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2003/03/16

四條流、さらに昨日のつづき、だんだん見えてくる

とにかく「日本料理」というのは謎に包まれている。多くの人びとの日常とは、あまり縁のない「高級」な料理屋料理のことだが。ベールのむこうの御神体みたいなもので、本来身近なはずの「日本料理」は、じつはよくわからない、「四條流」すら知らなかった、考えてみたこともないという人が、けっこう多いのである。ま、そういうことで、遠藤十士夫さん。この方は、ウエブで検索してみると「宮内庁御用達萬屋調理師会 会長」「国家検定技能評価試験委員 副首席」「日本料理研究会 師範」「四條司家最高勲位料理指南役」という肩書の方である、どうですスゴイでしょう。そうイカメシイ肩書じゃなくて、普通の表現の肩書が考えられないのか、なんて思ってはいけない。これが伝統というものなのだ。遠藤十士夫さんの責任ではない。日本料理界というのは、そういうところだと思えばよいのです。

とにかく「四條司家最高勲位料理指南役」が登場した。復習すると、表紙、扉、そして、8見開き目である。このページにも、再現料理が2点と3点一組ある。そして、やっと「日本料理の精華」について、写真は撮り方がヘタだったのか印刷が悪いのか、とても「精華」とは思えなかったが、お話がきけるのだ。遠藤十士夫さん、この時点では、単に「四條司家料理指南役」で「最高勲位」はついてない。だけど偉いのだ。彼は言う。

「四條流の料理は、すでに平安時代でこれ以上、付け加えることができないくらいに頂点を極めていました。現在の料理界で、私たちがあらためて発見したりする技術はもうないと言ってもいいほどで、いまは平安期の技術をアレンジしているだけです」「味つけも実にすぐれていたと思います。水も素材もすばらしくおいしかったでしょう。コメも野菜も当然完全無農薬ですし、かなり美味だったはず」「栄養の面でも大変にバランスがとれていた」

であるから、再現料理でよかったのだ。もう平安時代に、日本料理は完全に完成していた、その写真だったらしい。

いつも思うのだが、平安時代という歴史の世界でもわからないことが多い時代を、そのころまるで生きていたかのように簡単に語るひとが、料理の世界には少なくない。ま、でも、そうなのだそうです。たとえば、いまのコメ、みなさんが喜ぶようなコシヒカリよりうまいコメが平安時代にはあった。そういうことにして、話をすすめよう。

がああああ、文字制限じゃあああああ

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