もうアキた四條流
もうアサヒグラフも四條流もアキたので、チト繰り返しになるけど、まとめをして次へと。
そのアサヒグラフの最初の見開き、大きな一枚写真の『四條家流庖丁書』の記事と写真解説はこうである。「四條中納言藤原朝臣山蔭が日本料理道、庖丁道の基礎を確立したとされるのは平安朝の初期であった。以来、四條司家は、千年以上にわたり、日本料理の粋を継承しつづけてきた。限りなく多様化する日本の食文化の精華がここにある」。そして写真解説は「『四條家流庖丁書』。日本料理の祖神、四條中納言藤原朝臣山蔭が庖丁儀式における鳥や魚のさばき方を解説した書」だ。これらを読めば、ま、この通りに普通の人は信じるだろう。その写真の『四條家流庖丁書』は四條中納言藤原朝臣山蔭が解説した書であり、四條流は平安初期から存在した。ということになる。
しかし、原田信男さんも指摘のように「藤原山蔭を、四條流の祖とする説に関しては、同時代の史料や信頼しうる所伝にはまったく登場せず、家伝にとどまっている」のであり「四條流庖丁書」も、平安時代どころか「室町時代まで遡ることは出来ない」のだ。「四條流という呼び方も」「おそらく中世後期に用いられるようになった、と考えるべきだろう」。ついでに繰り返しになるが、「中納言藤原朝臣山蔭」のうえに勝手に「四條」をつけたのは、後世の誰かの仕業で、その呼び方は日本料理関係者ぐらいにしか通用しないものだ。なぜそこまで飾りつけをしなくてはならないのか。また、「四條司家は、千年以上にわたり、日本料理の粋を継承しつづけてきた」というが、当主の隆彦さん自らが「四條家の人間が庖丁儀式を執り行うことが跡絶えていたのを、私が再興したのであり」といっているように、その実態は「精華」というには、他の伝統の分野と比べても、かなり雑な継承の感じは否めない。それをなぜ仰々しく「精華」としなくてはならないのか。あまりにも虚と実のあいだのギャップが激しすぎる。
料理流派が、ナンダロウアヤシゲと思われるワケは、そういうコジツケがまかり通っていることに対する疑念だろう。それは日本料理の歴史にとって不幸なことではないだろうかと思う。もうどの業界も業界内事情や体質では、やっていけない時代というのに。
そういう四條流や四條司家については、関係者におまかせして、そろそろ、「われわれの日本料理」に移ろう。文字制限だだだ
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