2021/04/10

画家のノート『四月と十月』44号、「理解フノー」連載25回目「エビデンス」。

Cimg5683

4月早々に『四月と十月』44号が届いた。

表紙の写真(撮り方がマズくて斜が入ってしまった)、左・表1、右・表4。内沼晋太郎・カンナ夫妻のお子さん、文蒔くん「生まれて三年半にして初めて筆を持った」。

年齢を知らないで、この絵だけを見た人は、なんというのだろう。おれは生まれて3年半のひとの絵とは気づかなかった。

この号から表紙のタイトル・ロゴが消えた。この号だけデザインの関係で使わなかったのかと思ったが、ちがうらしい。

というのも、「送付状」のようにはさみこんであったレターに「今号から、作品をあるがままに見せるために、創刊以来ずっと入れていた表紙のロゴを取って、書名、号数は背表紙のみに小さく記すことにいたしました」とあるからだ。

同人のみなさんの作品と文、あいかわらずおもしろい。ただ、チョイとそこはかとなく閉塞感が漂っているように感じたのは、コロナ禍の影響か。それとも、当方の気持の問題なのか。

おれの連載「理解フノー」は25回目で、タイトルは10年前の東京電力原発事故から今回の新型コロナ感染拡大の中でハヤリ病のように拡散した言葉「エビデンス」。

おれの生活も、この1年28日ごとに通院し、検査を受け注射をし毎日薬を飲む、「エビデンス漬け」だった。

てなことで、「エビデンス」について思うところを書いてみた。

「エビデンス」という言葉が盛んに使われていた去年、このブログでも言及していて、そこからも引用した。

2020/04/11
「塩と食のお話」で「塩にぎり」。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/04/post-5ad531.html

2020/06/02
きのうのつづき。「台所」と「科学」と「芸術」。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/06/post-405fcc.html

コロナ禍のため開催が1年延びてしまった、「四月と十月創刊二〇周年記念全国巡回展」は、今月6日、東京銀座の月光荘画材店からスタートしている。詳しくは下記リンク。無事に完遂できますように。
http://exhibition.4-10.sub.jp/

 

| |

2020/11/12

画家のノート『四月と十月』43号、「理解フノー」連載24回目「生活の質」。

Cimg5247

「理解フノー」連載24回目が載っている『四月と十月』43号が届いてから一か月が過ぎた。

半年に一回の発行だから紹介が少々遅れてもかまわないだろう、とおもっているとドンドン遅れそうだ。そろそろ。

4月に発行された前の号の原稿の締め切りは2月10日だった。新型コロナはニュースにはなっていたが、「大騒ぎ」にはなっていなかったし、誌面には「コ」の字もなかった。

今回の締め切りは、「緊急事態宣言」下の暮らしを経過し、「新しい生活様式」が喧伝されている最中の8月11日だった。

あいかわらずいい味わいの、「四月と十月」同人の皆さんの文章にも、その反映が見られる。

同人の方が順次担当する表紙の作品は、山﨑杉夫さん。「表紙の作品について」で、「この春の自粛期間は、世の中の動きが一斉に止まり、なんとも非現実的に感じる時間でした」と書き出し「当たり前のように思っていた日常も、ちょっとした事ですぐに無くなってしまう事を忘れないようにと、自分にとって最も身近な日常の象徴である画材を切り絵で描いてみました」と。デザインは、毎度の内藤昇さん。

おれはといえば、まだ癌の気配も感じることなく、「生活の質」と題した今回、文章の最初のほうで2月上旬の頃を「新型コロナのことも自分の先行きもほとんど気にしていなかった」とふりかえっている。

けっこう目にすることが増えた「QOL=quality of life」つまり「生活の質」という言葉が、もとの使われ方とはずいぶん違ってきていることを知ったのは、癌のおかげだった。

とくにその治療法を決めるときには「QOL」が関係するし、癌に限らず「医療」と深い関りのある言葉だと知った。

それについては、まだまだオベンキョウ中で、知ったかぶりはできないのだが、知って思った範囲で原稿にした。

いまちょろっとツイッターを検索しただけでも、今日のツイートに「保温してくれるマグカップ買ったらQOL爆上がりした」というのがあった。おれが多く目にしてきた「QOL」は、だいたいこんな使い方をされていたし、一般的にもそうではないかと思う。

「より「上質」なイメージの消費を意味することが多く、クダラネエーと思っていた」

「ところが、いくつかある癌の治療法の選択のとき、QOLがものをいう。それは生産や消費の質のことではなく、「人間の尊厳」だと知った」

ま、だいたい、「質」などというと、「人間としてどうか」というより、生産や消費の場面でのことがほとんどになっている。それほど、「生活の質」は、「人間」から乖離し、産業やマーケティングに取り込まれているともいえる。

ところが「医療」は、そうはいかない。扱うのが人間の身体や生命そのものだ。

ほんとうは、産業だって、政治だって、たいがいのことは人間の身体や生命と関係あるのだが、認識は必ずしもそのようにならない。

とにかく、そういうことで、「生活の質」と向かいあい「人間の尊厳」について、よく考えることになった。

「苦痛や不安や抑圧などを取り除く/与えないことによる、生活の質の維持や向上だ」と書いたのだが、考えれば考えるほど難しい。

「言葉」の使い方ひとつで、それが損なわれる事態は日常ふんだんにあるし、事件になることも少ないが、むしろ表面に出ない人びとの中に蓄積されていくことがコワイ。

「健康のためなら死んでもいい健康主義」などは、そういう典型だろうが、飲食の分野では「よいこと」「おすすめ」として使われている表現が、苦痛や不安や抑圧をもたらすこともある。

いま展開されている「GoTo」キャンペーンなどは、その税金の使い方や経済効果やコロナ対策としての問題も多いが、消費を煽ることそのものが、ほんらいの「生活の質」にかなっているかどうかの問題があるだろう。

「経済か命か」なんていう言い方も、「健康のためなら死んでもいい健康主義」のようにタチが悪い。(「生活の質」を無視した医療については「病気は治ったが死んでしまった」という警句があるらしい)

まずは、そういうことに鈍感にならないように気をつけよう。

この連載には、キャプションをつけた写真を一点載せることになっている。下の写真を選び、次のキャプションをつけた。

「雲のように、あるときは抽象、あるときは具象。「人間の尊厳」は難しいが求めがいがある。」

2020/07/30
QOLとコロナ禍と癌。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/07/post-ca4a86.html

2020/05/27
画家のノート『四月と十月』42号、「理解フノー」連載23回目「気分」。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/05/post-db9a43.html

005-2

| |

2020/03/01

ただよう「気分」と「言葉」。

前回のエントリーから、一週間たっていないのに、いろいろ世間は騒々しく動きも激しい。ある局面では状況が大きく変わった。

身近のところをあげれば、3日ほど前に、突然、スーパーなどの店頭からテイッシュペーパーやトイレットペーパーが無くなる騒動が持ち上がった。

店頭で知って驚いてネットで調べたら、新型肺炎のためのマスクが買いだめされたり、店頭では品切れや品薄が続いているのだが、そのマスク生産のための紙材料が不足しテイッシュペーパーやトイレットペーパーの生産に影響を及ぼす、というようなデマがキッカケらしい。いくらか落ち着きをとりもどしつつあるが、まだ店頭では品切れや品薄が続いている。

なにしろ、おおもとの新型肺炎については、落ち着いてはいないから、いわゆる「人心」はきわめて不安定だ。それについては、さらに不安定を増大させるようなことがあって、目下、状況は混とんとしているといってよい。

先週27日夕方、日本国の内閣総理大臣安倍晋三が、新型コロナウイルス感染症対策本部の会合で、「感染拡大を防ぐため全国の小中高校に3月2日から春休みまでの臨時休校を要請した」という事態が発生したのだ。

これは報道によれば、専門家会議も知らなかったことだし、「文部科学省は反対したが、首相は押し切って表明」とのことだ。昨日、首相は記者会見を開いたが、いつものように形式的なもので終わっているから、混乱は続くだろう。臨時休校だけでなく、「濃厚接触」から感染の拡大の可能性のある、イベントなどが軒並み中止または延期になり、国立博物館などの展示会場も休館、おれが利用しているさいたま市の図書館も明日から休館になるし、とにかく「不要不急」の外出は避けるということになり、ただし、毎日の激しい濃厚接触がある会社や通勤電車はそのままという、などなど。飲食業は、ようやっとリーマンショック前まで回復したようだったが、また波をかぶることに。

しかも、こうしたなか、「27日のニューヨーク株式市場はダウ平均株価は大きく値下がりし、値下がり幅は1190ドル余りと、1日としては過去最大を記録」「ダウ平均株価の値下がりは、これで6日連続」「これほどの値下がり局面はリーマンショック直後の2008年10月以来だ」というニュースが流れた。株価の動きは単純ではないから、判断が難しいが、きわめて不安定な状況にあることは確かだ。

こういう時は、どういう人たちが何にどんな関心を持っているか、あるいは、持っていないかがよくあらわれるし、その思考の具合もよく見える。

同じようなことが、2008年のリーマン・ショックと、2011年3月11日の東日本大震災と続く東電原発事故のあとにも、あらわれた。そして、平成30年をふりかえる様々な記事を見ても、リーマン・ショックは3.11ほど取り沙汰されてないように、今回も、アメリカにおけるリーマン・ショック以来の株価の下げ幅より、もっぱら新型肝炎がクローズアップされている。

何が起きているのだろう。

先月25日に、『四月と十月』に連載の「理解フノー」の校正を終えた。こんどの4月に発行の分だ。

今回のタイトルは「気分」であり、初めてトイレットパーパーの買いだめ騒動が起きた1973年のオイルショックと、2011年3月11日以後を念頭において書いたものだ。

とくに3月11日以後だが、こうしたことが何故おきるのか、というような面妖なことが、メディアを舞台に続いていたし、そこでは、かつてのオイルショックの頃の「活字文化」をけん引してきて、いまでも中央メディア界隈で小さくない権威を維持しているように思われる「文学」なるものが、まったく機能していないし、コトは歪むばかりなのがナゾだった。

そこを考え続けていたら、少し見えてきたことがあった。もともと、日本の「文学」は歪みやすい脆弱性を抱えていたということになるか。

詳しくふれている時間がないので、「気分」の原稿からつまんでおこう。

とにかく歪んだ状況について、「日常の認識や思考のもとになる言葉や論理など、文学の問題ではないのかという気がしてきた」「そこで思い出した文言。「文学と食い物にはなにか一脈通ずるものがあるとみえて、日本では双方とも「気分」で味わう傾向が強いようである」っての。直木賞作家から「金儲けの神様」に転じた邱永漢の『食は広州に在り』にある」

この『食は広州に在り』は、オイルショック後の1975年に中公文庫になり、おれは当時それを読んだ。

「半世紀前が今も目の前。文学を味わう人たちというと知的存在と思うが。「気分」を「趣味」や「観念」などに置き換えることも可能で、そう読むと「気分」のことがわかりやすい。とにかく、邱永漢もいうように「あまりあてにならない代物だ」。文学も食い物も認識と深い関りがあるのに、「気分」に左右される。さらにメディアの権威にあぐらをかいている「気分」が「正しい」「現実的」なんてことで」

文学も食い物も認識と深い関りがあるのに、「気分」に走っている。公共も論理もへったくれもない状況は蔓延し、問題解決なんかどうでもよく、井戸端会議的オシャベリを文化的文学的な言い回しでやって、何者かになったような「いい気分」でいられる文学が盛りなのだ。

というと言いすぎのようだが、いわゆる「世俗的成功」とみられている中央メディアあたりに存在する文学は、本好き文学好きの「趣味」な仲間に囲まれて「外界=現代の資本主義や資本主義文化」の動きが視野に入っていないように見える。自分のこと=出版業界における自分の位置、出版業界ばかりに関心が高く、出版や文学は自然や社会の何を解決しようとしているのかの問題意識は低い。

そういうことに思い当たり、「気分」を書いたのだが、それ以後の新型肺炎をめぐる動きを見ても、あいかわらず、「文学」と「食い物」は「気分」なのだなあという「気分」は深まるばかり。

しかし、おかげで、みんな何を信じていいのかわからない状況が生まれ、その混とんと、アナーキーとまではいかないが、ややアナーキーな状況は、おれは嫌いじゃない。

不安定ではあるが、だからこその、中央メディアの権威に「意味づけ」を求めない、自らの意味づけは自らするという人たちも増えているかどうかは定かではないが、その発言はそれなりに価値を発揮するようになってきたからだ。

「活字文化」と中核の「文学」が権威として、さまざまなことに「意味づけ」をして、その「意味づけ」をありがたがる存在によって権威は維持されてきた、その構図は、やっと終焉を迎えるか……というのはおれの期待であって、中央の新聞雑誌などに巣くう旧弊な権威は旧弊な土壌でしぶとく生きようとする。彼らは、ほかの見方や方法を知らないからねえ。

「理解フノー」の「気分」の最後のほうでは、「サテ、本一冊買う難儀も取りざたされる日本の資本主義、どうしたらいいか」と書いた。とらえどこがないほど大きく見える資本主義とその文化は、本一冊買う、じゃがいもを買う、トイレットペーパーを買う、といった日常の小さなことに凝縮されている。それを認識できるかどうか、そこに文学が機能しているかどうか。

| |

2019/10/29

画家のノート『四月と十月』41号、「理解フノー」連載22回目。

Dscn0789

紹介が遅れたが、発行人・牧野伊三夫の画家のノート『四月と十月』41号が発売になっている。

前号は、40号(創刊20年)であり、記念特集として「同人たちのアトリエ訪問記」を組んだ変則的な編集だった。おれは同人の加藤休ミさんと松本将治さんを取材し、「理解フノー」の連載は休載。

というわけで、一年ぶりに、もとの編集になった。同人のみなさんの「アトリエから」も一年ぶりだから、それを読んでいるとなんだか懐かしい。一年のあいだには、いろいろあるなあと思う。

子供が一人から二人になった人、子供が成長し育児や年寄りの世話に追われる人、家族の一人がケガをしたため家業に時間を奪われる人など、時間的な制約が大きくなる中で「制作」のある生活を模索する姿があるかと思えば、倉敷や奄美大島に移住し新しい生活を楽しんでいる様子もある。

平均的にみると、以前より安定度が増加した感じで、それはよいことなんだろうけど、おれにとっては刺激が弱くなった感じがしないでもない。

という中で、表紙の絵を担当した靴職人の高橋収さんが「どうやら最近パンクが気になるらしい」とか、福田紀子さんが「自分が世界をどんなふうに感じて、捉えていて、それがまたどんな世界を創っているかを、また感じて、捉えて……をくりかえす」といったことを書いて、そんな感じの絵があって、ふーん、いいじゃないかと思うのだった。

そうそう作村裕介さんは、左官の親方業をやりながら、あいかわらずモンモンとしているようで、おもしろい。

この一年間で、大きなジケンといえば、昨年の39号で「包丁論」の連載が始まり40号が2回目だった中原蒼二さんが、40号発行のあとの6月20日に亡くなったことだ。今号の「雑報」で、中原さんと35年間の親交があった牧野さんが「さようなら、中原蒼二さん」を書いている。

「生活」つまり「生きる」と、その結果としての「死ぬ」が、やけに生々しく感じられる号だ。

中原蒼二さんの死を伝える水族館劇場のフェイスブックのページには、「存在するものは儚く、みえないものは生きのびる」という文言あった。

おれの連載「理解フノー」は、22回目で「二〇年」のタイトルで書いた。この20年のあいだに、食をめぐる動向とくに「食文化」の動向は、これまでになかった大きな転換期にあると感じていたのだが、自分のまわりでそれを象徴的に実感することがあったので、それについて書いた。

当ブログ関連
2019/07/01
中原蒼二さんが亡くなった。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/07/post-0006a0.html
2019/05/09
画家のノート『四月と十月』40号、「理解フノー」連載は特集記事に変更。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/05/post-e515c5.html

| |

2018/10/15

画家のノート『四月と十月』39号、「理解フノー」連載21回目。

1012

今月は10月だから、美術同人誌『四月と十月』39号が発行になった。同人ではないおれの連載「理解フノー」は21回目で、「言葉を使う」のタイトル。

呼吸をするように言葉を使っているけど、それだけに、馴れきってしまい、使う言葉については考えることがあっても、言葉を使うってどういうことかについては考えない。けっこう惰性なのだな。ってことにブチあたることがあって、「本当に言葉を使って考えているのか」と考えてしまった。ってことを書いた。

今号から連載陣に中原蒼二さんが加わった。「料理」というテーマで、今回は「包丁論 一」だ。中原さんは料理人ではないが、包丁を使って魚をおろしたりするのは得意だ。見たこともある。立ち飲みの「ヒグラシ文庫」の店主であり、最近、『わが日常茶飯 立ち飲み屋「ヒグラシ文庫」店主の馳走帳』(星羊社)を著している。

連載は、全部で15本になった。蝦名則さんの「美術の本」は見開きだが、ほかは一人1ページだから、本文60ぺーじのうち、16ページを占める。同人のみなさんの作品(必ずしも完成品ということではなく)と文が、一人一見開きずつ載る「アトリエから」というページは、今回は20人だから40ページ。

毎回のことだが、同人のみなさんの文章が、よいのだなあ。うまいっ。感心しちゃうのだ。

それにひきかえ、ライター稼業のおれは…とは考えないのだが、自分の文章にはライター稼業の悪癖が出てきたなと気づくことはある。

前号から連載陣に、ライター稼業の、岡崎武志さんが「彫刻」のテーマで、木村衣有子さんが「玩具」のテーマで加わった。

それでチョイと気が付いたことがあったのだが、今回で、少し見えてきた気がする。

同人のみなさんの文章には、既視感のようなものや類型がない。ライター稼業をしていると、どうも既視感のようなものや類型が出やすくなるのではないか。という仮説。

でも、中原さんの文章にも類型が見られるし、「東京風景」を連載の鈴木伸子さんはライター稼業の人だけど既視感のようなものも類型も見られない。

これはオモシロイな、と思った。

おれなんか出版業界と業界的な付き合いはしてないほうだが、知らず知らずに、クセのようなものがつく。いや、知らず知らずだから、「クセ」というのか。それを「悪癖」と見るかどうかは、文化的な価値観も関わるから、それぞれのことであり、なんともいえない。

とにかく、これまでおれは「私」で書いてきたが、今回から「おれ」にした。今回は一か所でしか使ってない。ほかのひとにとってはどうでもよいことだろうし、たぶんほとんどのひとは気づかないにちがいない。

最近、同人も連載陣も新しい方が加わり、『四月と十月』、どこへ行くのだろう。ひょっこりひょうたん島か。

そうそう、今回の同人の方の文の中に、おれにとっては貴重なオコトバがあった。

瓜生美雪さんの文は、「気持ちをうすく閉じ込める」のタイトルで、これにも気持がひっかかったが、後半「コラージュは楽しい」という話をして、最後にこう書いている。

「大事なことは、仕上げる時に、自分が普段出せない奥のほうの感情が入っていればそれでいい」

下の写真は、瓜生さんのページ。

表紙作品は、同人の扉野良人さん。

四月と十月のサイトはこちら。
http://4-10.sub.jp/

1014

| |

2017/01/23

『栄養と料理』2月号に四月と十月文庫『理解フノー』が。

002

001

四月と十月文庫『理解フノー』は、雑誌などの新刊紹介や書評には載ることはない、そう確信していた。ところが、いま発売中の『栄養と料理』2月号の、「本を読む楽しみ」という「Book」のページに載ったのですよ。

短い紹介だけど、生活の雑誌である『栄養と料理』に載ったというのが、うれしい、ありがたい。食がテーマの本ではなかったので、紹介文を見て、、おおそうか、『栄養と料理」で紹介されてもよいのだな、と、なっとくした。

「「大衆食堂の詩人・エンテツ」こと遠藤哲夫さんが、世相、故郷、家族、老いなどについて軽妙に綴ったエッセイ集」と書かれているのに続いて、「気どった話、高尚ぶった話より、日々の生活の満足や幸福をたいせつにする著者の生き方の哲学にしみじみ共感」と。

「気どった話、高尚ぶった話より、日々の生活の満足や幸福をたいせつにする」って、『栄養と料理』の姿でもあるではないか。それに、栄養も料理も、世相や故郷や家族や老いと密接に関わっている。

というわけで、もとはといえば、昨年、『栄養と料理』10月号の特集「お酒好きのための健康術」に寄稿させてもらった縁があってのことだろうけど、『理解フノー』は響きあうところがあったにちがいないと、勝手になっとくすることにした。

紹介してもらったからヨイショしようというのではなく、以前ここに書いたが、いま『栄養と料理』は、かなりおもしろい刺激的な雑誌の一つだと思う。とくに、なんてのかなあ、ダイナミズムを感じる。

最近は、全体的にダイナミズム栄養分が不足しているね。上等そうに、賢そうに、おさまりかえっている。ま、人様のことはいいや。

『栄養と料理』というと、栄養学や家政学を背骨に、いかめしい生真面目さや純粋さをもって、とてもかたくるしいイメージがあった。いや、イメージだけじゃなく、頑固な「良妻賢母」が籠城するところという感じを経験することが、実際にあった。ま、おれの場合だけどね。かつて、おれは栄養学や家政学のばあさんたちが嫌いだった。

それもあって、いまの『栄養と料理』にダイナミズムを感じるということがあるかもしれない。でも、なかなかイノベーションな一冊にはちがいない。

今月号もおもしろい。とくに、雑多な連載がおもしろいってのが、いい。

新しい連載。3人の子育て真っ最中の「ぶたやまかあさんの お台所サイエンス」が、いまどきのハヤリ、ツイッターともリンクして展開するぶっちぎりのおもしろさ。ぶたやまかあさんとは一度飲んだことがあるけど、会ったことがない人でも、ツイッターだけでも愉快でアクティブなかあさんだということがわかる、その人間的な魅力とサイエンスの知識が、そのまま誌面になっている。サイエンスする手仕事としての料理がたのしくなるね。

もう一つ新しい連載。「妻の言い分、夫の言い分」っての、タイトルからして惹かれる。「意外と見えない相手の気持ち 夫婦にありがちな、ささいな誤解や不満、すれ違い。これってうちだけ? いえいえ、たぶんそんなことはないはずです。心理学の研究データから見える夫婦の実際に迫ります」と。いやあ、これは、昔のいかめしく説教くさいばあさんたちの家政学からは出ない企画じゃないのかね。伊藤裕子・文京学院大学大学院人間学研究科教授が執筆している。家政学も、1980年代あたりから変わってきて、科学的な方向を向いているのさ。

まだおもしろい新しい連載があるぞ。かつて、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの仕事を請け負っていたおれとしては、おもしろくてたまらん。「うまいものを探せ! スーパー&コンビニ CHECK」だ。今号は「メンマ編」で「繊維質な気むずかし屋」と。スーパー&コンビニと商品に対しては、大量生産蔑視で手づくり礼賛主義の「正しい」人たちのあいだで相変わらず偏見が強いが、どんどん「進化」しているのさ。しかし、昔は、スーパーでおかずを調達するなんてとんでもないという説教家政学のばあさんたちがいたものだけど…おっと、またばあさんを出してしまった。このあいだ、どこかの会社の単身赴任男性が、「一年以上ほぼ毎日コンビニですましているけど、けっこううまいし健康的にも問題ない」といっていた話しを聞いたが、そういう時代の流れをキャッチしている企画だね。

こうして書いていると、どんどん長くなってしまうが、最後にひとつ。前からの連載で、サンキュータツオの「このコトバ国語辞典に聞いてみよう」ってのがある。今回のコトバは「グルメ(名)」。毎回、一語を選んで、さまざまな辞書をひっくりかえしながら、その解釈や概念をほじくりかえす。なかなか知的刺激にもなる。今回は最後に「言葉は淘汰されます。似た意味でも美食、食通、グルメという言葉が残っているなら、それぞれに存在意義がないと生き残れません。三省堂の「グルメ」は、そんな存在意義を教えてくれる項目でもありました」と、深いまとめをしている。飲食をネタにしているライターさんたちは、読んでおいたほうがよいと思うね。

まだ最後にならない、「食べる政治学」がある。今回のタイトルは、「トランプ大統領でTPPはどうなる?」だぞ。まだあるがやめよう。『栄養と料理』だからできる「レシピの変遷シリーズ」の今号は「ハンバーグステーキ」だけど、これを読んでから、そもそも戦前の「家庭の主婦」が料理本や雑誌などのレシピを見ながら料理をするのはいつごろからどう広まったのか気になり、手近な資料で調べてみた。そのことはまたの機会に。

いやあ、続々と、おもしろい。これが一冊700円だからね。

生活の場から、いまとこれからを、総合的科学的に考える、しかも、いかめしくなく気取りもせず高尚ぶったりせず、見出しに圧倒的に使われている丸ゴチ書体のように偉そうにしてない雑誌。男も読んだほうがいいよ。

当ブログ関連
2016/09/13
『栄養と料理』10月号の特集に初寄稿。
2016/06/15
『栄養と料理』がおもしろい。

| |

2016/10/26

『理解フノー』にいただいた、お声。

今月初めから書店に並び始めた、港の人発行の四月と十月文庫7『理解フノー』は、おれとしては初めての食以外のジャンルの出版というかノン・ジャンルの出版で、どういう反応になるのか見当もつかない。

おれは名前だけで売れるようなライターではないし、絵を描いている田口さんも無名に近い。いったい、どんなぐあいになるのかなあと思っていたのだが、いまのところ、これまでと違って、書店さんからのコメントつきのツイートが多い。なんだか、心強い。

知り合いの書店の方もいれば、まったく存じ上げない方もいる。

お忙しいなか、書影まで撮影してのツイートがほとんど、どうもありがとうございます。

ということで、ここにまとめておきたい。書影とタイトルだけのツイートは省かせてもらいました。

なにしろ、各誌紙の書評欄などに紹介される可能性などゼロの本だから、みなさまどうかよろしくお願い致します。

◆荻窪の、Title(タイトル)‏@Title_booksさま。

生活するために、書く。そして食べる。その文章は地べたの視線から貫かれて、こうして読むと、とても品がよく感じた。文とは直接関係のない田口順二さんとの絵の交歓も何だか良い感じ。田口順二・絵 遠藤哲夫・著『理解フノー』(港の人/四月と十月文庫)

13:23 - 2016年10月25日
https://twitter.com/Title_books/status/790770744976224256

◆つくばの、中村友貴‏@c5yuukiさま。

港の人からエンテツさんの新刊『理解フノー』が到着。間に挟まれる田口順二さんの絵も味わい深い。

めしや食堂を語る“いつもの”エンテツ節は健在ながら、家族のことや自身の人生、仕事や老いについての文章を寄せた大衆食堂の詩人 遠藤哲夫のアナザーサイドとも言える一冊です。

10:41 - 2016年10月25日
https://twitter.com/c5yuuki/status/790729980539990016

◆渋谷・大盛堂書店 ‏@taiseidoの山本さまにはPOPまで作っていただいたので、その写真ツイート丸ごとここに埋め込みます。

◆北九州の、緑々あおあお‏@midoriaoaoさん。

『四月と10月文庫7 理解フノー』が入荷しています。
文はエンテツさん、絵は田口さん、いろんな意味で最強コンビ!(◎_◎;)

12:02 - 2016年10月16日
https://twitter.com/midoriaoao/status/787488951065903104

◆沖縄の、古書の店 言事堂‏@cotocotomikiさま。

「エンテツ」こと遠藤哲夫さんのエッセイ集『理解フノー』(四月と十月文庫)が入荷しました。 絵は田口順二さん。 「かわいいコワイ」を読んでいて、最後にふっと笑ってしまいました。 どこに行ったのでしょうね、形容詞。 四月と十月最新号の35号もまもなく入荷です。

17:01 - 2016年10月10日
https://twitter.com/cotocotomiki/status/785389823599050753

◆悪漢と密偵‏@BaddieBeagleさま。

"白黒つけない物の見方に納得、くすっと笑わせ、ときにほろり。美術同人誌「四月と十月」で2008年より連載の「理解フノー」に加筆、書き下ろしその他を収録":遠藤哲夫/田口順二『理解フノー』

"絵は「四月と十月」創刊以来の同人、田口順二。中学校の美術教師をつとめながら創作活動を続ける…カバー、表紙、カラー口絵含め30点を収録。様々な画材で画風も変化に富み、自身による言葉とともに、さながら小作品集の趣"

17:09 - 2016年10月5日
https://twitter.com/BaddieBeagle/status/783579832021942272

◆谷根千の古書ほうろう‏@legrandsnesさま。

定休日の昨日は、庭園美術館のボルタンスキー展と、gggでのノザイナー展へ。移動中の読書は遠藤哲夫さんの新刊『理解フノー』だったのですが、津波に飲み込まれた釜石の呑兵衛横丁の話が、ボルタンスキーが語る被災地の姿、ノザイナーの牡鹿半島での復興支援アクセサリーへと繋がっていきました。

というわけで、遠藤哲夫/田口順二『理解フノー』(四月と十月文庫)を読了。本日、店にもにも入荷しました! 敬愛するエンテツさんが語るその半生は、知れば知るほど底知れなさが増すばかり。「つまり十年ごとに、それまでの人生を「捨てる」のだ」という一節が、とくにズシンと響きました。

四月と十月文庫『理解フノー』は、30点ほど収録された田口順二さんの絵もとても好み。「楽器の練習2」という作品がなかでもとくに。以前小倉でご一緒したことがあるのですが、こういう絵を描かれる人だと知っていたら、また違った話もできたのかな。

23:26 - 2016年10月6日
https://twitter.com/legrandsnes/status/784037147875487744

◆池袋のポポタム‏@popotame_shopさま。

【新入荷】エンテツさんこと遠藤哲夫さん@entetsu_yabo の新刊『理解フノー』届きましたーイイコト書いててもエラそうじゃないなーエンテツさんのは良い、じゃなくて好いだな

22:34 - 2016年10月6日
https://twitter.com/popotame_shop/status/784024127908646912

| |

2016/10/05

美術系同人誌『四月と十月』35号、連載「理解フノー」は17回目。

009001

『四月と十月』35号が届いた。あいかわらず面白い、刺激的だ。何かをしている、何かをしようとしている、何かを見つけている人たちが描いて書く。うっとうしい自信や自負や高等遊民的な「批評精神」とは無縁だ。何かが生まれようとしている創造の鼓動を感じる。

おれの連載「理解フノー」は17回目で「海外移住を考えよう」のタイトル。脱ウチ弁慶、海外移住を考えることで見えてくること。

表紙の作品は、画家の好宮佐知子さん。

四月と十月のサイトは、こちら。
http://4-10.sub.jp/

006

| |

2016/10/01

四月と十月文庫『理解フノー』が出来上がった。

001001

一昨日29日木曜日、『理解フノー』の見本が出来上がるので、17時に高円寺の一徳に集まって待つことになった。

飲みながら待っていると、まもなく版元である港の人の上野さんが、出来たてホヤホヤを持って勢いよく登場した。拍手。包装されたまま、受け取った。拍手。封を開けると、インキのにおいがした。

それからは祝宴。もう一軒、もう一軒で、泥酔帰宅。

今日明日あたりから書店に並ぶという。

この本は、ちょっと変わった試みをしている。本書の扉から引用しよう。……

 本書は、二〇〇八年十月より美術同人誌『四月と十月』で連載した遠藤哲夫の「理解フノー」を加筆修正してまとめたものです。
 また文中の絵とキャプションは同誌の同人の画家・田口順二によるものですが、本文の内容とは無関係にアトリエで描かれていた作品から選び出したものです。したがって、絵と文はそれぞれ独立しており、この本のなかで同居を試みました。

……引用おわり。

004

この扉を開くと、『「理解フノー」の始まり』という見出しがあり、その書き出しは、こうなっている。

010『「理解フノー」という自分でも理解フノーなタイトルは、二〇〇七年七月二十五日の夜、岩手県釜石の呑ん兵衛横丁の通りから始まった。』

呑ん兵衛横丁の写真を、ここに載せておく。この前で「理解フノー」を叫んだのが始まりなのだが、そのときはもちろん、これが連載のタイトルになったり本のタイトルになるとは思っていなかった。ただ酔っていたのと、それから、この呑ん兵衛長屋の中ほどの店から酔っぱらって肩組んであらわれた2人の若者と出っくわさなかったら、「理解フノー」は生まれなかったかもしれない。まっこと、人間社会は理解フノーだ。

この呑ん兵衛横丁は、海に近い低地にあり、2011年3月11日の大地震の津波によって根こそぎ失われた。この夜に呑ん兵衛横丁のあとに入った店も無くなった。

呑ん兵衛横丁のあとに入った店で、おれは「手のひらを太陽に」の「ぼくらはみんないきている…」のメロディにのせて、「ぼくらはみんな理解フノー、生きているから理解フノー」とうたっていて、それがしばらくクセになった。

どうか口ずさんでみてください。ますます「理解フノー」な感じになるでしょ。

本書の詳細は、港の人のサイトをご覧ください。
http://www.minatonohito.jp/products/191_01.html

もくじは、このようなアンバイになっています。エロあり政治ありです。

「理解フノー」の始まり/ウマソ~/健康と酒と妄想と/右と左/何もしなくていいじゃないか/かわいいコワイ/あとをひく「つるかめ」の感傷/わが「断捨離」歴/五十年目のタワゴト/十年後/「文芸的」問題/『四月と十月』からエロへ転がり/クサイ話/七十二と七十/ダンゴムシ論/フリーライター/気取るな! 力強くめしを食え!/坂戸山/  僕の遠藤哲夫  田口順二

よろしくね。

本書を読んで、「ぼくらはみんな理解フノー、生きているから理解フノー」を、うたいましょう。

当ブログ関連
2016/09/02
四月と十月文庫『理解フノー』(港の人)の再校が終わった。

7_049001

| |

2016/09/02

四月と十月文庫『理解フノー』(港の人)の再校が終わった。

001001

このあいだの28日(日)のことだけど、四月と十月文庫『理解フノー』(港の人)の再校を終えて宅急便でもどした。これで、ほぼ、おれの手を離れたことになる。

本当は、10日にゲラが届いていたのだけど、おれにしては珍しくいくつかの仕事が重なり、お盆なのに泊りの取材などもあるという状態で、アタフタ、1週間ほど寝かせてしまった。

大急ぎで再校して送ったのだけど、急いでいたのでコピーをとるのも忘れる始末。さらに、気になるところもあって、その後ゲラがないまま、もとの原稿で見当をつけ、メールで直しを追加するということもやり、じっくり仕上げるどころかドタバタ。

昨日のエントリーに「マキノマジック」なる言葉が登場したけど、今回のこの『理解フノー』は、マキノマジックのなかでも、とくにマジック性の強いものだと思う。

というのも、おれが美術同人誌『四月と十月』に連載の「理解フノー」に書き足し、倍ぐらいの原稿量にしたものと、まったく関係なく、四月と十月同人の田口順二さんが描きためていた絵から選んだものを、編集とデザインでドッキングさせるという本づくりなのだ。

著者ふたりとも、それなりの実績のあるライターと画家ならともかく、「無」にひとしい存在で、しかも北九州と関東に離れて暮らし会う機会も少ない。これはかなりの冒険だろうと思うし、うまくいくのかなあと思っていたのだが、意外や意外、なかなかよい感じにまとまってきたのだ。

もしかしたら、ふたりとも、とんでもない潜在能力があるのかもしれない、そこに牧野さんは着眼していたのかもしれない。そんなふうに思い込んでしまったおれは、つい先日、牧野さんと電話で話したとき、お世辞のヘタなおれが、「牧野さんの慧眼にはおどろきました」といってしまったのだった。

おれの潜在能力なんてのは冗談だけど、こんな作り方をやれてしまう、牧野さんの慧眼と力量におどろいたのは、たしかだ。

ま、いつだって、売れる売れないは別のことだけど、なかなか楽しみの本になりそう。

しかし、「理解フノー」なんて、毎回テキトーに思いつくまま書いていたのだが、テキトーがよかったのかもしれない。

初校をもどした段階では、9月発行予定の進行だったが、おれが再校で一週間も寝かせたから、無理でしょう。でも、再校まで終わったから、10月には出るでしょう。10月には、同人誌のほうの発行もある。

(と思って、港の人のサイトを見たら、9月新刊のところに、すでに載っていた。「文章=大衆食堂の詩人×絵=北九州の画家。ふたりの濃密な世界が絶品!」)

四月と十月文庫(港の人)は、現在6冊発行になっている。

1『えびな書店店主の記』蝦名則、2『ホロホロチョウのよる』ミロコマチコ、3『装幀のなかの絵』有山達也、4『マダガスカルへ写真を撮りに行く』堀内孝、5『わたしの東京風景』鈴木伸子=著・福田紀子=絵、6『僕は、太陽をのむ』牧野伊三夫。

四月と十月のサイトは、こちら。
http://4-10.sub.jp/
港の人のサイトは、こちら。
http://www.minatonohito.jp/

当ブログ関連
2016/06/08
四月と十月文庫『理解フノー』(港の人)の校正が届いた。

| |