2017/12/09

「駄蕎麦」

『TASCマンスリー』12月号が届いた。毎号、表紙は久住昌之さんの切り絵で、表2に、その文がついている。

切り絵のほうは、上海の日本蕎麦居酒屋の店主で、文には、その店主とは関係なく、「駄蕎麦は嗜好品ではないらしい」とのタイトルがついている。こういう文章だ。

 蕎麦は、今や嗜好品と普通の食事に、二極化しているようだ。
 前に頑固親父の手打ち蕎麦屋で、大学生が、
「腹一杯にしてぇんだったら、そこら辺の駄蕎麦を食ってりゃいいんだ」
と言われて小さくなっていた。そこの蕎麦は嗜好品なのだろう。
 駄蕎麦。それは嗜好品ではない。でも、僕は主人にだ蕎麦と言われるであろう、立ち食い蕎麦屋の真っ黒い汁のボソボソ麺も、大好きだ。
 昔は、手打ちではないけど、普通においしくて、丼ものやカレーライスもある町の蕎麦屋がもっとたくさんあった。僕はそういう店が好きなんだけど、都市部ではどんどん消えている。本格手打ちか、チェーンの立ち食い。ちょっとさびしい。

このことは、いろいろな問題をはらんでいると思う。

先日、あるところで打ち合わせの最中に、最近の「いい趣味」をしている本屋やカフェやパン屋などをチヤホヤする風潮はおかしいよねという話があった。本や喫茶やパンは、生活ではないのか、それは店主にとっても客にとってもということで、しばらく話題になった。

ま、おれはそっちのほうじゃないよという態度で耳を傾けながら、飲食をテーマにして書いている身としては、針の上のムシロとまではいかなくても、なんだか落ちつかない気分だった。

もともと日本には、「生活臭」のないものが文化的であると評価される傾向があったが、それだけではない現代のいろいろからんでいる。

簡単にいってしまえば、新自由主義と消費主義が抱き合って生まれたような思想と実態にかこまれている日々のわけだ。「いい趣味」と「駄」の二極化、ともいえるか。

きょうは、こういうツイートを見た。

ジロウ‏ @jiro6663

あるお酒が「とにかく安くて強い」という理由で流行り始めるといよいよ一人前の貧困国というか絶望社会という感じがしてくるが、世界史や国際情勢という遠い話として聞いていたその光景をよもや自国で目にする時がくるとは、という感慨もある。
11:30 - 2017年12月7日
https://twitter.com/jiro6663/status/938596663878344706

これは、「駄酒」の話になるだろう。

いい趣味からは、見下されるか無視される、駄な暮らしの飲食が広く存在する。おれなどは、駄の日々だ。それが普通の日々だ。「いい趣味」をめざす気は、さらさらない。

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2017/12/03

和菓子のこと。

和菓子のことを調べていて思い出したが、和菓子屋の経営が打撃を受けたのは、コンビニがレジまわりにちょっとした大福などの和菓子を置き始めたから、というのはどちらの当事者からも聞いた話だ。

そういう意味では和菓子は生活に根づいたもので、まちの和菓子屋もけっこうあった。生き残ったのは、立地がよかったか、コンビニの商品に負けないものをつくってきた、ということになるのかな。

おれがガキのころは、和菓子というと、いわゆるおやつのほかに、食事の後、必ずゆっくりお茶を飲むのであり、そのとき食べるものだった。これは、デザートともいえるもので、日本の菓子は、少なくともおれがガキのころまでは、食事の一環あるいは補完や代用として位置づいていた。

それが、どのようにして食事の思想から別のものになったかということは、おもしろい現代的なテーマだと思う。

たぶん、「食事のだんらん」というものが普通だった時代と、それが崩れていったことにも関係するだろう。

ところが、和菓子というと、例によって職人技のような、生産サイドの話ばかり多く、生活のなかの文化としてどうだったかの話は、少ない。たぶん書くのも大変だし、書いても売れないからだろう。文化的な装いをした話をしていても、根本は文化的ではなく、産業的であり消費的なのだ。

そうやって、文化の断絶の溝が深まる。

和菓子や和菓子についての話は、生活必需のことからはなれて嗜好品的に消費を刺激する恰好な位置を占めるようになった。それにつれて、食事の文化として語られることがなくなったのだ。

と、いえそうだ。と、今日は考えていた。

おれがガキのころから食べていた、新潟の笹団子を調べていて、そんなことになった。

おれの記憶では、生活からはなれたものとしての菓子は、いつごろだったか、小学校に上がるまえだろう、クリスマスの安っぽいショートケーキあたりから始まったように思う。いや、もしかすると、キャラメルやドロップあたりかもしれない。夏にはキャンデーもあったな。キャンデーは、駄菓子のような、娯楽としての菓子といえるかな。と考えていると、生活のなかの菓子の文化と、そうでない菓子の文化の境目あたりがみえてきそうだ。

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2017/12/02

「四月と十月」大洋印刷感謝会。

昨日は、ひさしぶりに都内へ行った。

おれは同人ではないが、「理解フノー」という理解フノーな連載をしている、美術同人誌『四月と十月』の、毎年恒例の「大洋印刷感謝会」が、水道橋のアンチヘブリンガンであったからだ。

同人のみなさんと、おれのような連載執筆陣が20名ほど集まった。大洋印刷さんからは3名。

たいがいの人は、1年前の四月と十月文庫『理解フノー』の出版記念会以来だった。最新号から連載もふえたのだが、はじめて会う新しい執筆者の方もいた。

いつものようにたのしい会だった。「四月と十月」の人たちと話していると、刺激になる話しが多い。

先日、ミロコマチコさんからの展覧会の案内状に、「絵と向き合う日々です」とあって、彼女は国際的な売れっ子だから毎日忙しく絵を描いているんだろうなあと思ったが、よく考えたら、「絵と向き合う」って、「絵と向き合う」ことなのか「絵と向き合う」ことなのか、たぶん両方だと思うけど、おれの場合は、何と向き合っているのだろうか、いまや原稿用紙ではなくパソコンに向かって文章を作成しているし、「向き合う」の意味がそういう物理的なことではなく、文章と向き合うということや文章を書くということと向き合うということなら、おれは何と向き合っているのだろうか、文章の向こうにある現実やテーマと向き合っているのか、なんだなんだ何と向き合っているのだ、そのあたりは、ミロコさんのばあい、どう考えているのか聞いてみようと思っていた。

ところが、大洋印刷さんに感謝の乾杯をし、飲み食べ、ワサワサしゃべりだしたらすっかり忘れてしまった。

ワサワサの話のなかで、ずっと同じように絵を描いているだけなんだよね、それがたまたまいま気に入られただけで、もしかしたらそんなことにならなかったかもしれない、それはそれで仕方のないことじゃないかな、そのへんは自分から売れるような描き方をしようとか、売れるテーマをみつけようということではなく、ずっと同じように絵を描いている、そういうことを大事にしたいね、というようなことを近ごろメキメキ人気上昇のイラストを描いている同人の方が話して、まわりでもそうだよねえという話しをしていた。

それを聞きながら、それが「絵と向き合う」ことなのかなあとチラっと考えたりしたが、とにかくワサワサ話していたら、そのうち小梅さんの三味線とうたになった。これが素晴らしかった。彼女は、昭和のはじめに流行ったが忘れられた「新民謡」を発掘しているとかで、それを何曲かやってくれたのだ。

同人のみなさんは、『四月と十月』に毎号、制作中のものも含めさまざまな作品と文章を載せるのだが、困ったことに、この文章がよい。ライターの立場がなくなるぐらい。

ところが、話もうまい。みなさんおれよりはるかに若いのに、大洋印刷さんに感謝のことばを一人一人述べるときも、とてもうまくて、うまいなあと感心した。

気のきいたうまいことをしゃべろうということではなく、ごく自然に言葉が出ている。そのへんは絵と向かい合うことの延長なのかもしれない、すべてのものごとに対してそうなのかもしれない。

おれが考える「四月と十月」のよさは、徒党的や派閥的な集まりではないこと、仲間意識によりかかることもない。それは人間として当然のことだろうと思うが、個が自立していて、だれかを頼るような集まりではない。当然、業界の話がないのもいい。

それぞれ絵と向かい合っているのだ。きっと。

いつも自由でのびのびしている、小梅さんの三味線に合わせて踊り出した人たちもいたな。

大洋印刷さんも素晴らしい。250名の会社だから、商売は厳しいだろうと思うが、小部数なのにコストのかかる校正も出してくれて、製本までキチンと仕上げる。やはり美術作品の印刷ということもある。そのあたり、いろいろ話題になった。

『四月と十月』は、あと3号目が、40号になる。2019年の4月号。そのときはカラー印刷にするつもりで進むようだ。

みなさん若いし、まだまだたのしみがある。おれはとりあえず40号まで「理解フノー」の連載が続けられるよう、コツコツ生きよう。

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2017/12/01

今年いちばん難しかった仕事をおえた。

想像もしていなかった、どう考えてもありえない仕事の依頼があって、うーん、やれるかな、ちょいと冒険だなと思いながら引き受けた。

やっぱり苦労したが、なんとか締め切りにまにあい、いまはゲラを待っている。ブログのタイトルに「おえた」と書いたのは原稿のこと。

まだ原稿をどう書こうか考えている最中に、おれにありえない依頼をした版元のサイトに告知が載った。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3114

青土社「ユリイカ2018年1臨時増刊月号 総特集=遠藤賢司」12月26日発売予定。

「論考」のところに、おれの名前があった。

ツイッターでも拡散しているし、あせった。

なにしろ、おれの本棚には2冊ぐらいしかない、ほとんど縁のない「詩と批評」を謳う「ユリイカ」だ。

そのうえ、特集が10月に亡くなったミュージシャン、「エンケン」こと遠藤賢司だ。音楽方面のことは、ちょっとしたからみでも書いたことがない。真っ白だ。

冒険だなと思ったっり、あせったわりには、25枚ほど書いてしまった。

お互いテリトリー意識にしばられない、クロスオーバーのカオスこそおもしろい。冒険だがやってみよう。依頼したほうだって冒険だろう。

今年はもう一本、論考をやっている。

スペクテイター40号「カレー・カルチャー」に「カレーショップは現代の大衆食堂である」を寄稿した。このときは20枚。

なじんでいるフィールドだが、テーマが難く、とまどった。

そのとき、ブログにこう書いた。

「このライターにこういう企画やテーマをぶつけてみたら、どんなことを書いてくれるのだろうか、とか、なにか出てくるんではないかという、スリリングな期待での原稿依頼というのは、ほとんどないなかで、これはなかなかおもしろい編集者だし、おもしろい仕事だとおもった」
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2017/10/post-026d.html

今回もまた、そうおもった。

とくに多角的な見方が鍛えられる。

でも、こういうのは半年に一本ぐらいでいいね。なにしろトシだから疲れる。

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2017/11/22

鬼子母神通りみちくさ市、ノイズとカオスとDIY。

19日の日曜日、今年最後の鬼子母神通りみちくさ市へ行った。たぶん、今年は、トークを含め皆勤だったのではないかな。

みちくさ市のおもしろさは、ノイズの多さだ。これは、別の言い方をすれば、猥雑感の存在だが、おれはそこに自前のDIY精神があるようで、気に入っている。もともと「市」とは、そういうものだったはずだ。

セレクトショップが出前しているような、丁寧に計画された押しつけがましい独特のステキな雰囲気のまちや市など、おれはなんの魅力も感じない。

会場となる雑司ヶ谷のまちも、ざっかけない感じだが、そこにみちくさ市を企画運営するわめぞ一味のDIY精神がうまく機能しているのかも知れない。

ノイズとカオスとDIYのまちは理想だね。みちくさ市を歩きながら、いつも思う。この空気を吸いに、ここに来ている。もちろん、気になる古本があれば買う。

いつものように、13時半から雑司が谷地域文化創造館の第2会議室でトークがあった。これまでの連続講座がおわり、来年の新しい企画がスタートする前、今回は番外編ということになるだろう。

雑司ヶ谷現住民と元住民の、石丸元章と曽根賢(ピスケン)と武藤良子(イラストレーター)がしゃべる。いちおうテーマは、「雑司が谷番外地~どうせ俺らの行く先は~」ってことだ。

この顔ぶれ、すごい。めったに聞けない。会場に着く前から気分は高揚していた。

武藤良子による、石丸とピスケンに対する突っ込みが聞きどころではないかと思っていたのだが、武藤は突っ込むキッカケもないほど石丸とピスケンのカオス。自由と無政府のあいだ。

ドラッグとロマンチシズムのノイズの多い話がハイテンションで展開するなか、七曲がりと七曲がり荘、雑司ヶ谷霊園のすばらしさは、わかった。

雑司ヶ谷は、これからもドラッグとロマンチシズムを抱えていけるか、「~どうせ俺らの行く先は~」は、混沌としている。

話を聞きながら、1971年から現存する、大都会のなかのヒッピーのコミューン、コペンハーゲンのクリスチャニアを思い出した。最近ここを訪ねた知人がフェイスブックに書いているところによると、観光名所になっているらしい。

ノイズとカオスとDIYのまちは難しい。このトークの会場がトークのあいだ、そうであったようだ。

「寛容」「多文化」も、いうは易しく実際は難しい。大きい小さいに関係なく、社会も文化も、「自分たちでつくる」というDIY精神がなければ。

女を盗まれたと思っている男、盗んだのじゃない救ったのだという一方の男。20年前の女をめぐる争いの根は深いようだった。そりゃ、盗まれたと思っているのと、救ったと思っているのとでは、かなりズレている。

いつものように、サン浜名で打ち上げ。

少し前、雑司ヶ谷ジャングルブックスの占い師、田名有希さんがツイッターで占いに関する独白めいたことをつぶやいていた。それがおもしろかったのでリプライしあった。その田名さんが打ち上げに来たので、占いと本の話になった。

この話は、本をめぐる議論に関係することで、これまで欠けていると思われる視点なのだが、いまそのことを書いていると長くなるのでカット。

田名さんと話したあと、女を盗まれたと思っている男と救っただけと主張する男のあいだに移動した。

その話がぶり返され、盗まれた男が救った男に向かって、ジョッキのチュウハイをぶっかけた。が、あいだにいるおれが、ほとんどガバッと浴びることになった。しかも、盗まれた男は小柄なので、おれの顎から喉や襟元のへんに大量にかかった。

氷でシッカリ冷えたチュウハイで、下着まで濡れた。

どういう加減か、着ていたスポーツシャツの胸ポケットに、チュウハイのレモン一切れが入っていた。

濡れた衣服が乾き切らないうちに、時間も時間だから帰らなくてはならない、コートを着て外へ出た。この日は寒かった。電車に乗っているうちに身体がドンドン冷える、腹が冷たくなる。東大宮に着いて便所に駆け込んだ。

ノイズとカオスとDIYのいい一日だった。みちくさ市はやめられない。

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2017/11/18

「スソアキコの帽子の店」のち森美術館のち2軒ハシゴ酒。

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きのうは六本木ヒルズアリーナでやっている「生活のたのしみ展」へ行きました。タカビーな場所に、タカビーなものが並び、ボクのようなタカビーな人たちが、たくさん集まっていました。

会場も、「スソアキコの帽子の店」も、大にぎわい。アバンギャルドで実用的なスソさんの帽子がとぶように売れていました。ファッションセンスに優れたタカビーの人たちのあいだでは、「スソアキコの帽子をかぶっている」が、もうステータスになっているのです。もちろん、タカビーなボクも一つ持っていますよ。

ボクは、スソさんにご挨拶し、いつものように帽子をかぶってみてたのしんだあと、日本の芸術的タカビーのシンボル、六本木ヒルズ森タワー53階の森美術館へ行きました。今日から始まる「レアンドロ・エルリッヒ展 見ることのリアル」の内覧会を見るためです。ボクぐらいのタカビーになると、毎回内覧会とレセプションのインビテイションが届くのです。

いやあ、この展覧会は、すごくおもしろかった。ほとんどの作品が立体で、手で触れたり、そのなかに入って、自分が作品の一部になれる。遊園地にいるみたいだった。

水はないのにボートが浮かんでゆらゆら動く水面。「この鏡の迷宮から、あなたは現実の世界に戻れるか?」という展示のなかに入ったら、出られなくなりそうであせってしまった。「亡霊になった自分とご対面」や「キミも忍者になれる」「窓の向こうに、もうひとりの自分が…」など、タイトルだけでもおもしろそうでしょう。

「現実(リアル)とな何か」

まるでだまし絵のなかにいるようで、愉快にたのしんでいるうちに何が現実かわからなくなる、レアンドロ・エルリッヒは視覚的芸術的詐欺師ですね。そういえば、たくさんの人を集めていたタカビーな「生活のたのしみ展」も、糸井重里による詐欺的傑作といえましょうか。

この世は、すべて錯覚とペテンで成り立っているのです。だから、自分はビンボーだと思っているあなた、あなた、あなた、あなたたちは、けっしてビンボーではありません。ビンボーというのは錯覚で、あなたはタカビーなのです。

明日までやっている「生活のたのしみ展」へ行って、スソアキコの帽子を買ってかぶってみなさい、気分はもうタカビーです。明日のめしのことなど忘れられます。

明日になって食うものがなかったら、スソアキコの帽子をかぶって、コンビニで盗みをはたらけばよいのです。店員につかまったら、「私をだれだと思っている、この帽子が目に入らぬか」とやれば、留置場か精神病院あたりでめしにありつけるにちがいありません。

そして、1800円払って、ボクはタダで観たレアンドロ・エルリッヒ展のなかを歩いたら、もうこの世に不可能なことはなくなります。森タワー53階のガラスをぶちやぶり外へ飛び出すのです。

そうして飛び出したボクは、虎ノ門の居酒屋で、ワレにかえりました。

1010飲み物メニューの清酒に、「虎ノ門 300円」「霞ヶ関 350円」とあるではないですか。そんな酒があるなんて、これも先ほどのだまし絵の続きかと思ったのですが、それにしても、この50円のちがいはなんだ。虎ノ門の文科省より霞ヶ関の外務省や農水省が50円分エライということなのか。気になる。同行者の一人と両方とって飲み比べました。

50円の差は、わかりませんでした。ようするに役人は役人です。どちらも伏見のアル添の普通酒で、常温で飲んだのだけど、とても飲みやすく、すいすい飲めるのです。伏見の酒らしい、といえるか、やさしいさらりとした味わいでした。

もう一人の同行者が、タカビーな日高見を飲んでいたので飲み比べてみましたが、やはり純米酒はコクがありますね。でも、ボクのようなタカビーな人間は、いつもゼイタクなものを食べているせいか、普通酒の味わいのほうが身体にやさしい感じがして、虎ノ門をもう一杯飲んでしまいました。

この居酒屋は、国際詐欺団の事務所の近くにあるのですが、22時閉店で追い出されたワレワレ4人一行は、新橋駅へ向かいました。

このあいだ国際詐欺団の飲み会をやった横丁の飲み屋へ行くと、閉店の片づけ最中で入れませんでした。でも、その横丁の通路は、酒場と化していました。寒い夜でしたが、酒さえあれば、外でもかまわないわけです。味覚も寒さも錯覚ですからね。

通路にあるテーブルにテキトウに座ると、おねえさんが注文をとりにきました。

ああ、書くのがメンドウになった。

トツゼンですが、おわります。とにかく23時ごろまで飲んで帰りました。

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「見えていることだけが、現実ですか?」

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2017/11/13

初めての北戸田で。

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埼京線の北戸田駅に降りたのは初めてだった。

鈍感なおれにもグサッとくる殺伐さに興奮して、思わず写真を撮りまくった。

コンクリートと鉄のむき出しの空間。

駅前にはKOBANと送電線の鉄塔を背景に芸術的な彫刻が無造作にあったり、出来たばかりの頃はオシャレに見えたであろうサビだらけのポールの街灯、その向こうにそびえる唯一の高層建築、タワーマンション、まわりは空き地だらけだ。

そして、なんと、何もない駅前に、ポツンと一軒の本屋があるのだ。おお、これぞ、荒野の開拓者魂。「本好き」のみなさんは、おしゃれなセレクトショップばかりに色目を使ってないで、もっと広い荒野へ向かって、このような書店を応援するべきではないのか。

おれは荒っぽい景色が好きなんだな。だいたい気取ったオシャレな化粧の街にはうんざりだ。あれは見た目とちがい廃墟だよ。

こういう景色のところには、必ず生々しい「生」の姿がある。

身体をはって生きるものたち。

きのうは、北戸田駅に13時集合だった。人だまりのない「無」の空間に集まった身体をはって生きるものたち一行は、建設現場へ向かうようなワゴンに乗せられた。

どこか知らないところへ拉致されるのだ。

駅からどんどん離れる。殺伐とした景色は続く。

この世は物流で出来ている。人間だってモノにはちがいない。そのモノが移動し交わることで、文化が生まれるのだ。文化は、殺伐とした景色のあとについてくる。と、あらためて感じ入るほど、頑丈な道路が交差しては続いていた。

先にモノの流れありき。

ワレワレが乗った車は、資材置き場やダンプが並ぶ荒れ地のような一角、工事現場のような囲い塀の中に吸い込まれた。うーむ、なにが始まるのか、麻薬の取り引きか拳銃の取り引きか。

しかし、この建物には、しびれた。しばし、あんぐり口をあけて眺めた。ほれぼれ。

ああ、もう書くのが面倒だ。

ここで、なんと22時まで缶詰にされ、その間に支給された弁当一つを食べ、酒はない。ワレワレがやったのは、ピンク映画のエキストラなのだ。もちろんエキストラ代は、いただきました。目の教養にもなりました。

まさに、生々しい「生」と「性」の現場。

しかし、何カット撮ったのだろう。ずいぶんたくさんあった。

撮影現場は昔から、フィルム、ビデオとも何度も経験しているし、そうそう「おとな選手権」なんていうお色気DVDにも出演したことがあるけど、ピンクは初めて。いい経験になった、人間の「生」と「性」について考えることも多かった。

以前からこのブログをご覧の方には、この映画の監督が誰かわかるだろう。あの哲学的リクツの多い、そしてあの話題の文芸映画の脚本を書いている方だ。その監督が、俳優に向かって、マジメな顔で「もっと股の奥に手を入れて」とかやっている景色は、なかなかいいものでした。

この映画は、来月上旬に初回試写があり、来年早々公開の予定。タイトルはまだ変わると思うので、はっきりしたら、上映日とあわせ告知します。とにかく、「チカンモノ」なんだけど、この監督らしく、チカンが切り刻まれるチカン撲滅ピンク映画なのであります。傑作に仕上がるでしょう。

楽しみだねえ。

北戸田もまた行きたい。ピンク映画のエキストラもまたやりたい、いや、主演男優をやらせてくれないかなあ。

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2008/11/17

日常にかえる。

2008/11/05「知識はあれど想像力は、ナシ。」から2008/11/07「安直で惰性な「こだわり」の舞台あるいは舞台裏。」2008/11/11「「ゆるゆる大陸」「脱星印脱印籠語」とか。」2008/11/12「真摯な姿。」2008/11/13「「公正を期する」こと。表現と、それ以前の判断や思考。」2008/11/15「虚実皮膜の間で「行きつけの店のある生活」。」2008/11/16「虚実皮膜の間、表現以前、神様になりたいのか人間でいたいのか。」とグダグダ転がってきた話だが、もとはといえば、伊丹十三さんの『ヨーロッパ退屈日記』の「想像力」から始まった。

2008/11/05のその引用をふりかえると、伊丹十三さんは、「これ以上安易で、投げやりな想像があるのでしょうか」という例をあげたのち、こう書いた。
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 現在の映画が、撮影所製のだんどり芝居の域を抜け出て「実在性」を取り戻そうとするなら、わたくしの場合、その推進の軸となるものは「日常性」においてないと思います。
 そしてまた、作家の想像力が一番あらわな形で出る場、というのも日常性の創造をおいてないと思うのです。

…………………………………………………………………………

もちろん「作家」は「表現者」そして「人間」と置き換えてもよいだろう。日常性を豊かにできるかどうかは想像力のモンダイなのだ。だけど、いわゆる「うまいもの好き」「酒好き」の食べ歩き飲み歩きのたぐいを読んでも、たいがいはそこに豊かな日常を想像することが難しい。「うまいものを求めて」歩きまわる著者の姿に、その書くことに、望ましい生活の姿を想像するのは困難であることが少なくないのではないだろか。俺は、アサマシイ、イジマシイと思うこともある。

ともあれ、大言壮語印籠語紋切り型の「うまいもの好き」より、想像力を磨く日常にかえろう。

で、2003年7月発行、河出書房新社の『文藝別冊 山口瞳』に木村衣有子さんが書いた「行きつけの店のある生活」だ。そこで冒頭、木村さんが引用するのは、山口瞳さんのこの文章。

「寿司屋とソバ屋と、酒場(私の場合は赤提灯だが)と喫茶店、これを一軒ずつ知っていれば、あとはもういらない。駅のそばに、気楽に無駄話ができる喫茶店があるというのは、とても嬉しいことだ。いや、もし、そういうものがなかったとするならば、その町に住んでいるとは言えない。私はそんなふうに考えている」(『行きつけの店』「国立 ロージナ茶房の日替わりコーヒー」より)

こうした「行きつけ」は、人によりさまざまだろう。もしかすると、いまでは、洒落たイタリア料理店やスタバやドトールであるひとがいるかも知れない。あるいは、魚屋や豆腐屋だったりとか。

俺が、大衆食堂を書くスタンスも、「名店を厳選」というものではなく、それがそこにあるかぎり、そこに必ず、その食堂を「行きつけ」にしているひとがいる、その存在の豊かさ、そこにある飲食の姿や生活の姿やまちの姿を知り、そしてできたら伝えたいからだ。それは生活を豊かにする想像力の源泉になるだろう。自分は「うまいもの好き」だから「うまいもの好き」が行く「名店」にはいかなくてはならないと、情報にふりまわされ強迫観念に追われるように食べ歩き飲み歩きするのは、想像力の貧困以外のなにものでもない。

それはともかく、木村さんは自著デビュー作『京都カフェ案内』と山口瞳さんの『行きつけの店』や『居酒屋兆治』との「関係」を語ったのち、こう書く。


 山口瞳が「店」について書いた文章に私は惹きつけられる。『居酒屋兆治』では、モツ焼き屋の観察記を、熱もあり冷たさもある物語に昇華している。『行きつけの店』は、単に食べもの屋を羅列したガイドブックではない。どうしてそう書くのか、書けるのか。
 生活、という言葉を山口瞳はよく使う(四、五〇年くらい前までは「生活」という言葉がいまよりも衿を正して使われていたのだと思われるが)。彼はたびたび、「行きつけの店のある生活」について書いている。それは、タイトルにも「生活」がついているはじめての小説『江分利満氏の優雅な生活』から、ずっと続いている。


で、最後のほうで、木村さんは、こう書く。前にも引用したが、大事なところだと思う。


 10軒の店について知っていることよりも、好きな店が1軒あって、そこにいつでも行ける生活があることの方が贅沢だ。山口瞳は、小説家である以前に、まっとうな生活者なのだ。生活について、日常について、彼は匂わしたりはぐらかしたりせず、そのままを書く。私はその文章をとても信用して、慕っている。


このあたりのことは、現在の木村さんが『ミーツ・リージョナル』に連載の「大阪のぞき」を読むと、なるほど、と思うが、そこに至るには「障壁」もあり単純ではなかったようだ。そのことは、また後日の話として、『文藝別冊 山口瞳』の中野朗さんによる「作家になるまでの山口瞳」によれば、『江分利満氏の優雅な生活』の題字は、当時は伊丹一三だった伊丹十三さんであり、またなにかに書いてあったと思うが、山口瞳さんは伊丹十三さんの仲人かなにかでもあり親交が深かった。

食べ歩き飲み歩きするにしても、日常を豊かにする視点を持ちたい。

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2008/11/16

虚実皮膜の間、表現以前、神様になりたいのか人間でいたいのか。

下北沢「スローコメディファクトリー」をオープンしたばかりの須田泰成さんからのメール「スロコメ通信」に、「虚実皮膜系のビジネス・サバイバル本。中丸謙一朗さんとの「大物講座」(講談社)も、よろしくお願いいたします」とあって、笑った。この「大物講座」は、まだ買ってないのだが、「虚実皮膜系のビジネス・サバイバル本」ってのが気に入った。

「虚実皮膜」って言葉は、近頃このブログでもよく使う。国語的権威である『広辞苑』第五版は、その語について、こう説明している。

まず「虚実」について。
「①無いことと有ること。空虚と充実。②うそとまこと。③防備の有無。種々の策略を用いること。」
そして「虚実皮膜」について。
「(近松門左衛門の語。「難波土産」に見える。「皮膜」はヒニクとも読む)芸は実と虚との皮膜の間にあるということ。事実と虚構との中間に芸術の真実があるとする論。」

とくに情報社会といわれる近年は、「芸」や「芸術」は、まだ旧来のように床の間に飾っておがむように鑑賞する「特別」のものと思っているひとも少なくないが、日々のウンコのようなコミュニケーション活動のあらゆる場面に見られる「表現」だとみてよい。と、俺は思っている。なにしろ、嫌でも、誰かが「表現」したものが目に入るし、またそれが無くては、たとえばテレビやパソコンゲームや本などが無くては、すぐ死んでしまいそうな人たちも少なくないようだ。

須田さんのように「コメディライター&プロデューサー」という肩書、俺も近頃は「ライター」かつては「プランナー」という肩書、中原蒼二さんも「プロデューサー」という肩書、そういやこのあいだ逮捕された「大物」音楽プロデューサーのジケンは、まさに「虚実皮膜の間」を思わせるものがあるが、もっともアヤシイ虚実皮膜系なのだ。

うまくいってアタリマエ、成功しても誰かがあとでシャシャリ出てきて、そいつが自分の手柄にするためにこちらは悪者役にされたり、失敗すればペテン師サギ師よばわり。そんなことを気にしちゃやってらんない、虚実皮膜の間をジッと見据え、「種々の策略を用い」「人生は冗談死ぬのはジョーク」ってな感じで生きている。ま、須田さんや中原さんは、どう思っているかわからんが。生きているかぎりは人間みな嘘をついているのさ、ってなことをいったのは、太宰治だったか坂口安吾だったか、それともほかの誰かか、あるいは俺が思いついたのか。

きのうのエントリーがらみ。山口瞳さんは「ここで公正を期するために、また、嘘(うそ)を書くのが厭(いや)なので言っておく」と書いている。その「嘘を書くのが厭」ってのは、もちろん書くレベルのことだろう。だけど「嘘」にも、「事実」レベルのこともあれば「真実」レベルのこともある。さまざまなレベルを考え出すと、「生活」レベルもあれば「国家」レベルもある。そもそも「国家」なんてのは存在自体が「嘘」じゃないかという話もある。大きな嘘ほど、人びとは騙されやすい、ともいわれるな。

山口瞳さんは、『酒食生活』の「金沢 つる幸(こう)の鰯(いわし)の摘入(つみ)れ」、これは『行きつけの店』に収録されていたものだが、そこで「それから、食べさせてくれるものに親切味があった。これも曖昧な言い方だが、そうとしか言いようがない。絶大の安心感があった」と、その味覚を語っている。なるほど「親切味」という言い方は「味」の表現としては曖昧だが、でも読むと、著者が何を伝えたかったのかは、わかる。

山口瞳さんが「曖昧な言い方」を避けようとしているのは、「嘘を書くのが厭」に通じるところがあるようだが、書く表現以前に、対象に迫ろう、実態や物事から出発して表現を構成しようという姿勢もうかがえる。

「こだわり」や「珠玉」「厳選」「絶品」「名店」などの曖昧な言い方である「印籠語」も、実態や物事から出発して表現を構成しようと対象に迫った苦労なり思考があれば、それなりに自ずと文章に内容がともなうと思う。

だけど、たいがいそういう言葉を無造作につかうひとは、自分が裁きを下す「味覚の神様」とカンチガイしているからか、対象に迫ることもしてなければ、よく考えていない。根拠が曖昧なまま「印籠語」を用い、内容のなさを文章の技巧や、「うまいもの好き」「全国何か所食べ歩いた」といった「権威づけ」のハッタリ言語で、自分の「正しさ」を主張し逃げようとしているようにみえる。

俺は、「嘘を書くのが厭」とか「嘘も方便」とか、そういうレベルのことは、あまり真剣に考えたことがない。強いていえば、この世は、虚虚実実なのだ。だけど、だから、2008/04/15「そこに、なにが、どのようにあるか。なぜ、それが、そこにそのようにあるのか」のように、たびたび書いているが、「そこに、なにが、どのようにあるか。なぜ、それが、そこにそのようにあるのか」見て考え、自分の伝えたいことを文章にしているだけなのだな。

食べればなくなる料理。それでいて人間の生命にかかわる。これほど虚実皮膜の間にあるモノはない。それをまた虚実のカタマリのような人間の味覚が判断する。なんとまあデタラメのことだろう。そこが、おもしろい。そのことに気づいていない、「うまいもの好き」食べ歩き飲み歩きなんて、飲食や料理のオイシイところを知らないにひとしい。

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2008/11/15

虚実皮膜の間で「行きつけの店のある生活」。

2008/11/13「「公正を期する」こと。表現と、それ以前の判断や思考。」で山口瞳さんの文章を引用した。すると、それを見た木村衣有子さんからファックスが入った。「私が今の仕事をはじめる前に『行きつけの店』なる本を熱心に読んだものでした。という話を5年前に書いたのを思い出し、よろしければ読んでいただきたく……」と。それは2003年7月発行、河出書房新社の『文藝別冊 山口瞳』に木村さんが寄稿したエッセイ「行きつけの店のある生活」だった。

俺は、おどろいた。というのも、引用した山口瞳さんの文章から、木村さんが『ミーツ・リージョナル』に連載の「大阪のぞき」を思い浮かべ、そのことを続けて後日書こうを思っていたからだ。

きのう。電話で木村さんと話しているうちに、木村さんが『文藝別冊 山口瞳』を貸してくれるとことになり、ま、それは飲む口実でもあるのだが、18時に、京浜東北線の北浦和駅で待ち合わせた。「志げる」へ行くためだ。

「志げる」は、オヤジたちで混んでいたが、二人がけのテーブルが一台だけ空いていた。湯豆腐、オッパイ炒め、レバ刺しなどを頼み飲みだす。生ビールのち燗酒。二合とっくりをたしか3本あけたあたりで21時過ぎ、出て、並びのバー「ワン・ステップ」へ。また生ビールを一杯やってから、ウイスキー。モルトウイスキーのメニューを「村上春樹的だね」とのたまいながら、別々の銘柄を二杯ずつ、水割りとソーダ割り。23時30分ごろか、それに近い時間に出て北浦和駅ホームで都内に帰る木村さんと別れる。文藝別冊を受けとり、それをネタにああだこうだ、某出版社のPR誌のツマラナイこと某氏がヘンにツマラナイ人間になったことなどネタにああだこうだオシャベリ。

てなことだったが、木村さんのその文章には、木村さんのデビュー作『京都カフェ案内』は山口瞳さんの『行きつけの店』を「参考文献」にしたとある。で、「10軒の店について知っていることよりも、好きな店が1軒あって、そこにいつでも行ける生活があることの方が贅沢だ。山口瞳は、小説家である以前に、まっとうな生活者なのだ」と書いた木村さんは、まだ20歳代だった。いま、いいトシこいた男が、あちこち食べ歩き飲み歩きして、その店の数を誇り、あの店へ行ったことがないようじゃホンモノの味を知らない、どこそこは名店だ、どこそこのなんとかは「絶品」だ、あの料理人は「名人」だなんて得意になっているのと大ちがいだ。ま、木村さんの「行きつけの店のある生活」については後日くわしくふれる。

じつは、2008/11/13の山口瞳さんの文章からの引用は、ちょうどよいところで終わらせたが、まだ続くのだ。もう一度、引用の最初のところだが、こうある。

 初孫が冷してあった。二級酒の小瓶(こびん)というのは、市販されていない酒であることを意味している。暑いので上衣(うわぎ)を脱いだ。
「上衣を脱いで、腕まくりをして、手掴(てづか)みで食べるのがうちのフランス料理です」
 佐藤さんが言った。彼は、こうも言った。
「料理というのは男が生命(いのち)をかけてもいいようなものです」
 その言葉は、おそらく、私が紀行文を書くことを知っていて、そのためのサービスだったのだろう。


この話は、ここで終わらない。山口瞳さんは、佐藤さんが、なぜそのようなことを言ったのかを考えている。あまり好きではない初孫を飲み、出てくるフランス料理を食べながら。そして、こう結ぶのだ。


「こんなところにこんなフランス料理の店があるのは不思議でしょう。私も不思議に思っているんです」
 と佐藤常務が言ったのは、これもサービス用か。たしかに、本当に不思議だ。生命をかけてもいいというのは、この土地に、この店にという意味だったと気づかされる。相当に頑固(がんこ)な人だ。


山口瞳さんは、「料理というのは男が生命(いのち)をかけてもいいようなものです」という佐藤さんの言葉を、「私が紀行文を書くことを知っていて、そのためのサービスだったのだろう」と思いながらも、その意味をこう考えた。

取材のときだけではなく、料理人は料理のほかに言葉や表情や態度で店の雰囲気や食べる雰囲気をサービスする。たとえば、「今朝、築地で仕入れてきました」といえば、客はよろこぶ。それはそれでよいのだが、「あの店は、毎日築地で仕入れるから」「うまい」「よい店だ」「名店」だ、てなことになると話は、ちがってくる。それに、これまであげた「印籠語」などは、雰囲気づくりとしては陳腐であり、すでに書いたように、そういう言葉を無造作につかう食品販売や飲食サービスあるいは食の話は、安直で惰性な腐敗の味わいがする。

ようするに、自分の頭の中にある「印籠語」の観念から出発するのではなく、そこにある物事や言葉から出発することじゃないかと思うのだが、なかなかそうはいかない。自分は何軒も食べ歩いている、うまい味を知っている、といった意識が先にたったりしがちだ。「まっとうな生活者」の感覚というのは、とくにメディアに関わる人間にとっては、簡単なことではないようだし、だからまた山口瞳さんはベンキョウになる。

チトきょうは忙しいので、大雑把にこれぐらいで。

関連
2008/11/11
「ゆるゆる大陸」「脱星印脱印籠語」とか。

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