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2003/01/14

石油たんぱく

石油タンパク食品の商品化はメドがたっていた。まずはハンバーグあたりが、その市場になるはずだった。そして石油タンパク食品は、まさに「フレーバー食品」というにふさわしいものであった。

石油タンパクにアジノモト、それに、それらしい食品にするための添加物をくわえる。たとえば、ハンバーグにするなら、そのための添加物をくわえる。その添加物は粉末技術、最初のころは乾燥粉末化の技術、のちに冷凍粉末化の技術で、つくられる「フレーバー類」というべき添加物である。大雑把には、そういうものだった。

その石油タンパク食品の製造は、1973年の石油ショックで断念された。関係者のあいだには、落胆と、ほっとした雰囲気があった。

そのころは、アジノモトのトップメーカー味の素の製品は、石油からつくられているとの、もっぱらのウワサだった。四日市公害で名高い四日市石油コンビナートには、味の素の大工場があった。石油タンパクの製造はアジノモト技術がもとになっていることはいうまでもない。

石油タンパク食品の製造は断念されたが、そこに使われようとしていた「先端技術」は捨てられたわけではない。いずれにせよ、日本の台所、自然と鮮度がうりの築地中央卸市場の場外食品問屋の店先には、米袋にしたら10キロ相当ぐらいの大きさのアジノモトの袋が高く積まれ、どんどん売れていた。

1970年檀一雄「檀流クッキング」山本嘉次郎「洋食考」72年荻昌弘「男のだいどこ」吉田健一「私の食物誌」73年山本嘉次郎「日本三大洋食考」池波正太郎「食卓の情景」。銀座のネオンは消え、観念的なペダンチックな男の食通談義と若い女アンノン族の食べ歩きが世相のうわずみをにぎわしていた。まだ「グルメ」という言葉はなかった。1974年、永谷園インスタント味噌汁「あさげ」発売。セブンイレブン一号店開店。

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