日本料理の伝統3
「そして、後者の新しい味覚を集大成し、洗練するのは支配層である。初期アメリカの新しい味覚開発についてもそのような事情があった」といった児玉さんは、続けて「景行天皇の五十三年」ときたもんだ。
景行天皇というのはヤマトタケルのオヤジだよ、そのとき「国造(くにのみやつこ)十二人に命じて、将来膳夫になる候補者各一人を差し出させたとのことである。すなわち、各地方の食品に精通している候補者を育てるためである。これは、新しい食物を開発して取り入れようとする企画であった」
いやあ、おどろきだね、これだけなのだよ。これだって、彼女の勝手な解釈なのだが。やはり彼女も、それじゃあマズイと思ったのだろうね。なにしろ、民俗学者や文化人類学者などが、そういう収集をどんどんやっている状況があったから。そこでか、彼女は、こういうのだ。
「民衆の食事については、乏しい資料にもかかわらず、民俗学者の苦心の聞き取り調査の結果から見ると、現代の栄養学の基準に照らしてもかなり立派な栄養を摂っていた例を見つけ出すことができる。」「ただし、それについての私の解釈は、そのよい栄養摂取は、……」「これらは特殊なケースであって」と切り捨てるのだ。
最初は料理の技法の問題として「ふつう民間」と「日本料理」はちがうのだと威張っていたのに、ここでトツゼン「栄養」を持ち出して、「ふつう民間」を切り捨てる。とにかくマジメに収集も集成も研究もやってない。そういうものに「ふつう民間」はふんだり蹴られたり。
料理人にとって重要なことは、そういう創造的な研究ではなかった。その点は1977年『日本料理史考』の中澤正さんのほうが正直である。「まったく同じ仕事をする料理人」「流儀に沿わない勝手な研究や工夫は許されない。これが徒弟制度に必要な絶対条件だった」「こうしたわけで、料理人は親方によって教えられたことを一途に守り続けることになる。先輩(兄弟子)や親方の意に逆らうことなく、指示どおり動いていれば、やがては煮方・真板と出世ができる」「料理が同じ、材料の買い方用い方、三杯酢の味、煮物の味、盛り付けまでそっくり同じ、さらに、善いことも悪いこともすべて同じになったとしたら一体どうなるだろう」
そういうものを範にしてきた。そして、おおくの「グルメ」は、まだ相変わらず、そういうものを範にしている。日本料理、家庭料理の衰退は当然だった。
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント