いいかげんにしてほしい
たしか久留米市だったと思う。2、3日前のWEBのニュースで見たのだが「ヤキトリ」で町おこしをするということだ。その記事を読みながらクライ気持になった。そもそも料理を町おこしの具にするなど愚の骨頂と思うのだが、電話帳で調べたら日本で一番「ヤキトリ屋」が多かったからというのが、それに取り組む根拠になっているらしいのだ。つまり「数」の論理である、文化ではない。
カレーライス、ラーメンなどというB級グルメがはびこるようになってからとくにそうだが、「何軒食い倒した」式の「数」のグルメがフツウになっている、それはまた必ず「単品グルメ」なのである。まったく程度の低い奥行きのない愚性だと思う。その愚性が優性なグルメ顔するから、さらにおかしい。
ついでに言えば昨日書いた大衆食堂の記事の「週刊朝日」だが、うしろのグラビアの最後のほうに「魂のラーメン」がある。ラーメン屋の情報と写真でもっているようなページだから、文はどうでもよいのだろうが、文は小野員裕さんだ。小野さんというひとは、だいぶ前に『日曜日はカレー日和』という優れた本があるのだが、それと比べると同一人物かと疑わしいズイブン内容のない程度の低いことを書いているので驚いた。後退しているとしか思えない。しかも肩書が「文筆業」なのである。うらやましいなあ、「週刊朝日」ってオイシイとこなのだなあと思った。彼は「数」に流されやすい単品B級グルメ流行の典型的な犠牲者のような気がした。それはまた、安易な「数」に走るB級グルメの虚しさのようでもあり、胸が虚虚するのだった。
で、「ヤキトリ」などで町おこしをしたら、また食文化の道を誤る哀れな犠牲者がふえるだけである。一方で「食育」がいわれている時代に、アホな町というイメージでしかない。食べ物で町おこしが悪いというわけではないが、単品グルメは「数」にはじまり数にしか行き着かないようなものがほとんである、未来はクライ。食は文化なのだ。
いいかげんにしてほしい。
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