優しいおれ
テレビ番組の制作会社のひとからの電話やメールが増えている。ある民放のおなじ番組の話なので、同じ会社かと思ったが違うらしい。少なくとも違う人物が3人いや4人か、お互いに連絡をとりあっていないことは確かだ。
テレビ局や下請けの制作スタッフとはイロイロ仕事をしている。彼らはヒジョーに評判が悪い。天下の公共放送の局にしても、そうだ。どういうわけかおなじメディアでも活字系とはずいぶん違うのである。ま、活字系だって、ずいぶんヒドイがね。強引だ、嘘をつく、誤魔化す、人をタダ働きさせる、貸したものを無くす、情報を扱いながら著作権やもろもろの無形の権利を無視する、などなど経験者のあいだには「あいつらクズだ」の怒り話はいくらでもある。
ついでに言えば、この日記によく登場する江原恵さんも何度か天下の公共放送に登場した。おれも一度、ある民放の録画撮りに付き合ったことがある。そしてそのことで局スタッフと喧嘩して、以後テレビに出ることはやめた。それは、どういうことかというと、番組司会者が江原さんのいったことに、まったく別の解釈をあたえるコメントで内容を歪曲したからだ。録画の場合、本人はそのことは、放映になってから知る。そんなことはいまでも日常茶飯事なのだ。最初に結論ありき、ほかは、その演出の道具にすぎない。
だからということもあるが、おれはテレビを見ない。ウチにテレビはない。見る前から、どんなネタであろうが、落ち着く先は決まっている。例の「予定調和」ですよ。
正確にいうと、そういうテレビ業界の「体質」を恥じて、まっとうにやろうという人もいる。おれが知るかぎり極少数だがいる。そういう人とは酒を飲んでいます。
で、まあ、おれは、そういうことは承知で付き合っている。とつぜん電話やメールで、コレコレのことを教えて欲しい、このひとの連絡先を教えて欲しい、あるいは貸して欲しい。顔も知らない人間に、そんなウッカリ教えられるかということまで平気できかれる。コトによっては軽くいなしたり逃げたりするが、基本的にはなるべく親切に対応してやるのがおれの「流儀」だ。「裏切られた」と思うのは、期待するからで、おれは最初から彼らに何も期待してない。となれば、人間として、親切にしてやる道が残っているだけだ。おれって、優しいのね。いまも夜中に彼らの1人のために写真を探しています。午前2時半。
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