「反グルメ論」
じつは、昨日の「日本料理はフレーバー系に敗北した」という断定ははやすぎる。日本料理はフレーバー系に「変容した」あるいは「進化した」と、いえるかもしれないからだ。
いずれにせよ、江原さんが「日本料理は敗北した」というときの「日本料理」は、大衆食堂にあるような料理ではなく、「日本料理屋」にあるような料理のことである。そのことはチョットおいといて、「反グルメ」を先にしよう。
ボブ・グリーンさんは、1985年の『チーズバーガーズ』で「反グルメ論」を書いている。ちょっと長くなるが引用する。翻訳は、1986年の井上一馬さんだ。
「断じて食べ物のために旅をしてはならない」この教訓は、かつて派手な装飾の仰々しい映画館を歓迎したときと同じようにレストランを歓迎するいまの社会、あるいはニーズにかなったレストランをタイミングよく出した実業家に莫大な財産をもたらす社会、さらにはレストラン批評家なるものが存在する社会では、奇異にさえ聞こえるかもしれない。すでにアメリカ人が、レストランに名誉を与え、その権威の前にひれ伏すばかりか、”本物の料理”を食べるためならどんなに遠くまでも出かけていくようになっていることはまぎれもない事実である。
と述べ。
だが、なかには私のように少しちがった考えかたをする人間もいる。われわれ反グルメ人間は食べ物になんの魔力も感じない。
といっている。
つまり、わが日本の「グルメ」なるものは、「アメリカ化」のあとに、じつにアメリカと酷似したかたちで始まったのだ。そして、おそらく、このサイトをごらんになっているかたのなかには、ボブ・グリーンさんのように、それとは「少しちがった考えかたをする」ひともいるはずだと思う。
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