サテ、四條流と、われわれのメシの関係の入り口
サテ、それで「四條流が料理史に果たした役割」である。ま、別に論文を書いているわけじゃないが、ここからが本論の核心部なのだ。
たとえば児玉定子さんの『日本の食事様式 その伝統を見直す』(中公新書)がある。「その伝統を見直す」というのはサブタイトルなのだが、わが日本においてはこういう議論が「好き」としかいいようがないほど好きで、とくに食系では目だっている。なにかというと、すぐ「伝統」が問題になり、伝統でないものは「伝来」という単純化された思考のもとに、それだけでは割り切れないものとして近代、「和洋折衷」があり、それは「和魂洋才」なのである。ま、たいがいの日本の料理の歴史は、よく見られる「カレーライスの歴史雑談」のように、「伝統」と「伝来」と「和洋折衷」という言葉で整理がついてしまうのだ。そして、それは決まって「起源説」、ルーツの話になる。日本の「歴史」も「紀元節」が問題になるのと似ている。けっして、歴史や民衆のダイナミズムは問題にならないという際立った特徴がある。
その何故かは別にして、はやい話、われわれの日常のメシとミソシルとオカズという食事様式についても、それを歴史のなかで把握するより、これは伝統じゃ!ということで、そのルーツはどこか、それは四條流の本膳料理だよん、だから四條流はエライんだよん、民衆の食事なんか粗悪すぎて問題にならんのさ。テナ、考えが根強い。まるで四條流がなかったら、これはなかったといわんばかり。今日のメシを主食とする、全世界にこれ以上のスグレモノはない毛沢東さま金日セイ(すまん、セイの漢字を忘れてしまった)さまブッシュさまより独裁が許される敬愛すべきスグレモノである。それを捨てて洋食や中華に走るとはナニゴトか!というヨウナ主張は根強い。ついでにいえば、懐石料理の流派は、四條流などじゃなくてウチから日本のメシの伝統が始まったと言い張っていましたな。
おれもメシにはこだわりがあるが、左様な考えは、まったく妥当性がなく、そのような考えでエラソウにやってきたから、日本料理は崩壊したのだと思うのだが。とにかく、その児玉定子さんは、1913年生まれで、日本料理四條真流師範という例によってイカメシイ肩書を持ちながら、家政学会の重鎮として活躍され、伝統的な料理流派のなかでは、広い視野を持った「理論派」と評価していいのではないか……、グエッ、文字制限だぁあ~
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