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2003/02/28

カレーライス史考

きのう図書館で『カレーライスの誕生』が目にとまった。著者は小菅桂子さん。昨年出版になったのは知っていたが見るのは初めて。パラパラめくって、驚いた。驚いたので、「ヤッぶっかけめし」のコーナーに、「断固カレーライス史考」を始めた。

カレーライスの歴史を一冊にまとめた本は、江原恵さんの『カレーライスの話』が初めてだろう。83年。同じ年に、小菅桂子さんは雑誌の連載のまとめだと記憶するが『にっぽん洋食物語』を著し、その歴史について触れている。約20年前のことである。

そのころは食文化史や料理史の方法は、かなりイイカゲンなものだった。だから、カレーライスの歴史も、いろいろ問題を残して当然である。

しかし、この20年のあいだに事情はずいぶん変わった。たとえば、とくに構造主義者や文化人類学者の著書が紹介されたり、構造主義に批判的な立場からのスティーブン・メネル『食卓の歴史』や逆に構造主義の立場からジャック・バロー『食の文化史』が翻訳されるなど、食文化史や料理史の方法に示唆的なことが多かった。

にもかかわらず、『カレーライスの誕生』は、20年前の状態なのだ。小菅桂子さんは大学で食関係の先生までしているかただから、驚かざるをえない。

小菅さんにかぎらず、カレーライスについては「伝来説」と呼んでさしつかえない固定観念がある。おれは、『ぶっかけめしの悦楽』に書いたように、カレー粉については伝来が認められるけど、「カレーライス」については根拠が薄弱で急いで結論すべきじゃない、そして、料理からすれば伝来かどうかは大きな問題ではない、カレー粉の伝来だけで十分である、という立場だ。

「伝来説」の最大の問題点は、料理と料理風俗の混同である。それは料理とは何かについて理解に欠ける結果だろう。20年前なら、それが普通だった。しかし、すでに料理は、不十分ながら、「生活の技術」として把握されるようになってきている。

料理本のレシピは、それだけでは、料理風俗にすぎない。それが家庭でつくられる必然が判断できて、はじめて料理の歴史になる。カレーライスの名がのっているだけの文献の列挙では風俗の歴史であって、それが即、料理の歴史ではない。生活の技術の歴史として把握する思索作業が必要なのだ、そこに料理史の一つの課題があるはずだ。

『カレーライスの誕生』は、そういうことに無関心である。20年間の惰眠か?

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2003/02/27

心的作用

一昨日の「共時的な変換、つまり素材を換えたり調理法を換えたりすることで、バリエーションをつくりだす」てところで、さらに前の日の温サラダを思い浮かべ、あれは、(ベーコン+タマネギ+ニンジン+…)→厚い鍋に入れる→蒸す、だから、その(●+●+…)のところが共時的なわけで、じゃあ、そこのところに魚や肉もつかってみたらどうなるか、うーむ、タマネギ切って白身魚や安いタイの頭をおいてキャベツをかぶせ蒸すのはどうか、魚じゃなくてブタのばら肉もよさそうだなあ、できあがったらレモン汁と醤油とコショウをまぜた汁をかけて食べるとうまそうだなあ、なーんてやってみると、失敗もあって楽しい。

で、昨日の続きだけど、色彩も味覚も知覚されるプロセスは同じだといわれる。たとえば『色彩の心理学』(金子隆芳著、岩波新書)では、「もともと私たちが世界を見るときに、目に入ってくるのは光である。それが網膜に映像を結び、その映像が大脳中枢へ行くが、そこで心的作用が働いて映像に色がついたり形ができたり、意味があたえられたりする」である。味の場合は、光ではなくて食品に含まれる化学物質が、舌や口の奥などに散らばる味蕾これが眼球に相当するのだろうか、そこで感知され電気信号に置き換えられ脳に伝わる。

問題は、それがそのまま色彩や味覚になるわけじゃないということだ。脳で「心的作用が働いて」なのだ。視覚の場合は、このへん研究が進んでいて、絵から心理状態や精神状態を判断したり、赤色が好きなひとはこんな性格、とか、色彩は人間との相対関係において把握される。

しかし、味覚のほうは、なかなかそうならない。すぐ「究極」だの「本格」だのと、偉そうに、ランキングの話になったりする。たとえば、ラーメンのコッテリ味が好きな奴は粘液質でストーカーになる素質があるね、東京ラーメンが好きな奴は多血質の浮気者さ、てな楽しい話にはならない。

生理的な舌の感覚だけで、ゆきつくところは、あそこの店がうまい、ここはまずいである。表現は乏しいし、そこには味覚の意味づけなど存在しない。そんなことが長く続くと、グルメというのは教養がないのねえ、という印象すらわく。

ま、だから、いろいろ温サラダや温サラダバリエーションをやってみながら、この味が好きなおれって、地味で自主性のない人間なのだろうか、いや遠慮深いのだね、と思考するおれなのだ。

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2003/02/26

食味センサー

きのうの続きを書こうと思ったが、知人から電話があって話たこと。

食味センサーで「うまさがわかる」というような誤解がある。食味センサーは味、つまり舌の感覚でわかる甘酸辛苦などについて分析できるが、それで味覚つまり「うまさ」が判断できるわけではない。味覚は舌の感覚だけでなく、嗅覚や触覚、たとえば「のどごし」とか、いろいろな要素がからみ、そこには文化的なこともからみ、前にも書いたと思うが、舌の感覚から得られる味は10パーセントぐらいしか機能しないだろう(これとてかなり大雑把な話だが)ということである。

知人は、そのことで食味センサーの「権威」に会って、もっと味覚を正確に判断する方法について話を聞いたが、やはり「うまい」「まずい」の分析は機械的にはいかないということであった。

しかし、コメや果物などは、食味センサーでの基準を用いて、なかにはそれを数値であらわし、これは「うまい」ものであるとするものがある。それは、たとえば実際に、「甘い」とか「辛い」だけで「うまい」と思ってしまう感覚や知覚が存在するからだ。つまり食味センサーが有効に機能しているということは、味覚の10パーセントぐらいのところで、判断が単調になっている状況があるということでもある。90パーセントは死に体というわけね。

ということを大声でギャハハギャハハ話し合い。けっきょく、いまでも続くグルメ騒動、いつまでもラーメンだのなんだのと騒いでいられるグルメは、感覚の単調化現象のなにものでもない、これはもうほかの世界ならビョーキといわれる状態だね、でもみんなでビョーキだから気がつかない、ビョーキが普通という時代だね、多数派やメジャー派がビョーキというのはファッシズムの時代だよ、ファッシズムは自己喪失状態、人間の判断力のわずかしか機能しないところでのさばるものさ、日本人の「多数派」は北朝鮮の「ロボット人民」やブッシュの単純脳と同じ状態なのか、と、いつしか話は当面する戦争の話題になっておわったのであった。食味センサーやグルメは、政治的現象なのか?

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2003/02/25

料理とは2

整理すると、
A→B→C→…→X
これが通時的な処理。








これが共時的な処理。
料理は、基本的には、素材を集める→料理(調理)する→盛り付ける→配膳する、というぐあいに通時的に行われる。が、実際には、通時的な処理がいくつか平行して行われ、どこかで合わさったり。あるいは、たとえば通時的処理のBが別の共時的処理の下ごしらえで得られたモノであったり、というぐあいに、いくつかの処理の組み合わせになっていることが多い。

たばこ総合研究センター発行の『TASC MONTHLY』00年10月号に、知人で料理に詳しい博学の佐藤真さんが「ソシュール食堂のすすめ」を寄稿している。料理の通時的活動と共時的活動を解説しながら、「料理は基本的に言語の構造と同じなのである。ただし、多くの料理の場合、そのプロセスが複雑に錯綜し、また入れ子構造になっているものも少なくない」と述べる。そこにつけこんで、料理を経験主義と精神主義と神秘主義の祭壇に祭り上げる人物は少なくないが、彼はもちろん違う。最近のイタリア料理ブームを分析し、それが外食の場だけではなく家庭の台所にまで入ってきた原因をさぐる。

それはともかく、佐藤さんの解説は面白い。「<僕は、トマトソースのパスタが好きだ。>この文章は、→の方向に、<「僕」+「は」+「トマトソース」+「の」+「パスタ」+「が」+「好き」+「だ」>という順番でつながっている」「たとえば<「好き」+「は」+「トマトソース」+「僕」+「だ」+「が」+「パスタ」+「の」>というように、もし前後をバラバラに入れ替えてしっまたとしたら、意味がわからなくなる」

通時的処理は、その意味では厳密だが、しかし、その「トマトソースのパスタ」は「サバの味噌煮」と置き換えることはできる。

だから佐藤さんは、料理の「通時的な流れは、言語と同様に、変換がきかない。変換は全く別の料理への変換か、もしくは失敗を意味する。それに対して共時的な変換、つまり素材を換えたり調理法を換えたりすることで、バリエーションをつくりだす」と述べる。

ま、しょっちゅう料理しているひとには、すぐ合点がいく話しだと思う。問題は、それが、イタリア料理のブームや料理の歴史に関係していることにある。

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2003/02/24

料理とは

拙著『ぶっかけめしの悦楽』では、「料理とは」という言葉は使ってないが、手をかえ品をかえ、それについて述べている。その解釈が違えば、とうぜん料理の歴史が違ってくる。とくに『ぶっかけめしの悦楽』ではカレーライスの歴史が目玉なわけだけど、これまでのそれは、料理の歴史と料理風俗の歴史がゴチャゴチャになっているから、どうしても「料理とは」の整理が必要だった。

で、料理はよくつくられ語られているけど、どういうわけかその「理論的」整理が遅れている。といってもフランスやイタリアでは、けっこうやられていて、ところがフラメシだイタメシだと騒いできたわりには、そのことは知らん顔されている。玉村豊男さんの『料理の四面体』のように、なくはないが、一般的には関心は低い。それは料理というと、経験主義と精神主義と神秘主義が横行してきた歴史と無関係ではないだろう。

ということで、まずは、温サラダをつくってみよう。厚手の鍋に、ベーコンを次にタマネギを切っていれ、さらにジャガイモとニンジンとトマトをテキトウな大きさに切っていれ、最後にキャベツを切らずに葉をもぎ上にかぶせるようにおく、好みで塩をちょっとふるね、身体の気分しだいでバターをちょっとのせてもよいね。そして鍋にふたをし中火で加熱する。水は使わない、つまり蒸すのだ。約20分ぐらいで出来るが、ジャガイモやニンジンの切り方にもよる。

で、カレーライスだが、インスタントのカレールーを使うと、その箱に作り方が書いてある。通常、鍋に油を引き→切った材料を軽く炒め→水を加えて煮て→煮たら火を止めルーを溶きいれ→トロ火で煮る。というぐあいになっている。

前者は、材料を切って鍋に入れ→加熱するというぐあいに作業を分けることはできるが、構造的には「一緒に加熱」という同時的な料理であるのに、後者は時間の経過にしたがって順次やる料理だ。これをフランスあたりの構造主義者は、「共時的」「通時的」と言うわけだけど、料理は通常、このような共時的な処理と通時的な処理の組み合わせによってできている。で、その順序と組み合わせが違うと、おなじ材料を使っても違う味覚が得られ、つまり違う料理ということになる。

というふうに料理を把握しておくと、あのもったいぶったレシピもわかりやすいし、料理がけっこう楽しくなる。だけじゃなくて、料理の見方考え方が違ってくるはずだ。明日に続く。

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2003/02/23

「素材の質が料理の質を決定する」か

昨日梅が丘ウッドペッカーの森小川和隆山口真奈演奏劇尻家西語女太郎L花子喫茶後祖師谷尻家岡田屋高橋瀞洞三軒梯子酒快酔深夜帰宅。って書くと、これじゃ「エンテツめもめも」みたいじゃな。

「素材の質が料理の質を決定する」というようなセリフが永遠の全人類的真実であるがごとく吹聴されるようになったのは、比較的あたらしいことである。つまり、そこには、なんらかの歴史的事情あるいは「料理思想」や時代背景が関係している。いまじゃ、ところかまわず「選び抜かれた素材」といえばよいと思っている。そりゃ、いくらなんでも、おかしい。素材にあわせた、時と場合の料理ってのがあるだろう。素材と料理は相対関係ではないのか。

しかし「料理思想」なんて言葉は、初めて使ってみたような気がするが、料理に思想があるかといえばあるのであり、味覚にも思想が、あるといえばある。

それはともかく、とくに日本の場合は、すでに書いてきたように「割主烹従」を思想的タテマエとする「日本料理」が君臨していたことによって、なんとなく知らず知らずに、観念だけは「素材主義」に陥っていることがあると思う。ふだん「四条流」など意識することがないにせよ、それが多くの大衆の知らないところで君臨したきたことによる影響を受けているのではないか。で、そのことによって、かえって日本料理は混乱に陥ったのだということを考えてみようと、前に『アサヒグラフ』に載った四条司家をネタにしようとして、その後はなしがどんどんズレてしまった。もどしたいと思ってるのだが、どうも今日は昨夜のタタリか、身体がめんどうがっているから、これでやめよう。

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2003/02/22

本の雑誌

昨日書いたように、完成度の高いぶっかけめしの一つである冷汁を食べたばかりだったが。いま発売中の椎名誠編集長の『本の雑誌』3月号に『ぶっかけめしの悦楽』が紹介されていると、知人の1人から電話があり1人からはコピーが送られてきた。

特集「お料理本ばんざい!」の「読者アンケート/この料理本がうまい!」のところにドーンと写真入りで載っている。つまり本の雑誌お得意の読者ご推薦。このアンケート文がうまいんだなあ。ここに全文紹介したいけど、そりゃ、まずいね。

ちょっとだけ引用すると「食の神髄とは何か?それは”かけめし”である。何で?と思ったらこの本を読んでほしい。今まであたり前だと思っていた食べ物が、あたり前に見えなくなってくるから。カレーライスは完成度の高いかけめしであり、味噌汁ぶっかけめしを知らずにカレーライスを理解できないこと。日本の中世にかけめしが成長をとげていったこと。目玉焼とめしを食べるのと、目玉焼丼とは明確な違いがあること等が理屈以上に、我々の肉体に訴える熱い文体でグイグイ迫ってくる」というアンバイで、これを読んでいると、自分が著者であるのを忘れて、この本おもしろそうだなあ、と、思ってしまうのだった。

書いているのは「大方直哉・悦楽に縁のない社員36歳・仙台市」その大方さんおすすめのぶっかけめしがあって、最後に「遠藤氏も一度お試しあれ」という。さて、それは? みなさま『本の雑誌』を見てのオタノシミ。おれは、やったことがあるよ。

とにかく、こういう読者がいてくださると、うれしいねえ。今夜は、よろこびの祝い酒飲んで、味噌汁ぶっかけめしで締めくくるとしよう。

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2003/02/21

ただれた脳ミソ

脳ミソが酒で溶け崩れているようだ。だから昨日の話でもしておこう。

昨日は、午後1時40分から夜の11時過ぎまで、途中移動時間の1時間半ばかり除いて、飲み続けだった。しかも、大衆食堂大衆酒場よりチト高めコース。

とはいえ、一軒目は、有楽町駅前の古い「レバンテ」だから、有楽町としては高級というほどではない。ここは20年ぐらい前にはよく行っていた店で、10数年ぶりに入ったが、むかしのまんま。床のタイルがはがれ、なかなかボロレトロな落ち着いた雰囲気になっている。一階だから窓越しに、外の通りを歩く銀座的労働者諸君を見ながら、名物牡蠣料理をアレコレ食べ生ビールをグビグビッ。リーズナブルなモノとネダンであった。

ま、それより、二軒目は、宮崎料理で有名な渋谷の魚山亭だ。宮崎の店は何度か入ったことがあり、そこの冷汁のことは、かつて週刊朝日の21世紀に残したいB級グルメに推薦した。

しかし、渋谷の魚山亭はB級とはいえない。みるからに高そうな雰囲気なのである。毎日とりかえるという、和紙とおぼしきに筆で書いたとおぼしきメニューは、値段が書いてない。そういう店だ。なにもかも高額そうで、あたりまえだが、それなりになにもかもうまい。

が、しかし、われわれ一行、おれのほかにオヤジ男1人ギャル女1人は、そこでじつに高そうに盛られたヒラメなどの刺し身をつつき、ハートランドのビールなんぞを飲みながらしていた話は、神田神保町の半年前に閉店しためし屋「魚喜」の500円のサバ焼定食はうまかった、うううあのサバ定食べた~い、だの、西荻のナントカというラーメン屋は、たたずまいがイカガワシクて女は入れない、だけどそこの温サラダがうまいんだよなあ、渋谷のオヤジだらけのコキタナイ立ち飲み屋冨士屋のハムカツがどうのこうのという、安いイカガワシイ飲食の話ばかりなのであった。なんてこった。だけど、最後に食べた、冷汁は、ヤッパうまかったね。宮崎の魚山亭とは違うチト洗練されちまった味だけど。

ま、そういうことで、それからさらに青山キラー通りのバーへ行くなど、ふらちな非大衆的飲みコースをたどりながら、ふらちな貧乏オヤジ臭い話をツマミに鯨飲し、今日は脳が腐っているから、これまで。

もし、これを読んでいるひとで、神田神保町の魚喜の思い出などありましたら、メールでお知らせください。

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2003/02/20

漢字とひらがなとカタカナ

きのうの日記の永山さんは「アイデンティティ」という言葉を使っている。これは一般的に使われるようになったのは比較的新しい。おそらく「CI」つまり「コーポレート・アイデンティティ」の流行の影響だと思われるから、1980年代以後だろう。

1970年代前半は、企画屋の世界でも一般的ではなかった。71年に『DECOMAS(デコマス)―経営戦略としてのデザイン統合』という本がでて、この「デコマス」がのちにCIといわれるようになるのだが、その本で「アイデンティティ」という言葉を知ったような記憶がある。70年代後半は、マーケティングや広告の専門誌ではよく話題になっていたが、一般のビジネス雑誌で話題になるのは80年代になってからだ。

まえにこの日記のどこかで書いたと思うが、70年代は「イメージの時代」のはじまりだった。日本経済新聞社が「企業イメージ」を言いだしたのも70年代前半である。そして「企業イメージ戦略」と「デコマス」は同義につかわれ、またCIにおいても同様な傾向で流行した。その結果「見てくれのアイデンティティ」がアイデンティティであると誤解された理解が普及することになった。

「アイデンティティ」は言葉としても概念としても、日本人になじみのうすい言葉で、いまでも正確に使われているとはいえない。その言葉を永山さんは使って「魚の骨を箸で上手にとって食べるのは、日本人ならではの食文化で、日本人のアイデンティティーともなっている」と言ったのである。

漢字とひらがなとカタカナ、最近は横文字日本語も使って、日本人は自らを語る。そこにまさに、日本人のアイデンティティがあるのではないだろうか。なんの気なしに「和洋中料理」という、そして「和」が伝統であると思う。しかし、かくも「和洋中」が簡単に普及する背景の一つの、一つだが、かなり根本的なところで、おれたちは漢字もひらがなもカタカナも、そして必要とあらば横文字日本語まで使って考え行動し、自分自身を説明する「民族」であるということが関係しているのではないか、と考えてみてもよいのではないかと思う。「和」が伝統なのではなく、「和洋中」という概念と実態をつくってしまうことこそ伝統なのだと考えてみてもいい。

とにかく、70年代中ごろには、「カタカナ」か「横文字」じゃないと売れないという、信じられないイメージの時代になっていた。

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2003/02/19

真っ当な議論がほしい

「昨日(17日付)の産経の1面の『骨抜き魚』についての貴兄の日記を読みたいのだけど、まあ日記の材料の提供というリクエストだよーん」というメールがきた。日記の材料には困ってないし、おれは産経新聞はもちろん新聞というものをとってないテレビもない、だから「骨抜き魚」がどんな議論になっているか知らない。だけど、どうせ本質をわきまえない瑣末な話になっているだろうぐらいは想像がつく。

そしたら、ご丁寧にも、そのメールのお方から、ご自分のサイトに「骨なし魚について永山久夫というおかしな人が言ったことを掲載しておきますから、どうぞ日記に使ってくだされ」と、またメールがきた。ウゲェ、あの永山さんというひとは、もう論理も理論もない、言うことがメチャクチャだから、そんなひとの相手、このサイトでやるのは嫌だ、おれのサイトが穢れると返事した。だいたい「永山久夫というおかしな人」と言われるひとなのに。

で、とにかく、そのお方のサイトを見たら、ありました永山久夫さんのいつものメチャクチャ発言が。「魚の骨を箸で上手にとって食べるのは、日本人ならではの食文化で、日本人のアイデンティティーともなっている。便利だからと流されるのではなく、一人一人が日本文化の担い手であることを意識して生活してほしい」

やだよ~、いいかげんにしてくれ、そういうところで「アイデンティティ」だの「日本文化の担い手であることを意識」する話かよ。こういうことを言っているひとがいるから、日本の食文化の伝統について真っ当な議論ができないんだよ。「永山さんには申し訳ないが笑ってしまった」と言われてしまうのだ。あーあ、もう今日は書く気がしない、と、もう散々書いたか。

もうこういう瑣末な幼稚な議論はやめましょう。骨抜き魚、けっこうですよ。いまの駅には、階段とエスカレーターとエレベーターがあります、なんのためか、なぜか、知ってますか? カレーライスつくるのに、カレー粉もあればカレールウもあれば、レトルトカレーもあります。選択肢が増えるのは、歴史なのでしょうが。インスタントや骨抜きが嫌なら買わなきゃいいだけです。それを「アイデンティティ」だの「日本文化」だのという議論にするから、レベルが低いと笑われるのです。

永山さんの本は、日本文化の担い手であることを意識して、筆と和紙でつくられているでしょうか。

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2003/02/18

昼飯

真っ当といえば、かつては全国民的に3食を真っ当に食べていた時代があったと思う。いまは、全国民的に真っ当な食事というと昼飯ぐらいだろう。ほかは成り行きまかせ。

で、その昼飯だが、真っ当に食べているうちの多く、ガキは給食であり、仕事しているひとは外食か中食というものだ。つまり、自家製弁当はかなり少ないと思う。おれの場合でも、30歳というと1973年だが、そのころを前後して弁当を持たなくなった。それまでは弁当が普通だった。そしてまだ給食が普及しないうちに中学を卒業したから、テスト的なそれを小学校のとき数回食べた記憶があるだけだ。

最近2回ほど中学校で給食を食べる機会があり、どうも考えてみると給食というのは、おかしな制度だと思った。まずいうまいではなくて、その時間になると機械的に、何百人が同じ時間に同じものを食べる状態になるということについてだ。まったく本人の意思が介在することなく昼飯を食べるのである。あなた任せだ。どうも不気味な景色である。

真っ当な昼食のなかに、そういう人間が、ガキであるが、たくさんいる状態は、真っ当なのだろうか。給食の子供は自分の意思で真っ当なめしを食べる人間に育つだろうか。めしを食べる意思は、生きる意志でもある。そのはたらきが、わずかに残った真っ当な昼飯の場にない。昼飯以外は成り行きまかせになっている状態を考えると疑問がわく。

私立学校の場合は給食がないから親がつくる。自分もかつては、いちおう子育てをやったことがあり、共働き状態のなかで子供に弁当を持たせ、親も持って行った。

一見、いちばん真っ当に食べているようにみえる昼飯のなかにも、かなり真っ当でない状態がある。真っ当にめしを食べることもできないで、何事かなしたとしても、それは一方で異常をしているのだから、とくに偉そうにできることではない。めしを真っ当に食べて、物事をなしてこそ普通の人間としての意味がある。日本は真っ当なめしを犠牲にして、その犠牲を子供にまで押し付け、先進国グルメ顔している、どこかゆがんだ精神の漂うところである。と、思うのだった。そういえば、おれもおかしいな。

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2003/02/17

料理批評といふこと

田中康夫さんが出てきたついでに。彼は料理店にかぎらず、自分の批評の態度あるいは方法などについて随処で述べているが、一番まとまっているのは『いまどき真っ当な料理店』だと思う。96年に刊行され97年に改訂版が文庫本になっている。文庫本は斉藤美奈子さんの解説で一層おもしろくわかりやすい。

『いまどき…』には「定食屋」の項があって「吉野家新宿一丁目店」が登場する。そこで田中さんは述べる。「批評とは、相対主義に基づく代物であるべき」だと。ま、絶対の尺度はない、つねに思考しなくてはならない、有名だろうと一流だろうと老舗だろうと、思考停止状態なら評価すべきじゃない。

そして、それを評価する自分自身も相対化されなくてはならない。いまの自分の尺度は、というのは、過去の自分ということになるが、絶対ではない。吉野家というきわめて日常的な店だって、行きつけないものにとっては非日常の場である。いつ、どう食べるか、そういうことをつねに考えろ、と言う。

非日常も日常も絶対ではない。だからこう言う「牛丼も朝定食も、例えば夜遊びの後に女性と連れ立って訪れなさい」つねに、時と場合を考えなくてはならないし、すべては時間と空間のなかで相対化される、そのことに注意を払い思考せよ、という趣旨のことを田中さんは何度もくりかえす。

ついでに、この新宿一丁目店に、おれはよく行っていた時期がある。深夜まで仕事をやり、明け方、そこで牛皿とビールをやるのである。それは、女性をともなっていなくても、非日常的な気分になれた。そのように時と空間は相対的なものであり、味覚もそこに存在する。

「とまれ、実践しながら思考し続ける食べ手たらんと心掛けなさい。料理の知識を修得することばかりに長けた口説の徒とも、訪れた料理店の数ばかりを誇る厭味な奴とも違う真っ当な食べ手へと近づかれんことを」

田中さんの料理店評価は直接的には、作り手、売り手(供し手)、食べ手、そして自分との関係で相対化される。つねに「自分」というものは環境のなかで相対化される。絶対的な尺度はない。「願わくは、このガイドブックをあなた方の知識、あなた方の評価を相対化するための一助としてお使い戴けます様に」

だから、このひとの本を読むときは油断できない。思考の停止が許されないのだ。批評とは、「真っ当」を考えることなのである。はたして、おれは、真っ当か?

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2003/02/16

生活と趣味

「生活料理」と「趣味料理」という言い方をしたが、「生活的味覚」と「趣味的味覚」ということもできる。また「生活的味覚」は「実質的味覚」ということにもなるだろう。

さらにまた民俗学者が好きな「ハレ」と「ケ」つまり「非日常」と「日常」という二元論にしたがえば、「ハレの味覚」「ケの味覚」ということになるだろう。

繰り返しになるが、このようにわけるべきだというのではない。わけられてきた断絶された二重構造の歴史がある、「趣味」が「実質」を峻別し見下し、日本料理史というと「実質」の存在を無視する状態が続いてきたところに「日本料理」の異常があるということなのである。で、これを日本料理として一つの体系にしなくてはならないというのが江原恵さんの「生活料理学」という名の「料理学」の発想だった。これが、これまでの整理ね。

で、同じような問題意識を持っていたかどうかわからないけど、「料理」という一つの尺度で合理的に料理を批評しようという人たちが、山本益博さんが「料理評論家」として登場する前後から活躍している。つまり玉村豊男さんと田中康夫さんだ。江原さんは、かつて「食べることが批評でなければならない」といったが、その意味では、このお2人さんは、食べることが批評であり、店とその料理に対する評価は、「こだわり」だの「職人魂」だの「妥協をゆるさない」といった神秘的なあいまいな観念的な言葉は用いず、合理的に食事や料理について批評している。

そしてそれを読んでいると、食事や料理はどうありたいか、どう楽しむべきかの主張が読み取れるのである。もちろん玉村さんと田中さんでは、表現はかなり違うが。かれらは、たとえば、何軒食べ歩いたなど自慢しない。あたりまえのことだが、批評においては、そんなことは問題にならない。

だいたい批評らしき分野で、関わった「件数」や、自分が料理もつくれることを、権威のごとく自慢するなんてグルメの世界ぐらいなものだろう。「おまえはこれだけ食べ歩いたか、歩いてないのにツベコベいうな」「おまえは、これを作れるか、つくれないのにツベコベいうな」という態度であり経験主義であり、批評に必要な合理的精神や論理は存在しない。そして、そういう人たちのいうことに感心しているひとは、玉村さんや田中さんの「グルメ本」をあまり読んでない、という傾向もあるように思う。

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2003/02/15

「不潔恐怖症」

資料を整理していたら、面白いものが出てきた。2000年9月3日毎日新聞「時代の風」で養老孟司さんの話。見出しは「清潔行過ぎた日本人」「『きたないもの』扱い忘れ」

「売り物のサンドイッチにハエだかカだかが入っていたという苦情があり、製造元が商品を回収したという。雪印問題の続きみたいなものである」「私は、口に入るものにあまり神経質になっても意味がない、という意見である」「いまの人はどうして食べ物に異物が入るのを、極端に嫌うのだろうか。こちらのほうがよほど面白い現象である」

「消化管は体の外であって、内部ではない。だからカイチュウがすんでいたり、さまざまな細菌類が常時滞在している。O157も毒素を出す一部の大腸菌で、大腸菌といえばだれの腸にもいるはずである。昔風にいうなら、そんなもので中毒するようでは、ある意味では体が使いものにならなくなっているということであろう」「私は人糞で育った年代だからそんなものは怖くない」

「清潔好きそれ自体は、べつに悪いことではない。しかしそれが行過ぎると、妙なことになる」「私個人の基準からすれば現代日本人はほとんどが不潔恐怖症である」「きれいきたないはじつは主観の問題である。はっきりした客観的根拠がないから、それが社会問題を起こす。日本人の清潔好きは、人糞肥料にも見られるように、きたないものを上手に取り扱うという本来の原理があって、そこから生じていると思う」

もちろんおれも人糞世代。市場流通の面からみると60年代ぐらいを通して、人糞肥料食品は、ほとんどといってよいぐらい姿を消す。かつて八百屋の店頭には大きな太文字で「清浄野菜」と書かれた看板が見られた。「清浄野菜」とは人糞を使わない野菜のことである。最初はレタス、セロリーなどの「新洋菜」のことだったようだが、なんでものことになり、みごとに虫も味もない野菜が普通になる。

そのこと、そしてそういうものを歓迎するココロあるいは主観が、味覚に影響をおよぼさないということはないと思う。ましてやアジノモトが、さらにその均質的無菌状態を維持するのに機能していたともいえるぐらいなのだから。つまり、猥雑な食堂や猥雑な味を嫌い、スッキリしたキレイで上品な店や味を好み、おれのような男を下品というのである。クソッタレ!

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2003/02/14

米の没落?

料理や食事が「栄養」と「グルメ」に矮小化された歴史は、そんなに古いことではない。もっと多様な尺度を回復し発展させようと思えばできるはずだと思う。しかし、そういうことは関心が低いのだろう話題にならないし、だからテレビ番組はもちろん活字にするチャンスもない。

インターネットはいいねえ、こうやってコツコツ書いておけるから。でも見てもらえているかどうかは、わからんのだけど。

ところで昨日の続きだが、貧乏くさいうたの「神田川」が流行した73年におれは30歳。それから約30年たとうとしているのだが、この間に米の1人あたりの年間消費量は半分の約60㎏に落ち込んだそうである。

そこで、ハンバーガーなどは、すごい目のかたきにされている。ま、それも考えなくてはならないのだろうが、しかし、「立ち食いだめ躾」や米食が、たかだかハンバーガーにこうも簡単にやられてしまうのは、チトほかにワケがありはしないかと考えてみてもよいのではないかと思う。

それに数字は落ちているのだけど、おれのように若いころは米の飯をおおぐいしていた年齢がトシで、そんなにくえなくなっているし、そのかわりになるほどの数の子供はつくってないのだから、いわば「自然減」ということで、全部がぜんぶ味覚文化食文化的な問題ではないかもしれない。

ま、そういうことで、今日は、ここまで。

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2003/02/13

マック

『昭和・平成家庭史年表』によると、マクドナルド1号店が開店したのは1971年7月20日。ハンバーガー1個80円。いまは、これより安いのだから、マックの努力は賞賛されてもいいか。しかし、記憶にあるそのバーガー(もちろん当時は「バーガー」などといわず正しく「ハンバーガー」だった)は、現在のものよりボリュームがあったような気がする。

それをそこで初めて食べたのは、すでに話題沸騰していた翌72年の春だったと思う。銀座は快晴だった。

銀座三越の、最近は行ってないから変わっているかも知れないが、「ティファニー」があるぐらいの位置にマックは開店したのだから、マックはティファニー並だったということになる。いまになってみると不思議だが、それぐらいのインパクトというかバリューがあったともいえる。

もちろんショップは道路に面していた。すでに70年に歩行者天国が実施になっていたから、おれが初めて食べたその日曜日もマックの前の銀座通りは歩行者天国だった。イスとテーブルが置かれて、ダンゴと寅さん的な旧庶民的景色とはちがう、新しい中流意識的な市民的風景を感じることができたし、おれもそこでバーガーを食べながら、その景色の一員だった。いまでは想像しにくいだろうが、そこだけが、かる~い、あかる~い、さわやか~な気分の景色だったといえる。

ハンバーガーも、たぶんコーラも、そのときが初めてだった。どちらも、それほど感心した味ではなかった、こんなに伸びるとは想像できなかった。当時、それを「うまい」という話を耳にした記憶がない。

ただ、それより、あの「立ち食い」「歩き食べ」のファッションが「革命的」といえるほど刺激的だったのは確かである。つまり、それは味わったことのない解放的な気分をもたらしたに違いないし、それがマックの前の銀座通りの景色だったと思う。それまであった旧日本的躾、「買い食い立ち食いはいけません」は、これでもろくも崩れることになった。

「神田川」という貧乏くさいうた、貧乏若者が金のかかる結婚などせずにセックスつき恋愛を楽しむ同棲が流行するのは、73年。新宿三越、これも最近行ってないから変わっているかも知れないが、「ルイビトン」のある位置ぐらいに、マックができていた。

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2003/02/12

生活料理

で、ま、「家庭料理」は料理であるのだけど、それは毎日くりかえされる生活の営みとしての食事のなかにある料理であり、となると、それは社員食堂もあれば、給食もあれば、もちろん大衆食堂もある、というわけで、そこにあえて「生活料理」という言葉が浮上した。つまりは、これが料理であると。

で、そうなると、「生活料理」と「趣味料理」あるいは「遊芸料理」というぐあいに整理できるのだが、とかく日本料理の伝統だの文化だのといわれてきたのは、じつは「趣味料理」なのであって料理つまり生活料理ではない。では、料理つまり生活料理における伝統や文化はどういうものだったかというのが問題になるのだった。そこからさらに踏み込んで、その体系化をもくろんだのが、江原恵さんの「生活料理学」の発想だった。それは、たとえばカレーライスは、刺身とおなじ日本料理であるという考えでの体系である。

きょうは忙しいから、これだけよ。

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2003/02/11

「家庭料理」

北大路魯山人さんといえば『美味礼賛』のサラヴァンさんとならんで、食の話や食通談義によく登場する。かれは高額会員制美食クラブ「星岡茶寮」をつくり、自ら料理や器をつくり提供し、世の名の知れた食通をうならしたらしいが、いわゆるクロウトではない。

魯山人さんは昭和10年に、こう書いている。「家庭料理は、謂わば本当の料理の基であって、料理屋の料理は之を形式化したものだ。之を喩えて言ふならば、家庭料理は、料理といふものに於ける真実の人生であり、料理屋の料理はその芝居である。之は芝居であるばかりでなく、芝居でなければならないのである」

いいこといっているねえ。

それから約40年後。江原恵さんはいう。「家庭料理という言葉自体が変則的なのであって、家庭料理と料理とはもともと同一なものであるはずなのだ。それに対して、料亭料理、レストラン料理は”売りもの”である。商品だから、実質以上の価格とそれだけの値打ちがあると思わせる何かが必要になる。その何かこそ外観の美であり、場所の雰囲気であり、食物の由来とか産地直送とかいう『嘘』なのである」

江原さんが、こう書いた最中1970年代に、すでに食事や料理は「プロの料理」がふりまく虚像つまりイメージの虜になっていた。プロの料理に「値打ちがあると思わせる何か」は、メディアが競って演出することになった。その状況は、今日まで続いているが、かつてなかったものである。

そこに、自らの料理を料理と自覚できずに、たかが「おかず」たかが「家庭料理」と思い込んでいる大衆がいた。自らのコロッケやカレーライスを卑下し、「本格的な」フランス料理や懐石料理やインド料理などを「元祖」「本物」と仰ぎ、マスメディアやグルメライターがふりまく能書きに「美食」を見出す「グルメ大衆」は、そこから生まれた。

そういうわけで、やがて、料理であり続けたのは大衆食堂の「おかず」しかないという状況になる。

ま、その大衆食堂のおかずには、魯山人の好物であり死の病原を運んだといわれる「タニシの煮付け」までは、さすがになかったが。タニシなんか、おれがガキのころは、ニワトリのえさだったよ。人間が食べるものとは思わなかった。芸術家として名を成してからも貧しいガキのころの「タニシ料理」を愛し続けた魯山人にとって、それは「真実の人生」だったのかもしれない。そういう料理を自らの逸品としたいものだ。

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2003/02/10

再び「割烹」といふこと

7日の夜、チェーン店の居酒屋に入った。客席から厨房のほうを見ると、疑う余地のない板前な姿がいた。「板前」とは「日本料理人」のことだね。居酒屋チェーンでも修業をつんだ板前がいるところがある、そういう店だった。

付き出しにイモの煮物。まさに「日本料理」だった。サトイモの小イモだが、六角切りという処理で皮をむき、かつ台形に整えるために、頭をスパッと切り落として。それが、内容物に対して大きすぎるぐらいの器に、ちょこんときちんと並べて盛って。

割烹つまり「割主烹従」は、4日の日記で「これは材料を切り割いてそのまま食べる生ものの料理が主で、煮たり焼いたりするといった火を使う料理は従であるという考え方です」という某氏の説明を引用したが、これだけでは正確でない。この小イモ料理のように、庖丁の跡を残すように「飾り切り」をし、その庖丁の跡を崩さないように煮る、というのもまた「割主烹従」の考えなのだ。

このイモ煮が「家庭料理」の「おかず」ではなく「日本料理」であるのは、その切り方と煮方の違いである。

しかし、そのイモは、とてもマズかった。安いチェーン店だから材料は知れている。それを、どう飾って切っても、また切り口が残るように関西風のうす味で煮たところで、味がよくなるわけではない。おれなら、普通にサッとむいて、濃い味つけで煮てしまうものだね、これは、と思った。

もちろん商売では、飾り切りで客を楽しませるのは、「仕事」のうちだろう。それが唯一「日本料理」であり、家庭料理は、それを見習うべきだということになると、はなしが違う。それに、材料のよしあしに関わらず、そのカタチさえ整っていればよしとする「日本料理」の割主烹従の考えは説得力がない。にもかかわらず、そういう料理が「本当」の「日本料理」であり、また「西洋料理」などにしても、レストランあたりで食べる「プロの料理」が「本物」の料理とされてきたのは、どうしたわけなのだろうか。

一方、料理人たちがふんぞりかえり、その代弁者のごときグルメ系情報がのさばるだけじゃなくて、日常の食事は、ただの「おかず」と思い込み、プロの料理人の料理や技法や話を本当の料理と信じ疑いをはさまなくなったフツウのひとが、家庭でいくら料理をつくっていても「素人」あつかいという状態になれきったフツウのひとが、少なくない。その状況は、だいぶ昔からのことなのだ。


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2003/02/09

今日は「やよい食堂」の第4夜を掲載したから、こちらは簡単に。

で、74年に江原恵さんと会ったおれは、すぐ意気投合して、「じゃあ、やりましょう」となったわけだ。なにしろ、おれには「熟慮」という言葉がない。かっこうよくいえば「走りながら考える」ということのようだが、とにかく面白そうだなと思うと、すぐ動くのだ。

なにをって、そのときは「ありふれたものをうまく料理しよう」というセンの料理教室をやろうということだった。「サケの缶詰だって、うまく料理に利用できますよね」おれはサケの缶詰が気になっていたものだからいうと、「そうさ、そういうものをうまく食べるのが料理なのだ」と江原さん。いつも酔っての話だから、そんなアンバイだったと思う。

「で、どうやって、その料理教室をやるのですか?」「それは、やはりバスかなんか改造して、それで全国をまわるのさ」「おお、すばらしい!」江原さんは、なにしろ放浪癖に近いものがある。おれも一ヶ所にじっとしていられないほうだ。

さっそく熟慮せずに、そのセンの料理教室をやる企画書をつくり、おれが担当する大手食品メーカーにプレゼン。「ばーか、おまえは何を考えているんだ」と課長に一蹴されて終わり。

しかし、それから10年近くたったころ、江原さんと「生活料理研究所」をつくり渋谷の東急百貨店本店前のビルに「しる一」という店まで出すことになるのだった。まったく人生は、どういう展開になるかわからん。

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2003/02/08

だし入り味噌

「料亭の味」なる「だし入り味噌」がある。はじめて「だし入り味噌」が店頭に並んだとき、ついにここまできたかと思った。「料亭の味」が出たときは、買って使ってみたが、こんなまずいものは売れないだろうと思った。だが、いま、それは店頭で堂々の居場所をしめている。料理屋料理のイメージは、こんなぐあいに、君臨している。

グルメの時代が動きだしていた。山本益博さんが、その名を残す食べ歩きの名著で「料理評論家」として誕生しようとしていた。1982年の『日本食生活文化史』の「家庭料理」で大塚力さんは書いた、「日々のわが家の料理などまったく無造作に祖父の代からの方法でつくられているかのようである。しかし、このような家庭料理のなかから、現に国際的と称し自慢するテンプラ、スキヤキ、文字焼の類、それに釜飯やその他の鍋料理が登場してきたのである。これらはもともと家庭で発達したものを商売人が抽出したものであるから、飲食店といっても家庭料理の延長であるという面がみられる」

だけど、それはもう、いまさら、料理屋料理に隷属させられてきた家庭の耳には届かなかっただろう。しかし、わざわざ、このようなことを書かなくてはならない事態であったのも確かだった。かろうじて「女の義務」において継承されてきた家庭料理は、プロと男の料理の前に、自信どころか、まったくやる気を失っていた。グルメの時代の始まりで、その細々とした命脈が完全に絶たれようとしていた。1970年代後半に始まった「男子厨房に入ろう会」などの男たちの料理への「目覚め」は、家庭料理を力づけるどころか、さらに料理屋料理を権威づける方向へ向かった。

6日に引用の昭和5年刊行『日本料理通』で著者の楽満斎太郎さんは、こう述べていたのだが……「日常は料理とも言われぬ位の粗末なものを喰っているという間違った観念が頭の中にあって、日常の惣菜などは料理でなくて惣菜だと考えることが、つい料理という言葉に貫禄をつけてしまって」……その状況をつくりだした自らの日本料理の責任を自覚してない限界はあるにしも……。

いまじゃラーメン屋も料理屋顔で、「だし入り味噌」が「料亭の味」顔で、みんな家庭料理の上にふんぞりかえっている。

江原恵さんの『家庭料理をおいしくしたい』が刊行されたのはバブルグルメの最中の1988年。家庭の台所も大衆食堂も衰退のなかにあった。


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2003/02/07

食事文化の崩壊

このところ1970年代の「グルメ前夜」あたりで話がころがっている。「転換点」なのか「変革期」なのか、有史以来の「日本料理」がガタガタ大騒ぎになる時代で、その源をたどると、西暦700年ごろまでさかのぼることができて、とても面白い。でも、その話は先のことにして、まずは「食事」のことである。

昨日の最後に『庖丁文化論』からの引用として「家庭料理を料理屋料理に隷属させる食事文化の形態を打ちこわして」とあって「食事文化」なる言葉が登場するが、江原さんは料理人だったからだろうか、実際は「食事文化」というよりは「料理文化」を中心に語ることが多かった。

しかし食事文化の崩壊が、もっとも深刻で、食事について考えることがなくなり、食事がどうでもよくなってしまえば、料理なんてどうでもよくなる、という構造のなかで「グルメ」が誕生したともいえる。

そのもっとも特徴的な現象として「単品グルメ」をあげることができる。フラメシ、イタメシ、エスニック、あるいはラーメン、カレー・ライス、さぬきうどん、そば、おでん……というぐあいで、そのグルメをいくらほじくりまわしても、その分野のグルメ・リーダーらしきひとの発言を見てもわかると思うが、ご当人たちの「食事観」らしきものが、まるで見えてこないところに特徴がある。そのかわり、「わたしは○○好き」で「週に○○回は食べる」とか「○○軒食べて歩いた」という声がきこえるだけなのだ。

本当は、食事ぬきのグルメなど、あろうはずはないのだが。別の言い方をすれば、いま比較的まっとうな食事時間というと、おそらく昼食ぐらいだろう、朝飯も夕飯も成り行き次第。そういう事態のなかでグルメは進行してきた。

グルメの時代の入口の80年ごろ。世田谷区の馬事公苑の入口近くに「ロイヤルホスト」という24時間営業のファミレスができた。朝食の時間になると、子供を私立学校に通わせているような中流市民的家庭の奥様が、登校前の子供を連れて一緒に朝食をし、そこのサンドイッチなどを子供の弁当に持たせるということがファッションになり話題になった。近所の私立学校では校長先生が父母会で「どうか、そういうことはやめてください」と頭を下げる場面もあった。だが、そんなことに耳を傾ける奥様の時代ではなくなりつつあった。それは「家庭料理を料理屋料理に隷属させる食事文化の形態」の結果でもあるといえるのだ。

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2003/02/06

惣菜と料理

「男子厨房に入ろう会」ができたのは、1970年代の後半である。とても、おかしい。男子は、とっくの昔に厨房で庖丁を刀のようにふりまわしながら、「われこそは日本料理なり」とやっていたのだ。

だが、男子厨房に入ろう会の「厨房」は、家庭の台所のことだと考えれば、つじつまはあう。家庭の台所は女が、家庭料理つまり惣菜をつくるところで、男子たるもの天下国家にはたらくもので、そんなところに出入りするものではないという、ようするに事大主義が横行していた。

男が料理屋という「職場」でつくる料理は「日本料理」で、女が家庭でつくる料理は「惣菜」であると。が、しかし、ここに「一膳飯屋」や「大衆食堂」といった、惣菜をつくる男の料理人がいる「職場」もできた。すると、それは、板前修業の第一歩で、「落ちぶれても、食堂のオヤジにはなるな」といわれるところとなったのである。

が、しかし、「日本料理」の中からも、こんな発言はあった。昭和5年刊行の『日本料理通』では、「惣菜と料理は別個のものか?」という。「実は料理はどんな高級なものも惣菜の延長なので、惣菜から発達したのです。料理が子供なら惣菜は其母体です。すると母体である惣菜の方が一番大切でありまして、料理道の大切な真理は皆ここを源として発足すべきであります。」

この著者の楽満斎太郎さんについては詳しいことはわからない。内容からは日本料理店をやっていることは間違いないようで、そういう意味では、日本料理の立場から「料理」と「惣菜」を区別しつつこう述べたり、全体としては限界はあるのだが、当時としては画期的と思われる日本料理界への批判も含まれているので、身元はあかしにくかったのかもしれない。

ともかく、こういう発言は、「日本料理」の中から何度かあるのだが、すでにみてきたように、あいかわらず庖丁をふりまわして威張る権威が存在するらしい。もし「日本料理」がこのことを真剣に考え取り組んでいたら、1974年の江原恵さんの『庖丁文化論』が、「日本料理は敗北した」といい、「家庭料理を料理屋料理に隷属させる食事文化の形態を打ちこわして、根本的に作り変えることである。」「料理屋料理を、家庭料理の根本に還すことである」という、過激発言の事態は少しは違っていたかもしれない。

でも、愚かな歴史は繰り返されるのが現実なのですなあ。ああ。

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2003/02/05

ラーメン番組

ちょこと他出していたもので、いま23時半すぎ、かろうじて「今日」のうち。そこで手抜きというわけではないが、よその掲示板で、こんな投稿をみた。投稿者の「○○タマ」さんは、まるで知らないひとではないし、こういうことは、おれの近辺のラーメン好きもいっている。もっと声を大きくするために、ここに転載。

ここ何年かテレビでやたらと土日にラーメンとか
食べ物系の番組が多いけどあれって
本当につまらない!
あんなの視聴者が本当に見たいと思っているのだろうか?
だいたいラーメンのベスト100なんて何を
基準に選んでいるのか訳が分からない!
この前も突然夜中にそんな番組やっているものだから
頭にきました!
もう、いい加減にしてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっ

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2003/02/04

割烹ということ

今日は「やよい食堂」の更新をしたので、簡単にやるつもり…。

「割烹店」といえば「日本料理店」のこと。その「割烹」は「割主烹従」のことである、と「日本料理界」ではいわれてきた。

では「割主烹従」とは、なんなのだ。ネット検索をすれば、簡単に、このような文言をみつけられるだろう。

某氏いわく……昔から日本料理の基本的な性格は「割主烹従(かっしゅほうじゅう)」であり、これは材料を切り割いてそのまま食べる生ものの料理が主で、煮たり焼いたりするといった火を使う料理は従であるという考え方です。日本料理では一つの献立を立てるときに、まず刺身を何にするか決め、それから煮物や焼物を決めていくのが常道で、はじめの刺身に何を持ってくるかで献立全体の性格がおおむね決まってしまいます。

某氏いわく……「日本料理では包丁技術こそ最も重要で、煮炊きといったものはそれに従属するものである。」と言った趣旨の主張をされた事を覚えている。言われてみれば確かに、これはこの先輩に限ったことではなく、日本料理界の一部に、未だに厳として存在している考え方である。それを証明するかのように、お造り(刺し身)をひくのが許されるのは、調理長並びにそれに次ぐ者のみ、といった厳しい掟が存在する調理場はまだ多い。しかも、この業界を代表するような一流店に、そういった風潮が濃く残っているのは如何したものであろうか。式包丁を修め、高価な本焼きの包丁を使うことで自分を誇示する。そういったお偉いさんが、まだまだ君臨しているのが今の日本料理界の現状である。

このことは、そのうち詳しく触れる機会があるかもしれないが、多くの文献資料でも同様だ。

そして「日本料理」が「家庭料理」を峻別して貶めてきた歴史は、「料理」が「惣菜」つまり「おかず」を峻別し貶めてきた歴史でもあった。「おかず」といった日々の料理をになうものは、それを日本料理として、日本の歴史と伝統に生きる料理として認識することも、誇りに思うことにも、欠けていても当然であり、それを簡単に捨てたとしても不思議ではない状態だったし、それを「日本料理」に非難されるすじあいではないといえるだろう。「料理」は、もともと「おかず」を見下していた。

いま、こういう「日本料理」の考えは、1970年代をさかいに変わりつつあり、また、混迷を深めつつあるといえるようなのだが……。

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2003/02/03

庖丁の「魔力」にとりつかれた日本料理

四条流、四条園流、四条園部流、四条真流、京都四条流、大草流、進士流……、いくつあるのかわからない。ネットの検索で簡単に拾い出せるが、どれも古式ゆかしき「庖丁式」なるものを語るだけで、それぞれがどういう料理と味覚の特徴をもって分かれているのか、明快な説明はない。詳しい本を読んでもそうなのである。なぜかれらは自分たちの料理だけが「日本料理」だというようなことを言い張ってきたのだろうか。どうも「庖丁」が関係するようなのだ。

『小説 料理の鉄人4』(小山薫堂著、扶桑社)「第一章神田川道場」は、このように始まる。

「さて、どうや」
 道場には、神棚があった。そして、床の間に「盤鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)」と書かれた掛け軸が吊るしてあった。それは、千数百年の歴史をもつ庖丁人という職種の、主護神(原文ママ)でもあった。
 さて、どうや、といったのは、床の間を背負って座る、一人の男であった。(略)
 道場主、神田川俊郎である。
 
テナことで、その「さて、どうや」は、ヒラメの刺身を前にの「勉強会」の場面である。花戸という男がいる。かれは、こういう男である。

 古式庖丁道の大派、四条流の免許皆伝の腕の持ち主であり、伊勢神宮奉納式庖丁で庖丁人をつとめる。神田川との付き合いは、もう10年になる。神田川の右腕だ。

テナぐあいに「四条流」は使われる。そして、こう書かれている。

 勉強会の、今日の課題は、新しく開発されたセラミック庖丁の研究であった。
 日本料理の庖丁は、玄人が使うものは、炭素の含有量の多い鉄、すなわち鋼の刃をもつ。世界でも独特の片刃の庖丁が、日本独自の調理法である刺し身を可能にする。日本料理で、「庖丁の冴え」という。庖丁さばきひとつで、味もかわる。それが日本料理の哲学だ。

「庖丁の冴え」よく耳にする言葉だと思うが、それで説明されるのが、かれらの「日本料理」である。

ちなみに、中国料理やフランス料理などは、ナントカ地方の料理、あるいはナントカ地方風の味、という表現で分類される。それで料理と味覚が説明される体系がある。「四川料理」なら四川地方の料理と味覚。家庭料理という言われ方をしても、それぞれが、そこにおさまる体系である。だが日本料理の場合は、日本料理が「上」と家庭料理が「下」という「二重構造」になっている、その境に「庖丁という伝統」があるのだ。

 

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2003/02/02

「日本料理」以外は日本料理ではない?

四条司家というのは、「日本料理四条流」の一流派の家元なのである。

日本料理に家元がある!四条流なんていう流派がある、そのことをおれが知ったのは、前にも書いたような食のマーケティングの仕事についたあと、1972年のはずだ。そして、それがただならぬ影響力を持っていることも知ったのだった。

新しいメニューの開発や料理写真など撮るときの料理の制作のために、クライアントである食品メーカーの顧問になっている料理学校の先生と仕事をする。その料理学校は当時とても有名な学校の一つで校長は有名人。で、ただの校長かと思っていたら、四条流のとても偉いひとだと聞かされた。で、おれと仕事をする先生、つまり校長の弟子で、校長に代わって校長の名前の料理原稿をつくったりするひとなのだけど、「日本料理というのは、四条流からはじまる伝統料理を日本料理というのであって、家庭の料理は日本料理ではない」とおれにいったのだ。

おれは、驚いて、その先生の顔をみた。「では、家庭の料理、それからこうして作って雑誌に載せる料理、それは日本料理ではないのですか」おれはいった。「そうですこれは家庭料理であって、日本料理ではありません」と先生はいうのだ。「では学校で教えているのは、日本料理なのですか」おれはいった。「日本料理を教えるのが基本ですが、家庭料理も教えます」と先生はいった。「日本料理と家庭料理の違いはなんですか」とおれはいった。「四条流を継いでいるかどうかでしょう、この学校でやる料理は、それにもとづいていますから、ということになっているのですよ」と、その先生はニヤリ笑った。

ま、あらましそのような会話があった。おれは、頭が混乱した。

ところで、昨日の料理だけど、できたら、ニンジンもトマトも庖丁でテキトウに切ってつくりましょうね。あれは、山でよくやったやりかたです。でも料理。

で、庖丁があるなら、タマネギを刻んで最初に入れましょう。バターで炒めてから水を加えると、コクがでます。最後にワインか日本酒を、ちょっと入れたりすると味がかわりますね。その酒をちょっときかせたぐらいで、とってもうまい「感じ」になるというのは、よくあること。

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2003/02/01

しかし

どうして四条流の話になってしまったんだろうねえ。これはもうとんでもない腐ったリンゴをかじるようなことになったぞ。いやはや。気分転換に、四条流の庖丁式をあざ笑うように、庖丁なしの料理でもやってみましょう。鍋があれば、よいね。モノグサ独身男でもやれる。いや、モノグサにぴったりだ。

鍋に水を張り、ニンジンをよく洗ってまるごと入れる、力があったら折ってもいい。皮はむかないでいいよ。トマトをカジってはペッと鍋のなかにだす、キャベツを洗ってチギッては投げ入れる。煮る。煮立ったら、ブイヨン一個、できたら醤油をちょっと入れる、塩でもいいけど、ブイヨンには塩が入っているから入れすぎないように注意、あとは中火でコトコト煮る。よく煮えたらピーマンを洗ってチギッていれる。ちょっと煮る。これで出来上がりだ。基本は、これでよい。

これに肉を入れると、ひき肉がいいかな、さらによいね。タラの切れ身をほおりこんでも、けっこういける。本当は、タマネギが入ったら万全、だけど切る道具がいる。トウガラシを入れるとよいね、なければ食べるときにコショウをふる。

これで緑黄野菜をタップリ食べられる。おろし器があったら、洗ったニンジンはすりおろしてもよい。そのほうがたくさん食べられる。

これは庖丁を使わない。庖丁は料理に必須ではない。ただし、これでも、ちゃんと料理だ。使う野菜の組み合わせによって、火加減煮加減によって、味は変わるし、ちぎり方で食感も変わる、もちろん味つけもするしな。

しかし、ま、四条流ね、明日にしましょう。

しかし、近頃は、おれより若い連中まで、昭和の30年代40年代は「夢や希望があった」などとぬかす。本当か?おれはそうは思わんぞ。それは、経済右肩上がりのうえにテメエも若いか小さかったからだけじゃないのか。経済が悪くなったり自分がトシとって、失せてしまったり持てないような夢や希望は、夢でも希望でもないんだよ。そもそも夢とか希望は、時代や時間や空間なんか超越するものをいうのだ。だいたいだな、夢や希望がそんなに大事か。そんなものなくても生きていけるわい。現実をよくみて、ガツンガツンめしをくえ!

って、発作な発言でした。

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