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2003/12/07

「鑑賞」といふこと

昨日の日記にあげた、開高健さんの『新しい天体』は、何度読んでも面白い。読むたびに、新しい発見がある。今日は、開高健さんの食に関係ないエッセイや小説まで本棚から探しだして読んでしまった。原稿を書くために読んでいたのに、どんどん原稿書くの忘れてしまう。マズイ。

一昨日、ちょっと登場した田中康夫さんと開高健さんの共通するところは、「普通」をよく理解していることだと思う。それは当然でなければいけないと思うし、そういう作家は、ほかにもいて、たとえば林真理子さんや東海林さだおさんや椎名誠さんや玉村豊男さんなど、そうだ。

もちろん食べ物、食べることについてだが。普通をよく理解したうえで、よいものうまいものを語る。そこが、普通も理解しないまま、「究極」だのなんだのといっている連中とはちがう。つまり、普通のものを語るのがイチバン難しく、本当に理解しないと語れないのだ。

それは、吟醸酒や純米酒について語るのは簡単でも、普通酒を語るのは難しい、という例を考えてもらえばわかるだろう。特別なものは特別な特徴があるのだから、究極だのなんだのって、いくらでも美辞麗句を並べることはできる、しかし「普通のもの」については、ま、開高健さんの言葉を借りれば、「”鑑賞”とひとくちに呼ばれる観察眼、洞察力、素養などが明滅する」のである。

といいながら、いつも大衆食のような普通のものを語っているおれは、観察眼、洞察力、素養など、大丈夫なのか? 大丈夫のはずねえだろ。

と、これを書いたネライは、おれのことはダメでもいいから、挑戦している熱意だけ買っていただいて、と都合のよいことをいって、ほかの食べ物について書いているものを読んだら、その作者の観察眼、洞察力、素養などの明滅ぐあいを、よくチェックしましょうねと、そっちに話をふるためなのだ。とくにグルメを気どるひとの文章は、厳しく、そのようにチェックするように。そのことでまた自分も、”鑑賞”の力がつくと思うのだが。

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