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2003/03/22

四條流のつづき。「日本料理四條流」の「日本料理」とは。

昨日の続きだが、児玉定子さんの『日本の食事様式 その伝統を見直す』は、伝統の日本料理に科学的根拠を与えようと苦心サンタンしているのだが、彼女の「日本料理」とは四條流の料理のほかなく、なかでも本膳料理なのである。懐石料理なんか含まれない。

児玉さんは「日本料理四條真流師範」だからね。四條真流というのは、「四條眞流儀式庖丁縁起」によれば、「戦後、四條流第九世石井康次郎翁、正式なる後任者を定めざるまゝ急逝。ために自称家元なる者続出し斯界に混乱を招く。直門に獅子倉(ししくら)祖(そ)憲(けん)師範あり、是れが恥辱の渦中にあるを好まず、昭和二十五年秋、祖神の真意を尊び敢然『四條真流』を創設す」とあるように、戦後の後継者問題を発端に新しくできたものだ。家元なるものが君臨している伝統業界には、よく見られるゴタゴタの果てらしい。と、ここにまた「四條流第九世石井康次郎翁」なるものが出てきて、これはなんじゃ?と思いたくなる人もいるだろう。

とにかく、一昨日かな?書いたように、アサヒグラフの堂々25ページの巻頭カラー特集「四條司家 日本料理道・庖丁道の精華」は、まったく内容がなく仰々しい見出しに裏切られた思いで、最後の見開きを開けると原田信男さんの、「四條流が料理史に果たした役割」である。

原田さんは、「懐石料理に代表されるような日本料理は、見た目にも美しく盛り付けにも工夫が凝らされているが」と書き出す。先の児玉さんとは違う、原田さんは四條流のひとではない。「札幌大学女子短期大学部教授。日本中・近世の村落史・生活史」という方だ。

「いわゆる日本料理がいつ成立したのか、というのはかなり厄介な問題で、何を日本料理と定義するかによっても大きく異なる」このへん、じつに、やっかいで腐心して書いておられるようだ。フツウのひとは毎日食事をしながらどう思っているか知らんが、「日本料理」となると、いちいちこういう注釈をつけなくては始まらない状態がある。ま、文明的な統一国家ではマレなことだろうと思うが、苦労して原田さんは書き出している。「料理流派という観点からすれば、これは明らかに儀式料理にかかわるもので、まずは国家レベルで用いられる料理の性格が問われることになろう」ここに「儀式料理」なる言葉が登場する。ダア、文字制限ダア~続く。こんなの読みたい人いるんかねえ、ま、とにかく書くけどね。

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