普遍的な味
おれはアジノモト反対論者ではない。グルメだのなんだのといいながら、アジノモトの現実を考えなさ過ぎるといいたいだけなのだ。つまり、戦後、とくに1960年代後半からこちら、食生活はどんどん変わった。米の味などずいぶんかわった、野菜も果物の味も変わった。うどん粉の味だってかわっているぞ。日常的な料理のほとんどは、かつてのつくり方も味もとどめてない。そして、変わったのだが、アジノモトの味だけは、普遍的なものとしてずっと生き続けている、グルメ騒動の味覚もそのなかで育った。
アジノモト、いまでは「アミノ酸」という。ラーメンだ、エスニックだ、イタメシだ、和食だと騒いだところで、しょせんアミノ酸に落ち着く。
そして、料理人は、やたら威張る。「この麺もうちょっと硬くしてくれないかなあ」「これもうちょっと甘くして」とでもいおうものなら、黙っておれがつくったようにくえ、という顔をされる。イタリアだかフランスあたりからきた毛唐のシェフに「日本人は楽だ、料理の味に注文をつけないから」なんていわれるのだ。これほどグルメ騒動をやってきて、なぜそういうことになるのか、疑問をもたないほうがおかしいだろう。そして疑問に思ったとき、その先にアジノモトがあるのだ。くそったれ。
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それゆけ30~50点人生。

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