おお、なんとなんとスゴイ、四條司家
「頂点を極めていた公家の料理」という見出しの遠藤十士夫さんの話の「公家の料理」とは平安時代のことである。そのことだけ記憶して、次へいこう。ま、ほかに内容がないのだし。さあ、次の見開きを開くと、いよいよ41代当主、四條隆彦さんの登場だ。ここまでは露払いのようなものだったのだ、さあ、四條司家の料理を、「日本料理の精華」を当主自らが語ってくれるのだ。なにしろ「日本料理」千年の歴史を背負っているのですからな。
と、このまたもや家紋入りの見開きは、「四條家に生まれ育って」であり、ほとんど料理の話はないのだ。元皇族とのつきあい、兄2人は学習院だったが自分は受験に落ちて別の私学へ行った、そしてビートルズと出あって音楽にのめりこみプロのミュージシャンをめざし、20代半ばまでプロのドラマーとしてレコードも何枚か出したが、ある日父からの一言で、その道を断ち「四條流庖丁儀式」を継ぐことになった。その理由は料理に才能があったからではなく、兄たちはサラーリマンになっていて継ぐのは無理だから、「いま一番自由であるのはお前だから修業して跡を継げ」というものだった。ま、それで、彼は修業して「やはり自分の中に流れている四條家の血というものを感じました。公家から始まった伝統文化を公家の家の自分が守り、また、公家の優雅さ、雅を醸し出さなければならない、と自然にそれらを身につけるようになったのです」
そして、この見開きの4分の1を占めるセピアな写真は、「1960年(昭和35)年ごろ、皇太子と美智子妃を祝うご親戚の会で……」という、つまり美智子妃、皇后と、隆彦さんや家族が一緒に写っているものなのだ。本文には「母は、三條西家の出で、私にとって母方の祖母は今の皇太后陛下の妹、久邇宮信子であったので、母は今上陛下とはいとこにあたり、私が幼少の頃には父がいろいろとプロデュースをして、両陛下や皇族、元皇族、縁戚の方々などが集まる会を開催していましたし、私も出席しておりました。」
こういう話と写真が延々、誌面を埋めるのだ。こうなると、編集の能力を疑いたくなる。真面目に日本料理道や庖丁道の精華を伝える気があるのか。と、思いたくなるのだが、いやまて、この編集は、「精華」の無内容の現実、天皇家の権威のまわりでうごめく四條流「日本料理」の現実を、こういう手法で伝えたかったのかも知れないなあ……、あれっ、文字制限だぁぁぁぁぁぁ
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