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2003/03/23

なんじゃなんじゃの四條流、つづき

「本膳料理って、なに?……」と質問メールがあったが、まずは昨日の原田信男さんの続きから。

四條流の「日本料理」は「儀式料理」であると。それも「国家レベル」の儀式料理であり「すなわち権力者集団の食事が、どのような人々に任されていたのか、という問題から入る必要がある」ということで、まずは古代におけるそれを述べる。景行天皇の時代つまりヤマトタケルのオヤジだが生没不詳、その時代に、「魚介と膾(なます)・煮物・焼き物といった日本料理の基本パターンが成立していたことが分かる」「おそらく8~9世紀までには、今日の日本料理の原型が出来上がっていたものと思われる」

さて四條家がこだわる平安期は。「しかし平安貴族の大饗などで供される台盤料理は、膳を用いる日本料理のスタイルにはほど遠く」である「生ま物や干物・焼き物などを適当な大きさに切りそろえて皿に並べ、これらを四種器と呼ばれる四つの小皿に添えた調味料で、自分で味をつけて食べる、といった形が採られていた。それゆえ調理といっても、素材自体に複雑な味を加えて供するわけではなく、むしろ切りそろえて皿に据えるため、切り方が重視されることから、庖丁が料理の代名詞となった」「儀礼に用いられる台盤自体は中国からのものであったが、切り方を重視する台盤料理に、今日の刺身や剥き物といった伝統的な日本料理の萌芽が認められ、この頃から、いわゆる庖丁名人が登場するようになる」

「大饗」とは貴族たちの定例行事や任官昇進などの儀式宴会、「台盤」は横長の大きな縁のある台である、と理解しておこう。とにかく、この言い回しには、苦労がにじんでいる。要点はこうだ「8~9世紀までには、今日の日本料理の原型が出来上がっていたものと思われる」「しかし平安貴族の大饗などで供される台盤料理は、膳を用いる日本料理のスタイルにはほど遠く」「儀礼に用いられる台盤自体は中国からのものであったが、切り方を重視する台盤料理に、今日の刺身や剥き物といった伝統的な日本料理の萌芽が認められ」。つまり平安期の「伝統的な日本料理の萌芽」については「刺身や剥き物」以外はふれてないのだ。さきに、遠藤十士夫さんが「四條流の料理は、すでに平安時代にはこれ以上、付け加えることができないくらいに頂点を極めていました」と言い切ったのと比べると、ずいぶんトーンが違う。そのナゼは、ゲボッ、文字制限だああ

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