いよいよ戦争か、の、四條流の本質にせまる
さて、41代当主は、「私は日本料理業界並びに伝統文化のより一層の発展に寄与するために日本料理文化財団の設立に日夜奮闘しております。それが父の望んでいた考えであります。」と話を終える。ここで、この父子の考える「日本料理」とは何か、と思わざるを得ない。そして、それは、「平安時代でこれ以上、付け加えることができないくらいに頂点を極めていた」四條流を崇め奉る「宗教」なのね、ああそうか、それならわかる、と思い至る。
当主は料理をしない語らないでも、四條流を象徴する家紋入りの庖丁を持って庖丁儀式を執り行えば、それがいわば四條流の「神事」であり、当主は神事を司る神主の役割が果たせるのだし、事実、当主はそういう神事にしか関心がないようである。そしてそれを「ハハァー」「へへェー」とありがたがることで成り立つのが「日本料理」なのだ。アサヒグラフは、そのことを伝えたかったのだろう。と解釈できる。
で、その次の見開きを開くと、その解釈に確信をもつのである。つまり、右側に大きい一枚写真、「四條流の祖とされる四條中納言藤原朝臣山陰卿」の古めかしい坐像が、ドーンと。そして左が、これまた一枚写真で、むむむむ、これが、「38代、隆英(1876~1936)。農商務次官、貴族院議員なども歴任した」と説明のスゴイ写真なのだ。つまり、百人一首などにある平安時代の公家のサムライの正装を御存知だろうか、あの姿の隆英さんである。なぜ38代が登場するのかも唐突なのだが、その恰好は、もっと唐突で、こりゃ、これが日本料理とどういう関係なのか、厨房で庖丁を握っている写真はないのか、どんな料理をつくっていたんだ、と思いたくなるのだが、その姿が平安貴族風だというところで、宗教活動として理解すれば納得できるのだ。
こうして、日本料理道や庖丁道は宗教であるがゆえに、その「精華」は神秘的なベールに覆われたまま、チンプンカンプンで、おわる。
いや、おわらないのだ。最後の見開きに、「四條流が料理史に果たした役割」という一文がある。これを書いているのは原田信男さんで、『木の実とハンバーガー』など、まっとうな日本料理史の本が少ない中で比較的まっとうに料理史を書いているひとである。これは面白い配置だ。ま、そういうことで、こういう平和な料理の神様と比べたら、はるかにタチの悪い厄病神のようなブッシュが戦争を始めるらしいから、文字制限だ~
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