だし入り味噌
「料亭の味」なる「だし入り味噌」がある。はじめて「だし入り味噌」が店頭に並んだとき、ついにここまできたかと思った。「料亭の味」が出たときは、買って使ってみたが、こんなまずいものは売れないだろうと思った。だが、いま、それは店頭で堂々の居場所をしめている。料理屋料理のイメージは、こんなぐあいに、君臨している。
グルメの時代が動きだしていた。山本益博さんが、その名を残す食べ歩きの名著で「料理評論家」として誕生しようとしていた。1982年の『日本食生活文化史』の「家庭料理」で大塚力さんは書いた、「日々のわが家の料理などまったく無造作に祖父の代からの方法でつくられているかのようである。しかし、このような家庭料理のなかから、現に国際的と称し自慢するテンプラ、スキヤキ、文字焼の類、それに釜飯やその他の鍋料理が登場してきたのである。これらはもともと家庭で発達したものを商売人が抽出したものであるから、飲食店といっても家庭料理の延長であるという面がみられる」
だけど、それはもう、いまさら、料理屋料理に隷属させられてきた家庭の耳には届かなかっただろう。しかし、わざわざ、このようなことを書かなくてはならない事態であったのも確かだった。かろうじて「女の義務」において継承されてきた家庭料理は、プロと男の料理の前に、自信どころか、まったくやる気を失っていた。グルメの時代の始まりで、その細々とした命脈が完全に絶たれようとしていた。1970年代後半に始まった「男子厨房に入ろう会」などの男たちの料理への「目覚め」は、家庭料理を力づけるどころか、さらに料理屋料理を権威づける方向へ向かった。
6日に引用の昭和5年刊行『日本料理通』で著者の楽満斎太郎さんは、こう述べていたのだが……「日常は料理とも言われぬ位の粗末なものを喰っているという間違った観念が頭の中にあって、日常の惣菜などは料理でなくて惣菜だと考えることが、つい料理という言葉に貫禄をつけてしまって」……その状況をつくりだした自らの日本料理の責任を自覚してない限界はあるにしも……。
いまじゃラーメン屋も料理屋顔で、「だし入り味噌」が「料亭の味」顔で、みんな家庭料理の上にふんぞりかえっている。
江原恵さんの『家庭料理をおいしくしたい』が刊行されたのはバブルグルメの最中の1988年。家庭の台所も大衆食堂も衰退のなかにあった。
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