ありふれたものを美味しく 2
たとえば、かの有名なフランスの料理学校コルドン・ブルーの東京校のサイトでは、このようにフランス料理を説明する。
「フランス料理は地方料理の集大成といわれるように、フランスの各地方は、それぞれが特色豊かで、独自の伝統的な郷土料理がたくさんあります。初級コースでは、基礎コースで習得した基本技術をもとに、より高度な調理法、複数のテクニックの組み合わせなどを、フランスの地方料理のレシピを通 じて学んでいきます。日本人でも耳にしたことのある、アルザスのシュークルート、トゥールーズのカスレ、マルセイユのブイヤベース、などが登場します。地方料理をはぐくんできたフランス各地方の文化を訪ね、フランスのガストロノミー文化の奥深さを垣間見ることができます。」
「フランス料理は地方料理の集大成」であると。地方料理を通じて学ぶのであると。フランス料理においては伝統は郷土料理にある。もちろんその郷土料理は家庭料理でもある。他の国においても、このように明快に定義しているとは限らないが、実体としてそうなのだ。
がしかし、わが日本料理はちがう。「日本料理」は地方料理の集大成ではない。前に日記で書いたように日本料理の伝統は懐石各派や四條流などの「流派料理」にある。しかも日本料理は、郷土料理やその母体である家庭料理を「シロウト料理」と言って見下してきた。日本料理は自分たちの庖丁の冴えを自慢することはあっても、このコルドン・ブルーのように、地方料理や地方文化に敬意を払ったことはない。
日本料理は「中央」「上層」の料理であり、そこで食べさせてもらってきた料理人の料理なのだ。それは「中央」「上層」ならではの特別の選び抜かれた材料、素晴らしいシュンの材料に頼ったものであり、その料理は「ありふれたものを美味しく食べる」料理とは、美味学の根本も技術も異なっていた。その料理屋料理、料理人料理に美味学を求めても、日本料理つまり家庭料理に未来があるわけではないと、江原恵さんは主張した。
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