迷宮に突入か、四條司家
えーそれで、つづきですよ。家紋入り見出し「四條司家当主 四條隆彦(1953~)」が語る、日本料理の精華ではなくて、「四條家に生まれ育って」である。
この見開きには、一昨日も紹介したような半ページサイズの、四條司家と皇族との過去になった古い関係を示す写真のほかは、当主の写真そして小さい写真が3点。一つは、当主が明治神宮神楽殿で「庖丁初め俎開き」で、またもや庖丁儀式の写真。それから、東京・霞会館で「四條司家の料理道・庖丁道を一般に人びとに講義する」写真。といっても、これが、いかにも「よそいき」な着物姿のご婦人(そのへんの一般婦人にはゼッタイ見えない)、それもたった4人に囲まれた当主である。そして、もう一枚は、本文に関係がある。しかも、これは、おおいに日本料理と関係がある。
本文に、こうある。「四條司家では毎年四條祭・顕彰授与式を執り行っていますが、これは日本料理の調理師で、料理道・庖丁道への精進、食文化の発展に寄与された方を顕彰するとともに調理師の地位向上を考えた制度であります。第一回には宮様にもご臨席を賜わりまして父も大変喜んでおりました。」という東京・霞会館での、顕彰授与式の写真なのだ。その中央には、当主だけが、またもや、いつも同じ平安貴族風の姿で、その両脇にメダルをぶらさげた、たぶん顕彰を受けた方々であろう、背広姿の男たち。
ところで、ここで、当主は、こうもいっているのだ。「四條家の人間が庖丁儀式を執り行うことが跡絶えていたのを、わたしが再興したのであり」と。な、なんと、これはどういうことなのだ、続いていたのではないのか。しかし、ずいぶん、この伝統は、雑なのだなあ、と思わざるを得ないだろう。
そして、そういう「四條司家」の人が、いとも簡単に日本料理界の調理師を顕彰する立場になれるという事実に驚くばかりである。
であるからか、当主の料理の話は、ほとんどない。そして彼は自宅の敷地内に、「四條神社を自身で建立してしまったのです」とこともなげにいう。そして通信教育で神職の資格をとったのである。このへん、日本料理についても、神道なる伝統についても、どう考えているのか、まったくわからん。ああ、これ「日本料理の精華」かあああ、編集者は、どういうコンタンなのだ。しかし、あの株式公開のフランス料理シェフ平松さんとは、ずいぶん違うではないか。って、ことで、文字制限ですね。
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