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2003/03/31

高橋氏と安曇氏の対立抗争

ま、とにかく古い話だよ。奈良時代その前の飛鳥時代もそうだったと思われるが、天皇家の飲食を担当する職掌「内膳司(ないぜんつかさ)」があった。それは役所の部署みたいなものだから長官や副長官がいるね。ついでに、内膳司は「天皇家」の飲食担当で、「朝廷」つまり大和の国の役所のほうには別に「大膳司(だいぜんつかさ)」があって飲食を所轄し、朝廷につめる人たちの昼飯をつくったり朝廷主催の儀式宴会を担当した。余談だけど、そのころの朝廷の昼飯は給食で、ハシとスプーンでめしをくっていたらしい。

ところが、その「内膳司の構成は、長官である奉膳(ぶぜん)が二人、判官である典膳が六人となっていて、律令制下の官司構成のなかではまったく異例」だったんだな。それは律令制前から天皇の飲食担当を高橋氏と安曇氏の両者がやってきたのを、そのまま組み入れたからだと推測されているが、とにかくそれで、律令制になってからも両家のあいだに対立抗争が絶えなかったのだね。で、ついに対立抗争が頂点に達したと思われる、792年(延暦11年、桓武天皇の時代、平安遷都の直前ごろ)ついに安曇氏が失脚し、内膳司の長官は高橋氏が独占することになった。そのジケンで、イワカムツカリノミコトが「料理人の祖神」になることが決定的になったんだね、なぜかというと……。

ってことで今日は忙しいから、これで

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