料理とは
拙著『ぶっかけめしの悦楽』では、「料理とは」という言葉は使ってないが、手をかえ品をかえ、それについて述べている。その解釈が違えば、とうぜん料理の歴史が違ってくる。とくに『ぶっかけめしの悦楽』ではカレーライスの歴史が目玉なわけだけど、これまでのそれは、料理の歴史と料理風俗の歴史がゴチャゴチャになっているから、どうしても「料理とは」の整理が必要だった。
で、料理はよくつくられ語られているけど、どういうわけかその「理論的」整理が遅れている。といってもフランスやイタリアでは、けっこうやられていて、ところがフラメシだイタメシだと騒いできたわりには、そのことは知らん顔されている。玉村豊男さんの『料理の四面体』のように、なくはないが、一般的には関心は低い。それは料理というと、経験主義と精神主義と神秘主義が横行してきた歴史と無関係ではないだろう。
ということで、まずは、温サラダをつくってみよう。厚手の鍋に、ベーコンを次にタマネギを切っていれ、さらにジャガイモとニンジンとトマトをテキトウな大きさに切っていれ、最後にキャベツを切らずに葉をもぎ上にかぶせるようにおく、好みで塩をちょっとふるね、身体の気分しだいでバターをちょっとのせてもよいね。そして鍋にふたをし中火で加熱する。水は使わない、つまり蒸すのだ。約20分ぐらいで出来るが、ジャガイモやニンジンの切り方にもよる。
で、カレーライスだが、インスタントのカレールーを使うと、その箱に作り方が書いてある。通常、鍋に油を引き→切った材料を軽く炒め→水を加えて煮て→煮たら火を止めルーを溶きいれ→トロ火で煮る。というぐあいになっている。
前者は、材料を切って鍋に入れ→加熱するというぐあいに作業を分けることはできるが、構造的には「一緒に加熱」という同時的な料理であるのに、後者は時間の経過にしたがって順次やる料理だ。これをフランスあたりの構造主義者は、「共時的」「通時的」と言うわけだけど、料理は通常、このような共時的な処理と通時的な処理の組み合わせによってできている。で、その順序と組み合わせが違うと、おなじ材料を使っても違う味覚が得られ、つまり違う料理ということになる。
というふうに料理を把握しておくと、あのもったいぶったレシピもわかりやすいし、料理がけっこう楽しくなる。だけじゃなくて、料理の見方考え方が違ってくるはずだ。明日に続く。
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