2003/10/31
1980年代はじめ、おれはまだ40歳前後、バブル経済もまだで、「B級グルメ」は陰ぐらいあっただろうが形はなさず声もなく、大部分の庶民のみなさまは、『Hanako』(88年創刊)や『dancyu』(91年創刊)など気にせずに、落ち着いてラーメンやカレーライスや丼物を楽しんでいた。
大衆食堂や大衆食を「B級グルメ」というのは浮世のことだからよいのだが、おれは大衆食堂や大衆食を「B級」だとは思っていない。大衆食堂や大衆食は「普通」なのだ、「普通食」「日常食」だ。それを「グルメ」とは笑止ではないか。どうせなら、グルメは「A級」でお願いしたい。
「オシャレ」という言葉がある。もちろんけっこうなことだが、たとえば衣装や装飾品では、「今日はオシャレしましょうね」といった場合、普通や日常があってのことで、どれが普通であり日常かは、本人はわかっている。
だから、普通を日常をオシャレによくしましょう、といえば対象はすぐわかるし、非日常なオシャレはなんらかの日常に反映されることが少なくない。なるほど、日常のファッションは、向上しているように見える。
しかし食事においてはどうだろう。グルメ騒動、しかもB級グルメ騒動のほうが圧倒的に「参加者」が多いはずなのだが、普通や日常の向上どころか、子供には、男前だけで選挙をやっているような首相まで「食育」などという始末だ。街を見ても、ラーメン屋がふえるだけで、貧困というしかない。
オムライスを食べるのに「B級グルメガイド」で探して行かなくてはならないようでは、普通や日常の向上どころか、ド貧困ではないか。B級グルメをいうなら、自分と自分の周囲の日常を見直し向上を図るべきだろう。「日々の食事の正常化」である。そういう意味において、大衆食堂や大衆食が「B級グルメ」であることが望ましい。
1986年、「スーパーガイド東京B級グルメ」(文春文庫ビジュアル版)発行。「A級の技術で東京流の味と伝統を守り、しかも値段はB級の心意気に燃える店のレポートを中心とする、これは一種の東京論である」だってさ。シャラクセエ!
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2003/10/28
えとえと、ま、そういうわけで、新潟日報の連載をUpしておきました。
しかし、その、ま、昨日は祖師谷大蔵の阿部食堂のとん汁を食べたけど、ああいうよいものが、一時は廃って、また「沖縄長寿料理具だくさん汁」の流行で、また人気になるという。いかに浮世の人間はイイカゲンとはいえ、大事なよいものが判別つかず、流行のなかに漂いながら捨ててみたり拾ってみたりでは、一個の人間として自立した大人がどれだけいるのかと、たかが、とん汁を食べながら、シミジミ思ったのであるよ。
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2003/10/24
久しぶりに、本に取りかかったら、アタマがそちらへのめり込んで、いまや身体中すっぽりはまりこんでいる感じで、おまけにもっと原稿をふやしていい、どんどん書いていい、なんて言われると、ああ、あれも書きたいこうもしたいと、どんどんどんどんどんどんどんどんのめりこんで、いままで使わなかった資料を見ていると、さらにそちらがおもしろくなって、時間を忘れて見ている、なーんて具合で、すぐの〆切りの雑誌の原稿の方はさっぱり進まず、なのに危機感は湧かず、ああ、やっぱ本を一冊つくるって面白いのですなあと、ひたりきっている。
この日記のあることを忘れてしまいそう。そのうち、このサイトがあることも忘れるかも。
でも、あんまりのめりこみすぎちゃあいけないんだよな、と自分に言い聞かせながら、気分はどんどんどんどんどん一冊の本にむかってハイになっていくのである。いったい、どうなるのだろうか?
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2003/10/22
うーむ、メシドーとショクドーの話も気になるのだが、エンテツは昨日、久しぶりに大衆食堂を食べ歩いたのだった。
大久保の<ふじや食堂>、これはすでに当サイトの「ヨッ大衆食堂」>「大衆食堂の暖簾」に写真が載っている。前に入ったのが95年ごろだから、ずいぶんご無沙汰だった。めしくって、ちょっと、オカミサンとおしゃべり。朝の7時からやっているとは知らなかった。このへんは、むかしは夜中にオシゴトの朝帰りの人たちが多く、そのために朝7時からの営業だったのだそうだ。そういや、かなり様変わりしているが、ま、フーゾク街だったのだ。、
そして、新大久保まで歩き、気なっていた<おかめ食堂>をのぞく。ここは中に入ったけど、オバハンと言葉をかわしただけで食べなかった。なんで?って、ちょっと事情があったのさ。まだ12時前だったが、酒を飲んでいる客が、もちろん老けたオヤジだが2人いた。いい景色だねえ。すまんかったね、何も食べないで、またいくよ。
それからまたもどって、大久保の隣駅の東中野の<東中野食堂>へ。ちょうど昼飯どきにぶつかった。けっこう入っている。よかったよかった。
そして、新宿にもどり小田急線に乗って、祖師谷大蔵の<阿部食堂>へ。ここが、このサイトに載っている酒場<古代楼>のすぐそばにあって、祖師谷へ行くたびに気になっていた。というわけで、この日の本命は、ここでした。いやあ、よかった。ビール飲んでくつろいで、いい話もたくさん聞けた。
写真も撮ってきたから、近々掲載するでしょう。というつもりでありますが……。
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2003/10/21
どうにも納得できないメシドーは、ショクドーを訪ねた。ショクドーは21世紀初頭に普通のメシを求めて旅立ち、そのまま新潟県魚沼地方の山奥に住み着いてしまったのだ。
そしてオレ、つまりエンテツは、いま「とん汁」について哲学し食べ歩きに出かけるのだった。とん汁つまり豚汁である。関東では、「とん汁」というが、関西では「ぶた汁」というそうだが、本当か。そういや大阪には「ぶたマン」があるな。
さつま汁つまり薩摩汁には、鶏肉を使うものと豚肉を使うとん汁がある。明治43年の軍隊調理法には、鶏肉を使う薩摩汁と豚肉を使う「豚汁」の両方が載っている。豚食は江戸時代に、中国から琉球列島を経由して鹿児島に伝わったという説や、長崎出島のオランダ人から広まった説いろいろ。だからどうした?っていうことを考えながら食べ歩くのである。
そしてメシドーは山小屋のような家の炉辺で、ショクドーと向かい合っていた。
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2003/10/20
メシドーがセドドーに言う。
「セドドーさん、そのノートにある、米の食味ランキングのことですがね、『特A』だからといって一番『うまい』ってことじゃないのですよ。味覚の『うまい』『まずい』は食味センサーではわからないのですよ。それは、食味センサーの専門家も、味覚の『うまい』『まずい』を判定するものじゃないと言っていますよね。
ところがですよ、特Aのついた産地は『うちは日本一うまい米』だっていうわけですよ、そりゃまあ宣伝としてはよいでしょう。問題は、バカグルメライターたちが、それをそのまま受け売りして、食味センサーのランキングのなんたるかも調べないで、産地で十分食べて調べることもしないで、『これは日本一うまい米』だって書くのです。こういういいかげんな連中ばかりですよ。
どうして、こういうことが簡単にまかりとおるのでしょうか。こうなると、ランキングや表示がいけないのではなく、正確に書かないバカグルメライターや編集者が一番犯罪者的な存在じゃないでしょうか。彼らは、なんにつけ生産者側の代弁者にすぎないのであって、大衆の味覚にとって百害あって一利なしですよ」
3個目の吉野家の牛丼弁当を食べながらセドドーが言う。
「でも、あれ、米も酒も、ほかのものみんなそうだけど、生産側や作り手から締め出されたら、メディアもそこに巣くっているライターも食べていけなくなるんだから仕方ないでしょ。大衆の味覚のことなんか考える必要ないし、誰も考えていないよ」
メシドーは、なんだか怒っている。
「そ、それじゃあ、あのグルメエッセイスト養成講座ってのも、そういうバカライターを養成しようというのですか。そもそもですよ、ようするに、食べる、呑む、旅なんていうのは、建築や音楽や文学や、いわゆる芸術といわれてきたのものなどに比べると組しやすいものだから、そういうものにたかるようにしてバカライターが増えているだけでしょう。うちもその片棒担ぎするのですか」
「なにをややこしい難しいこといってるの。いいんだよ、だいたいエッセイストとはナニモノかもわからん連中がエッセイストになりたがって来るのだから。エッセイストになりたいひとがいる、じゃあ養成講座やりましょとやっているだけ。ああ、牛丼がまずくなるからあっちへ行って」
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2003/10/19
2003/10/17
けっきょく、一日目で40杯たいらげたのはヘンドーのムスメだけ。「よくやった、酒を飲ませてやろう」とヤメドーは彼女を誘う。「もう腹一杯で苦しくて飲めませんよ、別の日にしてください」と彼女は抵抗する。
「ばかもの、これぐらいで音をあげるやつがいるか、これから飲んでこそ、エッセイストへの道がひらける。おまえ、エッセイストになりたいのじゃないのか」
「もうスッごくなりたいです。だけど、わたしはアタマをつかいますから、腹はもういいです」
「なにかっこうつけている、アタマはいらない、小学校高学年ていどでいいのだといっているだろ、あとは何軒、どれくらい食べたかが勝負なのだ」
「それって、それじゃあ、食エッセイストやグルメをばかにしていませんか」
「どうして」
「だって、大人にむかって、小学校高学年ていどだのと、読者もそのていどだのと、いっているじゃありませんか」
「だけどね、そういうふうになっているし、そういうふうに、グルメなんかていどの低いバカと思われているんだよ。だってな、そう思われても仕方のない騒ぎ方をしてきたんだよ。何軒くいたおしたと威張ったり、『ドコソコでナニソレを食べてみたら、どえりゃー、うまかった。ぜひキミも食べてみなさい。あれを食べんうちは、いっちょうまえの顔できんがや、などと自分の説を人に押しつける。とんでもないことだ』って書かれたりしている」
「あっ、それ書いたの、東海林さだおさんでしょう。あの人は、食エッセイストじゃないんですか、小学校高学年ていどなんですか」
「あのひとはね、エッセイを書くけど、漫画家なの、そこが、ラーメン屋何軒くいたおしたと威張るような成り上がりのエッセイストとちがうのさ。漫画家や小説家として評価されているひとが、食についてのエッセイを書くのと、食エッセイストは違うんだよ。世間の目から見てもな。だいたい、あんただって、食は組しやすいと思って、食エッセイストになりたい、本当はエッセイストになりたいのだけど……という調子じゃないか。グルメをばかにしているのさ。さあ、つべこべ言わないで、飲み屋へ行ってからのはなしだ」
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2003/10/16
「あれっ、このノートは大昔のものかと思ったら、最近のことが書かれているぞ、いったいどうなってるんだ」
セドドーは、吉野家の牛丼弁当の2個目を食べながら、川で拾ったノートを見ていた。
ノートには、こう書かれていた。
…………
今年は93年以来の冷夏で、米騒動になっている。田んぼから稲を刈って盗むものまでいる。以前からブランド米については不正表示が多かったのだが、昨日のニュースによれば、「冷夏によるコメの不作やブランド米の産地偽装事件などを受けて、遺伝子情報から農作物の品種を識別するDNA鑑定を行う民間の検査会社に、コメの鑑定依頼が急増している」のだそうだ。食べてうまければいいものを。
そもそも、おかしいじゃないか。日本の歴史上、いまほどウマイマズイを言い、他人様の店の料理を評価して歩くやつらが、こんなにいたことはないというのに。酒にせよ料理にせよ、あれはいい、これはいかんと、ワタシは微妙な味がわかる人間様だぞという感じのやつが、いまほどいたことはないというのに。
そもそもだな、「プロ」ですら、食べてもわからんから、DNA鑑定なのだろう。じゃああの、日本穀物検定協会とやらが発表している「お米の食味ランキング」の「特A」だのなんだのというのはなんなのだ。それから、あの繊細な舌の持ち主のふりをしているグルメはなんなのだ。
…………
アヤシゲ出版社の会議室では、週に一回の食エッセイスト養成講座の最中。
飯を盛った紙の容器がズラリならんで、受講生は、それに大鍋から具の入ってない汁をかけて食べている。
「さあさあ、どんどん食べて、これを40杯食べたひとは次にすすめるからね」
アヤシゲ出版社に出入りしているフリーライターのヤメドーが講師役らしい。大きな声で叱咤している。
「さあさあ、食エッセイストになるのはアタマはいらないよ、どんどん食べて胃袋を大きくして、文章は小学校高学年ぐらいでいいのさ、あんまり難しい正しいこと書いても、読者は喜ばないからね、さあさあ、どんどん食べて胃袋を大きくしよう」
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2003/10/15
ちょっと休んだ。故郷の六日町中学の同期会があって参加してきた。これが、還暦同期会で、六日町の温泉旅館に1泊して泥酔する、豪華というか豪快というか豪飲というか、そういうものであった。
六日町はコシヒカリの発祥地で「魚沼コシヒカリ」で有名な米どころでもあるが酒どころでもあり、八海山なる有名な酒蔵はあるし、以前はもっとあったのだ。親達が酒飲みなら自然子たちも飲む。というわけで中学から一緒に飲んだ仲間や、高校のときには飲んで騒いで、おれの親も含め親たちがみんな担任教師に呼び出され注意されるということがあった仲間がいるのだから、ひと通りの飲み方ではない。よく飲んだ。
昭和34年卒業で、まだ高校への進学率が50パーセントをちょっと下回り、「金の卵」と呼ばれ上野周辺の商店街へ「集団就職」したものが多かった。ま、大量生産設備と近代流通網が整備される以前の、「地食品」「伝統食品」で生長した最後の世代ということになるだろう。酒というと、地元の酒、せいぜい魚沼地方の地酒しかしらなかった。ビールを飲むのは、盆と正月ぐらいという状態だった。
六日町というと「魚沼コシヒカリ」と「八海山」と「雪国まいたけ」が、約全国ブランド並だが。よいものは、まだまだあるのだ。今回は、その地食品、伝統食品モノで、よいものを同級生に教えてもらい買ってきた。「魚沼 かぐら辛っ子」というカグラナンバンを塩と糀で漬け醗酵くわえたものだ。これは、すばらしくよい。そのうち「浮世のめし新聞」に写真も入れて詳しく紹介するから見てちょうだい。
それはともかく話をもどそう。もちろん、これは「作り話」である。おれのところに、「食エッセイスト講座」をやるんですか、と問い合わせされても困る。問い合わせはアヤシゲ出版社の方へお願いします。
アヤシゲ出版社は、「あなたもグルメ評論家……食エッセイスト講座」を開催した。自社の会議室を利用するから30名定員で、1ヵ月2万円で6ヵ月コースで募集したら、たちまち一杯になった。そこにヘンドーのムスメがいたことはいうまでもない。
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2003/10/12
セドドーは吉野家の牛丼弁当をガツンガツン食べている。すでに2つを空にして、3つ目にかかっていた。いつも一度にそれぐらい食べるのだ。
アヤシゲ出版社は、単行本のほかにも、いくつかの新聞や雑誌を発行している。そのうちの一つ、「日本メシ新聞」の編集長のメシドーが、セドドーのそばにきて囁いた。
「専務、おかしな女がきているけど会いませんか、おかしいですよ」
「ウングウング、会う会う会いますよ、だけどこの牛丼食べてからね」
応接室には女が一人。セドドーは名刺交換をする。女の名前は、ヘンドーのムスメ。
「で、どういうことなの?」セドドーはメシドーに聞く。「ああ、つまりですね、この人は、メシ新聞に何か、そのエッセイというやつを書かせてくれというのですよ。食堂食べ歩きのエッセイを書きたい、ってことです」
「で、いままでどんなの書いていますか」セドドーはヘンドーのムスメに聞いたが、メシドーが答えた。「それが、まったくないのですよ。ただ、いろいろ食べ歩きの記事を見ると、あのていどなら自分でも書ける、それに馬力はあるし、メシは一度にどんぶり2杯ぐらいは食べられる大食いだし、やらせて欲しい、と、そういうわけです」
セドドーは大食いってのに興味を持った。女を見る。女は、どちらかというと細い、背丈も160センチぐらいなものだ。それが一度にどんぶりめし2杯くうという、一度に4杯はくえるセドドーにはおよばないが、大食いは大食いに関心をもつ。
「あなたは、なにをやりたいの?」
女は胸をはってこたえる。「エッセイストです」
「いまいくつ? だいたいキャリアシートぐらいないの?」
「31です。キャリアシートってなんですか?」
ほらね、という顔でメシドーがセドドーを見る。
「はあ、キャリアシートは知らないなら知らないでいいですが。はやい話、食関係のエッセイストになりたい、ということね」
「食というわけじゃなくて、エッセイストになりたいのですが、食のこと、食べ歩きを書くのが一番簡単にやれそうだから、だってたくさん食べ歩けばよいわけでしょ」
セドドーは、女と話ながらひらめいた、あの拾ったノートをもとに、「食エッセイスト養成講座」をやったら、こういう女が集まってくるかも知れない。なんだか近頃の女は、やたらエッセイストになりたがっているし、カネ儲けと人材発掘の一石二鳥……。
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2003/10/11
ノートには、こうある。
………
「グルメ評論家」というと、すぐ食べ歩いたり、料理をつくったり、そして書いたりテレビに出演したりということを想像すると思うが間違いだ。
まずは普通に食べる、しかし、ただ食べるだけではなく、「問題を発見し、整理し、理論づければよい」のである。つまり川添登さんが、かつて生活学について書いているが、「誰でも、どこででも、身近なもののなかから問題を発見し、整理し、理論づければよい」ということなのである。
食事や料理については、誰でも語ることができる。生活の分野でも衣服や住宅についてと較べると、料理の作り方や味覚については語ることが簡単である。つまり、食は身近なことであり、誰でも一過言あっても不思議ではないし、また一過言ある人が多い。
そして、「料理評論家」という肩書は、山本益博さんしか使っているのを見たことはないが、大衆食だのなんだの細々やっている遠藤哲夫だの、カレーライスだのラーメンだのと騒いでいる小野ナントカにしても、あるいは「フードライター」という肩書のナントカだの、いろいろいるが、みんな専門的な勉強を積んできたわけではなく、食べ歩いて原稿を書いて雑誌に発表したり本にしたりしているうちに「専門的」になっただけなのだ。だからこそ、「私は何軒くいたおした」ということを権威のごとく、実績として強調するのである。
が、評論の本質は、何軒くいたおしたか、あるいは料理をうまくつくれるかどうかにあるのではない。必要なことは、「問題を発見し、整理し、理論づける」ことなのである。
評論家かどうかは、ただ食べる、あるいは作るだけではなく、「問題を発見し、整理し、理論づける」かどうかなのである。料理に関していえば、日本の料理は異常に経験主義だから、それはまた評論をするものが「何軒くいたおした」「おれは食べ歩いているだけじゃなく、食べたものを自分で作れる」といった、評論の本質に関係ないことを自慢することにもあらわれている。
カンジンなことは、「問題を発見し、整理し、理論づける」なのだ。日々、食べ、あるいは料理をしているなら、こういう評論を心がければ、食生活は向上することにもなるだろう。またインチキな評論を見破る知識もつくだろう。
その結果、食べ歩いたり、料理をつくったり、そして書いたり、テレビに出演したりということになるかもしれない。
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2003/10/10
ノートには、こうある。
………
「グルメ評論」は、食事あるいは食生活の全てが対象になる。「グルメ」という言葉は、いまやとくに「美食」をさすわけではなく、単に「食べること」「食」といった意味しかもたないことが多いからだ。
そして「グルメ評論」はまた、グルメたちをも評論の対象にする。そもそもグルメたちは言いたい放題野放し状態であり、彼らが店や料理を批評するように(まっとうな批評などないにひとしいが)彼らを批評の対象にしなければならない。批評がグルメの成長をもたらすはずで、いまのような野放し状態では、グルメはスカな存在になるばかりでなく、ただでさえ問題の多い食の現状を、さらに悪くするものでしかない。
でよ!グルメ評論家。
俺が「あなたもグルメ評論家」を思いついたのは、こんなことがあったからだ。
彼女はカワイイ女であったが、グルメを自認していて、それは単に「有名なモノ食べ歩き」ぐらいの意味らしいのだが、あちこち有名な店やモノを食べ歩いているそうだ。そして彼女は関西生まれで最近上京し、ある飲食店で生まれて初めて深川丼を食べたそうである。
で、俺は彼女のカワイイが、あまりオリコウソウではない顔、どう私ってカワイイでしょ、というふりをする顔を見ないように尋ねた。「で、味のほうは、どうだった?」
すると、彼女は、「私は、まだ本場の深川で食べたことがありませんから、お味の判断できないのです」と言ったのだ!
そ、そんなバカな、おまえはバカか、本当のバカかと、俺は彼女の顔を見た。彼女は本当にバカな顔をしていたが、しかし、そのように「本場」や「元祖」を「本物」としてありがたがるのは、今日的グルメの特徴なのだろうと思った。しかし、近代的な存在のはずのグルメ、つまり自己の確立がなされているはずのグルメが、本場のものを食べてみないと味の判断ができないとはナニゴトか。
自分がないのか!おまえは!クソ!
…………
以下、彼女に対する悪態が思いつくかぎりの、見事に汚い言葉で述べられているのだが省略する。とにかく、それがきっかけで、作者は、真のグルメ評論家の出現を意図して書き始めたということらしいのだ。
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2003/10/09
アヤシゲ出版社の専務セドドーは、社長のモクドーに言いつけられて、社の裏を流れるヘドロな南陀川で洗濯をしていた。洗っているのはモクドーのデカパン一か月分である。
「あーあ、なんで専務のおれが、こんなことせねばならぬのか、モクドーのヨメはどこへ行った……」
セドドーが手を休めタメイキをつき川の上流に目をやると、大きなダンボール箱がヨタヨタ流れてくるではないか。一万円札なら数千万円は入っていそうだ、とセドドーは思い、臭い汚い流れに飛び込んだ。
アヤシゲ出版社は、社長モクドーの古書収集癖のために、新本を出すための費用は全部そちらに使われ、倉庫には古本は増えるが売るべき新本はなく、経営危機に陥っていた。セドドーはワラにすがる思いだった。
まあ、そういうことで拾われたダンボール箱には、カネは一円も入っていなかったが書きなぐりのノートが数十冊入っていて、それでアヤシゲ出版社は経営危機を脱し今日にいたっているのだが……。
明らかに一冊目とわかる、黒のサインペンで①と表紙に大きく書かれたノートの最初のページには、作者がタイトルを考えた形跡がある。
「わたしも料理評論家になりたい」
「わたしを料理評論家にして、して、して」
「あなたも料理評論家」
いや、「料理評論家」はマズイ、時代遅れだ、それに間口が狭すぎる。いまや「グルメ」は「料理」も包括し多様な意味をはらんでいる。
「グルメ評論家」でなくては、そうそう、「あなたもグルメ評論家!」がいい。
……などとある。そこで、ここでも「あなたもグルメ評論家!」を使うことにする。これはまたかつて経営危機にあったアヤシゲ出版社が、これで一儲けした本のタイトルでもあるのだが。本になったのは、ウリを考えてノートのほんの一部である。
作者はノートで「なぜグルメ評論家」なのか? と始めている。しかし、文章は下書きか覚書のつもりらしく、整ってはいないし、箇条書きであったり、乱雑に数文字が転がっていたりという状態なのだ。なるべくそのまま復元していくことにしたい。
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2003/10/05
ちょっと前、大学生と話したときのことだ。大学生たちは、大戸屋ならどんなものを食べさせられるかわかっているから安心して入れるが、普通の個人の大衆食堂は不安で入れないと言った。
なるほどね~、おれの場合は、大戸屋は入る前からもう味から何もかも想像つくから食欲が減退する、できたら個人営業の大衆食堂に入りたいと思うといった。
かりに、そこの味が自分にあわなくても、それは店の個性とおれの個性の違いというものだ。違う個性の出会いこそ人生だと思う。個性というのは、いってみればクセであり、クセが強いほど個性的というものだろう。自分が個性的でありたければ、ほかの個性も尊重しなくてはならない、クセのあるものが多いほど、世の中だって街だって面白いのだ。それはクセが味わいになるからで、なんでもよく食べ味わってみればよいのだ。というふうに、アタマではわかっても、カラダがそうはいかないのが、いまの大学生なのだろうか。
というと、「いまの若い者は」話になってしまうが、こういう流れは70年代から80年代につくられたと思う。あのころマスコミが騒いだ、「マニュアル文化」「カタログ文化」というもので、それに飼いならされた結果ではないか。そういうふうに若者を飼いならし、それは一方では楽して若者を操ることだったが、摩擦や抵抗がない関係をヨシとしながら、いまの若者は「指示まち人間」で個性がないとオジイサンやオジサンたちはいうわけである。
それはともかく、そのような文化的環境と、味覚の問題は関係がある。個性的な味より均一化された味に安心する味覚が蔓延した。しかし、自分が均一化状態にあるということは、個性的である人間としては非常に面白くないがゆえに、上下をつける。レベルが高いだの低いだのは、一つのモノサシに均一化されているからこそ比較し上下をつけやすい。
幸か不幸か、ついこのあいだ戦後しばらくたっても色濃い全体主義的均一文化の下で、人間はもちろん何にでも上下の等級をつける文化や習慣があった。そして戦後の工業化社会に新しい機械的な均一化が進んだ。だから、そういうことは手馴れたものであり抵抗はない。
そして、味覚は個性化へ向かうことなく、均一化と上下関係のクモの糸へ向かったのである。ああ。地域性も個性も瀕死状態のなかで、生業の大衆食堂はクセがある存在ですなあ。どこをとりあげても、「Only One」だね。
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2003/10/01
この前に書いてあるように、今日から早稲田古本祭だが、そこの古書現世で販売される「酒とつまみ」。
これは言ってみれば、本における「本の雑誌」のような感じだ。実際、本の雑誌の発行人の浜本茂さんが「小説の中の酒」を連載しているが、とにかく偉そうなことは言わず、好きで好きでたまらんという一念が彷彿フツフツフツと沸き立っている。
第3号、「千鳥足で行こう!」
巻頭特集、思いつき研究レポートSPECIALは、PART①アルコール検知器で研究してみた、PART②ホッピーに合う酒は何だ。このPART②は、ようするにいろいろな酒をホッピーで割って飲んでみるというもの。ま、ようやるわ。
こりゃもう難行苦行だの「第3回 中央線で行く東京横断・ホッピーマラソン 肝臓破りの吉祥寺~国立編」
「編集者はなぜかくも飲むのか」「酔客万来<第3回>集団的押し掛けインタビュー」「酒場盗み聞き」「職人レポート 酒肴ある処、職人在り」などなどいつもの連載のほかに、山本史子さんの新連載「飲んだくれザマミロ紀行」で国外にも飛び出しワールドワイドに酔っ払いまくる。
ま、広告なしの本文80ページ、400円は読み出したらとまらんよ。「本の雑誌」以来の痛快快挙だあね。このサイトのリンクの花園からホームページへもリンクしている。ま、早稲田古本祭の古書現世で、手にとって見てよ。
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