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2003/03/29

料理人の祖神の物語

「庖丁一本さらしに巻いて……」と歌にもあるが、刃物とストイックでナルシックな日本の男といえば、武士と料理人が代表的な存在だと思うね。武士はいなくなったのに、料理人は「料理道」だの「庖丁道」だのと。彼らはナゼかくも刃物に魅せられてしまったのか、その切れ味にウットリしたり、ドスをさらしにブチこむやくざ渡世人の気分で「庖丁一本さらしに巻いて……」とくらあ、カワイイというかオモシロイというかの現象だ。ナゼだ。

以前にも引用した『小説 料理の鉄人4』(小山薫堂著、扶桑社)の一場面。

「さて、どうや」
 道場には、神棚があった。そして、床の間に「盤鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)」と書かれた掛け軸が吊るしてあった。それは、千数百年の歴史をもつ庖丁人という職種の、主護神(原文ママ)でもあった。
 さて、どうや、といったのは、床の間を背負って座る、一人の男であった。(略)
 道場主、神田川俊郎である。

「主護神」とあるのは「守護神」の間違いかな? どちらにせよ、もったいぶった大げさな表現で、普通は「祖神」といわれる。昔の職業には、それぞれ職業の神様がいて、そうした「職業神」信仰の一つと思われるね。で、料理人の祖神が盤鹿六雁命(イワカムツカリノミコト)だ。かれを祭る神社があって、それが近頃は料理人・庖丁人の神様、つまり職業神から「料理の神様」「食の神様」と拡大解釈されている傾向があるのさ。伝統は古風を守るフリをしているが、後世の欲の深い人間が都合のよい解釈をくわえて改竄している証拠。

イワカムツカリノミコトが料理人の祖神になるにあたっては、そういった、じつに人間同士の生々しい闘争があって、この話はけっこう面白いよ。神様は人間がつくったのであって、それもじつにドロドロした成り立ちだ。ま、神様にはゼニや利権がからむからね、当然だろう。

前にチョット登場した児玉定子さんの『日本の食事様式 その伝統を見直す』。「景行天皇の五十三年、天皇の東国巡幸にお供をしたか膳夫(かしわで)の盤鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)が堅魚(かつお)と白蛤(うむき)のなますを差し上げたことが『日本書紀』に見え、この人物が日本料理の祖神とされ」とある。が、いつから「祖神とされ」たかが、とてもおもしろく、幸か不幸か、かれが祖神になるジケンは「第一級史料」とわれるもので残っているんだな。アリャ

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