーツをやる、そのことそのものには、アマとプロのちがいはない。そして、どの分野でも多数を占めるのは、アマチュアだろう。

日本の料理の世間でもそうだが、昔から「プロ」つまり「玄人」は、「アマ」つまり「素人」を見下し、隷属させようとしてきた。メディアでは、プロ側の知識や情報が、圧倒していた。

「アマ」つまり「素人」の料理とは、家庭料理であり、「生活料理」であり、「下人」の料理だ。

だけど、その「アマ」が、のちの料理の可能性をひらいた。蕎麦、寿司、天ぷら、丼物、などなど、「下品」「下賤の食」といわれたものだ。

とにかく、いまどきは、あることを「趣味」としてやっているのが、「アマチュア」というらしい。それに対し、「プロ」というのは、あることを「職業」としてやっている、ってことらしい。「職業」というのは、それで生計がたつほど金をもらっている、ってことらしい。その結果によって、手にする金額が左右される。

それでいくと「プロ」と「アマ」のちがいは、「金」だ。その「金」は、稼ぐ「金」もあるが、そのことに投じる「金」もある。

それと、誰の目にも明らかになりやすい「技量」の差だけのことだ。ところがそれは既定の方向性やルールなどがあってのことで、普遍ではない。スポーツだって、観客を退屈させないためや、テレビなどのメディアの意向のために、基準は変わってきている。

考えるほど、イマイチ釈然としない。

それか?「プロ」と「アマ」のちがいというのは。「ちがい」を見ればよいというものじゃない、「同一性」もあるだろう。文化からすれば、どっちが上で、どっちが下ということもないだろう。

アマチュアの選手が競技して、勝って負けて、そのあとは職場にもどって労働者として働いていた時代は、たしかにあった。オリンピックが終われば、故郷の学校の教壇に帰るという選手も、たしか、いた。

それがゼッタイによいとは思わないが。飲みながら考え、酔ってしまった。

美術や音楽や文章などの「表現」の世間になると、かなり複雑のようだ。

「プロ」と「アマ」を超越したいものだ。「プロ」「アマ」に関係なく、スポーツなら「身体」ということがあり、文化なら「精神」や「こころ」というものがある。しかも、その二つは切り離して考えることはできない。

考えていると、ますます、酔いが深まる。

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2019/01/24

東京新聞「エンテツさんの大衆食堂ランチ」掲載店リスト。

ザ大衆食のサイトに作った「東京新聞「エンテツさんの大衆食堂ランチ」」のページに、2012年10月の1回目から昨年12月の74回目までの全掲載店リストを載せた。…クリック地獄

よく続いているなあ。まだまだ載せたい食堂はあるが、もう後期高齢者がやる仕事じゃないという気もする。と、ただでさえ控え目でケンキョで遠慮がちなおれは、体力と食欲を考え、さらに控え目でケンキョで遠慮がちになっている。

先日、12歳下の男性と仕事のことで会って話をしているうちに、なぜかセックスのことになり、おれは四月と十月文庫『理解フノー』にも書いたように、とっくにダメになっているが、彼はまだ週イチで大丈夫といった。おれも、12年前ぐらいは、週イチかどうかは覚えていないが、まだいけていたはずだ、でも、10年前にはダメになっていたな、急にダメになるよ、ある朝とつぜんにお迎えがくるんですよ、もうそろそろですよ、と脅してやった。

食欲も性欲も体力も個人差がある。いつまでやれるのだろうか。いや、この連載のことだが。

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2019/01/23

やっぱり、ぶっかけめしだ。

きのう書いたように、「ザ大衆食」のサイトをリニューアルしている。

しばらくほっておいた、というか、とくに書き足すことがなくほっておいた「ヤッぶっかけめしとカレーライス、丼物」のコーナーのレイアウトを変えながら、少し書き足した。

こちら…クリック地獄

ぶっかけめしの歴史を考えていると、ほんとうに日本の歴史は偏っている、こうも庶民の生活を無視してよいものかと思う。

「複合型融合型美味追求の文化」と「単品単一型美味追求の文化」の対比、なかでも、ぶっかけめしの「複合型融合型美味追求の文化」は、庶民の食文化史の基本の事柄だと、あらためて思うのだったが、同時に、そういう庶民文化への関心のなさ、その裏返しであるアコガレの上ばかり見ている思想の根強さに絶望が深まり、ウフフフ、酒をやめちゃおうかなあと、その気もない決意をし屁をするのだった。

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2019/01/22

煮詰まり行き詰まりてんぱりで発作的に。

昨年末さぼりすぎた罰で、いろいろ重なってなんとかなっているのかいないのか、脳ミソがふっとうしているようだ。おまけに取材でボイスレコーダーのボタンを押し間違えて録音がとれてないという初歩的ミス、どうなってんの。どうもなっていない。

気分転換に、というほどでもないが、3、4年前に「ザ大衆食」のサイトのリニューアルに手をつけたままほったらかしになっていたのを、発作的にやりはじめたら、これがなかなかおもしろい。

主にレイアウトの変更なのだが、現在のレイアウトは2001年に始めた当時のものがベースになっていて、パソコンの画面で見るのが普通だったから、表を使って、いろいろレイアウトを楽しんでいた。

ところが、どうレイアウトしたところで紙メディアのようにはいかない。ブラウザによって見え方は違うし、さらに近ごろは、パソコンではなくスマホで見る人が増えた。

というわけで、レイアウトは単純のほうがよい。おれもトシだから、単純のほうが、サクサク更新作業ができる。

表を使ってのレイアウトはやめ、文章と画像と線を並べるだけにしようと、つくり変えている。

文字も小さいのは、だいたいおれがトシのせいもあって読みにくい、でかくする。

そうやって、発作的な作業がすすんでいる。

ホームページからブログ、ツイッター、フェイスブックとやってきたが、ツイッターとフェイスブックはほとんど見なくなったし書き込みもしなくなった。あそこは便器みたいなものだ。それも下痢便便器のようなもので、小さな文字でスピードがはやく、消化の悪い下痢便の垂れ流しについていく気のない、おれのような年寄りは疲れるだけだ。

ホームページは、「つくる楽しみ」がある。料理をつくる楽しみに似ている。やはり、おれにとっては、「ザ大衆食」が原点か、という感じだな。

レイアウトを変えながら、「昔」の文章を読むと、これがまたおれの「原点」を思い出させて、おもしろい。

しばらくは、これで発作的に楽しもう。

例えば、「エンテツこと遠藤哲夫の地位向上委員会」は、レイアウトを変えている最中で、上半分は工事が終わり、下半分に前のレイアウトが残っている。前/後がわかりやすい。
http://entetsu.c.ooco.jp/entetsutii.htm

もう工事が終わっているページも少しづつ増えている。

「ザ大衆食」の逆襲。なるか?

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2019/01/17

たらこと明太子。

きのうはひさしぶりにスーパーで買った明太子をおかずにめしを食べた。有名なブランド物ではなく、どうってことない安物だが、うまくて、うまくて、めしをたくさん食べてしまった。

明太子を買うのは一年に一度ぐらいか。めったに買わない。だけど、コンビニでにぎりめしを買うときは、かならず、鮭のほかに明太子かたらこを買う。

たらこもスーパーではめったに買わない。やはり一年に一回ぐらいか。一か月ぐらい前に、ひさしぶりに買った。そのときも、めしがたくさん食えたし、ちょっとあぶって酒のつまみにもした。もう、うまくてたまらん。

鮭とたらこは、ガキのころからよく食べた。めしがたくさん食える、ま、安上がりのおかずだったのだ。よく弁当のおかずにもなったね。

ガキのころは明太子など見たこともなかった。おれにとっては、明太子は、成人後の比較的あたらしい食品だ。

それからガキのころは、生でくえるたらこはなかったね。かならず、あぶった。あぶると、たらこの皮が一面、塩で真っ白になった。もう「塩害」という感じ。たぶん家庭に冷蔵や冷凍が維持できる箱がないころは、塩をたっぷり含んでいたのだ。しかし、焼けた白い塩がふいている、パリッとした皮がうまかった。めしを何杯も食べられた。

とにかく、いまはたらこか明太子を一年に一回ぐらいおかずにするときは、めしが底なしに食える感じだ。そうはいってもトシのせいか、ふだんの倍、茶碗に二杯ぐらいしか食べられない。倍もくえれば十分だ。無理矢理食べれば、もっと食べられそうだが、そこまでしないのがトシってことだ。分別くさい、だらしねえジジイになった。

たらこか明太子さえあれば、何もいらない。

いつごろからか、飲食店を評価するのに「コスパ」という言葉が流通するようになった。あれは、どういう基準なのだ。「コスト・パー・フォーマンス」ということなら、キチンと数値化できなくてはならないと思うが、そうではないようだ。かなり、いいかげんなんだな。いいかげんは好きだけど、いいかげんだということを自覚して、あまりエラそうにしなければよいのに、なんだかエラそうなのがいけないね。

たらこも明太子も、1グラムで、めしを何グラム食べられるか計算できそうだ。そうすれば、どんなにコスパがよいか、はっきりするにちがいない。

めしがたくさん食べられるおかずこそが、まちがいなく「うまい」のだ。そう確信してしまおう。なにしろ数値化できるのだからな。

生たまごぶっかけめしのばあいも、たまごのグラム数とめしのグラム数で計算できるだろう。もしかすると、たまごのほうがグラム単価が安そうだから、こちらのほうがコスパはよいかもしれない。だけど、チョイとたらすしょうゆの値段も計算しなくてはいけない。

栄養価まで含めたら、生たまごぶっかけめしのほうが有利のようだ。

でも、どうしてもがまんならないほど食べたくなるのは、たらこと明太子だ。

たらこのあぶり加減を、いろいろ考えて、いろいろ変えて楽しむ。あぶるときは、うちはメインがIHなので、オーブントースターでやる。なかなか加減が難しい。

むかし、炭火やストーブであぶったときは、網の上でひっくりかえしては加減を見られたが、オーブントースターのばあいは、そうはいかない。

たらこの大きさも計算し、何分にするか考え、セットしたあとは透明の窓からのぞきこんで、あぶられて表面の皮の色が変わる様子を、ジッと見る。見ているうちに生唾が出てきて、がまんならず開けてしまう。

オーブンの中は熱源の赤色で変わっているから、外に出して見ると、イマイチのことがある。もう一度セットする。

ときどきによって、レア、ミディアム、ウエルダンと焼き加減をえらぶ。

楽しい。うまいめしが食える。酒もたくさん飲める。

これだって、立派な料理なんだな。

さて、こんどは、いつ、たらこか明太子を買うことになるか。楽しみだなあ。

ううううう、考えるとがまんならない。明日、買っちゃおうかな。

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2019/01/14

生活細細―ジェネシスを追え。

「細細」は「ほそぼそ」でもあり「こまごま」でもあり「さいさい」でもあるが、その言葉のひびきを含めて、「生活」と相性がよい。と思うのは、おれの生活が、そんなぐあいだからというわけでもないだろう。

いつものスーパーへ行ったら、一人の20歳ぐらいの女性が、一袋100円のバナナを選ぶのに陳列棚のそれを一つ一つ取り上げては見比べていた。棚の全部を比べそうなぐらい、じっくり選んでいるのだ。

その容姿にほれぼれとしながら見ていると、彼女は選ばずにバナナから離れ、近くにあったパプリカへ移動した。パプリカは赤と黄が別の段ボール箱に入って並んでいたのだが、黄には興味がないらしく、赤のそれを、また一つ一つ取り上げては見比べている。これを「丁寧」というのか。

ようやっと一個を選び、備え付けのビニール袋に入れ、手にしていた店の買い物かごに入れると、またバナナにもどった。やっぱり選んでいる。何をチェックしているのか、わからない。きっと「こまごま」したことを比べているのではないかと思うが、それが彼女の生活なのだろう。

帰り、近くの公園を通りぬけた。ご老人が、といっても、75歳のおれと同じくらいかもしれないのだが、公園の水道から、大きなポリタンクに水をくんでいた。夕方、ときどき見かける。水を一杯にしたタンクは手押しぐるまのようなものにのせ、運んでいる。それも彼の「こまごま」とした生活なのだろう。

よく利用する安売りのドラッグストアへ行ったら、前はなかった「タマネギレタスサラダ」という、カット野菜の袋詰めがあった。

ドラッグストアは生鮮物は置かないが、袋詰めに加工したものは置いているし、その品種は増える一方だ。やはり置けば売れるのか。と考えながら手に取ると、袋には「こまごま」としたことが印刷されている。

「タマネギ、レタスが美味しい♪/タマネギレタスサラダ」「洗わずにそのまま/お召上がり頂けます」「原材料産地/玉ネギ(中国産)/レタス(茨城県産)/紫玉ネギ(アメリカ産)/製造日・・・/消費期限・・・・/内容量100g」「要冷蔵」、ここまでが表。

裏は、100gあたりの栄養成分表示や商品に関する表示義務に従ったものが表になっている。加工者は、レタスの産地、茨城県の食品メーカーだ。

ほかに「冷水でさっと洗って頂きますと、/よりおいしくお召上がり頂けます。」の見出しに「・野菜をカットする手間がかからないので、包丁やまな板などの洗いものを減らします。/・素材ばムダなく利用でき、ゴミを削減できます。」と、「ほそぼそ」「こまごま「さいさい」の生活を、巧みにゆさぶる。さらに「お好みのドレッシングをかけてどうぞ!」と。

棚の値段を見たら98円だ。うーむ、1g約1円か~と思いながら、買ってしまった。

無洗米が出たときに、「米ぐらい研げ」という声もあった。食育基本法が採決される前は、その機運を盛り上げるためもあって、日本人の食がどんなに「堕落」しているか、エライ先生たちがあげつらねた。

長いあいだ、生活を支配していたのは「道徳」で、「家事」に属する食事の支度や料理も「道徳」つまり「こころ」の持ち方が問題だった。「米を研ぐ」のも「こころ」の問題だった。家事や食事のことは道徳と説教、子供には躾だった。そこで「堕落」が問題になった。

「丁寧」に「手を抜かない」は、「方法」ではなく「こころ」のありようとして問題にされた。便利なものを使うと堕落する。便利で簡便な生活は、堕落だ。

堕落は悪だ。そもそも、堕落は、「悪」か。

生活は、時間と空間と金のコントロールであり、それぞれの実情にあった方法をとることだ、という「哲学」は「道徳」からは生まれない。

いまは無洗米どころか「レトルトごはん」が、種類も棚も増えているし、「カット野菜」も当初はコンビニ商材という感じだったがスーパーマーケットやドラッグストアでも棚が増えている。

何か月か前に買い置いた、「チキンラーメン」のカップを食べた。お湯をさし3分待って、フタをはいだら裏に、世界初の即席めん「チキンラーメン」の発明者で、世界初のカップめん「カップヌードル」の発明者である、安藤百福のことが印刷されていた。

彼は1910年生まれで2007年に亡くなった。チキンラーメンの発明は1958年、カップヌードルが1971年。きょねん、彼をモデルにした、連続テレビ小説「まんぷく」が放映された。

味の素を発明した池田菊苗は、1864年生まれ、うま味成分グルタミン酸ナトリウムを主成分とする調味料の製造方法を発明し特許を得たのが1908年。その50年後にチキンラーメン登場というわけだが、味の素の発明がなかったら、即席めんだけでなく多くの加工食品がこうはうまく軌道にのらなかっただろうし、味の素からチキンラーメンにいたる流れは、明治維新どこでろではない革命を、世界規模で生活にもたらした。

その大河ドラマは、NHKの大河ドラマどころじゃない。NHKの大河ドラマは、戦国時代や明治維新など、サムライたちが主人公のドラマばかりやっている場合じゃないのだが、ま、そのあたりに「生活」を道徳で制御しようとしてきた、事大主義の悪癖が見られる。

最近、また『ジェネシスを追え』(スティーヴ・シャガン、水上峰雄訳、新潮文庫)を読んだ。この本、1980年の発行すぐに買い、何回も読んでいるが、何回読んでもおもしろい。教訓にも満ちている。

なんといっても、扉にある、トーマス・ジェファーソンの名言だ。

「文明諸国を互いに結びつけている第一のものは、金であって、道徳観ではない。」

それはともかく、「ジェネシス」とは、ナチが発明した石炭に水素添加反応でガソリンなどの燃料を合成する製造仕様の暗号名だ。小説のなかでは、アメリカ人が「マーガリン」と呼ぶバターもつくれる話が出てくる。

1950年代後半だったか、マーガリンが普及しはじめたころ、マーガリンは石油からつくっている、実際に油臭いというウワサが流れた。味の素も石油からつくられているというウワサもあった。実際に、以前このブログにも書いたが、石油タンパクの商品化はオイルショクで取りやめになったが、実現手前までいっていた。

企業名は消滅してしまったが、例の「モンサント」をめぐる動きが思い起こされる。現実は小説より、はるかに複雑だ。

それに、食品も料理も「化学」であり「化学反応」なのだ。道徳ではない。

当ブログ関連
2003/01/14
石油たんぱく

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2019/01/10

「クレヨン画家」の話をききに。

毎日を丁寧に暮らし丁寧に酔っていたら、なかなかブログを書けなかった。いや、丁寧に怠けていただけ。

何年か前、美術同人誌『四月と十月』で、初めて加藤休ミさんの「クレヨン画家」という「肩書」を知ったときは、なんで?と思った。

ライターが原稿を書くときに紙と鉛筆を使っているからと、「鉛筆文章家」と名のるようなものじゃないか、でも、かりに「鉛筆画家」は成り立っても「鉛筆文章家」は成り立たない。墨と筆で文字を書けば「書」になるが、原稿を墨と筆で書いても「書」にならない。

そんなことをあれこれ考えたりしたが、なぜ加藤さんが「クレヨン画家」を名のるようになったのか、想像がつかなかった。

おれの体験では、クレヨンで描くのはガキのころから小学生ぐらいまでだったと思うし、小学校でも高学年では水彩絵の具を使うようになって、しだいにクレヨンから離れていったのではないかと思う。中学生のときは、だいたい「美術」だか「図工」だかの授業時間はどれぐらいあったか覚えてないが、クレヨンは使ったことがなかったと思う。高校では、美術か音楽か、もう一つなんだか忘れたが選ぶようになっていて、おれは音楽を選んだから、完全に美術からも絵からも絵の具からも遠ざかった。

つまり、いつのまにか、おれのなかではクレヨンから水彩そして油絵というぐあいに成長していくものだというイメージができあがっていた。クレヨンなどは、はるか遠くのかなた。だからといって、クレヨン画が能力的にレベルの低いものであることにならないが、わざわざ「クレヨン画家」を名のることもないだろう、そのあたりに「理解フノー」があった。

ってえことで、加藤休ミさんの話をきく機会にめぐまれたので、都内の加藤さんの仕事場へ出かけて行った。画家の仕事場は「アトリエ」と呼ばれることが多い。原稿を書く人の仕事場は「書斎」といわれることが多いのかな。そのあたりも、「絵」と「文章」ではちがうようだ。

とうぜん飲みながら話をきくために缶ビールを買って行った。だけど、それ以上に、加藤さんは缶ビールを用意していた。どんどん飲みながら話した。

なぜ「クレヨン画家」になったかの話は、とてもおもしろかった。すごく納得できたし、世間の価値観なんかにとらわれない、いい生き方だなあと思った。そのことについては、4月発行予定の『四月と十月』に書くことになっている。

それから、加藤さんのクレヨン画では、よく「食べ物」や「食べる」がテーマになっている。2012年に偕成社 から発行の『きょうのごはん』は、クレヨン画家・加藤休ミの名を高め広げた。最近の『クレヨンで描いた おいしい魚図鑑』(晶文社)も、なかなかよい。

だからクレヨン画と「食べ物」と「食べる」の話にもなった。そこで、すごくおもしろい話になった。

「生物」と「食品」のあいだは、自然と文化のあいだでもある。その境界に、「うまさ」や「うまそう」が関係すると思われるが、そこを加藤さんは絵でとらえる。

魚は、海で泳いでいるときは「生物」だ。そこは自然の世界であって、「文化」でも「食文化」でもない。ふつう、魚類図鑑といったら、生物としての魚の絵なのだ。あるいは「図」か。

それが、いつから、「食べ物」として扱われ、人間の「食文化圏」に位置するようになるかというと、人間の手に掛かったときからだろう(手に掛けるための様々な準備も含め)。しかし、人間の手に掛かるといっても、人間の「食べる」意思の働き、つまり主観が関係する。生け簀の養殖魚は生物だが、人間の「食べる」意思の働きのうちのことだ、水族館の魚やキャッチ&リリースの釣りスポーツは食文化のことではない。

ところが、仕事場の壁に、クレヨン画にしては大きめの、生のマグロの頭の絵があった。これは、生きているマグロの頭のようにも見えたし、うまそうにも見えた。

で、おれは、「生物」としての絵でも、「うまそう」なのは、画家のせいなのか、自分のせいのか、それとも魚そのものがうまそうなのか、しばし考えた。どれもありそうなことだ。だが、「うまそう」は、人間の主観のことだろう。

それに、「食べ物」でも、食べればうまいのに、うまそうには見えないものがある。たとえば、イナゴの佃煮など。

それに、焼海苔などは、どんなに上手に描いても、うまそうとは思わない外国人がいるだろう。

そういうことを考えながら、加藤さんのクレヨン画を見ていると、いろいろ世界が広がるのだった。

あと、加藤さんのクレヨン画は、具象のようで抽象であり、その境もなかなかおもしろい。具象といっても「点」という抽象の集合や連続なのだ。具象と抽象の境は、アイマイだ。

加藤さんとは1時半ごろから飲みながら話を始めた。しばらくして靴職人のオサムさんがあらわれ、それから、初めての人が、一人、二人、三人と増え、最後はオサムさんのパートナーも加わって、靴づくりの話はもちろんいろいろな話になった。『ぶっかけめしの悦楽』をご覧になってくれたひともいて、酒も話もどんどん盛り上がり、酔っぱらったのだった。

加藤さん手作りのチャーシューもうまかった。

みんなおれより30歳以上は若いわけで、70年代のことはもはや「歴史」であり、オサムさんに「記憶にある首相は中曽根ぐらいから」といわれ、うーむ、そうかあ、知識の共有はなかなか難しいことなのだなあとあらためて思った。日本人同士でも、十分に「多文化」を生きているのだ。

高円寺の円盤の田口史人さんの著書『レコードと暮らし』(夏葉社、2015年)は、内容もよいが表紙カバーの絵もよい。すごく気に入っているのだが、加藤さんのクレヨン画だ。

「洗練」とか「丁寧」とかいって、庶民文化の生活臭さやバイタリティを骨抜きにしてしまうような表現があるけど、加藤さんのクレヨン画は、そこのところをうまく盛り込んでこなしている。食べ物でいえば、「雑味」がうまくきいている、というか。こういうの、もっと広がってほしいなあ。気取るんじゃない、っての。

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2019/01/04

津村記久子とナンシー関の元旦。

新年おめでとうございます。正月早々いい日和が続いていますねえ。
今日から活動開始です。
仕事があるかなあ。仕事、くださいね。

うふふふふ、今年は「ていねい」にいくツモリです。
丁寧に、ていねいに、テイネイに、ね。
丁寧にいくには、やっぱり「です、ます」調ですね。
なんだか世間は「です、ます」で書いていれば「ていねい」ってことになるようなんですね。整形手術や化粧で見た目をごまかすように。
ちがうか。

さてそれで、きょねんの暮れの29日に、大宮のジュンク堂へ行き本を何冊か買いました。その中の一冊が、ミシマ社京都オフィスが発行する「コーヒーと一冊」シリーズの『大阪的 江弘毅 津村記久子』です。これ、前から気になっていたし、年末に飲んだHさんがおもしろいというもので、買っちゃいました。

そして元旦に読みました。

涙の1000円出費でしたが、おもしろかった。やっぱり津村記久子はカネを出したぶん以上の価値がある。

「1 大阪から来ました」を津村記久子、つぎ「2 どこで書くか、大阪弁を使うか問題」は江弘毅×津村記久子の対談、「3 大阪語に「正しさ」なんてない」を江弘毅、最後の「4 世の中の場所は全部ローカルだ」が江弘毅×津村記久子の対談、というぐあい。

ナルホド、そうきたか、と思うところあり。津村記久子のココがいいんだよねえ、と同意するところあり。いやいや、それはちょっと、という突っ込みどころもあり。とにかくおもしろい。

ところで、これまで津村記久子の何冊かを読んでも気が付かなかったのだが(エッセイはあまり読んでなかったからか)、「1 大阪から来ました」を読んでいて、あれっ、この目線、この言い回しなど、なんだかナンシー関に似ているなあと感じたのだ。

ナンシー関の文庫本は少しずつ揃え、おれのお気に入り枕元本になっている。その一冊を取り出して読んでみると、やはり似ている感じだ。

ナンシー関に脱線しながら江弘毅×津村記久子の対談「4 世の中の場所は全部ローカルだ」を読み進めたら、終わりのほうで、江さんが「津村さんね、また少年みたいな質問をしますよ。作家さんでうまいな、ええなーって思うのって誰かいますか」と聞いている。

そこで津村記久子が答えているのだけど、あれこれ言ったあと、「あと、一番えらい、というかほんま別格にあるのはナンシー関ですね」と言っているのだ。

ほほう、やっぱりねえ。ええじゃないか、ええじゃないか。

ってことで、ナンシー関の『何をいまさら』(角川文庫)も読んじゃって、そこにまたナンシー関が「慧眼」としか言いようのないことを書いている。コーフンした。

とにかく、ことしは元旦から、津村記久子とナンシー関で、グーンとパワーがついた感じなのだ。

もう「です、ます」なんか、どーでもいい。

「丁寧」といえば、
2018/12/29「「生活」の始まり。」に、「美しい暮し」や「丁寧な暮らし」にふれ、「近ごろは「丁寧」が印籠語のように使われるが」と書いた。

いつごろから「丁寧」がハヤリになったのか考えてみたら、おれの感じでは「暮らしの手帖」の編集長をしていたことがある松浦弥太郎が震源のような気がして調べてみた。

2008年に『今日もていねいに』をPHP研究所から出していて、2012年にはPHP文庫になっているのだ。

これでブームが決まり、ってことじゃないだろうが、一つの震源と見てよいのではないか。このあたりから、さらに東日本大震災をへて「丁寧」が流行していったと見てよさそうだ。

だいたい流行なんてのはウサンクサイものだが、「です、ます」のように「丁寧」な化粧をしたような言い回しは、とてもウサンクサイのですね。「です、ます」でハヤリにのろうとしている連中には、とくに気を付けましょう。

「生活」や「暮らし」の本質は「丁寧」にあるわけじゃない。津村記久子もナンシー関も、そのへんは、シッカリおさえている。だいたいさ、丁寧の基準て、なんなのさ。

丁寧だからいいってもんじゃないだろ。

おっと、こんなことを書いていると仕事がなくなるか。丁寧にいきましょう。丁寧に、です、ね。

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