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2002/12/23

ようするに

「グルメ」は台頭し大手をふっているのに、腐ってなければよいていどの食品(「工場生産」のような野菜や肉もこのたぐいだ)が日常になり、コンビニの店頭にグルメをリードしているらしい「有名人ブランド」や「有名店ブランド」のインスタント食品がならぶ景色は、なんとも奇怪である。いったい、食品を大事にしない土壌でのグルメとはなんなのか。

いやいや、すでに述べてきたように、そもそも食を大事にしない土壌に生まれたのがグルメなのだ。しかし、考えてみよう、なぜそのような状況が簡単に生まれたのか。「モノが豊になったけど心が失われた」などと、自分だけは「心」があるようなふりしているセリフでかたがつくのか。

そもそも「日本料理」にしてが、論者によってだいぶ違うが少なく見積もっても、数千年から数百年の歴史があるはずだ。それがかくも簡単に崩壊するとは、ナニゴトなのか。と、考えてみるのもよいのではないか。江原恵さんの『庖丁文化論』は、そのことの歴史的検討だともいえるのだ。

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