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2003/03/28

プロとアマ

プロとアマ、クロウトとシロウト。どの世界にも、この違いはあって、プロはソノ道に精通していて当然である。が、プロが上で、アマが下、ということではない。プロはプロであり、アマはアマなのだ。ところが、プロが上で、アマが下、ま、プロが正しくて、アマが間違っていて何か足りない、と、お互いに思い込んでいるところがある。

プロは正しいか? たとえば、ある魚市場つまり魚問屋のオヤジが、もっと家庭で魚を食べてもらおうと主婦を集めて、「魚料理」の講習会をやった。どういうものだったかというと、庖丁の研ぎ方と魚の下ろし方なのである。庖丁を研いで魚を下ろし、切れ身や刺し身にする。なるほど、その庖丁の研ぎ方も庖丁さばきもミゴト、さすがプロとしか言いようがない。しかし、そんなことして、それは見る分にはミゴトだけど、いまの家庭でそんなことをするだろうか、できるだろうか。しないし、できないから、そういう講習会があるのだと言われるかもしれないが、それはシロウト考えだろう。魚がさばけても家庭の台所のプロではないのだ。

魚をさばくには、それなりの大きさのシンクのついた台所が必要だ。大きなまないたをシンクの中において、水を随時ながしながらさばかなくてはならない。しかし、現実の台所のシンクは、普通は小さなアジやイワシやサンマをさばくぐらいが限界の大きさで、サバも大きめになるともうやりにくい。そのように台所の構造が変わっている。とうぜん庖丁も、魚庖丁や菜切り庖丁を揃えるなんてことはない。だけど、プロは必ずしも、そういう事情には精通しているとは限らない。それは、その道のプロというのは、専門化された分野のプロにすぎないのだから当然なのである。

ところがプロが上である。自分は正しい、アマは従うべきだ。という関係が続き、こういう事例の問題点は1970年代から「プロのあいだ」では指摘されているのに、なかなか改善されない。自分がやっていることをやってみせる、それでいいのだ、見て覚えろ、できないやつは根性が悪い、そういうことで、とにかく家庭の主婦は、どうしようもない怠け者のバカという関係が、プロとアマのあいだで繰り返されてきた。とりわけ、庖丁つかって魚がさばけないなんて「日本文化の堕落だ」ぐらいのことが言われてきた。そのことと、四條流のような料理流派の「思想」とは無縁ではない。オギョッ文字制限

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